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さいたま地方裁判所 平成12年(わ)1406号 判決 2001年7月04日

主文

被告人を懲役12年に処する。

未決勾留日数中180日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,平成9年9月ころ,夫の勤務先の社宅のさいたま市ab番地c所在のd荘e号に入居し,上階の同荘f号居住のAと親しくなり,同家と家族ぐるみの付き合いをしていたところ,同年末ころから,同女の立てる生活音などを気にし出し,同女に不満を覚えるようになり,平成10年ころから同11年ころにかけて,同女から,夫婦で海外旅行に行くとか,様々な物品を購入するといった話を聞かされ,また,夫から,A家の貯蓄額を聞くに及び,経済的に余裕のあるA家,とりわけ同女を妬ましく思うようになった。被告人は以前から娘が欲しかったものの,経済的事情や持病等のため,その出産を諦めていたのに,平成12年2月に同女が長女Bを出産したことなどから,ますますAに対する妬みや不満などを募らせていった。

被告人は,平成12年8月19日,Aがミルクなどを作るため,Bを被告人に任せて同児の傍から離れた際,同女に対する妬みや不満などを解消するため,同女の分身の同児につねるなどの暴行を加えるうち,その程度では満足できなくなり,B(当時6月)が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,同日午前11時15分過ぎころ,前記A方において,その頭部をサッシ窓のアルミ枠に強く打ち付け,さらに,同日午後3時30分ころ,被告人方において,同児を約170センチメートルの高さから床面に放り投げ,よって,同児に硬膜下血腫を含む重症頭部外傷の傷害を負わせ,これにより同児を脳死状態に陥らせて,平成13年1月8日午前7時47分ころ,同市ag番地C病院において,死亡するに至らせたものである。

(補足説明)

弁護人は,被告人は被害児の頭部をサッシ窓のアルミ枠に強く打ち付けたことはなく,泣き止まない被害児を「高い高い」をして2,3回ぐるぐる回りをしたところ,目まいがして約170センチメートルの高さの所から子供用マットレスの上に左肩越しに放り投げたに過ぎず,被告人に被害児の死の結果を招来するかもしれないことの予見があったことを認めるに足りる証拠はなく,被告人に殺意はなかった旨主張し,被告人も当公判廷で弁護人の主張に沿う供述をしているので,以下,検討する。

1  被告人の供述等関係各証拠によれば,本件犯行前後の経緯及び犯行状況等について,以下の各事実が認められる。

(1)  被告人は,平成12年8月19日午前10時30分ころ,Aに貸していたベビーベッドを取りに,さいたま市ab番地c所在のd荘f号A方を訪れていたところ,被害児であるBがぐずり出したため,同日午前11時15分ころ,Aが被告人に被害児の世話を任せてミルクと離乳食を作りに台所に行った隙に,A方6.5畳間において,同児の右腕を引っ掻き,両太股を数回つねったが,その結果,右腕に引っ掻き傷,両太股に爪痕とあざが残った。

(2)  被告人は,被告人の次男が,6.5畳間とベランダを出たり入ったりしていたので,これに注意を与えていたが,同室サッシ窓のアルミ枠に被害児の左側頭部付近を打ち付けた(その強度については争いがある。)。

(3)  被告人は,台所にいたAからミルクをもらい,同女がまだ離乳食を作っていたことから,被害児にミルクを飲ませようとしたが,同児がミルクを飲まなかったことから,ほ乳瓶を同児の口の中に強く押し込み,その結果,同児は口の中に傷を負った。

(4)  離乳食を作り終えたAが,被害児の右腕に引っ掻き傷,両太股に爪痕やあざがあることに気付いたため,被告人に対し,同児の傷が同児自身が引っ掻いたために生じた傷であるかどうか尋ねたが,被告人は,そうではないかと相槌を打つのみであった。

(5)  同日午後2時ころ,被告人の誘いに応じて,Aが前記d荘e号被告人方の子供用プールに被害児を入れるため,同児と共に被告人方を訪れたが,同日午後3時15分過ぎころ,同女が同児を被告人方6.5畳間に寝かせたまま,ミルクを作りに自宅に戻っていった後,同児がぐずり始めたことから,被告人は,同児を高い高いするなどしてあやしていた後,同児を抱いたまま一緒に回転していた際,そのまま約170センチメートルの高さから,同児を床面に敷いてある厚さ約4センチメートルのマットレスに向けて放り投げた(その理由については争いがある。)。

(6)  被告人は,放り投げられた後に被害児が眠ったようになって反応しなくなり,その容体に異常があったことに気付きながら,Aにそのことを全く知らせようともせず,その後も,被告人方にいた同女に被告人の次男を任せ,被告人の長男と共に買い物に出掛けるなどしていた。8月22日に漸く,被告人が同児を誤って落としたとその両親に告白した。

2  被告人は捜査段階において,「被害児の足をつねる程度では,むしゃくしゃが収まらず,強く打ちつけた場合には,死んでしまうかもしれないことは判っていたが,同児の額に自分の額をあてがい,サッシ窓のアルミ枠に同児の左側頭部付近を一度ゴンという感じで打ち付けた。相当力を入れてやった。自分にも衝撃が伝わり,痛いと感じる程であった。同児を高い高いしたり,抱え上げて一緒に回転したりしているうち,170センチメートルの高さから子供用のマットレスの上に,左横に投げるようにして放り投げた。その際もしかしたら死んでしまうかもしれないことは判っていた。」と供述していた。しかるに,当公判廷においては,「『今やるしかないのよ。』という声がしたと思い,同児の頭部をサッシ窓のアルミ枠にそっと当て,自分の額を同児の頭部にあてがい,その状態で1回突いた。手加減をしたので,死ぬとは思わなかった。同児に『高い高い』をして2,3回回ったところ,目まいがして放り投げてしまった。マットレスの上に放り投げたので,死ぬとは思わなかった。」,あるいは,「同児を床面に放り投げたこととめまいとは関係がない。『今やるしかない。』という悪魔の声が聞こえたからだ。危害を加えた理由はない。気まぐれでやった。」などと供述している。

3  このように,被告人の供述は,殺意の有無について,捜査段階と公判段階で大きく変遷している。

そこで,両者の供述の信用性を検討するに,被告人の公判供述は,被告人が被害児に危害を加えた理由について,何ら説明となっていない(被告人の供述からは,Aへの攻撃の代替として同児に傷をつけることを意図していたものと推測しうるが,被告人はこれを明確に否定しているし,後記の攻撃の程度に照らすと,単なる傷を付ける意図とは解しがたい。)。被告人は,今やるしかないという悪魔の声がしたので,同児をつねったり,サッシ窓に打ちつけたり,放り投げたりしたと供述しているが,幻聴体験の認められない被告人については,自己の内心の声と解する以外,単なる責任逃れのための詭弁としかいいようがなく,到底措信できない。次に,被告人の同児への加害行為は,次第にエスカレートしてきており,頭部への攻撃は生命侵害の危険性の高い行為であり,そのような攻撃部位を選択した被告人が,攻撃の程度を手加減したとするのは,はなはだ不自然である。被告人は,被告人の行為により同児が死ぬとは思わなかったと供述しているが,前記のとおり,頭部への攻撃は危険性の高い行為であり,殊に高所から放り投げる行為は死の結果を招来する危険性の高い行為であることは明らかであり,被告人の供述は不合理というほかない。すなわち,同児は当時生後6か月の乳児であり,頭蓋骨が柔らかいことなどから,外圧による脳への衝撃が成人に比して大きく,また,頭部が体幹部に比して重いことから,ある程度の高さから放り投げられた場合,頭部から落ちることは,一般常識ともいえ,上記のような暴行に及べば,重篤な脳障害を生ずるなどして,死の危険を生ずることは明らかである。

現に同児は,被告人の上記暴行により,左後頭部(側頭部の一部を含む。)打撲傷,左側頭部皮下出血,頭蓋内出血,硬膜下出血(血腫を含む。),脳全域にわたる挫傷の傷害を負い,これらの重症頭部外傷により脳腫脹が生じて脳死状態に陥り,死亡するに至ったことが認められ,正に被告人の行為の危険性を如実に示している。また,犯行後の被告人の行動も,同児に傷付けることも企図していなかった者の行動としては,はなはだ不自然である。これらの点からすると,被告人の公判供述は信用できない。

これに対して,被告人の捜査段階の供述は,同児に攻撃を加えるに至った理由,攻撃をエスカレートしていった心境を具体的に供述しており,同児の受傷状況とも合致し,被告人の犯行後の行動とも整合しており,十分に信用できる。

なお,被告人は,公判で,捜査段階の供述調書はその意に反して作成されたと供述しているが,捜査官に本件の理由を聞かれて理由付けの作り話をしたとする一方では,本件は気まぐれでやったと述べるだけで,何ら合理的説明を加えていないのであって,不自然,不合理というほかなく,信用できない。

4  以上,検討の結果,被告人が殺意をもって本件犯行に及んだことは明らかであり,弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は包括して刑法199条に該当するので,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役12年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中180日をその刑に算入することとする。

(量刑の理由)

本件は,同じ社宅に住む一家と家族ぐるみの付き合いをしていたものの,その主婦に妬みや不満などを募らせていた被告人が,これを解消するため,生後6か月の同女の乳児に暴行を加えようと考え,同児が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,その頭部をサッシ窓のアルミ枠に強く打ち付け,さらに,同児を約170センチメートルの高さから床面に放り投げ,よって,同児に硬膜下血腫を含む重症頭部外傷の傷害を負わせて脳死状態に陥らせ,4か月半後に死亡するに至らせたという殺人の事案である。

被告人は被害児の母親に募らせていた妬みや不満のはけ口として,その生育を全面的に両親らに依存している乳児の被害児を選んだものであり,全く抵抗もできない同児に対して攻撃を加えており,はなはだ非道な犯行というほかない。もともと,被告人はこのような妬みや不満を一方的に募らせたものであり,被害児側に落度はなく,強い非難に値する。その態様も,当初は,つねるなどの陰湿な暴行にとどまっていたが,満足できなくなり,隣室に同児の母親がおり,犯行現場には被告人の次男が出入りしていたというのに,同児をサッシ窓のアルミ枠に強く打ち付け,一旦は被告人方に戻ったものの,約4時間後に同児の母親が自宅に戻った隙に,被告人の次男が在室する被告人方で同児を放り投げる凶行に及んでいる。この間,被告人は,自己の感情を抑制する機会も時間的余裕も十分あったのに,逆に長時間攻撃の意思を温存させていたものであり,本件は,発作的な犯行ではない。このように,被告人の子供が身近にいる場所において,いたいけない幼な子に平然と凶行に及んだ姿に慄然とせざるを得ない。加害の程度も,数日後には脳死状態に陥るほど強力なものである。この世に生を受けながら,僅か6か月にして被告人の言われなき仕打を受け,意識不明の状態に陥り,死亡するに至った被害児は哀れというほかはない。遺族らにとって同児は待望の子供であり,大事に養育していたのに,信頼して同児を任せていた被告人に殺害されたもので,遺族らの怒りは大変に大きく,その心情を思いやると,暗澹たる気持とならざるを得ない。本件は,遺族らに拭い難い打撃を与えている。本件は,近隣住民にとどまらず,一般社会に多大な衝撃をもたらしており,その社会的影響も軽視できない。被告人は,一応反省の弁を述べてはいるが,当公判廷では,犯行に至る経緯や犯行について,不自然,不合理な供述をしており,自己保身の態度も窺え,真摯な反省の情は認め難い。

以上によれば,被告人の刑責は極めて重い。

他方,被告人には前科前歴がないこと,これまで真面目に生活してきたこと,幼い2人の子供がいること等被告人のために酌むべき事情もある。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金山薫 裁判官 山口裕之 裁判官 菱山泰男)

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