さいたま地方裁判所 平成19年(ワ)381号 判決 2007年8月17日
主文
1 被告は,原告に対し,72万5000円及びこれに対する平成19年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,これを5分し,その1を被告の,その余を原告の負担とする。
4 この判決は,第1項につき,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告に対し,374万6300円及びこれに対する平成19年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件は,法律事務を弁護士に委任した原告が,弁護士である被告に対し,(a)委任契約の解除に基づく原状回復として支払った金員の返還,及び,(b)委任契約の債務不履行に基づく損害賠償の支払を求めた事案である。
2 被告は,公示送達による適式な呼出しを受けたが,本件口頭弁論期日に出頭せず,答弁書その他の準備書面を提出しない。原告は,請求原因として次のとおり述べた。
(1) 委任契約の締結
原告は,弁護士である被告との間で,以下のとおり,委任契約を締結した(以下,その順に応じて「本件委任契約1」などと略称し,3つの委任契約を「本件各委任契約」と総称する。)。
ア 日時 平成16年10月28日
委任事務の内容 元妻に対する刑事告訴
イ 日時 平成16年11月10日
委任事務の内容 有限会社Aによる給与債権差押えに対する請求異議の訴え(以下「請求異議事件」という。)
ウ 日時 平成16年12月26日
委任事務の内容 元妻が無断で行った簡易保険解約返戻金担保の借入れ(253万円)の無効確認の訴え(以下「債務不存在確認事件」という。)
(2) 金員の交付
原告は,被告に対し,以下のとおり,金員を交付した。
ア 本件委任契約1につき,平成16年11月10日に実費として2万円,その後,着手金として25万円
イ 本件委任契約2につき,平成16年11月11日に着手金・実費として22万円
ウ 本件委任契約3につき,平成16年12月27日に着手金・実費として23万5000円
(3) 被告の債務不履行
被告は,本件各委任契約に基づく債務の履行((a)原告の元妻に対する刑事告訴,(b)給与債権差押えに対する請求異議の訴えの提起,(c)債務不存在確認訴訟の提起等)をしなかった。
(4) 履行の催告
原告は,被告に対して,本件各委任契約締結以降,本件各委任契約に基づく債務を履行するように催告した。
(5) 解除の意思表示
原告は,被告に対し,平成19年6月13日送達の本件訴状をもって,本件各委任契約を解除するとの意思表示をした。
(6) 損害の発生
ア 財産的損害
(ア) 本件委任契約2の債務不履行に関して
Aが行った給与債権差押手続(請求債権額は25万0300円)は,明らかに原告以外の第三者が作成した執行証書を債務名義とするものである。その執行証書の筆跡が原告のものと異なっていることからすれば,被告が速やかに対応していれば差押えを回避することが可能であった。しかし,原告は,被告の債務不履行により,上記請求債権額について給与債権の差押えを受ける結果となり,25万0300円の損害を被った。
(イ) 本件委任契約3の債務不履行に関して
原告は,被告から,「印鑑証明書の交付を求めずに貸し付けた253万円については,70%の確率で勝訴できる」旨説明され,これを信用して,本件委任契約3を締結したものである。しかし,原告は,被告の債務不履行によって,期待した得られるべき利益,すなわち,253万円×70%=177万1000円を得られないこととなり,同額の損害を被った。
イ 精神的損害
(ア) 本件委任契約2の債務不履行に関して
原告は,Aからの給与債権差押えを回避する支払能力は十分あったが,給与債権の差押えが自らの名誉に関わる問題と考えたため,本件委任契約2を締結した。しかし,被告が何ら対処をしなかったため,給与債権の差押えが実行され,そのことが原告の職場の同僚に知れ渡り,多大な精神的苦痛を味わった。
(イ) 本件各委任契約についての被告の不誠実な対応に関して
被告は,原告から本件各委任契約に関して再三にわたる事情説明の要請を受けたにもかかわらずこれに応じず,埼玉弁護士会を通じた紛議調停手続にも全く出頭しなかった。その後の被告の対応も不誠実極まりなく,原告が受けた精神的苦痛は甚大である。
(ウ) 以上の原告が被った精神的苦痛を慰謝するために必要な金額は100万円を下らない。
(7) よって,原告は,被告に対し,本件各委任契約の解除に基づく原状回復請求権に基づき,交付した金員合計72万5000円,及び,本件各委任契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき,慰謝料等302万1300円の合計374万6300円並びにこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成19年6月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第3当裁判所の判断
1 本件各委任契約の解除に基づく原状回復請求権について
証拠(甲1~甲9)及び弁論の全趣旨によれば,上記第2・2の(1),(2)及び(4)の事実を認めることができ,同(5)の事実は当裁判所に顕著である。
上記の事実によれば,原告は,被告に対し,本件各委任契約の解除に基づく原状回復請求権に基づき,交付した72万5000円を返還を求めることができる。
2 本件各委任契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権について
(1) 証拠(甲7,甲8)によれば,本件各委任契約について被告の債務不履行の事実(上記第2・2の(3))を認めることができる。
(2) 財産的損害に係る請求
ア 原告の主張する財産的損害は,委任した各事件の勝訴を前提としている以上,被告の債務不履行と財産的損害との間の因果関係を肯定するためには,被告が債務の本旨に従った履行を行っていれば,委任された事件について,原告が勝訴する見込みがあったと認められなければならないというべきである。
しかしながら,本件において提出された証拠すべてを検討しても,請求異議事件及び債務不存在確認事件について,原告が勝訴する見込みがあったと認めるに足りる証拠はない。
よって,被告の本件委任契約2及び3の債務不履行と原告主張の財産的損害との間には因果関係は認められず,原告の財産的損害に係る請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がない。
イ なお,原告は,債務不存在確認事件に関して,70%の確率で勝訴する旨の被告の言を信じて本件委任契約2を締結した旨主張しているが,この主張には,本件委任契約2を締結するという財産的利益に関する意思決定を侵害したことに係る不法行為に基づく慰謝料請求をする趣旨も含まれているように思われる。
しかし,委任契約を締結するか否かの意思決定は,生命,身体等の人格的利益に関するものではなく,財産的利益に関するものであることにかんがみると,被告の上記発言を含む契約締結行為自体が不法行為を構成する等の特段の事情のない限り,慰謝料の発生を肯認しうる違法性を認めることはできないというべきである(最高裁平成15年12月9日第三小法廷判決・民集57巻11号1887頁参照)。そして,本件においては,上記特段の事情を認めるに足りる証拠はないから,この点についての原告の主張も理由がない。
(3) 精神的損害に係る請求について
ア 本件委任契約2の債務不履行に関して
原告は,給与債権の差押えを職場の同僚に知られたことにつき慰謝料を請求し,その前提として,差押えを回避するための支払能力があったのに,自分の名誉のためにあえて被告に委任した旨主張する。
しかし,差押えを回避する資力がありながら,自らの意思で訴訟による決着をつけるべく被告に請求異議事件を委任したのに,被告が請求異議訴訟を提起せず,結果として差押えを回避することができずに,差押えの事実を職場の同僚に知られ,精神的損害を被ったというのであれば,原告の資力に関する事情とは関わりなく,もっぱら被告の債務不履行と上記結果との間の因果関係が認められなければならないというべきである。そして,この因果関係を認めるためには,上記(2)の場合と同様に,請求異議事件につき勝訴の見込みがあることが前提になるというべきである。しかるに,本件においては,上記(2)に判示したとおり,それを認めるに足りる証拠はないから,この点についての原告の主張も理由がない。
イ 本件各委任契約についての被告の不誠実な対応に関して
証拠(甲7,甲8)によれば,被告は,原告からの再三の事情説明の要請にも応じず,埼玉弁護士会を通じた紛議調停手続にも全く出頭しなかったことが認められる。そうすると,弁護士である被告を信頼して本件各委任契約を締結した原告が,被告による本件各委任契約に基づく債務不履行によって,その信頼を反故にされ,精神的苦痛を受けたことは想像に難くない。
しかし,当該債務不履行について,どれだけの慰謝料を支払うのを相当とするかは,裁判所が弁論に顕れた一切の資料に基づいて判断すべき事項であるところ,弁護士としての職責を放棄した被告による債務不履行の態様は悪質というべきであるが,原告は,本件各委任契約が被告の債務不履行に基づいて解除されることにより,原状回復請求権に基づき既に交付した72万5000円の返還が認められること,原告が被った精神的苦痛は,財産的利益を目的とした債務の不履行に基づくものであること等の事情に照らせば,原告の精神的苦痛は,既払金の返還によって回復されるものと評価すべきであって,別個に慰謝料請求権を認める特段の事情はないというべきである。
3 結論
以上によれば,原告の本件請求は,72万5000円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成19年6月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 近藤壽邦 裁判官 河本晶子 裁判官 多々良周作)