さいたま地方裁判所 平成11年(わ)1112号 判決 2002年6月27日
主文
被告人を懲役を3年に処する。
この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予する。
被告人から金5292万6000円を追徴する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,昭和53年7月1日から平成9年5月31日までの間,防衛医科大学校の教官(医学教育部医学科内科学第二講座配置)として研究等に従事するとともに,防衛医科大学校病院の医師(第二内科配置)として同大学校病院の患者の診察・治療に従事し,同大学校が受託研究として××株式会社から委託を受けて実施したインターフェロンα―2b(コード番号Sch30500)の臨床試験の研究担当責任者として,その受託研究を実施するなどの職務に従事していたものであるが,昭和57年ころから平成7年3月ころまで被告人の研究補助員として稼働し,その後,同年4月5日から同年6月30日まで有限会社○○の取締役であったAと共謀の上,上記××株式会社取締役研究開発本部長として上記インターフェロンα―2bの研究開発を統括していたB及び同開発本部臨床開発部開発第三室第一課長等として同研究開発を担当していたCらから,被告人が,上記臨床試験を含むインターフェロンα―2bの各種臨床試験の準備段階から関わり,臨床試験の効果的な実施のためにインターフェロンα―2bの用法用量の設定等について指導,助言を行い,上記臨床試験の研究担当責任者として,その実施を受託し,試験対象の条件に合致する被験者を探し,その実施に必要な被験者を確保するなどして所期の目標症例数に達するよう努めた上,インターフェロンα―2bの臨床試験の結果について同社にとって好ましい内容の論文を作成し,臨床試験に付随する血清検体の検査測定を受託してこれに従事するなどインターフェロンα―2b等の医薬品の適応拡大承認申請のための臨床試験に関して協力したことなど,同社のために種々便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼及び今後も引き続き同社が委託する臨床試験の受託,その実施等についても同様の便宜な取り計らいを受けたいことなどの趣旨のもとに供与されるものであることを知りながら,測定費の名目で,
1 平成6年4月5日,埼玉県所沢市並木<番地略>,株式会社あさひ銀行北所沢出張所の「防衛医大第二内科肝臓班代表甲野太郎」名義の普通預金口座に1030万円の
2 同月12日,上記普通預金口座に860万1000円の
3 平成7年4月28日,同市くすのき台<番地略>,株式会社あさひ銀行所沢東口支店の「有限会社○○取締役A」名義の普通預金口座に2000万円の
4 同年5月12日,上記普通預金口座に1402万5000円の
合計5292万6000円の振込送金を受け,もって,公務員たる被告人の上記職務に関して賄賂を収受したものである。
(証拠の標目)<省略>
(争点に対する判断)
〔目次〕
1 本件の争点/289
2 被告人の地位及び職務権限/290
3 本件の背景事情/290
(1) 医薬品の製造・輸入販売の承認手続/290
(2) ××株式会社におけるインターフェロンα―2bの開発経過/290
(3) 被告人と××株式会社との関係/290
(4) インターフェロンα―2bの非A非B型(C型)慢性肝炎への適応拡大承認申請のための前期2相試験の実施から承認まで/291
ア 前期2相試験/291
イ 後記2相試験/291
ウ 承認申請手続の際の被告人の貢献/292
エ 承認後の被告人の関与/292
(5) 被告人が関与した××株式会社に関わるその他の治験・臨床試験/292
ア 血中濃度試験/292
イ Dスタディ/292
ウ 確認試験/292
エ 進展した慢性活動性肝炎及び代償性肝硬変への適応拡大のための治験/293
オ C型慢性活動性肝炎に対する宿題治験/293
カ C型慢性持続性肝炎への適応拡大のための治験/293
キ サイモシンα1に関する治験/293
4 本件金員収受に至る経緯・収受状況/293
(1) 前提事実/293
(2) 検討/295
5 前期2相試験における被験者の確保及び論文の作成に関する被告人の関与の態様/295
(1) 被験者の確保について/295
(2) 前期2相試験の結果に関する論文について/296
6 本件臨床試験の委託及び測定費負担の合意の有無/297
(1) 弁護人の主張/297
(2) 本件臨床試験の委託の有無について/297
ア 被告人の公判供述/297
イ 被告人の公判供述の検討/298
ウ 関係人の供述の検討/298
エ 小括/299
(3) 本件臨床試験の黙示の委託又は測定費負担の黙示の合意の有無について/299
(4) 小括/302
7 本件金員交付に関する合意の状況/302
(1) 合意ができた状況の検討/302
(2) 関係人の供述の検討/302
ア 関係人の供述内容/302
(ア) Cの供述/302
(イ) Bの供述/303
(ウ) Gの平成11年8月8日付け検察官調書/303
(エ) Gの公判供述/304
イ 関係人の供述の信用性の検討/305
(ア) Cの供述について/305
(イ) Bの供述について/306
(ウ) Gの検察官調書及び公判供述について/307
ウ 小括/307
(3) 被告人の公判供述の検討/307
(4) 小括/308
8 本件金員交付の趣旨/308
(1) 本件金員交付の実質的な趣旨について/308
(2) 本件データの買取り代金といえるか否かについて/308
(3) 被告人が本件金員の交付を要求した実質的な理由について/309
(4) ××側の本件金員交付の理由及び趣旨について/310
(5) 被告人の認識について/312
9 職務との関連性/312
10 Aとの共謀について/313
11 結論/313
1 本件の争点
弁護人は,公訴事実記載の金員を被告人が収受した事実は争わないものの,賄賂として収受したのではなく,被告人が,××株式会社から委託を受けて平成2年8月から平成5年8月まで実施したインターフェロンα―2bを用いた臨床試験に伴う各種検査の測定費用として受け取ったものであると主張し,被告人もこの主張にそう供述をする。
そこで,被告人が収受した金員の賄賂性の有無について検討する。関係証拠によれば,次のとおりの事実を認定することができる(なお,以下においては,関係者の検察官に対する供述調書,当裁判所又は受命裁判官による期日外の証人尋問調書,公判手続更新前の各公判調書中の供述部分についても,便宜「供述」として説明する。)。
2 被告人の地位及び職務権限
被告人は,昭和44年6月医師免許を取得した後,昭和53年7月1日防衛庁教官教育職に採用され,同時に防衛医科大学校(以下「防衛医大」ともいう。)助手に任命され,同大学校講師を経て,昭和56年7月22日同大学校病院(以下「防衛医大病院」ともいう。)第二内科に配置され,昭和62年10月1日同大学校助教授に任命されるとともに同大学校医学教育部医学科内科第二講座に配置され,平成7年4月1日同大学校教授に任命され,同時に同大学校病院第二内科部長に就任したが,平成9年5月31日同大学校及び同病院を退職した。
被告人は,防衛医大及び防衛医大病院在勤中,国家公務員たる身分を有しており,防衛医大助教授の職務は,学校長の命を受け,教授の職務を助けることとされ,防衛医大教授の職務は,学校長の命を受け,医学科学生及び研究生を教育し,研究に従事することとされていたことから,被告人は,防衛医大助教授在任中,学生の教育及びその研究指導に従事し,自らが研究に従事する一般的職務権限を有していた。
また,防衛医大においては,「防衛医科大学校の受託研究に関する訓令」(防衛庁訓令第12号)及び「防衛医科大学校における受託研究の実施に関する達」(平成9年4月1日達第7号による改正前の防衛医科大学校達第8号)により,教授及び助教授は,公務である研究の一環として民間から委託を受け,研究経費を受け入れて研究を行う受託研究ができるとされており,被告人は,防衛医大助教授在任中,研究担当責任者として,受託者を防衛医科大学校長とする受託研究を実施する個別的職務権限を有していた。
3 本件の背景事情
(1) 医薬品の製造・輸入販売の承認手続
製薬会社が医薬品を製造・輸入販売する場合には,薬事法(平成11年法律第160号による改正前のもの。以下同じ。)により,当時の厚生大臣(以下「厚生大臣」という。)に対し,製造・輸入販売の承認申請を行い,承認後に薬価基準申請を行い,それが認可されて薬価基準に収載されることが必要であり,製造・輸入販売の承認を受けるには,申請書に臨床試験の試験成績に関する資料その他の資料を添付して申請しなければならないとされている。そして,医薬品の製造・輸入販売の承認を受けようとする者が厚生大臣に提出すべき資料のうち,臨床試験の試験成績に関する資料の収集を目的とする試験の実施のことを治験という。
治験は,健常者を対象とする第1相試験,当該疾病を有する少数者を対象とする第2相試験,多数者を対象とする第3相試験,承認後の市販後調査である第4相試験に分けられ,第2相試験は,安全性,有効性等について瀬踏み的に検討する前期2相試験と,用法,用量を決定する後期2相試験に分けられる。
治験を実施する際の基準として,「医薬品の臨床試験の実施に関する基準について」と題する当時の厚生省(以下「厚生省」という。)薬務局長通知(平成元年10月2日薬発第874号,以下「旧GCP」という。)が発出されており,後に,平成9年4月1日から「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令」(平成9年3月27日厚生省令第28号)が施行された。
(2) ××株式会社におけるインターフェロンα―2bの開発経過
××株式会社は,親会社であるアメリカ合衆国の医薬品会社××コーポレーションが100パーセント出資した日本法人で,医薬品等の製造,輸入等を目的として,本店を大阪市中央区に置き,平成元年7月1日旧商号「△△株式会社」から現社名に商号変更されている(以下商号変更の前後を通じて「××」ともいう。)。
××は,××コーポレーションが製造・販売権を有するインターフェロンα―2bの日本における輸入販売を企図し,昭和57年3月,○○株式会社(以下「○○」という。)との間で共同開発に関する契約を締結して,第三者委託研究費用を折半にすることなどを合意し,昭和60年1月,厚生大臣に対し,インターフェロンα―2bの医薬品輸入承認申請を行い,昭和62年10月,腎癌につき輸入承認を受け,平成元年9月にはB型慢性活動性肝炎への,平成3年12月には慢性骨髄性白血病,多発性骨髄腫への,平成4年3月にはC型慢性活動性肝炎への,更に平成10年10月にはC型慢性非活動性肝炎への,それぞれ適応拡大承認を受け,イントロンAという商品名で販売していた。
××における医薬品の製造・輸入に関する厚生大臣の承認を得るまでの治験を含む業務を担当する部署は研究開発本部であり,その統括責任者は,平成5年12月まで研究開発本部長の職にあったB(以下「B」という。)であり,インターフェロンα―2bの肝炎関係の研究開発業務の実務上の中心は研究開発本部臨床開発部開発第三室第一課長等として勤務していたC(以下「C」という。)であった。
(3) 被告人と××株式会社との関係
被告人は,××が昭和60年4月から実施したインターフェロンα―2bのB型慢性肝炎への適応拡大に向けた治験の第3相試験において,防衛医大が実施施設の1つとなったことから,治験担当医師として参加した。その後,××のインターフェロンα―2bの開発担当者であるCは,当時,東京大学医学部助手であったD医師(以下「D医師」という。)と相談して,非A非B型慢性肝炎を対象とする治験外の臨床試験の準備を進めていたが,昭和62年夏ころ,D医師が座長を務める私的な研究会である「フォーラム肝炎と免疫」の構成員が主体となってその臨床試験を行うこととなり,被告人は,その事務局長をしていた関係でCと個人的に知り合うようになった。「フォーラム肝炎と免疫」の構成員による臨床試験は,結局,既に承認申請をしていたB型慢性肝炎を対象とするインターフェロンα―2bの用法を再検討するための臨床試験として行われ,被告人もこれに参加した。また,被告人は,昭和62年9月から行われた××の委託によるインターフェロンα―2bをB型慢性肝炎患者に単回投与した場合のインターフェロンの血中濃度を測定する臨床試験にも参加し,さらに,昭和63年3月,上記臨床試験に伴う2―5AS活性及びDNAポリメラーゼ活性の一括測定を受託して実施した。こうして,××の行う各種臨床試験に参加し,検査測定を受託したことなどから,被告人は,××の行うインターフェロンα―2bの肝炎関係の研究開発において,医師・研究者として次第に中心的な役割を果たすようになり,BやCから厚い信頼を得るようになった。
(4) インターフェロンα―2bの非A非B型(C型)慢性肝炎への適応拡大承認申請のための前期2相試験の実施から承認まで
ア 前期2相試験(以下,単に「前期2相試験」というときはこの臨床試験を指す。)
××における非A非B型慢性肝炎への適応拡大の承認申請を目的とした前期2相試験は,平成元年1月から平成3年6月までの間,治験総括医師をD医師とし,防衛医大病院外3施設を治験実施施設として,投与量を3MIU(100万国際単位),6MIU,10MIUの3種類とし,投与期間を4週間連日,8週間連日の2種類として,これらを組み合わせた6群による投与期間別用量比較試験とし,目標症例数を各群15例で合計90例とすることで実施された。
××では,昭和62年11月にインターフェロンα―2bのB型慢性肝炎に対する適応拡大承認申請が済んだ後,Cを中心として,同薬剤の非A非B型慢性肝炎に対する適応拡大承認申請の準備作業を始めたが,被告人は,D医師とともに計画段階から治験実施計画(プロトコール)の策定に関する相談を受けるようになり,被告人が中心となって前期2相試験の治験実施計画を指導し,投与方法を提案するなどした。
××は,被告人との間で,昭和63年4月13日付けで,防衛医大第二内科甲野太郎名義の研究委託契約を締結したが,平成元年10月2日付けで発出されることとなる旧GCPの内容を先取りして,防衛医大学校長と契約を締結しておくことが妥当との判断から,防衛医大に契約の申請をしたところ,学校長が病気により長期休暇中であったために契約の締結が遅れ,昭和63年10月7日付けで防衛医大学校長名義の研究の受託に関する契約が締結されるに至った。当初は,投与量を3MIU,6MIUの2種類,投与期間を4週間,8週間の2種類で合計4群比較,目標症例数は各群15例で60例と計画され,防衛医大が単独の治験実施施設となる予定であったが,途中で10MIU投与群を追加することにプロトコールが実質的に変更され,目標症例数が2群で30例増加したことから,他の3施設を治験実施施設として加えることとなった。
この治験は,最終的には,合計78症例について臨床試験が実施され,そのうち防衛医大第二内科において54症例について臨床試験が実施された。防衛医大の54症例のうち10症例が,判定委員会において肝硬変や急性肝炎として不適格とされた。また,当初のプロトコールにおいては,被験者の同意は書面で得ることとされていたが,防衛医大の症例においては同意書がなく,口頭の同意にとどまる例もあった。なお,旧GCPにおいては,被験者の同意は口頭又は書面で得ることとされていた。
被告人は,判定委員として治験の判定に関与したほか,××との間で防衛医大第二内科甲野太郎名義で,平成2年1月30日付けで2―5AS活性の一括測定に関する研究委託契約,同年12月21日付け及び平成3年4月25日付けで肝生検の一括読影に関する研究委託契約,同日付けでHCV関連マーカーの一括測定に関する研究委託契約をそれぞれ締結し,各測定を行った。
イ 後期2相試験(以下,単に「後期2相試験」というときはこの臨床試験を指す。)
××は,前期2相試験の実施中である平成元年から後期2相試験の準備を始め,同年11月から後期2相試験を実施した。後期2相試験は,E医師を治験総括医師として,全国38施設で合計126症例を対象に実施された,10MIU週6回8週間投与(A群),10MIU週6回4週間投与後週3回8週間投与(B群),10MIU週6回2週間投与後週3回12週間投与(C群)の3群による用法比較試験であった。
被告人は,後期2相試験のプロトコール策定段階から××の相談を受け,中央委員として指導,助言し,総投与量を480MIUに統一し,連日投与と間欠投与を組み合わせた3群の投与方法のアイディアを提供した。また,被告人の所属する防衛医大は,後期2相試験においては,治験実施施設として参加しなかったが,被告人自身は判定委員として治験の判定に関与したほか,前期2相試験と同様に,防衛医大第二内科甲野太郎名義で,HCV関連マーカーの一括測定,2―5AS活性の一括測定,肝生検の一括読影に関する各研究委託契約を締結し,これらを実施した。
ウ 承認申請手続の際の被告人の貢献
××は,厚生省から早期に承認申請をするようにとの指導を受けたことから,前期2相試験の経過観察は終えていたものの後期2相試験については観察期間が終了していない段階であったが,平成3年7月,予定を繰り上げてその時までの資料に基づいて同月中に承認申請をすることにした。そのため,前期2相試験の結果に関する論文を急いで作成する必要が生じたが,上記論文の執筆担当者である被告人が休暇で沖縄の与那国島に行っていたことから,休暇先の被告人に対して直ちに論文を作成するよう依頼し,被告人は,これに応じて,休暇の予定を切り上げて急遽帰宅し,前期2相試験の結果に関する論文を同月中に完成させた。
××は,同月24日,インターフェロンα―2bのC型慢性肝炎への適応拡大の医薬品輸入承認事項一部変更承認申請を行い,審査の結果,翌平成4年3月27日C型慢性活動性肝炎への適応拡大に限って承認された。
エ 承認後の被告人の関与
××は,上記承認後の平成4年5月ころから,インターフェロンα―2bの副作用の有無等安全性の確認及び至適用法・用量等有効性の確保,イントロンAの販売促進を目的とした営業治験(第4相試験)を行ったが,被告人は,Bから要請を受け,埼玉県に拠点を置く関東肝炎治療研究会(以下「本件地区研」ともいう。)の代表世話人に就任し,検討会への参加,医師への講演,指導及び××の営業担当者が回収するイントロンAを投与した症例記録(以下「ケースカード」という。)の検討等を行った。
この営業治験は,プロトコール以外に医師が実施した検査費用の負担等について,従来,支払がずさんに行われていたのを原則として禁止するなど××の社内ガイドラインが変更されたことにより,平成5年3月31日,いったん一斉に終了されることとなり,同年6月24日,それまで回収したケースカードに基づいた中間検討会が大宮で開催され,被告人も代表世話人として参加し,講演をした。
(5) 被告人が関与した××株式会社に関わるその他の治験・臨床試験
被告人が関与した上記の前期2相試験及び後期2相試験以外の××のインターフェロンα―2b等に関する主な治験及び臨床試験は以下のとおりである。
ア 血中濃度試験
××は,B型慢性肝炎についてインターフェロンα―2bの適応拡大申請を行っていたが,その際インターフェロンα―2bを単回投与した場合の血中濃度の測定等を実施していなかったことから,厚生省からその資料の提示を求められた場合に備えて,被告人にインターフェロンα―2bの血中濃度の測定等を依頼した。これは,治験に準じるものとして,昭和62年9月,被告人との間で受託研究契約が締結されて実施された。同年12月,1症例につき15万円で合計180万円の研究費名目の謝礼が,埼玉銀行北所沢出張所の防衛医大第二内科肝臓班代表甲野太郎名義の普通預金口座に振り込まれた。その後,××は,民間の検査会社に依頼していた2―5AS活性及びDNAポリメラーゼ活性の一括測定も被告人に依頼することとなり,昭和63年3月,被告人名義で研究委託契約を締結し,同年10月,測定費として470万円が支払われた。
イ Dスタディ
昭和62年9月ころから昭和63年ころまで,前記「フォーラム肝炎と免疫」の構成員が主体となって,インターフェロンα―2bのB型慢性肝炎を対象とする新たな用法を再検討するための臨床試験が行われた。これは,××のCが,D医師や被告人と相談して,非A非B型慢性肝炎の正式な治験前の準備的な臨床試験とB型慢性肝炎の投与法の再検討のための臨床試験として企画したものであるが,非A非B型慢性肝炎を対象とする臨床試験は実施に至らずに,B型慢性肝炎を対象とする臨床試験のみが実施されたものであり,Cが関与してプロトコールが作成され,××がインターフェロンα―2bを無償提供し,研究会に参加した各医師に対する交通費,宿泊費及び監修料名目の謝礼は支払われたが,当時,治験の際に1症例当たり15万円ないし30万円程度支払われるのが慣例であった研究費名目の謝礼は支払われなかった。他方,HBe抗原,DNAポリメラーゼ活性等の一括測定はウィルス肝炎財団に依頼され,その費用は合計数百万円から1000万円に上ったが,すべて××からウィルス肝炎財団に支払われた。これらは,いずれも○○との共同開発契約に基づく第三者委託研究費用の折半の対象とはなっていない。
ウ 確認試験
××は,C型(非A非B型)慢性肝炎を対象としたインターフェロンα―2bの治験の後期2相試験のC群が好成績を上げたことから,この投与方法の再現性を確認するため,平成3年4月から平成4年9月まで,上記C群と同じ投与方法により,防衛医大を含む8施設で38症例を対象とした臨床試験を実施した。この臨床試験は,当初,治験の第3相試験として行われたが,平成3年7月に承認申請がされたことから,その後の症例登録は中止され,治験としての意義は失われたものの,××の委託による臨床試験として継続された。
被告人は,治験担当医師として治験を実施し,肝生検の一括読影,HCV関連マーカーの一括測定等を行った。
エ 進展した慢性活動性肝炎及び代償性肝硬変への適応拡大のための治験(以下「LC治験」ともいう。)
××は,平成3年6月ころからインターフェロンα―2bの進展した慢性活動性肝炎及び代償性肝硬変への適応拡大のための治験を実施した。被告人は,この治験の実施計画策定段階から関与し,防衛医大は同月10日付けで同大学校長名義で研究受託契約を締結し,被告人は治験担当医師として治験を実施した。投与方法は,6MIU 2週連日投与後週3回22週投与とされ,後述する本件臨床試験のⅢ群と同様であった。この治験は,完了することなく中途で放置された。
オ C型慢性活動性肝炎(CAH)に対する宿題治験(以下「CAH治験」,「宿題治験」ともいう。)
先にみたインターフェロンα―2bのC型慢性活動性肝炎に対する適応拡大の承認に当たり,厚生省が,承認後も引き続き治験を実施してより効果的な投与方法を検討することを義務付けたことから,××は,平成5年2月から平成7年6月まで,C型慢性活動性肝炎を対象とするインターフェロンα―2bの臨床試験を実施した。被告人は,この治験には治験担当医師としては参加しなかったが,××から相談を受けて治験実施計画の策定に中心的に関与し,判定委員となり,肝生検の一括読影,HCV関連マーカーの一括測定等の受託研究契約を締結して,これらを実施した。
カ C型慢性持続性肝炎(CPH)への適応拡大のための治験(以下「CPH治験」ともいう。)
××は,C型慢性肝炎への適応拡大のための承認申請をしたものの,C型慢性活動性肝炎に限って承認されたことから,更にC型慢性持続性(非活動性)肝炎への適応拡大の承認申請を行うこととし,平成5年1月から平成7年6月まで,37施設において治験を実施し,同年7月31日承認申請をし,平成10年10月に承認を受けた。
被告人は,治験担当医師としてこの治験に参加することはなかったが,事前に××から相談を受けて治験実施計画の策定に関与し,肝生検の一括読影,HCV関連マーカーの一括測定等の受託研究契約を締結し,これらを実施した。
なお,上記C型慢性活動性肝炎の宿題治験及びC型慢性持続性肝炎の治験の一括測定費の総額は合計6400万円余りに上り,いずれも被告人が実質的に管理する有限会社○○名義の口座に支払われた。
キ サイモシンα1に関する治験
××は,慢性肝炎の治療薬として,インターフェロンとは異なり副作用がほとんどないとされるサイモシンα1の開発を新たに進めることとし,平成5年1月サイモシンα1の開発・販売権を取得し,B型及びC型慢性肝疾患を対象とする治験の準備を始め,同年3月ころから,同社と被告人らとの間で,新たな治験の検討会を持ち,平成6年1月6日,防衛医大学校長との間で,B型慢性肝疾患(肝癌を除く)を対象とするサイモシンα1第2相試験に関する研究受託契約が締結され,被告人が当該治験を実施するとともに,同日,被告人との間で,B型肝炎ウィルス(HBV)関連マーカー一括測定の受託研究契約が締結され,被告人が一括測定を実施した。その後,B型慢性肝疾患を対象とする第3相試験及びC型慢性肝疾患を対象とする第2相試験が実施されている。
4 本件金員収受に至る経緯・収受状況
(1) 前提事実
被告人が××から本件金員収受に至る経緯及び収受の状況は以下のとおりである。
ア 被告人は,平成2年8月から平成5年8月(最終投与開始は平成4年5月,最終投与終了は同年8月,以後経過観察期間)まで,××からインターフェロンα―2bの治験外サンプルの無償提供を受けて,C型慢性肝炎を対象とする臨床試験を実施した。患者数は118例に上り,これを3群に分け,各患者から多数回にわたり採血を行い,多量の血清検体を採取して,各種のHCV関連マーカーを測定した(以下,この3群を「本件臨床試験Ⅲ群」,「本件臨床試験Ⅳ群」,「本件臨床試験Ⅴ群」ともいい,この臨床試験を「本件臨床試験」という。)。被告人が××から無償提供を受けた治験外サンプルの量は約8000バイアルに上り,米国の親会社からの輸入価格で約8000万円に相当した。また,被告人は,前期2相試験における8週投与群のうち10MIU投与群及び6MIU投与群の2群の保存血清を用いて,当時測定できなかったHCV関連マーカーの測定項目について新たに測定を行い,その結果を得た(以下,この2群を「本件Ⅰ群」,「本件Ⅱ群」といい,その保存血清の新たな測定を「本件再測定」という。そして,本件臨床試験の測定結果又はこれに本件再測定の結果を含めたデータを「本件データ」という。)。
イ 被告人は,Cの求めに応じて,平成5年3月ころ,防衛医大第二内科のF医師を介して,その当時までにまとめられた本件データの一部を含む臨床試験のデータをCに送付した。Cは,本件臨床試験のⅢ群と平成3年6月10日に防衛医大学校長との間で治験に関する契約が締結された正式な治験であるLC治験とが,対象疾患が重複し,投与時期が近接して投与方法が同一であったことから,本件臨床試験とLC治験とを区別するために,送付されたデータをコンピューターに入力して,上記LC治験に関する契約締結日以降に投与開始された症例をLC治験の症例と理解して網掛けをして区別し,LC治験の症例についてのみケースカードを提出するように依頼した。
ウ 被告人は,Cが平成5年5月15日に語学研修のために渡米する以前の同年3月か4月ころ,同人に対し,本件データに関して金員を支払うよう要求した。Cは,これに対し,治験外サンプルを用いて行った臨床試験の資料は承認申請には使用できず,既にC型慢性活動性肝炎については承認されていることなどを理由に研究開発本部としては支払えない旨回答し,営業部門か企画部門に申し出るように教示した。そこで,被告人は,営業・企画部門の担当者に同様の申し入れをしたが,はっきりした回答を得られないまま放置された。
エ 被告人は,同年6月2日ころ,Bに直接電話をして,被告人が世話人をしていた関東肝炎治療研究会に関して,営業部員が集めてくるケースカードの記載に不備が多く,使いものにならないと言って苦情を述べ,データの整理・確認のためにCを派遣するよう要請した。
オ 同年6月15日,Cはアメリカから帰国し,翌16日,Bから,本件地区研における営業部員の対応について被告人が苦情を述べているということを伝えられるとともに,同月24日に予定されている本件地区研の中間検討会用の資料の整理を手伝うように指示されたが,営業の仕事だといってこれを拒絶した。Cは,同月23日,帰国の挨拶を兼ねて防衛医大第二内科に被告人を訪ねた。
カ Bは,同月24日に埼玉県大宮市内にあるパレスホテル大宮において開催が予定されている本件地区研の中間検討会に被告人が参加することから,同ホテルで被告人と面談することとし,その旨を被告人に伝え,××の営業本部長のG(以下「G」という。)も同行することとなった。
BとGは,同月24日午後2時26分ころ大宮駅に到着し,大宮駅前の××東京第2支店のある高層ビルの入口でCと合流し,エレベーターで同支店に向かい,その途中,Cから,前夜の被告人との面談の様子を聞いた。その後,午後2時39分ころ,Gが同支店の支店長室からベルギーに出張中の同社のW社長に電話をし,同社長と7分06秒間話をした。
その後,BとGは,パレスホテル大宮で被告人と会談したが,その席でBとGは,本件地区研のケースカードの不備について謝罪し,一方,被告人は,本件データについて説明をして金員の支払を求め,Bはこれに応じる意思のある旨返答をした。
キ Bは,同月28日付けで,秘書のHに口述してW社長あての英文の報告書(甲314号証。以下「本件英文メモ」という。)を作成させた。その内容は,「現在,防衛医大第二内科でB型肝炎とC型肝炎について様々なウイルスマーカーの検査方法確立のための研究が行われている。それに加えて,これらのウイルスマーカーに関連してインターフェロンα―2bの用法・用量と有効性が検討されている。この研究は,B型とC型の慢性肝炎のインターフェロンα―2bとサイモシンα1の臨床開発だけでなく,イントロンAの販売促進にも非常に有効である。私たちは,最近,C型慢性肝炎患者へのイントロンA投与前後の様々なウイルスマーカーのデータを受け取った。1993年6月24日に行われた甲野先生との会合で,私たちが測定費として総額約5000万円を支払うことに合意した。」というものであった。Bは,この報告書に自ら署名するとともにGにも署名してもらい,その後W社長に提出した。
ク Bは,同年6月末から7月初めころ,C及び同じく××研究開発本部の開発第三室第二課長でインターフェロンα―2bの開発を担当していたI(以下「I」という。)を研究開発本部長室に呼んで,本件臨床試験の測定に対して5000万円を支払うことになったこと,及びこの支払についてはW社長の了解を得ていることを伝えた上,支払の事務手続を進めるように指示した。
ケ 被告人は,同年7月下旬ころ,手書きによる本件データを××にファックス送信した。Cは,送られてきた手書きデータをコンピューターに入力するとともに,検査項目,検体数に基づき,治験の場合に準じて単価に検体数を乗じて測定費用を計算するため,検査データの一覧表を作成したが,その計算結果によると,測定費用の合計は1億円余りと算出された。そこで,同年8月中旬ころ,Cがその旨をBに報告したところ,Bから,事前にW社長の了解を得ていた約5000万円の範囲に抑えるように指示されたので,Cが,被告人に対し,通常の単価計算によれば1億円くらいになるので5000万円くらいにする旨申し入れたところ,被告人はこれを了承した。そこで,Cは,算出された上記の測定費用を半額にして支払うことにした。
コ 同年8月下旬ころ,Cが関与して,本件データの解析がコンピューターを用いて行われ,その結果は××にも保管された。
サ ××では,被告人の要求に応じて約5000万円の支払をすることにしたが,同社の会計手続上金員の支出のためには契約書が必要とされていたので,Iは,被告人から送付された本件データを見て採血ポイントや測定項目を確認した上,同年12月までにC型慢性肝炎に対するインターフェロンα―2bの投与前後におけるHCV関連マーカーの測定を委託した旨の契約日,契約者欄を空白にした研究委託契約書の原案を作成した。ところが,被告人側から金員の支払を待ってくれるように言われたため,平成5年中の支払を留保し,社内規則にのっとって未払計上手続をとった。
シ Bは,同年12月ころ,IとCに対し,被告人に支払うこととなった上記約5000万円の半額を,○○との共同開発契約に基づいて同社に負担してもらうよう交渉するように指示をした。Bの指示を受けたIとCは,平成6年2月4日ころ,○○を訪れて被告人に支払う約5000万円の半額を負担してくれるよう要請したところ,○○側から,被告人との間の研究委託契約書の提示を要求されたため,そのころ,Iが作成していた前記契約書原案を被告人の私的な秘書であったA(以下「A」という。)に送付し,同女において被告人から預かり保管していた「防衛医大第二内科甲野太郎」の記名印と「甲野」の丸印を押捺し,日付を空欄にしたまま作成してもらった契約書を返送してもらい,これを○○に送付するなどした。その結果,○○は,同年3月ころ,上記金員の半額を負担することを承諾し,同社から,同月末の決算期内に支払いたいとの意向が××に伝えられた。
ス Cは,被告人らと支払時期及び金額について協議し,同年4月5日,××からあさひ銀行北所沢出張所の「防衛医大第二内科肝臓班代表甲野太郎」名義の口座に1030万円,同月12日,同じく860万1000円がそれぞれ振り込まれ,合計1890万1000円が××から被告人に支払われた。そして,上記支払については○○がその全額を負担するという,事前の同社との合意に基づいて,○○から上記金員が××に支払われた。Cは,Aの依頼を受けて,「防衛医大第二内科肝臓班」に支払うべき測定項目ごとの一覧表を作成してAに届けたが,そこには,上記1890万1000円の記載はあったものの,単価,検体数等の内訳の記載はなく,備考欄に「防衛医大の治験外試験で測定」と記載されているだけであった。
セ その後,被告人から本件データの一部の加除訂正がされたことから,被告人に支払うべき金額は,最終的に5292万6000円と確定され,未払い額のうち,××の負担分が2646万3000円,○○の負担分が756万2000円となった。
ソ 被告人は,上記のとおり,××から2度にわたって支払を受けたが,その後,その余の金員の支払時期についてCやIから問い合わせを受けても,残金の受け取りを先延ばしにしていた。一方,平成7年1月ころ,Iは残金の支払を急ぐ○○から説明を求められたため,同人は,被告人から,教授選などの理由で支払を先延ばしにするように指示を受けている旨○○に対して説明をした。
タ その後,平成7年4月1日,被告人は,防衛医大教授に任命され,同月5日,Aを取締役として有限会社○○(以下「○○」という。)を設立した。その設立を企画していた同年1月23日ころ,被告人は,税務上の相談をしていたK税理士に対し,「知的所有権の代金として3000万円が入る」などと告げていた。
チ 被告人は,Cに対し,前記金員の残金を新たに設立した○○に振り込むように要求し,××側は当初難色を示していたが,最終的にこれを承諾し,会社内部で金員支払の形式を整えるために,あたかも○○がデータを測定したようなデータ表を作成し,同年4月20日ころ,○○との間で本件データの測定を依頼したかのような研究委託契約書を作成した上,××からあさひ銀行所沢東口支店の○○名義の預金口座に,同月28日,2000万円,同年5月12日,1402万5000円がそれぞれ振込入金され,被告人に対する本件金員の支払が完了した。そして,同月16日,○○から××に対し,○○の負担分の残金756万2000円が支払われた(これらの被告人が収受した合計5292万6000円の金員を,以下「本件金員」ともいう。)。
ツ ××から被告人に対して支払われた本件金員は防衛医大第二内科肝臓班において民間の検査会社に外注に出した検査費用の支払,Aに対する年額1000万円を超える給与の支払,その他の私的臨時職員の人件費,備品購入代,スライド製作費などとして全額費消された。
(2) 検討
以上みてきた事実によれば,被告人が××から収受した本件金員が5000万円余りと高額であり,しかも,本件金員はすべて本件臨床試験と関連して被告人の要求を契機として支払われたものであるから,弁護人が主張するように,本件臨床試験の測定費を支払う旨の事前の合意があったというような合理的な理由がない限り,公務員である被告人が収受していることを考えると,賄賂性を帯びると推認されると考えられる。
他方,検察官は,公訴事実において,本件金員は,防衛医大が××から受託したインターフェロンα―2bの臨床試験につき,被告人が研究担当責任者として受託研究を実施するに際し,同社が被告人から種々便宜な取り計らいを受けたこと及び今後も同様の取り計らいを受けたいことの謝礼として支払われたものであると主張し,便宜な取り計らいの例示として,「臨床試験の被験者を積極的に探し,被験者を確保して所期の目標症例数に達するよう努めたこと」及び「臨床試験の結果について好意ある論文を作成したこと」の2点を挙げている。これらの「便宜な取り計らい」の内容が,被告人が前期2相試験の被験者の確保及び論文の作成について,××に有利な結果になるように特別の配慮をしたとか,恣意的な取扱いをしたということであれば,それ自体,本件金員の賄賂性を推認させる重要な間接事実となり得ると考えられる。
そこで,まず,前期2相試験における被験者の確保及び論文作成についての被告人の関与の態様を検討し,次に,本件臨床試験及び一括測定について,××から被告人に対して事前の委託ないし測定費負担の合意があったか否かについて検討することとする。
5 前期2相試験における被験者の確保及び論文の作成に関する被告人の関与の態様
(1) 被験者の確保について
前期2相試験の総症例数78症例のうち54症例が防衛医大の症例であり,治験実施施設となった他の3施設に比較すると圧倒的に多数を占めるが,当時,防衛医大は肝臓専門医が6,7名おり,肝臓専門外来を有する肝臓疾患の専門病院として知られていたのであり,外来通院するウィルス性肝炎の患者も他の3施設と比較すると多かったのであるから,防衛医大の症例が他の3施設より多数となるのは当然といえる。そして,当初は,前期2相試験は防衛医大が単独で治験実施施設となる予定で準備が進められ,目標症例数も60症例と設定されていたのであるから,当初から防衛医大単独で60症例程度は確保できるものと見込まれていたことがうかがえるのであって,実際に症例確保した54症例という数字が不自然ということはできない。
また,防衛医大においては,外来担当の各専門医の判断により,インターフェロン治療の実施が医学的に必要とされた患者については自動的に症例登録がされており,被告人は,一外来担当医として関与する以外に症例登録に関与することはなかったというのであるから,前期2相試験の症例確保のために恣意が働く余地はない。また,防衛医大の54症例のうち10症例が肝硬変,急性肝炎として症例除外されているが,これらの症例と慢性肝炎との差違は連続的なものであって,判定委員会による事後的な判定基準の設定の仕方により,当初の外来担当医の診断と異なる場合があることは否定できないから,防衛医大の症例のうち不適格症例の占める割合が特に高いということもできない。
さらに,前期2相試験のプロトコールにおいては,被験者の同意は書面により得ることとされていたところ,防衛医大においては口頭で同意を得ている例もあったが,平成元年当時の臨床試験においては被験者の同意を口頭で得ている例もまれではなく,平成2年に実施された旧GCPにおいても書面又は口頭による同意を求めるにとどまっていたから,前期2相試験において口頭の同意による例があったとしても,当時の治験の実際に照らして特に異常な事態であるとはいえない。
以上によれば,被告人が,前期2相試験について,無理に登録症例数を増やそうとしたということはできず,被験者の確保のために治験担当医師として通常果たすべき職責を超えて,あるいは当時の治験実務の範囲を逸脱して,××のために便宜を図ったということはできない。
(2) 前期2相試験の結果に関する論文(甲14号証(医薬品輸入承認事項一部変更承認申請書類書式一式)のうち資料ホ―1「非A非B型(C型)慢性肝炎に対するインターフェロン アルファ―2b(INFα―2b)の投与期間別用量比較試験」)について
前期2相試験は,先に述べたとおり,1日投与量3MIU,6MIU,10MIUを4週間又は8週間連日投与とする6群による投与期間別用量比較試験であった。その結果,肝機能検査値の一つであるALT値はいずれの群でも有意に低下し(ALT値が低下することは肝機能が改善していることを示す。),投与中のALT値の低下は4週,8週とも3MIU投与群が最も顕著であり,投与終了後のALT値は,4週投与群では10MIU群が3MIU群,6MIU群より低値推移したが,8週投与群では全般的に3MIU群が最も低く推移した。××からインターフェロンα―2bについてC型慢性肝炎への適応拡大の承認申請を受けた厚生省の新医薬品第一調査会は,このALT値の推移に基づいて,ALT値の推移については用量依存性は認められなかったと判断し,本療法に対する反応例,非反応例の検討が十分でなく,用法・用量についてはまだ問題点が残っていると結論づけた。これに対し,被告人は,前期2相試験の結果に関する論文の考察部分において,2―5AS活性が用量依存的に上昇したことから,HCVに対する抗ウィルス効果も用量依存的に認められることが期待されたとした上,インターフェロン投与中のALT値の推移は最も低用量の3MIU投与群の低下が顕著であったとしながら,投与終了後のALT値の推移をみると,低用量投与群は上昇傾向が強くみられ,高用量投与群の10MIUでは低値が維持されたことを指摘し,厚生省難治性の肝炎研究班治療分科会のインターフェロン効果判定基準にのっとり,改善(ALT値が投与終了後6箇月以内に正常上限値の2倍以内に低下し,6箇月以上持続)以上の症例は4週投与群では3MIUが37.5パーセント,6MIUが30.0パーセント,10MIUが66.7パーセントと1日投与量の多い方がALTに対する効果が良好であり,8週投与群でもそれぞれ33.3パーセント,35.7パーセント,40.0パーセントと同様であり,1日投与量の多い方が有効と考えられたが,投与期間別には各投与量群間に有意差がみられず,むしろ10MIU4週間投与群が最も有効率が高かったとしながら,この群の症例数が6例と最も少ないことを理由に結論を留保した。なお,上記論文において「有効性判定上最も重要」とする著明改善(ALT値が投与終了後6箇月以内に正常化し,その後6箇月以上正常値が持続)率は,4週投与群では,3MIUが12.5パーセント,6MIUが10.0パーセント,10MIUが33.3パーセントで,8週投与群では,それぞれ16.7パーセント,21.4パーセント,13.3パーセントであり,4週投与群では10MIU,3MIU,6MIUの順で高く,8週投与群では6MIU,3MIU,10MIUの順で高かったのであり,これだけを見ると1日投与量の多い方が著明改善率が高いという関係はみられないが,この点は考察部分では触れられていない。さらに,上記論文の結語部分において,ALT値の推移からみたインターフェロンα―2bの治療効果は,10MIU投与群に改善率が高かったが,投与期間別に有意な差は認められなかったとした上,最終的に,C型慢性肝炎に対するインターフェロンα―2bのより有効な投与方法を明確にするために更に投与方法についての詳細な検討がなされなければならないと結論づけた。
以上のとおり,前期2相試験の結果をALT値の推移のみからみると用量依存性はないこととなり,「1日投与量の多い方が有効」とする被告人の上記論文は,一見すると前期2相試験の成績を恣意的に解釈して10MIU投与群の有効性を印象づけようとしたものと受け取る余地があるといえる。しかしながら,上記論文の作成当時においては,インターフェロン療法について,従前の対症療法とする考え方から原因療法とする考え方へ転換されつつあったのが医学界の大勢であり,インターフェロン投与中のALT値の低下はC型慢性肝炎の治癒とは関係がなく,投与終了後のALT値の低下が持続することの方が重要であるとの考え方が主流となってきており,被告人はその先駆者的立場にあったのであるから,投与中のALT値の低下を重視せず,投与終了後のALT値の長期予後に着目した厚生省難治性の肝炎研究班治療分科会の判定基準に従って評価したことは,被告人の研究者としての立場を考えると当然であるといえる。そして,上記判定基準によれば,改善度として著明改善,改善,軽度改善,不変,悪化と5段階に分けられているが,被告人は,軽度改善については原因療法と考えた場合には不十分であるとの立場を取っていたことから,改善以上となった症例をとらえてインターフェロンα―2bの効果を判定することとしたこともまた自然といえる。そして,被告人は,C型慢性肝炎に対するインターフェロンα―2bの薬効は抗ウィルス効果によるものであり,用量依存性があるはずであるとの見解を有し,高用量投与試験が必要であるとして,前期2相試験の準備段階においても,新たに10MIU投与群を設定する提案をしていたところ,その結果,前期2相試験においては,2―5AS活性が用量依存的に有意に上昇したことなどから,インターフェロンα―2bのALT値や肝組織像に及ぼす効果は抗ウィルス効果に基づくことが明らかとなり,C100―3抗体価の推移から,抗ウィルス効果は用量依存的であることが裏付けられるに至っている。これらの点からすると,被告人が,従来の自己の研究の経過に照らして,前期2相試験の成績を評価,考察するに際し,上記論文において,10MIU投与群の改善率が高かったことを摘示してインターフェロンα―2bの効果に用量依存的な傾向があることを示唆したことは研究者として自然で一貫した態度というべきであり,その結果が××にとって有利に働いたとしても,被告人が前期2相試験の成績を恣意的に解釈し,殊更××に有利な結果となるような論文を作成したとみるのは相当ではない。したがって,被告人が前期2相試験の論文作成に当たり,殊更,便宜有利な取り計らいをしたということはできない。
6 本件臨床試験の委託及び測定費負担の合意の有無
(1) 弁護人の主張
弁護人は,被告人とBとの間で,××が被告人に対して本件臨床試験を委託する旨の口頭の合意があり,その際,本件臨床試験に伴う測定費を××が負担するとの黙示の合意が成立したと主張し,具体的には,平成元年7月6日新宿「車屋」における後期2相試験の打合せの際又は平成2年4月26日東京のホテルオークラで××の米国本社の担当者との間でC型慢性肝炎に対するインターフェロン療法について打合せをした際のいずれかにおいて,D医師が同席して,被告人がBに対し,難治症の症例を克服できる可能性のある投与方法として長期投与を行うべきであり,可能であればやらせていただきたいと依頼し,これに対しBが「オフィシャルな仕事としてやってください」という言葉を用いて承諾し,さらに,被告人は,本件臨床試験Ⅲ群の投与を開始する段階となった平成2年7月ころ,直接Bと会い,上記合意の趣旨を確認するとともに,臨床試験を開始する挨拶をしたと主張し,また,本件臨床試験Ⅳ群,Ⅴ群について,被告人は,平成3年8月3日大阪に赴き,新大阪ロイヤルホテルにおいて,B及びCに対し,本件臨床試験Ⅲ群を終了させる代わりに新たにⅣ群,Ⅴ群の比較試験を実施したい旨依頼し,Bらはこれを承諾したと主張している。また,本件再測定の実施につき,弁護人は,平成4年夏ころ,被告人とCとの間で合意されたほか,昭和63年に前期2相試験のプロトコールが作成された際に,被告人と××との間で,保存用血清を採取し,将来ウィルスマーカーが発見・開発された場合にはその時点におけるもっとも適切な,効果の判定が可能なウィルスマーカーで測定することが合意されていたとも主張している。
(2) 本件臨床試験の委託の有無について
ア 被告人の公判供述
被告人は,本件臨床試験についてBから委託を受けたとして,要旨,以下のとおり供述している。すなわち,平成元年7月6日新宿「車屋」で後期2相試験のプロトコールの検討会があり,自分とD医師が参加し,××からはB,C,Lが出席した。その時,治験で効かなかった患者の再投与をどうするかということと,長期投与試験の必要性について話をしたと思う。B型慢性肝炎の治験において,認可を取れば医師は自由に使えるから,1日でも早く認可を取るのが重要だとして4週間投与の治験を行ったが,認可の際に4週間投与に限定されてしまった経緯があったので,非A非B型でも長期投与試験の成績を出しておくべきだと述べた。自分としては,後期2相試験では防衛医大としては症例を出さないで長期投与試験をやるべきだと考えていた。平成2年春,Bから,××の米国本社の担当者に日本のインターフェロンの状況を説明するように依頼があり,同年4月26日ホテルオークラで説明したが,この会合にはBとD医師も参加した。自分がBに対し,6MIU2週間連日投与後週3回22週間投与の臨床試験(本件臨床試験Ⅲ群)をやりたいと言ったのはこのときか,前年の車屋の会合のときである。自分はBに対し,治るのは40パーセントから50パーセントであり,その他の人は難治性だから長期投与のトライアルが必要であり,可能ならやらせていただきたいと言った。Bは,特に反対意見はなく,「オフィシャルに頼みます」と言った。Bからは一度も反対されたことはなく,「オフィシャルに頼みます」というのがBの口癖である。後期2相試験に参加しないことについて了解を得たということは,長期投与試験をやってくれということである。自分に支払えない金は払ってもらうという理解であり,臨床試験用のサンプルは無償でもらい,HCV関連マーカーの測定費も支払ってもらうつもりだった。具体的に測定費についての話をしたことはないが,これまでにも具体的に話をしなくても負担してもらっていた。HCVRNA,HCV関連マーカーの測定を抜きにしては臨床試験はあり得ない。具体的にどのマーカーが良いかは当時は不明だったが,測定項目を測定時に決めるという具体的な話も出ていない。平成2年7月ころ前期2相試験の投与が終了したことから,××本社に赴いて,Bから改めて本件臨床試験Ⅲ群を始めることの了解をもらった。7月4日Bに会って,長期投与試験をしたいと報告し,Bは「オフィシャルな仕事として是非やってください」と答えたので,本件臨床試験のサンプルを提供してもらい,検査費用も負担してもらえるものと理解した。この時は,6MIU又は10MIUを2週間連日投与した後週3回投与を6箇月又は12箇月実施すると話した。いずれにするかは副作用が分かってきたこともあり,安全性の面から迷っていた。同年8月から本件臨床試験Ⅲ群の投与を始め,平成3年8月まで実施した。同年8月3日新大阪ロイヤルホテルにおいてB,Cと会合を持ち,新たに本件臨床試験Ⅳ群,Ⅴ群を実施したい旨依頼し,前と同様にBの了解を得た。平成4年夏以降,本件臨床試験の測定項目につき,××の担当者,D医師と話し合い,Cにも測定する旨を伝えて測定を開始した。本件再測定の話もCにしているはずである。Bには本件再測定の話をしたことはない。
イ 被告人の公判供述の検討
本件臨床試験を開始するに当たり,被告人が××のBらと話した内容に関する被告人の公判供述の要旨は以上のとおりであるが,被告人の上記供述を前提としても,被告人が××から本件臨床試験を受託する旨の合意があったというには内容が希薄であいまいであり,具体性を欠いているといわざるを得ない。被告人は,平成元年7月6日か平成2年4月26日に,Bとの間で本件臨床試験Ⅲ群を実施することについて合意があったと供述しているが,そもそも本件臨床試験につき××から委託を受けるという重要な事項が合意された日にちについて,8箇月余りも離れていて,そのいずれであるか時期の特定ができず,場所や会合の趣旨,同席した者も全く異なる状況のいずれかで合意があったというのは不自然というほかなく,被告人が,Bとの間で交わしたという会話の内容について,真実,生の記憶として保持しているのか疑問を禁じ得ない。また,被告人の供述するBとの会話の内容をみても,平成元年7月6日又は平成2年4月26日の会合の際には,6MIU2週間連日投与後週3回22週間投与と,投与方法を具体的に特定して臨床試験の承諾を求めたというのであるが,実際に投与を開始する約1箇月前の平成2年7月4日に再度Bに会って最終的に本件臨床試験開始の確認をしたという際には,1日投与量を6MIUにするか10MIUにするか,投与期間を6箇月にするか12箇月にするかという臨床試験を実施する上で基本的事項である投与方法についてすら確定していなかったというのであるから,それ以前の時期に,投与方法を確定した上で臨床試験委託の合意が成立したという供述と矛盾しているといえる。そればかりでなく,Bとの話合いは概括的なものであったとしても,その後,被告人と××の実務担当者との間で,投与方法のみならず臨床試験の実施期間,予定症例数など,およそ臨床試験を実施するに当たりあらかじめ定めておくべき基本的事項について話を詰めた形跡は全くないのであり,臨床試験を委託する××としては,必要なインターフェロンα―2bのサンプル数や負担すべき測定費等の概要をあらかじめ把握できず,どの程度の支出を伴う臨床試験となるのか知る手がかりもない状態で,プロトコールの基本も定まらない臨床試験を委託したことになるのであって,このようなことは営利を目的とする会社の行動としては極めて不自然というほかない。
ウ 関係人の供述の検討
Bは,後期2相試験の結果がある程度出たときに,新たな投与方法を研究することの重要性について一般的な話をしただけであると供述し,被告人に本件臨床試験を委託したことを明確に否定し,Cも,公判廷において,被告人に本件臨床試験の委託をしたことはない旨明言しており,BやCの仕事上の事項や打合せの内容等を記載したそれぞれの手帳にも,本件臨床試験を委託したこと,あるいは本件臨床試験の内容について打合せをしたことをうかがわせる記載は存在しない。なお,Bの平成3年の手帳(弁130号証)の8月3日の欄に「2:00PM→Royal Hotel. to see Dr. Kouno Plan(LC trial Change)」との記載があり,Cの平成3年の手帳(弁128号証)の手書きで書かれた8月3日の欄に「LCプロトコール変更」「10MIU(C群)VS週3回」との記載があるところ,弁護人は,これらの記載をとらえて本件臨床試験Ⅲ群を終了させ,代わりにⅣ群,Ⅴ群を開始する旨の合意を示すものであると主張する。しかしながら,本件臨床試験の対象患者に肝硬変の患者を含むからといって,肝硬変を意味する「LC」の記載が本件臨床試験を意味するというのは強引な解釈というべきであり,B供述(第8回)によっても,同人の手帳に記載された会合の内容は被告人らに依頼したLC治験の結果が思わしくなかったので中止するか方法を変更するかという話合いであったというのであるから,「LC」ないし「LC trial」の記載は文字どおり当時××の委託により防衛医大ほか1施設を治験実施施設として本件臨床試験と並行して実施されていたLC治験を意味するものと解するのが自然で,無理のない理解というべきである。LC治験は,当初,本件臨床試験Ⅲ群と同一の投与方法で平成3年6月から実施されていたが,平成4年5月からプロトコールが変更されて1日投与量を10MIUとする投与方法で実施されたのであり,当初の結果が思わしくなかったという上記B供述が裏付けられているということができ,8月3日の会合はこの点に関する打合せの記載であるとすると,上記各手帳の記載は符合するといえる。その他,上記各手帳の記載には臨床試験やHCV関連マーカー等の測定等に関すると思われる部分が散見されるが,その当時は××が被告人ないし防衛医大に正式に委託して各種の治験や一括測定が実施されていたのであるから,これらの記載を本件臨床試験と結びつける客観的根拠は乏しい。
D医師は,公判廷において,平成元年7月6日より後の後期2相試験の一応の評価が出ていた時期にBと会った際,Bから,自分と被告人に対して,非A非B型についてインターフェロンのよい使用方法を検討してほしいという依頼があり,自分の理解としては,インターフェロンの使用方法について何か提案してほしいという趣旨と思った,これに対して,被告人が提案したのが本件臨床試験であり,合意ができていたと供述するが,D医師の供述を検討すると,Bと最初に会った昭和62年ころに,Bからインターフェロンの生体に対する反応について基礎的研究をするように依頼があり,D医師と被告人が,Bとの間で一緒に協力してやることの合意ができ,これを前提として平成元年7月6日の後の上記の合意ができたというのであり,合意の内容としては,今までやられていないデザインの臨床試験をやるということであって,方法についての具体的な話はなく,サンプルの供与や測定費の負担についての話もなかったというのであるから,これをもって本件臨床試験の委託の合意があったとは到底いえないのであり,具体的な投与方法を示して本件臨床試験の委託の合意をしたという被告人の供述ともくい違い,先にみた新たな投与方法の研究の必要性についての一般的な話をしたというBの供述に符合しているにすぎない。D医師は,さらに,サンプル提供や測定費負担の話はなかったが,サンプルが提供されなければ臨床試験を実施することはできないから,サンプルは××が提供するのが当然であり,検査項目は何を調べればいいか分からない段階だったので,いろいろ調べなければならない上,遺伝子を調べたりするのに従来の10倍から100倍の費用がかかるから,この費用も××が負担するものと思っていたというのであるが,これはD医師の研究者としての希望を述べているにすぎず,××と被告人との間の測定費負担等の具体的な合意の存在を裏付けるものとはいえない。
エ 小括
以上検討したところによれば,Bないし××が,被告人に対して,本件臨床試験を委託する旨の明示の合意は存在しなかったことが明らかである。
(3) 本件臨床試験の黙示の委託又は測定費負担の黙示の合意の有無について
ア 先にみたとおり,××は,被告人に対して本件臨床試験実施時期に約8000万円相当の大量の治験外サンプルを無償で提供し,被告人はこれを用いて本件臨床試験を実施しているから,本件臨床試験が××と全く無関係に実施されたといえないことは明らかである。そして,当時,防衛医大第二内科の被告人の研究室に出入りしていたCは,被告人が治験外サンプルを用いて臨床試験を行っていたことを当然知っていたはずであるから,××としても,被告人が治験外サンプルを用いて何らかの臨床試験をしていたことを把握していたものと考えられる。治験外サンプルとは,承認前の本来治験用に用いられるべき薬剤を,治験以外の目的で用いる場合をいうが,Bの供述によれば,治験外サンプルは,例えば前期2相試験で低用量・短期投与で効果の思わしくなかった群の患者に対して,他の高用量・長期間の群と同じ量を投与する場合のように,医師の要望により,人道的見地から提供されるものであって,医師がその判断により責任をもって使用するのであり,依頼者は医師の側であって,会社が投与を委託するのではないから測定費を負担することを約束することも,現実に負担したこともない,被告人に大量のサンプルを提供したのは,被告人からの要請が多かったからにすぎないというのであるが,××がこれほど多量の治験外サンプルを単独の医師ないし医療機関に提供したことはないのであり,費用的にも多額であるから,人道的見地からというだけでは説明がつかない側面もあることは否定できない。また,Bの供述によっても,治験外サンプルを利用した臨床試験で,画期的な成果があれば,厚生省に申請目的の治験を開始できるという意味合いもあるというのであるから,会社としても必ずしも人道的見地のみから治験外サンプルを提供していたのではないことがうかがわれる。そして,××は,平成4年ころ,金沢大学医学部の医師から肝癌を対象とした臨床試験をサポートしたいという要望を受けて,会社として内容を検討した上でサポートする意味で治験外サンプルを提供して臨床試験の結果報告会の費用を負担した例があるというのであり,さらに,先にみたDスタディにおいては,××が研究を委託したのではなく,主体はあくまでもフォーラム肝炎と免疫の構成員の医師らであるとしながら,会議費ばかりでなく数百万円単位の測定費を負担しているのであるから,委託研究以外で治験外サンプルを提供した場合に測定費を負担した事例はないということはできず,当該臨床試験の医学的意義を認めて治験外サンプルを提供し,その費用の一部を負担した事例が事実として存在したことが認められる。したがって,治験外サンプルの提供が医師からの要望に基づくものであるからといって,測定費等の経費を××が負担することがあり得ないとまでいうことはできない。
そこで,××が被告人に対して多量の治験外サンプルを提供したことにつき,本件臨床試験に関する何らかの黙示の合意の有無,本件臨床試験の委託がない場合でも測定費を負担する旨の合意が存在したかどうかについて更に検討を加えることとする。
イ 本件臨床試験Ⅲ群は平成2年8月ころから平成4年1月ころまで,同Ⅳ群は平成3年8月ころから平成5年8月ころまで,同Ⅴ群は平成3年10月ころから平成5年7月ころまで,それぞれインターフェロンα―2bの治験外サンプルを用いて行われているが,一方,××は,正式な治験として本件臨床試験Ⅲ群と同一の投与方法によるLC治験を平成3年6月から実施している。また,Ⅳ群は平成元年11月から行われていた後期2相試験C群と同一の投与方法であり,平成3年4月ころから第3相試験として開始され,同年7月に承認申請がされたことから新たな症例登録が中止となったが,効果を確認するためにその後も継続され,平成4年9月ころまで行われた確認試験の投与方法とも同じであった。そうすると,××は,本件臨床試験の投与時期と並行した時期に対象患者を共通にした同一の投与方法による治験を実施していたのであって,同社にとっては正式に実施された治験以外に重複して被告人に対して本件臨床試験を委託する実質的な意味は乏しいといわざるを得ない。なお,上記各治験と本件臨床試験は投与時期において重なっているのであるから,これらの治験との関係ではプロトコールを策定するための試行的な臨床試験としての意味もないし,症例数が多数に上る本件臨床試験の規模に照らしてもそのような位置づけはできない。
ウ Bは,厚生省の指導により,薬剤の承認申請後,承認されるまでの間は,製薬会社が,当該薬剤を用いた同一疾患を対象とする臨床試験を行うことは禁じられており,承認申請の際には製薬会社が行ったそれまでの臨床試験のデータをすべて提出しなければならないとの認識を有していたところ,これを前提とすると,平成3年7月のインターフェロンα―2bのC型慢性肝炎への適応拡大の承認申請時に本件臨床試験Ⅲ群のデータを提出した形跡がなく,その後もⅢ群を継続し,新たにⅣ群,Ⅴ群の実施を委託するというのは,薬剤の製造販売等の許認可権を持つ厚生省の指導や意向に敏感な製薬会社の行動としては不自然といわなければならない。
エ ××の社内手続においては,金員の支出をする際には一般支払申請書(グラントリクエスト)を作成する必要があり,更にその申請理由を明らかにするために研究委託契約書を作成することが要求されており,現実に本件臨床試験以外の他の血中濃度試験などの委託研究や治験の委託及び一括測定の委託の際には,被告人名義又は防衛医大学校長名義の研究委託契約書が作成されていたのに,本件臨床試験においては,臨床試験の実施に関する契約書は作成されず,したがって,当時,委託研究の場合には支払われるのが慣行となっていた研究費名目の謝礼も支払われていない。そして,約5000万円と支払金額が決まった後の平成6年2月ころに,作成日が空欄となった被告人名義の測定に関する研究委託契約書が作成され,その後,日付けが平成4年1月21日にさかのぼらせて記入されている。本件臨床試験は,まずⅢ群が実施され,これが終了した後にⅣ群,Ⅴ群が実施されているのであり,一応Ⅲ群とⅣ群,Ⅴ群は別個の臨床試験と考えられるのに,Ⅲ群が終了した時点においてもⅢ群についての研究委託契約書が作成された形跡はない。また,被告人は,Ⅲ群の経過観察期間が終了した平成4年夏ころから測定を開始したというのであるが,その時点においても測定に関する研究委託契約書は作成されていない。関係証拠によれば,治験以外の臨床試験や一括測定の委託の場合には,治験の場合ほど手続が厳格ではなく,口頭の話合いが先行し,契約締結前に事実上臨床試験等が開始される場合があることも否定できないが,契約書が作成されたのが本件臨床試験が開始された平成2年8月ころから約3年半も経過した後であり,しかも契約日を約2年もさかのぼらせているのであるから,極めて不自然不明朗な手続といわざるを得ない。また,日付けをさかのぼらせて作成するとしても,真実,黙示的にせよ合意があったとすれば,実際に測定を始めた平成4年夏ころか,本件臨床試験を開始した平成2年8月ころにさかのぼらせるのが自然であると思われるのに,そのいずれでもなく,平成4年1月21日付けという何ら実体的裏付けのない日にちが選ばれていることからすると,このような合意が存在しなかったことがうかがわれるといえる。
なお,上記研究委託契約書の作成時期について,Cの平成4年の手帳(弁129号証)には,手書きで書かれた12月21日の欄に「HCVマーカー測定契約書→1/21'92付けで」との記載があり,この記載によると,平成4年1月21日付けのHCV関連マーカーの測定に関する契約書を作成することが同年12月21日に決められたことがうかがわれるのであるが,本件臨床試験の測定に関する研究委託契約書が作成されたのは,平成5年8月にIがBから指示を受けた以降であることは先にみたとおりであり,他方,平成4年1月21日付けのHCV関連マーカーの測定に関する研究委託契約書は本件臨床試験に関するものを含めて後期2相試験の一括測定に関する研究委託契約書など合計3通ある(甲12号証,資料13ないし15)から,Cの手帳に上記のような記載があるからといって,本件臨床試験の測定に関する研究委託契約書の作成が平成4年12月ころに決められたということはできない。
オ 被告人は,平成5年3月ころ,Cに対して本件データと相当部分重複するデータを送付している。この点は,同時期にデータを送付して測定費の精算を請求したという被告人の供述と符合し,渡米前に被告人から本件データの買取りの話があったというCの供述とも一部符合している。
この点について,Cは,平成3年6月10日に防衛医大学校長との間で研究委託契約が締結されたLC治験と同時期に行われていた治験外サンプル使用の本件臨床試験が,いずれも肝硬変を対象とするなど対象疾患が重なっていることから混同されていることを懸念したため,その明確な区別をするために防衛医大第二内科のF医師に病型と投与開始日のデータを要請したら,それ以外の分も送られてきた,そこで,治験契約日の前後で区別して,LC治験の対象となる症例を網掛けし,GCP違反や要望書の有無をチェックしたと供述しており,Cの供述は,一応筋が通った合理的なもので不自然な点はない。先にみたとおり,当時,被告人の下では代償性肝硬変及び進展したC型慢性活動性肝炎を対象とするLC治験と本件臨床試験Ⅲ群とが並行して行われており,その投与方法も同一であったのであり,実際にCは平成3年6月10日を境として,それ以降に投与が開始された症例に網掛けをした表を作成しているのであるから,Cの上記供述は裏付けられている。その上,被告人の供述によれば,臨床試験を実施するに際し,治験と治験外サンプルを用いた臨床試験の区別をさほどしていなかったというのであるから,Cが,治験と本件臨床試験の混同を懸念するのも当然であって,Cの上記供述の信用性は高いといえる。そうすると,平成5年3月ころ,Cが上記データを要請したことをもって,××が本件データに関心を抱いており,本件臨床試験の委託の黙示の合意があったことを推認させる事情とみることはできない。
カ そして,黙示的にせよ事前の合意が存在しているのであれば,それに基づく支払については,通常の,委託に基づく一括測定の場合の単価計算に従って算出された金額がそのまま支払われるのが当然であるのに,これを半分にするというのは不自然であるし,Cから半額にする旨告げられた被告人が,事前の合意の存在を主張して異議を述べることもなく直ちに了解したというのも不自然というほかない。
キ さらに,本件臨床試験を開始する以前に,××において事前の予算措置が執られていた形跡はなく,共同開発契約を締結して外部への研究委託費用の半分を負担する義務を負っていた○○にも事前の相談はされていない。
ク 先にみたDスタディにおいては,治験外サンプルが無償提供されただけで××からの委託研究という位置づけはされておらず,研究費名目の謝礼が支払われることはなかったのに,同社が,会議費等の少額の経費ばかりでなく数百万円に及ぶ測定費をも負担していることから,臨床試験の委託がなくても測定費が支払われる場合があることは否定できない。しかしながら,Dスタディの場合は,Cが積極的に推進し,臨床試験実施者らと詳細な打ち合わせをして,具体的な実施方法を定め,プロトコールを作成した上で実施しているのであり,あらかじめ必要な測定費の規模についてある程度見込みが立っていたのに対し,本件臨床試験においては,投与方法の決定や目標症例数の設定について,Cすら事前に関与していた形跡はなく,被告人が独自に決めていたことがうかがわれ,被告人自身においても,実施直前まで投与方法が決まらず,目標症例数があらかじめ決められていたのかも定かではなく,採血ポイントも途中で変更されたような状況であり,××にとっては費用の見積もりが全く立たない状況であった。このような状態で,測定費の負担を約束したとすると,××としては,測定費の支払を全面的に被告人の裁量に委ねてしまうことになりかねないのであり,企業にとって到底合理的な行動であるとは思われない。したがって,本件臨床試験とDスタディとが,同じように治験外サンプルの提供を受けて実施された臨床試験であるとはいえ,××の関与の程度や形態は大きく異なっているといえる。
ケ ところで,××は,被告人の要求するままに大量の治験外サンプルを提供していることから,××がこのように大量の治験外サンプルの無償提供をしていたことに照らすと,測定費の負担についても同様ではないかという疑問も生じ得るが,全体的な金額の規模について予測のつかない測定費の負担を事前に合意するのと異なり,治験外サンプルを提供する場合は,その都度,要望に応じて少量ずつ提供しているのであるから,要望のあった段階で××のチェックが入る余地があり,また,××は,当時,治験に必要なサンプルの量を大幅に上回る在庫を有しており,この在庫は約1年間の有効期限を超えると廃棄するほかないことから,治験外サンプルの提供には余分な在庫の有効活用という意味があったことが関係証拠から認められる。そのため,本件臨床試験にサンプルを提供するに当たり,特別な予算措置をとる必要もなく,現場限りで対応できており,担当者は在庫の範囲で提供に応じていたことから,その意味では事実上の歯止めがかかり得る状況にあり,したがって,総額で費用がいくらになるか分からない臨床試験の委託や測定費の負担について事前に合意するのと,治験外サンプルをその都度提供して結果として大量の提供になったというのとは,全く事情が異なるものと考えられる。
コ 以上でみた××が当時実施していた治験の状況,××の社内事情,本件測定に関する研究委託契約書作成の経緯,本件臨床試験に対する××の関与の程度,被告人に支払う金額が決定された経緯及び状況,Dスタディとの比較,××にとっての治験外サンプルの大量提供と事前の合意により測定費を負担することの意味合いの相違等を総合して検討すると,Bないし××と被告人との間で,黙示的にせよ本件臨床試験を委託する旨の合意が存在していたと認めることはできない。そして,本件全証拠によっても,治験外サンプルを提供する場合には測定費も負担するとの慣行があったとも認められないし,被告人の供述によっても,本件臨床試験は,被告人が,自主的,主体的に実施したものであり,CやBがその経過や状況について情報を得ていたことがあったとしても,治験外サンプルの提供以上の積極的な支持,支援があったとは認められないから,Dスタディの場合とは異なり,測定費を負担するという暗黙の合意があったともいえない。
(4) 小括
以上みてきたところによれば,××が被告人に対して,本件臨床試験を委託したということはできず,事前に測定費を負担する旨の暗黙の合意があったということもできない。
7 本件金員交付に関する合意の状況
(1) 合意ができた状況の検討
これまで検討したところによれば,××が被告人に対して本件臨床試験を委託した事実は認められず,両者の間で本件測定費を××が負担する旨の事前の合意が黙示的にも存在したとは認められないから,本件金員が,事前の合意に基づいて本件臨床試験の測定費として支払われたということはできない。そうすると,本件金員がいかなる趣旨で支払われたのかが問題となる。検察官は,被告人から,本件データの買取りを口実として5000万円の賄賂の要求があり,平成5年6月24日に被告人とBとの間で,××が被告人に上記金員を支払う旨の合意がなされたと主張し,当日,Gを介してベルギーへ出張しているW社長に国際電話をかけて約5000万円を支払う旨の了解を取り付け,同月28日に本件英文メモを作成したことがその有力な間接事実であると主張する。これに対し,弁護人は,被告人はBに対して,同月24日に事前の合意に基づいて本件測定費の支払を請求して了解されたが,具体的な金額の話は出ておらず,当日,W社長にかけられた国際電話は本件金員の支払とは関係がなく,本件英文メモは予算請求の資料にするために,同年7月下旬ころ被告人から手書きのデータが送られてきた後に日付けをさかのぼらせて作成されたものであると主張する。本件測定費の支払に関する事前の合意が存在しないことは先にみたとおりであるが,被告人がいかなる名目で金員の要求をしたのか,××側はいかなる理由から本件金員を支払うことにしたのか,金額は5000万円と特定していたのか,あるいは単に測定費の精算を求めただけで具体的な金額は示されなかったのかなどは,本件金員交付の趣旨,賄賂性の有無を判断する上で重要な間接事実となるから,以下,関係人の供述の信用性を吟味し,本件金員交付に関する合意のなされた状況について検討を加える。
(2) 関係人の供述の検討
ア 関係人の供述内容
本件金員の交付が要求され,交付が約束された状況についての関係人の供述の要旨は以下のとおりである。
(ア) Cの供述
平成5年4月から5月上旬ころ,防衛医大で被告人から「買って欲しいイントロンAのデータがあるんだよ。治験外で使ったデータだ。いろんなHCVマーカーを測定したんだよ」などと本件データを購入するよう求められたが,C型慢性肝炎については承認され,研究開発本部としては必要のないデータだったので「それを使うとしたら営業か企画ですよ」と答えて企画部門か営業部門の担当者に申し出るように言った。5月15日から6月15日まで語学研修のため渡米し,帰国した直後にBに呼ばれ,被告人が本件地区研についてクレームをつけているから,確認するよう指示を受けた。6月23日,防衛医大第二内科を訪れ,被告人から,本件地区研のケースカードの不備等について苦情を言われるとともに「データを買ってくれと企画,営業の方に言ったけどなしのつぶてだ」と言うので,金を欲しがる理由を尋ねると,被告人は「DNAシークエンサーが欲しい」と答えた。そこで,その機械がベンツくらいの値段かと聞くと被告人はもっと高いと答え「四,五千万円くらいだ」と言った。5000万円くらいという金額が出たのは間違いないが,その金額を自分と被告人のいずれが言い出したかはっきりしない。自分は,被告人が本件データの買取り名下に5000万円を要求し,それでシークエンサーを買おうとしていると理解した。自分が被告人に対し,Bが翌日来ることを伝えると,被告人から「Bが来たときに返事が欲しい」と言われ,Bに対してシークエンサーを買うことの有用性の説明をするよう依頼された。被告人に対して予算計上の名目がないと言って断ったが,被告人は引き下がらず「開発にとっても有用だ。データを検討すればプロトコールの作成段階に利用できるはずだ」と言っていた。6月24日午後2時過ぎにBとG営業本部長が大宮駅に到着したので,駅からの2階の連絡通路で同人らと会った。東京第2支店に案内し,同支店が入っているソニックシティーのエレベーターの中で,Bから「どんな内容なんだ」と問われたので,自分は「端的に言えば金が欲しいということですよ」と答えた。事務所に入ってから,前日の被告人との会話の内容を伝えて「シークエンサーを買いたい,そのために治験外サンプルのデータを買ってくれと言っている。5000万円くらいになる」などと説明した。被告人が今日の会議の前に返事が欲しいと言っていることも伝えた。Bは,Gに対し「向こうは何時だ」と聞いていたので,W社長の了解を得ようとしていると思った。Gは支店長室へ電話かけに行き,10分以内に戻り,Bと小声で話をしていた。午後3時ころパレスホテル大宮のカウンターで被告人を迎え「伝えておきましたよ」と被告人に言った。被告人は,B,G,営業の人とどこかに行き,小一時間で戻ったが,被告人がにこにこしていたので,Bが了解したのかなと思った。
(イ) Bの供述
平成5年6月2日に被告人から本件地区研のケースカードの不備について直接苦情の電話があった。そこで,同月24日に大宮で開催される本件地区研の研究会に被告人が出席することから,被告人の面前で苦情に応対していることを示すために営業の責任者であるGを同行して大宮へ行った。大宮に着くとCがエレベーターの所で待っており,Cから,前日被告人と遅くまで話したことや,被告人が自主研究した実験データがあり,それを会社に買ってもらえないかという話があったこと,被告人はシークエンサーを買いたくてそれが5000万円くらいするらしいという話があった。Cの話を聞いて,開発本部長と営業本部長の2人がそろって何も話ができないのでは間が抜けていると思った。データの買取りについては厚生省の申請資料としては使えないから,研究開発本部としては金は出せないが,自分としては,研究開発としては価値がないが,寄附金だろうが何だろうが,被告人の研究を助けることは価値があるという立場だった。営業としても,本件地区研で間違いがあり,被告人が立腹していて,C型慢性肝炎の承認後いろいろな形で協力をお願いしているから,会社として支払うことには意義があると思い,当時,ブリュッセルに滞在中のW社長に電話をした。本件英文メモには社長の許可を求めるコメントがないから,事前に承諾を得ているはずである。Gが香港の会議の打ち合せをするというので,その時に何らかの報告をしているはずである。電話の内容については記憶がない。メモの内容から見て,明らかに社長の許可は取っている。その後,被告人と会って,被告人からデータの買取りについてはよろしく頼むというような話があったので,5000万円の件を会社で何とかしてほしいという趣旨であると理解した。当日,データを見たかどうかは記憶がない。数枚の手書きのデータを見た記憶もある。ベルギーへの電話については記憶が確かでない。電話の記録と自分が現地は何時か聞いたとCが言っていると聞いたので間違いないと思う。電話をしたのはGで自分は電話をしていない。電話した後,Gから社長あてのメモを渡すように話があった。自分は,研究開発としては興味はないが,営業が買うというのであれば反対しないとGに伝えた。W社長の立場は,Bに異存がないなら自分も異存がないという趣旨だった。本件英文メモは「研究開発上,営業上有益」という趣旨だが,そう書かないと予算化されないからで,自分はそうは思っていない。5000万円は社長の決裁権限を超えるからアメリカ本社の了解が必要である。本件英文メモを持ってW社長が本社と折衝したと思う。会社の営業上大事であり,研究開発としては当時サイモシンα1を含めたいろいろな指導をいただいているから,断るのは賢明ではないと判断した。被告人と会った際に5000万円支払うという返事はしていない。前向きに考えましょうという程度の返事をした。本件英文メモの「アタッチメント」とは手書きデータのことである。大宮駅から東京第2支店まで5分から10分くらいであり,東京第2支店に入ってすぐにGが電話をしたのではなく,30分くらいあった。午後2時35分ころビルの入口でCと合流し,W社長への電話が午後2時39分とすると4分しかないが,営業にはその話がかなり前からいっていたと記憶している。営業の間では十分に話がされていたと思う。被告人が本件データを持参した記憶はない。数枚の手書きデータを見た記憶があると述べたのは,本件英文メモに「アタッチメント」とあるので簡単なデータと推測しただけである。本件英文メモは自分が口授した。Gの署名があるのは営業の必要性をGが後押ししたということである。自分が署名したのは記憶はないが,営業から泣きつかれたからだと思う。6月28日にメモを作成した理由は分からない。W社長の出張は6月21日から7月1日までだったが,留守中に作成したことに特に意味はない。W社長の決裁の記憶はない。本件英文メモには手書きの雑なデータが添付されていた不確かな記憶があるが,本件データとの同一性はコメントできない。
(ウ) Gの平成11年8月8日付け検察官調書(甲122号証)
平成5年6月24日,東京駅でBと待ち合わせた後,大宮へ向かい,大宮駅西口を出て歩道橋を歩いてパレスホテル大宮の入口付近でCと合流した。隣のソニックシティビルにある東京第2支店に行くことにし,その間の廊下やエレベーター内で,Cは,Bに「要するに,金が欲しいということですわ。甲野先生は測定したデータを買わないかと営業か企画に言ったそうです。先生はそれで5000万円くらいの機械を購入するつもりでした。ところが,営業に言っても待たされるだけで,何の返事もなかったと怒っていました。そこで,先生は,研究開発でもデータを買ってくれないかと言って,いかにも有用そうなデータのような説明をしていました」と言っていた。自分は,営業の現場に被告人がデータ購入をもちかけていたとは知らず驚いた。被告人にはイントロンAの開発を通じて世話になり,おかげでイントロンAの承認にこぎつけ,××は大幅な売上増を達成でき,被告人にはCPHやCAHの一括測定,サイモシンα1の前期2相試験でこれからも世話になる予定だったので,その日被告人を怒らせて××の対応に不満をもたれたら,今後予定される治験の進行が遅れをきたし,その結果,承認申請が遅れて他社に先を越され,せっかくの適応拡大等の承認も売上増に結びつかなくなるかもしれないと思った。自分としては,イントロンAの開発に尽くしてくれて,××の売上が延びたことと今後の治験がスムーズに進行するように協力してもらうため,被告人が要求する5000万円をデータ購入名目で支払うことにせざるを得ないと思った。Bも同じ思いだろうと思い,自分は営業部門の責任者として不始末を詫びるために来たのであり,データ購入資金は企画部門のプロモーション費が出るので,自分の出る幕ではないと思い,データ購入の話に巻き込まれたくないと思いながら,BとCの後に付いて行った。東京第2支店で,被告人との待ち時間に香港での支店長会議の打合せのため,その日ベルギーにいるはずのW社長に国際電話をかけようと思い,その旨Bに言うと,Bは「向こうは何時だ」と周りの人に聞いていた。自分が国際電話をかけるために支店長室へ行くとBも付いてきて「甲野さんから言われたデータ購入の件について,社長に説明して,許可を取ってくれ」と言われた。当時企画部門の責任者は英国人で,日本人の責任者が海外に行っていたので,企画部門に近い日本人重役の自分がW社長の説得に利用されたと思った。そこで,W社長に電話をして「今,東京第2支店にいます。これから,近くのホテルで防衛医大の甲野先生と会うことになっています。甲野先生が自主的に研究したデータを5000万円くらいで買い取ってほしいと言っています。甲野先生には,イントロンAの開発でお世話になり,その販売が会社の売上増に貢献していますし,これからもサイモシンα1の治験をお願いしなければならないので,甲野先生の要求を断って甲野先生の機嫌を損ねることは,当社にとってよくないと思います。甲野先生の要求に応じる方向で,甲野先生から話を聞きたいと思いますが,社長の意見は,どうでしょうか。ドクターBも私と同じ考えです」と英語で説明した。このとき,Bが電話を代わってデータの説明をしたと思う。W社長の答えを直接聞いたのか,Bを通して聞いたのか定かでないが,W社長からは「甲野先生の機嫌を損ねることが当社にとって好ましくないことは分かっている。当社がイントロンAの販売でもうかっているのも,甲野先生のおかげだ。甲野先生の要望に沿った方向で,話を聞いてもらっていいが,金額が大きいから,データについてよく説明を聞いておいて,後で私あてにメモをあげてくれ」と言われた。その後,パレスホテル大宮で被告人と会い,営業の不手際を謝罪した後,自分とB,被告人の3人になったときに,被告人は「いろいろな検査方法で検査した結果ですが,買ってくれませんか」などと言って,データ買取り名目で5000万円くらいの金額を出して欲しいと言ってきた。このとき,被告人からデータの一部を手書きしたものを見せられて「このようなデータがたくさんあるんだ」などと言われたように記憶している。これに対し,Bは「前向きに検討します」と答えていた。この数日後,××本社内でBから英文のメモを渡されてサインした。その後しばらくして,Cから5000万円を営業の方で少しもってくれないかと頼まれたが,営業では支払の名目が立たないと言って断った。
(エ) Gの公判供述
平成5年6月24日ころ,Bと大宮のソニックシティビルの東京第2支店へ行った記憶はある。本件地区研で不備があったので自分とBが被告人に謝るために行った。Bも行ったのは,被告人が重要人物でインターフェロンの権威だからである。大宮でCと一緒になったか記憶がはっきりしない。支店長室の電話でW社長に国際電話をしたが,支店長会議の件だと思う。Bと電話は代わったはずだが,Bの電話の内容は覚えていない。本件データの件をBがW社長に話したか記憶がない。和食レストランでB,Cらと被告人に会った記憶はある。被告人からデータの話を聞いた。最終的には被告人にデータをまとめてもらって××の営業活動に使用する話だった。金額の話が出たかどうか記憶がない。後から考えれば,検査費用を負担してほしいということだった。これに対するBの回答は記憶がない。被告人からデータの資料を1枚見せてもらった記憶がある。本件英文メモにサインをした記憶はなかった。大宮のホテルで被告人に会ったことは,捜査時には記憶がなかったが,Bの手帳を見せられて思い出した。東京第2支店でW社長に電話したことは電話の精算書を見て思い出した。W社長とは英語で会話するが,話は遅くなる。電話中,Bはそばにいたが,同じ部屋にいたという記憶はない。Bに電話を代わったという具体的な記憶はない。捜査段階でソニックシティのエレベーターでCが「被告人がデータを買い取って欲しいと言っている」と述べたとは供述していない。W社長に電話したのはあらかじめ計画されていたはずで,データを買う話が出たから電話するというものではない。パレスホテル大宮の入口には午後2時31分から36分ころ着き,午後2時39分にW社長に電話しているから,この間にデータの件を話すのは不可能と思う。パレスホテル大宮のレストランで被告人と会い,被告人はデータについて紙を示して有用であるという話を熱心にしていた。自分は,被告人のデータは有用であると信じていた。被告人が資料を持参していた記憶はあるが,資料の内容や体裁は記憶がない。5000万円の話は記憶がない。研究開発では使えないとして営業に下駄を預けられたという記憶はない。社長の承認の権限は20万ドルまでで,これを超えるとアメリカ本社の承認が必要となる。検察官の取調べで「測定費名目で謝礼を支払う」と述べたことはない。検察官に調書の内容について謝礼ということはあり得ないと何度も言ったが,聞いてもらえず,そういうものかと思って調書にサインをした。本件英文メモの添付資料は自分がサインした時には付いていなかったと思う。本件英文メモにサインした後は自分は関与しておらず,5000万円の支払の経緯は把握していない。営業からは支払われていないし,営業で負担するように依頼もなかった。W社長の帰国後,本件英文メモについて話をした記憶はない。平成11年8月8日付け検察官調書の内容につき「謝礼として測定費名目で支払い」とは述べておらず,何度も訂正を求めたが聞き入れられなかった。5箇月間休日を返上して取調べのために浦和に来なければならず,苦痛で早く取調べが終わればいいと思っていた。捜査段階では検察官から23回浦和に呼ばれ,被疑者として事情を聞かれた。自分は取り調べを拒否していない。署名拒否はしていない。検察官が,Cが供述しているということについては,自分は記憶がないが,そうならばそうではないですかという返答をしていた。「名目」,「謝礼」という点について自分は気にしており,違うとはっきりと述べたが,他の点はどうでもいいという気持だった。事前に本件データの話を聞いていたかは記憶がない。取調べ時に「測定費名目で謝礼を支払う」とは言っていない。調書は,原稿を示され,自分が手を入れて清書されたものを読み直し,訂正を求めて訂正された分と訂正されなかった分がある。平成5年6月24日に大宮でBと行動したことも覚えていないし,シークエンサーや5000万円の話を聞いた記憶もない。W社長からメモを出してもらいたいという話をBに伝えた記憶もはっきりしない。本件英文メモは,データを見てから支払うかどうか決める趣旨である。社内で営業部門に負担要求があればサインするつもりだった。
イ 関係人の供述の信用性の検討
(ア) Cの供述について
Cの供述は,要するに,平成5年4,5月ころ,被告人から本件データの買取りの話があり,同年6月23日にシークエンサーが欲しいとの理由で4,5千万円で本件データを買い取るよう要求され,同月24日大宮でこの話をBらに伝えたというのであるが,Cの供述は具体的,詳細で,大筋で一貫しており,弁護人の反対尋問に対しても動揺しておらず,Bらが本件約5000万円の金員を被告人に支払うこととしたのは,Cが被告人から言われたというシークエンサーが欲しいから,四,五千万円で本件データを買い取るように要求された話が基礎になっているところ,平成5年6月下旬ころに××側では被告人に対して約5000万円を支払うことが検討されていたことは本件英文メモの記載等から明らかである。そうすると,当時,約5000万円という具体的な金額が××の内部で話題となっていた理由としては,Cが被告人から約5000万円で本件データを買い取るよう要求されたという話をBに伝えたこと以外には考えられない。これに対し,弁護人は,本件英文メモは,被告人が手書きによる本件データを××に送付した平成5年7月下旬以降,本件測定費が算出されて約5000万円という具体的な金額が定まった後の時期に××内部の予算請求の資料として日付けをさかのぼらせて作成されたものであり,本件英文メモの「添付資料参照」という記載はそのことを裏付けていると主張する。しかしながら,本件英文メモの作成者であるB及びGの各供述並びに作成に関与した秘書のHの供述(甲129号証)によっても,作成日付けをさかのぼらせたとはされておらず,Iの供述によれば,平成5年6月終わりか7月ころ,IがBから研究開発本部長室に呼ばれて,被告人に対し5000万円を支払うことになった,W社長の許可は得たと言われて,金員を支払うための事務方の手続を進めるように指示があったというのであり,Iのこの供述の信用性について疑いを差し挟む理由はないから,本件英文メモはその日付けどおり平成5年6月28日に作成されたものと認められる。弁護人の指摘する「添付資料」については,Gの公判供述によれば,Gがサインする時点では添付されていなかったというのであり,そもそもそれがどのようなものであるか特定さえできないのであるから,上記認定を妨げるものではない。そうすると,Cが,平成5年6月24日に大宮でBらに対して,被告人が5000万円を要求していると伝えたという事実は動かないのであり,この事実は,翻って考えてみると,被告人が単なる測定費の精算を要求しているのではなく,具体的な金額を示して金員の交付を要求していることを示唆するものであって,Cの前記供述の信用性を裏付けるものといえる。そして,Cが,Bらに対し,被告人から,シークエンサーが欲しいので5000万円で本件データを買い取るよう要求されていると伝えた事実については,Bの供述及びGの検察官調書も一致しており,Gの公判供述も明確にこれを否定していないから,Cの上記供述の信用性を疑う理由はない。
弁護人は,Cの性格を非難して,同人は被告人を陥れるために検察官に迎合して虚偽の事実を述べていると主張するが,確かにCの供述を通覧すると,多弁でじょう舌なところがあることは否定できないものの,平成5年6月24日の時点でCが被告人を陥れるために殊更虚偽の事実を述べる理由も見当たらないから,所論は,根拠のない憶測を主張するにすぎず,到底採用できない。ところで,被告人は,データの買い取りを要求したのではなく,測定費の精算を要求したと供述しているのであるが,5000万円という金額を明示した上で,先に自らが行った各種ウィルスマーカーの測定費用の支払を要求するということは,その実質において測定したデータの買取りを求めることと大差がないから,被告人の発言をCなりに解釈し,要約してデータの買取りと表現した可能性もあるものの,この点は,被告人が後に本件金員について担当税理士に対して「知的所有権の代金」という表現をしていることからすると,被告人自身が,本件金員を売買代金名目で受領することと認識していたともうかがわれるのであり,被告人がデータの買取りという表現を用いたという部分も含めて,Cの供述の信用性は揺るがない。
更に弁護人は,被告人は,当時,シークエンサーを必要としていなかったから,Cに対してシークエンサーが欲しいなどと言うはずがないとも主張する。確かに,被告人は,現実に本件金員によりシークエンサーを購入していないが,Cが被告人から何も聞いていないのに,シークエンサーの話を持ち出したというのも不自然というほかなく,本件当時,肝炎の治療法上C型肝炎ウィルスの遺伝子型を解明する方法が脚光を浴びていた時期であり,Bもシークエンサーの話を聞いて,被告人がいいところに目を付けていると思ったというのであるから,被告人がシークエンサーの購入を引き合いに出して本件金員の要求をしたとしても不自然とはいえない。被告人が,当時,どの程度現実性のある話としてシークエンサーの購入を希望していたのかは判然としないものの,Cに対してシークエンサーの話をしたとしても不思議ではなく,被告人が,真実は,シークエンサーを必要とする状況になかったとしても,Cの上記供述の信用性は動かない。
(イ) Bの供述について
Bは,本件金員の支払について自分はほとんど無関係であり,この支払に関しては営業サイドの問題であるかのような供述に終始しているが,先にみたIの供述によれば,平成5年6月末か7月ころ,Bから研究開発本部長室に呼ばれて被告人が検査した測定に対して5000万円を支払うことになり,W社長の許可を得たと言って,支払手続を進めるように指示され,その後,同年12月には○○と費用の折半交渉をするように指示されたというのであり,また,Cの供述によると,本件データを基に治験の際の基準で測定費の計算をした結果,1億円を超える金額になったので,これをBに報告したところ,Bから5000万円の範囲に抑えるように指示されたというのであるから,Bの指示によって,本件金員の支払手続が進められたことについて,当時のBの部下であったI及びCの両名の供述が合致しており,Bが本件金員の支払に関与していることは疑いを容れず,この点に関するBの上記供述は信用できない。そうすると,Bは,本件金員の支払について自己が関与していることを極力過小に供述しているといわざるを得ず,B供述は,全面的に信用できる程信頼性の高いものということはできない。本件金員の支払手続を行ったのは,××の研究開発部門であり,Bがそれに関与しており,Cが被告人と最も接触が深かったこと,そして,本件英文メモの作成についてもBが主体となっていることなどを考えると,本件金員の支払を主導的に決定した者はB以外にはいないというべきであり,そのBが,本件金員の支払について,営業部門が金を出すことには反対しないなどという消極的な態度であったというのは到底信用し難い。他方,平成5年6月24日の,B本人と,C,G及び被告人との間のやり取り等の客観的事実について,記憶が明確でないと留保を付けながらも,自己の関与を積極的に認める趣旨で具体的な事実について供述している部分については,Cの供述及びGの検察官調書と内容的に符合している限度で信用できると考えられる。
なお,弁護人は,東京第2支店からベルギーに国際電話がかけられたのが午後2時39分であり,Bらが大宮駅の新幹線ホームに到着したのが午後2時26分であって,そこから東京第2支店までの所要時間を考慮すれば,Bらが東京第2支店に着いて数分のうちに国際電話をかけたことになるから,この間に本件データの買取りの話を聞き,その内容を理解して更にW社長に説明することは合理的に考えて不可能であり,しかも,通話時間は7分06秒間であり,このような短時間にGが日本語の会話よりも相当速度の落ちる英会話で香港での支店長会議の打合せのほかに,本件データの買取りの話をW社長に説明してその許可を得ることは,不可能であると主張する。Bらが大宮駅についてからW社長に国際電話をかけるまでの時間の点については,所論のとおりであることが認められるが,B及びGは,被告人のこれまでの××に対する貢献度を熟知しており,特にBは本件臨床試験のために大量の治験外サンプルを被告人に提供していたことについても十分に把握していたのであるから,Cの報告を短時間で理解できたとしても不自然ではなく,××内部で,日本人として最高責任者の地位にあるBと,次順位の立場のGが,Cの報告を受けて決断を下すのにさほど時間を必要とするとは思われない。また,W社長も,Gの検察官調書にあるとおり,被告人が××に対してこれまで種々貢献してきていることについては十分に把握した上で電話のやり取りをしていることが認められるから,7分06秒間という時間で,本件データの買取りの話を説明して了解を取り付けることが不可能であるとはいえない。Bの国際電話に関する供述にはあいまいな点もあるが,大宮駅に着いてからCの報告を聞き,とにかく××として金を出す必要があると思ったという経緯については,それなりに具体的に供述されているのであり,この部分の信用性は否定できない。
(ウ) Gの検察官調書及び公判供述について
Gの検察官調書の内容は,6月24日に大宮でCから被告人の要求を聞いた際の具体的な状況や被告人の要求する金額が5000万円であると具体的に聞いていること,Cの報告を聞いて,××としては被告人の要求に応じるのもやむを得ないと思いながらも,自分としては関わりたくないと思いながらBらの後を付いていったという当時の自己の心理状態,W社長に電話をした際の具体的なやり取りの内容,電話をする際,Bがベルギーの現地時間を気にしていたこと,その後,本件英文メモにサインを求められてサインをし,更にその後,Cから,営業部門でも本件金員の支払を求められたが断った状況などが,当時の自らの心情等を説明しながら,迫真性をもって述べられており,具体的かつ詳細である。特に,初めてCから被告人の金員要求の話を聞いて,それまでの××と被告人の関係を考えると断るわけにはいかないと思いながらも,一方では関わりたくないという気持でいたという体験したものでなければ語り得ない当事者の微妙な心理状態が臨場感をもって語られている。また,Cの報告で5000万円という金額が出ていたことや,W社長に国際電話をする際にBが現地の時間を気にしていたこと,後に本件金員を営業部門でも負担するようにCから要請されたのを断ったことなど,その後の経緯に関する具体的な事実についてはCの供述とも符合しており,本件金員交付の趣旨について,Gが理解したという内容も本件英文メモの内容と符合するものである。また,Gらが大宮駅に到着してからベルギーのW社長に国際電話をするまでの時間的な経過についても,その会話の内容に照らして,特に不自然といえないことは先にみたとおりである。
一方,これに対し,Gの公判供述は,6月24日の上記の出来事について記憶がないという部分が多く,あいまいで回避的な供述が目立つのであり,全体として信用性に乏しいといわざるを得ない。また,Gは,公判廷において,上記検察官調書につき記憶がないことについて検察官の誘導に従って推測で述べたり,検察官が勝手に記載したのであり,訂正を申し入れたが聞き入れられず,何度も呼び出しを受けて取調べを受けたことから取調べを早く終わらせるために納得がいかないまま署名押印したとも供述している。しかしながら,Gの公判供述によっても,訂正を申し入れたのは「測定費名目に謝礼として支払った」という本件金員交付の趣旨を端的に要約して述べた部分についてのみであり,その他のC,B,W社長らとの具体的なやり取りについては,調書作成当時,検察官に対して内容が違うと訂正を申し立てたりすることはなく,素直に署名したことが認められる。Gの公判供述によると,検察官の取調べの際に,自分の記憶がないことについて検察官から言われて「そういうことかな」と思ったとか,「そういうことではないですか」と応答したというのであり,少なくとも,当時の記憶に反することを述べていなかったことがうかがわれる。また,GとW社長との電話のやり取りの内容について,Gの公判供述によれば,記憶がなかったというのであるが,その内容はGしか知り得ないことであるから,検察官が本件英文メモの内容を把握していたからといって,具体的な会話の内容についてまで根拠もなく誘導したとは考え難い。その上,Gは大阪から当時の浦和地方検察庁まで何回も呼び出されて負担であったとはいえ,身柄拘束を受けていたわけでもなく,取調べに際しても仕事の支障にはならないように配慮されていたというのであるから,そのような当時の取調べの状況に照らしてみても,Gが,賄賂の嫌疑がかかっている金員の交付について,W社長と具体的な話合いをしたという,自分だけでなく,社長以下,会社全体の責任を認めるような事実について,根拠のない不合理な誘導に従って,虚偽の供述をしたというのも不自然というべきである。そうすると,Gの検察官調書の信用性は十分肯定することができるのであり,これと内容が相反する公判供述は到底信用できない。
ウ 小括
以上検討したところによれば,少なくともB,G,Cら××側の人間は,被告人が平成5年6月23日にCを介して本件データの交付と引き換えに約5000万円の金員の交付を要求してきたと認識し,同月24日,B及びGは,要求に応じることもやむを得ないと考え,海外出張中のW社長に急遽国際電話をかけてその了解を得た後,パレスホテル大宮のレストランで被告人がBに対して本件金員の交付を要求した際,Bがこれを承諾する趣旨の返答をした事実が認められる。
(3) 被告人の公判供述の検討
これに対し,被告人は,公判廷において,要旨,以下のとおり供述している。
平成5年3月,本件臨床試験のデータを送付してCに対して検査費用の精算を求めた。すると,CはすでにイントロンAはC型慢性肝炎について厚生省の承認を得ているので研究開発では支払えないから営業か企画に申し出るように言うので,東京第2支店のM支店長,企画のN,Oに話したが,はっきりした返事がなかった。そこで,同年6月,Cが渡米中にBに直接電話をして,本件地区研についての苦情と測定費の精算の話をした。同月23日にはCに対して本件測定費の話をしていない。同月24日に大宮のパレスホテルでB,Gと会い,本件臨床試験の終了の報告をし,測定費の支払を求めると,Bは快く承諾してくれた。臨床試験終了後に費用の支払を求めるのは通常のことである。
以上の被告人の公判供述は,平成5年6月24日にパレスホテル大宮において本件臨床試験に関連して金員の要求をし,Bがこれを承諾したという限度においては前記事実と符合する。そして,××が,被告人に対して,本件臨床試験を委託した事実がなく,測定費を負担する旨の暗黙の合意も存在しないこと,及び当日,被告人が約5000万円と金額を具体的に特定してその交付を要求したことは先に認定したとおりであるから,被告人は,事前の合意が存在しないにもかかわらず,すでにほぼ終了した本件臨床試験に伴うHCV関連マーカーの測定データに関連して約5000万円の支払を要求したことになる。被告人は,本件金員の交付を要求する際に,本件データの買取りを要求したのではなく,本件データの測定費の精算を求めたと供述しており,同月28日に作成された本件英文メモには「測定費として総額約5000万円を支払うことに合意した。」と記載され,××の内部の支払手続きにおいても一貫して測定費として処理されており,本件データの買取り名下に本件金員を要求されたとする××側の関係人の供述とくい違う供述をしているが,本件においては,事前の合意がなく,その上,実際に測定費用を算出することもなく,約5000万円の支払が合意されているのであるから,いずれの名目であっても,それは実体を伴うものではなく形式的なものにすぎないと認められる。
(4) 小括
以上みてきたところによれば,被告人は,Cに対し,平成5年6月23日,本件データの買取り名下に約5000万円の支払を要求し,同月24日,Cからその旨の報告を受けたBらはその支払をやむを得ないものと考え,W社長の了解を得た上,被告人の本件金員の要求に対してこれを承諾する旨の返答をし,その後,××の社内手続上,形式的には測定費名目で本件金員を支払うこととなったことが認められる。
なお,アメリカ合衆国において作成されたW社長の宣誓供述書(弁159号証の2)には「今問題になっている支払いに関して,私にはこれを認可したり又は正当と認めた覚えはありません」「私は誰とも,賄賂又はそれと解釈されるようなお金のやり取りは,提案も合意も認可も正当と認めたことも,討議したこともありません」との記載がある。その趣旨は,要するに,本件金員の支払についてW社長は全く関与していないし,認可したことも討議したこともないというのであるが,本件金員を交付するに至った状況についての具体的な説明は一切なく,結論だけが記載されているのであって,その信用性を裏付ける記載は存在せず,また,その内容は,信用できるGの検察官調書と相反するばかりでなく,現実に,本件金員が××の社内手続にのっとって測定費名下に支払われているのに,××の最高責任者であるW社長自身が,本件金員の支払に関して全く関与しておらず,測定費として支払うことすら知らなかったというのは,およそ不自然といわざるを得ず,本件英文メモが作成された経緯に照らしても,その信用性は乏しい。したがって,上記宣誓供述書によっても,前記認定は動かない。
8 本件金員交付の趣旨
(1) 本件金員交付の実質的な趣旨について
本件金員交付の趣旨は,先にみたとおり,要求した被告人と交付した××の当事者間においても,名目が一致していないことからすると,金員交付の趣旨が,その名目によって直ちに明らかになるというものではなく,被告人と××との従前の関係,両者の内部事情,交付に至る経緯,交付の状況等を総合して,実質的に判断されるべきものと考えられる。そして,××がインターフェロン等の薬剤の研究開発,製造販売を目的とする製薬会社であり,被告人が医学の教育研究を職務とする国立の大学校助教授で,××が委託したインターフェロン等の薬剤の治験や臨床試験を職務として実施していたこと,及び本件金員は,その金額が5000万円余りと高額であることを考慮すると,本件金員の交付については他に合理的な理由が存在しない限り,被告人の上記職務の対価として授受されたことが強く推認されるというべきである。
ところで,本件臨床試験の事前の委託及び測定費負担の事前の合意が,いずれも存在しないことはこれまで検討したとおりであり,そうすると,××の本件金員支出の名目である測定費とは,少なくとも事前の測定費負担の合意に基づくものとはいえないから,被告人の自主的な研究の費用を事後的に支払ったものというほかない。その場合,自主的研究の費用を後日支払う理由が問われるのであり,正当な理由が存在しなければ,被告人の職務の対価として授受されたものと推認されることとなり,研究成果の利用を対価とするというのであれば,後述する本件データの買取りの場合と実質的には差違がないことになる。そこで,以下,本件金員交付の趣旨につき更に検討を加えることとする。
(2) 本件データの買取り代金といえるか否かについて
被告人は,本件金員を,本件データの買取り名目で要求している。そこで,まず,本件金員交付の趣旨が,本件データの買取り代金といえるか否かについて検討を加える。
被告人は,本件データを基に論文を発表し,D医師にもデータを貸与しており,同医師もそれに基づいて論文を発表しているから,××が高額の代金を支払ってまで本件データを買い取る意味は乏しい。少なくとも××が排他的に利用する権限を有し,同業他社にはデータの内容を秘匿するのでなければ,多額の代価を支払ってデータを買い取る意味が失われるものと考えられるが,本件金員の交付を約した際にそのような合意がされた形跡は存在しない。その上,本件データは,この分野で最先端の研究をしていた被告人の最新の研究成果のはずであるから,××としては,数値の羅列にすぎない生のデータを入手してもその医学的な意義も不明というほかなく,将来の治験の参考資料としても利用のしようがなく,また,××が営業上利用するとしても論文の形にならないと顧客である医師に効能を説明するにしても活用のしようがないと考えられる。
さらに,被告人の説明によれば,本件データの医学的意義は,①遺伝子型(ジェノタイプ),遺伝子量(HCVRNA)によりC型慢性肝炎のインターフェロン感受性が異なること,②インターフェロン投与初期のHCVRNA量の推移により長期予後の予測が可能であることが判明したこと,③HCVRNA量の推移と各種HCV抗体値との相関性が解明されたこと,④ジェノタイプとセロタイプの関係が明確となったこと,⑤前期2相試験におけるⅠ群とⅡ群のHCVRNA量の分布に偏りがあり,これが試験結果に影響を及ぼしたことが判明したこと等にあるとされている。しかしながら,①ないし④は臨床現場の医師にとっては重要なことで,インターフェロンα―2bの有効な使用方法の参考となるものであり,その意味では営業上は使用することが可能なもののようであるが,既に厚生省の承認を得ている薬剤の情報であり,製薬会社,特に研究開発部門にとって直接利用できるとは考えられない。⑤については,学問的な興味はあっても,製薬会社にとって,既に承認された薬剤の治験の検証をすることの意義は乏しいといわざるを得ない。他の治験のプロトコール策定に本件臨床試験に基づく被告人の知見が利用され,厚生省への申請の参考資料として本件データを基にした論文が使われているとしても,こうしたことは通常行われており,そのために支払われるのは助言者に対する謝金,あるいはお車代,原稿料程度の比較的少額な金銭であって,その知見を得るために要した費用が支払われることはない。現に本件データは,被告人から××に送付されているものの,同社で死蔵されていたことがうかがわれるのであり,これが有効に活用された形跡は存在しない。なお,Cは,平成5年8月ころ本件データの解析に関与しているが,これは被告人の研究室において被告人の依頼に基づいてその補助として行っているのであり,その結果を××としてまとめた形跡もないから,××が本件データを利用したということにはならない。
××が本件データを買い取るということであれば,データの希少性及びその利用価値があることが前提となるはずであるところ,これらの前提を欠くデータを営利を目的とする会社である××が買い取るというのは,極めて不合理な行動といわなければならず,それ自体が本件金員の賄賂性をうかがわせることとなると考えられる。
(3) 被告人が本件金員の交付を要求した実質的な理由について
そこで,次に,被告人が,××との間で事前の合意がないのに,本件金員の交付を要求した実質的な理由について検討する。
関係証拠によれば,被告人の,当時の経済的状況について,以下の事実が認められる。すなわち,被告人は,本件臨床試験並びに××から委託を受けた各種治験におけるHCV関連マーカーの一括測定,2―5AS活性の一括測定,肝生検の一括読影を実施し,その一部を民間の検査会社に外注に出すなどしていたところ,1検体当たりの測定単価は高額であり,防衛医大第二内科研究室で行った測定についても高価な試薬代や,私的に雇用していたアルバイトの人件費などに多額の費用を必要としていた。また,平成4年11月から平成5年7月までに検査会社であるビーエムエルにHCV定量検査料として総額3024万円を支払い,平成5年ころには,外注検査費用,試薬代,アルバイトの人件費等の支払のために被告人の個人の預金も取り崩している状況であり,その一方で,それまで防衛医大第二内科肝臓班で支出する諸費用は,肝臓班代表甲野太郎名義の預金口座から支出されており,この口座には治験を行った場合の研究費名目の謝礼も振り込まれていたが,平成3年7月から「研究費」が個人名義や医局名義の口座に振り込まれることが禁止され,防衛医大医学会に対する奨学寄附として扱われ,財団法人防衛医学振興会が管理することとなり,手数料を3割控除された上,支払費目が限定され,支払手続が厳格となったことなどから,被告人は「研究費」のねん出につき不自由を感ずるようになっていた。
他方,平成5年1月から同年8月までの間に肝臓班代表甲野太郎名義の預金口座には××から上記各種測定費として総額5178万円が入金され,その外にも□□株式会社や■■株式会社等の製薬会社からも同様の入金があり,帳簿が廃棄されているためその詳細は不明であるが,多額の金銭の出入りがあったことがうかがわれる。被告人は,一括測定を引き受けた分のうち,外注に出したもの(HCVRNA定量,ジェノタイプ,2―5AS活性,その他リア法による抗体検査)については廉価で発注し,防衛医大第二内科肝臓班で測定したものについては,試薬メーカーから無償ないし廉価で試薬の提供を受けることもあり,関東医学研究所やエスアールエルなどの検査会社から派遣された臨床検査技師が検査実務を担当していたことから,臨床検査技師に関する人件費の負担はなかったところ,××からは通常の市価より高額の測定費を受け取り,その差額を被告人の研究費用に充てていた。例えば,平成5年後半ころ,ビーエムエルに外注していたHCVRNA定量検査の検査料金の単価は定価4万円のところ,通常の値引きにより2万円で外注していたが,更に1万6000円に値引きされ,最終的には6250円で検査を委託するなどしていた。これに対して,××は,治験の一括測定費としてHCVRNA定量測定につき被告人に対して単価5万円を支払っていた。もっとも,被告人は精度管理のために1検体につき複数回測定を繰り返すこともあったが,××からの支払は検体数に単価を乗じて算出されて支払われていた。
以上の事実が認められるところ,これらの事実によれば,被告人の預金口座には多額の入金があったものの,本件臨床試験の各種ウィルスマーカー等の測定が平成4年夏ころから開始されたことから,被告人は,それを上回る支出を余儀なくされ,××から支払われる治験の一括測定費だけでは,外注費,試薬代等の検査実費,年額1000万円を超えるAへの給与を含む被告人が雇用していたアルバイトへの人件費等が賄えなくなっていたことがうかがわれる。
この外にも,被告人は,平成2年8月末から9月初めにかけてオーストラリアで行われた国際肝臓病会議及び世界消化器病学会へ参加するのに,防衛医大医学会から旅費として33万5280円が支払われているにもかかわらず,A及びP医師を含めた3人分の旅費として210万円余りを××に支出させ,その他,国内の学会にもAの分を含めた旅費を××に負担させて参加し,休暇で行った沖縄の与那国島からの帰りの旅費の提供を受け,後期2相試験に関連して,一括測定のために必要であるとして,××の負担により血清保存用の大型冷凍庫を購入させて防衛医大第二内科に設置し(後に被告人が設立した○○に移転している。),××から人材の派遣を受けるなどしていたことが認められる。
以上のとおり,××から被告人に対して,不明朗なサービスや物品の提供があり,被告人はこれを抵抗なく受け入れていたことが認められるところ,こうした被告人と××との癒着ともいうべき関係を前提にして,被告人は,××に対して,要求をすれば何でも受け容れられるという感覚を抱いていたことがうかがわれるのであり,被告人は,××とのこうした関係を背景に,不足をきたした研究費用を賄うために本件金員の要求をしたものと推認される。
さらに,××は,平成4年3月,イントロンAのC型慢性活動性肝炎への適応拡大承認を得たことにより,平成3年には約19億円であったイントロンAの売上げが翌平成4年には約256億円,平成5年には約377億円と爆発的に増大し,会社全体としても空前の利益を計上していたのであり,その研究開発における最大の功労者は被告人であるとの認識を有しており,他方,被告人自身も,Cに対して,平成4年夏以降の時期に「売れてるんだね」との発言をするなどしており,被告人が前期2相試験のプロトコール策定段階から主導的に指導,助言をし,臨床試験を実際に行う際にも,その大半を治験担当医師として自ら実施し,臨床試験の結果について論文を作成し,後期2相試験についても治験担当医師とはならなかったものの,プロトコールの策定から試験結果の判定に至るまで中心となって関与し,前記,後期2相試験を通じてHCV関連マーカー等の一括測定を行うなど,××がC型慢性活動性肝炎への適応拡大について厚生省の承認を得る上で自らが多大の貢献をし,その結果,イントロンAが爆発的に売れて,××に多大の利潤をもたらしたことを十分に認識していたこと,そして,被告人が責任者となっている防衛医大第二内科肝臓班は,関東地区における肝炎治療の中心的施設であり,また,被告人は××の営業治験のための組織である関東肝炎治療研究会の代表世話人として講演,指導などを通じて地域の医師に対して大きな影響力を有していたこと,その上,当時,被告人は××の委託を受けてCAH治験,CPH治験にも関与し,慢性肝炎の新しい治療薬として××が導入したサイモシンα1の治験も予定され,その準備検討が被告人の指導助言により進められていたことなどの事実も認められる。
以上みてきたところによれば,被告人は,先にみた××との不健全な関係を背景として,自己が研究開発に多大の貢献をしたイントロンAの売上げが好調で,その当時も治験の実施やその準備,治験に伴う一括測定などの委託を受けて協力している××が大きな利益を得ていることを知って,本件臨床試験の測定費用を含めて,不足する研究費用を××に負担させようとしたものと認められる。
(4) ××側の本件金員交付の理由及び趣旨について
本件金員交付に関する事前の合意が存在しないこと,及び××が本件データを入手するために本件金員を支払ったとはいえないことは先に述べたとおりであり,他に同社が被告人に対して自発的,積極的に金員を支払うべき理由は見当たらず,Bらが本件金員を交付したのは被告人からの要求に応じたからであるが,××が会社自体として被告人の要求に応じなければならない理由はないから,本件金員交付の理由とその趣旨について,更に検討を加えることとする。
この点に関する関係人の供述は先にみたとおりである。すなわち,Bの供述は「研究開発本部としては金は出せない。自分としては,研究開発としては価値がないが,寄附金だろうが何だろうが被告人の研究を助けることは価値があるという立場だった。営業としても,本件地区研で間違いがあり,被告人が立腹しており,C型慢性肝炎の承認後いろいろな形で協力をお願いしているから,会社として支払うことは意義があると思う」というのであり,また,Gの公判供述は「自分は被告人のデータは有用であると信じていた。被告人が資料を持参していた記憶はあるが,資料の内容や体裁は記憶がない。5000万円の話は記憶がない。研究開発では使えないとして営業に下駄を預けられたという記憶はない」というのである。Bの供述は,先に認定したとおり,本件金員の交付について部下のCらに指示,命令を下し,主導的に関与したにもかかわらず,責任回避的であって,本件金員交付の趣旨についても,研究開発としては支出する意味はなく,営業上被告人に世話になったり,迷惑をかけたりしているから支払うことに意義があるというのであって,営業上必要な金員の支払に,何故,研究開発本部長であったBが主導的に関与したのか説明がつかないから,この部分に関するBの供述は信用できない。また,Gの公判供述は,前述したとおり,記憶がないというばかりであいまいであって,捜査段階の供述と相反し,全体として信用性が低いものである。これに対し,Gは,先にみた信用性の高い検察官調書(甲122号証)において「被告人にはイントロンAの開発を通じて世話になり,おかげでイントロンAの承認にこぎつけ,××は大幅な売上増を達成でき,被告人にはCPHやCAHの一括測定,サイモシンα1の前期2相試験でこれからも世話になる予定だったので,その日被告人を怒らせて××の対応に不満をもたれたら,今後予定される治験の進行に遅れをきたし,その結果承認申請が遅れて他社に先を越され,せっかくの適応拡大等の承認も売上増に結びつかなくなるかもしれないと思った。自分としては,イントロンAの開発に尽くしてくれて,××の売上が延びたことと,今後の治験がスムーズに進行するように協力してもらうため,被告人が要求する5000万円をデータ購入名目で支払うことにせざるを得ないと思った。Bも同じ思いだろうと思った」旨供述し,当時のGの心境及びそれに基づいて推測したBの心境を述べている。また,Cも,公判廷において,Bが本件金員交付を決断した理由を推測して「当日の本件地区研の中間検討会をつぶされると××の体面が丸つぶれとなりセールスが落ちる。サイモシンα1にも有用ということにBが興味を持った。Bは前期2相試験の関係では症例の確保とかメディカルアドバイザー的なこととか,いろいろ世話になったと思ったのではないかと思う」(第4回公判)と供述しており,Bの部下としてインターフェロン開発の実務責任者として被告人とも密接な関係を有していたCの,当時の現状を踏まえた上での推測を述べており,その信用性は高いといえる。
そして,被告人と××との関係に照らすと,被告人は,昭和63年ころからB型慢性肝炎の治験に関わり始め,その後,C型(非A非B型)慢性肝炎の治験については当初から中心となって××を指導し,プロトコールの策定段階から主導的に関与しており,前期2相試験では中心的な治験実施施設となり,HCV関連マーカーの一括測定,肝生検の一括読影機関ともなり,治験結果をまとめた論文を実質的に書き,後期2相試験のプロトコールの作成,一括測定,判定委員,CAH治験,CPH治験の判定委員,一括測定,一括読影機関となるなど,××にとっては,被告人はインターフェロン開発の中心的人物であり,最大の貢献者であったこと,当時もCAH治験及びCPH治験は継続しており,被告人が一括測定を実施し,さらにはサイモシンα1の治験も準備されていたことから,被告人の意向に逆らえば,これらが円滑に進まなくなる懸念があったこと,本件地区研の代表世話人として,営業上も被告人の影響力が大きかったことなどの諸事情が存在するのであり,これらの事情は,Gの上記検察官調書及びCの公判供述の信用性を裏付けるものである。結局,本件金員の交付については,これらの事情のすべてが理由として考えられ,しかも,これらの事情はいずれも併存し得るものであるが,××側の支払決定の中心人物がBであり,支払手続も研究開発本部で行われ,●●に研究開発の費用として折半することを求めていることからすると,営業上の理由というよりは,研究開発上の貢献に対する謝礼,及び今後の開発にも円滑に協力してもらいたいためという趣旨が強いものと認められる。Bが供述するように,被告人の研究に協力するという趣旨が含まれていたとしても,正規の寄附手続をとらずに測定費名目で支払われていることや,被告人からの要求によって支払われていることからすると,純粋に学術振興のための寄附であるとは認められないのであり,××側の本件金員交付の理由としては,上記の事情以外には考えられない。
なお,前記5で検討したとおり,被告人が,前期2相試験の治験の症例確保につき,治験担当医師の通常の職責の範囲を超えて,あるいは無理をしてまで××のために多数の症例を確保するために尽力したとか,前期2相試験の結果をわい曲して××に有利な内容の論文を作成するなど,××のために,殊更,便宜な取り計らいをしたとは認められないのであり,確かに,症例の確保や論文作成に当たっての被告人の貢献は,前期2相試験を順調に終えることができ,ひいては厚生省の承認を早期に得ることができたという意味において,結果的には××にとって好ましかったといえるが,それは治験担当医師として被告人が当然の職務を果たした結果にすぎず,その謝礼というだけでは,本件のように多額の金員が交付された理由としては十分に納得できるものではない。したがって,検察官が公訴事実において主張するように「便宜な取り計らい」の代表として例示した上記2点に対する謝礼の趣旨だけで,本件金員が交付されたと考えるのは相当ではない。
以上みてきたところによれば,Bらは,被告人が,昭和63年ころ以降,××の委託を受けて各種の治験に参加し,前期2相試験に関与するようになって以来,その準備段階から中心となってプロトコールの策定等に当たって指導助言を行い,自ら治験担当医師として大半の症例を確保して臨床試験を実施し,HCV関連マーカー等の一括測定及び肝生検の一括読影を行い,試験結果をまとめて論文を作成し,その後,後期2相試験においても,準備段階から試験結果の判定に至るまで中心的存在として関与し,後期2相試験における大量の血清検体について一括測定,一括読影を行い,その結果,首尾良くイントロンAのC型慢性活動性肝炎への適応拡大について厚生省の承認を得ることができ,これにより××の売上げが急増して多額の利益を上げることができ,その後も各種治験の委託,一括測定等の委託を受けてこれらを実施し,新たな治験の準備に協力したこと,営業上も本件地区研等で協力してもらい世話になっていることなど,被告人の××に対する貢献全体に対する謝礼並びに今後も同様に××の薬剤の開発及び適応拡大等についての指導助言,治験の受託,一括測定の受託等,研究開発及び営業上の便宜を図ってもらいたいという趣旨で,本件金員を被告人に交付したものと認められる。
(5) 被告人の認識について
被告人は,先に認定したとおり,本件金員交付に関する事前の合意が黙示的にも存在しないのに,自己の研究費不足を賄うために本件金員を要求したのであるから,××がその要求に応じて多額の金員を支払う理由は,被告人と××との従前からの上記のような関係があって,××が被告人の貢献によって利益を上げたことから恩義を感じており,その謝礼及び将来も同様の貢献を求める趣旨であることは容易に認識し得たと認められる。このことは,前述したところの被告人のCに対する「売れてるんだね」という発言,及び被告人の方から本件金員の交付を要求していることからも裏付けられているといえる。したがって,本件金員交付の趣旨に関するBら××側の認識と,被告人の認識とにそごするところはない。
9 職務との関連性
前記認定にかかる本件金員交付の趣旨によれば,本件金員は,被告人が××から委託を受けた種々の治験,測定,その準備に際しての指導助言,営業治験に対する協力などの被告人の貢献に対する対価として支払われたことが明らかである。これらの貢献のうち,防衛医大学校長が受託した前期2相試験,確認試験,LC治験の治験担当医師として治験を実施したことは,被告人の防衛医大助教授としての個別的職務権限に属する受託研究であり,そして,これらの治験の準備として,防衛医大学校長が正式に受託する以前に治験の実施を内諾し,××が治験実施計画を策定するにつき指導助言し,治験により採取された血清検体の検査測定を行い,更に試験結果をまとめた論文を作成することは,個別的職務権限に属する受託研究に付随する行為であるから,被告人の職務行為に密接な関係を有する行為といえる。これに対し,後期2相試験,CAH治験,CPH治験は,被告人が治験担当医師としては関与しておらず,サイモシンα1の治験についてはまだ準備段階であって,いずれも防衛医大学校長が受託していないから,これらの治験のプロトコールの策定等の準備行為について指導助言をし,血清検体の検査測定をすることは被告人の個別的職務権限に属する受託研究であるとはいえない。これらの治験は,××が,厚生省に対して,インターフェロンα―2bの適応拡大の承認申請をすることを目的として行われたものであり,薬剤を開発して製造販売することを目的とする製薬会社の経済活動であるから,これに対する指導助言が,それ自体として教育公務員である被告人の本来の職務行為に当たるということはできない。しかしながら,被告人は,防衛医大助教授として自ら研究に従事する一般的職務権限を有しているところ,被告人の当時の研究テーマは,ウィルス性慢性肝炎に対するインターフェロン等を用いた治療法であって,××のインターフェロンα―2bを用いて,人体に対する作用機序,効果の有無・程度,効果的な用法用量,治療効果の判定方法,当時開発途上であった各種HCV関連マーカーの有効性などを研究していたのであり,××の行う上記治験もまたインターフェロンα―2bの効果の有無,至適用法用量を探究するためのものであり,それ故に,被告人は,臨床試験のプロトコールの策定に関して,新たな投薬方法等を提案するなどして積極的に指導助言し,血清検体の一括測定を自ら受託し,その成果を自己の研究に活用していたことが認められる。このように,上記各治験は,被告人の一般的職務権限に属する研究とほぼ重なる内容であったのであり,そうすると,これらの治験に対する指導助言及び血清検体の検査測定は,被告人の職務行為と密接不可分の関係にあると考えられ,これらの行為に対する謝礼の支払は,被告人の職務行為に対する対価としての性質を失わないと解される。もっとも,学外における指導助言に対する謝礼という場合には,公務としての研究に対するもののほかに,私的労働に対する対価,能力,知識,資質,名声,権威といった個人的属性に対する敬意や評価という趣旨を含んでいることも否定できないところであり,その謝礼として交付された金員が,他の趣旨のものと金額的に明確に区分でき,かつ,その金額が余分に費やした労力に対する評価として社会通念上相当と認められる範囲内のものであれば職務外の私的活動に対する報酬として賄賂性が否定されることもあり得ると考えられる。しかしながら,本件金員交付の趣旨は,先に認定したとおり,上記指導助言等以外の被告人の貢献に対する謝礼という趣旨も含まれており,これらは不可分一体というべきであって,上記指導助言に対する部分を区別することはできない上,金額が5000万円余りと高額であるから,単なる指導助言に対する謝礼として社会通念上相当な範囲内にあるといえないことは明らかである。また,血清検体を検査測定する研究業務は,多額の費用を要するために予算の関係で防衛医大としては事実上受託することが不可能であり(甲168号証),本件においても被告人名義で受託し,検査測定業務やその補助作業を実際に行っていたのは民間の検査会社等から防衛医大第二内科に派遣されていた臨床検査技師や被告人が私的に雇用していたAをはじめとする臨時職員であり,保管用の大型冷凍庫は××から提供を受けて防衛医大の備品としては正式に受け入れられていないものであったことなどから,これらの研究業務が,被告人の職務行為といえるのか疑問も生じ得ないではないが,被告人は単なる個人として受託しているのではなく,「防衛医大第二内科甲野太郎」ないし「防衛医大第二内科肝臓班代表甲野太郎」という名義を用いて受託しているのであり,検査測定業務自体も,防衛医大第二内科の研究室において,その施設,備品,人員を使用して行われており,被告人自身においても,本来の職務行為と上記検査測定業務を峻別していた形跡が全くないことなどからすると,上記検査測定業務は,外観上は被告人の職務行為と全く区別がつかないのであって,これを職務外の私的な研究であるとみるのは困難である。その上,上記検査測定業務に対しては,測定費という形で検査実費に加えて被告人の技術料や報酬を見込んだ金額が支払われているのであり,この金員の支払の性質を,本来,国が受領すべき測定費を被告人が正規の手続を経ずに受領したとみるか,検査実費に加えて被告人の私的な労力や知識・能力に対する対価が支払われたとみるかは別にして,更にこれに対する謝礼を受け取るということは,社会通念上相当な範囲を逸脱することが明らかであり,いずれにせよ,職務外の私的な活動に対する報酬として賄賂性が否定されることはない。
したがって,本件金員は,いずれも防衛医大助教授としての被告人の一般的,個別的職務権限に属する行為又はこれと密接に関係する行為に対する謝礼として交付されたものと認めることができる。
10 Aとの共謀について
先にみたとおり,Aは,平成7年4月5日に設立された○○の取締役に就任し,同月28日に本件金員のうち2000万円を,同年5月12日に1402万5000円を,それぞれ株式会社あさひ銀行所沢東口支店の「有限会社○○取締役A」名義の預金口座に振込入金を受け,自己の名義を使用させて本件金員の収受に加担したこと,それに先立って,本件金員を上記預金口座に振り込むために,××側は,社内での金員支払の形式を整える必要から,同年4月20日ころ,××が○○に対し,本件データの測定を依頼したかのような内容虚偽の研究委託契約書を作成したが,その際,被告人がAに指示をして関与させていること,その前年の平成6年2月ころにも,××と被告人との間で,同様に,××の会社内部における本件金員交付の形式を整えるために,日付を空欄にした研究委託契約書を作成した際にも,被告人がAに指示をして同契約書の作成に関与させていることが認められる。さらに,関係証拠によれば,被告人は,Aを,防衛医大第二内科肝臓班における単なる被告人の私的な研究補助員ないし秘書という以上に,自己の側近として,財政面をすべて任せ,被告人が受託した一括測定等の研究委託契約書の作成事務を行わせ,医師以外の他の研究補助員に対する指揮,監督をさせていたのであり,一方,Aは,被告人の指示を受けて会計全般を掌握し,「防衛医大第二内科肝臓班代表甲野太郎」名義の多数の預金口座を管理し,本件金員の入金を含めて××をはじめとする製薬会社等からのすべての入金及び検査会社等に対する測定費の支払など,被告人の下で行われていた臨床試験等に関するすべての金銭の出入りを取り仕切り,これを把握していたことが認められる。
以上の事実を総合すれば,Aは,本件金員が賄賂であることを十分に認識していたものと認められ,被告人は,本件金員収受に際して,Aをして事後的に契約書を作成させたり,内容虚偽の契約書を作成するなどの一連の偽装工作に従事させ,Aが代表者を務める会社の名義で本件金員の一部を収受させているのであるから,被告人が,Aと共謀の上,本件金員を収受したことは優に認定することができる。
11 結論
以上検討してきたところによれば,被告人は,Aと共謀の上,Bらから防衛医大助教授としての被告人の職務行為に対する謝礼として,本件金員の交付を受けたことが明らかであるから,公務員たる被告人の職務に関して賄賂を収受したものと認められ,被告人には判示のとおり収賄罪が成立すると解される。
(法令の適用)
1 罰条
包括して平成7年法律第91号附則2条1項本文により同法による改正前の刑法60条,197条1項前段
2 刑の執行猶予
同法25条1項
3 追徴
同法197条の5後段
4 訴訟費用の負担
刑事訴訟法181条1項本文
(量刑の理由)
本件は,防衛医大助教授であった被告人が,製薬会社から受託した臨床試験の受託研究において,症例を確保し,試験結果をまとめて製薬会社に有益な論文を作成し,臨床試験に関する医学的な指導助言をし,臨床試験に伴う血清検体の一括測定等を実施するなど,厚生省に対する医薬品の適応拡大の承認申請のために種々便宜な取り計らいを受けたこと及び今後も同様の取り計らいを受けたいとの趣旨で供与されるものであることを知りながら,製薬会社の研究開発部門の統括責任者らから,総額5200万円余りの賄賂を収受した収賄の事案である。
被告人は,国家公務員である防衛医大助教授の立場にありながら,製薬会社が,被告人の助教授としての権威と,研究者としての高度の知識や経験,能力等に依存していることをよいことに,臨床試験のプロトコールの策定などについて指導助言するとともに,臨床試験を実施し,防衛医大病院における臨床試験の被験者を確保し,臨床試験の結果を論文にまとめ,各種臨床試験において採取される血清検体の検査測定を一手に引き受けるなどして,製薬会社に対して多大の貢献をする一方で,製薬会社から,物品やサービスの提供,人材の派遣や被告人の自主的な研究に対する約8000万円相当の薬剤の無償提供など,各種の便宜供与を,医学研究のためには当然のこととして受け入れるなどしていたところ,こうした癒着を背景に,被告人は,本件データの買取り名目で,約5000万円もの金員を製薬会社に要求したのであって,一度に多額の入金があると目立つとしてこれを数回に分けて入金させるとともに,共犯者を代表者とする検査会社を新たに設立して,これに振り込ませるなどして,犯行の発覚を免れようとしており,教育及び医学研究に従事する公務員としてあるまじき悪質な犯行である。収受した金員は5200万円余りと高額である上,被告人は,製薬会社の担当者に金員の交付を要求し,それが受け入れられないとなるや,研究開発部門の統括責任者に直接要求するなどしており,医学研究のためには,製薬会社から金員をもらっても許されるというごう慢な態度がうかがわれる。国立大学校の助教授で,肝臓病研究の権威でもあった被告人の本件犯行は,治験の正当性と信頼性に対する疑念を抱かせ,その円滑な遂行にも支障を及ぼしかねないもので,国立の高等教育研究機関の教官に対する信頼を失わせ,肝炎の患者をはじめ,その研究成果に期待を寄せる人々を裏切るものといわなければならず,社会的な影響も軽視できない。被告人は,治験の実施に関連して「研究費」と称する多額の謝礼を受領し,海外で開催される学会に出席するため,旅費等を防衛医大側から受領しながら,それをはるかに上回る金員を製薬会社からも支出させ,血清保管用の大型冷凍庫を購入させるなど,製薬会社と不明朗な関係を続け,その上,製薬会社との関係を規律するために学内の手続が整備され,個人や医局に対して製薬会社等から直接金員を支払うことが禁止され,奨学寄附金として防衛医大医学会に納められるようになると,これを自己の研究に対する制約としてとらえ,また,製薬業界においても,医師個人や医局に対する金員の支払を禁止する自主規制がなされると,共犯者名義で検査会社を設立してその受け皿にしていたのであり,職務の公正を保持し,廉潔性を守らなければならない公務員としての自覚に乏しく,倫理感に欠けているといわざるを得ない。被告人は,収受した金員は,研究のために必要な資金であり,測定費や私的に雇用した職員の人件費等にすべて費消したと供述しているが,人件費の中には助教授としての被告人の給与をはるかに上回る共犯者に対する高額の給与の支払も含まれているのである。被告人は,本件発覚後,共犯者を介して関係帳簿類を廃棄させるなど罪証隠滅工作を行った上,収受した金員の賄賂性を争い,本件臨床試験の測定費であるなどと強弁しており,反省の情も乏しい。これらの点からすると,被告人の刑事責任を軽くみることはできない。
しかしながら,他方,被告人の行った職務行為自体は,結果的には製薬会社の利益にかなったものといえるが,被告人の研究者としての良心と,医学の進歩及び肝炎の患者を救おうという医師としての立場から誠実に行われたもので,製薬会社の利益を図るために,殊更,臨床試験の結果をわい曲し,製薬会社に都合のよい結論を導き出したというものではないこと,被告人は,長年にわたって,肝臓病の研究発展に尽力し,わが国における有数の肝臓病の研究者として評価されていた人物であり,ウィルス性肝炎の研究においては数々の業績を上げていたこと,犯行の動機は,前判示のとおりであって,多額の出費を必要とするウィルス性肝炎の研究を継続するために,研究費用のねん出に私財を提供するなどしてきたものの,これに窮して,犯行に及んだというもので,金員の相当部分は研究費用として費消されていることがうかがわれ,専ら私腹を肥やすために収受されたとは認められないこと,被告人は,本件犯行発覚以前に防衛医大を退官し,公務員としての身分を失っていたこと,本件で逮捕勾留された後,保釈されるまで,相当期間身柄を拘束され,その間,肝臓病研究の第一線から外れることを余儀なくされていたこと,本件が,広く報道されたことにより,一定の社会的制裁を受けていること,その他,同種事案における裁判例の量刑傾向など,被告人に有利,不利一切の事情を考慮し,被告人を主文掲記の刑に処した上,その刑の執行を猶予することとした。
(裁判長裁判官・川上拓一,裁判官・片岡理知 裁判官・根本渉は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官・川上拓一)