さいたま地方裁判所 平成17年(ワ)1545号 判決 2007年3月06日
主文
1 被告は,原告に対し,金944万4730円及びこれに対する平成12年9月19日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用はこれを3分し,その2を被告の,その余を原告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告に対し,金1449万3610円及びこれに対する平成12年9月19日から支払済みまで年6パーセントの割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は,被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,被告と雇用契約を締結して勤務し,平成12年9月8日に退職した原告が,被告の就業規則の退職金規定による退職金請求権に基づき,被告に対して退職金を請求している事案である。
2 前提となる事実(証拠の摘示のない事実については当事者間に争いがない。)
(1) 被告は,埼玉県公安委員会指定の自動車教習所として,自動車の運転に関する技能及び法令並びに自動車の構造及び取扱方法についての教習を行うこと等を業とする株式会社である。
(2) 原告は,昭和57年10月1日に被告と雇用契約を締結し,被告に勤務するようになったが,その当時満55歳であり,昭和62年4月29日に満60歳になった(原告本人)。
(3) 原告は,平成12年9月8日に被告を退職した。
(4) 被告の就業規則(以下「本件就業規則」という。)では,従業員の給与は,別に定める「給与規定」によるとされている(34条)。そして,従業員とは,「(1)社員(含試用期間),(2)前項の外必要に応じて嘱託を置くことがある」の一つに該当するものをいうとされ(3条),従業員の停年は満60歳とし,停年に達したときは退職させると定められている(7条)。
また,本件就業規則では,従業員の退職手当は,別に定める「夏季・年末・退職手当規定(以下「本件退職手当規定」という。)」によるとされ(34条),本件退職手当規定7条第1項では,退職金は,「基準給額1か月に第1号から第8号までにより計算した額を加えた額を支給されるもの」とされており,同項4号と5号は下記のとおりである。
記
「4号 10年以上15年未満継続して勤務した従業員には,勤続した各1か月に対して基準給の3.0倍の1/12の割合で計算した額。
5号 15年以上20年未満継続して勤務した従業員には,勤続した各1か月に対して基準給の3.5倍の1/12の割合で計算した額。」
さらに,本件退職手当規定8条は,希望退職による退職金支給額を定めており,同条では,「6か月以上勤続した後辞職する従業員に対しては,前条の規定による通常の支給額に各勤続年数に応じた下記の支給率を乗じてこれを支給するものとする。」とされ,10年以上15年未満(121か月-180か月)の支給率は75パーセント,15年以上20年未満(181か月-240か月)の支給率は80パーセントとされている。
そして,本件退職手当規定9条では,退職手当計算のための「基準給」とは,「雇用修了の月に適用された基本給及び職務給の合計額」とされている。
(以上につき乙1号証)
(5) 被告は,中小企業退職金共済制度(以下「中退共制度」という。)に加入して,原告が昭和57年に被告と雇用契約を締結した当時から平成12年に原告が退職するまでの間,原告についての共済掛金を全額支払っていた(甲3号証,乙3号証,弁論の全趣旨)。
(6) 原告は,平成12年9月8日に被告を退職したころ,中退共制度による退職共済金504万8880円を受領した(甲3号証,11号証,原告本人)。
(7) 原告が被告から支給されていた給与の内の基本給は,平成12年1月分までは月額4万5300円であったが,同年2月分以降は月額22万7500円であった(甲2号証,3号証,10号証,11号証,原告本人)。
(8) 原告は,被告に対し,平成12年9月11日,電話により支払期限を同月18日として口頭で退職金の支払の催告をし,さらに,平成12年10月4日付け文書,平成13年2月1日付け文書,同年6月5日付け文書により退職金の請求をしたが,当時の被告の代理人弁護士作成の同年9月10日付け文書により支払を拒絶された。その後,原告は,平成14年3月28日付け文書により再請求をしたが,同様に上記の被告の代理人弁護士作成の同年4月22日付け文書により支払を拒絶された(甲4号証ないし9号証,11号証,原告本人)。
3 争点
(1) 原告は,本件退職手当規定の適用対象となる社員であったか。
(2) 本件退職手当規定の基準となる原告の在職期間は,昭和57年10月1日から平成12年9月8日まで(215か月)か,それとも原告が就業規則上の定年に達した昭和62年4月29日から平成12年9月8日まで(160か月)か。
(3) 退職金算定の基準となる原告の退職時の基本給は,22万7500円か,それとも4万5300円か。
(4) 原告の退職は,会社都合退職か,それとも自己都合退職か。
(5) 中退共制度に基づき原告に支給された退職共済金は,被告が原告に対して支払うべき退職金の額から控除されるか。
(6) 原告が,昭和62年4月29日をもって定年により退職したことを前提として,原告の被告に対する退職金請求権のうち昭和57年10月1日から昭和62年4月29日までの期間についての部分は,労働基準法115条の規定により時効消滅しているか。
また,上記の主張は時機に後れた攻撃防御方法として却下されるべきか。
第3争点に対する判断
1 争点(1)(本件退職手当規定の適用対象)について
(1) 証拠(甲2号証,3号証,9号証,11号証,乙1号証,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 原告は,昭和57年10月1日に,それまで勤務していた埼玉県警察本部を退職して被告に入社し,被告が設置するY自動車教習所の管理者として勤務するようになった。
イ 原告は,昭和62年1月ころ,当時の被告社長の訴外Aから,60歳になっても定年は適用しないので引き続き管理者として勤務して欲しいと要請されてこれを承諾した。
ウ 原告の教習所管理者としての職務内容は,満60歳となった昭和60年4月29日の前後を通じて変わらなかった。そして,原告は,同年4月29日以降平成12年9月8日まで,教習所管理者としての職務を継続的に行っていた。
エ 被告は,昭和62年の時点で,原告に対し,本件退職手当規定に基づく退職金を支払わず,中退共制度に基づく退職共済金の支払手続手続を取らなかった。
オ 被告は,原告の給与明細書において,「社員」の表示を用い,社員の固有番号を示す「0003」を記入していた。
カ 被告の従業員は,平成12年9月8日に原告が退職するにあたって,在職期間月数215か月(17年11ヵ月)とする退職金計算表を作成し,原告に交付した。
キ 平成14年4月22日当時被告の代理人を務めていたB弁護士は,同年3月28日付けの原告からの「夏期手当及び退職手当の支払い再請求について」に対して,就業年数を17.25年として計算した退職金総額を前提とする回答書を作成した。
(2) 上記の事実を前提に検討すると,本件就業規則には,従業員の定年を60歳とする規定が設けられているものの,原告は,満60歳を迎えた昭和62年に,当時の被告社長のAから,満60歳になっても定年は適用しないので引き続き管理者として勤務して欲しいと要請されてこれを承諾しており,満60歳となった同年4月29日の前後を通じて,原告の職務内容に変わりがなく,一方,被告も,昭和62年の時点で,原告に対し,本件退職手当規定に基づく退職金を支払わず,中退共制度に基づく退職共済金の支払手続を取らなかったなど,原告が,満60歳をもって定年したとの取り扱いをしていなかったのであるから,被告は,原告に対して,満60歳になった以降も勤務を継続するよう要請するに際して,本件就業規則7条の規定にかかわらず,原告の定年を延長し,本件退職手当規定の適用対象の社員として扱うとの合意をしたと認めるのが相当である。
したがって,原告は,本件退職手当規定の適用対象となる社員に当たるというべきである。
2 争点(2)(退職金算定の基準となる原告の在職期間)について
(1) 前記1(1)の認定事実によれば,原告は,満60歳を迎えた昭和62年に,当時の被告社長のAから,満60歳になっても定年は適用しないので引き続き管理者として勤務して欲しいと要請されてこれを承諾しており,昭和62年の時点で,被告から,本件退職手当規定に基づく退職金を受け取っていないのであるから,原告は,被告との間で,満60歳になった以降も勤務を継続する事を合意した際,退職金の算定にあたっては,被告への入社時からの期間を基準として算定されることを期待していたというべきであり,一方,被告も,その従業員が,平成12年9月8日に原告が退職するにあたって,在職期間月数215か月(17年11ヵ月)とする退職金計算表を作成して原告に交付していることや,当時の被告の代理人弁護士が,就業年数を17.25年として計算した退職金総額を前提とする回答書を作成していたことなどを考慮すると,原告と被告は,原告の定年を延長する旨の合意をした際,退職金算定の基準となる原告の在職期間を,被告への入社時から計算する合意をしたと認めるのが相当である。
(2) したがって,本件退職手当規定の基準となる原告の在職期間は,昭和57年10月1日から平成12年9月8日まで(215か月)というべきである。
3 争点(3)(退職金算定の基準給)について
(1) 証拠(甲2ないし11号証,乙1号証,2号証の1ないし9,4号証,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 被告は,平成12年1月ころ,訴外株式会社P自動車教習所に買収され,そのころ,Y自動車教習所の設置者も,Pの社長である訴外Cに変更された。
イ 平成12年1月以前には,被告は,原則として,勤続年数に応じて基本給が1000円ずつ上昇する給与体系を採用しており,そのため,Y自動車教習所の管理者であった原告も,平成11年12月の時点では,基本給が4万5300円,その他の手当の合計が46万5800円で,総支給額が51万1100円であった。
ウ Cは,平成12年1月ころ,被告事務所を訪れて,原告並びにY自動車教習所の副管理者であった訴外D及び同Eらの幹部職員を招集し,被告の基本給は,他の自動車教習所と比べてあまりにも低いので,一般水準に基本給を引き上げると説明したうえで基本給引き上げを約束した。
エ 上記の約束に基づき,原告の基本給が,同年2月分から,22万7500円に引き上げられた。そして,原告の平成12年8月分の給与は,基本給が22万7500円,管理職手当が27万円,業績手当が1万9400円,住居手当が4200円,通勤手当が1万1300円で,総支給額が53万2400円であった。
オ 被告は,平成12年9月8日に,原告に対し,一日あたりの基本給を7,583円とする平成12年9月分の給与支給明細書を示したが,この金額は,基本給22万7500円を30日で日割り計算した金額である。
カ Cと被告の前経営者であった訴外Fとの間で,平成12年夏ころ以降,被告の経営権を巡って紛争があったが,Cが被告の経営権を全面的に取得することで紛争が解決した。
(2) 上記事実及び前記第2の2(前提となる事実)の各事実を前提に検討すると,本件退職手当規定9条には「退職手当計算のための基準給とは,雇用修了の月に適用された基本給及び職務給の合計額とする。」と明記されているので,平成12年1月ころ,Y自動車教習所の設置者となっていたCは,このことを十分に認識していたと推定できるところ,Cは,その経営判断の下に,平成12年2月分以降の原告を始めとする被告の幹部職員の給与を,それまでの基本給が極めて少なく,手当が基本給の10倍近い金額となるというものから,基本給を増額し手当を減額することによって両者の割合をそれほど変わらないものにするとの給与体系の変更をした。そして,その後,CとFとの間で,被告の経営権を巡って紛争があったものの,現在は,Cが被告の経営権を掌握しているのであるから,被告の職員のうち少なくとも幹部職員については,その給与体系が,平成12年2月分以降,それ以前と異なり,基本給の額と手当の額がそれほど変わらないものに変更されたというべきである。
したがって,平成12年2月分以降の幹部職員の退職金の計算については,増額された基本給を基準として算定されるべきであり,原告についても,原告が退職をした平成12年9月当時の基本給の22万7500円を基準として退職金算定がなされるべきである。
4 争点(4)(原告の退職事由)について
(1) 証拠(甲3号証,11号証,原告本人)によれば,次の事実が認められる。
ア 原告は,平成12年8月下旬ころ,Cの補佐をしていた被告の経理担当職員の訴外Gから,突然,Fも了解済みなので,退職願を出して欲しいと言われた。
イ 原告は,平成12年8月の時点では,引き続き被告に勤務する気持ちを持っていたので,不服であったが,Y自動車教習所の設置者であるCの意向には逆らえないと考えて,同年9月7日に,同月30日もって,被告を退職する旨の退職届をGに提出した。
ウ そして,原告は,平成12年9月8日に,出勤したところ,Gからもう来なくてよいと言われたことから,勤務の継続を断念した。
エ 原告は,平成12年9月8日に,Gから,退職金計算表(甲3号証)を交付されたが,その計算表においては,退職金に,本件退職手当規定8条の自己都合退職の場合の支給率ではない,100パーセントの支給率を乗じて退職金の算定がなされている。
(2) 上記事実によれば,原告の退職は,会社都合による退職であると認めるのが相当である。
5 争点(5)(中退共制度に基づき支給された退職共済金との関係)について
(1) 証拠(乙1号証,2号証の1ないし9,3号証)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 中退共制度は,単独では退職金制度を持つことができない中小企業に対して,国の援助の下に,退職金制度を確立するために設けられた制度である。
イ 本件退職手当規定には,被告が従業員に対して支払うべき退職金の額から,中退共制度に基づいて支払われた退職共済金の額を控除するか併給するかについて,明文の定めは設けられていない。
ウ 被告は,中退共制度に加入して以降,一貫して,本件退職手当規定に基づく退職金の額から,中退共制度に基づく退職共済金の額を控除して,差額がある場合に,これを退職する従業員に支払う運用をしてきた。
(2) これに対し,原告本人尋問中には,原告は,在職中,被告の取締役であり経理を担当していた訴外Hや給与担当の訴外Iから,中退共制度に基づき原告に支給された退職共済金は,被告が原告に対して支払うべき退職金の額から控除されず,併給されるという趣旨の話を聞いており,被告の退職者3名くらいに照会したところ,中退共制度に基づく退職共済金と被告が支払う退職金が併給されたとの回答をもらったとの供述部分がある。
しかしながら,訴外Hらから併給について話を聞いたとの原告本人の供述自体,曖昧な記憶に基づくものであり,また,退職者3名くらいからの回答も,中退共制度に基づき同人らに支給された退職共済金が,被告が本来支払うべき退職金の額から控除されずに併給されたのか,それとも,被告が本来支払うべき退職金の額が,中退共制度に基づき同人らに支給された退職共済金の額より多かったため,前者から後者を控除した残額と後者の両方を支給されたのか,その趣旨が明確なものではなかったのであるから,原告本人尋問の前記供述部分によって,前記(1)の認定部分が左右されることにはならないというべきである。
(3) 前記(1)の認定事実を前提に検討すると,中小企業退職金共済法の趣旨は,中小企業においては個々の企業が独立で退職金制度を確立することが困難である実情に鑑み,中小企業者の相互扶助の精神に基づいて,退職金負担を事業主が相互に共済する制度を確立し,他の諸施策と相まって,中小企業の従業員の福祉の増進をはかるとともに,中小企業における優秀な労働力の確保等を通じて中小企業の振興に寄与することを目的としていると解され(同法1条参照),同法に基づく中退共制度への加入は,事業主の従業員に対して負う退職金支払債務履行のための手段たる性格をもつというべきである。
このような,中退共制度の制度趣旨に照らせば,たとえ,本件退職手当規定に,中退共制度に基づいて支払われる退職共済金を控除するか併給するかについて,明文の定めがないとしても,被告が,本件退職手当規定に基づく退職金の額から,中退共制度に基づく退職共済金の額を控除して,差額がある場合に,これを退職する従業員に支払う慣行を有していたとの事実関係の下では,中退共制度に基づき原告に支給された退職共済金は,被告が原告に対して支払うべき退職金の額から控除されると解すべきである。
6 争点(6)(時効消滅の主張)について
(1) 被告の,争点(6)の時効消滅の主張は,平成19年1月26日付け被告準備書面(3)において初めて主張されたものである。
(2) 本件訴訟においては,平成17年10月4日に第1回口頭弁論期日が開かれて以降7回の弁論準備手続期日を経て,平成18年9月7日の第8回弁論準備手続期日において証拠調べによって証明すべき事実を確認し弁論準備手続は終結し,同年11月21日の第2回口頭弁論期日に証拠調べが実施され,平成19年1月23日までに,当事者双方が,これまでの主張及び証拠調べを総括する準備書面を提出し,同月30日の第3回口頭弁論期日で弁論を終結する予定でいたのに対し,被告が,同月26日提出の上記の被告準備書面(3)において,初めて時効消滅の主張をしたものである。
(3) このような,本件訴訟の経緯に照らせば,被告において,争点整理の段階で,争点(6)の時効消滅の主張をすることは容易であり,かつ,上記の被告準備書面(3)における時効消滅の主張は,これによって訴訟の完結を遅延させるものというべきである。
したがって,被告の争点(6)の時効消滅の主張は,時機に後れた攻撃防御方法として却下すべきである。
7 結論
(1) 以上によると,原告は,被告に対して,本件退職手当規定に基づく退職金請求権があり,その額は,下記の計算式により,1449万3610円となり,この内504万8880円が中退共制度に基づいて支払われたので,現在944万4730円の未払い退職金支払請求権を有していることが認められる。
記
勤続月数 215か月
22万7500円×3.5=79万6250円
79万6250円×1÷12≒6万6354円
6万6354円×215=1426万6110円
1426万6110円+22万7500円=1449万3610円
(2) よって,訴訟費用の負担につき民事訴訟法64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項を,それぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判官 中山幾次郎)