さいたま地方裁判所 平成20年(ワ)387号 判決 2008年11月14日
原告
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
望月浩一郎
被告
乙川一郎
同訴訟代理人弁護士
三浦雅生
同
山本厚
同
石川雅子
同
岡野陽子
同
河野裕輔
同
今野智博
同
住吉大輔
主文
1 被告は,原告に対し,527万9338円及びこれに対する平成19年2月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,528万4898円及びこれに対する平成19年2月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,スキー場のゲレンデをスキーで滑降していた原告が,上方からスノーボードで滑降してきた被告に追突され,骨折等の傷害を負ったと主張して,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき,528万4898円及びこれに対する不法行為の日である平成19年2月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 争いのない事実等(証拠により認定した事実については,その末尾の括弧内に証拠を掲げる。)
(1) 衝突事故の発生
平成19年2月17日午前9時55分ころ,赤倉観光リゾートスキー場ホテルBコース「とちどっこ」付近において,スノーボードで滑降していた被告が,スキーで滑降していた原告に衝突する事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
(2) 原告の受傷及び治療経過
ア 原告は,本件事故により,左脛骨プラトー骨折・左膝関節内骨折等の傷害を負い,新潟県のけいなん総合病院に平成19年2月17日から同年4月28日までの71日間入院し,退院後の同年5月19日及び同月22日に同病院に通院した。(甲2の1ないし4・6ないし9,弁論の全趣旨)
イ また,原告は,平成20年4月24日から同年5月3日までの10日間,骨折部位の固定具を抜去する手術を受けるため,同病院に入院した。(甲10の1ないし4)
3 争点
(1)ア 本件事故の具体的な態様及び被告の過失の有無
イ 原告の過失の有無,程度(過失相殺)
(2)ア 原告の損害額
イ 損益相殺の有無
4 争点に関する当事者の主張
(1) 争点(1)ア(本件事故の具体的な態様及び被告の過失)について
(原告の主張)
原告がスキーで滑降していたところ,被告は,被告の下方を滑っていた原告に上方から追突する形で衝突した。
スキー場において,上方から滑降する者は,前方を注視し,下方を滑降している者の動静に注意して,その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負う(最高裁判所第二小法廷平成7年3月10日判決・裁判集民事174号785頁参照)。被告は,この義務に違反して本件事故を起こしたのであるから,その責任を負うことは明らかである。
被告は,本件事故直前に,被告の目前で他のスキーヤーが停止したことから,これとの衝突を回避するために原告との衝突は避けられなかったと主張するが,この主張は,被告が,そのスキーヤーが停止してもこの者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を尽くしていなかったことを自認するものに他ならない。
(被告の主張)
被告は,原告に後部から追突したのではない。被告は,ゲレンデ上方から見てコースの左側の斜面をスノーボードで滑降し,左にターンした際,背後の死角から突然現れたスキーヤーが被告の前方至近距離の地点で停止したため,そのスキーヤーとの衝突を避けようとして,ターンした方向にさらに旋回して急停止しようとしたところ,旋回した地点に今度は原告が後方から現れたため,被告のスノーボードの先が原告の右スキー板の右足より後方の部分の上に重なり,被告の両手が原告の右肩付近にぶつかる形で原告の右側部に衝突した。このように,被告は,自己の目前でスキーヤーが急停止したため,これとの衝突を回避するためにやむを得ず原告と衝突したのであるから,民法720条1項により,原告に対し損害賠償責任を負わない。
(2) 争点(1)イ(過失相殺)について
(被告の主張)
原告からは,自己の前方を滑降する被告及び被告の目前で急停止したスキーヤーの姿が見えていたのであるから,原告は,被告及び同スキーヤーの動向に注意して一定の距離をおいて滑走する注意義務があったものである。しかるに,原告は,これに違反して被告らの至近距離を滑走したものであるから,原告にも相応の過失がある。
(原告の主張)
否認する。
原告は,被告の下方を幅約5メートルの小さなパラレルで滑降していたものであり,被告及び被告が主張する急停止したスキーヤーを認知していない。
(3) 争点(2)ア(原告の損害額)について
(原告の主張)
ア 療養費用 66万6683円
原告は,本件事故により81日間入院し,2日間通院して治療を受けた。この療養に必要な費用は65万6393円であり,杖の代金1万0290円も併せると,66万6683円となる。
イ 入院雑費 12万1500円
原告は,81日間入院し,その期間に入院雑費を要した。入院雑費は日額1500円を下らない。
(計算式)1500円×81日=12万1500円
ウ 交通費等 9万2010円
(ア) 原告の家族が原告の見舞いに来たり,原告が外出許可を受けて帰宅する際に,原告は,以下のとおり交通費及び宿泊代を支払った。
平成19年2月19日 妻が新潟にやって来て,同日帰宅した。 1万5700円
同月26日 妻が見舞いに来て,同月27日に帰宅した(宿泊代も含む)。 2万1820円
同年3月24日 妻と子供2人が来て,翌日帰宅した(宿泊代はなし)。 4万3110円
同年4月21日 原告が家に帰った。 7340円
(イ) 原告は,宅急便の料金として,以下の各日に以下の金額を支払った。
平成19年2月23日 1060円
同月28日 850円
同年3月9日 850円
同月30日 640円
同年4月19日 640円
エ 休業損害 259万4705円
原告は,勤務先(三菱ウェルファーマ株式会社)から,平成18年度の給与・賞与として,合計1141万0450円の収入を得ていたところ,原告が本件事故により休業した日数は,入院した81日間及び通院のために休業した2日間の合計83日間である。したがって,本件事故による休業損害は,259万4705円である。
(計算式)1141万0450円×83日間÷365日=259万4705円
オ 入通院慰謝料 136万円
本件事故による入通院期間は入院期間81日,通院期間7日であるから,これによる慰謝料は136万円を下らない。
カ 弁護士費用 45万円
被告は,本件損害賠償債務を任意に履行しないので,原告は,弁護士に本件訴訟追行を委任した。これにより要した弁護士費用のうち45万円は本件事故と相当因果関係のある損害というべきである。
(被告の主張)
否認ないし争う。
(4) 争点(2)イ(損益相殺)について
(被告の主張)
原告は,傷害保険に加入していたものと思われ,また,原告は,被告に対し,高額医療保険の適用がある旨連絡してきた。したがって,原告は,本件事故を原因とする保険給付を受けているものと思われる。この保険給付は,本件損害額から控除されるべきである。
(原告の主張)
否認する。
原告が加入していた傷害保険は個人賠償責任保険であり,原告自らが傷害を負った場合に保険給付を受けられるものではない。また,第三者行為災害については,高額医療費給付申請は許されていない。
第3 当裁判所の判断
1 本件事故の具体的な態様(争点(1)ア)について
前記第2の2の事実並びに証拠(甲1,甲9,乙1,原告本人,被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 赤倉観光リゾートスキー場ホテルBコース「とちどっこ」付近の斜度は10度から20度の中斜面であり,斜面の状況はスムーズであった。本件事故当時,天候は晴れであった。
(2) 本件事故当時,原告は,スキー経験が30年弱の上級者であり,被告は,スノーボード4回目の初心者であった。
(3) 原告は,本件事故直前,「とちどっこ」付近において,ゲレンデ上方から見てコースの左側の斜面を,スキーで幅約5メートルの小さなパラレルで,上級者としてはゆっくりとした速度で滑降していた。他方,被告は,「とちどっこ」付近において,ゲレンデ上方から見てコースの左側の斜面を,スノーボードで幅約20メートルの緩やかなターンを繰り返して滑降していた。その時点で,原告と被告の位置関係は,被告が上方,原告がその下方であった。折から,被告の前を滑走していたスキーヤーが停止したため,被告は,同スキーヤーとの衝突を避けようとして慌て,自己のスノーボードのコントロールを失い,被告に気づかず無防備の状態にあった原告の左横から左斜め後方にかけての方角から,原告の左大腿部横から後にかけての部位を中心として衝突した。衝突時,原告は,進行方向左にターンをして斜滑降の状態であった。
以上認定した事故態様によれば,本件事故は,原告の上方から滑降してきた被告が原告に追突して発生したものと認められる。この点,被告本人は,当裁判所において,ゲレンデ上方から見てコースの左側の斜面をスノーボードで滑降していたところ,被告の背後の死角から突然現れたスキーヤーが被告の前方至近距離の地点で停止したため,被告は,そのスキーヤーへの衝突を避けようとして急停止しようとしたところ,今度は原告が被告の後方から現れたため,原告の右側部に衝突したものであり,衝突は避けられなかったと供述する。しかし,被告が供述する事故態様は,本件事故直後に被告が救助者に話した事故態様と異なる上,本件事故により原告の左大腿部にできた打撲痕が,原告本人の供述する,衝突時の双方の身体の位置関係,衝突部位と合致することからして,採用することができない。
2 被告の過失の有無(争点(1)ア)について
スキー場において上方から滑降する者は,前方を注視し,下方を滑降している者の動静に注意して,その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負うと解するのが相当であるところ,本件事故現場は急斜面ではなく,斜面の状況もスムーズであり,天候も晴れていたものであって,上方にいた被告としては,コース下方を見通すことができたと認められるから,原告から見て上方からスノーボードで滑降してきた被告は,前記注意義務を負うものというべきである。したがって,本件事故を発生させた被告には,前記注意義務を怠った過失があり,本件事故について原告に生じた損害を賠償する責任を負うものというべきである。
この点,被告は,自己の目前でスキーヤーが急停止したので,これとの衝突を回避するためにやむを得ず原告と衝突したものであり,民法720条1項により,原告に対し損害賠償責任を負わないと主張し,被告本人も当裁判所においてこれに沿う供述をする。しかし,被告の供述するような事故態様をとり得ないことは前記のとおりである。
もっとも,前記認定事実によれば,被告の前を滑走していたスキーヤーが停止したため,被告がこれとの衝突を避けようとして本件事故が発生したことは認められる。しかし,本件において,当該スキーヤーが停止したことが,被告に対する不法行為となるような態様であったことを認めるに足りる証拠はない。かえって,前記記載のとおり,スキー場において,上方から滑降する者は,前方を注視し,下方を滑降している者の動静に注意して,その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負うと解するのが相当であり,当該スキーヤーの上方から滑降していた被告は,スキーヤーが停止する可能性をも見越した上で滑降すべき注意義務を負うのみならず,スキーヤーが停止し,これとの衝突を回避するために進路を変更するに当たっては,その進路となる下方を滑走している者の動静に注意して,その者との接触ないし衝突を回避することができるように速度及び進路を選択して滑走すべき注意義務を負うことになると解するのが相当である。本件において,被告は,この注意義務に違反したものと認められるから,被告の主張は理由がない。
3 過失相殺(争点(1)イ)について
被告の主張する事故態様を認めることができないことは前記のとおりであるから,これを前提として原告の過失をいう被告の主張は前提を欠くものであり理由がない。
そして,本件に現れた一切の事情を検討しても,原告に過失相殺を認めるべき事情はこれを認めることができない。
4 損害額(争点(2)ア)について
(1) 療養費用 66万5163円
前記第2の2の事実並びに証拠(甲2の1ないし4・6ないし9,甲3,甲8,甲10の1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,本件事故により平成19年2月17日から同年4月28日まで及び平成20年4月24日から同年5月3日までの81日間入院し,平成19年5月19日及び同月22日の2日間通院して治療を受け,診療費として65万4873円を支払ったほか,杖の代金として1万0290円を支払ったことが認められる。
なお,原告は,このほか診療負担金として1520円も支払ったと主張するが,証拠(甲2の5)によれば,同金員は歯科における診療負担金として支払ったものであることが認められるところ,本件全証拠によっても,原告が本件事故により歯に傷害を負ったと認めることはできないから,同金員は本件事故と因果関係のある損害として認めることはできない。
(2) 入院雑費 12万1500円
前記第2の2記載のとおり,原告は,81日間入院したところ,その期間に要した入院雑費は1日あたり1500円と認めるのが相当である。
(計算式)1500円×81日=12万1500円
(3) 交通費等 8万7970円
ア 証拠(甲4の1ないし25)及び弁論の全趣旨によれば,原告の家族が原告の見舞いに来たり,原告が帰宅する際に,原告らは以下のとおり交通費及び宿泊代を支払ったことが認められる。
平成19年2月19日 妻が新潟にやって来て,同日帰宅した。 1万5700円
同月26日 妻が見舞いに来て,宿泊し,同月27日に帰宅した。 2万1820円
同年3月24日 妻と子供2人が見舞いに来て,翌日帰宅した。 4万3110円
同年4月21日 原告が帰宅した。 7340円
イ なお,証拠(甲4の26ないし30)によれば,原告は,宅急便の料金として,原告主張のとおりの費用を支出したことが認められるが,この費用は,前記(2)の入院雑費に含めるのが相当であるから,別途の損害としては認めない。
(4) 休業損害 259万4705円
前記第2の2の事実及び証拠(甲5)によれば,原告は,勤務先である三菱ウェルファーマ株式会社から,平成18年度の給与・賞与として,合計1141万0450円の収入を得ていたこと,原告が本件事故により休業した日数は,入院した81日間及び通院のために休業した2日間の合計83日間であることが認められる。したがって,本件事故による休業損害は,259万4705円となる。
(計算式)1141万0450円×83日間÷365日=259万4705円
(5) 入通院慰謝料 136万円
前記第2の2の事実により認められる原告の負傷内容,入通院期間及びその内容,治療経過その他本件に現れた一切の事情を考慮すると,入通院慰謝料は136万円と認めるのが相当である。
(6) 損益相殺(争点(2)イ)
被告は,原告が傷害保険に加入していたものと思われ,また,原告が,被告に対し,高額医療保険の適用がある旨連絡してきたことから,原告が,本件事故を原因とする保険給付を受けているものと思われるので,その金額を損害額から控除すべきであると主張するが,証拠(甲12,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告が加入していたのは個人賠償責任保険であって,原告自らが傷害を負った場合に保険給付を受けられるものではないことが認められる。また,原告に高額医療費控除の適用があり,原告がこれによる何らかの給付を受けたと認めるに足りる証拠もない。その他,本件全証拠によっても,原告が本件事故を原因とする保険給付を受けたと認めるに足りる証拠はない。
(7) 小計 482万9338円
(8) 弁護士費用 45万円
本件事案の内容,上記損害額その他一切の事情を考慮すると,本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては45万円が相当である。
第4 結論
以上によれば,原告の請求は,被告に対し,527万9338円及びこれに対する本件事故の日である平成19年2月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限りにおいて理由があるからこれを認容し,その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条,64条ただし書を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 近藤壽邦 裁判官 河本晶子 裁判官 井原千恵)