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さいたま地方裁判所 平成18年(ワ)2303号 判決 2007年8月29日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は,原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告に対して,50万円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第2事案の概要

本件は,原告が,離婚した前夫との間のトラブルに起因して,110番通報した際,現場に赴いた被告の公務員である埼玉県春日部警察署の女性警察官に対し,刑事事件として扱ってほしい旨の被害申告(以下「本件被害申告」という。)をしたにもかかわらず,同人がその場で刑事事件として取り扱わず,かつ原告に対し侮辱的な言動をしたことによって,精神的苦痛を被ったと主張して,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料50万円の支払を求める事案である。

1  争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は,当事者間に争いがない。)

(1)  原告は,平成17年7月22日午後6時30分ころ,養育費の支払について話し合うため,前夫であるAの自宅を訪れたところ,Aと口論になり,Aは,原告が乗車する自動車(以下「本件車両」という。)の運転席のドアの把手を損壊し,原告の頸部を絞める暴行を加えた(以下「本件トラブル」という。)。

なお,本件車両は,原告が当時交際していた男性の所有名義であった(原告本人)。

(2)  原告は,同日午後7時ころ,110番通報し,それを受けて,埼玉県春日部警察署生活安全課少年捜査主任であったBらは,同日午後7時15分ころ,捜査用車両でAの自宅のある春日部市a町b丁目c番付近(以下「本件現場」という。)に到着した。

(3)  原告は,Bに対し,Aが本件車両の運転席のドアの把手を損壊し,同人から首を絞められたので,刑事事件として扱ってほしい旨を申し出て本件被害申告をしたが,Bは,本件現場においては,刑事事件として受理しなかった。

(4)  原告は,同月28日に春日部警察署に被害届を提出し,同署は,器物損壊及び暴行被疑事件として被害届を受理した。そして,同年9月20日に,さいたま地方検察庁越谷支部に事件送致したが,その後同支部検察官は,いずれについてもAを不起訴処分とした(原告本人)。

2  争点及びこれに関する当事者の主張

本件の争点は,本件現場におけるBと原告とのやり取りの内容及びその際のBの言動について違法性が認められるかであり,争点についての当事者の主張は以下のとおりである。

(原告の主張)

(1) 原告は,本件現場に赴いたBに対して,養育費の支払を求めるため,A宅に行った際,Aに本件車両の運転席のドアの把手を損壊され,頸部を絞められる被害を受けたことを申告して,刑事事件として扱ってくれるように申し出たが,Bは「養育費のことで来たのだから」という理由で刑事事件として取り扱うことを拒否した上,原告に対し,「私も同じ立場なんだから。」,「そういう人と一緒になったあなたが悪い。」,「最終的に助けを求めるのは警察だけではない。」等と一方的に原告が悪いと決めつけるような発言をした。

(2) 上記Bの一連の言動は,警察官として在るまじきもので不法行為に当たり,原告は,被告の公務員であるBが職務の執行中にしたこの行為により精神的苦痛を被ったので,被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,慰謝料50万円の支払を求める。

(被告の主張)

(1) 原告の主張(1)のうち,原告がBに対し「刑事事件として扱ってほしい。」と申し出たことは認め,その余は否認する。

原告は,Bに対し,Aから養育費の支払を受けられないので,同人が本件車両のドアの把手部分を損壊したことを器物損壊罪,原告の頸部を絞めたことを殺人未遂罪として被害届を提出することにより,金銭賠償を受けたい旨を申し出た。しかし,原告は,Aとのトラブル直後の興奮状態であった上,本件車両のドアの把手部分について外観や作動状況から正常状態との差異を確認することができず,頸部にも圧迫痕や皮膚変色を確認することができなかったのであり,本件現場においては,被害事実を確認できなかった。

そこで,Bは,養育費の支払を求めるのであれば,他の公的機関に相談するように説明し,また,被害申告を受理するには被害事実の存在を確認することが必要であると判断し,原告に対し,被害届を提出したいのであれば修理の見積書や診断書を準備して後日警察署に来るように説明した上で,本件現場において本件被害申告を受理することを留保した。

(2) 刑事訴訟法189条2項は「司法警察職員は,犯罪があると思料するときは,犯人及び証拠を捜査するものとする」と定め,犯罪捜査規範77条は「捜査の着手については,犯罪の軽重および情状,犯人の性格,事件の波及性および模倣性,捜査の緩急等諸般の事情を判断し,捜査の時期または方法を誤らないように注意しなければならない」と定めており,被害申告の受理の許否や,受理の時期は,警察官の合理的判断に委ねられていると解するのが相当である。本件について,現場において被害申告を直ちに受理することなく,留保したことについては,その時点での状況や判明していた事項を勘案して執った措置として合理的な判断ということができ,違法性はない。

第3争点に対する判断

1  証拠(甲1,2の1ないし3,乙1,証人B,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(1)  原告は,Aと離婚した後,2人の子供を養育していたが,Aとの間で合意した養育費について,約束通りに支払われたことはほとんどなかった。そこで,原告は,たびたび,本件現場近くであるAの自宅を訪ね,養育費の支払を催促しており,近隣にも聞こえる大声で,養育費の支払請求を行ったこともあった。また,Aの不在中に同人宅に入って同人の衣類をはさみで切ったこともあった。

(2)ア  原告は,平成17年7月22日午後6時30分ころ,養育費の支払を請求するため,Aの自宅を訪れた。2人は,自宅内で話し合いをした後,A宅付近に原告が駐車していた本件車両に向かい,原告が窓を少し開けた上で本件車両内の運転席に座り,Aが本件車両のそばに立った状態で,話し合いを継続した。その途中から口論となり,Aは運転席のドアの把手をガチャガチャと引っ張るなどして,原告に本件車両外に出るように申し向けた。

イ  原告は,やむなく本件車両外に出たが,感情が高ぶり,興奮状態であったため,Aはそのような状態の原告を静かにさせるため,原告の頸部を両手で押さえ,原告の長男に制止された。

(3)  原告は,その後,Aと別れて,いったん買い物に向かったが,店の駐車場において,本件車両の運転席のドアの把手が,完全に閉まらない状態になっているのを発見した。そこで,原告は,本件現場に戻り,同日午後6時56分ころ,110番通報した。原告は,通報の際,応答した警察官に対し,養育費の支払請求のため前夫を訪ねたところ,同人と口論となり,同人から頸部を絞められ,自動車のドアの把手を壊された旨を伝えた。

(4)  上記通報を受け,春日部警察署で当直勤務中の同署生活安全課少年捜査主任のB及び同署刑事課のCの2名が,本件現場に向かった。なお,このとき,当直勤務員は上記2名を含む10名であったが,通報の内容が男女間のトラブルであり,女性から事情聴取をするには女性警察官が適任であるという理由でBが,また,通報内容に照らせば,現場において事件として扱う可能性も考えられるという理由で,刑事課強行班係のCが,本件現場に向かうこととなった。

(5)  B及びCが,同日午後7時15分ころ,本件現場に到着したところ,原告は,興奮状態にあり,大声でBに対し,Aが離婚時の約束を守らず,養育費を支払ってくれないためA宅を訪れたことを繰り返し説明した上,本件車両の運転席のドアの把手を損壊されたので弁償をしてほしいという趣旨のことを述べた。また,原告は,Cに対し,Aが原告の頸部を絞めたことを申告した。そして,Aが本件車両の運転席のドアの把手を損壊し,原告の頸部を絞めたことについて,刑事事件として扱ってほしい,すなわち,被害届を提出したいと何度も述べた。なお,原告は,Aが本件車両の運転席のドアの把手を損壊した点については器物損壊罪,原告の頸部を締め付けた点については殺人未遂罪に該当すると考えていた。

(6)  さらに,原告は,Bに対し,Aから養育費の支払を受けたい旨述べ,Bは,家庭裁判所での調停やその他の公的機関等への相談を勧めたが,興奮状態にあった原告は納得せず,また,被害届を提出し,Aについて刑事処分がなされれば,被告から支払を受けられると考えている趣旨の発言をした。原告が金銭賠償と刑事処分を混同していると見受けられ,Bに対し,「あなたには分からない。」との発言をしたため,Bは,自身の離婚経験について話し,「大変なのはあなただけではない。」旨を述べ,原告の説得を試みた。

(7)  この間,Cは,A宅に赴いて,Aから事情聴取したところ,Aは,本件車両の運転席のドアの把手を何度も引っ張ったことは認めたが,頸部を締め付けた点については,単に肩をつかんで揺らしたにすぎないと述べて否認した。

(8)  その後,本件現場に戻ったCは,原告の被害申告に基づいて,本件車両の運転席のドアの把手を外観から確認したが,外観上は異常は認められなかった。また,Cは,原告の頸部についても確認をしたが,頸部に傷やあざ等は見受けられなかった。Cは,被害が明確に確認できないこと,原告とAとの言い分が食い違っていたことから,原告に対し,この時点では暴行罪としての被害申告を受理できるにすぎず,本件車両については修理の見積書,頸部については診断書を,それぞれ用意した段階でないと,器物損壊罪ないし傷害罪の被害届は受理することができないと説明した。また,Bも,原告に対し,見積書及び診断書を用意した上で,後日春日部警察署で被害届を提出するように促した。しかし,原告は興奮状態にあり,暴行罪での被害届ではなく,あくまで殺人未遂罪での被害届の提出をしたいと述べた。Bが,原告に対し,子供も一緒なのでその日は帰宅するように説得したところ,原告は,ようやく本件現場を離れた。

(9)  原告は,同月23日以降,春日部警察署を訪れたり,また,巡回中の警察官等を呼び止めるなどして,本件トラブルについて話をしたが,春日部警察署からは連絡はなかった。そこで,原告は,埼玉県警に数回電話をし,事情を説明したところ,後日Bから電話があり,見積書を持参して被害届を提出するようにとの指示があった。原告が,本件車両を業者に見せたところ,本件車両の運転席のドアの把手については,内部の部品が欠けており,すべて分解した上でないと修理はできないとのことであった。そこで,原告は,同月28日,見積書を持参し,春日部署において,器物損壊及び暴行被疑事件として,被害届を提出するに至った。なお,原告は,Aに頸部を絞められた後,自ら頸部の傷やあざを確認することはなく,また自覚症状がなく,痕が残ることもなかったことから,その後も病院を受診しなかった。

(10)  以上の認定に対し,原告は,本件現場に来たのはBのほか男性警察官2名の合計3名であった,Bに対し,養育費の支払を受けたいとか,賠償金がほしいといった発言をしておらず,むしろ同人から,養育費の請求に来た原告の方が悪いと一方的に言われた,本件現場に来たどの警察官からも,見積書や診断書の説明はなかったなどと供述し,甲1号証にはこれに沿う記述がある。

しかし,原告の供述によっても3人目の警察官の動静は判然としない上,前記認定のとおり,当時春日部警察署には総勢10名の当直勤務者しかおらず,原告の110番通報の内容に照らしても,3名もで赴かねばならないような事案とは認め難い。さらに,原告自身,Bから養育費との関係で家庭裁判所の調停に行くよう勧められたことを認めている上,同人が自己の離婚経験まで引き合いに出して原告をなだめようとしていることにも照らすと,当時原告は,かなりの興奮状態にあり,少なくとも同人から見て,原告が刑事処分と養育費ないし賠償金の受領とを結びつけるような言動をしていたと認めるのが相当である。そうすると,原告の供述や甲1号証の記述は,必ずしも事態を正確に把握した上でのものとは認め難いから,これらのうち,先の認定と異なる部分はにわかに採用することができない。

2  上記1に認定の事実及び上記争いのない事実等に基づき,争点について,判断する。

(1)  本件被害申告の不受理について

ア 刑事訴訟法189条2項は「司法警察職員は,犯罪があると思料するときは,犯人及び証拠を捜査するものとする」と定め,犯罪捜査規範77条は「捜査の着手については,犯罪の軽重および情状,犯人の性格,事件の波及性および模倣性,捜査の緩急等諸般の事情を判断し,捜査の時期または方法を誤らないように注意しなければならない」と定めており,これらによれば,被害申告の受理の許否や,受理の時期は,警察官の合理的判断に委ねられていると解するのが相当であり,現に春日部警察署においても,現場での被害申告の受理については,現場に赴いた警察官が,各事件の個別の状況により判断するとされていたものである(証人B)。そうすると,原告が本件被害申告をした際の具体的状況に照らし,Bがこれを直ちに刑事事件として受理しなかったことが合理的判断を逸脱したものと認められる場合に限り,この行為は違法となり得るというべきである。

上記1(1)で認定したとおり,本件における原告とAのトラブルは,Aの養育費不払に端を発するものであるが,Aは養育費の支払を約したにもかかわらず,離婚後,十分に養育費を支払ったことがなく,原告は,本件トラブル当日のみならず,それまでに何度も養育費の請求のためにA宅を訪れて,大声を出すなどして養育費を請求していたことが認められ,原告とAとの間には,従前から養育費を巡る継続的ないさかいが存していたということができる。そして,本件被害申告当日は,それまでの養育費を巡るいさかいに,本件車両の損壊や,原告に対する暴行も加わり,原告は,相当程度の興奮状態にあったことがうかがわれ,また,原告が何度も「養育費の件でAのもとを訪れた。」,「Aに養育費を支払ってもらえない。」との発言をしたことが認められる(証人B)ことからすれば,Bが,原告が養育費や本件車両の損害賠償の支払と,刑事処分とを混同していると考え,本件トラブルのような元夫婦間の継続的な養育費問題に起因する事件について,原告の被害の状況を整理し,原告が刑事処分についての被害申告の意味を理解しているか否かを確認する必要があると判断したことには相応の理由が認められる。

イ さらに,Cが事情聴取し,確認したところによれば,Aは,原告の被害申告について,本件車両の運転席ドアの把手を引っ張ったことは認めていたものの,頸部の締め付けに関しては,単に肩をつかんで揺すっただけであるとして否認していたものであり,両者の言い分は食い違っていた。その上,本件車両にも原告の頸部にも外観上明らかな被害を認めることはできなかったのであり,現に原告自身,結局頸部については受診の必要を感じなかったものであって,本件トラブルについては,後日,器物損壊罪及び暴行罪で被害届が受理されたものの,結局不起訴処分となっている。これらの事実に,原告が興奮状態であったことをもあわせ考えると,本件被害申告の時点においては,原告の言い分のみをもって客観的な被害状況を把握することが困難な状況にあったということができる。

とりわけ,B及びCが,原告に対し「暴行罪」での被害申告であれば受理が可能であると説明したのに対し,原告はあくまで「殺人未遂罪」での被害申告をしたいと求めたと認められるところ,結局後日になってすら診断書が出されなかったことに照らすと,殺人未遂罪の被害申告を受理することは当時はもとより,後日においてもおよそ不適切であり,この点においても,B及びCが,直ちに本件被害申告に基づく被害届を作成,受理せず,後日,本件車両の修理の見積書や診断書をそろえた上で,被害届を提出するよう説明するにとどめたことは合理的な判断ということができる。

ウ 以上を総合すると,Bが,本件現場において直ちに被害申告を受理しなかったことは,相応の理由があるといえ,かかるBの行動をもって違法ということはできない。

(2)  Bの発言について

原告は,Bが原告に対し「私も同じ立場なんだから。」,「そういう人と一緒になったあなたが悪い。」,「最終的に助けを求めるのは警察だけではない。」等と言って,一方的に原告が悪いと決めつけるような発言をしたとして,これらの言動により精神的苦痛を被った旨主張する。

上記1(6)で認定したとおり,Bが「大変なのはあなただけではない。」という趣旨の発言をしたことは認められるものの,原告は,本件被害申告時において,相当の興奮状態にあり,刑事処分によって養育費や本件車両の損害賠償の支払を得られると両者を混同しているかのような態度であったことから,Bは,原告を落ち着かせ,説得するために,自分の離婚経験をふまえてかかる発言をしたにすぎず,Bのかかる発言が,原告を一方的に悪いと決めつけたものであったとは到底認めることができない。

(3)  したがって,Bの一連の行為に違法性はないから,被告は国家賠償法1条1項の義務を負わない。

第4以上のとおりで,原告の請求は,理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩田眞 裁判官 瀬戸口壯夫 裁判官 清水亜希)

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