さいたま地方裁判所 平成12年(行ウ)46号 判決 2002年12月11日
原告
立石雅彦(X)
同訴訟代理人弁護士
新穂正俊
同
青木孝明
同
佐々木新一
同
中山福二
同
南雲芳夫
同
難波幸一
同
野本夏生
同
深田正人
被告
埼玉県知事(Y) 土屋義彦
同訴訟代理人弁護士
関口幸男
同指定代理人
内田正夫
原太郎
川畑絢子
榎本正之
福田充
柄島孝弘
石尾洋利
根岸明昌
松崎徹
伊藤順一
大谷史郎
秋山俊彦
前澤保雄
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第3 当裁判所の判断
1 〔証拠略〕を総合すると、次の事実を認めることができる。
(1) 合角ダムは、吉田川総合開発事業の一環として、埼玉県秩父郡吉田町及び小鹿野町に建設された、洪水調節、河川環境の保全及び上水道用水の新規開発を目的とする多目的ダムである。
(2) 同ダムについては、昭和45年4月、実施計画調査着手、同48年4月、建設事業(補助事業)採択、同54年4月、水源地域対策特別措置法に基づくダム指定、同61年3月、損失補償基準妥結、同62年3月、水源地域対策特別措置法に基づく水源地域整備計画公示、平成2年12月、合角ダム建設契約締結、平成4年2月、転流開始、平成5年7月、本体コンクリート打設開始、同年10月、定礎式挙行、同7年10月、本体コンクリート打設完了、同10年10月、試験湛水開始、同11年11月、竣工式という経過の後、その完成をみた。
(3) 同ダム建設に伴う補償は、土地101.0ha(宅地5.2、畑21.3、山林69.8、その他4.7)、移転世帯72戸、家屋及び工作物220棟について行われた。
本件非開示情報は、これらの補償に関して作成された土地契約書等に記載された前記各情報である。
2 本件条例の目的及び規定方式について
(1) 本件条例は、県民による行政情報の公開請求権を規定するものであるところ、そのような請求権は、本件条例によって創設的に認められたと解するのが相当であるから、いかなる情報を公開すべきかは、本件条例自体の各規定の解釈問題として判断されるべきである。
(2) 本件条例の関連規定の内容は前記のとおりであって、本件条例1条において、本件条例制定の目的を明らかにし、3条において、本件条例の解釈及び運用に当たっては行政情報の公開請求権の保障と個人情報保護とを調和させるべきことを規定し、5条において、県民の行政情報の公開請求権を一般的に認めた上、6条1、2項の各号に公開しないことができる行政情報を列挙し、特にその1項1号本文において、「個人に関する情報であって、特定の個人が識別され、又は識別され得るもの」とした上、同号ただし書イないしハに定める情報はこれから除かれる旨、すなわち、それらは公開しなければならない情報とする規定方式を採用している。
(3) 本件条例がこのような規定方式を採用したのは、行政情報の公開請求権は、いわゆるプライバシーの権利を中核とする個人情報の保護の利益と調和するように定められなければならないところ、このいわゆるプライバシーの権利の概念は、法的にも社会通念上も必ずしも確立されていないものであるとの認識から、個人の権利利益の十全な保護を図るため、とりあえず特定の個人を識別できる情報は、原則として不開示とすることとした上、このような規定方式では、本来保護する必要性のない情報までも非公開情報に含まれる結果になることから、これらを除外する趣旨で本件規定ただし書を設け、公知の情報、公益情報等個人に関する情報のうち不開示情報から除かれるべきものを列挙するという形式(いわゆる個人識別型)の方が判断の客観性を確保することができ、合理的であると判断したものと推測される。
地方公共団体の情報公開条例の立法の中には、個人に関する情報のうち、個人のプライバシー等の権利利益を害するおそれのあるものに限って不開示情報とする、いわゆるプライバシー保護型の方式を採用する例もあるが、前記のような観点からこの方式を採らず、本件条例のような個人識別型の方式を採用する例も多いのであって(本件条例も、制定当初はプライバシー保護型の規定方式であったものが、改正により平成6年10月1日以降個人識別型に改められたものであることは、当裁判所に顕著である。)、いずれの方式を採用するかは、各地方公共団体の立法裁量に委ねられているものである。
本件条例が個人識別型の方式を採用したものである以上、その解釈もこれに沿ったものとしてされなければならないものというべきである。
3 本件非公開情報と本件規定にいう個人識別情報
(1) 「個人に関する情報」について
ア 前記の見地からすると、本件規定にいう「個人に関する情報」とは、個人の内心、身体、身分、地位その他個人に関する一切の事項についての事実、判断、評価等の全ての情報が含まれるものであり、個人に関する情報全般を意味するものと解され、したがって、個人の属性、人格や私生活に関する情報に限られず、個人の社会的地位及び活動に関する情報、収入、財産状態等経済活動に関する情報、組織体の構成員としての個人の活動に関する情報も含まれるものと解すべきである。
これに対し、原告は、「個人に関する情報」とは、個人そのものに備わっている性質、特徴、すなわち個人の属性に関係する情報と解すべき旨主張するが、上記の説示に照らし、採用することができない。
イ 以上の見地から、本件非公開情報を検討すると、前記のとおり、これらは、合角ダム建設に伴う補償としての土地の売買等に係る事実の各記載であるから、県の公金支出に係る側面があるとしても、いずれも土地所有者個人の財産的収入という事実に関する情報として、本件規定にいう「個人に関する情報」に該当することは明らかというべきである。
(2) 「特定の個人が識別され、又は識別され得るもの」について
ア さらに、本件規定は、「個人に関する情報」であることに続けて、当該個人情報につき「特定の個人が識別され、又は識別され得るもの」と規定している。
そして、この規定の意味するところは、特定の個人が識別され、又は識別され得る情報を公開すると、一般に、プライバシーを中心とする個人の正当な権利利益を害するおそれがあるため、個人に関する情報の如何を問わず、特定の個人が識別され、又は識別され得る限りにおいて、当該情報を原則として公開しないことができるものとして取り扱うものであるから、この規定にいう情報は、当該情報自体によって特定の個人を識別させることとなる氏名その他の記述部分だけでなく、氏名その他の記述等により識別される特定の個人情報の全体を指すものであり、かつ、この情報には、当該情報単独では特定の個人を識別することはできないが、他の情報と照合することにより特定の個人が識別され、又は識別され得る情報をも含むものと解するのが相当である。後者の場合であっても、当該情報に係る特定の個人が識別される以上、個人の正当な権利利益を害するおそれがあるというべきであるから、これを除外する理由はない。
イ 以上の見地から、本件非開示情報について検討すると、本件非開示情報自体については、個人識別性は微弱であって、当該情報自体によって特定の個人が識別できる情報、又は識別し得る情報ということは困難であるにしても、既に土地契約書によって公開されている情報と照合することにより、特定の権利者個人と結合することとなる関係にあるものと認められるから、本件非開示情報は、他の情報と照合することにより特定の個人が識別され得る情報ということができる。
そうすると、本件非開示情報は、本件規定にいう「特定の個人が識別され、又は識別され得るもの」に該当するものと認めるべきである。
(3) 本件非開示情報と本件ハ規定にいう公益情報
ア 原告は、本件非公開情報は、本件ハ規定に該当すると主張し、これを否定して本件非公開情報を非公開とした被告の本件処分を違法である旨主張する。
イ 本件条例が、本件規定及び本件ハ規定という個人識別型の規定方式を採用した趣旨は、前記のとおりであり、いわゆるプライバシーの権利を中核とする個人情報の利益を十全に保護するという見地から、とりあえず本件規定によって、特定の個人を識別できる情報は原則として不開示情報とすることを定めた上、このような本件規定では、本来保護する必要のない情報までも非公開情報に含まれてしまう結果となるところから、公開してもプライバシーが侵害されるおそれのない情報、あるいは、その公益性に照らして公開することが必要とされる情報を非公開情報から除外すべきものとして類型化して列挙したものである。
このような規定の形式からすれば、行政情報の公開請求権の保障と個人情報保護の必要性との適正な調和を実現するためには、本件ハ規定をはじめとする前記ただし書の規定は、その合理的解釈が要請されるものというべきである。
ところで、本件ハ規定所定の「法令等の規定に基づく許可、免許、届出等の際に作成し、又は入手した情報で、公開することが公益上必要であると認められるもの」を非公開情報から除くこととした趣旨は、法令等の規定に基づく許可、免許、届出等の行為の中には、その性質上、県民生活に少なからぬ影響を及ぼすものがあることから、これらの行政上の手続の過程で作成し、又は入手した個人に関する情報のうち、公共の安全や秩序維持あるいは人の生命、身体、財産の保護といった公益を守るために公にすることが必要があるものに関しては、個人情報保護よりも公益を図る必要性が特に高いことにあると考えられる。
ウ 以上の見地から、本件非公開情報について検討すると、本件非公開情報は、合角ダム建設という膨大な公費を要した公共工事のための用地買収の際に作成・入手されたものではあるが、その用地取得の方式は、行政行為としてされたものではなく、一般の土地売買契約と同様に地方公共団体である埼玉県が私人の立場で権利者と交わした契約であって、上記の合理的解釈によったとしても、「法令等の規定に基づく許可、免許、届出等の際に作成し、又は入手した情報」と同視できるか疑問があるだけでなく、その内容からみても、個人の財産権の内容そのものに係る情報であって、保護されるべき個人情報としての性格が極めて高度であり、合角ダム建設に伴う損失補償基準(〔証拠略〕)が既に公開されていることを考慮すると、それ以上に本件非公開情報までも公開することが、前記のような公益を図るため特に必要であると評価することは困難である。
そうすると、本件非公開情報は、本件ハ規定に該当すると認めることはできない。
4 以上によると、本件処分のうち、本件非公開情報を非公開とした部分は、適法というべきである。
よって、原告の請求は、理由がないので棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中壯太 裁判官 松田浩養 菱山泰男)