さいたま地方裁判所 平成18年(わ)1449号 判決 2007年6月01日
主文
被告人は無罪。
理由
第1本件公訴事実等
1 本件公訴事実は,「被告人は,長男であるAに対する強制わいせつ被告事件について虚偽の不在証明により無罪判決を得ようと企て,Aが,平成17年9月13日午前10時ころから午後0時ころまでの間,被告人,B及びCと共にa市b区c所在の「d」,同所所在の「e」及び同区f所在の「g」に赴くなどして被告人らと行動を共にしていた事実がないにもかかわらず,平成18年5月8日,さいたま市浦和区高砂3丁目16番45号所在のさいたま地方裁判所におけるAに対する強制わいせつ等被告事件の公判期日において,宣誓の上,証人として証言した際,「私が,平成17年9月13日午前9時40分ころ,B及びCと共に買物のためにBの運転する自動車で外出したところ,同日午前10時過ぎころ,a市b区h路上において,偶然,歩行中のAに出会ったので,同人を同乗させた。その後,被告人らは,買物のために,同車で,上記3店舗に赴いたが,その際,Aも同行しており,被告人らがそれらの店舗で買物をする間,Aは,それら店舗の駐車場に駐車させた同車内で待っていた」旨の自己の記憶に反した虚偽の陳述をし,もって,偽証したものである」というものである。
2 これに対し,被告人は,公訴事実記載のような趣旨の証言はしたが,嘘は述べていないと述べ,弁護人も,同証言は,被告人がその記憶どおりにしたものであるから,被告人は無罪であると主張している。
第2事案の概要と本件の争点
1 本件は,被告人が,その長男であるAの強制わいせつ等被告事件の公判(以下「Aの公判」という)において,強制わいせつ事件が起きたとされる平成17年9月13日(以下,単に「9月13日」という)の午前中,被告人,その夫であるB,A及び被告人の二男Dの妻であるCの計4人で一緒に買物に行っていた旨の証言をしたところ,同証言が被告人の記憶に反する虚偽の証言であり,偽証罪が成立するとして起訴された事案である。
2 ところで,偽証罪は,宣誓をした証人が,その証言時において自己の記憶に反していることを認識しながら,あえてその記憶に反する事実を証言することにより成立するものである。すなわち,偽証罪の成否は,証人がその証言時に自己の記憶に反する証言をしたか否かに懸かっており,その判断に当たっては,証人自身の証言時における記憶内容がどのようなものであったかが検討される必要がある。本件でも,被告人の証言時における記憶の内容が最終的な争点である。
もっとも,仮に証人の証言内容が客観的な事実として存在しないものであるならば,そのような存在しない事実に関する記憶が形成されることは通常考え難く,そのような内容の証言は証人の記憶に反するものであるということが経験則上強く推認され得るものであるところ,本件においても,検察官は,そもそも9月13日の午前中にAが被告人らと一緒に買物に行った事実が存在しないということを前提として,同事実を陳述する被告人の証言(以下「本件証言」という)は,その記憶に反するものであると主張するので,まずはこの点から検討する。
第3客観的事実の存否について
1 関係証拠によれば,9月13日の午前中に,被告人とB及びCは,B運転の車で一緒に自宅を出発して買物に出掛け,公訴事実記載の3店舗(以下,順に「d」,「e」及び「g」という)を回って,各店で商品を購入し,帰途,コンビニエンスストアに立ち寄り,同店駐車場でDにgで購入したのり弁当を手渡したことが認められる。
検察官は,上記買物にAが同行した事実はなかったと主張し,その証拠として,これに沿うCの捜査段階における供述を挙げている。同供述は,Cの検察官に対する平成18年8月12日付け(甲8)及び同月17日付け(甲17)各供述調書並びにCが同月18日に裁判官の面前でなした供述を録取した書面(甲18)の各一部であり,当裁判所が,平成19年2月19日付け証拠決定により,刑事訴訟法321条1項2号又は1号に基づき採用したものである。
2 Cの上記捜査段階供述の概要は,「9月13日午前の買物に,Aが一緒に車に乗って行ったという記憶はない。当時,私はDと結婚する前で,Aと側にいるということが,かなり恥ずかしくて抵抗があったから,Aと一緒の車に乗ることがあったとすれば,とても珍しく印象的な出来事なので,それを覚えていないはずがないが,そのような記憶はない」というものである。同供述は,Aが一緒に買物に行った記憶がない旨を,一応合理的であると目される理由を示しながら,明確に述べるものであり,しかも,上記証拠決定で説示したとおり,上記各検察官調書(甲8,17)について,刑事訴訟法321条1項2号所定の特信情況が認められることも併せ見ると,その信用性は高いといえそうである。
3 しかしながら,次の各事情に照らすと,同供述の信用性には疑問がある。
第1に,Cは,公判廷における証言では,Aが一緒に買物に行ったかどうかについて,「(Aが一緒に)いたのか,いなかったのかは,はっきりしない。どちらかというと,いなかったほうが強いという感じです」と証言し,上記捜査段階供述と相反する,記憶の程度をかなり後退させた供述をしている。上記証拠決定で説示したとおり,同証言当時,CはDとの間の子を妊娠しており,被告人及びBらとの関係悪化を懸念し,被告人にとって不利となる供述を回避すべく,曖昧な供述に及んだものと認められるから,同証言の信用性を肯定することは困難というべきである。ただ,Cについては,その証言内容や証言態度に照らすと,被告人ら近親者のみならず,他の周囲の者についてもその影響を受け易い傾向を有していることが窺われる。後記のとおりCが自分の記憶力に十分な自信を持っていないことも,その傾向を助長していると推測される。そして,Cの捜査段階供述についても,取調べ担当の検察官に迎合して上記2の供述に及んだ可能性が否定できない。すなわち,Cは,逮捕後,検察官Eの取調べを受け,その日のうちに,9月13日にAと共に行動していなかったとの供述を始めて,以後これを維持したものであるが,C及びEの各公判証言を総合すると,Cが上記供述を始めるについては,Eから「Aが9月13日発生の強制わいせつ事件の犯人であることは,証拠があるから間違いない」旨断言されたことが影響している可能性が高いと認められる。Eによる取調べが「威迫的でない,しかも不当な利益誘導を伴わない」ものであったことは,上記決定で説示したとおりであるが,それでもなお,Cの上記傾向からして,Aが一緒に買物に行った記憶がない旨を明言するCの上記捜査段階供述が,Eの発言に影響されて迎合的になされた可能性は否定できないのである。
第2に,Cは公判証言で,自分の記憶力に自信がないと思っていると述べ,その具体的な理由として,人から言われたことをすぐ忘れるとか,仕事で教えられたことを忘れたり,覚えられなかったりするとかいうことがずっとあると説明している。Cの記憶力の悪さについては,被告人も公判供述で指摘するところであり,Cの証言全般を見ても,記憶力に自信を持っていない様子を看取することができる。そうすると,Aと一緒に車に乗るのが珍しく印象的な出来事であるとの説明を考慮してもなお,上記捜査段階供述の信用性には疑問が残るといわざるを得ない。
4 そうすると,Cの捜査段階供述は,9月13日午前の買物にAが同行した事実の存否に関して,証明力がそれほどあるとはいえない。公判前整理手続で検察官が提出した証明予定事実記載書によれば,上記事実が存在しないことの証拠として,そのほかにB(甲7)及び被告人(乙3)の各検察官調書が挙げられている。しかし,当裁判所は,前者(甲7の不同意部分)の請求については,平成19年3月23日付け証拠決定で,刑事訴訟法321条1項2号所定の特信情況の要件を欠くとして却下し,また,後者(乙3)の請求についても,第16回公判の証拠決定で,同法322条1項所定の任意性の要件を欠くとして却下したものである。したがって,上記事実が存在しないことを証明するに足りる証拠はないといえるから,同事実の不存在を前提にして,被告人の本件証言がその記憶に反する陳述であるとする検察官の立論は,その前提を欠くものであって採用することができない。
第4被告人の本件証言時における記憶の内容について
1 本件証言に至るまでの事実経過
前述したとおり,9月13日午前の買物にAが同行した事実の不存在について証明がないとなると,被告人に偽証罪が成立するか否かを判断するには,上記事実の存否自体の詮索は措いて,それから離れて,被告人の本件証言時における記憶の内容がどのようなものであったかを検討することが必要になる。そこで,まず,本件証言に至るまでの事実経過についてみると,関係証拠によれば,次のような事実を認めることができる。
・※ 平成17年10月31日,9月13日にa市b区内のi公民館近くで,女性にわいせつな行為をしたという被疑事実により,Aが逮捕された。
上記逮捕と同日,警察官数名の立会いのもとで被告人宅の捜索が行われた。被告人は,警察官から,事件がi公民館近くで9月13日の午前10時30分ころ発生したことなどを聞かされた。被告人は,警察官に対し,自宅に保管していた同日午前10時18分発行のdのレシートをはじめ,午前11時18分までに発行されたe及びgのレシート計6枚を示しながら,同日午前10時30分ころAは自分たちと一緒に買物に行っていた旨を告げ,警察官は,上記各レシートを押収した。
・※ 同年11月2日,F弁護士が当番弁護士としてAと接見し,Aから,被疑事実は身に覚えがないと聞いた。接見の後,F弁護士は被告人宅に電話をかけ,Bに対し,Aと接見したところ同人は被疑事実について身に覚えがないと述べていた旨を知らせた。Bは,F弁護士に対し,Aにはアリバイがあり,資料も警察に渡してあると知らせた。
・※ 同月5日,被告人及びBは,F弁護士の所属するG法律事務所を訪れて,同弁護士と面談し,Cが保管していた9月13日のレシート2枚及び同日のAの日給領収伝票を渡した。その際被告人は,同日Aは朝帰宅して,その後被告人らと共に買物に行った旨の話をした。
・※ 同年11月6日,F弁護士はAと2度目の接見をした。
・※ 同月8日,F弁護士はAと3度目の接見をし,9月13日の行動について聴取した。Aは,自宅から一緒に買物に出掛けたのではなく,途中で被告人らに拾ってもらった可能性があることや,車の中で寝ていて店舗には入っていないなどの話をした。
その後,F弁護士は被告人に対し,Aが途中で拾ってもらった可能性があると述べていると伝えたところ,被告人は,「それはAが間違っている」と強い口調で答えた。
・※ 同年11月10日,Aは,警察官による取調べを受け,強制わいせつの被疑事実を否認した上,9月13日に被告人らと買物に出掛けたことは間違いないが,i駅まで迎えに来てもらったのか,帰宅途中にすれ違ったのか,いったん帰宅した後一緒に出掛けたのかは,はっきりしないなどと供述した。Aは,同年11月16日にH検事の取調べを受けた際も,同様の供述をした。
・※ H検事は,同年12月6日被告人とBを,同月8日CとDを,それぞれ検察庁に呼び出し,事情を聴取した。その際,被告人は,9月13日午前7時35分ころAは家にいたこと,被告人らがeに「元気なたまご」を買いに行きたいと話している時,Aは,「何が元気なたまごだよ,勝手に言ってろよ」などと言ったこと,その後午前9時40分ころ,被告人らとAは車で自宅から出掛けたことなどを供述した。
・※ 平成18年4月上旬ころ,検察官からF弁護士に対し,Aが使用していたスイカカードの履歴(以下「スイカ履歴」という)に関する記録が開示され,9月13日午前9時39分51秒にAが駅改札を通ったことが明らかになった。F弁護士はその内容を被告人らに伝えた。
・※ 被告人は,スイカ履歴を知らされた後,F弁護士に書面をファックス送信したり,同弁護士と面談したりし,そうする中で,9月13日被告人らは自宅から車で出掛け,途中でAと出会って車に乗せ,一緒に買物に行った旨を述べるようになった。
・※ 同年5月8日,被告人は証人としてAの公判に出廷し,本件証言をした。
なお,同月22日,B,C及びDが検察官側請求の証人として出廷し,被告人と同内容の証言をした。
2 被告人の当初記憶について
・※ 前記1・※のとおり,被告人は,平成17年10月31日の家宅捜索の際,臨場した警察官に対し,強制わいせつ事件が発生したとされる9月13日の買物のレシートを手交した上,同日午前中にAと一緒に買物に行っていた旨を告げて,Aのアリバイを主張したことが認められる。
これについて,検察官は,被告人が,9月13日のレシートを発見したことを契機に,虚偽のアリバイ主張をしようと思い付いた旨主張するので,検討する。
・※ 被告人は,公判で,家宅捜索時の状況について,「Dが,臨場した警察官の1人に対し,自分は9月13日は自宅近くにあるk中学校付近の現場で仕事をしていたと話していた。これを聞いて,私は,その日がDに弁当を渡した日であることを思い出し,自宅に保管してあった同日のレシートを見たところ,eで『元気なたまご』を購入していたことが分かり,Cと一緒にそれを買いに自動車で行ったことを思い出した。さらに,Dに弁当を渡した場面として,Cが車から降りてDに弁当を渡す際に人目もはばからずDの汗を拭いていたため,助手席に座っていた私は思わず後方に顔を背けたが,その時,後部座席の後ろにある荷台にいたAの横顔が目に入ったという光景が蘇った。そこで,9月13日はAと一緒に買物に行っていたと思い,警察官にそれを告げた」と供述している。
・※ この被告人の公判供述は,次の理由から,その信用性を一概に否定し難いというべきである。
第1に,同供述は,Aが買物に一緒に行っていたとの記憶を喚起したとする経緯について,Dに弁当を届けたという出来事に関連させて述べるもので,その内容は,それ自体具体的で,特段不合理なところはない。
第2に,関係証拠によれば,Dが9月13日の自分の勤務状況を臨場した警察官に説明したこと,Dは当日k中学校付近の現場で仕事をしており,被告人らに弁当を届けてもらって,お礼のメールを被告人の携帯電話に送信していること,家宅捜索の際にBが9月13日の買物のレシートを探し出し,eのそれには「元気なたまご」購入の記載があったこと,被告人は捜索終了後に上記メールの受信記録を確認していることが認められ,これらの客観的事実は,記憶喚起の経緯に関する被告人の上記供述とよく符合し,これを裏付けるものである。
第3に,被告人は,家宅捜索の1か月余り後である平成17年12月6日に行われたH検事の取調べにおいて,「Dにお弁当を届けたというのは今までにこの1回しかないことから,この日のことを思い出すことができました」などと,Dに弁当を届けた出来事の記憶を契機に9月13日のことを思い出すことができた旨供述しており,さらに,Aの公判における本件証言でも,「弟にお弁当を届けた日だということが,もう頭の中に,ぱあっと浮かんで,そのとき渡したときに一緒にいたということだけが,ものすごく,もう私の頭の中に強くて」などと,Dに弁当を届けた時にAがいたという思いが強かった旨述べている。そうすると,Aが買物に一緒に行っていたとの記憶を喚起した経緯に関する被告人の供述は,終始一貫しているということができる。
・※ この点につき,検察官は,被告人及びBが平成17年11月5日にG法律事務所を訪問した際の面談状況を記録したF弁護士作成の「相談表」(弁11)には,車の荷台にAが乗っていたとの記載はないから,そのようなエピソードは後から付け加えられたものである可能性が高いと主張する。
確かに,上記「相談表」には,弟(D)に弁当を届けたとの記載はあるものの,その時Aが車内に一緒にいたとの記載は存しない。しかし,F弁護士の証言等によれば,同弁護士らは,9月13日のAの行動に関する被告人らの記憶内容を詳細に問い質すことはしなかったと認められる上,上記面談時における被告人の関心が,自己の記憶喚起のきっかけよりは,Aにアリバイがあるという事実そのものを強く訴えることに向けられていたと窺えることも併せ見ると,車の荷台にいるAを見たことを思い出したという,被告人の記憶喚起の発端とされるエピソードについて,被告人が同面談時に言及しなかったとしても,それが不合理,不自然であるとはいえない。
・※ したがって,被告人が9月13日のレシートを発見したことを契機に虚偽のアリバイ主張を思い付いた旨の検察官の主張は,採用することができない。
さらに,関係証拠によれば,家宅捜索後,その当日あるいはそれに近いころ,DがCや他の家族に対し,9月13日に弁当を受け取った時,Aが車の中にいたのを見たなどと再三話し,また,同日朝仕事のため自宅を出る際,Aの部屋のテレビがついていた記憶があるとも話していたこと,平成17年11月5日の上記面談時に,Bが,9月13日の朝方に自分の部屋でパズルをやっていた時に,仕事先から帰宅したAの姿を見たと述べたことが認められるところ,これらの家族の発言を聞いて,被告人が,9月13日にAと一緒に買物に行ったとの思いを強めるとともに,その買物にはAも含め4人で自宅から出掛けたとの記憶を形成し,定着させていった可能性も,これまた否定できないと考えられる。なお,家族間の口裏合わせに関する検察官の主張については,次項で検討する。
3 家族間の口裏合わせについて
・※ 検察官は,前記家宅捜索の後,被告人が主導して,B,C及びDとの間で,9月13日午前中の出来事に関して口裏合わせをして,各自が,いずれも記憶にない,Aと一緒に買物に行ったという供述を行うよう通謀したほか,Aの弁護人であったF弁護士を通じて,接見禁止の上で勾留されていたAとも口裏合わせを行ったと主張する。
・※ まず,被告人,B,C及びDの間で通謀があったことの証左として,検察官は,平成17年12月6日及び同月8日に行われたH検事による上記4名に対する各取調べにおいて,被告人,B及びCの3名とも,「9月13日午前9時40分ころ,自宅からAも一緒に車で買物に出掛けて,e等を回った」旨供述し,Dも,「同日午前7時ころ,Aの部屋を見ると,同人がいて,テレビがついていた。その後,仕事に行き,午後0時ころ,コンビニエンスストアで,被告人らから弁当を受け取ったが,その時,Aも車に乗っていた」旨上記3名の供述と符合する供述をしているところ,スイカ履歴からして,当日朝Aが自宅から被告人らと車で出発することはあり得ないのに,4名が揃って事実に反する供述をしているのは,口裏合わせがなされたからにほかならないと主張する。
確かに,スイカ履歴によれば,Aは9月13日午前9時39分ころj駅改札を通過したというのであるから,それとほぼ同じ時刻ころにAが自宅から被告人らと一緒に買物に出掛けたという事実はあり得なかったことになる。そして,被告人ら4名とも,平成17年12月上旬のH検事の取調べ時において,当日朝Aが自宅にいて,被告人らと一緒に自宅から買物に出掛けた旨供述したことも認められるから,検察官が主張するとおり,被告人ら4名が揃って客観的な事実に反する供述をすることが,不自然であるとの感は否めない。
しかし,上記4名の各供述の内容を見ると,それらの間には次のような食い違いが存する。まず,Bは,「その日,Aは,午前7時25分ころ,仕事先から帰宅しました。Aが帰宅したとき,私は家におり,時計を見た記憶があり,その時間にAが家に帰ってきたことは間違いありません」(甲24)と供述しているのに対し,Cは,「Aさんは,その前の日の夜に家に帰ってきていました。私は,Aさんの姿を見たわけではないのですが,音で分かりました」(甲26)と供述し,Aが帰ってきた時間について,大きく食い違っている。また,被告人は,9月13日の朝にAが自宅にいたことを示す出来事として,「Aは,帰宅後,自分の部屋から私たちの部屋に来て,私たちがeへ『元気なたまご』を買いに行きたいなどと話しているのを聞いて,『何が元気なたまごだよ,勝手に言ってろよ』などと話していた」(甲13)と供述しているのに対し,BもCも,同日朝Aが同じ部屋にいたことを供述しながらも,Aが「何が元気なたまごだよ」などと発言したことには全く触れていない。すなわち,Bは,「Aは,私たちのいた6畳間に来て,しばらく横になっていた。私たちは,その部屋で色々話をしており,Cが,チラシを見ながら,『元気なたまご』を買いたいなどと言ったことから,それを買いに出かけることになった」(甲24)と供述するのみであり,Cも,「主人が出かけてから,私がお父さんとお母さんと話をしていたとき,私の後をAさんが通りました。このとき,私はAさんと会話をしていません」(甲26)と供述しているのである。
仮に,検察官の主張するとおり,被告人ら4名が,9月13日午前中の出来事に関し口裏合わせを行ったというのであれば,Aが帰宅した時間について上記のような供述の食い違いが生じることは考え難いし,また,Aの「何が元気なたまごだよ」という発言についても,朝Aが自宅にいたことを示す具体的なエピソードといえるから,被告人のみならず,BやCもこれに言及して然るべきであると考えられる。このような供述間の食い違いに照らすと,被告人ら4名の間で事前の口裏合わせがなされたというには,疑いが残るというべきである。もっとも,被告人の公判供述も,9月13日午前中の出来事に関し家族の間で話が交わされたことを否定してはいないのであって,上記4名が,それぞれ他の者の話を聞いて自分の記憶を形成し,定着させていった可能性があることは,被告人の当初記憶について前記のように検討したところと同様である。そうであるからといって,被告人ら4名の間で口裏合わせの相談をしたとまで認めることはできないのである。
・※ 次に,検察官は,被告人らがF弁護士を介してAとの間で口裏合わせを行ったことの証左として,Aが,平成17年11月2日のF弁護士との1度目の接見時には,9月13日に被告人らと一緒に買物に行った事実に関する記憶がなかったにもかかわらず,その後の取調べにおいて,9月13日は被告人らと一緒に買物に行ったなどと被告人らと同様の供述をしているのは,F弁護士が,同年11月6日の2度目の接見時において,前日5日に被告人から預かっていたレシートを示したほか,被告人らが9月13日午前中はAと一緒に買物に行ったと言っている旨をAに伝えるという方法によって,口裏合わせがなされたからにほかならないと主張する。
確かに,Aとの1度目の接見時にF弁護士が作成した接見報告書(弁10)には,9月13日はAが被告人らと一緒に買物に行ったとの事実に関する記載はなく,同接見時にAがその事実に関することは述べていなかったと推認できる。そして,F弁護士は,2度目の接見時に,日給領収伝票は見せたがレシートは見せていないと証言するが,これらはいずれも同弁護士が前日5日に被告人から預かったものであり,その一方のみをAに示して他方を示さないというのは不自然である上,同弁護士は「(レシートを)見せてないと言い切るまでの自信もない」と証言していることにも照らせば,同弁護士がAに対してレシートを示した可能性はかなり高いというべきである。さらに,レシートを示したならば,その際にそれに関し何ら説明をしないというのは考え難く,F弁護士は,レシートを示した上で,被告人らがAと一緒に買物に行ったと言っている旨伝えた可能性も高いというべきである。
このように,F弁護士との接見により,Aが結果として被告人らが自分のアリバイに関する供述をしていること及びその内容について知ることになった可能性が高いのであるが,その限りでは,当然の弁護活動の結果と目されるのであって,被告人らが口裏合わせをしたとまでいうことはできない。そこで,更に進んで,被告人らがF弁護士に対し,自分たちが9月13日にAと買物に行ったと述べている旨をAに伝えて欲しいと依頼した事実が認められるかを検討すると,F弁護士は,被告人らから,そのような依頼は受けていない旨明確に証言している。F弁護士は,本件により,被告人らとAとの口裏合わせに関与したとの疑いをかけられる立場にあったのであり,レシートを見せたかどうかという点について「見せたという光景は覚えていない」などと慎重な表現を用いたのも,それゆえであったと推測される。そのような同弁護士の証言態度を考慮に入れてもなお,被告人による上記依頼の事実を認めることはできない。被告人もまた,公判で,F弁護士に対し,そのような依頼をしたことはない旨供述しており,この供述の信用性を疑わせる事情はない。
したがって,被告人がF弁護士を通じてAと口裏合わせをしたという検察官の主張は採用できない。
4 スイカ履歴の判明を巡る問題点について
・※ スイカ履歴判明前の被告人の記憶
ア 前記1・※のとおり,被告人は,スイカ履歴を知らされる以前には,F弁護士らとの打合せやH検事の取調べにおいて,9月13日はAも一緒に自宅から買物に出掛けた旨供述していたにもかかわらず,スイカ履歴が判明した後は,買物に行く途中で偶然Aと出会い,一緒に買物に行くことになった旨供述を変えている。
検察官がこれを供述の不自然な変遷と指摘するのに対し,被告人は,公判で,スイカ履歴が判明したことを契機に突然供述を変えたのではなく,それ以前から,買物に行く途中でAを拾った可能性もあるのではないかと思っていたのであり,スイカ履歴が判明したことによって,その疑問が確信に変わったに過ぎないと供述するので,これについて検討する。
イ 被告人は,公判で,上記の可能性を思うようになったことの契機について,次のとおり供述する。
・※ 私は,平成17年12月ころ,Aの交際相手である女性と一緒にBの運転する車に乗って行動することが何度かあったが,同女はCと違って後部座席の真ん中ではなく助手席寄りに座ることに気が付き,その時,以前,後部座席の真ん中に座っていたCに対し,Aが後部座席に乗るので端に寄るように告げたところ,CがAと並んで座るのは恥ずかしいと言ったため,Aが後部座席から荷台に移動したことがあったことを思い出した。
・※ 私は,上記エピソードを思い出したものの,その当時はCの弟が交通事故で亡くなった直後であったことなどから,同エピソードをすぐにCに確認することは控えていたが,しばらくした後の「寒い時期」にCにそれを確認したところ,Cがそのようなことがあった旨答えたことや,その時近くにいたBもその話を聞いてこれを思い出したような顔をしたことから,自分の記憶は間違いないと思った。
・※ そして,AとCが一緒にBの車に乗ったのは,9月13日に買物に行った時しかないという記憶であったことから,同エピソードはその日のことであると考え,そうであれば,買物に行く途中でAを拾ったのかもしれないと考えるようになった。
ウ 被告人の上記公判供述は,それなりの根拠を挙げて,上記エピソードを思い出した経緯を説明するもので,一概に排斥し難いように思われる。また,この点に関連して,Cは,公判で,被告人から上記エピソードについて聞かれたことがあり,その時期が「寒い時期」であったと証言し,Bもまた,公判で,「寒い時期」に被告人からそのようなことを言われたことがあった旨証言しており,これらの証言は被告人供述を支えるものといえそうである。
エ しかしながら,スイカ履歴が判明する前から,買物に行く途中でAを拾った可能性もあるのではないかと思っていた旨の被告人の供述は,次の理由から採用することができない。
第1に,スイカ履歴が判明する前に,被告人において,Aを途中で拾った可能性もあるとF弁護士に伝えるなどした事実は全く窺えないところ,その前にAが途中で拾われた可能性もあると述べている旨をF弁護士から聞き,これを被告人が強く打ち消した経緯があったこと(前記1・※)にも照らせば,このような重要な点について,被告人がF弁護士に伝えることすらせず,そのまま放置していたというのは極めて不自然というべきである。
第2に,被告人は,スイカ履歴判明の直後にF弁護士に送った書面(弁27)の中で,「(Aが)Cちゃんの後をとおりトイレに行きながら『何が元気なタマゴだよ。かってに言ってろよ』と言っていたことが鮮明な気がしてならない。スイカの時間が本当に正確であれば,私達の記憶が交鎖しているのか?」と記載しているところ(後記・※ア・※参照),これは,スイカ履歴が判明してもなお,Aと一緒に自宅から買物に行ったという記憶を拭うことができないでいる心情を伝える記載であり,それ以前に,買物に行く途中でAを拾ったかもしれないという疑問を持っており,スイカ履歴が判明したことにより,その疑問が確信に変わったという被告人の前記供述とは相容れないものといわざるを得ない。
第3に,被告人は,上記エピソードについてCに確認した時期については,「寒い時期」との曖昧な供述しかしていないのであるが,Cに確認した際の状況について詳細な供述をしていることと対比すると,いかにも不自然である。なお,Cも「寒い時期」との表現をしていることは前記のとおりであるが,同女は,その時期について,スイカ履歴が判明したのと同じころで,どちらが先だったかはっきりしない旨の証言をしており,被告人の公判供述を支えるものとはいい難い。
オ そうすると,翻って,被告人は,スイカ履歴が開示されたことにより,9月13日の朝にAが自宅にいたということはあり得ず,従前の自宅から一緒に買物に出掛けたという供述が客観的に誤りであったことを知り,その後,買物に行く途中にAを拾ったと供述するに至ったと認めることができる。
・※ スイカ履歴判明後の経緯とその評価
ア スイカ履歴が判明した後の被告人の言動等については,以下のとおり認めることができる。
・※ 被告人は,スイカ履歴についてF弁護士から知らされた直後,平成18年4月10日午前3時18分,G法律事務所宛てに被告人作成の書面(弁27)をファックス送信した。そこには,「j駅約9時40分,l線,j→i間約10分。i駅下り9時59分の電車に乗って帰えってくれば,i駅でAを乗せそのままeに買い物に行くことは可能」,「i駅に向かえに行き,車に乗ろうとして,車にCちゃんが乗っていた」,「Cちゃん『お兄さんと並んですわるのは,はずかしいですよ』と言ったので,後の荷物置場の方へずれる」など,従前の供述内容とは異なる事柄が初めて述べられる一方で,「私たちの記憶によると弟が家を出る時,Aの部屋のテレビがついていたのが,みんな覚えている」,「Cちゃんの後をとおりトイレに行きながら『何が元気なタマゴだよ,かってに言ってろよ』と言っていたことが鮮明な気がしてならない」,「スイカの時間が本当に正確であれば,私達の記憶が交鎖しているのか?」などの記載もされていた。
・※ 同月14日ころ,被告人及びBは,自宅から買物に行く際の経路を車で走行し,9月13日の買物の際に立ち寄ったと思われる場所などを写真で撮影した上,これを添付した報告書(弁39)を作成した。被告人らは,同報告書で,同日Aを車に乗せた場所について,それがG付近の道路上であったと特定した。
・※ 平成18年4月18日午前4時37分,被告人は,G法律事務所宛てに被告人作成の書面(弁28)をファックス送信した。そこには,「i駅の近く,Aの歩いている姿発見,『Aだ!』,夫,Aに気づきクラクション鳴らす」,「後部座席のCちゃんにまん中にすわっていたため『Cちゃん,Aがくるから場所ずれな』と言う」,「C『お兄さんと並んですわるんですか?はずかしいですよ』」,「e,立体駐車場,4F,駐車する。駐車場から店舗に通じる通路時計あり,『10時すぎちゃったじゃないの』と私,言う」などと記載されていた。
・※ 同月19日,F弁護士は,検察官が証拠請求した被告人らの検察官調書に対する意見の準備のため,BらをG法律事務所に呼んだ。その際,F弁護士は,被告人,B,C及びDの各検察官調書にある記載の中で,その時点における記憶として間違っているところがないかを,Bらに確認するなどした。しかし,その日の面談時間は30分程度であり,それ以前に被告人がファックス送信した書面に記載した供述内容についての確認は行われなかった。なお,そのころ,F弁護士は,上記被告人らの各検察官調書の写しを被告人らに渡した。
・※ 同月20日,被告人,B及びCがそれぞれ書面を作成し,それらをG法律事務所にファックス送信した。被告人が作成した書面(弁29)には,「Cちゃんが『お兄さんと並んですわるんですか?はずかしいですよ』と言った言葉をAがおぼえているかどうか聞いていただけますか?」,「13日と15日が入り組んでいた部分の記憶があり」などと記載されていた。Bが作成した書面(弁56)には,「『私と妻とAとCの4人が,一緒に私の車1台に乗って』,私の心の中では,Aを途中で乗った」と記載されていた。Cが作成した書面(弁38)には,「門のアコーディオンに付いている風鈴が夜鳴ったので,(正)帰ったと思ったが姿は見ていません」,「母に,『兄のAが車に乗るから,はじに寄るように』と言われた。私は,『兄のAが,私のとなりに座るのは,はずかしい』と言う」などと記載されていた。
・※ 被告人は,F弁護士から渡されたB,C及びDの各検察官調書のコピーに,Bらから聞き取った調書の供述を訂正する内容を書き込んだ。また,自己の検察官調書にも,これまで同弁護士宛てにファックス送信した書面に記載したものと同趣旨の新たな供述内容を書き込み,Aが9月13日の朝自宅にいたという点に関する調書の供述部分について,「9/15のまちがい」などの書込みをした。
・※ 同年5月8日,被告人は証人としてAの公判に出廷し,本件証言をした。
イ 検察官は,上記のような被告人の供述,主張等の変遷は,被告人が,自己の供述等が客観的事実に適合しないことを指摘されたことにより,つじつま合わせに故意にこれを変更したために生じたものであり,上記変遷は,「9月13日にAと一緒に買物に行った」という本件証言の核心部分自体について,被告人が,初めからその記憶がないにもかかわらず,Aのアリバイを言うために虚偽の供述をしていたことの証左であると主張する。
ウ しかしながら,次の事情に鑑みれば,スイカ履歴の判明後も,記憶形成の初期段階と同様,被告人において,相応の根拠から,買物に行く途中に偶然Aと会い,車に乗せたという記憶が新たに形成された可能性は払拭し切れない。
すなわち,CがAと並んで座るのは恥ずかしいと言ったというエピソード自体については,その時期がいつであったかはともかくとして,相当に具体的であり,被告人にその経験がなかったと断ずることはできない。また,Cも,その時期はともかく,被告人からこのエピソードの有無について確認されたこと,それに対してそのようなこともあったなどと答えたことについては,一貫してこれを認める供述をしている。そして,前記のとおり,9月13日はAと一緒に買物に行ったとの記憶が,Aの逮捕当初から被告人において形成され,さらにBやDの発言等によりそれが強く定着していた可能性を否定できないところ,そのような強固な記憶と,上記エピソードに関する記憶とが結びつき,さらにCがこれを肯定したことにより,被告人がAを途中で拾ったのは間違いないとの思いを強めたことは,十分あり得たと考えられる。
さらに,被告人は,前記のような買物に行く途中にAを車に乗せたという記憶を前提として,Bとともに自宅から買物に行く経路を車で走行して,9月13日にAを拾ったと思われる箇所を特定したというのであり,そのような作業を通じて,上記エピソードに場所的な具体性が加わり,同日Aを途中で拾ったという記憶が形成され,それをBと確認し合うことで一層定着させた可能性があることも,否定できない。
エ もっとも,被告人において,9月13日にAと一緒に買物に行ったことに加えてAと一緒に自宅を出発したという記憶が真に形成されたのであれば,通常は,スイカ履歴が判明した時点で,Aと一緒に買物に行ったことも含めて自己の記憶の全体に疑問を呈し,これを検証すべきであるのに,それをしていないのは,不自然であると考えられなくもない。
しかしながら,被告人の供述するところの9月13日のAの行動に関する記憶は,前述のとおり,同日にDに弁当を届けた際に車の荷台にいるAを見たのを思い出したことを発端とするものであり,被告人においては,Dに弁当を渡した時にAがいたとの思いを強く抱いていたことから,一緒に買物に行ったとの確信は揺らがなかった可能性は十分あり,それを前提にすると,Aと一緒に買物に行くことになった経緯のみが検証の対象となったとしても,それほど不自然であるとはいえない。
オ 更に敷衍して検討すると,被告人の中に9月13日には間違いなくAと一緒に買物に行ったとの確信が存する場合,Aといつ合流したかについては,その記憶の核心部分ではなく,周辺の事情と目することができるのであり,このような周辺事情については,日常生活の中で蓄積された個々の記憶をつなぎ合わせて誤った記憶が形成される可能性も十分あり,そして,それが誤りであることが判明した場合,核心部分についての確信の強さから,再び別個の記憶を形成することも起こり得るのであって,それが不自然,不合理であるということはできない。本件においては,被告人がAの母親であって,その無実を強く希望する気持ちを有していることに鑑みれば,より一層上記のようなことが起こりやすかったということができる。
カ 以上によれば,スイカ履歴が開示された後,被告人が従前の供述を変えるに至ったことについて,これがつじつま合わせのために供述を変遷させたものであるとまでは断じ切れず,したがって,その変遷を理由に,被告人が,「9月13日にAと一緒に買物に行った」との記憶が初めからないにもかかわらず,Aのアリバイを言うために虚偽の供述をしていたとする検察官の主張は採用することができない。
5 Aの「何が元気なたまごだよ」との発言について
・※ Aの公判における被告人の本件証言のうち,Aの「何が元気なたまごだよ」という発言に関連した部分については,その趣旨に争いがある。本件証言を録取した尋問調書(甲14)から,当該部分を書き写すと,次のとおりである。なお,質問者は検察官,回答者は被告人である。
(問)あなたは,昨年11月とか12月に警察官や検察官に対して,9月13日の朝,被告人が自宅に戻ってきたと話しましたか。
(答)戻ってきた…………。
(問)話したか。イエスかノーか。
(答)記憶にありません。
(問)供述調書には,あなたがそのように話したことになっているんですが,覚えていませんか。
(答)記憶にありません。
(問)その日の朝,Cさんとeで「元気なたまご」を安売りしてる話をしたと取調官に説明したのは,覚えていますか。
(答)覚えてます。
(問)そのとき被告人が,何が元気なたまごだよ,勝手に言ってろよと言った記憶がありますと取調官に話したのを,覚えてますか。
(答)はい。
(問)これは,でも,9月13日の出来事ではないんですよね。
(答)そうなります。
(問)いつの出来事ですか。
(答)15日と思います。
・※ 上記問答の記載からは,被告人は,Aの「何が元気なたまごだよ」と発言したエピソードについて,実際には平成17年9月15日の出来事だったのに,9月13日の出来事だと思ってしまっていた旨供述しているように読める。
ところが,被告人は,公判で,自分が「15日と思います」と答えたのは,Aが朝家にいたという点についてであり,Aの上記エピソードについて15日のことと混同したという趣旨で述べたのではないと供述する。
そこで,上記問答を順に見てみると,まず,Aの公判の立会い検察官は,被告人が平成17年12月6日のH検事の取調べで,9月13日の朝にAが自宅に戻ってきたと供述したことを前提として,同供述をしたか否かを「イエスかノー」で答えるよう迫り,それを「覚えていないか」と畳み掛ける質問をしている。しかし,同取調べで作成された供述調書(甲13)によれば,被告人はそのような供述をしていないから,検察官の質問は誤導尋問といえる。被告人が,公判で,検察官のこのような質問に混乱してしまったと供述しているのも,あながち理由がないとはいえない。
しかし,これに続く,Aが「何が元気なたまごだよ」と発言したというエピソードに関する質問に対しては,「覚えてる」旨を明確に答えており,問題となっている「これは,でも,9月13日の出来事ではないんですよね」という質問は,そのやりとりに続けてなされたものであるから,これを,Aの上記エピソードに関する質問ではなく,朝Aが家にいたことについての質問であると誤解することは考え難い。
これに,被告人が,スイカ履歴の判明後にF弁護士から渡された自己の検察官調書のコピーにも,9月13日の朝Aが自宅で「何が元気なたまごだよ」などと言ったという供述について,同月15日のことと混同していた旨の書込みをしていること(前記4・※ア・※参照)も併せ見ると,被告人の「15日と思います」との答は,上記エピソードについて15日のことと混同したという趣旨で答えたものであると認められる。
・※ ところで,関係証拠によれば,平成17年9月15日は,eで「元気なたまご」の特売が行われていないことは明らかである。そうだとすれば,同日,被告人らがeに「元気なたまご」を買いに行きたいと話していて,これに対してAが「何が元気なたまごだよ,勝手に言ってろよ」と言ったというエピソードが実際にあったとはおよそ考え難い。したがって,Aの「何が元気なたまごだよ」などの発言について,同月13日と15日とを混同したという被告人の供述は,客観的には事実と異なっており,説明になっていないといわざるを得ない。
そうすると,Aの「何が元気なたまごだよ」などの発言は,9月13日の出来事でもなく,また同月15日の出来事でもないことになり,この発言は一体いつの出来事だったのか,また,そもそもAはその当時までにそのような発言をしたことはなかったのではないかという疑問が生じる。ひいては,被告人は,初めからAが「何が元気なたまごだよ」などと言った旨の記憶などなかったのに,Aが9月13日の朝自宅から買物に行ったことの裏付けとして上記エピソードを供述し,スイカ履歴の開示によって,これが客観的に誤りであることが明らかになると,今度は15日と混同したなどと,つじつま合わせに虚偽を重ねる供述をしたのではないかとの疑問が生じるのもやむを得ないところである。
・※ しかし,本件証言の核心は,Aが被告人らと一緒に買物に行ったということであり,Aがどこから一緒だったかはその周辺事情に過ぎず,出掛ける前にどのような会話をしたかは,さらにその周辺事情に当たる。そうすると,Dに弁当を届けた時にAが車の荷台に乗っていたという記憶から被告人がAと一緒に買物に行ったと強く確信していた場合,その周辺事情については自己の記憶の蓄積の中から誤った記憶を形成することも十分あり得ることは前述したところであるが,さらに,その先の周辺事情について誤った記憶をどのように形成してしまったかについては,これを正確に辿ることは極めて困難な作業であるというべきであるから,被告人がとり違えた理由を誤って説明してしまったとしても,さほど重視すべきこととは考えられない。
しかも,被告人は,スイカ履歴の判明後に,F弁護士宛てに前記4・※アのような書面を再三ファックス送信した上,被告人が書込みをした供述調書のコピーをG法律事務所に持参するなどして,その時点での被告人の記憶内容について,Aの弁護人であったF弁護士に再三伝えているにもかかわらず,F弁護士はこれに特段の対応をしていない。そのような状況の下では,被告人には,本件証言時に至るまで,誤った記憶が形成された理由について自分なりに考えてみたところが,正確なものかどうかという検証を行う機会がなかったというべきであり,このことも勘案すれば,尚更,被告人が誤った説明をしたことを重視すべきではないといえる。したがって,Aが「何が元気なたまごだよ」などと言ったとの点を取り上げて,被告人が当初から故意に虚偽の供述をしていたと断ずることはできない。
第5まとめと結論
1 本件証言の要点
ここで,改めて,被告人がAの公判においてした本件証言の要点を,その尋問調書(甲14)に当たってまとめてみると,次のようになる。
すなわち,「9月13日の午前中は,私,B,C及びAの4人でd,e,gに買物に行った。私の記憶では,当初は,Aも私たちと一緒に家から出掛けたと思っていた。この日はDに弁当を届けたということがあり,その弁当を届けた時にAが一緒にいた,買物に一緒に行ってたという記憶だったので,当然一緒に家を出たと思っていた。しかし,スイカカードを見せられて,一緒に家を出たのではなかったということを思い,そうでないとしたら,(現在では,)買物に行く途中にAと会って,一緒に車に乗せて行ったと思っている」というものである。
以上は,F弁護士の主尋問に対する被告人の答をまとめたものであるが,被告人は,検察官の反対尋問及び裁判官の補充尋問に対しても,一貫して同趣旨のことを証言している。
2 これまでの検討結果
検察官は,被告人の本件証言がその記憶に反してなされたものであることを,色々な理由を挙げて主張しており,これまで,それらについて検討してきた。その結果は,被告人の上記1の証言が,その記憶に反してなされたと断じ切ることはできないというものである。
すなわち,まず,9月13日午前の買物にAが同行した事実が存在しないことを証明するに足りる証拠はないから,同事実の不存在を前提にして,本件証言がその記憶に反する陳述であるとすることはできない。そこで,被告人の本件証言時における記憶の内容がどのようなものであったかを検討することが必要になるが,被告人において,9月13日にDに弁当を届けた時,車の後部荷台にAがいたことを思い出したのを発端として,同日の午前中はAと一緒に買物に行ったという記憶を形成し,その後,その記憶を定着させていった可能性を否定できない。そして,被告人が,Bらとの間で口裏合わせをして,Aと一緒に買物に行ったという供述を行うよう通謀したとも,F弁護士を通じてAと同様の口裏合わせを行ったとも,認めることができない。次に,被告人の供述が,スイカ履歴の判明後に,それまでの,Aも一緒に自宅から出掛けたという内容から,買物に行く途中で偶然Aと出会い一緒に買物に行くことになったという内容に変わったことについては,これがつじつま合わせのために供述を変遷させたものであるとまでは断じ切れないし,さらに,Aの「何が元気なたまごだよ」との発言を巡る問題点を検討しても,被告人が当初から故意に虚偽の供述をしていたと断ずることはできないのである。
そうすると,本件の全証拠によっても,被告人の本件証言がその記憶に反してなされたと認めることはできないということになる。
3 結論
よって,本件公訴事実については,犯罪の証明がないから,刑事訴訟法336条により,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯田喜信 裁判官 岡部純子 裁判官 長橋政司)
<編注:『※』部分は原文のとおり。>