さいたま地方裁判所 平成19年(行ウ)17号 判決 2010年8月25日
主文
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第3当裁判所の判断
1 前記争いのない事実等のとおり、Aは、同人が顧問を務める本件高校女子ソフトボール部の部活動指導中に本件疾病を発症して倒れ、その後死亡したものである。
ところで、発症した疾病が地公災法に基づいて公務上の疾病と認められるためには、公務と当該疾病との間に相当因果関係のあることが必要であり、かつこれをもって足りるというべきである。そして、同法による補償制度が使用者等に過失がなくても公務に内在する危険が現実化した場合に職員に生じた損害を一定の範囲で填補させる危険責任の法理に基づくものであることからすれば、相当因果関係があるというためには、当該災害の発生が公務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したことによるものであることを要するというべきである。
本件では、Aの本件疾病の発症が公務に起因するか否かが争われているところ、証拠(乙6)によれば、くも膜下出血等の脳血管疾患は、動脈瘤等の基礎疾患が種々の有害因子により長い年月の生活の営みの中で形成され、それが徐々に進行し、増悪して発症するというように、自然経過をたどり発症に至る疾病であることが認められる一方、急激な血圧変動や疲労の蓄積が増悪、発症の原因となる場合があることも認められる。
そうすると、脳血管疾患の発症が公務に内在ないし通常随伴する危険が現実化したものとして公務起因性が認められるためには、公務上の精神的、身体的な過重負荷により、急激な血圧変動や疲労の蓄積が生じ、基礎疾患がその自然の経過を超えて増悪、発症したと認められる必要があることとなる。公務による負荷が日常的な種々のストレス等と同等程度のものに過ぎないような場合は、基礎疾患が自然の経過を超えて増悪、発症したとは認められないから、当該脳血管疾患の発症が公務に起因すると認めることはできない。そして、基礎疾患が公務上の精神的、身体的な過重負荷により、その自然の経過を超えて増悪したと認められるか否かは、①公務が精神的、身体的に過重負荷を与えるものであったかどうか、②基礎疾患が確たる発症因子がなくても自然の経過により直ちに発症する程度まで増悪していなかったかどうか、を総合的に検討して判断すべきである。
なお、上記①の公務の過重性については、地公災法による補償制度が、上記のように危険責任の法理に基づくものであることにかんがみると、当該職員の公務が通常の勤務に就くことが期待されている平均的な公務員(健康な状態にある者及び基礎疾患を有するものの日常の公務を支障なく遂行できる者)を基準として、労働時間、公務の質、責任の程度等において精神的、身体的に過重であったかどうかによって判断するのが相当である。また、②の基礎疾患の増悪の程度(健康状態)については、疾病の性質、従前の発症歴・治療歴、家族歴、生活習慣等から認められる当該職員の基礎疾患の程度が、自然の経過により発症する寸前又はいつ発症してもおかしくない状態に至っていなかったかどうかという観点から判断するのが相当である。
2 以上の見地から、まず、Aの公務が過重であったか否かについて検討する。
(1) 前記争いのない事実等及び証拠によれば、以下の事実が認められる。
ア Aの担当業務等について
(ア) Aは、国語科の教員として、平成7年4月1日から本件高校に勤務し(乙1の64頁)、平成14年4月以降は3年生の学年主任、3年1組の副担任、教務部、校務委員会委員及び女子ソフトボール部の正顧問を担当していた(甲9、13、乙1の50頁、51頁及び122頁)。
Aが、3年生の学年主任や正顧問を担当したのは、本件高校において初めての経験であった(乙1の122頁、128頁)。
なお、Aは、平成13年度は2年生の学年主任、2年4組の副担任、生徒指導部、校務委員会委員及び女子ソフトボール部の副顧問を担当していた(甲9、乙1の122頁)。
(イ) 本件高校における所定勤務時間は午前8時30分から午後5時15分まで、所定の昼の休憩時間は午後0時40分から午後1時25分までの45分間であり、その他休息時間が「午前午後各15分間適宜」と定められていた。
本件高校のAら教職員の1日のスケジュールは、以下のとおりである。
① 午前8時30分から同8時40分 職員朝会
② 午前8時40分から同8時50分 SHR※
③ 午前8時50分から同9時40分 第1時限
④ 午前9時50分から同10時40分 第2時限
⑤ 午前10時50分から同11時40分 第3時限
⑥ 午前11時50分から午後0時40分 第4時限
⑦ 午後0時40分から同1時25分 昼食
⑧ 午後1時25分から同2時15分 第5時限
⑨ 午後2時25分から同3時15分 第6時限
⑩ 午後3時15分から同3時25分 清掃指導
⑪ 清掃後 学年会議
⑫ 隔週木曜 職員会議
※ ショートホームルーム。平成14年度は、Aは、担任を受け持っていなかったが、担任が休暇等で出勤していない場合に代わりに担当することがあった。(甲12、乙1の48頁、68頁)
(ウ) 平成14年度の1週間の授業のコマ数は30(1日6コマで週5日)であるが、Aの担当授業(古典及び古典講読)は以下のとおり17コマであり、これに加えて学年主任の会議が1コマあった。なお、Aは、平成11年度には15コマ、同12年度には16コマ、同13年度には15コマの授業を担当していた。
1限
2限
3限
4限
5限
6限
月曜
○
―
○
会議
―
○
火曜
○
○
○
―
○
○
水曜
○
―
―
―
―
―
木曜
○
○
○
―
○
―
金曜
○
○
―
○
―
○
(甲12、乙1の70頁、71頁、122頁、164頁、165頁)
(エ) 学年主任の職務には、当該学年の教育活動に関する事項について連絡調整に当たったり、必要に応じて指導、助言を行ったりする職務があるが、3年生の学年主任は、主に進路指導に関して、中心となって、各生徒への指導、担任への支援、指導、助言、学年運営、各分掌との連絡調整業務などを行わなければならなかった。
Aは、3年生の学年主任として、3学年全体の補習や模擬試験、進学見学会など、進路計画や行事の日程、内容について、学年や進路指導部と調整、連絡、企画を行った。平成14年度の1学期には、大学・短大・専門学校・就職のオリエンテーションなどの行事もあり、Aは、学年主任として各行時に参加していた。
なお、学年主任には、その職務の負担から、教育業務連絡指導手当が支給されている。(甲13、乙1の81頁、104頁、105頁、122頁、126頁、167頁、168頁、証人B(1―2))
(オ) Aが担当していた教務部の業務の内容は、年間の行事計画や入学式等の各行事について、関係する主任や管理職等と連絡調整及び相談をし、具体的計画を立てる企画業務(ただし、Aは責任者ではない。)、3年生の指導要録、学習指導計画書、ロングホームルーム計画書、部活動計画書、出席簿、成績一覧表等の表簿を3年生の各教員に配布、説明、回収、点検、保管等を行う表簿の業務、小・中学校などの校外団体との交流事業等の行事を円滑に実施するため、同団体と校内の担当分掌との連絡調整を行い、また担任を通して奨学金の希望者を調査し手続を進め、教職員研修について管理職と相談し企画及び実施をし、さらに教育実習を希望する学生と教科、学年との連絡調整を行うなどの渉外業務等であった。また、校務委員会の業務は、校務運営に関する企画や立案を行うというものであった。(乙1の122頁、166頁)
(カ) Aは、女子ソフトボール部の顧問として、午前7時30分から始まる朝練習や、放課後夕方7時ころまで行われる部活動の指導、練習試合の監督指導、対外試合の際の引率、合宿、公式試合の指導等を行っていた。
Aは、前任校において、野球部の顧問を担当していた。本件高校に赴任後は、Cが正顧問を務める女子ソフトボール部の副顧問を担当し、同人の補佐的な役割を果たしていたが、平成14年4月以降、同人が異動したことにより、Aが同部の正顧問となった(乙1の69頁、128頁)。
本件高校の女子ソフトボール部は、Cが高い専門技術と指導力を有していたことなどから、例年、関東大会やインターハイ予選等で好成績を残す実績を持つ、県内有数の強豪校であった(甲9、23、24、乙1の69頁)。
Aは、平成14年6月17日及び20日に行われるインターハイの予選に向けて、熱心に指導を行った。部活動指導の内容としては、朝練習については、職員室にいて部員に対し練習内容等を指示する程度で直接グラウンドにおいて指導するものではなかったが、放課後の練習は、ジャージに着替えた上、グラウンドにおいて30分程度ノックを行って指導するほか、バッティングの指導、声かけ等による指導を行っていた(甲9、12、乙1の69頁、129頁、168頁、169頁、170頁、171頁、証人D、証人B)。
同部は、平成14年6月17日及び同月20日に行われたインターハイ県予選において、ベスト8の成績を残した(甲9、23)。
なお、Aが顧問を担当していた女子ソフトボール部以外でも、運動部では、かなり多くの部で授業終了から午後7時ころまで部活動が行われており、顧問の教諭はA同様に指導に当たっていた(乙1の129頁)。
(キ) Aは、授業のない時間には、授業の準備の他、学年主任業務、教務部の分掌業務、質問や進路相談に来る生徒への指導等を行っていた。
授業の準備については、週17コマの授業のうち、同内容の授業をするものもあったため、毎週新たに準備をする必要のある授業の数は5つであり、1回の授業の準備には最低でも1時間は必要であることから、毎週授業の準備に5時間程度は必要であった。(甲12、証人D)
(ク) Aは、平成14年5月ころからは7人の生徒に対して小論文の添削指導等を行う個別指導も行い、またそのころから毎週1回、午前7時30分から午前8時30分までの1時間に早朝補習指導(進学希望者を対象にした学力向上のための任意参加の授業)において現代文演習の授業を担当していた(乙1の68頁、69頁、123頁、167頁)。
イ Aの具体的勤務状況等について
(ア) Aは、毎朝午前7時ころに自動車で自宅を出発して約10分弱かけて本件高校に通勤しており、事務仕事や授業の準備をし、午前7時30分からは早朝の部活動指導を行っていた。平成14年4月以降は、午前7時前に自宅を出発することが多くなり、本件高校において、会議の資料の作成や授業の準備等を行っていた。(甲14、22、乙1の108頁、原告X1(2、3))
(イ) Aは、ほぼ毎日午後7時過ぎまで本件高校に残って部活動指導等にあたっていた。Aは、同年4月以降は、部活動指導を終えた午後7時以降にも、本件高校に残って事務仕事をしていることがあり、帰宅時間が午後9時ころになることが多くなった(甲12、原告X1(4))。
(ウ) Aは、休憩時間である昼休みに、各種連絡、教員間での打ち合わせ、書類作成等の事務的な仕事の他、生徒の相談に乗ったり生徒を呼び出して話をしたりするなどの仕事をすることがあった(甲12、13)。
(エ) 本件高校では、土曜日及び日曜日は週休日とされていたが、Aは、別紙「時間外勤務時間」表(別表)のとおり、土曜及び日曜にも部活動指導のために出勤することが多かった(乙1の48頁、72頁ないし107頁)。
(オ) 本件高校において、平成14年5月24日(金曜)、同月27日(月曜)、同月28日(火曜)の3日間、中間考査が行われ、Aが担当していた古典及び古典購読の考査は、同月24日に行われた。
Aは、同月24日は、池袋で行われた私立大学進学懇談会に出席するため、終日出張していたことから、200人分の答案用紙を受け取ったのは同月27日の月曜日であった。Aは、同日、部活動指導と中間考査の監督を行った後、3時間の年休を取得しており、翌28日には中間考査の監督及び部活動指導を行った。(甲12、乙1の81頁、証人D)
(カ) 平成14年6月2日から同月6日にかけて、女子ソフトボール部の校内合宿が行われた。同合宿の日程は以下のとおりである。(甲9ないし11、乙1の129頁、証人B)。
また、同月2日の夜、Aは、1年生の部員9名と一人ずつ面談を行った。面談の開始時間は午後9時半ころであり、終了時刻は午後11時ころであった(甲10)。
① 午前7時 起床
② 午前7時30分 朝食
朝練習
③ 午前8時30分 通常の学校の授業
④ 午後4時 練習
夕食
~午後9時まで 夜間練習
⑤ 午後10時 就寝
なお、被告は、同合宿の日程について、B作成の部活動の状況に関する報告書(乙1の79頁)の記載を根拠に、同合宿は同月5日の朝までであると主張するが、同報告書は、本件発症後に概括的に作成された報告書であり、誤記があることも考えられるところ、同合宿に参加した部員の当時の日記(甲11)の記載は正確であるといえ、上記認定のとおり同合宿は6日までであったと認められる。
(キ) Aは、平成14年6月1日(土曜)、同月2日(日曜)及び同月9日(日曜)にも、女子ソフトボール部の試合の監督指導のために出勤した。それぞれの日の試合の開始時間は次のとおりであった(乙1の290ないし292頁)。
① 同月1日 午前9時30分
② 同月2日 午前9時30分
③ 同月9日 午前9時30分
(ク) Aが、本件疾病発症前3か月に取得した年休は、別表の「行事・出来事」欄記載のとおりであり、発症前1か月目(平成14年5月23日から同年6月22日まで)が28時間、同2か月目(同年4月23日から同年5月22日まで)が19時間、同3か月目(同年3月23日から同年4月22日)が15時間であった。その他、同年3月26日には、指定休が4時間あり、5月1日は職務専念義務が免除されていた。(乙1の81ないし85頁、98ないし107頁、152ないし156頁)
(ケ) Aは、上記期間に、別表記載のとおり、ソフトボール部の公式試合の引率や進路指導関係業務等のため、日帰り出張をした。また、上記期間における本件高校の主な行事及びAの部活動指導の状況は、別表「行事・出来事等」欄記載のとおりであった。(乙1の49頁、81ないし85頁、98ないし107頁、139ないし142頁)
(コ) 同年6月18日(火曜)から同月21日(木曜)まで、保護者面談があったため特別授業となっており、授業は午前中のみであったことから、部活動の練習も通常より早く始まった。
また、試合のための出張による授業の振替もあった。(乙1の69頁)
(サ) 本件疾病の発症前6か月以内に、本件高校において、生徒が問題を起こした等の事件は発生していない(乙1の130頁)。
(シ) Aは、平成14年4月以降、以下のとおり学年主任の進路指導業務にかかる出張をしている(乙1の81頁、104頁、105頁)。
① 4月30日 専門学校説明会
② 5月10日 大学進学情報交換会
③ 5月24日 私立大学進学懇談会
(ス) Aは、水曜日の午後に年休を取得することが多くあったが、これは、Aが教職員組合の会議に参加するために年休を取得したものであり、組合活動で帰りが遅くなることもあった(原告X1(9)、証人D)。
(2)ア Aの公務の量的過重性
以上の事実によれば、本件疾病発症前3か月にわたるAの時間外勤務の状況は別表「時間外勤務時間」欄記載のとおりとなり、発症前1か月目が93時間15分(年休取得時間は28時間)、同2か月目が87時間30分(年休取得時間は35時間、職務専念義務免除1日)、同3か月目が98時間(年休取得時間は11時間、指定休4時間)となる。
認定理由の詳細は、以下のとおりである。
(ア) 出勤時間について
本件高校の所定勤務時間は午前8時30分からであるが、部活動指導がある日の平日(春休み中である平成14年4月7日までを除く。)の出勤時間は午前7時30分であると認められる。
原告らは、部活動指導が午前7時30分からある場合には、その事前の準備が必要であり、この時間も労働時間と評価すべきであるから、そのような日の出勤時間は午前7時15分と認定すべきであると主張するが、前記認定のとおり、朝練習における指導は、職員室等において部員に練習内容の指示を出したりする程度であり、事前の準備が必要であったとも認められない。
平成14年4月26日の出勤時間について、原告らは午前8時であったと主張するが、当日は、前記認定のとおり、ソフト関東大会県予選があり、Aは、終日出張していたところ、当日朝練習があったなどの事情は認められないから、同日の出勤時間は、通常どおり午前8時30分と認めるのが相当である。
同年6月1日、2日及び同月9日の出勤時間については、前記認定のとおり、各日には、午前9時30分から練習試合が行われたこと、同月1日及び9日についてはAが出勤時間を午前9時と申告していること(乙1の74頁)に照らし、午前9時と認めるのが相当である。原告らは、Aは午前8時ころにはグラウンドに出ていたのであるから、同時刻を出勤時間と認めるべきと主張するが、全ての日にAが同時刻までにグラウンドに出ていたとしても、Aが具体的にどのような必要からその時刻にグラウンドに出ており、また具体的に何を行ったのかが不明であり、そうすると、原告ら主張の時刻を出勤時間と認めることはできない。
同月3日ないし6日の校内合宿中の出勤時間については、同合宿中の生徒の起床時間が午前7時であることに照らし、午前7時と認めるのが相当である。原告らは、合宿中の出勤時間はいずれも午前6時とすべきであると主張するが、Aが具体的にその時刻から勤務していたと認めるに足りる証拠がなく、同時刻を出勤時間と認めることはできない。
同月17日の出勤時間については、前記認定のとおり、同日はインターハイ県予選の行われた日であり、Aは試合会場まで終日出張しているところ、Aが、所定の勤務時間前に勤務をしたとの具体的事情は認められないから、所定の午前8時30分と認めるのが相当である。原告らは、同日の出勤時間を午前7時30分と主張するが、同時刻の出勤を認めるに足りる証拠はない。
その余の各日の出勤時間については、当事者間に争いがない。
(イ) 退勤時間について
本件高校の所定勤務時間は午後5時15分までであるが、部活動指導がある日の平日(春休み中である平成14年4月7日までを除く。)の退勤時間は午後7時であると認められる。
原告らは、後片付けや着替えに少なくとも15分は必要であり、この時間も労働時間と評価すべきであるから、退勤時間は午後7時15分と認定すべきであると主張するが、具体的に後片付けにどのような作業が必要であったのかが不明であり、また、Aは自動車通勤をしていたのであるから、着替えをせずにジャージのままで帰宅することも可能であったといえ、原告らの主張する作業時間を労働時間に算入することはできない。
同年5月21日及び同月23日の退勤時間については、証拠(乙1の81頁、107頁)によっても同日の放課後に部活動が行われたことが認められず、所定の退勤時間の午後5時15分と認めるのが相当である。原告らは、同日の退勤時間を午後7時15分と主張するが、上記のとおり証拠がなく、認められない。
同年5月29日の退勤時間については、前記認定のとおり、Aが同日4時間の年休を取得していることから、午後0時30分と認められる。
同年5月30日の退勤時間については、証拠(乙1の82頁)によれば、同日の放課後に部活動指導が行われたことが認められ、そうすると、退勤時間も通常どおり午後7時と認めるのが相当である。なお、上記証拠によると、同日にかかる表の午後6時過ぎに相当する部分に「退勤」と記載されているが、同表は、大まかな日程の記載がされたものであり、同表から正確な退勤時間が分かるものではないので(証人B)、上記記載は採用できない。
同年6月2日の退勤時間については、前記認定のとおり、同日Aが午後11時まで部員と面談を行っていたことからすると、午後11時と認めるのが相当である。
同年6月5日の退勤時間については、前記認定のとおり、同合宿の日程が同月2日から同月6日までであったことから、同日も他の合宿中の退勤時間と同様に午後10時と認めるのが相当である。
同年6月12日の退勤時間については、前記認定のとおり、Aが同日5時間の年休を取得していることから、午前11時30分と認められる。
その余の各日の退勤時間については、当事者間に争いがない。
(ウ) 休憩時間について
休憩時間は、各日45分と認定するのが相当である。原告らは、平日の休憩時間については、Aが休憩時間をとることができなかったか、とることができたとしても30分程度であったと主張し、部活動の試合等の引率を行った日については、休憩時間をとることができなかったと主張する。しかしながら、Aが上記期間中、所定の時間に休憩をとることができなかったことを認めるに足りる具体的事情は証拠上明らかではなく、全ての日において原告ら主張のような勤務実態であったと認めることはできない。
(エ) 年休について
Aは、別表「行事・出来事等」欄記載のとおり年休を取得しているところ、時間外勤務時間の算定においては、当該公務員の疲労の蓄積を正確に把握する見地から、年休を取得した日についても、所定の労働時間前後に勤務したと認められる場合には、当該時間を時間外勤務時間として算入し、その上で、公務が過重であったか否かを検討する際に取得した年休の時間を別途考慮するのが相当である。
(オ) 持ち帰り残業について
原告らは、同年5月24日に行われた中間考査の答案を、Aが採点した上、最初の授業で返却したとして、その答案の採点のために必要な10時間の持ち帰り残業時間を認めるべきである旨主張する。しかしながら、Aが最初の授業で答案を返却したと認めるに足りる証拠はなく、また、前記認定のとおり同月28日は中間考査の監督及び部活動指導で採点ができなかったことが認められるものの、同月29日水曜日にAが担当する授業があったのは1限目の1コマだけであったこと、翌30日木曜日には本件高校では球技大会が開催されており(乙1の49頁、82頁)、その間に採点をすることも可能であったと考えられることに照らすと、答案の採点を自宅でせざるを得なかったとまでは認められず、原告ら主張の時間外勤務は認めることはできない。
(カ) 被災日当日の勤務時間について
平成14年6月22日土曜日については、同月24日月曜日を振替予定日として、勤務日とされていたのであるから、所定勤務時間前後の勤務時間が時間外勤務時間として認められることになる。
同日までの勤務が連続勤務になっていた点については、別途考慮すべき事情であるというべきである。
イ Aの公務が質的に過重であったか
(ア) 部活動指導による負担について
前記認定事実によれば、Aは顧問を務めるソフトボール部がインターハイの予選を同年6月17日及び20日に控えており、同部が例年好成績を残す強豪校であったことから、平成14年においても好成績を残すべく、ほぼ連日部活動指導を行い、週休日である土曜日及び日曜日においても、部活動指導のため、別表のとおり出勤することが多く、本件疾病の発症直前には同年5月27日から同年6月22日までの27日間連続して勤務をしており、その間、同年6月2日から同月6日までは、部活動の校内合宿が行われ、通常より遅い時間まで部活動指導を行ったうえ、校内に宿泊しており、また、試合のための日帰り出張とそれに伴う授業の振替等があったのであるから、これらの部活動指導がAの肉体的な負担になっていたことは否定できない。また、Aが平成14年においても、同部の実績を残さなければならないとのプレッシャーを感じており、これによりAがある程度精神的負担を感じていたことも認めうるところである。
もっとも、上記連続勤務の認められる27日間においても、前記のとおり、同年5月27日には3時間、同月29日には4時間、同年6月5日ないし7日は、それぞれ5時間、1時間、5時間、同月19日にも5時間の年休を取得しており、全く休みなく連続勤務をしていたものではない。
また、部活動指導のうち、朝練習については、Aが職員室等において口頭で部員に指示を出すというものであったこと、放課後の指導については、屋外で行われており、Aが自らノックをしたりして指導に当たっていたことが認められるが、ノックの指導は30分程度にすぎず、放課後及び週末の指導について、Aが行っていた指導の具体的内容が必ずしも明らかではないのであり、Aの上記部活動指導による肉体的な負担の程度は不明であるといわざるを得ない。
さらに、Aは平成14年4月から同部の正顧問を担当することになったことが認められるが、Aは、本件高校に赴任後は、同部の副顧問を務めていたこと、前任の高校においても野球部の顧問を務めていたこと、私生活においても、地域の草野球のチームに所属して活動していたことが認められ(原告X1)、そうすると、これまで運動の経験のない者が初めて運動部の顧問を担当することになったのとは違って、ソフトボール部の顧問を務めること自体が相当の負担となっていたものとは認められない。
そうすると、本件において部活動指導が、Aに肉体的・精神的に負担を課するものであったことについて、一定の考慮が必要であるといえるが、その程度については、必ずしも相当の負担があったとまではいえない。
(イ) 授業、学年主任等の業務による負担について
前記認定事実によれば、Aは、平成14年度は授業を17コマ担当していたことが認められ、かかるコマ数は、過去数年間のA自身の担当授業コマ数と比較してもやや多かったということができ、これがある程度Aの負担になっていたということができる。
学年主任の業務については、平成14年の4月から6月の期間においても、進学等のオリエンテーションに参加するなどの活動が始まっており、生徒から相談等を受けることがあったことは認められるが、前記認定のとおり、Aは、上記期間においても相当数の年休を取得できていることが認められ、また本件高校においてAが対応を求められるような特に問題のある生徒はいなかったこと、Aが担任を持っていなかったことも認められるのであり、その他証拠によっても、上記期間における同業務が、相当の負担となるものであったと認めることはできない。
その他の教務部の業務等についても、相当の負担となるようなものであったと認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 疲労の回復の可否について
前記認定事実によれば、Aは、連日ほぼ午後7時には勤務を終えて帰宅できる状態にあったといえ、翌朝は部活動指導の朝練習のために毎日午前7時前には家を出ていたとしても、十分な睡眠時間が確保できないほどの勤務状況であったとは認められない。
なお、Aは、平日の部活動指導が終わった後にも、本件高校に残っていたことがある事実が認められ、また、同年4月以降は帰宅時間が午後9時頃になることがあったことも認められるが、Aが具体的にどのような内容の作業をしていたのか明らかではなく、さらにAは、職員組合の中央執行委員を務めており、これにかかる業務の負担もある程度あったことが認められるところ(証人D)、退勤後、同活動を行っていたこともうかがえるのであって(証人D、原告X1)、Aが同年4月以降、午後7時以降にも勤務し、この勤務がAの疲労の回復を妨げていたと認めることはできない。
ウ Aの公務の過重性にかかる評価
以上のとおり、Aの上記期間における時間外勤務時間は、年休取得時間のみを考慮しても、発症前1か月目が実質65時間15分、同2か月目が実質52時間30分、同3か月目が実質87時間にとどまり、午後7時には勤務が終了して自動車で約10分の距離の自宅に帰宅できたのであり、そうすると、休憩時間を上記認定のとおりには取れない日もあったであろうこと、部活動指導が上記のとおり肉体的・精神的にある程度負担になるものであったことを考慮してもなお、過重な公務であったとまでいうことはできない。
3 上記のとおり、Aの公務については、それが過重であったとは認められないところであるが、念のため、Aの基礎疾患の憎悪の程度についても検討する。
(1) Aの健康状態
Aには基礎疾患として多発性脳動脈瘤が存在し、これが破裂し本件疾病を発症してその後死亡したことは前記のとおりである。
Aは本件疾病発症当時45歳の男性であり、毎日ビールを2、3本程度飲む飲酒習慣が認められる(乙1の115頁)。
平成10年10月30日に行われた健康診断によれば、身長は172.6センチメートル、体重81.6キログラム、血圧140/80であり、心電図には陰性T、異常Q波がみられ、総コレステロール246、中性脂肪336、GOT37、GPT71、γ―GTP77であり、その診断結果は、肥満C、尿蛋白E、尿糖B、尿潜血E、血圧C、心電図C、白血球E、貧血Eであり、総コレステロール・中性脂肪・GPT・γ―GPTの数値に問題があるということであった。しかし、その後、上記健康診断で指摘された点について、医療機関を受診したりはしていなかった。なお、Aは、平成11年は結核と胃の検査のみ、平成12年は結核の検査のみしか健康診断を受診していなかった。(乙1の112ないし114頁、116頁)
なお、Aの家族に脳動脈瘤を保有する者が存在したとの証拠はなく、また、Aは、本件疾病発症まで、心血管・脳血管疾患等を発症したことはなかった(乙1の115頁)。
(2) 医師の意見書等
ア Aが救急搬送された川口市医療センターのE医師の支部長の照会に対する平成14年11月15日付け回答(乙1の172ないし177頁)によると、Aには多発性脳動脈瘤というくも膜下出血の高素因があったが、上記の平成10年の健康診断において指摘された太りすぎ、心電図の異常、総コレステロール・中性脂肪・GOT・GPT・γ―GPTの値、血圧には、くも膜下出血を発症した一要因となった可能性があるものはなく、発症当日は気温が平均18.8度の梅雨寒であったが(乙1の67頁)、このこととくも膜下出血発症との因果関係は不明であり、自然経過により同疾病が発症したか、心身に急激なストレス等が加わったことにより同疾病が発症したかは誰にも分からないのではないか、脳動脈瘤がある以上は、いついかなる時にも破裂しうるとされている。
イ 埼玉県立循環器・呼吸器病センターのF医師が県支部長より求められて提出した平成20年11月25日付け意見書(乙7。F意見書)によれば、動脈瘤破裂について以下のように述べられている。
動脈瘤が不安定となるサイズは一般に4ミリメートル(5ミリメートル)程度からとされているが、2ミリメートルないし3ミリメートルでの破裂例を経験している脳外科医は多い。学会報告によれば、動脈瘤の破裂率はその大きさに比例して直線的に増加するものであり、動脈瘤の大きさは独立した危険因子である。未破裂脳動脈瘤の年間破裂リスクは、1.4パーセント、1.92パーセント、2.3パーセントなどの報告がある。ISUIAという大規模国際研究により0.05パーセントという極めて低い破裂率が報告されたが、実態と乖離しているとの批判が多く寄せられているところである。日本において行われた6000例に上る来破裂脳動脈瘤の調査の中間報告によると、1パーセント弱の年間破裂率となる見込みである。
また、くも膜下出血発症に関わるリスクファクターについては以下のように述べられている。
くも膜下出血をきたす危険因子としては、脳動脈瘤や脳動静脈奇形の外に喫煙習慣、高血圧保有、過度の飲酒(1週間に150グラム以上)が挙げられている。コレステロール値、ヘマトクリット、心疾患、糖尿病は関係がない。肥満度(BMI)は逆相関であり、やせた喫煙者、やせた高血圧のある人、喫煙習慣のある過度の飲酒者の危険度は極めて高い。精神的肉体的負荷との関連性は全体として認められないとの報告もある。
さらに、くも膜下出血の好発年齢については、以下のように述べられている。
一般的には男性はより若い年代で発症するが、高齢者のくも膜下出血は女性が圧倒的に多い。我が国の脳卒中急性期患者データベース構築研究では、男性は50歳代に、女性は70歳代に発症のピークがある。
また、多発性脳動脈瘤の特徴については、以下のように述べられている。
多発性脳動脈瘤は、脳動脈瘤全体の約15から20パーセントを占め、文献的には、通常の未破裂脳動脈瘤の症例よりも破裂のリスクは優位に高い。1か所の瘤保有者の年間破裂率が1.9パーセントであるのに対して、多発性の場合6.8パーセントにのぼるとする日本のデータがある。外国のメタアナリシスでも多発性脳動脈瘤のリスクは単発のそれの1.7倍とされている。
その上で、本件について、以下のように述べられている。
本件では、破裂した脳動脈瘤は中大脳動脈からで、一般的には他部位の動脈瘤よりも破裂率は低いとされている場所であった。カルテ記載の他の血管の太さから推定すると、動脈瘤の大きさは5ミリメートル以上10ミリメートル以下と推定される。未破裂の他の部位にあった動脈瘤は嚢状のもので、脳底動脈先端部に存在し、この部位の動脈瘤の破裂リスクは他部位の動脈瘤の倍から4倍とされている。本件では、破裂リスクの高いとされる脳底動脈先端部の動脈瘤が破裂しないで、ややリスクの低い中大脳動脈瘤が破裂したものであるが、これはリスクの低い方ですら破裂してしまったということを意味しており、患者の保有する多発性脳動脈瘤は、破裂する危険性が高いものであったと推定される。患者の年齢からまた平均余命から考えると、他のリスクファクターが推定できないにせよ、くも膜下出血を起こす確率は通常の未破裂症例よりも高いと推定できる。
一般的に脳動脈瘤は極めて危険性の高い疾患であってサイズが小さいからといっても、安全であると断言できる何の根拠もない。
Aについては、疲労やストレスがどうであれ、通常の事案と比較して破裂する可能性の高い危険な症例であったということができる。
(3) 以上を前提に、Aの基礎疾患の憎悪の程度について検討するに、Aの有する脳動脈瘤は、多発性脳動脈瘤であるところ、その年間破裂率は、単発の場合に比して高くなるとの医学的知見も存在するところであり、Aの脳動脈瘤の破裂のリスクは少なくとも相対的に高いものであったといえる。
また、Aの有していた脳動脈瘤の大きさは5ミリメートル以上10ミリメートル以下と推定されるところ、一般的に動脈瘤が不安定となる大きさが4ミリメートル程度からとされる医学的知見も存在することに照らせば、少なくともAの脳動脈瘤が、その大きさから見て、破裂のリスクの低いものであったとは言い難い。
さらに、一般的にくも膜下出血の好発年齢については、男性の場合50歳代にそのピークがあるとされ、くも膜下出血の高素因が脳動脈瘤であるとされるところ、Aの本件発症当時の年齢は45歳であり、Aが、通常発症しにくい年齢で本件疾病を発症したものとはいえない。
加えて、平成10年10月30日に行われた健康診断の結果によれば、Aは血圧が高めであったと認められ、またAには飲酒の習慣があったことが認められるところ、これらが本件疾病発症の危険因子になりうるものであったことは直ちに否定できないものであるといえる。
以上によれば、Aの脳動脈瘤の憎悪の程度について正確に知ることはできないが、これが自然の経過により発症する寸前又はいつ発症してもおかしくない状態に至っていたとはいえないと認めることはできないというべきである。
4 本件疾病の公務起因性
以上のとおり、Aの公務が過重であったとは認められず、またAの基礎疾患の程度が、その自然の経過により発症する寸前又はいつ発症してもおかしくない状態に至っていなかったと認めることもできない本件においては、Aの本件疾病の発症に公務起因性を認めることはできないといわざるを得ない。
第4結論
よって、原告らの請求には理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 遠山廣直 裁判官 八木貴美子 辻山千絵)