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さいたま地方裁判所 平成14年(わ)450号 判決 2003年3月12日

主文

被告人を懲役8年に処する。

未決勾留日数中250日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,風俗店の店員として働いていた間に同じ店で働いていたXと知り合い,Xが接客中の男性から性交を強いられて妊娠し,平成12年1月17日に女児を出産してVと名付けて乳児院に預けていることを承知の上で,同年夏ころからXと交際するようになり,Vを引き取って自分の手で育てたいとのXの希望に応じて,平成13年にXとの婚姻届を提出するとともにVとの間で養子縁組を行い,Xが被告人の子であるAを出産した後の同年10月17日,Vを引き取ってa市内のマンションの一室で家族4人の生活を始めた。被告人は,同年11月中旬ころ,それまで勤めていた風俗店を辞めて定職を失い,完全に働かなくなって終日自宅でXやVらとともに過ごすようになった平成14年初めころから,Vがいくら注意しても言うことを聴かないことに対していら立ちや怒りを覚え,Xとともに,Vを手拳や平手で殴打するようになった。同年1月下旬ころになると,被告人とXは,ほおばった食べ物を口から吐き出したり,飲み終わったコップをいつまでも口から離さずに弄んだりする行為を繰り返し,粗相をしたことについて謝るように注意してもふてくされるVに対し,激高の余り,数日間にわたって,頭部や顔面を多数回殴打した上,頭髪をわしづかみにしたり両耳をつかんだりして強く上に引き上げるなどの激しい暴行を加え,目も開かなくなるほど顔面を大きく腫れ上がらせるなどしたが,そのころ,被告人らは,Vの食事を抜くことで反省を求める方法を思いつき,それ以後,足を蹴ったり,頭部や顔面を殴ったりするなどの暴行を加えるほかに,1日中,食べ物はもとより飲物すら与えないことも交えて,Vのしつけに臨むようになったため,Vは日増しに体力を消耗し,衰弱していった。同年2月15日過ぎころになると,被告人は,一向に食事中の態度等を改めず,被告人らの言うことを聴こうとしないVに対して一層いら立ちを募らせるとともに,Vが自分と血のつながっていない他人の子であることを強く意識するようになり,Vなどもはやどうなってもよく,死んでもやむを得ないなどと考えるようになり,同月19日ころからは,Xが,Vの態度にいら立ち,これに働きに出ようとしない被告人に対する不満や困窮の極にある生活に対する強いうっぷんが重なり,Vなど死んでもやむを得ないなどとの思いから,Vの頭部を殴りつけ,「V死んじゃう。V死ぬ。」などと言いながら,束ねた洗濯ひもを頸部に巻き付けてぐったりとなるまで強く絞め上げたり,一日中Vに食べ物も飲物も与えなかったりするのを目にしても,その行動を止めようとしなかったばかりか,このようなXに同調し,二人で激しくVの頭部を殴打するなどの行為に出た。

(罪となるべき事実)

被告人は,妻のXとともにV(当時2歳)を養育していたが,平成14年1月下旬ころから,必要な食べ物や飲物を与えない状態を続けてVを脱水症状に陥らせ,日ごろ激しい暴行を加えたこととも相まってVを著しく衰弱させたのであるから,Vに食べ物や飲物を与え,医師による治療を受けさせるなどすべき法的義務があったにもかかわらず,更に激しい暴行を加えたり,食べ物や飲物を与えない状態を続けたりすれば,Vを死亡させるかもしれないことを認識しながら,それもやむなしと考え,Xと暗黙のうちに意思を相通じ,同年2月19日ころから同月24日ころまでの間,a市内のマンションにあった当時の被告人方において,こもごもVの頭部を手拳で多数回殴打するなどの暴行を加えた上,必要な水分を与えないままその場に放置し,よって,同日午前1時過ぎころ,同所において,脱水に伴う循環不全等によりVを死亡させたものである。

(証拠の標目)

省  略

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は,(1)被告人の当公判廷における供述等に基づき,被告人が,妻であるXとともに,被害者を死亡させるかもしれないことを認識しながら,それもやむなしと考え,被害者に対し暴行を繰り返した事実は認められるにしても,これらは被害者を死亡させるほどの危険性のあるものではなく,被害者に与える食べ物や水分が不足していたとの認識のなかった被告人が,被害者が脱水に伴う循環不全によって死亡した点についての責任を問われるいわれはないのであるから,被告人には殺人罪は成立せず,保護責任者遺棄致死罪が成立するにとどまる,(2)被告人には精神遅滞が認められる上,犯行当時,生活状況等に起因する強いストレスにさらされており,心神耗弱の状態にあった旨それぞれ主張するので,以下検討する。

一  殺人罪の成否について

関係各証拠によると,被告人は,判示犯行の経緯に記載したとおり,平成14年1月下旬ころから,Xとともに,被害者に対して暴行を加えるとともに,さらに同年2月15日過ぎころからは,被害者を死亡させるかもしれないが,それもやむを得ないとの考えのもとに,Xとともに,被害者に激しい暴行を加えたこと,被害者は,同年1月下旬ころから,言うことを聴かない罰として食べ物や飲物を制限される状態に置かれていたが,被告人らから日ごろ加えられる暴行とも相まって,同年2月19日過ぎころには既に著しく衰弱した状態に陥っており,この時期以降に被告人らが被害者に加えた激しい暴行は,当時わずか2歳であった被害者の死を惹起する危険性の高いものであったと認められること,被害者の主たる死因は,必要な食べ物や飲物を与えられなかったことによる脱水に伴う循環不全ではあるが,被告人らが日常的に加え続けた暴行も,被害者を極度の恐怖に陥れて強いストレスを与え,免疫力等の著しい低下をもたらして被害者の生命維持機能に影響を及ぼしていた形跡があることが認められる。

また,関係各証拠によれば,被告人は,同月初旬ころには,Xが被害者に食事をさせる様子がないのを見て,「飯あげないの。」と尋ねるなど被害者の食事等に留意する言動をしたことがあったにもかかわらず,被害者の泣き声が弱々しくなり,ふらついたり,倒れてもすぐに起き上がれなくなるなど,それ以前とは様子が異なり,明らかに衰弱しつつあることに気付き,かつ,Xが,同月19日以降,1日1食か,あるいはほとんど食べ物を与えていないのを知りながらも,被害者に食べ物や飲物を与えるようXに注意したり,自ら与えることをしようとはしなかったことが認められるのであり,被告人の捜査段階における検察官に対する供述調書に,同月15日過ぎころから,被害者に対し,更に殴る蹴るの暴行を加え,食べ物や飲物を十分に与えないことを続ければ,死んでしまうかもしれないと分かっていたが,そうなってもかまわないという気持ちでそれらの行為を続けた旨の記載があることも考慮すると,被告人は,被害者に与えている食べ物や飲物が必要量を満たしておらず,その状態を続ければ被害者が死亡するかもしれないことを認識しながら,あえてそれを与えようとしなかったものであることも明らかといわざるを得ない。

被告人は,当公判廷において,被害者に与える食べ物や水分が不足しているとの認識がなかったとの趣旨の弁解をしているが,先の検察官に対する供述は具体的で詳細かつ自然であり,その作成状況について,被告人は,読み聞かせてもらった上で署名したが,特に自分の気持ちと違うことが書いてあるとは気付かなかった旨当公判廷で述べているのであるから,これと矛盾する被告人の前記弁解は信用できるものではない。

そうすると,被告人が殺人罪の罪責を負うことは明らかというべきであって,弁護人の主張は採用することができない。

二  責任能力の有無について

関係各証拠によると,被告人は,生来やや知能が低く,中学校では情緒(障害)学級に組み入れられて特別教育を受けるなどした経緯があり,犯行当時においても,多少の精神遅滞の状態にあったことが認められるが,他方において,被告人は,中学校を卒業した後,塗装工等として働き,20歳になる前に親元を離れ,以来,転職が多いとはいえ,自立してそれなりに社会生活を営んできたものであり,本件についても,捜査段階において,犯行に至る経緯や動機,犯行状況等について詳細に供述しており,その内容も十分了解可能なものである上,被告人が,被害者に対する暴行を繰り返す過程において,Xとともに被害者の頭部等を殴打したことで,後頭部に傷害を負わせた際,Xとの間で,被害者を病院に連れていくことを話し合ったものの,虐待が発覚して警察に捕まることを懸念してやめた旨検察官に対して供述していることや,被告人の当公判廷における供述内容,態度等を総合すると,被告人が,犯行当時,是非弁識能力又は行動制御能力をある程度減退させていたことは認められるにしても,これを著しく減退させてはいなかったことが明らかであって,弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法60条,199条に該当するが,所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役8年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中250日をその刑に算入することとし,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

本件は,養父である被告人が,言うことを聴こうとしない被害者の態度にいら立ち,妻のXとともに,頭部を殴るなどの暴行を加え,さらには罰として食べ物や飲物を与えないなどという行為を反復するうち,それで被害者を死亡させてもやむを得ないとの考えに至り,Xと暗黙のうちに意思を相通じた上,更に判示の暴行を加え,十分な水分を与えないまま放置した結果,被害者を死亡させたという事案である。

被害者は,当時2歳とまだ幼いことからすれば,食事中にいたずらをしたり,注意されても謝らずにふてくされたりするのは誠に無理からぬことであるにもかかわらず,被告人は,このような被害者の態度に一途にいら立ちを募らせ,やがて自分とは血がつながっていない被害者などどうなってもよいなどという考えに支配されて本件に及んでいるのであって,犯行の動機,経緯は酌量の余地に乏しい。被告人らは,被害者を養育保護すべき親としての責任を果たすどころか,度を超した折檻を受けて衰弱しきっていた被害者に対し,更に数日間にわたってわずかな食べ物と飲物しか与えなかったばかりか,熱湯を入れたほ乳瓶を頬に押し当てて皮膚がはがれるほどの火傷を負わせたり,テレビのリモコンで被害者の頭部を殴打したりする暴行を加え,とりわけ被害者が死亡する前夜には,こもごも頭部を手拳で多数回殴打するにとどまらず,被害者を裸同然の状態でベランダに放置して寒風にさらし,虐待が発覚してはまずいとして室内に連れ戻すや,さらにその腕をつかんで立たせた上で足を蹴るなどの苛烈な暴行を加え,これらの行為によって遂に被害者を死に追いやっているのであって,非情かつ残忍な犯行というほかない。被害者は,父親が不明という状態でこの世に生を受け,預けられていた乳児院から被告人らに引き取られた後も,新たに養親となった被告人らから日常的に虐待を受け続けた末に,わずか2年のはかない人生を閉じることになったのであって,変わり果てた被害者の姿は余りにも無惨で哀れというほかない。このような犯行において,被告人は,妻のXが,被害者に暴力を振るったり,食べ物や飲物を与えなかったりするのを黙認するにとどまらず,自らにおいても被害者に対して相当激しい暴行を加えているのであるから,その刑責は重いといわざるを得ない。

そうすると,被告人が,死に至るまでに被害者に加えた折檻を全体としてみると,Xが行う激しい折檻に触発され,これに同調して行動した傾向が看取されるところであり,その程度もXに比してやや軽いとみられること,被告人が中等度の精神遅滞の状態にあり,事態を正確に把握し,現実的で的確な対応をする能力が必ずしも十分に備わっていたものとは認め難いこと,少なくとも被害者を引き取った当初においては,被告人が,家族の生計を支え,被害者の養育についても真摯な努力をした形跡があること,被告人が,本件の外形的事実は認めた上で,それなりの反省の念を示していること,被告人には殺害したVのほかに乳児院に収容中の幼い子供がいること,被告人の父親が当公判廷に出廷し,被告人を監督すると述べていること,これまでに全く前科がないことなど被告人のために斟酌すべき事情を十分に考慮しても,被告人に対して主文程度の刑を科することはやむを得ない。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 若原正樹 裁判官 大渕真喜子 裁判官 小笠原義泰)

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