さいたま地方裁判所 平成15年(ワ)1089号 判決 2008年3月28日
主文
1 被告は,原告に対し,2093万3398円及びこれに対する平成12年6月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを5分し,その2を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。
4 この判決は,原告勝訴部分に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告に対し,3523万5361円及びこれに対する平成12年6月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 仮執行宣言
第2事案の概要
本件は,原告が,被告に対し,平成12年6月1日午前8時10分ころに起きた自転車(以下「原告自転車」という。)を運転していた原告と軽自動車(以下「被告車両」という。)を運転していた被告との交通事故(以下「本件事故」という。)により,原告が外傷性胸郭出口症候群の後遺障害を負ったなどとして,不法行為に基づき,損害賠償を求める事案である。
1 前提事実(証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。)
(1) 本件事故態様等
ア 事故発生日時
平成12年6月1日 午前8時10分ころ
イ 事故発生場所
埼玉県川口市a道路(以下「本件道路」という。)上
ウ 本件道路の状況
本件道路は,片側一車線4メートルの道路であり,bと呼ばれている道路である。西から東にかけて下り坂になっている。
エ 本件事故の大まかな態様
本件道路の西から東への進行方向に向かって左側に鋭角に接している道路(以下「本件接道」という。)へ被告が左折しようとしたとき,原告は本件道路の本件接道付近を西から東へ直進しようとしていて,原告自転車の右側と被告車両の左側前部が接触した。
(2) 本件事故後の症状・治療状況等
ア 本件事故当日の平成12年6月1日,恩賜財団済生会川口総合病院(以下「川口総合病院」という。)へ行き,A医師(以下「A医師」という。)の診察を受けた。A医師は,事故後約1週間の加療を要する見込みの右上肢,両膝打撲と診断した。(乙2)
イ 原告は,平成13年11月26日,セコメディック病院において胸郭出口症候群の治療のため右第1肋骨切除手術を受けた。(乙5)
ウ セコメディック病院のB医師(以下「B医師」という。)は,原告の後遺障害につき,平成14年6月5日に「頚椎捻挫」及び「外傷性胸郭出口症候群」により症状固定との診断をした。(甲8)
エ 原告は,本件事故後,胸郭出口症候群の症状が出ており(本件事故前から胸郭出口症候群の症状が出ていたか否かは争いあり。),現在も症状が継続している。(乙13,鑑定の結果)
(3) 平成14年12月3日,本件事故による原告の後遺症について,損害保険料率算出機構により後遺障害等級非該当と認定された。原告は,異議申し立てを行っていない。
2 争点
(1) 本件事故の態様及び原告・被告の過失割合(争点(1))
(原告)
ア 本件道路は,進行方向にかけて下り坂となっており,制動距離が長くなるのだから,平地を走行するとき以上に被告は周囲の車両等の状況に注意する必要がある。したがって,本件事故が起こる前のような状況下では,被告は速度を落として,被告車両の真横にいた原告自転車を先に行かせてから,左折をすべきであったにもかかわらず,それを怠っており,左後方の安全確認が不十分であった。
イ 本件接道は,鋭角に接しており,急転回が必要である。このようなときは,通常の左折に比べて危険であるから,周囲の状況に対しより高度の注意をする必要があった。
ウ 左折をする場合,車両を左に寄せて左折すべきであるが(道路交通法34条1項),被告は大回りをして左折した。
エ 被告は左折のウィンカーを出したかどうか疑わしい。仮に出していたとしても,左折の手前30メートルでウィンカーを出すべきところ(道路交通法施行令21条)25.2メートル手前でウィンカーを出しているから,合図遅れがある。
オ これらの事実からすれば,本件事故の責任は全面的に被告にあるというべきである。
(被告)
ア 被告が本件事故前に本件道路を走行していたときの速度は,時速40キロメートルに満たないものであった。被告は,本件接道にUターンする形で左折する予定であったため,途中で左ウィンカーを点灯させ,それから本件接道への左折開始地点に至るまでの間に2,3台の自転車を追い抜いた。被告が本件接道への左折を開始地点に到達したときに左サイドミラーで後方を確認したところ,同ミラーに2,3台の自転車が映っていたため,すぐに左折を終えてしまえば自転車が接近する前に左折が完了すると思い,左にハンドルを切り始めた。そうすると,原告自転車が被告車両の助手席側ドア付近に接触した。本件事故の際,被告車両の走行速度は,時速20キロメートルを超えることはなかった。
イ 原告は,本件事故前,被告車両が左折の合図を出しながら原告を追い抜いていったところを見たのだから,速度を調整し,または,被告車両の動静に留意して原告自転車を走行すべきであった。原告は,平成12年6月16日に行われた実況見分の際も,警察官に対し,「ボーとしてました」と述べており,被告車両に注意を払っていなかったことは明らかである。したがって,3割は過失相殺されるべきである。
(2) 原告は本件事故により胸郭出口症候群を罹患したか。(争点(2))
(原告)
ア 胸郭とは,12個の胸椎,左右12対の肋骨,肋骨と前側で連絡する胸骨とによって形成されている骨格の構造をいうが,そのうち上肢の付け根から胸郭の最上の部分を胸郭の出口と呼ぶ。この部分は,上肢に流れる動静脈や上肢の運動や知覚を担当する腕神経叢(左右にそれぞれ5本ずつある)の通り道になっており,また,胸郭出口部にはこれらの他に,骨では鎖骨,第1肋骨,筋肉では前・中・後斜角筋,鎖骨下筋,小胸筋が存在している。そして,これらの組織に起こった形態的異常により血管や神経の通り道が狭くなり,血管や神経が圧迫されてくると,上肢に冷感,疼痛の血流障害や,痺れ,知覚鈍麻,筋力低下の神経障害が発生してくる。これらを称して,胸郭出口症候群と呼ぶ。その症状としては,頭痛,肩凝り,上肢の痛み,倦怠感,冷感,発汗異常,嘔気等がある。
イ 交通事故により,胸郭出口部に存在する斜角筋,鎖骨下筋,小胸筋が断裂損傷を受けると血管神経を圧迫し,胸郭出口症候群が発生する。また,筋断裂を起こさない場合でも,頚部,肩部に交通事故を機縁とする衝撃が加われば,胸郭出口症候群が発生し,特になで肩や首の長い人の場合は,身体的素因と合わさり,通常であればならない場合でも,胸郭出口症候群になることがある。
ウ 原告は,本件事故後,肘関節,尺骨側のしびれ,肩の痛みと重圧感,手指の冷感が発生し,その後2週間が経過しても,これらの痛みやしびれは改善されず,上肢が麻痺したようになるとともに握力低下も生じた。原告は,川口総合病院のA医師らにより,原告のかかる症状につき,胸郭出口症候群と診断されている。原告は,本件事故の前には,頚部痛,肩部痛,手指のしびれ,握力低下等の症状はなく,胸郭出口症候群には罹患してなかった。
(被告)
ア 原告は本件事故以前から胸郭出口症候群に罹患しており,本件事故との因果関係はない。
イ 本件事故後,被告が車外に出ると,原告は両手を地面について前のめりで四つんばいのようになっていた。被告が直ちに原告のもとに駆け寄ったところ,原告が膝をすりむいていることを確認した。被告が頭部打撲の有無を心配して,「頭とか大丈夫ですか?」と聞くと,原告は「大丈夫です。」と答えた。そして,原告は自分が見習いの看護師で職場に行く途中であることを話し,救急車を呼ぶような素振りを見せなかった。そこで,原告と被告は互いの連絡先を教え,別れた。このときに原告が全身,肩及び頭部を強打したなどと訴えたことはない。本件事故後の原告自転車は,ハンドルとサドルがゆがんでいたものの,被告が自力でまっすぐに直せば原告がそのまま使用できたという状態であり,被告車両は,助手席ドア付近に原告自転車のタイヤ痕がついて塗料がはげていた程度でへこみは存在しない状態であった。原告は看護師であったのだから,自己の症状について正確に申告していたはずであるにもかかわらず,本件事故後直後には何ら申告がないのだから,本件事故と胸郭出口症候群には因果関係がない。
ウ 川口総合病院の診療録(乙2)の平成12年8月23日の欄には「5年間リハ科でトランスファーをやっていて その間TOS(胸郭出口症候群)の症状がで(て)きていた」,同年9月14日の欄には「今後 寄与率についての検討要す TOS(胸郭出口症候群) 外傷が関与・私病もあり」との記載があるのだから,原告には胸郭出口症候群の既往症があったというべきである。
エ 胸郭出口症候群は,20代から30代の女性に多くの発症例があり,キーパンチャー,電話交換手,流れ作業従事者,美容師,理容師等上肢に負担がかかる職種に発生しやすい。原告は本件事故時看護師という,上肢に負担のかかる職種にあったのだから,本件事故ではなく,職業病により胸郭出口症候群にかかっていた可能性がある。さらに,原告は首長・なで肩という胸郭出口症候群にかかりやすい身体的特徴を有している。
(3) 胸郭出口症候群による労働能力喪失率・喪失期間(争点(3))
(原告)
胸郭出口症候群の症状である主に右上肢の痛み,しびれにより,原告は患者を抱きかかえる等の看護師としての仕事ができない状態である。特に牽引症状が悪化しているため,重いものを持つ等の作業や長時間のコンピュータ作業等は困難であり,軽作業しか従事できない。看護師の給与が比較的高額なのは,患者の抱きかかえ等の重労働があるためや,夜勤業務があるためであるが,原告はそのような業務に支障があり,看護師としての労働に相当程度支障を受けている。したがって,後遺障害等級9級10号に相当し,労働能力喪失率は35%とするのが相当であり,労働能力喪失期間は限定されるべきではない。
(被告)
せいぜい後遺障害等級12級12号にとどまり,労働能力喪失期間は症状固定日から10年間に限定されるべきである。本件事故態様は比較的軽微であり,本件事故により胸郭出口症候群が発症したとしても,程度の軽いものである。また,病状は緩和することから,労働能力喪失期間は10年に限定すべきである。
(4) 原告の損害額(争点(4))
(原告)
次のとおり合計3523万5361円の損害がある。
ア 治療費 203万3717円
イ 通院費 11万6440円
ウ 入院雑費 2万2500円
エ 診断書作成費 1万3650円
オ 休業損害 186万5420円
カ 後遺症逸失利益 2311万9211円
388万1700円(基礎収入)×0.35(労働能力喪失率)×17.017(39(=67-28)年間のライプニッツ係数)
キ 傷害慰謝料 218万円
入院期間1か月,通院期間2年
ク 後遺症慰謝料 690万円
後遺障害等級9級
ケ 自転車修理代 9975円
コ 弁護士費用 300万円
サ 小計 3926万0913円
シ 既払金 -402万5552円
(ア) 治療費 203万3717円
(イ) 通院費 11万6440円
(ウ) 休業損害 186万5420円
(エ) 自転車修理代 9975円
ス 合計 3523万5361円
(被告)
自転車修理代は認め,その余は争う。
本件事故と相当因果関係があり,被告が責任を負うのは,せいぜい「右上肢,両膝打撲」であり,この治療に必要な範囲で,治療費,休業損害,慰謝料等の損害が認められるべきである。
仮に本件事故により胸郭出口症候群に罹患したとしても,首長,なで肩という原告の身体的素因が寄与して発症したというべきだから,過失相殺を類推して減額すべきである。
第3争点に対する判断
1 争点(1)について(本件事故の態様及び原告・被告の過失割合)
(1) 認定事実
当事者間に争いない事実,前提事実及び関係各証拠(甲1ないし3,甲30,乙14,原告本人,被告本人)並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
原告は本件道路の左端を原告自転車で西から東に直進走行していた。被告は,被告車両を運転して時速40キロメートルほどで本件道路を西から東に走行していて,本件接道へ至るまでの間にb上で原告自転車を含む数台の自転車を追い抜き,サイドミラーで左後方に自転車が走行しているのを確認し,左折の25.2メートルほど手前でウィンカーを出し,本件接道へ時速20キロメートル未満に減速して左後方の安全確認をせずに大回り気味に左折しようとした。原告は,被告車両の左折に気づくと,被告車両に衝突すると思い,ハンドルを左に切って回避しようとしたが,被告車両は左折を続けたため,平成12年6月1日午前8時10分ころ,原告自転車の右側と被告車両の左側助手席ドア付近が接触し,原告は原告自転車ごと転倒した。
(2) 事実認定の補足説明
原告は,ほぼ横から被告車両がぶつかってきた旨供述するが,そうであれば被告は事故直前に左前方に原告を見ているはずであるが,それを見落としていたなどの事情は窺われないから,採用できない。原告の供述は本件事故前の状況について覚えていないことが多いことや原告は本件接道の存在を知らなかったことも考慮すると,かえって原告の注意が十分ではなかったことを窺わせる。
(3) 検討
ア 上記事故態様からすれば,被告は,鋭角に接する本件接道へ左方への注意を怠り大回り気味に左折した重大な過失があるが,原告にも交差点で原告へ接近してくる車両への注意が十分ではなかった過失があるといえるから,過失割合は被告:原告=9:1というのが相当である。
イ なお,左折の合図については,上記認定のとおり,25.2メートルほど手前で出していたのであるから,被告に合図遅れの過失があるとまではいえない。
2 争点(2)について(原告は本件事故により胸郭出口症候群を罹患したか。)
(1) 認定事実
当事者間に争いない事実,前提事実及び関係各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 胸郭出口症候群一般について(甲15,18,22,47,乙8,鑑定の結果)
(ア) 胸郭出口症候群とは,第1肋骨,鎖骨,斜角筋で形成される胸郭出口及びその近傍における腕神経叢・鎖骨下動静脈の圧迫や伸張によって生じた上肢の痛みやしびれを有する疾患群であり,頚肋症候群,斜角筋症候群,肋鎖症候群,過外転症候群などを総括する概念である。症状としては,上肢に痛み・しびれ・だるさ等を感じる上肢症状,手指の鬱血・むくみ・異常発汗等の局所症状,頭痛・嘔気・眩暈・全身倦怠感等の全身症状などがある。このうち上肢症状は,上肢挙上により症状の再現や増悪がある,肋鎖間隙における腕神経叢の圧迫による腕神経叢圧迫症状と,上肢下垂時に症状が強く,上肢下方牽引時に症状の再現や増悪がある,胸郭出口における腕神経叢の牽引刺激による腕神経叢牽引症状に分けられ,一方のみの症状が出る場合と,併発する場合がある。圧迫症状は筋肉質で怒り肩の男性に,牽引症状は首長・なで肩の女性に多い。
(イ) 胸郭出口症候群の発生要因としては,非外傷性要因と外傷性要因がある。非外傷性胸郭出口症候群においては,頚肋,第1肋骨奇形,異常索状物,最小斜角筋などの骨性・軟部組織性の解剖学的異常が要因として考えられるが,必ずしも相関関係は明確でない。外傷性胸郭出口症候群は,何らかの外力により引き起こされるものであり,追突事故による鞭打ち損傷やスポーツ外傷などの比較的強い一撃的な外力による場合と,キーパンチャー,美容師など上肢に負荷がかかる職種の上肢の繰り返し作業や首を繰り返し動かす動作などの蓄積的外力による場合がある。前者については,外力により斜角筋が過伸展されることで,斜角筋内に微小出血を生じ,その治癒機転として結合組織の占拠率が増加し瘢痕化した結果,斜角筋の柔軟性が低下し,腕神経叢との間に摩擦を生じやすくなり,神経過敏状態を引き起こし発症すると考えられる。外傷性胸郭出口症候群の発症に重要なのは,衝撃の大きさよりも,頚部のしなりにより頚部軟部組織である斜角筋が伸張されることことにあると考えられる。外傷性胸郭出口症候群の手術所見からは,腕神経叢及びその周囲組織に癒着や瘢痕が確認されている。
(ウ) 胸郭出口症候群の治療方法としては,保存療法と手術療法があり,3ないし6か月の保存療法が無効で,圧迫症状がある場合に手術療法が適応となる。保存療法には,対症療法としての薬物療法や神経ブロックなどと,病態を理解し良姿勢を保持することで腕神経叢への刺激を和らげる運動療法,理学療法,装具療法などがある。手術療法は第1肋骨切除手術が多く行われるが,この方法は圧迫症状には効果があるが,牽引症状には効果が期待できない。これらの療法が効かなかった場合,自然治癒の可能性は低い。
イ 原告は,見方にもよるが,首長・なで肩という体型的特徴を有しているといわれることがある。頚肋・第1肋骨奇形などの先天的要因はレントゲン上認められず,異常索状物,最小斜角筋,斜角筋の破格などの先天的要因は手術所見上認められない。(甲14,乙5,6,9,17,鑑定の結果)
ウ 本件事故前,原告はスポーツクラブに通ってエアロビクスや筋力を付けるジムなどを行っていた。また,原告は,看護師として,平成7年4月1日から平成12年3月31日まで,東京慈恵会医科大学附属第三病院のリハビリテーション科に勤務し,患者の抱きかかえ,医療器具の持ち運びなどの業務をしていたが,肩,首の痛み,右上肢のしびれ,握力低下等を訴えて勤務を欠勤,勤務変更,業務内容制限などをしたことはなく,痛みやしびれなどを周囲に話すこともなかった。さらに,本件事故以前に胸郭出口症候群の症状を訴えて治療を受けていることもなかった。(甲16,17,30,原告本人)
エ 事故当日
(ア) 本件事故の際,原告は被告車両との接触時に体の右側をぶつけ,左側へ原告自転車ごと転倒し,右肩,右腕,右肘,右膝,左半身全般等を強打した。本件事故当日の平成12年6月1日午前9時30分ころ,川口総合病院へ行き,A医師の診察を受け,事故後約1週間の加療を要する見込みの右上肢,両膝打撲と診断された。外来診療録には,初診日平成12年6月1日の傷病名として「右上肢・両腕打撲」,「末梢神経炎」,「右胸郭出口症候群」と記載されている。(乙2)
(イ) なお,A医師は,平成15年3月4日ころ,本件事故による原告の傷病として頚椎捻挫を書き損じたことを認めた。(甲5)
オ 川口総合病院の診療録(乙2)の記載
(ア) 平成12年6月1日には,「pain(-)」(疼痛なし)との記載がある。
(イ) 平成12年6月6日に,「右手に力が入らない」との記載がある。
(ウ) 平成12年8月23日には,「5年間 リハ科でトランスファーをやっていて,その間TOS(胸郭出口症候群)のfile_5.jpg症状ができていた」と読める記載がある。
(エ) 平成12年9月14日には,「今後寄与率についての検討要す」,「TOS(胸郭出口症候群) 外傷が関与 私病もあり」という記載がある。
カ セコメディック病院の診療録(乙5)の記載
(ア) 平成13年11月26日に第1肋骨切除手術をした後の手術所見として,「Tiroot(神経根)と鎖骨下動脈間にはfiblous band(繊維質バンド)」,「前・中斜角筋は筋膜に繊維化あり」との記載がある。
(イ) 第1肋骨切除手術時に前斜角筋筋膜より採取された筋組織についての病理組織検査報告書には,「筋細胞の核の消失や,繊維増生は観られず,ごく軽度の硝子様変性をみるのみ」との記載がある。
キ 原告は,平成13年11月26日,セコメディック病院において右第1肋骨切除手術を受けた。これにより,圧迫症状は手術前の40%程度まで症状が改善した。(甲8,乙5,鑑定の結果)
(2) 検討
ア 上記認定事実からすれば,結論的には,原告は本件事故以前には胸郭出口症候群には罹患しておらず,本件事故後に胸郭出口症候群に罹患していると認められ,本件事故による受傷態様は胸郭出口症候群の発症と矛盾しないから,本件事故により原告は胸郭出口症候群に罹患したと認められる。本件事故との因果関係を疑わせる事情について,以下詳述する。
イ 診療録(乙2)の「私病もあり」等の記載を見ると,A医師は,原告の職業歴や,体型的特徴から,本件事故だけでなく,原告固有の要因も合わさることで,胸郭出口症候群が発症したと考えていたと認められる。しかし,だからといって本件事故以前から胸郭出口症候群に罹患していたことにはならず,「5年間 リハ科でトランスファーをやっていて,その間TOS(胸郭出口症候群)のfile_6.jpg症状ができていた」という記載も,原告が本件事故前から既に具体的な痺れや痛み等を発症していたという趣旨ではないとA医師も陳述書(甲14)で述べており,同記載をもって本件事故前から胸郭出口症候群の症状が出ていたと解することも相当ではないから,本件事故との因果関係は否定されない。
ウ 本件事故直後の診断は右上肢,両膝打撲であり,頚椎捻挫との診断がされておらず,「pain(-)」として疼痛もないと診療録には記載されているが,初期段階では症状が完全に分かるわけでもないのであるし,そのことは患者である原告が看護師という職業であったとしても強く変わるともいえないから,本件事故以前に胸郭出口症候群に罹患していたことを認めるに足りる証拠がないことを併せ考えると,上記の診療録の記載によって本件事故との因果関係は否定されない。
エ 手術所見として神経根と鎖骨下動脈間に繊維質バンドや,前・中斜角筋は筋膜に繊維化があったとすると,原告が胸郭出口症候群に罹患していることを推測させるが,繊維化の原因が本件事故によるものか,それ以前の原告の職業や体型的要因によるものかは判然としないから,この事実は本件事故との因果関係の判断には影響しない。
オ 第1肋骨切除手術時に前斜角筋筋膜より採取された筋組織に,繊維増生がなかったとしても,必ずしも外傷性胸郭出口症候群の場合に第1肋骨に付着していた筋組織に繊維増生が生じるとはいえないから(甲15),上記のことから直ちに因果関係は否定されない。
カ 原告は平成12年6月6日には,右手に力が入らないと,筋力低下の症状を訴えているが,早期に症状が現れたからといって外傷性胸郭出口症候群を否定する根拠が明らかではないから,このことから本件事故との因果関係は否定されない。
キ 以上により,本件事故と原告が胸郭出口症候群に罹患したことには相当因果関係がある。
3 争点(3)について(胸郭出口症候群による労働能力喪失率・喪失期間)
(1) 認定事実
当事者間に争いない事実,前提事実及び関係各証拠並びに弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告の症状に関する医師の意見等(甲8,24,29,乙13,鑑定の結果)
(ア) 原告は,第1肋骨切除手術を受けた後,圧迫症状については手術前と比較して40%程度に軽快したが,牽引症状については顕著になっている。すなわち,右上肢の尺側のしびれは軽快しているが,頚から肩にかけての痛みが残存している。右腕神経叢部に圧痛と放散痛が認められ,Roostest陽性である。脈管圧迫テストは陰性である。運動障害は認められない。右上肢の母指側のしびれがあり,上肢下方牽引症状誘発テストにて増悪する。
(イ) 原告は,頚から肩にかけての痛みが残存し,上肢下方牽引症状誘発テストにて症状の再現があるため,軽作業は可能であるが,重いものを持つ仕事,長時間コンピュータを操作する仕事は,現時点では望ましくない。
(ウ) 保存療法とともに持久力を含めて体力をつけることができれば,原告の状態は今後改善する見込みがある。
イ 原告は,第1肋骨切除手術後,現在でも月1回くらいセコメディック病院へ通院し,神経ブロック治療を受けている。また,筋力強化のため胸郭出口拡大体操を日々行っている。しかし,原告は,平成19年9月20日ころには物を落としたりすることが多くなっていると医師に訴えて,その後も頚部の痛みを訴えており,平成20年1月20日に至っても,原告の牽引症状は改善していない。(甲30,31,46,49,原告本人)
ウ 原告の就労状況(甲30,46,原告本人)
(ア) 原告は,平成7年4月1日から平成12年3月31日まで,看護師として,東京慈恵会医科大学附属第三病院のリハビリテーション科に正看護師として勤務していた(甲17)。平成11年11月ころ原告の母が倒れたため,通勤に往復4時間ほどかかる同病院を退職した。平成10年の給与は514万1430円,平成11年の給与は527万8067円であった。(甲44の1及び2)
(イ) 原告は,平成12年5月から11月まで,Cにパート看護師として勤務していた。原告は,要介護老人の身体介護や看護処置等を行っていた。ここでの給与額は,本件事故のため休業することもあったため,月額15万円前後であった。原告は,腕や肩の痛みのため,退職した。(甲32)
(ウ) 原告は,平成12年11月から平成13年3月まで,正社員看護師としてIに勤務した。原告は,入院患者に対する採血・点滴,業務記録,看護計画の立案などの作業をすることになっていたが,緊急病院であったため,夜勤や残業も行った。ここでの給与額は,月額25万円ないし30万円くらいであった。原告は,上肢の痛みやしびれ,手指の冷感や握力低下が強くなってきたため,退職した。(甲32,33)
(エ) 原告は,平成13年5月から平成14年3月まで,第1肋骨切除手術のため入院し,3か月の休職指示のあった期間を除き,アルファビリティ株式会社の派遣看護師としてDで就労していた。原告は,入院患者への点滴や業務記録作成等,力を使わなくとも良い仕事に限定してもらっていた。ここでの給与は,月額20万円ないし25万円くらいであった。原告は,第1肋骨切除手術のため就労をやめた。(甲34の1ないし7)
(オ) 原告は,平成14年4月から平成15年4月まで,パート看護師としてEに勤務した。原告は,採血,点滴,検診事務等に限定してもらっていた。ここでの給与額は,月額25万円くらいであった。また,原告は,平成14年4月から平成15年4月までの期間,並行してアルファビリティ株式会社の派遣看護師としてDにも就労していて,月々数万円の給与の支払を受けていた。(甲34の8,35)
(カ) 原告は,平成15年4月から平成16年3月まで,正社員看護師としてJに勤務した。原告は就職面接時にしばらくは力仕事はできないが,少しすれば良くなると言って就職し,右上肢の痛みやしびれを我慢して入院患者に対する身体介護などの業務も行っていた。ここでの給与額は月額35万円くらいであった。(甲36の1ないし9,37)
(キ) 原告は,平成16年4月から平成17年4月まで,再びEに正社員看護師として勤務した。原告は,採血,点滴,検診事務等を行い,日中に力仕事が必要になったときは,他の看護師に代わってもらっていた。また,原告は1か月に5回くらい夜勤勤務を行ったが,夜勤の看護師は一名であるから,力仕事を代わってもらうことができないため,避けられない場合には患者の身体を抱き起こすなどの力作業を行った。Eに勤務している傍ら,原告は,ケアマネージャーの資格を取得した。ここでの給与額は,約1年間で合計399万2468円であった。(甲38,39)
(ク) 原告は,平成17年4月から平成17年6月まで,ケアマネージャーとしてFに勤務した。ここでの給与額は,月額25万円くらいであった。原告は,ケアマネージャーとしての仕事だけでなく,老人介護の現場業務も求められたため,退職した。
(ケ) 原告は,平成17年7月から平成18年1月まで,正社員としてGに勤務した。原告は,ケアマネージャーとして介護計画の作成等を行った。ここでの給与額は,身内の不幸が多発し,仕事を休まざるを得なかったため平成17年7月から同年12月までの期間で合計61万2400円であったが,仮に予定どおり勤務していれば,25万円くらいであった。原告の妹が事故で左足切断,脊椎損傷となり,原告の母が脳出血で倒れるという身内の不幸が続き,原告が父母及び妹の世話をしなければならなくなったため,退職した。
(コ) 原告は,平成18年3月以降,パート看護師としてHに勤務している。
原告は,患者に注射したり,患者を診察室に案内したり,薬を持ってきたりする業務を行っている。夜勤業務はない。ここでの給与は月額23万円くらいである。また,平成19年7月には賞与として36万円が,同年12月には賞与として27万円が支払われた。(甲40,43の1ないし10)
(サ) 原告の給与所得は平成16年が472万5119円,平成17年が145万9759円,平成18年が237万1712円である。(甲38ないし40)
エ 家族の病気や事故,介護状況(甲30,46,原告本人)
(ア) 原告の父は,平成5年,認知症となって寝たきりになった。原告の父の介護は,原告の母や妹が行っていた。平成17年8月10日ころからは,自宅で介護ヘルパーに委託していた同年9月16日から同年11月9日までを除き,原告の父は完全介護の病院に入院し,平成18年5月17日に死亡した。
(イ) 原告の母は,平成11年11月ころ,脳出血で倒れた。原告の母は,平成17年8月4日,再び脳出血を起こして倒れ,完全介護の病院に入院し,同年12月10日に死亡した。
(ウ) 原告の妹は,平成17年7月25日,海で左足を切断する事故に遭い,完全介護の病院に入院し,平成18年3月19日に退院した。原告の妹は,左足に義足をつけ,松葉杖や車椅子を使用して日常生活に必要なことは概ねできている。
オ 本件訴訟における後遺障害に関する原告の主張の変遷(当裁判所に顕著である。)
(ア) 原告は,平成15年5月23日,胸郭出口症候群及び頚椎捻挫の後遺障害があり,局部に頑固な神経症状を残すものといえるから後遺障害等級12級に該当し,労働能力喪失率は9%であるとして,本訴を提起した。
(イ) 原告は,平成15年7月7日,本件第1回口頭弁論期日において,外傷性胸郭出口症候群及び頚椎捻挫による右肩から右上肢にかけてのしびれ,脱力,握力低下,疼痛や右母指の疼痛等の症状は局部に頑固な神経症状を残すものとして後遺障害等級12級に該当し,右第1肋骨切除手術の結果右第1肋骨を切除したことは後遺障害等級12級5号の肋骨に著しい奇形を残すものに準じるものであるから,併合して後遺障害等級11級と評価されるとして,請求の拡張をした。
(ウ) 原告は,平成17年7月19日,本件第6回弁論準備手続期日において,原告の胸郭出口症候群はブロック治療で改善せず,第1肋骨切除手術をしても10分の4までしか改善せず,頚部痛も残ったまま症状固定をしており,平成15年4月に勤務していた病院も辞めざるを得なくなっているから,重度の症状であり,後遺障害等級9級10号に該当するとして,請求の拡張をした。
(2) 事実認定の補足説明
原告の頚部や上肢の痛みやしびれ具合等の病状や各就業先での業務内容,転職の経緯,親族の健康状態等に関する証拠は,主として原告の供述のみであるが,原告の供述は迫真性・合理性があり,不利益なことも認めているから,基本的に信用することができる。
(3) 検討
ア 認定事実によれば,原告は胸郭出口症候群により,第1肋骨切除手術を受けた後も,頚から肩にかけての痛み,右上肢母指側のしびれがあり,重い物を持つなど下方に牽引されることによりその症状が増悪する状態にある。また,長時間のコンピュータ作業等も姿勢により症状を悪化させるおそれがあるため,避けるべき状態にある。原告は看護師であるところ,看護師の仕事としては採血,点滴,検診事務,記録作成,案内等の業務だけでなく,患者の抱き起こし,抱きかかえ,重い医療機器の移動等の力仕事も通常要求され,特に夜勤の場合は他の看護師に力仕事を代わってもらうこともできないため,結局力仕事や夜勤を行うことに支障がある。
イ もっとも,下方に牽引されることにより首や右上肢のしびれや痛みは増悪するものの,力仕事が物理的に不可能というわけではなく,実際に原告はE,J等で力仕事や夜勤業務を行い,Iで夜勤業務を行ってきた。力仕事を行うことで原告の症状が悪化する旨原告は供述し,力仕事を困難とのB医師の意見があり,力仕事は望ましくないとの鑑定の結果も出ているが,客観的に原告の症状悪化を認めるに足りる証拠はなく,原告の心因的な要因が関与している可能性も否定できない。また,本訴提起当初においては,原告は後遺障害等級12級に該当する旨主張していたが,その後特段原告の症状に変化が生じたとも認められない。そうすると,首や右上肢のしびれや痛みにより力仕事や夜勤業務に一定の支障はあるものの,業務が相当程度に制限されるとまではいえない。
ウ 本件事故後の原告の就業状況を見ても,力仕事や夜勤を行う業務についたI,E,Jでは,月額30万円ないし35万円くらいの収入を得ることができており,年収360万円ないし420万円くらい得ることが可能ということができる。そうすると,平均的な看護師の収入448万6500円(甲12)と比較して80%ないし93%程度の収入を得る可能性があるといえる。
エ したがって,原告の胸郭出口症候群の症状は,後遺障害等級12級12号に該当するというのが相当である。
オ もっとも,原告の就労状況を見ると,看護師の業務としては採血,点滴,検診事務等の専門的能力を生かす業務だけでなく,医療機器や患者の抱き起こし等の力仕事もあること,夜勤時は力仕事を避けがたいこと,力仕事や夜勤を行う業務についていたI,E,J等の収入に比して,そのような業務についていなかったDやHでの収入は低くなっていることなどが認められ,看護師の収入において力仕事や夜勤が高収入の一要因となっているということができる。したがって,胸郭出口症候群の牽引症状により原告が力仕事や夜勤に一定の支障を受けていることを考慮すると,労働能力喪失率は20%とするのが相当である。
カ なお,原告はケアマネージャーの資格取得の勉強が原告の収入減少に影響したとは認められない。また,原告の親族の介護についても,基本的に完全介護状態といえるから,Gに就業していた時期以外,特段原告の収入減少に影響したとは認められない。
キ 将来の回復可能性については,本件事故のあった平成12年6月1日から既に7年,症状固定の平成14年6月5日から既に5年以上が経過していること,神経ブロック注射や症状改善のための体操などの保存療法を行っているにもかかわらず,牽引症状は改善せず,むしろ顕著になっていること,胸郭出口症候群は自然治癒が期待できないことなどからすると,回復可能性はないというのが相当である。
よって,労働能力喪失期間を限定すべきであるという被告の主張は採用できない。
4 争点(4)について(原告の損害額)
ア 治療費 203万3717円
弁論の全趣旨(被告第7準備書面及び被告第8準備書面添付資料)により認められる。
イ 通院費 11万6440円
弁論の全趣旨(被告第7準備書面及び被告第8準備書面添付資料)により認められる。
ウ 入院雑費 2万2500円
1500円×15日(乙5)
エ 診断書作成料 1万3650円
弁論の全趣旨
オ 休業損害 186万5420円
弁論の全趣旨(被告第7準備書面及び被告第8準備書面添付資料)により認められる。
カ 後遺障害逸失利益 1526万9354円
448万6500円(基礎収入,甲12)×0.20(労働能力喪失率)×17.017(39年分のライプニッツ係数)
なお,原告が胸郭出口症候群の治療のために第1肋骨切除をしたとしても,肋骨に著しい奇形を残すものとはいえず,後遺障害には当たらない。
キ 入通院慰謝料 209万円
入院期間1か月(実入院日数15日),通院期間24か月分(実通院日数75日)(乙2ないし5)
ク 後遺障害慰謝料 420万円
後遺障害等級は12級該当と考えるが,原告は複数回の転勤をしていること,力仕事に支障を受けていることを考慮する。
ケ 自転車修理代 9975円
争いがない。
コ 小計 2562万1056円
サ 過失相殺後(1割) 2305万8950円
なお,首長・なで肩という体型的要因が胸郭出口症候群の発症に寄与した可能性はあるが,疾患に当たるようなものではないから,損害額の算定において考慮しない。
シ 損益相殺 402万5552円
争いない。
ス 損益相殺後 1903万3398円
セ 弁護士費用 190万円
ソ 合計 2093万3398円
第4結論
以上のとおり,原告の請求は,2093万3398円及びこれに対する平成12年6月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余の請求は理由がないから,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 岩坪朗彦 裁判官 佐久間隆)