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さいたま地方裁判所 平成19年(ワ)537号 判決 2009年12月16日

主文

1  被告は,別表1「原告」欄記載の各原告に対し,同表「認容額」欄記載の各金員を支払え。

2  原告A4の請求,同原告以外の原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,別表2のとおりの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告は,原告A1に対し,4801万8898円及びこれに対する平成17年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告A2に対し,2956万9099円及びこれに対する平成17年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告A3に対し,393万6000円及びこれに対する平成17年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4  被告は,原告A4に対し,393万6000円及びこれに対する平成17年8月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。(原告らの平成20年12月3日付け請求拡張申立書に,原告A1及び原告A2の各附帯請求の始期について,いずれも「平成18年8月10日」とあるのは,「平成17年8月10日」の誤記と認める。)

第2事案の概要

本件は,上尾市立上尾保育所(以下「上尾保育所」という。)内で熱中症により死亡したB(当時4歳5か月)の両親及び祖母らが,Bが死亡したのは,担任保育士らの児童動静把握義務違反ないし捜索活動上の注意義務違反等の重過失に起因するとともに,上尾保育所長の指導監督義務違反の過失に起因すると主張して,同保育所を運営・管理する被告に対し,国家賠償法1条1項に基づき,上記死亡事故によって被った損害及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。これに対し,被告は,担任保育士ら及び上尾保育所長に過失(軽過失)があったことを認めて,被告が同法1条1項に基づく損害賠償義務を負うことを認めたものの,担任保育士らに重過失があったことを争うとともに,原告らの損害を争っている。

1  争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は,当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

ア 原告A2と原告A1は,平成6年1月24日に婚姻した夫婦である。原告A2と原告A1は,婚姻後3年を経ても子どもに恵まれなかったことから,不妊治療を開始した。そして,原告A1は,治療開始後4年目に妊娠し,婚姻から7年を経過した平成13年3月7日にBを出産した。この時,原告A2は38歳,原告A1は33歳であった。

イ Bは,平成16年4月1日,上尾保育所に入所し,平成17年4月1日には4歳児クラスきく組に進級したが,同年8月10日,同保育所内で所在不明となり,同日午後0時25分ころ,同保育所内に設置されていた本棚(以下「本件本棚」という。)の中で発見され,同日午後1時50分ころ,熱中症による死亡が確認された(以下「本件事故」という。)。死亡推定時刻は,同日午後0時25分であった。

ウ 原告A3は,原告A2の母であり,上尾市内で,原告A2の弟のEと同居している。Bは,原告A3にとって初孫であり,唯一の孫であった。なお,原告A3の夫であるCは,本件事故発生前から闘病中であったが,平成18年5月23日に死亡した(甲4)。

エ 原告A4は,原告A1の母であり,平成18年7月22日に夫であるDと死別した後は,本庄市内において単身で生活している(甲6,7)。Bは,原告A4にとって唯一の娘から生まれた初めての男孫であった。

オ 被告は,Bが通所していた上尾保育所を認可保育所として設置し,その運営・管理を行っている地方自治体である。本件事故当時,被告の代表者は,市長のF(以下「F市長」という。)であり,助役はG(以下「G助役」という。)であった。そして,F市長及びG助役の下には,健康福祉部が置かれており,健康福祉部の中に置かれていた児童福祉課所属の機関として,上尾保育所を含む16か所の市立保育所施設が置かれていた(なお,児童福祉課は本件事故当時の名称であり,平成18年4月1日付けの組織再編により子ども家庭課に名称変更されている。)。本件事故当時の健康福祉部長はH(以下「H部長」という。)であり,児童福祉課長はI(以下「I課長」という。)であった(甲94の64,94の65)。

カ 上尾保育所は,平成4年に現在の住所地に新築移転され,鉄筋コンクリート造2階建の建物のうち,1階部分のみを使用しており,開所時間は平日午前7時から午後7時までであるが,児童の預かり時間は平日午前7時30分から午後6時20分までとなっている。本件事故当時,上尾保育所の所長はJ(以下「J所長」という。)であり,平成17年当時の職員は,所長1名,主任保育士2名,各組担任保育士15名(内看護師1名),給食調理員3名,用務員2名,臨時職員14名という構成であった。そして,本件事故が発生した平成17年8月10日時点における上尾保育所の児童数及び担任保育士の人数は,以下のとおりであった。

(ア) 0歳児クラス(すみれ組)     9名 保育士3名(内1名看護師)

(イ) 1歳児クラス(たんぽぽ組)   15名 保育士3名

(ウ) 2歳児クラス(ちゅうりっぷ組) 18名 保育士3名

(エ) 3歳児クラス(ばら組)     25名 保育士2名

(オ) 4歳児クラス(きく組)     25名 保育士2名

(カ) 5歳児クラす(ゆり組)     25名 保育士2名

合計                117名   15名

(2)  本件事故に至るまでの経緯

ア ぽっぽの家保育園への入所

原告A1は,平成14年3月31日まで自宅でBの育児をしていたが,Bには,母親との関係だけで育つより,他の子ども達からの刺激の中でたくましく育ってほしいとの思いもあって,Bを保育園等に預けて仕事を再開することにした。

原告A2と原告A1は,自宅近くにある上尾保育所に入所申込みをしたが,希望者が多く入所を許可されなかったため,Bは,平成14年4月1日,上尾市内にあるぽっぽの家保育園(以下「ぽっぽの家」という。)に入園した。入園時,Bは1歳0か月であった。

ぽっぽの家は,定員13名,保育士5名で構成される0歳児から2歳児を対象とした認可外保育施設であり,行政から一定の補助を受ける家庭保育室に分類される施設であった。ぽっぽの家では,家庭的な雰囲気を大切にした保育を行っており,原告A1は,初めての育児のとまどいをぽっぽの家の保育士や園長などに相談したり,受け止めてもらいながら,Bを預けて働いていた。

ぽっぽの家に入園して1か月後,上尾保育所から欠員が出たとのことで入園許可の通知が届いたが,原告A2と原告A1は,3月生まれで月齢が低く,一人っ子で穏やかな性格のBには,ぽっぽの家の保育環境の方が望ましいと考え,上尾保育所への入所を辞退した。

イ 上尾保育所への入所

ぽっぽの家は,2歳児までの保育しか実施していなかったため,Bは,平成16年3月にぽっぽの家を卒園し,同年4月1日,上尾保育所に入所した。Bは,入所時,3歳になったばかりであった。

同年4月当時の3歳児クラスばら組の定員は24名であったが,上尾保育所は0歳児から児童を受け入れているため,クラス24名中20名の児童が0歳ないし2歳からの持ち上がりで,同年4月に新しく入所したのはBを含めて4名だけであった。

平成16年度のばら組の担任保育士は,K保育士とM保育士の2名であった。

ウ 3歳児クラス担任決定までの経緯

平成16年4月に,このクラスに持ち上がりで所属することとなった特定の児童の親が,従前から当該児童の怪我に関して休業補償を請求したり,児童の通院に保育士の付添いを要求したり,ひっかき傷の跡が残るようであれば訴える等の要求をし,担任及び上尾保育所長のみならず上尾市役所児童福祉課に直接談判することがあった。その関係で,3歳児に進級する際に,このクラスの担任のなり手がなく,なかなか担任が決まらないという状況であった。

結局,K保育士とM保育士が過去にこの子ども達の担任をしたことがあり,子ども達と保護者の様子を把握しているということから担任を持つことになったが,上尾保育所の職員全員で連携してこのクラスをフォローするという体制ではなかった。

エ Bの3歳児クラスでの保育状況

Bは,上尾保育所になかなかなじめず,原告A2や原告A1に対しても不安を訴える状況だったため,原告A2と原告A1は,連絡ノートにその状況を詳しく記載し,担任保育士らに対応を求めていた。

オ 4歳児クラスへの進級

Bは,平成17年4月,4歳児クラスきく組に進級した。きく組の児童数は25名で,Bは,25名の中で月齢が2番目に低い児童であった。

きく組の担任保育士は,ばら組から継続して担当するK保育士と,新たに担当するL保育士の2名であった。

カ Bの4歳児クラスでの保育状況

Bは,新たに入所した同じように月齢の低い男児数名と遊ぶことが多くなっていったが,原告A1は,以前と同様にクラスで月齢の高い児童からBが命令されるような状況を見聞きしていたため,連絡ノートで担任保育士に相談を持ちかける状況が続いていた。

また,平成17年6月13日には,Bがプールに入らなかったにもかかわらず,担任保育士から両親への連絡ノートに「水着に着替え,はりきって入りました。この間よりは,水も多めで,プールらしいプールあそびができました。」と記載されていたため,翌朝,原告A1は,連絡ノートに,特定の児童と約束をしたからプールに入らなかったとBが言っている,プールに入らなかった状況を教えてほしい旨の記載をした。これに対して,L保育士は,連絡ノートで,「水着に着替えてプールに向かったので,入っていたものと思っていました。」と返信した。原告A1は,同年6月20日,なぜBがプールに入らなかったのか状況を教えて欲しい旨を連絡ノートに記載し,また,事実と違うことがノートに書かれていたり,きちんと書かれていないことがあることについて不安がある旨も記載した。

(3)  本件事故の発生

ア 本件事故当日の状況

平成17年8月10日はお盆時期だったため,きく組の児童25名中,5名が欠席しており,Bがよく一緒に遊ぶ友達が2名とも欠席していた。

この日,きく組には保育ボランティアとしてNがおり,L保育士とK保育士の2名とボランティアのNの計3名で4歳児20名を担当している状況であった。なお,J所長は1日研修のため不在であった。

当日は,朝から曇りの天気で,午前11時の上尾市の気温は27.7度,湿度は76.7%であった。

イ Bの登所

Bは,当日の朝,朝食を済ませた後,原告A1と自宅を出発し,午前8時10分ころ,上尾保育所に到着した。なお,原告A2は,夜勤業務から帰宅しておらず,不在であった。

Bと原告A1は,きく組の保育室に入ると,Bは,飼育箱のカブトムシを触って原告A1に「見て。」と言ってきた。これを見ていたきく組の児童が,Bに対して,これは他の児童のものだから触らないようにと言ってきた。Bはビクッとしてカブトムシを手から放してシュンとしてしまった。原告A1は,泣き出しそうなBに「これはクラスのカブトムシだから触っていいんだよ。」と話しかけた。原告A1はBに対してBは悪くはないということ等を告げて,Bを抱きしめて別れ,上尾保育所を後にした。

ウ 散歩への出発

K保育士とL保育士は,同日午前9時10分ころ,相談の上,3歳児クラスと5歳児クラスが林の方に散歩に行くので,4歳児クラスは畑の方に散歩に行くことを決め,午前9時25分ころから35分ころ,準備を始めた。

そして,K保育士は,きく組児童20名を正門の所で2列に並ばせ,人数を確認し,近くの畑まで散歩に出発した。引率したのは,K保育士,L保育士,ボランティアのNであった。

きく組児童らは,午前9時50分ころ,目的地の畑に到着し,草むらで虫探しなどの遊びをした。

エ 散歩からの帰所

ところが,午前10時過ぎころ,雨が急に降ってきたため,K保育士とL保育士は,保育所に帰ることにし,きく組児童らの人数を確認した上で,畑を出発した。きく組児童らは,午前10時20分ころ,上尾保育所の正門前の植え込みまで帰り着き,そこでセミの抜け殻取りなどを始めた。児童の列は崩れて固まりになっていたが,この時,K保育士とL保育士は,それぞれ人数確認をして全員がいることを確かめた。

午前10時25分ころ,Bの祖母の原告A3が上尾保育所前を通りかかったので,K保育士がBに「おばあちゃんだよ。」と声をかけた。Bは,「おばあちゃん,バイバイ。」と言って,原告A3を見送っていた。

その後,きく組児童らと,遅れて帰ってきた3歳児クラスと5歳児クラスの児童が,入り乱れて園庭に入った。ただし,その後も,きく組児童の数名が同じ場所でセミ取りを続けていたため,K保育士は,しばらく一緒にとどまった後,その児童らを園庭の中に入れて,最後に正門を閉めた。

オ 帰所後の保育状況

散歩から戻ったきく組児童らは,保育室,廊下,ホールなどでばらばらに遊び始めた。L保育士は,きく組の保育室内で,ボランティアのNと7名ぐらいの児童と粘土遊びを始めた。K保育士も,きく組の保育室に戻り,押入れの前で,4名の児童らとブロックを使って買い物ごっこを始めた。Bは,いずれの遊びにも参加していなかった。

両保育士は,保育室から廊下やホールに遊びに出た児童が数名いたことを認識していたが,どの児童がどこで遊んでいるかや,どのような遊びをしているのかなどの確認はしておらず,もっぱら保育室にいる児童のみを相手に保育をしていた。

カ Bの所在不明の事実の発覚

午前11時15分ころ,K保育士とボランティアのNは,きく組の保育室で,児童らに片付けや手洗いを指示し,机を並べたり,調理室から配膳用のワゴンを持ってきて,給食の配膳を始めた。短時間臨時職員のO保育士は,早番のL保育士と交代するため,午前11時15分ころ,きく組に入って給食の準備を始め,L保育士は,午前11時30分ころには,交代の時間となり,きく組保育室を出て休憩室に向かった。

K保育士とO保育士は,給食の準備ができ,きく組の保育室にいた児童らが席についた際に,皿が余っていることに気が付いた。そのため,K保育士は,廊下に出て,P,Q,Rの3名の児童を呼び戻して席に着かせた。しかし,それでもまだ皿が一つ余っていたため,ここでBの所在が不明であることが判明した。午前11時35分ころであった。

キ 捜索活動の状況

そこで,K保育士らは,Bを捜し始めたが,Bと手をつないで散歩から帰ってきたSにBの居場所を尋ねたものの何も分からず,その後,保育所内の廊下,トイレ,倉庫,ホールなどを捜したが発見できなかった。

K保育士は,午前11時40分ころ,休憩室にいたL保育士にBが行方不明であることを伝え,T主任保育士にもその事実を伝えた。

T主任保育士は,Bの靴は園内の靴箱にあったが,K保育士から「おばあちゃんに会ったから,もしかしたら上尾保育所の外に出て行ったかもしれない。」と言われたため,K保育士に対してBの自宅と祖母の家を捜しに行くように指示した。その後,T主任保育士は,各クラスの保育室に赴き,Bを見なかったか尋ねてまわり,各クラスの保育士にBがいないので保育所内外に捜しに出るよう指示した。

K保育士は,自転車でBの祖父母宅や自宅,畑,林の方を捜したが,Bは見つからなかった。また,他の保育士らは,上尾保育所近くの川沿い,林,スーパー,コンビニ等を捜したり,同保育所内のホール,三角倉庫(別紙図面1の三角倉庫),トイレ,休憩室,カーテン,押入などをそれぞれ捜索したがBを発見することはできなかった。

午後0時05分ころ,U保育士がBの捜索願を出すため上尾警察署に向かっていたところ,警察署の通用口付近で,午前の研修を終えて上尾保育所に向かっていたJ所長と偶然出会い,Bが所在不明であることを所長に報告した。これを聞いたJ所長は,一旦上尾保育所に戻り,自転車で川沿いを捜しに出たが,すぐに保育所に戻って保育所内の捜索を開始した。

ク Bの発見

J所長は,午後0時25分ころ,三角倉庫などを捜した後,三角倉庫の横に設置してあった本件本棚が目に入り,その引き戸を開けたところ,本件本棚の中に入っているBを発見した。Bは,汗びっしょりの状態で体温が高く,意識のない状態であった。本件本棚内も汗でしみている状況であった。

ケ Bの病院への搬送及び死亡確認

Bの発見後,T主任保育士は,上尾消防署に架電して救急車を要請し,救急車は,午後0時31分,上尾保育所に到着した。Bは,この時点で心肺停止していた。Bを乗せた救急車は,午後0時59分,埼玉医科大学(以下「埼玉医大」という。)の救命救急センターに到着した。しかし,午後1時50分,Bの死亡が確認された。

(5)  本件事故後の上尾保育所及び被告の対応

ア 本件事故当日の対応

原告A2と原告A1は,Bが発見された後,上尾保育所から連絡を受け,埼玉医大へ急行し,そこでBの死亡を知らされた。その後,原告A2と原告A1は,上尾警察署で事情聴取を受け,その最中にF市長が訪ねてきたと連絡が入ったが,事情聴取中であったため,F市長と面会することはなかった。翌日,市の職員らが原告らの自宅を訪れたが,原告らは,突然の事故でその事実を受け入れられる心境ではなく,面会を断った。

イ 本件事故後の被告の対応

本件事故翌日の同月11日,上尾保育所で緊急の保護者会議が開かれ,上尾市役所内では緊急の保育所長会議が開催された。

被告は,同月16日,全国市長会学校災害補償保険事故報告書を損害保険会社に提出したが,そこに記載された内容を原告らに提供することはなく,原告A2及び原告A1は,その後,被告側から全く連絡を受けることがなかった。そこで,同月21日,原告A2及び原告A1の方から連絡をとり,J所長と担任保育士らに会い,そこで初めて本件事故当日の経過を知らされた。

ウ 事故調査委員会設置の経緯

被告は,事故から1週間以上経過した同月18日,H部長を委員長とする事故調査委員会を設置した。事故調査委員8名は,健康福祉部の次長や児童福祉課長,庶務課長,職員課長など,被告の職員だけであった。原告A2と原告A1は,この事故調査委員会の設置を人づてに聞き,役所の内部だけで調査して形だけで終わらせるような人選に納得がいかなかったため,同年9月5日,被告に対し,委員の選任及び事故調査のあり方に関する申入れをして情報公開を求めた。その結果,ようやく第三者委員が選任された。

エ 事故調査委員会の開催及び調査結果の公表

平成17年9月27日から同年12月26日まで,合計10回の事故調査委員会が開催され,同委員会は,平成18年1月14日,会見を開いて本件事故に関する調査結果を発表した。

なお,原告A2及び原告A1は,同年12月19日,事故調査委員会に意見書を提出し,事故調査委員会に対しては事実関係と責任の明確化を,被告に対しては事故調査委員会の最終報告書を踏まえて責任の所在について,誰がどのように責任を負うのかを具体的に明らかにすること及び今後の再発防止策の具体的スケジュールの提示を求め,これに対して,F市長は,同年12月22日に回答をしたが,これは,上記原告両名の納得がいくものではなかった。さらに,原告A2及び原告A1は,同月16日にF市長が上尾市議会の12月の定例会議で行った本件事故に関する発言について,撤回を求めてF市長宛の質問書を提出し,回答を求めた。

オ 事故調査報告書の内容

事故調査委員会がまとめた事故調査報告書では,本件事故が偶然に発生したものではなく,上尾保育所の日頃の保育の中に本件事故を引き起こすような要因があり,本件事故は,たまたま防ぎようもなく起こったとはいえない,本件事故は一部の保育士の過失に限定されるものではなく,保育所全体の問題が絡んでいるとの指摘がされていた。

カ 担任保育士らの処分

被告は,平成18年1月31日,J所長,K保育士及びL保育士を,停職1か月の懲戒処分とし,上記3名は,同日,依願退職した。また,被告は,児童福祉課長を減給1か月,健康福祉部長,参事兼次長及び前上尾保育所長を戒告の懲戒処分に,児童福祉課主席主幹及び上尾保育所主任保育士2人を訓告,児童福祉課副主幹及び上尾保育所保育士12人を文書注意として,注意処分した。懲戒理由は,保育士については,子どもの動静確認を怠るなど,保育士本来の職務を怠ったことと本件事故によって市保育行政全般における市民からの信用を失う結果を招いた地方公務員法33条の信用失墜行為,児童福祉課長をはじめ事務職については,危機管理時の対応の整備を怠ったことと管理監督責任及び信用失墜行為であった。

さらに,F市長は,同年3月の市議会において,同市長につき平成18年4月分給与の100分の10(9万円)の減給処分,G助役につき同100分の5(3万7000円)の減給処分を提案し,可決された。

キ 被告の人事異動

被告は,平成18年4月1日,本件事故に関して次の人事異動を行った。上尾保育所では,J所長の退職後,健康福祉部次長から上尾保育所長に異動した甲,上尾保育所の2人の主任保育士,事故解明に積極的だったU保育士を含む6人が他部署に異動し,3人が退職した。

また,事故調査委員会の事務局を務めた乙健康福祉部次長,I課長,丙児童福祉課主席主任が他部署に異動した。

ク J所長及び担任保育士らの刑事処分

原告A2及び原告A1は,平成18年3月7日,J所長,K保育士及びL保育士を業務上過失致死罪で刑事告訴し,同人らは,同年10月19日,さいたま地検に同罪の容疑で送検された。その結果,J所長は,平成19年4月3日,さいたま簡易裁判所において,業務上過失致死罪により罰金50万円に処する旨の略式命令を受け,K保育士及びL保育士も,同日,業務上過失致死罪により罰金30万円の略式命令を受け,いずれも同月18日に確定した(甲94の1ないし3)。

(6)  担任保育士及び所長の過失

ア 担任保育士らの動静把握義務違反

(ア) 担任保育士は,自由遊びの時間であっても担当クラスの子ども達がどこで,誰と,何をしているかを把握すべき注意義務を負っている。仮に,自由遊び中に担任保育士のみでは動静把握ができない場合には,他の保育士に引継ぎ・連携を依頼するなどして,担当クラスの子ども達が保育士の動静把握から漏れないように措置すべき注意義務を負っている。

(イ) ところが,K保育士及びL保育士は,本件事故当時,子ども達が外遊びから園内に入ってから,1時間以上にわたり子どもの動静を確認していなかった。K保育士及びL保育士は,4歳児クラスの子ども複数が,きく組保育室から出入りして,ホールの方に行っていることまで認識していたにもかかわらず,ホールの方にいる他の保育士に声をかけてきく組児童らの動静を確認するように要請したり,自らきく組保育室を離れて,ホールにいるきく組児童が誰とどのような遊びを展開しているのか,危険な行動をしていないかなどを確認するなど,必要な動静把握を全く怠っていた。したがって,K保育士及びL保育士には,動静把握義務違反がある。

イ 保育士らの捜索活動上の注意義務違反

上尾保育所の保育士ら,特にK保育士及びL保育士は,Bの所在不明が明らかになった時点で,一緒に遊んでいた子ども達に事情を聞き,Bの最終所在を追跡するとともに,園内にBの靴が存在していたのであるから園内をくまなく捜索すべき注意義務を負っていた。それにもかかわらず,K保育士及びL保育士はこれを怠り,短絡的に園外に捜索に出るなど漫然と時間を空費し,B発見までに50分を要したのであるから,過失がある。

ウ J所長の注意義務違反

J所長は,上尾保育所の現場責任者として,上尾保育所内における危険箇所及び子どもの危険な遊びなどの情報共有,危険箇所の安全管理,保育士相互の連携関係を形成するなどの注意義務を負っていたにもかかわらず,これを怠った。

(7)  因果関係

ア K保育士及びL保育士による動静把握義務違反によって,Bが本件本棚に入り,熱中症で死亡したのであるから,同義務違反とB死亡との間には因果関係がある。

イ また,Bの死亡推定時刻は,午後0時25分であるところ,Bの所在不明が明らかになった午前11時35分の時点で,適切な捜索活動がなされ,速やかにBが発見されていれば,Bが死亡することはなかったのであるから,K保育士及びL保育士による捜索上の注意義務違反とBの死亡との間には因果関係がある。

ウ J所長は,上記(6)ウのとおり,注意義務を怠った結果,Bを本件本棚内で熱中症により死亡させたのであるから,同義務違反とBの死亡との間には因果関係がある。

(8)  被告の損害賠償義務

本件事故及びこれによるBの死亡は,上記のとおり,上尾保育所の担任保育士及び所長の過失によって生じたものであるから,上尾保育所を運営・管理する被告には,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償義務がある。

2  争点

(1)  担任保育士らの重過失の有無

(2)  損害

3  争点に関する当事者の主張

(1)  担任保育士らの重過失の有無

(原告らの主張)

ア 動静把握義務違反について

(ア) 園児の動静把握義務は,保育士が負う注意義務の中でも基本的かつ根源的な注意義務であるにもかかわらず,K保育士及びL保育士は1時間以上にもわたってBの動静把握を怠っていたのであるから,これ自体,重過失と評価すべきものである。

(イ) また,上記(ア)の事情に加えて,次の事情を総合すれば,本件事故当日におけるK保育士及びL保育士の動静把握義務違反が重大な過失であることは明らかである。

a Bは,途中入園や月齢が低いというハンディを負っていたことに加え,特定の児童との関係に問題を抱えていたのであり,原告A2及び原告A1も,連絡ノートで再三にわたり,Bと他の児童との関係性の問題を指摘するなどして,Bに対する配慮を訴えていたため,担任保育士には,常にBの動静を把握し,適切なタイミングで他の児童との関係性を調整したり,予期せぬ危険な事態に遭遇しないように手をさしのべるなどの特別な配慮が求められていた。しかも,本件事故当日は,Bが通常よく遊んでいた児童が2名とも欠席しており,Bへの配慮が特に求められる客観的状況にあった。それにもかかわらず,K保育士及びL保育士は,原告A2及び原告A1の要望を無視し,Bへの配慮を怠った。

b K保育士及びL保育士は,Bがその関係性を憂慮されていたPら特定の児童らと教室を出て行き,目の届かない場所で遊んでいることを認識しながら,これを放置した。

c K保育士及びL保育士は,BがPらと教室を出て行くのを認識しながら,Pに対する配慮,遠慮から,あえてBらの動静把握を怠った。

d 保育所等における児童の死亡事故に関する業務上過失致死事件では,起訴猶予や嫌疑不十分での不起訴処分となる事案が圧倒的に多い中,K保育士及びL保育士は,罰金30万円の略式命令による刑事処分を受けたのであり,このように刑事処分がなされるほどの過失は,民事上,重大な過失として評価されるべきである。

イ 捜索活動上の注意義務違反について

(ア) 上記アで主張したように,K保育士及びL保育士には,重大な動静把握義務違反という先行行為がある以上,同人らは,これによる結果発生を防止するため,Bと一緒にいた児童に対し,誰と,どこで,何をして遊んでいたかを尋ねて最終の所在を確認した上で,捜索にあたるべき注意義務も加重されていたというべきであるから,これを怠ったK保育士及びL保育士には,重大な過失がある。

(イ) Bは,一人で遊んでいたわけではなく,複数の児童と一緒にかくれんぼのような遊びをしていたのであるから,担任保育士らは,Bの所在不明が明らかになった時点で,一緒に遊んでいた子ども達に事情を聞き,Bと最後に一緒にいた時刻,場所などを聞き出していれば,速やかにBを発見できたはずである。

しかも,L保育士は,BがQ,Pらと一緒に保育室を出て遊んでいたことを認識していたのであり,午前11時30分ころには,Qが児童用のトイレの前でいじけたようにしている姿を目撃したのであるから,その後,Bの所在不明が明らかになった時点において,Qのいじけた様子に思いを致し,QにBとどこでどのように遊んでいたのか事情を聞いて,Bの最終所在を追跡することが容易に可能であった。

また,K保育士は,昼食の準備をして保育室に戻っていない児童を連れ戻しに保育室を出た際,P,Q,Rが本件本棚付近で不自然に佇んでいるのを発見しており,しかも,Rは腹痛を訴えて昼食のテーブルに着席しなかったのである。このように,Bと一緒に保育室を出て遊んでいた児童らが,何らかの異常事態を訴える分かりやすいサインを出していたのであるから,Bの所在不明が明らかになった時点で,この3人の児童に,Bとどこでどのように遊んでいたのか事情を聞き,Bの最終所在を追跡することが容易に可能であった。

それにもかかわらず,K保育士及びL保育士は,Bと一緒に遊んでいた上記児童らのサインを見過ごし,同児童らから聴取りをしなかったのであり,これは,捜索上の注意義務違反における重大な過失にあたる。

(ウ) K保育士及びL保育士は,本件事故当日の午前10時30分ころ,上尾保育所の門の前で散歩から帰所した4歳児クラスの人数確認をしたが,その後は,3歳児クラス,5歳児クラスの帰所が重なったため,4歳児クラスの児童が全員園内に入ったか否か確認していなかった。園内に入ってから再度人数確認をしていれば,Bが園外に出た可能性を排除して,園内の捜索に集中できたはずであり,この点においても,両保育士には重大な過失がある。

(エ) Bがおとなしく優しい性格であることを把握していれば,日中に保育所を一人で抜け出すような子どもでないことは容易に想像がついたはずである。しかし,K保育士は,Bの性格を把握していなかったため,園内にBの靴が存在していたにもかかわらず,短絡的に,おばあちゃんに会ったから外に行ったのかもしれないという思考に至り,園外に捜索に出てしまったのであり,この点においても,同保育士には重大な過失がある。

(被告の主張)

ア 動静把握義務違反について

原告の主張アのうち,K保育士及びL保育士にBの動静把握についての過失があったことは認めるが,過失の態様が重過失であるとの主張は争う。

重過失とは,「通常人に要求される程度の相当の注意をしないでも,わずかの注意さえすれば,たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに,漫然これを見すごしたような,ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態」(最高裁昭和32年7月9日第三小法廷判決・民集11巻7号1203頁)をいう。しかし,K保育士及びL保育士は,故意に近い状態でBの動静を無視したのではなく,他の児童らを保育する中でBの動静把握がおろそかになったものであるし,事故が起きたのは園舎内という通常安全な場所であったのであり,通常,担任保育士が1時間程度他の園児の対応に気をとられて特定の児童の動静を把握していなくとも死亡事故につながることは想定しがたいから,その態様は,さほど悪質なものではなく,重過失とまで評価されるものではない。また,刑事処分でも両名は罰金刑という比較的軽い処分で済んでいることからしても,重過失とはいえない。

イ 捜索活動上の注意義務違反について

原告の主張イのうち,K保育士及びL保育士に捜索活動上の過失があったことは認めるが,過失の態様が重過失であるとの主張は争う。

K保育士は,Bの所在不明に気づいた直後,Bと一緒に散歩から帰って来た他の子ども達にBの所在を尋ねたが,答える児童が誰もいなかったのであり,児童に対してBの所在確認の作業を行っている以上,注意義務違反の態様は悪質でなく,重過失には当たらない。原告は,子ども達から事情を聞き出していれば,速やかにBを発見できたと主張するが,これはあくまで可能性にすぎない。

また,K保育士及びL保育士は園外も捜索しているが,これは,Bが直前に祖母に会っていて祖母宅へ行ったのではないかと考えられ,しかも,芝川という危険箇所があったためであるから,この点についても重過失には当たらない。

(2)  損害

ア Bに生じた損害

(原告A2及び原告A1の主張)

(ア) 死亡による逸失利益  3155万5829円

Bは,原告A2及び原告A1の唯一の子であり,十分な教育を受けられる経済的余裕のある家庭環境にあったため,Bの逸失利益の基礎収入は,平成17年賃金センサスの大卒男子労働者全年齢平均賃金672万9800円によるべきである。そして,Bは,死亡時4歳5か月で,67歳まで就業可能であったところ,平成17年度の男性平均初婚年齢は29.8歳であるから,Bについても,大学卒業後22歳から28歳までは独身男子として生活費控除率を50パーセントとし,29歳からは既婚者として生活費控除率を30パーセントとすべきである。そうすると,Bの死亡による逸失利益は,3155万5829円となる。

(計算式)

672万9800円×(25年ライプニッツ係数14.0939-18年ライプニッツ係数11.6895)×(1-0.5)=809万0565円

672万9800円×(63年ライプニッツ係数19.075-25年ライプニッツ係数14.0939)×(1-0.3)=2346万5264円

809万0565円+2346万5264円=3155万5829円

(イ) 死亡慰謝料  2000万円

上記(1)の原告らの主張のとおり,被告側に重過失があること,本来児童の生命が守られるべき場所である保育所内の事故であること,Bの洋々たる前途が閉ざされたこと,1時間以上も放置され救命の機会が奪われたこと等から,Bの死亡に対する慰謝料としては,2000万円を下らない。

(ウ) 葬儀費用  150万円

本件事故によってBが死亡したことにより,Bの葬儀が執り行われ,その費用として150万円を超える金額が支出された。

(エ) 小計  5305万5829円

(オ) 相続

原告A2及び原告A1は,Bの相続人であるから,Bの死亡により,同人の損害賠償請求権を各2分の1ずつ相続した。

(被告の主張)

(ア) 原告らの主張(ア)のうち,Bが死亡時4歳5か月だったことは認めるが,その余は争う。

幼児の死亡事故の場合,死亡しなければ将来大学卒業程度の教育レベルに達していたかどうかは不明であるから,大卒労働者の平均賃金を基礎に算定されるべきではない。平成17年賃金センサスの産業計・企業規模計・学歴計・全労働者もしくは男子労働者の平均賃金を基礎に算定されるべきである。

(イ) 同(イ)は争う。

(ウ) 同(ウ)は争う。

(エ) 同(オ)のうち,原告A2及び原告A1がBの相続人であることは認めるが,その余は争う。

イ 原告A1に生じた損害

(原告A1の主張)

(ア) 治療費等  167万9307円

a 心療内科等  17万4380円

原告A1は,本件事故以前に精神科の既往歴がなく,社会適応も良好であったが,本件事故でBを失ったことに加え,被告の不誠実な対応に強いショックを受け,精神的に不安定な状態となり,心療内科等に通院せざるを得なくなった。そして,原告A1は,平成17年8月20日,心的外傷後ストレス障害の診断を受け,投薬治療を受けたり,カウンセリングを受けたりして,治療費,薬代,交通費として,合計17万4380円を負担した。

b 不妊治療費  150万4927円

原告A1は,本件事故によって唯一の子である最愛のBを失ったことから,本件事故後現在に至るまで,不妊治療の専門医療機関に入通院し,原告A1は,その治療費として合計150万4927円を負担した。本件事故によってBを奪われることがなければ不妊治療のために入通院する必要はなかったのであり,上記不妊治療費は,本件事故と因果関係のある損害である。

(イ) 逸失利益  1506万7373円

原告A1は,本件事故時,派遣社員として稼働していたが,本件事故後は,精神的に不安定な状態が続いたため,平成17年10月以降は,就労に耐えられないということで契約を更新できなかった。このように,原告A1は,本件事故が原因で就労不可能な状態になったのであり,少なくともBの7回忌まで就労の目処がつかない状況であることが予想されるから,平成16年及び平成17年の平均月収19万1814円を基礎として7年間の逸失利益が認められるべきである。なお,本件訴訟の弁論終結時を,平成20年11月と仮定して,それまでの3年間は中間利息を控除せず,その後の4年分についてのみ中間利息を控除する。

(計算式)

19万1814円×12か月=年収230万1768円

230万1768円×3年+230万1761円×4年ライプニッツ係数3.5460=1506万7373円

(ウ) 固有の慰謝料  1000万円

Bは,原告A1にとって結婚8年目にようやく恵まれた子どもであり,人生にとってかけがえのない,自らの生命以上に大切な存在であった。また,本件事故については,次のような特段の事情が認められるため,原告A1の精神的苦痛に対する慰謝料は,同年齢の幼児の死亡事故よりも増額されるべきであり,その額は1000万円を下らない。

a 保育所内での事故であること

本件事故は,子どもの安全が特別に守られるべき場所である保育所内で発生したものである。

b K保育士及びL保育士に重過失があること

上記(1)の原告らの主張を引用する。

c 担任保育士以外の各関係者がその職責を尽くさなかったこと

本件事故は,過失行為者であるK保育士,L保育士以外に,J所長,担任保育士以外の保育士ら,市長,児童福祉課をはじめとする被告職員ら関係者が,それぞれその職責を尽くさなかったために,引き起こされた事故であり,このことは,原告らに強い精神的苦痛を与えている。

すなわち,F市長,H部長,I課長は,いずれも上尾保育所の施設環境面,運用面,人材育成面で管理監督義務を負っており,危機管理一般の必要性,子どもの命を預かる現場での具体的対応の検討の必要性を自覚した上で,現場に具体的な指示を出してマニュアルを整備させ,評価及び確認をすべきであったにもかかわらず,F市長を始めとする上記管理者らは,保育所の現場対応に任せきりで,何ら責任を果たしていなかった。そのため,本件事故当時,J所長への報告が遅れ,T主任保育士から不適切な捜索の指揮命令が出され,個々の保育士が場当たり的に闇雲に行動する事態を招き,結局,Bの発見までに50分もの時間を空費してしまった。

また,人の命を預かる職場で重大事故を避けるためには,職員の意思疎通,情報共有,連携が必須であり,管理職としては,保育所現場でのコミュニケーションを円滑に取り得る体制作り,チームの核になる人材の育成,研修,時間の確保などに配慮すべきであったにもかかわらず,F市長ら被告の管理職職員は,残業代を節約するため,上尾保育所での職員会議を月1回2時間に制限していたのであり,職員会議は,保育士ら職員が園児や危険箇所等に関する情報を共有する場として機能していなかったし,J所長も,保育士らに子ども達全員の顔と名前を一致させるようにとの指導をしていなかった。そのため,本件事故当日も,Bの個性等や本件本棚という危険箇所についての情報が共有されておらず,適切な場所を捜索できなかった結果,Bの発見が遅れ,死亡という最悪の結果を招いてしまった。

さらに,Bが在籍していたクラスは,問題のある保護者と児童が存在していたため,児童福祉課は,当該親子の問題を認識した上で十全な保育を実施するため,2歳児クラスの時には正規職員を1名加配していたが,3歳児クラスに上がる際には,その問題が解決していなかったにもかかわらず職員の加配措置を解除したのであり,これによって,当該児童以外の児童らに対する関心,注意に遺漏が生じ,本件事故が発生した。また,J所長は,このような加配解除に対して具体的対策を何ら採っていなかった。

また,K保育士及びL保育士は,月案(月間の保育計画),週案(1週間単位の保育計画)として不十分なものを使用していたところ,J所長は,そのことを認識していたにもかかわらず,これを是正することを怠り,自らも保育計画案や実施評価についてずさんな決裁を行っていたのであって,監督者としての責任を果たしていなかった。I課長も,保育士らに自己研さんに努めるよう促し,標準レベルの月案,週案が使われるよう指導すべきであったにもかかわらず,その責任を果たしていなかった。

d 死亡に至る経過が未だ明らかになっていないこと

本件事故については,事故状況を直接目撃した者がいないため,Bが何故本件本棚に入ったのか,どうして出てこなかったのかなど,具体的な事実経過が現在でも判明していない。そのため,原告A1は,事実経過について色々な憶測をせざるを得ず,また,周囲の保護者や一般市民などから,いわれなき中傷にさらされるなどしてきており,原告A1の精神的苦痛は計り知れないものとなっている。

e 事故後の被告の対応が不誠実であったこと

上尾市健康福祉部児童福祉課は,本件事故後,上尾保育所の職員らが本件事故の事実関係を解明しようとする動きに対し,「調査を保育所の方で勝手にするな。」という指示を出し,事故直後の関係者の記憶が鮮明な時期に事実調査をすることを拒んだのみならず,児童福祉課から保育士の事実解明に人を派遣して立ち会ったり,自ら事実調査にあたることもしなかった。これにより,Bと一緒に遊んでいた子ども達の動きや,当日の職員の動きなどの事実の詳細が忘却の彼方に葬り去られたのであり,このような児童福祉課による事実調査の妨害は,事実の隠蔽行為と言っても過言ではない悪質な行為である。

また,上尾保育所は,関係保護者に対する説明を優先させ,原告らに具体的な説明をすることをせず,原告らの要請に応じて初めて経過を説明するなどの消極的態度に終始し,迅速な調査をしなかったため,原告らが本件事故の経過を知ることができない状況に陥れた。

さらに,L保育士は,本件事故を引き起こした責任を問われる立場にあるにもかかわらず,現在も保育士として他の保育所に勤務しており,これにより,原告A2及び原告A1は精神的な衝撃を受けている。

f 子どもを育てる機会を奪われたこと

原告A1は,4年間の不妊治療の末にBに恵まれたが,口頭弁論終結時において,原告A2は46歳,原告A1は41歳であり,今後,原告A2と原告A1が子どもを持つことは困難という事情がある。すなわち,原告A2及び原告A1は,本件事故によって,子どもを育てるという機会を一生失うことになりかねず,子どもを産み,育てるという人間の根本の欲求を満たすことができない苦痛,子どもの成長の過程での喜怒哀楽を経験できない苦痛,子どもを通して夫婦が成長し,互いに他を必要としていく過程を経験できない苦痛,孫に囲まれた老後を送ることのできない苦痛を受け続ける可能性があるのであって,これは,慰謝料の増額事由として当然に斟酌すべきものである。

g 実父らの介護をできなかったこと

原告A1は,本件事故後に実父と義父をなくしているが,原告A1は精神的に不安定の中,余命いくばくかの宣告を受けたこれらの者の介護等に対処することができず,後悔にさいなまれているから,その精神的苦痛も併せて斟酌すべきである。

(エ) Bの損害の相続分  2652万7914円

原告A1は,上記アの原告A2及び原告A1の主張(オ)のとおり,Bの死亡によって,Bに生じた損害額の2分の1である2652万7914円を相続した。

(オ) 小計  5327万4594円

(カ) 弁護士費用(一部請求)  874万4304円

本件訴訟は,事故直後からの事実調査や子どもの発達及び保育に関して高度の専門性を有するものであり,本件訴訟を提起し追行するには,弁護士である原告ら訴訟代理人らに依頼せざるを得なかった。原告A2及び原告A1は,代理人弁護士との間で旧日弁連報酬基準に則り,報酬を支払うことを約したが,同基準によれば事件の難易度等に応じて3割の範囲内で増額ができるとあり,本件訴訟類型・難易度等を考慮すると,着手金・報酬金ともに3割の増額が認められるべきである。したがって,原告A1が負担すべき弁護士費用は,874万4304円を下らない。なお,弁護士費用の算定基礎となる経済的利益は,原告A1の損害額の合計5327万4594円である。また,下記(ク)のとおり,原告A1は,独立行政法人日本スポーツ振興センターから損害の填補を受けているが,これは,弁護士が代理人として様々な調査並びに事故調査委員会及び被告に申し入れをなした結果として支給されたものであるから,弁護士費用算出の際に経済的利益として考慮すべきものである。

(計算式)

(5327万4594円×3%+69万円)×1.3=着手金297万4709円

(5327万4594円×6%+138万円)×1.3=報酬金594万9418円

297万4709円+594万9418円>874万4304円

(キ) 総計  6201万8898円

(ク) 損害の填補  1400万円

a 原告A2及び原告A1は,平成18年6月16日,独立行政法人日本スポーツ振興センターから死亡見舞金として2800万円の支払を受けた。

b したがって,その2分の1の額1400万円を原告A1の損害に充当する。

(ケ) 請求額  4801万8898円

(被告の主張)

(ア) 原告A1の主張(ア)のうち,治療経過は知らず,本件事故との因果関係及び損害額は争う。

原告A1が負担した心療内科及び不妊治療の治療費は,本件事故とは直接の因果関係をもたないものであり,かつ,遺族固有の慰謝料が認められることからすれば,それによりカバーされるべきもので,独自の損害としては認められない。

(イ) 同(イ)の因果関係及び損害額は争う。

原告A1の7年間分の逸失利益は,本件事故とは直接の因果関係がなく,遺族固有の慰謝料も認められることから,独自の損害としては認められない。

(ウ) 同(ウ)の損害額及び増額事由について争う。以下のとおり,慰謝料の増額事由は認められない。

a K保育士及びL保育士の重過失について

上記(1)の被告の主張を引用する。

b 本件事故後の被告の対応が不誠実だったことについて

原告A2及び原告A1は,被告が事実調査を制限したと主張するが,保育所は,保育の場であり事件の捜査を行う場所ではないし,本件事故当日から警察の事情聴取等がなされており,上尾市においても事故調査委員会を立ち上げることが決定していたため,事実関係の解明は,保育士らが行うより警察や事故調査委員会が行うのが適切であるという判断のもと,I課長は,J所長に「個人がするんじゃなくて,市としてちゃんと調査委員会を設置することが本来である。」ということを伝えただけで,事実調査を制限したと評価されるものではない。

また,F市長は,本件事故当日には結局会えなかったものの,自ら上尾警察署に謝罪のため原告A2と原告A1を訪問しているほか,I課長,J所長,担任保育士らは原告A2及び原告A1の自宅や原告A3宅を訪問している。被告としては,日常業務を行う中,誠意をもって可能な限り原告A2及び原告A1への対応に努めたものであり,被告職員らは,同原告らから拒絶されるまでは月命日などには謝罪と焼香のため花を持って自宅を訪問するなどして,Bの冥福を祈る気持ち及び原告らに対する弔意を十分に示してきた。

(エ) 同(エ)は争う。

(オ) 同(カ)は争う。

(カ) 同(ク)aは認める。

ウ 原告A2に生じた損害

(原告A2の主張)

(ア) 治療費(不妊治療費)  7万6420円

原告A2は,本件事故によって唯一の子である最愛のBを失ったことから,本件事故後現在に至るまで,不妊治療の専門医療機関に入通院し,原告A2は,その治療費として合計7万6420円を負担した。本件事故によってBを奪われることがなければ,不妊治療のために入通院する必要はなかったのであり,上記不妊治療費は,本件事故と因果関係のある損害である。

(イ) 固有の慰謝料  1000万円

Bは,原告A2にとって結婚8年目にしてようやく恵まれた子どもであり,人生にとってかけがえのない,自らの生命以上に大切な存在であった。原告A2は,Bとの時間を大切にするために転職を決意するなどしており,Bが亡くなったことによる悲しみは計り知れない。また,本件事故については,上記イの原告A1の主張(ウ)aないしgのとおり,特段の事情が認められるから,慰謝料は,同年齢の幼児の死亡事故よりも増額されるべきであり,原告A2の精神的苦痛を慰謝するには1000万円を下らない。

(ウ) Bの損害の相続分  2652万7914円

原告A2は,上記アの原告A2及び原告A1の主張(オ)のとおり,Bの死亡によって,Bに生じた損害額の2分の1である2652万7914円を相続した。

(エ) 小計  3660万4334円

(オ) 弁護士費用  696万4765円

本件訴訟は,事故直後からの事実調査や子どもの発達及び保育に関して高度の専門性を有するものであり,本件訴訟を提起し追行するには,弁護士である原告ら訴訟代理人らに依頼せざるを得なかった。原告A2は,代理人弁護士との間で旧日弁連報酬基準に則り,報酬を支払うことを約したが,同基準によれば事件の難易度等に応じて3割の範囲内で増額ができるとあり,本件訴訟類型・難易度等を考慮すると着手金・報酬金ともに3割の増額が認められるべきである。したがって,弁護士費用としては696万4765円を下らない。なお,弁護士費用の算定基礎となる経済的利益は,原告A2の損害額の合計3660万4334円である。また,下記(キ)のとおり,原告A2は,独立行政法人日本スポーツ振興センターから損害の填補を受けているが,これは,弁護士が代理人として様々な調査並びに事故調査委員会及び被告に申し入れをなした結果として支給されたものであるから,弁護士費用算出の際に経済的利益として考慮すべきものである。

(計算式)

(3660万4334円×3%+69万円)×1.3=着手金232万4569円

(3660万4334円×6%+138万円)×1.3=報酬金464万9138円

232万4569円+464万9138円>696万4765円

(カ) 総計  4356万9099円

(キ) 損害の填補  1400万円

a 原告A2は,平成18年6月16日,独立行政法人日本スポーツ振興センターから死亡見舞金として2800万円の支払を受けた。

b したがって,その2分の1の額1400万円について原告A2の損害に充当する。

(ク) 請求額  2956万9099円

(被告の主張)

(ア) 原告A2の主張(ア)は争う。不妊治療費は,本件事故と因果関係がない。

(イ) 同(イ)は争う。

(ウ) 同(ウ)は争う。

(エ) 同(オ)は争う。

(オ) 同(キ)aは認める。

エ 原告A3に生じた損害

(原告A3の主張)

(ア) 固有の慰謝料  300万円

原告A3は,唯一の孫であったBを突然失ったのであり,その精神的衝撃は極めて大きい。しかも,原告A3は,本件事故当日,Bに偶然会ったことがBの発見が遅れた原因であるかのような主張がなされたため,自分を責め続ける日々を過ごしており,その精神的苦痛は相当なものである。また,原告A3の夫であるCは,平成元年以降,ガンを患って手術を繰り返していたが,Bを失った失意の中で病状が急変し,平成18年5月23日に逝去したところ,原告A3は,Bを失った失意の中で,闘病生活を送るCを看病し,看取ったのであって,その心労は想像を絶するものである。

そして,原告A3の住居は,上尾保育所から直線距離で100メートルほどしか離れておらず,Bの住居も徒歩2,3分の距離にあって,原告A3は,夕方,Bをぽっぽの家や上尾保育所まで迎えに行き,自宅で原告A1が迎えに来るまでBと過ごすことも多く,半ば同居家族と同様の状況であった。

このように,原告A3は,その生活状況から,Bと特に親密で,強い情緒的交流があり,かつ,Bの死によって被った精神的苦痛も極めて甚大であったのであるから,Bとの間に民法711条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係が存することは明らかであり,その精神的苦痛を慰謝するには300万円を下らない。

(イ) 弁護士費用  93万6000円

本件訴訟は,事故直後からの事実調査や子どもの発達及び保育に関して高度の専門性を有するものであり,本件訴訟を提起し追行するには,弁護士である原告ら訴訟代理人らに依頼せざるを得なかった。原告A3は,代理人弁護士との間で旧日弁連報酬基準に則り,報酬を支払うことを約したが,同基準によれば事件の難易度等に応じて3割の範囲内で増額ができるとあり,本件訴訟類型・難易度等を考慮すると着手金・報酬金ともに3割の増額が認められるべきである。したがって,弁護士費用としては93万6000円を下らない。

(計算式)

着手金{(300万円×8%)×1.3}+報酬金{(300万円×16%)×1.3}=93万6000円

(ウ) 請求額  393万6000円

(被告の主張)

原告A3の主張は争う。

民法711条所定の者以外の近親者に固有の慰謝料請求権が認められるためには,「被害者との間に同条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係」が存在しなければならないところ,原告A3は一度もBと同居生活をしたことはなく,家計も別々であったから,原告A3に同条の類推適用はない。

オ 原告A4に生じた損害

(原告A4の主張)

(ア) 固有の慰謝料  300万円

原告A4も,原告A3と同様,Bの成長を何よりも楽しみとしていたのであり,Bを失った精神的衝撃は極めて大きかった。また,原告A4は,本件事故により精神的に不安定な状態となっている原告A1を,物心ともに支える役割をしており,相当の心労を抱えている。さらに,原告A4の夫であるDは,本件事故前は健康だったにもかかわらず,本件事故後,Bを失ったショックで体調を崩し,平成18年2月27日には胃ガンが判明し,同年7月10日には病状が急変して,同月22日に逝去した。原告A4は,同年2月に,Dについて余命6か月の宣告を受け,娘の原告A1のことも気にかけつつ,失意の中でDを看護し,看取ったのであり,その精神的苦痛は計り知れない。

そして,原告A1は,産後約1か月間,Bを連れて里帰りしたため,原告A4は,生後間もないBと実母にも近い濃密な関係を築いたのであり,その後も,頻繁にBに会いに行ったり,Bが泊まりがけで遊びに来たりして,Bとの緊密な関係を継続していた。

したがって,原告A4は,その交流状況からすると,Bと特に親密で強い情緒的交流があったのは明らかで,かつ,Bの死によって原告A4が被った精神的苦痛は甚大であったのであるから,原告A4についても,Bとの間に民法711条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係が存するというべきであり,その精神的苦痛を慰謝するには300万円を下らない。

(イ) 弁護士費用  93万6000円

上記エの原告A3の主張(イ)と同旨。

(ウ) 請求額  393万6000円

(被告の主張)

原告A4の主張は争う。

原告A4は,Bの自宅に月2回程度訪ねてくるだけで別々の生活を送っていたのであるから,原告A4に民法711条の類推適用はない。

第3当裁判所の判断

1  上記争いのない事実等に加えて,証拠(次に記載するほか,主な証拠を各項目に掲げる。甲1ないし49,54ないし58,60,63,68,78ないし87,89ないし92,94の1ないし3,94の7ないし16,94の18,94の20ないし58,94の60,94の64ないし66,94の71ないし73,94の75ないし104,95ないし114,乙1ないし8,10ないし13,16ないし18,証人K,証人L,証人Z,証人J,証人I,原告A2,原告A1)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

(1)  Bについて

ア 出生及び発育状況(甲16,30ないし32,94の14,94の100,94の101)

Bは,平成13年3月7日午後1時38分,原告A2と原告A1の長男として出生した。出生時のBの身長は50センチメートル,体重は2880グラムであった。人を助ける(侑ける)ことのできる優しい人間になってほしいという思いを込めて,「B」と名付けられた。

その後,Bは順調に発育し,本件事故当時,Bの身長は107センチメートル,体重は18.4キログラムで,健康上の問題はなかった。

イ 性格(甲18,32,94の7,94の8の1,94の9,94の84,94の85,94の91,94の101,98,証人K,証人L,証人J,原告A2,原告A1)

Bは,明るく,素直で,人の気持ちを察することのできる気持ちの優しい性格だった。公園で遊んでいる時には,小さい子に滑り台の順番を譲ってあげたり,上尾保育所でも,友達に遊んでいるおもちゃを譲ってあげたり,友達のためにブロックで作品を作ってあげたりしていた。他にも,街でお年寄りに会うと挨拶をして,おどけて見せて笑わせたりするひょうきんな一面があり,花に水をあげている人がいると「お花きれいですね。」と話しかけたりして,人の気持ちを自然に和ませることができる一面もあった。また,Bには,遊んでいるブロックを友達に取られた時でも,その子を警戒して離れたりせずに,後について平気で遊んだりするような,純粋なところがあった。

他方で,他の子と競争したり,他の子に対して自己主張をするのが苦手で,気の弱い面があり,友達にきついことを言われると,何も言い返せないまま泣き出してしまうことが多かった。

ウ 両親との関係(甲1,16ないし18,94の7,94の8の1,94の9,94の101,95,96,106,原告A2,原告A1)

原告A2と原告A1は,婚姻後3年を経ても子どもに恵まれず,3年間ほど不妊治療を受けた末に授かった子どもがBであった。

原告A1は,パソコンオペレーターとして勤務していたが,妊娠13週目に退職し,Bが1歳になった平成14年4月から仕事を再開した。他方,原告A2は,平成16年末まで,株式会社庚のマーケティング担当課長として勤務し,宣伝や販売促進の仕事に忙殺される日々を過ごしていたが,平成17年1月5日から,隔日勤務のタクシー運転手に転職した。

原告A2と原告A1は,Bが生まれてからは,生活を全てBを中心にしようと考え,週末や休日は,Bが喜ぶプランを立てて,乗り物が大好きなBと一緒に羽田空港や交通博物館へ出かけたり,他にもディズニーランドや東京ドームなど色々なところに家族3人で出かけては,Bの喜ぶ顔を写真やビデオに撮っていた。原告A2の転職後は,1日おきではあるが,家族3人で1日にあったことを話しながら楽しい夕食の時間を過ごし,夕食後はBと一緒にBが大好きだった「マジレンジャー」や「デカレンジャー」ごっこを親子で楽しんだり,親子で一緒にブロックを作ったり,親子で風呂で遊んだりして,夜には親子で一緒に川の字になって寝るという日々を過ごしていた。

エ 原告A3との関係(甲105)

原告A3は,Bの父方の祖母(原告A2の母)であり,Bは,原告A3にとって唯一の孫であった。原告A3の自宅は,上尾保育所から直線距離で100メートルの位置にあり,Bの住居からも徒歩2,3分の距離で,300メートルほどの距離にあった。そのため,原告A3は,Bが風邪を引いたり熱を出した時には,Bの自宅へ行って,原告A1が仕事から帰るまでBの看病をしたり,多い時期はほぼ毎日のように,午後4時半から5時ころ,夫のCとともに,Bをぽっぽの家や上尾保育所まで迎えに行き,原告A1が迎えに来るまで,原告A3の自宅で,夕食を一緒に食べ,テレビを見たり,Bが折り紙やブロック遊びをする様子を見守ったり,時には一緒に折り紙を折ったりしながら,過ごしていた。また,原告A3は,Bに本を買って持たせたり,編み物が得意なため,Bにぬいぐるみや洋服を編んであげたりしていた。

オ 原告A4との関係(甲6,7,107,原告A1)

原告A4は,Bの母方の祖母(原告A1の母)であり,埼玉県本庄市内に居住している。唯一の娘であった原告A1は,出産後,生後まもないBを連れて約1か月間,実家に里帰りをした。この間,原告A4は,Bと原告A1とともに3人で添い寝をして,Bが夜中に目を覚ますと原告A1と交代でミルクをあげたり,おむつを替えたり,あやしたりしたほか,昼間は一緒に沐浴をさせたりした。Bと原告A1が自宅に帰った後も,原告A4と夫のDは,月2回くらいの頻度で,Bの自宅に通ってBと遊び,月1回くらいは,Bを泊まりがけで遊びに来るよう誘って,スーパー銭湯や映画,ショッピングセンターに連れて行った。また,お食い初めや誕生日,お節句,クリスマスなど,祝い事がある時は必ず,プレゼントを持ってBに会いに行った。

(2)  上尾保育所について

ア 平成17年8月当時の概況(甲11,35,94の10,94の64,94の71,94の75,94の76,94の83,94の90,乙1)

(ア) 所在地 上尾市a町b丁目c番d号

(イ) 開設日 昭和28年12月15日(平成4年に現在地に新築移転)

(ウ) 施設 鉄筋コンクリート造2階建の1階部分

1階園舎面積  993.10平方メートル

敷地面積  2917.18平方メートル

(エ) 間取り 別紙図面1のとおり

(オ) 開所時間

平日 午前7時から午後7時まで

土曜 午前7時から午後6時まで

(カ) 通常保育時間

平日 午前8時30分から午後5時まで

土曜 午前8時30分から午後0時まで

(キ) 時間外保育時間

平日 午前7時から午前8時30分まで午後5時から午後7時まで

土曜 午前7時から午前8時30分まで午後0時から午後6時まで

(ク) 日課時限(4歳児クラス)

7:00 時間外保育

8:30 順次登所,健康チェック

9:30 遊び,クラス別活動

11:30 給食

12:30 お昼寝準備,お昼寝

14:30 目覚め,着替え

15:00 おやつ,遊び

16:30 健康チェック,順次降所

17:00 時間外保育

19:00 閉所

イ 本件事故当時の保育方針,保育状況等(甲22,23,27,28,94の64,94の71,94の81及び82,94の88及び89,94の95及び96,乙17,証人K,証人Z,証人J)

(ア) 上尾保育所を始めとする上尾市立の保育施設では,もともと設定保育,すなわち園児の発達に応じた教材を準備して,課題を設けて指導し,園児の成長を促すような保育が行われていたが,昭和48年ころから,自由保育,すなわち保育士が課題を設定しないで,園児の意欲を大切にして自分たちで自由に遊ばせる環境を作り出す保育が,現場で取り入れられるようになり,定着していった。このような自由保育には,園児の遊びに対する意欲を達成させ,児童の個性を伸ばせるという利点がある反面,園児の行動把握が難しく,安全面で問題があり,放任保育になりかねないという欠点があるため,保育士としては,園児一人一人の行動に気を配り,危険のないよう見守り,援助していくことが必要となる。

本件事故当時の上尾保育所においても,自由保育の時間が多く取り入れられていたが,J所長が着任した平成16年4月当時,保育士らは,児童らを自由奔放に遊ばせている状況で,窓やピアノ等に登って遊んでいる子どもや,棚から飛び降りる子ども,廊下を走っている子ども,カーテンにぶら下がっている子ども等がしばしば見受けられる状態だった。また,保育士らが児童らの行動把握をしていないことがあり,例えば,児童らがプールで遊んでいるにもかかわらず,担任保育士が保育室で片付けをしていて児童らの監視をしていないことなどがあった。また,保育士らは,児童に対して,トイレ等保育士が見えないところに行く時には保育士に声をかけてから行くようにという指導をしておらず,児童が保育士の見えないところへ行くことは自由であった。

(イ) 園児の保育にあたっては,年度初めに,各クラスにおいて年間保育目標を設定し,さらに,月案,週案という形で保育目標を作成した上,これに基づき,担任保育士が当日の計画を立てて,これを実行する方法が採られていた。しかし,この週案には,日単位の計画は書かれないまま,その日の出来事が書いてあるだけであり,また,本来,週案,月案を作成するにあたって参考にされるはずの前週又は前月の児童の姿や遊びの興味,友達関係等についても記載されていなかった。そして,J所長は,上記月案ないし週案について,非常におおざっぱで問題があると認識しつつも,保育士らに指導や注意をしていなかったし,J所長自身も,計画段階でこれを確認するのではなく,その月又は週が全て終わった段階で,事後的にまとめて確認するにすぎなかった。

ウ 本件事故当時における職員会議の状況(甲94の55,94の66,94の80,94の82及び83,証人J,証人I)

上尾保育所では,月1回,午後5時から2時間程度,職員会議が行われていたが(被告は,時間外勤務手当を削減するため,職員会議は原則として月1回2時間で行うよう指導しており,上尾保育所もこれに従っていた。),出席者は,常勤の保育士に限られ,非常勤の保育士は出席していなかった。そして,職員会議では,J所長が,保育所長会議の結果を報告し,来月の行事予定,保護者からの要望等を説明したり,散歩時等の注意事項を指示したり,必要な物の購入や施設の改善修理依頼等について話し合いが行われたりしていたが,個々の児童の保育状況や発達状況,遊びの状況,他の児童との関係性,現在及び将来の保育計画等について協議をしたり,各クラスの気がかりな児童についての情報を共有することはなく,保育所内の危険箇所の見直し等が話題となることもなかった。

また,J所長や8名の保育士らは,本件事故前にも本件本棚に子どもたちが出入りして遊んでいる状況を目撃していたにもかかわらず,その状況に関する話題が職員会議で取り上げられたことはなく,これについて保育士間で話し合われたこともなかった。

エ 本件事故当時における危機管理体制(甲94の64,94の85,94の94,乙12,13,証人K,証人L,証人J)

J所長は,上尾保育所内の安全対策として,自らマニュアル本を作成し,職員会議の時などに,職員に対し,他の保育所で発生した事故の事例を話して同じような事故が発生しないよう注意したり,保育所外に散歩に出かける際の人数確認を徹底することや保育所内の廊下を走らせないようにするなどの指導をしていたほか,児童が怪我をした場合には全て報告するよう指示を出していた。

また,I課長は,本件事故当時,園児の安全確保や事故発生時の対応について,園児の安全確保に対するマニュアル(乙12)やチェックリスト等(乙13)に従って対応するよう指導しており,保育所長会議では,各保育所長に対し,保育士は保育の経験を活かして子どもたちの行動を把握し,その中で事故の起こる可能性を予知する能力を育て,事故を未然に防ぐよう注意してほしいと呼びかけたり,保育所の行事ごとに,事故防止に努めるよう注意をしていた。

しかし,上記マニュアルには園児が所在不明となった場合に関する記載はなく,J所長もI課長も,園児が所在不明になったときに,誰が捜索活動を指揮するのか,所長に報告するのか,所長が不在のときはどうするのか,捜索活動と日常保育活動との役割分担をどうするのか,捜索の手順(最後の足取りを確認し,最も可能性のあるところから潰していく等),警察への通報,保護者への連絡など,緊急時にどのように行動するのかについては,特に指導をしていなかった。

オ Bが所属することとなったクラスについて(甲94の34,94の83,94の91,乙16,証人K,証人J,証人I)

後記(4)アに認定のとおり,Bは,平成16年4月1日になって,上尾保育所に入所し,3歳児クラスばら組に所属したものであるが,同クラスの保護者には,Bの入所前から,児童が怪我をした際などに被告及び上尾保育所に対して様々な要求をする保護者がおり,被告及び上尾保育所は,その対応に苦慮していた。このような保護者や児童がいると,担任保育士としても,その児童の動静に気をとられることが多くなり,他の児童に対する意識が希薄になる傾向があるため,児童福祉課は,2歳児クラスの時まで職員の加配措置を採り,通常,2歳児の児童6人に対して保育士1人を配置すれば足りるところに,保育士を1人増員し,4人の担任保育士で2歳児18人を担当していた。

ところが,上記のような問題が何ら解決していなかったにもかかわらず,児童福祉課は,着任したばかりのJ所長の意見を聞いたものの,上尾保育所からの申請がなかったので,平成16年4月,上記クラスが3歳児クラスに進級するにあたって上記加配措置を採らなかった。その結果,3歳児クラスでは児童24人を担任保育士2人で担当しなければならなくなった。

なお,後述するとおり,このクラスについては,3歳児クラス及び4歳児クラスを通して担任を希望する者がなく,なかなか担任が決まらないという状況にあった。

(3)  本件本棚について

ア 本件本棚の設置場所(甲35,94の11ないし15,94の85,乙1)

本件本棚は,別紙図面1のとおり,L字に曲がった廊下の内側の側面に設置されており,4歳児の保育室や事務室から見ることができない位置に存在した。また,ホール(遊戯室)と設置場所の廊下との間には壁があり窓が設置されているが,窓下の腰壁が子どもの背丈よりも高く,死角になっているため,本件本棚の下部はホールの中からも見えない状況にあった。

イ 本件本棚の構造(甲35,94の11ないし15,94の85,乙1)

本件本棚は,別紙図面2のとおり,高さが120センチメートル,幅が90センチメートル,奥行きが44センチメートルあり,上部には5段の絵本スタンド,下部には半分に仕切られた引き戸式の収納庫があるものであった。そして,後述のとおり,Bが発見された下部右側の収納部分は,高さが35.5センチメートル,幅が42センチメートル,奥行きが39.5センチメートルあった。この収納庫には,絵本など一切物が入っていなかったが,空の状況のまま,引き戸が取り付けられていた。なお,Bと同じ体格や月齢の子どもは,一人で当該収納庫の中に入ったり,その引き戸を閉めたり,そこから出たりすることが比較的容易にできるが,引き戸が閉まると中の湿度が急激に上昇し,すぐに息苦しさを感じて出て来ざるを得ない状況になることが判明している。

ウ 本件本棚の管理状況(甲35,94の77,94の80,94の85,94の91,102ないし104,証人J,証人I)

本件本棚は,平成15年ころ,前所長であった丁が購入したものであり,当初はホールに置いてあったが,その後,本件事故当時の位置である三角倉庫前の廊下に設置されるようになった。なお,本件本棚の設置場所について,上尾保育所は,薄暗いから三角倉庫横の廊下に本棚用の補助照明を設置してほしい旨を上尾市児童福祉課に依頼し,これに対し,上尾市児童福祉課が,三角倉庫横の廊下は暗くて本棚の設置場所として適していないから,他の場所を再度検討してほしいとして照明器具を設置することを拒否したことがあった。しかし,上尾保育所は,本件本棚を移動させずに照明器具を保育所配分の消耗品費で購入して設置しただけで,その後,設置場所を再検討することはなく,児童福祉課も,設置場所について指導はしたものの,指導に従った措置がなされたかどうかの確認などは一切せずに,そのまま放置していた。

また,J所長は,平成17年6月ころ,本件本棚を含む3つある本棚の下部の収納庫の戸を全て外したが,本の数が足りず,中の本が倒れて見栄えがよくなかったため,1週間ほどで,一番右側の本棚の収納庫だけに本を入れ,その部分については戸を外したままにし,本件本棚を含むその余の本がない収納庫については,空のまま戸を戻しておいた。

本件本棚の設置場所は,上記アのとおり,いわゆる「死角」ともいえる危険で目の届かない場所であり,各保育士達もそのことを認識していた。しかも,J所長や8名の保育士らは,本件事故前に,本件本棚に子どもたちが出入りして遊んでいる状況を何度か目撃していたにもかかわらず,出入りする子ども達にその場で注意をしただけで,本件本棚への出入りについて,職員会議で話し合ったり,J所長が職員に注意するよう指示したことはなく,また,本件本棚を,死角にならない場所に移動したり,戸を外しておくなどの危険防止措置を採ることもなかった。

また,本件本棚の維持管理及び絵本の管理について,上尾保育所内で責任者は決められておらず,各年度で保育士や所長の交代がなされる際にも,後任者に絵本や本棚の管理等について引継ぎがなされることもなかった。

(4)  本件事故前の状況

ア 上尾保育所への入所と3歳児クラスの保育状況(甲24,25,32,94の7,94の9,94の83,94の85,証人K)

(ア) Bは,3歳になったばかりの平成16年4月1日,上尾保育所に入所し,3歳児クラスばら組に入った。ばら組の児童は全部で24名おり,担任保育士は,K保育士とM保育士の2名であった。なお,上記(2)オのとおり,3歳児クラスについて,担任を希望する者がなく,結局,過去にこの子ども達の担任をしたことがあったK保育士とM保育士が担任をすることになった。

(イ) Bは,入所当時,泣いて登所を嫌がることが多かったが,徐々に友達の中に入って行けるようになっていった。秋ころには,入所当時できなかった,箸で食事をすることや一人でトイレに行くこともできるようになり,歩き方もしっかりしてきて,成長している様子が見られた。

しかし,Bは,入所当時から,他の児童から意地悪をされると,すぐに泣き出してしまうことが多く,自宅に帰ってからも,「仲間に入れてくれない。」「Rが意地悪するんだ。」などと両親に訴えたり,「Pに今度何か言われたらばかって言うんだ。」「Pに今度何か言われたらうるせーって言うんだ。」などとぶつぶつ独り言を言うことがあった。現に,原告A2や原告A1は,送り迎えの際に,Bが他の児童から,「Bはこっちへ来るな。」と仲間外れにされたり,「あっちへ行け。」と言われて泣いている様子や,強い口調でからかわれている様子などを目の当たりにしており,そのため,原告A2と原告A1は,その都度,連絡ノートにその状況を詳しく記載し,K保育士とM保育士に対して,BがPやQたちからいじめられて心が傷ついているのではないかと心配していること,Bが3月生まれで言葉の発達等にハンディがあることも攻撃される原因となっているようだから配慮してほしいこと,Bをいじめる児童に対しても注意,指導をしてほしいことなどを伝えて,対応を求めていた。

これに対して,K保育士らは,上記のような状況は,Bがはっきりと意思表示できないためであると考え,Bに対し,「泣かないで話をするんだよ。」「嫌なことは,嫌だと言わないと駄目だよ。」と指導し,原告A1に対しては,Bはいじめられているのではなく「友達との関わり合いの手前の状況」(友達関係が芽生えるところ)であると説明して理解を求めるとともに,家庭でも人と接する機会を持つことを大事にして,食事や着替えも自分でさせるようにしてほしいという話をした。

イ 4歳児クラスへの進級及び4歳児クラスの保育状況(甲29,94の7,94の9,94の81,94の83,94の85,94の91,94の94,証人K,証人L)

(ア) 4歳になったBは,平成17年4月,4歳児クラスきく組に進級した。きく組の児童数は25名で,Bは,25名の中で月齢が2番目に低い児童であった。4歳児クラスについても,3歳児クラスに引き続き問題のある児童や保護者がいたため,担任を希望する者がいなかったが,最終的に,ばら組から継続して担当するK保育士と,新たに担当するL保育士が担任となることになった。

(イ) Bは,新たに入所したVやWと仲良くなり,一緒に遊ぶことが多くなっていった。しかし,原告A1は,上尾保育所への送迎時に,他の児童に「なんでBはQやPがいじめると,すぐ泣くの。」と言われるなど,Bが他の児童から命令されるような状況を見聞きしていたため,連絡ノートで担任保育士に対応を求める状況が続いていた。

また,同年6月13日には,Bがプールに入らなかったにもかかわらず,L保育士から原告A2と原告A1への連絡ノートには,「水着に着替え,はりきって入りました。この間よりは,水も多めで,プールらしいプールあそびができました。」と記載されていたため,翌朝,原告A1は,連絡ノートに,Pと約束をしたからプールに入らなかったとBが言っている,プールに入らなかった状況を教えてほしい旨の記載をしたところ,L保育士は,連絡ノートに,「水着に着替えてプールに向かったので,入っていたものと思っていました。(Bに)『自分の気持ちは言葉で話そうね。友達も分かってくれるよ。』と話をしました。」との返信をして,結局,Pに対して,なぜプールに入らないでとBに言ったのか尋ねることはしなかった。原告A1は,Pとの関係で担任保育士らがBに対して何もしてくれていないと感じたため,その不満を直接伝え,Bがいじめられているので守ってほしい旨を伝えたところ,L保育士からは,大人が介入ばかりすると大人の介入を待つ子どもになってしまう,Bは私達がきちんと見ているという話をされた。

(5)  本件事故当日の状況

ア 本件事故当日の保育体制等(甲12ないし15,33の5,35,94の15)

平成17年8月10日の上尾市は,朝から曇りで,午前10時ころには雨が降った。午前11時ころの気温は27.7度,湿度は76.7%であった。

この日,きく組の児童は,5名が欠席し,20名が登所していた。Bがよく一緒に遊んでいたVとWは,2名とも欠席していた。また,きく組の保育体制は,次のとおりであった。

(ア) K保育士 午前8時30分から午後5時まで

(イ) L保育士 午前7時から午後3時30分まで

(ウ) O保育士 午前8時30分から午後1時まで(ただし,午前8時30分からは2歳児クラスを担当し,4歳児クラスを担当したのは午前11時15分ころからであった。)

(エ) N 午前8時30分から午後5時まで

なお,J所長は,この日,午前9時から,上尾市役所別館2階職員研修室で行われていた研修に参加しており,不在であったため,T主任保育士が所長代行を務めていた。

イ Bの登所とその後の所内での状況(甲35,94の9,94の60,94の84,94の86,94の92及び93,94の104,証人K,証人L)

(ア) Bは,朝食を済ませた後,原告A1と自宅を出発し,午前8時10分ころ,上尾保育所に到着した。Bは,きく組の保育室に入ると,飼育箱のカブトムシをつかんで,「見て。こうやって持つんだよ。」と原告A1に見せた。すると,近くにいた児童が「これはYのだから触っちゃ駄目。」と言ってきたため,Bは,泣き出しそうになりながらカブトムシを手から放した。原告A1は,Bに「これは保育所で飼っているんだから誰でも触っていいんだよ。Bは悪くない,大丈夫。」と話しかけ,Bを抱きしめた。その後,原告A1は,Bと「バイバイ。」をして別れ,上尾保育所を後にした。

(イ) 午前7時少し前に出勤していたL保育士は,きく組の保育室で登所してくる児童らを迎え入れた。午前8時30分までの時間は,自由遊びの時間となっているため,児童らは,それぞれ好きな遊びをしており,Bは,きく組保育室内でブロック遊びをしていた。K保育士は,午前8時20分前ころ出勤し,ブロック遊びをしているBに「おはよう。」と声をかけた。

(ウ) 午前8時30分を過ぎ,通常の保育時間帯となってからも,午前9時30分までは自由遊びにすることとし,K保育士とL保育士は,廊下やホール,きく組の保育室で,児童らと一緒に遊んでいた(この時,Bは,ホールで遊んでいたものと思われる。)。

(エ) ボランティアのNは,午前8時50分ころ,きく組保育室に入り,児童らと園庭に出て,鬼ごっこなどをして遊んでいた。

(オ) 午前9時10分ころ,K保育士とL保育士で相談し,3歳児クラスと5歳児クラスが林の方に散歩に行くので,4歳児クラスは,上尾保育所から200から300メートルほど離れた場所に借りている畑に連れて行くことを決め,午前9時20分ころ,児童らと遊具の片付けを始めた。

ウ 散歩への出発から上尾保育所に戻るまでの状況(甲35,94の60,94の84,94の86,94の92及び93,94の103,94の104,証人K,証人L)

(ア) K保育士とL保育士は,午前9時30分すぎころ,出入口の前に児童20名を2列に並ばせて,人数を確認してから,畑に向けて散歩に出発した。児童らは,2列で隣の児童と手をつないで歩き,K保育士は児童らの先頭に,L保育士は最後尾に,ボランティアのNは列の中程に位置しながら歩いた。この時,Bは,Sと手をつないで歩いていた。

(イ) 児童らは,午前9時50分ころ,目的地の畑に到着し,草むらで虫探しなどの遊びをしていた。あまり虫が好きではないBとSは,畑の近くで2人でおしゃべりをしたり,花を摘んだりしていた。

(ウ) 午前10時過ぎころ,雨が降り出してきたので,K保育士とL保育士は,保育所に早めに帰ることにし,児童らの人数を確認した上で,畑を出発した。児童と保育士らは,行きと同じ隊列で歩き,午前10時20分ころ,上尾保育所に到着した。この時,雨は小降りになっていた。

(エ) 上尾保育所に着いた児童らは,園庭に入る出入口にある桜の木のところで,しばらくセミやセミの抜け殻を見つけて遊んだ。この時,児童の列は,崩れて固まりになっていたが,K保育士とL保育士がそれぞれ人数確認を行い,全員がいることを確かめた。

(オ) 午前10時25分ころ,原告A3が上尾保育所前の道路を通りかかったため,K保育士がBに「ほら,おばあちゃんだよ。」と声をかけると,Bは,嬉しそうに原告A3の傍に駆け寄った。原告A3は,Bに「これから買い物に行くからね。」と話しかけ,Bは,「バイバイ。」と手を振って原告A3を見送った。なお,L保育士もBが原告A3と話している様子を見ており,L保育士が生前のBの姿を確認したのは,この時が最後であった。

(カ) その後,きく組児童らと,遅れて帰ってきた3歳児クラスと5歳児クラスの児童が,入り乱れて園庭に入った。ただし,その後も,きく組児童の数名が出入口の辺りでセミ取りを続けていたため,K保育士は,しばらく一緒にとどまった後,その児童らを園庭の中に入れて,最後に門を閉めた。この時,K保育士は,友達と手をつないで園内に歩いていくBの姿を見ており,これが,K保育士が生前のBの姿をはっきりと確認した最後であった。

エ 上尾保育所に戻ってからBの所在不明の発覚までの状況(甲35,67,甲94の22ないし32,94の52,94の60,94の84,94の86,94の92,94の93,94の103,94の104,証人K,証人L)

(ア) K保育士とL保育士は,予定外の雨で散歩に代わる副案を考えていなかったため,給食の時間まで自由遊びの時間にすることにした。きく組の児童らは,午前10時30分ころ,ベランダからきく組の保育室に入り,保育室,廊下,ホールなどでばらばらに遊び始めた。この間,K保育士とL保育士が,きく組の保育室で,児童の人数を確認することはなかった。

(イ) L保育士は,午前10時30分ころ,きく組の保育室に入ると,取ってきた虫をかごに入れたいと言う児童がいたので,5,6人の子ども達と一緒にバッタを虫かごに入れた。その後,L保育士は,同保育室内のテーブルで,4,5人の児童らと粘土遊びをしていた。粘土遊びを始めてすぐ,Sが加わってきた。ボランティアのNも,同保育室内の別のテーブルで,別の児童ら3,4人と粘土遊びをしていた。

K保育士は,午前10時30分ころ,きく組の保育室内でリュックを降ろすと,畑の草で怪我をしたり虫に刺された子ども達に薬を塗り,その後,桜の木のところで見つけた孵化したばかりのセミを他のクラスの児童にも見せようと,ベランダを通って3歳児の保育室へ向かった。しかし,3歳児の中に怪我をしてパニック状態になっている児童がいたので,そのままきく組の保育室に戻った。この時,K保育士は,きく組の保育室に戻る途中で,ホールにいたPが事務室の方に行くのを目撃した。そして,午前10時40分ころから,きく組保育室内の押入れの前で子ども達6人から10人くらいと一緒にブロックを使用したごっこ遊びをしていた。そのころ,PとXは,廊下ときく組保育室との間を出たり入ったりしていて,しばらくごっこ遊びをしている傍で遊んだ後,また保育室を出て行った。また,Qは,途中からごっこ遊びに加わった。

なお,Bは,いずれの遊びにも加わっておらず,両保育士は,その姿を保育所内で見かけることはなかったが,廊下に出たり入ったりしていたPやXと一緒に廊下かホールで遊んでいると思っていた。また,上記のように,K保育士は,保育室から出て行くPの姿を確認していたが,2日くらい前から大人の目を気にして避けていると感じていたため,その日はあえてPを追いかけて様子を見ることをしなかった。

(ウ) Bは,散歩から帰ってから,P,R,Q,Xと一緒に,ホールや廊下で,セミの抜け殻ごっこ(柱などに捕まる遊び)をした後,途中からSも加わって,鬼ごっこないしセミごっこ(鬼に見つからないように隠れる遊び)をして,遊んでいた(もっとも,鬼ごっこないしセミごっこをしている間,Bや他の児童らが具体的にどのような行動をとっていたかなどの状況の詳細は不明である。)。

(エ) T主任保育士は,午前10時45分ころ,0歳児をワゴンに乗せて,本件本棚の前の廊下を通ったが,本件本棚周辺には誰もいなかった。

(オ) M保育士は,午前11時ころ,事務室から3歳児保育室に戻るとき,本件本棚の前の廊下を通ったが,静かだった。

(カ) K保育士は,廊下やホールに出ている児童らの様子が気になったため,午前11時ころ,ごっこ遊びをしていた子ども達を遠足だと誘って廊下に出た。それから,本件本棚付近の三角倉庫の前の廊下で,しばらく遠足ごっこ遊びをしてから,午前11時15分ころ,きく組の保育室に戻った。しかし,この時,K保育士は,一緒にごっこ遊びをしている子ども達以外の4歳児を廊下やホールで見かけることはなかった。

(キ) K保育士は,午前11時15分ころ,粘土遊びをしていたL保育士にそろそろ給食の準備を始めようと話し,L保育士,ボランティアのNと共に,児童らに声をかけ,ブロックや粘土等の片付けを始めた。それから,K保育士は,調理室まで配膳用のワゴンを取りに行き,午前11時30分前には,保育室に運んできた。その間,L保育士とボランティアのNは,O保育士とともに,給食用のテーブルを出したり,椅子を並べたりして,給食の準備をしていた。

(ク) O保育士は,午前8時30分から午前11時15分まで,2歳児クラスちゅうりっぷ組を担当していたが,午前11時30分からは,L保育士と交替して4歳児クラスきく組の保育を担当することになっていたので,午前11時15分ころ,きく組保育室へ行き,片付けや掃除,昼食の準備を手伝っていた。O保育士は,きく組保育室へ行った際,本件本棚の前を通ったが,その付近には,Q,P他1名の児童がいた。また,O保育士は,昼寝の準備のため,ホールにゴザを持って行った際にも,ホールの前の廊下にQ,P,Rがいたのを見ている。

(ケ) L保育士は,午前11時30分ころ,休憩時間に入るため,保育室を出た。L保育士は,本件本棚の前を通り,調理室から自分の分の給食を取って,休憩に入った。この時,Qが児童用トイレの前で立ちすくんでいたたため,L保育士は,「どうしたの,Q,何いじけてるの。」と声を掛けたが,プイッと背中を向けられてしまったため,いつものことだから機嫌が直れば食事に行くだろうと思い,そのままにして休憩室へ向かった。

(コ) K保育士とO保育士は,給食を配膳し,これを児童らに自分で運ばせて席につかせていたが,皿が余ったのでおかしいと思い,午前11時35分ころ,児童を確認して初めてBら数名の児童がいないことに気が付いた。

そこで,K保育士は,廊下に出て,保育所内の児童用トイレやホール,三角倉庫,職員トイレなどを捜したが,Bは見つからなかった。この時,Qが職員トイレの前で1人でいじけた様子でいたので,「どうしたの。」と声を掛けて,保育室に連れ戻し,児童用トイレのある水道のところにいたP,Rも一緒に保育室に連れて戻った。この時,保育室に戻ったRは,腹痛を訴えて席につこうとしなかった。

オ Bの捜索の状況(甲35,94の13,94の33,94の35,94の52,94の60,94の76及び77,94の79,94の84,94の86,94の92及び93,94の102ないし104,乙17,証人K,証人L,証人J)

(ア) K保育士は,散歩から帰ってくるときにBと手をつないでいたSや,その周りにいた児童らに,「B君がいないんだけど,知ってる。」と尋ねたが,Sは何も話さず,他の児童らからも反応がなかった。

K保育士は,午前11時40分ころ,休憩室にいたL保育士にBが行方不明であることを伝え,T主任保育士にもその事実を伝えた。K保育士は,Bの靴が靴箱に置いてあるのを確認したものの,保育所内を捜しても見つからなかったこと,散歩から帰ってきた時にBが原告A3に会ったのを思い出したことから,もしかしたら外に出て行ったのかもしれないと告げ,これを聞いたT主任保育士の指示もあって,Bの自宅と原告A3の家に捜しに行くことにした。

K保育士は,自転車で原告A3の家に行ったが,留守だったため,さらにBの自宅へ行ったが,呼び鈴を押したり玄関ドアをノックしても反応がなかった。そこで,上尾保育所に戻って職員ロッカーの中を捜した後,もう一度外に出て,同保育所前の芝川,近くのスーパーやコンビニ,畑などを捜したが,Bを見つけられないまま,同保育所へ戻った。その直後,後述のとおり,上尾保育所に戻ってきたJ所長によって本件本棚からBが発見された。

(イ) L保育士は,午前11時40分ころ,K保育士からBがいないことを知らされた。L保育士は,保育所の中を捜したけどいなかったというK保育士の言葉を聞いて,上尾保育所の近くにある芝川や交通量の多い道路等が頭に思い浮かんだことに加え,数か月前に母親を捜しに自分で門を開けて外へ出て行った園児がいたことを思い出したことから,Bが外に出て行ったのではないかと考え,他の保育士と一緒にBの自宅を見に行った。この間,L保育士は,Bが誰と遊んでいたかを確認することはなかった。

ところが,Bが自宅に帰った様子はなかったため,L保育士は,一度上尾保育所に戻り,児童用トイレ,ホールのカーテンの裏やピアノの裏,職員用トイレ,三角倉庫,休憩室,休憩室内の職員ロッカーの中,和室のふすまの中,冷蔵庫の中,事務所のソファーの下やカーテンの裏などを捜したが,Bを見つけることはできなかった。そこで,再び自転車に乗って芝川沿いや上尾駅の方まで捜しに行ったが,見つからないまま保育所に戻った。この時は,Bが本件本棚の中から発見された直後だった。

(ウ) T主任保育士は,K保育士からBの所在不明を知らされた後,各クラスの保育室に赴き,Bを見なかったか尋ねてまわり,各クラスの保育士にBがいないので保育所内外に捜しに出て欲しい旨を指示した。これにより,保育士らは,Bの自宅,上尾保育所近くの川沿い,林,スーパー,コンビニ等を捜したり,同保育所内のホール,三角倉庫,トイレ,休憩室,カーテン,押入などをそれぞれ捜索したが,Bは見つからなかった。ただし,本件事故当日に勤務していた上尾保育所の職員18名の内5名は,Bの顔と名前を把握していなかったため,Bの捜索に加わることができなかった。

その後,T主任保育士は,K保育士からBが原告A3の家やBの自宅にはいなかったとの報告を受け,警察に保護されているかもしれないと思い,U保育士に上尾警察署へ確認に行くよう指示した。また,T主任保育士は,J所長の携帯電話に電話をしたが,電源が切られていて連絡をとることができなかった。

(エ) U保育士は,T主任保育士から,Bの姿が見えず,買い物に行く原告A3に会ったからついて行ってしまったのかもしれないと知らされ,自転車で近くのスーパーまで捜しに行ったが,見つけられないまま上尾保育所に戻った。それから,T主任保育士の指示でBが警察署に保護されていないか確認して捜索願いを提出するため,午後0時15分ころ,上尾警察署の生活安全課へ向かった。その途中,J所長と出会い,Bが所在不明であることを説明したところ,J所長は,急いで上尾保育所へ戻って行った。U保育士は,Bが警察署に保護されていなかったため,捜索願いを提出する手続を行っていたところ,上尾保育所内でBが見つかり救急車で搬送する旨の連絡を受けた。

(オ) J所長は,昼食をとりに上尾保育所に戻る途中,上尾警察署の前辺りでU保育士に会い,Bが30分くらい前から行方不明であり,警察に届出に来たと聞かされ,急いで上尾保育所に戻った。J所長が上尾保育所に到着したのは,午後0時15分ころであったが,同じころ,連絡しておいた上尾市のI課長らも上尾保育所に来ていた。J所長は,T主任保育士から,Bが散歩から園内に戻ってきたのは確かだが,保育所の中を捜しても見つからない旨の報告を受け,すぐに芝川沿いを捜しに行った。しかし,捜し始めてすぐに,かくれんぼでもして保育所内のどこかに隠れてそのまま眠っているのではないかと思い,数分経たないうちに保育所へ戻った。そして,まず,三角倉庫の中を捜したが見つからず,三角倉庫から廊下に出たところ,ふと倉庫の前に設置されている3個の本棚が目に入り,一番左の本件本棚の下部にある収納庫の右側の引き戸を開けた。すると,10センチメートルくらい開いたところで戸が引っかかり,中に人の手のような物が見えたため,少し力を入れて戸を引いて開けたところ,中にBがいるのを発見した。午後0時25分ころだった。

カ Bの発見後の状況(甲3,35,38ないし41,94の8の1,94の9,94の13,94の20,94の43,94の76及び77,94の79,94の101ないし103,証人J,原告A2)

(ア) Bは,発見時,本件本棚の右下部にある収納庫の中で,真ん中の仕切り板の方に頭を置き,体の右側を下にして,顔をやや上に向け,両手を顔の前辺りにそろえて,両膝を折り曲げて体を丸めている状態だった。J所長は,その姿を見て「B君」と大声で声をかけたが,反応がなかったため,「救急車」と叫びながら,Bの体を外に引っ張り出した。Bは,オレンジ色の半袖Tシャツとグレーの半ズボンを着用していたが,全身が汗びっしょりで,体温が高く,意識のない状態であった。

J所長は,叫び声を聞いて集まってきた他の職員らと,Bの両脇の下や両股関節に濡れタオル等を当てて体を冷やしたり,人工呼吸や心臓マッサージをしながら,救急車が到着するのを待ったが,Bが意識を取り戻すことはなかった。

(イ) 上尾消防署は,午後0時26分にT主任保育士から通報を受け,救急車は,午後0時31分に上尾保育所に到着した。到着時,Bは既に心肺機能停止状態だった。救急隊は,直ちに救急蘇生を含めた救命処置を開始し,同処置を継続したまま,Bを埼玉医大の高度救命救急センターへ搬送した。J所長と戊看護師が同行し,救急車が同病院に到着したのは,午後0時59分であった。

(ウ) 病院収容時,Bはやはり心肺機能停止状態で,腸内の体温は40.9度あった。担当医師は,気管挿管や強心剤投与等の救命措置を施したが,一度も心拍が再開することなく,午後1時50分,Bの死亡が確認された。

(エ) 原告A1は,昼食から職場に戻ってきた午後0時45分ころ,上尾保育所からすぐに来てほしいとの連絡があったという伝言を聞き,携帯電話を見ると,午後0時30分ころ着信があり,留守番電話には「B君が本棚の中で見つかって気絶している」とのメッセージが入っていた。原告A1は,原告A2に連絡を入れて上尾保育所へ向かうよう頼んでから,自分も上尾保育所へ向かっていたが,その途中,上尾保育所から,Bが埼玉医大に運ばれたから埼玉医大に行ってほしいとの連絡を受けた。そして,午後1時30分ころ,埼玉医大に到着した。

原告A2は,午前9時過ぎに帰宅して仮眠をしていたところ,午後0時45分ころ,自宅を訪ねてきたK保育士とL保育士から,Bが埼玉医大に救急車で搬送されたので至急向かってほしいと言われ,原告A1からも同旨の連絡を受けた後,同医大へ向かった。

原告A2が,埼玉医大に到着後,Bがいるという救急救命センターの処置室に行くと,J所長や市の職員らが並んでいて,頭を下げられた。まもなく原告A1が到着し,その後,担当医師に呼ばれて二人で処置室に入った。原告A2と原告A1は,横たわるBと対面した状態で,担当医師から「お父さんとお母さんのご了解を得て,蘇生を終了させていただきます。時間は午後1時50分です。」と告げられた。

(オ) Bの死亡原因は,熱中症と推定され,Bは,午前11時25分ころ,本件本棚の中で熱中症を発症し,その約1時間後である午後0時25分ころ死亡したと推定される。

キ Bが本件本棚の収納庫に入り込んだ原因について

Bが,何の理由もなく本件本棚の収納庫に一人で入り込んだとは認め難いというべきところ,原告らは,Bが本件本棚の収納庫に入り,出てこられなくなったことについて,P及びQが何らかの関与をしたと主張したうえ,原告A2と原告A1は,本人尋問においても,Bが本件事故当時同じクラスの児童からいじめを受けていたのであり,Bが本件本棚の収納庫に入り込んだ原因についても不審がある旨の供述をする。

この点について検討するに,証拠(甲94の22及び23,94の25,94の27,94の29,証人K,証人L)によれば,警察官が本件事故直後に,Bと一緒にいたとみられる複数の児童に事情を聴取したところ,いずれの児童も,本件事故前にBと鬼ごっこをしていたなどと答えたこと,また,K保育士及びL保育士が,本件事故後,1か月ほど経った後に,Bと一緒にいた複数の児童に聞いたところ,概ね,Bと鬼ごっこをして遊んでいたところ,途中でBがいなくなったなどと答えたことが認められるにとどまり,他に原告らの主張を裏付けるに足りる証拠はない。そして,本件全証拠を精査しても,同じクラスの児童からのいじめの一環として,Bが本件本棚の収納庫に入れられたとか,Bが本件本棚の収納庫に入っているのを知りながら放置されたとは認め難く,結局,本件全証拠によっても,Bが本件本棚の収納庫に入り込み,出てこれなかった原因を解明することはできないというほかない。

(6)  本件事故後の状況

ア 本件事故後の被告及び上尾保育所の対応等

(ア) 原告A2と原告A1は,本件事故当日の平成17年8月10日午後1時50分ころ,埼玉医大でBの死亡確認をすませると,呆然とした状態で一度帰宅し,その後,上尾警察署へ行って事情聴取を受けた。この時,F市長が謝罪のため原告A2と原告A1を訪ねたが,事情聴取中であったため,面会できなかった(甲94の101,乙3)。

(イ) 本件事故当日,Bの遺体は,司法解剖のため上尾警察署に引き取られていたので,原告A1は,翌11日午前4時ころ,上尾警察署におもちゃと着替えを差入れ,霊安室の外からBのためにお祈りをした(甲94の101)。

(ウ) 同日午前7時50分ころ,被告の職員らが原告A2らの自宅を訪れたが,原告A2と原告A1は,原告A3の自宅へ行っていて留守だった。なお,原告A2と原告A1は,それ以後,同月21日に原告らから連絡を取るまで,被告及び上尾保育所の職員らから連絡を受けることはなかった。

(エ) 原告A2と原告A1が,同月11日午後3時ころ,上尾保育所へBの荷物を取りに行ったところ,保育士らが土下座をしてきたが,原告A2は,Bが本件本棚に入って死亡した詳しい経緯について誰も話そうとしないことに腹を立て,保育士らに対して,どうしてこうなったのか教えてくれと述べた(甲94の101,乙3)。

(オ) 被告は,同日午前8時45分から9時30分まで,上尾市役所内において緊急の保育所長会議を開催し,上尾市立保育所の各所長らに対して,H部長やI課長ら被告の職員が,本件事故の報告と引き戸付き戸棚類についての注意喚起や危険箇所の点検等の呼びかけを行った。また,同日午前11時ころ,記者会見をして事故報告説明を行い,同日午後6時ころには,上尾保育所で緊急の保護者会を開き,上尾保育所に通う児童の保護者に対し,本件事故の報告と説明を行った。なお,記者会見や保護者会を開くことは,原告A2と原告A1には知らされていなかった(甲42,94の101,95,乙3)。

(カ) 原告A2と原告A1は,同日の夕方ころ,上尾警察署からBの遺体を自宅に連れて帰り,BのためにアニメDVDを再生して,一緒に見ているかのようにBに話しかけ続けた。Bの通夜は,翌12日の夜に行われ,同月13日には葬儀が行われた(甲94の101)。

(キ) J所長は,同月13日ころ,本件事故が起こった経緯や原因を明らかにするため,保育士全員から,記憶が鮮明なうちに当日の行動状況を聴取しようと考え,これをI課長に伝えたところ,I課長は,J所長に対し,子ども達も職員も動揺しているので平常の保育に戻すことに力を入れてほしい,調査は,個人で行うものではなく,事故調査委員会や警察が行うのが本来であって,園内で行うと混乱が生ずるという趣旨の話をした。そのため,J所長は,本件事故直後に保育士らから事情聴取をしなかった(甲94の102,乙17,証人J,証人I)。

(ク) 原告A2と原告A1は,同月15日,Bの連絡帳や帽子を取りに保育所へ行った。この時,J所長や担任保育士,被告の職員らから謝罪の言葉を受けたが,本件事故についての説明はなく,原告A2は,お線香を上げることなどは遠慮してほしい,もっとやるべきことがあるでしょうという発言をした(乙3,原告A2)。

(ケ) 被告は,同月16日,本件事故を全国市長会学校災害補償保険で対応するため,事故報告書を損害保険会社に提出した。しかし,そこに記載された内容が,原告A2らに知らされることはなかった(甲43)。

(コ) 原告A2は,同月21日,被告から全く連絡がないことにしびれを切らし,自分から上尾市役所に連絡をとって,J所長らから直接話を聞く機会を得た。原告A2と原告A1は,同日午後6時ころ,上尾保育所へ行き,J所長,K保育士及びL保育士から,初めて本件事故当日の経過について説明を受けたが,Bが本件本棚の中に入った具体的な経緯や理由については分からないということだった(甲94の101,乙3,4,証人K,証人L,証人J)。

(サ) その後,K保育士は,同年9月21日に,L保育士は,同月22日に,それぞれ原告らの自宅へ行って,原告らに対し,本件事件当日の状況についての説明を再度行い,焼香をした(乙3,7,8,証人K,証人L)。

(シ) F市長は,同年12月16日,上尾市議会の定例議会で,要旨,上尾市では,保育所費として約23億8800万円,児童1人当たり年間170万円あまりの予算を確保しており,これだけの税金を投入している中で,このような重大な事故を起こしてしまい,ご遺族の皆様,市民の皆様に対しては申し訳なく思っている,今後の方法については,公設公営だけではなく公設民営あるいは指定管理者への移行も含めて検討していかなければならない旨の発言をした。

この発言について,原告A2と原告A1は,遺族の感情を逆撫でする不謹慎で無責任なものであるとして,同月27日,その撤回と質問への回答を求めるF市長宛の質問書を提出した。また,この時,原告A2と原告A1は,事前に面会の約束をして,質問書を持ってF市長に会いに行ったにもかかわらず,F市長は不在であり,代わりに応対したG助役も市長でないから分からないという回答だった(甲54,94の101,乙2,原告A2)。

イ 事故調査委員会の設置及び活動

(ア) 被告は,平成17年8月15日,事故調査委員会を設置して本件事故の解明にあたることを決定し,同月18日,H部長を委員長とし,健康福祉部の次長や児童福祉課長,庶務課長,職員課長など被告の職員だけで構成された事故調査委員会を設置して,第1回事故調査委員会を開催した(甲44,45,乙3,17,証人I)。

(イ) 原告A2と原告A1は,この事故調査委員会の設置を人づてに聞き,役所の内部だけで調査して形だけで終わらせるような人選で納得がいかず,同年9月5日,被告に対し,事故調査委員会のあり方について,委員に保育の専門家や弁護士,医師など第三者を入れること,事故調査委員会での調査内容を原告A2らに報告すること,調査結果報告書は公開すること等の要望を申し入れた(甲46,47,94の101,乙3,原告A2)。

被告は,同月14日,原告A2及び原告A1の要望を受け入れる旨の回答をしたが,原告A2及び原告A1は,さらに構成メンバーに関する具体的要望や検討事項についての要望を入れた再依頼文書を提出するとともに,同月16日と同月20日に,上尾市役所内において被告の職員らと直接話合いを行った。なお,この話合いにF市長は参加しなかった(甲48,49,乙5,6)。

その結果,保育専門の学者や原告A2及び原告A1が指名して要望した己弁護士,小児科医ら第三者委員5名とH部長ら被告の職員3名から構成される事故調査委員会が設置されるに至った(甲35,乙3)。

(ウ) 事故調査委員会は,同月27日から同年12月26日まで,10回にわたって開催され,同委員らは,上尾保育所の現地調査や,J所長,担任保育士ら及び原告ら遺族に対するヒヤリングを行ったり,上尾保育所の保育状況について他の学者からの意見を聴く等して,本件事故状況の把握と原因分析についての調査を進めた。この間,事故調査委員会は,平成17年11月16日と同年12月13日に,原告A2と原告A1に対し,それまでの同委員会の活動内容を報告するとともに,同原告らの質問に答えたり,同原告らの意見や要望を聴く機会を設けた。そして,事故調査委員会は,平成18年1月,調査結果をまとめた事故調査報告書(甲35)を完成させ,同月10日,原告ら遺族にその内容を説明報告した後,順次,各上尾市立保育所の保護者及び保育士らに公表した(甲36,55ないし57,乙3,10,11)。

なお,原告A2と原告A1は,平成17年12月19日,事故調査委員会に再意見書を提出し,事故調査委員会に対しては事実関係と責任の明確化を,被告に対しては事故調査委員会の最終報告書を踏まえて責任の所在について,誰がどのように責任を負うのかを具体的に明らかにすること及び今後の再発防止策の具体的スケジュールの提示を再度求めたが,これに対するF市長からの同月22日付けの回答は,原告らの納得がいくものではなかった(甲52,53)。

(エ) 事故調査報告書では,本件事故が偶然に発生したものではなく,上尾保育所の日頃の保育の中に本件事故を引き起こすような要因があり,本件事故は,たまたま防ぎようもなく起こったとは言えない,本件事故は一部の保育士の過失に限定されるものではなく,保育所全体の問題が絡んでいるとの指摘がなされた(甲35)。

ウ 担任保育士らの処分

(ア) 被告は,平成18年1月31日,子どもの動静確認を怠るなど保育士本来の職務を怠ったこと及び市保育行政全般に対する市民の信用を失う結果を招いたこと(信用失墜行為)を理由に,K保育士及びL保育士を停職1か月の懲戒処分とし,同保育士らは,同日,依願退職した。なお,L保育士は,現在,埼玉県北本市内の託児所でパートの保育士として勤務している(甲60,94の88,94の95,証人L)。

(イ) また,被告は,同日,危機管理時の対応の整備を怠ったこと,管理監督責任及び信用失墜行為を理由に,J所長を停職1か月,I課長を1割の減給1か月,H部長,参事兼次長及び前上尾保育所長を戒告の懲戒処分とし,J所長は,同日,依願退職した(甲60,94の81)。

(ウ) さらに,被告は,同日,上記(ア)及び(イ)に掲げたのと同様の理由で,児童福祉課主席主幹及び上尾保育所主任保育士2人を訓告,児童福祉課副主幹及び上尾保育所保育士12人を文書注意として,注意処分とした(甲60)。

(エ) そして,F市長は,同年3月議会において,市長につき平成18年4月分給与の100分の10(金9万円)の減給処分,G助役につき同月分給与の100分の5(金3万7000円)の減給処分を提案し,可決された(甲60)。

エ J所長及び担任保育士らの刑事処分

原告A2及び原告A1は,同年3月7日,J所長,K保育士及びL保育士を業務上過失致死罪で刑事告訴し,同人らは,同年10月19日,さいたま地検に同罪の容疑で送検された。その結果,J所長は,平成19年4月3日,さいたま簡易裁判所において,業務上過失致死罪により罰金50万円の略式命令を受け,K保育士及びL保育士も,同日,業務上過失致死罪により罰金30万円の略式命令を受け,いずれも同月18日に確定した(甲68,89ないし92,94の1ないし3)。

2  争点(1)(担任保育士らの重過失の有無)について

(1)  被告も,本件事故がBの担任保育士であったK保育士とL保育士の動静把握義務違反及び捜索活動上の注意義務違反並びにJ所長の注意義務違反という過失行為によって発生したものであることは争わないものの,原告らは,さらにK保育士とL保育士の上記過失が重過失であると主張するので,以下,この点につき検討する。

(2)  動静把握義務違反について

ア 一般に,保育とは,子ども一人一人の成長や発達を見ることであり,その専門職である保育士は,一人一人の子どもについて,興味がどこにあるのか,実際にどのような遊びをしているのか,友達とどういう関係にあるのか,その遊びや友達関係がどのように発展しているのかなどの実態を把握して,各子どもの個体差を見極めた上で,それに応じた支援をしていくことが求められている。そして,保育士は,子ども達の命を預かっている以上,保育を行う前提として,その安全を確保することが当然に求められている。

そうすると,子ども達の安全を確保し,かつ,上記のような保育を実現するため,保育士は,子どもが,どこで,誰と,どんなことをしているのかを常に把握することが必要不可欠であって,少なくとも自分が担当する子ども達の動静を常に把握する義務を負っているものといわなければならない。特に,本件における上尾保育所のように,いわゆる自由保育の時間を取り入れ,児童らが保育所内を自由に動き回って遊んでいるような状態の場合,子ども達の動静を把握することは困難であるから,複数担任制であれば,担任保育士同士で声を掛け合ったり,保育内容が変わらない場合であっても少なくとも30分に1回は人数確認を行うなどして,子ども一人一人の動静に気を配ることが求められているというべきであり,さらには,担任以外の保育士らにおいても,全ての児童の名前や顔を把握した上で,保育所全体で児童の動静把握と安全確認に努めることが求められているというべきである。

イ 本件において,Bが所属していた4歳児クラスきく組の担任保育士であったK保育士とL保育士は,上記1(5)で認定したとおり,本件事故当日,散歩から上尾保育所へ帰った際に,園内において,きく組児童らの人数を改めて確認することもせず,そのまま漫然と,自由遊びの時間として,児童らを保育室内のみならず廊下やホールなどでてんでばらばらに遊ばせていたにもかかわらず,両保育士とも,きく組保育室内で児童らとの遊びに夢中になり,午前10時25分ころから午前11時35分ころまでの1時間以上にわたって,人数確認もしなかったのであり,L保育士においては,一度も同保育室から出て保育室の外にいる児童の様子を窺おうとすらせず,K保育士においても,一時的に同保育室から出たものの,L保育士あるいは他の保育士らと声掛けを行うこともなかったのである。そして,両保育士は,同保育室内にいなかったBについて,散歩から帰った後,保育所内でその姿を一度も確認することがなかったにもかかわらず,Bは保育室と廊下を出たり入ったりしていたPやXと一緒に遊んでいるのだろうという漠然とした認識を持っていただけで,その状況について何らの危機感も持たないまま,昼食の準備を始め,皿が余っている状態になって初めてBがいないことに気がついたのである。

このように,K保育士とL保育士が,1時間以上もの間,Bの動静を把握することを怠ったことは明らかであるところ,4歳の児童が大人の予想がつかないような行動をとって危険にさらされることは十分にあり得ること,別紙図面1からも明らかなように,園舎内であってもトイレや廊下など一般的に危険な場所であるにもかかわらず死角となっていて,児童が助けを求めても声も聞こえないような場所が存在することに照らせば,両保育士による1時間以上にわたる動静把握義務の懈怠は,一般的に保育士に求められるべき注意義務の基準に照らして,子どもの生死に関わる悪質な態様のものといわざるを得ないのであって,重大な過失というべきである。

しかも,上記1(5)に認定したとおり,本件事故当日はBがいつも一緒に遊んでいる仲の良い児童2人が欠席しており,両保育士らは,散歩から帰った後は,BがPらと遊んでいるのではないかとの認識を有していたところ,上記1(4)に認定したとおり,原告A2と原告A1は,本件事故前から,K保育士とL保育士に対し,送迎時等に見聞きしていた上尾保育所でのBの様子及び自宅でのBの様子から,BがPやQらにいじめられているのではないかと心配していることを伝えていたのであり,同児童らがBをいじめているのであれば注意をして,Bを守ってほしいと繰り返し求めており,特に,本件事故の2か月足らず前には,Bがプールに入っていないにもかかわらず,あたかもプールに入っているのを現認したかのような無責任な記載を連絡ノートにしたことから,原告A1が両保育士に改めて注意を喚起していたのであるから,両保育士としては,BがPらと遊んでいるのではないかと認識した時点で,その様子を確認することが求められてしかるべきであったにもかかわらず,両保育士は,上記注意喚起を一顧だにもせず,K保育士は,2日くらい前から大人の目を避けていると感じていたPに配慮する形でこれをあえてしなかったのであり,L保育士においても,Bの所在等を確認することに何ら注意を払わず,他の児童との遊びに夢中になって,給食を配膳して初めてBがいないことに気づいたものであって,これらの事情を総合すると,K保育士とL保育士は,散歩から帰った後に改めて人数確認をせず,その後1時間以上にわたってBの動静把握を怠っていた点について強い非難を免れないといわなければならない。

(3)  捜索活動上の注意義務違反について

ア K保育士とL保育士は,Bの所在不明が明らかになった時点で,一緒に遊んでいた子ども達に事情を聞き,Bの最終所在を追跡するとともに,園内にBの靴が存在していたのであるから,園内をくまなく捜索すべき注意義務を負っていた。

イ K保育士とL保育士は,上記1(5)エに認定したとおり,本件事故当日の午前10時30分以降の自由遊びの間,BがPやXと園内で遊んでいるとの認識を有していたのであり,かつ,K保育士は,Bの所在不明が明らかになった午前11時35分ころ,P,Q,Rが廊下にいるのを見ていたのであるから,この時点で,K保育士及び同保育士からBの所在不明を知らされたL保育士は,まず,PやX,Q,Rらに対し,Bと一緒だったのか,どこで何をして遊んでいたのかを尋ねてBの最終所在を確認すべきであったというべきである。それにもかかわらず,両保育士は,上記1(5)オに認定したとおり,Sとその周囲の児童らにBの所在を尋ねただけで,一緒に遊んでいたと認識していたPらへの確認を怠ったのであり,また,上記1(5)に認定したとおり,散歩から帰った際に児童らの人数確認を怠っていたために,園内にBの靴が置いてあるのを確認してもBが園内にいるという確信が持てず,その前にBが原告A3に会っていたことを殊更に重視して,園外の捜索に相当の時間を費やしてしまったのである。

以上の点で,K保育士とL保育士において,上記注意義務違反があることは明らかであるが,両保育士が児童の所在不明により多少冷静さを失うこともやむを得ないことであり,当日,J所長の代行を務めていたT主任保育士や他の保育士らの冷静な判断による指導や助言等のサポートがなかったこと,そして,日ごろからJ所長やI課長が児童所在不明時の行動指針について指導していなかったことが両保育士の上記注意義務違反を招いた面も否定できないことに照らすと,この点については,K保育士とL保育士を強く非難するのは相当でなく,これを重過失とまで評価することはできないというべきである。

3  争点(2)(損害)について

(1)  Bに生じた損害

ア 死亡による逸失利益  2787万4691円

Bは,死亡当時4歳の男児であったところ,本件事故に遭わなければ18歳から67歳まで49年間就労し,その間,平成17年賃金センサス第1巻第1表の産業計・企業規模計・学歴計による男性労働者の全年齢平均賃金額である552万3000円の年収を得ることができたと認めるのが相当であり,また,Bの生活費控除率は45パーセントと認めるのが相当である。同年収額及び期間を算定の基礎として,ライプニッツ方式により年5分の割合による中間利息を控除して,逸失利益の現価を算定すると,以下の計算式により,2787万4691円(円未満切捨て)となる。

(計算式)

552万3000円×(1-0.45)×(19.0750-9.8986)=2787万4691円

なお,原告A2及び原告A1は,Bの生活費控除率について,Bが29歳前には結婚すると主張したうえ,28歳までは50パーセント,29歳からは30パーセントと主張するが,本件全証拠によっても,Bが29歳までに結婚して被扶養者2名を持つ蓋然性が高いとまでは認められないので,原告A2及び原告A1の上記主張は,採用することができない。

また,原告A2及び原告A1は,十分な教育を受けさせられる経済的余裕のある家庭環境にあったとして,Bの逸失利益の基礎収入を大卒男子労働者の平均賃金額によるべきであると主張する。しかしながら,18歳未満の未就労者の場合,本人が大学進学をすることが不確定である以上,家庭環境のみならず,本人の能力や勉学に対する意欲,大学進学に対する希望等も考慮した上で,大学へ進学する蓋然性が高いと認められる事情がない限り,全学歴を対象とした平均年収額を基礎に逸失利益を算出するのが相当であって,本件においても,このような事情を認めるに足りる立証はないから,原告A2及び原告A1の上記主張を採用することはできない。

イ 死亡慰謝料  2000万円

Bは,本件事故当時,わずか4歳5か月の幼児であり,原告ら両親や祖父母らの愛情を一身に受けて順調に成長し,将来についても限りない可能性を有していたにもかかわらず,本件事故によって,突然命を絶たれてしまったものである。また,Bは,上記1(3)イ及び(5)オ,カで認定したところによれば,所在不明が発覚してからJ所長に発見されるまでの少なくとも1時間近くにわたって,上尾保育所内に設置された本件本棚下部の収納庫という狭い空間の中で体を小さく丸めたまま,保育士らにも見つけてもらえず,40度以上の高熱に苦しんだ末に息を引き取ったのであって,死に至る態様も痛ましいものであったというべきであり,また,担任保育士らにおいて,Bに対する動静把握義務及び捜索活動上の注意義務を尽くしていれば,Bが収納庫に入るのを防止し,あるいは,収納庫にいたBを早期に発見することができ,Bを救命できた可能性が十分あったにもかかわらず,Bは,無念の死を遂げたものである。そして,本来保育士らにその動静を見守られた安全な場所であるはずの保育所内において,上記2に認定したとおり,担任保育士らの動静把握義務上の重過失によって,このように一人で死んでいかなければならなかったBの恐怖と苦痛は相当大きかったものと認められる。

以上の事情に鑑みると,Bの死亡慰謝料として2000万円を認めるのが相当である。

ウ 葬儀費用  150万円

原告A2及び原告A1は,上記1(6)ア(カ)に認定したとおり,平成17年8月13日にBの葬儀を執り行ったことが認められるところ,本件事故と相当因果関係のある葬儀費用として150万円を認めるのが相当である。

エ 合計  4937万4691円

(2)  原告A1に生じた損害

ア 治療費等及び逸失利益  0円

(ア) 証拠(甲79,83,84,108ないし112,原告A2,原告A1)及び弁論の全趣旨によれば,原告A1は最愛の息子であったBとの死別体験に基づく様々な精神症状が発現し,平成17年8月20日,通院先の診療所で心的外傷後ストレス障害と診断され,以後,治療を受けるようになったこと,原告A1は,その後,不妊治療を受けるため,心療内科への通院を止めたが,平成20年9月頃から通院を再開するようになったこと,また,原告A1は,この間の平成17年8月から平成19年1月まで,東京医科歯科大学難治疾患研究所で6か月間にわたり,医師と一対一で話をして心的外傷体験の記憶を繰り返し呼び覚ますことで馴化をさせるイメージ暴露や,同体験を思い出させる事物や場所に近づいていく実生活内暴露といった治療を受けることを余儀なくされたこと,結局,原告A1は,就労も困難となり仕事も辞めざるを得なかったことが認められる。

しかしながら,原告A1は,本件事故後に病院においてBの変わり果てた姿を目の当たりにしているものの,本件事故発生時に,J所長及び担任保育士らの過失行為やこれにより命を奪われた直接の被害者であるBの様子を,近くで直接に目撃していたわけではないから,原告A1を本件事故の直接の被害者と認めることはできない。したがって,原告A1が被った治療費等や逸失利益を,本件事故によって直接生じたものと認めることはできないのであって,本件事故との相当因果関係は認められない(もっとも,後述するとおり,上記に認定したような事情は,民法711条に基づく近親者固有の慰謝料の額を算定するにあたって,これを斟酌するのが相当である。)。

(イ) また,上記1(1)ウに認定したとおり,Bは,原告A1が不妊治療を受けて結婚8年目にしてやっと授かった,たった一人の子どもであったところ,証拠(甲95,101の1ないし14,102の1ないし58,103の1ないし8,104の1ないし8,原告A1)及び弁論の全趣旨によれば,原告A2と原告A1は,Bの出生後は不妊治療を行っておらず,特に2人目の子どもを希望していなかったこと,本件事故でBを失ってから不妊治療のための入通院を再開したことが認められる。しかしながら,上記(ア)と同様,原告A1を本件事故の直接の被害者と認めることはできない以上,不妊治療費についても本件事故によって直接生じたものとは認められず,結局,民法711条に基づく近親者固有の慰謝料の額を算定するにあたって,これを斟酌するほかない。

イ 固有の慰謝料  400万円

(ア) 上記1(1)に認定したとおり,Bは,原告A1が3年間ほど不妊治療を受けた末,結婚8年目にしてやっと授かった子どもであったこともあって,Bが生まれてからは,原告A2と原告A1にとってBのために何かをしてあげることが最大の喜びとなり,生活は全てBを中心に回っているといっても過言ではないほど,原告A2と原告A1はBをかわいがっている状況であった。そのようなBが本件事故によって突然奪われてしまったことは,3年以上の月日が経ってもなお原告A1をして「生きていく意味がない」「生きていてはいけないような気がする」と言わしめるほど,原告A1にとって甚大な精神的苦痛を与えた出来事であったのであり,現に,原告A1は,上記ア(ア)に認定したとおり,本件事故後,様々な精神症状に苦しめられ,しかも,その治療のために,Bを病院で看取った時の状況に関する記憶を呼び覚ます作業を行う等,本件事故後も辛く苦しい日々を過ごすことを余儀なくされているのである。また,原告A1は,このように深い悲しみと生きる意味の見つからない空虚な日々を過ごす中で,子どもを産んで育てるという目標があれば生きていてもいいのではないかという思いから,平成19年4月ころから不妊治療を開始し,多額の治療費を負担するとともに,身体にも多大な負担をかけている状態である(原告A1)。

(イ) 次に,本件事故の原因についてみると,上記2に認定したとおり,本件事故は,Bの担任保育士であったK保育士とL保育士が1時間以上もBの動静把握を怠ったこと,そして,Bの所在不明発覚後も,一緒に遊んでいると認識していた他の児童からBの居場所や遊びの内容を聞き出すことなく,散歩から帰ったときに人数確認をしていなかった事実もあって,闇雲に園外を捜し回るなど不適切な捜索活動を行ったことによって引き起こされたものであり,特に,担任保育士らの上記過失行為のうち動静把握義務違反については,重過失とまで認められるのであり,この点も,原告A2及び原告A1の慰謝料を算定するにあたって十分に考慮するべきである。

(ウ) 本件事故後の事情についてみると,原告A2及び原告A1において,Bがなぜ死んでしまったのか,どのような状況で死に至ったのかといった本件事故の状況を知りたいと思うことは至極当然のことであって,被告としては,その要求に十分配慮してしかるべきであったにもかかわらず,上記1(6)に認定したとおり,上尾保育所及び被告は,マスコミや他の保護者に対する報告説明を優先させ,その報告内容も,報告説明会を開くこと自体についても,原告らには知らせていなかったのであり,原告A2及び原告A1が本件事故当日の経緯について説明を受けたのも,本件事故から10日以上経って原告A2及び原告A1が上尾保育所に連絡をとって初めて実現したものであった。

このように,本件事故後の原告A2及び原告A1に対する被告の対応は,同原告らの心痛に十分に配慮したものとは言い難く,これらの事情についても原告A2及び原告A1の慰謝料を算定するにあたって考慮するのが相当である。

(エ) 以上のほか,本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると,原告A1の本件事故による固有の慰謝料として,400万円を認めるのが相当である。

ウ Bの損害の相続分  2468万7345円

原告A1がBの相続人であることは,当事者間で争いがない。

したがって,原告A1が相続により取得したBに生じた損害額は,上記(1)エに認定した額の2分の1である2468万7345円である。

エ 損害の填補額  1400万円

原告A2及び原告A1が独立行政法人日本スポーツ振興センターから死亡見舞金として2800万円の支払を受けたことは,当事者間で争いがない。そこで,その2分の1の額1400万円について,上記イ及びウで認定した原告A1の損害に充当すると,残額は1468万7345円となる。

オ 弁護士費用  150万円

本件記録によれば,原告A1は,本件訴訟の提起,追行を弁護士である原告ら訴訟代理人らに委任したことが認められるところ,本件事案の内容,審理の経過,上記認定の損害額,その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額として,150万円を認めるのが相当である。

カ 合計  1618万7345円

(3)  原告A2に生じた損害

ア 治療費(不妊治療費)  0円

上記(2)ア(イ)のとおり,本件事故後の不妊治療がBの死を契機として行われたものであることが認められるが,原告A2についても,本件事故発生時にJ所長及び担任保育士らの過失行為及びこれにより命を奪われた直接の被害者たるBの様子を,近くで直接に目撃したわけではないから,本件事故の直接の被害者と認めることはできず,したがって,原告A2が支出した不妊治療費を本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない(ただし,民法711条に基づく近親者固有の慰謝料の額を算定するにあたって,これを斟酌することとする。)。

イ 固有の慰謝料  400万円

上記1(1)に認定したとおり,Bは,結婚8年目にしてようやく恵まれた子どもであり,原告A2にとってかけがえのない大切な存在であった。原告A2は,本件事故によってBを突然失ってからは,悲嘆に暮れる妻の原告A1を励ましながら,自らも何故自分は生きているのかと虚脱感を感じる日々を過ごしており,最愛のBを失った苦しみは計り知れない(原告A2)。そのほか,上記原告A1の損害のところで認定した事情や本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると,原告A2の本件事故による固有の慰謝料として,400万円を認めるのが相当である。

ウ Bの損害の相続分  2468万7345円

上記(2)ウと同様,原告A2が相続により取得したBの損害額は,2468万7345円である。

エ 損害の填補額  1400万円

上記(2)エと同様,独立行政法人日本スポーツ振興センターから死亡見舞金として支払われた額のうち,1400万円を上記イ及びウで認定した原告A2の損害に充当すると,残額は1468万7345円となる。

オ 弁護士費用  150万円

本件記録によれば,原告A2は,本件訴訟の提起,追行を弁護士である原告ら訴訟代理人らに委任したことが認められるところ,本件事案の内容,審理の経過,上記認定の損害額,その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額として,150万円を認めるのが相当である。

カ 合計  1618万7345円

(4)  原告A3に生じた損害

ア 固有の慰謝料  100万円

不法行為による生命侵害があった場合,被害者の父母,配偶者及び子が加害者に対して固有の慰謝料を請求できる旨を定める民法711条の規定は,限定的に解すべきではなく,文言上同条に該当しない者であっても,被害者との間に同条所定の者と実質的に同視しうべき身分関係が存在し,被害者の死亡により甚大な精神的苦痛を受けた者は,同条の類推適用により,加害者に対し直接に固有の慰謝料を請求することができる(最高裁昭和49年12月17日第三小法廷判決・民集28巻10号2040頁)。

上記1(1)エに認定したとおり,Bは,原告A3の唯一の孫であったところ,原告A3は,自宅がBの自宅や保育施設と近かったこともあって,多い時期にはほぼ毎日,働く両親に代わって保育施設へBを迎えに行っては自宅で夕飯を食べさせるなどしていたのであり,Bの成長を楽しみにしながら日常かなりの時間をBと共にしていた生活実態が認められる。そうすると,このような原告A3が,本件事故によりBを突然失ったことで多大な精神的苦痛を被ったことは明らかであって,現に,今でも上尾保育所,特に最後にBと会った正門の前を通ることができないなど,原告A3の悲しみが深く大きいものであることがうかがわれるから(甲105),原告A3について,Bとの間に両親と実質的に同視しうべき身分関係が存在すると認めるのが相当である。

そして,本件に顕れた一切の事情を斟酌すると,原告A3の精神的苦痛を慰謝するために必要な金額として,100万円を認めるのが相当である。

イ 弁護士費用  10万円

本件記録によれば,原告A3は,本件訴訟の提起,追行を弁護士である原告ら訴訟代理人らに委任したことが認められるところ,本件事案の内容,審理の経過,認容額,その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額として,10万円を認めるのが相当である。

ウ 合計  110万円

(5)  原告A4に生じた損害

原告A4は,上記1(1)オに認定したとおり,原告A1の実母として,約1か月間,生後間もないBと一緒に暮らしていたが,その後は,祖母としてBの成長を楽しみにしていた様子はうかがわれるものの,月1,2回くらいの頻度でBと会っていたにすぎず,このような原告A4とBとの間に民法711条所定の者と実質的に同視できるまでの密接な身分関係を認めることはできない。

したがって,原告A4の請求は理由がない。

第4以上の次第で,原告A1の請求は,被告に対し1618万7345円及びこれに対する不法行為の日である平成17年8月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却し,原告A2の請求は,被告に対し1618万7345円及びこれに対する不法行為の日である平成17年8月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却し,原告A3の請求は,被告に対し110万円及びこれに対する不法行為の日である平成17年8月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないから棄却し,原告A4の請求は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩田眞 裁判官 瀬戸口壯夫 裁判官 村井みわ子)

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