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さいたま地方裁判所 平成13年(行ウ)41号 判決 2002年12月18日

主文

1  被告八潮市長が原告(選定当事者)ら及び別紙1(省略)選定者等一覧表記載の各選定者(ただし,選定者Aを除く。)に対し,平成13年10月4日にした転入届不受理処分をいずれも取り消す。

2  被告八潮市は,原告(選定当事者)Bに対し金30万円,同Cに対し金40万円,原告(選定当事者)各自に対し,別紙1(省略)選定者等一覧表記載の各選定者のために,それぞれ同表認容金額欄記載の各金員及びこれらの各金員に対する平成13年10月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告(選定当事者)らの被告八潮市に対するその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,原告(選定当事者)らに生じた費用の2分の1と被告八潮市長に生じた費用を被告八潮市長の負担とし,原告(選定当事者)らに生じたその余の費用と被告八潮市に生じた費用を5分し,その2を被告八潮市の負担とし,その余を原告(選定当事者)らの負担とする。

5  この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の申立て

1  原告(選定当事者)ら

(1)  主文第1項と同旨

(2)  被告八潮市は,原告(選定当事者)Bに対し金100万円,同Cに対し金103万2011円,原告(選定当事者)各自に対し,別紙1(省略)選定者等一覧表記載の各選定者のために,それぞれ同表訴求金額欄記載の各金員及びこれらの各金員に対する平成13年10月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は,被告らの負担とする。

(4)  (2)につき,仮執行宣言

2  被告ら

(1)  被告八潮市長

ア 本案前の答弁

原告(選定当事者)らの被告八潮市長に対する訴えをいずれも却下する。

イ 本案の答弁

原告(選定当事者)らの被告八潮市長に対する請求をいずれも棄却する。

(2)  被告八潮市

原告(選定当事者)らの被告八潮市に対する請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は,原告(選定当事者)らの負担とする。

第2事案の概要

1  事案の要旨

(1)  宗教団体アレフ(宗教法人オウム真理教の解散後,同教の信者によって構成されていた宗教団体オウム真理教が改称したもの,以下「アレフ」という。なお,単に「教団」ということもある。)の信者で埼玉県八潮市に転入した原告(選定当事者)ら及び別紙1(省略)選定者等一覧表記載の各選定者(以下「本件選定者」という。なお,両者を合わせて「原告ら」といい,個別には,「原告B」「選定者D」のようにいう。)は,平成13年10月4日付けで被告八潮市長(以下「被告市長」という。)に対し住民基本台帳法(以下「住基法」という。)所定の転入届を提出したが,被告市長は,既にオウム真理教信者から提出される転入届を不受理とする旨の方針を決定していたことから,同日,同方針に従い,本件各転入届の不受理処分をした(以下「本件各処分」という。)。

本件は,原告(選定当事者)らが,原告(選定当事者)ら自身及び本件選定者らのために,被告市長に対し,本件各処分(ただし,選定者Aに対する処分を除く。)の取消しを求めるとともに,被告市長による転入届不受理方針決定から本件各処分に至る一連の違法な住民登録拒否行為によって,精神的苦痛を被り,また,国民健康保険の適用なしに診察を受けざるを得なかったため,国民健康保険給付によって賄われるべき診療費7割相当額を自己負担として支出し,同額の損害を被ったと主張し,被告八潮市(以下「被告市」という。)に対し,国家賠償法1条に基づく損害賠償請求として,原告Bにつき慰謝料100万円,同Cにつき103万2011円及び本件選定者につき別紙1(省略)選定者等一覧表の訴求金額欄記載の各金員(100万円を超える請求者については,100万円が慰謝料,超過金額が診療費7割相当の損害額である。)及びこれらに対する本件各処分の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

なお,原告(選定当事者)らは,選定者Aが転入届不受理処分後に他の土地に転出したとして,被告市長の同意を得て,選定者Aに係る転入届不受理処分の取消しを求める本訴部分を取り下げた(選定者Aに係る被告市に対する損害賠償請求は,維持されている。)。

(2)  これに対し,被告らは,ア 本件各処分の取消しを求める訴えは,裁決の前置を欠いた不適法なものである(裁決前置の欠缺),イ 原告らの居住の事実には疑いがあるし,仮に居住の事実が届出のとおりであるとしても,本件各処分は公共の安全確保のためにされた適法なものというべきである(本件各処分の適法性),ウ 本件各処分は適法であり,仮に,本件各処分が違法としても,被告市長に過失はないから,被告市は,被告市長の行為を原因とする国家賠償責任を負うものではない(国家賠償責任の成否),エ 原告ら主張の慰謝料額は争い,更に,診療費7割相当の損害について,原告らは,国民健康保険の被保険者と扱われなかったことによって,その主張する診療費7割相当額を超える国民健康保険税の支払を免れていたものであるから,損害はないことに帰する(原告らの損害),と主張する。

本件の争点は,これらの被告主張の当否である。

2  基本的事実関係(当事者間に争いがないか,証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実並びに当裁判所に顕著な事実)

(1)  当事者等

ア 原告らは,いずれも,宗教団体アレフ(旧オウム真理教)の信者である。

イ オウム真理教は,松本智津夫(別名麻原彰晃)を代表者として設立された宗教法人であったが,松本智津夫及び同教の幹部らが共謀の上,平成6年6月,長野県松本市において,猛毒物質であるサリンを散布し,その結果,多数の市民の生命,身体に重大な被害を与え(いわゆる松本サリン事件),また,平成7年3月,東京都の営団地下鉄日比谷線,千代田線,丸の内線を走行する各車両に,同じくサリンを散布し,通勤,通学等のため同線を利用していた多数の市民及び駅員等に対し,その生命を奪い,あるいは身体に重大な被害を与える(いわゆる地下鉄サリン事件)など,犯罪史上類をみない重大事件を引き起こした。これらの犯罪は,オウム真理教が組織をあげて敢行したものと一般に認識されている。

このようなオウム真理教に対しては,平成7年6月に宗教法人解散の申立てがされ,同年10月30日に東京地方裁判所によってされた宗教法人解散決定が,翌平成8年1月30日に確定し,また,同年3月28日には破産宣告がされた。更に,解散後の宗教団体オウム真理教に対しては,これらの事件を契機として,平成11年12月に制定された「無差別大量殺人事件を行った団体の規制に関する法律」(以下「団体規制法」という。)の適用を受け,平成12年2月1日からは,同法による3年間の観察処分に付されている。

そして,この宗教団体であるオウム真理教は,団体規制法の適用を受けるに当たり,平成11年12月から平成12年1月にかけて公表した教団正式見解等において,松本智津夫をはじめとする同教団の信者らが,松本サリン事件等の一連の事件に関与したと思われるとして,教団の関与を認め,謝罪の意思を表明するとともに被害者への補償を約束し,更に,平成12年2月4日,宗教団体としての教団名をアレフと改称した。

(2)  被告市における転入届不受理方針の決定

被告市長は,従来,オウム真理教信者から提出された転入届を受理してきていたが,平成11年7月9日,八潮市オウム真理教対策委員会の議決に基づき,被告市においては,オウム真理教信者から提出された転入届については不受理とする方針(以下「本件不受理方針」という。)を決定し,一般に公表した。

本件不受理方針の理由は,以下のとおりであった。

「1 大瀬のパソコン工場(以下「本件建物」という。)が道場となったことが判明したこと(本件建物の所在地は,埼玉県八潮市大字大瀬a番地b,すなわち,後記の本件転入届における原告らの住所地である。以下「本件住所地」という。)。

2 今後,転入を容認することにより,本市が活動拠点となる恐れがあること。

3  看板設置等,住民の反対運動が顕著になってきたこと。

4  オウム関連施設の公開要求に対する回答がいまだにないこと。」

(3) 原告らによる転入届とその不受理等

ア  原告Bは,平成13年10月4日,八潮市役所に赴いて,自己及び他の原告ら8名を代理して,被告市長に対し,原告らにつき,各々,別紙2(省略)住所等一覧表の異動年月日欄及び住所欄各記載のとおり記入した住民異動届(転入)をもって,いずれも本件住所地への転入の届出を行った(以下「本件転入届」という。なお,本件転入届の各新世帯主欄には,原告らそれぞれが記載されていた。)。

イ  これに対し,八潮市総務部市民課の担当職員は,本件不受理方針に従い,「地域住民の反対運動の盛り上がりと,地域住民の不安解消のため,憲法13条に規定する公共の福祉の観点から不受理とする。」旨を述べて,原告Bに対し,原告らの本件転入届をいずれも不受理とする旨を口頭で通知した上,転入届用紙等を全て返戻し,もって,被告市長は,担当職員を通じて,本件各転入届の受理をいずれも拒否する処分(本件各処分)をした。

ウ  また,原告Bは,同日,八潮市役所の保健課窓口において,自己及び他の原告ら8名を代理して,国民健康保険の加入手続もしようとしたが,担当職員から,市の方針であるとの理由によって,本件各転入届におけると同様,その加入も拒否された。

(4) 審査請求

原告らは,埼玉県知事に対し,平成13年10月6日,本件各処分の取消しを求める審査請求の申立てを行ったが,本件口頭弁論終結日である平成14年9月11日の時点において,未だ,これに対する埼玉県知事の裁決はされていない。

(5) 本訴提起等

ア  原告らは,平成13年11月19日,各々当事者として本訴を提起したが,同日,本件選定者らは,行訴法7条,民訴法30条に基づき,原告B及び同Cを原告となるべき者として選定し,訴訟から脱退した。

イ  選定者Aは,平成14年2月14日,東京都世田谷区の住所に転居し,同年7月5日,世田谷区長に対し,その旨の転入届を提出したところ,同区長は,これに基づき同人の住民票を作成した。

これに伴い,原告(選定当事者)らは,当裁判所に対し,同年9月11日付け訴え取下書を提出して,本訴のうち,選定者Aに対する転入届不受理処分の取消しを求める部分を取り下げ,被告市長はこれに同意した(なお,選定者Aのために損害賠償を求める被告市に対する訴えが維持されていることは前記のとおりである。)。

3  争点に関する当事者の主張

(1)  争点(1)(裁決前置の欠缺)について

ア 原告(選定当事者)ら

住基法32条は,裁決前置主義を定めているところ,原告らは,同条所定の裁決を経ておらず,また,本訴を提起した時点で審査請求の申立てから3か月を経過していない。

しかし,(ア) 原告らは,現に平成13年7月2日に実施された参議院議員選挙及び同年9月16日に実施された八潮市長・同市議会議員選挙等において選挙権を行使できなかったものであり,本件転入届に係る住民登録が早急にされなければ,原告らは今後も選挙権を行使できず,また,国民健康保険被保険者証の交付も受けられず,生活保護,介護保険,年金保険等の社会福祉も受けられないほか,運転免許証の更新や,印鑑登録証明書の交付等,日常生活の広い範囲にわたって著しい不便を被ることになるのであるから,行訴法8条2項2号所定の「著しい損害を避けるため緊急の必要があるとき」に該当し,また,(イ) 埼玉県知事は,旧オウム真理教(現アレフ)の教団信者からの転入届を不受理とする方針を決定している多くの県内自治体に対し,住基法31条1項所定の指導をしたことはなく,同教団信者に対する転入届不受理を黙認ないし放置しているものであって,同知事に対する審査請求によっては公正な救済を期待することができないから,同項3号所定の「正当な理由」があるというべきであり,更に,(ウ) 上記事由が認められないとしても,裁決がされないまま審査請求があった日から3か月が経過すれば,裁決前置を欠くという瑕疵は治癒されるものと解すべきである。

イ 被告市長

原告(選定当事者)らは,上記のとおり,「緊急の必要」ないし「正当な理由」の存在,あるいは,瑕疵の治癒を主張するが,(ア) 選挙権について,原告らは,既に行われた過去の選挙を挙げるに過ぎないし,国民健康保険等のサービスが受けられないことについてみれば,金銭をもって償うことのできるものに過ぎないから,いずれも,「著しい損害を避けるため緊急の必要」に該当する事由とはいえず,また,(イ) 埼玉県知事が県内自治体に対し指導をした事実が見られないこと等が,直ちに「正当な理由」の存在を基礎付けるものではないし,更に,(ウ)瑕疵の治癒の主張については,裁決前置主義を形骸化するものというべきであって,相当とはいえない。

(2)  争点(2)(本件各処分の適法性)について

ア 被告ら

(ア) 原告らの居住の事実について

原告らは,アレフの教団における修行等の関係上,極めて不規則かつ移動性に富んだ生活をしており,常態的に一定の場所で生活するものではないし,本件建物のスペースに鑑みれば,本件建物の他に原告らの居住施設があることが推認できる。

そもそも,本件建物は,教団の修行専用道場として使用されているのであるから,修行者の休息や一時滞在用の居室はあるとしても,これをもって生活の本拠としての居室と認めるべきではない。

(イ) 転入届に対する被告市長の審査権限について

アレフの前身たるオウム真理教は,松本サリン事件(付近住民7名殺害・サリン中毒症障害144名)及び地下鉄サリン事件(12名殺害・3000名を超えるサリン中毒症障害)等の無差別大量殺人事件を起こし,また,日本シャンバラ化計画と称して,武力で現行国家体制を破壊し,祭政一致の専制国家体制を樹立するために武装化し,一種の内戦を想定した活動を行うにまで至ったものである。

このようなオウム真理教の教義に対する不安感は,容易に人々の記憶から消し去ることができるものではなく,現に,八潮市民のみならず各地の住民が,教団の教義に対する不安感や教団への不信感から,アレフの受入れに反対する活動を行っている。

また,住基法は,基本的に,「市町村の区域内に居住する者」からの転入届があったときは,当該市町村に対し,これを受理する義務を課すものであるが,無差別大量殺人事件を起こした教団のような団体の構成員の転入届まで想定してされた立法ではない。

一方,地方公共団体の長には,当然のことながら,地域の秩序を維持し,住民の安全を確保すべき義務があり,被告市長もまた,その例外ではない。

したがって,被告市長は,仮に原告らの住居が本件各転入届に記載されたとおりであるとしても,公共の福祉及び地域の平穏や住民の安全の確保の必要から,住民として受け入れるか否かにつき実質的判断を行う権限を有するものというべきである。

そして,被告市長は,教団の実態及び教団に対する八潮市民の反対運動など地域の実情に照らし,上記の実質的判断を行った結果,本件各処分をしたものである。

(ウ) そうすると,被告市長がした本件各処分は,いずれも適法なものというべきである。

イ 原告(選定当事者)ら

(ア) 原告らの居住の事実について

原告らは,本件住所地において起臥寝食し,修行するという生活を送っており,本件住所地の他に原告らの生活の本拠はない。

被告らが主張している事由は,本件住所地に原告らが生活の本拠を有していることを否定する事由とはならない。

(イ) 転入届に対する審査権限について

地方自治法10条1項は,「住民」の意義について「市町村の区域内に住所を有するものは,当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。」と定めており,同法11条ないし13条において「日本国民たる普通地方公共団体の住民」が有する権利(選挙権,条例の制定改廃請求権,地方議会の解散請求権)を明確に定め,同法13条の2において,「市町村は,別に法律の定めるところにより,その住民につき,住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。」と定めている。そして,住基法4条は,「住民の住所に関する法令の規定は,地方自治法10条1項に規定する住民の住所と異なる意義の住所を定めるものと解釈してはならない。」としている。

すなわち,住基法にいう「住民」の意義については「市町村(市区町村)の区域内に住所を有する者」という以外の解釈はあり得ないというべきである。

したがって,市町村長は,当該市町村の区域内に居住し,住所を有する者から転入届がされた場合には,これを受理して住民票を調製し,住民基本台帳に記録すべき義務があるというべきである。

被告らの主張する解釈は,市町村長に,転入届の目的,転入者の思想信条,所属団体の内容等を審査した上で,公共の福祉及び地域の平穏や住民の安全の確保の必要性から転入届の受理不受理を決する権限を認めるものであり,地方自治法10条1項の「住民」の意義に新たな要件(「市町村の長が,地域の秩序を破壊し,住民の生命や身体の安全を害する危険が高度に認められるといった特別の事情が存在しないと判断した者」等の要件)を加えるものであって,許されないものというべきである。

確かに,原告らの属していたオウム真理教が松本サリン事件,地下鉄サリン事件等の重大事件を惹起し,教団がその後長く適切な対応を怠っていたことは,原告ら及び教団として自認するところではあるが,であるからといって本件各処分が適法となるものではない。原告ら及び教団は,これを改善する努力を続けていく所存である。

(ウ) そうすると,原告らの住所が本件各転入届のとおりである以上,公共の安全確保等を理由にされた本件各処分は,いずれも違法なものというべきである。

(3)  争点(3)(国家賠償責任の成否)について

ア 原告(選定当事者)ら

(ア) 違法な公権力の行使について

本件各処分は,前記のとおり違法な処分であるから,そのこと自体が違法性を有する公権力の行使であるのみならず,被告市長が本件不受理方針を決定,公表し,本件各処分に至るという一連の住民登録拒否行為は,原告らが転入手続をする意思を阻害するに十分なものというべきであるから,これら一連の被告市長の行為は,原告らに対する違法な公権力の行使に該当するというべきである。

(イ) 被告市長の故意又は過失について

住基法及び同法施行令には,居住実態以外の事由を住民登録の要件とした規定は存しないところ,被告らが本件不受理方針を決定した時点より前において,被告らが居住実態以外の事由により転入届を不受理とした事例は全く存しないし,また,熊本県波野村がオウム真理教信者の転入届を不受理とした本件類似事案において,既に熊本地裁が,「原告らが現に転入地に居住し転入地を生活の本拠としている以上,被告においてはその余の事情を斟酌することなく転入届を受理すべきものである」旨判示しており(熊本地裁平成5年10月25日判決・判タ855号189頁),これに反する裁判例・学説は存在しなかったものである。

すなわち,転入届を受理すべきか否かは,居住実態の有無のみによって判断されるべきことは行政実務や裁判所の判決で既に確定した状況であった。

したがって,住民登録事務に関する知識を熟知した被告市長は,本件不受理方針を決定した時点において既に,同方針を決定し,公表し,これを維持し,実際に不受理処分をすることが,原告らの転入の意思を阻害する違法なものであることを十分認識し,又は,認識し得たものである。

更に,被告市長は,日本弁護士連合会から教団信者の転入届不受理は違法である旨の勧告を実際に受けているものであり,加えて,現在までの間に,不受理処分や一旦調製された住民票の消除処分を違法とする判決が各地でされているところであるから,被告市長として,一連の住民登録拒否行為の違法性を認識し,又は認識し得たことは明らかというべきであって,被告市長には,上記違法行為をしたことにつき,故意又は少なくとも過失があるというべきである。

(ウ) したがって,被告市は,被告市長による一連の住民登録拒否行為によって生じた原告らの損害につき,国家賠償責任を負うべきである。

イ 被告市

(ア) 公権力の行使の適法性について

原告(選定当事者)らの主張は,争う。

本件不受理方針決定ないし本件各処分は,八潮市における公共の福祉及び地域の平穏や住民の安全の確保の必要からされたものであって,違法なものとはいえない。

(イ) 被告市長の無過失について

被告市長は,転入届の受理不受理については,前記の観点から八潮市の住民として受け入れることができるか否かにつき実質的判断を行う権限を有するとの解釈に従い,本件不受理方針決定ないし本件各処分を行ったが,東京高裁においても,市町村長は,転入届に対し,住民の安全確保の観点からの実質的審査権がある旨,被告市長と同様の解釈が述べられている(東京高裁平成13年4月20日決定・判タ1058号66頁,以下「東京高裁決定」という。)。

そうすると,被告市長は,相当な根拠に基づいて,本件不受理方針決定ないし本件各処分を行ったものということができるから,上記行為をしたことにつき過失はないものというべきである。

(ウ) したがって,被告市は,いずれにしても,国家賠償責任を負うものではない。

(4)  争点(4)(原告らの損害)について

ア 原告(選定当事者)ら

(ア) 慰謝料について

住民基本台帳の記録は,選挙,国民健康保険,国民年金等住民の重要な権利に関する行政上の事務処理の基礎となるものであり,その記録がされないことによって,生存権や参政権等の様々な人権が侵害されるのみならず,それ以外にも,運転免許証の更新ができない,印鑑登録証明書が交付されないため重要な契約・手続ができない,住民票が必要な職に就けない,パスポートが取得できず出国できない,図書館等の公共施設の利用ができない,身分証明書がないため各種契約・手続に支障を来すなど,日常生活の極めて広い範囲にわたって,著しい不便を被ることは避けられないものである。

このように,原告らは,被告市長による一連の住民登録拒否行為によって,上記のとおりの利益侵害を現に被り,又は,被る可能性が高いものであるから,その精神的苦痛や不安に対する慰謝料の額は,少なくとも,原告らそれぞれにつき金100万円を下らないものというべきである。

(イ) 国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

a 原告C,選定者E,同F及び同Aは,被告市長による一連の住民登録拒否行為により,国民健康保険の被保険者証の交付を受けることができなかったため,これを医療機関に提示できないまま診察等を受けざるを得なかった結果,国民健康保険法(以下「国保法」という。)所定の保険給付を受けた場合の診療費の一部負担金3割(同法42条)を超えて,それぞれ診療費の7割に相当する部分である3万2011円(原告C,診療費全額4万5730円),1302円(選定者E,診療費全額1860円),7364円(選定者F,診療費全額1万0520円),5404円(選定者A,診療費全額7720円)を余分に支払わざるを得ず,同額の損害を被った。

b 原告C,選定者E,同F及び同Aは,八潮市に転入してから国民健康保険税を支払ったことはないが,原告(選定当事者)らとしては,それでも前記損害は認定されるべきものと考えている。

(ウ) したがって,原告(選定当事者)らは,被告市に対し,原告自身及び本件選定者らのために,市長がした一連の住民登録拒否行為による国家賠償責任に基づき,原告Bにつき100万円,同Cにつき103万2011円及び本件選定者につき別紙1(省略)選定者等一覧表訴求金額欄記載の各金員及びこれらに対する本件各処分の日である平成13年10月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 被告市

(ア) 慰謝料について

原告(選定当事者)らの主張は,争う。

(イ) 国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

a 原告(選定当事者)らは,原告C,選定者E,同F及び同Aが,一部負担金支払を超える支払診療費の7割相当分につき,損害を被ったと主張する。

b しかしながら,上記原告Cらは,八潮市に転入したと主張する日から国民健康保険税を支払ったことはない。そして,国保法等によると,別紙3(省略)国民健康保険税試算額のとおり,主張された転入日から国民健康保険税支払を行っていたとすると,本来支払うべき国民健康保険税(原告C・3万6600円,選定者E・2万1500円,同F・2万2800円,同A・3万3500円)の方が,同人らが支出せざるを得なかったと主張する一部負担金を超える診療費7割部分よりも,いずれも多額となるのであるから,この部分につき損害を被ったということはできないものというべきである。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)(裁決前置の欠缺)について

住基法は,「この法律の規定により市町村長がした処分に不服がある者は,都道府県知事に審査請求をすることができる。この場合においては,異議申立てをすることもでき」(同法31条の3),「処分の取消しの訴えは,当該処分についての審査請求の裁決を経た後でなければ,提起することができない。」(同法32条)と規定しており,いわゆる裁決前置主義(行訴法8条1項ただし書)を採用している。

ところで,本件に関し原告らがした審査請求については,基本的事実関係のとおり,未だ裁決がされていないから,本件各処分の取消しを求める訴えは,いずれも上記の裁決前置の要件を満たしていない。

しかしながら,行訴法8条2項1号は,「審査請求があった日から3箇月を経過しても裁決がないとき」には,裁決を経ない場合であっても,訴え提起を適法なものと認めているのであるから,裁決を経ない訴えであっても,提起の後,審査請求があった日から裁決がされないまま3か月の期間が経過したときには,当該期間経過時点から裁決を前置していないという手続上の瑕疵は治癒されると解するのが相当である。

そうすると,本件各処分の取消しの訴えについては,基本的事実関係のとおり,いずれも訴え提起の後,審査請求があった日から3か月を経過していることが明らかであるから,裁決を前置していないという手続上の瑕疵は治癒されたものというべきである。

そうすると,その余の点について判断するまでもなく,被告市長の本案前の主張には理由がない。

2  事実関係の補足

基本的事実関係に加え,甲4号証ないし12号証(住民異動届),14号証ないし23号証(陳述書),24号証(写真撮影報告書),25号証ないし33号証(見取り図),43号証(勧告書写し)及び44号証(人権救済申立調査報告書写し),47号証(決定正本写し),49号証(答弁書写し),88号証ないし93号証(領収証),乙5,6号証(登記簿謄本)及び弁論の全趣旨を総合すると,更に,次の事実を認めることができる。

(1)  本件建物の状況

本件建物は, 3階建鉄骨造陸屋根店舗居宅建物であり(1階・165.19m2,2階・162.22m2,3階・162.22m2),その一階部分に,流し台2個,トイレ2室,シャワー室及び洗濯室等の生活に必要な施設を備え,また,原告らが共用するスペースのほか,原告ら各人専有の2,3畳ほどの個室スペースを具備している。

そして,原告らは,それぞれ,各自の個室スペースに,自己の衣類,パソコン,ミニステレオ,扇風機,寝具等の物品を置いて,これを居住用スペースとして使用している。

(2)  教団信者からの転入届の不受理等に関する諸見解

ア 内閣総理大臣は,平成12年12月15日,被告市他8地方公共団体における教団信者の転入届不受理等に関する衆議院議員からの質問主意書に対し,「市町村長は,転入届があったときは,当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して,住民票の記載を行わなければならないこととされており,自治省においては,その趣旨について地方公共団体へ助言を行ってきたところである。」と,また,「国民健康保険については,市町村の区域内に住所を有する者は,被用者保険の被保険者等である場合を除き,当該市町村の行う国民健康保険の被保険者とすることとされているところ,厚生省においては,市町村の住民基本台帳に記載されていない者であっても,当該市町村の区域内に住所を有するものであれば,被用者保険の被保険者等である場合を除き,当該市町村の行う国民健康保険の被保険者となると考えており,その趣旨について関係地方公共団体へ助言を行ってきたところである。」との答弁書を提出した。

イ 日本弁護士連合会は,平成13年1月24日付けで,被告市他17市区町に対し,教団信者による転入届を受理しないとの方針(被告市についていえば,本件不受理方針)を取り消し,同信者からの転入届がなされたときには,住基法34条1項所定の調査を実施して,その居住の事実を確認した場合,転入届を速やかに受理すべきことを勧告した。

ウ 前記東京高裁決定は,市区町村長が住基法に基づき住民票を調整するに際し,地域の秩序が破壊され住民の生命や身体の安全が害される危険性が高度に認められるような特別の事情の存否について審査することができることを前提としたものであったが,最高裁判所第二小法廷は,平成13年6月14日,当該事件における特別抗告審として,市区町村長がそのような審査権限を有するとは必ずしも即断し難いと説示して,東京高裁決定を破棄した(平成13年6月14日決定・判例地方自治217号20頁,以下「最高裁決定」という。)。

(3)  原告らの選挙権不行使及び治療状況等

ア 原告らは,いずれも,年齢満20年以上の日本国民であるところ,八潮市の住民基本台帳に記録されておらず,したがって,選挙人名簿に登録されていないため,選定者D,同G及び同Hにおいては,平成13年9月16日に行われた八潮市長選挙及び八潮市議会議員選挙で投票することができず,また,選定者E,同F,原告B,選定者I及び同Aにおいては,前記2選挙に加え,同年7月29日に行われた参議院議員選挙でも投票することができなかったものであり,更に,原告Cにおいては,上記3選挙に加え,平成12年6月25日に行われた埼玉県知事選挙においても投票することができなかった。

このように,原告らは,いずれも,過去2回ないし4回の選挙において,選挙権を行使することができなかった。

イ 以下の原告らは,いずれも国民健康保険の加入者としての取扱いを受けなかったため,次のとおり,医療機関等に治療費等全額を支払った。

(ア) 原告C

平成12年11月30日頃(歯科診療及び治療)  5260円

平成13年7月13日(親指脱臼に係る診療) 3万7410円

(同薬代)   3060円

(イ) 選定者F

平成13年1月22日(虫歯治療)      1万0520円

(ウ) 同E

同年4月2日(歯科診療)            1860円

(エ) 同A

同年10月16日頃(虫歯治療)         7720円

3  争点(2)(本件各処分の適法性)について

(1)  原告らの居住の事実について

前記の事実関係のもとにおいては(なお,本件の第1回口頭弁論期日呼出状は,いずれも本件住所地において,原告らに対して適法に送達されている。),原告らは,それぞれ別紙2(省略)住所等一覧表異動年月日欄記載の日から,本件住所地を生活の本拠,すなわち,住所としたものと認めるのが相当である。

被告らは,この認定を争うが,その主張自体首肯し得るものではないのみならず,具体的証拠に基づくものでもないから,採用するに足りず,他に上記認定を左右する証拠はない。

(2)  転入届に対する被告市長の審査権限について

ア 地方自治法10条1項は,「市町村の区域内に住所を有する者は,当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。」と規定しているところ,住所の意義については,何ら規定するところはないので,同法においても,各人の生活の本拠をもって住所というべきものと解される(民法21条)。

そして,地方自治法13条の2は,「市町村は,別に法律の定めるところにより,その住民につき,住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。」と規定している。

イ 住基法は,上記規定を受けて制定されたものであるが,その目的は,「市町村において,住民の居住関係の公証,選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り,あわせて住民に関する記録の適正な管理を図るため,住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳の制度を定め,もって住民の利便を増進するとともに,国及び地方公共団体の行政の合理化に資すること」にある(1条)。

すなわち,住民基本台帳制度は,住民の居住関係の公証を中心に,住民に関する記録を正確かつ統一的に行うことを目的とするものであって,その意味で,文字どおり「住民たる地位に関する正確な記録」なのである。

以上の目的を達するため,市町村は,住民基本台帳を備えるものとされ(住基法5条),市町村長は,住民票を編成して住民基本台帳を作成し(同法6条),届出に基づくほか,職権によってでも,住民票の記載,消除又は記載の修正をすべきものであり(同法8条),他方,転入した全ての者につき,市町村長に対して転入届をすべき義務を課し,正当な理由がなく転入届をしない者に対しては過料の制裁があるものとされている(同法22条,51条2項)。そして,市町村長は,転入届があったときは,当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して,住民票の記載を行なわなければならないところ(同法施行令7,11条),転入届に記載されるべき内容としては,氏名のほか,住所,転入をした年月日等の居住関係に関する事項に限られているのである(同法22条)。

このような住民基本台帳制度の目的の見地からみて,住民の居住関係の公証を中心とした住民たる地位に関する正確かつ統一的な記録を実現するためには,転入届に記載された居住関係事項の正確性を確保することこそが要求されるのであって,居住関係以外の事項は,住民基本台帳制度の維持については関連性を有しないものと解するのが相当である。

そうすると,転入届の提出を受けた市町村長の審査権限の範囲は,当該転入届に記載された居住関係事項が事実であるかどうかに限られるのであって,居住関係以外の事項について考慮した上でその受理の可否を決することは,制度上予定されていないものと解すべきであり,もとより,市町村長が,居住関係以外の事項について審査した上で,転入届の受理の可否を決することができる権限を有することを窺わせる法令上の根拠は見当たらない。

ウ 以上の説示を前提として,本件をみるに,原告らの住所地,異動年月日(転入日)については,前記認定のとおり,それぞれ本件各転入届記載のとおりであるから,被告市長としては,本件各転入届を受理した上,住民基本台帳に記載すべきものであるところ,被告市長は,前記基本的事実関係のとおり,「地域住民の反対運動の盛り上がりと,地域住民の不安解消のため,憲法13条に規定する公共の福祉の観点から不受理とする。」との理由をもって,本件各転入届を不受理とする本件各処分をしたものであって,結局において,居住関係事項(居住の事実や居住の意思等)の真実性と関連性のない事由に基づいて本件各処分をしたものであるから,本件各処分は,違法というべきである。

エ これに対し,被告らは,被告市長は,公共の福祉及び地域の平穏や住民の安全の確保の必要から,住民として受け入れるか否かにつき実質的判断を行う権限を有するものであり,教団の実態及び教団に対する八潮市民の反対運動など地域の実情に照らし,上記の実質的判断を行った結果,本件各処分をしたものであると主張する。

そして,前記の事実関係に加え,乙1号証,2号証,18号証,20号証ないし27号証,43号証の1,45号証,53号証ないし55号証によれば,教団の従来の行動傾向から,教団の信者が八潮市に転入することについては,地域住民が不安を感じ,反対運動が盛り上がっている状況にあることは否定することができないところである。

しかしながら,市町村長が,住民として受け入れるか否かにつき,被告ら主張のような居住関係事項以外の事由を斟酌して実質的判断をする権限を有すると解すべき法令上の根拠が見当たらないことは前記のとおりである。

更に,被告らの主張する地域の平穏等は,具体的には,本件各処分の理由である地域住民の反対運動やその抱く不安を意味するものと解されるが,これらは,教団信者である原告らが本件住所地に居住する事実自体に起因するものであって,転入届の受理と直接結び付くものではない。すなわち,本件各処分は,基本的に本件各転入届を不受理として住民基本台帳に記載しないというだけのことであって,住民票を調製しないからといって,本件住所地に居住する原告らの権利を否定したり,また,原告らの八潮市内への居住を拒否するなどの法的効果を伴うものではないのであるから,本件処分は,被告らの主張する地域の平穏等を確保する法的手段たり得ないのである。

したがって,被告らの主張は,そもそも前提を欠くものというべきであって,失当である。

(3)  そうすると,本件各処分は,いずれも違法なものというべきであるから,取り消されるべきものである。

4  争点(3)(国家賠償責任の成否)について

(1)  違法な公権力の行使について

前記のとおり,被告市長は,平成11年7月9日に,オウム真理教信者からの転入届については不受理とする本件不受理方針を決定し,これを公表するにとどまらず,これに従い,原告らに対し,前記説示のとおり違法と評価される本件各処分を実際に行うにまで至ったものである。そして,被告市長には,転入届の内容が事実であるかどうかを審査して住民票の記載を行うべき法律上の義務があることに鑑みれば,被告市長のしたこれら一連の住民登録拒否行為は,この法令上の義務を原告らとの関係で一切拒否するものであるから,原告らに対する違法な公権力の行使とみるに妨げないものというべきである。

(2)  被告市長の故意又は過失について

ア 被告市長が本件不受理方針を決定した平成11年7月9日当時において,被告らの主張するような解釈が表明されていたことを認めるに足りる証拠はなく,前記の住民基本台帳制度の目的,住基法における住民票の転入届に関する規定の各文言に照らせば,被告市長が前記解釈のもと本件不受理方針を決定したことにつき相当の根拠があったということはできないし,本件各処分が実際にされた平成13年10月4日当時においては,既に,教団信者の転入届不受理等に関し内閣総理大臣が前記認定事実のとおりの答弁書を提出しており,これによれば本件各処分が許容されるものではないことが十分に推知できること,また,日本弁護士連合会が前記認定事実のとおりの勧告まで行っていることからすると,被告市長が本件不受理方針に従い,現実に本件各処分を行うについては,それが違法であることを認識し,又は認識し得たものと認めるのが相当というべきである。

以上によると,本件不受理方針決定から本件各処分に至る一連の住民登録拒否行為は,転入届の内容(居住に関する事項)が事実であるかどうかのみを審査して住民票の記載を行うべき法律上の義務に反する内容のものであるから,被告市長には,このような行為をしたことにつき,少なくとも過失があると認めるべきである。

イ これに対し,被告市は,前記東京高裁決定を根拠として,被告市長は,相当な根拠に基づいて,本件不受理方針決定ないし本件各処分を行ったものであって過失がないと主張するが,東京高裁決定は,本件不受理方針決定当時においては存在しなかったものであり,まして,本件各処分当時においては,東京高裁決定は最高裁決定によって既に破棄されていたことは前記のとおりであるから,被告市長が相当な根拠に基づいて本件不受理方針決定ないし本件各処分を行ったものと認めることはできない。

(3)  そうすると,被告市の公権力の行使に当たる公務員である被告市長は,少なくとも過失によって本件不受理方針を決定,公表し,これを維持して本件各処分に至ったものであり,被告市長によるこれら一連の住民登録拒否行為は,その職務を行うについてされた違法なものであるから,被告市は,国家賠償法1条1項に基づき,これらの行為により原告らが被った損害を賠償する義務があるというべきである。

5  争点(4)(原告らの損害)について

(1)  慰謝料について

ア 公職選挙法によれば,選挙権者の選挙人名簿への登録は,住基法に基づいて,その者についての住民票が作成された日から引き続き3か月以上当該市町村の住民基本台帳に記載されたものについて行われるものであるところ(公職選挙法19条2項,21条1項,22条,42条1項本文),原告らが,本件不受理方針ないし本件処分の結果として,住民票が作成されなかったことにより八潮市の住民基本台帳に記載されず,したがって,選挙人名簿に登録されなかったため,いずれも,過去2回ないし4回の選挙において,各種選挙において投票することができなかったことは前記認定事実のとおりである。これは,被告市長による一連の住民登録拒否行為によって惹起されたものであり,選挙権が国民に保障された基本的人権の一つであることを思えば,原告らは,この選挙権を行使することができなかったことにより,一定の精神的苦痛を被ったことを認めることができるものというべきである。

また,弁論の全趣旨に照らすと,原告らは,上記のとおり選挙権行使を妨げられたほか,本件処分の結果として住民票が調製されず,住民基本台帳に記載されなかったため,原告ら主張のような様々な行政役務の提供を受けられないという利益侵害を現に被り,今後も被る可能性が高いものであると推認できるから,これにより,相応の精神的苦痛を被ったものと認めるのが相当である。

イ しかしながら,原告らの属していたオウム真理教が松本サリン事件,地下鉄サリン事件等の重大事件を惹起し,教団がその後長く適切な対応を怠っていたことは,教団が自ら認めるところであり,その故にこそ地域住民の不安を生じさせており,これが被告市長において一連の住民登録拒否行為を行った原因の一つとなっていることは明らかである。このことは,勿論,被告市長の行為を正当化するものではないけれど,教団に属する原告らの社会的責任を考えると,原告らの慰謝料額算定に当たって,無視することができない事情というべきである。

ウ 以上の諸事情を総合考慮すると,原告らが被告市長による一連の住民登録拒否行為により被った精神的損害に対する慰謝料としては,原告Cにつき,40万円,同B,選定者E,同F,同I,同Aにつき,それぞれ30万円,同D,同G,同Hにつき,それぞれ20万円が相当である。

(2)  国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

ア 原告らの被った損害

(ア) 国民健康保険は,被保険者の疾病等の保険事故に関して必要な保険給付を行うことにより,社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的とする制度である(国保法1条,2条)。そして,国保法は,被用者保険等の被保険者であるなどの場合を除き,市町村(又は特別区)の区域内に住所を有する者は,当然に当該市町村が行う国民健康保険の被保険者となる旨を規定している(同法5条,6条)。

したがって,同法5条の規定に照らせば,市町村国民健康保険の被保険者となるためには,当該市町村に住所を有することが必要であるところ,住基法22条から25条までの規定による届出(転入届,転居届,転出届又は世帯変更届)に,国民健康保険の被保険者であることを証する事項で住基法施行令に定めるもの(転入届についていえば,同施行令27条1号に規定する事項)を付記すれば,国保法上の市町村に対する届出があったものとみなされること(同法9条10項,住基法28条)からして,住所の意義については,住基法と同様,国保法上も各人の生活の本拠を予定しているものと解される。

原告らが,それぞれ別紙2(省略)住所等一覧表異動年月日欄記載の日から,本件住所地を生活の本拠としたことは,前記認定のとおりであるところ,原告らが被用者保険等の被保険者であるなどの適用除外事由は,特に見当たらないから,原告らは,それぞれ同日から八潮市の区域内に住所を有する者として,国民健康保険の被保険者たる資格を取得したものと認めるべきである。

そして,国保法上の保険給付は,国民健康保険の被保険者たる資格に基づいて享受し得る利益であるから,原告らが被保険者としての一部負担金支払を超えてした診療費の支出は,前記の同人らの被保険者たる資格を拒否する行為(前記の転入届と国保法上の届出の関係及び前記基本的事実関係のとおり,本件各転入届と同日にされた国民健康保険の加入手続[国保法9条1項所定の届出と推認される。]が実際に拒否されていることからすれば,原告[選定当事者]らが主張する被告市長による一連の住民登録拒否行為には,原告らの被保険者たる資格に応じた取扱いを拒否する行為を包含するものというべきである。)によって生じた損害というべきである。

(イ) 国民健康保険において,保険医療機関等による療養の現物給付(国保法36条1項)を受ける被保険者は,その給付を受ける際,当該給付につき行政当局の定めた診療報酬額(同法45条2項,3項)に,一般保険者についてみれば3割を乗じて得た額を一部負担金として,当該保険医療機関等に支払わなければならず(同法42条1項),また,当該給付に薬剤の支給が含まれるときは,当該給付を受ける際,前記した一部負担金のほか,当該支給を受ける薬剤につき同条2項各号に掲げる薬剤の区分に従い当該各号に規定する額をも,一部負担金として,当該保険医療機関等に支払わなければならない(同条2項)。

(ウ) 原告C,選定者E,同F及び同Aが受けた治療内容は,前記のとおりであり,弁論の全趣旨に照らし,それらは,保険者が行うべき国保法36条1項所定の療養の給付の範囲内のものと推認することができるから,被告市長による被保険者資格拒否行為がなければ,同人らは,八潮市の行う国民健康保険の被保険者として療養の給付が受けられたものであり,したがって,同人らが現実にした支出と同法42条1項,2項所定の一部負担金との差額は,被保険者たる資格を拒否する行為によって生じた余分の支出,すなわち,当該行為によって生じた損害というべきである。

(エ) そこで,原告C,選定者E,同F及び同Aが受けた治療との関係で,同人らが支払うべき同法42条1項,2項所定の一部負担金との差額を検討する。

前記の事実関係によると,選定者Eについては1302円(診療費全額金1860円の7割相当分),同Fについては7364円(同1万0520円の7割相当分),同Aについては5404円(同7720円の7割相当分)と各々認めることができる。原告Cについては,その主張する診療費全額4万5730円のうち3060円は,前記認定のとおり薬代として支出したものであるところ,その種類数,投薬日数及び薬剤の区分等について何ら主張するところがないから,その一部負担金の額を算定しがたいのであるが,弁論の全趣旨に照らし,被告市は原告主張額を争わないものと認めるのが相当であるから,前記総額の7割相当分である3万2011円が一部負担金との差額となる。

イ 被告市の主張(国民健康保険税未納による損害の不存在)について

(ア) 被告市は,原告C,選定者E,同F及び同Aが八潮市に転入したとしても,国民健康保険税の支払を行っていないが,保険給付を受ける前提として本来支払うべき国民健康保険税の方が,前記原告らの支払った一部負担金を超える超過金(支払診療費の7割相当額)よりも多額となるから,上記差額をもって損害があったということはできない旨主張する。

(イ) 国民健康保険において,保険者は,国民健康保険事業に要する費用に充てるため,世帯主から保険料を徴収しなければならず(国保法76条1項本文),また,市町村たる保険者は,国民健康保険事業に要する費用に充てるため,国民健康保険税を課すこともできる(地方税法703条の4第1項。この場合は保険料の徴収を要しない。国保法76条1項ただし書)。そして,国民健康保険税の納税義務者は,被保険者の世帯主である(同法703条の4第1項,28項)。

そして,保険者たる市町村は,保険料ないし国民健康保険税を滞納している世帯主が,一定の期限内に当該保険料等を納付しない場合は,特別の事情がない限り,当該世帯主に対し被保険者証の返還を求めるべきものとされ(国保法9条3項),被保険者証の返還を求められた世帯主は,市町村に当該被保険者証を返還しなければならないものとされている(同条5項,更に,同条6項,同法54条の3第1項,63条の2参照)。

以上によれば,保険料ないし国民健康保険税は,被保険者資格に対する対価的性格を有するものというべきであるから,被保険者たる資格を拒否する行為によって,保険給付たる療養の給付が受けられず,したがって自費治療額と一部負担金との差額支出を余儀なくされたとしても,その反面として,保険料ないし国民健康保険税の負担を免れ,その利益の方が差額より多額の場合には,原則として,損害を被ったものとはいえないものというべきである。

(ウ) そこで検討するに,前記原告らは,いずれも本件各転入届に自己を世帯主と記載しているから,世帯主として独立の生計を営んでいる者と推認でき,そうすると,同人らは,いずれも国民健康保険の被保険者である世帯主として,八潮市の行う国民健康保険事業における国民健康保険税の納税義務者となる(地方税法703条の4第1項)。

そうすると,前記原告らは,それぞれ別紙2(省略)住所等一覧表異動年月日欄記載の日から八潮市の行う国民健康保険事業の被保険者たる資格を取得したことになるから,同時に,国民健康保険税の納税義務者としての義務をも負担すべきものである。

そして,乙61号証及び弁論の全趣旨によれば,八潮市における国民健康保険税の課税は,所得割,資産割,被保険者均等割及び世帯別平等割の併用(地方税法703条の4第4項参照)によって算出されること,賦課期日(4月1日)後に納税義務が発生又は消滅した場合には月割課税(賦課期日後に納税義務が生じた者にはその日の属する月から月割をもって課税し,賦課期日後に納税義務が消滅した者にはその日の属する月の前月まで月割をもって課税する方式)が行われることが認められるところ,これに従って同人らが支払を免れた国民健康保険税の負担(ただし,各人の被保険者資格取得日から平成13年度分まで)を,同人らに有利に,所得割及び資産割をないものとして算定すると,原告C,選定者E及び同Fにおいては,被告の主張する別紙3(省略)国民健康保険税試算額の該当欄記載のとおり,原告Cについては3万6600円,選定者Eについては2万1500円,同Fについては2万2800円となる。また,同Aについては,平成14年2月14日,東京都世田谷区内に転入しており,八潮市における国民健康保険税納税義務の消滅事由が生じているから,月割をもって算定すると,別紙4(省略)選定者Aに係る国民健康保険税試算額記載のとおり,金3万0900円となる。

(エ) 原告C,選定者E,同F及び同Aにおける以上の国民健康保険税額は,所得割及び資産割をないものとして算定した,同人らに有利な,いわば最低限の課税額というべきものであるところ,このような課税額であっても,前記認定の同人らの自費治療額と一部負担金との差額支出(原告C・3万2011円,選定者E・1302円,同F・7364円,同A・5404円)よりも,いずれも多額となることが明らかであるから,同人らは,被告市長によって被保険者資格を拒否され,その結果として,自費治療額と一部負担金との差額支出を余儀なくされたものの,その反面として,その額を超過する国民健康保険税の負担を免れたものであるから,原告C,選定者E,同F及び同Aにおいて,この差額相当額の支出につき損害を被ったものとは認められないものというべきである。

被告市の主張は,理由がある。

ウ 以上によると,被告市は,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として,原告ら各人につき慰謝料としての前記各金員及びこれに対する一連の住民登録拒否行為による損害発生以後の日である本件処分日(平成13年10月4日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

3 結論

以上の次第で,原告(選定当事者)らの被告市長に対する本件各処分の取消しを求める各請求は,いずれも理由があるからこれらを認容することとし,また,被告市に対する損害賠償を求める各請求は,前記説示の限度において理由があるから認容することとし,その余は,いずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行訴法7条,民訴法61条,64条,65条1項を,仮執行の宣言につき,同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 都築民枝 裁判官 渡邉健司)

裁判長裁判官田中壯太は,転補につき,署名押印することができない。 裁判官都築民枝

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