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さいたま地方裁判所 平成15年(ワ)29号 判決 2006年2月24日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,それぞれ3037万0515円及びこれに対する平成15年1月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,原告A及び原告Bの子であるCが,被告の開設する診療所(以下「被告医院」という。)において出生した後,脳室内出血後水頭症により死亡したことに関して,原告らが,被告の代表者であり,被告医院に在籍するD医師には,Cの重度仮死,脳室内出血の症状を見逃し放置した過失があると主張して,被告に対し,不法行為又は診療契約上の債務不履行に基づき,主位的に,Cの死亡に伴う損害賠償金及び民法所定の割合による遅延損害金の支払を,予備的に,Cの延命の可能性を侵害したことについての損害賠償金及び同じ割合による遅延損害金の支払を,それぞれ求めた事案である。

1  争いのない事実等(証拠等によって認定した事実は末尾に認定に供した証拠等を掲記する。その余の事実は当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

ア Cは,平成12年7月5日午後2時38分ころ,被告医院において,原告ら夫婦の長男として出生した。なお,原告らは,後記Cの死亡後である平成14年11月5日に離婚した。(原告らとCとの続柄につき甲第6号証)

イ 被告は,さいたま市内に被告医院を開設する医療法人である。D医師は,同医院に在籍する産婦人科医師であり,被告の代表者を務めている。

(2)  事実経過

ア 原告Bは,平成12年7月4日,分娩のため被告医院に入院し,翌5日午後2時38分ころ,同医院においてCを出産した。

原告Aは,Cの出産に立ち会っており,Cの出生から5分余り後に,その当時のCの様子を,所携のビデオカメラを用いて,約1分40秒間撮影した。甲第1号証のビデオテープ(以下「本件ビデオテープ」という。)は,その際録画されたものである。(本件ビデオテープ撮影時間につき甲第1号証)

イ その後,Cは,保育器(クベース,以下「保育器」という。)に収容されていたが,翌6日午前2時頃,D医師は,被告医院の病室で就寝していた原告Bを起こし,Cの様子がおかしいと告げた。

そして,D医師は,Cを埼玉県立小児医療センター(以下「小児医療センター」という。)に転送することとした。Cは,同日午前2時29分ころ救急車で被告医院を出発して,同日午前2時45分ころ小児医療センターに到着し(以下,この時のCの被告医院から小児医療センターへの転送を「本件転送」という。),到着後,直ちに新生児集中治療室(以下「NICU」という。)に搬入された。(本件転送に係る出発時刻と到着時刻につき乙第4号証の1-16頁)

ウ 小児医療センターにおいて,入院当日,Cはけいれんと診断され,その後の検査の結果,脳室内出血及び脳室の拡大が確認された。(甲第4号証の1-43,46,136頁)

エ Cは,平成12年8月14日に小児医療センターを退院した後も,入退院を繰り返したが,平成14年4月24日,脳室内出血後水頭症により,1歳9か月で死亡した。

2  争点

本件の主な争点は,①D医師に,Cの出生直後,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か(争点1),②D医師に,Cを保育器に収容した後,本件転送より早い時点で,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か(争点2),③D医師に争点1又は同2に係る注意義務違反があった場合に,D医師がCを,その出生直後又は本件転送より早い時点で高度新生児施設に転送していれば,Cの死亡の結果を回避できたか否か(争点3),④原告らの損害額(争点4)の4点である。

3  争点についての当事者双方の主張

(1)  争点1(D医師に,Cの出生直後,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か)について

ア 原告らの主張

(ア) 出生直後のCの状態について

分娩監視装置により,出生直前のCに一過性徐脈が発現していたことが認められた。また,甲第1号証(本件ビデオテープ)によって認められる出生から約5分後のCの状態は,アプガースコア(出生後の児の状態の評価に用いられる点数)が6点以下であり,けいれん,原始反射(バビンスキー反射)の消失が見られ,さらに,活気がない,陥没呼吸,鼻翼呼吸,中心性チアノーゼなどの異常も存在するというものであった。この時点のアプガースコアが6点以下であることから判断すると,出生直後のスコアはさらに低かったはずである。

(イ) 出生直後の転送義務について

新生児は,分娩時,産道の圧力により脳内に出血を来すことがある。通常は,酸素状態の安定とともに自然に修復するが,低酸素状態が続くと,脳内出血が拡大する。Cは,出生直前に一過性徐脈が発現していたのであるから,分娩時に頭部に強い圧迫を受け,低酸素状態におかれていたことにより,出生時に低酸素性虚血性脳症に陥っていたことが認められる。

また,上記アプガースコアその他の異常所見によれば,Cは,出生直後,重度の新生児仮死の状態であったことが明らかである。

D医師は,出生直後のかかる状況を的確に認識判断し,Cに脳室内出血その他の脳疾患が生じていることを疑って(現に,上記1の(2)のウのとおり,小児医療センターにおける検査により,Cが脳室内出血を起こしていたことが認められるところ,これは出生時既に生じていた可能性が高い。),直ちに,Cを,NICUを有する高度新生児施設に転送すべき注意義務を負っていた。

しかるに,D医師は,出生直後のCが重度の新生児仮死状態であったことを看過し,Cに脳疾患が生じている危険を見落として,出生直後のCを直ちに高度新生児施設に転送すべき注意義務を怠って,Cの脳室内出血を拡大進行させたことにより,Cに水頭症を発症させ,死亡するに至らしめたものである。

イ 被告の主張

(ア) Cが小児医療センターに転送された時点で脳室内出血を起こしていたこと,その脳室内出血がCの出生までに生じていた可能性が高いこと,Cがその脳室内出血によって水頭症を来たした結果,死亡したことは認める。

(イ) しかし,Cは,分娩時に軽度の変動一過性徐脈は見られたが,低酸素状態の徴候といえる遅発一過性徐脈は存在せず,出生時に低酸素性虚血性脳症であったことはない。

また,Cのアプガースコアは,出生1分後9点,5分後10点,10分後10点であり,Cが新生児仮死の状態に陥っていたことはなかった。Cには筋緊張がやや強く,時折四肢に軽い振戦(後記第3の2の(3)のイのとおり,「振戦」という用語は,手足に生ずる震えを一般的に表現するために用いられる場合と,そのような震えのうち,特に,けいれんによる震え以外の震えを意味するものとして用いられる場合とがあるが,本判決では,特に断らない限り,前者の意味で用い,後者の意味を示す場合には「生理的な振戦」,「けいれん性でない振戦」などの表現を用いることとする。)があったが,それも正常の範囲内であり,被告医院でCのけいれんが認められたことはない。このようにCには脳室内出血を疑わせるような症状はなかったのであるから,D医師が,Cの出生直後に,その脳室内出血を疑わず,Cを高度新生児施設に転送しなかった点に何ら注意義務違反はない。

(2)  争点2(D医師に,Cを保育器に収容した後,本件転送より早い時点で,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か)について

ア 原告らの主張

(ア) 保育器収容後のCの状態について

Cの振戦は,保育器に収容された後も継続し,時間の経過とともに増強していった。また,Cの呼吸状態は悪く,喘鳴が継続していたほか,出生日である平成12年7月5日の午後9時ころには,酸素飽和度が73パーセントにまで異常低下し,さらに同日午後10時ころには糖水を飲めない状態であった。

D医師は,Cの経過観察中に,中枢神経異常をもたらす低血糖や感染症を疑って,Cの血糖測定やCRP検査を実施したが,その検査結果によって低血糖や感染症の可能性が除外された。

被告は,Cの振戦が持続することが異常とはいえないと主張するが,生理的な振戦は数十分で落ち着くものであって,Cの振戦はそれ以上に継続し,増強してきていたのであるから,単なる生理的な振戦ではなく,けいれんと考えるべきであった。Cが転送された小児医療センターではけいれんと判断されているのであるから,Cには被告医院の時点でもけいれんが発現していたはずである。

(イ) 早期の転送義務について

仮にD医師に上記(1)のアの(イ)の注意義務がなかったとしても,出生時からCに認められた振戦は,保育器に収容された後も継続し,さらに増強していったのであるから,その時点でけいれんと判断できるようになり,脳室内出血などの脳疾患の存在を疑うことができたはずである。したがって,D医師は,遅くともその時点には,CをNICUを有する高度新生児施設に転送すべき義務があった。

しかるに,D医師は,かかるCの症状を見落とし,12時間もCを漫然と放置して,Cの脳室内出血を拡大進行させた注意義務違反により,Cを死亡させた。

イ 被告の主張

Cを保育器に収容した後も,Cには脳室内出血を疑わせるような症状はなかったし,振戦が持続することもそれだけで異常とはいえない。また,成熟児の正常分娩においては臨床的に問題となる脳室内出血は非常に珍しいのであるから,D医師がCの脳室内出血を疑わなかったことはやむを得ないことである。D医師は,Cを保育器に収容した後も,血糖値やCRP値などの検査を行い,喘鳴があったときや酸素飽和度が低下したときには気道吸引などの必要な処置をしていたのであるから,保育器収容後の経過観察に落ち度があったということもない。その後,D医師は,Cの振戦と筋緊張が増強し,経口哺乳ができなかったことから,大事をとって,出生後12時間程度でCを小児医療センターに転送する手配をしたのであって,この転送時期が遅すぎたということはないのであり,D医師には注意義務違反はない。

(3)  争点3(D医師に争点1又は同2に係る注意義務違反があった場合に,D医師がCを,その出生直後又は本件転送より早い時点で高度新生児施設に転送していれば,Cの死亡の結果を回避できたか否か)について

ア 原告らの主張

(ア) 死亡との因果関係(主位的主張)

D医師がCを早期に高度新生児施設に転送していれば,Cの死亡という結果を回避することができたのであって,D医師の注意義務違反とCの死亡結果との間には因果関係が認められる。このことは,甲第16号証の医学文献に,新生児けいれんの予後について,正常発達が60パーセント,後遺症が21パーセントであると記載されていることからも明らかである。

(イ) 延命可能性侵害(予備的主張)

仮にD医師の注意義務違反とCの死亡との間の因果関係が認められないとすれば,原告らは,予備的に,延命可能性侵害の主張をする。すなわち,最高裁判所平成15年11月11日判決は,注意義務違反と結果との因果関係が否定される場合であっても,延命や回復の可能性が証明されることを前提として,その可能性に応じた逸失利益をも考慮に入れた可能性侵害による損害を認めているから,本件においてもかかる損害が認められるべきである。

イ 被告の主張

原告らの主張は争う。

(4)  争点4(原告らの損害額)について

ア 原告らの主張

(ア) Cの損害

a 逸失利益 2221万9381円

Cは死亡時1歳の男子であり,18歳から67歳までの49年間就労可能であったから,平成12年賃金センサス・男子労働者平均賃金560万6000円を基礎として,生活費控除を50パーセントとし,上記期間に相当するライプニッツ係数(7.927)を用いて中間利息を控除して,その逸失利益を計算すると,2221万9381円となる。

b 死亡慰謝料 2400万円

Cは,出生直後から呼吸困難,全身麻痺,寝たきりなどの苦しい状態のまま,1歳9か月で死亡したのであるから,その慰謝料は2400万円が相当である。

c 相続

Cが平成14年4月24日に死亡したため,原告らは,Cの遺産を各2分の1ずつ相続した。

(イ) 原告らの固有の損害

a 原告ら固有の慰謝料 各200万円

原告らは,最愛の息子であるCを失った上,同人が呼吸困難で苦しんでいたにもかかわらず早期に転院させてやれなかったことなどについて,後悔の念に苛まれる日々を送り,これがため,平成14年11月5日には離婚するに至った。このような原告らの精神的苦痛を慰謝するために必要な慰謝料は,Cの死亡慰謝料を勘案してもなお,各200万円を下らない。

b 付添看護費 428万3500円

Cが出生した平成12年7月5日から死亡した平成14年4月24日までの659日間について,1日当たり6500円の付添看護費を要したから,その額は428万3500円となる。

c 葬祭費 73万8150円

d 弁護士費用 550万円

原告らが,本件の証拠保全の申立及び本訴の提起・追行を原告ら代理人らに委任したが,同委任の報酬は550万円を下らない。

(ウ) まとめ

上記(ア),(イ)によれば,原告らが被告に請求できる損害賠償金の額は各3037万0515円となる。

イ 被告の主張

原告らの主張のうち,(イ)のbないしdは不知,その余は争う。

第3当裁判所の判断

1  上記第2の1の各事実に,甲第1,第4,第5,第8,第13,第19,第20,第22,第23号証,第25ないし第29号証,第32,第33,第35号証,乙第1ないし第5号証,第10,第11号証(枝番のあるものは各枝番を含む),証人Eの証言,原告A及び原告B各本人尋問の結果,被告代表者尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば,Cの出生及び死亡に至る経緯等につき,以下の事実が認められる(なお,以下の記載において,年が省略された日付は,特に断らない限り,平成12年のものである。)。

(1)  Cの出生までの経緯

ア 原告Bは,平成11年に妊娠が明らかになった後,平成12年3月3日に被告医院を訪れ,D医師の診察を受けた。同日における原告Bの身体及び妊娠の状況は概略以下のとおりであった。

年齢

20歳

身長

152センチメートル

体重

67.4キログラム

妊娠週数

23週4日

分娩予定日

平成12年6月26日

その他

初産。細菌検査,子宮癌検診では特段の異常なし。体重が妊娠前と比べ約20キログラム増加しており,かなり肥満が認められたため,D医師は食事に気を付けるよう指示した。

イ 原告Bは,その後も月に数回,妊婦健診のために被告医院に通院し,その間,クラミジア感染の治療のために抗生剤を処方されたり,胎児が一時的に骨盤位(逆子)になったり,分娩予定日である6月26日を過ぎても児頭の下降が悪かったなどのことがあったが,それ以外に原告B及びその胎児に重大な問題を生じさせるような異常は認められず,妊娠の進行はおおむね良好であった。

ウ 原告Bは,妊娠41週1日である7月4日,誘発分娩目的で被告医院に入院した。

D医師は,原告Bに対し,同日の午後7時,8時,9時に,分娩誘発剤である「プロスタグランジンE2」錠を各1錠ずつ経口投与した。

翌5日の朝から,原告Bに,分娩誘発剤である「アトニンO」1アンプル(5単位)が点滴投与された結果,同日午前10時ころ,原告Bの陣痛が開始し,午前10時15分ころには自然破水,午前11時50分ころには子宮口が4センチメートルに開大した。

その後,原告Bは,同日午後1時50分ころに子宮口が全開大となって,分娩室に移動し,午後2時38分ころに男児(C)を正常分娩にて娩出した。

Cの出生時の主な所見は以下のとおりであった。

体重

3052グラム

身長

50センチメートル

頭囲

32センチメートル

胸囲

32センチメートル

その他

羊水は多めであったが混濁はなかった。足部に3回の臍帯巻絡が認められた。

エ 原告Bは,同日の朝から分娩監視装置を装着し,その子宮収縮の強度と胎児の心拍数とが記録されていたところ,分娩が進行した同日午後2時過ぎころから娩出に至るまでの間に,胎児に軽度の変動一過性徐脈が認められたが,分娩監視記録上は,それ以外に特段の異常は認められなかった(胎児に遅発一過性徐脈がなかったことは後記3の(2)のアの認定のとおりである。)。

オ しかし,客観的には,上記ウのとおり分娩が終了し,Cが娩出された時点までに,Cの脳内の血管が何らかの原因で破綻し,Cは脳室内に出血を来していた(Cの脳室内出血をD医師が疑い得たかどうかはもとより別論であり,この点については後に認定する。)。

(2)  Cの出生から本件転送までの経緯

ア D医師が出生直後のCに刺激を与えたところ,Cは出生から1分もしないころに泣き声を上げた。出生時から数分後くらいまでの間のCの様子は,通常の新生児に比べて,外見上やや活気がなく,泣き声が弱かったほか,筋緊張が強く,振戦があり,このほか,少なくとも出生1分後ころには四肢(末梢)にチアノーゼ(皮膚が暗紫色を呈する状態)が認められ,出生5分後ころには軽度の陥没呼吸(吸気時に肋間や胸骨上窩,剣状突起下の陥没を伴うもの)も認められた。また,そのころ,看護師が,Cの口を原告Bの乳首に近づけて,哺乳させようとしたが,Cはその乳首をくわえず,哺乳することができなかった。もっとも,Cの出生に立ち会っていたD医師や看護師が,そのようなCの出生直後の状態を異常と感じたり,緊急の処置を取ったりするようなことはなかった。

一方,原告Aは,上記第2の1の(2)のアのとおり,分娩室に入室して,Cの出生に立ち会っており,出生5分余り後から,所携のビデオカメラで,Cの様子を1分40秒間程度撮影した。

そのころ,原告Bと原告Aは上記のようなCの状態に不安を感じていたが,D医師は原告らに対し,泣いたから大丈夫です,新生児にはこんなこともたまにあるので心配ないなどと発言し,看護師も,こういう子もいるので大丈夫ですなどと述べた。

その後,D医師は,Cの動脈血中の酸素飽和度(診療記録上ではSaO2またはSpO2と表記されることがある。以下「酸素飽和度」という。)を測定するために,パルスオキシメーター(サチュレーションモニター)を装着した上,Cを保育器に収容した。

イ 出生直後のCを診察したD医師は,Cの出生1分後,5分後,10分後のアプガースコア(出生後の児の状態の評価に用いられる点数であり,満点は10点,その詳細は後記2の(2)のとおり)を,それぞれ9点(末梢のチアノーゼがあるために1点減点),10点,10点と評価した。

ウ 被告医院で作成された新生児看護記録(乙第1号証の2-4頁,以下「本件新生児看護記録」という。)に記載されているCの出生から本件転送までの間のCの身体所見及びD医師,看護師等がCに対して行った処置等はおおむね以下のとおりであった。

7月5日

午後2時38分ころ

(出生時)

体温(単位は度,以下同じ。)36.8,心拍数(単位は回/分,以下同じ。)138,呼吸数(単位は回/分,以下同じ。)42,酸素飽和度(単位はパーセント,以下同じ。)97

処置・その他症状:保育器内の温度は33度

午後3時ころ

体温37.3,心拍数134,呼吸数51,酸素飽和度97

処置・その他症状:四肢冷感あり。Air入り良好。刺激与えた時のみ上下肢振戦あり。

午後5時ころ

体温37.3,心拍数138,呼吸数41,酸素飽和度92~95

処置・その他症状:上下肢振戦あり。喘鳴あり。気道吸引(気道に溜まった分泌物等を吸引すること)を施行。施行後の酸素飽和度は98台

午後6時45分ころ

心拍数135,呼吸数44,酸素飽和度97

処置・その他症状:喘鳴有り。タッピング(胸部や背部を軽く叩打して,気道に溜まった分泌物を排出させること)と気道吸引を施行し,Air入り良好となる。

午後7時10分ころ

体温37.2,心拍数114,呼吸数37,酸素飽和度86台・87~98

処置・その他症状:チアノーゼなし。喘鳴あり。タッピングと気道吸引を施行

午後8時20分ころ

体温37.2,心拍数114,呼吸数41,酸素飽和度96

処置・その他症状:喘鳴あり。気道吸引を施行

午後9時ころ

心拍数136,酸素飽和度73~93

処置・その他症状:刺激を与えた後,自力で回復した。

午後10時20分ころ

心拍数132,呼吸数33,酸素飽和度98

処置・その他症状:糖水を飲まなかった。

午後11時05分ころ

心拍数171,呼吸数51,酸素飽和度88~92

処置・その他症状:喘鳴あり。気道吸引とタッピングを施行

7月6日

午前0時10分ころ

体温37.5,心拍数137,呼吸数40,酸素飽和度99

処置・その他症状:糖水を飲まなかった。喘鳴なし。Air入りまずまず。

午前1時20分ころ

体温37.8,心拍数140,呼吸数47,酸素飽和度99

処置・その他症状:湿度を調整する。クベース内の温度33度,湿度62パーセント。上下肢の振戦が増強。喘鳴なし。

エ D医師は,Cを保育器に収容した後,Cの振戦から低血糖を疑い,通常は出生2時間後に行う血糖値(正常値は30mg/dl以上。診療記録上ではBSと表記されることがある。)の測定を,出生の約1時間後である7月5日午後3時30分ころに実施したところ,その測定結果は58mg/dlと正常であった。D医師は,その後も同日午後8時15分ころと翌6日午前1時20分ころにも血糖値測定を実施し,それぞれ38mg/dl,62mg/dlと正常な結果を得た。そのほか,D医師は,Cの感染症も疑い,CRP値(感染徴候などを示す値,正常値は0.5mg/dl以下)の検査を,7月5日午後3時59分ころと同日午後9時16分ころに実施したが,その検査結果はそれぞれ0.0mg/dlと0.2mg/dlであり,いずれも正常であった。

オ D医師は,Cがけいれんを起こしているとか,脳室内出血を生じているとは疑わなかったものの,上記ウのとおり,Cが7月5日午後10時20分ころと翌6日午前0時10分ころにいずれも糖水を飲まなかったことから,開口不良によって経口哺乳が不可能であると考え,また,同日午前1時20分ころまでにCの振戦が増強し,酸素飽和度が時々低下していたことも考慮して,Cを高度な医療施設に転院させることを決め,7月6日午前2時ころ,被告医院に入院していた原告Bと同室で同原告に付き添っていた原告Aに対し,Cを転送することになった旨を告げた。D医師は,Cを小児医療センターに転送するために,午前2時14分ころに,救急隊に搬送を依頼した。

Cは,同日午前2時29分ころ,保育器に収容されたまま,D医師に付き添われて,救急車で被告医院を出発し,午前2時45分ころに小児医療センターに到着した。この搬送の間に測定されたCの酸素飽和度は97パーセント程度であった。

なお,この搬送に当たって,D医師は,小児医療センターに対して,原告Bの分娩の状況やCの身体状態を記載した書面(乙第4号証の1-18~20頁,以下「本件診療情報提供書」という。)を提供したが,その際,同書面中の「来院までの児の経過」の欄に「生下時よりやや振戦(+),筋緊張が強い感じがあり,クベース内で経過を観察しておりましたが,CRP,BS等は,・・・異常ありませんでしたが,振戦↑,開口不良,時々SaO2↓と,状態が悪化しつつあります」と,「児の状態」の「アプガースコア」の欄に「1分後9点,5分後10点」と,それぞれ記載した。

(3)  小児医療センター入院後の経緯

ア Cは,小児医療センターに到着した後,7月6日午前2時50分ころ,同センターの未熟児新生児科病棟に入院し,そのままNICUに搬入された。その入院の際にCの診察に当たったF医師は,Cに,全身色不良,末梢の軽度のチアノーゼ,筋緊張の亢進,硬直,振戦,眼球固定,対光反射減弱などの症状を認めて,けいれんと診断し,その治療のために,「セルシン」と「ワコビタール」を処方した。しかし,それでもCの振戦や硬直が治まらなかったため,その後さらに「ドルミカム」や「キシロカイン」などの鎮静剤や麻酔剤が処方された。

入院時のCの酸素飽和度は96パーセントであり,その後87パーセント,95パーセントと変動したが,上記「セルシン」と「ワコビタール」の投与によって入眠すると同時に無呼吸の症状を呈し,その酸素飽和度が低下したため,午前3時30分ころ,気管内挿管の処置を受けた。

なお,当時小児医療センターの未熟児新生児科医長であったE医師は,Cの入院日から,Cの担当医となった。

イ Cは,同日午前4時ころ施行されたエコー検査により脳室内出血を疑われ,同日午前9時30分ころから施行されたCT検査によって,両側脳室内出血(重症度Ⅲ度以上)と脳室拡大が確認された。その後,Cの脳室内出血による脳室の拡大に対しては腰椎穿刺やウロキナーゼ療法が繰り返し行われたが,それでも脳室の拡大が進行したため,同月27日には,Cに対して,脳室と腹腔を管(チューブ)で結ぶVPシャント術が施行された。

ウ Cは,8月14日に一旦小児医療センターを退院したが,脳性麻痺の後遺障害を負い,同センターに引き続き通院するとともに,何度か入退院を繰り返した。その間,Cは,平成13年7月31日に埼玉県知事から身体障害1級の認定を受けた。

平成14年4月24日,Cは,脳室内出血後水頭症により,1歳9か月で死亡した。

(4)  D医師の経歴

D医師は,昭和58年3月に群馬大学医学部を卒業し,同年5月医師国家試験に合格した後,同大学医学部産婦人科に入局した。その後,昭和60年4月からは同大学医学部大学院に入学し,昭和62年9月から平成元年9月までの間米国に留学した後,平成2年10月に上記大学院を卒業し,医学博士号を取得するとともに,産婦人科認定医の資格を取得した。平成4年6月から,同大学医学部産婦人科助手を務めた後,平成9年5月に同科を退局し,翌平成10年4月には,被告医院を開設して現在まで同医院の院長を務めている。

2  甲第2,第3,第9,第11,第15,第16,第19,第25,第34,第37,第38号証,乙第8号証,第12号証の2ないし4及び証人Eの証言,被告代表者尋問の結果によれば,分娩時の異常所見,新生児の疾病の診断治療等に関する一般的な医学的知見につき,以下のようにいうことができる。

(1)  胎児心拍数について

胎児心拍数の正常値は110ないし160回/分であり,110回/分未満の場合を徐脈といい,160回/分を超える場合を頻脈という。

胎児の徐脈のうち,遅発一過性徐脈とは,子宮収縮に伴って心拍数が開始から最下点まで緩やかに(30秒以上かかって)下降し,その後子宮収縮の消退に伴い元に戻る徐脈で,子宮収縮の最強点に遅れてその徐脈の最下点を示すものをいう。遅発一過性徐脈の出現は,胎児の低酸素状態の発症を示す。

他方,変動一過性徐脈とは,心拍数が開始から最下点の初端までが30秒未満で,15回/分以上の下降を示す徐脈であり,開始から元に戻るまで15秒以上2分未満を要するものをいう。分娩第2期には多くの症例で変動一過性徐脈を示す。

(2)  アプガースコア

アプガースコアとは,出生直後の児の状態を評価する数値であり,児の皮膚色,心拍数,反射,筋緊張,呼吸の5項目をそれぞれ0から2点で評価し,その合計点(10点満点)をスコアとするものである。上記5項目についての一般的な評価の基準は以下のとおりとされている。

(2点)

(1点)

(0点)

皮膚色

全身がピンク

躯幹がピンク

全身蒼白

心拍数

100回/分以上

100回/分以下

なし

反射(カテーテルで鼻腔刺激を行った時の児の表情)

咳・くしゃみ

顔をしかめる

反応なし

筋緊張

四肢を屈曲させ活発に運動

四肢軽度屈曲

ぐったり

呼吸

規則的・強く泣く

不規則で浅い

なし

このアプガースコアに基づく児の状態の評価については,主に出生1分後と5分後のスコアが用いられ,国際疾病分類第10版(ICD-10)では,出生1分後のアプガースコアが7点以下を軽度仮死,4点以下を重度仮死と規定しており,アメリカ産婦人科医会・アメリカ小児学会の報告では,出生5分後のアプガースコアが7点以上を正常と記載しているほか,文献によっては,3点以下を重度仮死,6点以下を中等度仮死,7点以上を正常と記載しているもの,3点以下を重症仮死,6ないし7点以下を軽症仮死と記載しているもの,1分後3点以下または5分後6点以下を重症新生児仮死,1分後7点以下または5分後7点を中等度新生児仮死と記載しているものがある。

また,出生1分後のアプガースコアが3点以下の場合や5分後のアプガースコアが6点以下の場合は,直ちにNICUに入院させ,厳重な管理,観察を行わなければならないとされている。

(3)  新生児のけいれんと振戦

ア 新生児けいれん

新生児けいれんは,新生児期の中枢神経疾患を示唆する最もはっきりした臨床症状である。出生時体重が1500グラム未満の極低出生体重児では約5.8パーセントに,2500グラム以上3999グラム以下の成熟児では約0.3パーセントに見られるとされる。

新生児のけいれんでは,年長児や成人にも多く見られる強直性発作(通常全身性で,四肢を硬く伸展し,ときに上肢を硬く屈曲する。しばしば無呼吸や眼球偏位を伴う。成熟児よりも未熟児に多い。重症な脳室内出血に伴うこともあり,抗けいれん剤の治療に抵抗性である。),間代性発作(肢の間代性運動を伴う発作),ミオクローヌス発作(四肢の単発性あるいは多発性の屈曲発作)は少なく,むしろ限局性で非定型な微細発作(一見生理的な動きのように見える微細な発作で,眼球の凝視,眼瞼のまばたき,口をもぐもぐさせる動きやミルクを吸うような口の動き,自転車のペダルをこいだり,船のオールをこいだりするような四肢の動き,無呼吸発作などが現れる。成熟児よりも早期産児に多い。)が大半を占めるため,その診断は困難であり,新生児医療に慣熟した医療従事者でも新生児けいれんを見落とすことがあるとされる。

新生児けいれんの主な原因は,低酸素性虚血性脳症,頭蓋内出血(くも膜下出血,硬膜下出血,脳室内出血など),感染症,代謝異常(低血糖,低カルシウム血症,低マグネシウム血症など)である。

新生児けいれんが認められた場合には,生化学検査,血算,血糖測定,CRP検査,超音波検査,CTやMRIの画像診断などにより,けいれんの原因を特定して,その治療を行うほか,けいれんが頻発するか長時間持続する場合には抗けいれん剤を投与する。通常の産婦人科施設において新生児けいれんが認められた場合は,高度新生児施設に搬送する必要がある。

イ 振戦

振戦という用語は,単に手足に生ずる震えを一般的に表現するために用いられる場合と,そのような震えのうち,特に,けいれんによる震え以外の震えを限定して指すものとして用いられる場合とがある(本判決では,特に断りがない限り,前者の意味で用い,特に後者の意味を示す場合には「生理的な振戦」,「けいれん性でない振戦」などの表現を用いていることは,上記のとおりである。)。

けいれん性でない生理的な振戦は,四肢の反復性律動性の筋収縮を呈し,その四肢の震えはけいれん性のものよりも早く,他動的な抑制により止まり,刺激により誘発又は増強するのが特徴である。けいれんと異なり眼球運動を伴わない。抗けいれん剤は無効で,脳波の異常を認めない。

新生児期には特に異常がなくても振戦を呈することがあるが,低酸素性虚血や低血糖,低カルシウム血症などによっても振戦が見られることもある。

(4)  脳室内出血

脳室内出血は,頭蓋内のうち脳室周囲又は脈絡叢の血管破綻によって生じる脳室内の血液貯留であり,成熟児には少なく,早期産児で出生時体重が低いほどその頻度が高くなる。低出生体重児の脳室内出血には低酸素症が大きく関与しており,一方,成熟児の脳室内出血の多くは出産時の物理的な外力(分娩外傷)によるとされているが,原因不明であることも多い。

脳室内出血は,その出血の程度により重症度がⅠ度からⅣ度に分類される。Ⅰ度,Ⅱ度の出血では無症状のことが多いが,出血が多量のときは,易刺激性,意識障害,無呼吸発作,けいれん,貧血,血圧低下,頭囲拡大などがみられる。診断は頭部超音波検査(エコー),頭部CT検査,MRI検査などによって行う。なお,被告医院には,Cの出生当時,脳室内出血を診断するための上記各医療機器の設備はなかった。

脳室内出血の治療は対症療法が主となる。出血後水頭症を合併することがあり,進行する場合にはシャント術の適応になる。Ⅰ度ないしⅡ度で進行が収まっていれば必ずしも予後不良となるわけではないが,Ⅲ度以上の脳室内出血は神経学的予後が不良であることが多い。

3  争点1(D医師に,Cの出生直後,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か)について

(1)  アプガースコア

ア 原告らは,本件ビデオテープによって認められるCの出生から約5分後のアプガースコアが6点以下であり,出生直後のスコアはこれよりもさらに低かったはずであると主張する。

この点につき,埼玉協同病院産婦人科科長であるG医師の意見書(甲第35号証,以下「G意見書」という。)には,本件ビデオテープによってCのアプガースコアを評価すると,皮膚色については足底の部分の皮膚色が悪いこと,反射については足底や背部への刺激に対する反応に減弱があること,筋緊張については全身の緊張が過度に強く,強直ともとれること,呼吸については泣き声が弱く連続していないこと,をそれぞれ理由としていずれも1点と評価し,心拍数についてはビデオテープの映像では不明であるが,仮にそれを2点としても,それらを合計したアプガースコアは6点であるとの記載がある。

なお,本件ビデオテープの録画時間は1分40秒程度にすぎず(上記1の(2)のア),かつ,ビデオカメラとビデオテープを用いた録画及び再生によっても,元の被写体や音源を完全には再現し得ないことは経験則上明らかであるから,本件ビデオテープを再生して得られた短時間の映像と音声によって,当時のCの状態を正確に把握し,適切に評価し得るかどうかについては,疑問が残るといわざるを得ないのであって,本件ビデオテープに基づくCのアプガースコアの評価については,その正確性に一定の留保を付さざるを得ない。この点は,後記E医師の供述,H医師の意見書についても同様である。

イ 他方,D医師は,本件ビデオテープが録画された時期とほぼ同時期である,Cの出生から5分後及び10分後のアプガースコアをいずれも10点と評価している(上記1の(2)のイ)ところ,D医師の産婦人科医としての経歴(上記1の(4))に照らして,かかるD医師のアプガースコアについての評価は相応の知識経験に基づいたものと推認されるのであって,それが全く信用性に欠けるものであるとはいい難い。

また,E医師は,証人尋問において,本件ビデオテープを視聴した上で,呼吸については声を上げて泣いているので2点,筋緊張については屈曲位を取っているので2点,反射については足の裏をいじるのに反応しているので2点,皮膚色については体幹の色はいいが,末梢の色は光の加減で評価しにくいので1点以上,心拍数については泣いている以上心拍がないはずはない(1点以上)とそれぞれ評価し,合計のアプガースコアは8点以上であると供述する。

さらに,埼玉社会保険病院産婦人科部長であるH医師の意見書(乙第12号証の1,以下「H意見書」という。)には,H医師を含む4名の産婦人科又は小児科の医師が,本件ビデオテープを視聴した上で,それが鮮明に記録されており,そのビデオテープによって再現された色と音が実際のものと同様であると仮定して,Cのアプガースコアを評価したところ,4名の医師のうち2名が皮膚色と筋緊張を1点,その余を各2点と評価し,他の2名が皮膚色と呼吸を1点,その余を各2点と評価したため,4名とも合計点が8点になったとの記載がある。

なお,本件ビデオテープによってもCの心拍数を把握することはできないものの,上記1の(2)のウの事実によれば,Cの出生時の心拍数が138回/分であったことのほか,その後も,本件ビデオテープが撮影された時期も含め,本件転送までの間にCの心拍数が100回/分未満になったことはなかったことが推認できるから,本件ビデオテープが撮影された当時のCの心拍数のスコアは2点(100回/分以上,上記2の(2))と評価べきものであったと認められる。

ウ 上記ア,イによれば,G意見書に,本件ビデオテープによって,その撮影当時のCのアプガースコアが6点以下と評価できる旨の記載があるからといって,それだけで,Cの出生5分後のアプガースコアが6点以下であったとの事実を認めることには躊躇を覚えざるを得ず,したがってCの出生直後のアプガースコアがさらに低値であったとの事実を認めることもできない。

エ このほか,小児医療センターの神経科医師であるI医師が平成13年6月20日に作成したCについての身体障害者診断書・意見書(甲第10号証,乙第6号証4頁,以下「I診断書」という。)には,Cの生後の経過等についての記載欄に「新生児仮死あり」との記載がある。しかし,同センターの医師であるI医師が,D医師から同センターに提供された本件診療情報提供書(上記1の(2)のオのとおり,同書面の「アプガースコア」の欄には「1分後9点,5分後10点」との記載がある。)以外から,Cの出生時の状態についての正確な情報を入手することができたとは考えにくく,また,上記I診断書を除けば,同センターの診療記録(乙第3ないし第6号証(枝番のあるものは各枝番を含む。))中に,Cについて新生児仮死とする記載は見当たらない。そうであれば,I診断書の上記記載部分は,その根拠が明らかでないといわざるを得ず(D医師が代表者尋問で述べるとおり(反訳書21,22頁),I医師が,Cの身体障害者の認定手続を早く進ませてあげたいという心情に基づいて記載したものであるとも考えられる。),同記載部分によって,Cが出生時に新生児仮死の状態にあった(低アプガースコアの状態にあった)ものと直ちに認めることはできない。

(2)  低酸素性虚血性脳症

ア 原告らは,Cに出生直前に一過性徐脈が発現していたことから,Cが,分娩時に低酸素状態におかれ,出生時に低酸素性虚血性脳症に陥っていたことが認められると主張する。

そして,胎児の徐脈のうち,遅発一過性徐脈の発現が胎児の低酸素状態の発症を示すものであること及び遅発一過性徐脈の一般的な定義は,上記2の(1)のとおりであるものの,Cの分娩に際して記録された分娩監視記録(乙第1号証の5)には,上記定義に該当する遅発一過性徐脈の発現を示すような所見は認められず(原告らの提出に係るG意見書(甲第35号証)にも,分娩監視記録上に認められる一過性徐脈が異常なものとは直ちに判断できない旨のG医師の意見を記載した部分がある。),他にCに遅発一過性徐脈が発現したことを認めるに足りる証拠はない。

もっとも,分娩が進行した7月5日午後2時過ぎころから娩出に至るまでの間に,胎児(C)に軽度の変動一過性徐脈が認められたことは,上記1の(1)のエのとおりである。しかしながら,変動一過性徐脈の発現が,遅発一過性徐脈の場合と同様に,胎児の低酸素状態の発症を示すものであることを認めるに足りる証拠はない。

そうすると,Cは,上記のとおり,出生直前に軽度の変動一過性徐脈が発現していたが,そうであるからといって,出生時に低酸素性虚血性脳症に陥っていたことが認められるということはできない。

イ 次に,小児医療センターの入院診療録中には,脳神経外科のJ医師からの神経科に対する診察依頼に対し,神経科のI医師が平成12年8月3日に作成して回答した書面(乙第4号証の1-68頁,以下「本件回答書」という。)が含まれているところ,同回答書には,I医師がCの症状をけいれん性四肢麻痺及び高度精神遅滞と診断した旨の記載とともに,その原因について「hypoxia(注,低酸素症),脳室内出血でしょうか!」との記載があることが認められる(なお,同診療録の「病歴要約(Ⅱ)」(乙第4号証の1-8頁)にも,同センターの脳神経外科医師が,同センターの神経科医師との相談を経た上,Cの症状の原因として,低酸素症と脳室内出血と考えられる旨記載した部分があり,また,I診断書(甲第10号証,乙第6号証4頁)には,Cの生後の経過等についての記載欄に上記(1)のエの「新生児仮死あり」との記載等とともに,「低酸素性虚血性脳症」と記載した部分があるが,これらの記載は,いずれも上記本件回答書に基づくものと考えられる。)。

しかしながら,同センターの神経科の外来診療録には,本件回答書作成日と同日の8月3日の診療の欄に,Cの症状につき「けいれん性四肢麻痺,MR severe(注,高度精神遅滞)」とした上で,「原因はIVH(注,脳室内出血)?」と記載されているが,低酸素症については何ら記載がなく(乙第3号証の6-9頁),このことに,上記のとおり,本件回答書の低酸素症についての記載が疑問形で記載されていることを併せ考えると,I医師が,本件回答書を作成するに当たって,Cの神経症状の原因を低酸素症(hipoxia)又は低酸素性虚血性脳症と確定的に診断したものとは考え難く,そうすると,本件回答書,同センターの入院診療録及びI診断書に上記各記載があるからといって,出生時のCが低酸素性虚血性脳症に陥っていたものと直ちに認めることはできない。

なお,上記1の(3)のイのとおり,Cは,小児医療センターに入院した7月6日施行のCT検査によって,両側脳室内出血を来していることが確認され,このことは,同センターの入院診療録に記載されている(乙第4号証の1-45頁)ところ,I医師に上記診察依頼をした脳神経外科のJ医師は,その依頼書(乙第4号証の-68頁,本件回答書と一体の文書である。)に,「成熟児の脳室内出血(hypoxia(注,低酸素症),脈絡叢出血疑)後水頭症」と記載しているから,I医師が,Cの症状に関し,これらの情報を得た上で,本件回答書を作成したことは明らかである。

そうすると,仮に,Cが,客観的には,出生時に低酸素症又は低酸素性虚血性脳症に陥っており,そのことが,I医師には診断し得たとしても,もとより上記依頼書に記載されたような情報をもたないD医師が,Cの出生直後に,Cが低酸素性虚血性脳症に陥っていると疑うことができたということはできない。

(3)  けいれん

原告らは,出生直後のCにけいれんが生じていたと主張するところ,確かに,Cの出生時に振戦があったことは上記1の(2)のアのとおりであり,本件ビデオテープ(甲第1号証)によっても,Cの手足が時折震えている様子が容易に看取される。

しかしながら,本件ビデオテープを視聴したD医師とE医師は,それぞれ被告代表者尋問(別紙1頁)及び証人尋問(反訳書1頁)において,その震えが生理的な振戦の範囲内である旨,あるいはけいれんとは判断できない旨供述している。また,G医師の意見書(甲第35号証)には,本件ビデオテープやその他の記録からCが中枢神経異常であると断定することはできないが,保育器収容後の振戦の増大傾向から,けいれんや何らかの脳内変化があるものと考えて,対応が求められていたとの記載があり,この記載に照らせば,G医師も,少なくとも本件ビデオテープに記録されているCの状態がけいれんであるとは考えていないものと推認される。このほか,京都大学医学部附属病院NICU河合昌彦編著の「NICU厳選!50症例の診断と治療」と題する書籍(甲第38号証)によれば,けいれんは刺激などの誘因なく発症し,屈曲などの抑止でも停止しないことが認められるところ,本件ビデオテープによれば,看護師がCの手足に触れたり,Cを抱えたりしているときは,Cの手足の震えが停止していることが窺われ,また,上記1の(2)のウのとおり,出生20数分後である午後3時ころには,Cに刺激を与えたときのみ振戦があったのであるから,遡って出生直後のCの振戦もけいれん性のものでなかった可能性が高い。

そうであるとすると,出産直後のCに振戦があったからといって,それがけいれん性のものであったと認めることはできず,他に,出生直後のCがけいれんを発症していたことを認めるに足りる証拠はない。

(4)  呼吸状態及びチアノーゼについて

出生後のCには陥没呼吸が認められるものの,それが軽度のものであることは上記1の(2)のアのとおりであるが,Cに鼻翼呼吸(吸気に一致して鼻腔が広がる症状,甲第13号証)の所見があったことを認めるに足りる証拠はない。

また,上記1の(2)のアのとおり,Cには,少なくとも出生1分後に末梢(四肢)のチアノーゼが認められたほか,本件ビデオテープ,H意見書(乙第12号証の1)及び証人Eの証言(反訳書3頁)によれば,出生5分後ころにおいても,Cには末梢のチアノーゼがあった可能性が高いものと考えられるが,それ以上に,Cに,原告らが主張するような中心性チアノーゼがあったことまでを認めるに足りる証拠はない。

そして,小川雄之亮ほか編著の「新生児学第2版」と題する書籍(甲第13号証)によれば,陥没呼吸は,肺コンプライアンスが低下したり,上気道の通過障害あるために胸腔内に生じる陰圧の程度が大きくなった結果生ずるものであることが認められるから,上記呼吸器系の障害の結果,陥没呼吸の症状とともに,児が低酸素状態に陥ることがあり得るとしても,陥没呼吸自体が低酸素状態を示すものではないと考えられ,また,武谷雄二総編集の「新女性医学大系31新生児とその異常」と題する書籍(甲第17号証)によれば,中心性チアノーゼは動脈血酸素飽和度の低下を反映するが,末梢チアノーゼは,動脈血酸素飽和度は正常であるのに,末梢での組織の血行が悪くなったために起こるものであると認められる。そうであれば,上記のとおり,Cに軽度の陥没呼吸や末梢のチアノーゼがあったからといって,直ちにCが呼吸障害による低酸素状態に陥っていたということはできない。

他方,出生後のCの呼吸数や酸素飽和度の推移は上記1の(2)のウのとおりであるところ,呼吸数の正常値は40~50回/分で,60回/分以上が多呼吸とされており(甲第13号証),酸素飽和度の正常値は証拠上必ずしも明らかでないものの,被告代表者尋問の結果に,95パーセントあれば十分といわれているとのD医師の供述部分があること,前掲甲第17号証の書籍には,新生児への酸素投与の際,酸素飽和度が93~98パーセントになるよう投与量を設定するとの記載部分があること,田村正徳執筆の「ハイリスク新生児小児科医と産科医のための当直マニュアル」と題する書籍(甲第15号証)には,新生児の酸素飽和度が90パーセント未満の場合は高度異常に該当する旨の記載部分があることからすれば,酸素飽和度が93パーセント以上の場合には正常といい得るものと推認されるが,そうであるとすると,上記1の(2)のウによれば,出生直後のCの呼吸数と酸素飽和度はいずれも正常であったと認めることができるのであり,これに加えて,その後のCの呼吸数と酸素飽和度が正常ないしそれに近い値を維持しており,一時的に正常の範囲を外れることがあっても,気道吸引やタッピングなどの処置により,ほぼ正常の範囲に回復していたことをも併せて考慮すると,出生直後のCに上記のとおり軽度の陥没呼吸や末梢のチアノーゼがあったことを前提としても,その当時のCが気管内挿管や酸素投与などの処置を要するような低酸素状態に陥っていたものとは認めることができず,その他これを認めるに足りる証拠はない。

なお,上掲田村正徳執筆の「ハイリスク新生児小児科医と産科医のための当直マニュアル」と題する書籍(甲第15号証)には,陥没呼吸がある新生児が高度異常児に該当し,直ちにNICUなどへの搬送が必要であるとする記載がある。しかし,同書籍は,新生児の多様なリスク要素を列挙した上,そのリスクの程度に応じて,高度異常児(直ちにNICUなどへの搬送が必要な児),中等異常児(小児科医による検査や治療が必要な児),要経過観察児(モニターや反復検査で異常が認められれば,小児科医への紹介が必要な児)の3群に分類したものであって,その記載の内容からして,各リスク要素の摘示やその分類は,一般的かつ典型的な症状の発現を前提とするものと考えられるのであるから,同書籍において,陥没呼吸が高度異常児(直ちにNICUなどへの搬送が必要な児)に分類されるリスク要素に挙げられているからといって,上記のとおり軽度の陥没呼吸の症状を呈していたにすぎないCを,直ちにNICUに搬送すべきであったとまで認めることはできない。

(5)  バビンスキー反射

原告らは,出生直後のCにバビンスキー反射が消失していたことが,Cの中枢神経の異常を認識すべき症状の一つである旨主張するところ,鈴木正二発行の「南山堂医学大辞典」(甲第12号証)によれば,バビンスキー反射とは,足底の外側部を針やハンマーの柄などでかかとから足指の方へこすり上げた時に生じる,足母指が背屈し,しばしば他の足指が扇を広げた時のように開く反射をいうのであって,神経発育の未熟な乳児期にはこの反射が正常に見られることが認められる。

しかるところ,本件ビデオテープ(甲第1号証),証人Eの証言及び被告代表者尋問の結果によれば,被告医院においてD医師や看護師らが,Cの呼吸の安定を図るために,その足底に刺激を与えていたことは認められるものの,その刺激の与え方が,バビンスキー反射を生じさせ得るようなものであったことを認めるに足りる証拠はなく,そうであれば,本件ビデオテープ中のCの様子に,バビンスキー反射が生じた時と同様の反応(足母指の背屈や,他の足指が扇状に開くなどの反応)が認められないとしても,そのことをもって,Cにつきバビンスキー反射が消失していたということはできないから,上記原告らの主張は,その前提を欠くものといわざるを得ない。

(6)  結論

原告らは,出生時又は出生直後のCが,低酸素性虚血性脳症に陥っていたことが認められ,また,重度の新生児仮死の状態であったことが明らかであるから,D医師は,出生直後のかかる状況を的確に認識判断し,Cに脳室内出血その他の脳疾患が生じていることを疑って,直ちに,Cを,NICUを有する高度新生児施設に転送すべき注意義務を負っていたと主張する。

しかしながら,上記のとおり,D医師がCに脳室内出血その他の脳疾患が生じていることを疑うべき根拠として原告らが主張するような,Cの出生直後ないし5分後のアプガースコアが6点以下で,Cが新生児仮死の状態にあったこと,Cが低酸素性虚血性脳症に陥っていたこと(少なくとも,Cが低酸素性虚血性脳症に陥っているものとD医師が疑い得たこと)及びCがけいれんを起こしていたことはいずれも認められず,また,出生直後のCが,気管支挿管等の処置を必要とするような異常な呼吸状態にあったことやバビンスキー反射消失の異常があったことも認めることができない。

そうすると,上記1の(1)のオのとおり,客観的には,Cは,出生時までに脳室内出血を起こしていたものとしても,出生時又は出生直後のCの状態に関して,D医師がCに脳室内出血その他の脳疾患が生じていることを疑うべき根拠があったということはできないから,D医師に,直ちに,Cを,NICUを有する高度新生児施設に転送すべき注意義務があったと認めることはできない。

4  争点2(D医師に,Cを保育器に収容した後,本件転送より早い時点で,Cを高度新生児施設に転送すべき注意義務があったか否か)について

(1)  振戦の持続,増強とけいれん

ア 原告らは,Cが仮に出生直後にけいれんでなかったとしても,その後,Cの振戦が持続し,増強していった時点でけいれんと判断でき,脳室内出血などの脳疾患の存在を疑うこともできたと主張しているところ,確かに,脳室内出血の病態(上記2の(4))からすれば,出生直後のCにけいれんが生じていなくとも,脳室内出血の進行と悪化に伴って,本件転送の時期よりも前に,Cにけいれんと判断し得る,あるいはそう疑い得る症状が現れていた可能性も直ちには排除できない。

イ 振戦の持続

被告医院において,Cには7月5日午後2時38分の出生の直後に振戦があったほか,同日午後3時ころと午後5時ころの各時点でも振戦が認められ,その後,翌6日午前1時20分ころには,振戦が増大していることが認められたことは,上記1の(2)のア,ウのとおりであるから,Cには,出生直後から本件転送の時期まで,振戦が発現する状態が継続していたことが認められる。

しかるところ,原告らは,生理的な振戦は数十分で落ち着くものであり,それ以上に継続し,増強してきたCの振戦は,単なる生理的な振戦ではなく,けいれんと考えるべきであったと主張しており,G医師の意見書(甲第35号証)には,生理的な振戦は数十分から数時間程度であり,それ以上に持続する振戦は異常である旨,原告らの主張に沿う記載がある。

しかしながら,G医師の上記意見を裏付ける文献等の的確な証拠はなく,却って,清水正樹及び大野勉による「新生児脳障害」と題する論文(甲第2号証)に,四肢の振戦は,基礎疾患がないことが確認されれば経過観察をするとの記載があり,また,上掲田村正徳執筆の「ハイリスク新生児小児科医と産科医のための当直マニュアル」と題する書籍(甲第15号証)においても,振戦のある新生児が要経過観察児に当たるとされ,モニターや反復検査で異常が認められた場合に小児科医への紹介が必要であるとされているに止まることと,証人Eの証言中に,新生児の振戦が正常でも24時間ないし48時間続く場合もあるとの供述部分がある(反訳書32頁)こととを併せ考えれば,新生児の振戦が数時間以上継続しても,直ちに異常なこととはいえないものと認められる。

加えて,上記3の(3)のとおり,けいれんは刺激などの誘因なく発症することが認められるが,少なくとも,上記7月5日午後3時ころの振戦に関しては,刺激を与えたときのみに生ずるとされ,さらに,同日午後5時ころ及び翌6日午前1時20分ころの振戦についても,タッピングや気道吸引の処置又は血糖値測定の実施と同時に生じたことは,上記1の(2)のウ,エのとおりであって,Cの振戦が何らの刺激がない状態で継続していたものであるとも認め難い。

そうすると,Cに,出生直後から本件転送の時点まで,振戦が発現する状態が継続していたからといって,D医師が,そのことから,Cにけいれんが生じ,又はそれを疑うべき異常な状態にあると判断すべきであったということはできない。

ウ 振戦の増強

原告らは,被告医院において,Cの振戦が増強していったのであるから,その振戦が増強した時点で,D医師が,Cの振戦をけいれんと判断できるようになったと主張するところ,確かに,上記1の(2)のウのとおり,7月6日午前1時20分ころには,Cの振戦が増大していることが認められている。

しかしながら,本件新生児看護記録(乙第1号証の2-4頁)には,被告医院において,Cに,7月5日の午後2時38分の出生直後に振戦があったこと,同日午後3時ころ及び午後5時ころの各時点にも振戦が認められたこと,翌6日午前1時20分ころに振戦が増大していたことを示す記載はあるものの,Cの振戦が経時的に増強していったことを示す記載はなく,却って,本件新生児看護記録の7月5日の午後6時45分,午後7時10分,午後8時15分,午後21時,午後22時20分,午後23時05分,翌6日午前0時10分の欄に,Cの振戦に関する記載が全くないことからすれば,その間,特にCの振戦が増大していなかったと考えるのが自然であり,被告代表者尋問におけるD医師の,Cの振戦が強まってきたのは7月6日午前1時ころからであるとする供述(反訳書34頁)は,これを裏付けるものということができる。

加えて,証人Eの証言(反訳書30頁)によれば,新生児の脳室内出血では,無症状の時間が長くて,あるとき突然症状が現れるのが特徴であることが認められ,この事実と上記本件新生児看護記録の記載とを併せ考えれば,Cの出生直後から翌6日午前1時ころまでの間は,Cの振戦が特に増強していなかった可能性が高いというべきであって,Cの振戦が経時的に増強していったことを前提とする原告らの主張は,その前提を欠くものといわざるを得ない。

(2)  Cの呼吸状態

保育器に収容された後のCに,7月5日午後5時ころから喘鳴が認められ,また,Cの酸素飽和度は,同日午後5時ころに92パーセント,午後7時10分ころには86パーセント台に低下し,その後も,同日午後9時ころには73パーセント,同日午後11時05分ころには88パーセントとそれぞれ低下が認められたことは,上記1の(2)のウのとおりであり,さらに,Cは,小児医療センターに入院した後の7月6日午前3時30分ころ,無呼吸の症状を呈し,酸素飽和度が低下したため,気管内挿管の処置を受けたことは,上記1の(3)のアのとおりである。

K内科医院のK医師が作成した2通の意見書(甲第34,第36号証)及びG意見書(甲第35号証)には,これらのCの症状から,Cのけいれんあるいは脳室内出血などの脳内の異常を疑い,Cを早期に転送すべきであったとの趣旨の記載部分がある。

しかしながら,まず,喘鳴については,被告代表者尋問の結果(反訳書18頁)によれば,気道に分泌物が溜まるなどの気道の障害によって生ずるものであることが認められ,けいれんや脳室内出血の症状として喘鳴が生ずることが記載された文献等も見当たらないことに照らし,けいれんや脳室内出血によって直接に喘鳴が生ずるものとは認め難い。

次に,酸素飽和度の低下については,上掲小川雄之亮ほか編著の「新生児学第2版」と題する書籍(甲第13号証)及び武谷雄二総編集の「新女性医学大系31新生児とその異常」と題する書籍(甲第17号証)によれば,けいれんや脳室内出血の中枢神経症状として呼吸抑制や無呼吸が生じ得ることが認められるから,その中枢神経症状の結果として,児の酸素飽和度が低下する可能性が考えられなくはない。

しかしながら,上記1の(2)のウの認定事実によれば,Cの酸素飽和度は,出生以後同日午後3時ころまでは正常値(93パーセント以上が正常値と推認されることは,上記3の(4)のとおりである。)を示していたが,午後5時ころ,午後7時10分ころ,午後9時ころ,午後11時05分ころにそれぞれ正常値以下に低下していたこと,他方,Cの喘鳴が生じ始めたのも午後5時ころであり,酸素飽和度の低下が認められた上記各時刻においては,いずれも同時に喘鳴が認められているのみならず,Cに対し気道吸引やタッピングなどの気道内の分泌物を取り除く処置を施行することによって,酸素飽和度もほぼ正常の範囲に回復していること,翌6日午前0時10分ころと午前1時20分ころにはいずれも喘鳴がなく,酸素飽和度は99パーセントであったことが認められる。このように,Cの酸素飽和度の低下と喘鳴の発現とが,相関関係を有していることは明らかであるところ,このことと,上記のとおり,7月6日午前0時10分ころと午前1時20分ころ(Cが被告医院にいた間では,その脳室内出血が最も進展していたはずの時期である。)の酸素飽和度が99パーセントであったこととを併せ考えれば,被告医院におけるCの酸素飽和度の低下は,けいれんや脳室内出血による中枢神経症状の結果として生じていたものではなく,喘鳴を伴う気道の障害によって生じていたものと考えるのが相当である。

そうであるとすれば,D医師が,Cの喘鳴や酸素飽和度の低下の症状から,直ちにけいれんや脳室内出血を疑わず,タッピングや気道吸引を実施して,酸素飽和度の回復を図ったに止まったからといって,そのことが医師としての注意義務に反したものであったということはできない。

なお,甲第26,第27号証,乙第4号証の1によれば,Cが小児医療センターに入院した後の7月6日午前3時30分ころ,無呼吸の症状を呈し,酸素飽和度が低下したのは,同日午前2時55分ないし58分ころに投与された「セルシン」と「ワコビタール」(抗けいれん剤,鎮静剤)による呼吸抑制の結果と認められるから,上記の入院後の無呼吸症状と酸素飽和度の低下の事実から,遡って被告医院における酸素飽和度の低下がけいれんや脳室内出血の徴候であったということもできない。

(3)  血糖測定及びCRP検査の実施

D医師が,出生後のCの状態から,低血糖や感染症の可能性を疑い,Cの出生後の7月5日午後3時30分ころから本件転送前の7月6日午前1時20分ころまでの間に,3回の血糖値測定と2回のCRP検査を実施したが,いずれも正常値であったことは,上記1の(2)のエのとおりである。そして,けいれんの主な原因には,脳室内出血や低血糖,感染症などが挙げられている(上記2の(3)のア)ところ,D医師は,Cの状態から低血糖や感染症を疑って検査を実施し,その検査の結果により低血糖や感染症の可能性が除外されたのであるから,その時点で,D医師は,Cの脳室内出血の存在を疑うことができたのではないかという疑問が生じないでもない。

しかしながら,本件転送以前にCにけいれんが生じていたと認め得ないことは,上記(1)のとおりである。そして,甲第2,第21号証,証人Eの証言によれば,けいれんのみならず,けいれん性でない振戦であっても,低血糖や感染症がその原因となることが,また,被告代表者尋問の結果(反訳書13頁)及び弁論の全趣旨によれば,D医師が,Cの低血糖や感染症を疑ったのは,Cにけいれん性でない振戦があると判断したためであることが,それぞれ認められる。そうであれば,脳室内出血が,低血糖や感染症と並んで,けいれんの主な原因として挙げられており,かつ,低血糖と感染症の可能性が除外されたからといって,それが,D医師がCの脳室内出血を疑うべき理由となるものではない。

また,原寿郎編集の「看護のための最新医学講座14 新生児・小児科疾患」と題する書籍(甲第25号証)には,新生児の低血糖で見られる症状は,頭蓋内出血の場合にも同様に見られるとの記載があり,これによれば,Cの低血糖を疑ったD医師は,同様に頭蓋内出血をも疑うべきであったのではないかという疑問が生じないでもない。しかしながら,上記甲第25号証には,低血糖の症状として「特異的なものではなく,中枢神経から循環不全症状まで多彩であり」と記載されているのみであって,低血糖と頭蓋内出血の共通の症状が何ら特定摘示されているわけではなく,このことを併せ考えると,上記のような場合に,D医師が頭蓋内出血をも疑うべきであったとすることは,畢竟,非特異的かつ多彩な症状の一端から低血糖を疑い得る場合には,常に同時に脳室内出血をも疑わなければならないとすることを意味し,相当ということはできない。

(4)  哺乳の障害

Cが,7月5日の出生直後に,原告Bの乳首をくわえず,哺乳することができなかったこと,同日午後10時20分ころと翌6日午前0時10分ころに,糖水を飲まなかったことは,上記1の(2)のア,ウのとおりである。

しかしながら,証人Eの証言及び弁論の全趣旨によれば,哺乳障害は重篤な神経障害の存在の可能性を示す徴候の一つであり,他の症状の出現と併せて,新生児の障害の存否を検討する要素ではあるが,出生直後の児が哺乳できないこと自体は珍しいことではないから,それが哺乳障害であるのかどうかを見極めることが必要であることが認められる。

そして,D医師が認識し得たCが哺乳できない時間は,最大でもその出生から本件転送までの12時間足らずにすぎないから,その間に,Cに哺乳障害があるとD医師が判断し得るとは到底考えられず,したがって,D医師が,Cの哺乳障害を理由として,Cを高度新生児施設に転送する義務があったとまでいうことはできない。

(5)  小児医療センター入院時の診断

ア Cが小児医療センターに入院した際,Cを診察したF医師は,Cに,全身色不良,末梢の軽度のチアノーゼ,筋緊張の亢進,硬直,振戦,眼球固定,対光反射減弱などの症状を認めて,けいれんと診断したことは,上記1の(3)のアのとおりであるところ,原告らは,このように,Cが小児医療センターに入院した時点でけいれんと診断されたのであるから,被告医院においてもけいれんが発現していたはずであると主張する。

しかしながら,脳室内出血は,重症度Ⅰ度又はⅡ度の軽度の出血では無症状のことが多いが,出血が多量のときは,けいれん等の症状が見られることは,上記2の(4)のとおりであり,このことに,上掲原寿郎編集の「看護のための最新医学講座14 新生児・小児科疾患」と題する書籍(甲第25号証)に,新生児けいれんの病因による好発時期として,成熟児の脳室内出血によるものが出生後24時間以内,脳室内出血によるものが出生後24時間から72時間までの間とする記載があること,証人Eの証言中に,新生児の脳室内出血では,無症状の時間が長くて,あるとき突然症状が現れるのが特徴であるとする供述(反訳書30頁)があることを併せ考えると,出生時あるいはその後のある時点までけいれんを発症していなかった新生児が,その後,脳室内出血の進展とともに,少なくとも出生後72時間までの間に新たにけいれんを発症することも十分にあり得るものと推認される。

そうであるとすれば,小児医療センターに入院した時点で,Cがその振戦などの症状からけいれんと診断されたからといって,本件転送よりも早い時期に遡り,Cが,被告医院においてけいれんと診断し得るような症状を呈していたものと即断することはできないのであって,この点でD医師の注意義務違反を認めることはできない。

イ なお,本件転送の際,D医師が小児医療センターまでCに付き添ったことは,上記1の(2)のオのとおりであるところ,D医師は,被告代表者尋問において,被告医院にいた時点と小児医療センターに到着した時点とで,Cの状態が大きく変化したようには見えなかった旨供述する(反訳書38頁)。そして,このようなD医師の供述を前提とする限り,振戦の増強が認められた7月6日午前1時ころのCの状態,あるいは少なくとも本件転送直前のCの状態が,客観的にはけいれんと判断され得る程度のものであったと考える余地がないわけではなく,そうであるとすれば,その時点でCのけいれんを疑わなかったD医師(上記1の(2)のオ)には,医師としての注意義務に反する過失があったとの疑いも全くないわけではない。

しかしながら,仮に,Cのけいれんの症状を見逃したことにつき,D医師に過失があったとしても,その時点は,振戦の増強が認められた7月6日午前1時ころ以前には遡らないというべきであり,D医師による本件転送の決定より精々1時間早い程度にすぎない。このことに,脳室内出血は,その出血を緊急に止める手だてがなく,数時間の転送時期の違いが児の予後に影響することは考えにくいとの証人Eの証言(反訳書11,12頁)をも併せ考慮すれば,Cの転送が本件転送より1時間程度早かったからといって,Cがその死亡の時点においてなお生存していたとの高度の蓋然性がないことはもとより,相当程度の可能性があったとも認めることはできないのであって,そうである以上,本件における因果関係の存在や可能性侵害を主張する原告らの主張はいずれも失当である(最高裁平成17年(受)第715号同年12月8日第一小法廷判決・裁判所時報第1401号参照)。

(6)  結論

原告らは,本件転送よりも早い時点で,Cの振戦が持続し,あるいはそれが増強していったのであるから,その時点で,Cの脳室内出血を疑って,高度新生児施設に転送すべきであったと主張するが,上記(1)のイのとおり,Cの振戦が持続していたからといって,D医師がそれだけでCを高度新生児施設に転送すべき義務を負ったものといえないし,上記(1)のウのとおり,被告医院においてCの振戦が経時的に増強していったことを認めることもできない。また,上記(2)ないし(4)のとおり,Cに喘鳴やそれに伴う酸素飽和度の低下があったこと,Cの低血糖や感染症が否定されたこと及びCが原告Bの乳首をくわえず,糖水も飲まなかったこと等により,Cの脳室内出血を疑って高度新生児施設に転送すべきであったともいえない。

したがって,D医師が,Cを保育器に収容した以後に,本件転送より早い時点で,Cの脳室内出血を疑うことをせず,高度新生児施設に転送をしなかったことが,医師に課された注意義務に違反したものであるとは認めることができない。

5  結語

以上によれば,その余の争点につき判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法65条1項本文,61条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石原直樹 裁判官 近藤昌昭 裁判官 足立拓人)

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