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さいたま地方裁判所 平成14年(わ)1324号 判決 2002年12月05日

主文

被告人を懲役11年に処する。

未決勾留日数中70日をその刑に算入する。

押収してある包丁2丁(平成14年押第267号の1,2)及び包丁の柄1個(同押号の3)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,肩書住居地の自宅で,両親らと同居していたが,全く働く気がなく,母Aの作る食事を摂る以外は,自室に引き籠もってテレビを見たりテレビゲームをしたりして過ごすという生活を続けていたが,同女から仕事をするよう度々注意を受けていたことから,同女に対する反感,憎しみの念を募らせ,同女を殺してやりたいと思うようになっていたところ,平成14年7月11日午後7時30分ころ,いつもと違って時間になっても夕食に呼ばれなかったことから,1階居間で同女に「飯は。」と聞くと,「ない。働く気がないなら出ていけ。出ていく前に弁償していけ。」と言われたことに立腹し,同女を殺害しようと決意し,同所において,両手に持った包丁2丁(刃体の長さ約17.6センチメートル及び同約16センチメートル。平成14年押第267号の1ないし3)で,その胸部等を多数回突き刺し,よって,同日午後8時30分ころ,埼玉県a市B病院において,同女(当時64年)を胸部の刺創群による血気胸により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目) 略

(責任能力について)

第1弁護人の主張

弁護人は,被告人は犯行時統合失調症(精神分裂病)に罹患していたものと推定され,責任無能力であり,医師Cのいわゆる簡易鑑定結果は信用できないと主張するので,以下,当裁判所の判断を示すこととする。

第2事実関係

関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる。

1  被告人は,高校受験を断念するまでは,成績もよく,特段の問題行動もなかったが,その後は,無気力となった。中学卒業後,就職したが,両親に金を無心し,断られると暴力を振るうようになり,昭和59年1月,親に対する傷害,恐喝罪で医療少年院に入院した。約1年2か月後に仮退院し,帰住先に赴く途中逃げ出し,自殺未遂事件を起こし,自宅に引き取られ,その後,数か所で就労したものの,いずれも長続きせず,平成2年ころからは仕事をせず,同8年ころからは自宅に引き籠もっていたが,家族に暴力を振るうことはなかった。

同9年1月末ころ,火事で自宅が焼失したため,警備会社に勤めながら一人暮らしを始めたものの,同年秋ころには同社を辞めてしまい,いわゆるホームレス生活をしていたが,同12年8月末ころ,父親の勧めで再び家族と同居するようになった。被告人は,全く働く気がなく,食事時に1階に下りて母親の作る食事を摂る以外は,2階の自室に籠もってテレビを見たりテレビゲームをしたりして過ごしていた。同女は,被告人に仕事をするよう度々注意していたが,被告人は聞き入れず,イライラしては憂さ晴らしに自室の壁を蹴ったりして穴を開けるなどしていた。

被告人は,母親から,仕事をしろ,金を入れろ,働かないのなら出て行けなどと小言を毎日のように言われ,同女に対する反感,憎しみの念を募らせ,本件の約1年前からは,同女を殺してやりたいと思うようになっていた。

被告人は,同14年7月11日午後7時30分ころ,時間になっても夕食に呼ばれなかったので,1階居間に下り,母親に「飯は。」と聞くと,「ない。働く気がないなら出ていけ。出ていく前に弁償していけ。」と強い口調で言われたことから,立腹し,小うるさい同女を殺してしまおうと決意した。被告人は,台所に行って刃体の長さが約17.6センチメートルと約16センチメートルの包丁2丁を取り出し,これを両手に1丁ずつ持って居間に戻り,いきなり同女の胸部目掛けて包丁を突き刺し,同女が大声で悲鳴を上げ,必死に抵抗したことにも躊躇せず,その胸部付近を手当たり次第に多数回突き刺した。居合わせた弟が止めに入るや,包丁を振り回し,同人の額や腕などを切り付け,同人を追い払った。被告人は,倒れ込んだ同女の身体に跨り,その胸部目掛けて刺し続けたが,駆けつけた父親から,「止めろ。」と怒鳴られ,持っていた包丁を取り上げられた。同女は,同日午後8時30分ころ,搬送先の病院で,胸部の刺創群による血気胸により死亡した。

2  被告人に幻覚,妄想は認められない。精神科の通院,入院歴はなく,両親,兄弟にも精神病の病歴はない。

3  被告人は,犯行前後,犯行時の状況について,清明な記憶を保持している。

第3検討

1  まず,犯行の動機についてみると,上記のとおり,反感,憎しみの念を募らせ,殺してやりたいと思うまでになっていた被害者から食事の用意はないなどと言われ,立腹し,同女殺害を決意したもので,その動機は了解可能である。

次に,犯行態様についてみると,被告人は,母親に対しては,包丁2丁でその胸部目掛けて多数回にわたって突き刺しており,他方,弟に対しては包丁を振り回しているものの,これは,犯行遂行の障害を除去すべく追い払おうとしてなされたもので,攻撃態様を異にしており,また,その後駆けつけた父親には攻撃を加えていない。このように,被告人は,その場の状況に応じて犯行遂行に向けて合目的的な行動をとっており,不審な点は認められない。

確かに,被告人が,犯行前の約2年間,自室に引き籠もり社会と没交渉の生活を送っていたこと,医療少年院への入院歴があること,犯行後晴れ晴れした気持で,反省の情は感じない等と被告人が供述していることなどの事情も認められる。

しかし,医療少年院仮退院後は長続きはしなかったものの就労経験もあり,特段の社会的問題行動も引き起こしていない。自室への引き籠もりや物への八つ当たり的攻撃は,被告人のように社会的自立心のない子供が親の庇護下にある場合に往々にしてみられる現象で,特異な言動とまではいえない。次に,被告人に反省悔悟の念が窺えないことは明らかであるが,これは被告人の情性欠如を示すものに過ぎない。

そうすると,被告人には,犯行前後,犯行時を通じて,精神の異常を窺わせるような特異な言動は見受けられない。

そして,被告人に幻覚,妄想,病歴,遺伝的負因は認められず,問題となるような記憶の欠落もない。

以上検討の結果を総合すれば,被告人は,犯行当時,行為の是非善悪を弁識し,これに従って行動する能力を有しており,その完全責任能力が認められることは明らかである。

2  弁護人は,被告人は,統合失調症に罹患していると推定されると主張するが,上記1で検討したところから明らかなように,被告人が精神病に罹患していたものとは到底解し難い。

次に,弁護人は,捜査段階におけるC医師の簡易鑑定を信用できないと縷々主張するが,もともと起訴前の簡易鑑定は,正式鑑定の要否を見極めるためのスクーリングの役割を担っているに過ぎず,C医師のとった手法も通常の簡易鑑定においてなされているものであって,特異なものではなく,正式鑑定において採られている方法を採用していないからといって,これを論難するのはあたらない。むしろ,専門医であるC医師の面接においても,正式鑑定を必要とするほどの精神状態の異常が窺われなかったことに注目すべきである。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,当時64歳の母を殺害したという事案である。

本件犯行の動機,態様は,上記のとおりであり,被告人は,30代半ばに至っても,仕事をせず,両親に依存するばかりで,自室に引き籠もって正に無為徒食の生活を続けていたことから,被害者がその将来を案じ,仕事をするよう注意するのはいわば親として当然のことであるのに,自己の生活態度を顧みようともせず,被害者を小言を言う邪魔な存在ととらえ,これを殺害したもので,余りにも身勝手で,短絡的な犯行というほかはなく,強い非難に値する。

その態様も,強固な確定的殺意に基づき,弟の制止も排除し,包丁2丁を使って強力かつ執拗な攻撃を加えたもので,誠に残忍な犯行である。

被害者は,ホームレス生活をしていた被告人を不憫に思い,自宅に引き取り,生活全般の面倒をみ,その自立を願って注意し続けたことが仇となり,息子の手に掛かって落命したもので,その無念さは察するに余りある。遺族にも深刻な打撃を与えており,その処罰感情は大変に厳しい。

しかるに,被告人は,被害者がこの世からいなくなって晴れ晴れした気持だなどと供述し,反省悔悟どころか,生命の尊厳に対する畏敬の念も全く窺えない。

以上によれば,被告人の刑責は重い。

他方,被告人は,事実を認めていること,前科はないことなど,被告人にとって酌むべき事情もある。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 金山薫 裁判官 山口裕之 裁判官 嘉屋園江)

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