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さいたま地方裁判所 平成14年(ワ)2528号 判決 2004年6月25日

原告 齊藤松夫

同訴訟代理人弁護士 高見澤昭治

同 齋藤雅弘

同 岡田正樹

同 野間啓

同 関口正人

同 大神周一

同 古賀克重

同 高橋直紹

同 山下環

同 中川素充

同 永野靖

同 竹内英一郎

同 関守麻紀子

同 喜多英博

同 新有道

同 廣瀬健一郎

岡田正樹訴訟復代理人弁護士 佐渡島啓

被告 埼玉縣信用金庫

同代表者代表理事 甲山A雄

同訴訟代理人弁護士 蔭山好信

主文

1  被告は、原告に対し、84万円及びこれに対する平成15年1月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを10分し、その3を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、120万円及びこれに対する平成15年1月24日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

1  事案の要旨

本件は、原告が、信用金庫である被告に対し、預金契約に基づき、預金合計120万円及びこれに対する遅延損害金(その起算日は訴状送達の日の翌日である平成15年1月24日、利率は商事法定利率である年6分)の支払いを請求した事案である。本件預金120万円については、無権限者である氏名不詳者が被告に払戻請求をし、被告はその氏名不詳者に対して払戻しをした。被告は、債権の準占有者に対する弁済(民法478条)により、その払戻しは有効であり、当該預金債権は既に消滅したと主張して、原告の請求を争った。

なお、原告は、訴え提起時、被告に対し、上記預金契約に基づく預金払戻請求に加え、預金債権侵害の不法行為に基づく損害賠償請求を主張していたが、平成15年3月5日付け準備書面(本件第2回口頭弁論期日において陳述)により、後者の主張を撤回した。

2  争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定した事実については、その末尾の括弧内に証拠を掲げる。)

(1)  当事者

ア 被告は、信用金庫法に基づき設立された信用金庫であり、埼玉県下に支店を設置して、預金の受入れ等の業務を行っている(弁論の全趣旨)。

イ 原告は、グローバル・サポートという保険代理店の代表者をしているものである(甲39)。

(2)  原告の被告における預金口座(乙2、3(枝番))

原告は、被告との間で預金契約を締結し、別紙1「原告預金口座目録」記載の各預金口座を開設した(以下、同目録記載1の預金口座を「本件口座1」、同目録記載2の預金口座を「本件口座2」、本件口座1及び2を併せて「本件各口座」という。)。

原告は、本件口座1の届出印と本件口座2の届出印につき、共通の印鑑で届出をしており(以下、この共通印鑑を「本件届出印」という。)、その印影は、別紙2のとおりである。

(3)  預金通帳等の盗取(甲39、弁論の全趣旨)

ア 原告は、平成14年7月10日夕方から翌日未明までの間に、何者かにより、原告所有の自動車内に保管してあった本件各口座の預金通帳2冊(以下「本件通帳」という。)及び原告が訴外あさひ銀行(現りそな銀行)に有する口座の預金通帳(以下「本件他行通帳」という。)1冊等を盗取された。

イ 盗取された本件通帳2冊には、いずれも副印鑑は貼付されていなかったが、同じく盗取された本件他行通帳には副印鑑が貼付されており、その副印鑑の印影は、本件通帳の本件届出印の印影と同じであった。

(4)  無権限払戻し(乙3~5(各枝番)、弁論の全趣旨)

ア 平成14年7月11日午前10時前、氏名不詳者(以下「本件来店者」という。)が、被告春日部支店に来店し、本件各口座につき正当な受領権限を有しないのに、同支店の窓口担当者乙川B子(以下「乙川」という。)に対し、別紙3①及び②の払戻請求書2通(以下「本件払戻請求書」という。)を提出し、本件口座1から87万円(別紙3①参照)の、本件口座2から33万円(別紙3②参照)の預金の払戻しを、それぞれ請求した。

このとき、本件口座1の預金残高は87万8400円、本件口座2の預金残高は39万0841円であった。

イ 乙川は、本件口座2につき同日午前9時59分に33万円を、本件口座1につき同日午前10時05分に87万円を、それぞれ払い戻す手続をとり、本件来店者に払い戻し、同人は各金員を受領した(以下、本件来店者による本件各口座からの預金合計120万円の払戻しを「本件払戻し」という。)。

(5)  原告は、平成14年7月11日午前11時ころ、本件各口座の預金通帳2冊等が無くなっていることに気づき、同日午後0時21分ころ、被告に対し、本件通帳2冊が盗難の被害に遭ったことを届け出た(甲39、弁論の全趣旨)。

3  原告の主張

(1)  預金契約に基づく預金払戻請求

本件払戻しは、無権限者に対してされたものであるから無効であるので、原告は、被告に対し、本件払戻しに係る預金合計120万円について、払戻請求権を有している。

よって、原告は、被告に対し、預金契約に基づき、本件払戻しに係る預金合計120万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年1月24日から支払済みまで商事法定利率である年6分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(2)  被告の有過失について

被告は、本件払戻しが、債権の準占有者に対する弁済(民法478条)であり有効であると主張するが、以下の理由により、被告には、本件来店者が正当な受領権限を有する者であると信ずるにつき過失があったといえるので、被告は免責されない。

ア 印影の平面照合だけでは足りないことについて

従前、本件のような金融機関の預金の過誤払いに関しては、民法478条の適用場面とされ、金融機関の注意義務違反の有無に関する判断基準として、特段の事情のない限り、印影の平面照合で足りる、という趣旨の基準が用いられてきた。しかし、従前の基準が前提にしていた社会一般の認識あるいは社会的事実と、本件払戻し時におけるそれとでは、以下のとおり変化があるのであるから、本件において、従前の基準を採用することは社会的相当性を欠いており、これによって判断することは許されない。

(ア) 無権限払戻被害の多発と金融機関の認識

平成10年ころから、ピッキングによる侵入窃盗事件が激増し、これに伴い、近時の画像処理技術等の進歩を背景に、届出印が窃取されていないのに、印影が偽造され、預金が引き出される被害が増加した。このように偽造印鑑を用いた払戻しによる被害は、大手都市銀行6行だけでも、平成11年の1年間に300ないし400件程度に及んだと報じられた(甲3、4(枝番))。

そして、平成10年末ころから、偽造印鑑を用いた払戻しが多発していることは新聞紙上で報道される等しているのであるから、被告は、本件払戻し当時、かかる状況を認識していた。

また、警視庁は、平成11年9月6日、各都市銀行に対し、盗難通帳を用いた払戻被害の多発と、過誤払い被害の防止策を講ずるよう要請する文書を発し(甲1(枝番))、同文書には、「開店間もない時間に会社等名義の多額の預金を普段見かけない人が引出しに来た場合や、挙動が不審であると思われるような場合は、会社に確認の電話をしていただくか、確認がとれない場合には警察へ通報していただくなど、盗難被害に遭った通帳等を使われないように留意していただきたいのであります。」と記載されている。また、警視庁は、同年11月24日、金融機関防犯連絡会会議の席上において、東京都信用金庫協会等の担当者に対し、甲1と同旨の要請を行っている(甲2、9(枝番))。

(イ) ATMとの逆転現象

ほとんどの金融機関においては、預金の安全性を確保するために、一定額以上の払戻しは有人対応とされ、ATMの利用に関し、1回当たり及び1日当たりの上限金額が設けられている。

しかし、印影偽造が容易となり、それにもかかわらず窓口における払戻しが印影の同一性に立脚した権限確認に安住している結果、窓口における払戻しではATMによる払戻しよりも過誤払いが発生しやすくなっている。

(ウ) 郵便貯金との不均衡

郵便貯金法(平成14年法律第98号による改正前のもの)26条には「この法律又はこの法律に基く省令に規定する手続を経て郵便貯金を払い渡したときは、正当の払渡をしたものとみなす。」とあり、通常郵便貯金の即時払につき、払戻金受領証の印影と通帳の印鑑とを対照し、相違がないことを認めた上、払渡すこととされているが(平成15年総務省令第8号による改正前の郵便貯金規則52条参照)、加えて、郵便局には預金者の真偽を調査すべき注意義務が課せられており、善管注意義務をもって払戻請求人を正当権利者と認定することが必要であるとされている。

そのため、従前の基準に依拠している預金と郵便貯金(郵便貯金には上記注意義務が課されている。)とでは、安全性に看過しがたい差異が生じている。

イ 具体的な注意義務について

(ア) 被告には、一定の類型的場合、すなわち、少なくとも下記①ないし③のいずれかに該当する場合には、印影を照合するだけでは足りず、筆跡照合、払戻請求者に対してキャッシュカードの暗証番号を確認する、預金者が法人等の団体の場合には電話による確認を行う、個人の場合には写真付き身分証明書の提示を求める、払戻請求者が本人か代理人かを尋ね、本人であれば、住所・生年月日・電話番号等の個人情報を尋ねる等の方法により、払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認すべき注意義務がある。

① 定期預金、定期積立の解約(限度額に近い預金担保貸付を含む。)の場合

② 払戻請求額が概ね50万円以上の場合

③ 払戻請求額が預金残高のほぼ全額あるいは過去の払戻履歴からみて突出した金額である場合など、特異な払戻しといえる場合

(イ) また、上記(ア)①ないし③に該当しない場合であっても、払戻請求者の言動等の何らかの契機により、金融機関の窓口で預金の払戻請求をしている者が正当な受領権限を有しないのではないかと疑わしめる事情が存在した場合には、金融機関は、印鑑を照合するだけでは足りず、上記(ア)の方法により、払戻請求者が正当な受領権限を有するのかどうかを確認すべき注意義務がある。

(ウ) 預金払戻請求書の印影と登録印影とを照合するにあたっては、盗難通帳及び偽造印影による不正払戻請求の可能性があることを認識した上で、印影の大きさ、形、文字の配列や全体的な印象にとどまらず、下記の点にも注意しつつ、各文字について慎重に比較照合すべき注意義務がある。

(a) 朱肉の色がロビー備え付けの朱肉の色と異なっていないか。

(b) 印鑑を押印した凹凸があるか(印影が印刷されたものでないか。)。

(c) 印影の文字が太く、スタンプのように見えないか。

(エ) なお、預金払戻しの際の本人確認を徹底すべきであるとの原告の主張に対しては、多くの金融機関が、そのような業務をしていたのでは、窓口業務が停滞してしまう、営業政策上不可能を強いるものであるとの反論をすることが予想される。

しかし、原告は、すべての窓口払戻しについて、本人確認を要求しているわけではなく、上記(ア)及び(イ)の場合に限定している。また、本人確認の方法も、ごく短時間で行うことができるので、上記反論は理由がない。現に、遅くとも数年前から、みずほ銀行、東京三菱銀行、UFJ銀行等において、原告主張のように、一定の預金払戻しの際には、印影照合に加えて、本人確認をすることが明確かつ詳細に規定されるようになった。

ウ 本件への適用

(ア) 本件払戻しは、2つの口座から同時にされており、払戻金額が合計120万円で、社会通念に照らして高額であり、また、その払戻金額は、本件口座2については預金残高の約84%、本件口座1については預金残高のほぼ100%である。これは、原告が主張する上記イ(ア)②及び③の場合に該当し、過誤払いの危険性が類型的に高い取引といえる。

また、2つの口座いずれについても、被告春日部支店における払戻実績が全くなく(乙4、5)、さらに、本件払戻しは、午前9時59分と午前10時05分であり、早朝にされたものである。このように、過去に払戻実績のない店舗における払戻し、あるいは開店後間もない時間帯の払戻しは、不正払戻しである可能性が高い取引といえる。

したがって、被告は、印影を照合するだけでは足りず、筆跡照合、キャッシュカードの暗証番号の確認、あるいは、預金者が法人等の団体の場合には電話による確認、個人の場合には写真付き身分証明書の提示、払戻請求者が本人か代理人かを尋ね、本人であれば、住所・生年月日・電話番号等の個人情報を尋ねる等の方法により、払戻請求者が正当な受領権限を有するかどうかを確認すべき注意義務があったのに、これを怠ったものであり、本件払戻しには被告の過失がある。

(イ) 被告は、窓口担当者乙川が印鑑照合機により慎重に印影照合を行ったと主張するが、いわゆる平面照合であるところ、本件届出印の印影(乙2)と本件払戻請求書の印影(乙3の1、3の2)とでは、肉眼によっても相違点が認められ、その同一性には大いに疑問がある。

仮に、平面照合によって相違点を判別するのが困難であるとしても、過誤払いの被害が多発していたこと、高額でほぼ全額の払戻しであること等の事情に鑑みれば、被告は、折り重ね照合や拡大鏡による照合等による一層慎重な印鑑照合を行うべきであったのであり、被告にはこれを怠った過失がある。

(3)  過失相殺について

ア 預金払戻請求の事案では、過失相殺をすることはできない。すなわち、過失相殺の理論的根拠は、損害賠償制度における公平の原則であるところ、本件において原告は、預金債権を請求しているのであり、損害賠償が問題になる場面とは明らかに異なり、法が予定した過失相殺適用の場面ではない。

そもそも、民法478条の場面では、債務者の無権利者に対する過誤弁済に関し、債権者の関与が予定されていないのであり、預金の過誤払いの場合も同様であり、過失相殺の適用は予定されておらず、オール・オア・ナッシングの解決しかない。また、たとえ、預金者の関与が観念できるとしても、以下のような本件の事情を考慮すると、過失相殺をすることは許されない。

(ア) 被告は、情報の豊富な金融機関であり、他行や警察、関係機関等からの情報により、預金の不正払戻しに対策を講じることが可能であったのに対し、原告らを含む預金者は、それと比較して情報は圧倒的に少なく、預金通帳が盗まれることが預金不正払戻しにつながるとの情報は与えられていなかった。

(イ) また、金融機関の窓口において、預金過誤払いの対策の方法はいくつもあり、その実現は容易である。これに対し、預金者において、自宅や自動車を窃盗被害から守るのは極めて困難であると言わざるを得ない。

(ウ) 原告は、通帳を窃取され、預金過誤払いで財産を失った被害者である。債権者たることを証明する物を他人に貸与したとか、貸与した物の返還請求を怠ったなどの、債権者たる外観を作出あるいは放置した等の事情は一切ない。

イ 仮に、民法478条の適用場面において、過失相殺の適用ないし類推適用があり得るとしても、預金者に極めて重大な過失が要求されなければならない。そして、以下の理由により、本件では、原告に過失相殺されるべき事情はない。

(ア) 被告は、原告が損害保険会社の代理店を営む者であることに着目するが、預金者がどのような者であろうとも、金融機関と預金者という関係には何ら違いはなく、被告との関係で、他の預金者と比較して重い注意義務を負うことはない。

(イ) 原告は、自動車の鍵はかけていたのであり、自己の所有物を、自己の支配領域内のどこに置くかは、その者の自由であり、その場所が施錠されているのであれば、そこに何らの落ち度も認めることはできない。また、原告は、本件通帳とその届出印を一緒に保管していてこれらを盗取されたのではない。

(ウ) 被告が副印鑑制度を廃止したのは、平成14年1月であり、本件払戻しの半年前に過ぎない。被告が、副印鑑のついた預金通帳をすべて回収したというのであれば別論、そうでない以上、被告が、本件払戻し時に、本件同種の不正払戻しの発生が予測不可能であったとはいえない。

(エ) 車内に特に目立った犯行形跡がなく、また、預金通帳は、逐一、その存在を確認しなければならないような物ではない以上、翌日になるまで預金通帳を盗まれたことに気付かなくても、落ち度とされるいわれはない。

4  被告の主張

(1)  以下のとおり、被告の窓口担当者である乙川は、慎重に印鑑照合の上、本件払戻しに応じたものであり、被告は、本件来店者が正当な受領権限を有する者であると信じ、そう信じることにつき過失がなかったので、本件払戻しは、債権の準占有者に対する弁済(民法478条)として有効である。

ア 本件払戻しの状況

(ア) 本件来店者は、紺色のスーツを着た20代から30代の男性で、身長はやや高めで、太っても痩せてもいない普通の体型であった。

(イ) 本件払戻請求に応じた被告窓口担当者は乙川である。

乙川は、平成8年4月に被告に入社し、平成9年10月から窓口業務に携わり、平成13年に退社したが、同年10月からパート従業員として復帰し、テラーとして勤務していた者であり、テラー経験は通算4年以上である。乙川は、この間、ずっと、被告春日部支店に勤務し、他の店舗に勤務したことはない。

(ウ) 乙川は、本件来店者から本件払戻請求書(乙3の1、3の2)を受領し、番号札110番を渡した後、自己の机上の印鑑照合機を用いて、被告のさいたま市所在の登録センターで管理している原告の印鑑を呼び出し、印鑑照合機上に現れた原告の登録印鑑(乙2)に押捺された印影と本件払戻請求書に押捺された印影を、肉眼によって照合し、両者に相違がないことを確認した。

その後、払戻請求された金額を出納機から出金して勘定し、金額に間違いのないことを確認してから、待合室に向かって「グローバルサポートさん。」と声を掛けたところ、本件払戻請求者が即座に立ち上がり、窓口の乙川の前に来て、現金を受け取って退店した。

(エ) 本件各預金口座において、高額な出金については、ほとんどがネット払い(口座開設店での支払いではなく、系列店からの支払いであること)である(乙4、5)。

(オ) 印鑑照合について

およそ印影というものは、朱肉の付き具合や押捺する際の圧力もしくは印章自体の摩耗等により、文字の一部や縁が消えたり、不鮮明な部分が生じたり、逆に鮮明すぎる部分のみ太くなりすぎてしまうことがほとんどであり、常に微妙に異なるものであり、届出印の印影と全く同じものがないのが実情である。また、被告を含む金融機関は、顧客(預金者等)に対し、類似の印章が多数存在し、印影も類似しやすい印鑑を用いることを避け、特徴のある印鑑を用いるよう要望している。

本件届出印の印影と、本件払戻請求書の印影は、印鑑の大きさ、形状、字体、文字の配置等いずれも酷似しており、これらが相違していると見分けることは困難である。原告は、印影を拡大して、その相違を強調して主張するが(甲31(枝番))、むしろそれは、拡大しなければ相違点が判別しないことを示している。

イ 原告の過失

(ア) 原告は、平成14年7月10日夕刻、さいたま市の<省略>パーキングに乗用車を駐車し、食事等をしていた間に、車内に置いてあった鞄から、本件通帳等を窃取される被害に遭ったのであり、その管理において原告に重大な過失があるといえる。

(イ) また、原告は、速やかに盗難の被害に遭った旨を被告に連絡せず、その旨の連絡がされたのは、平成14年7月11日午後0時21分である。

被告は、午後5時から翌日午前7時30分までは盗難等の被害の連絡先を留守番電話で流しており、午前7時30分から午前8時までは「さいしんカードセンター」において、午前8時以降は各店舗において、電話連絡を受け付けている。

本件口座から預金が払い戻されたのは、開店後約1時間を経過した午前9時59分以降である。原告が、盗難の被害に気づき、速やかに被告に連絡していれば、本件被害を防ぐことができたはずである。

ウ 原告主張の注意義務について

注意義務に関する原告の主張は、金融機関の窓口に預金の払戻しに訪れる顧客を預金通帳や取引印鑑を窃取した犯罪者ではないかと疑って対処せよということを金融機関に要求するものである。

しかしながら、本件払戻しは、平成14年1月に副印鑑制度を廃止した後6か月経過し、本件通帳からは取引印鑑の印影がうかがい知れなくなってからの払戻しである。被告としては、同じ印鑑による副印鑑が表示されている他行の通帳が本件通帳とともに盗難に遭うことまで予想して顧客に接することはできない。「他人を見たら泥棒と思え。」というような態度で臨むことは、窓口業務の停滞を招くだけでなく、窓口に訪れたすべての顧客に対し、相当の不快な思いをさせることになり、これにより顧客を失う危険性も高い。このように自分の首を絞めるような行動をとることまで法が要求しているとは考えられない。

したがって、原告が主張する注意義務は相当ではない。

(2)  過失相殺について

以下の事情によれば、原告には、本件通帳の管理等に重大な過失があったといえ、そのため、本件通帳の盗難の被害に遭ったばかりか、損害の発生を未然に防ぐことができなかったのである。

したがって、仮に被告の責任が肯定されるとしても、損害の公平な負担という観点から、過失相殺の類推適用もしくは原告の損害発生に対する寄与を斟酌すべきである。

ア 原告は、金融機関の一翼を担う損害保険会社の代理店を営む者であり、顧客から保険金を預かり、いったん自己の管理する銀行預金口座に入金した後、これを保険会社に納金する業務を日常的に行っている者である。

イ 原告は、平成14年7月10日夕刻から、さいたま市所在の<省略>パーキングに乗用車を駐車し、同車両内に本件通帳を含む5冊の預金通帳が入った鞄を置いたまま車両から離れ、食事等をしていたものである。原告が鞄を車内に放置することなく持参して食事に赴いていれば、本件通帳の盗難に遭うことはなく、かつ、そうすることは原告にとって容易にできた行動であり、その管理において原告に重大な過失があるといわなければならない。

ウ 原告の主張によれば、5冊の預金通帳の中には副印鑑が貼付してある他行の通帳が存在していたとのことであり、本件各口座の届出印もその副印鑑と同一の印鑑を用いていたとのことである。そうすると、原告は、預金通帳と届出印を同一場所に放置していたのと等しい。原告にとって、これらを別個に保管することは極めて容易であり、そのようにしていれば、本件通帳が窃取されたとしても、本件払戻しがされることはなかったはずである。

エ 原告は、食事後、同車両に戻ったのであるが、犯罪の形跡に気付かず、車両の運行を開始し、鞄の中を確認せず、帰宅後においても鞄の中の通帳を確認したり、通帳を鞄から取り出す等の作業を行っておらず、結局、被告が原告から通帳を紛失した旨の連絡を受けたのは、平成14年7月11日午後0時21分になってからのことである。

原告が、車両に戻った後あるいは帰宅後に、通帳を確認する等し、盗難の被害に気づき、速やかに被告に連絡していれば、本件払戻しによる被害を防ぐことができたはずである。

第3当裁判所の判断

1  本件払戻しの有効性について

(1)  本件払戻しにおいて、本件来店者に正当な受領権限がなかったことについては、当事者間に争いはない。これに対し、被告は、本件払戻しが債権の準占有者に対する弁済(民法478条)により有効であると主張するので、この点について判断する。

(2)  <証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、前記第2、2の事実のほか、以下の事実が認められる。

ア 盗難預金通帳等による預金の無権限払戻しの被害等

(ア) 平成11年9月6日、当時の警視庁生活安全総務課長・警視正丙谷C郎は、第一勧業銀行(現みずほ銀行)等に対し、「盗難通帳等使用による預金引出し事案の防止について(依頼)」(甲1(枝番))と題する書面を送付した。

(イ) 平成11年11月24日、警視庁において、東京地方銀行協会及び東京都信用金庫協会等の金融機関関係者の参加のもと、金融機関防犯連絡会会議が開催された。

(ウ) 全国銀行協会が、その正会員135行を対象に行ったアンケート調査の結果(甲32・2枚目)によると、盗難通帳による払出し件数及び金額は、別紙4記載のとおりである。

(エ) 平成12年5月ころ以降、預金通帳等の盗難被害、盗難された預金通帳等を悪用した無権限払戻被害が増えていること等が新聞で報道された。

イ 被告における無権限払戻し対策等

(ア) 被告において、平成12年12月29日付けで、事務部長から各部・室・店・課長にあてて、「盗難通帳、偽造印鑑による支払注意及び対応について」と題する業務文書(乙10)が送付された。

同文書により、印鑑照合機を全店に導入するまでの間、残高の全額に近い支払(多額の支払を含む。)及びネットでの支払については、防犯カメラで撮影するほか、本人確認として運転免許証の提示又は支払伝票に住所の記入を求め、他方、案内文書を掲示し、顧客に事前に周知させるという取扱いをするよう通知された。

(イ) 被告において、平成13年5月10日付けで、事務部長から各部・室・店・課長にあてて、「盗難通帳、偽造印鑑による支払注意及び対応について(その2)」と題する業務文書(乙11)が送付された。

同文書により、被告を含む金融機関において、副印鑑シールから偽造印鑑を作成し、店頭で支払をした事例が多発しているので、残高の全額に近い支払〔多額(一般には100万円以上)の支払を含む。〕及びネットでの支払については、防犯カメラで撮影するほか、本人確認として運転免許証の提示又は支払伝票に住所の記入を求め、さらに電話での預金者本人への連絡・確認をし、他方、案内文書を掲示し、顧客に事前に周知させるという取扱いを徹底するよう通知された。

(ウ) 被告において、平成13年10月29日付けで、事務部長から各部・室・店・課長にあてて、「盗難通帳、偽造印鑑による支払注意及び対応について(その3)」と題する業務文書(乙12)が送付された。

同文書により、被告において、下記作成条件に該当する払戻し時には、下記記入手順に従って、「預金支払時のチェックリスト」の作成を実施することとしたことが通知された。

なお、同書面によれば、このような取扱いは他行(近隣都市銀行)においても既に運用を開始しているとされている。

(1)作成条件・範囲

普通預金、貯蓄預金のテラー受付分(得意先係扱いは除く)ネット扱いで金額50万円以上および自店扱いで金額100万円以上の支払時(現金および名義人以外への振込)で預金者であることが確認できない場合作成する。

(2)記入手順

<面識がある場合>

テラー担当者は来店者と面識があり、預金者(法人であれば経理担当者等)に間違いないと確認できる場合は「預金支払時のチェックリスト」の作成は不要とする。

(受付テラー以外の職員が面識があれば作成不要)

代わりに該当の払戻請求書右上部番号札欄下部周辺に確認者印を押捺し、支払に応じる。

<面識がない場合>

テラー担当者は「預金支払時のチェックリスト」を作成し、以下の項目に一つでも該当する場合、チェック欄にレ点チェックを行い、同リストを役席者に回付し対応を依頼する。

(該当がない場合、同リストに受付者印を押印し、支払いに応じる)

①朝一番(開店から10時の間)の支払(現金・振込)ではないか

②通帳取引履歴での確認(提出された通帳でわかる範囲で確認する)

・過去の支払でATMを利用しているか(預金通帳 摘要印字「CD 支払」)

・事前にATMで少額の入金をしているか

・過去にネット支払がないか

③住所・氏名

・住所記入を拒絶された場合

・CIF照会票等と住所・氏名が相違している場合(不一致、記入漏れ含む)

・住所・氏名が訂正されている場合

・法人名(任意団体含む)が手書きの場合

④印鑑照合

・印鑑相違、印鑑照合に少しでも不安がある場合

・印影が不鮮明なのに再押印に応じない場合

・金庫備付の朱肉を使用していない場合(スタンプ台使用等)

⑤その他

・いつもと違う人が来店

(エ) 被告は、平成14年1月に副印鑑制度を廃止した。

ウ 本件口座1からの預金払戻し状況(乙5)

(ア) 平成11年7月から本件払戻し(平成14年7月11日)直前までの間に、原告が本件口座1から支払(払戻し)を受けた約50件の取引のうち、80万円以上の払戻しは17件あり、その内訳は、伊奈支店が8件、桶川支店が4件、口座開設店(原市支店)が3件、南栗橋支店及び北本支店が各1件である。なお、上記17件の取引うち、ATMでの引出しはない。

(イ) 上記期間内において、原告が本件口座1から、その預金残高の9割を超える金額を払い戻した実績はない。

(ウ) 上記期間内において、原告が本件口座1につき、春日部支店において取引をした実績はない。

エ 本件口座2からの預金払戻し状況(乙4)

(ア) 平成11年7月から本件払戻し(平成14年7月11日)直前までの間に、原告が本件口座2から支払(払戻し、自動引落し、振込み等)を受けた約500件の取引のうち、30万円以上の取引は2件あり、その内訳は、口座開設店(原市支店)と伊奈支店が各1件であり、いずれもATMでの引出しである。また、25万円の取引が37件あり、その内訳は、口座開設店(原市支店)及び伊奈支店が各12件、桶川支店が9件、南栗橋支店、越谷支店、大宮西支店及び北本支店が各1件である。なお、上記37件の取引のうち、ATMでの引出しによるものは、口座開設店で1件ある。

(イ) 上記期間内において、原告が本件口座2から、その預金残高の8割を超える金額を払い戻した実績はない。

(ウ) 上記期間内において、原告が本件口座2につき、春日部支店において取引をした実績はない。

オ 本件通帳等の盗難被害

(ア) 原告は、平成14年7月10日夕方に、自己の乗用車をさいたま市の<省略>パーキングに駐車し、食事をし、その後、その乗用車に乗って帰宅した。原告は、その夕方の食事時以降、翌日未明にかけて、本件通帳及び本件他行通帳を含む預金通帳5冊が入ったバッグを、上記乗用車の中に入れたままにしてあり、その間に、何者かにより、上記バッグの中から本件通帳及び本件他行通帳等を盗取される被害に遭った。

(イ) 本件通帳には副印鑑は貼付されておらず、また、本件通帳の本件届出印の印鑑は、上記バッグと別に保管してあったので、盗取されなかった。しかし、本件他行通帳には副印鑑が貼付されており、その副印鑑の印影は、本件届出印の印影と同じであった。

(ウ) 原告は、平成14年7月11日午前11時ころ、本件通帳及び本件他行通帳等が無くなっていることに気付き、同日午後0時21分ころ、その旨を被告に連絡した。

(エ) 被告は、顧客(預金者等)からの預金通帳の盗難・紛失等の連絡につき、午後5時から翌日午前7時30分までは連絡先を留守番電話で流し、午前7時30分から午前8時までは、さいしんカードセンターにおいて、午前8時以降は、各営業店舗において、電話連絡を受け付けている。

カ 本件払戻し状況

(ア) 本件来店者による払戻請求に応じた被告窓口担当者は、乙川である。

乙川は、平成8年4月に被告に入社し、平成9年10月から窓口業務に携わり、平成13年に退社したが、同年10月からパート従業員として復帰し、テラーとして勤務していた者であり、テラー経験は通算4年余りである。乙川は、この間、被告春日部支店に勤務し、他の営業店に勤務したことはなかった。

(イ) 平成14年7月11日、本件来店者は、被告春日部支店に、同店開店後約1時間経過した午前10時前に来店した。

(ウ) 乙川は、本件来店者から本件払戻請求書(別紙3①及び②、乙3の1、3の2)を受領し、同人に番号札110番を渡した。

本件口座1についての払戻請求書(別紙3①、乙3の1)には、「おなまえ」欄に、「14」・「7」・「11」(払戻請求日)、「<省略>」(口座番号)、「三井住友海上代理店 齊藤松夫」との記載があり、押印され、「金額」欄に「¥870000」との記載がある。なお、このとき、本件口座1の預金残高は87万8400円であった。

本件口座2についての払戻請求書(別紙3②、乙3の2)には、「おなまえ」欄に、「14」・「7」・「11」(払戻請求日)、「<省略>」(口座番号)、「グローバルサポート 齊藤松夫」との記載があり、押印され、「金額」欄に「¥330000」との記載がある。なお、このとき、本件口座2の預金残高は39万0841円であった。

(エ) 乙川は、自己の机上の印鑑照合機を操作して、被告の登録センター(さいたま市所在)で管理している原告の登録印鑑を呼び出し、印鑑照合機上に現れた登録印鑑の印影(別紙2、乙2参照)と、本件払戻請求書に押捺された印影(別紙3①及び②、乙3の1、3の2)を、肉眼によって照合した(照合システム及び印鑑照合機については後述キ)。

このとき、乙川は、本件来店者に、払戻請求金額につき問い合わせをしたり、住所・生年月日の記載(別紙2、乙2参照)や印鑑の押し直しを求めたり、あるいは運転免許証の提示を求めたりはしていない。

(オ) 乙川は、上記払戻請求された金額合計120万円を出納機から出金して勘定し、金額に間違いのないことを確認してから、待合室の方に向かって、「グローバルサポートさん。」と声を掛けたところ、本件来店者が立ち上がり、窓口の乙川の前に来て、同人は120万円を受け取って退店した。

(カ) 乙川が上記払戻手続をしたのは、本件口座1が午前10時05分、本件口座2が午前9時59分であった。

(キ) 被告春日部支店には、4分ごとに作動する防犯カメラが設置されているが、ビデオカメラは設置されていない。その防犯カメラには、本件来店者は撮影されていなかった。

キ 本件払戻し当時の被告における印鑑照合システム

(ア) 顧客(預金者等)が、いずれかの被告営業店において印鑑届を作成提出し、預金口座を開設すると、顧客氏名、顧客番号及び口座番号が登録センターに送信され、仮登録される。

当該営業店は、その翌日又は翌々日に、当該印鑑届の実物を登録センターに送付し、同センターにおいて実物の印影をスキャナーで読み取り、印鑑サーバに登録し、仮登録された顧客番号等とリンクさせる。

その後、印鑑届の実物は、当該営業店に返送される。

(イ) 上記(ア)による登録終了後、被告全営業店舗において、印鑑の照合が可能になる。

(ウ) いずれかの営業店において、預金払戻しの申請がされたとき、当該営業店の窓口担当者は、自己の印鑑照合機のテンキーを操作し、オペレータ番号、パスワード、店番及び口座番号を入力して、端末機に照会画面を表示させる。同照会画面(乙9・5枚目)には、店番、口座番号、届出印の区分(個別印鑑・共通印鑑)、印影、事故印鑑(登録されている場合には表示される。)、開始日(登録日)、印鑑届の「おところ」欄及び「おなまえ」欄記載の内容等が表示される。

(エ) 窓口担当者は、上記照会画面に表示された印影と、提出された払戻請求書に押捺された印影を平面照合する。

ク 印影の相違点

本件届出印の印影(別紙2、乙2参照)と、本件払戻請求書の印影(別紙3①及び②、乙3の1、3の2参照)は、以下(ア)ないし(オ)の点において違いがあることが肉眼で判別できる。なお、本件口座1の払戻請求書の印影(別紙3①、乙3の1)と、本件口座2の払戻請求書の印影(別紙3②、乙3の2)は、肉眼で判別できる相違点はなく、それぞれ本件届出印の印影との相違点は同じである。

(ア) 本件払戻請求書の「齊」の文字の上部分及び右上部分(「file_4.jpg」の部分)の文字画線が途切れて欠落する等している。

(イ) 本件払戻請求書の「藤」の文字の右上部分(「file_5.jpg」の部分)につき、3本の縦の文字画線のうち、一番右の縦線が欠落している。

(ウ) 本件払戻請求書の「藤」の文字の「月」の部分(「file_6.jpg」の右下部分)の文字画線と、輪郭線が接していない。

(エ) 本件払戻請求書の輪郭線の右側真ん中辺りの線が欠落している。

(オ) 本件払戻請求書の「藤」の文字の「水」の部分(「file_7.jpg」の右下部分)の文字画線と輪郭線が接する部分の右下に、約1mmの短い縦線がある。

(3)  民法478条の適用により、本件払戻しが有効とされるには、被告において、本件来店者(払戻請求者)に正当な受領権限があると信じるにつき無過失でなければならない。そして、被告が無過失であるというためには、本件来店者(払戻請求者)が正当な受領権限を有しないのではないかとの疑念を抱かせる特段の事情がない限り、印鑑照合をする被告窓口担当者において、社会通念上一般に期待されている業務上の相当の注意を払って平面照合を行っていれば足りると解するのが相当である。

ところで、本件における印影の相違点は、上記(2)クのとおりであり、本件払戻請求書の印影は、本件届出印の印影に重なるがいくつか欠落箇所があること、本件払戻請求書の印影には、印鑑の輪郭線の外に本件届出印の押捺によっては通常現れない縦線があること、上記欠落箇所及び輪郭外縦線は、2通の本件払戻請求書において全く同一であることが特徴である。これらの特徴(特に2通の本件払戻請求書の印影のいずれにも輪郭外縦線が存在すること)は、本件払戻請求書の印影が、副印鑑の印影をスキャナーで読み取り、画像処理をし、それをカラープリンターなどで払戻請求書上に複製したものであることを強くうかがわせるものである。本件各払戻請求書の印影を本件届出印の印影と個別に照合した場合には、本件各払戻請求書の印影と本件届出印の印影は酷似している。しかし、本件各払戻請求書の印影を相互に照合した場合には、上記特徴が浮かび上がってくるのであり、この特徴は、本件来店者(払戻請求者)が正当な受領権限を有しないのではないかとの疑念を抱かせる事情というべきである。

また、本件払戻しの態様は、開店後1時間程度しか経過していない午前10時ころの取引である、払戻請求金額が合計120万円で、預金残高に対する払戻請求金額の割合が本件口座1につき約99%、本件口座2につき約84%と高割合である、本件各口座から同割合の預金の払戻しをした実績がなかった、被告春日部支店で本件各口座から預金払戻しをした実績がなかったというものである。この態様は、盗難預金通帳による無権限払戻しの被害が多発しているという状況を受けて、本件払戻し当時、被告を含めた多くの金融機関が定めていた預金払戻時の留意事項に関する内部的取扱いおいて、身分証明証の提示や支払伝票に住所の記入を求めるなどして、より慎重に本人確認をすべき場合とされている取引態様に該当する。

以上のとおり、本件払戻請求書には、本件来店者(払戻請求者)が正当な受領権限を有しないのではないかとの疑念を抱かせる特徴があり、また、本件払戻しの態様は、盗難預金通帳による無権限払戻しのおそれのある態様であったのであるから、被告窓口担当者乙川は、本件払戻しにあたり、本件払戻請求書の印影と本件届出印の印影の平面照合にとどまらず、本件来店者(払戻請求者)に対し、払戻請求書への再度の押印や住所の記入、身分証明書の提示などを求めて、本人確認をする義務があったのに、これを怠ったというべきである。

したがって、被告には、本件来店者(払戻請求者)に正当な受領権限があると信じるにつき過失があったというべきであり、本件払戻しについて、民法478条により弁済の効力を認めることはできない。

2  過失相殺について

(1)  債権の準占有者に対する弁済(民法478条)については、真実の債権者に過失があるような場合であっても、弁済者の過失が否定されない以上、同条の適用はなく、その弁済は無効とされる。しかしながら、例えば、真実の預金者の重大な過失によって預金通帳等が盗取され、それを悪用してされた無権限払戻請求に銀行が応じて払戻しをした場合のように、無権限払戻しがされたことについて真実の預金者に重大な帰責事由が存する場合にも、銀行の過失が否定されない以上、銀行は全額について二重払いしなければならないとすることは、当事者間の公平に反する。そこで、本件のような債権の準占有者に対する弁済の事例において、真実の債権者に重大な過失がある場合には、公平の観点から、民法418条を類推適用して、その過失を斟酌し、過失相殺をすることができると解するのが相当である。

(2)  そこで、本件払戻しがされたことについての原告の帰責事由の有無及びその程度を検討すると、原告は、保険代理店の代表者であり、本件各口座において顧客からの保険金を管理しており、平成12年5月ころ以降、盗難預金通帳を悪用した無権限払戻被害につき新聞報道がされたことにより、そのような被害が多発していることを認識していたのに、平成14年7月10日夕方の食事時以降、本件届出印と印影が共通である副印鑑が貼付された本件他行通帳及び本件通帳(本件通帳には副印鑑が貼付されていない。)を含む5冊の預金通帳が入ったバッグを乗用車内に置いたまま、同車両から離れ、翌日午前11時まで、本件通帳等が盗難の被害に遭ったことに気付かなかったというのであるから、原告には、本件預金通帳及びその届出印の印影と同じ副印鑑を貼付した本件他行通帳の保管につき、重大な過失があり、本件払戻しがされたことについては原告にも看過しがたい帰責事由が存するというべきである。

したがって、本件においては、民法418条を類推適用して、原告の過失割合を3割とし、被告の責任を減ずるのが相当である。

(3)  以上によれば、原告の被告に対する本件預金元金の請求は、84万円(120万円×0.7=84万円)の支払いを求める限度で理由がある。

3  遅延損害金について

原告は、遅延損害金の利率につき、商法514条所定の商事法定利率である年6分を主張する。しかし、被告は、信用金庫法に基づき設立された信用金庫であり、商法上の商人には当たらず(最高裁判所昭和63年10月18日第3小法廷判決・民集42巻8号575頁)、また、他に原被告間の預金契約に基づく被告の原告に対する預金払戻債務が商行為によって生じたものと認めるに足りる証拠はない。したがって、同債務につき商法514条の適用はない。

4  結論

以上によれば、原告の被告に対する本件請求は、84万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年1月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山﨑まさよ 裁判官 馬場潤 裁判官松田浩養は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 山﨑まさよ)

<以下省略>

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