さいたま地方裁判所 平成19年(行ウ)19号 判決 2009年7月22日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1当事者の請求
1 原告ら
(1) 被告I市長は,Aに対し,299万6199円及びこれに対する平成19年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を請求せよ。
(2) 被告I市長は,Bに対し,92万2986円及びこれに対する平成19年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員の賠償の命令をせよ。
(3) 被告I市長は,Cに対し,299万6199円及びこれに対する平成19年8月5日から支払済みまで年5分の割合による金員の賠償の命令をせよ。
2 被告
(1) 原告らの訴えのうち,Aに損害賠償請求をするよう被告に求める部分(請求の趣旨第1項)の訴えを却下する。
(2) 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
第2事案の概要
1 事案の要旨
本件は,D村(平成17年4月1日以降は,I市。以下,「旧D村」という。)がE山駐車場周辺整備工事を行った際,同工事の一環として宗教法人E神社(E神社)所有のE神領民家(本件民家)の茅葺屋根の葺替工事を行い,同葺替工事の代金を支出したことについて,原告らが,同公金支出は憲法89条の政教分離原則に違反し,さらに,補助金交付の手続によらずに支出されている点で,I市文化財保護条例及びI市補助金等の交付手続等に関する規則等の定めに反する違法な財務会計上の行為に当たると主張して,被告に対し,地方自治法242条の2第1項4号に基づき,上記工事代金として公金92万2986円が支出された当時のI市収入役Bに対して,同金額の賠償の命令をすることを,上記工事代金として公金299万6199円が支出された当時のI市長A及び同収入役職務代理者Cに対して,同金額の損害賠償の請求又は賠償の命令をすることを求めた,住民訴訟である。
2 争いのない事実等(証拠により容易に認められる事実についてはかっこ内に証拠を示す。)
(1) 当事者等
ア 原告らは,いずれもI市の住民である。
イ 被告は,I市長である。
ウ Aは,後記の平成18年11月13日の支出命令(第5回支出命令)当時,I市長の職にあった者である。
エ Bは,旧D村の村長として,後記の本件請負契約を締結した者である。平成17年4月1日に行われた旧D村とI市の合併後は,平成18年10月に退職するまでI市の収入役の職にあった。
オ Cは,後記の平成18年11月16日の支出行為(第5回支出行為)当時,I市収入役職務代理者であった者である。
(2) 本件民家
本件民家は,E神社が所有する建物であり,E神社が設置しているJ博物館(E山博物館)の付属施設として,管理されているものである。また,本件民家は,昭和58年4月1日付で,旧D村によって文化財に指定されている。
(3) 本件請負契約
平成16年10月8日,旧D村の当時の村長であったBは,株式会社F(F)との間で,Fが,E山駐車場内及びその周辺の整備工事をし(本件工事),旧D村が,報酬としてFに1億1634万円を支払う旨の契約(本件請負契約)を締結した。本件請負契約における工事の一環として,本件民家の茅葺き屋根の葺替工事(本件葺替工事)も行われることとされた。なお,本件請負契約は,その後3回の変更契約が締結され,その請負代金は最終的には1億4746万2000円となったが,そのうち本件葺替工事の代金は1361万0547円である。
(4) 合併
平成17年4月1日,旧D村は,旧I市などとの合併により,I市となった。その後,I市議会において,本件工事が継続事業としてI市に引き継がれることが決定した。
(5) 代金の支払い
旧D村(上記合併後I市)は,本件請負契約の報酬として,Fに対して,次のとおり支払をした。
① 平成17年 3月10日 500万0000円
② 同年 8月18日 2400万0000円
③ 平成18年 4月 6日 7600万0000円
④ 同年 6月 1日 1000万0000円
⑤ 同年 11月16日 3246万2000円
なお,これらの支払は,いずれも旧D村(合併後はI市)の「観光費」から支出され,補助金交付の手続はとられなかった(乙7ないし9の各1,弁論の全趣旨)。
(6) 上記④の支出(第4回支出行為)にかかる具体的な手続等について
平成18年6月1日,Bは,I市収入役として,第4回支出行為にかかる支出負担行為の適法性を審査したうえ,上記1000万円の支出を行った。
(7) 上記⑤の支出(第5回支出行為)にかかる具体的な手続き等について
平成18年11月13日,I市産業振興課長が第5回支出行為の前提となる,同支出命令(第5回支出命令)の決裁を行った。なお,支出命令をする権限は,本来,普通地方公共団体の長であるAにあるものであるが,I市では,I市事務専決規程9条1項別表第1の34号(平成18年当時のもの)(乙3)により,課長専決事項とされている。
また,同年11月16日,Cは,I市会計課長の職にあったが,支出行為についての原権限者であるI市収入役が不在であったため,I市収入役の職務代理者を定める規則2条(乙5)により,I市収入役職務代理者として,第5回支出行為にかかる支出負担行為の適法性を審査したうえ,上記3246万2000円の支出を行った。
(8) 第1回監査請求
ア 原告らは,平成19年5月9日,I市監査委員に対し,以下の行為を対象として,監査請求を行った。(第1回請求)
①第4回支出行為
②第5回支出行為
イ これに対し,I市監査委員は,同年6月27日,本件第1回監査請求を理由がないと判断した。
(甲15,16,17の1)
(9) 本件訴え提起
平成19年7月25日,原告らは,以下の行為を対象として,本件訴えを提起した。
①第4回支出行為
②第5回支出行為
(10) 第2回監査請求
ア 原告らは,本件訴え提起後の平成19年10月10日,第5回支出命令等を対象として,監査請求を行った。
イ これに対し,I市監査委員は,平成19年11月19日,第5回支出命令については,理由がないとして棄却した。(乙6)
3 条例等の定め
(1) I市文化財保護条例(本件条例)
ア 1条(目的)
この条例は,文化財保護法(昭和25年法律第214号)182条第2項の規定に基づき,市の地域内に所在する文化財を保存し,かつ,その活用を図り,もって市民の文化的向上に資するとともに地方文化の進歩に貢献することを目的とする。
イ 8条(管理)
市指定文化財の所有者は,その文化財の管理にあたるものとする。ただし,特別の事情があるときは,他の適当なものにこれを管理させることができる。
ウ 10条
1項
市指定文化財の管理に要する経費は,所有者又は管理者の負担とする。
エ 13条(管理又は修理の補助)
1項
市指定文化財の管理又は修理につき多額の経費を要し,市指定文化財の所有者がその負担に堪えない場合,その他特別の事情がある場合には,その経費の一部に充てさせるため,予算の範囲内で補助金を交付することができる。
(2) I市文化財保存事業費補助金交付要綱(本件要綱)
ア 4条
補助の対象となる経費は,文化財保存事業に要する経費で別表に定めるとおりとする。
別表
1 有形文化財及び有形民俗文化財保存事業(2)修理ア
「解体,半解体修理,屋根ふき替え,塗装修理,部分修理及び移築修理」
(3) I市補助金等の交付手続等に関する規則(本件規則)
ア 1条(趣旨)
この規則は,住民の福祉の増進,文化の向上及び環境保全等に寄与するもので,公益性のある事業に対して,事業費の一部又は全部を予算の範囲内において支出する補助金等に係る事務の適正な運営を図るため,法令規則等に特別な定めのある場合を除き補助金等の交付に関する手続,補助金等の交付を受ける者の負担する義務及びその者に対する市長の権限等に関し必要な事項を定めるものとする。
イ 4条(補助金交付の申請)
補助金等の交付を受けようとする者は,次に掲げる事項を記載した補助金等交付申請書を市長に対し,提出しなければならない。
(1)以下略
ウ 5条(補助金等の交付の決定)
1項
市長は,補助金等の交付の申請があったときは,・・補助事業等の目的及び内容が適正であるかどうか等を調査し,当該申請にかかる補助金等を交付すべきと認めたときは,速やかに補助金等の交付を決定するものとする。
エ 11条(状況報告)
補助事業者等は,市長の定めるところにより,補助事業者の遂行の状況に関し,市長に報告しなければならない。
オ 12条(補助事業等の遂行の命令)
市長は,補助事業等が補助金等の交付の決定の内容又はこれに付した条件に従って遂行されていないと認めるときは,補助事業者等に対し,これらに従って補助事業等を行うことを命ずることができる。
カ 15条(是正のための措置)
市長は,・・補助事業等の成果が補助金等の交付の決定の内容及びこれを付した条件に適合しないと認めるときは,当該補助事業等につき,これに適合させるための措置をとることを当該補助事業者等に対し,命ずることができる。
キ 16条(決定の取消し等)
市長は,補助事業者等が補助金等を他の用途に使用し,その他補助事業等に関して補助金等の交付の決定の内容又はこれに付した条件その他この規則又はこれに基づく市長の命令に違反したときは,当該補助金等の交付の決定の全部又は一部を取り消すことができる。
4 争点
【本案前の争点】
(1) 第5回支出命令についての訴えの適法性(争点(1))
【本案上の争点】
(2) 本件工事代金支出の違法性
ア 政教分離違反の有無(争点(2))
イ 補助金交付の手続違反の有無(争点(3))
(3) Aらの故意過失(重過失)の有無
ア Aの損害賠償責任の有無(争点(4))
イ Bの損害賠償責任の有無(争点(5))
ウ Cの損害賠償責任の有無(争点(6))
(4) 損害額(争点(7))
5 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(第5回支出命令についての訴えの適法性)について
(原告らの主張)
原告らの,第5回支出命令にかかる請求も適法である。
被告は,同行為は,訴状において対象とする財務会計行為に含まれていないと主張する。しかし,原告らは,訴状において,対象とする財務会計行為として第5回支出行為を明示しているところ,第5回支出命令と同支出行為は,同一の支出にかかわるものであり,また訴状で第5回支出行為を明示する際に,同行為が第5回支出命令に基づくことも併せて明記している。さらに,請求の趣旨において,第5回支出命令の責任者であるAを相手方とする請求も挙げている。
したがって,本件において,第5回支出命令にかかる請求は,訴状において適法に本件訴訟の対象に含まれているといえ,同請求も適法といえる。
(被告の主張)
原告らの請求のうち,第5回支出命令を対象財務会計行為とするものは,不適法であり却下されるべきである。
すなわち,第5回支出命令については,平成21年4月25日の口頭弁論期日において,同行為を本件訴訟の対象とする旨訴えの変更がされているが,訴え提起の段階では対象に含まれていなかったのであるから,第1回監査請求において同行為が対象とされていたとすると,その監査結果の通知から法定の出訴期間である30日以内に,訴えの提起がなされていないことになる。
したがって,第5回支出命令にかかる原告らの主張は出訴期間の遵守を欠く不適法なものであるから,却下されるべきである。
(2) 争点(2)(政教分離違反の有無)について
(原告らの主張)
I市及び旧D村は,E山駐車場周辺整備工事の一環として,本件民家の本件葺替工事を市の負担で行ったが,本件民家は,E神社が所有する建物であるから,I市の本件工事代金支出にかかる各行為は,公金を宗教法人のために支出した行為として,憲法89条の定める政教分離原則に違反するものである。
(被告の主張)
以下の事情に照らせば,本件葺替工事に対する公金支出が政教分離原則に違反するとはいえない。
ア 本件民家は宗教施設でないこと
本件民家は,E神社が所有するものであるが,昔ながらの特徴を有した建物であり,民俗資料として価値のある貴重な文化財であることから,同神社が取得した上,その設置するE山博物館が管理しているものである。
そして,本件民家は,E神社の鳥居より外側に位置しており,観光利用拠点であった当時の村営駐車場,ビジターセンターなどの周辺に存在している。その外観には,特段の宗教的意義を表すものはなく,むしろ埼玉県・環境省が設置した「神領E村とE神社」と題する案内板により,本件民家がE集落の昔ながらの民家の姿を伝える貴重な伝統文化財であることの説明がなされている。
本件民家内部には,農機具,生活用品などが残され,昔ながらの生活様式を示す民俗資料として,展示されている。
また,本件民家は,観光客向けの展示物として利用されるほかは,D観光協会主催により毎年秋に行われる,奥ID紅葉まつりや5月に行われるDつつじまつりにおいて,休憩所ないし接待所として使用されているものであって,宗教的行事に使用されたことはこれまで一度もなかった。
このように,本件民家に宗教施設性がないことは明らかである。
イ 本件葺替工事の目的,性質
本件民家が存在するE地区は,G国立公園内にあって,同公園の中心的な利用拠点・観光拠点となっており,本件民家周辺には,村営駐車場やビジターセンターなどが設置されていた。本件民家も上記のとおり貴重な文化財であるところ,このような昔ながらの姿をとどめる民家は,E集落には現在では一軒もなくなっていることから,本件民家は,観光用のホームページ,パンフレット,カレンダー等に多数利用され,また映画の撮影にも使用されるなど,重要な観光資源となっている。
しかし,道路の整備が不十分で,また上記施設は老朽化しており,さらに本件民家も,茅葺屋根の激しい傷みのために雨漏りがするなど,本件民家内に保管・展示されている農機具や民芸用品の保存に悪影響が懸念される状態となっていた。
このような状況を受け,旧D村は,上記のような観光施設を整備し,観光拠点であるE地区に観光客を誘致するため,重要な観光資源である本件民家も含めて,その周辺一体を整備する本件工事を行うこととしたのである。
本件葺替工事の目的が上記の点にあったことについては,本件請負契約の報酬が,予算の費目のうち,観光費として支出されていること,合併直後のI市議会においても,本件工事が観光設備整備工事として説明されたこと,本件葺替工事がI市の貴重な観光資源の維持補修を行っているものとして観光客誘致に利用されていたことからも明らかである。
ウ まとめ
以上より,本件葺替工事は,I市(旧D村も含む)の観光事業の振興を主たる目的としてなされたものであり,また,同工事により,一般人に,I市が神社神道を特別に支援しているとか,神社神道が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたりして,神社神道への関心を呼び起こすこととなることもない。
したがって,本件葺替工事費の支出は,憲法89条に違反するものではない。
(3) 争点(3)(補助金交付の手続違反)について
(原告らの主張)
ア 本件民家は,昭和58年4月1日付で,I市の文化財に指定されているところ,本件条例によると,市指定文化財の管理責任は,所有者・管理者にあるとされ(同条例8条,9条),その管理に必要な費用は,原則として所有者,管理者が負担することが定められている(同条例10条)。そのうえで,同条例13条1項は,I市が例外的に補助金を交付して,経費を負担することができる場合について定めている(同条例13条1項)。
さらに,本件要綱は,補助対象経費について定め,文化財の屋根の葺き替えもその対象経費として明示している(4条)。
これらの規定に照らすと,指定文化財である本件民家にかかる本件葺替工事の費用をI市が支出できるのは補助金交付という方法に限られるのであり,補助金交付の形式によらずに,これをI市が支出することはできないというべきである。
イ 本件葺替工事は,E神社の所有する本件民家に対し,I市の負担において行ったものであるから,E神社に対する補助に該当するものである。補助金の支出については,本件規則が定められているのであるから,補助金の支出に当たる上記公金の支出は,本件規則に則ってなされる必要があった。
ウ 以上のとおり,本件葺替工事代金の支出は,本来であれば,補助金の交付として,本件規則の定める手続に従ってなされるべきであったのに,かかる手続に従ってなされておらず,この点に,上記規則に反する違法がある。
(被告の主張)
原告らは,本件条例が制定されている以上,補助金の形式によらないで文化財の管理,修理をすることはできず,また本件規則が制定されている以上,補助金の支出によらないで本件葺替工事の代金を支払うことは一切許されないと主張をするが,これは誤りである。
そもそも,地方公共団体は,憲法上広範な自治権を与えられており,本来的に寄付又は補助を行うことができる。
補助金交付について,仮に,その法定立形式として条例が必要とされるのであれば,住民らに対して補助の効果を与えるためには,条例に定められた手続きを踏む必要があるが,補助金交付については,法定立形式として条例が要求されていない(必要的条例事項は,義務賦課・権利制限行為その他法令の規定により特に条例で規制されなければならないとされている事項に限られる(地方自治法14条2項参照)。)。
したがって,本件条例は,任意に制定されたものであり,文化財に補助金を交付する形式で補助をするときは,本件条例及び本件要綱の規定に従う必要があるとしても,補助金交付の形式によらないで補助することを一切否定する趣旨で制定されたものではない。本件規則についても同様である。
以上より,本件葺替工事代金の支出が,本件条例,本件要綱及び本件規則に反することはない。
(4) 争点(4)(Aの損害賠償責任の有無)について
(原告らの主張)
Aは,I市長として,第5回支出命令を行った者であるが,本件葺替工事代金の支出に,条例違反,要綱違反及び規則違反の違法があることは明らかである。しかるところ,本件工事は,Aにとっても,旧D村からの重要な引き継ぎ案件であったこと,その中でも,本件民家の本件葺替工事は,重要性の高い案件であったこと,平成17年4月1日の合併という政治日程との関係からも,その重要性はいっそう大きかったといえること,A自らも市長として本件請負契約の変更契約に直接関与し,また,本件民家と旧D村村長であったBとの密接な関係も知っていたといえること,加えて,後述の株式会社H問題があったことを考慮すると,Aに故意または少なくとも過失があったことは明白である。
したがって,Aは,I市に対して損害賠償責任を負う。
(被告の主張)
本件葺替工事代金の支出について,上記のとおり,憲法違反も法令違反もないが,仮に,違憲違法の問題があったとしても,以下に述べるとおり,Aは損害賠償責任を負わない。
すなわち,まず,支出命令については,市長であるAが本来的に権限を有する者に当たるが,I市では,支出命令は課長専決事項とされている。そのため,原権限者であるAは,故意又は過失により,専決権者たるI市D総合支所産業振興課長の行為を阻止するべき指揮監督上の義務に違反した場合に,民法上の損害賠償責任を負うこととなる。
しかるところ,本件では,仮に違憲違法の問題が生じていたとしても,その判断は容易でなく,また,本件葺替工事は本件工事の一部であって,特に本件葺替工事のみを取り出してその違憲違法について検討すべき契機はなかったのであるから,上記専決権者において,支出をすべきでないと判断することは容易でなかったというべきである。
また,本件葺替工事にかかる支出行為は,先行行為たる本件請負契約の義務の履行としてなされたものであるから,その効力を否定しうるような場合ではない本件においては,同専決権者には,その先行行為を前提としてこれに伴う財務会計行為(後行行為)を行う義務があったというべきである。
そうすると,仮に,第5回支出命令が違憲違法な財務会計行為であったとしても,専決権者に故意,過失は認められないのであるから,原権限者であるAについても,同専決権者の支出命令行為を阻止しなかったことにつき,故意又は過失は認められない。
したがって,同人は損害賠償責任を負わない。
(5) 争点(5)(Bの損害賠償責任の有無)について
(原告らの主張)
Bは,I市収入役として,第4回支出行為をした者であるが,本件葺替工事代金の支出には,補助金支出の手続きを踏んでいないという,客観的に明らかな違法がある。同人は,旧D村村長として,本件請負契約に直接関与しているところ,同人の父は,E神社の責任総代まで務めた者で,さらにE神社に本件民家を寄贈したのは,Bの妻の実家であるなど,BとE神社・本件民家とは極めて深い関係があるのであるから,同人は,本件工事にE神社が所有する本件民家の本件葺替工事が含まれていることを十分承知していたといえ,第4回支出行為の時点で,同人が,同支出行為の違法性を熟知していたか,あるいは少なくとも十分に知りうべき立場にあったことは明らかである。
したがって,Bは,第4回支出行為の違法について,故意ないし重過失があったといえ,I市に対し,損害賠償責任を負う。
(被告の主張)
本件公金の支出について,上記のとおり,憲法違反も法令違反もないが,仮に,違憲違法の問題があったとしても,その判断は容易でなく,また,本件葺替工事は本件工事の一部であって,特に本件葺替工事のみを取り出してその違憲違法について検討すべき契機はなかったのであるから,Bにおいて,支出をすべきでないと判断することは容易でなく,むしろ,先行行為に従って,支出行為をする義務があった。
したがって,Bに第4回支出行為をするについて,故意,重過失は存在せず,同人は損害賠償責任を負わない。
(6) 争点(6)(Cの損害賠償責任の有無)について
(原告らの主張)
Cは,I市収入役職務代理者として,第5回支出行為を行った者であるが,本件葺替工事代金の支出には,上記のとおり客観的に明らかな違法がある。そして,本件工事は重要な案件であり,本件葺替工事は,中でも重要な工事であったこと,また,Bと,E神社・本件民家の深い関係については,周辺地域では有名な話であるから,Cにおいても,事情は知っていたと考えられることにかんがみると,本件工事費の支出においては,相当の注意をもって,その適法性を調査,確認することが必要であったといえる。
さらに,当時,以下に述べる株式会社H問題が生じており,第5回支出行為(平成18年11月16日)以前の,平成18年2月2日時点で,既に,I市監査委員が本件工事に関わる問題点を指摘していた。
すなわち,本件工事の対象となっている,E山駐車場は,年に1000万円前後の利益を出す,旧D村の重要な資産であったが,平成16年6月,株式会社Hに不当な安値で売却された。同社は,上記売買当時,社長を当時のD村村長Bが務め,その株式の90パーセントを旧D村が所有していたが,上記売却後,旧D村の株式の持ち分は20パーセントまで低下し,その株式は,Bや村議会議員等の一般株主が所有するに至った。そして,その後に,E山駐車場を対象とする本件工事が行われた。つまり,Bが,旧D村の優良資産を安価で取得し,その所有株式の収益力を増大させ,さらに,公金によりなされた本件工事により,ますますその所有株式の収益力を増大させたのである。
この問題は,合併後のI市において問題とされ,平成18年2月2日には,I市監査委員により問題として指摘された。なお,同問題は,結局,株式会社Hの株式と,E山駐車場をI市が買い戻すことで解決した。
このように,第5回支出行為は,I市監査委員により上記問題の指摘がなされた後に行われているのであるから,Cとしても,その審査に当たって,上記問題と関連する本件工事にかかる費用の支出に関して,相当の注意を払って然るべきであったといえる。
したがって,Cには,違法な第5回支出行為を行ったことについて,少なくとも重過失は優に認められることになるから,I市に対して損害賠償責任を負うことは明らかである。
(被告の主張)
本件葺替工事代金の負担について,上記のとおり,憲法違反も法令違反もないが,仮に,違憲違法の問題があったとしても,その判断は容易でなく,また,本件葺替工事は本件工事の一部であって,特に本件葺替工事のみを取り出してその違憲違法について検討すべき契機はなかった。さらに,同人が当時の審査に当たって確認した資料(乙9)からは,本件民家がE神社所有であることさえ明らかでなかったのであるから,同人において,第5回支出行為をしたことについて,故意又は重過失は存在しない。
したがって,同人はI市に対して損害賠償責任を負わない。
(7) 争点(7)(損害額)について
(原告らの主張)
第4回支出行為により支出された金額の内,本件葺替工事代金分は92万2986円となる。
第5回支出行為により支出された金額の内,本件葺替工事代金分は299万6199円となる。
したがって,第4回支出行為について責任を負うBが賠償すべき損害額は,92万2986円,第5回支出命令,同支出行為について責任を負うA,Cが賠償すべき損害額は,それぞれ299万6199円となる。
(被告の主張)
争う。
第3当裁判所の判断
1 争点(1)(第5回支出命令についての訴えの適法性)について
(1) 原告らは,被告に対し,第5回支出命令の決裁をしたAに損害賠償の請求をすることを求めているが,被告は,第5回支出命令については,訴状において対象となる財務会計上の行為に含まれておらず,第1回監査請求において同行為が対象に含まれているとすると,同行為にかかる請求は出訴期間の遵守を欠く不適法なものであると主張する。
しかし,原告らは,訴状において,請求の趣旨として,被告に対し,Aに金員の支払を請求をするよう求めることを明示しており,請求の原因において,第4回支出命令とこれに基づく第4回支出行為及び第5回支出命令とこれに基づく第5回支出行為が違憲,違法であると主張して,被告に対し,地方自治法242条の2第1項4号本文に基づいて,Aに対する損害賠償請求をするよう求めている。そうすると,原告らは,訴状において,第5回支出命令にかかる上記請求を行っていたと解することができる。
したがって,訴状において,第5回支出命令にかかる請求が含まれていないとする被告の上記主張には理由がない。
(2) なお,第1回監査請求において,原告らは,第5回支出行為の決裁関係者,審査責任者であるAらに対して,I市が被った損害を填補するために必要な措置を講ずることを求めており,ここで第5回支出命令が対象とされていることは明らかである。
(3) 以上より,第5回支出命令について,適法に監査請求が前置され,また,監査結果の通知から30日以内に,本件訴状により適法に訴えが提起されているといえるから,同命令についての請求は,適法であるといえる。
2 争点(2)(政教分離違反の有無)について
(1) 原告らは,I市が,本件葺替工事に公金を支出したことが,憲法89条が定める政教分離原則に反すると主張するので,この点について検討する。
憲法は,個人の信教の自由を無条件に保障し,さらにその保障を一層確実なものとするため,政教分離規定を設けている。
もっとも,政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であって,信教の自由そのものを直接保障するものではなく,国家(地方公共団体を含む)と宗教との分離を制度的に保障することにより,間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして,憲法の政教分離原則は,国家が宗教的に中立であることを要求するものであるが,国家と宗教の完全な分離を実現することは,実際上不可能に近いのであり,またその実現はかえって不合理な事態を生ずることになる。これらの点にかんがみると,同原則は,国家が宗教との関わり合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教との関わり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ,その関わり合いが我が国の社会的,文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。
上記政教分離原則の意義に照らすと,憲法89条が禁止している,公金その他の公の財産を,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のために支出することとは,およそ国及びその機関による宗教上の組織等にかかるすべての支出行為を指すものではなく,同支出行為により生じる関わり合いが上記の相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって,当該支出行為の目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になるようなものをいうと解すべきである。そして,ある公金支出行為が上記基準に該当するかどうかを検討するに当たっては,当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく,当該行為の行われる場所,当該行為に対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行うについての意図,目的及び宗教的意義の有無,程度,当該行為の一般人に与える効果,影響等,諸般の事情を考慮し,社会通念に従って,客観的に判断しなければならない。
(2) そこで,以上の見地に立って,本件葺替工事代金の支出について検討する。
ア 前記争いのない事実及び証拠によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 本件民家は,江戸時代に建築されたと推定される建物で,入母屋造り,茅葺屋根で,屋根の棟には千木風の棟おさえが乗っている,昔ながらの特徴を有する建物である。このような民家は,改築等が行われたことにより,現在では当時の姿をとどめるものは少なくなってきていた。
本件民家は,昭和53年,昔の日常生活の一端を後世に残し,またその展示の場とする目的で,その納屋,厠,湯場などの付属建物と,その内部の民具資料とともに,E神社によって取得され,現在の場所に移築され,復原された。
旧D村は,昭和58年に,本件民家を文化財として指定した。
(乙10の1,10の2,11)
(イ) 本件民家の存在するE地区は,F国立公園内に位置し,同国立公園内で,特徴的な郷土景観があり,また著名なE神社がある地区として,ホームページで紹介されている(乙27の1ないし27の3)。また,E地区は,公園の利用と管理のための施設を総合的に整備し,快適な公園利用の拠点とする地区である,集団施設地区として指定されており,園地や休憩施設,駐車場,ビジターセンターなどが整備され,また,雲取山の登山口ともなっている地区である(乙27の5ないし27の6)。本件民家は,この駐車場,ビジターセンター,休憩所等の施設に隣接した場所に存在する(乙28)。
E山博物館は,本件民家を神領民家と名付け,昔の生活を伝える文化財として観光客に紹介した(乙11)。また,旧D村においても,本件民家の周辺は,D観光協会が主催する奥ID紅葉まつりや,Dつつじまつりの中心的会場とされるなど,観光拠点として利用されていた(乙15,16)。
(ウ) 平成16年,上記観光施設が老朽化してきており,また道路の整備も不十分であるとして,旧D村は,E地域における観光イメージ向上による観光客誘致を目的として,上記施設とその周辺の整備工事を行うこととした。具体的には,E山駐車場内の舗装修繕,歩車道と排水路の整備,紅葉・しゃくなげ等の植栽工事,料金所と観光案内所の新設,つつじまつりやもみじまつりの中心的会場となる野外ステージの新設等が行われることになったが,その際,この地域に存在する本件民家も,移築後25年以上が経過したことにより,茅葺き屋根等の傷みが激しくなっていたことから,同整備工事の一環として,本件葺替工事も行われることとなった(乙12,29,30の1,30の2)。
(エ) 本件工事にかかる費用は,旧D村議会の予算審議,議決を経て本件請負契約が締結され,これに基づいて,支出されたものである。そのうち,平成17年3月10日に支払われた500万円は,平成16年度予算において,観光費の費目のうちの工事請負費として処理された(甲6,乙37)。
また,旧D村がI市と合併した直後に開催された,I市議会の臨時会において,継続費設定のためにE山駐車場周辺整備事業の説明が行われたが,この際,本件工事は観光整備事業である旨の説明がなされた(乙31)。さらに,I市議会の6月定例会においても,本件工事が観光客誘致のために行われるとの説明がなされた(乙32)。
(オ) 本件民家は,E神社の本殿や社務所等が存在する周辺ではなく,上記観光施設の周辺に位置している(乙18,19)。そして,本件民家の周辺には,本件民家が,当時の生活を後世に残すべく移築された旨の説明をした看板が設置されており,その内部には,当時の生活をうかがわせる農機具や生活用具が展示されている(乙11,14)。
イ 以上の事実によれば,本件民家は,文化的な価値を有するものとして,併設されている観光施設とともに観光資源として利用されていたといえ,また観光客を誘致するために上記観光施設の整備をするに際し,その観光事業の一環として,本件葺替工事が行われたものと認められる。また,本件民家は,E神社が所有する建物であるものの,E神社が取得するに至った上記経緯,その存在する場所,外観,利用方法が上記認定のとおりであることに照らすと,本件民家自体は宗教的意味合いを持たないものであるといえる。
そうすると,本件公金支出の目的は,観光施設の整備をすることにあるのであって,このような目的で,宗教的意味合いを持たない本件民家の工事に,旧D村ないしI市が本件公金の支出をしたとしても,これにより,住民に対して,旧D村ないしI市により,神社神道に対する特別の援助がされているものとの印象を与えることにはならないというべきである。
ウ したがって,本件葺替工事代金の支出により,旧D村ないしI市が,相当な限度を超えて神道と関わり合いをもったということはできず,同支出が,憲法89条の定める政教分離原則に反するものということはできない。この点についての原告らの主張には理由がない。
3 争点(3)(補助金交付の手続違反)について
(1) 旧D村及びI市は,観光事業として本件工事を行い,本件工事の一部には,E神社が所有する本件民家に対する本件葺替工事が含まれていたが,同葺替工事代金の支出に当たり,補助金交付の手続をとることなく,「観光費」からその代金を支出した。この点につき,原告らは,本件葺替工事は,E神社に対する補助に該当するものであり,その場合,本件民家が旧D村及びI市の文化財に指定されていることから,同工事代金は,本件条例及び本件要綱により,補助金交付の手続に従って支出すべきであるにもかかわらず,「観光費」として支出したのであるから,当該支出は本件条例,本件要綱及び本件規則に反した違法があると主張する。
(2) 本件条例は,I市の地域内に所在する文化財を保護し,その活用を図り,もって市民の文化的向上や地域文化の進歩に貢献することを目的としているところ,文化財に指定された場合に当該文化財にかかる経費については,所有者又は管理者の負担とするものの,例外的に多額の経費を要し,所有者がその負担に堪えない場合その他特別の事情がある場合には,上記目的を達成させるため,予算の範囲内で補助金を交付することができる旨規定しているものといえる。そうであれば,本件条例は,当該文化財について,文化財の保護・活用の観点から,所有者らによる経費負担によってはその目的を達し得ない場合に,補助金を交付することができる旨を定めているにすぎないというべきであり,I市が文化財に関連して行うすべての支出についてまで補助金としての支出を要求しているものということはできない。なお,本件要綱は,補助金が適正に支出されることを保障するため,補助の対象や補助の対象となる経費を定めたものと解され,ここに本件葺替工事と同様の工事が補助の対象となることが定められたからといって,直ちに本件葺替工事にかかる支出が補助金をもってしかなし得ない工事であったとまではいえない。
そして,本件工事は,上記のとおり,観光施設である本件民家付近の施設やその周辺を整備するための工事であり,その一環として本件葺替工事も行われるたのであって,全体としてみれば,観光施設の整備のための一体の工事と評価することができ,同工事を一体のものとして本件請負契約を締結し,その代金の支払を「観光費」として支出したとしても,これをもって違法ということはできない。
(3) また,本件規則は,補助金交付の手続について,補助金の交付を受けようとする事業者等に,補助事業等の目的及び内容,経費の使用方法,交付を受けようとする補助金の額等を記載した申請書の提出を求め(4条),これに対して,市長が,上記事業等の目的及び内容が適正であるかどうか等を調査した上で,補助金を交付するかどうかを決定するものとしている(5条)。そして,補助金の交付を受けた事業者等に,補助金の交付決定の内容等に従い,善良な管理者の注意をもって補助事業等を行うこと及びその事業等の遂行の状況を市長に報告することを義務づけ(10条,11条),市長は,補助金事業が,補助金交付決定の内容等に従って遂行されていないと認めるときは,事業者等にこれに従うよう命じたり,必要な措置を執ることができ(12条,15条),さらに,補助金交付決定の取消しをすることもできるとされている(16条)。
これらの規定によれば,本件規則は,補助金が,これを交付するのが適切であると認められる公益性のある事業等について交付され,また,交付された補助金が適切に使用されるようにするなど,補助金の支出が適正に行われるようにするため,その手続を定めたものと解される。これを超えて,本件規則が,I市が第三者に利益を与える場合には,必ず補助金交付の手続によるべきことまで定めた趣旨であると解することはできない。
そうであれば,補助金の交付がなされていない本件において,本件規則の適用はなく,本件葺替工事にかかる支出が本件規則に反するということはできない。
(4) したがって,本件葺替工事にかかる公金の支出が,補助金の交付の手続によりなされなかったことについて,本件条例等に反する違法があるとはいえない。
4 以上のとおりであり,本件葺替工事にかかる公金の支出に,憲法違反や法令違反の違法はないから,その余の点を判断するまでもなく,原告の請求には理由がない。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 遠山廣直 裁判官 八木貴美子 裁判官 辻山千絵)