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さいたま地方裁判所 平成14年(わ)1391号 判決 2003年5月12日

主文

被告人を無期懲役に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,甲山養鶏場を経営していたが,飼料納入業者に対する買掛金の額が次第に膨らみ,その支払を強く求められていたところ,同養鶏場に住み込みで稼働していた乙川太郎,花子夫婦及びその居住家屋等に掛けられていた保険金等を取得する目的で,同住居に放火して同住居もろとも両名を殺害しようと企て,従業員の丙田次郎と共謀の上,丙田において,平成元年4月5日午後9時20分ころ,埼玉県熊谷市大字村岡<番地略>の現に乙川太郎(当時53年)及び乙川花子(当時48年)が住居に使用している鉄骨平屋建てプレハブ住宅(建坪約19.836平方メートル)の玄関口や台所,8畳間等にポリタンクでガソリンを撒いた上,マッチで点火して火を放ち,よって,同住宅を全焼させるとともに,そのころ,上記8畳間において,乙川花子を焼死させて殺害したが,乙川太郎が火事に気付いて同所から逃げ出したため,同人に全治約4か月間を要する右手背部及び左下肢踵部等の深達性火傷の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)<省略>

(補足説明)

第1  弁護人は,被告人が,丙田次郎に対し,乙川太郎,花子夫婦の住宅に放火し,住宅もろとも両名を殺害することを依頼し,その報酬支払いを約束し,現にその報酬を支払ったとの事実はいずれも存在せず,被告人は,丙田により,同人の共犯者として巻き込まれたものであり,被告人は無罪であると主張するので,以下,被告人が本件について共同正犯の罪責を負うべきものと認定した理由を補足して説明することとする。

第2  事実関係

関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。

1  被告人は,甲山養鶏場の名で養鶏場を経営していた。

2  丙田次郎は,昭和43年1月,女性を殺害した上,同女方に放火し,その死体を損壊した殺人,非現住建造物等放火,死体損壊罪により,同44年8月,懲役20年に処せられ,服役し,同59年6月,仮出獄し,同年11月ころから,甲山養鶏場で稼働するようになった。

3  乙川太郎,花子夫婦は,昭和60年10月ころ,甲山養鶏場に住み込みで稼働するようになり,被告人から養鶏場の一角に建てられた判示プレハブ住宅(以下「本件住宅」という。)をあてがわれ,そこに居住し,2人合わせて月々10万円の給料を得ていた。

乙川夫婦は,いずれも精神薄弱の認定を受け,同61年2月から国民年金障害基礎年金(1人当たり年62万余円),同年3月から熊谷市重度心身障害者手当(1人当たり年6万円)を受給していたが,これらの年金や手当は,被告人が管理する乙川太郎及び花子名義の各銀行口座に振込入金され,被告人は,適宜これらを費消していた。

4  当初,甲山養鶏場の経営は比較的順調で,被告人は,順次,鶏舎数,鶏の飼育数を増やし,事業規模を拡大していったが,昭和62年,卵価が大幅に下落し,その後も低水準で推移し,同養鶏場の経営を圧迫するようになり,飼料納入業者に対する買掛金の額も次第に膨らんでいき,平成元年に入ると,株式会社奥隅商店に対して500万円前後,有限会社根岸春松商店に対しては1800万円に上り,奥隅商店からは,これ以上にならないよう,根岸春松商店からは,2000万円を超えないよう,いずれもその支払いを強く求められていた。

5  被告人は,日産火災海上保険株式会社との間で,乙川夫婦を被保険者とし,死亡・後遺障害保険金額580万円等を内容とする傷害保険契約(年間保険料1人当たり2万3500円)を締結し,毎年契約を更新し,保険料を支払っていた。昭和62年10月,第一火災海上保険相互会社との間で,乙川夫婦を被保険者とし,死亡・後遺障害保険金額乙川太郎2000万円,乙川花子1500万円等を内容とする家族傷害保険契約(年間保険料合計6万5990円),本件住宅及びその家財について保険金額各200万円を内容とする火災保険契約(年間保険料合計6000円)をそれぞれ締結し,保険料を支払い,同63年10月,上記各契約を1年間更新し(その際,空欄となっていた家族傷害保険の保険金受取人欄に自己の氏名を明記),保険料を支払った。なお,乙川花子は,同61年10月,日本生命保険相互会社との間で,自らを被保険者とし,保険金受取人を乙川太郎とする,契約期間5年間,死亡保険金額97万5000円等を内容とする家族生存保険契約(年間保険料12万900円)を締結し,月々保険料を支払っていた。

6  平成元年4月5日午後9時20分ころ,乙川夫婦が就寝中の本件住宅で火災が発生した。通報を受けて臨場した消防隊が消火活動に当たったものの,住宅は全焼し,乙川花子は8畳間で死亡した。死因は,一酸化炭素中毒,気道内への煤片吸引,気道熱傷等が総合した広義の火傷死である。乙川太郎は,頭髪が燃え,右手背部,左下肢踵部等に深達性火傷の傷害を負い,付近の用水路にしゃがみ込んで震えているところを消防士に発見され,病院に搬送されて,同年8月12日までの130日間,入院加療を受けた。

7  平成元年4月6日,本件住宅の検証が行われた。台所の床板から灯油様の臭いがしたことから,床板に水を撒いたところ,油紋が浮かび上がり,8畳間の床板に水を撒いたところ,円形に水をはじく部分が散在した。乙川花子の着衣にはガソリン及び灯油が付着していた。

8  本件住宅内にあったガステーブル,風呂釜は,いずれも点火状態になく,石油ストーブについても,異常燃焼の形跡はなく,その他,同住宅内にあった電化製品等についても失火の痕跡はなく,これらは本件火災の原因でない。

9  被告人は,必要書類を整え,上記各保険会社に対し,保険金の支払いを請求し,平成元年7月21日,日産火災から,乙川花子の死亡保険金580万円が被告人の銀行口座に,同年9月4日,日本生命から,乙川花子の死亡保険金97万7363円が被告人の管理する乙川太郎の銀行口座に,同年10月6日,第一火災から,本件住宅の火災保険金201万9100円が被告人の銀行口座に,家財の火災保険金204万9100円が上記乙川太郎の口座に,同17日,日産火災から,乙川太郎の傷害に係る保険金97万5000円が被告人の銀行口座に,第一火災から,同年11月17日,乙川太郎の傷害に係る保険金91万円が上記乙川太郎の口座に,同月20日,乙川花子の死亡保険金1500万円が同口座に,それぞれ振込入金された。被告人は,これらの保険金合計2773万563円をすべて取得した。

10  被告人は,退院してきた乙川太郎と丙田を暫くの間甲山養鶏場の事務所に一緒に住まわせていたが,平成元年9月ころ,本件住宅跡地に新しい住宅を建て,乙川太郎を住まわせた。以後,同人は,同所で生活しながら,同14年7月まで同養鶏場で稼働した。

11  被告人は,丙田の自宅の建築請負業者に,平成元年12月,内金として現金100万円を支払い,鑿井業者に,同2年2月ころ,丙田の自宅建築予定地に井戸の掘削を依頼し,同年4月ころ,代金約46万円を支払った。同年6月ころ,丙田の自宅が完成した。同3年11月,被告人から丙田に現金300万円が交付された。

第3  関係者の供述概要

1  丙田

丙田は,捜査公判を通じ,事件前,被告人から,乙川の家にガソリンを撒いて放火し,乙川夫婦を殺害することを頼まれたことを一貫して供述しているが,実行行為者については,捜査段階の当初は知人の丁野であると供述していた。すなわち,被告人から頼まれ,やってくれる人を探してみると答えた。丁野と連絡を取り,被告人の頼みを伝えた。1日か2日して,丁野からやってくれる旨の連絡があったので,被告人にその旨伝えて,いくら出せるのか聞いた。被告人は,片手を広げて,「片手出す。」と言い,500万円払うと言ってきた。金はあるのかと聞くと,「後で出す。」と言って,すぐには払えない旨言ってきた。丁野から現金でないと駄目だと言われていたので,前払いの必要があると思い,被告人が後払いというのであれば,自分が立替払いするしかないと思った。丁野に報酬額と現金で前払いの旨伝えた。何日かして,被告人から,「ガソリン買って乙川の家のすぐ側に持っていっておく。」と言われた。甲山養鶏場で働いて貯め,家に隠しておいた現金500万円を持って,丁野の家へ行き,渡した。丁野にガソリンが用意してあることを伝えた。丁野は,「相手の手がすいた時にやる。」と言った。その旨被告人に伝えると,被告人は「ありがとよ。」と言った。それ以降,この件について特に話をしないうちに,乙川の家が燃えてしまった。火事の2日位後に,丁野にお礼として百何万円かを渡した。その後,被告人に何度も500万円を払ってくれるように言ったが,払ってくれなかった。その後家を建てたが,これは,その後に甲山養鶏場で働いて貯めた金で建てたものだ(甲246,251,264,265)。

その後,自らガソリンを撒いて放火したことを認めるに至ったが(甲252),雨合羽の3人組とも供述している。すなわち,乙川の家に火を点けようと思い,鶏舎の中で乙川夫婦が寝込むのを待った。そろそろ寝込んだに違いないと思い,様子を見に行こうとした時,乙川の家から火の手が上がった。誰かに先を越されてしまった。その前後ころ,雨合羽を着た3人位の男を見た。その男達がガソリンを撒いたようだ(甲267)と供述している。

犯行再現の実況見分(甲190)後は,自らが放火したことを一貫して認めている。すなわち,ポリタンクの取っ手を右手で持ち,底を左手で支えながら,ポリタンクを傾けて,まず玄関口にガソリンを撒き,続けて,家の中に入りながら,台所の壁に沿って撒いた。それから,部屋の中に入り,壁や壁際に置かれている家具に沿って撒き,部屋の出入口のすぐ脇に置いてあったストーブの周りにも撒いた。続けて,部屋の中程にあったコタツの周りや下などに撒いた。コタツの周りに撒いたガソリンと部屋の入口まで撒いたガソリンがちょうど敷居の辺りで繋がるようにした。乙川夫婦の近くにガソリンが染み渡るようにはしたが,乙川夫婦が被っていた毛布や顔などには直接掛けないように気を付けた。部屋全体に火が燃え広がるように撒き,残りを風呂場に撒き散らした。ポリタンクを家の中に置いて,外に出た。それから,少しの間,ガソリンが畳などに染み込むのを待った。そろそろいいころだと思い,玄関先で,持っていたマッチを取り出し,マッチを擦った。火の点いたマッチ棒を右手に持ち,手を目一杯伸ばして,玄関口に撒いたガソリンの一番端に当てるようにして火を点けた。瞬く間に炎が台所の床の上を走り,部屋の中まで燃え広がっていった。間もなく,家全体が炎に包まれたと供述する(甲183)。

当公判廷においては,次のとおり供述している。丁野に500万円を渡して,本件犯行を頼んだ。本件当夜,ジュースやコーラを買って乙川に届けた。その後近くの鶏舎で作業をしていたところ,突然,鶏舎の明かりが消えて本件住宅が火事になっているのに気がついた。そのとき,バケツを持って雨合羽を着た2人組が本件住宅の方から逃げ出してきて,別の人物が運転していた車に乗って逃げていった。火事の前,その車は本件住宅の近くに止まっており,3人の人物がじゃんけんをして走っているのを見た。

2  乙川太郎

本件当日,仕事を終えて帰宅すると,酒か何かを持って丙田が私の家を訪ねてきた。私と花子と丙田の3人で,畳の部屋に座り,ジュースと酒か何かを飲んだ。1時間以上3人で何か食べたり飲んだりした後,私と花子は,畳の部屋で布団か毛布か何かを体の上に掛けて寝た。やがて,ピシャピシャという何か水のようなものを撒いているような音で私は目が覚めた。布団か毛布が湿ってるような感じがし,体も湿っているような感じがした。目を覚ますと,丙田が家の入口辺りで,中腰のような格好をし,四角く白っぽいポリタンクのようなものを手に持ち,その上下を傾けて,何かを撒いているのが見えた。この時,部屋の電気は点いていた。入れ物から丙田が撒いているものは油かなと思った。その時,臭いがしていたかどうかは覚えていない。その後,私の寝ている辺り全体から一瞬にして火が燃え出した。油が燃えるような激しい燃え方だった。しかし,私は,丙田が火を点けたところは見ていない。私は,怖くなって,入口から家の外に出た。すると,そこには丙田がいた。丙田は,「花ちゃんを助けろ。」と言って,燃えている家の方に向けて私の背中を押したりしてきた。私は,燃えている家の中に入れられると,死んでしまうのではないかと思った。火が熱いし,丙田にまた家の中へ入れられるのではないかと思ったので,私は,そこから畑の堀の方へ逃げ,堀の中でしゃがんでいた。そのうち,消防士が助けに来てくれた。

なお,捜査段階の一時期は,上記供述と異なり,丙田を見たことはなく,火の不始末と思うと供述していた。すなわち,誰かがガソリンの様な物を部屋に撒いていたことはない。本当は,ガソリンの様な臭いで目を覚ました。丙田がガソリンの様なものを部屋に撒いているのを見ていない。目を覚ますと既に台所は燃えており,外へ逃げた。丙田が居たが,私の背中を押して花子を助けに行かせようとした。本件火災の原因は,花子のガスレンジの不始末かもしれない(甲66,67)。

3  被告人

本件以前,私が,丙田に対し,乙川夫婦が死ねば保険金が入って助かるというような話をしたことはなく,丙田に,本件住宅に放火して欲しいということを依頼したことはない。私が,放火用のガソリンないしは灯油の入ったポリタンクを本件住宅のそばまで運んだということもない。本件後,3,4回,入院中の太郎の見舞いに行った。その時,病院の屋上で,太郎に,「火事の後,丙田が警察に行って取調べを受けたが,今は甲山養鶏場に戻ってきて働いている。お前も退院したら,甲山養鶏場に戻ってきて,新しい家ができるまでは,丙田と一緒に生活してくれ。」などと言った。太郎が退院して,甲山養鶏場に戻ってきた後,私は,太郎や丙田に,火事のことは話題にしないようにと言った。平成元年から翌年にかけて,丙田の自宅が建ったが,その建築費用に関して,平成元年12月,私が河野大工に100万円くらい支払った。しかし,その後の平成2年6月15日に支払われている残金315万円については,私が支払った記憶はない。そして,平成3年11月7日,丙田に300万円を渡したことは覚えている。この300万円は,それ以前から何回か,丙田から,300万円くらい使い道があるので,貸してくれと言われており,当時,甲山養鶏場は忙しかったので,丙田に辞められたりすると困るなどと思い,何に使うかは分からなかったが,出してやったんだと思う。300万円を,貸してやったのではなく,あげたという感じだった。現に,丙田からは,その金を返してもらっていない。

捜査段階では,300万円の趣旨について,よく判らないと供述し,丙田の自宅建築費用は全額被告人が出したと供述していたが,その余の点については,概ね当公判廷の供述と同趣旨の供述をしている。

第4  検討

1  丙田の供述

(1) 丙田は,捜査公判を通じ,事件前,被告人から,乙川の家にガソリンを撒いて放火し,乙川夫婦を殺害することを頼まれたことを一貫して供述しているところ,実行行為者については,捜査段階の当初は知人の丁野であると供述したが,その後自らが放火したことを認めた後も雨合羽の3人組であると供述するなど供述が揺れていたが,犯行再現の実況見分後は一貫して自ら放火したことを認めていたが,公判廷においては,捜査段階当初の供述と雨合羽の3人組の供述を合わせた内容の供述をし,自己に責任はないと供述している。

(2)  まず,実行行為者は丁野であるとの供述を検討するに,被告人に放火を頼まれた丙田が報酬は後払いとの話だったので,丁野に500万円を立て替えて支払って引き受けてもらったとするが,被告人経営の養鶏場の一従業員に過ぎない丙田が自己の出捐で仲介する理由に欠け,不合理というほかない。

次に,雨合羽の3人組であるとの供述は,被告人の依頼との関連が全く不明であって,唐突な供述というほかない。

また,これらの供述は,実行行為者は丙田であるとの乙川太郎の供述と相反する内容である。乙川太郎は,火災後堀の中にうずくまっているところを消防士に救出されているが,同人の問いかけに対し,「おじちゃんに火をつけられた。」と答え,その後捜査官に対し,前記のとおり,丙田が実行犯であることを明確に供述し,当裁判所の期日外尋問においても同様の供述を維持し,弁護人の反対尋問にも揺らいでいない。このように,乙川太郎は,事件直後の作為の入り込む余地のない段階において,既に,消防士に対し,火を点けられたと明確に供述し,その後体験を具体的に供述しており,大きな恐怖感を伴って体験したおよそ日常生活ではあり得ない特別に印象に残るような情景について,現在においても,真実体験した者でなければ供述し得ないほどの臨場感に溢れた極めて具体的な供述をしている。これらの点からすると,その供述は十分に信用できる。もっとも,乙川太郎は,平成元年6月に至り,突然,「本当は,丙田がガソリンのようなものを撒くのを見ていなかった。本件火災の原因は,花子のガスレンジの不始末かもしれない。」などと供述を翻しているが,その理由として,入院中,被告人から丙田が戻ってきて甲山養鶏場で働いていると聞いて,本当のことを言うと仕事ができなくなる,喧嘩になる,丙田に怒られると思った,入院中や退院後,被告人から,「火事のことを言うな。ガスの不始末にしておけ。俺が言ったって言うな。」などと言われたからであると供述するところ,退院後も以前と同様,甲山養鶏場で働く以外,生活の方途がないと考えていた乙川太郎は,丙田同様,被告人のことも恐れていたため,同人らの影響下にある間,供述を翻していたものと解される。

以上検討したところを総合すると,実行行為者は丁野らであるとする丙田の供述は到底信用し難い。

(3)  次に,実行行為者は丙田であるとの供述の信用性について検討する。

(一)  放火事件において,自ら放火したとの事実は,供述者にとって極めて不利益な事実であるところ,丙田の場合,その前科に鑑み,極刑も予想される事態に結び付くものであって,事実でもないのに敢えてこれを認めることは,およそ考え難い。丙田も司法警察職員に対する供述調書(甲257)において,最初は死刑になってしまうのではないかと思い,どうしても火を点けたとはいえなかったと供述しているように,自己が実行犯であることを認めたことの持つ意味は大きい。なお,丙田は,上記自白は虚偽であるとして,署名したら証拠を全部見せると言われ,見たかったので,騙されて署名したと供述するが,本件のような重大事案において,証拠を見るために,事実でもないのに敢えて認めることは,到底考え難い。しかも,丙田は,平成14年7月31日までには証拠を全部見せてもらったというところ,その後も自白を維持しているのも不自然である。

(二)  次に,上記(2)で検討したように乙川太郎の供述は信用できるところ,丙田の供述は,乙川太郎の供述により重要部分が裏付けられている。

(三)  次に,客観的証拠との整合性を検討するに,本件火災の翌日に実施された検証において,本件住宅内台所の床全体から油紋が浮かび上がったこと,乙川花子の遺体に付着していた焼け残りの着衣からガソリン及び灯油が検出されたことと整合する内容である。また,報酬金の授受についても,甲山養鶏場の金銭出納帳の平成3年11月1日から同月15日までが記載されたページの欄外に,「(6日)丙田と話合い,(7日)丙田へ300万やる(春子と2人行く)」との記載(甲171)があり,被告人自身,この記載をしたことを認めていることを勘案すると,被告人から現金300万円を受け取ったとの丙田の供述を裏付けるに足りる重要な客観的証拠である。更に,丙田の自宅建築を請け負った河野哲三は,平成元年12月に,被告人から丙田の自宅建築資金の内金として100万円を受け取ったと供述し,また,丙田の自宅建築予定地に井戸を掘削した鑿井会社代表の菅間庄次は,平成2年2月ころ,被告人から丙田の自宅建築予定地の井戸掘削を依頼され,同年3月ころ,鑿泉作業を行い,同年4月ころ,被告人から工事代金として,約46万円の支払いを受けたと供述している。河野,菅間は,いずれも本件と特段利害関係を有しない第三者で,殊更虚偽を述べる理由も窺われず,それらの供述は信用できるところ,両名の供述は,いずれも被告人に自宅建築費用を出してもらったとの丙田の供述を裏付けている。

(四)  動機の有無について検討するに,被告人と丙田,乙川夫婦との間の人間関係や丙田,乙川夫婦の生活状況,当時,飼料納入業者から累積する買掛金の支払いを強く求められていたことなどの甲山養鶏場の経営状態,被告人は,乙川夫婦を被保険者とし,自己を受取人等とする傷害保険,本件住宅や家財に係る火災保険を締結し,年間総額12万円弱の保険料を支払っていたもので(更には,被告人は,乙川夫婦の銀行口座を管理していたことから,乙川花子が自ら掛けていた生命保険についても,保険金を受け取れる状況にあった。),本件住宅が焼損して乙川夫婦が死亡すれば,総額5000万円を超える保険金を取得できる状況にあったこと,現に,被告人は,本件住宅が全焼し,乙川花子が死亡し,乙川太郎が入院したことから,総額2773万563円の保険金をすべて取得していること等の事情に照らすと,丙田が個人的に本件犯行を企図するだけの人間関係や利害関係などは窺われない。また,乙川花子の生命保険契約を除く各保険契約はいずれも被告人自身により締結され,そのうちの一部は保険金受取名義人が被告人となっており,これらの保険金を入手するためには,被告人の関与が不可欠であって,丙田としてみれば,本件を敢行しても,直接的には何の利益も得られない。これに対して,被告人にしてみれば,本件住宅が焼損し,乙川夫婦が死亡すれば,自らが同夫婦に掛けていた傷害保険等の多額な保険金を直接得ることができる立場にあった。したがって,本件について,丙田が被告人とは無関係に企図する動機は存せず,被告人からの報酬の誘いに乗って本件に及んだとする丙田の供述に合理性が認められる。弁護人は,丙田には,被告人から依頼されずとも,自らの判断で,甲山養鶏場の経営を回復するため,また被告人の恩に報いるため,しかしながら真の意図は自らの生活を確保するために,本件犯行を計画,立案し,実行に移す固有の動機があったと主張するが,弁護人主張のような理由で丙田が独自の判断で本件のような大罪を企図するものとは到底考え難い。

(五) 弁護人は,丙田の供述は信用できないとして,①丙田と被告人の関係は,平成5年に入ったころ,残業手当の支払いや丙田所有の土地の賃借に係る地代を巡って争いが生じたのをきっかけに,悪化し,以後両者の間の溝は広がって,同13年7月ころ,被告人が丙田に暫く仕事を休むように言ったことで,破綻は決定的となり,丙田は,これまで身を粉にして働いてきたのに,その仕事振りを一顧だにせず,辞めさせられたとして,被告人に対する怨恨ないし復讐の念を募らせていたもので,逮捕をきっかけに,この思いを顕在化させ,被告人を陥れ,道連れとすべく,被告人から本件犯行を依頼された旨供述するに至ったもので,丙田の供述は虚構である,②報酬支払約束の点や被告人が用意したというガソリン入りポリタンクについて,供述の変遷が見られる,③残りのガソリンを風呂場に撒き散らしたとも供述するが,そうであれば,事件後同所から油膜が検出されるなど何らかの痕跡が見付かって然るべきところ,検証によっても同所からは油膜が検出されておらず,また,本件住宅8畳間にあったポリタンクについては燃えかすが残っているにも拘わらず,他に本件住宅内からポリタンクの燃えかすは発見されておらず,被告人が用意したというポリタンクが真実存在したのかについては,物的証拠がなく,丙田の供述は信用できないと主張する。

しかし,①の丙田によるいわゆる巻き込みの主張については,丙田には,被告人とは無関係の独自の動機は認められないのであって,採用できない。

②の報酬支払約束の点についての供述の変遷をいう主張については,弁護人は,丙田は公判ではこのような約束はなかった旨供述しており,この約束の有無についても供述に変遷が見られるというが,丙田は,公判でも,金額についての話はなかったとするものの,被告人はお礼は後で払う旨言っていたというのであって,弁護人の上記主張は前提を欠いている。確かに,報酬支払約束があった時期や報酬額の提示の有無については,供述に変遷が見られるけれども,このような約束があったのは被告人から本件犯行を依頼された後日との供述は,丁野に頼んだとする供述をしていた際のものであり(甲264,246),自らが実行行為者であるとの供述の際には,一貫して本件犯行を依頼された日に報酬支払約束等があった旨供述しているのであって,丙田の自白の信用性を揺るがす事情とはいえない。ガソリン入りポリタンクについては,いずれも細かな枝葉の事項についての供述の変遷をいうものであり,事柄の性質上,長い時間の経過に起因する記憶の減退に伴うものとして了解可能なものであり,自白の信用性を何ら揺るがすものではない。

③の客観的事実に符合しないとの主張については,本件住宅の風呂場の床はコンクリート敷で,排水口があり,検証中に床全体に水を撒いたところ,水は排水口から捌けたというのであるから,丙田が風呂場に撒いたというガソリンも,排水口から捌けた可能性が否定できない。また,本件火災の焼毀状況からすれば,住宅内に遺棄されたというポリタンクが焼失してしまった可能性も否定できない。したがって,これらの点について,客観的証拠が存しないからといって,自白の信用性が揺らぐものともいえない。

その他,弁護人の主張を子細に検討しても,丙田の自白の信用性は十分に認められる。

(4)  以上検討したところから明らかなように,丙田の本件を敢行したとの供述は,十分信用できる。

2  被告人の供述

被告人は,捜査公判を通じ,本件犯行への関与を否定しているが,平成3年11月に丙田に交付した現金300万円の趣旨について,不自然に供述を変えている。すなわち,被告人は,捜査段階では,「このような金を何故丙田に渡したのかと言われても,よく分からない。それなりの理由があったからだが,今のところ何とも言いようがない。」と供述していたが(乙18),公判では,「丙田が,何回か,300万円位使い途がある,貸してくれと言ってきた。今まで一所懸命働いてきてくれたこともあり,辞められても困ると思い,くれてやる気持ちで渡した。」と供述を変えている。交付後10年以上経過した後に供述を変えたのは極めて不自然というほかない。丙田の自宅建築費用について,捜査段階では,自分が費用を全額出して建ててやったと供述していたが(乙50),当公判廷において,「捜査段階では,丙田にあげた現金300万円と混同して供述してしまっており,丙田の自宅建築のために支出してやったのは100万円だけだったことを思い出した。」と供述を翻している。しかしながら,捜査段階では,平成3年11月7日に丙田に手渡した現金300万円とは別に,同2年ころ,300万円くらいで丙田の自宅を建ててやったと供述していたのであるから,両者を混同して供述したものとはいえず,被告人の公判供述は信用できない。

その他被告人の供述を子細に検討しても,丙田の自白の信用性は揺るがない。

3  結論

以上の検討によると,以下の事実が認められる。すなわち,本件の約10日前に,被告人が,丙田に対し,本件住宅にガソリンを撒いて放火し,乙川夫婦を殺害することを依頼し,報酬として,丙田の自宅を建ててやるほかに,現金500万円を支払う旨約し,丙田はこれを引き受けたこと,予め被告人がガソリン入りポリタンクを用意したこと,当夜,丙田は,乙川夫婦を訪ね,同人らに酒を飲ませて眠らせた後,同住宅内に上記ポリタンクでガソリンを撒き,マッチで点火して火を放ち,同住宅を全焼させるとともに,乙川花子を火傷死させ,乙川太郎に大火傷を負わせたことが認められる。そうすると,被告人が本件について共同正犯の罪責を負うのは当然である。

弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為中,現住建造物等放火の点は,平成7年法律第91号附則2条1項本文により同法による改正前の刑法60条,108条に,殺人の点は,同法60条,199条に,同未遂の点は,同法60条,203条,199条にそれぞれ該当するが,これは1個の行為で3個の罪名に触れる場合であるから,同法54条1項前段,10条により1罪として犯情の最も重い現住建造物等放火罪の刑で処断し,所定刑中無期懲役刑を選択して,被告人を無期懲役に処し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,養鶏場を経営していた被告人が,従業員の丙田次郎と共謀の上,同養鶏場に住み込みで稼働していた乙川太郎,花子夫婦及びその居住家屋等に掛けられていた保険金等を取得する目的で同住居に放火し,同住居を全焼させるとともに,乙川花子を焼死させ,乙川太郎に火傷を負わせたという現住建造物等放火,殺人,同未遂の事案である。

被告人は,かねてより,養鶏場の事業規模を拡大し,養鶏家として成功を収めたいとの強い願望を抱いていた上,先祖伝来の自宅不動産を守るため,抵当権を設定することに強い拒絶感を抱いていたところ,飼料納入業者に対する買掛金残高が次第に膨らみ,その支払いを強く催促されるとともに,自宅不動産を担保に提供するよう求められるようになった。

被告人は,そのころ,被害者夫婦を被保険者とし,自己を受取人とする傷害保険,被害者夫婦の住居や家財に対する火災保険等を締結して,保険料を支払っており,被害者夫婦の住居が焼損して両名が死亡すれば,総額5000万円を超える保険金を取得できる状況にあったことから,本件を企図したものである。

被告人は,自己の経営の失敗を従業員を殺害等することによって,穴埋めしようとしたものであり,自らの事業存続のためには,他人の生命を奪うことも何ら厭わないその強欲さには驚かざるを得ない。その方法も放火殺人という犯跡の残りにくいものを採用している。しかも,被告人は,丙田が殺人,放火で服役した前科を有していたことから,高額の報酬を餌に本件の実行役に誘い込んでいる。

その態様をみるに,かねての計画どおり,予め被告人においてポリタンク入りのガソリンを用意し,当夜,丙田において,酒を持参して被害者夫婦の住居を訪れ,昼間の仕事で疲労している両名に酒を飲ませ,寝るように言って退去し,暫く時間を置いて両名が寝込むのを待ち,寝入っているのを確かめるや,同ポリタンク入りのガソリンを両名が寝ている部屋全体に火が燃え広がるように撒き,同人らが逃げ出せないように出入口にも撒き,マッチで点火して放火し,一瞬にして燃え上がらせたものである。その結果,被害者夫婦の住居は全焼し,乙川花子はその場で火傷死し,乙川太郎は,丙田のガソリンを撒く音に一旦は目を覚ましていたこともあり,発火直後に火災に気付いて逃げ出したことから,一命を取り留めたに過ぎず,そうでなければ乙川花子と同様死亡した可能性が高かった。このように,本件は,被害者らが寝入るように酒を飲ませた上で敢行されており,巧妙かつ残忍な犯行であり,生じた結果も誠に重大である。

被害者夫婦は,いずれも精神薄弱というハンデを抱えながら,2人合わせて月々10万円という薄給にも何1つ不平不満を漏らすことなく,黙々と仕事に励み,つましく暮らしていたもので,当夜,よもや殺害されることになるなどとは夢想だにすることなく,同僚の丙田に勧められるままに飲酒し,就寝中,突然兇行に襲われたものである。乙川花子は,何が起こったのかも分からないまま,多量の一酸化炭素を吸引し,身動きもままならぬまま激しい炎に包まれて非業の最期を遂げたもので,その苦痛や無念さは察するに余りある。乙川太郎は,愛する妻を失い,共に平穏に過ごしていた暮らしを一瞬にして壊され,住み慣れた生活の場を家財もろともすべて失ったもので,その悲哀や心痛は計り知れない。しかも,退院後,被告人は,再び乙川太郎を同養鶏場で住み込みで稼働させ,以後約13年間にわたり,犯人である被告人及び丙田と共に生活することを余儀なくさせており,苛酷な仕打ちというほかない。乙川太郎は,その知的能力から被告人らの意に反する行動をとることができず,殺人の公訴時効完成間際まで,被告人の目論見どおり事件が闇に葬られていた。漸く被告人の呪縛からのがれた乙川太郎は,被告人らの厳重処罰を望んでいる。

被告人は,本件の主犯であるが,捜査公判を通じて犯行を全面的に否認し,反省の情は全く認められず,被害者及びその遺族に対する慰藉の措置は何ら講じられていない。

保険金目的の殺人は模倣性が強く,一般予防の見地からも厳罰をもって臨むべきである。また,本件が地域住民に与えた衝撃も軽視できない。

他方,保険金詐欺については,既に公訴時効が完成しており,量刑上これを考慮することは許されず,本件は保険金目的の放火殺人後保険金詐欺の実行着手前に犯行が発覚した事案として量刑すべきものである。また,被告人には業務上過失傷害による罰金前科1犯のほかには前科がない。

以上の点を総合考慮すると,被告人を無期懲役に処するのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・金山薫,裁判官・山口裕之,裁判官・辛島靖崇)

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