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さいたま地方裁判所 平成19年(ワ)911号 判決 2009年8月31日

主文

1  被告らは,原告に対し,連帯して,306万1842円及びこれに対する平成19年5月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを3分し,その2を原告の負担とし,その余を被告らの負担とする。

事実及び理由

第1請求

被告らは,原告に対し,連帯して,889万4210円及びこれに対する平成19年5月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,被告A株式会社(以下「被告会社」という。)に勤務していた原告が,職場の上司であった被告Bからセクシュアルハラスメント(以下「セクハラ」ともいう。)行為を受け,うつ病に罹患して退職を余儀なくされたなどと主張して,被告会社に対しては,不法行為(民法715条)及び債務不履行に基づく損害賠償として,被告Bに対しては,不法行為(民法709条)に基づく損害賠償として,損害賠償金889万4210円及びこれに対する不法行為後である平成19年5月9日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実等(証拠を摘示しない事実は,当事者間に争いがない。)

(1)ア  原告は,昭和47年9月13日生まれの既婚者で,夫との間に3人の子供がいた。

イ  被告会社は,埼玉県内において委託を受けて社員食堂及び学校の給食業務を行うこと等を業とする会社である。

ウ  被告Bは,昭和23年4月6日生まれの既婚者である。

(2)ア  原告は,平成12年12月4日,被告会社にパート社員として入社し,被告会社がF株式会社から委託を受けて給食業務をしていたG団地内の社員食堂(以下「本件社員食堂」という。)の調理場で,調理補助,食器洗い,ホールの掃除,調味料のセット,接客等の仕事に従事した。

イ  被告Bは,平成7年に被告会社の正社員として雇用された後,本件社員食堂においてチーフとして勤務し,調理に従事していた者であり,本件社員食堂には,原告を含め3名の女性パート社員が被告会社に雇用されて稼働していた。

ウ  原告の勤務時間は,毎週月曜日から金曜日まで,午前9時から午後2時30分までであった。

(3)  原告は,平成17年5月7日,被告会社を退職した。(弁論の全趣旨)

2  争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  被告Bが原告に対し,セクハラ行為をしたか。

(原告の主張)

ア 被告Bは,原告に対し,次のセクハラ行為をした。

(ア) 原告の意に反する性的な行動

被告Bは原告の入社後まもなくから,社員食堂の繁忙時間帯,原告が大声を出せない状況にあるのをよいことに,原告に対し,にやにやしながら,臀部をなでまわす,腕や胸を触る,菜箸で乳首をつまもうとする,わざと身体に擦り寄ってくる等の行為を繰り返した。

(イ) 原告の意に反する性的な誘い

被告Bは原告の意に反することを知りながら,原告の入社後まもなくから,度々原告を飲酒に誘ったり,性的な関係を強要しようとした。

(ウ) 原告の意に反する性的な発言

a 被告Bは原告に対し,必要もないのに度々胸囲,腰囲のサイズを尋ねた。

b 被告Bは原告に対し,臀部胸部の豊かさをことさら指摘する,腰を曲げて作業中の原告に近づき「もう少しで見えるのに。」と言う等,卑猥な発言を繰り返した。

(エ) 原告の意に反する性的な関心を示し,その反応を楽しむ。

a 被告Bは,作業中の原告の臀部,胸部を凝視することがよくあった。

b 被告Bは,作業中の原告の胸部を上から覗き込むことがよくあった。

c 被告Bは,食事中の原告を凝視することがよくあった。

d 被告Bは,帰り仕度をしている原告を凝視することがよくあった。

(オ) 被告Bの言動に対する原告の対応に対する,仕事上の不利益な取扱い

調理場では,原告のほかに,原告より勤務年数の短い40歳代前半と60歳代前半の2人の女性パート社員も稼動しており,作業はローテーションを組んで行われていた。被告Bの言動に対し,原告が「やめてください。」などと言って抗議をしたり,誘いを断ったりすると,被告Bは,チーフという地位を利用し,原告に対し,①ローテーションで決まっている調理補助の仕事をさせず,掃除等の雑用ばかりさせたり,②原告が被告Bに作業について尋ねても,原告を無視し,40歳代前半の女性パート社員にのみ教えたり,③些細なことで怒鳴る等の仕事上不利益な取扱いや嫌がらせを繰り返した。

イ 原告の治療の経過

原告は,被告会社に入社した後,被告Bの上記アのセクハラ行為により,うつ病を発症したが,うつ病の治療経過は,次のとおりである。

(ア) 原告は,平成13年6月16日から平成16年7月24日までの間,Hクリニックにおいて治療を受けた。

なお,原告は,I病院に通院していたところ,同病院からHクリニックへの平成12年10月11日付け紹介状を得たが,当時未だ精神科を受診するほどの症状ではなかったので,直ちにはHクリニックを受診しなかったのであるが,入社以来被告Bからセクハラ行為を繰り返し受けてストレスが高じ,深刻な症状に至ったため,平成13年6月16日になって,Hクリニックを受診した。

原告は,職場でのセクハラ行為が原因であると言うと,原告の通院に同行する夫の知るところとなり,せっかく就職した職場を辞めなければならなくなることを恐れ,医師には本当の原因を言い出せず,ストレスの原因としては,家庭の問題と述べていた。

原告は,平成16年7月以降,平成17年5月2日に後記(イ)のJ医院に通院するまでの間,どこにも通院していない。それは,症状が治癒したからではなく,薬の副作用が強いこと,原告が薬に依存することに自己嫌悪を感じたことに加えて,通院を続ける経済的な余裕がなくなったこと,夫に付き添ってもらうことに心苦しさを感じたからである。しかし,その間も,被告Bの原告に対するセクハラ行為は続いており,原告に心理的な負荷がかかっている状態は変わらなかった。

(イ) 原告は,平成17年5月2日から平成18年3月27日までの間,J医院において治療を受けた。

原告は,平成17年4月28日,被告Bが原告の休日出勤の交代を認めなかったことから,同年5月4日に休日出勤をして被告Bと2人きりになることに極度の恐怖感を抱き,そのことが引き金になって,朝起き上がれない程症状が急激に悪化し,J医院を受診した。原告は,覚悟を決めて,医師に職場でのセクハラ行為が原因であることを訴えた。

(ウ) 原告は,平成17年10月1日,Hクリニックの担当医だったC医師がK病院に転勤したため,同病院を受診し,診断書の作成を依頼した。

(エ) 原告は,同年10月8日から平成18年3月27日までの間,Lにおいて治療を受けた。

その際,原告は,D医師に対し,原告の主張と同一の内容の書面(乙7号証の20ないし24頁)を予め作成して交付し,病状を訴えている。

(オ) 原告は,平成18年3月から現在までの間,Mクリニックに通院して,治療を受けている。

(カ) また,原告は,うつ病の身体的症状としての,高熱,消化器障害,体力低下,不眠等により,J医院が休診だった折に,Nクリニック,I病院,O病院を受診した。

ウ 被告らの責任

(ア) 被告Bは,職場での地位を利用して,原告の意に反する身体接触行為等の性的言動を繰り返し行ったものであり,その行為は,いわゆるセクシュアルハラスメントに該当し,不法行為責任を負う。

(イ) 被告Bのセクハラ行為は,被告会社の事業の執行についてなされたものであるから,被告会社は,原告に対し,使用者責任を負う。

(被告らの主張)

ア(ア) 原告の主張ア(ア)のうち,被告Bが,原告に対し,臀部を叩いたり,菜箸で乳首を遠くから摘むまねをしたことは認めるが,その余は否認する。

被告Bは,原告に対し,数回,仕事が暇な時に,すれ違いざまに原告の臀部を軽く叩いたり,遠くから原告の乳首を摘むような仕草をしたことがあった。以上の行為は,性的な満足を得るためではなく,被告Bなりの明るい職場雰囲気作りの一環としての単なる冗談に過ぎなかった。被告Bは,原告以外にも,自分よりも年下の女性パートに対しては,同様の行為を行っていた。当時,職場には,原告の他にも40歳代女性パート職員Eがいた。Eは,被告Bが同人の臀部を叩いた時に,これを受け入れない態度を示したことから,被告Bは,それ以降,Eに対して同様の行為をしていない。これに対して,原告は,被告Bの行為に対し,拒絶の意思を示したことはなく,「こんな大きいお尻のどこがいいの」等と言い返すこともあり,常に笑って対応していた。また,女子パート職員の中で唯一,原告だけが,入社してから退職するまでの間,毎年2月に,被告Bに対し,バレンタインデーのチョコレートをプレゼントしていた。

(イ) 同ア(イ)は否認する。

被告Bは,原告に対し,一度だけ今度飲みに行こうと誘ったことがあったが,原告が乗ってこなかったので,それ以降,原告を飲食に誘ったことはない。

(ウ) 同ア(ウ)は否認する。

被告Bは,原告に対し,冗談で,スリーサイズを尋ねたことがあったが,原告も笑いながら,適当なサイズを回答していた。

(エ) 同ア(エ)は否認する。

原告ら女性パート社員は,作業中胸の上までボタンが付いている作業着の上にエプロンを着用しており,胸部等を凝視したり上から覗き込む状況になかった。被告Bは,左眼が義眼であり,右眼の視力は0.6程度であるところ,作業中に眼鏡をすると曇るため,眼鏡をしていなかったので,かかる視力で原告を凝視しても良く見えない。

(オ) 同ア(オ)のうち,女性パート社員3名がローテーションを組んで作業していたことは認めるが,その余は否認する。

原告に対して仕事を教えなかったり,掃除や雑用ばかりさせたりということになれば,原告は,調理補助の仕事等を覚えることが出来ず,結局は被告Bが困ることになるのであるから,被告Bがそのようなことをするはずがない。

イ 同イのうち,原告が,被告Bのセクハラ行為により,うつ病を発症したことは否認する。その余は不知。

(ア) Hクリニックへの通院について

仮に,原告の主張するように平成13年からセクハラ被害があったのであれば,当時通院していたHクリニックの医師に対しても,その旨訴えるのが当然であるところ,同クリニックのカルテ等には,セクハラ被害の記載が一切ないから,セクハラ被害がなかったことが容易に認められる。むしろ,原告は,被告会社に就職する以前からうつ病の様な状況であり,また,もともと対人関係が苦手であったところ,被告会社で勤務すると同時に働いていた豚カツ屋での接客業や家族関係がストレスの原因であった。

(イ) J医院・L・Mクリニックへの通院について

以上の3病院のカルテ等には,原告から職場でセクハラを受けていた旨の記載がある。しかし,上記アのように,実際にはセクハラ被害が無かったか,あったとしても原告にとっては大きな障害とはならなかったところ,平成17年4月下旬に被告Bから怒鳴られた原告が,被告Bに対して恨みを抱き,元々の精神的病状もあって,被告Bからセクハラ行為があったものとの被害妄想を抱いて,医師にその旨訴えたことによるものである。

(ウ) 原告は,入社後間もなく,うつ病の薬を飲んでいた。被告Bは,原告が退職する1,2か月前頃うつ病の薬を服用をしていないことに気が付き,原告に尋ねると,原告は,医者から飲まなくともよいと言われている旨回答した。したがって,原告のうつ状態は,入社以前からのものであり,また,原告の主張する症状は,退職後長期間にわたるものであって,原告の主張する症状は,被告Bの行為とは無関係に発生したものであり,原告の心的要因によるものである。

ウ 同ウは争う。

(2)  被告会社が職場環境を整備すべき義務を怠ったか。

(原告の主張)

ア 被告会社は,使用者として,従業員に対し,良好な職場環境を整備すべき雇用契約上の法的義務を負っている。

イ したがって,セクハラの防止に関しても,職場における禁止事項を明確にし,これを全従業員に周知徹底するための研修,講習等の啓発活動を行うなど,適切な措置を講じなければならない。しかも,セクハラの防止に係る事業主の責務を明示した改正後の雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律が平成11年9月から施行され,それにともなう指針も適用されるに至ったのであるから,本件当時,使用者としては,セクハラ防止のための適切な措置を講ずることがいっそう強く求められるに至っていると言わねばならない。

ウ ところが,本件当時,被告会社は,セクハラの防止に向けた具体的措置を何ら講じていなかった。

エ 被告会社が,同法及び指針の求めるセクハラに対する適切な措置を講じていれば,どのような言動がセクハラに該当するのか,そのような言動は許されないことであるという社内意識が養われ,被告Bが原告にセクハラ行為に及ぶことを防止できたはずである。また仮に,それでもなお,被告Bがセクハラ行為に及んだとしても,原告は,これほど長期間にわたって1人で悩むことなく,窓口を通じて相談し,早期に適切な措置がとられ,勤務を継続できたはずである。

オ したがって,被告会社は,被告Bのセクハラ行為について,良好な職場環境を整備すべき雇用契約上の義務を怠ったことについての債務不履行責任を免れない。

(被告会社の主張)

ア 原告の主張アは認める。

イ 同イないしエは争う。

ウ(ア) 被告会社は,平成16年8月頃,就業規則にセクハラの禁止規定を盛り込む等の変更をすると同時に,社員幹部を集めてセクハラ関係研修会を開催し,同研修会において,各自の担当する部署内でセクハラ関連の指導を行うように指示をした。

(イ) 本件発覚後,被告会社は,社労士事務所に依頼して,セクハラに関する社内の実態調査を行い,平成17年10月25日付で「宣言します セクシュアルハラスメントは許しません!!」と題する文書を各部署に配布した。

(3)  損害額

(原告の主張)

ア 治療費  29万9410円

原告は,現在も体調は回復せず通院治療を続けているが,少なくとも,これまでに,治療費として次のとおり合計29万9410円を支出した。

(ア) J医院  5万5120円

(イ) P薬局  2万2140円

(ウ) Nクリニック  2万7900円

原告は,急に体調が悪化し,点滴治療等の必要が生ずるため,そのような場合には,自宅近くのNクリニックで処置をしてもらっている。

(エ) I病院  3940円

原告が自殺を図り,救急車で搬送された。

(オ) K病院  3920円

原告が受診していたHクリニックの主治医がK病院に転勤となったため,原告は,同病院で同医師に治療を受けた。

(カ) O病院  3万8930円

原告が自殺を図り,救急車で搬送された。

(キ) Q薬局  970円

(ク) L  2万8250円

(ケ) R薬局  2万7300円

(コ) Mクリニック  4万0010円

(サ) S薬局  5万0930円

イ 逸失利益  686万8800円

(ア) 原告は,退職直前の3か月間,被告会社から手取り平均月額7万7345円(年額92万8140円)の給与を得ていたほか,家庭では主婦として稼動していた。

(イ) 原告は,被告Bによる長年にわたる恒常的なセクハラ行為に起因するストレスの蓄積から,「うつ状態,自律神経障害」を発症し,長期に渡る自宅療養を必要とするため,また,被告会社がセクシュアルハラスメント防止のための適切な措置及び発生したセクシュアルハラスメントに対する適切な対処措置を講じず,あるいは,原告に対する被告Bのセクシュアルハラスメントの事実を知った後も何らの適切な措置を講じなかったため,退職を余儀なくされ,再就職も家事もままならなくなり,平成19年4月から働き出したものの,長続きしない状態にある。原告の就労不能期間は,少なく見積もっても2年間である。

(ウ) 交通事故による休業損害に関し,パートタイマー等の兼業主婦については,現実の収入額と女性労働者の全年齢平均の賃金額のいずれか高い方を基礎として算出するのが一般的である。本件においても,これに準じて算出すると,平成17年の賃金センサスによる女性労働者の全年齢平均の賃金額である343万4400円の2年分686万8800円が原告の逸失利益となる。

ウ 慰謝料  200万円

原告が,被告Bの不法行為並びに被告会社の債務不履行及び不法行為によって被った精神的苦痛に対する慰謝料は,露骨で執拗な被告Bのセクハラ行為の態様,期間,被告Bの職務上の地位,被告らの事後的対応等を総合考慮すると,200万円を下らない。

エ 損害の填補

原告は,被告Bから,合計27万4000円の支払を受けたから,上記アないしウの合計916万8210円からこれを控除すると,残額は,889万4210円となる。

(被告らの主張)

ア 原告の主張アは不知。

イ 同イは不知。

ウ 同ウは否認する。

エ 同エのうち,原告が,被告Bから,合計27万4000円の支払を受けたことは認める。

(4)  民法722条2項の類推適用の当否

(被告らの主張)

ア 仮に,被告Bのセクハラが認められ,原告の損害の拡大に寄与していたとしても,原告の心因的要因及び家庭の問題等の要因に比べて,寄与度は僅かであり,5パーセントにも満たない。

イ したがって,仮に被告らの損害賠償責任が認められたとしても,民法722条2項又はその類推適用により,損害合計額の少なくとも95パーセントは減額されるべきである。

(原告の主張)

争う。

第3争点に対する判断

1  争点(1)(被告Bが原告に対し,セクハラ行為をしたか。)について

(1)  証拠(甲1,2,12,13,乙4ないし10,11の1ないし14,12の1及び2,原告本人,被告B)によれば,次の事実が認められる。

ア 原告は,高校を中退した後,民間会社に就職したものの,結婚が決まったことから退職し,平成2年12月1日に夫と結婚し,その間に長女,長男及び次男をもうけた。原告は,平成11年当時,埼玉県行田市所在の自宅において原告の両親を含め,家族7人で同居していた。原告は,同年6月から平成12年11月までの間,プラスチック製品製造会社でパートとして働いた。

イ 原告は,平成11年から12年にかけて,肺炎,頭痛などで,I病院の内科及び脳神経外科を受診し,その際,夜眠れない,おそろしい夢を見るなどと訴え,胃腸薬,鎮静剤等のほか,精神安定剤(デパス)の投与を受けた。原告は,同年10月11日,同病院の医師から,精神科医宛の紹介状をもらった。

ウ 原告は,同年12月4日,被告会社にパート社員として入社し,自宅から自動車で通勤可能な本件社員食堂の調理場で働くようになった。また,原告は,生活費が足りないことなどから,同月頃から,レストラン(豚カツ屋)で,週2,3回程度,午後6時から午後9時30分まで接客の仕事をアルバイトでするようになった(原告は,平成14年2月にこのアルバイトを辞めた。)。

エ 原告は,被告会社に入社後間もなく,被告Bから,飲みに誘われたほか,スリーサイズを尋ねられるなどされたうえ,次いで,尻を触る,至近距離から菜箸で原告の乳首を摘むまねをする,原告の胸をことさら見るなどのセクハラ行為を受けるようになった(このようなセクハラ行為は,原告が退職するまで続いた。)。また,被告Bは,原告に対し,職場で,コンドームを机から取り出して見せ,やろうかと言ったことがあった。

オ 原告は,平成13年6月16日,上記イの紹介状を持って,Hクリニックを受診し,今年に入って手の震えがひどくなり,接客時に挨拶ができなくなり,手が震えて物を運べないなどと訴え,ストレスの原因として,家庭問題(同居両親との不仲)と説明した。同クリニックの担当医は,不安神経症と診断し,原告に対し,抗不安剤,抗うつ剤等を投与した。

カ 原告は,以後,同クリニックに定期的に通院し,対人緊張,不安等を訴えたが,平成13年9月を最後に一時通院を止めた。

キ その後,原告は,平成14年2月2日から同年3月9日まで及び同年10月12日から平成16年7月24日まで,同クリニックにそれぞれ通院した。原告は,抑うつ状態を訴えるようになり,担当医は,平成15年3月,原告についてうつ病と診断した。

ク 原告は,この間の平成14年11月3日に大量服薬して救急車で病院に搬送されて治療を受け(原告は,同月9日頃から,Hクリニックの担当医に死にたいなどと述べるようになった。),平成15年2月18日にも自殺を企図して大量服薬して救急車で病院に搬送されて治療を受けた。

ケ その後,原告は,薬の副作用が強いように感じたことなどから,平成16年7月24日を最後に,Hクリニックへの通院を止めた。

コ 被告Bは,平成17年4月27日,原告に対し,同年5月4日の休日出勤を依頼したところ,原告は,これを了解した。ところが,翌日の4月28日になって,原告は,被告Bに対し,休日出勤を断った。その際,原告は,被告Bに対し,原告の代わりに「Eが出勤してくれる。」と伝えたが,被告Bは,調理場の騒音から「Eも出勤できない。」と聞き違え,原告を怒鳴りつけた。原告は,同年4月29日には出勤したが,週明けの同年5月2日には,朝起き上がることができず,欠勤した。

サ 原告は,同日,J医院を受診し,平成13年に職場でセクハラ行為を受けて精神的に不安定となり,Hクリニックに通院して投薬を受けていたが,脳に病気があるのではないか心配で精査を受けたいなどと訴えたほか,最近,意に反して子供の学校の役員になり,プレッシャーがかかりストレスが増えたなどと説明した。担当医は,原告について頭部CT検査を実施したが,異常を認めず,原告についてうつ状態,自律神経障害と診断し,抗うつ剤等を投与した。

シ 原告は,平成17年5月7日,被告会社を退職した。原告の夫は,同月17日,被告Bと面談して抗議した際,被告Bは,原告に対するセクハラ行為を認めて,謝罪したうえ,上記コのとおり,原告を怒鳴りつけたことについて,自分が誤解していたことを誤るとともに,「お尻については弁解の余地有りません。」と記載された原告宛の手紙を原告の夫に渡した。

ス 原告は,以後,J医院に定期的に通院し,不眠のほか,自宅にいると,夫や親から,気持ちの問題だ,仕事をちゃんとやれなどと言われ,プレッシャーを感じているなどと訴え,催眠剤,抗うつ剤等の投与を受けた。

セ 原告は,同年10月8日,J医院の紹介で,Lを受診し,不眠,抑うつ状態を訴えたほか,同年5月に退職するまで,本件社員食堂でセクハラ行為を受け続け,家族に言うと職場を辞めろと言われるので,経済的事情から言えなかったなどと説明した。担当医は,心因反応(心的外傷後ストレス障害)と診断し,催眠剤,抗うつ剤等を投与した。

ソ 原告は,平成18年1月,行田労働基準監督署に労災給付(休業補償)の申請手続をした。

タ 原告は,同年3月23日,夫婦喧嘩のうえ,大量服薬して入院し,治療を受けた。原告は,同月27日のLへの通院を最後に転院を希望した。

チ 原告は,同日,夫に付き添われて,Mクリニックを受診し,5年間職場でセクハラ行為を受けたものの,我慢したこと,J医院及びLに通院していたこと,現在,娘の不登校のほか,両親との関係が悪化して別居を検討中であること,セクハラ行為について提訴を検討中であることなどを主に原告の夫が説明した(また,原告は,担当医に,夫がパチンコばかりして働かないなどと訴えた。)。心理検査の結果でも,原告には,不適応,抑うつ,過敏,緊張等の症状が明らかであり,原告は,うつ病と診断された(原告は,以後,現在に至るまで,同クリニックで治療を受けている。)。

ツ 原告は,平成19年4月になって,コンビニで午前9時から午後5時まで働くようになったほか,夜も居酒屋で働いた。

テ 原告は,同年9月にコンビニを辞めて,スーパーマーケットで働くようになり,更に,平成20年9月からは,洋服関係の仕事に就いた。一方,原告は,同年5月,夫と子供とともに,原告肩書地に転居した。

(2)ア  上記(1)に認定したもの以外のセクハラ行為について検討すると,原告は,まず,被告Bが原告の腕や胸を触る,わざと身体に擦り寄ってくることを繰り返した,性的な関係を強要しようとしたと主張し,本人尋問で,これに沿う供述をする。しかしながら,原告の上記供述は,被告B本人尋問の結果に照らし,たやすく採用することができず,他に原告の上記主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

原告は,次に,被告Bは原告の意に反することを知りながら,入社後まもなくから,度々原告を飲酒に誘ったと主張する。証拠(原告,被告B)によれば,被告Bが何度か原告を飲酒に誘ったことがあったこと,原告は,いずれもこれを断ったことが認められる。この事実によれば,被告Bが原告を飲酒に誘ったことをもって,直ちにセクハラ行為ということはできない。

原告主張のその余のセクハラ行為(争点(1)に関する原告の主張ア(ウ)b,(エ)b,c)についても,本件全証拠によっても,これを認めるに足りない。

イ  次に,原告は,被告Bの言動に対し,原告が「やめてください。」などと言って抗議をしたり,誘いを断ったりすると,被告Bは,チーフという地位を利用し,原告に,ローテーションで決まっている調理補助の仕事をさせず,掃除等の雑用ばかりさせる,原告を無視する,些細なことで怒鳴る等の不利益な取扱いや嫌がらせを繰り返したと主張し,原告本人尋問の結果には,これに沿う部分があるが,被告B本人尋問の結果に照らし,たやすく採用することができず,他に原告の上記主張事実を認めるに足りる証拠はない。

ウ  また,原告は,原告が被告Bから受けたセクハラ行為の頻度について,原告は,本人尋問で,原告の体に触ることだけで1週間に3回あったと供述する。これに対し,被告Bは,原告の尻に触ったのは1か月に1回程度であったと供述する。

上記(1)に認定の事実によれば,原告は,自宅から近いことなどから本件社員食堂での仕事が気に入っていたので,被告Bのセクハラ行為を被告会社に在職した4年以上にわたり我慢し続けたことが認められるものの,原告の体に触ることだけで1週間に3回のセクハラ行為を受けたにもかかわらず,これを4年以上にわたり我慢し続けたとまでは,認め難い。したがって,原告の上記供述を採用することができず,本件全証拠によっても,原告が被告Bから受けたセクハラ行為の頻度については,明らかではないというほかない。

(3)ア  上記(1)に認定の事実によれば,原告は,平成12年12月4日被告会社に入社して本件社員食堂で稼働するようになった後,間もなく,被告Bから,スリーサイズを聞く,尻を触る,至近距離から菜箸で原告の乳首を摘むまねをする,原告の胸をことさら見るなどのセクハラ行為を受けるようになり,これに我慢して仕事を続けていたものの,平成13年6月頃,うつ病を発症し,その後も,被告Bの同様のセクハラ行為が続いたことなどから,病状が次第に悪化したと認めるのが相当であり,被告Bのこれらのセクハラ行為は,不法行為を構成し,被告Bは,原告に対し,不法行為(民法709条)に基づく損害賠償義務を負う。

イ  また,上記(1)に認定の事実によれば,被告Bの原告に対するセクハラ行為は,被告会社の事業の執行についてなされたものと認められるから,被告会社は,原告に対し,不法行為(民法715条)に基づく損害賠償義務を負う。

2  争点(3)(損害額)について

(1)  治療費  29万9410円

証拠(甲3の1及び2,4ないし6,7の1及び2,8の1及び2,9の1及び2)によれば,原告は,治療費として,上記第2,2,(3)の原告の主張ア(ア)ないし(サ)のとおり合計29万9410円の支出をしたことが認められる(このうち,原告の主張ア(イ),(キ),(ケ),(サ)の各薬局に対する支払については,いずれも,原告がうつ病の関連で受診していた医師が出した処方箋に基づいて,各薬局が処方した薬剤等について原告が支払ったものと認められ,この認定に反する証拠はない。)。

(2)  逸失利益  326万0327円

ア(ア) 証拠(乙9の14頁)によれば原告は,退職直前の3か月間,被告会社から手取り平均日額2542円の給与を得ていたことが認められる。

(イ) また,証拠(原告)によれば,うつ病に罹患する前には,家庭で主婦として家事全般を行っていたこと,原告がうつ病に罹患して,体調が悪化し,病院に通院するようになった後は,家事の全てができなくなった訳ではないものの,原告の夫や子供に家事の一部をやってもらうようになったことが認められる。

イ 上記1(1)に認定のとおり,原告は,被告Bからセクハラ行為を受け,これに起因してうつ病に罹患し,これにより様々な精神的,身体的症状が発現したことから,平成17年5月7日被告会社の退職を余儀なくされ,その後,平成19年4月になってコンビニ等で働き出したものであるから,原告の就労不能期間は,平成17年5月8日から平成19年3月31日までの693日間と認められる。

ウ 上記ア及びイによれば,原告は,被告Bの不法行為により,被告会社で得られたはずの給与を得られなかったほか,家事の一部を行うことができなかったものであるところ,これを全体としてみると,原告は,1年当たり,平成17年の賃金センサス第1巻第1表,産業計,企業規模計,学歴計による女性労働者の全年齢平均の賃金額である343万4400円の50パーセントの得べかりし収入を喪失したと認められる。したがって,被告Bのセクハラ行為と相当因果関係がある原告の逸失利益は,次のとおり合計326万0327円というべきである。

3434400×(1-0.5)÷365×693=3260327

(3)  慰謝料  200万円

上記1(1)に認定のとおり,原告は,被告会社に在職中の4年以上もの長期間にわたり,被告Bからセクハラ行為を受け続け,これにより,うつ病に罹患するとともに,その後,被告会社の退職を余儀なくされたうえ,現在まで長期間にわたる治療を受けることとなったものであり,これにより,原告は,多大の精神的苦痛を受けたと認められ,その他上記1(1)に認定の諸般の事情を考慮すると,原告が被った精神的苦痛を慰謝するための慰謝料は,200万円が相当である。

3  争点(4)(民法722条2項の類推適用の当否)について

(1)  証拠(乙9〔11頁,77頁から80頁〕)によれば,埼玉労働局長から,意見書の提出を求められた埼玉労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会は,原告が通院した病院等のカルテ等に基づいて,原告は平成13年6月頃に神経性障害,ストレス関連障害等を発病し,原告に対するセクハラ行為の時期を特定することができず,原告が受けた心理的負荷の強度は「Ⅱ」であり,発病後のセクハラ行為も認められるが,心理的負荷の強度が「強」に至る出来事は認められず,心理的負荷の総合評価は,「中」と認められ,したがって,本件は業務外として処理するのが相当との意見書を提出したこと,行田労働基準監督署長は,平成18年11月8日,業務に関連する出来事としてセクシュアルハラスメントがあったと認められるものの,業務に起因することの明らかな疾病には該当しないとして,不支給の決定をしたことが認められる。

(2)  上記1(1)に認定の事実と上記(1)に認定の事実に基づいて検討すると,原告がうつ病を発症したうえ,その後病状が次第に悪化したことは,主として被告Bのセクハラ行為に起因すると認められるが,①原告がもともと内向的で神経過敏な気質を有していて,被告Bからセクハラ行為を受ける以前から,I病院の医師に,夜眠れない,おそろしい夢を見るなどと訴え,精神安定剤の投与を受けていたほか(証拠〔乙9の87頁ないし89頁〕によれば,Hクリニックで原告を診療していたC医師は,原告の疾患についてパニック障害,抑うつ状態,その発症時期について平成12年6月頃と診断したことが認められるが,上記1(1)に認定のとおり,原告は,I病院の医師から平成12年10月11日付けの紹介状をもらったものの,しばらく,精神科を受診せず,平成13年6月16日になって,Hクリニックを受診していることに鑑みると,被告Bからセクハラ行為を受ける以前の原告の上記疾患は,長期間の治療を要するものではなかったと認められるものの,このような気質的な素因が損害の発生及び拡大に寄与したことは否定できない。),②被告Bからセクハラ行為を受けた以後,家庭内での夫や両親との不和や,長女の不登校など,原告にストレスを生じる様々な要因が重なったことが,原告のうつ病の発症,原告の症状の程度や治療の長期化に寄与していると認められるのであり,被告らに損害の全部を賠償させるのは,公平を失するから,民法722条2項の規定を類推適用し,上記①及び②の事情を斟酌して,被告らには,原告が被った上記2に認定の損害の6割を賠償させるのが相当である。

(3)  上記(2)によれば,被告らは,原告に対し,連帯して,上記2に認定の損害額合計555万9737円の6割である333万5842円(円未満切り捨て)について,損害賠償義務を負うというべきところ,原告は,被告Bから,合計27万4000円の支払を受けたから,上記333万5842円からこれを控除すると,残額は,306万1842円となる。したがって,被告らは,原告に対し,連帯して,306万1842円及びこれに対する不法行為後である平成19年5月9日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払う義務を負う。

4  以上の次第で,原告の本訴各請求は,その余の点(争点(2)。被告会社が原告主張の債務不履行責任を負うとしても,原告の認容額が上記3(3)を上回るものではない。)について判断するまでもなく,上記3(3)の限度でいずれも理由があるからこれを認容し,その余は失当であるからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 岩田眞)

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