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さいたま地方裁判所 平成17年(ワ)2097号 判決 2007年7月20日

主文

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告Aに対し,4906万2533円及びこれに対する平成17年11月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告Bに対し,165万円及びこれに対する平成17年11月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,165万円及びこれに対する平成17年11月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  仮執行宣言

第2事案の概要

1  本件は,被告のバス運転手として稼働していた原告Aが,被告の戸田工場(以下「戸田工場」という。)の敷地内で草むしりをしていたところ,積荷が落下して原告Aの頸部及び頭部を直撃するという事故(以下「本件事故」という。)に遭い,頸髄損傷の傷害を負ったとして,被告に対し,原告Aは,雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求として,原告Aの妻である原告B及び2人の子である原告Cは,いずれも不法行為に基づく損害賠償請求として,原告らに生じた損害の賠償とこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

2  当事者間に争いのない事実等(証拠により認定した事実については,その末尾の括弧内に証拠を掲げる。)

(1)  原告Aと原告Bは夫婦であり,原告Cは,原告A夫婦の子である。被告は,加工料理食品・惣菜類の製造及び販売等を目的とする会社である。

(2)  原告Aは,被告から,平成13年11月18日,同日から平成14年6月30日までの期間,戸田工場で被告従業員を送迎するマイクロバスの運転手として雇われた(甲1の1)。その後,上記雇用契約は,平成14年7月,平成15年7月にそれぞれ更新された(甲1の2)。

(3)  原告Aの労働契約書(甲1の2)上の業務内容は,運転管理業務であるが,原告Aは,バスの運転手としての業務には直接関わらない戸田工場構内の清掃事務等の雑務も業務として行っていた。

(4)  原告Aは,平成16年5月11日,戸田工場内において,うつぶせに倒れているところを発見され(以下,発見された場所を「本件事故現場」という。別紙図面の<×>地点),救急車でT病院に搬送された(乙13)。T病院のK医師は,原告Aについて頸髄損傷の傷害を負った旨の診断をした(甲19の1,2)。

(5)  原告Aは,同月12日,東京都八王子市にあるEクリニックに転院(入院)した。同クリニックのI医師(以下「I医師」という。)は,K医師と同様に,原告Aについて頸髄損傷との診断をした(甲2の1,2)。

(6)  原告Aは,平成17年1月20日,障害者福祉法に基づき,埼玉県知事から,頸髄損傷による右上肢機能障害,両下肢機能障害,体幹機能障害(坐位又は起立位保持困難)が認められるとして,身体障害者等級表の1級(以下,この等級については「身体障害等級1級」などと略称する。)に該当するとの認定を受け,障害者手帳の交付を受けた(甲4)。

(7)  原告Aは,平成17年2月4日,症状固定の診断を受け(甲2の1),同年3月ころ,川口労働基準監督署長に対し,労働者災害保険法に基づく障害補償年金,労働者災害補償保険特別支給金支給規則に基づく障害特別支給金及び障害特別年金(以下,これらの給付について「障害補償年金等」と総称する。)の支給を請求した。川口労働基準監督署長は,同年6月22日,労働者災害補償保険法施行規則別表に掲げる3級3号(神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,終身労務に服することができないもの。以下,この等級については「後遺障害等級3級」などと略称する。)の障害があるとして,障害補償年金等の支給を決定し,原告Aに対して,同月30日付けで,上記支給決定を通知した(甲3)。

3  争点

(1)  本件事故が発生したか(争点1)。

(2)  原告Aは,頸髄損傷の傷害を負ったか(争点2)。

(3)  被告に安全配慮義務違反があったか(争点3)。

(4)  原告らの損害額はいくらか(争点4)。

(5)  過失相殺の適用はあるか(抗弁,争点5)。

4  当事者の主張

(1)  争点1 (本件事故の発生)について

ア 原告らの主張

原告Aは,平成16年5月11日,戸田工場において,被告の業務である構内作業として,草取り作業をしていた。当時,構内には,番重(ばんじゅう)(プラスチック製の積荷を乗せるパレットのようなもの。乙15の2,3),キャリア(上記番重等を乗せる台車。乙14の1,2),廃棄物等(以下これらを「積荷」という。)が高さ約3m,前後5列に積み上げられており,これらの積荷が突然崩落し,原告Aの頸部ないし頭部を直撃した。

イ 被告の主張

否認する。

原告Aが草取りをしていたとする場所には雑草は生えていなかった。積荷があったことは認めるが,せいぜい高さ2m程度であるし,崩落するような不安定な積み方はしていなかった。本件事故は,全て原告Aが偽装したものである。

(2)  争点2 (原告Aの受傷内容)について

ア 原告らの主張

原告Aは,本件事故によって頸髄損傷の傷害を負った。原告Aが頸髄損傷の傷害を負ったことは以下の事実から明らかである。

(ア) K医師の診断

原告Aは,本件事故直後,救急車でT病院に搬送され,上記病院のK医師により,頸髄不全損傷という診断を受けた。K医師は,MRI画像から第5,第6頸椎間に狭窄が見られること,徒手筋力テスト(MMT)の結果から上肢のしびれが認められること等を根拠に,第5頸髄(C5。以下,頸髄の位置に応じて「C5」などと略称し,又は略称と併記する場合がある。)部位での頸髄不全損傷と判断した。

(イ) I医師の診断

原告Aは,翌12日,Eクリニックに転院した。I医師は,MMT,筋電図検査,腱反射,病的反射等の反射テスト,温冷覚と痛覚の検査,MRI,脊髄造影等を実施した上で,原告Aを頸髄損傷と診断した。その診断根拠は客観的なものである。

(ウ) 労災認定医の診断

原告Aは,障害補償年金等の給付を受けるにあたり,川口労働基準監督署において労災認定医の診断を受け,後遺障害等級3級の認定を受けた。労災認定医は,Eクリニックにおける診断資料も併せて精査した上で診断しているものである。

(エ) 加えて,頸髄損傷とは,強力な外力が加わることにより,脊椎の脱臼骨折が見られると脊髄に圧迫や挫創が起こり,脊髄が損傷されるというものであるところ,本件事故は,高さ3mに積み上がった積荷が,草取りのためにしゃがんでいた原告Aの頸部ないし頭部を直撃したものである。原告Aを直撃したキャリアの重さは2.8kg,番重の重さは1.7kgで,落下距離を考慮すれば,原告Aに頸髄損傷の傷害を負わせるに十分なものであった。

イ 被告の主張

原告Aは,偽装・擬態によって3人の医師を誤信させ,頸髄損傷の傷害を負った旨診断させたのであって,そのような診断を信用することはできない。

また,本件事故には目撃者がいないが,原告Aは運転していたマイクロバスを,工場事務所から,本件事故現場をあえて遮蔽するように停車させていた。また,原告Aが草取りをしていたと主張する場所には,雑草は生えていない。さらに,第一発見者であるMは,原告Aが大阪に住んでいたころからの知り合いで,原告Aが被告に紹介して就職させた。このように,本件事故には不自然な点が多く,偽装の疑いが極めて強い。

(3)  争点3 (安全配慮義務違反について)

ア 原告らの主張

本件事故現場付近には,積荷が整理されずに3mもの高さに乱雑に積まれていた。そして,被告は,このような状況を十分知っていた。したがって,被告は,積荷をそのまま放置しておけば,その不安定さからこれが倒壊する危険のあることを当然予見できたのである。

よって,被告は,積荷が倒壊して人的被害が生じないように,工場内ないし構内の作業環境について,廃棄物等不要品を山積みにせずに速やかに処理・処分すべきであり,仮に積んでおく場合であっても,高さ制限や整理整頓を徹底させ,また,ロープ,フェンス等を設置して立入禁止区域にしたり,危険を警告する標識を設置しておく等の措置を講ずべき安全配慮義務があった。

しかし,被告は,上記安全配慮義務を怠り,本件事故を発生させたのであるから,本件事故による損害を賠償する責任がある。上記安全配慮義務は,原告Aに対しては,雇用契約上の付随義務として位置づけられ,原告B及び原告Cに対しては,不法行為法上の注意義務として位置づけられるものである。

イ 被告の主張

否認し争う。

本件事故当時,積荷は安全に積まれていた。また,原告らが主張する安全配慮義務は,本件における具体的事情に基づかない一般的抽象的なものであって,内容が特定されていないし,主張責任も果たしていないから,主張自体失当である。

(4)  争点4 (損害額)について

ア 原告Aの主張

(ア) 治療費  14万9024円

(イ) 入院雑費  22万2000円(1日1500円の割合で148日分)

(ウ) 入院付添費用  96万2000円(1日6500円の割合で148日分)

(エ) 通院交通費  1万2400円(片道1550円で往復4日分)

(オ) 休業損害  109万2876円

原告Aの平成15年分所得申告額は310万5168円であったところ,本件事故による受傷のため,平成16年5月11日から平成17年2月4日までの270日間休業を余儀なくされた。休業損害の額は,日額単価8507円(310万5168円÷365日)×270日=229万6890円である。この金額から休業補償給付120万4014円を控除した金額を請求する。

(カ) 逸失利益  1349万4233円

原告Aは,身体障害等級1級及び後遺障害等級3級の認定を受けている。原告Aは,症状固定時(平成17年2月4日)の57歳から67歳までの10年間にわたり労働能力を100%喪失したので,この間のライプニッツ係数を用いた計算法により計算した逸失利益は310万5168円×8.863×1.00=2752万1103円である。この額から障害補償年金及び障害基礎年金額の支給調整期間分1402万6870円((障害補償年金40万9587円+障害基礎年金99万3100円)×10))を控除した金額を請求する。

(キ) 慰謝料

傷害慰謝料  286万0000円

後遺症慰謝料  2587万0000円

傷害慰謝料は,基準額220万円,後遺症慰謝料は,後遺障害等級が3級なので基準額は1990万円である。本件では,原告Aの後遺障害が重篤であり,回復する見込みがなくむしろ悪化する可能性すらあること,原告Aは脊髄電気刺激装置を体内に埋め込んでおり,数年の単位で交換する必要があること,被告は原告Aに対して全く誠意のある対応をしていないこと等の増額事由があるので,上記基準額に3割増額して請求する。

(ク) 弁護士費用  440万円

(ア)から(キ)までの合計4466万2533円の1割相当額

(ケ) 原告Aは,被告に対して,以上合計4906万2533円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成17年11月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

イ 原告B及び原告Cの損害

(ア) 慰謝料  各150万円

原告Bは原告Aの妻として,原告Cは原告Aの娘として,原告Aが本件事故によって頸髄損傷の傷害を負い,後遺障害等級3級の障害が残ったことからすれば,死亡に比肩するような精神的苦痛を被ったものといえる。したがって,民法709条,710条に基づき近親者固有の慰謝料請求が可能であり,その額は各150万円を下らない。

(イ) 弁護士費用  15万円

各150万円の1割相当額

(ウ) 原告B及び原告Cは,被告に対して,以上合計各165万円及びこれに対する不法行為の日を経過した訴状送達の日の翌日である平成17年11月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

ウ 被告の主張

原告らの主張はすべて否認し争う。

(5)  争点5 (過失相殺の抗弁)について

ア 被告の主張

原告Aは,本件事故現場付近にほぼ毎日来ており,積荷の状況を熟知していた上,被告との雇用契約上の義務の履行として,マイクロバス運行業務のほかに,本件事故現場付近の掃除や整理整頓,崩れた積荷の積み直し等の業務を行っていた。

したがって,仮に本件事故が発生したとしても,それは,すべて本件事故現場整備の直接の担当者である原告A自身の安全配慮義務違反に基づくものである。

イ 原告らの主張

否認し争う。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

前記第2・2の当事者間に争いのない事実等に加え,証拠(甲1~4(各枝番を含む),甲10の1,甲15,甲19の1,2,乙13,乙17の4,7,乙19の2,4~6,乙21の2~4,乙31~34,乙37,乙39,乙40,証人I,原告A)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる(認定事実の末尾に,当該事実の認定に用いた主な証拠を掲記する。)。

(1)  本件事故現場の状況

戸田工場の敷地は,別紙図面のとおり,工場事務所が敷地の南に位置し,敷地の北方向に,廃棄物小屋,柵で囲まれた東京ガス株式会社の整圧器室が北東方向に並んで存在している。原告Aがうつぶせで倒れているところを発見されたという本件事故現場(別紙図面<×>)は,廃棄物小屋と整圧器室の間の前である。

本件事故当時,廃棄物小屋の前に原告Aがマイクロバスを停車させていたため(別紙図面),工場事務所から本件事故現場が死角になっていた(乙17の7)。また,廃棄物小屋と整圧器室の間及び整圧器室を囲む柵の前には,番重やキャリア等が高さ約2m程度積まれていた(乙19の6,乙21の2~4)。

整圧器室を囲む柵の前のアスファルトには,若干裂けている部分があり,そこから雑草が生えているところがあるが,本件事故現場には雑草が生えている様子は認められない(乙17の4,乙19の2,乙21の2~4)。

(2)  原告Aの発見時以降の様子及び診療経過等

ア 発見時

原告Aは,平成16年5月11日午後0時20分ころ,本件事故現場において,うつぶせで倒れているところを同僚のMに発見された。その際,付近に積まれたキャリアが6台ほど,原告Aの身体や地面に散乱していた。原告Aは,Mの声に反応しなかったものの,原告Aの顔,頭,手等に出血等の外傷は見当たらなかった(乙19の3)。Mは,原告Aと大阪で仕事をしていたころからの知り合いで,原告Aの紹介で被告において稼働していた(原告A20,21頁)。

イ 搬送時(乙13)

同日午後0時27分,119番通報により救急車が現場に到着したが,その時点の原告Aは,「意識ある,呼吸ある,脈拍数ある,血圧155/105,外傷なし」という状態であった。原告Aは,「番重の上から台車が落下して首に当たり,首が痛い」と述べ,頸椎シーネで頸部を固定されたが,診察に当たった医師は,原告Aの症状が外因性のものか内因性のものか判断できなかった。その後,原告Aは,同日午後0時41分,T病院に搬送された。

ウ T病院

(ア) 原告Aは,T病院に搬送後,看護師の呼びかけにうなずく様子が見られ,発語を促すと,「あ~…」と訴える様子が見られた。看護師が痛みについて尋ねても返答をしなかった。その後,S医師とY医師による診察に際し,原告Aは,「頭…が…痛,痛,痛い…。右,右,右の眼,眼の上が痛い…。頭…頭の後…後ろも痛い」等と訴え,「前かがみで草むしりの作業中,プラスチック・アルミの荷物が頭上から落下してきた。頭に当たった。」旨述べた。両医師は,原告Aに対し,頭部及び胸部のX線検査,頸部MRI検査,生化・血算・血糖の血液検査,徒手筋力テスト(MMT)を実施した(甲19の1【3~5頁】)。

上記両医師作成の救急部診療録(甲19の1【5頁】)には,「4.既往歴」として,「5年前交通外傷 Th(注:胸髄)7・8損傷→下肢麻痺 最近は歩行可能となった」旨,「6.現症」として,「(2)自覚症状」の欄に「右前頭,後頭痛,頚痛,右上肢しびれ」がある旨,「(3)バイタルサイン」は「正常」,「(4)身体状況」として,MMTが「上腕二頭筋右3,左3+,上腕三頭筋右3,左3+,AT(注:下肢の意味と思われる)右4+,左4+」である旨,「X線 骨傷明らかではない」旨,「MRI C5/6(注:ここでは頸椎の部位を指すと思われる)で椎間狭く この部での不全損傷か」「中心性脊髄損傷」等の記載がある。

また,T病院の診療録には,来院時の全身状態として,意識障害「有」,顔色「普通」,嘔吐「無」,顔貌「無欲」,聴力「正常」,失禁「有→尿」等の記載がある(甲19の1【3頁】)。

(イ) 原告Aは,同日午後2時45分,T病院に入院し(甲19の1【6頁】),整形外科のK医師が原告Aの担当になった。原告Aの入院時におけるADL(日常生活自立度)は,ランクC(「一日中ベッド上で過ごし,排泄,食事,着替えにおいて介助を要する」)のうち「自力で寝返りもうたない」に該当すると判断された(甲19の2【23,24頁】)。

入院に際して作成された記録には,原告Aの既往症については,中学生のころに虫垂炎の手術を受けたことのみが記載されている(甲19の2【21,24頁】)。

(ウ) K医師は,原告Aの症状について,X線検査の結果からは明らかな骨折はないが,上肢のしびれがあり,上腕二頭筋,上腕三頭筋のMMTは3から4,下肢のMMTは維持されている,MRI検査において,第5,第6頸椎間にて狭窄があり,この部分(第5頸髄(C5))での不全損傷であると考えられるとして,頸髄不全損傷の診断をした(甲19の1【9頁】)。ただし,K医師自身が原告Aに対して何らかの検査を行ったとの形跡は証拠上窺われず(原告Aが整形外科に移された以降の記録である甲19の2参照),診断根拠・内容は,S・Y両医師が行ったものとほぼ合致している(救急部診療録。甲19の1【5頁】)。

(エ) 退院時の原告Aの症状等

原告Aは,平成16年5月12日,T病院退院時において,歩行,排泄,食事,入浴,衣服着脱のADL(日常生活自立度)について,すべて「自立」と判断された(患者調査票。甲19の2【2頁】)。

また,K医師は,同日付けの原告Aにかかる「療養補償給付たる療養の費用請求書」(川口労働基準監督署長に提出するもの。甲19の1【8頁】)の中で,原告Aの頸髄不全損傷について,「軽傷」と判断した。さらに,T病院が退院時に作成した原告Aにかかる病歴要約(甲19の2【1頁】)には,「頚椎捻挫」は「軽快」と記載されている。

エ Eクリニックへの転院及び診療経過等

(ア) Eクリニックへの転院

原告Aは,T病院に対して,I医師がかかりつけであることを理由に,Eクリニックへの転院希望を出し(甲19の2【21,24頁】),T病院に入院した翌日の平成16年5月12日,Eクリニックに転院し,同日,同クリニックに入院した。

(イ) 原告AとI医師との関係

Eクリニックにおいて,原告Aの主治医は,I医師であった。

I医師は,原告Aが平成12年の交通事故により胸髄を損傷し,両下肢不全麻痺の障害を負った旨の診断をした医師である。I医師は,当時,川口市立医療センターに勤務していたが,その後,西八王子のEクリニックに勤務していた。

なお,原告Aは,上記交通事故による両下肢不全麻痺の障害について,平成12年10月24日,埼玉県知事から身体障害等級3級(障害内容は証拠上明らかではない。)の身体障害がある者として障害者手帳を交付され(甲4,甲15),さらに,川口労働基準監督署長から,5級5号(一下肢の用を全廃したもの)の後遺障害がある者との認定を受けていた(甲3,甲15)。原告Aは,上記交通事故の翌年から被告のバス運転手として戸田工場で稼働し始めた後も,引き続きI医師のもとへ通院していたが,I医師は,原告Aが特段支障なく運転手として稼働している事実を知らなかった(証人I13頁)。

(ウ) I医師が行った検査及び診断

原告Aは,平成16年5月11日から同年10月5日までの間,Eクリニックに合計148日間入院した。

入院中,I医師は,原告Aに対して,頸部MRI検査をしたところ,第5,第6頸椎間の椎間板に膨隆を認めた。また,I医師は,原告Aの筋電図の所見について,他医から頸髄損傷があったと診査されるとの回答を得た(証人I25頁)。I医師は,病的反射の検査として,ホフマン反射,ワルテンベルグ反射,バビンスキー反射の検査を行ったが,いずれの病的反射もみられなかった(同27頁)。四肢の腱反射の亢進はみられた(同28頁)。MMTは,右上下肢筋力低下3以下(右上肢は2),両下肢筋力低下3であった(甲2の1,2,証人I9頁)。

I医師は,上記検査結果と原告Aの主訴とを総合し,第5頸髄(C5)領域以下の感覚鈍麻としびれ感,軽度膀胱直腸障害が認められるとして,原告Aが本件事故によって頸髄損傷の傷害を負った旨の診断をした(甲2の1,2,証人I18頁)。

(エ) I医師が作成した障害診断書(甲2の1)には,原告Aの入院中,「ステロイド療法で胃潰瘍を併発した。平成16年6月15日,頚椎の回旋運動をしたところ,右上肢の脱力と疼痛が出現し,MRIの再検査をしたが異常が認められなかった。その後も頚部痛,右上肢痛が持続したため,同年9月7日と同月14日,脊髄電気刺激装置の植え込み術を施行した。その後,疼痛が改善されたため,同年10月5日に退院した。」旨記載されている。

(オ) また,被告が原告Aの入院時以降の様子について,原告Aや原告Bから聞いた話を記録した「A事故の記録」(乙19の5)には,同年5月15日,「左手の握力は回復,右手は小指・薬指・中指のしびれ残る。下肢は問題なし。」,同年6月20日,「杖を使用しているが,自由に歩行。ただし,右手握力は15位で自由は効かない。」,同年7月31日,「容態は好転していない。右手握力は5~10位で自由は効かない。リハビリで左手で字を書く,簡易作業訓練を実施」,同年10月4日,「10月5日退院の予定であるが,機能回復の見込みはない。」等の記載がある。

(カ) 原告Aは,同年10月5日にEクリニックを退院した。原告Aは,翌平成17年2月4日まで,4回にわたり通院した(甲2の1)。その間,原告Aは,I医師の診断書を添えて埼玉県知事に対して身体障害者手帳の再交付の申請を行い,平成17年1月20日,頸髄損傷による右上肢機能障害,両下肢機能障害,体幹機能障害(坐位又は起立位保持困難)の障害があるとして,身体障害者等級1級の認定を受け,身体障害者手帳の再交付を受けた(証人I20頁,甲4)。

オ 障害補償年金等の支給請求等

I医師は,平成17年2月17日,後遺障害診断書(甲2の1)を作成した。I医師は,同診断書の「傷病名」欄に「頚髄損傷」と,「自覚症状」欄に「頚部痛・四肢不全麻痺」と,「精神神経の障害 他覚症状および検査結果」欄に「感覚障害:鈍麻 C5以下(左上肢C5~C8正常) 運動障害:右上肢筋力著減 左上肢筋力半減 両下肢筋力半減 筋萎縮:右棘上筋・三角筋,上腕二・三頭筋」と,「胸腹部臓器・生殖器・泌尿器の障害」欄に「軽度膀胱直腸障害(感覚障害)」と,「回復の可能性と症状の固定についての意見」欄に「筋力低下は進行する可能性がある」と記載し,症状の固定時期を平成17年2月4日ころと診断した。

原告Aは,同年3月ころ,労働災害補償保険法に基づく障害補償年金等の支給請求書等を川口労働基準監督署長に提出した。原告Aは,その際,I医師の上記診断書,診断の基礎となった画像等も併せて提出し,労災認定医の診断ないし面接には,車いすに乗って臨んだ(甲10の1,乙19の4,乙19の5【4頁】,原告A23頁)。

川口労働基準監督署長は,同年6月22日,原告Aについて,「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,終身労務に服することができないもの」であり,後遺障害等級3級の障害があるとして,障害補償年金等の支給を決定し,同月30日付けで,原告Aに対して上記支給決定を通知した(甲3)。

(3)  観察された原告Aの挙動(乙31~34,弁論の全趣旨)

ア 被告従業員は,平成17年8月26日,同年11月29日,同年12月27日,同18年7月11日の4日間,原告Aの日常の挙措動作を密かにビデオで撮影した。その結果は以下のとおりであるが,いずれの場面においても,原告Aは,杖や車いすを使用せず,その挙措動作には格別ぎこちなさは認められなかった。

(ア) 原告Aは,平成17年8月26日,自動車の左後部座席から,左足を先に外に出し,左手で携帯電話を持って通話しながら,原告Cを左後部座席に乗せて右手で左後部ドアをしっかりしめ,さらに,左手にもった通話中の携帯電話を右手に移し替えながら,左前部座席に右足からスムーズに乗り込み,左手で左前部ドアを閉めた(乙31)。

(イ) 原告Aは,平成17年11月29日,自動車のルーフに両手を添えるようにして立ち,時折首を左右に振ったり,上を向いたり,右手の小指を立てて右腕を持ち上げて鼻をほじる仕草をした(乙32)。

(ウ) 原告Aは,平成17年12月27日,自動車の左前部座席に座りながら,左前部ドアを開けて,左手が地面に付くほど身を左にかがめて,何がしかした後,再びドアを閉めた。その後,再び左前部ドアを開けて,左足を出し,右足を出すと同時にスムーズに反転して,自動車左後部と電信柱の間を身をそらして通り抜けて後方を回り,原告Cを右後部座席に乗せ,その後,同様にして,右前部ドアに戻り,右足から自動車に乗り込んだ(乙33)。

(エ) 原告Aは,平成18年7月11日,スーパーマーケットから原告Cと一緒に出て,左肘をやや曲げてセカンドバッグ様のものとショッピングバッグを若干持ち上げるようにして駐車場まで歩き,自動車の左後部ドアを右手で開けて,左手の荷物を左腕のみで持ち上げて車内に入れた(乙34)。

イ 原告Aは,平成18年2月18日の当裁判所における本人尋問期日において,杖を右手で突きながら出頭し,当事者席にいる間は,終始座席の背もたれにもたれかかる様子が見られた。一方,1時間を超える尋問中は,背もたれのない証言台において,大半の時間は前傾姿勢で座っており,また,被告代理人から,本件事故現場に,草取りをするほどの雑草が生えていない旨繰り返し指摘されたことに激高し,声を荒げ証言台を右手拳で強く叩きつける様子が観察された(当裁判所に顕著)。

(4)  脊髄損傷の一般的な医学的知見

ア 脊髄損傷(頸髄損傷を含む)とは,強力な外力が加わり,脊椎の脱臼骨折が見られると脊髄に圧迫や挫創が起こり,脊髄が損傷されるものである。骨傷が明らかでない場合もあり,頸椎の過伸展・過屈曲損傷で見られることが多い。脊髄が損傷すると,神経伝達路が遮断されて,損傷レベルの髄節支配域以下に運動麻痺,知覚麻痺,自律神経症等が起こる。(乙37,乙39【181頁】)

イ 脊髄が損傷された場合,受傷直後は髄節支配域のすべての反射は消失又は減弱し,弛緩性麻痺となる。この期間は,成人の場合,平均3~4週間であり,肛門反射の回復,もしくは痙性麻痺と腱反射亢進,病的反射(正常成人には認められないが錐体路が傷害されたときに出現する反射(乙39【14頁】))の出現へと進む。(乙39【183頁】)

C5部位の上肢筋における髄節支配域は三角筋,上腕二頭筋,上腕筋にかけてであり,C6部位の上肢筋における髄節支配域は,上腕三頭筋,円回内筋,手指の筋肉にかけてである(乙39【172頁】,乙40【50頁】)。C5,C6の各部位の損傷の場合,髄節支配域を含むそれ以下,すなわち,胸部,背部,腹部,両下肢の運動機能障害,感覚機能障害等が生じる(乙39【173頁】)。

脊髄損傷による麻痺の程度及び予後の状態は,受傷時の外力によってほぼ決定されている(乙39【191頁】,乙40【55頁】)。脊髄損傷の受傷直後にはある程度ひどかったものが,一定期間たつと安定し,半年ほどで症状としては固定するものであり,不全損傷の場合には固定してから症状が良くなることもある(証人I25,26頁)。

ウ 脊髄損傷の診断方法

脊髄損傷の診断にあたっては,X線写真,MRI等による画像診断(乙40【16頁】),徒手筋力テスト(MMT,乙39【12頁】),病的反射・腱反射等の反射テスト(乙39【13頁】)等を行う。

徒手筋力テスト(MMT)は,個々の筋の収縮を,検者が直接徒手にて筋力を簡易に測定する方法で,0から5の6段階に分けて筋力を表示し,その減弱程度から支配神経の損傷部位や脊髄損傷レベルの診断が可能である(乙39【12頁】)。0が筋収縮全くなし,1が筋収縮あり,2が重力に抗して筋力を全可動域で動かすことができない,3は重力に抗して筋力を全可動域で運動が可能,4は抵抗を加えると完全な可動域の運動ができない,5が抵抗に抗して全可動域の上下肢の運動ができることを表す。患者が徒手筋力テストの数値を低くしようと何らかの細工をすることは可能であり(証人I4頁),その場合には,患者の筋収縮レベルを正確に診断することができないおそれがある(同10頁)。

2  争点1 (本件事故の発生)について

原告らは,本件事故が発生したと主張し,原告Aは,陳述書(甲21)及び当裁判所において,それに沿う供述をするが,被告は,これを否認し,本件事故は,すべて原告Aの偽装であると主張するので,以下,検討する。

(1)  本件事故態様

ア 原告Aは,当裁判所において,本件事故について,本件事故現場において,しゃがんで草むしりをしていたところ,突然何かが頭部に当たった衝撃を受け,意識を失ったというのである。

イ しかし,原告Aは,草むしりをしていた場所については「はっきり分からない」(原告A13頁),倒れていた場所については「分かりません。コンクリートとコンクリートの継ぎ目がある部分で草を取っているときだと思います」(同17頁),落ちてきたものが番重かキャリアかどうかについては「分からないですね」(同18頁)とそれぞれ供述するにとどまり,それ以上具体的な供述をせず,倒れる直前の体勢についても,明確な供述をしない(同17,18頁)。

ウ また,原告Aが草むしりをしていたという点については,前記1(1)のとおり,確かに積荷のある整圧器室を囲む柵の前のアスファルトには,若干雑草が生えている箇所があるものの,原告Aがうつぶせで発見された本件事故現場には,雑草が生えるようなアスファルトの裂け目はない。仮に,原告Aが,整圧器室を囲む柵の前の雑草を取っていたとすれば,積荷に向かった体勢で草を取っていたことになるが,積荷が崩落して激突したとしてもうつぶせに倒れることはないし,その場所から数mはあると思われる本件事故現場においてうつぶせに倒れることはおよそ不可能である。

エ 次に,原告Aは,事故態様について,救急車の中では「番重の上から台車が落下した」旨(前記1(2)イ),T病院では「前かがみで草むしり作業中プラスチック,アルミの荷物が頭上から落下してきた」旨(前記1(2)ウ(ア))述べていたにもかかわらず,当裁判所においては,上記イのとおり,落下物や倒れる直前の体勢について不明である旨の供述を繰り返しているから,事故態様について,事故直後とその後しばらくした後とで,矛盾ないし実質的に異なる供述をしていると評価せざるを得ない。

オ その他,原告Aは,「普段から積荷の整理を行っており,当日も積荷の状況を確認した上で特に危険とは感じなかった」旨供述しているものであり(同16頁),このことからすれば,何も力が加わらずに突然積荷が崩落すること自体不自然である。また,原告Aは,工場事務所から本件事故現場が死角になるようにバスを停車させていたものである(前記1(1))。さらに,第一発見者のMは,原告Aと大阪時代からの知り合いであり(同(2)ア),原告Aは,「たまたまMと半月ぶりくらいに会う予定だった」旨供述している(原告A21,24頁)。これらの事情は,本件事故が人為的なものであることを強く窺わせるものである。

カ 以上からすると,本件事故に関する原告Aの供述には,多大の疑問があるといわざるを得ない。

(2)  5人の医師の診断について

上記(1)のとおり,本件事故についての原告Aの供述には多大な疑問が残るところ,本件においては,T病院のS医師,Y医師,K医師,EクリニックのI医師,そして労災認定医の5人の医師が,原告Aは本件事故により頸髄損傷の傷害を負った旨の診断をしているので,以下各診断の信用性を検討をする。

ア T病院の診断

(ア) 前記1(2)ウ(ア)及び(ウ)のとおり,原告AがT病院に搬送されたときには,全身状態について,意識障害あり,尿失禁ありと認められたこと,S・Y両医師は,そのような状態の原告Aに対して診察・各種検査を行ったこと,その結果,MMTでは上肢が3から3+,両下肢が4+であり,MRIでは,第5,第6頸椎間において狭窄がみられ,C5部位での頸髄不全損傷と診断されたこと,その後担当したK医師は,おおむね両医師の行った各検査結果及び所見に基づいて,頸髄損傷の診断をしたことがそれぞれ認められる。そして,原告らは,3人の医師が頸髄損傷と診断した診断書等(甲19の1【5,9頁】)を提出している。

(イ) しかし,T病院において,原告Aの下肢のMMTは維持されていると診断されたが,このことは頸髄損傷の医学的知見として損傷レベルの支配領域以下の運動障害が発生するとされていること(上記1(4)ア及びイ)と整合しない。そして,MRIによって第5,第6頸椎間に狭窄が認められたという点については,「その部分で頸部の過伸展か過屈曲が起きると神経が伸ばされて麻痺が生じる可能性がある」(証人I23頁)というにとどまるのであって,そのことから直ちに頸髄損傷であると判断することはできない(証人I17頁)。これらのことからすると,上記MRIの結果は,原告Aが頸髄損傷を負ったことと矛盾しないという意味を有するにすぎないというべきである。

(ウ) さらに,原告Aは,平成12年に胸髄損傷という極めて重大な損傷を負ったというのであるから,既往症を尋ねられれば当然胸髄損傷を答えると思われるのに,原告AのT病院の記録の中には,既往症として,「虫垂炎の手術」としか記載されていないものがある(上記1(2)ウ(イ))。このことは,原告Aが,T病院の担当者に対して,胸髄損傷という重大な既往症を秘していたことを窺わせるものであり,原告Aが,T病院の各医師の診察を真摯に受けていたかは疑問である。

(エ) 上記事情を併せ考慮すると,T病院の各医師が,客観的に十分に信用できる根拠に基づいて,原告Aを頸髄損傷と診断したと認めるのは困難であり,したがって,各医師作成の診断書等(甲19の1【5,9頁】)の信用性を認めることはできない。

なお,原告AがT病院に搬送された当時,原告Aに意識障害や尿失禁が認められたという事情は,原告らの主張を裏付けるものといえなくもないが,作為可能な上記事情をもって,T病院の各医師の診断の客観性を支えることはできないというべきであるから,未だ信用性についての上記判断を覆すに足りない。

ウ I医師の診断

(ア) 原告らは,I医師は,原告Aに対し,徒手筋力テスト(MMT),筋電図,MRI,反射テスト等を行った結果,客観的根拠に基づき頸髄損傷の診断をした旨主張し,頸髄損傷と診断したI医師の診断書(甲2の1,2)を提出し,証人Iも同趣旨の証言をする。

(イ) しかし,I医師は,その証言の中で,MRIのみでは頸髄損傷の確定的診断は無理であること(証人I17頁),筋電図に関する所見は,他の医者の意見を聞いたもので自らの所見ではないこと(同25頁),ホフマン反射,ワルテンベルグ反射,バビンスキー反射の病的反射はいずれもみられなかったこと(同27頁),原告Aを頸髄損傷と診断する際に最も比重の大きかったのは,原告Aの主訴であったこと(同18頁)を認めている。そうすると,I医師が,原告Aを頸髄損傷であると診断した根拠に客観性が担保されていたとはいえない。

(ウ) また,原告Aは,T病院入院当時,「一日中ベッド上で過ごし,排泄,食事,着替えにおいて介助を要する」状態であるとされたものの,翌日の退院時には,日常生活動作(ADL)のすべてが「自立」とされるまで回復し,頸髄不全損傷は軽傷であると判断され(上記1(2)ウ(イ)及び(エ)),少なくとも下肢についてはMMTが維持されていたのであるが(同(ア)及び(ウ)),I医師は,原告Aの両下肢のMMTが3に低下した旨診断し(同エ(ウ)),最終的に右上肢機能障害,両下肢機能障害,体幹機能障害との診断をするに至っている(同(カ))。そして,I医師は,当裁判所において,当時の原告Aの症状について,「感覚障害のレベルが少しあがっています。筋萎縮が少しずつ進んでいる」旨供述している(証人I7頁)。上記症状変化の過程は,脊髄損傷による麻痺の程度及び予後の状態について,受傷時の外力によってほぼ決定され,頸髄損傷の受傷直後に症状が悪いものが,その後安定するとの医学的知見(上記1(4)イ)と矛盾するものであって,そのような医学的知見に反するI医師の診断内容には,疑問を抱かざるを得ない。

(エ) さらに,原告Aは,本件事故から4年前の胸髄損傷による両下肢麻痺治療のため,戸田工場では健常者として働きながら,Eクリニックに通院していたというのであるから(上記1(2)エ(イ)),原告Aが,I医師の前では両下肢麻痺の擬態を演じ続けていた可能性及びI医師がそれを見抜けなかった可能性を否定できない。

加えて,上記1(3)アのとおり,杖や車いすを使用せずにスムーズに歩行し,片手で自動車のドアの開閉するなどの原告Aの様子が撮影されたビデオが証拠として提出されており,これらに映っている原告Aの挙措動作は,原告Aが,平成17年2月17日にI医師に受けた診断内容である,両下肢筋力半減,左上肢筋力半減・右上肢筋力著減とか,坐位又は起立位保持困難などとはおよそ整合しないものである。そうであるのに,I医師は,これらビデオに撮影された原告Aの様子を確認してもなお,従前の診断を維持する旨供述しているのであり,その判断に重大な疑問を抱かざるを得ない。

(オ) 以上のとおり,I医師が医学的な専門的知見に基づいて客観的な根拠に基づいて診断したかという点につき,その事実を認めるには看過しがたい事情があることからすれば,I医師の診断書(甲2の1,2)及び証人Iの供述は,たやすく採用することができない。

(カ) なお,原告らは,I医師が原告Aに対して脊髄電気刺激装置の植え込み術を施行したこと(上記1(2)エ(エ)),原告Aが,平成16年5月11日から同年10月5日までの間,合計148日間入院していること(同)等の事情は,原告Aが頸髄損傷の傷害を負ったことと本件事故が間違いなく発生したことの証左である旨主張している。しかし,既に述べたとおり,本件においては,I医師が原告Aを頸髄損傷と診断する客観的な裏付け資料がないこと,I医師の診断にも疑問があること,証拠上認められる原告Aの疑わしい言動等を併せかんがみれば,植え込み術の施行や長期入院の事実が治療目的以外の目的で行われた可能性を否定できず,I医師の診断等の信用性を補強する事実になり得ないというほかない。

エ 労災認定医

原告らは,川口労働基準監督署長から後遺症等級3級3号の認定を受けた旨の証拠(甲3)を提出し,この認定は,労災認定医が,原告Aを直接診察し,I医師の診断資料を精査した結果によるものであり,原告Aの頸髄損傷を裏付けるものである旨主張する。

なるほど,証拠上労災認定医が原告Aに対して行った診察の内容は明らかではないものの,前記1(2)オによれば,原告Aは,平成17年3月ころ,障害補償年金等の給付を受けるために,川口労働基準監督署長にI医師の診断書及びその資料となった画像等を提出したことが認められるのであり,このことからすれば,労災認定医が行う判断は,ほぼI医師の診断書等に基づいて行われたことが推認され,その信用性は,I医師の診断の信用性に依存することになる。上記ウのとおり,I医師の診断内容には重大な疑義が存在すること等からすれば,労災認定医の診断についても,これを採用することには疑問が持たれるところである。

この点,原告Aが車いすの使用して労災認定医の面接ないし診断を受けた事実が認められるが(前記1(2)オ),I医師の診断内容が真実であると誤信させるために仮装したのではないかとの疑念を持たざるをえない。

したがって,原告Aが障害者等級3級3号の認定を受けたといっても,労災認定医の診断についてはそれを裏付ける根拠に乏しく採用することはできないというべきである。

オ 以上のとおり,5人の医師による診断書等については,これを採用することができず,これらの証拠によっても,頸髄損傷という重篤な傷害を負った事実を認められない。そうすると,そもそも本件事故の発生を認めることはできないというべきであり,その他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  上記のとおり,本件事故が発生したと認めるのは困難であるから,その余の点を判断するまでもなく,本件の安全配慮義務違反を理由とする債務不履行ないし不法行為の成立をいう原告らの主張は理由がない。

4  よって,原告らの本件請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤壽邦 裁判官 河本晶子 裁判官 多々良周作)

(別紙省略)

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