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さいたま地方裁判所 平成16年(ワ)1551号 判決 2008年6月04日

主文

1  被告は,原告に対し,709万1176円及びこれに対する平成13年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを10分し,その9を原告の負担とし,その余を被告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  原告

(1)  被告は,原告に対し,8000万円及びこれに対する平成13年8月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  被告

(1)  原告の請求を棄却する。

(2)  訴訟費用は原告の負担とする。

第2事案の概要

本件は,原告が,横断歩道を信号機に従い横断歩行中,被告運転の普通乗用自動車に衝突されるという交通事故(以下「本件事故」という。)に遭い,受傷し,治療費等の損害を被ったとして,被告に対し,不法行為による損害賠償請求権に基づき,総損害金9391万1806円のうち8000万円及びこれに対する本件事故日の翌日である平成13年8月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたものである。

1  争いのない事実

(1)  本件事故

ア 発生日時  平成13年8月7日午後7時25分ころ

イ 発生場所  さいたま市ab丁目c番d号交差点(本件事故当時の表示)

ウ 加害車両  普通乗用自動車(姫路××と××××。以下「被告車両」という。)

エ 運転者   被告

オ 被害者   原告

カ 事故態様  被告は,被告車両を運転し,交通整理の行われている上記交差点を越谷市方面から上尾市方面に向かい時速約10㎞ないし15㎞で右折進行中,右折方向交差点出口の横断歩道を信号機に従い左から右に横断歩行中の原告に自車を衝突転倒させた。

(2)  原告の受傷

原告(昭和24年8月26日生まれ)は,本件事故当日,S病院において,頭部外傷,頸椎捻挫,胸部挫傷により約3週間の加療を要する旨の診断を受けた。

(3)  責任原因

被告は,前記交差点において右折しようと進行した際,右折前方交差点出口には横断歩道が設けられていたので,前方左右を注視し,特に横断者の有無及び動静を確認して,進行すべき注意義務があるのにこれを怠り,横断者の有無及びその動静を充分に確認することなく,漫然前記速度で進行した結果,信号機に従い横断歩道を歩行中の原告を自車左前部に衝突転倒させ,原告を負傷させた過失がある。

(4)  損害の填補

原告は,平成15年8月6日,被告から,治療費等の仮払金として50万円の支払を受けた。

2  争点

本件の主要な争点は,

(1)  原告は,本件事故により低髄液圧症候群が発症したか(争点1)

(2)  原告の損害額はいくらか(争点2),

である。

3  双方の主張

(1)  争点1について

ア 原告

原告は,平成14年,外傷性頸椎症及び低髄液圧症候群と診断された。これらは,いずれも本件事故に起因するものである。原告が,本件事故後,頭部,頸部等の激しい痛みに悩まされ,就労も困難な状況にあるのは,これらの傷病によるものである。

これに対し,被告は,本件事故により原告に生じた傷病は頸椎捻挫であり,この頸椎捻挫は,平成14年1月30日には症状が固定したとして,その後原告に施された治療は,本件事故とは関係のない既存症ないし既存障害である頸椎椎間板ヘルニア及び変形性頸椎症のためにされたものであると主張する。しかし,原告においては,実に多彩な症状が残存しており,これらの症状は,頸椎椎間板ヘルニアや変形性頸椎症のみでは説明不能である一方,これを低髄液圧症候群とすれば,説明が可能である。実際,原告の症状は,低髄液圧症候群に対する効果的な治療法であるブラッドパッチ治療を実施することにより,顕著な改善が見られている。したがって,原告の諸症状に低髄液圧症候群が寄与していることは明らかである。

また,被告は,H病院において平成15年5月12日実施されたMRI検査により,原告には,頸椎脊柱管狭窄が確認され,同年7月25日には前方固定術が実施されたことをもって,原告の脊柱管狭窄は,平成14年5月30日時点では軽度であったものの,その後何らかの理由で進行したと主張する。しかし,結局のところ,前方固定術実施後も症状は残存していることや,本件事故前にはこのような症状がなかったことからすれば,脊柱管狭窄が原告の症状にさほど寄与していないことが明らかである。むしろ,原告に出現している多彩な症状や顎関節症のり患は,この疾病概念では説明できない。

イ 被告

否認する。

本件事故により原告に発症した傷害は頸椎捻挫であって,低髄液圧症候群ではない。硬膜に直接的に外力が加わることのない頸椎捻挫で,硬い硬膜が破れることはあり得ない。また,硬膜の周囲には,柔らかい脂肪組織が豊富に存在し,硬膜は,かかる脂肪組織に包まれて存在している。低髄液圧症候群の存在を信じている医師らによると,脳脊髄液が漏れる場所として推定されるのは神経根周囲であるとのことであるが,この部位も豊富な脂肪組織により覆われており,ここから髄液が漏れることも考えられない。したがって,頸椎捻挫により髄液が漏出すること自体あり得ないことといわなければならない。

もし仮に何らかの原因により硬膜損傷が起こり,髄液が漏れ出したとしても,数年もの長期間にわたりその状態が継続するということは考えられない。なぜなら,硬膜損傷が本件事故を契機に起きたとすれば,硬膜損傷と同時に出血が生じるはずであり,出血後細胞組織の治癒が始まり,しばらくして脳脊髄液の漏れは止まるはずだからである。一般的な脊髄手術において,まれに硬膜損傷が起き,結果的に脳脊髄液が軟部組織内に漏れることがあるが,漏出後1,2週間で軟部組織に袋(髄液痩)が形成され,硬膜内の髄液圧と髄液痕の中の圧力とが同じになり,それ以上の漏出は起こらず,頭痛などの症状は消失することになる。この点,原告について,初めて低髄液圧症候群の疑いが持たれたのは,平成13年8月7日の本件事故の発生から10か月間が経とうとしていた平成14年5月29日のH病院への入院検査の際であって,もし仮に原告について低髄液圧症候群の発症が認められたとしても,それと本件事故との間には因果関係がない。

(2)  争点2について

ア 原告

(ア) 治療関係費

a 治療費       90万6939円

b 入通院交通費  12万1450円

c 入院雑費      8万9569円

d 合 計      111万7958円

(イ) 休業損害

原告の現症状については,現時点においても完治したとはいえない状況であり,稼働できない状況に変わりはない。したがって,Iクリニックへの最終通院日である平成19年6月26日まで就労不能であったとして,休業期間は5年10か月間と評価すべきである。そうすると,原告の休業損害は,以下のとおり,1989万1726円となる。

3,411,960円×5.83=19,891,726円

(ウ) 逸失利益

後遺障害として原告に存在する症状は,低髄液圧症候群に由来する諸症状(7級5号)及びその合併症としての左側顎二腹筋後膜の筋・筋膜痛による開口障害(10級2号)と,前方固定術を実施した結果の頸椎の運動障害(6級5号)であるが,これは8級以上に該当する後遺障害が2つ以上である場合であるから,自賠法施行令2条1項3号ハにより重い方の等級を2級繰り上げると,4級相当となる。

原告の症状固定時期は,上記4級相当(労働能力喪失率92%)を前提とすると,平成19年6月26日である。したがって,就労可能年数は10年となり,ライプニッツ係数7.7217を用いて,逸失利益の額を算出すると,以下のとおり,4453万7591円となる。

6,269,400円×0.92×7.7217=44,537,591円

(エ) 慰謝料

a  入通院慰謝料

入院57日,通院5年9か月(平成13年8月7日から平成19年5月9日まで)を考慮すると,入通院慰謝料は,368万円と見るのが相当である。

b  後遺障害慰謝料

4級相当であるから,後遺障害慰謝料は,1670万円と見るのが相当である。

c  合計 2038万円

(オ) 小 計 8592万7295円

(カ) 損害の填補

原告は,治療費等の仮払金50万円を平成15年8月6日に受領しているので,これを損益相殺として上記の損害額合計8592万7295円から控除すると,8542万7295円となる。

(キ) 弁護士費用 850万円

(ク) 総損害額 9392万7295円

原告は,本訴において,うち8000万円を請求する。

イ 被告

争う。

(ア) 治療費について

本件事故による原告の頸椎捻挫は,平成14年1月30日症状固定に至ったものであるから,平成14年2月1日以降の治療費等は,本件事故と因果関係がない。

(イ) 休業損害について

原告は,従前,低髄液圧症候群について,後遺障害診断書に基づき,平成17年11月7日に症状固定したとしてきたにもかかわらず,後にこれを訂正し,平成19年6月26日症状固定とした上で,同日までの休業損害を請求している。しかし,その主張は,医学的根拠に欠け,矛盾しており,到底認められるべき根拠のないものである。

また,原告の開口障害を裏付ける医学的証拠はなく,原告の開口障害の原因及び本件事故との因果関係は不明であって,本件事故による損害賠償の対象外といわざるを得ない。

(ウ) 逸失利益について

原告が主張する後遺障害のうち,開口障害は,原告も自認するとおり,低髄液圧症候群の合併症とのことであるから,別個に後遺障害等級を観念すべきではない。上記のとおり,本件事故による原告の傷病は,平成14年1月30日症状固定に至ったものであるが,当時の原告の症状の詳細(症状の有無,内容,程度)は不明である以上,当時の原告の症状を基礎として後遺障害を認定することも不可能である。

また,原告は,逸失利益算定の基礎収入を平成16年度(賃金センサス)男子労働者学歴計平均賃金626万9400円を用いている。しかし,本件事故のころの原告の年収として確認できる資料は,平成13年度の原告の申告所得(203万7828円)しかないのであり,上記賃金センサスによる収入を得る蓋然性を裏付ける資料がない以上,これによることはできない。したがって,もし仮に原告につき逸失利益を観念し得るとしても,その基礎収入は,上記申告所得による203万7828円を基礎として算定すべきである。

第3当裁判所の判断

1  争点1について

(1)  本件事故の状況

前記争いのない事実と証拠(甲2,弁論の全趣旨)によれば,本件事故は,原告が,アスファルト舗装のされた交差点内の横断歩道を歩行中,同交差点を右折するため進行してきた被告運転の車両と接触して転倒し,受傷したものである。

(2)  本件事故後の原告の受診状況等

証拠(甲3の1ないし4,甲3の6,甲6ないし甲8,乙1ないし乙4,乙5の1ないし12,乙6,乙7の1ないし3,乙8,乙9,乙10の1・2,乙11,乙12の1・2,乙13,原告本人尋問の結果,弁論の全趣旨)によれば,以下の事実が認められる。

ア S病院

原告は,本件事故直後,救急車でS病院に搬送され,同病院の医師により,頭部外傷,頸椎捻挫,胸部挫傷により約3週間の加療を要する旨の診断を受けた。原告は,同日,同病院で,頭部CTスキャン,X線検査を受けたが,いずれも異常なしと診断された。

イ A病院

原告は,平成13年8月10日,右第5趾のしびれ,右手全体のジーンとする感じを主訴として,A病院を受診し,以後,同病院に同年9月17日までの間通院して治療を受けた。原告は,当初,右肩と右手のしびれを訴えていたが,平成13年8月15日の時点でしびれはなくなった。その後,原告は,平成13年8月21日の時点で頸部,僧帽筋及び肩胛骨の圧痛を訴えていたが,腕と手に異常はなかった。原告は,同年9月7日の時点でしびれはなくなったが,首の鈍さと痛みを訴えていた。そして,原告は,平成13年9月14日,頸椎MRI検査を受け,同月17日,医師から,第5/6頸椎の椎間板ヘルニアであり,全治約2か月との診断を受けた。

ウ Fクリニック

原告は,平成13年9月18日,左右腕のしびれ,両背部痛を主訴として,Fクリニックを受診し,以後,同病院に平成14年1月30日までの間通院して治療を受けた。原告は,時々,頸部痛,頭痛,めまい,右手しびれ,耳鳴りなどの症状を訴えたが,医師は,平成13年11月20日,これをバレルー症状と診断した。原告の平成14年1月30日時点の症状は,右手のしびれ,頸のこわばり,項部痛,上肢への放散痛等であった。

エ G整形外科

原告は,平成14年1月10日,手指のしびれ,握力低下,手指の可動時痛を主訴として,G整形外科を受診し,以後,同病院に同年3月8日までの間通院して治療を受けた。

オ H病院

(ア) 原告は,平成14年5月23日,右手のしびれ,起きていると悪化する頭痛の増大,長く立っていられないなどの症状を主訴として,H病院の脳神経外科を受診した。そして,原告は,入院して検査を受けることになった。

(イ) 原告は,平成14年5月29日から同年6月10日まで同病院に入院し,ミエログラフィー(脊髄造影)検査,脊髄のCTコンピューター断層撮影検査,GdMRI検査等を受けた。その結果,原告は,軽度の脊椎管狭窄と,GdMRIにより硬膜肥厚があり低髄液圧症候群の所見があるとされ,ブラッドパッチ治療を受けることになった。そして,原告は,平成14年6月7日,第3/4腰椎へのブラッドパッチ治療を受けた。その結果,原告は,「頭がすっきりして良くものが見えるようになった。」と話すなど,症状の改善が認められたため,平成14年6月10日,H病院を退院した。

(ウ) その後,原告は,平成14年9月5日,左手,足のしびれ,首が突っ張る感じ,視力も少し悪くなった感じがあると訴え,H病院脳神経外科を外来受診し,ブラッドパッチ治療施行等の目的で入院することになった。そして,原告は,平成14年10月29日入院し,同年10月30日,第2/3腰椎へのブラッドパッチ治療を受けた。しかし,さして治療の効果はなかった。原告は,同年11月2日,退院した。

(エ) 原告は,平成15年3月19日,後頭部のつっぱり,腰痛,左眼痛,頭痛,両足底しびれ,咽頭部しめつけ感等を訴えて,H病院に入院した。原告は,平成15年3月19日,第2/3腰椎へのブラッドパッチ治療を受けた。今回の治療もさして効果がなかった。原告は,同月22日,退院した。

(オ) 原告は,平成15年6月12日,H病院脳神経外科において,頸椎MRI検査を受けた。その結果,医師は,原告の第4から第7頸椎に狭窄があり,第5/6頸椎の狭窄が強いと診断された。原告は,平成15年7月25日,H病院に入院し,ミエログラフィー検査を受けた。医師は,原告の第1/2腰椎に後方穿刺を認め,原告は,入院の上,頸椎前方固定術を受けることになった。そこで,原告は,平成15年7月24日から8月9日まで,H病院に入院し,同年7月25日,第5/6頸椎の前方固定術を受けた。原告は,この手術後,手のしびれは低下し,頭痛も軽快した。

(カ) その後,原告は,平成15年11月,頭痛,背中の痛み,手足のしびれ等を訴え,平成16年1月26日,H病院脳神経外科において,頸椎MRIを受けたところ,脊髄神経根症と診断され,第6/7頸椎があやしいと診断された。そして,原告は,平成16年6月22日から同月26日まで,H病院に入院し,6月23日,第7頸椎から第1胸椎へのブラッドパッチ治療が行われた。しかし,原告の症状に特段変わりはなかった。

(3)  低髄液圧症候群についての医学的知見

証拠(甲16,甲17,乙11)によれば,以下の事実が認められる。

ア 脳と脊髄は,硬膜,くも膜,軟膜の3つの膜に保護されているが,硬膜と軟膜の間にあって,脳及び脊髄の周囲を循環しているのが髄液である。この髄液は,循環することによって,神経活動や新陳代謝による老廃物を運ぶ役割とともに,脳がこの髄液中に浮くことによって,直接脳が中枢神経に接触することを防ぐクッションの役割をしている。この髄液が循環している硬膜に,何らかの衝撃で穴が空き,髄液が硬膜外に漏れ出すことによって髄液が減少し,脳が通常の位置から下方にスライドすることによって多彩な症状が長期間にわたって持続するのが低髄液圧症候群と呼ばれる傷病である。

イ 低髄液圧症候群の基本的症状は,起立性頭痛であり,このほかに,項部硬直,耳鳴り,聴力低下,光過敏,悪心などの症状が現れる。低髄液圧症候群の診断を難しくしていることの一つに,低髄液圧症候群が多彩な症状を示すことが挙げられるが,多彩な症状を示すからといって,そのことから直ちに低髄液圧症候群であるということはできない。

ウ 現在,低髄液圧症候群の画像所見として認められているのは,Gd(造影検査)における硬膜の増強,MRI,RI脳槽シンチ,CT脊髄造影などによる直接的な髄液漏の画像である。しかし,低髄液圧症候群は,多彩な画像所見を示すことが知られており,このことが低髄液圧症候群の診断を難しくしている。

エ 低髄液圧症候群は,特に誘因なく発症するものや,咳をしたり,いきんだり,軽い運動をしただけで発症するものまで報告されている。いずれにしても,低髄液圧症候群は,軽度の外傷により発症する可能性は十分にあり,むち打ち後に発症したとしてもなんら否定できない。

オ 髄液漏の発生時期と低髄液圧症候群の症状の発生時期に関しては,腰椎穿刺後の低髄液圧症候群で詳しく知られている。腰椎穿刺後から2日以内に発症することが一般的であるが,1週間程度を経て発症する例も存在する。国際頭痛分類の記載では,腰椎穿刺後の起立性頭痛は,「硬膜穿刺後5日以内に発現」と記載されている。

カ 低髄液圧症候群の治療法としては,保存的療法,硬膜外腔に血液又は生理食塩水を注入する方法,手術をする方法がある。多くの場合は保存的療法が取られているが,硬膜外腔への注入についても歴史の古いスタンダードな治療法として確立されている。

(4)  低髄液圧症候群発症の有無と本件事故との因果関係

ア 以上説示したところによれば,原告と低髄液圧症候群については,以下の点を指摘することができる。

(ア) 低髄液圧症候群は,髄液が漏出することによって症状が出現するものであり,髄液漏の発生時期と低髄液圧症候群の症状の発生時期とは,2日若しくはせいぜい1週間程度の短期間とされているが,原告の場合,本件事故後約半年間,低髄液圧症候群の基本症状とされる起立性頭痛を訴えていない。他方,原告は,本件事故後,頸部痛,手足のしびれ,後頸部のこり等多彩な症状を訴えているが,これらは,頸椎捻挫に伴うバレルー様症状と理解することが可能である。

(イ) 原告は,平成14年5月29日から同年6月10日までH病院に入院し,GdMRI検査等を受けた結果,硬膜肥厚が判明し,低髄液圧症候群の所見があるとされ,腰椎へのブラッドパッチ治療を受けているが,その際,髄液の漏れがどこにあるかという検査を受けてはいないし,これを確認する作業も行われていない。腰椎へのブラッドパッチ治療は,経験に基づいて行われたにすぎない。

(ウ) このブラッドパッチ治療の直前,原告は,脊髄造影検査を受けているが,この脊髄造影検査においては,硬膜を穿刺して脳脊髄液に造影剤を混入させることが行われる。その際,脳脊髄液は,必ず穿刺孔から硬膜外腔に漏れるが,もし原告が当時低髄液圧症候群にり患していたというのであれば,穿刺による脳脊髄液の漏出により,もともと原告にあった低髄液圧症候群に伴う症状はさらに悪化したはずである。しかし,原告にこのような症状が現れたことを示す看護記録等は存在しない。

(エ) H病院は,原告に対し,腰椎へのブラッドパッチ治療を3回試みたが,原告の症状は,大きくは改善することはなかった。このため,H病院は,原告の症状が頸椎症に由来する可能性もあると考え,頸椎の前方固定術を行った。しかし,原告には,足のしびれや肩の痛みが残ったため,医師は,さらに頸椎へのブラッドパッチ治療も行った。しかし,このブラッドパッチ治療も,さしたる効果はないまま終わった。

イ 以上によれば,原告は,本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い,手足のしびれ,頸部痛等の症状が出現したものの,約半年間,低髄液圧症候群の基本的症状とされる起立性頭痛はみられなかったものであり,また,原告は,H病院において低髄液圧症候群と診断され,腰椎部に3回,頸椎に1回の合計4回にわたりブラッドパッチ治療を受けたものの,さしたる効果のないまま終わっていること,さらに,H病院の医師は,原告が低髄液圧症候群であると診断した根拠として,原告の起立性頭痛の訴えとGdMRIによる硬膜肥厚とを挙げるが,画像所見等,他に客観的根拠を挙げているものではないこと,そして,そもそも低髄液圧症候群自体,未だ不明な点が多く,確たる診断基準があるわけではないこと等にかんがみると,原告が本件事故により低髄液圧症候群を発症したとするには,なお合理的な疑いがあるといわなければならない。

(5)  本件事故と相当因果関係のある原告の傷病

本件事故により原告が頸椎捻挫を発症したことについては争いがないところ,証拠(甲3の3)によれば,それによる原告の手足のしびれ,頸部痛等の症状は,受傷後約半年を経過した平成14年1月30日の時点では概ね安定し,対症療法だけが行われていたものと認められるから,上記の時点で症状が固定したものというべきである。

そして,その後の原告の通院状況や医師に対する訴え等からすると,原告には,症状固定後も自賠法施行令後遺障害等級表12級12号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に相当する後遺障害が残ったものと認めるのが相当である。

2  争点2について

(1)  治療関係費

前記のとおり,原告の頸椎捻挫は,平成14年1月30日の時点で症状が固定したものと認められるから,本件事故日から平成14年1月30日までの治療費は,本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。証拠(甲5,弁論の全趣旨)によれば,その金額は,合計87万4699円と認められる。

(2)  休業損害

ア 基礎収入

原告の休業損害を算定するに当たっての基礎収入は,原告の平成13年度の申告所得である203万7828円(甲4)を基準に算定すべきである。原告は,賃金センサスの平均賃金を基に算定すべきであると主張するが,本件において,原告に,賃金センサスの平均賃金程度の収入が得られる蓋然性があると認めるに足りる証拠はない。

イ 休業期間

証拠(原告本人尋問の結果,弁論の全趣旨)によれば,原告は,デパート等の催事場において,弁当の展示調理業を請け負っていたが,本件事故後,手のしびれ等のため包丁が使えず,頸部痛等も重なり,就労できない状態に至ったことが認められるから,症状固定日である平成14年1月30日まで休業を余儀なくされたものというべきである。

ウ 休業損害の計算

そうすると,原告の休業損害は,98万8207円となる。

2,037,828円×177日/365日=988,207円

(3) 通院慰謝料 85万円

本件事故により被った原告の主たる傷病名は頸椎捻挫であるところ,証拠(乙1ないし乙3,弁論の全趣旨)によれば,原告は,この治療のため,本件事故発生日から症状固定日の平成14年1月30日まで通院治療を受け,その実日数は98日であることが認められる。これによれば,原告の通院慰謝料は,85万円と認めるのが相当である。

(4) 逸失利益

原告が,症状固定後もさまざまな不定愁訴に悩まされ,通院や入院を繰り返していること,さらには,現在も現実に就労することが困難な状況にあること等にかんがみると,原告には,自賠法施行令後遺障害等級表12級12号に相当する後遺障害が残っており,その労働能力喪失割合は14%,労働能力喪失期間は10年と認めるのが相当である。

原告の基礎収入を前記のとおり203万7828円とし,10年のライプニッツ係数を7.7217として,原告の逸失利益の額を算定すると,220万2969円となる。

2,037,828円×0.14×7.7217=2,202,969円

(5) 後遺障害慰謝料

原告の後遺障害慰謝料は,290万円と認めるのが相当である。

(6) 小計

ア  以上によれば,原告の損害額は,以下のとおりとなる。

a 治療関係費 87万4699円

b 休業損害 98万8207円

c 通院慰謝料 85万円

d 逸失利益 220万2969円

e 後遺障害慰謝料 290万円

f 合 計 781万5875円

イ  被告は,原告には,椎間板ヘルニアと変形性頸椎症の既存症があるから,原告の損害額から30%の素因減責をすべきであると主張する。確かに,証拠(甲41,乙12の1・2)によれば,FクリニックのJ医師は,被告訴訟代理人の弁護士法23条の2に基づく照会に対し,原告には,椎間板ヘルニアと変形性頸椎症の既存症があるものの,本件事故に起因するものではないと回答したこと,ところが,同医師は,その後この回答を訂正し,原告には,XP,MRIにて他覚的に変形性頸椎症(軽度頸椎椎間板ヘルニア)像を認めるが,これらは,一般的退行性変性所見としてよく見受けられるもので,無症状に経過し,既存症,既存障害としての病名とは考えられない旨回答していることが認められる。そうすると,原告に,被告の主張するような既存症があるとして,その損害から素因減責をするのは相当でない。

(7) 損害填補

ア  填補分

a 弁論の全趣旨によると,被告から,S病院,A病院,Fクリニックの治療関係費として,87万4699円が支払われていることが認められる。

b 被告が,賠償金内払として,50万円を支払ったことは争いがない。

c 合 計 137万4699円

イ  損害額

そうすると,原告の損害額は,644万1176円となる。

(8) 弁護士費用

弁護士費用の額は,65万円と認めるのが相当である。

(9) 総損害

以上によれば,原告の総損害額は,709万1176円となる。

3  結論

よって,原告の本訴請求は,主文第1項掲記の限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤壽邦)

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