さいたま地方裁判所 平成17年(ワ)2562号 判決 2007年4月27日
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は,原告に対し,308万円及び内金280万円に対する平成17年1月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は,原告所有犬(以下「本件犬」という。)が生後10か月を超えることの証明書を提出したにもかかわらず,被告が本件犬を原告に引き渡さないまま預かり続けたことは,狂犬病予防法7条2項に基づき定められた規則である,犬等の輸出入検疫規則(以下「本件規則」という。本件規則は平成16年10月6日に改正されている。改正前の規則を以下「本件改正前規則」という。)に違反するとして,国家賠償法1条に基づき,原告が,被告に対し,再訓練費用等の損害賠償及び被告が本件犬が生後10か月を経過していることを知った日以後の日からの遅延損害金の支払を求める事案である。
1 前提事実(証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。)
(1) 原告入国時に本件犬が係留された経緯等
ア 原告は,平成16年12月4日,成田国際空港(以下「成田空港」という。)から,本件犬を連れて日本へ入国しようとした。しかし,成田空港の家畜防疫官(農林水産省動物検疫所成田支所)は,本件犬につき,輸入検査申請時に原告が提出した中華人民共和国政府機関発行の証明書によれば本件規則附則4条に該当せず,本件規則4条1項の表中の「その他の犬等」に該当するため180日間の係留検査が必要であるとして,本件犬を直ちに入国させることを認めなかった。
イ 家畜防疫官は,原告に対し,本件犬の入国には180日間の係留検査が必要であることを説明し,中国に返送することを勧めたが,原告は返送を選択せず,係留同意書(乙2)を提出した。
ウ 本件犬は,動物検疫所成田支所天浪検疫場内にある動物検疫所の係留施設において,平成17年6月3日まで係留され(乙7の2),同日,原告は引渡しを受けた。本件犬の飼養管理は原告から委託を受けた株式会社エーキューエス(以下「エーキューエス」という。)によって行われ(甲3),その費用は73万0025円となったが(甲2),原告とエーキューエスは,原告がエーキューエスに対し60万円を支払うことで合意した(甲3)。
(2) 本件規則附則4条には,「平成17年6月6日までの間に入港し,又は着陸する船舶又は航空機に搭載される犬等のうち,指定地域から輸入される犬等,輸出の際生産の日から十箇月を経過していることを証明する輸出国政府機関の発行する証明書が添付されている犬又は猫,輸出国政府機関の発行する証明書により平成17年6月6日までの間に生産の日から十箇月を経過することが確認され,かつ,本邦に輸出された後生産の日から十箇月を経過する日までの間動物検疫所に係留されている犬又は猫及び試験研究用の犬又は猫についての新規則第4条1項及び同条第4項の規定の適用については,なお従前の例によることができる。」と定められている。
(3) 原告から家畜防疫官に対する証明書類の提出状況等
ア 原告は,平成16年12月4日の輸入検査申請時,家畜防疫官に対し,犬の輸入検査申請書(乙7の1及び2),中国政府機関発行の証明書(乙1の1。以下「動物衛生証明書a」という。)及びペット免疫証(乙8の1。以下「ペット免疫証a」という。)を提出した。
イ 原告は,平成16年12月15日,家畜防疫官に対し,中国政府機関発行の証明書(乙11の1。以下「動物衛生証明書b」という。)を提出した。
ウ 原告は,平成17年1月8日ころ,家畜防疫官に対し,本件犬の登録証(甲1,乙12の1)及びペット免疫証(乙13の1。以下「ペット免疫証b」という。)を提出した。(弁論の全趣旨)
2 争点
(1) 被告が本件犬の係留を解かなかったことが違法か。
(原告)
本件規則附則4条によれば,犬の年齢が10か月以上であるとする輸出国政府機関発行の証明書が提出されれば,家畜防疫官は形式的審査権しか有しないため,被告は係留を解かなければならなかった。原告は家畜防疫官に対し平成16年12月15日に動物衛生証明書bを提出しているのだから,この日以降の被告による本件犬の係留は,法的根拠を欠く違法な行為である。
なお,証明書自体が偽造されたような場合は別として,証明書が真正に成立したものであれば,家畜防疫官が証明書の内容に疑問を抱いたとしても,その内容に反する措置をとることはできない。仮にその内容に反する措置をとるのであれば,家畜防疫官は別途証明書を取得しなければならない。
(被告)
平成16年12月4日に家畜防疫官が原告から得た資料からすれば,本件犬は犬齢5か月程度と判断された。そのため,家畜防疫官は,原告からこれと反する内容の動物衛生証明書bの提出を受けると,その内容の真実性を調査し,内容が虚偽と認められたため,本件規則附則4条該当性を否定して係留を係属した。すなわち,原告から提出された動物衛生証明書bは,原告がペット免疫証aの年齢を「3月」から「8月」へと書き換えた乙14の1(以下「ペット免疫証c」という。)に基づいて発行されたものであるから内容虚偽と認めた。
本件規則附則4条は,狂犬病の発生及び蔓延防止という狂犬病予防法の趣旨の下で,狂犬病ワクチンの接種を受け,10か月齢を超えている場合であれば,予防注射の効果により狂犬病侵入リスクが低減されているということを前提に,本件改正前規則による検疫を受ける扱いを認めている。したがって,家畜防疫官には輸入される犬等が10か月齢を超えているかどうか調査し,証明書の内容の真実性について判断する実質的審査権があるのであって,家畜防疫官の措置は適法である。なお,中国政府検疫当局に動物衛生証明書bについての照会を行えば,同証明書の真実性を否定するための調査は足りる。
また,犬の登録証やペット免疫証bは,そもそも輸出国政府機関発行の証明書には当たらず,これらの提出を受けても動物衛生証明書bの内容が虚偽であることの認定は覆らないと判断した。
(2) 被告の措置が違法であった場合の原告の損害額
(原告)
合計308万円
(内訳)
ア エーキューエスの飼養管理費用等 60万円
原告とエーキューエスとの間の合意で原告が支払うこととなった金額
イ 本件犬の再訓練費用 120万円
ウ 慰謝料 100万円
エ 弁護士報酬 28万円
(被告)
争う。
第3争点に対する判断
1 認定事実
前提事実,関係各証拠及び弁論の全趣旨からすれば,次の事実が認められる。
(1) 原告から家畜防疫官に対し提出された証明書類の記載内容等
ア 原告は,平成16年12月4日の輸入検査申請時,家畜防疫官に対し提出した,犬の輸入検査申請書(乙7の1及び2),動物衛生証明書a(乙1の1)及びペット免疫証a(乙8の1)のうち,犬の輸入検査申請書には,本件犬の名称につき「ジャニ」,本件犬の年齢につき「5カ月」とそれぞれ原告自ら記載しており(乙7の1及び2),動物衛生証明書aには本件犬の年齢の記載がなく(乙1の1及び2),ペット免疫証aには年齢は平成16年10月31日時点で3月と記載されている(乙8の1及び2)。
イ 原告は,平成16年12月15日,家畜防疫官に対し提出した動物衛生証明書b(乙11の1)は,動物衛生証明書a(乙1の1)と同内容の記載がされているが,動物衛生証明書aに比し,「4 AGE:TEN MONTHES SEX:MALE」(日本語訳「4 年齢:10ヶ月齢 性別:雄」)との記載が追加されている。(乙11の1及び2)
ウ 原告が,平成17年1月8日ころ,家畜防疫官に対し提出した本件犬の登録証(甲1)には,「出生日期:2004年2月3日」との記載がある。
エ 原告は,平成17年1月8日ころ,家畜防疫官に対し提出したペット免疫証b(乙13の1)には,平成16年4月時点で年齢2月と記載されている(乙13の1及び2)。ペット免疫証bは,ペット免疫証①に比し,年齢,予防接種日,犬名等の記載が異なっている。すなわち,ペット免疫証aでは,年齢が平成16年10月時点で「3月」,予防接種日が「2004年10月31日」及び「2004年11月14日」,名前が「jiani」と記載されているのに対し,ペット免疫証bでは,年齢が平成16年4月時点で「2月」,予防接種日が「2004年4月2日」及び「2004年4月16日」,名前が「JANY」と記載されている。
オ 原告が家畜防疫官に対し提出した証明書類のうち,中国政府機関が発行する証明書は,動物衛生証明書a及び動物衛生証明書bのみである。(乙1の1,乙11の1,弁論の全趣旨)
(2) 平成16年12月15日現在の本件犬の歯牙の生え揃い具合
ア 一般的に,犬の歯の歯列は,乳歯であれば,上下それぞれ切歯が3本,犬歯が1本,前臼歯が3本であり,永久歯であれば,上下それぞれ切歯が3本,犬歯が1本,前臼歯が4本,後臼歯は上が2本で下が3本である。永久歯に生え替わる時期は,切歯が2ないし5か月,犬歯が3ないし5か月,前臼歯が4ないし6か月,後臼歯が4ないし7か月である。(乙10)
イ 平成16年12月15日現在の本件犬の歯牙の生え揃い具合は,切歯乳歯が3本生え,犬歯乳歯が1本生え,前臼歯が2本萌出,後臼歯が生えていないという状態である。(乙9の1ないし5,弁論の全趣旨)
(3) 動物衛生証明書b(乙11の1)の作成経緯に関して
ア 特段利害関係がなく,関係各証拠とも矛盾しないため信用できる乙第15号証によれば,次の事実が認められる。
(ア)農林水産省消費・安全局衛生管理課に勤務していたA(以下「A」という。)は,平成16年12月20日,中国検疫担当官に対し,動物衛生証明書a(乙1の1),動物衛生証明書b(乙11の1)及び本件犬の歯列写真を送付し,記載内容の確認を求めた。
(イ)中国検疫担当官から,平成17年1月31日ころ,(ア)に対する回答として,ペット免疫証c(乙14の1)がファックス送信されてくるとともに,中国検疫担当官から,原告から提出されたペット免疫証cをもとに本件犬の月齢を10か月とし,改めて動物衛生証明書b(乙11の1)を発給した旨の説明があった。
イ 乙14の1には,不鮮明ではあるが,犬名欄に「jiani」,性別欄に「♂」,日付として「2004年10月31日」及び「2004年11月14日」などの記載がある。一方,年齢欄は,「8月」と記載されている。
2 検討
(1) 家畜防疫官の審査権について
ア 本件において被告の行為が違法かどうかを判断するためには,本件規則附則4条該当性の判断について,家畜防疫官がいかなる審査権を有しているか問題となるから,まずその点を検討する。
イ 本件規則は,狂犬病予防法7条2項に基づき定められているのだから,その解釈に当たっては,狂犬病予防法の趣旨・目的等を参考とすべきである。狂犬病予防法は,その第1条で,「狂犬病の発生を予防し,そのまん延を防止し,及びこれを撲滅することにより,公衆衛生の向上及び公共の福祉の増進を図ることを目的とする」とし,この目的達成のために,通常措置として登録,予防注射,抑留,輸出入検疫等を,狂犬病発生時の措置として届出義務,隔離義務,けい留命令等を定め,罰則も定めている。そして,輸出入検疫の規定に違反して検疫を受けない犬又は狂犬病予防法2条1項2号に掲げる動物(以下「犬等」という。)を輸出入した者に対しては,30万円以下の罰金という罰則が定められている。このように,狂犬病予防法は,公衆衛生の向上及び公共の福祉増進のために,種々の措置を講じて狂犬病の発生を予防し,蔓延を防止しようとしている。そうだとすれば,本件規則の解釈においても,家畜防疫官が本件規則附則4条の適用があるかどうか審査する際,狂犬病予防の観点から是認できない事情があるという合理的疑いが生じた場合には,さらに審査を行い,狂犬病予防上安全であるか否かの判断をすることができると解するのが相当である。
ウ 次に,本件規則附則4条について検討する。本件改正前規則は,近隣アジア諸国での狂犬病の発生が増加する一方,国内のペットブームを背景に狂犬病発生地域から予防注射の効果が十分に期待できない子犬の輸入が増加したため,これらの子犬を介して狂犬病が侵入する危険が増したことと,国際的に予防注射後の中和抗体価測定が合意され,出発前の抗体価確認と待機期間を組み合わせて係留期間を短縮することが国際的な検疫基準となってきていることから,効果的な予防注射を行う一方,抗体価確認を行い係留期間を短縮するよう,平成16年10月6日に改正され,平成16年11月6日に施工された。しかし,経過措置として,本件規則附則4条は,a 指定地域(狂犬病発生のおそれがない地域として農林水産大臣が指定する地域)からの輸入であること,b 輸入の際生後10か月を経過していることが添付された輸出国政府機関の発行する証明書により証明されること,c 平成17年6月6日までに生後10か月を経過することが輸出国政府機関の発行する証明書により証明され,かつ,生後10か月を経過する日まで動物検疫所に係留されること,d 試験研究用であること,のいずれかに該当する場合,従前の検疫制度によることとしている。このうちaは,輸出国が指定地域であるときは,狂犬病発生のおそれが少ないことから,dは,輸入目的に試験研究用であれば,通常注意して扱われ,当該犬又は猫が社会一般と接する機会も少ないことから,それぞれ予防注射による狂犬病リスク低減をそれほど気にかけなくても問題ないため,従前の例によるとしていると解される。一方,b及びcについては,輸出入される犬等に対し狂犬病ワクチンの接種がされていたとしても,幼齢犬では狂犬病ワクチン接種の効果が十分に期待できないが,3か月齢以降に1回目の狂犬病ワクチン接種を行い,その後30日以上の間隔を空けて2回目の狂犬病ワクチン接種を行い,さらに抗体価の確認の後180日間の待機期間を経ていれば,狂犬病侵入リスクが低減されるという前提に依拠した上で,輸出国政府機関が発行する証明書により犬等の月齢が10か月を経過していれば,加えて予防注射が行われているのであれば,狂犬病リスクは低減されるから,従前の例によるとしていると解される。したがって,b及びcは,輸出国政府機関が発行する証明書の内容が真実であることを前提とした規定である。
エ ところで,仮に,本件規則附則4条の適用につき,家畜防疫官が形式的審査権しか有しないとした場合,家畜防疫官はたとえ輸入される犬等が10か月を経過していなかったとしても,輸出国政府機関の発行する証明書が提出され,かつ,狂犬病の予防注射がなされたことの証明書類が提出されれば,係留期間は長くとも60日間ということになる(本件改正前規則4条参照)。しかしこれでは,幼齢犬の場合予防注射が効果的に機能しない可能性があることからすれば(弁論の全趣旨),本件規則を改正して,幼齢犬の輸入による狂犬病侵入リスクに対策した法改正の趣旨にもとることとなってしまう。
オ したがって,以上のような狂犬病予防法,本件規則及び本件規則附則4条の目的,内容等からすれば,本件規則附則4条の適用を受けるか否かにつき,家畜防疫官は実質的審査権を有していると解するのが相当である。
(2) 被告が本件犬の係留を解かなかったことの違法性
ア 平成16年12月4日時点で原告が家畜防疫官に対し提出したのは,犬の輸入検査申請書(乙の7の1及び2),動物衛生証明書a(乙1の1)及びペット免疫証a(乙8の1)である。このときの提出書類中には,本件犬が平成16年12月4日時点で10か月を経過していることを示すものはなく,逆に,犬の輸入検査申請書には原告自身が本件犬の年齢を5か月と記載しており,ペット免疫証aには平成16年10月31日時点で年齢が3月と記載されている。また,平成16年12月15日時点での本件犬の歯牙の生え揃い具合からすると,永久歯が生え揃わない段階であり,特に生後4ないし7か月で生えるとされる後臼歯が生えていないことから,多く考えても年齢は7か月を超えていない。これらの事実からすれば,平成16年12月4日時点での本件犬の年齢は,5か月であったと推認できる。甲第7号証には,「JANY」という犬が平成16年2月3日生まれである旨の記述があるが,本件犬の歯牙の生え揃い具合と矛盾するし,平成16年12月4日時点で原告が提出したペット免疫証a記載の本件犬の名前は「jiani」(乙8の1)であるから,甲第7号証は本件犬の年齢についての上記の認定を左右しない。したがって,家畜防疫官が,平成16年12月4日時点の本件犬の年齢を,5か月と判断したことに誤りはない。
イ 原告は,平成16年12月15日,動物衛生証明書b(乙11の1)を提出しているが,これには本件犬の年齢は,平成16年12月2日時点で10か月齢と記載されている。これは真実性に疑いのある内容であるから,実質的審査権を有する家畜防疫官が,内容の真実性を確認するため,Aを通じて中国政府に問い合わせたことに誤りはない。そして,問い合わせの結果送られてきた乙14の1は,不鮮明ではあるが乙8の1の年齢部分の「3」を,「8」に改ざんしたものと推認できるところ,そのように判断し,動物衛生証明書bは偽りのある資料を元にして作成されているから,「輸出国政府機関の発行する証明書」による年齢の証明がされていないとした家畜防疫官の判断に,誤りはない。なお,動物衛生証明書bの発行者である中国政府に対し判断資料を問い合わせ,判断資料が誤っていることが確認できたのであれば,動物衛生証明書bの真実性を否定するには十分であり,改めて証明書の交付を求める必要まではないというべきである。
ウ その後も原告は,平成17年1月8日ころ,本件犬の登録証(甲1)及びペット免疫証b(乙13の1)を提出しているが,前者は中国工作犬管理協会,後者は大連市獣医衛生所の作成に係る文書であり,これらはいずれも「輸出国政府機関の発行する証明書」に当たらないから,被告が本件犬の係留を解かなかったことに誤りはない。
エ 結局,本件規則によれば,本件犬は本件規則4条1項の表中の「その他の犬等」に該当するから,係留期間は180日となるのであって,その期間経過まで被告は適法に本件犬を係留できる。そして,180日を経過した平成17年6月3日,被告は原告に対し本件犬を引き渡しているから,被告の行為には何らの違法もない。
第4結論
以上のとおり,原告の請求には理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 岩坪朗彦 裁判官 佐久間隆)