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さいたま地方裁判所 平成15年(わ)336号 判決 2003年6月24日

主文

1  被告人を懲役5年に処する。

2  未決勾留日数中80日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,富山県で生まれ,地元の中学校を卒業後,建具職人の見習い奉公をするなどした後昭和29年に上京し,以来,東京都内で建具職人として稼働していたが,この間,妻Aと知り合い,昭和32年長男Bが生まれたことから入籍し,昭和51年に埼玉県a市内に引っ越して自宅を構え,妻A及び長男Bの3人で暮らしていた。被告人は,平成7年6月ころ,それまで住んでいた自宅を売却して,肩書き住居地に土地付き一戸建ての新築住宅を購入したが,代金4420万円のうち,自宅を売却して得た1700万円余りを自己資金とし,残額はBの名義で住宅ローンを組んで住宅金融公庫と銀行から融資を受けて支払いに充てることにした。当時,被告人は建具職人として現役で働いており,Bも正社員であったことから,月々8万ないし9万円の支払いと,年2回2月と8月のボーナス時期の約35万円の支払いに苦労することはなかったが,その後,被告人が,視力が衰えたことから建具職人の仕事を辞めて食品加工会社でアルバイトとして稼働するようになり,また,平成13年ころ,Bが正社員から契約社員となったため収入が減少し,さらに,平成14年5月ころ,被告人が腰を痛めてアルバイトも辞めるなどしたため,被告人方の生活は,Bの給料と被告人と妻の年金のほか,妻のわずかなアルバイト収入だけで支えられることとなって,住宅ローンの返済が被告人方家族の生活に大きな負担となってのし掛かるようになってきた。それでも,月々の返済はなんとかやりくりして行っていたが,ボーナス時期の返済に窮するようになり,家族で相談した結果,ついに自宅を手放すこととし,平成14年6月ころ,不動産会社に売却の手続を依頼して,2900万円余りの値段で自宅を売りに出した。ところが,なかなか買い手が現れなかったため,借金をしたり,年金等の蓄えをかき集めるなどして,同年8月のボーナス時期の返済をどうにか済ませたが,その後も一向に買い手がつかないため,不動産会社からは値段を下げるように勧められるなどしていた。

こうして,被告人は,住宅ローンの返済に窮したことから,自宅を売りに出したものの,なかなか売却のめどが立たなかったため,同年の暮れころから,このまま住宅ローンの返済ができなくなってしまうと,一家心中するしかないなどと思い詰めるようになり,平成15年に入ると,妻や長男に対して,ローンの返済ができないなら一家心中するしかないなどと言って,せっぱ詰まった気持ちをほのめかすなどしていたが,妻や長男からは深刻に受け取ってもらえず,相手にされないでいた。ボーナス時期の近づいてきた同年2月初めころ,被告人は,Bから,とりあえず信用金庫から借金をして2月のボーナス時期の返済分に充てたらどうかと提案されたが,借金をしてローンの返済をすれば,借金の支払いのために更に苦しくなるだけだと考えて反対し,結局,不動産会社に勧められたとおり,売値を下げて買い手がつくことを待つことにした。ところで,被告人は,食品加工会社のアルバイトを辞めてからというもの,収入は年金しかなく,住宅ローンの返済のことばかりを考えて過ごしていたが,こうして被告人が一人でローンの返済について悩み,苦しんでいるというのに,Bはローンの支払について真剣に考えようとせず,休日には競馬やパチンコで金を使うばかりで無責任であるとしてかねてより同人に不満を抱いており,一方,妻のAもローンの支払いのことを真剣に考えておらず,被告人の悩みが分かっていないなどとして,一人で苦悩し,2月のボーナス時期の返済のめどが立たない以上,いよいよ一家心中するしかないなどと考えて,悶々とした日々を過ごしていた。

同月9日,朝食を済ませた被告人は,BやAが外出した後,一人で酒を飲みながら,間近に迫った2月分の返済についてあれこれ思い悩み,やはり一家心中するしかないなどと考えて過ごしていたが,同日夕方,近所で火災があったことを知って,これまで漠然と考えていた一家心中について,自宅に放火して家族3人で焼死しようと考えるに至り,その日のうちにこれを実行に移そうと決意した。そして,帰宅したAやBとともに夕食を済ませると,妻や長男が就寝するため2階に上がった後,被告人は一人で1階の居間で日本酒を飲んでいたが,午後10時ころになって,自宅の裏に置いてあった灯油の入ったポリタンクを1階の居間に運び込んで準備をしたものの,いざ実行に移そうとするとためらいが生じてしまい,しばらく居間でまた酒を飲むなどしていた。そうこうしているうちに,被告人は,果物をむくために座椅子の脇に置いてあったペテナイフが目にとまり,家に火をつけても,Bは若いから逃げるかも知れない,Bをペテナイフで刺し殺してから火をつけようなどと考えるに至り,翌10日午前1時前ころ,Bが仕事に出掛ける時刻になっていることに気付いて,一家心中するには今しかないと決意を固め,ペテナイフと灯油入りのポリタンクを携えて,BやAのいる2階に上がって行った。

(罪となるべき事実)

被告人は,以上のような経緯で,住宅ローンの返済に窮したことから将来を悲観し,長男のB(当時45歳)を殺害した上,妻Aらとともに現に住居として使用する本件住宅(木造瓦葺2階建,延べ床面積85.68平方メートル)に放火しようと企て,

第1平成15年2月10日午前1時ころ,埼玉県a市b(番地以下省略)所在の被告人方2階において,Bに対し,殺意をもって,その頚部,胸部,腹部等を所携のペテナイフ(刃体の長さ約15.7センチメートル)で数回突き刺したが,同人に全治まで約2週間を要する左頚部刺創,左前胸部刺創,左下腹部刺創等の傷害を負わせたにとどまり,殺害の目的を遂げなかった,

第2引き続き,被告人方2階において,廊下に灯油約1.64リットルをまいた上,マッチ2本をすって点火し,これを廊下に放り投げて火を放ち,もって,自宅を焼損しようとしたが,BやAらに発見されて,灯油に引火する前にマッチの火を消火されたため,その目的を遂げなかったものである。

(法令の適用)

被告人の判示第1の所為は刑法203条,199条に,判示第2の所為は同法112条,108条にそれぞれ該当するところ,判示第1及び第2の罪について所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第2の罪の刑に同法14条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役5年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中80日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,住宅ローンの返済に苦慮していた被告人が,妻や長男を道連れに一家心中しようと企て,長男の頚部や胸部などをペテナイフで突き刺して殺害しようとした殺人未遂(判示第1の事実)と,自宅に灯油をまいて放火しようとした現住建造物等放火未遂(判示第2の事実)の事案である。

被告人は,建具職人として働いていた当時,新築の土地付き一戸建て住宅を購入したが,視力が衰えたことから建具職人の仕事を辞め,その後勤めたアルバイトの仕事も腰を痛めたため辞めてしまい,収入は年金のみとなり,同居している長男の収入や妻の年金収入を合わせても住宅ローンの返済が苦しくなり,特に年2回のボーナス時期の多額の返済に窮することとなり,その支払ができなくなることを深刻に受け止め,ローンの返済ができないなら一家心中するしかないなどと次第に思い詰め,2月に迫ったローンの返済時期を前に,妻や長男に対して被告人のせっぱ詰まった気持ちをほのめかすなどしていたものの,妻や長男からは他から借り入れて何とかしのげばよいなどと言われて,深刻に受け取ってもらえなかったことから,こうした家族の対応に不満を募らせ,一人で悶々とした日々を過ごしていたところ,近所で火災があったことをきっかけに,自宅に放火して無理心中しようと考えるに至り,長男は若いから逃げるかもしれないなどと考えて,先に長男を殺害してから放火しようと考えて犯行に及んだというもので,被告人なりに住宅ローンの返済を滞りなく行おうと真剣に考えて,悩み,苦しんでいたことは認められるものの,積極的に家族に相談を持ち掛けたり,銀行等の金融機関や不動産会社等に相談するなどして,現実的で,実現可能な解決の方策を探ろうとすることもなく,信用金庫から借金をして当座のローンの返済に充てたらよいという長男の提案を一蹴し,独り善がりの考えにとらわれて自らを追い詰めた末,犯行を決意したというのであって,極めて短絡的で,思慮浅薄というほかない。犯行の態様も,あらかじめ灯油の入ったポリタンクを居間に持ち込んで準備した上,確実に一家心中をするためには長男を先に殺害する必要があると考えて,ペテナイフと灯油の入ったポリタンクを携えて2階に上り,出勤するために自室から出ようとした長男に対し,刃体の長さ15センチメートル余りの鋭利なペテナイフで,いきなりその頚部を突き刺し,さらに,抵抗する同人の胸部,腹部等を執ように突き刺すなどしており,血まみれになった長男が階下に降りると,持ってきたポリタンクの灯油を廊下にまいてマッチをすって火を放っており,強固な犯意に基づいた危険で悪質なものである。妻や長男らによって,灯油に引火する前に消火されたため,大事に至らなかったものの,消火が遅れていた場合には,被告人方家屋を焼損するにとどまらず,近隣の住宅にも延焼し,犯行時刻が深夜であったことを考えると,多数の死傷者を出していた可能性があったことも否定できない。幸い長男は一命を取り留めたものの,同人が被った肉体的苦痛はもとより,長男及び妻の受けた精神的打撃は計り知れない。同人らが,被告人の身を案じながらも,適切な処罰を受けるのはやむを得ないと述べて,複雑な心情を吐露しているのも十分理解できる。これらの点からすると,被告人の刑事責任を軽くみることはできない。

そうすると,被告人が,事実を認め,反省の態度を示していること,殺人は未遂にとどまり,負傷の程度もそれほど重篤ではなかったこと,放火も未遂にとどまり,大事に至らなかったこと,律儀者で愚直,かつ柔軟に思考することができなかった被告人の思い余った末の犯行であって,同情し得る側面もないではないこと,犯行後自殺を図り,自ら全治まで約2週間を要する腹部刺創の傷害を負っていること,前科前歴がないこと,建具職人として永年稼働してきたもので,高齢であることなど,被告人のためしん酌し得る事情を十分に考慮してみても,主文の科刑は免れない。

(求刑 懲役7年)

(裁判長裁判官 川上拓一 裁判官 森浩史 裁判官 岩井佳世子)

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