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さいたま地方裁判所 平成12年(ワ)2384号 判決 2005年4月15日

原告

甲野夏子

訴訟代理人弁護士

海老原夕美

鈴木経夫

松山馨

被告

乙山花子

訴訟代理人弁護士

須賀貴

被告

さいたま市

代表者市長

相川宗一

訴訟代理人弁護士

中村光彦

主文

1  被告さいたま市は原告に対し,100万円及びこれに対する平成4年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告さいたま市に対するその余の請求及び被告乙山花子に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用中,原告と被告さいたま市との間に生じた部分は,これを10分し,その1を被告さいたま市の,その余を原告の各負担とし,原告と被告乙山花子との間に生じた部分は,全部原告の負担とする。

4  この判決の第1項は,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

被告らは原告に対し,連帯して,1000万円及びこれに対する平成4年9月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,平成4年5月ころから同年8月ころまでの間,××市立Z小学校(以下「Z小学校」という。)5年3組に在籍していた原告が,当時の担任教師であった被告乙山花子(以下「被告乙山」という。)から,ひどいことを言われたり,いじめられたりしたこと(以下「本件いじめ行為」という。)により,精神的苦痛を受け,外傷性ストレス性障害(PTSD,以下「PTSD」という。)の後遺症を負ったと主張して,被告乙山に対しては民法709条に基づき,Z小学校の設置者である被告さいたま市(当時は××市,以下「被告市」という。)に対しては国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償金及び不法行為後の日である平成4年9月1日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実及び証拠等によって容易に認定し得る事実(認定に供した証拠は括弧内に掲記し,証拠の記載のない事実は当事者間に争いがない。)

(1)  原告は,昭和57年*月*日に出生し,平成4年4月1日から平成5年3月31日まで,Z小学校の5年3組(以下単に「5年3組」という。)に在籍する児童であった。

(2)  被告市は,Z小学校の設置者である。

(3)  被告乙山は,平成4年当時,Z小学校に配置された教諭であり,同年4月1日から同年8月31日まで,5年3組のクラス担任を務めていた。

(4)  原告は,平成12年5月30日,医療法人社団△△会DクリニックのD医師(以下「D医師」という。)により,「病名 PTSD(外傷性ストレス性障害)」,「上記によると思われる特殊なタイプの幻聴,離人症性障害,未来の縮少,希死念慮,自傷行為,抑うつ気分などの複合症状を認める。小学5年時の女性教師による当人を標的とした“いじめ”の後遺症と思われる。」と診断された。(甲第1号証)

(5)  PTSDとは,強い精神的外傷体験(トラウマ)後に生ずる精神神経症状である。アメリカ精神医学会による診断統計マニュアルDSM―ⅣにおけるPTSDの診断基準(以下「DSM―Ⅳの診断基準」という。)は,別紙「DSM―ⅣにおけるPTSDの診断基準」のとおりである。(乙第24号証,丙第6号証)

2  争点

本件の主要な争点は以下のとおりである。

(1)  被告乙山による原告に対する本件いじめ行為があったか。

(2)  上記(1)の事実が認められるとした場合に,本件いじめ行為と相当因果関係を有する原告の損害の発生の有無及びその額

(3)  公務員である被告乙山が,個人として損害賠償責任を負うか。

(4)  原告の被告乙山に対する損害賠償請求権が時効により消滅したか。

3  当事者の主張の要旨

(1)  争点(1)(被告乙山による原告に対する本件いじめ行為があったか。)について

(原告の主張)

被告乙山が原告に対して行った本件いじめ行為は,以下のとおりである。

ア 平成4年5月ころ,「そんなぶすくれた顔は見たくないから,見せないでくれ。」と言い,さらに,クラスの席替えをして,その際,四隅の席はレベルの低い子供であると告げた上,原告の席を廊下側前列隅に定めた。

被告乙山は,原告の母甲野春子(以下「春子」という。)に対し,この措置に関して「真ん中の席は,クラスの中心の華やかな子を置きます。最近,夏子ちゃん(原告)は暗いので,隅の方に追いやりました。」と説明した。

イ 掃除のとき,原告が特に不機嫌な態度を示していたわけでもないのに,「ぶすくれたやつは掃除をしなくていい。自分のぶすくれた顔を鏡で見てこい。」などと言った。

ウ 平成4年6月ころから約1か月半ほどの間,連日のように,授業が終わった休み時間,教室に残っている児童を全員教室の外に出して原告1人を残し,さらに教室の窓に鍵をかけて廊下側の扉を閉め,「どうしてそんなに暗くなったの。」などと言い,また,何度も「暗い,暗い。」と言って,暗い理由を答えるように詰め寄った。原稿用紙を手渡して「暗い理由を書きなさい。」と言ったこともあった。

エ 5年3組の児童数が37人であることから,原告に関しては何もせず無視するという意味で,何度も「36人の子供だけ見てればいいんだから,甲野さん(原告)を無視してもいいんだよ。無視された方がいいの。」と言った。

オ 原告の面前で,当時原告と一番仲が良かった丙川桜子(以下「桜子」という。)に対し,「夏ちゃん(原告)とつきあうとレベルが下がるからつきあうのはやめなさい。しゃべってもいけないし,一緒に帰ってもいけない。」,「甲野さん(原告)とつきあうと,あなたも人間のクズになるよ。」などと言って,原告と桜子とを引き離そうとした。

カ 5年3組の学級会において,児童たちに対し,「甲野さん(原告)は,わがままで,(頭をさしながら)ここが足りない子なんですね。どうやったら甲野さんが明るくなれるか,意見を言える人。」,「夏ちゃん(原告)が元気になるにはどうしたらいいか。」と尋ねた。児童たちは,「おいしいものを食べたらいい。」,「テレビを見たらいい。」などと言い,被告乙山を含め皆で原告を笑い者にした。

(被告乙山の主張)

以下のとおり,原告の主張に係るような事実は存在しない。

ア 原告の主張アについて

被告乙山は,注意した際,原告が反抗的な表情をしたため,「ぶすっとした顔をしないで。」と言っただけである。

被告乙山は,児童ができるだけ多くの級友と親しくするよう,また,隣同士慣れ合って授業中話をしたりいたずらをしたりしないよう,2〜3か月毎に児童の席順を決めて(くじびきの場合もある)席替えをしていた。その際,視力の弱い児童に対して前の席になるよう配慮したかもしれないが,他の理由で特定の児童を特定の席に固定したことはない。

イ 原告の主張イについて

被告乙山は,原告が掃除の時間の終了間際に戻って来たとき,「今日はもう掃除をしなくていいよ。」と言ったり,また,掃除の時間にいなくなることを何回か注意して原告が反抗的な顔をしたのに対し,「鏡で自分の顔を見てきなさい。」と言ったりしたかもしれないが,それだけである。

ウ 原告の主張ウについて

被告乙山は,何回か,休み時間を利用して,原告に対し,反抗的な態度をとる理由を尋ねたことがあるが,その際,原告に嫌がらせをするために他の児童を教室の外に出したことはない。被告が尋ねても原告が答えないので,他の児童に対するのと同様に「言葉で言いにくいなら,紙に書いてみてね。」と言ったことがあるが,それだけである。

エ 原告の主張エについて

被告乙山は,原告を無視したことはない。

オ 原告の主張オについて

被告乙山は,仲が良い原告と桜子に対して,なるべく多くの友人を持てるよう,他の児童とも遊ぶようにとアドバイスをしただけである。

カ 原告の主張カについて

被告乙山は,学級会において,原告が元気をなくしているが,元気になるにはどうしたら良いか,児童たちに意見を聞いたことがあり,その際,他の児童が冗談を言って全員が一瞬笑ったことがあったかもしれないが,原告を終始笑い者にしたことはない。

(被告市の主張)

原告の主張に係るような事実は不知。

(2)  争点(2)(争点(1)の事実が認められるとした場合に,本件いじめ行為と相当因果関係を有する原告の損害の発生の有無及びその額)について

(原告の主張)

ア 原告は,小学校5年生になったころまでは,運動が得意で,明るい,活発な子供であり,元気に学校に通っていたのであるが,被告乙山から上記(1)の原告の主張のとおりの本件いじめ行為を受けた結果,DSM―Ⅳの診断基準(なお,診断基準Aに関しては,「複雑性PTSD」の概念を取り入れる。)を満たすPTSDに罹患し,現在に至るまで続く,幻聴,離人症性障害,未来の縮少,希死念慮,自傷行為,抑うつ気分などの複合症状が生じた。

イ 仮に原告の病名がPTSDではないとしても,被告乙山から本件いじめ行為を受けた結果,原告には,上記のような諸症状が生じたものである。

ウ 被告らは,後記のとおり,指導要録(丙第2,第3号証)の記載内容を指摘して被告乙山によるいじめ行為と上記諸症状との因果関係を否定するが,指導要録には,原告が心の内を誰にも悟られまいと努めて明るく振る舞った結果が記載されており,因果関係を否定する根拠とはならない。

エ 原告は,被告乙山から上記(1)の原告の主張のとおりのいじめを受けた後,上記アのとおりPTSDに罹患し,又は,同イのとおり原告の病名がPTSDではないとしても,諸症状が生じたが,平成12年にD医師によりPTSDであると診断されて治療が開始されるまで,その診断及び治療がなされず,快方に向かうことなく苦しみ続けてきた。原告は,現在も治療中であり,その受けた苦しみは筆舌に尽くしがたい。

オ 被告乙山のいじめにより原告が被った精神的苦痛を金銭に換算すると1000万円を下らない。

(被告乙山の主張)

ア 原告の主張ア,イ及びエは不知。同オは争う。

イ 仮に上記(1)の原告の主張のとおりの本件いじめ行為の存在が認められるとしても,本件いじめ行為はDSM―Ⅳの診断基準Aの「出来事」には該当せず,原告はPTSDに罹患しているとは言えない。なお,診断基準Aに関して,曖昧な「複雑性PTSD」の概念を取り入れることはできない。

ウ また,D医師の意見書(甲第13号証の1)の検査所見によれば,損害賠償請求権の根拠としてPTSDの診断を求めている原告に対し,同医師が誘導的な質問をしていると言わざるを得ず,そのような質問から得た回答に基づく診断結果は,極めて疑問である。

エ 仮に上記(1)の原告の主張のとおりの本件いじめ行為の存在が認められ,原告に上記原告の主張アのとおりの諸症状の発症が認められるとしても,指導要録(丙第2,第3号証)によれば,原告は中学3年に至るまで何らの精神障害もなかったことが窺われるのであるから,被告乙山のいじめ行為と原告の諸症状との間に因果関係は認められない。

(被告市の主張)

ア 原告の主張ア,イ及びエは不知。同オは争う。

イ 被告乙山の主張エと同じ。

(3)  争点(3)(公務員である被告乙山が,個人として損害賠償責任を負うか。)について

(原告の主張)

国家賠償法上,公務員個人に対する損害賠償請求が認められるか否かについては明文の規定がなく,解釈に委ねられており,その解釈については争いがある。しかしながら,①民法では機関個人又は被用者自身も被害者に対する直接責任を負うとされており,公務員の場合にそれと別異に解釈して取り扱うべきだとする合理的理由は見いだし難いこと,②国民全体の奉仕者であるべき公務員が,故意又は重大な過失によって国民の権利を侵害する場合に公務員個人に対する直接責任の追及を認めないと,主権者たる国民の公務員に対する監督的作用が著しく減殺され,国民の権利意識,被害感情に対する配慮に欠ける事態となること,③国家賠償法1条2項は,民法715条3項と異なり,公務員に軽過失があるにすぎない場合には,国又は公共団体の当該公務員に対する求償権の行使を制限しているが,故意又は重過失があって求償権の行使を受ける公務員にまで被害者に対する直接責任の免責という特別の保護を認める理由はなく,直接責任の免責を認めると当該公務員の責任意識を希薄にすること等の事由を考慮すれば,少なくとも公務員の加害行為が故意又は重過失による場合には,当該公務員は被害者に対し,民法709条に基づいて損害賠償責任を負い,この場合の公務員の責任と国又は公共団体の責任とは,不真正連帯の関係に立つと解すべきである。

そして,被告乙山は,故意又は重過失により,原告の権利を侵害したものであるから,原告に対し,民法709条に基づき損害賠償責任を負う。

(被告乙山の主張)

①公務員の加害行為につき,国家賠償法1条1項において国又は公共団体の損害賠償責任が,同条2項において国又は公共団体から当該公務員への求償権が定められているのは,当該公務員個人の責任を否定する趣旨であること,②従来公務員の個人責任を規定していた公証人法6条,戸籍法4条,不動産登記法13条等の規定が国家賠償法の附則で削除されていること,③賠償能力の点からみても国又は公共団体に責任を負わせることにより被害者救済の目的は達せられること,④公務員の個人責任を認めると,濫訴によって公務員が萎縮し,公務の停滞を来たしかねないこと等の事由を考慮すれば,公務員は被害者に対し,直接損害賠償責任を負わないと解すべきである。このことは,判例上も確立している。

(4)  争点(4)(原告の被告乙山に対する損害賠償請求権が時効により消滅したか。)について

(被告乙山の主張)

ア 原告は,当初から原告の精神障害が被告乙山のいじめ行為を原因とするものであると認識していた。そして,平成8年12月2日に自治医科大学心療内科を受診して,精神分裂病の診断を受け,この時点で原告の損害が医学的に確定したのであるから,同日を起算日として消滅時効が進行し,平成11年12月2日に完成した。

イ 被告乙山は,平成15年3月19日の本件弁論準備手続期日において,上記消滅時効を援用した。

(原告の主張)

上記(2)の原告の主張エのとおり,原告は,平成12年5月30日に至って初めて,原告に生じた上記(2)の原告の主張アのような諸症状に関して,被告乙山の本件いじめ行為によるPTSDであると診断された。PTSDは,本件いじめ行為の後遺症であって,これに対する損害賠償請求権の消滅時効は,そのことが明確化した同日から進行する。

仮に原告の病名がPTSDではないとしても,被告乙山から本件いじめ行為を受けた結果,原告には上記(2)の原告の主張アのような諸症状が生じ,平成12年5月30日以後も諸症状が継続していたのであるから,やはり原告の損害賠償請求権は,未だ時効消滅していない。

第3  当裁判所の判断

1  争点(1)(被告乙山による原告に対する本件いじめ行為があったか。)について

(1)  甲第15号証は,本件いじめ行為が行われたとされた時期の直後である平成4年7月6日から同年8月2日にかけて,第三者である桜子の母親の丙川梅子(以下「梅子」という。)により記録されたメモであり,同人が自ら体験したことの外,主に娘の桜子から聞いたことが記載されているが,桜子が母親である梅子に学校での出来事について話をするに際し,虚偽の事実を告げる理由はないから,その記載内容の信用性は高いものと認められる。また,甲第3号証は,平成4年7月18日に実施された被告乙山と5年3組の児童の父母との話し合いの様子を,その直後ころに保護者の一人であったCが記録した議事録であり,同人も第三者であって,殊更虚偽の事実を記載する理由はないから,その記載内容の信用性は高く,当日の話合いの内容はほぼこの記載のとおりであったものと認められる。さらに甲第7,第16号証は,いずれも原告の母春子により記録されたメモであるが,本件いじめ行為が行われたとされた時期の直後である平成4年7月9日から同年8月3日にかけて記載されたものであること,上記甲第3号証の議事録の記載内容と一致する部分が多いから,相当程度の信用性が認められる。そして,これらの証拠に,甲第2,第4,第20号証,第21号証の1ないし3,乙第25号証,丙第4号証,証人A及び証人春子の各証言並びに原告及び被告乙山各本人尋問の結果を総合すると,以下の事実が認められる。

ア 原告は,平成4年5月ころから,クラス担任教諭であった被告乙山から,ちょっとしたことで,いやなことを言われたり,怒られたりすることが続いていた。そのことを,原告は,母親の春子に話していなかった(なお,当時,原告の父親である甲野太郎は海外赴任中で不在であった。)が,原告と同様,5年3組に在籍する児童で,原告と仲が良かった桜子は,同年6月下旬ころ,その母親である梅子にこのことを話した。

イ 同年7月7日,被告乙山は,桜子に対し,「甲野さんは末子でわがままだから,甲野さんと仲よくすることは甲野さんのためにならない,遊んではいけない,しゃべってはいけない,一緒に帰っては行けない,甲野さんのような子と遊ぶのは人間のクズのすることだ。」と言った。桜子は,帰宅後,母親の梅子に,被告乙山からこのように言われたことを話した。

ウ 同月8日,掃除の時間に原告が廊下を拭いている際に,「あーあもう一度ふかなくっちゃ。」と言ったところ,被告乙山は怒って,原告に対し,「そんなにやりたくなければ正座していなさい。」と言い,正座の仕方が悪いと言って直させ,さらに,「あんたの顔なんか見たくない。」,「ぶすっとしているときの顔を鏡でみていらっしゃい。」と言った。この様子を見ていた桜子は,帰宅後,母親の梅子にそのことを話した。

エ 同日ころ,梅子は原告の母春子に,原告が被告乙山から毎日のようにいじめられていると告げた。そこで,春子が原告に問い質したところ,原告から,同年5月ころより,被告乙山から「そんなぶすくれた顔は見たくないから見せないでくれ。」,「どうしてそんなに暗くなったの。」,「私は(原告を除く)36人の子どもだけ見てればいいんだから。」などと言われていたと聞かされた。

オ 同月10日,被告乙山は,原告に「私は36人の子だけを見てることもできるんだ」と言い,さらに,5年3組の教室で児童に,子供の話をうのみにするのはりこうな親か,ばかな親かと聞き,いずれかに手をあげるように言って,答えさせた。

カ 同月13日,被告乙山は,5年3組の児童の席替えを行い,四隅にはレベルが低い人,中心には華やかな人を置くと言った上,原告と桜子をそれぞれ男子ばかりの班に入れ,原告の席を廊下側の最前列とした。

キ 同日,春子は,原告が被告乙山からいじめられていると考え,この被告乙山の原告に対する言動にどう対処すべきかを相談するため,被告市(当時の××市)が設置する教育相談室を訪れた。

ク Z小学校のA校長(以下「A校長」という。)は,同月10日に他の教師2名から,原告と担任である被告乙山とがうまく行っておらず,被告乙山が原告に対して教育上行き過ぎた発言をしたようだとの報告を受けた。また,A校長は,同月14日,上記教育相談室の担当者から,Z小学校の保護者が相談に来たことを電話で知らされ,即座に原告のことと理解して,同日中にまず被告乙山から話を聞いた後,さらに同月16日,原告の母春子に来校を求め,校長室で,5年3組の委員を交え,約1時間半ないし2時間程度話を聞き,その後も被告乙山から再三にわたり話を聞いた。

ケ 同月18日,A校長,教頭及び被告乙山並びに5年3組の児童の保護者38名が5年3組の教室に集まり,被告乙山の原告に対する言動に関して,第1回臨時懇談会が開かれた。そして,原告の母春子から,①同月9日午前7時10分ころ,被告乙山から原告方に電話があり,最近原告が暗く,朝からブスっとしており,そんな顔を見るのは不愉快なので隅の席に追いやったとか,クラスには37人の子供がいるが,自分は36人だけを見ることもできる,原告のことは「おかまいなし」にしますと言われたこと,②その後も原告が被告乙山から再三にわたり注意を受け,ある時,被告乙山から「どうしてそんなにブスっとしているのか,言えないなら書きなさい」と言われて,原稿用紙をむりやり渡されたこと,③同月14日午後には,被告乙山が,突然原告宅を尋ね,原告が転校するというのは本当かと切り出し,クラスの児童の通知票まで広げて,各科目の評価の仕方について,他の児童の名前を挙げて説明したことなど,経過説明がされた。

コ 被告乙山は,上記臨時懇談会において,以下のような弁明をした。

(ア) 原告が元気がないので,元気を出して欲しいと思い,学級会を開いて「どうしたら夏子ちゃん(原告)は元気がでるのか」ということを皆で話し合った。その時ある児童が「おいしい物を食べればいい」と言ったときに自分も笑った。

(イ) 担外の先生に迷惑になってはいけないという理由で児童には厳しくしている。担任は嫌われてもいい,優しいだけではだめで,怖い先生でなければならない。

(ウ) 児童はうるさいし,忘れ物は多いやらで,授業を進めるのに精一杯で子供の心まで考えるゆとりがなかった。

サ A校長は,被告乙山及び原告の母春子からの事情聴取,並びに同月18日の保護者との懇談会を経た結果,同月25日までには被告乙山の発言や行動の全容を把握し,被告乙山には,人権に関わる重大な発言があったと判断し,被告乙山は謝罪すべきであると考えるに至った。5年3組の児童の保護者6名は,同日,A校長及び教頭と面談し,A校長が原告に対する被告乙山の言動を重大な人権問題であると認識していることを確認し,同日までの対応経過及び今後の対応方針を聞いた。

シ 平成4年8月1日,5年3組の児童の保護者21名が出席し,Z小学校第2会議室において第2回臨時懇談会が開かれ,A校長と被告乙山が謝罪をした。

ス 原告の母春子及び父甲野太郎は,同月5日ころ,A校長に対し,「乙山花子先生を二学期より五年三組の担任からはずして下さい。」,「学校の中で人権教育を徹底するよう指導して下さい。」等と記載した嘆願書を提出した。

セ 5年3組の児童の保護者の代表者は,××市教育委員会に対し,「××市立Z小学校5年3組に於ける担任乙山教諭との問題及び要望」と題する平成4年8月5日付け書面を,添付資料と共に提出した。

ソ A校長は,被告乙山が,原告を含む5年3組の児童らに対し,行き過ぎた発言,人権に関わる重大な差別的発言,席替え等における差別的な扱いをしたものと認め,平成4年8月23日,被告乙山に対し,5年3組の担任を降りてもらいたい旨を告げ,同年9月1日から5年3組の担任を被告乙山からB教諭に替えた。

タ 被告乙山は,担任を交替させられたことについて,特段,異議申立てなどを行わなかった。

(2)  上記第2の1の事実関係に,上記(1)の認定事実を総合すれば,被告乙山が原告に対し本件いじめ行為をしたこと,被告乙山の原告に対する本件いじめ行為は,被告乙山が5年3組の担任教師であり,原告が同組に在籍する10歳の児童であるという絶対的な力関係の下で,被告乙山から原告に対し一方的かつ執拗に行われたものであり,しかも,原告に自らの落ち度や短所についての反省や改善の努力を求めるという限度をはるかに超え,原告にとっては自己の人格や存在意義自体を否定されたものとしか受け取れないような内容のものであったことが認められ,それが初等教育の場で教師から児童に対し行われたことを考慮すれば,まさに人権に関わる重大なものであったといわざるを得ない。

(3)  被告乙山は,本件いじめ行為をしたことを否定し,乙第21号証(被告乙山の陳述書)及び被告乙山本人尋問の結果中に,この点(争点(1))についての被告乙山の主張に沿う供述記載部分及び供述部分がある外,乙第1ないし第20号証,第22,第23号証(いずれも当時5年3組に在籍した児童であった者又はその保護者の報告書,なお保護者の報告書については,当該児童からの聞き書きという体裁となっている。)には,上記(1)で認定した被告乙山の原告に対するいじめ行為に関し,「記憶にない」又は「なかった」という趣旨の記載や,「乙山先生は特定の児童に対してだけ,きつい言い方をするのではなく,誰に対しても同じような注意の仕方をしていました」(乙第2号証),「どの子にも同様に注意,指導をしていた」(乙第5号証)などという記載が存在する。

しかしながら,上記乙第21号証及び被告乙山本人尋問の結果中の供述記載部分及び供述部分は,上記(1)に掲げた各証拠に照らして信用することができない。また,乙第1ないし第20号証,第22,第23号証については,それらが平成13年3月ないし平成15年2月に作成されたものであることが認められ,当該作成に関与した5年3組に在籍した児童であった者にとっては,約10年前の10〜11歳当時における,しかも,直接自分自身に向けられたのではない被告乙山の言動を内容とするものであるから,明確な記憶に基づくものとは認め難い上,そもそも,他の児童は,桜子のように原告と特別の関係にある者を除き,学級会での被告乙山の発言以外には,被告乙山が原告に対してとった言動を知る機会にも乏しいと認められることを考慮すれば,その記載を直ちに採用することはできない。

(4)  上記第2の1の事実関係及び上記(1),(2)で認定した事実によれば,本件いじめ行為は,公権力の行使に当たる公務員である被告乙山が,その職務を行うについて,故意に,原告に加えた違法な行為であるというべきであるから,被告市は,国家賠償法1条1項に基づき,被告乙山の本件いじめ行為によって原告が被った損害を賠償すべき責任を負う。

2  争点(2)(争点(1)の事実が認められるとした場合に,本件いじめ行為と相当因果関係を有する原告の損害の発生の有無及びその額)について

(1)  上記第2の1の事実関係に甲第13号証の2,第14,第18,第19,第22号証,乙第24号証,丙第1ないし第6号証,証人A及び証人春子の各証言,原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると,以下の事実が認められる。

ア 本件いじめ行為の前後の原告の登校状況及び学校生活における活動状況を原告に係る指導要録から摘記すると以下のとおりである。

(ア) 小学校4学年(平成3年4月〜平成4年3月)

欠席1日

授業は真面目な態度で取り組み,発表もよくする。体育が得意で進んでよく動いていた。リコーダーが上手にふける。

正義感が強いため誤解されることもあるが,明るく,教師の話を相槌を打って聞いていた。掃除等も真面目よくやる。

(イ) 小学校6学年(平成5年4月〜平成6年3月)

欠席0日(忌引2日)

まじめにやっていたが,身につかない部分が多かった。バスケット・サッカー等は,男子と対等に戦った。

目立たない様にしていた様に思う。しかし,心を開きつつあり,明るく話しかけたりしていた。

奉仕実行委員となりその働き具合を見ると,意欲的で生き生きしていた。これも1つの姿かと思った。

市の陸上大会ボール投げ出場

(ウ) 中学校1学年(平成6年4月〜平成7年3月)

欠席1日(かぜ)

中学入学後,柔道部に入部。大会等で実績をつくり,このことがすべての面で自信につながった。おだやかな性格で,明るく,スポーツ好きの生徒で,人気もある。

(エ) 中学校2学年(平成7年4月〜平成8年3月)

欠席2日(かぜ)

柔道○の大会個人市第○位

おとなしく静か。おだやかな気質は友人からも好まれていた。責任感も旺盛である。

(オ) 中学校3学年(平成8年4月〜平成9年3月)

欠席6日(かぜ)。

柔道部部長,各大会に参加,入賞する。柔道初段,英検3級,○○展で県入選

人との交流,発言なども多くはないが,徐々に向上し,人間関係も多くなりつつある。

イ 原告は,被告乙山が担任を交替した平成4年9月1日から,5年3組のクラスの雰囲気や原告に対する級友の態度がそれまでとは全く変わってしまったと感じた。また,原告は,被告乙山が担任を交代したことについて,級友などから,「問題児」,「乙山先生をやめさせたくせに」などと言われたり,無視されたりした。

ウ 原告は,平成7年(中学校2年生)ころ,柔道の試合のために授業を頻繁に休んでいたことや,口数が少なく余り話をしないことなどにより,級友から,「何でしゃべらないの」,「しゃべれないんじゃないの,この子」,「1年に何回しゃべるの。」などとなじられた。また,体育教師から,何故話をしないのか根掘り葉掘り聞かれ,泣き出す程嫌な思いをした。

エ 原告は,平成8年12月2日(中学校3年生),自治医科大学附属大宮医療センター心療内科を受診し,精神分裂病,自律神経失調症(心身症)との診断により,治療を開始した。

原告を診察した同センターの医師により診療記録に記載された内容は,「約1か月前より,隣のワンルームマンションの2Fからデブetcの声が聞こえることがある」,「妄想は顔をみたことはない男性3人と確信的」,「母が小5のいじめの話をすると,とたんそわそわする」,「『甲野さん生理中』という声がきこえてその時クラスみんなの反応,よく日は学校休んだ」,「自分の考えたことが遠くで聞こえている」,「小5から変わった,友人6人,しかしその人といても楽しくない,なじめない」などというものである。

オ 原告は,平成10年9月ころ(高校2年生),級友によって「ほろんでしまえ」,「きみのプライドは富士山より高い」,「お高くとまってんじゃねえよ」,「クソヤロー」などと記載された寄せ書きが自分の机の中に入っているのを見つけた。

カ 原告は,平成11年4月23日(高校3年生),体育の時間に,鞄に入れていたネクタイを切られ,同月26日にもシャツを切られるという嫌がらせを受け,その後は登校し,教室に入ることがほとんどできなくなった。

キ 原告は,平成11年6月15日,帝京大学医学部附属病院を受診し,精神分裂病としてEクリニックを紹介され,同年7月9日,同クリニックを受診して,精神分裂病と診断された。

ク 原告は,平成11年8月にカウンセリングを受け,本件いじめ行為を再現している途中でわーっと泣き出し,以後,母春子に対し感情をぶつけるようになった。

ケ 原告は,本件いじめ行為に関して,被告乙山に対し訴訟を提起したいと考え,原告訴訟代理人に相談した。そして,原告訴訟代理人からD医師を紹介され,平成12年1月20日,Dクリニックを受診して,同年5月30日,D医師より,「病名 PTSD(外傷性ストレス性障害)」,「上記によると思われる特殊なタイプの幻聴,離人症性障害,未来の縮少,希死念慮,自傷行為,抑うつ気分などの複合症状を認める。小学5年時の女性教師による当人を標的とした“いじめ”の後遺症と思われる。」との診断を受けた。

コ D医師の作成に係る意見書(甲第13号証の1)によれば,上記診断の根拠等は以下のようなものである。

すなわち,D医師は,PTSDの診断基準としてDSM―Ⅳを採用した上で,DSM―Ⅳの診断基準Aに関し「事件の“致命性”は,当初,この診断基準がベトナム戦争の帰還兵における“戦闘トラウマ”を想定していたために強調されたものであるが,その後,児童虐待や配偶者虐待など,家庭内で日常的に繰り返される暴力的侵襲による『複雑性PTSD』が注目されるようになるに従い,被害者が事件に遭遇した際の“絶望感・無力感”(自己の努力によって被害を回復することが出来ない,悲惨な状況から逃れるすべがないという感覚)が重視されるようになった」として,「複雑性PTSD」の概念を導入し,「今回の症例の場合,小学校5年生(11歳)のときの教師によるいじめ被害の体験は患者(注,原告を意味する。以下同じ。)の努力によって回避できるようなものではなかった。患者は強い無力感・絶望感・屈辱感を与えられたと思われるので,PTSDの第1要件を満たす」とし,さらに「他の3要件(診断基準B〜D)とその持続期間(診断基準E),社会的影響(診断基準F)についても,患者はPTSDの診断基準を満たしている」と判断して,「患者は小学校5年(11歳)時に突発的に始まり,3か月にわたって集中的に行われた担任教師からのいじめ被害による外傷後ストレス障害に罹患している。この障害は自己卑下と他者不信を喚起し,慢性でかなり重篤な抑うつ状態を招き,これらを基盤として中学3年に始まり,現在まで続く『幻聴によるいじめ』に至ったと思われる……患者は小学校5年時のストレスを契機として生活行動上,思考内容上の変化をきたしているのであって,このことは診断のいかんを問わず強調されるべきことと考える」と結論づけている。

また,D医師は,意見書・その2(甲第22号証)において,「原告を精神分裂病(統合失調症)と診断することに異論があるわけではない」としている。

サ 原告は,高校を卒業した後,数回に渡り,リストカットなどの自傷行為を繰り返した。

シ F医師は,事例に関する意見書(丙第6号証)において,DSM―Ⅳの精神分裂病についての診断基準に照らし,原告が中学3年生ころ発症した統合失調症(精神分裂病)に罹患しているとする一方,原告は,DSM―Ⅳの診断基準によってもPTSDとは判断されないとの意見を述べる。

(2)  原告は,被告乙山から本件いじめ行為を受けた結果,DSM―Ⅳの診断基準を満たすPTSDに罹患した旨主張し,D医師による上記(1)のケ,コの診断,意見は,この主張に沿うものである。

しかしながら,以下に述べるとおり,上記D医師の診断及び意見を採用することはできず,他にこの点に関する原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

ア まず,上記(1)のケのとおり,原告は,本件いじめ行為に関し被告乙山に対する訴訟を提起したいと考え,原告訴訟代理人の紹介でD医師の診察を受けた経緯があり,このことに,意見書(甲第13号証の1)の検査所見におけるD医師の質問手法を併せ考えると,診断の根拠となる検査がDSM―Ⅳの診断基準に該当するよう誘導的になされ,原告においても同診断基準に該当するよう迎合的に回答した疑念が生ずることを否定し得ない。なお,D医師は,その作成に係る意見書・その2(甲第22号証)に「そもそも筆者の意見書なるものは,当該のもの(注,甲第13号証の1)にかかわらず常にひとつの目的に沿って書かれている。その目的とは,患者の主張に沿い,その主張が専門家の立場から見て,看過し得ない合理性を持つか否かを検討しているのであって,公平な第三者を気取るものではない。その点で裁判所の命令による所謂『精神鑑定』とは厳密に区別すべきものである」と記載し,自らの客観性・第三者性につき留保している。そして,上記(1)の認定事実によれば,原告については一貫して統合失調症(精神分裂病)の診断がなされているが,PTSDと診断したのは,D医師のみである。

これらの事実によれば,D医師の原告に対するPTSDの診断については,その客観性について,疑問無しとし得ない。

イ DSM―Ⅳの診断基準では,ストレス(心的外傷,トラウマ)から6か月を経過した後に発症したPTSDは「発症遅延」とされているところ,丙第6号証によれば,通常,PTSDの発症は,心的外傷後6か月以内であり,6か月以上経過した後に発症した「発症遅延」の場合には,PTSDと診断することにつき慎重になるべきであるとされていることが認められる。

しかるところ,上記(1)の認定事実によれば,本件いじめ行為に遭った後,原告の精神症状に劇的な変化が生じたのは,平成8年12月に自治医科大学附属大宮医療センター心療内科を受診する直前(中学校3年生時)のことであり,本件いじめ行為から4年以上経過した後であること,その間に,原告は級友から口数の少ないことをなじられたり,中学校の教師からいやな目に遭わされるなどの精神的ストレスを受けていることが認められ,これらの事実関係に照らすと,原告に生じた上記精神症状を本件いじめ行為によるPTSDとすることには疑問を抱かざるを得ない。

ウ 診断基準Aについて

D医師が,DSM―Ⅳの診断基準Aについて「複雑性PTSD」の概念を取り入れて,同基準を満たすと判断したことは,上記(1)のコのとおりである。

そして,甲第13号証の1のほか,乙第24号証,丙第5,第6号証によれば,確かに,日本におけるPTSDの研究の歴史は浅く,その概念は流動的であって,特に近年,PTSDの臨床判断に当たり,患者にとっての体験(出来事)の主観的な意味付けを重視する傾向や,トラウマ,あるいはPTSD自体の概念の拡大を唱えるものの数が増加していることが窺えるが,現在,このような考え方や傾向が,日本の精神医学会における一般的な共通認識となり,「複雑性PTSD」が確立された概念となって支持され,PTSDの臨床判断において広く取り入れられているとの事実は,本件全証拠によっても認められない(なお,D医師自身,その作成に係る意見書・その2(甲第22号証)に,PTSDの後遺症に関する自身の見解が「一般の」,「常識的な」精神科医のそれとは異なる旨記載している。)。

そうであれば,DSM―Ⅳの診断基準によってPTSD罹患の有無を判断する場合においては,その文言に従って当該判断を行うことが相当であるというべきところ,上記1の(1)の認定に係る本件いじめ行為の具体的態様は,担任教師と児童という力関係上,原告が自力で対抗し,あるいは排除できるものではなかったことはたやすく推認し得るところであるが,直接的に原告の生命身体に向けられた暴力的な攻撃というものではなく,DSM―Ⅳの診断基準A(1)において,「死ぬ」ことと並列して規定されている「実際にまたは危うく……重傷を負うような出来事」,例えば,戦闘,身体的又は性的暴行,誘拐,監禁,災害,激しい事故などに該当するとはいえない。

したがって,本件いじめ行為がDSM―Ⅳの診断基準Aの「外傷的な出来事」に該当すると認めることはできない。

エ 診断基準Bについて

D医師作成の上掲意見書(甲第13号証の1)には,原告が心的外傷の再体験症状に関する質問に対し肯定的な回答をした旨記載された部分がある。また,甲第12号証(原告の陳述書)には,平成12年1月12日,ベッドに入ってからフラッシュバックのような状態になった,未だに抵抗できない自分がいて,恐怖心でいっぱいになる,平成12年7月12日,誰かに教室から出られないおまじないをかけられ,逃げてもすぐに教室に戻されるという怖い夢を見た等の供述記載部分がある。

しかしながら,上掲意見書(甲第13号証の1)の記載は何ら具体的なものではなく,これによってDSM―Ⅳの診断基準Bの該当性を判断することはできないというべきであるし,また,原告について甲第12号証記載のエピソードがあったとしても,それだけでは心的外傷が再体験され続けているということができないことは明らかである。

なお,平成8年12月以降,原告に現れた幻聴や幻覚が,被告乙山や本件いじめ行為に直接関連したものであることを認めるに足りる証拠はないから,これをもって心的外傷の再体験症状が生じていると認めることもできない。

したがって,原告にDSM―Ⅳの診断基準Bに該当するような外傷的出来事の再体験があると認めることはできない。

オ 以上のとおり,D医師による上記(1)のケ,コの診断,意見を採用することはできず,他に,原告がDSM―Ⅳの診断基準を満たすPTSDに罹患したとの原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

(3)  もっとも,原告がPTSDに罹患していなくとも,本件いじめ行為後に原告に何らかの精神障害が発生し,それが本件いじめ行為と因果関係を有するものと認められる場合には,原告が当該精神障害について被告市に対し損害賠償を求め得ることはいうまでもない。

そして,上記(1)の認定事実によれば,平成8年12月前後に原告が統合失調症(精神分裂病)に罹患したことが認められる。しかしながら,その発症の時期が本件いじめ行為から4年以上経過した後であることや,上記(2)のイのとおり,その間に,原告は級友から口数の少ないことをなじられたり,中学校の教師からいやな目に会わされるなどの精神的ストレスを受けていることを考慮すると,原告に生じた上記精神障害が本件いじめ行為と因果関係を有するものとすることには疑問が残り,この点を首肯させるに足りる証拠もない。

(4)  以上のとおり,原告について,PTSDその他の本件いじめ行為による後遺障害というべき症状があると認めることはできないから,本件いじめ行為によって原告が被った損害としては,被告乙山からこれを受けた当時味わった精神的苦痛のみが認められるといわざるを得ない。

しかるところ,上記1で認定した本件いじめ行為がなされた期間,原告と被告乙山の立場や原告の年齢等を含むその具体的態様等に鑑みれば,本件いじめ行為を受けたことによる精神的苦痛に対する慰謝料の額としては,これを100万円とすることが相当である。

3  争点(3)(公務員である被告乙山が,個人として損害賠償責任を負うか。)について

公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が,その職務を行うについて,故意又は過失によって違法に他人に損害を加えた場合には,その公務員が属する国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって,公務員個人はその責を負わないものと解するのが相当である。

このことは,国家賠償法1条が,1項において,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が,その職務を行うについて,違法に他人に損害を加えたときは,国又は公共団体が,その公務員に故意,過失のいずれがある場合でも,これを賠償する責に任ずるものとしながら,2項において,公務員に故意又は重大な過失があったときは,国又は公共団体は,その公務員に対して求償権を有する旨を規定しているのみで,公務員に故意又は重大な過失がなかったとき(軽過失であったとき)の公務員個人の責任や,公務員に故意又は重大な過失があったときの,その公務員個人の当該他人に対する損害賠償責任について,何ら規定していないことに照らして,明らかというべきである。また,このように解しても,国又は公共団体が責任を負うことになるのであるから,何ら被害者の救済に欠けることもない。

したがって,被告乙山は原告に対し,本件いじめ行為に係る原告の損害を賠償する責任を負うものではなく,原告の被告乙山に対する請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。

4  以上によれば,原告の被告市に対する請求は,100万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成4年9月1日から支払済みに至るまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余は理由がなく,原告の被告乙山に対する請求は,全部理由がない。

よって,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用し,仮執行免脱宣言の申立てについては,相当でないからこれを付さないこととして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・石原直樹,裁判官・大友由美裁判官・柴田秀は転補につき署名押印することが出来ない。裁判長裁判官・石原直樹)

別紙DSM―ⅣにおけるPTSDの診断基準<省略>

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