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さいたま地方裁判所 平成19年(わ)290号 判決 2008年3月21日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中200日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,

第1平成19年2月15日午後9時ころ,埼玉県a市内のA方において,同人所有の現金約8000円在中の札入れ1個(時価100円相当)及び現金約2000円在中の小銭入れ1個(時価100円相当)を窃取し,

第2顔見知りであるB夫(当時69歳)及びB妻(当時67歳)を殺害して金品を強取しようと企て,同月21日午後1時30分ころから午後3時ころまでの間,同市内のB方において,殺意をもって,B夫の頭部,顔面等を鈍体で数回殴打するなどし,次いで,B妻に対し,その頭部等を鈍体で数回殴打するなどし,よって,そのころ,同所において,B夫及びB妻をいずれも外傷性脳障害によりそれぞれ死亡させて殺害し,B夫所有の現金約1万円を強取した。

(証拠の標目)

【省略】

(争点に対する判断)

第2の強盗殺人(以下,この項では「本件」という)については,検察官と弁護人との間で,事実に争いがあるので,以下検討する。

1  本件事案の概要と争点

・※  本件事案の概要

関係証拠によれば,以下の点は明らかであって,これらにつき特段の争いはない。

平成19年2月21日午後8時ころ,埼玉県a市内にあるB方居宅内1階の8畳居間においてB夫が,8畳和室においてその妻であるB妻が,それぞれ死体で発見された。B夫は,8畳居間のコタツ内に腹部及び両下肢を入れたまま仰向けに横たわっており,同人の顔面,頭部等には多数回殴られた跡が認められ,また,周囲には血液が飛散していた。一方,B妻は,頸部,手関節,下腿部を針金で,膝をナップザックの紐でそれぞれ緊縛され,右横臥位で横たわっていた。同女も顔面,頭部に多数回殴られた跡が認められ,周囲に多量の血液が流れていた。第1発見者は,両名の長女であるC及びその長男で,両名の孫に当たるDであり,Cから通報を受けて駆け付けた消防隊員らにより,B夫及びB妻の死亡が確認され,死因はいずれも外傷性脳障害と診断された。また,B夫の死体が発見された8畳居間と,B妻の死体が発見された8畳和室に続く1階の6畳和室には物色された跡があった。

同年3月5日,山梨県内において,B宅の2軒隣に住んでいた被告人が,A方での窃盗(第1の事実)について逮捕された。その後,被告人は,本件について再び逮捕された。

・※  本件の争点

本件では,被告人が何らかの凶器を用いてB夫及びB妻を殴打し殺害したこと,B宅から現金1万円を奪取したことについては当事者間に争いはないものの,犯意の内容及びその形成過程に争いがある。すなわち,検察官は,本件は当初からの計画によるB夫及びB妻に対する強盗殺人であり,被告人は両名を殺害するための凶器と緊縛するための針金を準備してB宅に赴き,これらを使って犯行を遂行したと主張する。これに対し,弁護人は,その場で咄嗟に殺意が生じたB夫に対する殺人と,その後金品を奪取する意思を生じたB妻に対する強盗殺人であると主張し,被告人もこれに沿う供述をしている。弁護人の主張は,具体的には,被告人は,借金の申込みのためB宅を訪問したところ,B夫から借金を断られ,さらに「お前が死んだら保険金が出る」などと言われたため激高し,咄嗟に殺意を生じて台所にあった麺棒様の物で同人を殴打して殺害し,さらに,これをB妻に見られたため,咄嗟に手にしていた麺棒様の物で殴打したが,逃走資金を強取しようとの意思が生じ,たまたま所持していた針金で同女を緊縛し,金品のありかを聞き出そうとしたが,同女はこれに答えず,犯行の発覚を防ぐため同女を殺害するほかないと決意し,更に殴打して同女を殺害したというのである。

そうすると,検察官と弁護人の主張の分かれ目となるのは,被告人がB宅訪問時に,強盗目的を有していたか否かということになるが,これを確定するための前提として,次の点について具体的事実が争われている。すなわち,①B夫及びB妻の殴打に用いられた凶器(以下「本件凶器」という)は被告人が携行したものか否か,そして,B妻の緊縛に用いられた針金を被告人が携行していた目的は何か,②本件前における被告人の経済状態,③被告人が実際にB宅で行った物色の状況及び奪取した金品の内容,④被告人のB夫妻との従前の関係及び本件当日におけるB宅を訪問した際の状況である。

そこで,まずは以上の各具体的事実を順に見た上で,被告人がB宅訪問時に強盗目的を有していたか否かを検討する。

2  本件凶器について

・※  凶器の形状

E医師作成の各鑑定書(甲225,226)及び同人の当公判廷における証言(以下,併せて「E鑑定」という)によれば,B夫及びB妻の主な創傷はそれぞれ次のようなものと認められる。

ア  B夫の主な創傷

・※  前額髪際中央部に表皮剥脱を伴う長さ約4.3センチメートルの挫創,同挫創左端の地点から左後方に向かい約1.7センチメートルの挫創があり,また,同地点から前方に向かって約1.3センチメートルの挫創が派生している。

・※  頭頂部中央よりやや左側に表皮剥脱を伴う長さ約6.6センチメートルのジグザグ状の挫創があり,その創底は骨に達している。

・※  左眉毛外側の左下に表皮剥脱を伴う長さ約3.3センチメートルの挫創がある。

・※  下口唇の下には,創底が軟部組織に達する長さ約3.5センチメートルの創縁凹凸不整の挫創が,その下には表皮剥脱を伴い一部が口腔内に達する長さ約3.2センチメートルの挫創が,さらにその下に表皮剥脱を伴い創底が粉砕した下顎骨まで達する長さ約5.7センチメートルの挫創がある。

・※  左頬骨及び左上顎骨は,粉砕状に骨折している。左側頭骨外側部は約くるみ大以下の骨片に粉砕状に骨折し,前頭骨,右側頭骨は多数の骨片に骨折している。前頭蓋窩は約拇指頭面大以下の骨片に粉砕状に骨折し,中頭蓋窩にも連続した骨折がある。また,側頭葉から後頭葉にかけた広範囲にくも膜下出血があり,複数の脳挫傷がある。

イ  B妻の主な創傷

・※  前額部髪際真ん中の地点から頭頂部方向に,表皮剥脱を伴う,少し左に凸弯する長さ約7センチメートルの挫創があり,その創底は頭蓋骨に達している。また,同挫創の前端部分から左上約2センチメートルの地点から上方向に向かい表皮剥脱を伴う長さ約4.3センチメートルの創がある。

・※  頭部左側には,創底が頭蓋骨に達する長さ約8センチメートルの挫創がある。

・※  頭部右側には,上から順に,長さ約5センチメートルの挫創,長さ約6センチメートルの挫創,長さ約7センチメートルの挫創があり,前二者の創底は頭蓋骨に達している。

・※  後頭部には,複数の挫創が派生している長さ約7.7センチメートルの挫創があり,その下に長さ約9.8センチメートルの挫創がある。

・※  前額部中央付近に右下に向かい長さ約3.5センチメートルの挫創があり,約1.8センチメートルの挫創が派生している。また,この派生した挫創の少し左の地点から,左下に向かい長さ約6センチメートルの挫創がある。

・※  左頬骨及び左上顎骨は粉砕骨折している。前頭蓋窩は正中部を中心に粉砕状に骨折し,左右の側頭骨から中頭蓋窩にかけて骨折している。前頭葉から頭頂葉にかけてくも膜下出血があり,複数の脳挫傷もある。

ウ  B夫及びB妻の殴打に用いられた凶器の形状について

E鑑定は,B夫及びB妻の各創傷の状況から,本件凶器はいずれも稜のある,創傷の長さ以上の作用面を有する鈍体(刃のない物体の総称)であり,また,殴打する際相当強い作用を及ぼし得るものであるとの判断を示している。Eは,法医学を専門とする医師で多数の司法解剖の経験を有しており,その知識,経験に基づいてB夫及びB妻の創傷状況を詳細に検討して上記判断を行ったものであり,その判断過程は,B夫及びB妻の各創傷の客観的な形状とよく符合し,専門的な知見に基づく合理的なものと認められる。そうすると,E鑑定は信用できるというべきである。

よって,B夫及びB妻の殴打に用いられた本件凶器は,稜があり,約10センチメートルの創傷を形成し得る長さがあり,相当強い作用を及ぼし得るだけの重量と硬さを有した鈍体であると認めることができる。

この点,弁護人は,Eが,当公判廷においては,B夫の頭部等の傷は「稜のある鈍体」により生じたものであると証言している一方で,その作成に係る鑑定書には,成傷器について「鈍体」とするだけで「稜のある鈍体」との記載がなく,同人がこの相違について合理的な説明をしていないこと,B妻についても,司法解剖当日に作成された中間報告書には,成傷器について「細長い作用面を有する鈍体」と記載されている一方で,鑑定書には「角や稜のある鈍体」と記載されており,この変遷について具体的な説明がなされていないことなどを指摘し,鑑定の信用性には疑問が残る旨主張している。

しかし,Eは,当公判廷において,B夫については,ある程度の長さを持ち,その幅が小さくかつ創底部が頭蓋骨に達している創傷が存し,そのような創傷については,稜のある鈍体により生じたと考えられるものの,同人の創傷すべてがそのような特徴を有するわけではないことから,鑑定書には広く「鈍体」と記載したものであるとの弁明をしており,また,B妻については,中間報告書と鑑定書との間に判断の変更はなく,その前額部の創傷については,角のある鈍体で生じたと考えても矛盾はないことから,「角や稜のある鈍体」と記載したものであるとの弁明をしているのであり,いずれも一応合理的な弁明であると受け取れる。その他,Eがその証言中で,各鑑定書に添付された各創傷の写真に基づいて,本件凶器の形状について合理的で納得の行く説明を加えていることにかんがみると,E鑑定の信用性に疑問を挟むべき余地はないといえる。よって,この点に関する弁護人の指摘は当たらない。

・※  B妻殺害の現場に遺留されていた木片について

B妻の死体の側で発見された木片について,検察官は,凶器の一部であることが強く推認される旨主張するので,以下検討する。

ア  B妻殺害の現場であるB方居宅1階8畳和室において,死体に近接した位置で,上辺約4.4センチメートル,下辺約6.4センチメートル,高さ約1センチメートルの台形状で,厚さ約0.3センチメートルの木片が発見された。同木片の種属は,みかん科キハダ属のキハダであり,その表面にはいわゆるアクリル塗装が施されていた。

同木片には血痕が付着しており,同血痕のDNA型はB妻のそれと合致する(甲61)。そして,警察官Fは,C立会いの下,B方居宅内の家具や調度品,さらには壁や天井なども確認したが,同木片に対応する破損箇所は発見できなかった旨証言している。その調査は,木片の捜査として注意深く行われたことがうかがえるのであり,そうすると,同木片に対応する破損箇所は同居宅内には存在しなかったと認められる。

イ  検察官は,上記木片はB妻殺害現場に遺留されていたこと,同木片にB妻の血痕が付着していたこと,同木片がB方居宅内の柱や家具等から剥離したものではないことから,論告中で,同木片は外部から持ち込まれたもので,凶器の一部であることが強く推認されると主張する。

しかし,同木片が遺留されていた1階8畳和室は,まさにB妻殺害の現場で,畳には血が流れ,引き戸や障壁等にも多数の飛沫血痕が付着していたこと,同木片が小さな軽い物であることからすると,同木片が本件とは無関係にたまたま1階8畳和室内に持ち込まれて落ちており,B妻が殺害された際にその血痕が付着した可能性も否定できないから,検察官主張のように,同木片が凶器の一部であると推認することは無理といわなければならない。

・※  B方居宅内に,本件凶器となり得るものが存在したか否かについて

ア  前記のとおり,B夫及びB妻の殴打に用いられた凶器は,稜があり,相当な長さ,重量及び硬さを有する鈍体である。

Cは,平均して週二,三回はB方を訪れ,同居宅内の状況を把握していたと認められるところ,同居宅内には木刀や金属バット,さらには,角のある棒などはなく,凶器になり得る物としてはゴルフクラブ(パター)くらいしかないが,それは保管場所から動かされていないこと,また,B夫の財布や自動車の鍵等以外に本件後に同居宅内から無くなったものはなかった旨証言している(Cは,B夫が普段使用している財布や自動車の鍵等が無くなっていた旨証言しているだけで,その他の物について本件後に無くなった物があるか否かについて直接言及はしていないものの,居宅内の物品をすべて確認した上でB夫が普段使用していた財布等が無くなっていたというのであるから,それ以外に無くなった物は発見できなかったと供述する趣旨と解される)。

本件凶器がB方居宅内に存した物を被告人が犯行に供したのであるとすると,それは納戸やその他収納庫に保管されていた物ではなく,居間付近の比較的目に付きやすい場所にあったと考えられる。そして,稜があり,相当な長さ,重量を有する鈍体が,居間付近の目に付きやすい場所にあったのであれば,Cがその存在を知らないということは考え難く,また,その鈍体が無くなったことに当然気付いたはずである。

そうすると,B方居宅内には,本件凶器となったと考えられる物は本件犯行前には存在せず,本件凶器は,元々同居宅内には無かった物,すなわち,被告人が持ち込んだ物であると考えるのが自然である。

イ・※  これに対し,被告人は,B夫及びB妻の殴打の際に用いた凶器について,捜査段階ではB方台所にあった「麺棒」,公判段階では同台所にあった「麺棒らしき物」と供述している。

なお,被告人は,捜査段階から本件凶器については,「麺棒」と断定しておらず「麺棒らしき物」であったと言っていたにもかかわらず,取調官が調書作成の際,「麺棒」としか記載してくれなかった旨供述している。

しかし,被告人の捜査段階の供述調書(乙45)を見ると,「私は,以前,Bさん方で麺棒を見たことがあるような気がしますし,そうでなかったとしても,Bさんの奥さんから,手打ちのうどんをお裾分けしてもらったことがあったので,Bさん方に,うどんを手打ちするのに必要な道具である麺棒があることは知っていました」などと,相当具体的な記載があることに照らすと,被告人の上記供述は採用できず,被告人は,捜査段階において,本件凶器は「麺棒」であったと供述していたと認められる。

・※  しかし,本件凶器が「稜のある鈍体」であることは前記認定のとおりであり,また,Eは,B夫及びB妻のいずれの創傷も,麺棒による殴打で生じたものとは考えられない旨証言している。凶器が麺棒である旨の被告人の供述は,これと全く符合しない。

また,Cの証言によれば,B方居宅内には麺棒は1本しかなかったところ,その1本は台所横の納戸から発見されたのであり,麺棒が凶器である旨の被告人の供述は,この事実にも反する。この点,弁護人は,B方居宅内に存した麺棒が1本だけであったとは言い切れないと主張する。しかし,Cは,納戸に置いてあった麺棒は7年ほど前からB方で使用されているものであるところ,以前にはこのほかにもう1本麺棒があったが,それは2年ほど前にB方からC方に持っていったままになっており,その後もB方で新しく麺棒を購入したことはないと具体的,詳細に供述しているのであって,弁護人の主張は採用できない。

・※  また,被告人は,当公判廷においては,凶器は「麺棒らしき物」であると供述する。しかし,凶器を「麺棒」と断定していた捜査段階の供述を「麺棒らしき物」とその核心部分をあいまいなものに変遷させた理由について合理的な説明をしていない。

また,被告人は,当公判廷において,その「麺棒らしき物」の形状ついて手に持ったところが丸かったことは覚えているが,その他の箇所の形状については分からない旨あいまいな供述に終始している。しかし,後で検討するように,被告人が相当長時間本件凶器を手にし,しかもB妻を殴打した後に同人の頸部や手関節等を緊縛したり,室内を物色したりした際,凶器を一旦床などに置いて再び手に持ったりしているはずであることに照らすと,被告人が,「麺棒らしき物」の形状が分からないというのは明らかに不自然である。

・※  以上によれば,B夫及びB妻を殴打した凶器は台所にあった「麺棒」ないし「麺棒らしき物」である旨の被告人の供述は,到底採用することができない。そして,それが被告人が直接経験し,記憶違いや取り違え等はあり得ない事柄であることにかんがみれば,被告人は殊更虚偽の供述をしているものといわざるを得ない。被告人は,B方居宅内にあった物を凶器としたこと自体は,一貫して供述しているが,仮にそうであるとすれば,その凶器が何であるかをありのままに供述すればよいのであって,上記のような不合理な虚偽供述をすることは不可解としか言いようがない。しかも,本件については,捜査段階から本件凶器が何であるか,それが被告人が持ち込んだものであるかが,前記争点との関係で重点的に取り調べられ,公判段階においても,非常に重要な争点となっていたのであり,被告人自身もその重要性を認識した上で,取調べや公判審理に臨んでいたと考えられるところ,これにかんがみれば,被告人が不合理な虚偽供述に終始していることは,なおさら不可解というべきである。

そうすると,被告人が上記のような虚偽供述をしていることも,翻って本件凶器が被告人が持ち込んだ物であることを推認させる1つの事情であるということができる。

ウ  以上のように,本件凶器は,稜があり,相当な長さ,重量及び硬さを有する鈍体であり,その形状に合致するような物で本件後にB方居宅内から無くなったものはないことに加え,被告人が捜査,公判を通じ,虚偽供述に終始しているという事情も併せ見ると,本件凶器は,同居宅内に元々あった物ではなく,被告人が外から持ち込んだ物であること,すなわち,被告人は本件凶器をB宅に携行したことを推認することができる。

3  B妻の緊縛に用いられた針金について

・※  関係証拠によれば,次の事実が認められる。

ア  B妻の頸部,手関節,下腿部を緊縛していた針金は,いずれも太さ0.15センチメートルの指で軽く押すと曲がる程度の硬さの針金2本を,捩り合わせたものであって,その長さはそれぞれ順に,103センチメートル,115センチメートル,112センチメートルである。

イ  また,被告人宅からは,直径10ないし15センチメートルに巻かれた,上記針金と同種の針金の束と,鉄製のペンチが発見されているところ,上記3組の針金の切断面は,いずれも同ペンチで切断した場合の切断面と一致している。

・※  以上によれば,上記針金3組は,被告人があらかじめ自宅にあった針金の束からペンチで切断し,2本を1本に捩り合わせて成形したものであり,被告人は犯行当日B方を訪問する際にこれらを持っていたこと,被告人が同針金でB妻の頸部,手関節部及び下腿部を緊縛したことを認めることができる。

このように,被告人が携行した針金は,いずれも長さ1メートル余で,2本を捩り合わせてその強度を増強させたものであり,人を緊縛する道具として非常に有効な形状に成形されていること,被告人はそのような針金を少なくとも3組も携行していたこと,そして実際に被告人がこの針金をB妻の緊縛に使用したこと等に照らすと,被告人が同針金を携行していた目的は,B夫あるいはB妻を緊縛するためであったと考えるのが自然である。

・※  これに対し,被告人は,当時近所に住んでいたGに対する嫌がらせとして,同人のトラックの車軸に針金を巻き付けてブレーキを故障させようと考えており,針金はそのために準備し,持ち歩いていたものであると供述するので,この点について検討する。

ア  関係証拠によれば,被告人とGとの間には,次のようなトラブルがあったことが認められる。

・※  被告人は,平成13年ないし14年,Gに給料を支払って,自己がいわゆる持込み運転手として稼働していた有限会社Hの運送業務の一部を任せていた。ところが,平成15年4月ころ,Gが仕事中に人身事故を起こし,運転していたトラックも大破した。Gは,同年7月ころ仕事を辞めたが,事故から辞めるまでの間の給料については未払分があり,退職後何度か被告人に未払給与を支払うよう請求していた。

・※  平成18年12月16日,被告人は,同月21日までに未払給与を支払う旨の念書をGに交付した。しかし,被告人はその後も未払給与を支払わず,Gは,被告人宅駐車場に赤色のスプレーで「サッサと給料払え」などと落書きをしたり,玄関に看板を立て掛けたりするなどの嫌がらせをした。

イ  上記経緯にかんがみれば,被告人がGに対し何らかの仕返しをしたいと考えること自体はあり得ないことではないといえる。

しかし,Gのトラックのブレーキを故障させるために針金を持ち歩いていたという被告人の供述は,以下の理由から信用することができない。

・※  自動車販売会社に勤務し,自動車整備士でもある証人Iの証言によれば,トラックの車軸に針金が巻き付くことによってブレーキが故障することはほとんどあり得ず,実際にもそのような事例は報告されていないと認められる。そうすると,そもそも針金を車軸に巻き付けてブレーキを故障させるということは,実際にほとんど不可能である。そして,一般的に考えても特異な方法であり,そのようなことを考え付いたという被告人の供述は,それ自体にわかに納得し難いところがある。

・※  もっとも,不可能で特異な方法であっても,被告人が何かのきっかけで針金を車軸に巻いてブレーキを故障させられると信じ込むことはあり得る。しかし,この点についての被告人の供述は,以下のとおり不自然,不合理である。

被告人は,捜査段階において,針金でブレーキを故障させることを思い付いたのは,以前,自分の車のブレーキが効かなくなって修理業者に見てもらったところ,車軸に針金が巻き付いていたためブレーキが損傷したと言われた経験があったからであると供述し,その損傷に至ったメカニズムも一応説明している。しかし,被告人は,当公判廷では,修理業者に自らトラックを持って行ったのではなく,Hに持って行ったところ,Hの誰かから,ブレーキが針金で壊れたみたいだと言われたのであるが,前記Iの証言を聞いて騙されたと思った旨供述し,その供述を変遷させている。Gに対する嫌がらせを思い付いたきっかけとなるエピソードについて,特に針金でブレーキが故障したという話を誰から聞いたのかという核心部分について供述が変遷し,しかも全体的にその供述はあいまいになっている。

また,被告人は,針金の使い途についても,捜査段階ではブレーキを故障させることに特定して供述していたのに対し,当公判廷では「例えばブレーキを駄目にしようとか,フロントガラスを傷付けてやろうとか,いろんなことを思いましたけど」と拡散させて供述している。

・※  被告人は,本件の三,四日前(捜査段階供述)あるいは平成19年12月末(公判供述)に,針金を準備して,普段着用していた作業着のポケットの中に入れていたものの,Gのトラックの車軸に巻き付ける機会がないままポケットに入れ放しにしており,本件当日もそのままポケットに持っていたものであると供述している。被告人が捜査段階で供述する「作業着のポケット」が上着のポケットなのか,それとも当公判廷で供述するようにズボンのポケットなのかは明らかではないが,上着にしろズボンにしろ,少なくとも数日間針金をポケットの中に入れ放しにしていたという被告人の供述は,前記のような針金の形状に照らし,著しく不自然である。また,針金を準備した時期に関しても,上記のように明らかな供述の変遷が見られる。

・※  以上により,関係証拠から認められる事実関係に,被告人が明らかに不自然,不合理な供述をしていることも併せ見ると,被告人は本件針金をB夫及びB妻を緊縛する道具としてB宅に持って行ったと推認することができる。そうすると,被告人はB宅訪問時に,同人らの反抗を抑圧する意図を有していたものといわざるを得ない。

4  小括

以上検討したとおり,本件凶器は被告人が携行したものであること,また,B妻の緊縛に用いた針金については,まさにその目的のために携行していたものであることがそれぞれ認められる。なお,後者の針金携行の目的がB妻らを緊縛するためであったことは,前者の本件犯行に使用された凶器も被告人が携行したものであるとの推認をより強める事情であると評価することができる。

そして,このように,被告人がB夫及びB妻を緊縛する道具として針金を携行していたことや凶器となった鈍体を携行していたことに照らすと,被告人は,B宅訪問の時点で,強盗目的を有していたものと強く推認することができる。

5  被告人の経済状態について

・※  関係証拠によれば,被告人の本件犯行前の生活状況等について,次のような事実を認めることができる。

ア  被告人は,平成8年5月にJと再婚し,子供1人をもうけた。再婚後間もなく,Hにいわゆる持込み運転手として就職し,平成11年2月には,a市内に自宅を購入した。平成18年3月にHが倒産し,その後別の会社で稼働したこともあったが,平成19年1月以降は無職になった。なお,被告人は,平成18年7月ころからJと別居していた。

イ  被告人は,遅くとも平成10年ころから消費者金融から借金をするようになった。

また,被告人は,自宅を購入した際1500万円のローンを組んだが(月々の返済は約8万円),平成18年12月以降は返済をせず,平成19年12月16日代位弁済をした保証会社から,同月23日までに連絡がない場合には被告人宅を競売にかける旨の連絡を受けていた。なお,同日時点での残元本は約1000万円であった。

被告人は,平成18年以降,生命保険,国民年金,固定資産税,携帯電話料金等を滞納し,平成19年1月1日携帯電話を解約され,同年2月21日までに携帯電話料金を支払わなければ法的措置をとる旨を通知されていた。

ウ  同年2月に入ると,被告人は,近所の家に飲みかけのブランデーや焼酎を持って赴き,代わりにカップラーメン等の食料品をもらったり,Jが留守のところを同女宅に上がり込み,子供の夕食を食べたり,カップラーメン等の食料品を持ち去るなどするようになった。また,同月15日には,近所に住むA方を訪れ,「良い仕事がある」などと言って同人宅に上がり込み,昼食や夕食を御馳走になった上,同人のいない隙に現金約1万円等を窃取した(第1の窃盗の事実)。その後,被告人は自宅に帰らず,車に寝泊まりするようになった。さらに,Jの父親に自己の所有する釣り竿2本を1万円で買ってもらったり,借金の申込みをして断られたりした。そして,本件前日である同月20日には,パチンコ店で知人からパチンコ玉をもらうなどしてタバコやカップラーメン等と交換した。

・※  以上によれば,本件当時,被告人は経済的に相当困窮し,食べるに困るほどの状態であったと認めることができる。なお,証拠により被告人の収支をたどると,被告人はB宅訪問時,多くて8500円の所持金を有していた可能性が存する。しかし,これは裏付けのある支出のみを集計して算出した結果であり,裏付けのない支出も存在することが通常であるから,当時8500円を持っていた可能性が高いなどとは到底いえない。上記認定の被告人の行動に照らせば,被告人が食べるに困るほど切迫した経済状態であったと推認し得るところ,上記のようにB宅訪問時に8500円を所持していた可能性が残ることによって,この推認が左右されるものではない。

このように,被告人は,本件当時,食べるに困るほどの窮迫状態にあったのであり,このことも,被告人がB宅を訪問した時点で強盗目的を有していたことを推認させる1つの事情であるということができる。

6  物色状況及び奪取した金品について

・※  物色状況

ア  関係証拠によれば,本件直後のB方居宅内の状況について,次の事実を認めることができる。

・※  B方居宅内の概況

B方居宅は木造2階建ての建物であり,玄関は1階南側にある。玄関を入ると玄関ホールがあり,その東側は8畳居間,西側は8畳和室となっており,また,玄関ホールの北側突き当たりには2階へ通じる階段がある。8畳居間の北側には台所がある。8畳和室の西側には6畳和室があり,北側には1階北西に位置する4畳半洋室に通じる廊下がある。8畳和室及び6畳和室の南側は縁側になっている。B夫の死体は1階8畳居間,B妻の死体は1階8畳和室でそれぞれ発見された。

・※  1階8畳居間の状況

同室東側北寄りには上下段に分かれた戸棚が備え付けられており,下段の引き戸は開いていた。そして,同引き戸表面には,飛沫血痕が多数付着しているのが認められる一方で,同戸棚内部の物やその床面には血痕の付着は認められなかった。

同室東側南寄りには地袋が備え付けられており,その引き違い戸は,北側,中央付近,南側の3か所が開いていた。そして,引き戸の表面にはいずれも飛沫血痕の付着が認められる一方で,地袋内部の物及びその床面には血痕の付着は認められなかった。

同地袋内部の北側には小引き出し箪笥が2つ置かれており,うち1つについては,3つの小引き出しがすべて引き抜かれ,引き抜かれた小引き出しのうち1つは地袋上に,2つは畳上等に置かれていた。地袋上に置かれていた小引き出しの下には飛沫血痕の付着が認められる一方で,同引き出しには血痕の付着は認められなかった。畳上に置かれていた小引き出しの周辺には,薬袋が入ったレジ袋等が散乱しており,同小引き出しの下の畳には血痕の付着が認められた。

同室内北側東寄りの戸棚の手前には電気ポットが乗った卓上ワゴンが置かれており,同ワゴン上段の引き戸は開いており,また,下段の小引き出しも引き出されていたが,その内部に血痕の付着は認められなかった。

・※  1階8畳和室の状況

同室北東にはサイドボードが置かれており,その下段の引き戸は開いていた。

同サイドボード表面には,飛沫血痕が多数付着しており,その下段引き戸の内部には飛沫血痕の付着が認められた。

同室南側の座椅子付近には,郵便貯金総合通帳及びその袋(破れたもの)が放置されており,いずれも血痕が付着していた。

・※  1階6畳和室の状況

同室南東隅には整理ダンスが置かれており,最上段右側の引き出しが引き出されていた。同引き出し内部には血液様の接触痕が2か所認められた。一方,閉まっていた最上段左側の引き出しに対しルミノール化学発光検査法及びロイコマラカイトグリーン法による血痕予備検査を行ったところ,陽性反応が認められた。内部にはパンフレット,封書類,郵便貯金通帳の袋等が収納され,ここにも血液様の接触痕が認められた。

イ  以上をもとに,被告人の物色状況について検討する。

上記室内の状況に照らすと,1階8畳居間の戸棚,地袋及び卓上ワゴン並びに1階6畳和室南東隅の整理ダンスは,被告人が,B夫又はB妻の殺害後に物色したものと認めることができる。

1階8畳和室南側の座椅子付近に放置されていた郵便貯金総合通帳及びその袋は,被告人が物色したいずれかの場所から取り出し,放置したものと認められる。

なお,同室北東にあるサイドボードについては,内部にも飛沫血痕が付着していることに照らすと,被告人が物色のために開けたと特定することはできない。

・※  被告人が奪取した金品について

ア  前記5で検討したとおり,本件当時被告人は経済的に相当困窮していたといえるところ,関係証拠によれば,被告人がB方居宅を訪れた時に,所持金は,多くとも8500円程度であったことが認められる。そして,被告人は,本件後,領収書が残っているなどしているものだけでも,本件直後にガソリン代5349円,高速代金1500円,健康ランドの利用料金3660円,平成19年3月1日にガソリン代1241円の合計1万1750円を費消していることが認められる。本件犯行日から被告人が逮捕された同月5日まで約2週間あり,その間当然に前記出費のほか食費等もかかっていること,被告人が本件当日は1日だけで1万円余り費消していることなどの事情に照らすと,被告人は1万1750円を優に越えて費消しているものと推認できる。そうすると,被告人はB方居宅内で少なくとも1万円を奪ったものと考えるべきである。

イ  ところで,Cは,B夫は黒色2つ折りの財布(以下「本件財布」という)を使用しており,普段決まって,本件財布を自動車の鍵と共に1階8畳居間の前記地袋上に置いていたが,本件の後,警察官から同財布がないと言われ,自分でも家中を確認したが,結局見付からなかった旨を証言する。これによれば,本件後にB方居宅内から本件財布及び自動車の鍵が無くなっていた事実を認めることができる。

また,Dは,本件当日の朝,B夫に最寄り駅まで車で送ってもらった際,同人から「お小遣い必要か」などと言われ,その際同人が本件財布を手に持っていたことを証言している。Dの供述は具体的であり,その信用性に特段疑問を挟み込むような事情は認められない。よって,本件当日の朝の時点では,B夫は本件財布及び自動車の鍵を持っていたことが認められる。

そうすると,本件当日の朝にはB夫が所持していた本件財布及び自動車の鍵が,本件後には無くなっていたということになるが,前記認定のとおり,B夫が普段本件財布及び自動車の鍵を置いていた地袋周辺を被告人が物色しているのであるから,被告人がこれらを奪い取ったものと見るのが自然である。そして,B夫は普段本件財布の中に三,四万円入れていたこと,本件当日もDに小遣いを上げようとしていたことに照らすと,同財布の中には,千円単位の金額ではなく,少なくとも1万円は入っていたと考えるべきである。

・※  以上のように,被告人は,B夫及びB妻を殺害した後,実際に戸棚やタンスの引き出し等,金目のものが保管されていそうな場所を物色し,本件財布等を奪っているのであり,この事実は,被告人がB宅訪問時に強盗目的を有していたことに沿うものということができる。

7  被告人とB夫妻との従前の関係及び本件当日訪問した際の状況について

・※  関係証拠によると,次の事実を認めることができる。

ア  B宅は被告人宅の2件隣に位置する。被告人とB夫妻は,互いに食べ物をお裾分けするなどのごく普通の近所付き合いをしていた。

イ  平成18年5月ころ,被告人はB夫に対し,「運転手が新潟で事故を起こして怪我をしてしまったので,行ってやらなければならない」などと嘘を言って,同人から10万円を借りた。これについて被告人は,一部は返済したと供述するが,全額返し切れてはいない。

ウ  被告人は,本件当日,昼ころにB宅を訪問し,B夫及びB妻と共にラーメンを食べた。その後,B妻が畑仕事等のため外に出たところで,被告人はB夫殺害に及んだ。

・※  以上のように,B夫妻とは従前から近所付き合いをして顔見知りだったこと,好意で10万円を貸してもらったこともあったこと,本件当日も昼に訪問し3人でラーメンを食べるなど,当初は平和的な態様で訪問していることといった事情は,一見,被告人がB宅訪問当初から強盗目的があったことにそぐわない事情とも考えられ,むしろ借金を申し込むために訪問したという被告人の供述に沿う事情ということもできる。

しかし,上記のような平和的ともいえる訪問状況も,犯行を行う意図があったことと直ちに矛盾するものとはいえない。平和的に訪問し,食事を御馳走になるなどして空腹を満たしてから犯行に及ぶ,あるいは,借金を申し込んで駄目だったら強盗をしようと考えるということは,あり得るのである。前記認定のとおり,被告人は本件前相当に困窮しており,既にA方で窃盗を行い,家に帰らず車中で寝泊まりしていたのであり,前記B夫及びB妻との関係を勘案しても,強盗をしてでも財物を奪取したいとの考えを抱くことは十分あり得たと認められる。そうすると,被告人とB夫妻との従前の関係や本件当日の訪問状況が,被告人に訪問時強盗目的があったということを否定する事情であるとはいえない。

8  強盗の犯意についてのまとめ

以上検討したとおり,本件は,食べるに困るほど窮迫していた被告人が,稜があり,相当な長さ,重量及び硬さを備えた鈍体を持ち,針金を人を緊縛する道具として使うつもりで携えてB宅を訪れ,その鈍体を用いてB夫を殺害し,その針金でB妻を緊縛した上,同鈍体で同女を殺害し,その後居宅内を物色し,実際に財布等を奪取した事案である。これら諸事情を勘案すると,被告人は,B宅訪問時において,強盗目的を有していたものと優に推認することができる。

もっとも,被告人の困窮度合いは,食事をするのにも困る程度のものであり,被告人宅のローンの支払にまで考えが及ぶ状況であったとは考え難いこと,強盗の対象として選んだのが個人宅であり,検察官の主張するような「ある程度まとまった金」が居宅内に存在する蓋然性が高いとはいえないこと,B方居宅内の物色状況を見ても,8畳居間の一部分と6畳和室の整理ダンスに止まるものであって,徹底的に物色を行ってはいないこと(なお,被告人が物色していない1階4畳半洋室には相当な現金が残されていた)などの事情に照らすと,その強盗目的の具体的内容については,検察官が主張するような「ある程度まとまった金」を奪う確固たる目的があったとまでは認められず,せめて食費やガソリン代等の当面の生活費を得ようとの目的であったと認めるのが相当である。

また,被告人がB宅を日中訪問し,ラーメンを食べるなどしていること,以前もB夫及びB妻から借金をしたことがあったこと等にかんがみると,確定的な強盗目的のみを有して被告人がB宅を訪問したとまで認定するのには疑問があり,借金を申し込もうと考えていたとの被告人の供述は一概にこれを排斥することができない。そうすると,被告人は訪問当初,当座の生活費を得るため,まずは借金を申し込み,断られたら鈍体や針金でB夫らの反抗を抑圧するなどして金を強取しようとの,多分に未必的な犯意を有していたものと認めるのが相当である。

9  殺意の発生時期及びその内容について

・※  関係証拠によると,被告人は,B夫及びB妻のいずれに対しても,ある程度の作用面を有する稜のある鈍体で,その頭部や顔面を複数回,相当の力をもって殴打したことが認められるのであり,このような犯行態様に照らすと,被告人が,両名を確定的で強固な殺意を持って殺害したことは明らかである。

・※  次に,被告人に殺意が生じたのはいつの時点であるか検討する必要があるところ,これについて検察官は,B宅訪問時において,被告人は,B夫及びB妻を殺害して金品を強取することを計画していた旨主張している。

確かに,前記認定のとおり,被告人が本件凶器となった殺傷能力のある鈍体を携行していること,また,被告人がB夫妻と顔見知りであり,同人らに対して犯行を行えば,犯行発覚のためには口封じをする必要があるとも考えられることは,一応検察官の主張に沿う事情といえる。

しかし,被告人が本件凶器として用いたのは鈍体であって,刃物に比べると殺害の確実性は劣るといわざるを得ず,殺害まで計画していたとするならば,準備する凶器としては余り適当でないといえる。また,被告人は本件前に,A方で明らかに被告人が犯人であることが後に知られてしまう状況下でも窃盗行為に及んでいることに照らすと,B夫及びB妻が顔見知りだからといって口封じのため殺害を計画するのが当然とまではいい切れない。そうすると,これらの事情は,B夫及びB妻を未必的にでも殺害することを計画していたと推認させるには足りないものといわざるを得ない。

むしろ本件では,たまたま途中B妻が外に出て,被告人は順次両名の殺害を遂げたのであるが,本来は白昼夫婦2人がいる家を訪問して,強盗殺人を完遂するには相当な困難が伴う状況であったといえる。もし被告人が,当初から未必的にであれ強盗殺人を行う決意をもってB宅を訪問したのであれば,犯行全体について詳細な計画を立てて臨むことが当然と思われるところ,本件で被告人は針金と鈍体を携行しただけで,その余の備えをした形跡は認められない。実際にも被告人は,素手で両名を殺害し,B妻の緊縛にはその場にあったナップザックの紐も用いるなどし,素手のまま物色を行い,その物色も十分行わないまま,足跡痕や指紋などの痕跡を多々残しつつ逃走したのであって,逐一詳細に計画して犯行に臨んだとは到底思われない。むしろ,前記のとおり多分に未必的な強盗目的のもと,粗雑な計画のみでB宅を訪問したと考えるのが自然である。

よって,被告人がB方居宅訪問時において,B夫及びB妻を殺害することまで計画していたという検察官の主張は採用できない。

そうすると,まず,B夫に対しては,前記のように,被告人が,鈍体や針金を携行し,その反抗を抑圧してでも金品を奪取しようとの強盗目的を有してB宅を訪問していたことは明らかであるから,被告人は,この当初の目的のもとにB夫を殺害したものと認められる。なお,被告人は,B夫から借金を断られ,さらに「お前が死んだら保険金が出る」などと言われたため激高し,咄嗟に殺意を生じたのであって,強盗目的は伴っていない旨弁解するが,強盗目的に関するこれまでの検討に照らし,また,被告人の本件犯行の状況に関する供述が全般的に信用性に乏しいことも併せると,上記弁解は採用の限りではない。

一方,B妻については,強盗目的を有していた被告人がB夫を殺害した後,自宅に戻ってきたB妻にB夫殺害を知られ,当初の強盗目的を達成するとともに,口封じのために殺害を決意したと考えるのが自然である。

・※  総括

以上のとおり,被告人に対しては,B夫及びB妻に対する強盗殺人罪が成立する。なお,被告人がB方居宅から強取した金額については,被告人の物色状況や本件後の被告人の行動等に照らすと,約1万円であったと認定するのが相当である。

(法令の適用)

罰条

第1の行為  刑法235条

第2の各行為  各被害者ごとにいずれも刑法240条後段

刑種の選択

第1の罪  懲役刑

第2の罪  いずれも無期懲役刑

併合罪の処理  刑法45条前段,46条2項本文,10条(犯情の重いB妻に対する強盗殺人罪について無期懲役刑に処するので,他の刑は科さない)

未決勾留日数の算入  刑法21条

訴訟費用の不負担  刑事訴訟法181条1項ただし書

(量刑の理由)

1  本件は,被告人が,知人方において約1万円等を窃取した窃盗(第1の事実),知人夫婦から金員を強取しようと企ててその家を訪れ,同人らを殺害し,現金約1万円を強取した2名に対する強盗殺人(第2の事実)の事案である。

2  まず,第2の強盗殺人について検討する。

・※  被告人は,平成18年3月に勤務先会社が倒産したが,同年6月には新たな稼働先に就職し,ある程度の収入を得ていたにもかかわらず,同年12月にはさしたる理由もなく退職し,平成19年1月からは収入が途絶えてしまった。住宅ローンの返済はもちろん,国民年金保険料や水道料金の支払もできなくなり,挙げ句には,食費等の生活費にも事欠くほどの窮迫状態に陥り,当面の生活資金を得るべく,本件強盗殺人の犯行に及んだ。

このように,犯行の動機は,食事にも困るほど経済的に逼迫するなか,食費等の当面の生活資金を得るためであったと認められるが,そもそも被告人がそのような窮迫状態に陥ったのは,投げやりで無計画な生活の結果というべきであり,それを何ら落ち度のないB夫妻に対する凶行によって解消しようとしたのは,何とも短絡的で身勝手というほかなく,その動機に酌量の余地はない。

・※  被告人は,鈍体と針金を携えてB宅に赴いており,特に針金は,1メートルほどの針金2本を捩り合わせたものであって,強盗については計画的な犯行といえる。

殺害の態様を見ると,B夫については,こたつに入って座っていた同人の頭部等をいきなり所携の鈍体で殴打し,同人が仰向けに倒れ込んだ後も,その顔面を目掛けて何度も鈍体を振り下ろして殴打し続け,同人を絶命させた。B妻については,同じく鈍体でその頭部を殴打し,同女が倒れた後もその頭部等を殴打し続け,血だらけで倒れている同女を引きずって移動させた後,準備していた針金等でその手足及び頸部を緊縛し,金員のありかを聞き出そうとしたものの,同女が答えなかったことから,さらにその顔面等を殴打し続け,同女を絶命させた。このように,各殺害の手段方法は,執拗かつ残虐である。両名の遺体は,いずれも血だらけで,顔面は無惨にも腫れ上がって生前の面影を残さないほどに変形し,また,頭部及び顔面には多数の創傷と強度の骨折が認められる。各遺体の周辺には,大量の血が流れ,さらに周囲の障壁や天井にまで血が飛散しており,まさに目を覆わんばかりの凄惨さである。

そして,被告人は,B夫及びB妻の殺害後,6畳和室の整理ダンスを物色したほか,8畳居間の戸棚や地袋を物色しているが,同地袋の前には血だらけのB夫の遺体が横たわっていたのであって,その状況を思い浮かべると戦慄を覚えざるを得ない。

・※  被告人の凶行により,2名の尊い命が奪われたのであって,この結果自体が極めて重大であることは論をまたない。

B夫の遺体を見ると,腕の骨折など,被告人の攻撃を受け,血を流しながらも懸命に我が身を守ろうとした跡がある。B妻については,手足を緊縛され我が身を守ることすらできない状態で,殴打され続けたのである。絶命に至るまでの,両名が受けた苦痛,恐怖,絶望感は,甚大であったと推測される。

B夫及びB妻は,本件現場となった自宅において,娘や孫らとの交流を楽しみにしながら日々の生活を穏やかに過ごしていた。そのような中,以前から近所付き合いがあり,金銭を貸すなどもしていた被告人から,突如上記のような仕打ちを受けたのである。可愛がっていた孫らの成長を見届けることもなく,理不尽にも生命を奪われた両名の無念さは,察するに余りある。

・※  B夫及びB妻の遺族,殊に,第1発見者となって凄惨な現場を目の当たりにしたC及びDが受けた精神的衝撃は,計り知れない。Cは,2人の子供を1人で育てながら,週二,三回の割合で実家を訪れ,両親から心優しい援助を受け,愛情を注がれていた。同女は,事件後,突然現場の場面が頭に浮かんできてしまうことがあるというのであり,その受けた衝撃の大きさが思いやられる。また,Dも,事件後,人に対する怖さから,暫く学校に行くことができなかったというのである。C及びDは,当日B妻の誕生日を祝うのを楽しみにしていたのであり,偶然とはいえ余りにむごい結果といわなければならない。

Cは,当公判廷において,「あの日から私達家族は,いて当たり前だった両親がいなくなり,心に大きな穴があいてしまい,両親がいないということが今も受け入れられません」などと,突然両親を失った深い悲しみ,喪失感を述べた上で,被告人に対して「あなたには死刑を望みます」「あなたには,つらい苦しい思いをしてほしい。両親が感じたつらい思いを,あなたにもしてほしい」などと極刑を望む旨を訴え,峻烈な処罰感情を表明している。「今一つだけ願いを叶えてくれるなら,両親に会いたいです。会わせてください」との同女の悲痛な叫びは哀切極まりなく,事件から1年余りを経た現在においても,その深い悲しみが癒えることはない。また,D及びその妹並びにB夫妻の長男も,C同様,いずれも被告人に対して極刑を望む旨を述べている。

・※  被告人は,犯行後,殺害に用いた凶器等を投棄するなどの証拠隠滅行為に及んだほか,2週間近く逃亡を続けていたのであり,事後の行動も芳しくない。

また,被告人は,逮捕後,B夫及びB妻を殺害したこと自体は一貫して認めているものの,現金を奪ったことについては当初は否認し,レシート等の客観的な証拠を見せられてようやくこれを認めるに至った。しかしなお,B夫の殺害より前に強盗目的を有していたことは否認したままであり,両名の殺害に用いた凶器についても,針金を所持していた理由についても,不合理な虚偽供述を繰り返しているほか,犯行の具体的状況について,殊更あいまいな供述に終始しており,自己の罪責をありのままに見つめ直し,真摯に反省しようとする態度は窺われない。

・※  本件強盗殺人は,夫婦2名が自宅で惨殺された事件として広く報道され,殊に近隣の住人に対しては,多大な不安感と恐怖感を与えたのであって,その社会的影響は重大というべきである。

3  第1の窃盗についても,当面の生活資金を得るための犯行であると認められ,その経緯,動機に特段斟酌すべき事情はなく,また,被害額も約1万円と少なくない。被告人を信用して自宅に招き入れた被害者の憤りは大きく,被告人に対する厳重処罰を望んでいる。

4  以上検討した事情,特に,強盗殺人における殺害の手段方法の執拗性・残虐性,結果の重大性,遺族の被害感情等にかんがみれば,被告人の刑事責任は極めて重いというべきであり,極刑をもって臨むほかないとする検察官の意見には相応の理由があると思われる。

しかしながら,死刑が真にやむを得ない場合において選択すべき究極の刑罰であることにかんがみると,被告人に対し死刑をもって臨むか否かについては,さらに慎重に検討を加える必要がある。

5  そこで,更に検討すると,被告人のために斟酌し得る次のような事情がある。

・※  まず,動機に酌量の余地がないことは前記のとおりであるが,本件各犯行は生活苦によるものであり,遊興や放蕩によるものとはその悪質さにおいて差異があるといえる。検察官は,被告人がパチンコ好きである旨を指摘するが,これが経済的破綻の主な原因であったとはうかがわれない。そして,被告人は,釣り竿を売ったり,パチンコ玉をもらって食料品と交換するなど,耐乏生活を一定期間続けており,困窮するや躊躇することなく直ちに強盗殺人の犯行に及んだとまで断ずることはできない。

・※  前記「争点に対する判断」で示したとおり,被告人はあらかじめ鈍体や針金を準備した上でB宅を訪れており,強盗の限りでは計画性が認められるものの,被告人が当初から両名を殺害することまで計画していたとは認められず,強盗殺人が計画的であるとの検察官の主張は採用できないのである。

さらに,強盗の計画性について見ると,被告人は,緊縛のために準備した針金をB夫には使用することなく同人を殺害し,B妻も殺害した後,金品の物色もそこそこにして,指紋や足跡痕を残したまま逃走しているのであって,緻密さや周到さに欠けるところがあったことは否定できない。そして,それは,前記のとおり,当初は借金を申し込むつもりもあり,強盗目的自体が確定的でなかったことのあらわれと見ることができるのである。

B夫及びB妻の殺害についても,被告人が自己の痕跡を残したまま現場を離れていることに照らすと,口封じの必要を冷然と計算して敢行したものと断ずることはできないし,殺害の態様が執拗かつ残虐になったのは,一旦殴打行為を開始した後,無我夢中で歯止めが効かなくなった側面が存することも否定し難い。そうすると,B宅での犯行が重大な結果に至ったのは,現場における成り行きや暴走によるところも手伝っていると見られるのであり,それは被告人の粗暴で投げやりな人格に負う面が大きいと考えられ,それ自体責められるべきは当然であるけれども,本件強盗殺人が,金品を強取するために被害者を殺害することを事前に計画した上で,その計画に基づき冷然と犯行を完遂した事案とは,様相を異にすることは看過できないのである。

さらに,犯行後の証拠隠滅行為も,殺害に用いた凶器等を捨てたにとどまっており,これをもって,他の事案と比較して殊更悪質であると評価することはできない。

・※  被告人の捜査段階及び当公判廷での供述態度については,自己の罪責に正面から向かい合わず,半ば投げやりな態度に終始しており,真摯な反省の情が窺われないのは前に指摘したとおりであるが,被告人は,不十分ながら後悔や謝罪の気持ちを表し,「極刑をもって償いたい」と述べ,また,写経をしてB夫及びB妻の冥福を祈っているというのであり,これらが,検察官の主張するように,単に口先だけのもので,被告人には反省悔悟の情が皆無であると断じ切ることはできない。被害者夫婦及びその遺族の心情を考えれば,被告人の反省の態度は余りにも表面的であり,これを過大に評価すべきでないことは当然であるが,被告人に死刑を選択するか否かを検討するに当たっては,なお考慮すべき事情であるといえる。

・※  被告人は,各犯行時は61歳であったところ,成人してからは業務上過失傷害罪による罰金1犯以外に前科はない。何度か職を転々とはしたものの,真面目に稼働し,Hでは営業所所長という責任ある地位を得ていた。結婚して子供をもうけるなど,通常の社会生活を送り,第1の窃盗に及ぶまで,犯罪とは無縁な生活を送ってきたものである。そうすると,被告人は,反社会的性格が強く,犯罪的傾向が顕著であるとまで断ずることはできない。

6  以上を踏まえて,今一度被告人の量刑について検討すると,確かに被告人の罪責は極めて重大であり,死刑を選択することが考えられないではないが,上記のような被告人のために斟酌し得る事情にかんがみれば,被告人に対し極刑をもって臨むほかないと結論付けることには躊躇を覚えざるを得ない。むしろ,被告人には,自己の罪責を厳粛に受け止めさせた上,その終生をかけて被害者夫婦の冥福を祈らせ,反省と悔悟の日々を送らせるべく,無期懲役に処するのが相当であると判断した。

(求刑 死刑)

(裁判長裁判官 飯田喜信 裁判官 岡部純子 裁判官 長橋政司)

<編注:『※』部分は原文のとおり。>

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