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さいたま地方裁判所 平成11年(わ)585号 判決 2001年6月28日

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、窃盗、詐欺等の犯罪を累行し、二度の服役をした後、昭和五三年一月、強盗殺人等の犯行を行い、無期懲役に処せられて三度服役した。平成一〇年一月二九日、岐阜刑務所を仮出獄した被告人は、一か月ほど岐阜市内の更生保護会で過ごした後、同年三月から東京都足立区内の実母宅に転居し、同年九月からは同区内にある××ハイツ○○○号室で単身居住し、ゴム製品加工会社などに職を得て生計を立てていたが、憂さ晴らしに、東十条駅前にあるスナック「△△」に客として通ううち、「花子」の源氏名を用いて、アルバイトでホステスをしていた被害者甲野春子を知り、気取らず、場を盛り上げて楽しませる態度に惹かれて、度々指名した。被害者も、被告人が銀行の大口の預金者であると言ったり、来店するごとに三、四万円くらい使うなど羽振りよく振る舞うなどしたところから、被告人を「おいしい客」と考えて接していたが、同年一〇月下旬ころ、家庭の事情で被害者がアルバイトをやめたことから、それ以後、顔を合わせることがないままに日が過ぎていた。

平成一一年一月九日昼ころ、被告人は、それまでしばらく会っていなかった被害者を誘い、自宅近くの居酒屋にでも飲みに行こうかと考え、「お年玉をあげる。」などと言って電話で呼び出し、これに応じた被害者と東武伊勢崎線西新井駅付近で落ち合った。しかし、被害者が、三〇分も待たせた上、会うやいなや、余り時間がないなどと言うため、予定していた居酒屋まで行くわけにもいかず、気分を害したものの、とりあえず付近の居酒屋に入り、お年玉として二万円を渡すなどして雑談したが、被害者は、兄と同居中のアパートから引っ越したいとか、自動車の免許を取りたいが、貯金がないなどという身の上話をした。その後、帰宅しようとして同方向に向かう被害者とともにタクシーに乗り込み、××ハイツ付近で降りたが、被告人が着替えのためいったんアパートに戻ったところ、道路で待つように言っていた被害者が玄関に入ってきたため、独り住まいのわびしいアパート暮らしを人に見せたくないと考えていた被告人は、「帰れ。」などと言ったが、被害者が直ちに立ち去る気配を見せないことから、いつまでも玄関先で立ち話をしているわけにもいかないと考え、被害者を室内に上げてしばらく雑談をしたが、被害者が、先刻の居酒屋での話を蒸し返し、生活が大変だ、同居している兄が口うるさいので早く家を出たい、免許も取りたいなどとした上、「お小遣いくれない。」などと言い出したため、待ち合わせに遅刻し、時間がないと言っていながらアパートまでついてきた上、虫のよい話をすると思い、立腹の末、「何言ってるんだ、時間がないと言っておいて。帰るなら、帰ればいいじゃないか。」などと言った。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  平成一一年一月九日午後八時三〇分ころ、東京都足立区鹿浜<番地略>所在の××ハイツ○○○号室の被告人方において、帰宅するため玄関で靴を履いていた甲野春子(当時二一歳)に対し、好意から、タクシー代などとして二万円を差し出したが、同女から「これっぽっち。」などと言われ、渡した二万円をひったくった上、「じゃあ、勝手に帰れ。」と言ったところ、同女が、「馬鹿野郎。」などと言いながら自己の左頬を叩くなどして、「お金もないくせにうちの店に来て大きな顔をするんじゃないよ、このくそおやじ。」などと言って罵倒したことから、激昂し、同女が着ていたコートの襟首を掴むなどして外に押し出そうとしたが、同女が激しく抵抗したため、警察に通報されて捕まると仮出獄が取り消され、また刑務所に舞い戻らなければならなくなるなどと考え、こうなった以上は同女を殺害するほかないものと決意し、その頸部を右腕で強く締めつけ、よって、そのころ、同所において、同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

第二  右殺人の発覚を防ぐため、同月一三日ころから同月一四日ころまでの間、前記被告人方において、甲野の死体を包丁で切断するなどして損壊した上、同月一五日ころから同月一六日ころまでの間前後数回にわたり、同区鹿浜の荒川左岸及び埼玉県川口市河原町の荒川左岸において、右損壊した死体を同河川に投棄し、もって、死体を損壊、遺棄し

たものである。

(証拠の標目)

判示事実全部について

一  被告人の当公判廷における供述

一  第一回ないし第四回各公判調書中の被告人の供述部分

判示犯行に至る経緯について

一  被告人の検察官(平成一一年四月二〇日付け)及び司法警察員(同月一三日付け、同月一四日付け、同月二三日付け)に対する各供述調書

一  A、B、C及びDの検察官に対する各供述調書

一  甲野一郎(平成一一年二月二日付け、同月二四日付け)、E、F、G(二通)、H、I、J、K及びL(同年四月一〇日付け)の司法警察員に対する供述調書

一  A(二通)、B(平成一一年三月一日付け、同年四月一二日付け)、M、N及びD(二通)の司法巡査に対する各供述調書

一  岐阜刑務所長及び東京保護観察所長作成の各捜査関係事項照会回答書判示第一及び第二の各事実について

一  被告人の司法警察員に対する平成一一年四月一五日付け、同月二一日付け、同月二五日付け及び同月二六日付け各供述調書

一  O、齋藤一之及び高田綾の検察官に対する各供述調書

一  R、S及びTの司法警察員に対する各供述調書

一  Uの司法巡査に対する供述調書二通

一  司法警察員ら共同作成の捜査報告書

一  司法警察員作成の捜査報告書(平成一一年一月一九日付け、同月二一日付け、同月二二日付け、同年二月二日付け、同月一二日付け、同年四月一六日付け、同月二〇日付け、二二日付け、同年五月一一日付け)、実況見分調書(同年一月二五日付け、同月二九日付け、同月三一日付けのもの三通、同年二月一日付け、同年三月二〇日付け、同月二五日付け、同年四月二七日付け)及び検証調書

一  司法巡査作成の実況見分調書(同年三月二日付け、同年四月一九日付け)及び写真撮影報告書(平成一一年二月一日付け)

一  埼玉県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員猪井剛及び同山本靖久作成の各鑑定書

一  埼玉医科大学法医学教室高田綾及び齋藤一之共同作成の鑑定書

判示第一の事実について

一  被告人の検察官(平成一一年五月四日付け)及び司法警察員(同年四月二九日付け、同年五月一日付け、同月三日付け)に対する各供述調書

一  司法警察員作成の平成一一年五月六日付け実況見分調書

判示第二の事実について

一  被告人の検察官(平成一一年四月一九日付け二通)及び司法警察員(同月二四日付け、同月一七日付け二通、同月一八日付け、同年五月一三日付け)に対する各供述調書

一  司法警察員作成の平成一一年四月二七日付け実況見分調書

一  司法巡査作成の平成一一年五月一一日付け実況見分調書

(弁護人の主張に対する判断)

一  被告人は、被害者の殺害態様につき、捜査段階から第四回公判まで、一貫して、判示認定のとおり、頸部を強く絞めて窒息死させた旨供述(以下、旧供述という。)していたにもかかわらず、第八回公判において、突如、被害者が被告人方台所にあった果物ナイフを持ち出して振り回したため、咄嗟にナイフを持った手を掴み、その刃先を被害者の方に向けて体当たりした結果、ナイフが被害者の左胸の下辺りに刺さって死亡した旨供述(以下、新供述という。)するに至り、弁護人は、右被告人の新供述に基づいて、本件については過剰防衛が成立する旨主張するので、以下、この点に対する当裁判所の判断を示す。

二  被告人の旧供述の内容は、概ね以下のとおりである。

1  平成一一年一月九日夜、自宅に上がり込んだ被害者と二〇分くらい雑談をしたが、その中で、被害者は、西新井の居酒屋でした話を再び繰り返し、毎日の生活が大変である旨訴えた上、「兄貴も口うるさいので早く家を出たい。免許も欲しいし、貯金も全然ない。お小遣いくれない。」などと頼んできた。被害者が約束の時間に三〇分も遅刻した上、「□□」に飲みに行く時間もないと言っていながら、人に知られたくなかった自宅までついてきたことなどで気分が悪かったので、「何言ってるんだ、時間がないと言っておいて。帰るなら帰ればいいじゃないか。」などと言ったところ、被害者は、「帰る。」と言って立ち上がり、玄関で靴を履き始めた。それを見て、帰りのタクシー代や、今日付き合ってくれたお礼などの意味で、少しは金をあげようと思い、一万円札二枚を出して、「これで帰れ。」と言ったところ、被害者が、「これっぽっち。」と言ったため、頭に来て、それをひったくり、「じゃあ、勝手に帰れ。」と言った。すると、被害者が、「馬鹿野郎。」などと言いながら左頬を叩いてきたので、着ていたコートの襟首に両手で掴みかかった。被害者は、さらに、「お金もないくせにうちの店に来て大きな顔をするんじゃないよ、このくそおやじ。」などと罵ったので、こちらも、「男の横っ面をはたいておいて、ただで済むと思うな、この野郎。」などと言い、下腹辺りに膝蹴りを入れた。被害者は、うめき声を上げて一瞬動きが止まったが、すぐに、「この野郎。」などと大声を挙げて頭などを何度も叩いてきたので、隣近所に聞こえてはまずいと思い、胸倉を掴んでいる手を突き出すようにして被害者の身体を時計回りに回転させ、背後から口に右手を当てて、「おとなしくしろ。」などと言った。被害者が腕をひっかくなどして激しく抵抗したため、口を押さえていた手が外れ、右腕が首に巻き付くような形になったので、そのまま強く力を入れて絞めていると、やがて被害者の力が抜けて後ろに体重を預けるようにしてきたので、支えきれず尻餅をついた。大変なことをしたと思い、身体を揺すったり、心臓マッサージをしてみたりしたが、息を吹き返すことはなかった。

2  これからどうしようかと考えたが、考えがまとまらず、翌日一〇日と一一日の日中は外出を控え、家の中でじっとしていたが、一一日夕方から夜勤の仕事に出かけた。一二日の午前五時半ころ仕事から帰ってくると、死体から尿臭がしたので、衣類を脱がせ、新聞紙にくるんで自宅近くのゴミ捨て場に出した。一三日の朝になると、何ともいえない腐ったようなにおいがし始めたので、かけておいたコートをはがしてみると、背中の辺りが濃い茶色か紫色に変色していたので、これ以上、ここに置いておく訳にはいかないと思ったが、自転車しかないので、それで運べるように、死体をばらばらにしなければならないと思い、一三日と一四日の二日間をかけて、包丁を使い、両腕、両下肢、頭部を切り離し、胴体の部分は内蔵を取り出して肋骨をへし折るなどして解体した。このようにしてばらばらにした死体は、二重にしたゴミ袋六袋に詰めて、一五日と一六日の二日間に分けて、自転車で付近の荒川河川敷に運び、袋から取り出して川に投棄した。

三  被告人の右旧供述は、捜査当初から第四回公判まで一貫しており、極めて具体的かつ詳細である上、実際に体験したものでなければ語り得ない迫真性に富んだものということができる。法医学の見地においても、また、精神医学の見地においても、被告人の述べる犯行の経緯、態様に格別の不自然さは認められないことなどにも照らすと、その信用性は高いということができる。

四  ところで、被告人は、前記のとおり、第八回公判期日において、突如これと異なる供述をするに至ったが、この新供述のうち、旧供述と大きく異なる点を摘記すると、大要以下のとおりである。すなわち、「被害者から「これっぽっち。」などと言われて、殴り合いのような状況となったが、このとき、被害者がたまたまキッチンのカウンター上にあった果物ナイフを右手で掴んで振り回してきたので、左手に持ったジャンパーでそれを叩き落とそうとした。ジャンパーがナイフの上に被さったところで、右手で被害者の右手を押さえ、ナイフの刃の向きを被害者の身体の方へ向け、体当たりするような感じになったところ、刃が被害者の左胸の下辺りに刺さった。被害者の身体から血が垂れて床に落ち、自分が着ていたシャツやズボンにも血が付いた。死体を仰向けに寝かせた後、玄関先から浴室の前に運んだ。被害者のコートなど着衣のすべては、荒川河川敷にスコップで穴を掘って埋めた。」というのである。

五  被告人は、このように供述を変遷させた理由について、刃物を使ったことが分かると凶悪に思われると考え、刃物を使った事実と、刺し傷の残る遺体のうちの胴体の部分を捨てた場所や、刺した痕跡が残る衣類を埋めた場所については、捜査機関に供述しなかったが、公判が進むにつれて、せめて遺品だけでも遺族に返したいとの考えを抱くようになったので、本当のことを言うことにしたなどと供述する。

しかしながら、その後、被告人は、胴体の部分を捨てた場所について、明確に供述したのに、捜査官が捜してくれなかったなどと供述をさらに変遷させている上、荒川河川敷に埋めたとする衣類も、捜査機関と裁判所による二度の検索によっても、一点も発見するに至らないばかりか、検索に出向く都度、指示する場所自体が異なる有様であり、また、発見された遺体の一部である乳頭のある肉片について、当初、刺し傷を発見されないように、刺し傷のある部分全体をそっくり切り取ったなどと供述していたのに、その肉片に刺し傷が残っていない理由を追及されるや、刺し傷に沿って切断した旨供述を変更するなど、新供述には随所に辻褄合わせの不自然さが伴うことなどにも徴すると、結局、被告人の新供述は、刑責軽減を図る意図から出た苦し紛れの弁解にすぎないものと断じるほかなく、およそ信用することができないといわねばならない。

六  以上の次第であるから、犯行の経緯、態様については、被告人の旧供述どおりに認定するのが相当であって、これを前提とする以上、過剰防衛の成否を論じる余地はなく、弁護人の主張は採用できないことが明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法一九九条に、判示第二の所為は包括して同法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第一の罪について所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、判示第一の罪の刑について無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項本文によりその余の罪については刑を科さないこととして結局被告人を無期懲役に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

一  本件は、強盗殺人罪により無期懲役の言渡しを受け、約一九年四か月間服役して仮出獄を許された被告人が、そのわずか一年足らずの後に犯した殺人、死体損壊・遺棄の事案である。

二  本件に関する量刑事情を検討するに当たり、まず、被告人の生い立ちから仮出獄後の生活状況を概観すると、次のような事情を指摘することができる。

1  被告人は、秋田県内で出生し、当時父母が別居中であったことから、姉とともに母親の手で養育されたが、母親は生活に追われ、基本的なしつけもなされないまま小学生のころ児童養護施設に引き取られ、同施設から中学校に進学した。中学二年生の時に東京都足立区内に住んでいた父親を頼って母親らとともに転居し、都内の中学校に転校したが、方言を直すことができず、これを理由にいじめを受けるなどしたため、次第に不登校の状態となり、不良仲間との交友を深めた末、窃盗等の非行を行って教護院に送致され、そこで義務教育を修了した。出院後、都内で自転車組立工として働いたが長続きせず、再び窃盗の非行を反復したことで中等少年院送致となり、退院後も、正業に就くことなく、的屋等の職を転々とする不安定な生活を送り、昭和四七年九月には、窃盗や詐欺等の罪で懲役三年の刑を受けて服役し、さらに、その仮出獄期間中に犯した窃盗罪等により昭和五〇年六月に懲役二年六月の刑を受けて再び服役した。昭和五二年一一月に仮出獄を許されたが、翌五三年一月、服役中に知り合った友人の父親方を訪れて借金の申入れをし、これを断られたことから押し問答の末同人の首を絞めて殺害し、現金等を強取するという事件を引き起こし、同年九月、強盗殺人等の罪により無期懲役に処せられ、岐阜刑務所に服役した。

2  一九年余り後の平成一〇年一月二九日に岐阜刑務所を仮出獄した被告人は、特別遵守事項として、他人の金品に手を出さないことや人命の尊さを自覚し、粗暴な行いをしないことはもとより、仕事のより好みをせず、定職に就いて辛抱強く働くこと、飲酒を固く慎むことなどを指示され、約一か月間、岐阜市内の更生保護会に居住した後、同年三月から東京都足立区内の実母宅に転居し、同年四月中旬ころからは、同区内のゴム製品加工会社に工員として勤務するようになった。同年九月からは、付近の××ハイツに転居し、単身生活をしながら工員として働いていたが、同月中旬ころ、勤務先の社長と口論して退職し、同年一〇月中旬からは、都内の食品包装会社に勤務するようになった。

3  被告人は、保護司の指導を受けつつ実母宅で生活を始めた直後ころから、仮出獄の際作業賞与金等として受け取った五〇万円余りの金を資金に、乙山と称して、自宅近くの居酒屋「□□」に飲みに行くようになり、そこでCと知り合い、平成一〇年夏ころからは、東十条駅前にあるスナック「△△」にも客として通うようになり、そこで、「花子」の源氏名を用い、アルバイトでホステスをしていた被害者と知り合った。被告人は、飲み仲間のCを伴うなどして度々「△△」に出かけ、被害者を指名して遊興し、被害者も、被告人のことを「おじちゃん」とか、「太郎ちゃん」などと呼び、親しく言葉を交わす間柄となっていた。

4  被告人は、「△△」において、姉の夫が警備員として勤めている銀行の小物をホステスに配るなどして、自分が銀行の大口の預金者であるかのように装い、一回の飲食に三、四万円くらい費消するなどして羽振りよく振る舞い、ほどなくして仮出獄時に所持していた作業賞与金を使い果たし、サラ金や姉夫婦から借金を重ねるようになったほか、年末にはそうした借金を整理するのに必要である旨偽って、年金暮らしの実母からも三〇万円を引き出して生活費に充てるなどして年を越し、新年早々、被害者を誘って行きつけの「□□」に飲みに出かけようと考えたことが発端となり、判示の経緯で本件各犯行を犯した。

このように、被告人は、幼いころから手癖が悪く、成人に達した後も一向に改善する兆しを見せず、窃盗罪などの前科を重ねた末、昭和五三年九月には遂に強盗殺人という大罪を犯し、無期懲役に処せられて長期間刑務所に服役することとなったもので、受刑期間は、通算すると二三年半にも及んでおり、被告人は、成人後の人生の大半を矯正施設で過ごしてきたということになる。特に右無期懲役刑に服した際には、自己のそれまでの行状について強い自覚と反省を迫られたはずであるにもかかわらず、仮出獄後ほどなくして借金をしてまで居酒屋やスナックで羽振りよく振る舞うなど虚飾に満ちた享楽的な生活を送り、挙げ句の果てに、社会復帰してわずか一年足らずでまたしても人命を奪う大罪を犯したものであって、被告人の犯罪性向には相当に根深いものがあるといわざるを得ない。

三  そこで、本件犯行の動機、経緯を検討するに、被告人は、「刑務所という所は規則ずくめで、ちょっとしたことでもいちいちとがめ立てされて懲罰などの処分を受けることになるので、常に神経をぴりぴりさせ、神経をすり減らしながら気を張って生活しなければならず、あんな辛い生活には二度と戻りたくなかったので、ふだんから、腹が立っても我慢し、酔いつぶれて警察に保護されることもないようにと、いつもそのことばかり念頭に置いて行動していた、犯行当日は、判示犯行に至る経緯及び弁護人の主張に対する判断の項二記載のとおりの経緯で、警察に通報されると仮出獄が取消しになるなどと考えてやむなく被害者を殺害し、さらに犯行発覚を恐れて死体の損壊・遺棄に及んだ」旨自供しているところであり、被害者の歓心を買おうとして甘言、虚言を弄し、いまだ社会経験の乏しい被害者にこれを信じ込ませた挙げ句、本件を引き起こしたものであって、本件は極めて自己中心的で身勝手な犯行であるといえる。

四  殺害の態様をみると、被告人は被害者が絶命するまでその頸部を強く絞め続けたものであって、強固な確定的殺意に基づく冷酷で残忍な犯行であることは明らかであり、その後の死体損壊・遺棄の犯行についてみても、犯跡を隠蔽するため、遺体を処分しようとしたものの、自動車を持っていなかったため、自転車で運べるよう頭部や両手足を切断した上、胴体の肉を削ぎ、内蔵を取り出して切り刻むなどして遺体を損壊し、これらをビニール袋に小分けして入れ、自転車で前後数回にわたって河川敷に運び、袋から取り出して川に投げ入れて遺棄したというのであり、被告人の供述する犯行状況は極めて凄惨で、戦慄すら覚えるものであり、悪逆非道というべく、そこには死者に対する畏敬の念は微塵も感じられないといわなければならない。

五  被告人は、犯行後、被害者の兄及び友人から被害者の行方を尋ねられた際、タクシー代として二万円渡して別れたのでその後のことは分からないなどと言い、また、Cに対し、被害者から電話があったら、小遣いが少なくてごめんねと言っておいてくれなどと、被害者がさも生きているかのような話をしたり、「□□」の従業員に対し、自分は関係ない、自分は金を貸しただけで、こっちが被害者だなどと事件と無関係であることを装うなど、犯跡隠蔽のために様々な虚言を弄しており、公判開始後においても、前記のとおり、突如供述を変遷させ、あたかも本件が自己の身を守るためのやむを得ない行為であったかの如き不合理な弁解を言い募り、自己の刑責を軽減することに汲々とするばかりで、本件について真に反省しているのかどうか誠に疑わしい言動をしており、犯行後の被告人の情状も全く芳しくない。

六  被害者は、当時、結婚も考えていた交際相手を有する未だ二一歳の若い女性であり、前記のような些細な原因から、突然、被告人の手にかかり、結婚して幸せな家庭を築くなどの夢を実現することなく命を奪われてしまったばかりでなく、無惨にも遺体をばらばらにされて川に投棄されたものであって、かかる被害者の無念さは筆舌に尽くし難いものがある。また、妻と離婚した後、男手一つで、周囲から働き者で存在感の大きな娘と評されるようになるまで被害者を育ててきた父親の怒り、悲しみは極めて深く、家業を手伝い、一生懸命働いてくれる気持ちの優しいとてもよい子だった、できることならこの手で被告人を殺してやりたいなどと供述する中に、愛娘の命をこのような形で奪われてしまった肉親のやりきれない気持ちをくみ取ることができる。また、共にアパート生活を送り、被害者が姿を消した後必死にその行方を捜した被害者の兄もまた被告人に対する極刑を望んでいるほか、被害者の交際相手やその友人らも一様に被告人に対する厳罰を望んでいる状況にある。しかしながら、現在に至るまで、被告人及びその家族から被害者の遺族に対する実質的な慰謝の措置は何らとられていない。

七  以上の事情を総合すると、被告人を死刑に処すべきであるとの検察官の意見も、十分傾聴に値するといわなければならない。

しかしながら、死刑は究極の刑罰であって、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に初めて死刑の選択が許されるものであるところ、本件は、被害者一名に対する殺人と死体損壊・遺棄の事案であり、犯行が、強盗殺人罪等により無期懲役に処せられ、その仮出獄期間中に犯された点を考慮しても、これまでに死刑が選択された案件と比較すると、一義的に死刑を選択すべきことが明白である事案とまではいい難い面があり、一から六までに列挙した本件に関する悪しき情状事実の中に、被告人にとって有利に斟酌すべき部分が全くないのかどうかについて、十分慎重に吟味をする必要がある。そこで、検討すると、

1  仮出獄後の被告人の生活態度は、先にみたとおりのものであり、検察官はこの点をとらえて、被告人には前科である強盗殺人の犯行についての真摯な自覚と反省がないと糾弾するが、被告人が社会生活になじめず、自立して生計を営むことがおよそ不可能というほかないような日常生活を送っていたことについては、被告人が生い立ちに恵まれず、家庭において愛情に基づく基本的なしつけを受けることがないままに幼少期のかなりの期間を施設で過ごした点や、成人して後もその大半を刑務所で過ごしてきたことなどを考慮すると、ある程度やむを得ない面があり、その責任を挙げて被告人の自覚と反省の欠如に帰せしめることはできないように思われる。実際、この間、被告人は全く無為徒食の生活を送っていたというわけではなく、平成一〇年四月中旬から同年九月中旬まではゴム製品のプレス加工会社で働き、そこを辞めさせられた後も、同年一〇月初めから本件で逮捕されるまでは食品包装会社での夜勤の仕事を続けており、そこでの仕事ぶりも評価されるものであって、被告人にはなお社会人としてまじめに生きていこうとする意欲も窮われるのである。

2  検察官は、また、本件各犯行は被告人の自堕落で享楽的な生活状況と密接不可分に結びついた犯行であり、いわば自ら招いた事態であって、責任はすべて被告人にあるとして被告人を厳しく非難する。本件が発生した原因を考察する際、果たして被害者が執拗に金を出すよう被告人に迫ったのかどうかについては、被告人の供述を全面的に信用することに一抹の疑問がないわけでもないが、被害者の兄甲野一郎の供述によると、被害者は、当日、昼ころ電話で話をした後、「おじちゃんとおばちゃんの所に行ってお年玉をもらってくる。もうそろそろお金を貯めて家を出る。彼氏と早く一緒に住みたい。金を貯めて部屋を借りたり、車の免許も欲しい。」などと話していたというのであり、被告人の供述に出てくる被害者の話とほぼ一致していることにかんがみると、右の点に関する被告人の供述は基本的に信用してよいと考えられる。そうすると、証拠上、本件殺人の犯行は、右の事態に引き続く被害者の予想外の言動に誘発された偶発的犯行といわざるを得ないのであって、全証拠を精査しても、被告人が強盗や強姦など何らかの犯罪的意図に基づいて被害者を自宅に誘い入れたことや、殺害を事前に計画していたことなどを窮わせる証拠は全く見いだすことはできないというほかない。

3  検察官は、被告人の性格、行動傾向などについて、冷酷残忍な危険人物であり、反社会的な性格と改善更生し難い犯罪性向の発現は著しく、被告人には人間性のかけらも見られないと非難する。確かに、本件各犯行中、ことに死体損壊・遺棄の犯行については、検察官の指摘がよく当てはまるともいえるが、しかし、他方、被告人は、殺人が発覚することにより、仮出獄が取り消されることを恐れ、遺体の処分に困り果てた結果右犯行を犯したというのであり、いわば追いつめられた心理状態の中で犯したという側面を否定することはできないのであって、右犯行を犯したことから直ちに被告人が冷酷残忍で人間性を欠くと断ずるのは相当でない。

ところで、被告人の精神鑑定を担当した医師福島章は、鑑定書の中で、被告人について、「意思欠如を中核とし、これに顕示性や爆発性が二次的に加わった異常性格者であり、自己に無関心であったり、自己の存在を尊重しない相手に対しては心を閉ざして無関心を装い、強く甘え欲求を抑圧しているが、自己に親切にしてくれたり共感してくれたりすると感じられる相手には急激な心理的退行(感情転移)を起こして激しい依存性や親和欲求を抱き、それが満たされないとみると、極端に強い攻撃性を爆発させる暴力性を備えた窃盗累犯者によく見られるタイプの人間である。」と説明した上で、「被告人には、典型的な凶悪犯・重大犯罪の累犯者などに多い情性欠如の兆候は余り認められず、治療者と治療環境に恵まれれば、招来は性格の矯正も不可能ではない。」としているのであり、当公判廷においても、「攻撃性のエネルギーが生物学的の低下するということと、人格が次第に成熟してくるということで、爆発性というのは年を取れば取るほど弱くなると考えられる。被告人の場合も、これから何年間か、理解のある治療者に恵まれ、そのカウンセリングなどを通して人格の成熟を遂げることができれば、同じような状況にまたなっても、殺すまでのことはしないだろうという予測はできる。」旨証言しているのであって、被告人の犯罪性向が、検察官が指摘するほどに議論の余地なく改善不可能なほどにまで進んでいるものと断じるのは、当を得ない(なお、検察官は、論告中において、本件各犯行の性格について、嗜虐的、猟奇的側面を指摘するが、証拠上被告人がそのような意図からこれらの犯行に及んだことを窺わせるものはないといわざるを得ない。)。

4  さらに、検察官は、被告人には本件に対する一片の反省悔悟の情も認められないと断定するが、捜査段階の供述調書によると、被告人は、「被害者がぐったりするのを見て、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんだが、起こってしまったことはどうしようもなく、やむを得ず遺体を解体することになったものの、作業途中、何でこんなことをしなければならない羽目になったのか、自分の人生は何だったんだという考えが頭を巡り、その後の一〇日間くらいは満足に食事も摂れず、馬鹿なことをしたと自分を責めたことで顔がげっそりやせた」旨供述しており、この点は関係人の供述や被告人の精神分析の結果によってもある程度裏付けられているのであって、そこに、本件を後悔する被告人の人間的な一面を垣間見ることも不可能ではないし、また、被告人は、当公判廷においても、被害者を殺害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、本件について何らの反省の態度も示していないわけではないといえる。

八  右七に記載した観点を踏まえ、改めて被告人に科すべき刑の内容について検討してみると、本件は誠に悪質重大な事案であって、被告人の刑事責任は極めて重いということができるが、いまだ極刑を選択することが真にやむを得ない事案とまではいうことができないので、被告人に対しては無期懲役刑をもって臨むのが相当であると判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 若原正樹 裁判官 大澤廣 裁判官 田中邦治)

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