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さいたま地方裁判所 平成13年(わ)516号 判決 2002年1月17日

主文

被告人を懲役5年に処する。

未決勾留日数中180日をその刑に算入する。

押収してあるストッキング1足(平成13年押第151号の1)を没収する。

理由

(犯行に至る経緯)

1  被告人は,大正11年3月20日に福島県内で出生し,昭和16年6月にA(大正7年7月11日生)と結婚し,B,C,Dをもうけた。Cは,同51年にEをもうけたが,同52年に離婚して実家に戻って以来,被告人及びAと同居していた。CとDは,Bが重ねた借金の返済等のため迷惑を被ったことが度々あったため,Eとともに,Bを嫌悪していたが,被告人は,Bを不憫に思い,金銭的に援助をするなどして溺愛していたため,Cらは被告人のこのような態度に強く反発するようになっていた。

2  Aは,平成6年ころから痴呆症の症状が出始め,同8年以降,異常行動や記憶障害等の症状が出ることがあり,被告人が病院に連れて行って投薬してもらったりしていたものの,日常生活にそれほど大きな支障を生じるようなことはなく,食事や入浴も一応自分でできる状態だった。被告人は,1人でAの日常生活の世話や介護をしていたが,Aが痴呆症のためご飯をこぼしたり失禁したりすると,これに腹を立てて厳しく小言を言うなどしたため,これに反発するAと口喧嘩になったりすることが多かった。また被告人は,CやEらとも,Bのことなどを巡って口論をすることがしばしばあり,同12年6月には,Cとの口論が原因で,Bに密かに引っ越しを手伝ってもらい,Aを連れて家出をしたが,その後まもなくCに連れ戻され,再び同居するようになった。

3  そうするうちに,Bが平成13年3月5日に肺癌と転移性脳腫瘍で入院したため,Bの内妻であるFが,その日のうちに被告人を介してC及びDと会い,入院の保証人となることなどを求めてきたが,以前からBの借金のため迷惑を被っていたC及びDは,そのような要求にはとても応じられないとして,医療費の負担以外の援助を一切断った。被告人は,Bがかわいそうだと考え,Cらのこのような態度に強い不満を抱いたが,CやDも入院先で会ったBの言動等から同人が被告人らの家出の手伝いをしていたことを知って憤慨し,被告人に厳しい口調で文句を言ったりするようになり,またFから被告人宛に度々電話がかかってきたことなどから,Bへの援助を巡って,被告人とCらの関係は一層険悪なものとなった。そして,同月12日朝に至って,被告人は,被告人がBにCらの新居の住所を教えたことが原因でEと口論した後,出勤前のCとも口論となり,家を出ていくなら鍵を置いていくように言われたりした。

4  被告人は,このようなことから,もはやCやEと同居を続けられないと考え,こうなればいっそ自殺でもするしかないと思い詰め,CやDらに対する恨みつらみの念などを表した遺書めいた書き置きを作成したりしたが,それとともに,自暴自棄となり,この際自分が看護しているAを殺害するしかないと考えるに至った。そこで被告人は,Aが被告人から与えられた睡眠薬等を飲んで寝入っているのを確かめた後,タンスからストッキングを取り出した。

(犯罪事実)

被告人は,平成13年3月12日午前11時ころ,埼玉県a市被告人方において,夫であるA(当時82歳)に対し,殺意をもって,その頸部に上記ストッキング(平成13年押第151号の1)を巻いて締め付け,よって,そのころ,同所において,同人を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害した。

(証拠) 省略

(補足説明)

被告人は,本件犯行の動機について,捜査公判段階を通じて,「自分は,Cらと一緒に暮らしていくことに耐えられなくなり,家出をしたいと思ったが,自分も夫も足が悪いので,2人で家出をするのは無理だと思った。しかし,自分が1人で家を出てしまったら,夫の面倒を見る人がいなくなってしまうので,それもできないと思った。そういったことから,夫のことがとても不憫になり,いっそのこと2人で死のうと思った。」という趣旨の供述をしている。

しかし,関係各証拠によれば,

1  前記のとおり,被告人は,本件犯行当日の朝,CやEが出かけた後になって,遺書めいた書き置きを作成しているが(なお被告人は,これを作成したのは前夜のことであり,また単に家出をしたいという気持ちから書いただけだと弁解しているが,その中には当日の朝に起きたEやCとの口論のことを指し示すような事柄などが記載されており,またその記載内容からしても,被告人が書き置きを作成した当時には既に自殺する意図を固めていたことが明瞭に読み取れるのであって,被告人の上記弁解は到底信用できない。),その記載内容をみると,被告人が,Cらとのこれまでの紛争に加えて,当日の朝に起きたEやCとの口論によって一段と強いショックを受け,もはや生きていく気力もなくなったとして,自殺の意図を露わにするとともに,同人らに対する恨みつらみの念などを書き表しているが,その書き置きの内容は,まもなく自殺することを決意していた被告人の心情を赤裸々に吐露したものと認められること,

2  上記のとおり,被告人が自殺を決意して作成した書き置きには,家族らに対する様々な感情が赤裸々に表されているものの,夫であるAのことについては何ひとつ記載されていないに等しいのであって,そのことからしても,被告人が自殺しようと決意するに至ったのは,家族らとの激しい軋轢によりもはや身の置きどころもなくなったと感じて思い詰めたことによるもので,Aを今後誰が看護するかなどということとは別個の問題であったと解されること,

3  被告人は,捜査段階の当初においては,本件犯行の動機について,「自分が夫を1人残して家出をすると,夫がCから苛められたり責め立てられたりするから,可哀想だと思った。」などと述べていたが,CがAを苛めたりする筈がないことが次第に判明してくると,「夫が不憫だと思ったことは事実だが,それは,Cに苛められるとかいうことではなく,自分が1人で家出をすると,面倒をみる人が居なくなって,夫が可哀想だと思ったという意味だ。」などと述べるなど,犯行の動機という極めて重要な点について,不自然な供述の変遷が見られること,

4  Aは,異常行動,記憶障害及び身体の麻痺といった症状が認められ,平成13年に入ってから介護保険2級の認定を受けたが,食事や入浴も自ら行うことができたのであり,被告人が1人でAの日常生活の世話や介護をしていたとはいえ,その介護の内容は,着衣の着脱,食べこぼしを拾う程度の食事の介助,病院への付き添い並びに失禁したりした場合の下着替えといった程度のものであり,またCは,被告人がAの面倒を見きれなくなった場合は自分が介護する旨被告人に告げていたこと,

5  被告人は,従前からAに厳しい態度で接したりしていたため,同人との間で言い合いとなることも度々あり,その様子を見ていた通院先の医師は,被告人の家庭内での言動がAに対して悪影響を及ぼすと考え,施設への入所を勧めたこともあったほどであること,

が認められ,これらの事実からすれば,夫のことが不憫だったからいっそのこと2人で死のうと考えて夫を殺害したとする被告人の上記弁解はあまりにも不自然で到底信用できず,むしろ上記の各事実によれば,判示認定のとおり,被告人は,家族との軋轢が高じて身の置きどころもなくなったと感じて思い詰め,自殺を決意するととともに,自暴自棄となり,この際自分が看護している夫を殺害するほかはないと考えて本件犯行に及んだものと認められる。

(法令の適用)

罰条  刑法199条

刑種の選択  有期懲役刑

未決算入  刑法21条

没収  刑法19条1項2号,2項本文

訴訟費用  刑事訴訟法181条1項ただし書

(量刑の理由)

1  本件は,被告人が,判示のような経緯から,夫をストッキングで絞殺したという事案である。

2  被告人は,Bの入院問題がきっかけとなって家族との対立が深刻化していたところ,犯行当日の朝もCやEと口論になり,このため精神的に追い詰められて自殺を決意するようになり,そのことが本件犯行の引き金となったのであるが,被告人が家族らと深刻な対立状態に陥ったのも,元をただせば被告人が他の子供ら(C及びD)の迷惑も顧みることなく非常識なまでにBを溺愛してきたことが大きな原因となっている上,家族との融和や協調のためにこれといった努力もしないまま自らを精神的に追い詰め,自殺を決意するに至ったのであり,しかも,夫である被害者が死ぬことを望んでいないことなど熟知していた筈であるのに,自暴自棄となって,自らが自殺する以上は自分が看護していた夫も殺害するほかはないとして,本件犯行に及んだのであって,自己中心的かつ余りにも短絡的な発想に基づく犯行で,情状酌量の余地に乏しい。

その犯行態様をみても,自分が飲ませた睡眠薬等の薬理作用によって被害者が寝入っているのを確認した上で,その首にストッキングを巻き付けて締め付け,絶命するまで絞め続けているのであり,強固な確定的殺意に基づく誠に悪質な犯行である。

もとより,被害者の死という結果が重大であることはいうまでもないが,被害者は,被告人に日常生活の世話や介護を受けていたとはいえ,殺害されなければならないようないわれは全く存せず,適切な介護を受けていれば今後の余生をなお楽しむことが出来たのであって,長年連れそった妻に突如として首を絞められ,その命を奪われるに至った被害者の無念は察するに余りあるものがある。

以上に照らすと,被告人の刑責は誠に重いといわなければならない。

3  しかし他方において,被告人には前科前歴はなく,また79歳という高齢である上,足腰も弱く,健康状態が良いとはいえないこと,前記のとおり本件犯行の動機等について不自然不合理な弁解を繰り返していることはやや遺憾ではあるが,自分の浅はかな考えから夫の命を奪ってしまったことについては自己の非を全面的に認め,反省改悛の情を表していること,被告人は被害者の介護等を殆ど1人で担っていたこと,前記のとおり自らの責めに帰すべきところが大きいとはいえ,被告人は家族との対立が深刻化して孤立無援の状態となり,自殺するしかないと思い詰めたことが原因となって本件犯行に及んだものであり,現在でも家族らからは見放され,寄る辺のない老後を送らざるを得ない状況にあることなど,被告人のために斟酌すべき幾つかの事情も存在する。

4  そこで,当裁判所は,これら一切の事情を総合検討した結果,被告人に対しては,主文のとおりの刑を科するのが相当であると判断した。

(出席した検察官伊藤俊行,弁護人吉澤俊一)

(求刑 懲役8年,ストッキング1足の没収)

(裁判長裁判官 吉村正 裁判官 大渕真喜子 裁判官 小笠原義泰)

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