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さいたま地方裁判所 平成15年(行ウ)37号 判決 2006年11月29日

主文

1  被告が原告に対して平成14年10月2日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を不支給とする旨の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文と同旨。

第2事案の概要

1  事案の要旨

原告の夫であり,日研化学株式会社(以下「日研化学」という。)の大宮工場に勤務する同社の従業員であったA(以下「A」又は「亡A」ということがある。)は,平成9年11月26日,日研化学在職中に自殺した。

原告は,亡Aが,日研化学での業務により心理的負担や過労が過度に蓄積したことによってうつ病(以下「本件うつ病」という。)に罹り,その結果,自殺に至ったのであるから,亡Aの死亡は業務上のものであるとして,被告に対し,労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を各請求したところ,被告は,当該各請求に係る亡Aの疾病は労働基準法施行規則35条別表1の2第9号に定める「業務に起因することの明らかな疾病」とは認められないとして原告の各請求につき不支給決定(以下「本件不支給決定」という。)を行った。

本件は,原告が,本件不支給決定を不服として,被告に対し,その取消しを求めた事案である。

2  関係法令等の定め

(1)  労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)は,業務上の事由又は通勤による労働者の負傷,疾病,障害,死亡等に対して迅速かつ公正な保護をするため,必要な保険給付を行い,あわせて,業務上の事由又は通勤により負傷し,又は疾病にかかった労働者の社会復帰の促進,当該労働者及びその遺族の援護,適正な労働条件の確保等を図り,もって労働者の福祉の増進に寄与することを目的とする法律である(同法1条)。

同法は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡(以下「業務災害」という。)に関する保険給付等を行う旨定め(同法7条1項1号),業務災害に関する保険給付として,療養補償給付,休業補償給付等に加えて,遺族補償給付,葬祭料給付等を行うこととしている(同法12条の8第1項,労働基準法79条,80条参照)。

(2)  上記の保険給付は,労働基準法(以下「労基法」という。)75条,79条,80条等に規定する災害補償の事由が生じた場合に,被災労働者若しくは遺族又は葬祭を行う者の請求に基づいて行われる(労災保険法12条の8第2項)。

労基法75条1項は,労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかった場合において,使用者は,その費用で必要な療養を行い,又は必要な療養の費用を負担しなければならない旨定め,同条2項は,業務上の疾病及び療養の範囲を厚生労働省令の定めに委任している。

労働基準法施行規則35条は,上記委任に基づき,業務上の疾病の範囲を同規則別表第1の2に掲げる疾病とする旨定め,別表第1の2において,業務上の疾病として,業務上の負傷に起因する疾病,物理的因子に起因する疾病,身体に過度の負担のかかる作業等に起因する疾病等に加えて,その他業務に起因することの明らかな疾病を挙げている(同表9号)。

(3)  なお,労働者が,故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたとき,政府は保険給付を行わないものとされている(労災保険法12条の2の2第1項)。

3  基本的事実関係(当事者間に争いがない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実。なお,参照の便宜のため,適宜証拠を摘示した。)

(1)  原告及び日研化学について(甲1,乙60,107)

ア 原告は,日研化学大宮工場(以下「大宮工場」という。)に勤務する従業員であった亡Aの妻であり,相続人である。

イ 日研化学は,東京都中央区aに本店を置き,平成16年3月現在従業員954名を擁する企業であり,医薬品事業(点滴液等の医療用薬剤)及び化成品事業(食品素材,医薬品・工業用原料として使用される原材料)について,研究,生産から販売までを一貫して行っている。

日研化学は,研究施設として大宮研究所を,製造工場として大宮工場及び真岡工場を置き,そのほか全国各地に支店,営業所,出張所などを有する株式会社である。大宮工場は,注射剤,内用液剤の生産を行う工場である。

大宮工場は,平成9年4月当時,製造部と管理部に大別され,製造部には製造課,製剤第1課,製剤第2課及び施設課が置かれ,管理部には品質管理課,生産管理課,総合試験室,技術課,業務課及び総務課が置かれていた。

(2)  亡Aの経歴並びに大宮工場製造部及び品質管理課の業務の概要について(乙5,6,17,30,60,61,64,65,79,103ないし107)

ア 亡A(昭和○年○月○日生まれ)は,芝浦工業大学工業化学科を卒業後,昭和43年4月1日に日研化学に入社し,同社大宮工場に配属となった。

亡Aは,同年7月1日,同工場製造部製剤第一課に配属され,同工場生産部第一課主任,同工場製剤第一課主任,同工場製剤第一課係長,同工場製造部製剤第一課係長,同工場製造部製造課係長などを経て,平成5年3月1日,同工場管理部品質管理課(同課係長)に異動になった。

亡Aは,平成7年4月,品質管理責任者代行に選任された後,平成8年10月1日,品質管理責任者に選任された。品質管理責任者は,薬事法に基づく「医薬品の製造管理及び品質管理規則」(平成11年3月「医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理規則」並びに平成16年12月「医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令」による改正前のもの。平成6年厚生省令第3号。以下「GMP」という。)により,医薬品製造者に対し選任が求められる役職の1つであり,医薬品製造管理者のもとに,製造管理責任者と並んでおかれる。その業務は,原料,製品及び資材について,製造期間・製造工程等ごとに必要な検体を採取し,その試験検査及び結果の判定を行い,その結果を医薬品製造管理者及び製造管理責任者に文書で報告する等の業務を自ら行い,又は業務の内容に応じて指定した者に行わせることである(GMP8条)。

亡Aは,平成9年4月1日に同課品質管理係長となり,同職に在任中の平成9年11月26日に自殺により死亡した。

イ 亡Aが,昭和43年4月の入社時から平成5年2月まで所属していた大宮工場製造部(組織改訂前は製剤部あるいは生産部)において,製造課はガラス瓶に入れる輸液の製造を,製剤第1課は凍結乾燥品(アンプル品,バイアル品(ゴムキャップ付ガラス瓶))の製造を,製剤第2課は内用液及びプラスチック容器(ボトル型)に入れる薬剤の製造をそれぞれ担当していた。

亡Aが,平成5年3月以降所属していた大宮工場品質管理課は,日研化学大宮工場で製造する製品(薬品)の品質管理を管轄する部門である。

品質管理課は,検査係と品質管理係に大別され,具体的には,①薬品の原料,製品の包材(ダンボール箱,小箱,プラスチック容器等)を工場で受け入れる際に成分数量,寸法等を点検する業務(薬品原料は総合試験室へ検査依頼,ダンボール等については品質管理課で点検),②製品を出荷する場合における製品検査業務,③出荷した製品の一部を一定期間保管する業務,④納品された製品に不具合があり,顧客から苦情が寄せられた場合のクレーム原因の究明とその対策を行う業務,⑤原料から製品を製造する過程で変色,容器の変形及び印刷ミス等のトラブルが発生した場合の対応業務,⑥薬事法に基づき日本薬局方が改正された場合,既存の製品,原料等に関する社内規格書を改訂する業務などを行う。

上記のうち,平成8,9年当時,亡Aの担当していた主な業務は,上記のうち,①②③⑤⑥の業務の一部で,ダンボール箱の包材検査業務,製品検査業務,参考品管理業務,トラブルが発生した場合の対応業務,規格書改訂業務である。

(3)  品質管理課における人員構成の推移(甲14,乙57,58,80,90)

平成7年4月1日から平成9年11月26日までの品質管理課の人員構成の推移は以下のとおりである。

平成7年4月1日から同年5月1日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職3名  計9名

平成7年5月2日から同年7月31日まで

課長1名,係長5名,主任1名,一般職3名  計10名

平成7年8月1日から同年11月20日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職3名  計9名

平成7年11月20日から平成8年3月31日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職2名  計8名

平成8年4月1日から同年9月12日まで

課長1名,係長4名,主任3名,一般職1名  計9名

平成8年9月13日から同月30日まで

係長4名,主任3名,一般職1名  計8名

(B課長は,平成9年3月31日まで品質管理課の配属とされていたが,平成8年9月12日に入院し,その後現実には稼働していないので,同月13日以降,人員構成から除いた。)

平成8年10月1日から平成9年3月31日まで

参預1名,係長3名,主任3名,一般職1名  計8名

この期間は,内部的にはC参預が,外部的にはD管理部長が課長の職務を代行することとなっていた。

平成9年4月1日から亡A死亡の同年11月26日まで

課長1名,係長3名,主任4名  計8名

E課長が平成9年4月1日着任した。

(4)  亡Aの労働時間について(乙13,18,19,75,84,85,96)

ア 日研化学大宮工場の労働時間,休日

平成8年3月11日から平成9年4月10日までの所定労働時間は,午前8時30分から午後4時40分までで,うち休憩時間が午後0時10分から午後1時までであるから,実働時間は7時間20分である。

平成9年4月11日から平成9年11月26日までの所定労働時間は,午前8時30分から午後4時50分までで,うち休憩時間が午後0時10分から午後1時までであるから,実働時間は7時間30分である。

大宮工場の所定休日は,土曜日,日曜日及び国民の祝日である。

イ 36協定

日研化学と日研化学労働組合との時間外労働・休日労働に関する協定(通称36協定)においては,1日当たりで延長することのできる時間(時間外労働時間)につき,本来法定の8時間を超えて協定すれば足りるところ,所定労働時間(7時間20分又は7時間30分)を超えて労働する時間外労働時間数をもって協定内容として届け出ている。

ウ 時間外労働時間

平成8年から9年当時,時間外労働時間については,品質管理課員の名前を書いた表に各自が時間外労働時間を記入して申告する方法がとられていた。

エ 亡Aの時間外労働及び休日出勤の状況

亡Aの平成8年5月以降のタイムカード打刻時間,有給等,タイムカードに基づく拘束時間,勤務台帳に基づく労働時間については,別紙1の表記載のとおりである。なお,同表の各月の期間は,賃金締切日(毎月10日)に合わせて,前月11日から当月10日として作成してある。

(5)  亡Aの株取引,家庭環境,身体症状等について

ア 亡Aの株取引,財産関係について(甲60ないし63,80,乙92ないし95,111ないし115,125,原告本人尋問,F証言)

亡Aは,長年趣味として株取引を行ってきた。

亡Aの株取引の状況であるが,平成6年6月から平成7年末までの株取引については,利益合計216万5197円,損失合計323万2068円で,損益収支結果としては,106万6871円の損失であった。

平成8年1月から平成9年3月までの株取引については,利益合計122万5256円,損失合計1029万2225円であり,損益収支結果としては,906万6969円の損失であった。個別銘柄の取引において,亡Aは,平成8年12月19日に売却したアイ・ジー・エス(損失約159万円),平成9年2月10日に売却したガジョエンカンコウ(損失約192万円)及び同年3月12日に売却したアイ・ジー・エス(損失約449万円)の売買で1回当たり100万円以上の損失を被った。

平成9年4月1日から同年11月までの株取引については,利益合計99万4916円,損失合計18万7511円であり,損益収支結果としては,80万7405円の利益であった。

平成9年の亡Aの年収は,約790万円であった(ただし,平成9年11月26日までの収入で年末賞与を含まないものと推認される。)。また,同年の原告の年収は約938万円,平成8年の亡Aの長男Fの年収は,約388万円であった。

亡Aの遺産のうち,資産は,昭和54年に購入した自宅マンション及び預金と株等の合計約447万円相当であった。他方,債務は,亡Aが株取引に使用した口座であるあさひ銀行口座に約365万円の債務残高(ただし,亡A死亡後の平成10年6月22日時点)があり,これを担保するため自宅マンションに極度額550万円の根抵当権が付されていた。

亡Aは,昭和58年,実父の死亡に伴い現金1000万円を相続し,この金銭の一部を株取引の原資に充てていた。

原告は,亡Aの株取引の詳細を知らず,また,原告と亡Aは,互いの預金額等を知らなかった。

イ 亡Aの家庭環境(甲1,19,20,63,64,乙41,97,98,原告本人尋問)

亡Aは,昭和47年3月11日,原告(昭和○年○月○日生まれ)と婚姻した。原告は,結婚当時から教師であったが,平成8,9年当時は,公立養護学校の教諭をしていた。

亡Aと原告の間には,昭和○年○月○日に長男Fが,昭和○年○月○日に長女Gが生まれた。亡Aは,子供との時間を大切にする父親であった。

そして,昭和54年4月からさいたま市内の自宅マンションに家族4人で生活し,亡Aの死亡当時まで同居生活を続けていた。

長男Fは,平成7年4月,渋谷区の特別養護老人ホームで働き始めた。長女Gには,平成9年当時,婚約者がおり,そこに外泊しがちであった。そして,Gは,亡A死亡の約2年半後,当該婚約者と結婚した。

ウ 亡Aの身体症状

(ア) 腰痛,右膝関節炎(甲25,26,乙53)

亡Aは,長年腰痛を患っており,平成5年2月,腰椎椎間板ヘルニアと診断され,以後継続的に医療法人ベテル会与野整形外科医院及び医療法人聖仁会西部総合病院で受診していた。

また,亡Aは,平成9年10月,右膝関節炎を訴え,上記与野整形外科医院に通院している。

(イ) 陳旧性脳梗塞(甲24,乙55,124,126)

亡Aは,平成8年10月31日,埼玉精神神経センター神経内科で実施した頭部MRI検査により陳旧性脳梗塞(脳梗塞のうち,発症後長時間が経過したもの)との診断を受けた。

(ウ) 左声帯麻痺,全身倦怠感等(甲23,乙22,118)

亡Aは,平成8年10月31日及び同年11月19日,左声帯麻痺等の症状を訴え,大宮赤十字病院へ通院している。

(エ) 皮膚のかゆみ,胃の不調等(甲26ないし28)

亡Aは,平成9年3月28日,同年9月27日及び同年10月4日,皮膚のかゆみを訴え,伊藤医院に通院している。

また,亡Aは,平成9年4月5日,山田眼科医院で眼精疲労の診断を受けた。

亡Aは,同年5月31日,胃の不調を訴え,西部病院に通院している。なお,亡Aは,平成5年,胃の切除の手術を受けている。

(オ) 睡眠障害(甲19,20,原告本人尋問)

亡Aは,平成9年5月ないし7月ころから,不眠を訴えるようになった。

エ 亡Aの喫煙,飲酒状況等(甲19,26,64,乙45,原告本人尋問,F証言)

亡Aには喫煙の習慣があり,平成8年3月ころには,1日に40本吸っているのを減らすように医師から指導されている。その後,亡Aが喫煙量を減らしたかは明らかでないが,平成9年9月ころ,亡Aの喫煙量は,それ以前の時期と比較して増えた。

また,亡Aは,元来アルコールに強くはなかったが,平成9年9月ころから飲酒量が増え,以前にはしなかった晩酌をするようになり,同年11月ころには,就寝前にビール,焼酎やウイスキーの水割りを飲むようになった。

(6)  亡Aの自殺

亡Aは,平成9年11月25日,会社を無断欠勤し,朝早く自宅を出て,深夜に帰宅した。

そして,亡Aは,同月26日の午前2時ころ(推定),自宅6畳間において自ら両手首,頸部を包丁で切るなどし,出血多量で死亡した(乙30)。

(7)  本件訴訟に至る経緯について

原告は,平成11年11月22日,被告(当時は大宮労働基準監督署長)に対し,労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の各請求をしたところ,被告は,平成14年10月2日,亡Aの死亡は,労働基準法施行規則35条別表1の2第9号に定める「業務に起因することの明らかな疾病」とは認められないとして,本件不支給決定をした。

原告は,平成14年11月25日,埼玉労働者災害補償保険審査官に対し,本件不支給決定の取消しを求めて審査請求をしたが,同審査官は,平成15年3月25日,上記審査請求を棄却する旨の決定をした。原告は,平成15年5月12日,労働保険審査会会長に対し,再審査請求をしたが,3か月経っても裁決がなされなかった(なお,労働保険審査会は,平成17年5月11日,同請求を棄却した)。

そこで,原告は,平成15年9月26日,本件訴えを提起した。

4  争点

(1)  本件不支給処分に手続上の違法があるか。

(原告の主張)

本件不支給決定をするに当たって,被告は,担当者の不適切な処理によって,原告代理人提出の資料の一部を判断資料としていないという手続上の違法がある。

(被告の主張)

被告は,原告代理人から提出されたすべての資料を基礎資料にして本件不支給決定をした。また,埼玉労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会は,原告代理人から提出された資料の一部を参考にすることなく意見を提出しているが,かかる事実は,本件不支給決定の適法性に影響を与えない。

(2)  本件自殺は,業務に起因することが明らかな疾病によるものか。

(原告の主張)

ア 業務起因性の判断基準

労働補償制度は,被災者及びその遺族の生活保障を主たる目的として設けられた制度である。名古屋地裁トヨタ自動車社員行政訴訟判決(平成13年6月18日・判例時報1749号117頁)は,「労基法及び労災保険法による労働災害補償制度の趣旨は,労働に伴う災害が生ずる危険性を有する業務に従事する労働者について,その業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害が生じた場合に,使用者の過失の有無にかかわらず,被災労働者の損害を補填するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を保障するところに求められる。」旨判示している。

この趣旨・目的に照らして考えると,労災認定に当たっては,業務上の過労・ストレスによる心身への負荷が被災者の発病・死亡の原因の1つとなっていれば足りると解すべきである。

労働省労働基準局通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(平成11年 9月14日付け基発544号)(以下「判断指針」という。)は,相対的有力原因説や平均人基準説に固執し,また業務による心理的負荷の多くの項目を形式的に類型化することにより,被災者の受けた心身の負荷を過少に評価して,多数の事案を業務外決定に導いている。さらに,判断基準は,時間外労働につき明確な基準を示さず,結果として長時間労働事案について業務外決定を導くことが多い。加えて,同基準については,厚生労働省による「いじめ」等による心理的負荷を重視すべき旨の報告等に基づく適時な改正が行われていない。

したがって,精神障害を原因とする自殺事件の労災認定に当たっては,判断指針にとらわれることなく,労災保険法の趣旨に基づき被災者の業務による心身の負荷と被災者の自殺との因果関係の有無が判断されるべきである。この場合,上記のように業務上の負荷が被災者の自殺の原因の1つとなっていれば,相当因果関係があると評価し,労災と判断すべきである。また,業務上の負荷があったか否かは,いわゆる平均的労働者を基準にするのではなく,被災者を基準にするのが,労災保険法の趣旨に合致する。すなわち,ある業に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものではない限り,それらの個体的要因を因果関係を否定する要因として評価すべきではない。

イ 本件における業務起因性

(ア) 亡Aの担当業務に関する事実経過

a 亡Aは,日研化学に入社後,製造部での勤務が長かったが,その業務はチームで行われるものが主であり,早朝の時間外出勤や残業もほとんどなかった。そして,亡Aは,平成5年3月,品質管理課に異動した後,当初は,主に検査係の業務を行っていた。

品質管理課においては,平成6年以降,経験豊富な課員が3名退職し,補充はあったものの,人数の面でも,経験の面でも退職者の穴を埋めるに至らず人手不足の状態になっていた。そのような状況下,B品質管理課長が,平成8年9月12日,心臓発作で倒れ,経験豊富なH品質管理課検査係長が,同月末,定年退職した。

他方,品質管理課の業務は,品質管理をめぐる市場の状況を受けて年々厳しくなっていた。

b B課長は,倒れた当時,品質管理責任者であったが,その後任として,亡Aが,同年10月1日,品質管理責任者に選任された。また,亡Aは,同日以降,B課長が兼任していた品質管理係長の職務を実質的に行うこととなった(正式な辞令は平成9年4月1日付)。

c B課長の休職から半年間,品質管理課は,正規の課長が空席の状況で業務を続けていたが,平成9年4月,品質管理課の新しい課長として,Eが任命された。ところが,E課長は,それ以前から大宮工場の製造管理者であり,GMP関連の業務を行っていたことから,品質管理課長の辞令が出た後も,製造管理者としてGMP関連の業務を行うため多忙であり,品質管理課長の職務に専念できない状況にあった。また,E課長は,歴代の品質管理課長が就いていた品質管理責任者には就任せず,品質管理責任者は,亡Aのままであった。

d 亡Aは,品質管理責任者に就任したが,亡Aに品質管理の業務の知識経験がなかったこと,亡Aは管理職ではなかったので何らの権限もなく,品質管理課の課員の協力を得られにくかったこと等の理由から,品質管理責任者の職務を十分に果たすことができずにいた。特に,亡Aは,現場でトラブルが起きて判断を求められたときに,適切な判断や処置をすることができないことが度々あり,現場から亡Aの対応について批判が頻出した。また,このように現場で亡Aが適切な処理ができなかったために,現場の人間が亡A以外の品質管理係の係員を改めて呼んで処理を頼むという事態にもなった。こうして改めて現場に呼ばれてしまった品質管理係の係員も亡Aを強く批判するようになった。特に,品質管理係のIは,年下であるにもかかわらず,かなり強い口調で亡Aを度々批判,非難した。

e このように,課の内外から亡Aが批判されていたので,品質管理課の亡Aの同僚のJは,その個人的好意や心配から,亡Aのために勉強会をすることにした。Jとの勉強会は,平成9年9月17日から開始され,その内容は,製品の欠点分類と出荷基準の判断であった。なぜなら,亡Aは,こういった分類や判断基準を知らなかったので,現場で適切な処置ができなかったからである。欠点の分類は,5段階に分かれており,また,包材の種類は,検査の対象となるものだけでも約120種類あった。出荷基準についても,欠点のある製品を出荷してよいかどうかの基準は,包材ごと,欠点分類により異なるものであった。

2人が行った勉強会は,平成9年9月17日から同年11月7日までであった。Jは,当初勉強会を3か月間行う予定であったが,亡Aの仕事が忙しくなったので,2か月程度でやめることになった。この間,勉強会はほとんど毎日のように行われた。

f 亡Aの仕事が忙しくなったのは,そのころ,亡Aが平成8年の日本薬局方13次改正に伴う医薬品の社内規格の改定作業を1人で行っていたからであった。この作業は,本来の期限(平成9年9月末)に間に合わせるための準備が遅れてしまっており,急いで完成させなければならない状態にあった。しかし,会社での業務時間中は多忙で,上記作業の時間がとれないこともあって,規格改定を早く完成させなければならないという重圧は,品質管理責任者の職務の過重性に苦しんでいた亡Aにとって大きな負担になっていた。しかも,平成9年9月17日からは,Jとの勉強会もあったので,亡Aは,そのころから,規格改定等の業務を自宅に持ち帰って行うようになった。

g 亡Aの自宅作業は,平成9年9月中旬ころから,死亡する直前の同年11月24日深夜まで続いた。同月26日には,大宮工場において,日研化学本社からの内部査察(自己点検)が予定されており,亡Aは,そのときまでに規格改定作業を完成させなければならなかった。

また,亡Aは,このころ,長時間の時間外労働を行っていた。亡Aは,朝6時台ないし7時過ぎころに自宅を出るようになり,短いときでも30分ほど,長いときで約1時間半の朝の時間外労働を行っていた。

亡Aは,就業時間以降も,恒常的に残業をしていた。平成9年9月17日から同年11月7日までは,Jとの勉強会を行っており,同勉強会は,早く終わるときで夜8時まで,遅いときは夜10時まで行われた。また,勉強会の期間以外でも,亡Aは少なくとも毎日3時間程度は恒常的に残業をしていた。

さらに,亡Aは,自宅での持ち帰り残業を長時間行っていた。亡Aは,平成9年9月中旬以降,連日のように自宅に仕事を持ち帰って残業するようになり,早いときでも夜中の12時過ぎまでは仕事をしていた。亡Aは,同年11月中旬以降,深夜の2時ないし3時になっても仕事を続けていた。加えて,亡Aは,休日にも,自宅にいるときは,ほとんど一日中,ワープロを使って自宅作業をしていた。

h 平成9年11月22日から24日は,3連休の週末であったが,亡Aは,平成9年11月22日,朝から仕事をし,途中外出はしたが,深夜の3時ころまで仕事をしていた。亡Aは,同月23日,法事で朝から外出していたが,夜遅くなって帰宅し,またワープロでの作業を深夜3時ころまで行った。亡Aは,同月24日,朝から仕事をしており,途中外出はしたが,深夜の12時過ぎまで仕事をしていた。この週末の間,亡Aは,しきりに「間に合わない」「もうだめだ」とせっぱ詰まった様子で繰り返していた。

亡Aは,同月25日,朝早く自宅を出て,深夜に帰宅したが,会社を無断欠勤した。

亡Aは,同月26日の午前2時ころ(推定),自宅において自ら命を絶った。

(イ) 業務による心身の負荷

a 品質管理責任者の職務という重責に基づく精神的負荷

亡Aが従事していた大宮工場の品質管理責任者の業務(亡Aが兼任していた品質管理係長の職務も含む)は,亡Aに過重な精神的負荷を与えるものであった。亡Aにかかった精神的負荷は,亡Aが品質管理責任者の職務に従事している1年強の間,蓄積し続けたばかりか,次第に強まっていき,平成9年11月ころ,亡Aにうつ病を発症させるに至った。

品質管理責任者の職務は,法令上重要な職責と定められ,対外的な責任も負う立場であり,業務それ自体の性質として,多大な精神的負担を伴うものである。また,品質管理責任者の言動は,社内的にも重みを持つ。さらに,品質管理責任者は,工程のトラブル発生時の判断意見という,工場中が注視するような重大な決断を行わなければならない。被告は,品質管理責任者の業務は,主に書類に検印し,会議に出席するだけであるのだから,品質管理責任者に就任したことをもって多大な精神的負担があったということはできないと主張する。しかしながら,かかる主張は,法令上定められた品質管理責任者の職責を余りに軽視するものであって失当である。

しかも,亡Aの場合は,B課長の後任として品質管理責任者に就任しているところ,亡Aにはその業務を遂行する上で必要な品質管理業務の知識や経験が不足していた。亡Aは,品質管理責任者就任前は工程のトラブルや製品の不具合があった場合の処置を,品質管理責任者ないし品質管理係に任せればよかったのであるが,就任後は,自ら対応せざるをえなくなった。ところが,亡Aは,トラブル等の際,適切な判断や対応をすることができなかった。そのため,亡Aは,やむを得ず,品質管理課の他の職員に助けを求めることがあった。また,製造現場の職員が,再度品質管理課に連絡を取って,別の課員を呼びだして処理をさせることもあった。このことで,課の内外から亡Aの対応について批判が頻出した。かかる事態は,ただでさえトラブル処理がうまくできず苦慮していた亡Aの面目をますます失わせることになり,亡Aにとってさらなるストレスとなった。

また,亡Aは従前から係長職であり,管理職(課長以上)ではなく,部下に対する査定権限がなかったので,かかる権限を背景に品質管理課員の協力を得ることもできなかった。また,管理職でないことで,亡Aには,ほかの部署の管理職との関係でも対応に苦労が伴った。亡A以前の品質管理責任者は管理職が務めており,同僚も品質管理責任者は管理職が就く職務であると認識していた。

さらに,亡Aが品質管理責任者になったのは,平成8年10月であるが,その後,平成9年3月まで,品質管理課には正式な課長がいなかった。正式な課長が就任した後も,課長は,多忙で,品質管理課の職務に専念できない状況であった。このような状況下,品質管理課の課員の中では給与体系上一番上であり,かつ品質管理責任者である亡Aにかかる負担が否が応でも重くなっていた。被告は,平成8年10月以降,内部的にはC参預が,外部的にはD管理部長が課長の職務を代行していた旨主張する。しかしながら,C参預及びD部長は,品質管理課の実際の業務についての課長職の仕事はしていなかった。

加えて,亡Aが品質管理責任者の業務を行うについて,品質管理課内に協力体制がなかったばかりか,人員減の影響等を受けて各課員とも多忙であり,課内の人間関係は劣悪であった。しかも,年下の課員は,亡Aに対して厳しい批判や非難を浴びせていた。被告は,品質管理課では,各自担当業務は一応決められたが,互いに助け合って業務を処理していた旨主張するが,かかる主張は,証拠に反する。課として亡Aをバックアップする体制がなかったからこそ,Jが個人的に亡Aの大変さを見かねて勉強会を始めたのである。

亡Aの前任の品質管理責任者であったB課長は,平成7年10月に品質管理課長及び品質管理責任者に就任したが,その約1年後の平成8年9月12日に倒れ,意識不明の重体となり,その後死亡した。亡Aの後任であるKは,品質管理係長に就任後,体調を崩して入院し,復帰後も品質管理課の職務には復帰していない。品質管理責任者ないし品質管理係長の職務の重責性がこれらの事実の背後にある。

b 目標未達成

亡Aは,規格改定等の作業に従事していたが,これを内部査察(自己点検)の日である平成9年11月26日までに終わらせることができなかった。このことが,品質管理責任者の職務の重圧に苦しむ亡Aに,さらなる精神的負荷を与えた。

当時,亡Aが従事していた規格改定作業には,①日本薬局方の改正に伴う規格書の改訂作業と,②規格書への再試験項目の設定とがあった。これらの規格改定作業は,質量ともに困難な業務であった。これは,亡Aの死後,同作業を引き継いだE課長がこれを完了するのに,平成10年11月6日までかかったことに現れている。また,亡Aは,本作業を行うに当たって,L工場長から,会社の不利益にならないように進めるよう指示を受けていたが,亡Aに課せられていた仕事は,このように改正薬局方の要請と会社の利益という2つの価値基準の間で悩みながら改訂の内容を決めるという難しいものであった。

このように,規格改定作業は難しいものであったが,亡Aは,勤務時間中にはトラブル対応や製品検査等で席を空けることが多く,落ち着いて作業をする時間がとれず,平成9年9月17日以降は,Jとの勉強会もあり,ますます時間がなくなっていった。そこで,亡Aは,同作業を期限内に完成させるために,自宅に持ち帰ってやらざるを得なくなった。

亡Aに課せられていた規格改定作業は,平成9年11月26日の内部査察(厚生省令上の自己点検)までに完成させなければならないものであった。大宮工場においては,本来は,平成8年4月の厚生省告示の段階で,速やかに改訂作業に着手し,完了しておくべきであった薬局方第13改正に対応した規格書の変更が,平成9年秋の段階でいまだに完成していなかった。この対応には,1年半の猶予期間が設けられているが,この期間さえ,平成9年10月の時点で過ぎていたのである。そこへ,同年11月26日に本社からの内部査察(自己点検)があるということになれば,それまでに書類を整えなければいけないのは当然である。そのため,亡Aは,期限を前にした同年9月から11月にかけて,自宅において連日のように時間外労働を行い,作業を続けた。しかしながら,亡Aは,期限までに同作業を完成させることができず,内部査察の日である11月26日未明,自ら命を絶った。規格改定の担当者であった亡Aにとって,改訂作業が間に合わないことは多大な精神的ストレスになった。被告は,亡Aに課せられていた規格改定作業には期限が定められていなかったと主張しているが,かかる主張は,亡Aに対し,同作業をその法定の期限である平成9年10月までに完成するよう命じたE課長の別件訴訟(東京地裁平成11年(ワ)第2260号事件)における証言に反する。

c 精神的虐待(いじめ・ハラスメント)

亡Aは,品質管理課内の同僚から厳しく批判,非難されており,これは亡Aに対する精神的虐待ともいえるものであった。このような同僚からの精神的虐待により,亡Aはさらなる精神的打撃を受け,心理的に追い込まれていった。

亡Aに対する職場のいじめの中で,最も痛烈であったのは,亡Aと同じ品質管理係に所属するIによるものであった。Iは,品質管理課内だけでなく,課外においても,ほかの職員の面前で,人間として侮辱するようなこき下ろし方で,亡Aを面と向かって罵倒した。これに対し,亡Aは,皆の前で非難され,歯を食いしばって手を震わせ,口もきけないことがあり,また,喫煙所で後ろ向きに立って震えていたこと,現場で真っ青になっていたこともあった。亡Aより約15歳ほど年少であるIからの罵倒やいじめは,亡Aにとって大きな精神的ストレスとなった。このようなIの亡Aに対する厳しい罵倒やいじめは,亡Aの死亡直前まで続いた。

Iによる言動は,亡Aの上司であるE課長,L工場長も知るところであったが,同人らは,見て見ぬふりをし,状況を改善する措置を採らなかった。そのために亡Aの精神的負荷はさらに高まった。

また,品質管理課のI以外の同僚も,亡Aをきつい言葉で批判・非難していた。

職場におけるいじめ・ハラスメントが働く人の人権を侵害し,精神的に大きな打撃を与えるものであることが,近時,各国において認識されてきており,そのためこれを防止する機運が高まっているが,我が国においても,厚生労働省が,職場におけるセクシャルハラスメントによる精神障害等が業務上災害と認められうることを明確にしたが,職場におけるハラスメントはセクシャルハラスメントに限定されるものではない。

d 長時間労働

亡Aは,品質管理責任者就任後,特に死亡前3か月(平成9年9月ころ~11月)は,その業務の多忙さから,長時間労働を余儀なくされ,このことが亡Aに過重な肉体的・精神的負荷を与えた。

平成9年8月ころまでは,亡Aは,業務が多忙であったものの,夜9時ころまでに帰宅できることが多かったが,同年9月に入ってから忙しさが増し,会社での残業時間も長くなったため,帰宅時間が遅くなっていた。特に,同月中旬以降の同年10月,11月は極めて多忙な毎日であった。

大宮工場の始業時刻は午前8時30分であったが,平成9年9月から11月は,亡Aの出勤時刻がどんどん早くなり,会社で朝の時間外労働を行っていた。また,亡Aは,この時期,夕方の終業時刻以降も恒常的に居残り残業をしていた。Jと勉強会を行っていた期間については,3時間から5時間,勉強会を行っていなかった期間についても,少なくとも3時間は残業をしていた。この点,被告はタイムカードや勤務台帳の記載を基に,亡Aの早朝出勤や残業の主張,また,ほとんど毎日行われていたJとの勉強会の主張は誤りである旨主張する。しかしながら,タイムカードについていえば,亡Aは早めに退出時刻を打刻してしまって残業をすることがままあったし,また,タイムカードを押して一旦外出し用事を済ませてから職場に戻って仕事をすることも時々あったので,タイムカード上の記録と実際の残業時間は必ずしも一致しない。タイムカードを押してから勉強会や残業を行っていたのは,亡Aが勉強会で残業代をもらおうとしていなかったこと及び周囲に残業してまで仕事を消化していると思われるのはいやだと考えていたことによる。また,被告は,Jとの勉強会の行われていた期間の出勤日34日のうち,勉強会を行わなかった日が少なくとも19日ある旨主張するが,Jはほぼ毎日行っていたと一貫して述べているし,被告の主張は,タイムカード上のJ及び亡Aの記録を恣意的に解釈し,勉強会が行われた日をことさらに少なくしようとするもので不当である。

その上,亡Aの自宅での持ち帰り残業は,この時期,特に長時間になっていた。亡Aは,平日の夜も,また休日である土日にも,自宅で主としてワープロを用いた時間外労働に従事していた。亡Aは,平成9年9月中旬以降死亡する直前まで,職場で居残り残業をして夜9時ないし10時に帰宅した後,自宅に仕事を持ち帰り,少なくとも夜中の12時過ぎまで家で残業をするようになった。帰宅後,1時間ほど仮眠をとってから,仕事に取りかかることもあったが,同年11月の死亡直前期は仮眠も取れないほど多忙を極め,帰宅後すぐにワープロに向かって深夜まで仕事を続けた。亡Aは,同月中旬以降,深夜の2時,3時過ぎになっても仕事を続けていた。また,亡Aは,平日の帰宅後だけでなく,休日にも,ワープロを使ってほとんど一日中自宅で働いていた。このことは,文書ファイルの更新日時の記録,亡Aの仕事部屋に自宅労働の成果物である規格書のプリントアウトが大量にあったことによっても裏付けられている。

なお,亡Aが従事していた自宅労働の内容は,前述した規格書等に関する作業が主であった。亡Aは,かかる作業を,内部査察(自己点検)の日である平成9年11月26日までに完成させなければならず,日中は規格改訂以外の業務で多忙であったことから,自宅労働をしてこなす必要性に迫られていた。

亡Aの時間外労働時間は,平成9年9月1日から同月30日については合計204時間余り,同年10月1日から同月31日については合計278時間余り,同年11月1日から同月25日については合計192時間余りに及んでいる。これは原告尋問の結果,J証言及びタイムカードの記載等から最低限認められる時間を算定したものであり,実際には,原告の就寝後も,亡Aが自宅で労働を続けていたことは間違いがなく,現実の時間外労働は上記時間を超えている。なお,上記労働時間は,Jとの勉強会があった期間については,夜9時まで,それ以外の期間については夜7時まで亡Aが残業したものと推定して計算した。

このように,亡Aは,死亡前約3か月にわたり,自宅への持ち帰り残業を含む長時間労働に従事せざるを得ず,かかる長時間労働は,亡Aに多大な肉体的・精神的負荷を与えた。

(ウ) 業務以外の心理的負荷の要因の検討

a 株取引及び家族関係について

(a) 原告との関係

被告は,原告の亡Aへの対応は亡Aの心理的負荷要因の1つになっていた旨主張する。

しかしながら,うつ病患者への対応として最も好ましくないことは,過干渉,過保護,批判であり,「暖かい無関心」が最適である。その点で,原告の亡Aに対する態度は,うつ病を増悪させるようなものではなかった。亡Aと原告とは恋愛結婚であり,夫婦仲は円満であった。夫婦の間で,特段大きなトラブルが発生したこともなかった。また,亡Aが持ち帰り残業をするようになり,連日夜遅くまで自宅で仕事をしている際に,原告は,ときどきお茶を入れて亡Aに持っていくなどの心配りをしたり,本を読むなどして亡Aにつき合って遅くまで起きて亡Aの様子に気を配ったりしていた。

また,原告が,亡Aがうつ病に罹患していたことに気付かなかった点については,従来,自己が何らの精神疾患を患ったことがなく,身近にも精神疾患を患ったことのある者がいない場合には,うつ病の発症を見過ごしてしまうことはやむを得ない。

(b) 子供との関係

被告は,亡Aが子煩悩であったことから,当時,子供たちが自分のもとを離れていったことが空虚感をもたらした旨主張する。

しかしながら,被告のこのような主張は的はずれである。平成9年11月当時,長男Fは,既に大学を卒業し,渋谷区の福祉施設で働いており,公務員という安定した職にあった(なお,現在まで同じ職にある)。また,Fは,親思いで,親子間の関係も良好であった。また,平成9年11月当時,Gは,現在の夫と既に交際をしており,その後も順調に交際を続け,平成12年3月31日に婚姻した。Gとその交際相手とは,平成9年当時から,亡Aを含め家族で就職祝いをするなど両親公認の仲であった。

したがって,平成9年当時,亡Aには,子供に関して何ら悩みはない状況であった。また,Gの外泊も,交際に賛成していた亡Aにとって気に病むようなものではなく,また,長男の外泊は夜勤のためであり,亡Aに空虚感をもたらすようなものではなかった。G及びFは,円満な親子関係・家族関係の中で,自然な巣立ちの過程にあったのである。

(c) 株取引について

被告は,亡Aが唯一の趣味として傾倒していた株取引において,平成8年12月から平成9年3月までの間に立て続けに多額の損失を被ったことが亡Aに深刻な心理的負荷をもたらしたことは明らかである旨主張している。

ⅰ ところで,株取引の性格上,長年の亡Aの株取引の間には,利益もあれば,損失もあった。亡Aは,原告と結婚した当時から既に株取引を行っていたのであり,このように株取引を長年続けていても,被告が主張する平成8年12月に至るまで,亡Aには株の損失を原因とするストレスで身体症状が生じたということはなかった。したがって,株の取引は,趣味にすぎなかったのであり,亡Aにとってうつ病を発症させるような心理的負荷をかけるものではなかった。

また,被告は,平成9年3月末までの累計損失が約1012万円に上ると指摘しているが,限られた取引期間の損失のみを取り上げるのは正確な損益を示すことにはならない。しかも,亡Aが亡くなった後である平成10年6月22日の債務残高はわずか約365万円にすぎなかったのであり,亡Aは,損失のすべてを借金で賄っていたわけではない。そして,亡Aが亡くなった当時有していた株の評価額が275万円になること,亡Aが亡くなる前に売り注文をした野村証券の株が約148万円で売却できたことからすると,これらの株の売却金だけで上記借入れを返済することも十分に可能だった。したがって,被告が主張するような株取引の損失による深刻な心理的負荷は考え難い。

ⅱ 金銭関係がストレスとなるためには,それがある程度多額のものであることが必要である。そして,多額か否かの判断は,各家庭の収入や資産など様々な事情によって異なる。平成9年度の亡Aの年収は,平成9年11月26日に亡くなっているので,11月途中までの収入しか算入されず,1年分の収入ではないが,約790万円であったので,実際の年収としてはこれ以上あった。また,原告の平成9年度の収入は,約938万円であった。さらに,Fの平成8年度の収入は,約388万円であった。そうすると,原告ら一家の平成9年度の収入は,亡Aについて,同年11月途中までの収入しか計上しなくても,合計で約2116万円あった。しかも,亡Aは昭和58年12月に父親を亡くし,その際に現金1000万円を相続しており,これを趣味である株取引の資金に充ててきていた。このようなA家の収入及び資産からすれば,株取引による損失自体が,亡Aのうつ病の原因となるほどの多額の損失とはいえない。なお,前記の約365万円の債務は,亡Aが亡くなった後,原告が一括で弁済している。

ⅲ ところで,亡Aは,平成9年3月8日に約19万円の損失を出したのを最後に,兼松日産で同年5月に39万円の利益,チッソで同年6月に約6万円の利益,神鋼電機で同月に約3万円の利益,野村証券で同年10月に約44万円の利益,同年11月に74,290円の利益(ただし,亡A死亡後)を上げている。

この点,M医師の意見書では,精神障害の発症時期は平成9年11月中旬ころ,精神症状自体は5月~9月の間に認められていると考えられるとしているところ,仮に,被告主張のように株取引による損失が亡Aのうつ病発症の原因であるとすると,平成9年5月以降の時点では,上記のように全く損失を出していないばかりか,むしろ利益を出して損失を回復しつつあったのであり,このように利益を回復しているころに精神症状が発症することは不自然であり,亡Aのうつ病に株取引は関係ないというべきである。

被告提出のN氏による「A氏が罹患した精神疾患発症時期に関する総合意見書」も,株取引による損失を有力な原因としてとらえ,亡Aの精神疾患発症時期は3月下旬と判断するのが妥当であるとしている。しかしながら,当該意見書は「心理負荷と精神症状の関係に関して」において,株による損失に触れていない点等からT意見書を排斥しているが,かかる意見はT証人調書を検討せずになされている。しかも,亡Aのうつ病が株取引を原因とすることについてN氏自身は何ら検討を加えておらず,単にM医師及び労働局部会の意見書を無批判に引用しているにすぎない。したがって,当該意見書は「株取引」を原因とする結論が先にあって,それに沿って作成されたものとしか考えられないものである。

ⅳ 加えて,亡Aが株取引で悩んでいることを示す証拠は本件裁判の記録上一切ない。原告は,亡Aから仕事上の悩みを聞かされたことはあっても,こと株に関しての悩みを一切聞かされていない。

以上の事実を総合すると,株取引における損失が亡Aがうつ病に至った原因であるとは考えられない。

b 亡Aの個体側要因について

(a) 陳旧性脳梗塞について

被告は,亡Aのうつ病発症については,陳旧性の脳梗塞が原因である旨の主張を行っている。

しかし,亡Aの頭部MRI画像についての,脳神経外科医であるO医師の所見によれば,2個の左大脳被核(基底核)と橋に小さい陳旧性脳梗塞があるが,これによる精神症状の発現と認められる程度の精神症状はない。また,被告が主張するような,前頭葉から側頭葉にかけての軽微な萎縮は年齢相応であり,とりたてて強調すべきでない。さらに,亡Aは,脳梗塞病変が穿通枝領域及び皮質皮領域の両方に存在する患者には該当しない。亡Aの病巣は,穿通枝であり,皮質の梗塞は認められていない。

したがって,被告の主張は誤りである。

(b) 飲酒及び喫煙について

亡Aの飲酒および喫煙の量が,死亡前数か月間に増えていたとしたら,それは精神的ストレスに起因するものである。

(c) 性格傾向について

被告は,亡Aがもともとストレスを感じやすく,ストレスをため込みやすい性格であって,わずかな心理的負荷によっても,精神疾患がもたらされる危険性があったと主張する。

しかしながら,亡Aは,死亡時の52歳まで何らの精神的疾患の病歴もなかったのであり,ごく一般的なサラリーマン労働者の性格といえ,同種の業務に従事する他のサラリーマンと比べても通常想定される範囲を外れるものではない。

したがって,本件でうつ病の発症原因につき,亡Aの性格を考慮に入れることは誤りである。

(d) 亡Aの親族について

亡Aの父親は,昭和58年12月16日にすい臓癌で亡くなっており,母親は,平成11年5月19日に老衰で亡くなっている。また,亡Aは5人兄弟であるが,一番上の姉は,平成7年12月5日に脳梗塞で亡くなっており,他の3人は健在である。亡Aの家族や親戚にうつ病や精神疾患に罹ったものはいない。

c 業務以外の原因がないこと

以上のほか,当時の亡Aには,業務以外のことで精神的打撃を受けたことや引越などにより環境が変わったという事実はない。

したがって,亡Aには業務以外のうつ病発症要因といえるものはない。

(エ) うつ病罹患と業務との因果関係

a うつ病の罹患

亡Aが平成9年11月時点でうつ病に罹患していたことについては,原被告間に争いがない。

ところで,亡Aは,平成8年10月31日及び同年11月19日,左声帯麻痺等の症状を訴え,大宮赤十字病院へ通院しているところ,神経内科,耳鼻科,内科での検査の結果,器質的な原因が認められず,特発性反回神経麻痺と診断された。また,亡Aは,眼精疲労,皮膚のかゆみ等の症状で通院しているが,いずれも原因が不明であった。腰痛については,平成8年10月以前から訴えているものの,西部病院の平成9年5月24日付カルテをみると,この時期に痛みが増幅されていることが分かる。さらに,亡Aは,同時期に,胃の不調も訴えているが,平成5年の手術から3年も経てのことであり,胃の切除とは無関係な原因によるものである。

以上のとおり,亡Aの一連の身体症状は検査をしてもはっきりとした異常が見つかっていない。身体症状が存在し,それが原因不明である場合には,精神的なものが原因だと考えるのが相当である。そうだとすれば,亡Aの上記一連の身体症状は,精神的なものを原因とするものというべきである。

現代医学の診断基準,すなわち,アメリカ精神医学界のDSM-Ⅳによると,うつ病には9つの症状があり,その9つの症状のうち,5つ以上のものが2週間以上続けばうつ病と診断される。そして,亡Aの死亡直前期の言動からは,8つの症状が認められるので,亡Aは,平成9年11月の時点ではうつ病に罹患していたといえる。

ところで,うつ病は,まず前駆症状があり,その後,うつ病の症状が徐々に発症していくのものであって,ある日突然発症するというものではない。亡Aについては,平成8年10月の時点で反回神経麻痺等の症状が見られ,その後も,睡眠障害,腰痛,皮膚のかゆみ,胃の不調といった心理的負担を原因とする身体症状を次々に発症し,漸次的にうつ病に至り,平成9年11月ころにはうつ病を発症したものといえる。

b 本件うつ病と業務との関係

亡Aは,平成5年に品質管理課に異動になったが,その前に製造部に所属しているときには,精神的に何ら問題はなかった。

しかしながら,品質管理課という新しい職場につき,平成8年10月に品質管理責任者に就任した直後に,「反回神経麻痺」といった心理的負荷を原因とするヒステリー性の失声などが見られるように,亡Aの急激な地位の変化及びこれに伴う仕事の質・量の変化があったことにより,心理的負荷を原因とする身体症状が発症したことが認められる。そして,既に見たように,亡Aは,平成8年10月以降,平成9年11月に死亡するまで,一貫して品質管理責任者として過重な労働に従事し,強い精神的・肉体的負荷を受け続けてきたのである。

わずか1年あまりの間に,品質管理責任者の職にあった2人(B課長と亡A)が,1人は植物状態となり(その後,意識を回復することなく平成17年に死亡),1人はうつ病により自殺に至っているという状況を見ても分かるとおり,その職務自体,心身に過重な負荷がかかる職務であった。なお,亡Aの後に品質管理係の係長となったKは体調を崩し入院し,品質管理課から他の部署に異動になっている。

それに加えて,亡Aの場合には,亡A自身の知識・経験不足,品質管理課の人員不足,職務を遂行するに必要な管理職という地位になかったこと,さらには年々厳しくなる市場の要求といった条件が重なり,品質管理責任者の職務の遂行を困難なものとしていた。このことは,亡Aに対し,一層多大な心身の負荷をかけることになった。しかし,亡Aは,新しい課長が就任すれば,その苦しい状況も変わるものと信じて,新しい課長が就任するまではと日々の業務を懸命に遂行してきた。

しかしながら,平成9年4月,品質管理課にE課長が就任しても,亡Aの多忙は変わることがなかった。このことは亡Aに計り知れないほどの精神的打撃を与えた。

その後も,亡Aは,日々の業務をこなすべく懸命に努力を重ねた。このように亡Aは心身に過重な負荷のかかる品質管理責任者という業務を遂行していたのであるが,そのため心理的・肉体的に疲弊しているところへ,規格改訂という期限の差し迫った質量ともに過重な業務を課せられることとなった。この業務はワープロを用いるものであったが,慣れない機器に対応しようとすることからテクノストレスもあった。

また,品質管理責任者としての業務を行う中で,知識と経験の不足を自分より年下の後輩であるIに職場仲間の前で叱責されたり,Pらから批判されたりするという事態にもなっていた。また,それに対し,黙って平静を装っていたことによる心理的負荷もあった。

このような一連の業務による心身の負荷を原因とし,亡Aに平成8年10月の「反回神経麻痺」をはじめとするうつ病の前駆症状が現れるなど,亡Aは,漸次的にうつ病に至り,平成9年11月頃までにうつ病を発症したのである。

こうした経過からすれば,亡Aのうつ病は,業務上の過労・ストレスによるものとしか考えられない。

c M医師の意見

M医師の意見は,このような品質管理責任者になったことにより生ずる業務上の心理的負荷が継続していたことを何ら評価していない。M医師の意見では,業務上のストレスがある否かは,身体症状があるかどうかだけで判断されており,他方で,身体症状が業務に起因するかどうかは,業務上のストレスがあるかどうかで判断している。このようにM医師の意見は,業務の性質,量などからその過重性を検討し,いかなる心身の負荷を与えるものであるかといった個々の検討や分析を放棄し,業務上のストレスが平成8年10月以降は継続していないという結論を独善的に出しているものであり,不合理で非理論的なものである。

また,M医師は,平成8年10月から亡Aに生じていた様々な身体症状について,平成8年11月の全身倦怠感の訴え,平成9年3月の皮膚のかゆみ,平成9年4月の眼精疲労について,一般的にこれらの症状がストレスを原因として生じることは否定しないが,本件で亡Aに生じた身体症状がストレスを原因に生じたものとまではいえないとする。しかしながら,M医師は自らの著作で,「いろいろ身体症状が続いているにもかかわらず検査をしてもはっきりとした異常が見つからない場合や,症状がいろいろと変化して医学的に説明がつかない場合などには,その背後にうつ病などの精神医学的問題が存在していないかどうかを考えてみる必要があります」としているのであって,このようなM医師自身の考え方によれば,いろいろと身体症状が出ていて検査をしてもはっきりした異常が見つからない場合や,症状がいろいろと変化して医学的に説明がつかない場合には,うつ病などの精神医学的な問題があると考えるべきである。

こうしたM医師の考え方による限り,本件における亡Aの身体症状は正に精神症状を疑うべき場合なのである。それにもかかわらず,M医師は本件における亡Aについてはこれを否定しているのであって,余りにも恣意的な意見というほかない。

(オ) 結論

以上のとおり,亡Aにかかった業務上の心身の負荷は,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の労働者にとって,うつ病を発症させるに足りる程度の過度の負荷であったというべきである。そして,亡Aは,品質管理責任者になるまで精神疾患に罹患したことはなく,健康な労働者として職務を遂行してきたのであるから,上記の通常想定される範囲内の労働者に該当することは明らかである。

また,被告が主張する亡Aの業務外の出来事(株式投資等)は,事実関係に照らしてうつ病発症に繋がるような心理的負荷になったとは考え難い。

したがって,亡Aのうつ病発症は,業務と相当因果関係があり,このうつ病の結果,亡Aは自殺したのであるから,亡Aの死亡は業務上である。よって,これを否定した被告の本件不支給決定は違法である。

(被告の主張)

ア 業務起因性の判断基準

(ア) 労働者の自殺による死亡が労基法79条及び80条規定の「労働者が業務上死亡した場合」と認められるためには,症状の発現としての自殺行動を引き起こしたとされる疾病が業務上のものと認められなければならない。そして,業務起因性を肯定するためには,業務と当該疾病との間に条件関係が存在するのみならず,相当因果関係があることを要するべきである。

そして,業務と精神障害発病との相当因果関係の存否を判断するに当たっては,現在の精神医学において広く受け入れられている「ストレス-脆弱性」理論による理解をもとに,①当該業務が,客観的にみて,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる労働者(平均労働者)にとっても精神障害を発病させる程度に危険(過重)であると認められること(危険性の要件),②当該精神障害が当該業務に内在する危険の現実化として,すなわち,業務による危険性(過重性)がその外の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となって発病したと認められること(現実化の要件)のいずれの要件も満たすことが必要である。

原告は,労基法及び労災保険法による労働者災害補償制度の趣旨や目的に照らしても,労災認定に当たっては,業務上の過労やストレスによる心身の負荷が被災者の発病・死亡の原因の1つとなっていれば足りると解すべきである旨主張する。しかしながら,原告の上記主張は,条件関係のみで業務起因性を認めるに等しく妥当でない。相当因果関係は,条件関係が肯定されたことを前提に,危険責任を認めるにふさわしい法的関係があるか否かという観点から,労災保険給付を行う範囲に一定の限度を加える機能を持つ要件であるから,相当因果関係の有無は,当該事案において業務に内在する危険が現実化して精神障害が発病したという関係が認められるか否かという観点から決せられるべきである。したがって,相当因果関係を認めるには,業務による危険性(過重性)がその他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となって発病したと認められることが必要と解される。最高裁は,平成12年7月17日判決において,①業務に客観的な危険性(過重性)が内在しているか否かを判断した上で,②当該発症が,上告人の私的領域に属する危険の現実化ではなく,業務に内在する危険の現実化であると認められるか否かを判断し,①及び②の両方の要件が満たされてはじめて相当因果関係が認められるという被告主張の判断枠組みを採用している。

そして,業務の危険性は,平均的な労働者を基準とすべきである。原告は,業務の危険性は,当該労働者を基準に判断すべきである旨主張する。しかしながら,当該業務が危険かどうかは,当該業務の内容や性質に基づいて客観的に判断されるべき事柄であり,本人の反応性,脆弱性は,判断対象である「業務」に内在されない業務外の要因であるから,本人の脆弱性の程度によって業務の危険性が左右されるのは不合理である。また,本人を基準に判断すると,日常的な些細なストレスを伴う業務であっても,脆弱性の大きい当該労働者にとっては危険であったということになりかねないが,労災補償制度の前提となる使用者の補償責任が,危険責任に基づく無過失責任であり,また,労災補償制度が使用者の保険料の拠出により運営されていることに照らせば,脆弱性の大きな労働者に対し発病した精神障害まで労災補償制度で救済することは制度の趣旨に反する。このことは,多数の裁判例において,平均人基準説が採用されていることにより裏付けられている。

(イ) 判断指針における基本的な考え方及び判断指針による業務起因性の判断について

心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針(平成11年9月14日)は,精神医学の専門家によりまとめられた,現在の我が国の精神医学・心理学の到達点を反映したものであるから,行政実務も司法判断も,この専門家による合議結果を尊重することが,公平性,適正性,法的安定性,予測可能性を維持することになる。

a 基本的考え方について

労災請求事案の処理に当たっては,まず,精神障害の発病の有無,発病の時期及び疾患名を明らかにした上で,業務上の心理的負荷,業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し,それらと当該労働者に発病した精神障害との関連性について総合的に判断する必要があり,その際,当該精神障害の発病に関与したと認められる業務上の心理的負荷の強度ないしは業務以外の心理的負荷の強度を評価するに当たっては,労災保険制度の性格上,本人がその心理的負荷の原因となった出来事をどのように受け止めたかではなく,多くの人々が一般的にはどう受け止めるかという客観的な基準によって評価する必要がある。

b 対象疾病について

対象疾病は,ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害とする。

c 判断要件について

次の(a),(b)及び(c)の要件のいずれをも満たす精神障害は,労基法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱う。

(a) 対象疾病に該当する精神障害を発病していること。

(b) 対象疾病の発病前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること。

(c) 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないこと。

d 判断要件の運用について

労災請求事案の業務上外の判断は,まず,精神障害の発病の有無等を明らかにし,次に,後記(b)から(d)までの事項について検討を加えた上で,後記(a)に基づき行う。なお,具体的な検討に当たっては,客観的な判断がなされる必要から,複数の専門家による合議等によって行う。

(a) 精神障害の発病の有無,発病時期及び疾患名の判断に当たっては,ICD-10作成の専門家チームによる「臨床記述と診断ガイドライン」に基づき,治療経過等の関係資料,家族,友人,職場の上司,同僚,部下等からの聴取内容,産業医の意見,業務の実態を示す資料,その他の情報から得られた事実関係により行う。

対象疾病のうち主として業務に関連して発病する可能性のある精神障害は,ICD-10のF0からF4に分類される精神障害である。

(b) 業務による心理的負荷の強度を評価するに当たっては,当該心理的負荷の原因となった出来事自体及びその出来事に伴う変化等(出来事に続く問題の持続あるいは変化などの状況)について,専門検討会報告書別表1と同内容の別表1「職場における心理的負荷評価表」(以下「別表1」という。)を指標にして総合的に判断する。

別表1は,出来事及びその出来事に伴う変化等をより具体的かつ客観的に検討するため,ⅰ当該精神障害の発病に関与したと認められる出来事が,一般的にはどの程度の強さの心理的負荷と受け止められるかを判断する「(1) 平均的な心理的負荷の強度」の欄,ⅱ出来事の個別の状況を斟酌し,その出来事の内容等に即して心理的負荷の強度を修正するための「(2) 心理的負荷の強度を修正する視点」の欄,ⅲ出来事に伴う変化等はその後どの程度持続,拡大あるいは改善したかについて評価するための「(3) 出来事に伴う変化等を検討する視点」の欄から構成されている。

業務による心理的負荷の強度の評価は,まず別表1の(1)欄及び別表1の(2)欄により当該精神障害の発病に関与したと認められる出来事の強度が「Ⅰ」,「Ⅱ」,「Ⅲ」のいずれに該当するかを評価する。

なお,この心理的負荷の強度「Ⅰ」は日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷,心理的負荷の強度「Ⅲ」は人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷,心理的負荷の強度「Ⅱ」はその中間に位置する心理的負荷である。

次に,別表1の(3)欄によりその出来事に伴う変化等に係る心理的負荷がどの程度過重であったかを評価する。その上で出来事の心理的負荷の強度及びその出来事に伴う変化等に係る心理的負荷の過重性を併せて総合評価(「弱」,「中」,「強」)することとするが,具体的には次の手順により行う。なお,上記別表1の(2)欄及び(3)欄を検討するに当たっては,本人がその出来事及び出来事に伴う変化等を主観的にどう受け止めたかではなく,同種の労働者が,一般的にどう受け止めるかという観点から検討されなければならず,ここで「同種の労働者」とは職種,職場における立場や経験等が類似する者をいうものである。

出来事の心理的負荷の評価については,精神障害発病前おおむね6か月の間に,当該精神障害の発病に関与したと考えられる業務による出来事としてどのような出来事があったのかを具体的に把握して行う。なお,出来事の発生以前から続く恒常的な長時間労働,例えば所定労働時間が午前8時から午後5時までの労働者が,深夜時間帯に及ぶような長時間の時間外労働を度々行っているような状態等が認められる場合には,それ自体で,別表1の(2)の欄による心理的負荷の強度を修正する。

出来事に伴う変化等による心理的負荷の評価については,別表1の(3)の各項目,具体的には,ⅰ仕事の量(労働時間等)の変化,ⅱ仕事の質の変化,ⅲ仕事の責任の変化,ⅳ仕事の裁量性の欠如,ⅴ職場の物的・人的環境の変化,ⅵ支援・協力等の有無に基づき,考慮すべき点があるか否かを検討する。

業務による心理的負荷の強度の総合評価は,前記手順によって評価した心理的負荷の強度の総体が,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷と認められるか否かについて行う。

(c) 業務以外の心理的負荷の強度は,発病前おおむね6か月の間に起きた客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事を,①自分の出来事,②自分以外の家族・親族の出来事,③金銭関係,④事件,事故,災害の体験,⑤住環境の変化,⑥他人との人間関係に大別した,別表2「職場以外の心理的負荷評価表」(以下「別表2」という。)により評価する。

なお,別表2においても別表1と同様,出来事の具体的内容等を勘案の上,平均的な心理的な負荷の強度を変更し得るものであり,別表2で示した心理的負荷の強度「Ⅰ」,「Ⅱ」,「Ⅲ」は,別表1で示したものと同程度の強度のものである。

収集された資料により,別表2に示された心理的負荷の強度が「Ⅲ」に該当する出来事が認められる場合には,その具体的内容を関係者からできるだけ調査し,その出来事による心理的負荷が客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度のものと認められるか否かについて検討する。

(d) 個体側要因として,精神障害の既往歴,生活史(社会適応状況),アルコール等依存状況,性格傾向の各事項について調査し,それが客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度のものであるか否かについて検討を行う。

e 業務上外の判断について

業務上外の判断に当たっては,上記各事項について各々検討し,その上でこれらと当該精神障害の発病との関係について総合判断するが,具体的には,次の場合に分けて判断する。

(a) 業務以外の心理的負荷ないしは個体側要因が特段認められない場合で,別表1の総合評価が「強」と認められるときには,業務起因性があると判断して差し支えない。

(b) 業務以外の特段の心理的負荷,個体側要因が認められる場合には,別表1の総合評価が「強」と認められる場合であっても,業務以外の心理的負荷の強度及び個体側要因の検討結果を併せて総合評価し,前記cの判断要件の(b)及び(c)の要件のいずれをも満たすか否かについて判断する。

f 自殺の取扱いについて

ICD-10のF0からF4に分類される多くの精神障害では,精神障害の病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が医学的に高いと認められることから,業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し,原則として業務起因性を認める。

イ 本件における業務起因性

(ア) 亡Aに生じた精神障害について

まず,亡Aが生前精神障害に罹患していたかどうか,罹患していた場合の症状の内容,程度及び発病時期について検討し,これを踏まえ,当該精神障害の発病前に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷があったと認められるかどうかを検討する必要がある。

a 亡Aに生じた精神障害及びその発病時期について

M医師,専門部会及びT医師の意見を総合すると,ストレス関連障害,何らかの精神障害,精神的変調の発症時期は平成9年4月ないし7月であり,うつ病は同年8月ないし11月の間に発症あるいは診断できると判断していることになる。

上記各医師の意見を基に,N医師が分析したところによれば,平成9年3月下旬に「睡眠障害」といった精神疾患が発症し,同年8月には「集中力・判断力低下・思考停止」に至り,この時点でうつ病と確定診断できるもので,上記各医師の意見とも矛盾はない。同疾病は,その後も徐々に症状が進行し,同年10月には症状が重篤化したものと考えられる。

なお,原告は,亡Aの全身倦怠感(平成8年11月19日)について内科疾患(中でも肝機能障害)に基づくものではないとし,かかる疾患が精神的負担によるものだと主張するが,亡Aについては,平成5年から9年までの健康診断の結果,毎年肝機能障害が指摘されており,特にZTT値に異常が認められている。また,西部病院で実施された血液検査においても,平成5年及び平成8年の検査結果において,肝機能検査項目のTTT値とZTT値に異常が認められている。したがって,上記全身倦怠感については,肝機能障害によるものと考えられる。

b 本件における出来事の評価期間について

判断指針によれば,業務の過重性にかかる評価の期間は,うつ病発症前のおおむね6か月であるから,平成9年2月ころから同年8月ころまでの間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められるときに業務起因性が肯定されることになる。

c 本件における精神障害発病後の業務,出来事について

亡Aのうつ病の発病は,平成9年8月ころであり,同発病後自殺に至るまでの間に治癒したことはないものと認められる。そうだとすれば,本件においては,業務起因性を検討するに当たり,いったん精神障害を発病した後である同年9月以降の業務,出来事による心理的負荷が認められるかどうかを検討する必要がないことになる。うつ病発病後には,通常とは異なる心理的負担感をうつ病の症状として呈することが避け難く,それをうつ病発生の原因となった業務上の心理的負荷と解することには無理がある。

(イ) 亡Aの精神障害発症前の業務について

a 亡Aの担当業務

亡Aが担当していた全ての業務について検討しても,平成8年10月1日,あるいは平成9年4月1日を境に業務量が増大したことはなく,しかも,その職務内容からして,さほどの精神的,肉体的疲労を伴う業務でなかった。

亡Aは,平成8,9年当時,主に製品検査,ダンボール箱の包材検査,参考品管理,原料,製品及び工程管理,原料規格書及び製品規格書の作成の各業務を担当していた。

そのうち,定期的に行うものは,毎日2,3回行う1回に30分程度要する製品検査業務と2日に1回の割合で行うダンボール箱の包材検査業務であり,工程管理上のトラブル処理は週に1回あるかないかであった。ただし,トラブル処理への対応は,緊急性が求められるため,必ずしも亡Aが対応していたわけではなく,工場からの呼び出しの際,事務所にいた課員が対応していたのが実情であった。

そして,同課内の業務体制としては,係ごとではなく,担当ごとに仕事が分担されていたことから,課内での人事異動は担当業務の変更を意味せず,平成8年10月1日の品質管理責任者就任の前後又は平成9年4月1日の品質管理係長就任の前後で亡Aの担当する業務内容に大きな変化は見られなかった。

よって,亡Aの担当業務に関する限り,平成8年10月1日,あるいは,平成9年4月1日を境に業務量が増大したということはなく,その職務内容からして,さほどの精神的,肉体的疲労を伴う業務でないことは明らかである。

b 品質管理責任者への就任

これに対し,原告は,B課長が病気休職した後,後任補充がない状態で,亡Aが品質管理責任者及び品質管理係長に任命されたことからすれば,亡Aの業務内容に変化が見られないことはあり得ないと主張する。しかしながら,原告のかかる主張は,亡Aの業務実態に基づかないもので具体性を欠き,説得力がない。

つまり,品質管理課においては,平成8年10月以降,内部的にはC参預が,外部的にはD管理部長が課長の職務を代行していたので,亡Aに課長職務を代行する業務負担が課せられたことはない。また,品質管理課では,互いに助け合って業務を処理し,人員の減少を,各課員が過剰な業務を背負うことなく吸収していた。

品質管理責任者の業務内容のうち,検査結果等の判定業務は,実際上,検査報告書の形式的なチェックを行うにとどまり,平成8,9年当時の同業務は,1日平均15,6枚くらいの報告書を1枚当たり約1分で処理するという程度であった。年20回程度の品質推進検討会や不定期に開催されるその他の会議については,いずれの会議も出席者が皆で知恵を出し合うというもので,品質管理責任者の責任が追及されたり,特に品質管理責任者からの積極的意見が求められたりするものではない。また,外部クレームにかかる処理は,品質管理責任者が1人で対応するものではなく,品質推進検討会の場での合議に基づき対応するものである。県の査察への対応は,製造管理者が行うもので,品質管理責任者は補佐する立場にとどまる。また,亡Aが品質管理責任者に就任してから,大宮工場において,埼玉県の薬事課の査察を受けた事実はない。

よって,亡Aが品質管理責任者に就任したことにより新たに担当した職務が,亡Aに対し肉体的,精神的負担を強いるものであったということはできない。

これに対し,原告は,品質管理責任者の業務は極めて肉体的精神的に負荷のかかるものである旨主張し,その理由として亡Aの前任者であるB課長が倒れた事実などを指摘する。しかしながら,原告の主張は品質管理責任者の具体的な業務内容を踏まえない主張であって説得力がない。

原告は,亡Aが品質管理責任者に就任し,製造現場でのトラブルを責任者として処理する立場になったが,現場での判断ができないことが多く,また,課長職でなかったため現場の責任者との対応に苦慮し,課員の協力も得られなかったと主張する。しかしながら,品質管理課の課員が,相互に協力して現場のトラブルに対応していること,その際,品質管理責任者が1人でラインを止めるかどうかの判断を求められることはなかったこと,現場の責任者が,相手方が品質管理課長でないからといって,品質管理課員の意見を尊重しなかったことはないことから,原告の主張は理由がない。

また,原告は,亡Aは管理職でないのに,品質管理責任者に就任した旨主張するが,管理職でなかった係長時代のE課長は,品質管理責任者より上位の製造管理者の地位に就任していたので,原告の主張はその前提を欠く。また,原告は,亡Aが品質管理責任者としての知識や経験が不足していた旨主張するが,亡Aの経歴や勤務評定,亡Aが品質管理責任者に就任する以前からその代行としての職務を行っていたことに照らすと,亡Aの就任は順当な人事である。

c 原料規格書及び製品規格書の改訂作業

原料規格書及び製品規格書の改訂作業は,実際上平成8年5月16日付けで総合試験室が取りまとめた比較対照表に従って,そのうち原料規格の改定を伴う5品目についてのみ,既存の社内規格書に改訂を加えれば足りるというものであった。また,平成9年7,8月ころ,受入れ6か月以上経過後の原材料の再検査項目について,逐一課長が判断していたそれまでの体制を見直すべく,E課長,J及び亡Aの3人で話し合い,同課長が設定する試験実施項目につき,亡Aが各規格書に再検査項目を追加して,再試験項目には二重丸を付すなどの内容の規格書を作ることとなったが,同作業については,飽くまで社内的な努力目標にすぎず,その期限すら指定されていなかった。よって,上記規格書改訂作業が肉体的,精神的に負担となる業務でなかったことは明らかである。

これに対し,原告は,亡Aの死後,E課長が同業務を完成させるのに平成10年11月6日までかかったことを指摘し,同業務が困難であった旨主張するが,E課長の作業完成時期が遅かったことは上記業務に関し何ら期限が定められていなかったことの証左にすぎない。また,仮に,同作業が負担の大きいものであったとしても,亡Aが同業務を行っていたと認められるのは,いずれも亡Aがうつ病を発症して相当期間を経過した後の出来事であり,亡Aのうつ病発症との関連は認められない。そして,原告は,同作業が社内自己点検までの期限付きの業務であったと主張するが,同自己点検は,カタボンHiだけを対象とするものであり,E課長も,亡Aに対し,特に準備することはない旨話していた。しかも,E課長が同業務を完成させたのが平成10年11月6日であり,その間,大宮工場では,総合試験室が作成した試験法比較文書で対応しており,業務遂行に支障がなかったことからすれば,社内自己点検の日が規格書改訂作業の期限とはされていなかったことは明らかである。

d 他の課員の亡Aに対する態度について

品質管理課内における亡Aと部下とのトラブルについては,亡Aが現場からの対応要請があったのに,その場で立ち止まって行動せず,即座に対応しないといったことや製造検査のために現場にいるのにトラブルの発生にその場で対応しようとせず,他の課員が駆けつけざるを得なかったという怠慢な対応姿勢について,部下から亡Aに苦情が出たという程度のものであり,飽くまで仕事上のトラブルであって,このことで亡Aと部下との人間関係が悪化することはなかった。

したがって,部下からの批判が,亡Aにとって過重な精神的負担をもたらしたとは認められない。

e 亡Aの労働時間

亡Aの時間外労働及び休日出勤の状況等については,亡Aがタイムカードに打刻した時間あるいは勤務台帳記載の時間以後に時間外労働をしていた事実を認めるに足りる証拠がない以上,亡Aの時間外労働,有給休暇取得日数,休日出勤日数については,タイムカード及び勤務台帳をもとに算定するほかない。

そして,亡Aが平成8年10月に品質管理責任者に就任する前約6か月間の平均合計時間外労働時間は1か月当たり約19.1時間,平成9年4月に品質管理係長に就任する前約6か月間の平均合計時間外労働時間は1か月当たり15.8時間であり,品質管理係長就任後約6か月の平均合計時間外労働時間は1か月当たり約11.6時間であり,これらは1か月当たりの時間外労働時間として決して長時間といえないことは明らかである。

また,亡Aは,平成8年5月から平成9年11月までに,4日間の休日出勤をし,その全てについて代休を取得しているし,さらに,計12日間の有給休暇を取得している。

なお,原告は,亡Aが,平成9年9月17日から同年11月7日までの間にほぼ毎日職場で行ったJとの勉強会により長時間の残業を行ったと主張するが,タイムカード等の客観的な証拠及びJのその他の供述に照らし,出勤日数34日のうち,勉強会が行われていないことが明らかな日が少なくとも17日ある。また,任意の,しかも当時の上司等からみて不必要であると考えられるような勉強会への参加である以上,これをもって時間外労働時間に算入することは不当である。さらに,Jとの勉強会は,平成9年9月17日以降に行われたというのであるから,うつ病発症後に行われた業務であることになり,そもそも亡Aのうつ病発症との関連が認められない。

また,原告の亡Aの休日出勤に関する供述は,およそ信用できないし,また,自宅への持ち帰り残業についても,亡Aが業務を行っていたとする部屋には,ワープロ専用機のほかにパソコンもあり,パソコンに接続するプリンターを平成9年10月21日に買い替え,買い替えた後のプリンターでも印刷を行っていたことからすると,パソコンを用いた作業,すなわち業務とは関係のない作業も行っていたことは明らかである。

前述のとおり,原告は,労働時間が増大した時期が平成9年9月中旬以降であるとして,その繁忙さを主張するが,平成9年9月中旬以降というのであれば,うつ病発症後に行った業務であることになるから,そもそも亡Aのうつ病発症との関連が認められない。

f 上記において検討したところによれば,亡Aの担当業務を見ても,全体の労働時間を見ても,さらに,職場内のエピソードをもとにしても,亡Aの業務による心理的負担は,さほどの精神的,肉体的疲労を伴うものでないということができる。

原告は,自宅における作業,特に自殺直前の平成9年9月ないし11月における休日自宅労働を含む長時間に及ぶ労働や自殺前1か月の睡眠時間もほとんど取れないような状態が,それだけで亡Aのうつ病発症及び増悪の要因になったと主張するが,これはうつ病発症後に行った業務である以上,その心理的負荷の強度を検討するまでもなく,そもそも亡Aのうつ病発症との関連が認められない。

なお,念のため,上記の自宅における作業について検討するに,仮に原告の主張するとおりの状況であったとしても,亡Aが長時間にわたり休日等において自宅で作業をしていたというわりに,その成果物が認められないこと,し損じた紙が山のように出たこと,亡Aはやればやるほど焦った様子であったこと等を総合すれば,長時間にわたる休日労働は,精神症状である不安・焦燥感が現れ,仕事の能率が低下していたが故の結果であるということができ,うつ病の発症ないし増悪の原因となった休日自宅労働とは認められない。

(ウ) その他の業務外の要因について

亡Aの業務上の出来事にかかる心理的負荷の程度は,上記のとおりであり,精神障害を発症させる程度に危険,過重でないと認められるため,そもそも業務外の出来事及び個体側要因について検討を要しないが,以下,念のため,業務以外の出来事及び個体側要因について検討する。

a 業務以外の心理的負荷

(a) 株取引による多額の損失

亡Aは,唯一ともいうべき趣味として株取引を行っていたもので,株取引の資金を借り入れるための担保として自宅マンション居室に極度額550万円の根抵当権を設定し,おおむね300万円ないし400万円の借り越しをしながら株取引を行っていた。

亡Aの株取引による損益状況は,平成6年6月から平成7年末までの間では,収支計約107万円の損失にとどまったにもかかわらず,平成8年1月から平成9年3月末までの間では,収支計約907万円という甚大な損失を被っている上,その後平成9年4月から同年11月までの間には約81万円の利益を上げたにすぎず,到底資産状態を回復するには至っていない。しかも,上記の多額の損失は,平成8年12月19日から平成9年3月12日までの約3か月間で,立て続けに,わずか3回の取引によって被ったものである上,その損失額は漸次増加し,上記3月12日の取引では1回で約449万円もの損失を被っているのである。

他方,亡Aは,原告に対し,趣味の範囲で株取引を行っていることとし,その収支結果について原告には特に告げていなかったが,現実には,平成9年3月12日に約449万円という多額の損失を被り,その後余り利益が生じていないという深刻な状況に陥ったもので,これに,亡Aの平成9年の手取り年収が約591万円であったこと,亡Aが金銭面に細かい性格傾向を有していたこと,亡Aが株取引で多額の損失を被ったことについて原告や職場の同僚にも打ち明けず,その悩みを一人で抱え込んでいたことがうかがわれることからすれば,これにより亡Aが受けた心理的負荷要因は極めて大きいものということができる。

これに対し,原告は,株取引は当然損失があるし,趣味である,亡Aの死亡時に残された債務残高は365万円8174円にすぎない,亡Aと原告とFの合計年収に比較すれば多額とはいえない,亡Aは遺産相続で受け取った1000万円を株取引の資金に充ててきた等の理由を挙げて,亡Aにとって,うつ病を発症させるほどの多額の損失とはいえないと主張する。

しかしながら,亡Aの死亡時の資産が,約447万円相当の現金及び株と,死亡時において,約369万円の借入金を担保するための根抵当権が設定された自宅マンションだけとなるところ,これは,株取引以外に趣味を持たず,夫婦共働きで長男も独立し,自身も日研化学から相当額の給与収入を得,享年52歳であった者としては,極めて僅少な資産である。以上の亡Aの資産状況からすれば,約3か月間で約907万円の損失を被ったことにより,亡Aが深刻な精神的負担を被ったことは明らかである。また,相続で受け取ったとされる1000万円についても,資金の借入れをしてまで株取引をしている状況に鑑みれば,相当以前に費消したと考えられる。

(b) 家庭環境について

原告は,遅くとも平成9年5,6月ころには,亡Aから不眠を打ち明けられ,自宅にいる間に,それまで取らなかったような不自然な言動をするようになったという亡Aの異変に気付いたものの,原告の都合から寝室を別にして,亡Aの夜間の言動が分からないようにするとの対応を取り,同年9,10月ころには,一緒に食事をしなくなり,何を食べているか分からず,布団も普段から敷きっぱなしになるなど亡Aの生活の乱れが顕著に現れていたにもかかわらず,亡Aに対し,いつも自分のことは自分で管理するように言うなどして突き放す冷淡な態度を取った。さらに,同年10,11月ころには,亡Aが原告に対し日ごろから繰り返し自殺願望があることをほのめかしたり,いつも包丁を持っているなどという異常な言動をするようになったにもかかわらず,特段の注意を払わずに聞き流し,同年11月22日には,亡Aの発言から同人がストレスのために胃を病んでいると思ったものの,自己の仕事上の都合を優先させ,2,3日入院は待ってほしいと思い,まだ大丈夫でいてねなどとなおざりにして亡Aの悩みに取り合わず,ついに同月25日,現実に亡Aが台所の包丁を持って外出していることを示す具体的な状況を認めても,何の対応もせず,亡Aの帰宅すら確認しないまま就寝したというのである。

そして,上記の亡Aの言動からは,同人の精神状態が刻々と悪化し,情緒不安定になっていることが顕著にうかがわれるのに,原告は,亡Aがうつ病その他の精神障害を生じた状態にあったことに全く気がつかなかったというのであって,原告が亡Aに対し格別の注意を払っていなかったことは明らかである。

そのうえ,原告は,徹夜明けで疲れた様子にみえた亡Aから,駅までの送迎を断られたにもかかわらず,無理やり頼み込んで結局迎えに来させたり,平成8年4月ころから平成9年11月までの間,亡Aに対し原告の職場における人間関係等に関する不平不満を一方的に聞かせたり,愚痴をこぼし続けたりしたもので,こうしたやりとりからは,原告が,亡Aの精神状態,病状,健康状態に配慮せず,自己の職場等の都合を優先させ,亡Aのいやがる行為を無理強いし,入院の必要が生じているのにこれを我慢させ,亡Aが疲労していたのにもかかわらず,職場内の人間関係等につき愚痴をこぼし続けていたというのであるから,これらの原告の対応が,亡Aに対し業務外の心理的負荷を与えていたことが容易に認められる。

その上,子煩悩であった亡Aにとって,長女Gが平成8年終わりころから平成9年初めころにかけ,長男Fが同年4月ころから,それぞれ外泊しがちになり,相次いで自分のもとを離れていったことは相当な空虚感をもたらしたものと推認でき,業務外の心理的負荷となったことも否定できない。

b 亡Aの個体側要因

(a) 陳旧性脳梗塞について

亡Aは,平成8年10月31日,埼玉精神神経センター神経内科で受けた頭部MRI検査の結果,陳旧性脳梗塞との診断を受けた。

脳血管障害である脳梗塞を伴ううつ病患者については,うつ病発症の要因として,内因より器質因が強いこと,発症の誘因としての社会心理学的因子(ストレス)の関与が小さいこと,しかも潜在性脳梗塞の程度が深刻であるほど社会心理学的因子(ストレス)の関与がより小さいことが明らかであるとの指摘がされているのであって,ここからは,陳旧性脳梗塞,すなわち,大脳基底核に多発性の小梗塞が認められ,前頭葉から側頭葉にかけて軽微ながら萎縮が見られたという広範な脳梗塞病変を有していた亡Aについて,うつ病が発症した場合,それが業務上外のストレス要因といった社会心理学的な因子によるというよりは,むしろ器質因の関与がうかがわれるものである。

(b) アルコール等依存状況について

亡Aは,平成9年9月ころ以降,飲酒量及び喫煙本数が増えたが,それは,亡Aが,うつ病発症後,その精神症状(いらいら,不安,抑うつ)を和らげるために,アルコール等に依存するようになった結果である。そして,このように亡Aが飲酒量及び喫煙本数を増加させたことは,亡Aのうつ病が発症後増悪した一要素となっているものと考えられる。また,亡Aには,喫煙の習慣があり,平成8年3月ころには1日に40本は吸っていたことからすれば,亡Aの喫煙習慣が脳血管障害に影響を及ぼし,その脳血管障害が亡Aに生じたうつ病の器質因となった可能性も否定できない。

(c) 性格傾向について

亡Aは,もともとストレスを感じやすく,ストレスをため込みやすい性格であり,現実を客観的に認知することを苦手としていたため,自分の殻の中に閉じこもろうとする傾向もあった。その結果,いったん自己の認識と現実との間に乖離が生じると,その乖離を小さくするための方策を採ることができず,結果的に乖離が大きくなる方向に働く傾向があったということができる。

(エ) 本件不支給処分の適法性

a 亡Aの業務と精神障害発病との相当因果関係

亡Aの日研化学における担当業務の内容,労働時間,職場内の出来事を考慮しても,その業務が,客観的に見て,すなわち,日常業務を支障なく遂行できる平均労働者にとっても精神障害を発症させる程度に危険(過重)であるとは認められない。

また,亡Aが唯一の趣味として行っていた株取引において,平成8年12月から平成9年3月までの間に立て続けに多額の損失を被ったことが亡Aに深刻な心理的負荷をもたらしたことは明らかであるし,原告の亡Aへの対応などの家庭内の問題が与えた心理的負荷も否定できない。さらに,亡Aに生じた身体症状のうち,陳旧性脳梗塞については,亡Aに飲酒,喫煙の習慣があり,肝機能障害を併発していたことなどからすれば,小さな社会心理学的因子(ストレス)によりうつ病を発症する器質因であることがうかがわれる上,もともとストレスを感じやすく,ため込みやすい亡Aの性格傾向からすれば,さほどの心理的負荷でなくても,精神障害がもたらされる危険があったということができる。

したがって,亡Aに生じた精神障害について,業務起因性を認めることはできない。

b 判断指針への本件の当てはめ

以上の理は,判断指針に本件を当てはめても同様である。

すなわち,まず,亡Aに生じた精神障害は,ICD-10の診断基準によれば,F0かF3であると認められ,対象疾病に該当する。

そして,亡Aの精神障害の発症の時期については,平成9年3月下旬に「睡眠障害」といった精神症状が発症し,同年8月には「集中力・判断力低下,思考停止」に至り,この時点でうつ病と確定診断できる。その後も徐々に症状が進行し,同年10月には症状が重篤化したものと認められる。

次に,亡Aの業務による出来事に対する心理的負荷について検討する。

(a) 平成8年10月1日に亡Aが品質管理責任者に任命されたことによる心理的負荷は,別表1「仕事内容・仕事量に大きな変化があった」とは認められないが,この項目にあてはめて判断しても,同項目にかかる心理的負荷の強度は,修正する視点(業務の困難度・能力・経験と仕事内容のギャップの程度が低い)を踏まえ,強度「Ⅰ」に相当する。

(b) 平成9年4月1日に亡Aが品質管理係長に就任したことは,別表1「昇格・昇進があった」に該当し,修正要素も認められないので,強度「Ⅰ」に当たる。

(c) 日本薬局方第13改正に基づく規格改訂作業については,別表1「仕事内容・仕事量に大きな変化があった」とは認められないが,同項目にあてはめて判断しても,同項目にかかる心理的負荷の強度を修正する視点から修正し,強度「Ⅰ」に相当する。

(d) 亡Aの時間外労働については,別表1「勤務・拘束時間が長時間化した」との項目に当たらない。

(e) 部下からの批判については,別表1「部下とのトラブルがあった」に該当するが,双方の関係が特別悪化した状況が認められないので,修正要素はなく,強度「Ⅰ」に当たる。

そして,業務以外の心理的負荷については,以下のとおりである。

(a) 株取引により多額の損失を被ったことは,別表2「多額の財産を損失した又は突然大きな支出があった」に該当し,その強度は「Ⅲ」である。

(b) 原告の亡Aに対する対応ぶりは,別表2「夫婦のトラブル,不和があった」に該当し,その強度は本来「Ⅰ」であるが,亡Aの自殺念慮の訴えに対しても,病院にすら連れていかなかった点を勘案すると,修正を加える必要があり,強度「Ⅱ」に該当するというべきである。

(c) 子供の巣立ちは,別表2「家族が増えた又は減った」に該当し,強度は「Ⅰ」である。

以上によれば,業務による心理的負荷における「平均的心理的負荷の強度」は,いずれも強度「Ⅰ」であり,その他に「出来事に伴う変化等を検討する視点」,「特別な出来事の評価」といった修正要素はなく,総合評価として,「弱」に当たり,そのこと自体から,業務起因性が否定される。ちなみに,「業務以外の心理的負荷」には,強度「Ⅲ」の要素があることが認められ,個体側要因もうかがわれるが,上記のとおり業務上の心理的負荷の総合評価が「弱」である以上,その余の検討を要しない。

(オ) 結論

以上によれば,被告の本件不支給決定は適法であるから,原告の請求には理由がなく,同請求は棄却されるべきである。

第3当裁判所の判断

1  労災保険法における業務起因性の判断について

(1)  労災保険給付の対象となる業務上の疾病については,労基法75条2項,同法施行規則35条,同規則別表第1の2に列挙されているが,うつ病は,同表第1ないし8号に該当しないから,その発病が労災保険給付の対象となるためには,同表第9号の「その他業務に起因することが明らかな疾病」に該当することが必要である。ところで,業務と傷病等との間に業務起因性があるというためには,労災補償制度の趣旨(労働者が従事した業務に内在ないし通常随伴する危険が発現して労働災害が生じた場合に,使用者の過失の有無を問わず,被災労働者の損害を補填するとともに,被災労働者及びその遺族の生活を補償するもの)に照らすと,単に当該業務と傷病等との間に条件関係が存在するのみならず,社会通念上,業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化として死傷病等が発生したと法的に評価されること,すなわち,相当因果関係があることが必要であると解される(最二小判昭和51年11月12日・裁集民119号189頁参照)。

そして,精神疾患の発病や増悪は様々な要因が複雑に影響し合っていると考えられているが,当該業務と精神疾患の発病や増悪との間に相当因果関係が肯定されるためには,単に業務が他の原因と共働して精神疾患を発病若しくは増悪させた原因であると認められるだけでは足りず,当該業務自体が,社会通念上,当該精神疾患を発病若しくは増悪させる一定程度以上の危険性を内在又は随伴していることが必要であると解される。

(2)  うつ病の発病メカニズムについてはいまだ十分解明されていないけれども,現在の医学的知見によれば,環境由来のストレス(業務上ないし業務以外の心理的負荷)と個体側の反応性,脆弱性(個体側の要因)との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても破綻が生じるとする「ストレス-脆弱性」理論が合理的であると認められる。

そこで,業務とうつ病の発病との間の相当因果関係の存否を判断するに当たっては,発病前の業務内容及び生活状況並びにこれらが労働者に与える心理的負荷の有無や程度,さらには当該労働者のうつ病に親和的な性格等の個体側の要因等を具体的かつ総合的に検討し,社会通念に照らし,当該業務の当該精神疾患を発病ないし増悪させる一定程度の危険性の有無を判断する必要がある。

なお,その発病自体について業務起因性が認められない場合であっても,発病後に行われた業務が労働者に心理的負荷を与えるもので一定の危険性があり,既に発病していたうつ病が,上述のような他の要因をも総合的に考慮して,社会通念上,当該業務によって増悪したと認められる場合には,やはり業務起因性を認めることが相当と解される。

(3)  ところで,労災保険制度の趣旨に照らし,「社会通念上,当該精神疾患を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性」の判断に当たっては,通常の勤務に就くことが期待されている平均的労働者を基準とすることが相当であるが,労働者の中には一定の素因や脆弱性を有しながらも,特段の治療や勤務軽減を要せず通常の勤務に就いている者も少なからずおり,使用者においてこれらをも雇用して営利活動を行っているという現在の勤務の実態に照らすと,上記の通常の勤務に就くことが期待されている者とは,完全な健常者のみならず,一定の素因や脆弱性を抱えながらも勤務の軽減を要せず通常の勤務に就き得る者,いわば平均的労働者の最下限の者を含むと解するのが相当である。そこで,当該業務が精神疾患を発症ないし増悪させる可能性ある危険性ないし負荷を有するかどうかの判断に当たつては,当該労働者のおかれた立場や状況,性格,能力等を十分に考慮する必要があり,このことは,業務の危険性についていわゆる平均人標準説を採用することと矛盾するものではない。

なお,いうまでもないところであるが,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最二小判昭和50年10月24日・民集29巻9号1417頁参照)。

(4)  そして,労災保険法12条の2の2第1項は,労働者の故意による事故を労災給付の対象から除外しているが,その趣旨は,業務と関わりのない労働者の自由な意思によって発生した事故は業務との因果関係が中断される結果,業務起因性がないことを確認的に示したものと解するのが相当である。それゆえ,自殺行為のように外形的に労働者の意思的行為とみられる行為によって事故が発生した場合であっても,その行為が業務に起因して発生したうつ病の症状として発現したと認められる場合には,労働者の自由な意思に基づく行為とはいえないから,同規定にいう故意には該当しないものと解される。

そして,判断指針においては,業務による心理的負荷によりICD-10分類のF0からF4に分類され自殺念慮が出現する蓋然性が高い精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には,当該精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑止力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定され,原則として業務起因性が認められるとされている。

2  前提となる事実関係

前掲基本的事実関係,証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

(1)  原告及び日研化学について(甲1,乙60,107)

ア 原告は,大宮工場に勤務する従業員であった亡Aの妻であり,相続人である。

イ 日研化学は,東京都中央区aに本店を置き,平成16年3月現在従業員954名を擁する企業であり,医薬品事業(点滴液等の医療用薬剤)及び化成品事業(食品素材,医薬品・工業用原料として使用される原材料)について,研究,生産から販売までを一貫して行っている。

日研化学は,研究施設として大宮研究所を,製造工場として大宮工場及び真岡工場を置き,そのほか全国各地に支店,営業所,出張所などを有する株式会社である。

大宮工場は,注射剤,内用液剤等の生産を行う工場で,平成9年4月当時,労働者数約200名で,製造部と管理部に大別され,製造部には製造課,製剤第1課,製剤第2課及び施設課が置かれ,管理部には品質管理課,生産管理課,総合試験室,技術課,業務課及び総務課が置かれていた。

(2)  亡Aの経歴及び担当業務並びに大宮工場製造部及び品質管理課の業務の概要について(乙5,6,17,30,60,61,64,65,79,103ないし107)

ア 亡A(昭和○年○月○日生まれ)は,芝浦工業大学工業化学科を卒業後,昭和43年4月1日に日研化学に入社し,同社大宮工場に配属となった。

亡Aは,同年7月1日,同工場製造部製剤第一課に配属され,同工場生産部第一課主任,同工場製剤第一課主任,同工場製剤第一課係長,同工場製造部製剤第一課係長,同工場製造部製造課係長などを経て,平成5年3月1日,同工場管理部品質管理課(同課係長)に異動になった。

亡Aは,平成7年4月,品質管理責任者代行に選任された後,平成8年10月1日,品質管理責任者に選任された。品質管理責任者は,薬事法に基づく「医薬品の製造管理及び品質管理規則」(GMP)により,医薬品製造者に対し選任が求められる役職の1つであり,医薬品製造管理者のもとに,製造管理責任者と並んでおかれる。

亡Aは,平成9年4月1日に同課品質管理係長となった。

イ 亡Aが,昭和43年4月の入社時から平成5年2月まで所属していた大宮工場製造部(組織改訂前は製剤部あるいは生産部)において,製造課はガラス瓶に入れる輸液の製造を,製剤第1課は凍結乾燥品(アンプル品,バイアル品(ゴムキャップ付ガラス瓶))の製造を,製剤第2課は内用液及びプラスチック容器(ボトル型)に入れる薬剤の製造をそれぞれ担当していた。亡Aは,製剤第1課及び製造課の各係長を経験した。

ウ 亡Aが,平成5年3月以降所属していた大宮工場品質管理課は,日研化学大宮工場で製造する製品(薬品)の品質管理を管轄する部門である。

品質管理課は,検査係と品質管理係に大別され,具体的には,①薬品の原料,製品の包材(ダンボール箱,小箱,プラスチック容器等)を工場で受け入れる際に成分数量,寸法等を点検する業務(薬品原料は総合試験室へ検査依頼,ダンボール等については品質管理課で点検),②製品を出荷する場合における製品検査業務,③出荷した製品の一部を一定期間保管する業務,④納品された製品に不具合があり,顧客から苦情が寄せられた場合のクレーム原因の究明とその対策を行う業務,⑤原料から製品を製造する過程で変色,容器の変形及び印刷ミス等のトラブルが発生した場合の対応業務,⑥薬事法に基づき日本薬局方が改正された場合,既存の製品,原料等に関する社内規格書を改訂する業務などを行う。

エ 品質管理課における人員構成の推移(甲14,乙57,58,80,90)

平成7年4月1日から平成9年11月26日までの品質管理課の人員構成の推移は以下のとおりである。

平成7年4月1日から同年5月1日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職3名  計9名

平成7年5月2日から同年7月31日まで

課長1名,係長5名,主任1名,一般職3名  計10名

平成7年8月1日から同年11月20日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職3名  計9名

平成7年11月20日から平成8年3月31日まで

課長1名,係長4名,主任1名,一般職2名  計8名

平成8年4月1日から同年9月12日まで

課長1名,係長4名,主任3名,一般職1名  計9名

平成8年9月13日から同月30日まで

係長4名,主任3名,一般職1名  計8名

(B課長は,平成9年3月31日まで品質管理課の配属とされていたが,平成8年9月12日に入院し,その後現実には稼働していないので,同月13日以降,人員構成から除いた。)

平成8年10月1日から平成9年3月31日まで

参預1名,係長3名,主任3名,一般職1名  計8名

この期間は,内部的にはC参預が,外部的にはD管理部長が課長の職務を代行することとなっていた。

平成9年4月1日から亡A死亡の同年11月26日まで

課長1名,係長3名,主任4名  計8名

E課長が平成9年4月1日着任した。

オ 亡Aの担当していた主な業務について(甲10,12,13,19,20,33ないし58,65ないし69,71,74,77ないし79,乙2ないし13,15,17,61,63,69ないし74,76ないし78,83,99ないし110,123,133,135,136,J証言,F証言,原告本人尋問)

(ア) 品質管理課における業務について

亡Aは,平成5年3月1日から品質管理課に所属し,当初は品質管理係,検査係のいずれの係にも属さない無任所の係長であったが,平成8年9月12日にB品質管理課長が倒れたこともあり,平成8年10月1日,品質管理責任者に選任された。また,そのころ,課長の代行としてほかの課との調整等を行うことを1,2か月間行った。平成9年4月1日からは品質管理係長の職にあった。

平成8年ないし9年当時,亡Aは,後述の品質管理責任者としての業務を除けば,品質管理係長就任の前後を通じて,主として以下の業務を担当していた。なお,dの規格書の作成業務及びeの工程管理業務は品質管理係の業務であるが,それ以外は,いずれも検査係の業務である。

a ダンボール箱,小箱等の包材検査

亡Aは,2日に1回程度の割合でダンボール箱等の包材検査を行っていた。

これは,ダンボール箱,小箱,ラベル,瓶及び栓体(フタ)等納品された包材容器の受入れの際,納品倉庫において,その寸法,形状,印刷等を,規格書と照合して検査する業務である。

b 製品検査

亡Aは,製品検査業務を毎日2,3回行っていた。

これは,製品を出荷する際に目視により外観を検査する業務である。

具体的には,例えば,ダンボール箱1箱に,製品10本入りの小箱を10個入れて出荷する場合,各ロット(一の製造期間内に一連の製造工程により均質性を有するように製造された製品ないし原料の一群のこと。)ごとに,出荷する最初のダンボール箱に関し,①同ダンボール箱のロット番号・使用期限の確認,印刷項目等の外観検査を行い,②同ダンボール箱を開け,在中する小箱の個数をチェックし,うち1個の小箱の外観検査を行い,さらに,③同小箱1個を開け,在中する製品10本(全品)について,それぞれラベルの位置,内容量等の外観検査を行う。製品検査により,問題がなければ,当該ロットが出荷される。

製品検査は,プラスチック容器入り輸液製品についてはほぼ毎日行われるが,他の製品は製品出荷の都度製造課らからの検査依頼を受けて行うもので,大宮工場では製造ラインは5つあり,検査の所要時間は,いずれも1回につき概ね30分程度であった。

c 参考品管理

これは,製造するロットごとに,製品とその原材料を保管庫に一定期間保管する業務である。

d 原料規格書及び製品規格書の作成

亡Aは,原料規格書及び製品規格書の作成業務を担当し,平成8年4月1日施行の日本薬局方第13改正に合わせた社内規格書の作成のための準備作業や資料作成を担当した。原料規格書とは原料の特質等を記載する書面,製品規格書とは製品名とその原材料及び効能を記載する書面である。この業務は,日本薬局方の改正があった場合,日本薬局方解説書,既存の社内規格書や平成8年5月16日付けで総合試験室が取りまとめた比較対照表等を参照しながら,社内の規格を変更,すなわち,ワープロを用いて社内規格書の加除訂正を行う業務である。準備作業及び資料作成は課員が担当し,品質管理課長がそれを取りまとめることとされていた。第13次改正により規格書に加除訂正を加えなければならない原料品目は,マルトース,マンニトール,デキストラン70等5品目であったが,この外にE課長は,平成9年7,8月ころ,社内保管が6か月以上経過した原料について再検査項目等を逐一課長が判断していたそれまでの体制を見直すべく,J及び亡Aと話し合い,同課長が項目を事前に決め,亡Aが各規格書に再検査項目欄を追加して,再試験を実施すべき項目に二重丸を付すなどの内容の規格書を作ることとした。

本業務の期限であるが,第13改正の法令上の猶予期限は,平成9年9月30日であった。また,E課長は,亡Aに対し,本業務の期限について明示的に指示を出したことはなかったが,数か月以内に本業務を完成させることが暗黙に期待されていた。

亡Aは,平成9年夏から11月にかけて,休日等に自宅でワープロ専用機を用いて規格書の改訂作業等の業務を行った。また,亡Aは,当時,原告に対し,規格改訂作業をやらなければいけないことを負担に感じている旨発言していた。なお,E課長は,亡Aの死後第13次改正に伴う社内規格改訂作業を引継ぎ,平成10年夏ころからはじめ同年11月6日ころに同作業を完成させた。

e 原料,製品及び工程の各管理

原料,製品あるいは製造工程にトラブル(製品への印刷ミス,製品の変色等)が発生した場合に対応する業務である。

製造部門で行われる数段階の検査(ピンホール検査,機械や目視による検査)において,異常(例えば,加熱による容器の変形,製品の変色,ラベル貼りの不具合等により製品の流れが停滞する等)が発見され,製造課員で対応仕切れない場合,品質管理課職員が呼ばれ,トラブルへの対応を行った。トラブルは不定期に発生するが,平均すると,週1回程度は発生していた。トラブルへの対応は,品質管理者である亡Aだけでなく,E課長や他の課員も行っていたが,亡Aは,工程管理業務に関して,現場でトラブルに対する対応を依頼されたものの,適切に判断,処理ができず,立ち往生し,品質管理課の同僚を改めて呼んで処理を頼まざるを得ない事態に陥ったことが複数回あった。また,その際,現場に駆けつけた下僚のIからかなり強い口調で批判的なことを言われたこともあった。そこで,亡Aの同僚であるJは,亡Aは,業務を通して,トラブルへの対応を行うに当たって必要な知識を十分に学んでおらず,現場でのトラブルに関し臨機応変に指示を出さなければならないという前記のような仕事を苦手としていると認識していた。同様な認識は,品質管理課のP,Iらの他の職員も有していた。

(イ) 品質管理責任者の業務

亡Aは,平成8年10月1日,大宮工場品質管理責任者に選任された。

品質管理責任者とは,薬事法に基づくGMPにより,医薬品製造者に対し選任が求められる役職の1つであり,医薬品製造管理者のもとに,製造管理責任者と並んでおかれるもので,大宮工場においては,管理職である品質管理課長が同職を兼任することが多かった。しかし,亡Aの場合は,品質管理課の筆頭係長であり,かつ亡Aが平成5年4月から品質管理課に所属し,平成7年4月に品質管理責任者代行に任じられたという経緯もあって,係長ではあったが,品質管理責任者に選任されることになった。

大宮工場において,品質管理責任者は,製品の原料や製品につき,各種検査,試験の結果をもとに,問題がないかどうかを判定し,判定結果を製造管理者に報告する業務を行うほか,各種会議への参加を求められることになっていた。

a 検査結果等の判定業務について

GMPが定める品質管理責任者の業務は,製品標準書又は品質管理基準書に基づき,医薬品の品質管理に係る業務を計画的かつ適切に行うことされ,その業務を自ら行いあるいはあらかじめ指定した者に行わせることとなっている。

そこで,大宮工場では,検査担当部署である総合試験室において担当者が検査を行い,同室内でさらにチェックを経た上で,品質管理責任者が判定を行うという検査体制を取っており,そのため,品質管理責任者としては,総合試験室においてチェックを経てあげられた各1枚の検査報告書を基に検査結果の判定を行うことになっていたが,検査報告書からは検査内容の詳細が読み取れないことから,実際のところ,品質管理責任者としては,その日付,ロット番号が正しいこと,記入漏れ,押印もれ等がないことを確認するという形式的なチェックを行うにとどまっていた。

b 各種会議への出席について

品質管理責任者は,品質管理課長とともに次の会議への出席が求められていた。

(a) 品質推進検討会

工程上重要なトラブルが発生した重要な案件やクレームが発生した場合等について検討するために行われるもので,不定期ではあるが,年間20回くらい開かれ,1回当たりの所要時間は1時間ないし2時間であった。また,クレームの発生の調査に関連して,品質管理責任者は,工場長,製造管理者らとともに,クレーム調査報告書へ押印した。

(b) 原料・包装材料検討会

原料や包材のメーカーが変更になったり,新製品を発売する時に開かれる会議で,不定期の開催であり,会議時間もその都度異なる。

(c) その他の会議

品質管理責任者が出席を求められる会議はほかにもあった。

c その他

亡Aは,大気関係第1種公害防止管理者の資格を有していたことから,平成9年11月11日,公害防止管理者(大気)に選任された。公害防止管理者は,特定工場における公害防止組織の整備に関する法律及び埼玉県公害防止条例に基づき,企業内に置かれた公害防止のための技術的事項の管理を行い,公害防止管理者資格を有する者から選任されることになっていたが,大宮工場において,公害防止管理者は,環境安全係が行った各種施設の点検結果の記録をチェックするという業務で,実作業はほとんどなかった。

(3)  品質管理課の業務態勢及び亡Aと他の品質管理課員の関係について

ア 課内の業務態勢(甲10ないし13,18,66,75,76,乙2ないし15,100,101,J証言)

品質管理課では,各自の担当業務は一応決められていた。ただし,同課の人員が平成8から9年当時,減少したこともあって,課員は互いに協力しながら,各業務を処理していた。

特に,平成7年10月にB課長が就任してからは,係間の壁が取り払われ,本来検査係の業務であっても,品質管理係の者が行うこともあり,各自が係の枠を超えて担当業務を任されるというやり方が取られるようになった。また,個別の業務のうちでも,課全体として対応すべきトラブル対応やクレーム処理については,課員の1人に全部担当させるということはなく,工場からの要請があったときに手が空いている者が駆けつけて対応するという態勢をとっていた。

もっとも,品質管理課は個人で担当する業務が多いところ,人員減少の影響もあり,個々人の負担は決して軽くなく余裕がないこともあって,人間関係が良好な職場とまでは言えなかった。そして,ヒラ課員であるIやQらの目から見ても,品質管理課は包材検査等の検査部門と製品検査,工程でのトラブル処理など様々の仕事があり,繁忙な職場という認識を有していた。

イ 他の品質管理課員との関係について

B品質管理課長は,平成8年当時,亡Aには品質管理業務に不向きな点があるとの評価をしていた。また,当時,B課長が亡Aを当てにしていないことは他の課員もそれとなく認識していた。

Iは,平成9年8月から9月ころ,現場での対応について,亡Aを強い非難めいた口調で批判したことがあった。これに対し,亡Aは,ショックを受けた様子であった。

そのほかにも,Iは,平成8年ころから,亡Aが現場からの対応要請があったのに,即座に対応しないときや,製造検査のために現場にいるのにトラブルの発生にその場で対応しようとせず,ほかの課員が駆けつけざることになった場合などに,亡Aに対し強い口調でその対応を批判する(「なぜすぐ対応しないのか」等)ことがあった。また,亡Aの知識のなさを批判(「そんなことも分からないのですか」等)するようなこともあった。

また,品質管理課のPは,亡Aが判断が苦手であり,品質管理責任者に就任することについて疑問を感じており,亡Aの仕事はポイントがずれている印象を受けていた。Qも,亡Aについて,行き先を告げないで部屋を空けることが多い,電話に対して,自分から進んで問題処理に出て行くタイプではない等の認識を有していた。

(4)  亡Aの労働時間について(甲10,13,乙9,11,13,18ないし21,37,47,59,75,84,85,91,96)

ア 日研化学大宮工場の労働時間,休日

平成8年3月11日から平成9年4月10日までの所定労働時間は,午前8時30分から午後4時40分までで,うち休憩時間が午後0時10分から午後1時までであるから,実働時間は7時間20分である。

平成9年4月11日から平成9年11月26日までの所定労働時間は,午前8時30分から午後4時50分までで,うち休憩時間が午後0時10分から午後1時までであるから,実働時間は7時間30分である。

大宮工場の所定休日は,土曜日,日曜日及び国民の祝日である。

イ 36協定

日研化学と日研化学労働組合との時間外労働・休日労働に関する協定(通称36協定)においては,1日当たりで延長することのできる時間(時間外労働時間)につき,本来法定の8時間を超えて協定すれば足りるところ,所定労働時間(7時間20分又は7時間30分)を超えて労働する時間外労働時間数をもって協定内容として届け出ている。

ウ 時間外労働時間

(ア) 平成8年から9年当時,時間外労働時間については,品質管理課員の名前を書いた表に各自が時間外労働時間を記入して申告する方法がとられていた。

亡Aの平成8年5月以降のタイムカード打刻時間,有給等,タイムカードに基づく拘束時間,勤務台帳に基づく労働時間については,別紙1の表記載のとおりである。なお,同表の各月の期間は,賃金締切日(毎月10日)に合わせて,前月11日から当月10日として作成してある。

これによれば,亡Aの大宮工場における6か月間の1か月当たりの平均合計時間外労働時間は,平成8年4月11日から同年10月10日までについては約19.2時間,同月11日から平成9年4月10日までについては15.8時間,同月11日から同年10月10日までについては約11.6時間(同月11日から同年11月26日までの1ヶ月半の残業時間は13.3時間)であった。

なお,平成9年1月以降の亡A及び他の品質管理課の主な職員の勤務台帳に基づく時間外労働時間は,次のとおりであり(乙40。12月は11月26日までを計算),亡Aの申告した時間外労働時間は他の職員よりも少ない。

file_2.jpgseam fin fon [sa fen [oa fon saan na pen [er a fishiasfiz fissfs fie [aslo [+ fe fu [2s fies 5 foosfissfizs|io fir foo fre far fas foo a aia.e sos [sr fess |2o foo.s [oe fir ie [eos [21.s [soe(イ) この点について,原告は,亡Aには申告されていない時間外労働が多くあった旨述べるが,原告の供述は,亡Aの外出や帰宅時刻に基づく推測を述べたものに過ぎず,採用することができない。

もっとも,弁論の全趣旨によれば,亡A,J,Iのタイムカードに基づく拘束時間を示すと別紙2のとおりで,これを集計すると,次のとおり,亡Aは,品質管理課の職員の中でE課長を除き最も会社内にいる時間が長かったことが認められる。

file_3.jpg224 [160 [206 1a | m1 [26そして,亡Aはタイムカードの終業時刻が午後7時台,8時台になっている場合でも時間外労働を申告していない日が相当数あり(JやIについては,このようなことはほとんどみられない),亡Aのあまり几帳面と言えない性格や後記のような部下に対する引け目などから,亡Aが残業時間の一部を申告していなかった可能性はあるが,これらを考慮しても,原告が主張するような申告時間を遥かに超える時間外残業(いわゆるサービス残業)をしていた事実は証拠上認められない。

エ また,亡Aは,年に何か休日労働を行っているが,後日1日あるいは半日単位で代休をとっており,亡Aに休日労働が多かったとは認められない(原告は,平成9年秋頃,亡Aが頻繁に土曜日出勤していた旨主張するが,亡Aが平成9年に数回会社に来たことは認められるが,いずれも短時間に止まり,原告の主張するような多数回の休日出勤の事実は証拠上認めがたい。)。

(5)  Jとの勉強会(甲12,13,66,乙15,証人J)

Jは,「亡Aの一番の問題点は,何故そうなるのか理由をつけて答えることができないことであり,品質管理責任者は何でも知っていて当り前とみなされるポストであるのに,亡Aは包材の検査をあまりやっていなかったので包材についてよく知らず,このため最終検査やトラブルの処理についてすぐ判断ができない。」等との考えから,平成9年9月17日から包材について亡Aと2人だけの勉強会をするようになった。具体的には,他の人に見られない製品保管室の中で,処分対象の包材をサンプル代わりにして,破いたり,傷を付けたり,マジックで印をつけたりして,何処にどういう欠点があれば,どういう理由で駄目なのか,製品としての合格不合格,許されるもの,欠点が軽いもの,重いもの,致命的なもの等を説明して判断する勉強会であつた。Jは,勉強会の時間は基本的に残業の申告をしていなかったが,当時包材検査を担当していたRから応援を求められたときは,仕事の応援と勉強会を兼ねることができ,そのような場合は残業申告をしていた。Jは,勉強会の期間として3か月位を予定していたが,亡Aから「辞めたい」「他に頼まれた仕事があるので間に合わない」と申し出てきたので,勉強会は,同年11月7日で終わった。

〔ところで,Jは,勉強会の頻度及び時間について,ほとんど毎日行い,時間は夜10時頃まで行ったときもあれば1時間位で終わることもあったと述べているところ,Jはタイムカード上定時退社している日は勉強会はやっていない旨述べており,また,亡A及びJが半日で退社している日や亡Aが定時あるいは定時に近い時間に退社している日,社内旅行の日(10月17日)も勉強会をやっていないと推認される。そうすると,勉強会をやった日としている9月17日から11月7日までの所定休日以外の34日間の日のうち16日間(9月22,25,29日,10月1,2,7,8,13,15,16,17,20,22,23,24,28,29,30,31日)は勉強会を行わなかったと認められる。原告は,亡Aは勉強会のことを他の人に知られるのを恐れて退社のタイムカードを押してから更に会社内に残って勉強会をしていた日もあると主張し,Jもこれに沿う供述をしている部分があるが,そのようなことは不自然であり,上記主張は採用できない。そうすると,Jと亡Aとの勉強会の頻度及び時間は,あったとしても上記の期間中平均して2日に1度程度,時間的には長くても1,2時間程度のものが多かったと推認される。〕

(6)  亡Aのいわゆる持ち帰り残業について

ア 原告は,亡Aが自宅で会社の仕事をしていたとして,被告職員に概ね次のように供述している。

① 平成12年11月24日の聴取書(乙42)

「夫が自宅でパソコンを使って仕事をしていたのは,会社の書類で全部作り直しをしなければならないものがあって,表のようなものを作っていました」,「私にはよくわからないものでしたが,表に文字や数字が書かれていたのは,打ち出された紙をみてわかりました」,「夫が亡くなる前に打ち出した紙を丸めて部屋の中に散らかしていたのを集めてゴミ袋にいれて捨てた時に見た」

② 平成12年12月27日の聴取書(乙44)

「(平成9年11月)24日の事です。夫は朝から何も食べていないまま仕事場にしている娘の部屋でワープロを使って仕事をしていました。娘の机にワープロとパソコンを並べて置いて仕事をしていました」,「この日の夫は日中少し外出したようですが,後は食事をした様子もなく丸一日ほとんど仕事をしていました。」,「(平成9年11月)23日は『やっちゃん』という夫の伯父さんの息子さんの法事に出かけていた夫は,午前0時近くに帰宅しました。」,「その後夫はとりつかれたようにまた仕事をしていました。私が午前2時頃でしたかトイレに起きた時に娘の部屋の電気が点いていて,机に向かいパソコンかワープロかよく覚えていませんが,それに向かって作業をしている姿を覚えています。」,「私の記憶では,夫は徹夜はしていなかったと思います。徹夜をすると体が弱ってしまいます。私はせいぜい2時か3時頃まで仕事をして,その後は寝ていたものと思っていました。もしかしたら24日は徹夜したのかもしれません」

イ 次に会社関係者のS,J,Eらは,被告職員に概ね次のように供述している。

① S(乙16)

「Aさんが亡くなったすぐ後,Aさんが作りかけていた書類で失敗して捨てられていたものを見ました」,「表のような形式でうまく表の中に文字が入っていなかったり,罫線がうまくつながらなかったものが,まるめて捨ててありました」,「Aさんが自宅に持ち帰っていたフロッピーディスクは,ワープロのものが多かったのですが,Aさん本人が作ったものは1枚程で,他は前任者や他の人の作ったフロッピーディスクでした」

② J(乙15)

「勉強会をやっている時も忙しいと言っていたので,『家でできることは家で,会社でなければできないことは会社でやったらどうか』と助言しました」,「フロッピーを手提げ袋に入れて自宅に持って帰っていたのは知っています」,「会議議事録,その他の報告書,決定事項等を読んで知識を貯めたり,課員からの想定問答などを考えていたのではないかと思いましたが,何をしていたのか詳しくは知りません」,「少しの間は私も放っておきましたが,紛失したら困るので,余り持ち出さない方がいいよと注意はしました」

③ E(乙4)

「品質管理課のフロッピーがおいてあり,誰でもコピーできる状況でした」「Aさんが,フロッピーを持っていたことは,Aさんが亡くなった後,会社のSさんから聞きました」,「SさんがAの奥さんから受け取って会社に持って来ていたので,一括預かってAさんが改訂をするために作成していたフロッピーの中を見せてもらったら,1つか2つブドウ糖の規格改定に関するものを確認しました」,「この日本薬局方第13改正に伴う規格改定は,Aさんの死後,平成10年中頃私が完成させました」

ウ また,証拠(甲65,67,68)及び弁論の全趣旨(特に,原告の平成18年3月22日付「書証対照表」)によれば,A死亡時に自宅に会社関係の37枚のワープロ用フロッピーディスク(甲68)が残されていたが,そのうち作成日付ないし更新日がA死亡前3か月間(平成9年9月~11月)の休日(土,日,祝日)である文書ファイルが50あることが認められる(甲67の1の1ないし8,67の2の1ないし3,67の3,67の4の1及び2,67の5の1ないし17,67の6の1及び2,67の7の1ないし5,67の8の1ないし12,67の9)。そして,これらの中には,規格改訂申請書,17種類の原料についての原料品質標準(D-ソルビトール,D-ソルビトール液,デキストラン70,乳酸,乳酸ナトリウム液(50%),パラオキシ安息香酸エチル,パラオキシ安息香酸プロピル,パラオキシ安息香酸ブチル,パラオキシ安息香酸メチル,ブドウ糖,マルトース,D-マンニトール,ラクツロース,リン酸水素ナトリウム,リン酸二水素カリウム,結晶リン酸二水素ナトリウム,注射用蒸留水,以上につき甲67の5の1ないし17),2種の原薬製品品質標準(甲67の6の1・2),15種の製品品質標準(甲67の7の1ないし5,同67の8の1ないし10)がある。

エ ところで,前記のとおり,亡Aは,原料規格書及び製品規格書の改訂業務を担当し,平成8年4月1日施行の日本薬局方13次改正に伴う改訂は,法令上は平成9年9月30日までが期限であった。しかし,会社の現場では,実際に13次改正に伴い薬品の製造や検査に影響する事項は総合試験室で改正前と改正後の比較対照表などを取りまとめており,緊急に社内規格書の加除訂正をする必要性は感じられず,亡AもB課長やC品質管理課長代行からいつまでに社内規格の改訂作業をするようにとの指示を受けていなかったことから,平成9年夏ころまでは,上記改訂に向けての作業をほとんど進捗させていなかったと推認される。

しかし,前記のとおり,社内保管が6か月以上経過した原料は,製造に使用する際に再検査することになっていたところ,以前は製造管理者であるEがその都度判断し,品質管理課の者が連絡せんに再試験項目を記載してサンプルとともに総合試験室に送り試験させていたが,E課長は平成9年7,8月頃,亡A,Jと相談し,予め各原料規格書に再検査の欄を追加し,再試験すべき項目(性状,溶状,乾燥減量,含量の全部又は一部)に二重丸を付すこととするよう指示したこと,E課長は,亡Aにそれをいつまでに完成するよう明示的に指示はしなかったが,数か月以内に完成させることが暗黙の内に予定されていたこと,平成9年11月26日には大宮工場において,本社から来る職員を交えて自己点検(製造方法,作業工程,原料,表示,容器等の規格を点検する作業)が予定されていたが,その際にはカタボンHiという製品の点検が予定されており,その製品に係る規格書は点検の対象となっていたこと,がそれぞれ認められる。

オ 以上を総合すると,亡Aは,平成9年7,8月頃,E課長の指示を受けて,13次薬局方改正に伴う規格書の改訂(それは品目としては5原料程度であったが,その他全規格書についてfile_4.jpgの表示をLに改める必要があった。)とともに,受入後6か月経過後の原料の再試験項目の規格書への記載をできるだけ早期に完成させようと努め,できれば平成9年11月26日までにそれらの作業を完成させようとして,平成9年9月頃から11月後半にかけて自宅で休日などを利用して作業していたことが推認される。

(7)  平成9年4月以降の亡Aの言動等(甲10,12,13,19,20,乙5,42ないし46,79,原告本人)

ア 原告は,亡Aについて,次のような言動があった旨供述している(乙42ないし46)。

「平成9年4月新しい課長が着任する少し前から,亡Aは夜よく目を覚まして起き出すことがあり,初めの頃は夜中に腹が空いて冷蔵庫の中のものを食べているようだった。そのうち,5月か6月か正確ではないが,夜目が覚めるようになった頃は,気を遣っていたが,だんだん電気をつけっ放しにするようになり,部屋の出口を間違え私を踏んでしまうことがあった。」,「同年9月頃,娘が風邪をこじらせて入院したが,仕事が忙しいらしく面会に来なかった。2日目は面会時間が終わる頃に顔を出したが,普段なら『どうした。』と声を掛ける人が,何も言わず様子だけ見て帰ったと聞きました。退院する前日面会時間終了際に来たがやっと来たという感じでぼっとしている感じだった。」,「亡Aが『死にたい。』と口にするようになったのは,10月中旬頃からと記憶している。」,「11月に入ってから,亡Aは『俺ノイローゼだって。』と言い,『包丁を持っている。』とか,伯父さんのところへ法事に出掛けた日には『死のうと思った。』とか,『車をぶつけようと思った。』とも口にしていた。」,「同月に入ってから『部下が言うことを聞いてくれない。』と言っていた。『精神的苦痛より肉体的苦痛のほうがいい。』と言うようになり,3回ほどそんな言葉が出たと記憶している。」,「11月22日のことである。翌日法事に行くため亡Aが用意したのが祝儀袋だった。亡Aは『わからなくなっちゃったよ。』と言って,後で買い換えていた。」,「同月23日法事に出掛けたが,亡Aから『まだ,伯父さんのところにいる。』と電話があり,帰宅したとき,亡Aは『お母さんがいなかったら死ぬところだった。』とか『頭が真っ白になった。』『お母さんありがとう。』と言い,その後,亡Aはとりつかれたように仕事をしていた。」,「同月24日のことである。亡Aは朝から何も食べないまま,ワープロを使って仕事をしていた。作業の手を休めてタンスに寄りかかり,足を投げ出して敷きっぱなしの蒲団に足を乗せ,体の力が抜けたような格好だった。亡Aが『死ぬことばかり考えている。』と言うときは,いつもこんな格好をしていた。」,「同月25日,台所の引出しが開けっ放しになっていて,前に使っていた包丁の箱が出て空だった。少し前に亡Aが『いつ死のうかと思って包丁を持ち歩いている。』と言っていたことを思い出し,亡Aを見張っていなければならないと思った。」

イ この外,同僚は,次のような供述をしている。

(ア) P(乙11)

「亡Aが亡くなる2~4か月前のこと,喫煙所で,皆の前で「精神科に行く。」と言っていた。普通はおおっぴらにしないことなのに,明るく言っていたので,変わった人と思った。」,「私がこちらに来た当初から,亡Aは『参った,参った。』と,しょっちゅう口癖のように言っていたので『いや,参ったよ』と言っていたのが,本当に参っていたのか分からないが,態度にも話し方にも普段と変わった様子はなく,幻覚,妄想,攻撃的な行動といったものもなかった。

(イ) J(乙15)

「亡Aが亡くなる1週間から10日前に,食堂で朝の連続テレビドラマを見ている人の中に亡Aがおり,テレビを見るでもなく過ごしていた。就業時間になっても職場に行きたくないような感じだった。時間になったので声を掛けてもすぐ立ち上がろうとしない様子だった。」,「午前中に半休を取ったときに,『どうしたんだ。』と聞くと,『大宮日赤の近くの,大きな病院の分室のような病院に行ってきた。』,『脳病院に行ってきた。』と言っていた。」,「亡くなる何日か前のことであるが,会社の帰りがけに駐車場で1時間ちょっと話したことがあった。亡Aは,『間に合わない,もう断れない。』と言って,私が『何のことだ。』と聞いたが具体的なことは何も言わなかった。付き合っていても何を言っているのか分からないし,話が進まないので帰ろうとすると,私の服の袖をつかんで引き止め,それでも亡Aは,『参った。』と言うだけで詳しいことは話してくれなかった。翌日出勤したとき,『昨日のことは何だったのだ。』と聞いたところ,すっきりした様子で『もういいよ,いいよ。』と言ったので,もう済んだのか,結論が出たのかなと思った。」

(ウ) S(乙16)

「平成9年11月7日か8日にアキレス腱を切って,亡Aが入院中に1度見舞いに来てくれた。また,同月24日には自宅に来てくれたが,普段なら玄関のチャイムを鳴らして入ってくる人が,どたどたと入ってきたので驚いた。私の様子を聞いたので『大分具合がいい。』と答えると『そうか。』と言って帰って行った。亡Aの最後に見た生前の姿だった。」

ウ 亡Aは,平成9年11月25日(月),朝早く自宅を出て,深夜に帰宅した。この日,会社ではボーリング大会が予定されていたが,亡Aは会社を無断欠勤した。亡Aが自宅を出てどこへ行っていたかは不明である。

そして,亡Aは,同月26日の午前2時ころ(推定),自宅6畳間において包丁で手首を切るなどして自ら命を絶った。

(8)  亡Aの株取引,財産関係について(甲60ないし63,80,乙92ないし95,111ないし115,125,原告本人尋問,F証言)

亡Aは,長年趣味として株取引を行ってきた。

平成8年1月から平成9年3月までの株取引については,利益合計122万5256円,損失合計1029万2225円であり,損益収支結果としては,906万6969円の損失であった。個別銘柄の取引において,亡Aは,平成8年12月19日に売却したアイ・ジー・エス(損失約159万円),平成9年2月10日に売却したガジョエンカンコウ(損失約192万円)及び同年3月12日に売却したアイ・ジー・エス(損失約449万円)の売買で1回当たり100万円以上の損失を被った。

平成9年4月1日から同年11月までの株取引については,利益合計99万4916円,損失合計18万7511円であり,損益収支結果としては,80万7405円の利益であった。

平成9年の亡Aの年収は,約790万円であった(ただし,平成9年11月26日までの収入で年末賞与を含まないものと推認される。)。また,同年の原告の年収は約938万円,平成8年の亡Aの長男Fの年収は,約388万円であった。

亡Aの遺産のうち,資産は,昭和54年に購入した自宅マンション,預金と株等の合計約447万円相当であった。他方,債務は,亡Aが株取引に使用した口座であるあさひ銀行口座に約365万円の債務残高(ただし,亡A死亡後の平成10年6月22日時点)があり,これを担保するため自宅マンションに極度額550万円の根抵当権が付されていた。

亡Aは,昭和58年,実父の死亡に伴い現金1000万円を相続し,この金銭の一部を株取引の原資に充てていた。

原告は,亡Aの株取引の詳細を知らず,また,原告と亡Aは,互いの預金額等を知らなかった。

(9)  亡Aの家庭環境(甲1,19,20,63,64,乙41,97,98,原告本人尋問)

亡Aは,昭和47年3月11日,原告(昭和○年○月○日生まれ)と婚姻した。原告は,結婚当時から教師であったが,平成8,9年当時は,公立養護学校の教諭をしていた。

亡Aと原告の間には,昭和○年○月○日に長男Fが,昭和○年○月○日に長女Gが生まれた。亡Aは,子供との時間を大切にする父親であった。

そして,昭和54年4月からさいたま市内の自宅マンションに家族4人で生活し,亡Aの死亡当時まで同居生活を続けていた。

長男Fは,平成7年4月,渋谷区の特別養護老人ホームで働き始めた。長女Gには,平成9年当時,婚約者がおり,そこに外泊しがちであった。そして,Gは,亡A死亡の約2年半後,当該婚約者と結婚した。

(10)亡Aの身体症状

亡Aの病院受診状況は概ね次のとおりである。

ア 腰痛,右膝関節炎(甲25,26,乙53)

亡Aは,長年腰痛を患っており,平成5年2月,腰椎椎間板ヘルニアと診断され,以後継続的に医療法人ベテル会与野整形外科医院及び医療法人聖仁会西部総合病院で受診していた。また,亡Aは,平成9年10月,右膝関節炎を訴え,上記与野整形外科医院に通院している。

イ 左声帯麻痺,全身倦怠感等(甲23,乙22,118)

亡Aは,平成8年10月31日及び同年11月19日,左声帯麻痺等の症状を訴え,大宮赤十字病院へ通院している。

ウ 皮膚のかゆみ,胃の不調等(甲26ないし28)

亡Aは,平成9年3月28日,同年9月27日及び同年10月4日,皮膚のかゆみを訴え,伊藤医院に通院している。

また,亡Aは,平成9年4月5日,山田眼科医院で眼精疲労の診断を受けた。

亡Aは,同年5月31日,胃の不調を訴え,西部病院に通院している。なお,亡Aは,平成5年,胃の切除の手術を受けている。

エ 陳旧性脳梗塞(甲24,72の1,乙55,62,117,120,124,126)

亡Aは,平成8年10月31日,埼玉精神神経センター神経内科で実施した頭部MRI検査により陳旧性脳梗塞(脳梗塞のうち,発症後長時間が経過したもの)との診断を受けた。しかし,亡Aの陳旧姓脳梗塞の病巣は,穿通枝領域に限局されており,同人の年齢を考慮すると特別に広範な症状が現れているとまでは即断できない。ただし,脳血管障害である脳梗塞を伴ううつ病患者については,うつ病発症の要因として,かかる症状を伴わない者と比してストレスの関与の程度が相対的に小さいとされ,また,大量の飲酒や喫煙が脳血管障害に悪影響を与えうるとされている。亡Aの血圧は,健康管理上,問題となるほど高くはなかった。

(11)亡Aの性格(甲10,12,13,19,20,乙5,6,10ないし13,15,41ないし46,原告本人尋問,J証言)

亡Aは,おおらかで人なつこいと見られていたが,他人に対して気を遣い,他人との衝突を避け,部下から批判されても平静を装うなど,ストレスをため込みやすい性格であった。また,優柔不断なところや見えっぱりなところもあった。

(12)亡Aの喫煙,飲酒状況等(甲19,26,64,乙45,原告本人尋問,F証言)

亡Aには喫煙の習慣があり,平成9年9月ころからは,喫煙量が増加し,11月ころには仕事部屋にしていた長女の部屋の灰皿からたばこの吸殻があふれんばかりに捨てられるようになった。

また,亡Aは,元来アルコールに強くはなかったが,平成9年9月ころから飲酒量が増え,以前にはしなかった晩酌をするようになり,同年11月ころには,就寝前にビール,焼酎やウイスキーの水割りを飲むようになった。

3  医師の意見書

(1)  T医師の意見(甲15ないし17)の骨子

ア 亡Aのうつ病発症の時期

亡Aは,平成8年10月の時点で,反回神経麻痺等と神経内科の医師に診断されているが,病院のカルテには,上記疾患の客観的所見がないとされている。したがって,これは心因性の麻痺がみられていると考えられる。さらに,亡Aは,平成9年の4月から5月ころ,同僚に対し,頭がおかしくなって,脳病院に行った旨の発言をしている。このような発言をすること自体,既に何らのかの精神障害の発症が疑われる。さらに,亡Aは,同年5月ないし7月に不眠障害も訴えており,平成9年11月以前にもうつ病の症状は現れている。したがって,亡Aは,上記のうつ病の前駆症状をもって,漸次的に,遅くとも平成9年11月ころまでにうつ病を発症したと認められる。

イ 本件における業務起因性

亡Aは,平成5年に品質管理課に異動になったが,その前に製造部に所属しているときには,精神的に何も問題はなかった。

しかしながら,品質管理課という新しい職場につき,平成8年10月に品質管理責任者に就任した直後に,「反回神経麻痺」ないし「左声帯麻痺」「構音障害」といった心理的負荷を原因とするヒステリー性の失声などがみられている。このように亡Aの急激な地位の変化及びこれに伴う仕事の質・量の変化があったことにより,心理的負荷を原因とする身体症状が発症したことが認められる。平成8年9月に亡Aの前任の品質管理責任者であるB課長が倒れ,亡Aが平成9年11月にうつ病により自殺に至っているという状況を見ても分かるように,その職務自体過重な心理的負荷のかかる職務であった。加えて,亡Aの場合には,亡A自身の知識・経験不足,品質管理課の人員不足,職務を遂行するのに必要な管理職という地位になかったこと,さらには年々厳しくなる市場の要求といった条件が重なり,これらが品質管理責任者の職務の遂行をより困難なものとしていた。E課長が,平成9年4月,品質管理課長に就任しても,亡Aの多忙は変わることがなかった。

このように亡Aは過重な心理的負荷のかかる品質管理責任者という業務を遂行していたのであるが,そのような過重な労働により心理的肉体的に疲弊しているところへ,規格改訂という期限の差し迫った質的にも量的にも過重な業務を任されることとなり,また,そのような業務を行っている中で,知識と経験の不足を自分より年下の後輩であるIに職場仲間の前で叱責されるという事態もあった。

このような一連の業務による心理的負荷を原因とし,亡Aに平成8年10月の「反回神経麻痺」ないし「左声帯麻痺」をはじめとするうつ病の前駆症状が現れ,亡Aは,漸次的にうつ病に至り,遅くとも平成9年11月ころまでにうつ病を発症したのである。こうした経過からすれば,亡Aのうつ病は,業務上の過労・ストレスによるものとしか考えられない。

(2)  専門部会U医師の意見(乙39,119)の骨子

ア 亡Aのうつ病発症の時期

亡Aの業務内容,職場内外のエピソードや生活状況等をみると,平成9年4月以降には,不安・焦燥感が現れ,仕事への集中力,持続力が減退し,仕事の能率が低下すると,そのことにこだわって次第に自責的となり,著しく自己評価が低くなった末,自殺念慮を抱くに至っていることが見て取れ,その経過からは,亡Aが自殺に及んだ時点ではうつ状態に陥っていたものと推定することができる。

そして,平成8年10月31日撮影の亡Aの頭部のMRI画像を見ると,亡Aには陳旧性脳梗塞が認められ,具体的には,大脳基底核に多発性の小梗塞が認められ,前頭葉から側頭葉にかけて軽微ながら萎縮が見られる。これは明らかに年齢に相応しない血管性障害であったと認められるから,亡Aには器質的疾患が生じているということができ,亡Aは,これによって性格変化を来し,うつ病ないし抑うつ状態に罹患しやすい状態になっていたことが推定できる。

以上を考え併せると,亡Aは,平成9年8月ないし11月に,ICD-10の診断基準によれば,器質性うつ病性障害(F06)か,うつ病エピソード(F32),あるいは特定不能の気分感情障害(F39)を発症していたものと判断される。

イ 本件における業務起因性

亡Aの勤務歴,学歴及び品質管理責任者の業務内容からすれば,平成8年10月1日に亡Aが品質管理責任者に任命されたことによる心理的負荷は,強度「Ⅰ」(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度のもの)であり,平成9年4月1日の品質管理係長就任についても,業務内容の顕著な変更が認められない以上,同程度の心理的負荷にとどまる。日本薬局方第13改正に基づく規格改訂作業については,作業内容,亡Aに心の準備ができていたこと,平成9年7,8月の協議についても役割分担,協力体制ができていたことの現れと推認できること,期限の指定がされなかったことを考えると,客観的に見て,同規格書の作成が亡Aにとって大きな心理的負荷を与えたとは考えにくい。残業時間数,休日労働の実態からは,勤務時間が長時間であったと認めることはできない。平成9年秋ころに部下とのトラブルがあったことは認められるが,双方の関係が特別に悪化した状況も認められない以上,その心理的強度は「Ⅰ」にとどまる。さらに,平成9年4月のE課長の就任は,心理的負荷の強度「Ⅰ」である。

以上によれば,亡Aの業務上の心理的負荷の強度は,「弱」にとどまるということができる。

亡Aは,株売買において平成8年12月19日に約159万円,同9年2月10日に約192万円,同年3月12日に約449万円といった一回で100万円以上の損失を被ったものを含め,約3か月の間に約827万円もの損失を被っている。これは亡Aの手取り年収約600万円を大幅に超える損失であり,業務以外の心理的負荷表(別表2)の「多額の財産を損失をした又は突然大きな支出があった」項目に該当し,その強度は「Ⅲ」である。原告の亡Aに対する対応ぶりは「夫婦のトラブル,不和があった」項目に該当し,その強度は本来「Ⅰ」であるが,亡Aの自殺念慮の訴えに対しても,病院へ連れて行くとか,会社に相談することもなかった点を勘案すると,修正を加える必要があり,強度「Ⅱ」と評価するのが妥当である。子供の巣立ちは,「家族が増えた又は減った(子供が独立して家を離れた)」項目に該当し,その強度は「Ⅰ」である。亡Aは,その既往歴や身体症状からは,陳旧性脳梗塞といった脳血管障害を有していたことが認められ,これを悪化させる飲酒,喫煙といった生活習慣を有していたことも認められるほか,性格傾向等において,特にストレスに対し脆弱であったと評価できることも考え併せると,小さなストレスに曝露しただけでもうつ病を発症する素地があったということができる。

(3)  M医師の意見(甲59,乙116,121)の骨子

ア 亡Aのうつ病発症の時期

亡Aには,平成9年5月ないし7月のいずれかの時期において睡眠障害(途中覚醒)が認められるようになっており,同年9月ころには「思考力・集中力の減退」と解釈することが可能な事情も生じているが,これだけでうつ病と判断することは困難であり,同年11月中旬ころから自殺念慮ないし罪悪感等のうつ病症状が急激に悪化していっていることが認められる。

こうした亡Aの平成9年11月中の様子をDSM-Ⅳによって診断すれば「大うつ病エピソード」の基準に合致することから,「大うつ病性障害」と診断される。また,ICD-10によって診断すれば「中等度うつ病エピソード」(F32)の基準に合致することから,「中等度うつ病」と診断される。

そして,大うつ病性障害及び中等度うつ病ともに,複数のうつ症状が2週間以上存在したときに診断されるものであるから,亡Aの自殺に関連した精神障害の発症時期は平成9年11月中旬ころと考えられる。ただし,経過を見ると,精神症状自体は5月ないし9月の間に認められる。

イ 本件における業務起因性

平成8年10月に品質管理責任者に任命され,平成9年4月まで正式な課長が就任しなかったことは,急激な地位の変化であるといえるが,「反回神経麻痺」などによる亡Aの通院歴が1回にすぎないこと等から,一時的なストレスを感じていたにとどまることがうかがえる。平成9年夏から秋にかけての亡Aの職業生活上の状況と原告の供述からは,原告がいう「持ち帰り残業」は過酷な労働を課された結果として行われたものではなく,むしろ「持ち帰り残業をしなければならない」との本人の思い込みが先行して行われるようになったものと推測され,他方,Jとの勉強会における亡Aの様子からも,平成9年9月から11月にかけて,亡Aの心の中の負担感が増悪する過程が見て取れ,うつ病の発症に至り,発病の結果として,不安感,焦燥感,自責念慮も相まって,「連日12時過ぎまでの」「持ち帰り残業」が行われる状態になったものと推測できる。したがって,亡Aの「持ち帰り残業」はうつ病の発病の結果であって,うつ病発症の原因となった業務上の「心理的負荷」と解することは無理がある。平成9年11月にうつ病が発症し,急激に症状が増悪していることは,特に誘因なく発症した可能性も否定できず,死亡前3,4か月前の亡Aの職業生活上,同人に対し何らかの心理的負荷として働いた可能性がある出来事として,①規格改訂の期限が9月一杯で切れたこと,②若い人から問題点を指摘されたこと,③公害防止責任者に就任したこと,④薬品に虫が混入したと思い込んでいたこと,⑤社内の内部点検が予定されていたことが挙げられるが,いずれもうつ病発生の原因となったとは考えにくい。

したがって,業務上の負荷に起因して,うつ病が発生したと考えることは困難である。

亡Aの株式投資とそれに伴う多額の損失を検討すると,平成9年3月12日の前約3か月間で約827万円の損失を被っているもので,別表2「多額の財産を損失した又は突然大きな支出があった」として,心理的負荷の強度「Ⅲ」に該当する。また,これは不眠症状など初期の精神症状が現れたと考えられる平成9年5月ないし9月の2か月ないし6か月前であり,時期的にも関連が高いと考えられる。

故人にとって最も重要な他者である妻との関係がうつ病の発症及び経過に影響していた可能性が考えられる。亡Aの仕事上の悩みに対し,妻である原告は十分に耳を傾ける気持ちが不足していた可能性がある。また,亡Aが,一度ならず,「死のうと思ってさあ。毎日包丁持ってるんだよ」等自殺をほのめかす言葉を口にしても,本気だと思わず,病院にも行かせず,会社にも伝えず,誰にも相談していないのであって,本件では,こうした妻である原告とのコミュニケーションのずれのために,故人の精神的孤立感が強まり,悩みないし精神症状が増悪した可能性も考えられる。

亡Aが受けていた「心理的負荷」の程度,内容を判断するためには,その受け止め方に関する同人の性格傾向を知ることが重要であるところ,①残業してまで仕事を消化していると思われたくないので,タイムカードを押さない,②社内で,知らないことを隠れて教えてもらっていた,③他人にものを頼むことが苦手である,④努力をすることを他人(妻であっても)に知られたくない,⑤妻に対しては,品質管理責任者になったことが重荷になっているように表現する一方,人事部に提出した自己申告書では,非常に前向きに意欲的に申告している,⑥会社には,転勤を断り,家庭では,出世を望む気持ちはないように振る舞うが,その一方で,高い評価を受けたいという思いは強かったと推察される,⑦自分から上司の意を推し量って思い込むようなところがあった,⑧できることとできないこと,すぐにしなければいけないことと後でもよいことを,バランスをもって判断できない,⑨友達との間で,相手のことをいろいろ聞くのは上手だが,自分のことを言わないといった性格傾向や態度が指摘できる。

このように,亡Aは,もともとストレスを感じやすく,ため込みやすい性格であった上,現実を客観的に認知することを苦手とし,自分の殻の中に閉じこもろうとする傾向もあった。

(4)  亡Aのうつ病発症の時期等に関するN医師の意見書(乙140)の骨子

ア 亡Aのうつ病発症の時期

上記各医師の意見と訴訟に提出された資料等によると,①平成9年4月の少し前から亡Aがよく目を覚まして起き出すことがあったこと,②同年5月には亡Aは原告の話を聞く一方の状態になり,以前のように話に口をはさむことがなくなったこと(口数の減少),③同年8月には,亡Aは,原告から見て,夏以後忙しく,ゆとりがなくなり,せいている感じ,イライラしている感じ,気が弱くなったとも思われたこと(不安,焦燥,イライラ),④同年8月には職場のトラブル対応で亡Aが呼び出され,現場に行ってみると,亡Aが方針を決めかねており,現場のトラブル処理ができなかったこと(集中力・判断力低下・思考停止などの思考障害),⑤亡Aは同年9月に娘が退院する前日に面会に来たが,やっと来たという感じで,ぼーっとしている感じがしており,このころから煙草の量も増え,新聞を束ねて出す当番をしなくなり,原告の話を上の空で聞いていることがあったこと(行動抑止),⑥同年5月ころには亡Aの抑うつ気分の存在も否定できないこと,以上の経過からは,平成9年3月下旬に「睡眠障害」→4,5月には「頭重感」→「抑うつ気分」→8月「集中力・判断力低下・思考停止」→9月「行動制止」→10月「希死念慮」→11月「自殺」という精神症状の推移・増悪が存在すると判断し,何らかの精神疾患の発症は平成9年3月下旬ないし4月,うつ病の初期症状の発症は遅くとも5月,8月には原告,同僚の申述等から思考障害の存在が確認できることから,この時点でうつ病の診断基準における,1)通常なら楽しいはずの活動における興味や喜びの顕著な喪失,2)通常なら情動的に反応するような出来事や活動に対する情動反応性の不足,3)朝,いつもの時刻より2時間以上早い覚醒,4)著名な精神運動制止や焦燥が客観的に確認,5)抑うつ気分等の精神症状の出現が確認できるため,平成9年8月にはうつ病と確定診断できる。

イ 亡Aの株取引の損失とうつ病発症

「平成9年4月に新しい課長が着任した頃,それより少し前から夫がよく目を覚まして起き出すことがありました(妻)「4月か5月頃,『頭がおかしくなって,脳病院へ行った』と発言した」(J)との内容から判断すると,M医師及びU医師が「多額の株損失」と「不眠症状など初期の精神症状」の発症が時期的にも関連が高いと判断,あるいは有力な原因としているとおり,平成9年4月前から不眠などの精神症が出現したことは明らかである。株取引による多額の経済的損失を被ったことは,亡Aにとって精神的ショックであると同時に何とか埋め合わせを図るべく策を労したことは想像するに及ばず,不眠症状や頭がおかしくなったという不調感が出現したことは間違いない。そして「多大な財産的損失を約3か月という短期間に立て続けに被ったことは・・・Aに対し深刻な精神的ストレスを生じさせた事は明らか」という部会意見書に書かれているとおり,亡Aが誰にも打ち明けられないほどの株損失に動揺し,焦りや不安を出現したことは論をまたない。したがって,株取引による多額の経済的損失(平成9年3月)→ストレス反応あるいはうつ病の初期症状(同年3月末)→うつ病エピソード(同年8月)→同病の重症化(同年10月)→自死に至ったと判断するのが相当である。

4  亡Aのうつ病発症の時期

まず,亡Aのうつ病発症の時期について検討するに,医師4名の意見書によると,各医師とも,亡Aには,平成9年4月ないし7月ころにうつ病の前駆症状たる不眠障害が出現していること,亡Aの精神状態が以降漸次悪化していることを前提に,亡Aのうつ病発症の時期を,遅くとも平成9年11月ころ(T医師),同年8月ないし11月(U医師),同年11中旬ころ(M医師),同年8月(N医師)と判断している。

このように,本件では,4名の医師において,亡Aのうつ病発症が,平成9年8月ないし11月であることについては一致しているところ,亡Aが本件うつ病の治療を受けたとする記録がなく,また,亡Aには平成9年4,5月ころからうつ病の前駆症状たる睡眠障害が出現し,同年8月ころからうつ病に伴う症状が現れ,漸次昂進し,同年11月ころ顕著に悪化し,自死に至ったと認定するのが相当である。

この点について,被告は,亡Aのうつ病は,遅くとも平成9年8月には十分判定可能な程度に発症しており,うつ病に罹患した労働者は,発病後には通常とは異なる心理的負担感をその症状として呈することが避け難く,それをうつ病発生の原因となった業務上の心理的負荷と解することには無理があり,亡Aがうつ病を発症した平成9年8月以降の業務については相当因果関係を判断するに当たって考慮するべきでない旨主張するが,採用できない。仮にうつ病発症が平成9年8月ころであったとしても,うつ病発病後の業務が労働者に心理的負荷を与えるものであって一定の危険性があり,これによってうつ病が悪化したと認められる場合には,業務とうつ病増悪に相当因果関係を認めることができるというべきであるから,被告の主張は相当とはいえない。

5  本件における業務起因性の判断

(1)  本件うつ病と業務との条件関係

前示の事実関係によれば,亡Aは,平成9年8月ないし11月ころ本件うつ病に罹患し,本件うつ病による心神耗弱状態の下で自殺をしたものであり,前記の医証やそのころの亡Aの言動等を勘案すると,日研化学における亡Aの業務が本件うつ病の発症ないし増悪の要因の1つになっていたこと(すなわち,業務と本件うつ病発症ないし増悪との間に条件関係が存在していたこと)自体は認められる。

そこで,亡Aの業務が,亡Aの心身にいかなる負荷を与えたか検討する必要があるが,前記のとおり,業務の過重性については,ストレスの性質上,本人が置かれた立場や状況,本人の性格や能力等を十分斟酌して出来事のもつ意味合いを把握した上で,ストレスの強度を客観的見地から評価することが必要である。

(2)  亡Aの担当業務と置かれた状況について

ア 平成5年4月から平成8年10月までの状況

先に認定したとおり,亡Aは,平成5年2月までは製造部に所属していたが,同年3月1日から品質管理課に所属し,当初は無任所の係長であり,平成8年10月まで検査係,品質管理係双方の仕事をみ得る立場にあったが,亡Aがもっぱら担当していたのは,ダンボール箱の包材検査,製品検査,工程管理等であった。亡Aの仕事ぶりについて,平成7年10月から平成8年9月まで品質管理課長であったB課長は高く評価しておらず亡Aを当てにしていないところがあり,こうしたB課長の評価は自ずと他の課員にも伝わり,他の課員も亡Aを軽視するようなところがあった。なお,B課長の前までは検査係の仕事と品質管理係の仕事が明確に区分されていたが,B課長になってこの壁が取り払われ,一人の人間が品質管理と検査双方の仕事を行うようになった。品質管理課は課員のQらの目からみても忙しい職場であり,特に検査係は,平成7年にV係長,W係員が退職した後は,特にWが包材検査のベテランだっただけにその負担は増大した(B課長の後任のC課長代行の時代に上部に品質管理課の増員の要請も出されたが,実現しなかった。)。しかし,この間,亡Aがダンボール箱包材検査や製品検査等の日常の担当業務において,苦情をもらしたり失敗を犯したりしたことを窺わせるべき証拠はない。

イ 平成8年10月から平成9年9月頃までの状況

亡Aは,平成8年10月1日,病気で倒れたB課長の後任として品質管理責任者に任命された。亡Aは従前担当していた業務はそのまま担当し,大宮工場における品質管理責任者としての仕事が加わることになったが,品質管理責任者の実際の主な業務は,各種検査試験の結果を記載した報告書等(1日当たり15枚程度)を形式的にチェックしたり,各種会議(年20回位,各1時間程度)への参加を求められることであった。

亡Aは,平成9年4月1日に,品質管理係長に任命された。同日,それまでC参預が代行していた品質管理課長にEが就任した。亡Aは,品質管理係長に就任した後も従前と同様,日常業務としては,主にダンボール包材検査,製品検査,製造ラインでトラブルがあった場合の指示応対等の業務を担当しており,品質管理責任者の仕事も従前と同様であった。

そこで,仕事の内容としては,平成8年10月の品質管理責任者への就任,平成9年4月の品質管理係長への就任の前後を通して,大きな変動があったと認めるべき証拠はない。

しかし,品質管理責任者は,医薬品製造者に対し,法令上選任が求められている役職で,大宮工場においては品質管理課長等の管理職が選任される例が多かった。しかも,先に述べたとおり,品質管理課では,平成7年にV係長,W係員が退職し,平成8年10月にB課長が病気で倒れ(その後平成9年3月までC参預が代行),平成9年9月末に検査係のHが定年退職しその補充がなく,品質管理課の人員は徐々に減らされる傾向にあったから,筆頭係長で品質管理責任者に任じられていた亡Aが一定の穴埋めをせざるを得ず,製造現場におけるトラブル処理等の面において亡Aの責任と負担がそれなりに増していったことが推認される。

ウ 亡Aの仕事ぶりについて

亡Aは,品質管理上要請される適切な判断を不得意とし,製造工程のトラブルで現場に呼ばれても迅速な処理ができず立ち往生し,品質管理課の他の職員を呼んで処理を頼まざるを得ないようなことが複数回あり,特に平成7年4月1日から品質管理係に入ってきたIには平成8年頃から何度か厳しい言葉で批判めいたことを言われたことがあった。

これについて,他の課員は,次のように供述している。

「一言で言ってAさんは,業務上の判断を求められていも,一人で判断することが苦手な人だったと思います。そのことがAさんがトラブル対応に現場に出かけていったときに,後から別の職員が呼ばれて判断を求められる原因となっていたのです。そのような時に,後から呼ばれていった課員が職場に戻ってから『何故きちんと指示を出さないんだ。判断をしてやらないと現場が困るじゃないか。』ときつい言葉で詰問していたのを耳にしていたことがあります。」,「トラブルの際,現場は生産数量を落としたくないのでできるだけ生産継続を主張しますが,品質管理課は品質優先の立場から慎重な対応を求めますので,現場と品質管理課の意見が対立することがあります。もちろん品質管理課は,GMPに従い品質優先の立場を崩してはならないのですが,Aさんはそういった際に現場よりの判断をしてしまうことがありました。」,「Aさんが品質管理責任者に就任したことは,・・Aさんの日頃の仕事ぶりからして『どうかな』という感じを受けました。」(P。乙10)

「私は,現場のトラブルの対応のことでAさんに意見を述べたことが何度かありました。現場では品質面でトラブルがあると品質管理課員を呼んでその合否を判断してもらうことになっています。ある時,現場のトラブル対応でAさんが呼び出された後に,私が呼び出されたことがあったのです。現場に行ってみると,Aさんが方針を決めかねていたために呼び出されたことがわかりました。現場としては,品質を確保する義務もありますが,生産計画を達成する必要もあるため,品質的に問題があった場合には素早い対応を品質管理課に要求します。品質管理課にとって現場対応が最も重要な業務ですが,Aさんは時にあいまいな態度をとることがあるので,私はそれが不満で,きちんと対応するようAさんに強く求めたことがありました。」,「また,Aさんが亡くなる2か月位前のことだったと思いますが,現場から完全性試験を実施する際に必要な装置が不調なためその対応に関する問い合わせの電話があり,それをAさんが受けたことがありました。Aさんはその電話を切った後,現場に行くわけでもなく,装置の業者に連絡するわけでもなくブラブラしていたので,私はAさんに対し,『現場は本当に困って電話をしてきているのに,何故すぐに対応しないのですか。Aさん』という趣旨のことを言ったことがあります。・・私は,仕事の話で会社の人と衝突すると,誰に対しても段々声が大きくなってしまい,口調も強いので,激しいやり取りになってしまいます。」(I。乙7)

「現場でわからないことがあれば品質管理課に電話が入り,私が男性課員か課長に取り次ぐ。その際Aさんは電話に対し自分から進んで問題処理に出ていくタイプではなかった」,「Aさんのことで覚えていることは,トラブル発生時に現場の要請に基づいて品質管理課員がかけつけると,Aさんが製品検査の仕事でその現場にいたため『何でAさんがいるにもかかわらず品質管理課員としてトラブル対応しないのか。』と苦情が出たことです。もしトラブルの発生した現場に品質管理課員がいれば,その人がきちんと対応すればそれで済むことです。『Aさんがいるのにどうして対応してくれないんだ。』と指摘されることが何度かありました」(Q。乙12,13)

「検査でいろいろな不良が出ます。疑問が出た場合,それを規格内とするか規格外とするか相談を受けるのも品質管理係の仕事です。生産現場で迷った時は検査係が呼ばれ,なお疑問があれば品質管理係を呼びました。印刷に汚点がついた場合でも,点がついた場所によって検査の判定規格が違っています。規格にないものの判断を迫られることもあります。」,「Aさんが係長で最終製品検査をしている頃は,ある程度できればよく,分からなければ品質管理係の人を呼べばよかった,それで仕事が済んでいた面がありました。品質管理責任者になってからAさんはおかしくなったと思います。品質管理責任者は全てを知っていて当然とみなされます。それを承知でAさんが引き受けたとは思えません。」,「Aさんの一番の問題は,何故そうなのか理由をつけて答えることができないことでした。包材の規格を良く知らないと他の検査もできません。Aさんは包材の検査をあまりよくやっていなかったので,包材についてよく知らず,最終製品検査のときに判断が出来ない時がありました。何でも知っていて当り前というポストなので,今ここで勉強しておかないと会社にいられないと思い,知識を身に付けてもらおうと思い,平成9年9月17日から,私が強く勧めて2人で勉強会をすることにしました。」(J。甲10)。

エ 以上によれば,平成8年10月から平成9年9月頃にかけて,亡Aの品質管理責任者,品質管理係長の就任に伴い,外見的には仕事の内容や量に大きな変動があったわけではないが,周囲は課長に次ぐ筆頭係長として,また品質管理責任者として,それなりの能力と責任を期待していたところ,亡Aは日常の品質管理業務において,現場のトラブルの際に適切な対応ができず,周囲や部下から文句が出され,馬鹿にされることが一度ならずあり,それら一つ一つの出来事自体は強度なものでないとしても,亡Aの自責,自信喪失につながり,徐々にではあるが継続的に心理的負荷を募らせる状況に置かれていったことがうかがえる。

(3)  時間外労働(Jとの勉強会及び自宅への持ち帰り作業を除く)について

前示のとおり,品質管理課においては,時間通りの残業を申告できる状況にあったと認められ,そして,亡Aのタイムカードの打刻時間及び勤務台帳によれば,亡Aの大宮工場における時間外労働時間は別紙のとおりで6か月間の1か月当たりの平均合計時間外労働時間は平成8年4月11日から同年10月10日までについては約19.2時間,平成8年10月11日から平成9年4月10日までについては15.8時間,平成9年4月11日から同年10月10日までについては約11.6時間(同年10月11日から同年11月26日までの1か月半の残業時間は13.3時間)であったこと,また,亡Aは休日出勤をすることはあっても,その分の代休は取得していたことが認められる。

亡Aの時間外労働(ただし,Jとの勉強会及び自宅への持ち帰り作業を除く)については,以上のとおり,死亡前6か月の時期についても,1か月平均10時間から20時間ないしはこれを多少超える程度の時間であり,これに日研化学における1日当たりの所定労働時間が7時間20分又は7時間30分であり,所定休日が土曜日,日曜日及び国民の祝日であることを併せ考慮すると,亡Aは,一定程度の時間外労働を恒常的に行っていたが,その時間は長時間と評価できるほどのものではなく,かつ,亡Aには十分な休日が保障されていたから,亡Aの労働時間が,社会通念上,特に強度の心理的負荷を与える程度に至っていたとは認められない。

もっとも,亡Aのタイムカードに基づく拘束時間は前記のとおりで,JやIと比べても相当長く,E課長を除き,品質管理課員の中でも最も長時間会社に残っていたことがうかがわれ,また,亡Aはタイムカードの終業時刻が午後7時台,8時台になっている場合でも時間外労働を申告していない日が相当数あり,亡Aが前記のような部下の批判などから周囲の目を気にして時間外労働の一部についてきちんと残業申告していなかった可能性はあるが,このことを考慮しても前記判断を左右するに足りない。

(4)  平成9年9月中旬以降の亡Aの業務について

ア Jとの勉強会

さきに認定したとおり,Jは,亡Aの現場でのトラブル処理に問題があると感じ,好意から平成9年9月17日から同年11月7日までの間,Jと製品の欠点分類と出荷基準についての勉強会を行ったことが認められる。

Jは,勉強会について,「この期間ほとんど毎日行い,時間は夜10時頃まで行ったときもあれば1時間位で終わることもあった。」旨述べる。しかし,先に認定したとおり,平成9年9月17日から11月7日までの所定休日以外の34日間の日のうち16日間(9月22,25,29日,10月1,2,7,8,13,15,16,17,20,22,23,24,28,29,30,31日)は勉強会は行われなかったと認められ,勉強会の頻度は多くとも上記の期間中平均して2日に1度程度,時間的には長くても1,2時間程度のものが多かったと推認される。しかも,正規の業務である包材検査や製品検査などとは違い,任意の勉強会である以上,仕事の場面ほどの精神の緊張までは要しなかったことは明らかで,仮に,Jとの勉強会を亡Aの業務の向上のためとして正規の業務並みに扱い,これを前記の時間外労働時間に加えたとしても,客観的にみて,これが亡Aの心身に大きな負荷を与える内容であったとは認めがたい。

もっとも,亡Aは平成9年8,9月頃からうつの症状である集中力減退,判断力低下などが現れており,上記期間は,後記のようにE課長から言われた規格書改訂を自己点検の日である同年11月26日までには仕上げなければならないという思いから,不安感,焦燥感に駆られ始めていた時期で,このような時期にJとの勉強会で時間を取られることは,亡Aにとってそれなりの負担となったとは推測されるが,このことを考慮しても前記判断を左右するものではない。

イ 社内規格書の改訂作業

前記のとおり,亡Aは,社内の原料規格書及び製品規格書等の規格書改訂業務を担当しており,平成8年4月1日施行の日本薬局方13次改正に伴う改訂は,法令上は平成9年9月30日までが期限であったが,実際に13次改正に伴い薬品の製造や検査に影響する事項は総合試験室で改正前と改正後の比較対照表などを取りまとめており,緊急に社内規格書の加除訂正をする必要性は感じられず,亡AもB課長やC品質管理課長代行からいつまでに社内規格の改訂作業をするようにとの指示を受けていなかったことから,平成9年夏ころまでは,上記改訂に向けての作業をほとんど進捗させていなかったと推認される。しかし,社内保管が6か月以上経過した原料の再試験に関し,それまでの取扱いを改め,E課長は平成9年7,8月頃,亡Aに各原料規格書に再検査の欄を追加し,再試験すべき項目に二重丸を付すこととするよう指示したこと,E課長は,亡Aにそれをいつまでに完成するよう明示的に指示はしなかったが,数か月以内に完成させることが暗黙の内に予定されていたこと,平成9年11月26日には大宮工場において自己点検が予定されており,亡Aはそれらの作業を自己点検の日までに完成させようとして,平成9年9月頃から11月後半にかけて自宅で休日などを利用してワープロ作業していたことが認められる。

ところで,13次薬局方改正に伴う原料規格書の改訂は,日本薬局方,の解説書,既存の社内規格書,平成8年5月16日付で総合試験室がとりまとめた比較対照表(乙103の2)を参照しながら,乙108にみられるような,改定前の原料品質標準と改定後原料品質標準案を添付して社内稟議のための改定申請書を作成しなければならないもので,実際には1つの原料の規格書改訂だけであっても薬品の原料についてのある程度の知識を要しなければそれなりの時間を要するものであったことがうかがえる(被告は,日本薬局方解説と乙103の2の試験法比較を持たせれば,普通の人間でも簡単に13次改正に伴う社内規格書の改訂作業をなし得るものであるかのような主張をするが,日本薬局方,薬製造等についてある程度の知識がなければ乙103の2だけを見て乙108にみられるような社内規格改訂申請書類を簡単に作成し得るとは思われない。)。

また,E課長は,13次改定に伴う規格改訂をしなければならない原料は,5品目(マルトース,エタノール,デキストラン70,ブドウ糖,コハク酸ヒドロコルチゾン)に止まるから,その他の表記の訂正(file_5.jpgからLへ)や全部の原料規格書に再試験欄を設定することも含めて,集中すれば1,2日でできると供述し(乙2),これを根拠に被告は,規格書改訂の仕事も大した作業量ではなく,亡Aが休日等にそれほど多くの時間を割いて自宅でワープロ作業に従事したとは考えられないと主張する。

しかし,それは,薬剤師の資格を持ち,長年製造管理者の地位にあり,薬剤の原料検査(再検査を含む)の実務に精通しているEであればこそ言えることであって,Eとは薬品製造に関し知識,経験,能力に格段の差があったとみられる亡Aにおいてそのように簡単に規格改訂作業ができたとは思えない。また,乙108によれば,Eは改訂すべき規格書についてマルトースは平成10年9月10日に改訂申請書を作成提出し,その余の4品目については同年11月6日に改訂申請書を作成提出するというようにさみだれ式に改訂申請書を提出し,それでも5品目の規格書改訂について平成10年夏から始めて同年11月6日までかかっているが,部下である亡Aにおいてそのようなさみだれ式に規格改訂申請書を稟議に出すことは考えられず,亡Aとしては,Eに指示された薬局方13次改正に伴う原料規格書改訂と再試験項目の設定の全部の作業を平成9年11月26日の自己点検の日までには終わらせたいと企図していたと考えられる。しかも,乙6のLの陳述によれば,亡Aのワープロ入力は一本指式のさみだれ式入力であったと認められ,亡Aがワープロ技術に習熟していたとは認めがたい。

以上に照らすと,Eらの目から見れば,13次日本薬局方改正に伴う規格書の改訂及び全部の原料規格書に再試験欄を設定すること等の規格書改訂の業務量は,全体として大した業務量とは認められないかもしれないが,日本薬局方等につき専門的知識を持たない亡Aらの立場に立ってみれば,それなりの労力と時間を要するものであったと認められる。

なお,日本薬局方は平成13年に14次改正が,その追補が平成15年に出されているところ,Eの後任の品質管理課長のXは,被告の調査時点(平成16年6月10日)でもまだ必要な規格書改訂を行っていないと供述しているところ(乙105),作業が遅れている理由が,単にその期限が定められておらず,優先順位が低いだけというのは疑問があり,規格書改訂のためはそれなりの調査,時間等が必要なためではないかとも思われる。

そして,平成9年9月中旬ころの亡Aの言動からすると,抑うつ気分,集中力・判断力の低下といったうつ病の症状が現れ始めていると認められ,このような中で,規格書改訂作業が思うように進まず,自らが設定した期限である自己点検の日である11月26日が目前に迫っても,本業務が終了する見込みがつかなかったことで,間に合わない,逃げられないとの不安感,焦燥感,さらに,そのことに対する自責の念が強くなったことは,亡Aの心理状態を考えれば十分に理解可能であるから,本業務は,このころ,亡Aに対し強い心理的負荷を与えたものと認められる。

(5)  業務以外の心理的負担の要因について

ア 株取引について

亡Aは,趣味として行っていた株取引において,平成8年12月から平成9年3月までの間に,約159万円,約192万円及び約449万円の損失を被ったこと,亡Aの当時の年収は,約790万円(ただし,平成9年11月26日までの収入で年末賞与を含まない。)であり,亡Aに,平成9年,4,5月ころ,うつ病の前駆症状である不眠が現れていること,その後亡Aが株取引によって前記の損失を取り返すような利益を上げていないことを併せ考えると,前記の株取引の失敗が亡Aに相当の心理的負荷を与えたことが推認される。

しかしながら,亡Aは昭和58年に実父死亡に伴う相続により1000万円の現金を取得し,それを株取引の元手にしたことが十分考えられ,長年やってきた株の取引によって損もすれば得もするということを何度も経験していると推認されることに加え,亡Aの年収も相当程度あり,しかも,亡Aの家庭は共働きで,配偶者である原告も亡Aと同等以上の収入を得ていて2人の年収を合算すると1500万円以上の収入があったこと,長男も公務員として就職し,長女についても結婚予定であったこと,亡Aの株取引の損失によって,亡Aないしその家族の生活に何らかの変更があったとの証拠はなく,平成9年4月以降,亡Aは,株取引において少額ながらも利益を上げ,亡Aが株取引の失敗を原告に打ち明けた形跡はなく,株の損失と亡Aのうつ病発症・自殺までには約半年以上の期間が経過していること等を勘案すると,上記株取引の失敗が,亡Aに相当の心理的負荷を与えたとはいえ,本件うつ病発症ないし増悪の決定的な原因となったものとまでは考え難い。

イ 家族関係

(ア) 原告との関係について

亡Aと原告の結婚生活の状況は前記のとおりである。被告は,原告において,平成9年5,6月ころに,亡Aの不眠や異変に気付いたものの,原告の都合から寝室を別にして,同年9,10月ころには,亡Aが何を食べているか分からず,亡Aの生活の乱れが顕著に現れていたにもかかわらず,亡Aに対し,自分ことは自分で管理するように言うなどして突き放す冷淡な態度を取り,さらに,同年10,11月ころには,亡Aが原告に対し繰り返し自殺願望があることを仄めかしたり,いつも包丁を持っているなどと言う異常な言動をするようになったにもかかわらず,特段の注意を払わずに聞き流したり,平成8年4月から平成9年11月までの間,亡Aに対し原告の職場における人間関係等に関する不平不満を一方的に聞かせ,愚痴こぼしを続けたりしたもので,これらの原告の対応が,亡Aに対し業務外の心理的負荷を与えた旨主張する。

しかし,原告と亡Aは,当時結婚25年を経た夫婦であり,それなりの喧嘩やトラブルがあったかもしれないが,原告の亡Aへの対応が,それまでと平成9年8,9月以降とで特段変化したとの証拠はない。また,原告が,亡Aの異変やうつ病の発症に気付かず医者等に連れて行かなかった点については,従来,亡Aが何らの精神疾患を患ったことがなく,身近にも精神疾患を患ったことのある者がいないこと,大宮工場にも亡Aの異変に気付いたものがいなかったこと,原告には自身の仕事についての心配もあり,精神障害について特別詳しい知識を有していたわけではないこと等を勘案すると,やむを得ない面があり,被告が述べる事情をしん酌しても,原告の対応が亡Aに対する相当の業務外の心理的負荷要因となったとまでは認めがたい。

(イ) 子供との関係について

平成9年の8,9月当時,亡Aの長女は交際相手のところに外泊しがちであったこと,長男についても夜勤等により外泊することが少なくなかったことが認められる。

しかしながら,亡Aは,長女の交際には賛成しており,同女の交際相手との食事会を企画するなどしていたこと,長男は同居しており亡Aとの仲について特段問題視するような事情もなかったこと,長男は公務員として就職し,亡Aがその将来を心配するような状況にはなかったことを勘案すれば,子供は順調に成長し,独立してゆく過程にあったと考えられる。そうすると,子供との関係が,亡Aの業務外の心理的負荷となったとは認めることはできない。

(6)  亡Aの個体側要因について

ア 陳旧性脳梗塞について

亡Aは,平成8年10月31日,埼玉精神神経センター神経内科における頭部MRI検査の結果,陳旧性脳梗塞との診断を受けた。

脳血管障害である脳梗塞を伴ううつ病患者については,うつ病発症の要因として,かかる症状を伴わない者と比してストレスの関与の程度が相対的に小さいとされ,また,大量の飲酒や喫煙は脳血管障害に悪影響を与えうるとされている。そして,平成9年9月以降,亡Aの飲酒量・喫煙本数は増加している。

しかしながら,亡Aの陳旧性脳梗塞の症状は,穿通枝領域に限局されており,軽微であり,同人の年齢を考慮すると広範な症状が現れていたとまでは必ずしも言えず,そうすると,その原因となった血管障害についても年齢と比して不相応な程度にまで進行していたと即断することはできない。また,亡Aの脳血管障害が,亡Aの精神状態が悪化した平成9年8,9月以降に悪化したとの証拠はない。加えて,亡Aが,脳血管障害危険因子である高血圧であったとまでは認められず,また,脳血管障害を悪化させる程度の飲酒喫煙をしていたとの証拠もない。

そうすると,亡Aの脳血管障害の程度は明らかではないといえ,かかる障害が亡Aのうつ病発症ないし増悪の要因となったと認めることは相当でない。

イ 飲酒及び喫煙について

亡Aは,平成9年9月以降,飲酒量や喫煙本数を増加させたことは認められる。

しかしながら,亡Aが,平成9年9月以降,アルコールに依存していたと認めるに足りる証拠はなく,喫煙本数の増加の程度も明らかではなく,アルコールや喫煙の増加が亡Aのうつ病の発症ないし増悪の一因となったと認めるに足りる証拠はない。

ウ 亡Aの性格

亡Aは,優柔不断,見えっぱりなところがあり,おおらかで人なつこいと見られていたが,他人に対して気を遣い,他人との衝突を避け,部下から批判されても平静を装うなど,ストレスをため込みやすい性格であった。

しかしながら,それまでの生活史を通じて,亡Aの社会適応状況に特別の問題があったとの事実はなく,亡Aのストレス反応性が,通常人の範囲を逸脱して脆弱であることを窺わせる事情は見出すことができない。

(7)  以上に基づく総合評価

ア 以上の事実によれば,亡Aは平成5年に品質管理課に配属され,平成8年10月1日に品質管理責任者に,平成9年4月1日に品質管理係長に就任し,これらの昇任の前後を通じて担当業務の内容に大きな変動はなく,表向きはそれなりに検査,品質管理の仕事をこなしてきたが,亡Aは現場でのトラブル処理に一人では適切な判断ができないことが時々あり,部下等にかなり強い口調で批判されることも一度ならずあって,こうしたことは,品質管理責任者及び品質管理課の筆頭係長である品質管理係長の地位にあった亡Aのプライドを傷付け,亡Aの自責,自信喪失につながり,継続的に亡Aに心理的負荷を与えていたとうかがえる(但し,亡Aの時間外労働は精神障害発症の一因となるほどの心理的負荷を与えるものとまでは認められない。)。そして,亡Aは平成8年12月から平成9年3月にかけて株取引で合計約800万円の損失を被り,そのことは亡Aに相当程度の心理的負荷を与えたと推認され,前記の仕事の重圧,これに亡Aのうつ病親和的性格も加わって,平成9年8,9月ころから亡Aには抑うつ気分,判断力低下,集中力低下等のうつ的症状が現れ始めていたところ,亡AはE課長から命じられた第13次薬局方改正に伴う規格書改訂及び再試験項目の設定の仕事を何とか平成9年11月26日に予定された自己点検の日までに仕上げなければならないと思い,自宅でワープロ作業をしていたが思うように進まず,徐々に不安感,焦燥感を募らせ,期限の日が迫ってきても作業を終了させる見込みが立たなかったことから,強い心理的負荷を感じ,この結果うつ病を急激に悪化させ,うつ病による希死念慮から,自己点検の当日である平成9年11月26日,発作的に自殺に至ったものと認められる。

イ そして,株取引による失敗も,これまでの亡Aの株取引の経緯や亡Aと原告の年収等から亡Aのうつ病の発症・増悪に決定的なものとまでいえず,このほか亡Aのうつ病に関し原因となるべき業務以外の出来事による心理的負荷があったと認めるべき事情はうかがわれず,亡Aの有していたうつ病親和的な性格傾向も未だ平均的労働者の域を超えるものとは認められず,亡Aやその家族にも精神障害と関連する疾患について既往歴はない。

ウ そうすると,亡Aのうつ病の発症及び増悪は業務によるストレスが有力な一因となっていると認められるところ,前記アで述べた業務による心理的負荷は,亡Aの置かれた具体的立場や状況に照らすと,亡Aに対し,社会通念上,うつ病の発症や増悪の点で一定程度以上の危険性を有するものであったというべきであり,亡Aのうつ病の発症及び増悪は,上記危険性が現実化したものというべきであるから,業務と亡Aのうつ病の発症及び増悪との間には相当因果関係を認めるのが相当である。

6  被告の主張について

被告は,亡Aの業務による出来事に関する心理的負荷については判断指針により判定するのが相当であるとし,業務による負荷として,①日本薬局方13次改正に基づく規格改訂作業については,強度Ⅰに,②品質管理責任者に任命されたことは,強度Ⅰに,③品質管理係長に就任したことは,強度Ⅰに,④部下からの批判は,強度Ⅰに該当するが,いずれも強度Ⅰであり,「出来事に伴う変化等を検討する視点」に該当する事柄も,「特別な出来事」に該当する事柄も認められないから,総合評価は「弱」に当たり,そのこと自体から業務起因性が否定され,しかも業務以外の心理的負荷としては,株取引による多額の損失は判断指針別表2「多額の財産を損失した又は突然大きな支出があった」に該当し,その強度はⅢであり,原告の亡Aに対する対応ぶりは強度Ⅱに,子供の巣立ちは強度Ⅰに該当すると業務以外の心理的負荷の要素が強くあると主張する。

しかしながら,判断指針は,労働者災害の業務起因性に関する判断の合理性,統一性を確保するための行政内部の準則という性質を有するに止まり,事実上基準に該当するものは行政庁の判断として業務起因性が肯定され,これに該当しないものは業務起因性が否定されるという結果をもたらすものにすぎず,それに該当しない限り業務起因性が認められないという意味での法的効力はない。すなわち,判断指針は,専門家の報告書に基づき医学的知見に沿って作成されたもので,一定の合理性を認めることができるが,基準に対する当てはめや評価に当たって判断者の裁量の幅が広いこと,業務上,業務外の各出来事相互間の関係,相乗効果等を評価する視点が必ずしも明らかではないこと等からすれば,この基準をもって,精神障害の業務起因性の唯一の判断基準とまではいえず,指針は,精神障害の業務起因性を判断するための資料の1つに過ぎないというべきである。

そして,業務の与える心理的負荷の評価に当たっては,当該労働者が置かれた具体的な立場や状況等を十分しん酌して幅のある判断をなすべきところ,被告の亡Aの業務に伴う負荷に対する上記評価(専門部会U医師意見書,M医師,N医師各意見についてもほぼ同じ)は,特に,亡Aの品質管理の仕事に対する不適合,部下に馬鹿にされること,規格改訂の仕事に伴う心理的負荷等の評価において,これらをいずれも強度Ⅰに該当するとしているが,判断指針によれば強度Ⅰは日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷とされていることに照らすと,やや厳格に過ぎ,亡Aの置かれた立場,状況,能力等を十分に勘案しているかどうか疑問の余地がある(ちなみに,乙40の平成14年1月8日付の被告職員の調査復命書中には,亡Aがいわゆる「仕事が苦手」な部類の人間であったことがうかがえること,これを認定基準に当てはめてみると,「仕事内容・仕事量の大きな変化があった」心理的負荷強度Ⅱに該当し,修正要素として「死亡労働者の能力・経験と仕事内容のギャップ」を考慮し,強度Ⅲとすることができる旨の記載があり,乙28の平成15年10月20日付の再審査請求に係る被告意見書の中では,規格改訂の準備作業や資料作成,内部監査の準備はAにとって「仕事の内容・仕事量に大きな変化があった」ものと認められ,強度Ⅱに該当するとの記載があることが認められる。)。また,特に規格書改訂の業務に伴う心理的負荷の評価については,その判断の前提となるべき仕事の量,困難度等に対する事実把握が適切になされているか疑問であり,株の損失を強度Ⅲとみることは,亡Aの株取引の経過,家族の収入などからみて是認できず,原告の対応を強度Ⅱとみることは相当とはいえないことは,前記のとおりである。

以上から,被告の上記見解やこれに沿う医師らの見解をしん酌しても,当裁判所の前記判断を左右するものではない。

7  結論

以上の次第で,本件うつ病の発症とそれに基づく本件自殺には業務起因性が認められるので,これを否定した本件不支給決定は違法といわざるを得ない。

そこで,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由があるから認容することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 豊田建夫 裁判官 富永良朗 裁判官 櫻井進)

別紙1

亡Aのタイムカードに基づく拘束時間及び勤務台帳に基づく時間外労働時間

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平成9年12月については,亡Aの最後の出勤日は,同年11月22日である。

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