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さいたま地方裁判所 平成14年(ワ)1445号 判決 2005年1月18日

原告

X1

ほか一名

被告

Y1

ほか一名

主文

一  被告らは、原告X1に対し、連帯して金一二一五万二五〇二円及びこれに対する平成一二年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告X2に対し、連帯して金一二一五万二五〇二円及びこれに対する平成一二年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告X1に対し、連帯して金三三二九万〇九五二円及びこれに対する平成一二年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告X2に対し、連帯して金三三二九万〇九五二円及びこれに対する平成一二年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、原告らの母親が死亡した交通事故に関し、相続人である原告らが加害車両の運転者及び運行供用者である被告らに対し、民法七〇九条及び自動車損害賠償保障法(以下「自賠法]という。)三条に基づき損害賠償を求めている事案である(請求に係る遅延損害金の起算日は、上記交通事故が発生した日である。)。

これに対して、被告らは、被害者は事故現場の交差点を十分に安全を確認することなく横断したなどとして過失相殺を主張するとともに、損害の額についても争っている。

二  当事者間に争いがない事実

(1)  当事者等

ア 原告らは、後記交通事故により死亡したA(昭和○年○月○日生まれ。当時六四歳。以下「亡A」という。)の子である。

亡Aの相続人は原告らのみであり、相続分は各二分の一である。

なお、亡Aは事故当時原告X2と同居していた。

イ 被告Y1は、後記交通事故が発生した際に加害車両である自家用普通自動車(<番号省略>)を運転していた者である。

ウ 被告Y2は上記車両の保有者であり、これを自己のために運行の用に供していた者である。

(2)  交通事故の発生

亡Aを被害者とする下記の交通事故が発生した。

日時 平成一二年一月九日午後七時一〇分ころ

場所 埼玉県(以下、地名の表記に際し県の記載は省略する。)上尾市<以下省略>先交差点(信号機は設置されていないが、横断歩道は設置されている。以下「本件交差点」という。)

加害車両 自家用普通自動車(<番号省略>)

所有者 被告Y2

運転者 被告Y1

事故態様 亡Aが本件交差点を伊奈町方面から川越市方面に進行中、さいたま市方面から桶川市方面に進行していた加害車両と衝突したもの(以下、この事故を「本件事故」という。)

(3)  亡Aの死亡に至る経過

ア 亡Aは、本件事故により、脳幹挫傷、肺挫傷、前頭骨開放性陥没骨折、前頭・全額・左顔面打撲裂創、両鎖骨・左第四~六肋骨骨折、左腰部・右膝打撲傷の傷害を負った。

イ 亡Aは、本件事故発生後の平成一二年一月一九日午後七時四〇分、上尾中央総合病院救急外来に搬入されたが、既に心肺停止の状態であり、同日午後八時五九分、死亡した。

(4)  既払金

原告らは、これまでに自賠責保険から、亡Aの治療費(実費)である一九万四〇五〇円のほか、二七七一万六九〇〇円の支払を受けた。

三  争点

(1)  本件事故の具体的な発生状況(争点一)

(2)  亡Aの過失の有無(争点二)

(3)  原告らの損害額(争点三)

四  争点に関する当事者の主張

(1)  争点一(本件事故の発生状況)について

(原告らの主張)

ア 本件事故時の亡Aの行動

亡Aは、自転車を降りてその右側に立ち、手で自転車を押しながら歩いて本件交差点内を横断中に本件事故に遭ったものと考えられる。

そして、その後、自転車と亡Aの体は、一体的に自動車の右側に押し退けられ、右回転し、加害車両の右側面と擦れ過ぎてから、加害車両の前方に押し飛ばされたものである。

イ B作成の「鑑定書」の妥当性

本件事故については、目撃者がいないことから、加害車両と亡Aの自転車の破損状況及び亡Aの受傷状況を精査して、事故の発生状況を厳密に解析する必要がある。そこで、原告らは、技術士Bに私的鑑定を依頼したところ、刑事訴訟記録に基づき加害車両及び亡Aの自転車と類似の車両等を用いた実験を行うなどして作成された鑑定書(甲二二。以下「B鑑定」という。)では、上記ア記載のとおり、本件事故は、被害者である亡Aが自転車の右側に立って自転車を押して歩いている際に発生したものであるとしている。

この結論は、事故関係車両及び亡Aの損傷状況並びに衝突時の亡Aの推定速度とも一致し、合理的である。

ウ 被告らの責任原因

被告Y1は、車両を運転するに当たり、自動車運転者として前方を十分に注視し、制限速度を遵守し、殊に本件交差点には横断歩道が設置されていることからその手前で徐行すべき注意義務があるのにこれを怠り、前方を注視せず、かつ制限速度(四〇キロメートル毎時)を約三五キロメートル毎時も超える約七五キロメートル毎時の速度で本件交差点に進入した過失により、本件事故を発生させたのであるから、民法七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

被告Y2は、加害車両を自己のために運行の用に供していた者であるから、自賠法三条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

(被告らの主張)

ア 本件事故時の亡Aの行動

亡Aは、本件交差点を伊奈町方面から川越市方面に向かい自転車に乗って横断するに際し、対向車線を進行してきた右折車に気をとられ、左右(とりわけ左方)の安全確認を怠り、上記車両が右折すると同時に横断を開始して、加害車両と衝突した。

イ C作成の「交通事故工学解析書」の妥当性

原告らは、B鑑定を根拠として、亡Aは本件事故時に自転車を手で押して歩いていた旨主張するが、B鑑定は杜撰であり、信用性はない。

むしろ、被告らが私的鑑定を依頼したCの作成に係る交通事故工学解析書(乙一の一。以下「C鑑定」という)にあるとおり、亡Aは本件事故発生時には自転車に乗車していたものである。

ウ 「被告らの責任原因」について

被告Y1が本件事故当時加害車両を運転していたこと、被告Y2が加害車両の運行供用者であることは認めるが、その余は否認し、争う。

(2)  争点二(亡Aの過失の有無)について

(被告らの主張)

刑事訴訟記録中の実況見分調書末尾添付の交通事故現場図によると、亡Aが進行していた道路には本件交差点の手前に一時停止の標識が設置されている。亡Aが本件事故前に一時停止をしたか否かは不明であるが、本件事故の発生したのが夜間であること、自転車側に一時停止の規制があること、前記のとおり亡Aは進行方向左右の安全確認を怠ったことなどを総合すると、亡Aには少なくとも三割の過失があったということができる。

よって、被告らは三割の過失相殺を主張する。

なお、亡Aが自転車に乗って、横断歩道外を斜め横断していたことは刑事訴訟記録中の平成一二年二月一五日付け捜査報告書に明記されている。

(原告らの主張)

被告らは、亡Aが自転車に乗車中に横断歩道外を斜めに横断したことを前提に被害者の側に三割の過失があると主張する。

しかし、亡Aが自転車に乗車していなかったことは前記(1)で主張したとおりである。また、亡Aが「斜め横断」をしていたかどうかについても、衝突位置の特定が被告Y1の指示説明のみに基づき、客観的な証拠によるものではないことなどからすれば、慎重に判断すべきである。

そして、そもそも被告Y1は制限速度を約三五キロメートル毎時も超える高速で走行しており、しかも横断歩道の手前であるのに徐行していないなど、自動車運転者としての基本的な注意義務を怠っている。

以上によれば、被害者の亡Aに過失を認めることはできない。

原告らは、被告Y1に一〇割の過失があると主張する。

(3)  争点三(原告らの損害額)について

(原告らの主張)

ア 亡Aの損害(合計金四九二七万五九五四円)

(ア) 治療費 金一九万四〇五〇円

(イ) 逸失利益 金二四〇八万一九〇四円

基礎年収を平成一一年度の年間給与所得である金四八四万円、生活費控除率を三〇パーセント、就労可能年数を九年、九年に対応するライプニッツ係数を七・一〇八として計算すると上記金額になる。

(ウ) 慰謝料 金二五〇〇万円

イ 相続

亡Aの相続人である原告らは、上記アの金額を法定相続分(二分の一)に従い、相続した。

これを計算すると、原告ら各自につき金二四六三万七九七七円となる。

ウ 原告ら固有の損害

(ア) 葬儀費用 原告ら各自につき金七五万円

(イ) 慰謝料 原告ら各自につき金五〇〇万円

エ 弁護士費用

原告ら各自につき金三〇〇万円

オ 既払金控除前の請求額

原告X1 金三三三八万七九七七円

原告X2 金三三三八万七九七七円

(被告らの主張)

ア 亡Aの損害について

(ア) 治療費(請求額金一九万四〇五〇円)

認める。

(イ) 逸失利益(請求額金二四〇八万一九〇四円)

争う。基礎年収については、六五歳までは実年収を認めるが、それ以降は年齢別賃金センサスによるべきである。また、生活費控除率は五〇パーセントが相当である。

(ウ) 慰謝料(請求額金二五〇〇万円)

争う。金二〇〇〇万円が相当である。

イ 原告ら固有の損害について

(ア) 葬儀費用(請求額合計金一五〇万円)

争う。合計金一二〇万円が相当である。

(イ) 慰謝料(請求額合計金一〇〇〇万円)

争う。

第三当裁判所の判断

一  争点一(本件事故の発生状況)について

(1)  当事者間に争いがないか、刑事訴訟記録(甲一六)から明らかな事実関係

ア 事故直前の亡Aの行動

亡Aは、本件事故当日、勤務先であるa会計士事務所(東京都台東区所在)からジェイアール高崎線桶川駅まで戻り、そこから自宅(上尾市<以下省略>所在)に帰る途中に事故発生現場である本件交差点に差し掛かった。

そして、桶川駅と自宅との位置関係(別紙上尾警察署管内略図参照)及び「自転車が伊奈町方面から川越市方面に進行してきた」旨の目撃者の証言からすれば、亡Aは、別紙交通事故現場図の<6>の方向(北東の方向)から本件交差点に進入したものと認めることができる。

イ 事故直前の被告Y1の行動

被告Y1は、本件事故当日、加害車両を運転して、上尾市内のレンタルビデオ店から自宅(比企郡<以下省略>)に戻る途中で本件交差点に差し掛かった。加害車両は、被告Y2名義で登録がされていたが、普段から被告Y1が通勤や私用に使っていた。本件事故当時、加害車両には女友達のDが同乗しており、速度は約七五キロメートル毎時であった。

そして、被告Y1は、別紙交通事故現場図の<3>の方向(南東の方向)から本件交差点に進入した。

ウ 事故後の加害車両の損傷

実況見分の結果等によれば、加害車両には、本件事故の後、右前部バンパー、右前ボンネット、右前フロントガラス、右側面フェンダー、右後部ドアミラー(三角窓)等に破損がみられた。

エ 事故後の自転車の損傷

実況見分の結果等によれば、亡Aの自転車には、本件事故の後、前輪及び前輪と後輸をつなぐパイプが折れ曲がるという破損がみられた。また、サドルが左方向に回転していた。

オ 事故後の現場の状況

実況見分の結果等によれば、事故現場である本件交差点には、加害車両による二条のスリップ痕が残っている。このスリップ痕の長さは右車輪によるものが約二八・四メートル、左車輪によるものが約三一・七メートルである。

また、事故発生直後、亡Aは別紙交通事故現場図の衝突地点から右前方約九・二メートルの横断歩道上の地点に倒れており、亡Aの自転車はそのほぼ延長線上の衝突地点から約一五・三メートルの地点に倒れていた。

カ 亡Aの身体の状況

実況見分の結果等によれば、亡Aの身体には以下の損傷がみられた。

(ア) 頭部

前頭部から頭頂部にかけて左から右側頭部にかけ長さ一三・八センチメートル、幅三・四センチメートルの挫裂創があり、創壁は内方に存在し、創洞は頭蓋骨に達し、頭蓋骨に長さ四・四センチメートル、幅四ミリメートル及び長さ一センチメートル、幅四ミリメートルのガラス片が刺さっていた。

また、長さ一〇・八センチメートル幅八ミリメートル、長さ九・二センチメートル、幅五ミリメートルの挫裂創があり、創壁は内方に存在し、創洞は頭蓋骨に達し、この創の周囲に鮮紅色の血液が付着していた。

(イ) 背部

左背側上腕部から左肩甲骨にかけて長さ一八・八センチメートル、幅一〇・四センチメートルの打撲傷が認められ、暗紫赤紅色を呈していた。

(ウ) 腰部

右腰部に長さ三・八センチメートル、幅一・五センチメートルの擦過傷があり、その周囲に長さ五センチメートルの皮膚変色が認められ、暗紫青色を呈していた。

(エ) 右足

前膝部に長さ八ミリメートル、幅一・四センチメートルの擦過傷が、前膝部の内側に長さ三・一センチメートル、幅三・一センチメートルの擦過傷が二か所認められた。同下方には小豆大の擦過傷が認められた。

(オ) 左足

大腿部左側に長さ三・二センチメートル、幅五センチメートルの擦過傷が認められた。

(2)  本件事故発生時の亡Aの具体的な状況

本件においては、事故発生当時、亡Aが自転車に乗車していたか、それとも降車して手で自転車を押して歩いていたか(なお、以下で鑑定書等の記載を引用する場合にこれと同じ意味で「引いて」ないし「牽引して」の用語を用いることがある。)が争われている。

上記の争点に関して、加害車両を運転していた被告Y1、加害車両に同乗していたDともに、「亡Aが自転車に乗っていたか、自転車を押して歩いていたかは分からない」と供述しているため、前記のとおり、当事者双方により私的鑑定が行われた。そして、B鑑定及び証人Bの証言(以下、両方を含む意味で「B見解」という。)は、亡Aは自転車には乗っておらず、右側に立ち、自転車を引いて歩いていたとするのに対し、C鑑定及び証人Cの証言(以下、両方を含む意味で「C見解」という。)は、亡Aは自転車に搭乗中であったとする。そこで、以下では、いずれの見解が上記(1)認定の客観的事実とも整合する合理的な推論であるかにつき判断する。そして、C見解は、<1>亡Aの左足に損傷がないこと、<2>自転車のサドルが左方向に回転していることを亡Aが自転車に乗っていたことの主な根拠とするのに対し、B見解は、上記二つの点は逆に亡Aが自転車に乗っておらず、右側に立っていたことの根拠になるとするので、まず、この点につき検討し、最後にその他の点についても検討を加える。

ア 亡Aの左足に損傷のないことについて

C見解は、一般に乗用車と歩行者が衝突する際に、成人の場合、バンパーがちょうど人体の膝付近と衝突するために、足をすくわれた人体はボンネットの上を寝そべるように移動することになるので、衝突が高速であればあるほど、歩行者人体の足のダメージは大きくなるところ、加害車両の速度は約七五キロメートル毎時と高速であるのに、亡Aの下肢には前記のとおり擦過傷以外に大きな損傷はなく、特に歩行中に衝突したとすれば最初に衝突するはずの左足(大腿部以外)には損傷がないこと、自動車と歩行している人体の間に自転車があった場合、自転車は細い鉄棒の合成体であるから、保護材ではなくむしろ凶器と化すことを根拠に、亡Aは自転車を牽引して歩行中に事故に遭ったとは考えられないと結論づけている。

しかしながら、B見解も指摘するように、亡Aが自転車に乗っていたと仮定すると、左足部は、ペダルがどの位置にあっても、車体の間で挟撃されることになるから、この部分に顕著な損傷や複雑骨折等が生じるはずであるが、実際には大腿部の擦過傷を除き左足に損傷はみられない。また、亡Aが歩行中であったとすれば金属製の棒である自転車が高速で激突することにより左足に大きな損傷が生じるはずであるという点については、その場合、亡Aは自転車のハンドルを手で支えているだけであって、人体と自転車の関係は希釈であるから、衝突時に自転車がはね上げられる状況によっては、亡Aの左足と自転車が強く接触しないことも考えられるから、左足に目立った損傷がないことと亡Aが歩行中であることは必ずしも矛盾するものではない。

むしろ、B見解が指摘するとおり、亡Aが自転車の右側に立っていたと仮定すると、左足が車体間に挟撃されることはなく、亡Aは腰部及び足部の広い面で衝突の衝撃を受けることになるから、単位面積当たりの衝撃荷重は緩和され、骨折のような重篤な負傷はしないことが合理的に説明できる。

以上によれば、亡Aの左足に目立った損傷のないことは、同人が自転車を押して歩行していたことの根拠となり得るが、自転車に乗っていたことの根拠にはならないというべきである。

イ 自転車のサドルが左方向に回転していることについて

C見解は、サドルが左に曲がっている原因について、衝突の初期に、重心より前側でしかも下部分に、左方から右方向にかかる大きな入力により足払い状態で自転車の前部分自体が右側に曲損し、人体が自転車から転落するまではサドル上に重量がかかっているため、結果的にサドルが左方に触れたと考えるのが力学的にみて最も合理的であると結論づけている。

そして、証人Cは、被告代理人が刑事訴訟記録中の平成一二年二月一五日付け捜査報告書の「被害自転車は左側からの圧力が加わっており、更にサドルが曲がっていることから被害者は自転車に乗車中に交通事故にあったものと認められる。」旨の記載を示して質問したのに対し、これはごくごく常識的な検討事項であり、非常に簡単な理論であるため、書物にもサドルが曲がっていれば自転車に乗っているというような記載はないと証言している(証人調書一〇~一一頁)。

上記のC見解は、加害車両と自転車の前輪部分のみが最初に衝突したと仮定した場合の説明としては特に矛盾はない。しかし、加害車両にはフロントバンパー右角部に擦過痕がみられるところ、これは自転車の左ペダルによるものであると考えられるから、上記の擦過痕が加害車両に付いたとき、自転車の前輪は加害車両の左側前部にあり、そこで加害車両に衝突したものと推測される(別紙衝突状況推定図参照。このように考えると、自転車の前輪及び前輪と後輪をつなぐパイプの双方が左方向からの力により折れ曲がっていることの説明がつく。)。初期の衝突の状況が上記のとおりであるとすると、C見解ではサドルが左方向に回転していることの説明が難しくなる。

これに対して、B見解は、亡Aが自転車の右側に立っていたとすると、腰部がサドルのちょうど右側にくるので、衝突時に慣性力により、腰部がサドルの前側を左向きに押して、サドルを左回転させることになるというもので、初期の衝突状況とも整合するし、証人Bは、慣性力は質量に加速度を乗じることにより求められるところ、人が自転車にまたがっていた場合には右足の部分しか質量がかからないのに対し、人が自転車の右側に立っていた場合には体全体の質量がかかるから、控えめにみても後者の場合の慣性力は、前者の場合のそれの三倍以上となる旨証言しており(証人調書一七~一八頁)、慣性力の作用という観点からするとB見解の方が現実の事象を合理的に説明できる。

以上によれば、亡Aの自転車のサドルが左方向に回転していることは、どちらかといえば同人が自転車の右側に立っていたことの根拠になるものというべきである。

ウ その他の点について

(ア) 衝突後に自転車が倒れていた位置

一般に自転車の重心は乗員の位置にあるところ、C見解では、上記イの衝突位置を前提にすると、衝突時に自転車は重心から大きく離れた位置を突かれることになるから、加害車両が進行する方向の運動量の自転車に対する転嫁は十分には行われにくくなる。そうすると、前記(1)オで認定したとおり、亡Aの自転車が加害車両の進行方向の右斜め前方約一五・三メートルの地点に飛ばされていることを合理的に説明することが難しくなる。

これに対して、B見解では、衝突時に自転車の質量も、人体の質量も十分に加害車両の前に出ているため、加害車両の進行方向の運動量の自転車に対する転嫁は積極的に行われ、上記の衝突後に自転車が飛ばされた位置とも整合する。

(イ) 解析の手法

C見解は、解析事項として、「一 乙者(亡A)は自転車に搭乗していたか、歩行していたか」という項目のほかに、「二 その他について」という項目を掲げており、これに対応する解析結果として、加害車両の衝突時の速度は概ね七五キロメートル毎時であったという結論を導いている。

この結論自体は、B見解や刑事訴訟記録の被告Y1の捜査段階及び公判廷における供述とも一致し妥当であるが、C見解では衝突時の亡Aの自転車の速度は明らかではない。この点について、証人Cは、鑑定事項に自転車の速度は含まれていなかったため考慮していない旨証言するが(証人調書二三~二四頁)、運動をしている二つの物体が衝突した場合の動きを判断する際、双方の速度がどのくらいであったかは重要な前提事項であるから、加害車両の速度については考慮するが、自転車の速度については考慮しなくともよいとする見解は、十分な説得力を持つものとはいえない。

解析の手法としては、加害車両の速度を前提に、衝突の部位等をもとに亡Aの側の速度(六・六キロメートル毎時)を推定し、亡Aは歩行中であったとの結論を導いているB見解の方が妥当である。

エ まとめ

以上によれば、工学的な解析の結果、判断の手法ともにB見解は妥当であるということができるから、亡Aは本件事故発生時に自転車の右側に立ち、手で自転車を押して歩いていたものと認められる。

(3)  被告らの責任原因

前記(1)、(2)認定の事実及び証拠(甲一、一六)を総合すると、被告Y1は、加害車両を運転するに当たり、自動車運転者として前方を十分に注視し、制限速度を遵守し、殊に本件交差点には横断歩道が設置されていることからその手前で徐行すべき注意義務があるのにこれを怠り、左前方から本件交差点に進入した右折車両に気をとられたこともあり、前方を注視せず、かつ制限速度(四〇キロメートル毎時)を約三五キロメートル毎時も超える約七五キロメートル毎時の速度で本件交差点に進入した過失により、本件交差点を自転車を押して歩行中であった亡Aと自車を衝突させる事故を起こしたものと認められる。したがって、被告Y1は、民法七〇九条に基づき原告らに生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

そして、被告Y2は、加害車両を自己のために運行の用に供していた者であるから(当事者間に争いがない。)、自賠法三条に基づき、被告Y1と連帯して原告らに生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

二  争点二(亡Aの過失の有無)について

(1)  亡Aの本件事故直前の行動

上記一で認定した事実に証拠(甲一、一六)及び弁論の全趣旨を総合すると、亡Aは、別紙交通事故現場図の<6>の方向(北東の方向)から本件交差点に進入したこと、被告Y1は別紙交通事故現場図の<×>の地点で亡Aと衝突した旨指示説明していること、事故発生直後、亡Aは上記の衝突地点から右前方約九・二メートルの横断歩道上の地点に倒れており、亡Aの自転車はそのほぼ延長線上の衝突地点から約一五・三メートルの地点に倒れていたことがそれぞれ認められる。

そうすると、被告Y1の指示説明する衝突時点が多少不正確である可能性はあるとしても、亡A及び同人の自転車の飛ばされた位置から判断して、亡Aは本件交差点内側の横断歩道でない場所を歩行していたものと認めることができる。

(2)  亡Aの過失割合

歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の付近においては、その横断歩道によって道路を横断しなければならないから(道路交通法一二条一項)、横断歩道によらないでその付近を横断しようとした亡Aには過失があると言わざるを得ない。ただし、亡Aは本件交差点に設置された横断歩道の被告Y1の進行方向からみて手前を川越市方面に向けて歩行していたと推測されるところ、車は、交差点に入ろうとするときは、当該交差点又はその直近で道路を横断する歩行者に特に注意し、かつ、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならないこと(道路交通法三六条四項)を考慮すると、横断歩道外であるとはいえ、交差点の直近を歩行していた亡Aの過失割合は二五パーセントとするのが相当である。

(3)  過失割合の修正

上記の基本の過失割合のほかに、以下の修正要素を考慮する必要がある。

ア 夜間

本件事故の発生時刻が冬の午後七時一〇分ころであり夜間であることは、五パーセントの(プラスの)修正要素となる。

イ 高齢者

亡Aは本件事故当時六四歳であったから、被害者が高齢者である場合として、一〇パーセントの(マイナスの)修正要素となる。

ウ 加害車両の重過失

被告Y1が制限速度を約三五キロメートル毎時超える約七五キロメートル毎時の速度で本件交差点に進入したことは、加害車両の重過失として二〇パーセントの(マイナスの)修正要素となる。

エ まとめ

以上によれば、前記(2)の基本となる過失割合に加えて上記アないしウの修正要素を考慮すると、亡Aについては過失相殺をすべきではないことになる。

三  争点三(原告らの損害額)について

(1)  亡Aの損害

ア 治療費 認定額金一九万四〇五〇円

当事者間に争いがない。

イ 逸失利益 認定額金二四〇八万一九〇四円

証拠(甲一四)及び弁論の全趣旨によれば、亡Aの本件事故直前の年収(平成一一年の給与所得)の額は金四八四万円であり、亡Aが勤務していたa公認会計士事務所では事務職員につき定年退職に関する就業規則は存在せず、定年自体も定められていないことが認められる。

そして、証拠(甲一七、一八)によれば、亡Aの健康状態に特に問題はなかったことが認められるから、本件事故がなければ亡Aは少なくとも今後九年間は就労が可能であったと認めることができる。

上記の基礎年収及び就労可能年数に基づき、生活費控除率を三〇パーセント、九年に対応するライプニッツ係数を七・一〇八として計算すると、逸失利益の額は上記金額になる。

(計算式) 4,840,000×(1-0.3)×7.108=24,081,904円

ウ 慰謝料 認定額金二〇〇〇万円

前記認定の本件事故の態様、亡Aの生前の生活状況、特に、女手一つで原告らを育て上げ、本件事故当時も会計事務所で働いていたことを考慮すると、亡Aの慰謝料の額は金二〇〇〇万円が相当である。

(2)  原告ら固有の損害

ア 葬儀費用 認定額金一二〇万円(原告ら各自金六〇万円)

上記金額が本件事故と相当因果関係のある損害であると認められる。

イ 慰謝料 認定額金二〇〇万円(原告ら各自金一〇〇万円)

前記認定の亡Aの死亡時の状況、生前の原告らと亡Aの関係等を考慮すると、原告ら固有の慰謝料の額は原告ら各自につき金一〇〇万円が相当である。

(3)  相続等

上記(1)の合計額は金四四二七万五九五四円となるところ、原告らは、これを二分の一ずつ相続したから、原告ら各自の請求額は金二二一三万七九七七円となる。これに、上記(2)の原告ら固有の損害額(各自金一六〇万円)を加えると、金二三七三万七九七七円となる。

(4)  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起、追行を原告代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、弁護士費用のうち原告ら各自につき金二三七万円は本件事故と相当因果関係のある損害であると認められる。

(5)  既払金の控除

原告らは、自賠責保険から合計金二七九一万〇九五〇円を受領しているから(当事者間に争いがない。)、これを控除すると、原告ら各自の請求額は、金一二一五万二五〇二円となる。

(計算式) 23,737,977+2,370,000-(27,910,950÷2)=12,152,502円

四  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、原告ら各自につき金一二一五万二五〇二円及びこれに対する平成一二年一月一九日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を命ずる限度において、理由がある。

よって、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法六四条本文、六五条一項本文、六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 和久田道雄)

(別紙) 交通事故現場図

<省略>

(別紙) 衝突状況推定図

<省略>

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