いわき簡易裁判所 昭和43年(ろ)8号 判決 1968年6月03日
被告人 西本正利
主文
被告人は無罪。
理由
一、本件公訴事実は
被告人は昭和四二年一一月一五日午前七時三五分頃、いわき市植田町本町一丁目一一の一〇先、交通整理の行なわれていない交さ点において、普通乗用自動車を時速二〇粁位で運転し、直進するに際し、左方道路にのみ注意を払い、前方及び右方への注意を欠いたまま進行した過失により、折柄右方道路より、同所交さ点に進入してきた片柳正光の運転する普通貨物自動車の発見が遅れ、発見後直ちにブレーキをかけたが間に合わず衝突し、もつて他人に危害を及ぼすような速度と方法で運転したものである。
というのである。
二、当裁判所の検証調書、司法警察員作成の実況見分調書、証人樋山剛、同片柳正光に対する当裁判所の尋問調書、片柳正光の司法警察員、検察官に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書を綜合すると次の各事実が認められる。
(一) 本件事故現場は南町方面から番所下方面に走る幅員約九、八米ないし一〇、五米の道路(以下南町=番所下線ということがある。)と右道路より北方に延び本町国道方面に通ずる幅員約一〇、二米の道路とが直角に交差する丁字路の交差点内であること、右交差点の東側に数米の距離を置いて、右南町=番所下線とほぼ直角に交差する道路があり、右道路の幅員は南町=番所下線の北側で約四、五米、南側で約五、七米あり南方は鮫川堤防方面に通じていること、そして右二つの交差点のほぼ中間を南北に貫く堀があり、その堀の上には道路幅一ぱいにコンクリートの橋(長さ二、六米)がかかつており、右橋よりも東側は非舗装であり、西側はアスフアルト舗装になつていること、現場附近の交通は人、車とも少ないこと、被告人の進行方向からの左方の見とおしは丁字路交差点の西北角に同交差点に面して建つ二階建建物と同家のブロツク塀のため見とおしは悪く、左方道路の交通等の状況が完全に見とおせるのは、左方道路の西側線附近(検証調書見取図ロ点の西方約六米の地点)まで出たときであること、被告人の進行方向からの前方および右方のみとおしはよいこと、
(二) 事故当時の現場附近の交通は、片柳正光運転の普通貨物自動車以外にはなかつたこと、
(三) 被告人は起訴状記載の日時ころ、普通乗用自動車の後部座席に父親を同乗させ、同自動車を運転し、時速約二〇粁で南町=番所下線を番所下方面から南町方面に向つて進行中、本件事故現場丁字路交差点の手前の側端附近(検証調書見取図イ点)にさしかかつた際、右前方約二六、二米の鮫川堤防方面から南町=番所下線に入ろうとしている片柳正光運転の普通貨物自動車を発見したこと、被告人は左方道路からの交通の安全を確認しながら進行し、約九、四米ないし一〇、八米進んだ地点(検証調書見取図ロ点)で前方に視線を移したところ、右前方六、八米の地点に片柳運転の普通貨物自動車が接近しているのを発見し、急制動の措置をとつたが、自車左前部を片柳運転の右自動車の左前部に衝突させたこと、被告人は、従前本件場所を通行することが度々あつたが、鮫川堤防方面から南町=番所下線に出る自動車は右道路へ出る際一旦停止するのが被告人の経験では通常であり、本件の片柳の車もそのように一時停止するものと信じていたこと
(四) 片柳正光は鮫川堤防方面から普通貨物自動車を運転し時速約三〇粁ないし四〇粁で北進し、南町=番所下線を西北に向つて斜めに横切つて本町国道方面に抜けようとしたこと、同人は被告人運転の普通乗用自動車が番所下方面から南町方面に向つて進行してくるのに気づいていたが、被告人の方で停止し自己に進路を譲つてくれると思つてそのままの速度で右のように斜めに横断をしようとしたこと、同人は被告人の車との衝突の危険を感じ衝突地点の東南東約九、六米の地点で急制動の措置をとつたがおよばず被告人の車と衝突したこと、同人は通常前記事故現場附近を通る際には、鮫川堤防方面から北進し、一旦左折し丁字路交差点を右折するというようにいわゆるクランク型に進行するのであるが、当日は急いでいたため前記のように斜めに横断したものであること前記証拠中右認定に反する部分は措信しない。
三、本件は道路交通法第一一九条第二項、第一項第九号、第七〇条(後段)に違反するもの、即ち過失による安全運転義務違反として起訴されたものである。ところで安全運転義務は具体的義務規定でまかないきれないところを補充する意味で設けられたものであるが、その規定の仕方はきわめて抽象的で明確を欠き(特に同法第七〇条後段についてその感が強い)、それ故に拡大して解釈されるおそれも大きい。(道路交通法立法の際に衆参両院の各地方行政委員会は安全運転の一般原則に関する規準の設定を付帯決議をして要望している。)従つてその解釈にあたつては罪刑法定主義の趣旨に則り、厳格に解釈すべきであり、拡大して解釈、適用することを厳に慎しまなければならない。右のような趣旨から、同法第七〇条後段により可罰的とされるのは、道路、交通、当該車両等の具体的状況のもとで、一般的にみて事故に結びつく蓋然性の強い危険な速度方法による運転行為に限られるものと考える。(具体的に物件事故が起きたからといつて常に安全運転義務違反があるといえないことはいうまでもない。)
四、検察官の主張は、被告人が過失により、左方道路にのみ注意を払い、前方および右方への注意を欠いたまま進行したというものである。
(もつとも検察官は被告人が本件現場にさしかかつた際後部座席に同乗していた者と話をしていたため、左側道路方向への確認を必要以上の間なしており、前方注視がおろそかになつたとも主張する-第二回公判調書-が、証人片柳正光に対する当裁判所の尋問調書中右主張に副う部分は、事件直後になされた同人の司法警察員および検察官に対する各供述調書中には右のような供述が何らなされていないことや被告人の当公判廷における供述に照らし、措信できないし、また、同人の司法警察員に対する供述調書中に、被告人が「何か脇見でもしている様子ではしつて来ていたようでした」との供述があるが、右の程度の供述では被告人が左方を確認していたにすぎないものととれないでもなく、それ以上に同乗者と話をして脇見をしていたことまで認めることはできないものといわねばならない。)
しかしながら左方道路からの交通の安全を確認しながら同時に前方および右方を注視することは不可能であり、左方道路方面を視て安全を確認する場合に一時的に前方および右方を視ることができなくなることはやむえないことである。
そして左方への見とおしは、前記のように本件交差点に面して建つている二階建建物および同家のブロツク塀のため、悪いのであるから、本件の丁字路交差点を南町方面に向つて直進する被告人としては、当然左方道路からの交通の安全を確認して進行すべきであり、しかも左方道路の全ぼうを見とおすことのできる地点は前記のように検証調書見取図のロ点の西方六米の地点である。従つてこの点まで左方を確認して進行することはやむをえないものと考える。(イ点から右の点まではわずか三、四米ないし四、八米である。)
そして被告人は前記のように左方道路からの交通の安全を確認しながら進行し、ロ点まで来て前方を見たのであるが、被告人の自動車の時速は二〇粁であるから、被告人が右の六米を進行するに要する時間は計算上約一、〇八秒となる。
右の時間が、被告人が左方から前方へ視線を向け変えるのに要する時間として、長すぎるといえるかどうかであるが、右の時間はそれ自体としては長すぎるといえなくもないようであるし、また長すぎると断じがたいという見方も可能と思われる。
そこで被告人の右のような運転が安全運転義務に違反するといいうるか否かを考えるにあたつては更に具体的状況を考慮する必要がある。
先ず本件衝突の原因(衝突したことそれ自体は安全運転義務違反の訴因に対しては単なる情状にすぎないが)を考えてみると、片柳は鮫川堤防方面から北進し、南町=番所下線に入るに当つて徐行しなければならない(道路交通法第三六条第二項)のにこれを怠り前記のように時速三〇粁ないし四〇粁で進行し、更に同人は、本町国道方面へ行くため、南町=番所下線を通り抜けるにあたつては、先ず鮫川堤防方面から来て十字路を南町=番所下線へ左折し、しかる後丁字路交差点を右折するという方法をとるべきであり、しかも左折、右折にあたりいずれも徐行しなければならない(同法第三四条第一項、第二項)し、右折する際、直進車があれば直進車の進行を妨げてはならない(同法第三七条第一項)のにかかわらず、前判示のように前記速度のまま南町=番所下線を西北に向つて斜めに、しかも直進する被告人の車の直前を横断しようとしたのであり、かような片柳の無謀な運転が衝突事故の主因をなしていることは明白である。
右事実のほか、片柳の自動車のほかには現場附近に交通がなかつたこと、被告人の自動車の速度、被告人の経験上鮫川堤防方面から南町=番所下線に出る自動車は右道路に出る際一旦停止するのが通常であり、被告人は本件の片柳の車もそのように一時停止すると信じて運転したこと、道路の幅員等現場の状況その他諸般の具体的事情を考慮すると、本件における被告人の前記運転が(仮に左方から前方に眼をうつすのが多少おくれたといえるとしても)未だ一般的にみて事故に結びつく蓋然性の強い危険な運転行為であると断ずることはできないから、本件の被告人の運転行為をもつて安全運転義務に違反するものということはできない。
五、よつて本件は結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 岡崎彰夫)