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さいたま地方裁判所 平成17年(わ)209号 判決 2005年10月12日

主文

被告人を懲役12年に処する。

未決勾留日数中180日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯,犯行状況等)

1  犯行に至る経緯

(1)  被告人は,平成12年夏ころからAと交際を始め,被告人が16歳であった平成13年6月に,妊娠を切っ掛けとしてAと婚姻した。被告人は,同年8月7日,長女B(以下「B」という。)を出産したが,Bは,出生時,身長が49.9cm,体重が2815gあって,体格や体調に異常はなく,その後も順調に発育していた。

(2)  被告人は,Aとの結婚生活が順調なうちは,それなりにBの面倒もみていたが,Aとの関係が破綻し,平成15年2月にBを連れて実家に戻ってからは,父親からたびたび注意されても,家事もせず,家で寝ているか,外出しては深夜や翌朝まで実家に帰らないで,Bの育児を家族に任せきりにするような怠惰な生活を続けた。

そのため,被告人は,父親から,家事や育児をしないのであれば外で働くようにと厳しく叱られて,カラオケ店でのアルバイトを始めたところ,同店のアルバイト仲間であるCと知り合って,同年11月から交際を始め,同店を無断欠勤して解雇された後も,Bを自宅に置いたまま仕事を口実に出掛けては,Cの住むアパートに入り浸るようになった。

ところが,平成16年4月21日,仕事を辞めたことが両親の知るところとなり,父親から,「働かないなら出ていけ」などと厳しく叱責されたことから,被告人は,翌22日,実家に「いい人間,いいお母さんになれるよう一から自分で頑張ろうと思います」との置き手紙をしただけで,連絡先も教えないまま,Bを連れて,後記のC方居室(以下「本件居室」ともいう。)に転がり込んだ。

(3)  被告人は,その後,スナック等で働きながら,3人の生活を支え,昼間は,Bを公園に連れて行ったり入浴させるなどの世話をし,出勤時刻である午後8時の前に,夕食を3人で摂るような生活を送っていたが,同年8月から,出勤時刻が午後7時に早まって,3人で夕食を摂ることができなくなり,Cが被告人に代わってBに夕食を与えるようになった。しかし,そのころは,Cも,Bを可愛がり,Bの誕生日には3人でお祝いするなど,円満な関係が続いていた。

ところが,Cは,同年9月ころから,Bが泣くと,「うるさいな。何とかなんないの。」,「音楽する時間がないな」などと言って,Bを疎んじるような態度を見せたり,被告人にも,「その話はもういいや」,「Bを実家に帰せば。2人で出ていって生活保護を受けろよ。」などと冷たくあしらうようになった。そのため,被告人は,CがBを邪魔に思っていると感じ取って,自分がBの面倒をみている姿をCに見られると,自分まで嫌われるのではないかと思うようになった。

(4)  そこで,被告人は,Cに嫌われたくない一心から,BをCの目に触れないところに離そうと決意し,同年10月上旬ころ,Bを本件居室のロフト(幅約2.6m,奥行き約1.1m,高さ約0.9m,居室床面からロフト床面までの高さ約2.0m)上に上げて,Bには,「今日からここがBちゃんの部屋ね。降りちゃだめだよ。」などと言い聞かせるとともに,Cには,「Bの面倒はもうみなくていいから」と告げたところ,Cもこれに同意したこともあり,被告人は,同月下旬ころまでに合計2回ほど入浴させた以外は,Bをロフトから降ろさなくなった。こうして,Bはロフト上,被告人とCはロフト下の居室部分で別れて過ごし,被告人が時折Bの世話をするためにロフトに上がる生活が始まった。

(5)  被告人は,CがBを嫌っており,Bの面倒をみていると自分まで嫌われてしまうとの思いから,BをCの目に触れないロフト上に追いやっただけでなく,Bの世話も次第にしなくなっていった。

まず,被告人は,同年10月下旬ころからしばらくは,仕事をほとんどしていなかったが,昼ころ,出張ホストのアルバイトを始めたCと一緒に出掛け,職探しやアパート探しをするなど,夜になるまでBを1人残したまま家を空けることが増えていった。これに伴い,被告人は,Cの仕事が終わるころに待ち合わせをして外で夕食を済ませた後,Bには,帰りに立ち寄るコンビニエンスストアで買ったおにぎりや菓子パン,ジュース類を与えるなど,Bの食事を1日2食から夕食1食に減らした。また,被告人は,Bの布団が汚れると,これを捨ててしまい,ソファのクッションの上にバスタオルを掛けて寝かせるようになったほか,Bが泣きやまないときなどに,感情的になって,Bの腕や足をはさみの持ち手部分やガムテープ,金属製のティッシュケースで強く殴ったり,Bの顔や頭,体を拳や平手で殴るなどの暴力を振るうようにもなった。

さらに,被告人は,同年11月上旬ころからは,Bに与える食事の量を更に減らして,それまでのおにぎりや菓子パン2個であった夕食を1個にしたほか,Bを風呂に入れず,着替えもさせなくなった。そのため,同年10月下旬ころまでは,元気にロフト上を歩き回ったり,1人で歌を歌ったりしていたBは,段々と食事を残すようになり,排泄量も減っていった。

(6)  同年11月中旬,被告人は,人材派遣会社に登録して,検品や仕分けの仕事を始めたが,その後も,日中に仕事に出掛ける際は,Bを暖房を切った本件居室内に置き去りにし,食事はCと外で摂る一方,Bには前同様におにぎりや菓子パン等を買い与える生活を続け,そのような状況は,被告人の仕事が休みの日も,昼間2人でパチンコに出掛けるなどして,ほとんど変わらなかった。また,被告人は,その気まぐれから,Bに食事を与えない日もあった。

このころから,Bは,与えられる食事を数口食べるほか,コップ4分の1程度の水分しか摂ることができなくなり,次第にやせて,手足の肉が落ち,頬もこけ,あばら骨もだんだん浮き上がってきて,1人でしゃべることも少なくなった。排泄も,大便が1週間に大さじ一,二杯程度にまで減ってしまい,立たせてもよろけてすぐ座り込み,支えなければ歩けないようにもなった。

被告人は,急激にやせていき,食事を摂ることもできず衰弱していくBの様子を見て,Bの死を意識したが,Bの実の父であるAにも,立派な母親になるという置き手紙を残して飛び出した実家の両親にも,Bの状況を知られたくないとの思いから,Bを病院に連れて行くことはなかった。

2  殺意の形成及び共謀の成立

(1)  同年12月に入ると,Bは,あばら骨がはっきり浮き上がり,腕や足も非常に細くなり,頬がこけて目が落ちくぼみ,髪の毛も抜け始めて,額がはげ上がる状態となり,自分で起き上がることもできず,寝たきりとなって,自分から話しかけることもなくなった。

ところが,被告人は,やせ細ったBを可哀相に思いながらも,Bを病院に連れて行って,Cや実家の両親にBの状況を知られることが怖く,そして何よりも,Cとの生活を続けたいとの思いから,Cや実家の両親に連絡することも,Bを病院に連れて行くこともなく,Bに対して従来どおりの扱いを続けた。

(2)  同月6日,仕事中の被告人の携帯電話に,Cから,Bを風呂に入れた旨のメールが届いた。被告人は,やせ細ったBをCに見られたショックを隠しながら電話したところ,Cは,「Bは大丈夫なの。病院に連れて行かなくていいの。このままじゃ危ないんじゃないの。髪の毛がすごい抜けてたよ。」などと言ってきた。

このCの言葉を聞いて,被告人は,以前から感じていた,Bが死んでしまうかもしれないことをはっきりと意識したが,もうそうなっても仕方がないという気持ちから,「本当にBの面倒はみなくていいから。ロフトには二度と上がらないで。Cは何も知らなかったことにして。」などと言って,病院に連れて行くことを断ったところ,Cも,「分かった」と答えて,これに同意した。

(3)  次いで,同月8日ころ,被告人が,寝たきり状態のBを抱き起こしてインスタントラーメンを食べさせていると,Bが,急に食べた物を嘔吐した。被告人は,Bをこのまま放置すれば死んでしまうと思ってパニック状態になり,とっさに「Bが吐いちゃう。どうしよう。」などと大声を出したが,心配したCから,「どうしたの」,「本当に大丈夫なの」などとBの様子を尋ねられると,「本当に大丈夫だから。Cは何も知らなかったことにすればいいから。ロフトには絶対に上がらないで。」などと強い口調で答えた。すると,Cは,黙ってうなずいて,これに同意した。

(4)  ここに,両名は,Bに対して従来どおりの扱いを続ければ,Bが確実に死んでしまうことを認識しながら,それもやむを得ないとの考えから,あえてBを放置する意思を暗黙のうちに通じた。

なお,その後も,Cは,被告人に対し,何度か,「実家に連絡した方がいいんじゃないか」などと言って,医療機関による治療等の必要性を指摘することもあったが,被告人が,「CはBのこととは関係ないからいいの」などとこれに応じる意思のない旨答えると,それ以上は何も言わなかった。

3  犯行状況等

(1)  被告人は,その後も,それまでと同様の生活を続け,Bを医療機関に連れて行くこともなかった。ところが,Bは,同年12月8日以降,被告人が与えようとするおにぎりや菓子パン等をすぐに吐くなど,食事をほとんど受け付けなくなった。そのため,被告人は,食事代わりに,細かく砕いたチョコレートを口に入れてやっていたが,Bは,一気にやせていき,排泄も,大便がなくなったほか,小便の量も減っていった。

また,このころになると,被告人は,それまでBを寝かせていたソファのクッションが汚れたとしてこれを捨て,重ねた新聞紙の上にタオルを敷いてBを寝かせるようになり,さらに,市販の紙おむつを使うのをやめて,紙おむつの形に新聞紙をガムテープで留めて,股にタオルをあてがい,おむつとして使用していた。

(2)  平成17年1月に入ってからも,被告人とCは,Bに対して,前同様の扱いを続け,両名の間でBのことが話題に出ることもなくなった。しかし,被告人は,病院に連れて行かないとBが死ぬであろうとの思いも強くなり,Bが生きているかどうかを確認するため,朝夕2回の食事を与えるようになったが,Bは,おにぎりや菓子パン,ラーメン等はすぐに吐いて受け付けなかったため,結局,平均すると1日にチョコレート3片と水分コップ4分の1程度をBに与えたのみであった。

(3)  なお,同月18日ころ,被告人が,Bに食事を与えたところ,Bがいつものように食べた物を吐き出したのを見て,堪えきれなくなり,「Bがまた吐いちゃう。どうしよう。自分がこんな姿にしちゃった。」などと言って号泣し,Cが,「大丈夫」などと言って気遣う様子を示したこともあったが,その後も,両名がBの扱いを変えることはなかった。

(4)  そして,被告人は,同月22日の朝,Bにチョコレート一,二片とジュースをコップ4分の1程度与えた後,暖房を切って,Cと共にパチンコに出掛け,同日午後8時過ぎころ,帰宅したところ,Bが死亡しているのを発見した。

(罪となるべき事実)

以上のとおり,被告人は,埼玉県所沢市a町b番地所在のアパートcのd号室のC方居室において,同人及び被告人の長女B(平成13年8月7日生。当時3歳)と同居していたものであるが,同児に十分な食事を与えなかったことなどによって,同児を極度にやせたるいそう状態に陥らせ,平成16年12月上旬ころには医療機関による治療を受けさせなければ同児が低栄養によって死に至る危険があることを認識したのであるから,直ちに治療を受けさせる義務があったにもかかわらず,同児が死亡してもやむを得ないと決意し,Cと共謀の上,そのころから平成17年1月22日までの間,同児に医療機関による治療を受けさせることなく,同児を同室内のロフト上に隔離したまま放置し,よって,同日,同所において,同児を極度の低栄養により飢餓死させて殺害した。

(証拠の標目)

省略

(法令の適用)

省略

(量刑の理由)

1  本件は,被告人が,交際相手と共謀の上,前夫との間の当時3歳の長女(以下「被害児」という。)を,3か月余りもの間,交際相手と同棲していたワンルームのアパートのロフト上に隔離し,極めて不十分な食事と排泄の世話をする以外はほとんど構わず,被害児を極度にやせたるいそう状態に陥らせて,医療機関による治療が必要な被害児に治療を受けさせないまま,極度の低栄養により飢餓死させた事案である。

2  被告人は,16歳で前夫との間に被害児をもうけたが,前夫との同居中も,前夫との関係が破綻して実家に戻ったときも,育児に身が入らず,両親からその怠惰さを叱責されて実家を飛び出す際には,両親に対する手前もあって,「いい人間,いいお母さんになれるよう一から自分で頑張ろうと思います」という書き置きをして,共犯者方に転がり込んだ。ところが,被告人は,被害児が共犯者の自分に対する愛情の障害とみるや,必要な保護養育のほとんどを放棄して,次第に被害児を衰弱させ,日々,僅かな食事を与える際に,通常人であれば正視に耐えないほどにやせ衰えた被害児の哀れな様子を現認して,治療の必要性も十分に認識しながら,漫然と死にゆくままに任せて殺害したものである。

もとより,被告人自身,年若くして子供をもうけ,これを慈しみ育てるには精神的に未熟な面があったことは否定できないとしても,本件は,絶対的な依存の対象であり,保護養育の主体であるべき母親から受けた仕打ちとして,3歳の幼児にとっては余りに残酷であるばかりか,およそ,狭いアパートの一室で生活を共にしていた者の所行としてもあり得ないほどに冷酷非道な犯行といわざるを得ない。

3  また,犯行の動機や経緯についてみても,被告人は,共犯者に執着する余り,共犯者が,血のつながりのない被害児を疎んじ,被害児はおろか,その母親である被告人からも心が離れる態度を示したことに過敏に反応し,共犯者の愛情をつなぎとめようとして,被害児があたかもいないかのように振る舞おうとする余り,被害児を極めて邪険に扱ったものである。そして,共犯者も,被害児の世話を面倒がって,これに同調するや,被告人と共犯者の両名は,被害児を残したまま好き放題に外出し,食べたい物を食べ,パチンコに興じるなどして,日常生活を謳歌する一方,被害児に対しては,殊更に無視して顧ることなく,狭いアパートの更に狭いロフト上に居場所を限定し,寝たきりとなり経口による栄養摂取もできなくなるまで放置し続けたのである。

そして,被害児が,医療機関による治療が不可欠な状態に陥ってからも,被告人らは,前同様の理由から,医療機関に被害児の救命を求めなかったばかりか,被告人としては,実家や前夫に助けを乞うことも極めて容易にできたにもかかわらず,被害児の悲惨な状況を知られるのを恐れるとともに,共犯者との生活を継続したいとの思いから,それすらもしなかったのである。このような身勝手極まりない動機や経緯に酌量の余地などありようはずがなく,自らの都合のみで幼気な我が子の生命を奪ったものであって,厳しい非難に値する。

4  しかも,被告人は,被害児をロフト上に上げて以降は,風呂や食事,排泄の世話を怠るようになっただけでなく,次第に,被害児が泣きやまないときなどに,共犯者が嫌がることを慮り感情的になって,その身体を,平手や手拳のみならず,はさみの持ち手部分やガムテープ,金属製のティッシュケースでも強打するようになり,被害児が動けなくなるほど衰弱してからも,暴行を継続し,本件の数日前にも暴行を加えていたことがうかがわれるのであって,この点からも誠に悪質な犯行というべきである。

被害児に対するその余の扱いをみても,寝具については,当初使用していた布団が汚れたと言っては,ソファのクッションに寝かせ,これが汚れると,重ねた新聞紙の上にタオルを敷いて寝かせるようになり,また,おむつについても,当初使っていた市販の紙おむつもやめて,新聞紙とタオルの切れ端で作ったおむつを利用していたほか,冬に向かうにつれ厳しく冷え込むようになった室内に,暖房も切って被害児を1人置き去りにするなど,劣悪化の一途をたどっている。この点,被告人は,被害児が可哀想に思ったが,共犯者に気兼ねして待遇の改善を言い出せなかったとも述べているが,その程度の理由によって,実の母親から上記のような手酷い仕打ちを受けざるを得なかった被害児は,痛ましい限りである。

5  そして何よりも,被害児は,僅か3歳にして,約4か月間にわたる虐待の末に,その生命を断たれ,多くの可能性を秘めた将来を奪われており,結果は極めて重大である。被害児は,出生時から健康に恵まれ,前夫との同居中は同人の,被告人が実家に帰ってからは,被告人の実家の家族の愛情を一身に受けて,順調に成長し,被告人と共犯者が同棲するようになってからも,被告人や共犯者によくなつき,被告人からロフト上に上げられたその時でさえ,被告人の身勝手な思いなど疑うべくもなく,無邪気に自分の部屋ができたと言って喜んでいたものである。

その後,上記のような仕打ちを受けながらも,幼く,大人の庇護に頼る以外生きる術のない被害児が,狭い空間に隔離された中で,僅かに与えられる食物や被告人の垣間見せる愛情等を心待ちにしながら,懸命に生き続けていたことは想像に難くない。ところが,被害児は,遂には被告人らによる助けを得られないまま,低栄養のため消化吸収機能の低下を経て全身諸臓器が退行変性し,低栄養ないしストレスにより頭部から大量に脱毛し,仙骨部・左右上前腸骨棘部・左右下肢の褥創,臓器の癒着,打撲傷及び大腿骨骨折等の重い傷害を負い,さらに,臀部にはかび様の物が生えているという悲惨な状況で命を落とさざるを得なかったのであって,その被った苦痛や絶望感は筆舌に尽くし難いものがある。

また,被告人の前夫は,被告人に実の子である被害児を連れ去られた上,その約2年後には,見る影もなく変わり果てた亡骸と対面せざるを得なかったのであり,同人が「私は,被告人のこともCのことも殺したいくらい憎んでいますし,2人とも死刑にしてほしいと思っています。」などと述べて,被告人に対する厳罰を希望しているのも,当然というべきである。

6  個別情状についてみても,被告人は,被害児の母親として第一次的に被害児を保護養育すべき立場にありながら,共犯者の愛情をつなぎとめたいという身勝手極まりない理由から,被害児を自らの手でロフトの上に隔離した上,共犯者には,被害児の世話を断り,自らは,被害児の世話を徐々に放棄し,暴行まで加えていたのであって,被告人が本件において主導的な役割を果たしたことは明らかである。殊に,被告人は,平成16年12月初め,共犯者が被害児を風呂に入れた際,共犯者から,医療機関による治療の必要性を指摘されただけでなく,その後も何度か同様の指摘を受けていたのに,その度に,共犯者には関係ないなどと述べて被害児の救命を拒否し,これを受け入れた共犯者と共に,犯行を継続したもので,その責任は共犯者のそれを上回るといわざるを得ない。

7  加えて,近年,乳幼児虐待の増加は,大きな社会問題となっており,本件についても,実の母親が我が子を飢餓死させた事例として広く社会に報道されたものであって,その社会的影響も軽視できないものがある。

8  以上によれば,被告人の刑事責任は相当に重大であるというべきである。

9  他方,被告人は,被害児の死亡結果を認容していたとはいえ,それを積極的に意欲していたとまでは認められないこと,被告人が,逮捕の当初から事実関係を素直に認め,自己の犯した罪の重大性を被告人なりに認識して,真摯な反省の態度を示していること,本件の一因として,被告人の精神的未熟さがあったことは否定できないこと,被告人の母親が,情状証人として出廷し,被告人の父親共々,被告人が真に更生して,本人が望むのであれば,実家に迎え入れる用意があると述べるなど,被告人の更生への協力を約束していること,被告人が,前夫に対し,謝罪の手紙を送付していること,被告人は,犯行時20歳,現在も21歳と年若い上,前科前歴もないこと,その他被告人のために酌むべき事情も少なからず認められる。

なお,被告人は,被害児に対して,その死亡の当日まで食事や水分を与えようとしており,また,同日には新たに市販のおむつを買い入れていて,これらの行為は,被害児に対する愛情の発露とみる余地もある。しかし,その食事や水分は,被害児の生命維持にも足りない程度のものであり,むしろ被害児の苦痛を長引かせる結果にもつながっていることからすると,こうした点を被告人に有利な事情として重視することは相当でない。

10  そして,本件の結果の重大性,犯行態様の非道さ,遺族の被害感情の厳しさ,被告人の果たした主導的役割等を考慮すれば,被告人に対してはその重大な責任に見合った刑罰を科するほかはなく,さらに,その動機や経緯の身勝手さにも照らすと,その服役の期間中,被害児の冥福を祈らせ,内省を深めさせる必要があるものと認められる。そこで,以上検討してきた諸事情を総合考慮すると,被告人に対しては懲役12年に処するのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中谷雄二郎 裁判官 蛯名日奈子 裁判官 髙嶋由子)

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