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さいたま地方裁判所 平成11年(ワ)1908号 判決 2002年3月22日

主文

1  被告は原告に対し,1億4351万8000円及びこれに対する平成11年4月1日から支払済みに至るまで年6分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

主文1項と同旨

第2事案の概要

本件は,原告が被告に対し,Aの死亡にともない,積立普通傷害保険契約に基づき保険金を請求したのに対し,被告が,Aは自殺した可能性が高く,「急激かつ偶然な外来の事故」により死亡したものとの証明がないとして,保険金の支払を拒んでいるという事案である。

1  当事者間に争いがない事実及び証拠により容易に認定できる事実(以下「争いのない事実等」という。)

(1)  被告は,損害保険事業を目的とする会社である。本件の被告は当初住友火災海上保険株式会社(以下「住友火災海上」という。)であったが,同社は平成13年10月1日に三井火災海上保険株式会社に合併され,本件訴訟は被告に承継された。

(2)  積立普通傷害保険契約の締結

ア Aは,平成7年3月29日,住友火災海上との間で次の内容の積立普通傷害保険契約を締結した(甲1)。

① 保険期間  平成7年3月29日から平成12年3月29日午後4時まで5年間

② 証券番号  0628114101

③ 被保険者  A

④ 死亡保険金受取人  原告

⑤ 満期返戻金  50万円

⑥ 保険料(1回分)  1万9520円

⑦ 保険料払込方法  団体扱払

⑧ 保険金額  死亡・後遺障害  1億円

入院保険金日額  1万円

通院保険金日額  5000円

イ 原告は,平成10年2月27日,住友火災海上との間で次の内容の積立普通傷害保険契約を締結した(甲2)。

① 保険期間  平成10年2月28日から平成15年2月28日午後4時まで5年間

② 証券番号  4647423228

③ 被保険者  A

④ 死亡保険金受取人  原告

⑤ 満期返戻金  1061万2070円

⑥ 保険料(1回分)  1000万円

⑦ 保険料払込方法  一時払

⑧ 保険金額  死亡・後遺障害  4351万8000円

入院保険金日額  1万2000円

通院保険金日額  6000円

ウ 上記各積立普通傷害保険の普通保険契約約款第1条では,「当会社は,保険証券記載の被保険者(以下「被保険者」と言います。)が急激かつ偶然な外来の事故(以下「事故」と言います。)によってその身体に被った傷害に対して,この約款に従い保険金(略)を支払います。」と規定されている。

(3)  Aは,原告会社の代表取締役の妻の弟であり,原告会社の取締役技術部長であった。Aは,平成10年12月22日(火),原告会社本社内で勤務していたが,午後5時ころ,本社社屋の塔屋部分の屋上に登り,午後5時10分ころ,同場所から転落した。

(4)  Aは,同日午後5時10分ころ,本社社屋通用口付近で,Bにより身体の左側を下にして寝ているような格好で発見された。転落の際の目撃者はいない。同建物は3階建で,屋上に塔屋が設けられており,発見当時,2階,3階及び塔屋の窓はすべて閉じられていた。また,屋上は誰でも自由に立ち入ることができる状態であった。塔屋部分の屋上から地面までの距離は14.43メートルである。

(5)  Aが落下した当時の気象状況は,熊谷市において気温9.9度,風速2.2メートルで,快晴又は晴れであり(乙8),日没時間は富士見市において午後4時33分であった(乙9)。

(6)  Aは,脳挫傷・頭蓋骨骨折・多発肋骨骨折等の傷害により,埼玉医科大学総合医療センターにおいて,同日午後6時13分死亡した。

2  争点

本件訴訟における主な争点は,①Aの死亡原因が「急激かつ偶然な外来の事故」といえるのか否か,具体的には,自殺による死亡なのか事故死なのか,②原告は保険金請求の手続きを完了したといえるのか否かの2点であるが,これらの点についての原・被告の主張の要旨は,次のとおりである。

(原告の主張)

(1) 「急激かつ偶然な外来の事故」の要件の立証について

保険金請求の要件である「急激かつ偶然な外来の事故」の立証としては,常識的概念としての事故死といえる程度の立証がされれば十分であり,①事故の発生,②当該事故の急激性,③偶然性,④外来性の各要素をそれぞれ個別に主張立証すべきものではない。

そして,本件でいえば,Aの死亡は,自殺か事故死しか考えられないのであるから,自殺の可能性がないか,非常に薄いことが立証されるならば,すなわち事故死であるか,その可能性が高いことになり,「急激かつ偶然な外来の事故」であるとの立証がなされたといえる。よって,本件の争点は,Aの死が自殺なのか否かということに尽きることになる。

(2) 自殺か否かについて

Aには,死亡直前,自殺をするような兆候は全くなかった。また,自殺をする者には,通常,その動機となるような背景事情等があるものであるが,Aには,精神科への通院歴があるほかは,そのような事情も一切ない。

この点についても,通院していたのは,Aが死亡した時から約5年7か月も前のことであり,その治療の際も含め,急性錯乱,非定型精神病又はうつ病と診断されたことは一度もない。死亡した際にも,かかる精神疾患に罹患していたことをうかがわせる事情は一切ない。

このようなことからすれば,精神科への通院歴も,Aの死が自殺によるものであることを示す事情とはなりえず,よって,Aは,事故により死亡したものと判断するほかない。

(3) 塔屋に登る必要性について

平成10年11月ころ,NTT関連のPHSアンテナを原告本社社屋屋上に設置したいとの申込みがアンテナ設置業者よりあり,原告代表者は,PHSアンテナとテレビアンテナが影響し合わないか,また,もともと防水が不完全であった屋上の漏水が一層悪化することがないかなどを心配していた。そのような原告代表者の心配を汲んで,明確な指示等がなくても,原告会社において代表取締役に次ぐ地位にあったAが屋上を下見しようとすることは当然考えられることであり,Aには塔屋に登る必要性があったものといえる。

なお,夕方,それも暗くなってから塔屋に登った点については,翌23日が休日で,Aは24日から秋田への出張の予定であったこと,近いうちにPHSアンテナ設置工事が行われるものと原告代表者らは思っていたこと,暗くなっていたとはいえ,一応の下見をする程度は可能な明るさであったことなどから,不自然であるとはいえない。

(4) 保険金請求手続について

原告は,被告の担当者から,生命保険金支払手続において提出した書類のうち流用できるものについては再度同じ書類を提出する必要がない旨の説明を受け,その説明に従い書類を提出したものであり,保険金請求手続はなされているものというべきである。書類不備については本件訴訟に至るまで,原・被告間で一度も話題になったことはない。

(被告の主張)

(1) 「急激かつ偶然な外来の事故」による死亡であることの立証責任は,保険金請求者の側にあり,被保険者の死亡が偶然の事故によるものであることを原告において立証する必要がある。

(2) そして,以下の事情からすれば,Aは自殺した疑いがあり,「急激かつ偶然な外来の事故」によるものとはいえず,原告の請求は棄却されるべきである。

ア Aの精神疾患について

Aは,元来真面目で責任感の強い穏やかな性格の持ち主であったが,平成元年ころから海外出張が多くなり,これを含む過密スケジュールをこなしているうちに過労が原因で不眠に陥り,平成5年にはついに精神錯乱状態となり精神病院に入院するまでの事態となった。

その後1年間,精神病院において精神療法を受け一旦は回復したが,その後,平成7年から平成10年7月まで,再び月平均で10日以上を海外出張に費やすという過密スケジュールが継続した。

平成8年には「不眠」を訴えて再び病院を訪れるなどしており,その後も過密スケジュールが継続していたことから,Aの体調は徐々に悪化していったものと認められる。

上記経過ののち,Aは,ついに急性精神錯乱に陥り,平成10年12月22日,原告本社社屋の屋上へ行き,塔屋によじ登って自殺してしまったものと考えられる。

イ 落下の態様について

Cの意見書(乙7)によれば,Aが落下した際の態様としては,塔屋上のテレビアンテナがあるのとは異なる場所にある仕切の上に外側に向かって立ち,あたかも路上で水溜まりを飛び越えるかのように,左足を先に,遅れて右足で足場を蹴るように外に向かって飛び出し,ほぼ垂直に直立姿勢を保ったまま,身体の前面を外に,背面を建物に向けた状態で足から先に地面に落下した可能性が最も高いといえる。

かかる態様の場合,過失によるものとは考えにくく,故意による飛び降りであると判断されるべきであり,前記アを裏付けるものといえる。

ウ 塔屋に登る必要性がないことについて

(ア) 塔屋に登った理由についての原告の主張は変遷がみられるうえ,PHS用アンテナのテレビアンテナへの影響,アンカーボルトによる漏水の発生について,PHSアンテナ設置業者等に対し,一切質問をしておらず,本当にこのような点を原告代表者が心配していたのか疑問である。

更に,秋田への出張は25日から28日の予定だったこと,この出張も,Aの「たっての希望」で突然参加することになったもので,それほど綿密な打ち合わせをする必要もなかったと思われ,昼間に屋上へ上がることも十分可能であったといえることなどから,夕方暗くなってから,しかもかなり寒い時間帯に,わざわざ塔屋に登り現場を確認する必要性も認められない。

(イ) これらのことから,原告が主張するAが塔屋に登る必要性は,いずれも根拠がなく,Aが自殺以外の目的で現場に登る必要性を窺わせる事情は皆無である。

(3) 保険金請求手続について

原告からは必要書類のうち死亡診断書が提出されているのみであり,書類不備により保険金請求手続はなされていないものといえる。原告に対し必要書類を指示したと原告が主張する被告担当者は,生命保険の支払担当者であり,本件傷害保険契約の担当者は,別の機会に原告に対し補充すべき書類を説明しているし,少なくとも法定相続人全員の委任状が必要である旨原告代表者に説明している。

第3争点に対する判断

1  被保険者の死亡原因が「急激かつ偶然な外来の事故」によるものであることの主張立証責任は保険金請求者の側にあるというべきであるが,本件では,Aの死亡原因が自殺か否かという点が争われているので,まず,この点について検討する。

(1)  Aの精神疾患について

ア 証拠(甲4,乙10~14,18,21,41~43,証人D,同E,原告代表者)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(ア) Aの精神錯乱等の病歴について

a Aは,平成5年4月23日,一旦は原告会社へ出勤したものの,昼ころには帰宅し,自宅で唐突に「バカ」「反省」「点と線」等,意味不明の発言を繰り返すなど,精神錯乱状態に陥った。

当時,Aは,海外出張などで忙しい生活が続いており,食事もとれず夜も眠れない状態であった。

Aの妻は,対応に困り,原告会社の代表者であるFを自宅に呼んだ。

Aの自宅に駆けつけたFがAに声をかけるなどしたが,同人は返答することもなく,一人でぽつんと部屋の隅にたたずんでいるなど,異常な状態が続いた。

Aの妻とFは,病院に入院させる必要があると判断し,救急車を呼んだが,救急隊員が到着してAに近づこうとすると,Aは興奮状態となって暴れだし,手に負えない状態となった。

そのため,警察官を呼ぶことにし,Aは現場に駆けつけた警官2名により取り押さえられ,警察署の保護房に入れられた。

b 翌日である同月24日,Aは,警察署から川越市内にある西川病院へ連れて行かれた。

同病院で,Aは,精神分裂病の疑いがあると診断され,急性錯乱状態を理由に医療保護入院となった。

Aは,この時,いまだ意識障害が続いていた。

c 同月25日になると,Aは,だいぶ落ち着きを取り戻し,意識障害も軽快しつつあった。

d 同月26日,Aは,西川病院の院長にていねいに挨拶するなど,その精神状態は正常に回復し,同日,栗原病院に転院したが,同月30日までに軽快し退院した。

e Aは,栗原病院を退院した後,支障なく日常生活を送っていたが,同年5月中旬に姫路に出張した際,再び精神に変調をきたし,同月18日から20日の間,不眠状態となり,話がくどく同じ事を何度も周りの人に聞くなど異常な言動をとるようになった。これに気が付いた同行の原告会社の社員が原告本社に連絡をし,Aは,出張先から急遽連れ戻されることとなった。

そして,同月21日には,再び栗原病院に入院し,同月26日に退院した。

f その後,Aは,平成6年3月9日まで西川病院へ通院を続けていたが,「先週は大阪に出張」(平成5年9月15日),「体調いい」「仕事も順調」(同月30日),「仕事も普通にしている」「忙しいのは楽しみ」(同年10月27日),「調子はいいけど風邪を引いてしまった」「出張も苦にならない」(同年11月11日)などの記載がカルテにあるなど,同人の精神状態は正常な状態に戻った。

(イ) その後の通院について

Aは,その後,平成7年4月4日には,三浦病院で「急性気管支炎,腰痛症,脱水症」との診断を受けたほか,平成8年4月19日,栗原病院で「腰痛,脳血管障害の疑い,不眠症,副鼻腔炎」,同年6月19日,尾谷耳鼻咽喉科医院で「中耳カタル,慢性副鼻腔炎」,同年11月5日,篠田中央病院で「左下腿部蜂窩織炎,右側背部膿瘍」との各診断を受けた。

(ウ) Aのうつ状態について

Aは,平成5年8月ころ,うつ状態にあったが,医師の問いに対して,「死にたくなることはない」と答えるなど,軽度なものであった(同月11日付西川病院カルテ)。

(エ) 仕事の状況について

Aは,原告会社において,技術部門における最高責任者であり,以下のとおり海外出張が多かった。

海外出張の日数

平成7年       71日

平成8年      131日

平成9年      133日

平成10年      96日

ただし,平成10年6月21日から7月4日までの海外出張の後は,Aが死亡するまでの間の海外出張は2回のみであり,従来と比較して,その頻度はかなり低くなっている。

(オ) Aの死亡直前の様子について

Aが死亡した平成10年12月22日,同人は,ほぼいつもどおりの時間に原告会社に出勤し,その後,秋田出張の打ち合わせ等をして過ごしていた。胃の調子が多少悪くトイレへ長く行くことがあったが,病的なものではなく,それ以外,特段変わった様子もなく,普段通りに勤務していた。

同日午後5時前ころ,Aは,原告会社を訪れていた株式会社ティ・ケーの代表取締役であるGと挨拶を交わした。その際,AはGに対し,Gの会社が多くの仕事を受注した事について,「良かったな。」などと多少の会話をした。Aの様子には,この時も特段変わったところはなく,普段どおりであった。

イ 前記認定事実を総合すると,死亡直前のAの精神状態には,特に異常な点はなく,精神錯乱等の既往症が再発したこともなかったものと認められる。

なお,この点,H作成の意見書(乙15)は,Aには,急性錯乱及びうつ病の既往があり,これらは再発症の可能性があり,今回の事故も,この再発症の結果としての自殺の可能性が高いものとしている。

しかしながら,同意見書は,①平成5年当時,Aが精神錯乱に陥った際には,それ以前に,不眠,食欲減退等の兆候や,原告会社に出勤したにもかかわらず,すぐに帰宅してしまうなどの異常行動が見られたほか,姫路出張の際にも,同様に同行の社員が気づくような兆候及び異常行動が見られているのに対し,Aが死亡する以前には,これらに類する兆候及び異常行動が全く見られないこと,②死亡の約15分程度前にAと会ったGは,Aと通常の挨拶を交わし会話もしており,その時点に至っても何ら精神状態に異常が見られないこと,③そうだとすれば,Aは,その後数分のうちに,急激に精神錯乱状態に陥ったものと考えざるをえないが,そのように考えることは,あまりに不自然であるといえること,④Aは,平成5年当時は,海外出張等が多く忙しかったことが認められるが,死亡した平成10年の後半においては,海外出張が従来と比較して大幅に減少し,過労状態にあったとまでは認められないこと,⑤Aはうつ病と診断されたことはなく,単にうつ状態と言われただけであり,しかもその際にも,「死にたくなることはない」と述べているなどからすると,うつ状態ないしはうつ病が自殺につながったとはいえないこと,⑥Aが精神錯乱に陥った時から死亡するまで,5年以上の年月が経っており,その間,重大な精神疾患に罹患することもなく過ごしていることなど,数々の疑問点があるにもかかわらず,これらの点に対する判断を示さず,再発症の根拠として,一般論として精神錯乱が再発症しやすいことを挙げるのみであり,説得力に欠けるものといわざるをえない。

ウ 以上により,Aの精神疾患は,同人の死亡に何らかかわっていないものといえ,同人が自殺したとする根拠とはならないものというべきである。

(2)  落下の態様について

ア 証拠(甲7,乙3~6)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(ア) Aの死体には,右大腿骨頚部骨折,骨盤骨折(右臼蓋骨折・左腸骨骨折・左恥骨骨折),左膝蓋部骨折,両膝蓋部擦過傷等の多数の損傷が形成されていた。

(イ) Aが倒れていた状態等

Aが落下したと思われる塔屋付近の壁面は,西側は塔屋部分と同一壁面が1階まで続き,その南側に奥に引っ込んだ形で通用口があり,その部分の地面は,他の部分より多少高くなっている。また,Aが倒れていた付近の上部には,本社社屋と直角に接合する形で建っている工場建物のひさしがあり,Aの足があった部分のちょうど上あたりが,同ひさしの先端付近となっている。同ひさしと本社社屋の間には,約40センチメートルの隙間がある。

Aの頭部は,通用口付近で,前記西側の壁面に接するか,多少奥に引っ込んだあたりに位置していた。血痕も,奥に引っ込んだ付近にまで到達していた。Aの足部は,工場側にあり,本社社屋の壁面より40センチメートル程度離れていた。

イ 被告は,C作成の意見書(乙7)に基づき,Aの落下態様について,以下のとおりであると主張し,意図的に落下したと判断せざるをえないとする。

(ア) 本社社屋塔屋部分には,高さ25センチメートル,幅13.5センチメートルの仕切があり,Aは,その上に外に向かって立ち,あたかも路上の水たまりを飛び越えるかのように,左足を先に,遅れて右足で足場を蹴るように外に向かって飛び出した。

(イ) ほぼ垂直に直立姿勢を保ったまま,身体の前面を外に,背面を本社社屋に向けた状態で足から先に地面に落下していった。

(ウ) 本社社屋の壁面から約70センチメートル離れた地点に右足から着地,右大腿骨頚部骨折を生じ,一瞬遅れてわずかに左前方に出ていた左足が着地したため,身体は左側方に横転した。そのとき左上肢で上半身を支えたために,身体はやや左後方へ横転した。

(エ) それ以外の態様で落下すれば,Aの身体の損傷は全く違ったものとなる。したがって,かかる態様で落下した蓋然性が最も高いといえる。

ウ しかしながら,人が落下する場合には,その過程において,身体を動かすことも当然考えられるところであるが,同意見書は,単純に,落下当初の姿勢を維持したまま自然落下したことを前提とするものであり,明らかに検討が不十分であるといえる。また,Aが落下していた地点の上部には前記のとおり工場建物のひさしがあり,これにAが接触する可能性もあり,その場合には,落下の態様が大幅に変化することも考えられるが,これに対する検討もなされていない。更に,路上の水たまりを飛び越えるかのように飛び出したのであれば,Aの身体は本社社屋よりもかなり離れた場所に落下すると思われるが,Aの身体は本社社屋に極めて接近した位置で発見されており,このことは飛び出していないことをうかがわせるものである。

これらの点からすると,同意見書は,あくまでAの落下態様の一例を示したものにとどまり,かかる態様で落下したものと断定することはできないものというべきである。

エ そうだとすれば,Aの落下態様としては様々なものが考えられ,身体の損傷ないし発見時の状況等から,Aが自殺したものと認定することはできないものといえる。

(3)  塔屋に登る必要性について

ア 被告は,原告の主張するAが塔屋へ登る必要性は,いずれも理由がないものであり,Aが塔屋へ登ったのは自殺するためであったと主張する。

イ Fは,Aに対しPHSアンテナの設置場所を確認してくるよう直接指示したと供述しているところ,仮に明確に指示したとまでは認められなかったとしても,原告会社は比較的小規模な会社であり,取締役であったAは原告の社屋屋上にPHSアンテナが設置されることを知っていたものと認められ,元来,何でも自分でやってしまおうとするAの性格(証人D,同E,原告代表者)からすると,Fの意を酌み,自発的に塔屋に登って,近々設置工事が行われると予想される場所を下見してみようとすることもありえないことではないこと,Aが死亡した日の翌日が休日で,翌々日からは秋田県へ行かねばならない予定であったため,年内に設置場所を下見するには,本件当日に下見するのが適当であったと考えられることなどからすると,PHSアンテナの設置場所を下見するために塔屋へ登ったとすることも十分ありうるところである。

ウ 更に,①Aが落下したのは午後5時ころで,まだ原告の社員が多数本社社屋内にいる時間帯である上,②落下した場所は,比較的人通りがあるところで人目に付きやすい場所であること,③本社社屋は3階建てであり,塔屋まで登らなくとも屋上から飛び降りれば自殺することは十分可能であって,自殺する目的であったのであれば,わざわざ塔屋まで登る必要もなかったものといえることなどを併せて考えると,前記(2)の事情が認められるとしても,Aが塔屋に登った目的が直ちに自殺のためであると認定することはできない。

(4)  以上の事情を総合すると,Aのかつての精神疾患が自殺に結びついたものとはいえず,落下態様等からも自殺を推認することはできず,更に,塔屋へ登る必要性はみあたらないのでAが塔屋へ登ったのは自殺のためであるとまで認定することもできないから,結局,Aが自殺したものと認定するに足りる事情はないものといえる。

(5)  一方で,Aは,原告会社内の技術部門の最高責任者であり,これまでに無数の海外出張をこなすなど極めて重要な地位を占めており,一時期,過労のため精神状態に支障をきたしたこともあったものの,そのような場合を除けば,西川病院における平成6年10月27日付のカルテの記載(「忙しいのは楽しみ」)からも分かるように,むしろ仕事にやりがいを感じ,充実した生活を送っていたものと認められる。自殺するような動機は一切明らかとなっていない。

更に,Aは,死亡前に家を新築している(原告代表者)など,自殺と矛盾する行動もとっている。

これらの事情及び前記認定の各事実を総合すれば,Aは自殺したものではないと認めることができ,そうだとすると,Aは,不慮の事故により死亡したものといえるから,保険金請求の要件である「急激かつ偶然な外来の事故」により死亡したものということができる。

2  保険金請求手続について

乙42及び弁論の全趣旨によれば,被告は,本件訴訟以前に原告に対し,書類不備等の問題を伝えたことはなく,原告は,被告のいうとおりに手続を進めたものと認められる。

仮に,この手続に不備な点があったとしても,本件訴えの提起及び訴状の送達により,かかる手続面の瑕疵は治癒されたものというべきであり,少なくとも訴状送達の翌日から被告は遅滞に陥っているものというべきである。

3  よって,原告の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し,主文のとおり判決する。

(裁判官 木本洋子 裁判官 中野哲美)

裁判長裁判官草野芳郎は転補につき署名押印することができない。裁判官 木本洋子

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