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さいたま地方裁判所 平成14年(行ウ)20号 判決 2003年1月22日

主文

1  被告さいたま市長が別紙1(省略)選定者等一覧表記載の者に対し同表各該当処分日欄記載の日にした転入届不受理処分をいずれも取り消す。

2  被告さいたま市は,原告(選定当事者)に対し,別紙1(省略)選定者等一覧表記載の者のために同表各該当認容金額欄記載の金員及びこれらに対する同表各該当遅延損害金起算日欄記載の日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告(選定当事者)の被告さいたま市に対するその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,原告(選定当事者)に生じた費用の2分の1と被告さいたま市長に生じた費用を被告さいたま市長の負担とし,原告(選定当事者)に生じたその余の費用と被告さいたま市に生じた費用を5分し,その1を被告さいたま市の負担とし,その余を原告(選定当事者)の負担とする。

5  この判決は,第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の申立て

1  原告(選定当事者)

(1)  主文第1項と同旨

(2)  被告さいたま市は,原告(選定当事者)に対し,別紙1(省略)選定者等一覧表記載の者のために同表訴求金額欄記載の各金員及びこれらに対する同表各該当処分日欄記載の日からそれぞれ支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  訴訟費用は,被告らの負担とする。

(4)  (2)につき,仮執行宣言

2  被告ら

(1)  被告さいたま市長

原告(選定当事者)の被告さいたま市長に対する請求をいずれも棄却する。

(2)  被告さいたま市

原告(選定当事者)の被告さいたま市に対する請求をいずれも棄却する。

(3)  訴訟費用は,原告(選定当事者)の負担とする。

第2事案の概要

1  事案の要旨

(1)  宗教団体アレフ(宗教法人オウム真理教の解散後,同教の信者によって構成されていた宗教団体オウム真理教が改称したもの,以下「アレフ」という。なお,単に「教団」ということもある。)の信者で埼玉県さいたま市に転入した原告(選定当事者)及び別紙1(省略)選定者等一覧表記載の選定者A,同B,同C,同Dは,平成14年2月19日,被告さいたま市長(以下「被告市長」という。)に対し住民基本台帳法(以下「住基法」という。)所定の転入届を提出したが,被告市長は,既にオウム真理教信者から提出される転入届を不受理とする旨の対応策を決定していたことから,同日,同方針に従い,各転入届につき不受理処分をした。また,別紙1(省略)選定者等一覧表記載の選定者Eは平成14年4月2日付けで,同Fは平成14年5月15日付けで,それぞれ被告市長に対し住基法所定の転入届を提出したが,被告市長は,同様に,いずれの転入届に対しても不受理処分をした(以下,以上の転入届を合わせて「本件各転入届」と,以上の処分を合わせて「本件各処分」という。)。

本件は,原告(選定当事者)が,原告自身及び別紙1(省略)選定者等一覧表記載の各選定者(以下「本件選定者」という。なお,両者を合わせて「原告ら」といい,個別には,「原告G」「選定者A」のようにいう。)のために,被告市長に対し,本件各処分の取消しを求めるとともに,原告らが,被告市長による違法な本件各処分によって,精神的苦痛を被り,また,選定者Fにおいては,国民健康保険の適用なしに診療を受けざるを得なかったため,国民健康保険給付によって賄われるべき診療費7割相当額を自己負担として支出し,同額の損害を被ったと主張し,被告さいたま市(以下「被告市」という。)に対し,国家賠償法1条に基づく損害賠償請求として,別紙1(省略)選定者等一覧表の訴求金額欄記載の各金員(選定者Fに係る請求については,100万円が慰謝料,7112円が診療費7割相当の損害額であり,その他の者に係る請求はいずれも慰謝料である。)及びこれらに対する本件各処分の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

(2)  これに対し,被告らは,①本件各処分は住民の安全と地方公共の秩序を維持するためにされた適法なものというべきであり(本件各処分の適法性),②仮に,本件各処分が違法としても,被告市長に過失はないから,被告市は,被告市長の行為を原因とする国家賠償責任を負わない(被告市の損害賠償責任の不存在),と主張する。

本件の争点は,これらの被告ら主張の当否である。

2  基本的事実関係(当事者間に争いがないか,証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実並びに当裁判所に顕著な事実)

(1)  当事者等

ア 原告らは,いずれも,宗教団体アレフ(旧オウム真理教)の信者である。

イ オウム真理教は,松本智津夫(別名麻原彰晃)を代表者として設立された宗教法人であったが,松本智津夫及び同教の幹部らが共謀の上,平成6年6月,長野県松本市において,猛毒物質であるサリンを散布し,その結果,多数の市民の生命,身体に重大な被害を与え(いわゆる松本サリン事件),また,平成7年3月,東京都の営団地下鉄日比谷線,千代田線,丸の内線を走行する各車両に,同じくサリンを散布し,通勤,通学等のため同線を利用していた多数の市民及び駅員等に対し,その生命を奪い,あるいは身体に重大な被害を与える(いわゆる地下鉄サリン事件)など,犯罪史上類をみない重大事件を引き起こしたものとして公訴を提起され,一部の者については既に死刑を含む有罪判決がされている。

このようなオウム真理教に対しては,平成7年6月に宗教法人解散の申立てがされ,同年10月30日に東京地方裁判所によってされた宗教法人解散命令が,翌平成8年1月30日に確定し,また,同年3月28日には破産宣告がされた。更に,解散後の宗教団体オウム真理教に対しては,これらの事件を契機として,平成11年12月に制定された「無差別大量殺人事件を行った団体の規制に関する法律」(以下「団体規制法」という。)の適用を受け,平成12年2月1日からは,同法による3年間の観察処分に付されている。

そして,この宗教団体であるオウム真理教は,団体規制法の適用を受けるに当たり,平成11年12月から平成12年1月にかけて公表した教団正式見解等において,松本智津夫をはじめとする同教団の信者らが,松本サリン事件等の一連の事件に関与したと思われるとして,教団の関与を認め,謝罪の意思を表明するとともに被害者への補償を約束し,更に,平成12年2月4日,宗教団体としての教団名をアレフと改称した。

(2)  被告市における旧オウム真理教対応策の決定等

被告市は,平成13年6月12日,さいたま市旧オウム真理教対策委員会を要綱に基づき設置し,調査・審議の上,旧オウム真理教(教団)に対する対応策(以下「本件対応策」という。)を決定し(被告市長の決裁日は同月27日),同月29日より施行した。

本件対応策策定の理由は,「旧オウム真理教の進出による住民の不安を解消し,平穏な生活環境を確保するため」とされており,その内容は,以下のとおりであった。

「旧オウム真理教団に対する対応策

① 転入届の不受理

② 公共施設の貸出不許可

③ 建築確認申請の不受理

④ 信者の子女の転入学拒否

⑤ 給水契約申込の不受理

⑥ 開発行為等申請の不受理」

(3)  原告らによる転入届とその不受理等

ア 原告らは,別紙2(省略)住所等一覧表記載のとおり,平成12年5月から同14年5月までの同表異動年月日欄記載のそれぞれの時期から,埼玉県さいたま市桜木町a丁目b番地所在のあすなろ荘の各部屋に居を定めた(以下「本件住所地」という。)。

イ 原告G及び選定者Aは,平成14年2月19日,大宮総合行政センターに赴いて,本人並びに原告Gにおいて選定者B,同C及び同Dら3名を代理するものとして,被告市長に対し,原告G,選定者A,同B,同C,同Dにつき,各々,別紙2(省略)住所等一覧表の異動年月日欄及び住所欄各記載のとおり記入した住民異動届をもって,転入の届出を行った。

これに対し,さいたま市の市民課担当職員は,さいたま市の方針である旨を述べて,原告G及び選定者Aに対し,前記転入届をいずれも不受理とする旨を口頭で通知した上,転入届用紙等を返戻し,もって,被告市長は,担当職員を通じて,前記転入届の受理をいずれも拒否する処分をした。

ウ 選定者Eは,平成14年4月2日,浦和総合行政センターに赴いて,被告市長に対し,別紙2(省略)住所等一覧表の選定者Eの異動年月日欄及び住所欄各記載のとおり記入した住民異動届をもって,転入の届出を行った。

これに対し,さいたま市の市民課担当職員は,市の方針によりオウム信者の転入を受け付けない旨を述べて,選定者Eに対し,前記転入届を不受理とする旨を口頭で通知した上,転入届用紙等を返戻し,もって,被告市長は,担当職員を通じて,前記転入届の受理を拒否する処分をした。

エ 選定者Fは,平成14年5月15日,大宮総合行政センターに赴いて,被告市長に対し,別紙2(省略)住所等一覧表の選定者Fの異動年月日欄及び住所欄各記載のとおり記入した住民異動届をもって,転入の届出を行った(なお,転入届の「新しい世帯主名」欄には,選定者F名が記載されていた。)。

これに対し,さいたま市の市民課担当職員は,さいたま市の方針として転入は受けられない旨を述べて,選定者Fに対し,前記転入届を不受理とする旨を口頭で通知した上,転入届用紙等を返戻し,もって,被告市長は,担当職員を通じて,前記転入届の受理をいずれも拒否する処分をした。

また,選定者Fは,同日,大宮総合行政センター内の国民健康保健課において,国民健康保険被保険者資格取得届もしようとしたが,担当職員から,「住民票が元になって連動しているので,データを起こすのが非常に困難です。」との理由により,これを拒否され,保険証の交付も受けられなかった。

(4)  審査請求

原告G,選定者A,同B,同C及び同Dは平成14年2月21日付けで,選定者Eは同年4月8日付けで,選定者Fは同年5月21日付けで,それぞれ埼玉県知事に対し,本件各処分の取消しを求める審査請求の申立てを行ったが,本件口頭弁論終結日である平成14年10月23日の時点において,未だ,これらに対する埼玉県知事の裁決はされていない。

3  争点に関する当事者の主張

(1)  本件各処分の適法性

ア 被告ら

(ア) 転入届に対する被告市長の審査権限について

住基法施行令7条1項は,「市町村長は,新たに市町村の区域内に住所を定めた者その他新たにその市町村の住民基本台帳に記録されるべき者があるときは,次項に定める場合を除き,その者の住民票を作成しなければならない。」と定めているが,市町村長に機械的な事務行為を求めているものではなく,そこには,公証行為の行為者として,判断の余地があることは当然というべきである。

確かに,住基法22条1項によれば,転入をした者が市町村長に届け出なければならないとされている事項は,氏名のほかは住所,転入年月日及び従前の住所等の居住関係に関するものに限られており,更に,住基法施行令11条によれば,市町村長は,当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して住民票の記載等を行うべきものとされているのであって,それ以外の事項を住民票の作成及び住民基本台帳に記録するための要件とした規定は存しない。

しかしながら,規定がないからといって,転入届があった場合に,市町村長が住民票の作成及び住民基本台帳に記録するに当たって審査すべき事項が,転入届に係る居住関係が事実であるかどうかのみに限られるものではないというべきである。

ところで,オウム真理教については,過去に教団によって引き起こされた各事件等から,教団及びその信者に対する地域住民の不安は未だ払拭されていない。

このような状況の下では,住民の安全と地方公共の秩序を維持するために,教団構成員の大量転入と教団の拠点化を防止すべき特別の事情が認められるのであり,地方公共団体としては,住民の不安を解消し,平穏な生活環境を保護すべき責務があるというべきである。そして,市町村長が転入届を不受理にしても,その者の当該市町村内における居住が禁止される等の法的効果が生じるものではないから,転入届不受理のみでは住民の安全確保の目的を達することはできないが,転入届不受理によって,住民の不安解消,平穏な生活環境の保護等の地方公共団体の責務を果たすことは,緊急避難的意味において許されるものというべきである。

そこで,さいたま市においては,以上の事情に鑑み,さいたま市旧オウム真理教対策委員会を要綱に基づき設置の上,本件対応策を策定したものであり,本件各処分はこれに基づいて行ったものである。

(イ) そうすると,被告市長がした本件各処分は,いずれも適法なものというべきである。

イ 原告(選定当事者)

(ア) 転入届に対する審査権限について

市町村長は,当該市町村の区域内に居住し,住所を有する者から転入届がされた場合には,これを受理して住民票を調製し,住民基本台帳に記録すべき義務があるというべきである。

(イ) そうすると,原告らの住所が本件各転入届のとおりである以上,住民の不安解消,平穏な生活環境の保護等を理由にされた本件各処分は,いずれも違法なものというべきである。

(2)  争点(2)(被告市の損害賠償責任)について

ア 原告(選定当事者)

(ア) 本件各処分による慰謝料について

原告らは,本件各処分によって,住民基本台帳に記載されなかったところ,住民基本台帳への記録は,選挙,国民健康保険,国民年金等住民の重要な権利に関する行政上の事務処理の基礎となるものであり,その記録がされないことによって,原告らは,生存権や参政権等の憲法によって保障されている様々な基本的人権が侵害されているほか,これがいつまで続くか分からないという将来の不安を抱えている。何より,教団の信者というだけで理不尽な扱いを受けていることに対する精神的苦痛は甚大である。

原告らの上記不安や精神的苦痛に対する慰謝料は,少なくとも各自金100万円を下らない。

(イ) 国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

選定者Fは,転入届不受理処分を受けた後に,剥離骨折の治療を受けたところ,さいたま市から国民健康保険被保険者証の交付がされなかったため,受診に当たりこれを提出することができず,治療費合計1万0160円を自己負担したものである。

本来であれば,上記治療費の7割に相当する7112円は,さいたま市による保険給付を受けることができたはずであって,これについては選定者Fが負担すべきものではない。

(ウ) 被告市の損害賠償責任について

以上の損害は,被告市長がその職務を行うにつき,故意又は少なくとも過失によって,公権力の行使を誤った結果,原告らに与えた損害であり,被告市は国家賠償法1条により,これらを賠償すべき義務があるというべきである。

したがって,原告(選定当事者)は,被告市に対し,被告市長の違法な公権力の行使による国家賠償責任に基づき,原告G及び本件選定者のためにそれぞれ別紙1(省略)選定者等一覧表訴求金額欄記載の各金員並びにこれらに対する本件各処分の日である同表各該当処分日欄記載の日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 被告市

(ア) 本件各処分による慰謝料について

原告らは本件各処分による各種の権利侵害に係る慰謝料を主張するが,選挙権についてみれば,本件各処分後,さいたま市民を選挙人とする選挙は行われていないのであって,本件各処分により原告らの選挙権を侵害したようなことはない。

したがって,選挙権侵害に係る慰謝料の主張は,前提を欠くものというべきである。

(イ) 国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

選定者Fによる治療費合計1万0160円の自己負担については不知であり,その余の主張は争う。

(ウ) 被告市の損害賠償責任について

被告市長は,本件対応策に従ってその職務を行ったのであって,さいたま市における住民の不安解消,平穏な生活環境の保護等の必要に適うものであるから,違法のそしりを受けることはない。

また,本件対応策決定当時,多くの市町村において転入届不受理等が行われており,これを違法とするような判決が公表されていたわけでもないし,本件各処分当時においても,転入届不受理そのものについて違法と判示した最高裁判所の判決が出されていたものではない。

なお,東京高等裁判所においても,市町村長は,転入届に対し,住民の安全確保の観点からの実質的審査権がある旨の解釈が述べられているところ(東京高裁平成13年4月20日決定・判タ1058号66頁,以下「東京高裁決定」という。),最高裁判所は,東京高裁決定を破棄したものであるが(平成13年6月14日決定・判例地方自治217号20頁,以下「最高裁決定」という。),東京高裁決定の述べた実質的審査権が全くないとまで判断してはいない。

したがって,仮に,被告市長がその職務を行うにつき公権力の行使を誤った結果,原告らに損害が発生したとしても,被告市長に過失が認められることはない。

そうすると,被告市は,いずれにしても,国家賠償責任を負うものではないというべきである。

第3当裁判所の判断

1  裁決前置の欠缺について

住基法は,同法に基づき市町村長がした処分について,いわゆる裁決前置主義(行訴法8条1項ただし書)を採用しているところ(住基法32条),本件各処分の取消しの訴えは埼玉県知事の裁決を経ずに提起されたものであるが,本件各処分の取消しの訴えについては,基本的事実関係のとおり,いずれも訴え提起の後,審査請求があった日から3か月を経過していることが明らかであるから,裁決を前置していないという手続上の瑕疵は治癒されたと解される(行訴法8条2項1号)。よって,以下,本案について判断する。

2  事実関係の補足

基本的事実関係に加え,甲A3号証の1ないし6,甲B3号証(陳述書),甲B7号証の1ないし3(領収証),甲A9号証(決定正本写し),19号証(勧告書写し),20号証(人権救済申立調査報告書写し)及び弁論の全趣旨を総合すると,更に,次の事実を認めることができる。

(1)  教団信者からの転入届の不受理等に関する諸見解

ア 日本弁護士連合会は,平成13年1月24日付けで,18市区町に対し,教団信者による転入届を受理しないとの方針(被告市についていえば,本件対応策)を取り消し,同信者からの転入届がなされたときには,住基法34条1項所定の調査を実施して,その居住の事実を確認した場合,転入届を速やかに受理すべきことを勧告した。

イ 東京高裁決定は,市区町村長が住基法に基づき住民票を調製するに際し,地域の秩序が破壊され住民の生命や身体の安全が害される危険性が高度に認められるような特別の事情の存否について審査することができることを前提としたものであったが,最高裁判所第二小法廷は,平成13年6月14日,当該事件における特別抗告審として,市区町村長がそのような審査権限を有するとは必ずしも即断し難い旨説示して,東京高裁決定を破棄した(最高裁決定)。

(2)  本件各処分後の選挙実施の有無

原告らは,いずれも,年齢満20年以上の日本国民であるが,本件各処分後,さいたま市民を選挙人とする公職選挙法に基づく選挙は実施されていない。

(3)  選定者Fの治療費負担

選定者Fは剥離骨折治療のため受診したところ,さいたま市から国民健康保険被保険者証の交付がされず,受診に当たりこれを提出することができなかったため,以下のとおり,医療機関に治療費合計1万0160円を支払った。

平成14年5月22日(治療費) 3080円

同年6月3日(外来診療費) 3760円

同月18日(治療費) 3320円

3  争点(1)(本件各処分の適法性)について

(1)  転入届に対する被告市長の審査権限について

ア 地方自治法10条1項は,「市町村の区域内に住所を有する者は,当該市町村及びこれを包括する都道府県の住民とする。」と規定しているところ(なお,住基法4条参照),住所の意義については,何ら規定するところはないので,同法においても,各人の生活の本拠をもって住所というべきものと解される(民法21条参照)。

そして,地方自治法13条の2は,「市町村は,別に法律の定めるところにより,その住民につき,住民たる地位に関する正確な記録を常に整備しておかなければならない。」と規定している。

イ 住基法は,上記規定を受けて制定されたものであるが,その目的は,「市町村において,住民の居住関係の公証,選挙人名簿の登録その他の住民に関する事務の処理の基礎とするとともに住民の住所に関する届出等の簡素化を図り,あわせて住民に関する記録の適正な管理を図るため,住民に関する記録を正確かつ統一的に行う住民基本台帳の制度を定め,もって住民の利便を増進するとともに,国及び地方公共団体の行政の合理化に資すること」にある(同法1条)。

すなわち,住民基本台帳制度は,住民の居住関係の公証を中心に,住民に関する記録を正確かつ統一的に行うことを目的とするものであって,その意味で,文字どおり「住民たる地位に関する正確な記録」なのである。

以上の目的を達するため,市町村は,住民基本台帳を備えるものとされ(同法5条),市町村長は,住民票を編成して住民基本台帳を作成し(同法6条),届出に基づくほか,職権によってでも,住民票の記載,消除又は記載の修正をすべきものとされているのであり(同法8条),他方,転入した全ての者につき,市町村長に対して転入届をすべき義務を課し,正当な理由がなく転入届をしない者に対しては過料の制裁があるものとされている(同法22条,51条2項)。

そして,市町村長は,転入届があったときは,当該届出の内容が事実であるかどうかを審査して,住民票の記載を行なわなければならないところ(同法施行令7条,11条),転入届に記載されるべき内容としては,氏名のほか,住所,転入をした年月日等の居住関係に関する事項に限られており(同法22条),市町村長が,居住関係以外の事項について審査した上で,転入届の受理の可否を決することができる権限を有することを窺わせる法令上の根拠は見当たらない。

このような住民基本台帳制度の目的の見地からみて,住民の居住関係の公証を中心とした住民たる地位に関する正確かつ統一的な記録を実現するためには,転入届に記載された居住関係事項の正確性を確保することこそが要求されるのであって,居住関係以外の事項は,住民基本台帳制度の維持については関連性を有しないものと解するのが相当である。

そうすると,転入届の提出を受けた市町村長の審査権限の範囲は,当該転入届に記載された居住関係事項が事実であるかどうかに限られるのであって,居住関係以外の事項について考慮した上でその受理の可否を決することは,制度上予定されていないものと解すべきである。

ウ 以上の説示を前提として,本件をみるに,原告らの住所地,異動年月日(転入日)については,基本的事実関係のとおり,それぞれ本件各転入届記載のとおりであるから,被告市長としては,本件各転入届を受理した上,住民基本台帳に記載すべきものである。しかしながら,被告市長は,前記基本的事実関係のとおり,さいたま市の方針,すなわち本件対応策によるとの理由をもって,本件各転入届を不受理とする本件各処分をしたものであるところ,本件対応策は,旧オウム真理教(教団)の信者であるという一事由により転入届を不受理とする内容のものであるから,結局において,居住関係事項(居住の事実や居住の意思等)の真実性と関連性のない事由に基づいて本件各処分をしたことに帰する。したがって,本件各処分は,違法というべきである。

エ これに対し,被告らは,被告市長においては,転入届に対し,公証行為の行為者として判断の余地があり,その審査権限事項は転入届に係る居住関係の真実性に限定されないとし,転入届不受理によって当該市町村内における居住が禁止される等の法的効果が生じるものではないことを自認しつつも,これによって,住民の不安解消,平穏な生活環境の保護等の地方公共団体の責務を果たすことは,緊急避難的意味において許される旨を主張する。

しかしながら,被告らの主張する住民の不安等は,基本的には,教団信者である原告らが本件住所地に居住する事実自体に起因するものであって,これは必ずしも転入届の受理と直接結び付くものではないと考えられる上,既に述べたとおり,住基法上,市町村長が,居住関係事項以外の何らかの事由を斟酌して,住民として受け入れるか否かにつき実質的判断を行う権限は認められていないと解されるから,被告らの主張は,採用することができない。

(3)  そうすると,本件各処分は,いずれも違法であって取り消されるべきものである。

4  争点(2)(被告市の損害賠償責任)について

(1)  被告市長の故意又は過失について

ア 前記の住民基本台帳制度の目的,住基法における住民票の転入届に関する規定の各文言に照らせば,被告市が本件対応策を策定し,これに従って被告市長が本件各処分をしたことにつき相当の根拠があったということはできないし,本件各処分がされた平成14年2月19日,同年4月2日及び同年5月15日当時においては,既に,日本弁護士連合会が前記認定事実のとおりの勧告まで行っていることからすると,被告市長が本件対応策に従い,現実に本件各処分のような公権力を行使するについては,それが違法であることを認識し,又は認識し得たものと認めるのが相当である。

したがって,被告市長には,このような行為をしたことにつき,少なくとも過失があると認められる。

イ 被告市は,東京高裁決定においても,市町村長は,転入届に対し,住民の安全確保の観点からの実質的審査権がある旨の解釈が述べられており,これを破棄した最高裁決定も,東京高裁決定の述べた実質的審査権が全くないとまで判断してはいない旨を主張する。

しかしながら,最高裁決定の内容は前記のとおりであって,本件各処分を適法なものと解する相当の根拠となるものではなく,かえって,このような最高裁決定が本件対応策の被告市長による決裁時より先にされたという事実は,被告市長において本件対応策を決裁するにつき,より慎重な吟味が要求される事情というべきものであり,これに従い本件各処分を行うに当たっても,同様であることは多言を要しない。

(2)  そうすると,被告市の公権力の行使に当たる公務員である被告市長は,少なくとも過失によって本件各処分を行ったものであり,本件各処分は,その職務を行うについてされたものであるから,被告市は,国家賠償法1条1項に基づき,これらの行為により原告らが被った損害を賠償する義務があるというべきである。

(3)  原告らの損害について

ア 本件各処分による慰謝料について

(ア) 公職選挙法によれば,選挙権者の選挙人名簿への登録は,住基法に基づいて,その者についての住民票が作成された日から引き続き3か月以上当該市町村の住民基本台帳に記載されたものについて行われるものであるから(公職選挙法19条2項,21条1項,22条,42条1項本文),原告らは,本件対応策ないし本件各処分の結果として,住民票が作成されなかったことにより,さいたま市の住民基本台帳に記載されず,したがって,選挙人名簿に登録されなかったものと認められる。

確かに,本件各処分後から現在まで,公職選挙法に基づく選挙は実施されていないことは前記のとおりであるが,原告らは,本件各処分によって,選挙人名簿に登録されず,選挙権を行使することができない状態に置かれたものであるから,相応の精神的苦痛が生じたと認められる。

また,弁論の全趣旨に照らすと,原告らは,上記の精神的苦痛のほか,本件各処分の結果として住民票が調製されず,住民基本台帳に記載されなかったため,様々な行政役務の提供を事実上受けられないという利益侵害を現に被り,今後も被る可能性が高いものであると推認できるから,これにより,相応の精神的苦痛を被ったものと認めるのが相当である。

(イ) しかしながら,原告らの属していたオウム真理教が松本サリン事件,地下鉄サリン事件等の重大事件を惹起し,教団がその後長く適切な対応を怠っていたことが甲A21号証及び弁論の全趣旨によって認められるところ,その故にこそ地域住民の不安を生じさせており,これが被告市長において本件対応策を策定し,これに従い本件各処分を行った原因の一つとなっていることは明らかである。

このことは,勿論,被告市長の行為を正当化するものではないけれど,教団に属する原告らの社会的責任を考えると,原告らの慰謝料額算定に当たって,無視することができない事情というべきである。

(ウ) 以上の諸事情を総合考慮すると,原告らが被告市長による本件各処分により被った精神的損害に対する慰謝料としては,原告ら各人につき,それぞれ20万円が相当である。

イ 国民健康保険給付によって賄われるべき損害について

(ア) 国民健康保険は,被保険者の疾病等の保険事故に関して必要な保険給付を行うことにより,社会保障及び国民保健の向上に寄与することを目的とする制度である(国民健康保険法1条,2条,以下「国保法」という。)。そして,国保法は,被用者保険等の被保険者であるなどの場合を除き,市町村(又は特別区)の区域内に住所を有する者は,当然に当該市町村が行う国民健康保険の被保険者となる旨を規定している(同法5条,6条,7条)。

したがって,同法5条の規定に照らせば,市町村国民健康保険の被保険者となるためには,当該市町村に住所を有することが必要であるところ,住基法22条から25条までの規定による届出(転入届,転居届,転出届又は世帯変更届)に,国民健康保険の被保険者であることを証する事項で住基法施行令に定めるもの(転入届についていえば,同施行令27条1号に規定する事項)を付記すれば,国保法上の市町村に対する届出があったものとみなされること(同法9条10項,住基法28条)からして,住所の意義については,地方自治法,住基法と同様,国保法上も各人の生活の本拠を予定しているものと解される。

選定者Fが,別紙2(省略)住所等一覧表異動年月日欄記載の日から本件住所地を生活の本拠としたことは,基本的事実関係のとおりであるところ,同人が被用者保険等の被保険者であるなどの適用除外事由は,特に見当たらないから,同人は,同日からさいたま市の区域内に住所を有する者として,国民健康保険の被保険者たる資格を取得したものと認められる。

そして,国保法上の保険給付は,国民健康保険の被保険者たる資格に基づいて享受し得る利益であるから,選定者Fが被保険者としての一部負担金支払を超えてした診療費の支出は,被告市長による同人の被保険者資格を拒否する公権力の行使(前記の転入届と国保法上の届出の関係,及び前記基本的事実関係のとおり,選定者Fの転入届と同日にしようとした被保険者資格取得届(国保法9条1項参照)が実際に拒否されていることからすれば,原告(選定当事者)が主張する被告市長の違法な公権力の行使には,選定者Fの被保険者たる資格に応じた取扱いを拒否する行為を包含するものというべきである。)によって生じた損害というべきであり,かかる行為が違法な公権力の行使というべきものであることは,前記説示に照らし明らかである。

(イ) 国民健康保険においては,保険医療機関等について療養の現物給付(国保法36条1項)を受ける被保険者は,その給付を受ける際,当該給付につき行政当局の定めた診療報酬額(同法45条2項,3項)に,一般被保険者についてみれば3割を乗じて得た額を一部負担金として,当該保険医療機関等に支払わなければならない(同法42条1項)。

選定者Fが受けた治療内容は,前記のとおりであり,弁論の全趣旨に照らし,それらは,保険者が行うべき国保法36条1項所定の療養の給付の範囲内のものと推認することができるから,被告市長による被保険者資格拒否行為がなければ,同人は,さいたま市の行う国民健康保険の被保険者として療養の給付が受けられたものであり,したがって,同人が現実にした支出と同法42条1項所定の一部負担金との差額は,被保険者たる資格を拒否する行為によって生じた余分の支出,すなわち,当該行為によって生じた損害というべきである。

そして,選定者Fが受けた治療との関係で,同人が支払うべき同法42条1項所定の一部負担金との差額は,前記の事実関係によると,平成14年5月22日支出分のうち2156円(治療費3080円の7割相当分),同年6月3日支出分のうち2632円(外来診療費3760円の7割相当分)及び同月18日支出分のうち2324円(治療費3320円の7割相当分)の合計7112円と認められる。

(ウ) なお,原告(選定当事者)は,上記損害に係る遅延損害金の起算日につき,選定者Fに対し転入届不受理処分がされた日と主張しているが,上記損害は,選定者Fにおいて,被保険者資格の拒否という利益侵害を受けたことによって,さいたま市から被保険者証の交付がされず,受診に当たりこれを提出することができなかったため,平成14年5月22日,同年6月3日及び同月18日,国保法42条1項所定の一部負担金との差額まで自己負担による支出を余儀なくされたことによって生じたものであるから,各支出日において発生したものと解すべきである。

すなわち,上記損害は,選定者Fの国民健康保険被保険者資格を拒否する利益侵害によって生じた損害であるところ,転入届には前記のとおり国保法上の届出とみなし得る便宜が図られているものの,基本的には,住民基本台帳に記載されていない者であっても,市町村の区域内に住所を有するものであれば,被用者保険の被保険者等である場合を除き,当該市町村の行う国民健康保険の被保険者としての資格を有すると解されることに鑑みれば,上記損害をもって,転入届不受理自体によって生じた損害賠償債務の一部を構成するものではないというべきであり,その他,選定者Fに対し転入届不受理がされた時点において,上記損害が同人に生じたものと認めるに足りる事情は認められない。

ウ 以上によると,被告市は,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として,原告ら各人につき慰謝料としての前記金員及びこれらに対する本件各処分日から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金並びに選定者Fの一部負担金との差額支出に係る前記各金員及びこれらに対する各損害発生日(前記2156円につき平成14年5月22日,2632円につき同年6月3日,2324円につき同月18日)から支払済みまで民法所定年5分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものというべきである。

5  結論

以上の次第で,原告(選定当事者)の被告市長に対する本件各処分の取消しを求める各請求は,いずれも理由があるからこれらを認容することとし,また,被告市に対する損害賠償を求める各請求は,前記説示の限度において理由があるから認容することとし,その余は,いずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行訴法7条,民訴法61条,64条,65条1項を,仮執行の宣言につき,同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺尾洋 裁判官 都築民枝 裁判官 渡邉健司)

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