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さいたま地方裁判所 平成14年(わ)411号 判決 2003年7月15日

主 文

被告人を懲役7年に処する。

未決勾留日数中400日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,昭和62年12月,短期大学在学中から交際していたCと結婚し,平成5年2月に埼玉県a市内の肩書住居地に一戸建ての自宅を購入し,同年5月7日に長女Aを,平成7年4月14日には次女Bをもうけ,親子4人で生活していた。

AとBは,それぞれ順調に成育していたが,Bが1歳になった平成8年4月ころ,微熱を出してせきが続いたため,小児科の医師に診てもらったところ仮性クループと診断され,その後も症状がおもわしくなかったことから,b医大総合医療センターで診察を受けたところ直ちに入院を勧められ,好中球減少症及び仮性クループと診断され,人工呼吸器を装着するため全身麻酔を施されるなどの処置を受けた。その後,Bは,6週間ほど入院して同年6月ころ退院したが,入院する前には首がすわり,一人で立つこともできるようになっていたのに,退院後はお座りもできなくなって寝たきりの状態となり,こうしたBの状態について,被告人は,担当医から,脳に萎縮があり,今後順調に成長するかどうか分からないと説明されて大きなショックを受けた。

それでも,被告人は,希望を失わずにBを育てようと考え,同児を発達未熟児のサークルや言葉の遅い子供のための教室あるいは音感教室などに通わせたり,障害のない子供たちから刺激を受けるために保育園に入園させるなどして,少しでも普通の子供に追いつくように必死に努力をしていた。しかし,Bが4歳になったころ,通院していたクリニックで,中度の知的障害,多動,てんかんなどと診断され,Bの発達遅滞が明らかになったことから,被告人はショックを受け,母親としてもっと早くにBの異常に気付いて病院に連れて行けばよかったなどと自責の念にさいなまれるようになり,これから先Bが普通の人と同じような生活を送れないことがかわいそうでたまらず,また,自分が,一生,Bの世話をしていかなければならないことがひどく負担に感じられ,Bの行く末を考えては悩み,苦しんで,次第に気持ちが落ち込むようになり,平成12年10月ころ,c病院精神科で診察を受け,うつ状態,不眠症と診断されて抗うつ剤,抗不安薬や睡眠薬などを処方され,更にその後,反応性うつ病と診断されて,同病院に通院して投薬治療を受けるようになった。被告人は,こうして通院治療を始めてから,次第に精神状態も落ち着いてきて,うつ状態も軽快するかにみえたが,やがて,Bが6歳の誕生日を迎え,翌年の春にはいよいよ小学校に入学するという時期になって,Bを普通学級に入れるか,転居して特殊学級に入れるかで再び深刻に思い悩むようになり,次第に精神的に不安定な状態となり,平成13年6月ころには,夫に対して,「死にたい」「子供を殺して私も死ぬ」などと口走るようになったため,心配した夫に付き添われて上記病院で再度診察を受けたところ,自殺念慮を伴う強いうつ状態と診断され,抗不安剤を多量に処方されて引き続き投薬治療を受けることになった。しかし,被告人は,Bの将来に対する不安が頭から離れず,次第に自宅に引きこもりがちになって,同年10月ころには,勤務中の夫に対して,「何もする気がおきない」「すぐに帰ってきて」などと電話をし,心配して帰ってきた夫に対し,「死にたい」「Bを連れて死にたい」「Bは大人になったらどうなるんだろう。私たちがいなくなったらAに迷惑がかかってしまう」などと口にしたことから,夫は,数日間会社を休み,被告人や子供たちの世話をし,その後も残業を減らしてできるだけ早く帰宅するようにしていた。こうして,被告人は,夫の援助により,多少気持ちの落ち着きを取り戻したものの,同月24日に予定されていた小学校入学前の健康診断の受診日が近づくにつれて,またしてもBの将来に対する不安が募ってきて,結局,Bに健康診断を受けさせることもせず,Bの将来を悲観し,同児を道連れに自殺をしようと真剣に考えるようになった。そして,自分がBと一緒に死んでしまったら,残されたAがかわいそうだと考えて,同児も道連れにしようと考えるようになり,AやBが苦しんだり,怖い思いをしないですむように,睡眠薬を飲ませて眠っている間に殺そうと考えるようになった。こう考えた被告人は,同年11月初めころ,夫が勤めから帰ってくる前に,二人の子供に睡眠薬を飲ませ,自らも睡眠薬を服用して自動車を運転して自殺を試みたものの,途中で追突事故を起こして警察官に保護され,自殺に失敗したが,このころになると,被告人は,何もする気が起きずに寝込んでいることが多くなり,その一方で,二人の子供を道連れに自殺をしたいという気持ちはますます強くなっていた。

Bの就学前の健康診断と面談が同月22日に改めて行われることになり,いよいよその日が近づいてきた同月16日になると,かねてよりAとBを道連れに自殺をしようと考えていた被告人は,Bを普通学級に入れることはできない,Bを障害児にしたのは自分のせいだという思いにとらわれて朝から気分が優れず,抗うつ剤や抗不安剤を服用して,気持ちを奮い起こし,Aの学校の役員会の会合に出席して所用を済ませたが,翌日は週末で夫が自宅にいることから,この日のうちにAとBを道連れに自殺をしようと決意し,Bを保育園に迎えに行き,Aが遊びから帰ってきた同日午後5時ころ,二人の子供に夕食を食べさせると,Aを自動車で連れ出す口実として,「今日,役員のパトロールに行かなくてはいけないから,一緒に行かない」などと言って,被告人と一緒に外出することを納得させた上,睡眠薬を肉叩き棒で粉末状にし,これをコーラに入れてAに飲ませ,Bには薬だと偽って水に溶かして服用させた。そして,被告人は,預金通帳や家の権利証等をまとめるなど若干の身辺整理をし,友人からかかってきた電話で少し話をした後,同日午後7時30分ころ,自分が服用する睡眠薬と水の入ったプラスチック製容器を上着のポケットに入れて,AとBを自動車に乗せて自宅を出発した。被告人は,二人の子供を道連れに,どうやって自殺しようかとあれこれ考えながら車を走らせていたが,かつて家族で遊びに行ったことがあるd川を思い出し,車ごと川に入って自殺をしようと考え,d川の河川敷に向かった。被告人は,同日午後8時ころ,d川河川敷のe運動場広場辺りに自動車を止めたものの,水深の浅い川に入ってもうまく死ぬことはできないと思ってこれをあきらめ,車に火を付けて二人の子供と焼死しようと考え,自動車を河川敷の奥の方へ移動させ,車内で睡眠薬を服用すると,助手席で眠っているAをそのままにして,運転席から後部座席にいたBの側に移動し,同児に添い寝をしながら,たばこを吸うなどした。

(罪となるべき事実)

被告人は,以上のような経緯で,長女A(当時8歳)及び次女B(当時6歳)を殺害しようと企て,平成13年11月16日午後11時50分ころ,埼玉県a市所在のe河川敷運動場広場南側路上において,同所に駐車した普通乗用自動車内に上記両児を乗せたまま車内に火を放ち,そのころ,同車内において,上記両児を焼死させて殺害したものであるが,犯行当時,被告人は,神経症性うつ病又は反応性うつ病による自殺念慮を伴う抑うつ状態にあったため,心神耗弱の状態にあったものである。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法199条に該当するが,これは1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,同法54条1項前段,10条により1罪として犯情の重いAに対する殺人罪の刑で処断することとし,所定刑中有期懲役刑を選択し,判示の罪は心神耗弱者の行為であるから同法39条2項,68条3号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役7年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中400日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は,被告人は,本件犯行当時,重度のうつ病にり患しており,心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったと主張するので,以下,当裁判所が心神耗弱と判断した理由を示す。

1  本件犯行に至る経緯は,先に(犯行に至る経緯)で判示したとおりであって,関係証拠によれば,被告人には,犯行直前に服用した睡眠薬の影響,あるいは子供を殺害したという衝撃に起因する心因性の健忘,又はこれらの複合による記憶の欠損が認められ,そのため,放火の具体的な手段方法はつまびらかにし得ないが,出火場所は車室内である可能性が高く,さらに,車内の状況等からみて,自然発火の可能性はなく,自動車に火を付けて子供たちと一緒に焼死しようと決意したという犯行の動機に照らしてみると,被告人が何らかの方法によって本件車両内に火を放ったことが明らかである。そして,被告人は,本件車両内で火を放った後,自らは熱さと煙に耐えかねて,車外に逃げ出し,川に飛び込んで自殺を図ったものの,死にきれず,我に返って,激しく燃えている本件車両に向かい子供たちを助け出そうとしたが果たせず,本件車両の近くにたたずんでいたところを消防士らに救助され,搬送された病院で,「次女がライターで遊んでいた。次女は,何するか分からない。ライターで座布団に火を付けたと思う。後ろの席には紙などが散らかっていた」などと供述していたことが認められる。

2  被告人は,先にみたとおり,本件犯行の1年ほど前から精神科の治療を受け,うつ状態更には反応性うつ病と診断されていたものであるが,犯行当時の被告人の責任能力に関して,捜査段階において,医師Dによる簡易精神鑑定がなされたほか,医師Eによる精神鑑定が実施され,さらに,当裁判所は,鑑定人Fに命じて被告人の精神鑑定を実施した。上記各鑑定の内容及び結論は以下のとおりである。

(1)  D作成の精神鑑定書によれば,被告人は,以前から周囲の目が気になり,ひとつのことを考えるといつまでも引きずりくよくよ悩む性格であり,執着気質といってよいと指摘され,次女が知的障害と診断されたことで抑うつ状態をきたし,一時軽快傾向がみられたが,次女の小学校入学が近づき,特殊学級に入れるか否かで悩み続けた末に犯行に及んだとされ,被告人には,抑うつ気分,精神運動制止,食欲低下,睡眠障害,自責感,自信の喪失などの典型的なうつ症状がみられるとともに,長期にわたって希死念慮を抱いており,家族など周囲の人々と親密な関係がもてずに孤立し,被告人の上記の性格傾向に,こうした明らかな心因が加わって発病したうつ病であり,反応性の色彩が強く,本件犯行時のうつ状態は軽いものではなく,完全責任能力とするには無理があるとされ,どの程度責任能力が限定されるかについては,更に詳細な検討が必要であるとされている(以下,「D鑑定」という。)。

(2)  一方,医師E作成の殺人被疑事件被疑者精神状態鑑定書写し及び証人Eの公判供述によれば,被告人には,睡眠障害・食欲減退などの身体的な不調,興味・関心の喪失などの精神運動抑制,さらに,劣等感,悲哀感などの抑うつ気分の増加がみられ,DSM-Ⅳにおける大うつ病エピソードの基準を満たしているとされ,被告人は,次女の知的障害に悩み,それが原因となって抑うつ神経症になったが,本件の二,三箇月前には重篤なうつ状態に陥り,抑うつ神経症から内因性うつ病に病態が推移したとされ,犯行時,被告人は,重いうつ状態を呈しており,悲観的で絶望的な考えしか思い浮かばず,確信的に自殺を決意し,自分が死ぬと娘二人が苦労し,娘二人にも前途がないという妄想的な思い込みから拡大自殺として本件犯行に及んだもので,うつ病が本件の犯行動機,犯意発生に直接影響を及ぼしており,是非善悪を弁識する能力及びその弁識に従って行動する能力が失われていたと判断されている(以下,両者を併せて「E鑑定」という。)。

(3)  他方,鑑定人F作成の殺人事件被告人司法精神鑑定書及び証人Fの公判供述によれば,被告人に,抑うつ気分,喜びの減退,体重減少,不眠,易疲労性,自殺念慮などがみられたことから,DSM-Ⅳにおける大うつ病エピソードの基準を満たしているが,1回のエピソードが比較的長期にわたって継続する「大うつ病性障害,単一エピソード」であって,その程度は重症ではあるものの,妄想や幻聴は認められず,従来診断によれば,被告人の症状の性質は原発性というよりも続発性であり,子供の障害という原因に対応しており,そのようなストレスと抑うつの発現との時間的関係が一致し,また,抑うつ症状の悪化と軽快がストレスの度合いなど外的な出来事に極めてよく呼応しており,被告人の病前の人格傾向が内因性うつ病よりも反応性うつ病や神経症性うつ病により親和性が高く,被告人の病状は現実的体験を契機として反応的に生じる反応性うつ病あるいは神経症性うつ病であって,内因性うつ病ではないと判断され,さらに,被告人は,実父母に対する葛藤を強く有していたとみられ,小児期から気分が落ち込むときには頭痛や手のしびれなどの神経症的症候を来しやすく,葛藤に直面した場合に現実的な内省をする能力に乏しいとされ,このような,社会的に未熟で,内省力に欠け,不満を感じながらもその具体的解決を図る能力に劣るという被告人の人格特性を素地として,次女の知的障害と入学問題というストレスを中心にこれを巡る実母との葛藤や夫との関係など複数のストレスが重なって,神経症性うつ病にり患していたと判断されるとされており,犯行時,被告人は,その病状から心神耗弱の状態にあった可能性は否定できないものの,事理を弁識し,その弁識に従って行動する能力を失っていたとはいえないとされている(以下,両者を併せて「F鑑定」という。)。

3  そこで検討するに,まず,E鑑定についてみるに,被告人の症状がDSM-Ⅳにおける大うつ病エピソードの基準を満たしているとしても,それが直ちにうつ状態に陥った原因を示唆するものとは解されない上,Gの検察官調書及び警察官調書並びにH作成の意見書等関係証拠によれば,被告人は,次女の知的障害に悩み,精神科に通院するようになったころから,自殺を考えていたこともうかがわれ,その後も,次女の知的発育の遅れに悩み続け,次女の就学前の健康診断や面談の期日が近づいてきて,特殊学級に入れるべきか否かの決断を迫られるような状況におかれたことで,次女の将来を悲観して,犯行を決意するに至ったことが認められるところ,こうした犯行に至る経緯に照らしてみれば,被告人のうつ状態の発現やその推移は次女の知的障害に起因し,明らかにこれが発症の主たる原因となっていると認められるのであって,これと無関係に被告人にうつ病の症状が現れたとは考え難く,また,当初は反応性のうつ病であったものが内因性のうつ病に病態が推移したという論拠も十分に示されているとはいい難い。また,被告人には内因性うつ病にり患した者に特徴的な病前の性格とは相容れない,未成熟で,情緒面の動揺により著しく判断力を失いやすい傾向があり,葛藤からの逃避傾向が認められるとされながら,内因性のうつ病と判断された説明も必ずしも十分とはいえないのであって,こうした点に照らしてみれば,被告人が内因性のうつ病にり患していたと判断したE鑑定の結論は首肯できない。

これに対し,D鑑定やF鑑定は,被告人が抑うつ症状を呈するに至ったのは次女の障害が契機となっていると指摘し,被告人のうつ病は反応性のものであると判断し,さらに,F鑑定は,被告人には性格的に抑うつ神経症に親和性のある素地があり,これに次女の障害などのストレスを主たる要因とし,実母との葛藤や夫との関係などのストレスが重なって,神経症性うつ病にり患したと判断しているが,同鑑定は,その手法において,DSM-Ⅳの解釈等にも問題はなく,その判断内容もその要因と抑うつ症状の推移との対応関係において十分に納得し得るものであり,被告人の病状が神経症性であると断定しているところはともかく,内因性うつ病との診断を否定し,神経症性又は反応性のうつ病であるという基本的な判断は十分に首肯できる。

4  そして,先にみた本件犯行に至る経緯及び犯行前後の被告人の言動に,上記の各鑑定結果を併せ検討すると,被告人は,永年,次女の知的障害に思い悩み,次第に抑うつ状態が深刻となり,次女の将来を悲観して,次女とともに長女も道連れにして自殺を図ろうと決意するに至ったというもので,被告人がうつ病にり患していたことを考慮しても,犯行の動機は十分了解可能であり,犯行当日,被告人は,長女と次女を道連れに自殺をする意図で,それなりに計画的に,かつ合目的的に行動していることが認められるのであって,具体的な放火行為について被告人の記憶が欠けているとはいえ,被告人が意図して火を放ったことは犯行動機から明らかであり,その他,犯行前後の被告人の行動を検討してみても,不自然,不可解な点は認められない。とりわけ,犯行後の被告人の言動は,自らが招いた車両の炎上という惨事を目の当たりにして,混乱した心理状態にあったことを前提にしても,消火器を持って駆け付けてきた男性に対して,車内に子供がいる旨告げるなどしており,自己の行動のもたらした結果の重大性を十分に認識していたと認めることができる。以上の事実に照らしてみれば,本件犯行当時,被告人が事理を弁識しその弁識に従って行動する能力を全く失っていたとは到底認められない。

F鑑定は,抑うつ症状と本件犯行との結びつきは希薄で,むしろ被告人の病前の性格が行動の選択を規制したと思われると指摘している。しかしながら,本件犯行時において,被告人は,行動抑制を伴う抑うつ症状が相当深刻な状態にあったと認められ,強い自殺念慮に支配され,相当程度行動が規定されていたとも推察されるのであり,F鑑定も,その病状は重症であったとしていることに加え,どちらかといえば完全責任能力を有していたと一応の結論を示しながら,心神耗弱の状態にあった可能性も否定できないとしているのであって,こうしたF鑑定を考慮すると,被告人が事理を弁識し,その弁識に従って行動する能力に全く欠けるところがなかったと断じるには疑問の余地がないではない。したがって,本件犯行当時,被告人は,神経症性うつ病又は反応性うつ病による自殺念慮を伴う抑うつ状態にあったため,心神耗弱の状態にあったと判断した次第である。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,知的障害のある次女の将来を悲観し,次女とともに長女も道連れに自殺しようと企て,二人の女児を乗せた自動車内に火を放ち焼死させた殺人の事案である。

本件犯行に至る経緯及び犯行の動機は,先に(犯行に至る経緯)で判示したとおりであって,被告人は,1歳の時に発病した次女にその後知的障害があることが分かり,直る見込みがないと診断されたが,何とかして普通の子供と同じように成長してほしいという親心から,発達未熟児のサークルやクリニックなどに通わせたり,保育園にも入園させて必死になって養育してきたものの,小学校の入学を翌年に控えた就学前の健康診断の時期が近づくと,次女の様子から,普通学級に入学することはできないとして絶望感を募らせるとともに,次女を障害児にしたという自責の念にさいなまれ,ついに,次女を道連れに自殺をしようと考えて,その際,後に残される長女がかわいそうだとして,長女も道連れにしようと考えて,犯行に及んだというもので,当時,うつ状態になるほど思い悩んでいたとはいえ,自殺をするために,幼い我が子を手に掛けるなどした本件犯行は,余りにも身勝手で短絡的というほかはない。被告人は,長女を安心させるために,パトロールに出掛けるなどとうそを言い,二人の子供に気付かれないように睡眠薬を飲ませるなどした上,自動車に乗せて連れ出し,自殺の方法をあれこれ考えながら自動車を走行させ,やがて車ごと川に入って自殺しようと考えて人気のない河川敷に自動車を止めたものの,水深の浅い川に入ってもうまく死ぬことはできないと思って考え直し,車内に放火して二人の子供と一緒に焼死しようと決意し,助手席で寝込んでいる長女や何も分からないでいる次女を目の前にしながら,車内で火を放って二人の子供を焼死させているのであって,犯行の態様も悪質である。被告人は,車内で出火に気付いた次女から起こされても,わずかな消火活動をしただけで,二人の子供を車外に逃がすこともせず,被告人だけが,熱と煙に耐えかねて車外に逃げ出しているのである。死亡した長女は当時小学校2年生で8歳,次女は翌年小学校入学を控えたわずか6歳の幼子であって,被告人の意図を何も知らないまま,母親として慕い,信頼していた被告人の手によって,突然,短い一生を終えたもので,犯行の結果は余りにも悲惨である。被告人の夫でもある二人の女児の父親や,被告人の義母及び実母らは,悲嘆に暮れながらも,被告人を気遣い,処罰感情をあらわにしていないが,娘あるいは孫を失った同人らの心情には同情の念を禁じ得ない。とりわけ,かけがえのない二人の愛娘を,妻である被告人の手によって一度に失ってしまった夫の絶望感は察するに余りある。これらの点からすると,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ない。

そうすると,被告人が,実行行為自体は記憶がないと供述しながらも,自らの手によって,二人の子供を焼死させたことを認めて,反省,悔悟の念を示していること,犯行当時,重いうつ病にり患しており,心神耗弱の状態にあったと認められること,前科前歴がないこと,障害を抱えた次女のために,これまで被告人なりに精一杯の努力をしてきたもので,同情し得る側面もあること,夫と実母が看護と更生に助力することを誓約していることなど,被告人のためにしん酌し得る事情を十分に考慮してみても主文掲記の科刑は免れない。

(裁判長裁判官 川上拓一 裁判官 森浩史 裁判官 片岡理知)

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