大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

さいたま地方裁判所 平成18年(わ)982号 判決 2006年8月10日

主文

被告人を懲役1年に処する。

この裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,歯科医師の免許がないのに,別表記載のとおり,平成15年7月2日ころから平成17年12月2日ころまでの間,前後6回にわたり,さいたま市<番地略>Dビル*階医療法人社団A会B歯科クリニックにおいて,業として,甲野春子ほか2名に対し,口くう内に手を入れ切削機器を用いて補てつ物を切削するなどの歯科医行為をし,もって歯科医師でないのに歯科医業をしたものである。

(証拠の標目)(括弧内の甲乙の番号は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号を示す。)

被告人の公判供述

被告人の検察官調書2通(乙15,16)及び警察官調書9通(乙2,4ないし10,13)

乙山夏男の検察官調書4通(甲21ないし24)

甲野春子(甲11),丙川秋男(甲15)及び丁木冬子(甲18)の各警察官調書

検察官作成の電話聴取書(甲3)

警察官作成の検証調書(甲38)

厚生労働省医政局医事課長作成の捜査関係事項照会回答書(甲2)

(法令の適用)

被告人の判示所為は歯科医師法29条1項1号,17条に該当するので,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役1年に処し,情状により刑法25条1項を適用してこの裁判確定の日から5年間その刑の執行を猶予することとする。

(量刑の理由)

1  本件は,歯科医師の資格を持たない被告人が業として歯科医行為をしたという歯科医師法違反の事案である。

2  被告人は,歯科技工士として歯科診療の現場とも関わるうちに,噛み合わせを調製することで頭痛,肩凝り等の身体の不快症状を改善できるのではないかと思い立ち,咬合調製と整体治療を組み合わせたJSC療法と名付けた独自の咬合治療法を開発し,身内等の僅かな臨床例で効果を確信すると,歯科医師や医療従事者ひいては医学界に自己の功績を認めさせようと,さらに臨床例を重ねるべく,平成3年8月ころから,JSC療法に理解を示してくれた歯科医院と提携してJSC療法を始めた。しかし,数か月もすると提携先の歯科医師が被告人の指示通りに補てつ物等を削ってくれなくなったことから,被告人自ら患者の口くう内で補てつ物を切削する等の歯科医行為をするようになった。

3  被告人は,平成6年4月に保健所から無資格歯科医行為に対する指導を受けたことから,歯科医院,歯科技工所,整体院が一体化した総合医療施設を作り,被告人の指示通りに従う歯科医師を雇ってJSC療法を実践することを決意し,平成7年8月に医療法人を設立し,平成7年9月ころには都内にC歯科クリニックを開設し,さらに平成9年8月ころには銀行から多額の融資を受けて判示Dビルを建設し同ビル内にB歯科クリニックを開設して被告人の理想とする総合医療施設を作り上げた。銀行に対する返済は月々約600万円となり,このころから,前記の目的で臨床例を増やすということよりも,自ら「城」と称する上記施設を守るため,多くの患者を集めて多額の利益を出し,滞りなく銀行に対する債務を返済することを優先的に考えるようになった。この間も,被告人は,C歯科クリニック及びB歯科クリニックで自ら患者の口くう内で補てつ物等を削る等の歯科医行為を行い,平成18年1月に警察の捜索を受けるまで続けた。

4  本件はこうした被告人の無資格歯科医行為の一環としてなされたもので,被告人は縷々弁解するものの,所詮は自己の野心を満たすために行った身勝手な犯行といわざるを得ないものであって,動機に酌量の余地は全くない。

5  被告人は,歯科医師がその専門家的立場から被告人の指示通りに補てつ物等を削ることに難色を示し指示に従わなくなると,自ら患者の口くう内で補てつ物等を削って咬合治療を行っていたのであるが,なぜ歯科医師が難色を示すのか,自分の行為が歯科医師の有する歯科医学的判断及び技術(すなわち,口くう内には,頬の内側の肉や舌があり,狭い口くう内でこれらの柔らかい組織を傷付けないように機器を操作するには一定の訓練が必要である。)をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし又は危害を及ぼすおそれがある行為であることに全く思いを致さず,しかも,平成6年4月以降は4回にわたり,無資格歯科医行為の情報に基づく保健所等からの口頭指導,業務改善のための通知文の交付,さらに立ち入り検査を受けるなどしながら適当に言い逃れて真摯に止めようとはせず,独善的な考えの下に無資格歯科医行為を続けていたもので,規範意識は欠落しており,歯科医師免許制度の根幹を揺るがすとともに,多数の患者に健康被害をもたらす危険性が大きい極めて悪質な犯行である。

6  しかも,被告人は,歯科診療室内では,白衣をまとい,歯科医や従業員らに「先生」と呼ばせて,患者が自身を歯科医師と誤解するような振る舞いをし,詐欺的に診療行為を行っていたもので,悪質である。被告人を歯科医師と信じて長期にわたり多額の費用をかけて咬合治療を受けてきた患者が今の気持ちを虚しいと表現しているのはもっともで,誠に気の毒である。

7  被告人は,捜査段階においては最後まで,歯の健康を考え歯科医が躊躇する歯の削り方についても独自の見解に立ってそれが正当である旨述べていたもので,公判廷でも,患者の要望に勝てず本件犯行に及んだと述べるなど,未だ自己の行為の問題の本質を十分に理解しておらず,真摯な反省は認めがたい。

8  以上によれば,被告人の刑責は相当に重く,無資格歯科医師行為に及んだ期間は長期間であること,思い止まるべき機会が多数ありながら独善的な考えからこれを悉く無視してきていること,現在なおそうした独善的思考から抜けられないでいることなどの事情を考えると,この際実刑に処してその責任を十分に感得させる必要性も感じないではないが,被告人は事実については認めて一定の反省の態度を示し,今後自ら歯科医行為を行わないことを約束していること,本件犯行の舞台となった歯科診療所は閉鎖されていること,前科はないことなど,被告人のために酌むべき事情もあり,これらの事情も併せ考慮すれば,被告人に対しては主文の刑を科した上その刑の執行を猶予するのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判官・今岡健)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例