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さいたま地方裁判所 平成17年(ワ)829号 判決 2007年9月28日

主文

1  原告らは,被告に対し,連帯して,101万7733円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告Aは,被告に対し,100万6419円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告Bは,被告に対し,14万6919円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  原告らの本訴請求及び被告のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は,本訴反訴を通じ,これを10分し,その9を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

6  この判決は,第1,2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  本訴請求の趣旨

被告は,原告Aに対し2163万3568円,原告Bに対し240万3730万円及びこれらに対する平成17年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  反訴請求の趣旨

(1)  原告らは,被告に対し,連帯して262万1200円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2)  原告Aは,被告に対し,120万7600円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  原告Bは,被告に対し,17万6200円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件本訴は,原告らが,弁護士として訴訟を受任した被告に対し,被告が建築訴訟において適切な証拠を提出しなかったことや建替の主張に固執し瑕疵修補の主張を行わなかったことにより,認容された金額が低くなったとして,主位的に,注意義務違反の債務不履行に基づき,適切な主張や証拠の提出が行われたとしたら認容されたであろう額と実際の認容額の差額の損害賠償及びこれに対する本訴状送達日からの遅延損害金の支払を,予備的に,適切な主張や証拠の提出が行われてより高額の請求が認容されることへの期待権が侵害されたとして,債務不履行に基づき,適切な主張や証拠の提出が行われたとしたら認容されたであろう額と実際の認容額の差額の損害賠償及びこれに対する本訴状送達日からの遅延損害金の支払を求める事案である。

本件反訴は,被告が,原告らに対し,建築訴訟において被告が原告らを訴訟代理したことの未払報酬合計200万5000円の支払及び建築訴訟後に原告らが申し立てた埼玉弁護士会への紛議調停及び本訴提起が名誉毀損に当たるなどとして不法行為に基づく慰謝料200万円の支払並びにこれらに対する反訴状送達日の翌日からの遅延損害金の支払を求める事案である。

1  前提事実(証拠を掲記しない事実は,当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

ア 原告A及び原告Bは,さいたま地方裁判所平成11年(ワ)第1473号請負代金請求事件(以下「甲事件」という。),同裁判所平成11年(ワ)第1475号損害賠償請求事件(以下「乙事件」という。)及び同裁判所平成13年(ワ)第1559号損害賠償請求事件(以下「丙事件」という。)(甲事件ないし丙事件をまとめて,以下「建築訴訟第一審」という。)並びに東京高等裁判所平成14年(ネ)第2319号請負代金,各損害賠償請求控訴事件(以下「建築訴訟控訴審」という。)並びに平成15年(受)第1575号請負代金,損害賠償請求上告受理申立事件(以下「建築訴訟上告受理申立事件」という。)の各事件(以下,まとめて「建築訴訟」という。)の訴訟追行を被告に対し委任した夫婦である。

イ 被告は,埼玉弁護士会所属の弁護士である。

(2)  建築訴訟の概要等

ア 原告らは,平成10年7月6日,株式会社ひでよし工務店(以下「ひでよし工務店」という。)に対し,木造二階建住居(以下「本件建物」という。)の新築工事(以下「本件工事」という。)を請け負わせ,平成11年7月27日ころまでに本件建物の引渡を受けた。なお,本件建物は原告らの共有とされ,原告Aが10分の9,原告Bが10分の1の持分を有している。しかし,追加工事代金及び本件工事の瑕疵を巡り,原告らとひでよし工務店との間で紛争が生じ,建築訴訟が提起された。

イ 甲事件は,ひでよし工務店が,原告らに対し,本件工事未払代金として,本契約未払金800万円及び追加工事代金405万8930円の支払を求めた事案である。

ウ 乙事件は,原告らが,ひでよし工務店及びその取締役らに対し,本件建物には,コンクリート杭の打設がないなどの多数の瑕疵があるため,将来本件建物が不同沈下するおそれがあるとして,ひでよし工務店に対しては,瑕疵担保責任又は旧商法261条3項(会社法350条),旧商法78条2項(会社法600条),旧民法44条1項に基づき,取締役らに対しては,旧商法266条の3第1項(会社法429条1項)に基づき,損害賠償を求めた事案である。

エ 丙事件は,原告Aが,本件建物の設計と本件工事の監理を行ったCに対し,本件建物の瑕疵について,建築設計及び工事監理上の過失による不法行為に基づき,損害賠償を求めた事案である。

オ 平成14年3月8日言渡の建築訴訟第一審判決では,甲事件につき,本件工事未払代金800万円及び追加工事代金のうち180万円の請求が認容され,乙事件のうちひでよし工務店に対する請求につき,地盤強化工事費用890万円,本件建物修補費用1000万円,擁壁設置工事費用120万円及び基礎工事瑕疵調査費用57万7290円の合計2067万7290円の請求が認容され,その余の請求はいずれも棄却された。

カ 建築訴訟第一審判決に対し,原告ら及びひでよし工務店が控訴した。平成15年6月17日言渡の建築訴訟控訴審判決では,甲事件につき,本件工事未払代金800万円及び追加工事代金のうち68万1600円の請求が認容され,乙事件のうちひでよし工務店に対する請求につき,地盤改良工事費用685万0700円,本件建物修補費用5万3440円,擁壁解体・設置工事費用170万1014円及び基礎工事瑕疵調査費用57万7290円の合計918万2444円の請求が認容され,その余の請求はいずれも棄却された。

キ 建築訴訟控訴審判決に対し,原告らは,上告受理申立てを行ったが,平成15年11月7日,上告不受理決定がなされた。

(3)  建築訴訟受任から終了までを通じ,原告らから被告に対し,貼用印紙代及び予納郵券を除き合計147万5000円が支払われた。

(4)  建築訴訟控訴審判決後,上告手続を行ってほしいという原告らの頼みに対し,被告は,被告の第1審,第2審及び上告手続の結果如何に関わらず,原告らが被告に一切異議を申し立てず,いかなる請求もしないことを確約すること(以下「本件確約」という。)を条件に受任することとし,平成15年6月29日ころ,原告らから確約書(乙15,16。以下「本件確約書」という。)を受け取った。

(5)  原告らは,平成16年4月14日,被告を相手方として,建築訴訟の被告の弁護活動に弁護過誤があるとして,埼玉弁護士会に対し紛議調停を申し立てた(以下「本件紛議調停」という。)。

(6)  本件訴状は,平成17年5月17日,被告に送達された。(当裁判所に顕著である。)

(7)  本件反訴状は,平成17年11月4日,原告らに送達された。(当裁判所に顕著である。)

(8)  当裁判所平成18年11月22日の第9回弁論準備手続期日において,原告らは被告に対し,本件確約を取り消す旨の意思表示をした。(当裁判所に顕著である。)

2  争点

(1)  建築訴訟における被告の訴訟活動に弁護過誤があるか。

(原告ら)

ア 被告は,建築訴訟を通じ,建替の主張のみを行い,建築訴訟控訴審において建築訴訟被告らから本件建物の補修費用5万3440円とする見積が出され,建築訴訟控訴審裁判所から本件建物修補の具体的金額を記載した見積書の提出を求められても,原告らが提出を勧めたにもかかわらずその提出を行わず,また,地盤改良工事費用についての1230万円の見積書(甲44)も提出しなかったため,建築訴訟被告らが提出した685万0700円の見積書(甲35の1及び2)どおりの認定がなされた。裁判所から有額の見積書の提出を求められていたこと,建築訴訟第一審で建替の主張が容れられず,補修相当の判決が出されていたこと,原告らも建替と同額程度の補修費用が認められるならば建替の主張に固執しなくともよいと考えていたことなどの事情があったにもかかわらず,原告らの意向を無視して修補費用の主張・立証を行わなかったことは,弁護士としての職務上の注意義務に違反する。

建築訴訟中に原告らが取得した1230万円の見積書(甲44)に証拠価値がないとすれば,被告は,原告らに対し,他の証拠価値のある見積書等の証拠を取得するように指示等すべきであったが,していない。また,被告は,建築訴訟被告らが提出した地盤改良についての685万0700円の見積書(甲35の1及び2)作成者であるD(以下「D」という。)に電話し,当該見積書の内容について確認をとり,その通話内容をテープ(乙36の2)(以下「本件テープ」という。)に録音し,本件テープが最後の切り札であると言っていたが,結局建築訴訟で証拠として提出しなかった。このように,建築訴訟における被告の主張・立証は不十分であり,注意義務に違反する。

イ 被告は,建物補修についての5万3440円の見積書(甲37)(以下「本件補修見積書」という。)がおかしいことを分かっていながら,原告Aから,建築士であるE(以下「E」という。)が反論のしようがない旨言っていると聞き,直接Eに当該見積書の合理性を問い合わせなかった。この外にも,被告は,建築訴訟における建築士との協議を原告らに任せっきりにし,現場見分に欠席した。建築訴訟は建築専門家の協力がないと進めないのはある意味常識であり,現場の把握や専門家たる建築士との情報交換を怠っていた被告には,重大な過失がある。

(被告)

ア 被告は,原告らが原状回復を求めていたため,建物補修の主張をすると原状回復の主張が弱くなると考え,原状回復の主張のみを行った。もっとも,被告は,建築訴訟控訴審において建築訴訟被告らから本件補修見積書が提出されると,原告Aに対し本件補修見積書を渡し,Eに相談して甲37に対する反論書及び建物補修費用の見積書を作成してもらうよう伝えた。しかし,その後原告Aは被告に対し電話で,本件補修見積書をEに見せたが,Eは反論のしようがないと言っていた旨伝えてきた。そして,建物補修の見積書は作成されず,専門家が作成した建替の必要性についての資料が被告のところへ送られてきたため,それらの資料を提出して修補が不可能であるという主張立証を行った。

イ 1230万円の見積書(甲44)は,証拠価値がないと判断したため,提出しなかった。すなわち,この見積書は建築訴訟被告ら提出の見積書(甲35の1)に対する反証のために作成したものであるが,甲44は,鋼管杭圧入工法の見積書ではないこと,本件建物基礎部分全部に廃材が埋まっているわけではないにもかかわらず本件建物下部の土を深度3メートルまですべて入れ替えるという過剰な工事内容であること,本件建物を維持しつつ土をすべて入れ替えるためには鋼管杭圧入工法などの方法で本件建物を支えなければならないにもかかわらず見積書にはそれが含まれておらず,鋼管杭圧入工法での補修を前提とした工事の見積又は本件建物撤去を前提とした工事の見積であることなどの問題があったため,甲35の1に対する有効な反証材料にはならないと判断した。

ウ 被告は,原告Aに対し,最終的には鑑定申請をして立証するほかないと再三説明していた。そして,建築訴訟控訴審平成15年1月17日の期日に出頭した原告Aに対し鑑定申請するかどうかその意思を尋ねたが,原告Aは鑑定申請する意思がなかった。さらに,建築訴訟控訴審平成15年4月17日の期日において裁判長から他に主張・立証があるか尋ねられたとき,被告は傍らにいた原告Aに対し,最後の機会と付け加えた上で鑑定申請の意思を尋ねたが,原告Aは鑑定不要と明言し,その期日に結審した。

エ このように,被告は,建替を求める原告らの意向にそって訴訟追行し,必要な証拠の用意を原告Aに頼み,効果的な立証活動となるように合理的な判断の下に証拠を選択し,鑑定申請という他の立証の手段も提案しているのであるから,弁護士としての職務上の注意義務違反はない。

(2)  弁護過誤が認められた場合の損害額

(原告ら)

ア 主位的主張

建物補修費用につき,原告らが取得した補修見積額1802万5738円(甲43)と認定額5万3440円との差額1797万2298円,地盤改良工事費用につき,原告らが取得した地盤改良工事見積額1230万円及び消費税61万5000円の合計額1291万5000円(甲44)と認定額685万円との差額606万5000円,合計2403万7298円が損害額である。

イ 予備的主張

甲43及び甲44の各見積書が提出された場合に,各見積書記載の金額の請求が認容されるという高度の蓋然性があったのだから,かかる勝訴判決を得られる期待権の侵害があり,2403万7298円が損害額である。

(被告)

争う。

甲43,甲44に沿った損害額が認定される根拠はない。

(3)  原告らは被告の建築訴訟の弁護活動についていかなる請求も行わないことを約したか。

(被告)

原告らは,被告の建築訴訟の弁護活動及びその結果について,いかなる異議も請求も行わない旨本件確約書で本件確約をしている。したがって,たとえ原告らに損害があったとしても,被告に対し請求することはできない。

なお,上告受理申立手続に当たっては,被告以外の弁護士に委任することも可能であったし,また,弁護士強制主義がとられていないのだから本人で上告受理申立手続を行うこともできたのであるから,原告らが上告受理申立手続を被告に委任するに際して,本件確約書の作成を強いられる事情はなく,任意に作成されている。

(原告ら)

本件確約は,2週間という上告期間内において被告以外に受任してくれる弁護士がいない状況下でなされたものであり,自由な意思に基づいていないから,無効である。または,強迫によりなされたものだから取り消す。

(4)  建築訴訟の被告の弁護活動による被告の原告らに対する報酬請求権の有無及び金額

(被告)

原告らと被告は,建築訴訟の報酬金について受任当初に,日本弁護士連合会報酬等基準(乙33)(以下「報酬基準」という。)に基づき,事件の難易や労力,決着までに要する期間等を勘案して妥当な額を支払うこととする合意をした。報酬基準に基づく報酬金額は,原告ら各自に対し51万7700円,原告Aに対し100万6400円,原告Bに対し14万6900円となる。報酬基準は,事件の内容により着手金・報酬金共に30%増額できるとしており,建築訴訟において被告は多大な労力を費やし,交通費等を自己負担してきたのだから,上記金額をそれぞれ20%増額した額,すなわち,原告ら各自に対し,62万1200円,原告Aに対し,120万7600円,原告Bに対し,17万6200円が相当報酬額である。

(原告ら)

争う。

原告らは被告と報酬金の計算方法について報酬基準に基づくなどと合意していない。

(5)  本件紛議調停ないし本件本訴提起が被告に対する不法行為となるか。なるとした場合の損害額はいくらか。

(被告)

原告らは本件紛議調停を申し立て,被告は弁護士としての知識や経験に欠けるなどと侮辱し,虚偽の事実を記載して中傷するなどしており,被告の名誉は著しく傷つけられた。また,原告らは被告に対する本件本訴請求に正当な理由がないことを知りながら,本件紛議調停を申し立て,更に本件本訴を提起しているが,これは不当訴訟である。これらによる被告の精神的苦痛を慰謝するには,200万円が相当である。

(原告ら)

争う。

第3争点に対する判断

1  認定事実

当事者間に争いない事実,前提事実及び関係各証拠(特に強く認定の根拠とした証拠を掲記する。)並びに弁論の全趣旨によれば,本件全体に関し,以下の事実が認められる。

(1)  建築訴訟に至る経緯(甲56,乙21,原告A本人,被告本人)

ア 原告らは,平成10年7月6日,ひでよし工務店に本件工事を請け負わせたが,平成11年5月ころ,本件建物の地盤に瑕疵があり,本件建物が傾くのではないかと懸念し,弁護士に相談しようと考えた。そこで,原告Aの会社の同僚の紹介で,平成11年6月ころ,原告らは被告と知り合い,建築訴訟に関する相談をした。被告は,そのときは受任せずに,裁判をするならば専門業者による調査を行い証拠を収集しておく必要がある旨述べ,原告らに調査を促した。

イ 原告らは,地元の建築業者を何件も当たって調査を依頼していくうちに,株式会社関根商事関根建築設計室(以下「関根建築設計室」という。)のEと知り合い,Eに調査を引き受けてもらうこととなった。また,原告らは,Eの紹介で,株式会社ジオ・コンサルタント(以下「ジオコンサルタント」という。)に地盤と基礎の調査を依頼した。

ウ 平成11年7月9日,関根建築設計室及びジオコンサルタントは本件建物を調査し,その数週間後に地盤調査・基礎調査報告書を提出した。また,同月27日,関根建築設計室は,本件建物ベタ基礎コンクリートの調査を行い,その数週間後に基礎調査報告書を提出した。(甲34,乙18)

エ 平成11年7月23日,被告は,プレハブ様の仮住居に住んでいた原告らを訪ね,本件訴訟についての打ち合わせをすると共に,本件建物の現地を見分した。

オ 被告は,原告らとの打ち合わせ,現地見分,関根建築設計室及びジオコンサルタントの地盤調査・基礎調査報告書(甲34)及び関根建築設計室の基礎調査報告書(乙18)などを踏まえて,平成11年8月5日,乙事件を提起した。乙事件では,被告は,原告らの了承の下,本件建物の修補が不可能であるとして既払の請負代金相当額の損害賠償や本件建物の解体・撤去費用の損害賠償を求める等,原状回復を求める旨の主張を行うこととした。(甲4)

(2)  建築訴訟第一審の進行(甲56,乙21,原告A本人,被告本人)

ア 平成11年9月か10月ころ,被告は,本件建物の2度目の現地見分をした。初めて被告が本件建物を現地見分した際に存在していた,関根建築設計室及びジオコンサルタントの地盤調査の際に本件建物の地盤から掘り出した廃材が,このときには処分されていたため,証拠保全のために処分しないよう被告は原告らを注意した。

イ 建築訴訟被告のひでよし工務店が本件建物を現地見分したいと言ったため,ひでよし工務店らが本件建物を見分することになり,平成12年2月3日,本件建物の見分が実施された。このとき,被告は,原告らが本件建物を熟知しているため被告が立ち会う必要はないと考え,その旨を原告らに伝え,立ち会わなかった。

ウ 平成12年3月30日の建築訴訟第一審第5回弁論準備手続期日において,株式会社エフイーシー(以下「エフイーシー」という。)に対する本件建物の地盤調査の鑑定嘱託が採用され,同年4月7日,エフイーシーによる本件建物の現地調査が行われた。このとき,被告は,裁判所の鑑定であることや鑑定事項があらかじめ決まっていたことから,現地調査に立ち会う必要はないと考え,その旨を原告らに伝え,立ち会わなかった。(甲29の8,33,乙20)

エ 平成12年9月5日の建築訴訟第一審調停期日は,本件建物所在地において実施された。このときは,原告らも被告も立ち会った。(甲29の12)

オ 平成12年10月9日ころ,被告の指示に基づき,原告らは,関根建築設計室に対し,「建物移動,地盤改良,建物完全復活の見積り」(乙8)と題する書面を送り,本件建物を移動し,地盤を改良し,本件建物を戻し,本件建物の瑕疵を完全に補修するという内容の補修工事の見積を用意するよう指示した。関根建築設計室は,上記の方法で地盤改修工事をすることには構造上の問題があり,この方法による改修はできず,建替が最善の策と考える旨の所見を述べる書面(乙9)を提出した。

カ 平成13年7月25日ころ,建築訴訟被告ひでよし工務店から被告及び建築訴訟第一審裁判所に対し,株式会社恩田組茨城(以下「恩田組茨城」という。)のDが作成した鋼管杭圧入工法による685万0700円の建物沈下修正に関する見積書(以下「本件見積書Ⅰ」という。)及び施工計画書(甲35の1及び2)が送付された。この本件見積書Ⅰ及び施工計画書は,平成13年7月27日の第7回口頭弁論期日に提出された。(甲29の21,32,35の1及び2)

キ 被告は,本件見積書Ⅰの内容に関して,平成13年7月26日,Dに電話で問い合わせ,その状況を本件テープに録音した。被告は,原告Aに対し,Dと電話したらDが地下2,3メートルの所にコンクリートガラや建築廃材が埋まっている場合には本件見積書Ⅰどおりではできない旨話していたこと,そのやりとりをテープに録音してあることを伝えた。(乙36の1及び2)

ク 平成14年3月8日,建築訴訟第一審判決が言い渡された。当該判決では,地盤強化費用として本件見積書Ⅰの3割増しの890万円が,本件建物修補費用としては数百万円では足りない旨のE証言や民訴法248条の趣旨から1000万円が,それぞれ認定されている。判決の内容を知り,原告らは,被告に対して控訴を希望し,控訴することとなった。また,建築訴訟被告ひでよし工務店も控訴した。(甲1,16,17)

(3)  建築訴訟控訴審の進行(甲56,乙21,原告A本人,被告本人)

ア 平成14年6月16日ころ,被告は,原告らに対し,本件建物の補修工事の見積書を,すぐでなくてもよいので用意するように伝えた。原告らは,被告からの指示を受け,同月中に,関根建築設計室に本件建物の補修工事の見積書作成を依頼した。(乙11)

イ 平成14年7月1日,建築訴訟控訴審第1回弁論準備手続期日が開かれ,控訴審での審理が開始した。(甲30の1)

ウ 平成14年7月から9月にかけて,被告は,Dと連絡を取り,本件建物の沈下改修工事のための3種類の見積書の作成を依頼することとした。すなわち,(1)本件見積書Ⅰのうち「御支給」となっていて費用が不明である部分を明確化したもの,(2)本件建物の地盤に埋まっている廃材を撤去しつつ行うもの,(3)できるだけ費用を削減したものの3種類の見積書の作成を依頼した。Dは,被告からの依頼を受け,1人で本件建物所在地へ行き,現場調査を行った。Dは,見積書作成に当たって本件建物を調査する際,原告らに対し,補修には総額2000万円前後かかると言った。さらに,Dは,平成14年9月28日,薬剤注入工法での地盤改良工事の見積のため,有限会社富山建設(以下「富山建設」という。)代表取締役のHを本件建物へ連れて行き,調査を行わせた。後に被告は,富山建設の薬剤注入工法での概算的な見積よりも,恩田組茨城の鋼管杭圧入工法での概算的な見積の方が高額であったため,富山建設の薬剤注入工法での正式な見積書の作成は断った。(甲40,55,証人D)

エ 平成14年9月6日の建築訴訟控訴審第2回弁論準備手続期日において,建築訴訟被告ひでよし工務店らは,本件見積書Ⅰは地盤に廃材が埋まっていることを前提として作成されていることを記載した「見積作成経過」と題する書面(甲36)及び本件補修見積書(甲37)を提出した。(甲30の2,32,34,36,37)

オ 被告は,平成14年9月6日,本件補修見積書を原告Aに渡し,コピーをとったら返却すること,本件補修見積書を関根建築設計室に持ち込み,これに対する反論の書面を書いてもらうよう指示した。原告AがEに本件補修見積書を見せると,Eは,これでは直らないという意見だった。原告Aが,Eの意見を被告に伝えると,被告は原告Aに対し,疑問に思う点を質問した。そうすると,原告Aは,Eが言っていたこととして,被告の質問に回答したため,被告は,本件補修見積書に対して対案を出すことによる反論のしようがないと考えた(この点に関する詳細な判断は後述する。)。

カ 被告は,平成14年10月1日ころ,恩田組茨城から,鋼管杭圧入工法の見積書として依頼していた3種類の見積書(甲44,54,乙4)を受け取った。もっとも,(1)本件見積書Ⅰのうち「御支給」となっていて費用が不明である部分を明確化したものについては,依頼どおりに740万0700円の見積書(甲54)が作成されたが,(2)本件建物の地盤に埋まっている廃材を撤去しつつ行うものについては,鋼管杭圧入工法が見積もられず,300立方メートルの土を入れ替えるという内容の工事が見積もられた1230万円の見積書(甲44)(以下「本件見積書Ⅱ」という。)が作成され(3)できるだけ費用を削減したものについては,土工事も諸経費も見積もられておらずこれのみでは鋼管杭圧入工法の施工が不能という493万1200円の見積書(乙4)が作成された。被告は,3種類の見積書を受け取ると,本件見積書Ⅱに「地下廃材全撤去」と付箋に手書きし,そのコピーを原告らに送り,その後,その余の2種類の見積書を送った。これら3種類の見積書について,被告が原告らに対して建築訴訟で証拠として提出する旨話したことはなく,証拠として提出されることはなかった。(甲44,54,乙4,28,証人D)

キ 被告は,平成14年11月14日ころ,関根建築設計室と関わりのある設計室ALLのF(以下「F」という。)から鑑定書(甲38)を入手したため,同月25日の建築訴訟控訴審第4回弁論準備手続期日において提出した。また,被告は,その後入手した,関根建築設計室作成の「調査報告書に対する総合所見書」と題する書面(甲39),富山建設作成の地盤補修計画書案(甲40)の交付を受けたため,平成15年1月17日の建築訴訟控訴審第5回弁論準備手続期日において提出した。さらに,被告は,関根建築設計室作成の家屋解体・地盤改良を内容とする2270万3023円の見積書(甲41),ジオコンサルタントのG作成の「鋼管杭圧入工法適用上の問題-鈴木邸の場合」と題する書面(甲42)を平成15年3月17日の建築訴訟控訴審第6回弁論準備手続期日において提出した。これらの証拠を踏まえ,被告は,建築訴訟控訴審において,本件建物の補修のためには鋼管杭圧入工法が使えず,または使えたとしても費用が過分にかかるため,本件建物の補修ではなく,本件建物を解体・撤去し,地盤を改良するための費用を賠償すべきであるという主張を行った。(甲21,24,30の4ないし7,31,38ないし42)

ク 被告は,平成15年1月17日の建築訴訟控訴審第5回弁論準備手続期日後,同期日に出席していた原告Aに対し,補修の可否について鑑定を申し立てる方法があること,その場合には鑑定費用を予納しなければならないこと,期間として3か月程度はかかることなどを説明した。(甲30の5)

ケ 平成15年4月17日の建築訴訟控訴審第1回口頭弁論期日において,双方主張立証が出尽くしたということで,弁論が終結しそうになった。そのとき,被告は,傍聴席にいた原告Aに対し,鑑定を申請するか否かを尋ねると,原告Aは鑑定を求めなかった。そこで,建築訴訟控訴審の弁論は終結した。(甲30の7)

コ 平成15年6月17日,建築訴訟控訴審判決が言い渡された。当該判決では,補修不可能との原告らの主張は採用されず,地盤強化費用として本件見積書Ⅰどおりの685万0700円が,本件建物補修費用としては本件補修見積書どおりの5万3440円が,それぞれ認定されている。(甲2)

(4)建築訴訟控訴審判決後の経過(甲56,乙21,原告A本人,被告本人)

ア 被告は,平成15年6月18日ころ,建築訴訟控訴審判決正本を原告らに送付した。(乙13)

イ 建築訴訟控訴審判決を見た原告Aの泣きくれた姿を見て,原告Bは,平成15年6月21日,被告に電話し,被告の反論や証拠提出が不十分だったためにこのような判決になったと怒鳴りつけ,被告に対し損害賠償を求めるような言動を示した。被告は,原告Bの態度に驚き,反論せずに電話を切った。同日,原告Aは,原告Bの非礼をわびようと被告に電話をしたが,被告が電話に出なかったため,ファクシミリでお詫びの文書(乙14)を送った。

ウ 原告らは,被告に建築訴訟の上告を依頼しようとしたが,被告が原告Bの態度に不快感を示し,受任しようとしなかった。そのため,原告Aは知人の知り合いの弁護士に頼んだり,東京弁護士会に相談したり,電話帳で弁護士事務所を調べて電話したりしたが,上告審で争うことはできないなどといわれ受任をすべて断られた。また,これまで委任していた弁護士に頼むしかないと言われた。そこで,原告らは,再度被告に上告事件の受任を頼んだが,被告は原告らから不快な思いをさせられることを懸念し,受任を渋りつつも,本件確約を条件に上告事件を受任する旨伝え,本件確約書の書式を原告らに送った。原告らは,平成15年6月29日,本件確約書を被告に郵送して提出し,建築訴訟上告受理申立事件を被告に委任した。(乙17)

エ 被告は,建築訴訟の上告受理申立てを行い,上告受理申立理由書を提出したが,平成15年11月7日,上告不受理決定が出され,建築訴訟は確定した。(甲3,27,28)

オ 原告らは,平成16年4月14日,被告に対し本件紛議調停を申し立てた。本件紛議調停では,原告ら提出の書面には,次のような記載がある。(乙21)

(ア) 被告に怠慢と建築に対する知識,経験不足等が多く見受けられる。弁護過誤により,判決の賠償金が大幅に減縮されてしまいました。

(イ) 被告は,弁護士としての職責を果たしておりません。これでは,弁護士としての社会的信用,秩序,品性を失う弁護活動である。

(ウ) 被告の初動活動,公判中の仕事の方法と専門知識の愚かさに失望のほか何もありません。

(エ) 被告の行為は,社会の秩序,信用を害し品性を失う行為であり,今後もこのような要求(建築訴訟の報酬請求等)をする場合は,マスコミなどに報じ一般国民に弁護士の行う行為か審判を求めてゆき,悪徳弁護士として社会的な排除を受けさせます。

カ 平成17年4月29日,原告らは被告に対し,本件本訴を提起した。本件訴訟において,原告Aは,本件訴訟の見通しにつき甘い考えは持っていない旨供述した。(原告A)

(5)  事実認定の補足説明

主として原告Aの陳述書(甲56)及びその供述(以下「原告Aの供述等」という。)と,被告の陳述書(乙21)及びその供述(以下「被告の供述等」という。)との間に食い違いがある部分のうち,重要と思われる点につき,以下,補足して説明する。

ア 被告が本件建物を訪れた回数

(ア) 原告Aは,被告が本件建物を訪れたのは,平成11年9月ころと,平成12年9月5日の2回のみであると供述等する。これに対し,被告は,平成11年7月23日にも本件建物を訪れたと供述等する。

(イ) 原告A及び被告の各供述等は,原告らが本件建物の地盤から掘り出した廃材類を処分したことについて被告が注意したという点では整合している。原告らが廃材類を処分した時期は証拠上明らかではないが,本件建物の地盤調査・基礎調査が平成11年7月9日に行われ,そのときに廃材類が本件建物の敷地上に置かれるようになったことからすると(甲34),その日から2か月ほど経過した平成11年9月以降に処分が行われるよりも,平成11年7月23日から平成11年9月ころまでの間に処分が行われることのほうが自然である。このことは,被告は平成11年7月23日に本件建物を訪れ廃材類を目にし,同年9月ころ被告が再び本件建物を訪れたときには廃材類が処分されていたとの被告の供述等の信用性を高め,これと相反する原告Aの供述の信用性を低下させるということができる。

(ウ) 建築訴訟乙事件は,平成11年8月5日に提起されている。原告らからの事情聴取や,調査報告書類(甲34,乙18)があったとしても,本件建物の現地を見ることなく被告が訴状を作成したとは到底考えられない。建築訴訟乙事件の訴状(甲4)を見ても本件建物の現地さえ見ないで作成したことは窺えず,原告らから現地を見ないで訴訟を提起したことへの指摘もない。これらの事情からすると,建築訴訟乙事件の訴え提起前には被告は本件建物を訪れていたと推認できる。

(エ) さらに,このころの事実関係につき,原告Aは陳述書において関根建築設計室の基礎調査報告書(乙18)が作成されたのは建築訴訟乙事件提起後である旨記載しているが,この報告書は訴状の添付書類となっているから,かかる原告Aの陳述書の記載は事実に反している。原告Aの平成11年夏ころの状況に関する供述はさほど確かではないといわざるをえない。

(オ) したがって,被告が本件建物を訪れた回数についての原告Aの供述等は信用できない。

イ 本件テープについて

(ア) 原告Aは,被告が「最後の切り札」であると言っていた旨供述する。なお,ここでの「最後の切り札」とは本件見積書Ⅰを弾劾し,建築訴訟を原告らに優位に進めるための重要な証拠という趣旨であると思われる。

(イ) 確かに本件テープの内容は,本件見積書Ⅰの作成者であるDが,本件見積書Ⅰが本件建物及び地盤を見ないで作成されていることを認めている点,地盤の地下2,3メートルのあたりにコンクリートガラや建築廃材が埋まっている場合には本件見積書Ⅰのとおり施工できることを保証できない旨述べている点で,建築訴訟において原告らに有利な証拠であった。しかし,本件テープの内容だけでは,保証できないという趣旨が,技術的に鋼管杭圧入工法が不可能ということなのか,金額的に本件見積書Ⅰの金額では不可能という意味であるのか不明であるといわざるをえず,少なくとも被告は当時金額的に本件見積書Ⅰの金額では不可能という意味と理解していたと認められるから(被告本人),「最後の切り札」であるなどと言ったとは考え難い。また,仮に被告が「最後の切り札」と言っていたとすれば,建築訴訟控訴審において鋼管杭圧入工法による補修が不可能であることの立証を行った際(甲42)に,本件テープの提出が検討されなかったことが不自然である。

(ウ) したがって,被告が本件テープが「最後の切り札」であると言ったという原告Aの供述等は信用できない。

ウ 本件見積書Ⅰについて被告が述べたことについて

(ア) 原告Aは,陳述書において,平成13年9月28日に,被告が,原告Aに対し,本件見積書Ⅰについて,「御支給」,「地中障害物撤去費」,「復旧補修設備工事」,「消費税」などの項目の費用が含まれていないことの問題点を指摘しつつも,すぐに建築訴訟被告らに対し指摘すると,訂正された見積書が提出され,鋼管杭圧入工法が採用されてしまうので,時期を見計らって追及する旨言ったと記載している。

(イ) 被告は建築訴訟控訴審においてDに3種類の見積書の作成を頼んでいること,上告受理申立理由書で本件見積書Ⅰの問題点として「御支給」,「地中障害物撤去費」,「消費税」などの項目の費用が含まれていないことを主張していることからすれば,被告が原告らに対し本件見積書Ⅰには問題があることを指摘していたことは認められる。もっとも,その時期が平成13年9月28日であったことや,すぐには問題点を指摘せずに時期を見計らって追及する旨被告が言ったということは,修補不可能との主張を前提としてもその主張をさほど弱めるわけではないにもかかわらず建築訴訟控訴審終結までの間,被告が本件見積書Ⅰの問題点を裁判所や建築訴訟被告らに対し指摘したとは窺えないことからすると,信用するに足りない。

エ 建築訴訟控訴時の被告の言動について

(ア) 原告Aは,陳述書において,建築訴訟の控訴時に,被告が,高裁の判決は地裁を下回ることはない旨述べたと記載している。

(イ) 原告らが建築訴訟の控訴を提起する時点では,建築訴訟被告らは控訴を提起していなかったため(甲16,17),原告らのみが控訴した場合に,原判決よりも不利益に変更されることはない旨を被告が原告らに話した可能性はある。しかし,建築訴訟第一審判決は双方一部認容判決であるから(甲1),双方が控訴することができ,建築訴訟被告ひでよし工務店の控訴により建築訴訟控訴審判決(甲事件及び乙事件)が原告らに不利に変更される可能性があることは,弁護士であれば当然知っているはずのことであるから,原告Aが陳述書に記載するような話を被告がしたとの内容は,信用できない。

オ 本件補修見積書についての被告とのやりとり

(ア) 原告Aは,本件補修見積書をEに見せたらEがこれでは直らないと言っていたと被告に伝えたところ,被告が本件補修見積書への反論の意見書を用意する必要がないと言ったので,原告AはEに本件補修見積書の反論の意見書を頼まなかった旨供述等する。

(イ) 確かに,建築訴訟第一審判決では本件建物補修費用として1000万円と認定されているのに対し,本件補修見積書は5万3440円で補修可能という内容であり,余りに開きがあることからすると,被告が原告らに対し,反論するまでもない,建築訴訟被告らはかえって印象が悪いなどと言ったと窺える。

(ウ) しかし,被告は,建築訴訟控訴審の審理が開始する前の段階から原告らに対し本件建物の補修の見積書を用意するように伝えていること,被告が原告Aに本件補修見積書を渡してEに見させたのは,本件補修見積書への反論の書面を作成させるためと認めるのが自然であること,平成14年11月25日付の関根建築設計室作成の「調査報告書に対する総合所見書」(甲39)では本件建物のベタ基礎や小屋裏構造を見ても修補ではなく建替が相当であるという内容が記載されていて,これは本件補修見積書に対する反論の意見書となっていることからすると,被告が本件補修見積書への反論の意見書を用意する必要がない旨述べたとは認め難い。

(エ) E証言を見ると,Eは,エポキシ樹脂をコンクリート基礎のヘアークラックやひび割れに注入することによる補修がありうること,柱のねじれを元に戻し,全面かど金物で補強するという補修がやってやれないことはないこと,もっともそれらの補修をしたとしても,本件建物の構造的な安全性は確保できないため,手直し的な補修は不可能であること,本件補修見積書の個別の項目に対して反論することはできず,全体的な改修の見積書を準備していたことなどを証言している。これは,本件補修見積書記載の補修方法がありうるが,そのような補修方法では構造的な安全性を確保できないため,Eとしては対案となる見積は作成できないという趣旨と解することができる。そうすると,このE証言は,本件補修見積書を見て,Eが反論のしようがないと言っていたと原告Aから聞き,本件補修見積書の個別の項目について原告Aに質問すると,一応補修はできるとEが言っていたと答えたため,本件補修見積書への直接的な反論の意見書の提出を断念したという被告の供述と矛盾しない。このことからも,被告が本件補修見積書への反論の意見書を用意する必要がないなどと言ったという原告Aの供述等は信用するに足りない。

(オ) したがって,被告が本件補修見積書への反論の意見書を用意する必要がないと言ったという原告Aの供述等は信用できない。

カ 被告から原告への訴訟資料の送付状況等

(ア) 原告Aは,陳述書において,被告との打ち合わせが少なく,建築訴訟で証拠として提出された書類も,建築訴訟終了後に初めて見た書類がほとんどであったと記載する。

(イ) 確かに,原告らとの打ち合わせは定期的に行うわけではなく,必要に応じ,裁判期日当日に裁判所で行うことが多かったこと(被告本人),被告の事務所は自宅と兼用であり(被告本人),依頼者を迎えて打ち合わせをするには不適当と考えられることからすると,原告らと被告との打ち合わせが十分に行われていたとは認められない。

(ウ) しかし,原状回復の主張のみを行うか,修補の主張も行うかという点を除くと,打ち合わせが不十分であったために原告らが不利益を受けたことという事実は特段見あたらない。

(エ) 原告らは,3種類の見積書(甲44,54,乙4)のうち,本件見積書Ⅱ以外の甲54や乙4を,建築訴訟終了前には見たことがない旨陳述書に記載しているが,平成14年10月13日付「書類送付の件」と題する書面(乙28)では,「恩田組茨城の見積書写し 2通」との項目があり,本件見積書Ⅱは4枚綴りであるため,本件見積書Ⅱのことを記載したというわけでもないから,これは甲54及び乙4を送付したときの書面であると認められ(被告本人),被告が原告らに対し甲54及び乙4を平成14年10月13日ころ送付していたことが推認でき,これに反する陳述書の記載は信用できない。その他にも,被告は原告らに対し,被告が証拠とすべき書類を入手したときや建築訴訟被告らから証拠の写しが送られてきたときには,適宜それらの書類又はコピーを渡していたことが認められる(乙21ないし31)。

(オ) したがって,打ち合わせが少なく,建築訴訟中はほとんど被告から訴訟資料を見せてもらっていなかったという原告Aの陳述書の記載は信用できない。

キ 補修の主張について

(ア) 原告Aは,建築訴訟控訴審では,もはや建替の主張にはこだわっておらず,被告に対し補修の主張もしたらどうかと提案したところ,被告が同額になるから建替の主張のみでよいと言った旨供述等する。

(イ) 建物補修費用が多額に上り,建替に要する費用を超える場合には,補修すべき建物が文化的に価値が高いなど,建替ではなく補修すべき特段の事情がない限り,建替費用の限度でしか損害賠償は認められないと考えられることからすると,弁護士として,被告が,同額になるから建替の主張のみでよいといったとしても不自然ではない。実際に,被告は,補修の主張をせず,一方で補修する場合には建替と同程度の費用がかかるといった立証をしている(甲38,40,42)。したがって,かかる供述をしたという原告Aの供述等は,信用できないものではない。

(ウ) もっとも,かかる被告の供述は,建築訴訟被告らが主張している手直し的な補修の主張をせずに建替の主張のみをすればよいという意味でなされたのではなく,建替と同程度の費用を要するという補修の主張をするならば,建替の主張だけすればよい,という意味でなされたと認めるのが相当である。

ク 平成15年1月17日の建築訴訟控訴審第5回弁論準備手続期日について

(ア) 原告Aは,平成15年1月17日の建築訴訟控訴審第5回弁論準備手続期日において,裁判官から有額の見積書提出を指示されたとき,沈黙が続き,原告Aが手を挙げて,提出すると答えたこと及びその後被告から見積書を無理して頼む必要はないといわれたと供述等する。

(イ) しかし,前述のとおり,被告は建築訴訟控訴審の審理前から本件建物補修の見積書を用意するよう求めていること,本件補修見積書が提出されたときにEに反論の意見書の作成をするよう原告Aに指示していること,平成15年2月18日付で本件建物を解体して地盤を改良するという建て直しの主張に関わる見積書(甲41)が作成されていることからすると,原告Aが望んでいるにもかかわらず,お金がかかることを理由に被告が見積書を無理して頼む必要はないなどと言ったとは考え難い。

(ウ) Eは,原告Aから,弁護士が要らないといったので見積書の作成はもう要らないと言われ,見積書の作成を中止した旨証言するが,これは原告Aからの伝聞であるから,このことをもって被告が見積書は要らないと言ったと認めるには足りない。

(エ) したがって,裁判官から見積書の提出を指示されたために原告Aが提出するといい,その後被告から無理して頼む必要はないといわれたという原告Aの供述等は,信用できない。反対に,被告が原告らに対し本件建物補修の見積書の用意を指示していることからすれば,被告の個人的な見解としては,建物補修の主張が相当と考えていたと窺える。

ケ 建築訴訟控訴審での鑑定について

(ア) 原告Aは,陳述書において,平成15年4月17日の建築訴訟控訴審第1回口頭弁論期日において,被告が建替以外に方法はないと言うと,裁判長が傍聴席にいた原告Aに意見を求めてきたこと,被告から鑑定という方法も提案されたが,建替で良いといったことを記載する。

(イ) しかし,建築訴訟控訴審は,それまで受命裁判官によって弁論準備手続が進められており,裁判長が立ち会ったのはこの期日が初めてであると認められるが(甲30の1ないし8),それにもかかわらず裁判長が傍聴席にいた原告Aに声をかけてくるのはやや不自然であること,弁護士が主張を明確にしているにもかかわらず裁判官が傍聴席にいる本人の意見を聞くことも不自然であること,被告が事前に鑑定を説明すると,原告Aは疲れたので要らない旨述べたという被告の陳述書の記載は不合理ではないことからすると,この点に関する原告Aの陳述書の記載は信用できない。

2  検討

前提事実,総論を踏まえて,以下検討する。

(1)建築訴訟における被告の訴訟活動に弁護過誤があるか。

ア 地盤の瑕疵について

(ア) 原告らは,地盤の瑕疵に関し,建築訴訟控訴審において被告は1230万円の本件見積書Ⅱを提出すべきであったと主張し,原告Aは,本件見積書Ⅱを提出してほしかったと供述する。

(イ) 本件見積書Ⅱを提出しなかったことによる損害について

a 本件見積書Ⅱ(甲44)は,工事名称が「建物下部障害物撤去工事」,見積種目が「建物下部土入替え工事」であり,内訳としては,「仮設工事」,「土工事」,「充填工事」,「諸経費」が見積もられていて,そのうち土工事の各項目の数量は「300m3」となっており,土工事のうち「根切工基礎下部」の備考欄には「GL-3m」との記載があることから,これに,本件建物1階の床面積が96.88平方メートルであること(甲4),本件見積書Ⅱを作成したDが,この見積内容は鋼管杭圧入工法が含まれていない土の入替の工事である旨供述していることを併せると,本件見積書Ⅱは本件建物の地盤を地下3メートルまで総入れ替えする工事の見積書であることが明らかに認められる。

b 認定事実のとおり,建築訴訟においては,建築訴訟被告らが地盤の瑕疵については本件見積書Ⅰを提出し,鋼管杭圧入工法による修補が可能であるとの主張をしているのに対し,原告らは,鋼管杭圧入工法が現状では不可能であるから,本件建物を撤去して地盤を入れ替えなければならないという主張をしていた。そして,原告らは,その主張に沿った証拠として,2270万3023円の見積書(甲41)を提出している。また,鋼管杭圧入工法が不可能であることの立証も行っている。それにもかかわらず,建築訴訟控訴審判決では,鋼管杭圧入工法が可能であると認定されている以上,本件見積書Ⅱを提出したとしても,建築訴訟控訴審判決への影響はなかったというのが相当である。したがって,原告らの主位的主張との関係では,被告が本件見積書Ⅱを提出しなかったことにより原告らに損害が発生したとは認められない。

(ウ) 本件見積書Ⅱを提出すべき義務について

a 2270万3023円の見積書(甲41)では,地盤改良工事としては929万5230円と見積もられているため,本件見積書Ⅱを提出することは,地盤改良工事費用がより多額にかかるという立証をする上では無意味ではなかったと認められる。また,建築訴訟被告ら主張の地盤の補修方法である鋼管杭圧入工法をするとしても,本件建物の地盤の場合は,廃材を撤去する必要があるため,更に本件見積書Ⅱの地盤入替工事をする必要があるのだから,地盤補修には多額の費用を要するという立証をすることにも使う余地はあったと認められる。そうだとすると,本件見積書Ⅱは証拠価値がなく,提出しても無駄であったとはいえない。

b もっとも,Dは,本件見積書Ⅱの工事内容である地盤入替工事は,先に鋼管杭圧入工法を実施して地盤上の建物を支えてから行うものであること,鋼管杭圧入工法を行えば建物の沈下は防げること,地盤入替工事を行わないと建物に付随する配管や犬走りに悪影響があることなどを証言する。これらの事実からすると,建築訴訟被告らの主張どおり鋼管杭圧入工法での修補をすれば,建物の沈下は免れるのであるから,地盤の沈下による悪影響は残存する可能性はあるとしても,鋼管杭圧入工法以上の費用をかけて更に地盤入替工事を行うべきとの主張をし,本件見積書Ⅱを提出することは,過大な要求であったという印象が強い。しかも地盤入替工事は鋼管杭圧入工法での修補が行われることを前提とした工事であるから,本件見積書Ⅱを提出することは,原告らが鋼管杭圧入工法での修補を受け入れたととられる可能性が高かったということができる。

ところで,弁護士は依頼者の意思を尊重して職務を行うべき義務(弁護士職務基本規程22条)を負っているが,一方で,事件を受任しても自由かつ独立の立場にあり(同20条),依頼者の意向に漫然と従うのではなく真実を尊重しなければならず,殊更に真実と反する主張・立証等をしてはならないこと(同5条),訴訟における主張・立証方法は多種多様であることに鑑みれば,弁護士は依頼者の話す事実関係や希望,保有する資料等に一定程度拘束されつつも,法律の専門家として自己の判断で取捨選択した主張・立証を行う裁量権を有していると解される。

したがって,有利にも不利にもなり得,別途見積書(甲41)が提出済みのため必要不可欠ではない本件見積書Ⅱを提出するか否かは,原則として被告の裁量権の範囲内であって,被告に本件見積書Ⅱを提出すべき義務があったとはいえないというのが相当である。

c そこで,本件では例外的に本件見積書Ⅱの提出について被告の裁量権が制限されていて,被告に提出すべき義務があったか否かを検討する。

まず,原告Aは,建築訴訟中に本件見積書Ⅱを提出してほしいと思っており,被告に対しても本件見積書Ⅱを提出するようお願いした旨供述する。しかし,原告Aは陳述書においては平成14年11月25日の建築訴訟控訴審第4回弁論準備手続期日前にお願いしたと記載しているが,他の弁論準備手続期日には原告Aが出席しているにもかかわらずこの日は出席しているとは認められないため(乙30の1ないし6),この日に原告Aが被告と会ったとは認められないこと,その後原告Aはお願いした時期を本件見積書Ⅱが作成された1ないし4か月くらい後と曖昧に供述するようになっていること,建築訴訟において被告は原告らが用意した鑑定書,見積書類を多数提出しているにもかかわらず,原告らの希望にあえて従わずに本件見積書Ⅱの提出をしなかったとは考え難いことなどの事情からすれば,原告Aが本件見積書Ⅱの提出を被告にお願いしたという原告Aの供述等は信用できない。その他,本件見積書Ⅱを提出するよう原告らから被告に対する要望があったと認めるに足りる証拠はない。また,原告Aが本件見積書Ⅱを提出してほしいと思っていたとしても,それ自体は被告に本件見積書Ⅱを提出すべき義務を生じさせるものではない。

次に,建築訴訟を通じての原告らの意思としては,認定事実(5)キ記載のとおり,補修ではなく,原状回復をすべきである,ただしそれと同程度の損害賠償が認められるならば補修でも良いという意思であったと認められる(原告A本人)。本件見積書Ⅱは,鋼管杭圧入工法での補修に加えて行う地盤入替工事の見積であるから,これが必要と認められれば,補修であっても原状回復と同程度の損害額となったと考えられる。そうだとすると,本件見積書Ⅱを提出することは,原告らの意思に合致するものであったということができなくはない。もっとも,前述のとおり,これを提出すると逆に原状回復の主張は採用されない可能性が高くなったのであるし,鋼管杭圧入工法での補修に加えて地盤入替工事を行う必要性があると認められる可能性は低かったといわざるを得ないから,そのような不利益の危険性を内包している本件見積書Ⅱを提出しないことが原告らの意思に反しているとは認められない。

したがって,被告の裁量権が制限されていて本件見積書Ⅱの提出義務があったということはできない。

d 以上より,被告には本件見積書Ⅱを提出すべき義務があったとはいえないから,本件見積書Ⅱを提出しなかった被告に債務不履行責任は生じない。

(エ) 期待権侵害について

ある行為をすれば,良い結果が生じたであろうという相当程度の可能性が認められるときには,その良い結果発生についての期待を法的に保護し,ある行為を故意又は過失によりしなかったことについて期待権の侵害があるとして,損害賠償を認める余地はあろう。しかし,本件では,被告に本件見積書Ⅱを提出すべき義務があったとはいえず,義務違反が認められないから,期待権侵害が成立する余地はなく,この点についての予備的主張には理由がない。

(オ) 以上より,被告が本件見積書Ⅱを提出しなかったことは,弁護過誤とならない。

イ 本件建物の瑕疵について

(ア) 原告らは,本件建物の瑕疵に関し,補修の主張・立証をすべきであったとし,具体的には関根建築設計室が作成した1802万5738円の見積書(甲43の5枚目以下)(以下「本件見積書Ⅲ」という。)に相当する見積書を建築訴訟中に被告が入手し,提出すべきだったと主張し,原告Aは,本件見積書Ⅲに相当する見積書の作成をあらかじめEに頼んでいたが,被告に不要と言われたため,Eに作成を中止してもらったと供述等する。

(イ) 本件見積書Ⅲに相当する見積書を提出しなかったことによる損害について

a 本件見積書Ⅲは,それと一体となっている「既存部材の再使用による再建築について」と題する書面の記載内容や,本件見積書Ⅲの木工事に「小屋組・2F梁組・1F床組の取り外し組替工事」,屋根工事に「屋根瓦取り外し葺き替え工事一式」,給排水工事に「既存給排水取り外し及び給排水設備取付け工事」などと記載されていること,本件見積書Ⅲを実質的に作成したと思われるEが建替の見積であると証言していることなどからすると,本件建物を一度解体し,再利用できる材料を使い,再び建物を建築するという再築工事の見積書であることが明らかに認められる。

b 認定事実のとおり,本件建物の補修については,建築訴訟被告らは,本件補修見積書を提出し,5万3440円で修補が可能であると主張しているのに対し,原告らは,修補不可能であり,修補可能としても建替と同程度の費用がかかるため,原状回復が相当であるという主張をしていた。そして,原告らは,その主張に沿った証拠として,2270万3023円の見積書(甲41)や鑑定書類(甲38ないし40,42)を提出していた。それにもかかわらず,本件修補は可能であると認定され,修補費用は本件補修見積書に基づいて認定されている以上,本件見積書Ⅲに相当する,本件建物解体・再築という内容の見積書を提出したとしても,建築訴訟控訴審判決への影響はなかったと解するのが相当である。したがって,原告らの主位的主張との関係では,被告が本件見積書Ⅲに相当する建物補修の見積書を提出しなかったことにより原告らに損害が発生したとは認められない。

(ウ) 本件見積書Ⅲに相当する見積書を提出すべき義務について

a 上記のとおり,本件見積書Ⅲは再築の見積書であるところ,建築訴訟控訴審判決では本件建物が補修可能であることを前提として本件補修見積書を採用しているのだから,本件見積書Ⅲに相当する見積書を提出しても証拠価値があったか疑わしい。加えて,本件建物は地盤に瑕疵があるため原状回復が相当であるという主張・立証を行っていたこと,建築訴訟第一審でEは本件建物の修補は数百万円では足りない旨証言し,建築訴訟第一審ではそれを根拠として1000万円が損害として認容されていたこと,控訴審では第一審の判断を踏まえて審理が行われることなどの事情もあった。したがって,原則として,本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手しないことは被告の裁量権の範囲内であって,被告には本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出すべき義務があったとはいえない。

b そこで,本件では例外的に本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手しないことについて被告の裁量権が制限されていて,被告が本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出すべき義務があったか否かを検討する。

まず,原告Aは,被告が建築訴訟控訴審裁判所から有額の見積書提出を促された旨供述等するが,上記認定事実(5)ク記載のとおり,かかる事実は認めることはできない。なお,仮にこの事実があったとしても,たとえ被告が関根建築設計室に有額の見積書の作成を依頼したとしても,本件補修見積書の対案となる見積書は作成し得ず,有効な反証とならない本件見積書Ⅲに相当する見積書しか作成されなかったであろうこと(証人E),鑑定の機会があったにもかかわらず,原告Aは鑑定を選択していないこと(原告A本人)などの事実からすれば,被告は被告にできることを十分に行っているから,過失がないというべきである。

次に,建築訴訟を通じての原告らの意思としては,前述のとおり,補修ではなく,原状回復をすべきである,ただしそれと同程度の損害賠償が認められるならば補修でも良いという意思であったと認められる。本件見積書Ⅲは再築の見積書であるから,これに相当する見積書を提出することは,原状回復に加えて,更に建物を建てるべきという,過剰な主張をすることになる。したがって,本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出することについては,かかる見積書を提出することが原告らの意思に反しているとまではいえないものの,かかる見積書を提出しなかったことが原告らの意思に反しているとも到底いえない。なお,本件見積書Ⅲが作成されているが,これは建築訴訟上告受理申立事件ないし本件紛議調停のために作成したものであり(甲43,証人E),建築訴訟控訴審において原告らが本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出してほしいという意思を有していたことにはならない。

したがって,被告の裁量権が制限されていて本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出する義務があったということはできない。

c 以上より,被告には本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出すべき義務があったとはいえないから,本件見積書Ⅲに相当する見積書を入手し,提出しなかった被告に債務不履行責任は生じない。

(エ) 本件補修見積書に対し反論すべき義務について

a 原告らは,本件補修見積書に対する被告の反論が不十分であったと主張する。

b しかし,そもそも,建築訴訟において,建築物の瑕疵の有無やその程度につき,裁判官がどのような判断を下すかの予測は相当に困難であって,判決を待って初めて従前の主張・立証によっては,当該裁判官を説得できなかったことを知る場合が多いと思われる。そして,弁護士は,訴訟において,法律の専門家として適切に主張・立証を行うべき義務を負っているが,現実の訴訟において,どのような主張・立証を行い,どのような訴訟行為を選択すべきかは,原則として弁護士の専門的な知識,経験等に基づく適正な判断によって決すべき事項であり,当該弁護士が行った主張・立証が裁判所に受け入れられなかったとしても,当該主張・立証が弁護士として一般的に要求される水準に比して著しく不適切・不十分であるなどの特段の事情がない限り,注意義務違反とはならないと解するのが相当である。

c 被告は本件補修見積書に対して正面から反論の見積書は提出していないものの,補修費用と新築費用が近い金額であるとの鑑定書(甲38)を提出していること,建物の修補は地盤の修補が可能であることが前提であるところ,前述のとおり,被告は地盤の修補が不可能であるという主張・立証を行っていること,建築訴訟第一審での本件建物の修補費用は数百万円では足りない旨のE証言があったこと,建築訴訟第一審ではかかるE証言が採用されていたことなどの事実からすれば,被告は本件補修見積書に対して適切な反論の主張・立証を行ったものということができる。

d そこで,建物の瑕疵に関する原告らの主張が裁判所に受け入れられなかったことについて,被告の注意義務違反となる特段の事情の有無を検討する。

(a) 原告Aは,被告が本件補修見積書に対する反論の必要がないと言った旨供述等するが,上記認定事実(5)オ記載のとおり,信用できない。

(b) 被告は,地盤の瑕疵に関してDと直接交渉した外は,鑑定書・見積書類の用意を原告らに任せていたと認められる(被告本人)。しかし,適宜どういった見積書類を用意するべきか原告らに指示していること,原告Aが関根建築設計室と昵懇の関係であったこと(被告本人),関根建築設計室は大勢のスタッフがいるため他の建築専門家の意見を聞かなくても良いと考えていたこと(被告本人)などの事情があるのだから,そのような被告の訴訟資料の収集方法が不相当であったとはいえない。

(c) 被告が本件補修見積書の内容の妥当性について,Eに対し直接問い合わせていないこと,その他の建築専門家にも問い合わせていないことが認められる(証人E,被告本人)。建築訴訟を含む専門的な訴訟では,専門的な知識の理解が不可欠であるため,弁護士自身が専門知識の理解が十分あるような場合でない限り,弁護士は専門家と意見を交換し,助言を求めて訴訟活動を行うことが望ましいということができる。そして,弁護士が専門家と意見交換等することなく訴訟を行い,専門知識の理解が不十分であるが故に依頼者が不利な判決を受けた場合には,注意義務違反に当たる特段の事情があるといわざるを得ないと解される。

そこで本件について見ると,被告は建築訴訟第一審でEの尋問を行っており,そのために打ち合わせを行うなど,Eと意見交換を行うことは少なからずあったのだから(証人E,被告本人),被告は,専門家と意見交換を行っていたと認められる。その過程で,被告は,Eが本件建物の修補をするためには屋根をはずすなどの大規模な工事が必要であるという意見であることも認識していたのだから(被告本人),本件補修見積書について原告Aから伝え聞いたEの意見に納得し,改めて直接Eと意見交換をしなかったとしても,意見交換が不十分であったと認めるには足りない。

(d) その他,建物の瑕疵に関する原告らの主張が裁判所に受け入れられなかったことについて,被告の注意義務違反となる特段の事情を認めるに足りる証拠はないから,この点について被告の注意義務違反はないというべきである。

e 以上より,本件補修見積書に対する被告の反論が不十分であるとはいえない。

(オ) 期待権侵害について

既述のとおり,一般論として期待権侵害による損害賠償を認められる余地はあるとしても,本件では,被告に本件見積書Ⅲに相当する見積書の入手,提出義務や,本件補修見積書に対し更に反論すべき義務があったとはいえず,義務違反が認められないから,期待権侵害が成立する余地はなく,この点についての予備的主張には理由がない。

(カ) 以上より,被告が本件見積書Ⅲに相当する見積書の入手,提出や,本件見積書に対し更に反論しなかったことは,弁護過誤とならない。

ウ よって,建築訴訟に関し,被告には何らの弁護過誤も認められないから,原告らの本訴請求は,その余の点を判断するまでもなく,いずれも理由がない。

(2)  建築訴訟の被告の弁護活動による被告の原告らに対する報酬請求権の有無及び金額

ア 認定事実

(ア) 建築訴訟に関する原告らと被告の間の金銭関係として,次の事実は当事者間に争いがない。

a 建築訴訟第一審の訴え提起の際,原告らは,平成11年8月3日,被告に対し,79万1000円を支払った。

b 被告は,平成13年2月14日,訴え変更申立てのために,印紙代4万円を支払った。

c 原告らは,平成14年3月25日,被告に対し,控訴申立費用として,30万円を支払った。

d 被告は,平成13年8月9日,丙事件の訴え提起のために,印紙代6万9600円,予納郵券代6400円の合計7万6000円を支払った。

e 原告らは,平成13年3月26日,被告に対し,中間金として50万円を支払った。

f 以上,原告らから被告に対し支払われた金員から,被告が印紙代及び予納郵券代として支払った金員を控除すると,147万5000円となる。

(イ) 報酬基準(乙33)は,民事事件の報酬金として,事件の経済的な利益の額が300万円以下の場合には16%,300万円を超え3000万円以下の場合には10%+18万円,ただし事件の内容により,30%の範囲内で増減額できると定めていた。

(ウ) 建築訴訟甲事件では,建築訴訟被告ひでよし工務店の請求額が1205万8930円であるのに対し,建築訴訟控訴審判決の認容額は,868万1600円であり,その差額は337万7330円である。(争いない。)

(エ) 建築訴訟乙事件では,建築訴訟控訴審判決で,原告Aにつき826万4199円,原告Bにつき91万8244円,それぞれ請求が認容された。(争いない。)

イ 検討

(ア) 原告らと被告との間で,建築訴訟の被告の弁護士報酬についての明示の合意をしたとは認められない。しかし,弁護士へ事件の処理を委任した場合には着手金と,成功報酬の支払が必要であることは慣習化しているというべきだから,着手金に報酬が含まれている場合や,定額制としてその代金が支払済みである場合などでなければ,着手金とは別に報酬金の支払を合意していたと認めるのが相当である。また,報酬金の支払額につき明確に合意をしていなければ,相当額との合意をしたと認めるのが相当である。そして,相当額の弁護士報酬としては,報酬基準が参考になると解される。

(イ) そこで,原告らが被告との間で報酬金の支払を不要とする合意があるか否か検討する。原告らが被告に対し支払済みの147万5000円のうち,平成11年8月3日の79万1000円は着手金と考えられ,平成14年3月25日の30万円は控訴審の着手金的な支払と考えられ,平成13年3月26日の50万円も,建築訴訟第一審判決が言い渡された時期とは関係がないことからすると,訴えの変更や丙事件提起の着手金又は交通費等必要経費用の支払と考えられる。建築訴訟は,原状回復の主張をするという困難な訴訟であったこと,乙事件の訴状段階だけでも訴額が2273万7290円であったこと(甲4)などを併せ考えると,原告らが被告に対し支払った147万5000円は,着手金ないし必要経費代としての支払であったと認められ,報酬金の支払についてそれを不要とする合意があったとは認められない。

(ウ) 次に,報酬金の支払額についても,明確な合意があったと認めることはできないから,原告らと被告との間で相当額とする合意があったと認めるのが相当である。

(エ) 報酬基準に従って,建築訴訟の報酬金を算出すると,次のとおりとなる。

a 甲事件

337万7330円×10%+18万円=51万7733円

b 乙事件(原告A)

826万4199円×10%+18万円=100万6419円

c 乙事件(原告B)

91万8244円×16%=14万6919円

(オ) 建築訴訟は,訴え提起から確定まで4年以上を要していること(甲3,4),その間多数回の期日が開かれていること,地盤の瑕疵と建物の瑕疵が争点となり,原告らは修補不可能という主張を行っていること,裁判所の現地見分が行われていること,金員の支払を受けずに上告受理申立てを行っていることなどの事実からすれば,建築訴訟は比較的労力を要する事件であったと認めるのが相当であるが,報酬金の額について明示の合意をしていないこと,被告が証拠の収集を原告らに任せていた点が多数見られること,原告らと被告の打ち合わせも期日当日に行われることが多かったことなどの事実もあることから,報酬基準より増額すべきとまでは認められないというのが相当である。

(カ) そこで,甲事件については原告らが連帯して51万7733円,乙事件については原告Aが100万6419円,原告Bが14万6919円,それぞれ被告に対し報酬債務を負っているというべきであり,被告の原告らに対する報酬金についての反訴請求は,これら及びこれらに対する本件反訴状が原告らに送達された日の翌日である平成17年11月5日から支払済みまで民事法定利率である年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(3)  本件紛議調停ないし本件本訴提起が被告に対する不法行為となるか。なるとした場合の損害額はいくらか。

ア 本件紛議調停での名誉毀損について

(ア) 紛議調停は,依頼者と弁護士間や,弁護士間で紛議が生じたときに,その解決に向けて行われる調停であるから,紛議調停が行われる場合には,すでに当事者間に紛議が生じていることが前提となっている。そのようなときには,両当事者間に不満が募っているのが通常であるが,かかる不満を表明することができないというのは不都合である。また,紛議調停は訴訟と異なり非公開で行われる。したがって,紛議調停の場において,相手に対する相当な範囲内での非難は,不法行為とならず,全く根拠を欠く非難であれば,不法行為となることがあるというのが相当である。

(イ) 本件では,認定事実のとおり,原告らは,被告について,弁護士としての品位を欠く,悪徳弁護士として社会的な排除を受けさせるなどと記載し,非難している。しかし,建築訴訟を担当していた弁護士は被告のみであること,建築訴訟の結果は被告が主張・立証を適切に尽くさなかったからであると原告らが考えるのも無理からぬこと,被告は証拠の収集を原告らに任せることが多々あったことなどからすれば,全く根拠を欠く非難であるとまではいえない。

(ウ) よって,本件紛議調停での原告らの主張は,被告に対する名誉毀損とはならないというべきである。

イ 本件紛議調停申立ての不当性について

(ア) 紛議調停申立ては,申立てが全く事実的,法律的根拠を欠き,申立人がそのことを知りながら,または通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて申し立てたなど,申立てが紛議調停制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くときには,相手方に対する不法行為となることがあると解される。

(イ) 本件では,建築訴訟第一審判決に比べて建築訴訟控訴審判決が大幅に原告らに不利益に変更されていること,被告は原告らに証拠の収集や専門家との意見交換を行わせ,被告自身では行わないことがあったこと,被告は原告らと十分に打ち合わせを行っていたとまでは言い難いことなどの事情があったことからすると,全く事実的,法律的根拠を欠いているとはいえず,紛議調停制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとはいえない。

(ウ) また,紛議調停は依頼者と弁護士の紛議を円満解決することが目的であり,必ずしも弁護士の弁護活動につき異議を述べたり損害賠償を求めたりする制度ではないから,本件確約(その有効性については後述する。)により,紛議調停の申立てが制限されていたとまではいえない。

(エ) よって,原告らが本件紛議調停を申し立てたことは不法行為とならないというべきである。

ウ 本件本訴提起について

(ア) 訴えの提起は,当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,提訴者が,そのことを知りながら,または通常人であれば容易にそのことを知り得たといえるのにあえて訴を提起したなど,訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときには,被提訴者に対する不法行為となると解される。

(イ) そこで,本件について検討する。本件本訴請求は,上記のとおり,いずれも理由がないものと思料するが,建築訴訟第一審判決に比べて建築訴訟控訴審判決が大幅に原告らに不利益に変更されていること,被告は原告らに証拠の収集や専門家との意見交換を行わせ,被告自身では行わないことがあったこと,被告は原告らと十分に打ち合わせを行っていたとまではいい難いことなどの事情があったことからすると,全く事実的,法律的根拠を欠いているとまではいえない。

(ウ) しかしながら,本件では,原告らは,被告との間で,本件確約を合意している。本件確約書(乙15,16)には,建築訴訟について「第1審,第2審を通じて,貴殿の訴訟活動について異議を申し立てないことは勿論今後上告或いは上告受理の申立てに関する訴訟活動並びにその結果に対し,それが所期の目的を達することができなかった場合でも,一切異議を申し立てず,その他いかなる請求もしないことを確約し」と記載されているとおり,原告らが,被告に対し,建築訴訟に関していかなる請求もしないことを約束していることは明らかである。したがって,本件確約により,原告らの本件本訴請求は,法律上の根拠を欠くものとなっていたといわざるを得ない。

(エ) これに対し,原告らは,極限的状態だったために,本件確約を拒否する自由はなかったのだから,本件確約は無効であり,そうでないとしても強迫されて書いたから,取り消すと主張する。

確かに,本件確約書は原告らに一方的に不利な内容であるから,それが作成されているということは被告から原告らに対する強迫,詐欺等原告らの任意の意思決定を阻害する作為があった可能性はある。しかし,建築訴訟控訴審判決後に原告Bが被告に対し電話し,怒鳴りつけ,損害賠償を求めるような言動を示していたこと,そのため,被告は原告らの態度に不快な思いを抱き,一度は上告ないし上告受理事件の受任を断ったこと(被告本人),訴訟は審級代理が原則であり,弁護士は控訴審の訴訟追行を受任したからといって当然に上告審の訴訟追行義務を負うわけではなく,依頼者から受任を求められたとしても受任する法的義務を負っているとはいえないことなどの事情からすれば,被告が上告ないし上告受理事件を受任することに条件を付けることは不合理ではないから,被告は強迫する意図などなく,本件確約を提案したと推認できる。

一方,当初原告らは被告以外の弁護士に受任してもらおうとしているとおり,必ず被告に受任してもらわなければならないという事情はなかったこと,現在の民事訴訟制度は弁護士強制主義ではないのだから,上告又は上告受理申立てをするために被告に委任せずに原告ら自ら上告又は上告受理申立てをするという方法もあったこと,原告らは被告に再び受任を求める前に多数の弁護士に相談していて上告又は上告受理申立てをしても効果が低いことは認識していたと認められること,上告又は上告受理申立てをするかしないかも自由であり,建築訴訟控訴審判決も原告らの請求はある程度認められているのだから,上告又は上告受理申立てをしないという選択肢もあったこと,原告らは本件確約書を被告に郵送で送っており,自由に考える余裕があったと考えられること,原告らは本件訴訟前に本件確約の効力を争ったとは認められないことなどの事実関係からすれば,原告らは任意に本件確約書を書き,被告に上告受理申立てをしてもらったと明らかに認められる。

したがって,被告に強迫の故意があったと認められず,原告らの意思の自由がなかったとも認められないから,本件確約が無効又は強迫により成立したということはできない。

(オ) これに加えて,原告Aが,本件訴訟の見通しにつき甘い考えは持っていない旨供述していること,原告らは建築訴訟控訴審判決についての強い悔いを抱いていて,その解消のために本件本訴請求を行っていると推認でき(甲61,弁論の全趣旨),本来の裁判制度の趣旨目的とは異なる意図で訴訟を提起していると考えられること,一方で本件本訴請求は補修が可能であることを前提として本件建物補修費用と建築訴訟控訴審判決の本件建物補修費用認定額の5万3440円との差額を請求するのではなく,依然として建築訴訟を蒸し返すかのように地盤入替工事(甲44)や本件建物解体・再築工事(甲43)の費用を損害と主張しており被告に対し相当範囲を逸脱して過分な請求をしていると考えられることなどの事実を併せ考えると,原告らは本件本訴請求が事実的,法律的に根拠が極めて弱いことを認識していながら,自分らの納得できない思いを被告に向けており,その方法が過分な請求という被告に過度な負担を負わせるものであったということができるから,本件本訴の提起は,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くといわざるを得ない。したがって,原告らの本件本訴の提起は,被告に対する不法行為を構成するというべきである。そして,それによる被告の精神的損害の慰謝料としては,50万円が相当であると判断する。

(カ) よって,被告の原告らに対する,本件本訴提起による慰謝料の請求は,連帯して50万円及びこれに対する平成17年11月5日から支払済みまで民事法定利率である年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,理由がある。

第4結論

以上のとおり,原告らの被告に対する本訴請求にはいずれも理由がなく,被告の原告らに対する請求は,弁護士報酬請求につき,原告らに対し連帯して51万7733円,原告Aに対し100万6419円,原告Bに対し14万6919円,本件本訴提起の慰謝料につき,原告らに対し連帯して50万円,及びこれらに対する平成17年11月5日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 岩坪朗彦 裁判官 佐久間隆)

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