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さいたま地方裁判所 平成12年(わ)1488号 判決 2002年2月22日

主文

被告人を死刑に処する。

押収してあるサバイバルナイフ2本(平成13年押第45号の1,2)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,中華人民共和国で,父A,母Bの長男として出生し,同国の国籍を有するものであるが,高校卒業後,経営学を勉強するため,日本人と結婚して千葉県に在住している姉のCを頼って平成5年に来日し,2年間日本語学校に通った後,a大学b学部c学科に入学し,平成11年3月,同大学を優秀な成績で卒業し,同年4月,d大学大学院修士課程e研究科に進学して,同大学の学生寮に居住していた。

Vは,中華人民共和国で,父D,母Eの3人兄弟の長男として出生し,f学院で電子工学を専攻し,同大学を卒業後,電子工学関係の研究機関に勤務したが,昭和60年ころ来日し,g大学語学研修センター日本語コースで1年間勉強した後,h大学i専攻研究生となり,更に同大学大学院修士課程を経て博士課程に進み,平成3年,中国人として初めてj株式会社に採用され,部品調達関係の仕事に従事していた。

Wは,中華人民共和国で,父F,母Gの二人姉妹の長女として出生し,妹が幼くして亡くなったため,一人娘として養育され,高校卒業後,k大学l学部に入学して英文医学を専攻し,平成6年,同大学を卒業した後,m大学附属n病院の医師として勤務していた。

VとWは,知人の紹介により,平成7年12月北京市内で婚姻し,結婚当初は,二人の仕事の関係でVは日本で生活し,Wは中国のVの実家で暮らしていたが,平成8年4月ころ,WはVと同居するため勤務先の病院を退職して来日し,Vの勤め先の会社が借り上げていた埼玉県x市内のマンションで二人で暮らすようになった。

来日後,Wは,o大学外国人留学生別科で日本語を学ぶとともに,平成10年1月にはVとの間に長男Xをもうけたが,日本で医学博士号を取得するために,同年9月に長男を中国のWの実家の両親に預けて勉学に励み,平成12年4月,d大学医学部大学院博士課程p研究科に進学して第1年次に在籍し,平日は茨城県y市内のd大学の学生寮で単身生活し,週末は上記x市内のマンションに帰ってVと一緒に過ごす生活を送っていた。

ところで,被告人は,d大学研究協力部留学生課が企画した平成12年(以下,時期について特に断らない限り,平成12年である。)7月5日から7日までの間,2泊3日の日程で留学生を対象する佐渡,新潟方面の見学旅行に他の留学生約40名とともに参加し,旅行の初日の夕食会の席で,同じくこの旅行に参加していたWと初めて言葉を交わしたが,Wと会った被告人は,同女が自分の思い描いていた理想のタイプの女性であったため,知り合ってすぐに同女に対して強い恋愛感情を抱き,Wから夫や子供がいることを聞いていなかったので,同女が独身であると思い込み,大学に戻ったら,Wと恋人同士として交際したいと考えて,同女に対して被告人の寮の住所や部屋の電話番号,携帯電話の番号やメールアドレスなどを教え,同女からもこれらを聞くなどして,大学に帰ってからの交際を楽しみにしていた。被告人は,旅行から帰った翌日の同月8日土曜日と9日日曜日の両日,Wと連絡を取ろうとしたが,学生寮のWの部屋に何度電話をかけても同女が出ず,同女の部屋と研究室に何度も電話をかけ,メールを送るなどしたが返事がなく,同月10日の月曜日になってようやくWと連絡が取れたことから,週末どうしていたのかWに聞くとともに,被告人のWに対する気持ちを伝えて交際を申し込んだところ,Wからは,同女が結婚していて夫と子供がおり,夫がx市内に住んでいるので,毎週末にはx市内の夫の元に帰っていると言われて,友人としての交際を承諾してもらった。被告人は,Wが結婚していて子供がいるという意外な話に驚いたものの,Wに対して抱いた思いは変わることはなく,同女はいつでも離婚できるのだから結婚しているかどうかは大した問題ではないなどと考えていた。この日以来,被告人は,学生寮のWの部屋を訪ねるようになり,一方,Wも被告人の部屋を訪ねるなどして,一緒にテニスをしたり,メールや電話でのやりとりもするようになった。被告人は,Wと交際する中で,同女から,日本に来てからの生活は想像と違って,夫は仕事で帰りが遅く,育児も大変で,他に話をする友達もいなかったので,つらかったことや,週末にxのマンションに帰っても夫は疲れ切っていて,自分も家事などで忙しくて大変だなどと,結婚するまでのいきさつも含めて,結婚後の生活や子供や中国にいる両親のことなども話を聞かされるなどしていた。こうして同女と交際を重ねるにつれて,被告人は,Wに対する思いを日増しに膨らませてゆくとともに,Wの意識も変わり,被告人の,恋人として交際したいという気持ちを同女が受け入れてくれていると思い込むようになり,将来,必ずWと結婚しようという気持ちを強めていった。被告人は,Wは自分と付き合いだしてから,夫に対する愛情を失ってしまっているが,被告人との関係を夫や中国にいる両親らに知られたくないために,週末には何事もないかのように装って夫の住むxのマンションに戻っているのだと思っており,Wの夫は,仕事に追われて家庭を顧みず,自分の妻を大切にしなかったために,妻の愛情を失ったもので,当然の報いだなどと考えていた。被告人は,Wが,毎週末,夫の元に帰るのを寂しく感じていたが,Wに対する思いが深まっていくのにつれて,Wの夫に対する強い怒りの念を覚えるようになっていった。こうして,Wに対する思いを一方的に募らせ,同女と結婚できる日も遠からず来ると考えた被告人は,Wに対して夫との離婚を勧めたことがあったが,これに対して,同女が即答しなかったことから,これも,同女が両親や子供のことを考えてためらっているものと思い込み,同女に対して離婚を迫ったりすることは差し控えたが,被告人としては,Wが夫よりも自分を選んでくれていることは疑いがなく,いずれWは,夫との関係を清算して,被告人の元に来てくれると信じる一方で,Wの夫の存在が疎ましく感じられ,Wの夫さえいなくなれば,Wは何も心配することなく,被告人と幸せになれるなどと,Wの夫であるVが,被告人とWの恋を邪魔していると思い,Vに対して敵意を覚えるようになっていた。

他方,Wは,同女と交際を始めるようになってからの被告人の態度から,被告人が自分に対して友人として以上の好意を抱いて交際を求めてきていることが分かり,夫のVと相談した末,被告人を自宅に招いて,ガールフレンドとして他の適当な女性を紹介することとした。このような意図の下に,Wから,同女の住むxのマンションに招待された被告人は,同女のマンションの住所や電話番号,マンションへの道順などを聞き,8月12日午後,自分の車を運転して同女のマンションを訪ね,Wから夫のVを紹介されるとともに,Wの女友達で日本語学校に通っている中国人のIを紹介され,4人でレストランに出掛けて食事をしたり,卓球やトランプに興じるなどして同日深夜ころまで一緒に過ごしたが,被告人はWに夢中であったため,Iに対しては何の興味も抱かなかった。

Wのマンションで同女の夫と会い,Iを紹介された後も,被告人のWに対する思いは変わることはなく,被告人は,学生寮のWの部屋を訪ねるなどしてこれまでと同じような交際を続け,早くWに夫と離婚してもらい,一刻も早く同女と一緒になりたいという気持ちをますます募らせていったが,9月中旬を過ぎたころから,被告人は,Wの態度に変化が生じてきているのを感じるようになった。

そこで,被告人は,9月19日,改めてWに対し,同女の夫と離婚して自分と結婚するように求めたところ,同女からは,意外にもこれを断る言葉が返ってきた。しかし,被告人は,Wが,自分の同女に寄せる思いに反した返事をするのは,本心ではなく,夫や両親からの圧力に耐えかねて,やむを得ず被告人との関係を断とうとしているものと理解し,同女と結婚したいという率直な気持ちを同女にぶつけてこの日は別れた。ところが,翌20日にも,被告人が,Wの部屋に遊びに行くと,同女から,再び被告人との交際をやめる旨の話を切り出されたので,被告人としては,深く愛し合っているはずのWと別れる話は到底受け入れることができず,自分との別れ話を持ち出してきたWも,夫や両親からの圧力と,被告人に対する愛情との板挟みになって苦しんでいるものと思い,やり場のないいらだちを覚えた。

翌21日の昼ころ,被告人の携帯電話にWから電話があり,買い物に行きたいので,車で送って欲しいと依頼されたため,被告人はWを車に乗せて,大学の近くの家電製品販売店に一緒に行って買い物をしたが,被告人は,このときは,昨日のことがなかったかのように楽しいときを過ごすことができ,当日の夜,Wとまた会う約束をして別れた。同日午後9時30分ころ,被告人は,学生寮のWの部屋に遊びに行き,被告人はビールを飲み,Wはお茶などを飲みながら,楽しい語らいの一時を過ごしていたが,やがて,Wが,被告人に対して,「あなたには,私よりももっとほかに良い女性が見つかるはず」などと言って,前日来の話を切り出してきたので,被告人も,感情的になって,話をやめるように言ったが,Wは,これに対して返事をせず,黙り込んでしまった。そこで,被告人は,翌22日午前1時を過ぎたころ,Wの部屋を退去し,学生寮の自室に戻ったが,いつもであれば,Wは外まで出てきて笑顔で見送ってくれていたのに,このときは,同女からは最後まで笑みを見せてもらえず,「明日は研究室でやることがあるから会えない」などと言われて同女と別れた。被告人は,こうしたWのもの悲しげな態度を見て,Wが,被告人との関係を解消する道を選んだのは,Wが悩み,苦しみ抜いた末の結論であって,誰にもその決意を変えることはできないと思い,被告人としては,Wが離婚しなくても,今までのような二人の関係を続けることができればそれでいいと思っていたのに,なぜ愛し合っている者同士が別れなければならず,一緒になれないのかなどという思いから,たまらない絶望感に襲われ,苦痛で平静さを保つことが出来ず,寮の自室に帰ってからもビールを飲み,酔って眠りに就いたが,夜中に何度も目が覚め,Wとの関係をどう解決したらいいか思いあぐねて,一人でおう悩していた。

被告人は,翌22日金曜日の午後1時ころ目を覚ましたが,前日の夜,Wから今日は会えないと言われていたことを思い出し,今日も,Wがxに帰る週末も,ずっとWに会えないと思うと,自分の人生の中で最も大きな存在で,大事な人であるWが,愛してもいない男の所に戻らなければならないのは不条理であり,Wにとっても苦痛以外の何者でもないはずだなどと思い悩み続けていた。こうして,目が覚めてからもWのことであれこれ思い悩むうちに,被告人は,Wや自分をこんなに苦しめる元凶は同女の夫のVにほかならず,Wをなんとか自分の手でこの苦痛から解放してやりたいと考え,自分がVを殺害し,Wを苦痛から解放してやる以外にとるべき道はないと考えるに至った。しかし,被告人が殺人犯となり,死刑になると,一人残されたWは苦痛に違いないはずであるから,いっそのことWも自分の手で殺害し,自分も自殺して別の世界で結ばれればいいなどと考え,目が覚めてから30分くらいたったころには,WとVの二人の殺害を決意し,x市内のWとVのマンションに出向いて行き,日が暮れてから,二人の殺害を実行する決意を固めた。こうして,二人の殺害を決意した被告人は,WとVの二人を確実に殺害するためには,人を殺すのにふさわしい凶器が必要であると考え,刃が鋭く,分厚くて,人を攻撃する際にも握りやすく,扱いやすいサバイバルナイフを使おうと考えた。しかし,その一方で,もしWが夫と別れて被告人と一緒になりたいと言ってくれれば,W夫婦を殺す必要はなくなると思い,Wから電話がかかってくるかもしれないという淡い期待も抱いて,持っていた携帯電話の電源は入れたままにしておいた。そして,夜までにはまだ時間があったので,被告人は,同日午後2時過ぎころ,大学院の研究室に行き,着手していた修士論文を作成しようとしたが,二人を殺害することで頭が一杯で作業が全く手につかず,研究室の別室のソファーに横になったりして時間を潰した。その後,同日午後4時ころ,被告人は,寮の自室に戻って少し休んだ後,ショルダーポーチに眼鏡や部屋の鍵,携帯電話や財布,缶ビールなどを詰め込み,Tシャツの上から長袖シャツを着用し,動きやすくするためサンダルを脱いで靴下とスニーカーを履くなどして,W夫婦のマンションに向かう準備をした。被告人は,やるからには確実に二人を殺害しなければならないと考えながら,同日午後4時半を過ぎたころ,自分の車のトヨタカローラに乗り込み,寮を後にして,まずナイフを買うために,何度か足を運んだことがあり,軍隊で使うようなサバイバルナイフを販売しているスポーツ用品店に向かった。店に着いた被告人は,自分の手にぴったりと合い,持ちやすく,扱いやすいサバイバルナイフを選んで2本購入し,同日午後5時13分過ぎころ,同店を後にしてx市内のW夫婦のマンションに向かった。被告人は,同日午後8時前ころ,x市内のW夫婦のマンションの付近に到着すると,マンションの前の国道4号線を挟んだ向かい側の駐車場に車を停め,運転席に座ったまま,買ってきたサバイバルナイフ2本を,それぞれ左右の足の内側の,靴下と足の間に刃先を下にし,柄を上に向けて鞘ごと差し込んで,いつでもサバイバルナイフを鞘から抜き出すことができるように,鞘についていた留め具を外して,左右の鞘から素早くサバイバルナイフを取り出す練習などをした。被告人は,二人を殺害するとしたら,マンションの外でやるしかないと考えており,Wが帰宅するのはおよそ午後10時ころになるのではないかと思っていたが,確信はなく,当日のVの予定も知らなかったので,車から降りてWらが在宅しているかどうかを確認しようと考えて,被告人からの電話であることを隠すために,近くにあった公衆電話を使って,Wの自宅に電話をかけて不在を確かめるなどした。更に被告人は,Wの自宅の照明がついていないか,部屋に人の気配がないかなどを近くまで行って確かめるとともに,いつまでも同じ場所に車を停めておくと不審に思われると考えて,近くのレストランの駐車場に車を移動させ,缶ビールを飲みながら再びマンションの出入口に行って,Wの部屋の番号を確認するなどし,再度,車をマンションの向かいにある駐車場に移動させ,運転席に座ってWらがマンションに帰ってくるのを待っていた。この間,被告人は,Wらはおそらく車で帰ってくるであろうと思っており,以前,Wの自宅を訪ねたときの経験から,W夫婦は車をマンションの駐車場に入れると,駐車場を歩いて,マンションと駐車場を結ぶ小さな出入り口のドアからマンションの建物に入るので,駐車場を歩いている二人に背後から車を衝突させ,けがを負わせて動けなくさせた上,ナイフで襲いかかれば,確実に二人を殺害することができるなどと,殺害の実行方法を具体的に考えるなどしていた。やがて,同日午後11時ころ,Vの運転する車がマンションの駐車場に入ってくるのが見えたので,被告人は,もはやWから期待していたような電話がかかってくることはないと悟り,いよいよ両名の殺害を実行に移すことにし,タイミングを見計らって,Wらの乗った車が駐車場で車庫入れを終わるころに,道路を挟んだ向かい側に停めていた自分の車のエンジンをかけ,マンションの駐車場に車を進入させた。すると,Wと夫のVは,既に車を降りて二人で並んで奥のマンションの建物に向かって歩いていたので,これを見た被告人は,車のライトをつけずに時速二,三十キロメートルくらいの速度で背後から近づき,二人に車を衝突させようとしたが,車のエンジンの音に気付いた二人が後ろを振り返り,とっさにVは身を翻して避けたため,衝突を免れたが,Wは避けることが出来ずに車に衝突し,車の前に倒れ込んだ。Wを跳ねた瞬間,被告人がブレーキを踏んで車を停めると,Vが食って掛かってきそうな勢いで被告人の車の運転席に近づいて来て,運転席の窓ガラスをノックしたので,被告人は,運転席のドアを開けたまま車から降り,Vと相対して殴り合いになったが,もみ合っているうちに体勢が入れ替わり,Vが運転席シートに背を向け,被告人と対峙するような格好となった。被告人は,すかさず右足を上げて,靴下と足の間に挟んでいたサバイバルナイフを右手で素早く抜き取り,ナイフを順手で握って刃先をVに突き付け,同人を運転席シートの方に追いつめていった。

(罪となるべき事実)

被告人は,前記のような経緯で,かねて交際していたW(1970年r月s日生,当時29歳)から,交際を断る旨申し向けられたことに絶望し,同女との関係を修復することができないことにおう悩した末,同女とその夫であるV(1961年t月u日生,当時39歳)を殺害しようと決意し,

第1  平成12年9月22日午後11時15分ころ,埼玉県x市(以下地番略)qハイム駐車場において,上記Vに対し,殺意をもって,所携の刃体の長さ約10.6センチメートルのサバイバルナイフ(平成13年押第45号の1)で,その前胸部等を多数回突き刺した上,更に運転席シートに寄りかかっている同人の頸部を切り裂くなどし,よって,そのころ,同所において,同人を前胸部刺切創による心損傷に基づく失血により死亡させて殺害し,

第2  次いで,前記日時場所において,被告人の車の前で立ち上がり,助けを求めて逃げようとする上記Wに対し,殺意をもって,所携の刃体の長さ約10.6センチメートルのサバイバルナイフ(同押号の2)で,その背部等を多数回突き刺し,更に倒れた同女の頸部を切り裂くなどし,よって,そのころ,同所において,同女を前頸部切截による右総頸動脈切断に基づく失血により死亡させて殺害し,

第3  業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時場所において,前記サバイバルナイフ2本を携帯し

たものである。

(証拠の標目) 省略

(法令の適用)

罰条

第1及び第2の各行為  刑法199条

第3の行為  中央省庁等改革関係施行法(平成11年法律第160号)1303条により同法による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条

刑種の選択

第1の罪  死刑

第2の罪  無期懲役刑

第3の罪  懲役刑

併合罪の処理  刑法45条前段,46条1項本文(第1の罪につき死刑に処するので,他の刑を科さない。)

没収  刑法19条1項2号,2項本文(押収してあるサバイバルナイフ2本(平成13年押第45号の1,2)は,判示第1,第2の各殺人の供用物件)

訴訟費用  刑事訴訟法181条1項ただし書(不負担)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は,本件犯行当時,被告人は,落胆と絶望のあまり,激しい興奮状態に陥っており,冷静な判断力などをもち得ないまま犯行に及んだもので,犯行の細部についての記憶にもあいまいな部分が多々残されているから,精神の障害により事物の理非善悪を弁別する能力又はその弁別に従って行動する能力が著しく減退した状態にあったと主張するので,以下,検討する。

被告人が犯行の細部について幾分あいまいな供述をしていること,また,犯行に至るまでの過程において,被告人が落胆したり,絶望を感じたであろうことは証拠上否定できないけれども,関係証拠により,本件各犯行及びその前後の被告人の行動をみると,被告人は,被害者二名の殺害を決意するや,凶器としてサバイバルナイフを用いることとし,わざわざスポーツ用品店に赴いて,殺害の用に供するために手頃な大きさと形状のサバイバルナイフを選択して2本購入し,Wの日頃の行動から,夜間,自宅のマンションに帰宅することを推測して,被害者らを待ち伏せ,被害者らを発見すると,まず背後から自動車を衝突させて被害者にダメージを与え,その後に,用意したサバイバルナイフでV及びWの順に襲いかかり,被害者両名の身体を多数回ナイフで突き刺すなどし,さらに,被害者両名の頸部を切り裂いてとどめを刺すなどしているのであって,冷静沈着に被害者らの行動を予測して犯行の計画を立てた上,犯行準備を整え,犯行実現に向けて合目的的な行動をとっていることが認められる。加えて,被告人は,本件各犯行及びその前後の状況についても,その主要な部分については明確な記憶を保持しており,捜査段階及び公判段階においても,かなり詳細に供述しているから,本件犯行当時,被告人に意識障害があったことをうかがわせる状況があったとは認められない。これらの点を総合すると,被告人が,本件犯行当時,行為の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力が欠如していなかったことはもとより,これが著しく減退していなかったことも明らかである。したがって,弁護人の主張は採用しない。

(量刑の理由)

本件は,有名国立大学の大学院に在学する中国人留学生である被告人が,同国人の女子留学生とその夫を殺害した殺人及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。

被告人は,留学生を対象に大学が主催した国内の見学旅行に参加した際に,同じく旅行に参加していた同じ大学院の博士課程医学研究科第1年次に在学していた女子留学生のWに一目ぼれをし,旅行から帰ってきてから,恋人同士として交際したいという自分の気持ちを同女に告白したものの,同女からは,既に結婚していて夫や子供がいることを告げられて,交際を拒絶されたにもかかわらず,同女の部屋を訪ねたり,メールを送るなどしたところ,同女がこれに応じてくれたことから,同女も自分を愛してくれていると思い込むようになり,次第に同女との結婚を望む気持ちが高まり,同女に対して,夫と離婚して自分と結婚してくれるよう申し入れたところ,同女から拒絶され,さらに,留学生同士として交際することも解消したい旨告げられたことから絶望し,自分を愛しているはずのWがこのような態度をとるのは,同女の夫であるVが,自分とWとの恋を邪魔するからであると邪推して,Vに対する憎しみを募らせ,恋の成就を邪魔するVを殺害するほかないと決意するとともに,自分がVを殺害して殺人犯となり,死刑になると,残されたWが苦しむはずだなどと勝手に思い込み,VもろともWをも殺害しようと決意して,犯行に及んだというのであって,被告人の偏った,独善的な思い込みにより,相手の気持ちなど全く意に介さずに犯行に及んでおり,理不尽で身勝手な犯行の動機に酌量すべき余地はない。

被告人は,犯行当日である金曜日の午後,Wと同女の夫のVを殺害することを決意すると,Wがx市内のマンションに戻ったところを,夫とともに殺害しようと計画し,学生寮の自室で服装を整えて,動きやすいスニーカーに履き替え,犯行に用いるサバイバルナイフを買うためにスポーツ用品店に赴き,持ちやすく,扱いやすいサバイバルナイフを2本購入した後,自分の車を運転して被害者夫婦の住むx市内のマンションに向かい,マンションの付近の駐車場に車を停めると,車内で待機している間に,用意してきたサバイバルナイフ2本を,両足の靴下の内側に鞘ごと差し込んでいつでも抜き出せる用意をし,実際に練習して確かめるなどした後,被告人からの電話であることが分からないように,公衆電話を使って被害者方に電話をかけて被害者夫婦の在宅の有無を確認し,実際にマンションの被害者の居室の近くまで行って不在を確かめるなどしたばかりか,いつまでも同じ場所に車を停車させておくと不審に思われると考えて,車を移動させるなどして被害者夫婦の帰宅するのを待ち伏せるなど,周到な準備をして犯行の機会をうかがっている。そして,この間,被告人は,被害者夫婦は車で帰宅すると予想し,車を駐車場に入れた被害者らが歩いてマンションの建物に向かうところを,背後から自分の車を衝突させてけがを負わせ,その上でサバイバルナイフで攻撃を加えて殺害しようと具体的な殺害方法を考え,やがて,被害者夫婦が車で帰宅するのを認めるや,あらかじめ計画したとおり,車のエンジンを掛けて被害者方マンションの駐車場に進入し,車のライトを消して,時速二,三十キロメートルの速度で,マンションの建物に向かって並んで歩いている二人の背後から車を衝突させようとしたが,Vからは避けられてしまったものの,Wに対しては,車を衝突させて同女をボンネットに跳ね上げた上,フロントガラスに衝突させて地面に落下させ,同女の後頭部や左側胸部,左臀部上端などに擦過打撲傷を与えている。Wに衝突させた後,被告人が車を停めたところへVが近づいて来ると,被告人は,車から降りてこれを迎え撃ち,同人と殴り合うなどした後,タイミングを見計らって用意していたサバイバルナイフを足元から抜き取り,ドアを開けた車の運転席側に追いつめた同人に対して刃先を突きつけ,同人の胸部や腹部等をめった突きにし,運転席のシートに倒れ込んだ同人の胸部を更に突き刺し,ほとんど息の絶えている同人の頸部を更に大きく切り裂くなどしている。次いで,被告人は,車に衝突されて倒れていたWがようやく立ち上がると,同女に対して,もう1本のサバイバルナイフを足元から取り出して襲いかかり,助けを求めて逃げようとする同女の背後から,同女の後頸部や後頭部,背部等を多数回突き刺し,さらに,倒れた同女に馬乗りになって同女の胸部や顔面等を突き刺すなどしたほか,同女の前頸部を大きく切り裂いて気管及び右総頸動脈・右内頸静脈を切断し,頸椎前面を切截しているのであって,被告人が,捜査段階において,Vを殺害する際に,「殺される直前の,恐怖心でおびえる者の顔の表情を見たかった」などと供述していることを考えると,極めて強固な殺意に基づく,執ようかつ残虐で,冷酷非道な犯行といわざるを得ない。

こうした被告人の残虐な犯行により,被害者両名が味わった肉体的苦痛はいうに及ばず,自宅のマンションの駐車場内で,ライトを消した車でわざとぶつかってきた人物が,かつて自宅にも招いたことのある被告人であって,その被告人が,サバイバルナイフを手にして襲いかかってくるのを目撃したときの被害者両名の恐怖や絶望感は想像を絶するというほかない。被害者両名は,仕事や勉学に励んでいた異国の地で,理由も分からないまま,同国人の留学生の凶刃に倒れ,愛児の成長を見守ることもできず,年老いた両親とともに故国に残して先立つことを余儀なくされたのであり,その無念さは,察するに余りある。

Vは,謙虚で温厚な,思いやりがある努力家であり,毎月,両親に仕送りするなど親孝行で,弟の面倒見も良く,周囲の者から慕われていた人物であり,一方,Wは,明るく社交的で,真面目で研究熱心な,人に対する面倒見が良い才色兼備の女性であり,いずれも非の打ち所のない,将来を嘱望されていた人物であった。被害者夫婦は,被告人のWに対する気持ちを知って,同国人である被告人に対する配慮から,知人の女性を紹介するなどしていたもので,全く落ち度はなかったにもかかわらず,本件のような惨劇に巻き込まれ,一瞬のうちに生命を奪われたのであって,犯行の結果はあまりにも悲惨で重大である。被害者両名の間に生まれた幼い一人息子は,両親とごくわずかな時間しか一緒に暮らすことができず,いまだに両親の死亡の事実を知らされていないというのであって,誠に不憫というほかない。故国から駆けつけて,公判を傍聴しているVの両親も,中国で被害者夫婦の一人息子である孫の世話をしているWの両親も,いずれも,被告人を極刑に処して欲しいと悲痛な心情を訴えており,遺族の心情も十分に理解できる。ところが,これに対して,現在まで,被告人からは慰謝の措置は何も執られていない。

本件は,市街地にあるマンションの駐車場内で行われた犯行であって,凄惨な犯行を目撃したマンション住人も多くおり,付近住人に多大な恐怖と不安感を与えたばかりか,中国人留学生による同国人の女子留学生とその夫に対する殺人事件であったことから,日本で生活する中国人やその関係者に多大な衝撃を与えたことがうかがわれ,こうした社会的影響も無視できない。

被告人は,捜査段階及び公判廷において,Wとは,単なる友人関係ではなく,お互いに愛し合っており,性的関係もあったなどと供述しているが,被告人自身も認めているとおり,被告人は,Wと知り合って間もなく,同女が結婚していて夫や子供がいることを聞かされており,恋人としての交際を拒絶されていることや,夫や子供の話をよく聞かされ,Wの家へ招かれて夫と会ったり,同女の女友達を紹介されたことがあったこと,その後,被告人の誕生日にWから贈られた手紙には,同女と被告人とが良い友人関係にあることをうかがわせる内容が記載されていること,夫がありながら他の男性と不倫をしている女性は,交際自体を夫や両親らには隠すのが通常であると思われるところ,同女は,実家の両親らに対して,同女に好意を持っている男性がいるが,夫にもそのことは相談してあり,自分の友人を交際相手として紹介するつもりだなどと話していたことを考えると,被告人とWとの間に,友人以上の関係があったとは認められない。更に被告人は,単なる友人であれば知り得ないようなWの身体的特徴を知っている旨公判廷で供述しているが,被告人が知っているという同女の身体的特徴を具体的に明らかにしようとしないばかりか,Wの友人であるHの公判供述によれば,同女は,Wから帝王切開をしたときの傷跡と腹部の脂肪を取った際の傷跡があると聞いたことがあるというのであり,同女がWと親しい同性の友人であることを考慮しても,このような身体的特徴は,性的関係になければ知り得ないものであるとはいえないから,いずれにしても,被告人の上記供述は信用できない。また,被告人は,公判廷において,Wの殺害を決意したのは,Vを殺害した後であり,Wは,被告人から殺害されるのを受け入れていたなどとも供述しているが,捜査段階では,VとWの殺害を犯行当日の昼過ぎに目が覚めてから決意したと供述していた上,被告人が犯行に及んだのが,Wがxのマンションに帰る金曜日の夜であり,Wがマンションに帰り着く時刻を予測していたこと,犯行に及ぶ際には,W夫婦が並んで歩いているのを認めた上で,背後から車で突っ込み,現にWに車を衝突させていることなどからすると,被告人が,当初から被害者両名の殺害を意図していたことは明らかであり,また,Wの左右の手部や手背部に多数の刺切創群が認められるほか,指や左右外肘部にも刺切創が認められ,これらの創傷が防御創であると考えられることや,悲鳴をあげて車の前から逃げようとする女性を目撃したというマンション住人の供述などからすると,被告人の上記供述も到底信用できない。

被告人は,犯行後逃走を試み,現行犯逮捕された時点においてもふてくされた態度に出たばかりか,捜査段階においては,Vを殺害したことは痛快であったなどと述べるとともに,Wを殺害したことは仕方のないことであると述べるなど,全く反省の態度を見せず,公判段階に至っても,反省の言葉を口にして遺族に許しを請うなどしたことはあるものの,Wの殺害状況については,先にみたとおり,同女が被告人に殺害されることを受け入れて抵抗しなかったなどと,明らかに客観的証拠に反する供述をしており,また,Wとの交際状況についても,性的関係を含めて深い関係があり,お互いに愛し合っていたなどの供述を繰り返しており,一方的で,偏った思い込みにとらわれていて,自己の行為を合理化しようとする態度が目立つのであって,十分反省しているとは到底いえない。本件犯行は,被告人が,Wから結婚することはできないと断られたにもかかわらず,同女は自分を愛しており,自分との結婚を望んでいるはずだと一方的に思い込み,これを邪魔する同女の夫に対して恨みを募らせ,これが高じたことに端を発しているのであって,このような被告人の特異な人格が本件犯行の動機となっているところ,被告人が,犯行後も相当長期間にわたって,被害者,殊に,自分が思いを寄せているWの夫であるVに対して憎しみと強固な殺意を保持し続けていたこと,また,公判廷においても,自己の偏った,一方的な思い込みにとらわれて,これを是正しようとする姿勢に欠けていることなどを考慮すると,被告人の人格のゆがみは深刻であり,その矯正は困難であるといわざるを得ない。

以上検討したとおり,本件犯行の罪質,動機,経緯,態様,殊に殺害の手段方法の執よう性,残虐性,二人の生命を奪ったという結果の重大性,遺族らの被害感情,社会的影響,犯行後の被告人の態度,被告人の人格の特異性等を考慮すると,本件の犯情は極めて悪質であり,被告人の刑事責任は誠に重大である。

そうすると,死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり,誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であって,その適用は慎重にされなければならないことを十分に考慮し,また,本件が,先にみたとおり,被告人の偏った,独り善がりの思い込みによるものとはいえ,Wに対する恋慕の情は被告人なりに真剣なものであり,同女から交際を拒絶された際の被告人の絶望感が相当に深刻であったとうかがわれ,情欲の満足や他の犯罪の罪証隠滅を目的とするなど,それ自体でより悪質と認められる動機の下に行われたものとは,犯情を異にすると考えられること,また,被告人が本件犯行を思い立ったのは,犯行当日の午後1時ころに目覚めてから以降であり,犯行に及ぶまでの約10時間の間に計画を立て,実行に移しているのであって,前夜に,Wから,交際の拒絶を告げられて絶望感に苦悩する中で,一挙に殺意が生じて犯行に至った事案であること,被告人は,犯行後,現場から逃走を図っているものの,自殺を企図していたという供述が全くの虚偽であるとまではいえないこと,さらに,捜査段階においては,自己の行為の正当性のみを主張していた被告人が,公判廷においては,かたくなな態度を残しているとはいえ,自己の行為の非を認め,これを悔い,遺族に謝罪して許しを請い,処罰を受容する態度を示していることは,自己保身によるものであったとしても,自己の罪責と向き合い,正常な判断と感性を取り戻しつつあることを示すものとも解されること,被告人が27歳の犯行時に至るまで,まじめな学生として平穏な生活を送ってきており,その生活歴に特に問題があったとはうかがわれないこと,犯行自体については,事実を一貫して認めていること,被告人を気遣う肉親がいることなど,被告人のためにしん酌し得る諸般の情状を最大限に考慮し,さらに,犯行の動機,経緯,犯行の態様,殺害された被害者の数など,その犯情の点において同種の事犯と比較し,慎重に検討してみても,被告人に対しては,極刑をもって臨むことは誠にやむを得ないものといわざるを得ない。(求刑 死刑,サバイバルナイフ2本の没収)

(裁判長裁判官 川上拓一 裁判官 根本渉 裁判官 蛭田円香)

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