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さいたま地方裁判所 平成20年(ワ)725号 判決 2011年1月21日

甲事件原告

X1(以下、「原告X1」という。)

乙事件原告

X2(以下、「原告X2」という。)<他3名>

上記五名訴訟代理人弁護士

牛島聡美

岩田充弘

甲事件・乙事件被告

Y株式会社

同代表者代表取締役

同訴訟代理人弁護士

高井伸夫

根本義尚

米倉圭一郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告は、原告X1に対し、二二五〇万円並びにうち五〇〇万円に対する平成二〇年四月二二日から、及びうち一七五〇万円に対する平成二一年一月二三日から、各支払済みまで年五%の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告X2に対し、二二五〇万円及びこれに対する平成二〇年一一月一九日から支払済みまで年五%の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告X3、原告X4、原告X5に対し、各八七五万円及びこれに対する平成二〇年一一月一九日から支払済みまで年五%の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

甲事件及び乙事件は、エタニットパイプ(石綿セメント管。以下「石綿管」という。)を製造していた、被告の前々身会社であるa株式会社(以下「a社」という。)の大宮工場(以下、単に「大宮工場」という。)及び鷲宮工場(以下、単に「鷲宮工場」という。)で就労していた元従業員らが、上記両工場で石綿管の製造作業に従事した際、石綿粉じんに曝露したことによって、石綿肺等の石綿関連疾患に罹患して死亡したとして、元従業員の遺族らである原告ら五名が、被告に対し、債務不履行(安全配慮義務違反)による損害賠償請求権に基づき、元従業員らの死亡慰謝料(原告らの各相続分)及び遅延損害金の支払を求めると共に、元従業員の家族であり、かつ、大宮工場の近隣に居住していた原告X1及び原告X2において、元従業員が自宅に持ち帰っていた作業着等を介し、あるいは大宮工場から排出された石綿粉じんに曝露したことにより、石綿を原因とする健康被害を生じたとして、債務不履行(安全配慮義務違反)ないし不法行為による損害賠償請求権に基づき、慰謝料(元従業員死亡による上記原告ら固有の慰謝料を含む。)及び遅延損害金の支払を求める事案である。

二  原告X1及び原告X2の請求の概要

原告X1及び原告X2(これら二名を併せて称する場合は、以下「原告X1ら」という。)は、父であるB(以下「亡B」という。)や兄弟であるC(以下「亡C」といい、亡Bと亡Cとを併せて称する場合は、以下「亡Bら」という。)が大宮工場で就業していた際、石綿粉じんに曝露したことによって石綿肺等に罹患して死亡したとして、債務不履行に基づき、①亡Bの死亡慰謝料につき、各相続分に従いそれぞれ一七五〇万円の賠償及び遅延損害金(原告X1の請求については「請求拡張申立書(差替え分)」の陳述の日である平成二一年一月二三日から、原告X2の請求については乙事件の訴状送達の翌日である平成二〇年一一月一九日から)の支払を求めると共に、②亡Bらの死亡についての原告X1ら固有の慰謝料として、及び③原告X1ら自身が亡Bらの着用していた作業着等を介し、あるいは本件工場から排出された石綿粉じんに曝露したことにより胸膜肥厚斑に罹患したことによる慰謝料として、各自につき合計五〇〇万円の賠償及びこれに対する遅延損害金(原告X1の請求については甲事件訴状送達日の翌日である平成二〇年四月二二日から、原告X2の請求については上記①の遅延損害金と同日から)の支払を求める事案である。

三  原告X3、原告X4、原告X5の請求の概要

原告X3、原告X4、原告X5(以下併せて「原告X3ら」という。)は、父であるD(以下「亡D」といい、亡B、亡C、亡Dを併せて、以下「本件元従業員ら」という。)が、大宮工場で就業していた際に石綿粉じんに曝露したことによって肺がんに罹患して死亡したとして、債務不履行に基づき亡Dの死亡慰謝料につき、各相続分に従いそれぞれ八七五万円の賠償及び乙事件の訴状送達日の翌日である平成二〇年一一月一九日からの遅延損害金の支払を求める事案である。

第三前提事実(証拠を掲記しない事実は、当事者間に争いがない。証拠は、特に断らない限り、各枝番を含む。以下も同様である。)

一  当事者等

(1)  被告

a社は、昭和六年二月二七日、イタリアのエーテルニト社からエタニットパイプ(石綿管)及びその付属品に係る製造特許、日本領域販売権を譲り受け、石綿管の製造・販売を主たる目的として設立された株式会社である。

a社は、昭和八年四月には埼玉県与野町に大宮工場を、昭和九年一二月には香川県高松市に高松工場(以下「高松工場」という。)を、昭和二九年八月には佐賀県鳥栖市に鳥栖工場(以下「鳥栖工場」という。)を、それぞれ建設し、石綿管の製造及び販売を実施してきた。なお、このうち、高松工場は、昭和四四年一二月に事実上操業を停止し、昭和四六年五月に閉鎖された。また、昭和五七年六月ころには大宮工場が閉鎖され、鷲宮工場に移転した(大宮工場、高松工場、鳥栖工場、鷲宮工場を併せて、以下「被告工場」という。)。

昭和六二年二月、b株式会社がa社の株式を譲り受けて事業内容をリゾート業に転換し、昭和六三年一〇月一日に、商号が「b1株式会社」に変更された。また、平成五年七月には、東京証券取引所における被告の分類が、「その他ガラス・土石製品」から「サービス業」に転換された。

平成一六年一二月にbホールディングス株式会社が株式会社産業再生機構による支援決定を受けたことに伴い、平成一七年三月、株式譲渡により、b1社の筆頭株主が三井不動産株式会社となり、同年一一月一日には、商号が現在の「Y株式会社」に変更された(以下、特に断らない限り、上記の株式譲渡及び商号変更の前後を問わず、「被告」という。)。

(2)  原告ら及びその家族

ア 原告X1ら関係

(ア) 亡B

亡B(明治四三年○月○日生まれ)は、昭和二一年三月一三日から大宮工場の原料職場で就労し、昭和三九年一二月二六日に被告を定年退職した後は、臨時社員として大宮工場の仕上職場に勤務していた。亡Bは、存命中、大宮工場の近隣(さいたま市c区○○<以下省略>。以下「○○の自宅」という。)に居住していた。

亡Bは、昭和五〇年五月八日、急性肺炎により死亡した。平成一八年一二月七日、さいたま労働基準監督署長は、亡Bの死亡は業務上の死亡であると認定して、石綿による健康被害の救済に関する法律(以下「石綿救済法」という。)に基づき特別遺族一時金を支給する旨の決定をし、原告X1に対し一二〇〇万円を支給した。

(イ) 亡C

亡C(昭和二一年○月○日生まれ)は、亡Bの二男であり、昭和四四年一月六日から昭和五七年五月までの間、大宮工場の原料職場で主に石綿管製造作業に従事していた。この間、亡Cは、亡Bや原告X1らと共に、○○の自宅に居住していた。

その後、亡Cは、昭和五七年六月から昭和六一年一月一五日までの間、鷲宮工場に勤務し、平成一七年一二月一三日にがん性腹膜炎により死亡した。

(ウ) 原告X1

原告X1(昭和一七年○月○日生まれ)は、亡Bの長男であり、出生以後、亡Bや亡Cと共に、○○の自宅に居住していた。平成二〇年一月五日、胸膜肥厚斑が認められると診断された。

(エ) 原告X2

原告X2(昭和二五年○月○日生まれ)は、亡Bの三男であり、出生後昭和五一年までの間、○○の自宅に居住していた。平成二〇年一〇月一一日、胸膜肥厚斑が認められると診断された。

イ 原告X3ら関係

(ア) 亡D

亡D(大正九年○月○日生まれ。)は、昭和二三年七月から昭和四六年四月までの間、大宮工場の旋盤加工職場で就労し、昭和六二年一月二八日、肺がんにより死亡した。

平成二〇年一二月四日、さいたま労働基準監督署長は、亡Dの死亡は業務上の死亡であると認定して、石綿救済法に基づき特別遺族一時金を支給する旨の決定をした。

(イ) 原告X3ら

原告X3らは、いずれも亡Dの子であり、亡Dの相続財産を各四分の一ずつ相続した。

二  石綿及び石綿関連疾患等について

(1)  石綿

石綿(アスベスト)とは、天然の鉱物繊維であり、わが国で使用されてきた白石綿(クリソタイル)、青石綿(クロシドライト)、茶石綿(アモサイト)のほか、全部で六種類ある。

石綿は、熱や摩擦等に強く、耐火性、断熱性、防音性に優れていること、安価であることなどから、主に建材製品に用いられてきた。昭和四九年ころには、最大量である三五万二一一〇トンの石綿が日本に輸入されるなど、高度経済成長期に多く利用された。

他方、石綿は極めて細い繊維からなり、飛散すると空気中に浮遊しやすく、また、吸入されて人の細胞に沈着しやすい、丈夫で変化しにくいという性質のために、肺の組織内に長く滞留し、肺に炎症を起こすことで、肺の繊維化を引き起こしたり、肺の組織を傷つけDNAを損傷したりし、その結果、肺がんや悪性中皮腫などを引き起こすことがあると考えられている。わが国で使用されている石綿については、青石綿、茶石綿、白石綿の順で発がん性が強いとされている。

石綿関連疾患について、石綿への曝露から発症までの期間(潜伏期間)は、平均して四〇年程度であり、平成一八年には、一七九六人(うち肺がんが七九〇人、中皮腫が一〇〇六人)が業務上石綿に曝露したことにより肺がん、中皮腫に罹患したとして労災補償を支給された。

昭和五〇年には石綿の吹き付け作業が原則禁止され、平成七年には青石綿、茶石綿の製造等が禁止され、平成一六年には白石綿等の石綿を含有する建材等の製造が禁止された。平成一八年九月以降は、代替が困難な一定の製品を除き石綿及び石綿を重量の〇・一%を超えて含有する製品の製造等が禁止された。

(2)  石綿関連疾患等

石綿関連疾患とは、石綿を吸入することによって生じる疾患のことであり、石綿肺、肺がん、中皮腫、胸膜疾患をいう。

ア 石綿肺

石綿肺は、線維状の鉱物である石綿粉じんを吸引することにより発生するじん肺である。じん肺は、「粉じんを吸入することによって肺に生じた線維増殖性変化を主体とする疾病」である(じん肺法第二条)。線維増殖とは、粉じんのために肺の組織が固い膠原線維(線維のタンパク質)に置き換えられ肺胞部分などを埋めてその機能を奪うことであり、肺胞部分が埋められるなどすると肺のガス交換機能が低下する。また、気道の慢性炎症性変化、気腫性変化を伴うことがある。

胸部エックス線写真により下肺野に整形陰影が認められ、びまん性の間質の線維化に伴う拘束性障害と細気管支・肺胞領域の障害によるガス拡散障害が認められた上、石綿曝露作業歴が確認できた場合には、石綿肺と診断される。石綿肺は、通常、石綿を職業的に大量に曝露した労働者に起こり、曝露から一〇年以上経過した後に石綿肺の所見が現れる。

石綿肺の主な症状は、労作時の息切れ、咳、痰であり、石綿曝露を中止した後も徐々に症状が進展する。石綿肺自体は短期間で死亡するような重篤な症状ではないが、根本的な治療方法はなく、対処療法を行うことになる。

イ 石綿による肺がん

石綿は、肺がんを引き起こすことが知られている。

石綿曝露から三〇年ないし四〇年経ってから肺がんを発症することが多く、石綿の累積曝露量が多いほど、発症の危険性が高くなる。肺がんの主要な要因としては、他に喫煙があるが、喫煙者、非喫煙者ともに、石綿曝露者は非曝露者に対して肺がん発症のリスクが五倍程度高いとする報告もある。

主な症状は、咳、痰、血痰であり、早期に発見されると外科治療、抗がん剤治療等により治癒することが可能であるが、一般に五年生存率は一五%ほどである。

ウ 悪性中皮腫

中皮はしょう膜と呼ばれる透明な膜で、肺、心臓、消化管などの臓器の表面と体壁の内側を覆い、これらの臓器の動きをスムーズにするものである。このしょう膜の表面にある中皮細胞に由来する腫瘍が中皮腫である。胸膜、腹膜、心膜、又は精巣鞘膜から発生する悪性腫瘍、がんの一種を悪性中皮腫というが、胸膜に発生するものが多い。

中皮腫のほとんどは石綿を原因とするものである。石綿曝露から四〇年前後経ってから発症することが多く、石綿の累積曝露量が多いほど発症の危険性が高くなる。

主な症状は、息切れ、胸痛であり、咳、発熱、全身倦怠感、体重減少などの症状がみられることもある。腹膜中皮腫では、腹痛や腹水貯留がみられる。悪性中皮腫については、根本的な治療方法はなく、二年生存率が約三〇%であるなど、診断から短期間に死亡することが多い。

エ 胸膜肥厚斑(胸膜プラーク)

胸膜肥厚斑とは、胸郭の内面を覆う胸膜の線維が部分的に増加して厚くなった状態をいい、石綿曝露の医学的所見の一つとされる(詳細については、後記第五の二(1)イで認定する。)。

第四争点及び争点に関する当事者の主張

一  本件元従業員らの死亡に関する被告の責任(債務不履行責任)

(1)  本件元従業員らの石綿の曝露と死亡との間の因果関係

(原告らの主張)

ア 被告の労働者について石綿被害の状況

被告工場で就労していた労働者については、通常よりも高い比率で、石綿肺、悪性中皮腫、肺がん、胸膜肥厚斑を発症しており、被告工場における石綿の曝露原因となり、これらの疾患が生じていることは明らかである。平成二一年六月一日の時点で、被告の労働組合に判明したところによると、工務課八八人中、六人が中皮腫で死亡し(死亡率六・八%)、一二人が肺がんで死亡し(死亡率一三・六%)、六人が石綿肺で死亡している(死亡率六・八%)。

イ 亡Bの職歴及び石綿曝露の機会について

(ア) 職歴等

亡Bは、昭和二一年三月から昭和四九年まで、大宮工場の原料職場ないし仕上げ職場で就労していた。亡Bは、昭和二一年以前は、農業を営み、米、麦及び野菜の栽培を行っていたが、それ以外の職歴はない。

(イ) 原料職場について

亡Bが就労していた原料職場では、①石綿倉庫に積み上げた石綿袋をリヤカーやフォークリフトなどで作業現場まで運搬する、②作業員が各自のナイフを用いて麻袋を破り、石綿混砕機に青石綿と白石綿を入れて粉砕する、③スクリューコンベアーの中で、石綿をさらに細かく砕いた上、デージングレーターに送り、石綿をふわふわの状態にする、④ふわふわの状態になった石綿を、ブロア(送風機)により吹き上げ、三階の石綿ボックスに溜める(石綿ボックスに張られた布が目詰まりした場合は、棒で叩いて石綿粉を落とす。)、⑤吹き上げられた石綿をスコップを用いて手作業でドラム缶に詰めて計量する、⑥規定の重さの缶が一定数溜まったら、石綿ボックスの入口部分から、二階にある原液混合機に石綿を落として入れる、⑦二階にある原液混合機に水を張り、石綿、硅砂、セメントを原液混合機の中に落とし込み、先に鋳物のついた棒で、混合する(なお、途中から、パルパーと呼ばれる新式の原液混合機が導入され、上記原液混合機におけるかき混ぜ作業などが機械化された。)といった作業が行われた。

これらの作業のうち、リヤカーやフォークリフトで石綿を運ぶ作業、石綿混砕機に原料を投入する作業、三階の石綿ボックスに石綿を吹き上げる作業、石綿ボックスの目詰まりを棒で叩き払う作業、石綿をドラム缶等に詰めて計量し、二階へ送る作業、原液混合機の中の混合物を手作業でかき混ぜる作業において、作業員が特に石綿粉じんに曝露しやすかった。

(ウ) 亡Bの病状等

亡Bは、昭和五〇年四月ころ入院し、同年五月八日、急性肺炎により死亡した。

平成一八年、亡Bの職業歴及び呼吸機能の著しい異常から、亡Bは石綿肺であったこと、その所見がじん肺法第四条第一項に定める第一類型以上のものであったこと、その程度もじん肺法第四条二項に規定するじん肺管理区分四に該当するものであったとされ、石綿健康被害救済法に基づく特別遺族一時金が支払われた。

ウ 亡Cについて

亡Cは、昭和四四年一月六日から昭和五七年五月までの間、大宮工場の原料職場で就労し、昭和五七年六月から昭和六一年一月一五日までの間は、鷲宮工場に勤務していた。

亡Cは、平成一六年夏以降ころから、だるさを覚えるようになり、同年一一月ころから通院を開始して、その後入院し、同年一二月一三日にがん性腹膜炎(中皮腫)により死亡した。

エ 亡Dについて

(ア) 職歴等

亡Dは、昭和二三年七月から昭和四六年四月まで大宮工場の旋盤加工職場で就労していた。

亡Dが勤務していた旋盤加工職場は、原料職場と同一建物内にあり、原料職場と同様、一日中石綿粉じんが舞っている状況であった。

(イ) 旋盤加工職場における作業について

旋盤加工職場においては、製管職場で原料を鉄の棒に巻き付けてほぼ所定の長さに作られた石綿管が、水中やオートクレーブで固められ、乾かされた後、完成するまでの作業が行われた。

具体的には、①石綿管の両端を規格の長さに切断する、②切断された石綿管をさらに正確に規格どおりの厚さになるように旋盤機などで削る(途中からは、大口径のものについては、上記作業を同時に行う両端仕上加工機が導入された。これにより、機械で削る作業中に作業員が立ち会う必要はなくなり、また作業も水を掛けながら行われたが、機械の設定は手作業で行われ、石綿曝露の機会があった。)、③石綿管と同素材のパイプをジョイントとして利用するために切断する、④継ぎ手(カラー)部分にゴムリングを入れるため旋盤機などで溝を付ける、⑤石綿くずを竹ぼうきで掃き集め、工場敷地内の一角に穴を掘り、一定量が貯まるまで野ざらしで保管するという作業が行われた。

上記の作業のうち、切断された石綿管を旋盤機などで削る作業及び継ぎ手部分に旋盤機などで溝を付ける作業中、旋盤と作業員の顔の距離は三〇cmくらいであった。また、上記作業は、水をかけずに行われていたため、旋盤加工職場では、細かくかつ大量の石綿粉じんが舞っていた。ある時期以降は、作業台の横に掃除機のパイプのような集じん機が設置されたが、依然、作業後には大量の石綿のくずが作業台や床に散乱していた。

(ウ) 亡Dは、昭和五二年ころから、大きな咳をするようになり、昭和五六年ころには、じん肺と診断された。その後、死亡の二か月ほど前に肺がんと診断され、昭和六二年一月二八日、肺がんにより死亡した。

(被告の主張)

原告らの主張する作業工程は、いずれも被告の元従業員のあいまいな記憶に基づくものであって、正確ではない。

したがって、本件元従業員らが被告における就労によって死亡したことの因果関係は十分に立証されていない。

(2)  安全配慮義務違反

(原告らの主張)

ア 総論

一般に、使用者は、労働契約上の信義則に基づき、当該労働者の生命、身体の安全と健康を保持し、その侵害を未然に防止すべき高度の義務を負う。そして、使用者の同義務は、保護されるべき法益が労働者の生命・身体・健康という侵すことのできない絶対的な価値である以上、企業の採算や同業他社が採っている対策の程度などによって左右されることのない絶対的な義務である。

イ 予見可能性

石綿粉じんによる健康被害が、生命、健康という重大な法益に対するものであることからすれば、被告の予見可能性は、生命、健康に対する抽象的な危険で足り、障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識しうる必要はないというべきである。

欧米においては一九〇六年(明治三九年)に、石綿紡織工場で働いていた三三歳の男性の肺線維症が報告されたのを端緒として、一九一八年(大正七年)から、石綿加工労働者の死亡例が報告され、一九三一年(昭和六年)には、二〇年以上の期間、石綿を扱う労働者の六六%が石綿肺に罹患していたことなどが報告されており、遅くとも一九三一年(昭和六年)ころまでには、石綿によって重大な健康被害が生じることが広く知られていた。

わが国においても、明治、大正時代から、石綿粉じんが労働者の生命、健康に重大な被害を与えることについての知見は確立していたというべきであり、昭和四年九月には、工場法一三条に基づき、「工場危害予防及び衛生規則」が施行され、同年七月には、工場危害予防及び衛生規則施行標準」が出され、さらに、同年一二月には、鉱業法の「鉱業警察」の細目が施行された。

以上の事情に照らせば、被告は海外においても広く石綿事業を行っていたのであるから、被告が設立された昭和六年ころには、石綿粉じんによって被告工場で働く労働者の生命、健康に危険が及ぶことについて予見可能であった。

また、被告は、昭和三三年一一月一〇日付けの労働協約において、安全衛生委員会を設置するなどしていることからすれば、遅くとも上記協約が締結された昭和三三年の時点において、石綿粉じんによって被告工場で働く労働者の生命、健康に危険が及ぶことについて予見可能性を有していたことは明らかである。

ウ 安全配慮義務違反の有無

(ア) 安全配慮義務の具体的内容

被告の労働者が従事した石綿粉じん作業の内容・作業環境、就労状況、健康被害の内容・程度、健康被害発生の危険性の蓋然性、石綿粉じんに関する医学的・工学的・技術的知見、石綿粉じんに関する法令・行政の規制等の事情を総合考慮すれば、被告が石綿粉じんによる健康被害の発生を防止するために採るべき安全配慮義務の内容は下記のとおりである。

① 定期的な粉じん測定とそれに基づく作業環境状態の評価

作業環境管理を有効かつ適切に実施するためには、その前提として作業環境の状況を的確に把握する必要がある。

② 石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置

粉じん作業現場においては、第一に、極力粉じんの発生自体を防止すべきであるが、それができないときは、作業場内への粉じんの飛散を防止するために、発じん源を密閉、隔離し、さらに粉じんが大気中に飛散しないよう局所排気装置を備えるなど必要な措置を採る必要がある。また、作業場内に堆積した粉じんの飛散を防止するために定期的に倉庫や工場の床面に撒水したり、粉じんが飛散しないような清掃方法を考案・確立し、作業員に同方法を推奨するよう指導する等の措置を採るべきである。

③ マスク配布及び着用指導、教育実施義務

作業場に粉じんが発生・浮遊している場合には、有効かつ最良の防じんマスクや送気マスク(ホースマスク、エアラインマスク)等の呼吸用保護具や交換部品を随時支給する必要がある。

この点、昭和二四年には、旧安全衛生規則が改正され、昭和二五年に制定された「労働衛生保護具検定規則」及び「労働衛生保護具のうち防じんマスクの規格」並びに昭和二六年に発された「防じんマスクの規格の制定及び検定の実施について」により、防じんマスクの規格及び検定が義務付けられるなどし、作業場における空気中の粉じん数量が一cm3当たり一〇〇〇個以上の場合には第一種マスクを、五〇〇個以上の場合には第二種マスクを使用すべきものとされた。さらに、その後、通達により、使用者は、労働者に、マスクの正確な使用方法を理解させ、かつ、実施すること、衛生管理者等をしてマスクを常時点検させること等が示された。

④ じん肺や石綿関連疾患のメカニズム、有害性等に関する教育義務

実効性のあるじん肺防止対策を行うためには、労働者自身がじん肺や石綿関連疾患の発生メカニズム、有害性、危険性を認識し、石綿関連疾患の予防措置や罹患した場合に適切な措置を行うことができるように、定期的に安全衛生教育を行うことが必要である。

⑤ じん肺健康診断の実施及び結果通知義務

じん肺罹患者を早期に発見し、適切な治療を受けられるようするため、労働者に対し、胸部エックス線検査を含む健康診断を実施し、早期に労働者に健康診断結果を通知する必要がある。

その上で、じん肺に罹患したことが判明した労働者については、粉じん曝露時間を短縮し、早期に非粉じん作業に配置転換することが必要である。

⑥ 配置転換及び操業停止義務

上記義務を果たした場合であっても、労働者の生命、身体、健康を害する恐れがある場合には、配置転換や、操業自体を中止する義務を負う。

(イ) 被告の安全配慮義務違反の有無

被告は、大宮工場における作業に関して、以下のとおり安全配慮義務を怠った。

① 定期的な粉じん測定とそれに基づく作業環境状態の評価について

被告が初めて粉じん測定を行ったのは、昭和四〇年代後半である(なお、被告は昭和三四年以降定期的な粉じん測定を行ったと主張するが、係る事実を裏付ける証拠を一切提出していない。)。

また、実際の測定の際には、被告は、仕上げ職場の機械を止めるよう指示するなどして、正確な測定調査を妨げていた。

② 石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置について

原料職場において原料工程がオートメーション化されたのは、昭和五二年以降であり、それまでは、粉じんの発生・飛散の抑制措置は採られていなかった。また、オートメーション化以降の飛散抑制措置も不十分なものであった。

加えて、旋盤加工職場においては、粉じん発生抑制装置、局所排気装置ないし集じん機は設置されていなかった。また、作業台横に粉じん吸引のためのホースが設置されたのは、大宮工場の閉鎖直前であった。

③ マスク配布及び着用指導、教育実施義務について

原料職場においては、昭和三〇年代半ばころに、労働者が被告に対しマスクを要求したのを契機に原料職場の労働者にスポンジ製の防じんマスクが支給されるようになり、昭和四〇年の前半ころから昭和五二年のオートメーション化までの間は、弁が一つ付いた防じんマスクが交付されるようになった。これらはいずれも、法令上の基準を満たすものではなかった。

旋盤加工職場においても、原料職場より後にマスク支給されるようになったが、昭和五七年に大宮工場が閉鎖されるまで、スポンジ製の防じんマスクが支給されたのみで、弁が付いたマスクは支給されなかった。

このように、被告は、法令の定める防じんマスクの支給義務を怠っており、マスクの着用や使用方法について労働者に指示指導する義務も怠っていた。

④ じん肺や石綿関連疾患のメカニズム、有害性等に関する教育義務について

被告は、本件元従業員らの勤務中、石綿粉じんの危険性、すなわち、石綿を吸い込むと中皮腫、肺がん、石綿肺に罹患する危険があることなどについて一切説明をせず、じん肺教育を怠った。

⑤ じん肺健康診断の実施及び結果通知義務について

被告は、昭和四九年五月ころから、大宮工場の労働者に対して、じん肺管理区分に応じたじん肺健康診断を行っていたものの、特定化学物質等障害予防規則(以下「特化則」という。)で定められた半年に一回という頻度では行っていなかった。労働者への早期の結果通知も行っていなかった。

⑥ 配置転換及び操業停止義務について

亡Bは、被告において就労中、じん肺管理区分四に相当する健康状態であったことが推認されるところ、被告は亡Bについて配置転換を行わず、原料職場又は仕上げ職場において稼働させた。

また、被告は、大宮工場の操業を継続した結果、甚大な健康被害を生じさせた。

(被告の主張)

ア 総論

労働契約関係上の安全配慮義務とは、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体を危険から保護するよう配慮すべき義務をいうところ、民間企業に関するものとしては昭和五九年に確立した概念である。したがって、それより以前には、社会一般の認識として、安全配慮義務なる概念も確立されておらず、現在における使用者の労働者に対する安全配慮義務として要請される義務内容に比し、厳格な内容を要求することはできなかった。そこで、使用者は、その時代に要請されている社会通念に照らし、労働災害発生が予見可能であり、かつ回避可能である場合に初めて安全配慮義務を負うことになる。

具体的には、国が、具体的な手段方法を講じることを義務付ける法律、行政規則等を定め、公布等をした時点において、民間企業としても、採り得る手段方法を検討することができるのであるから、原告らが主張するような高度の絶対的安全配慮義務を負うことはあり得ず、その時点、その時代の法令、規則等により定められている具体的な手段方法につき、社会通念に照らして実践することが安全配慮義務の具体的な内容となるのである。

イ 予見可能時期

わが国においては、戦後の経済成長の過程で、国により石綿の使用が推奨されており、石綿の健康障害の危険性が認識されるまでには相当の時間を要した。石綿に起因する労働災害の研究が進み、その防止の具体的な手段方法及び作業現場における対策等の第一歩が定められたのは、昭和四六年四月二八日に制定された特定化学物質等障害予防規則(以下「旧特化則」という。)であり、旧特化則において、初めて石綿が管理すべき物質として規定された。そして、その後、種々の規定によって、石綿取扱い企業が採るべき具体的な方策等が明らかにされ、周知されるようになった。具体的には、昭和五四年に制定、施行された粉じん障害防止規則により、従前の粉じんによる障害予防対策が改められ、粉じん作業の態様又は粉じんの飛散の程度等に応じて粉じん発生源を密閉する設備、湿潤化のための設備、局所排気装置の設置等又は全体換気装置若しくは換気装置による換気の実施、労働者に対する特別教育の実施、作業環境測定の実施、防じんマスク等有効な呼吸用保護具の使用等を事業者に義務付けるに至った。

したがって、被告が石綿に起因する健康被害が発生する危険性について予見可能となったのは、「粉じん障害防止規則」が制定された昭和五四年四月二五日時点、また抽象的な危険を認知したのは、早くとも旧特化則が制定された昭和四六年四月二八日の時点である。

そして、被告を含む民間企業にとって結果回避のために採り得る手段とは、上記「粉じん障害防止規則」及びその後に制定、施行された法令の定める事項にとどまり、これを履践することにより安全配慮義務を尽くしたものというべきである。

ウ 被告による安全配慮義務違反の有無

(ア) 安全及び衛生に関する教育

被告は、遅くとも昭和三〇年代には、各工場の各作業員に対して安全及び衛生に関する心得・諸注意事項を取り纒めた手帳(以下「心得帳」という。)を何年かごとに配布し、また、入社又は新たに製造工程に従事することになった各作業員に対しては、その都度心得帳を配布していた。心得帳は、各作業員が作業中に、いつでもどこでも安全及び衛生に関する会社からの諸注意事項を確認することができるよう作業着の胸ポケットに収まる大きさで作成され、被告は、各作業員に対して心得帳を作業着の胸ポケットに入れ、常時携帯しておくことを義務付けていた。

心得帳では、防じんマスク及び保護用具を着用することを義務付け、掃除に関しても打ち水を行うことを指示するなど、職場ごとに安全及び衛生の注意及び義務内容を明記していた。

(イ) 労使による安全衛生委員会の定期的な開催

被告は、遅くとも昭和三三年までには、各工場において、毎月一回は定期的に自主的な安全衛生委員会を開催し、安全面及び衛生面に関しての改善・対策等を協議していた。

安全衛生委員会の中で協議される内容の概要は、以下のようなものであった。

① マスクはどのような規格検定品を使用すべきなのか。

② 安全靴やマスク等の身体保護用具の使用状況の確認及び改善等

③ 粉じんの発生状況及び粉じん測定結果の確認、検討及び改善等

④ じん肺健康診断の実施状況及び結果の確認等

⑤ 休業災害等が発生した後に開催された場合には、その原因究明及び今後の再発防止対策について

⑥ 各職場から上がってくる安全及び衛生に関する意見等に関する協議

⑦ 月一回の工場内パトロールの際に確認した粉じんの発生状況及びマスクの着用状況等に関する報告及び協議

(ウ) その他安全及び衛生に関する啓発活動

被告は、その他安全及び衛生に関する労働者に対する啓発活動として、遅くとも昭和三五年以降、毎年の全国安全週間及び全国労働衛生週間の際に、安全・衛生関係のスライド上映、安全・衛生の職場パトロールを実施し、さらに、各職場に安全・衛生に関するポスターを配布及び掲示し、標語の募集等をするなど、安全及び衛生に関する労働者の意識の向上及び維持に努め、啓発活動を継続的に実施してきた。

また、昭和五五年以降は、粉じん作業特別教育を実施し、大宮工場の作業員に対して粉じんの発生抑止対策の方法や、粉じんの有害性等についての教育を行っていた。

(エ) じん肺健康診断の実施

被告は、昭和三五年のじん肺法施行以後、じん肺法八条等に基づくじん肺健康診断を各工場において実施していた。具体的には、常時粉じん作業に従事する労働者に対しては三年以内ごとに一回、その中でも健康管理区分(後のじん肺管理区分)が二又は三の作業員に対しては一年以内ごとに一回定期的にじん肺健康診断を実施した。また、被告は、昭和三六年以降、浦和労働基準監督署の勧めにより、大宮工場において特殊健康診断を実施していた。

なお、じん肺管理区分の通知を書面で行うことが義務付けられたのは昭和五三年以降であり、被告はそれまでは口頭でじん肺管理区分の通知を行っていた。

(オ) 自主的な作業環境測定の実施

被告は、粉じん測定が義務付けられたいわゆる旧特化則が制定される前の昭和三四年八月には、埼玉県衛生研究所に委託し、大宮工場の粉じん・じん埃の測定を行っている。その後も、昭和四六年ころまでは一年に一回、その後は年に二回、粉じん測定を自主的且つ定期的に行っていた。

なお、原告らが主張するように、被告が労働基準監督署の検査があるときは、石綿が舞うのをできるだけ減らした状況にしていたなどということはない。

(カ) 検定品マスクの支給

被告は、昭和三三年一一月、大宮工場の安全衛生委員会において、エステルマスクというマスクを作業員全員に支給することを決定し、これを作業員に支給していた。その後、昭和三七年一月には、国家検定の防じんマスクを新たに選定し直し、さらには、昭和四〇年一月及び同年二月には、国家検定特級又は一級のマスクを作業員に支給することを決定して、これを実施した。さらに、昭和四七年の特化則制定以後は、粉じん職場作業員全員に対して国家検定の防じんマスク特級マスクを支給するようになり、その後も、国家検定の防じんマスクの規格が変更する毎に、防じんマスクの規格等を変更しつつ、作業員に対して支給していた。

(キ) 作業環境整備のためのオートメーション化等

大宮工場では、昭和四〇年ないし昭和四二年にかけて、原料職場のオートメーション化を実施した。

また、被告においては、遅くとも昭和三七年以降、各作業場に吸じん装置や集じん機を設置するなど、作業環境整備のための措置を採っていた。

二  本件元従業員らの家族の石綿曝露に関する被告の責任(債務不履行責任、不法行為責任)

(1)  原告X1らの胸膜肥厚斑と石綿曝露との因果関係

(原告X1らの主張)

原告X1らは、大宮工場の近隣である○○の自宅に居住していたため、同工場から排出される大気中に浮遊する石綿粉じんに曝されたことにより近隣曝露し、また、大宮工場で就労していた亡Bらが持ち帰った石綿粉じんの付着した衣服を介して家庭内曝露した(近隣曝露と家庭内曝露を併せて称する場合は、以下「間接曝露」という。)。

以下、具体的に述べる。

ア 家庭内曝露について

原告X1は、昭和二一年三月から昭和五七年五月までの三六年間、原告X2は、昭和二五年から昭和五一年までの二六年間、亡Bや亡Cと同居しており、以下のとおり亡Bや亡Cが持ち帰った作業着及びマスク等を介して石綿に曝露した。

亡Bは、大宮工場の近くに住んでいたことから、昭和二一年から昭和四九年三月にかけて、毎朝、作業着を着用して工場に出勤し、仕事後も、工場に設置された風呂に入浴後、石綿の付着した作業着を着用したまま帰宅していた。帰宅時の作業着は、綿状の石綿が隙間なく全体に付着し、真っ白であった。亡Bは、工場から帰宅すると、毎日勝手口の外で作業着を脱ぎ、作業着及びマスクに大量に付着した石綿を手で払い落とし、普段着に着替えてから家に入っていた。当初、亡Bは、作業着を袋等に入れることなくそのままの状態で建物内の廊下に置いていたが、昭和二八年ころに自宅の建替えをした際に風呂場を設け、同時期に洗濯機を購入した後は、お風呂場の一角に、他の洗い物と一緒にそのままの状態で置いていた。また、持ち帰ったその日に洗濯をしない場合は、作業着を一旦洗濯機の上に置いていた。持ち帰られた使用済みの作業着は、原告X1らの母が、当日又は翌日に、洗濯機が無い時期は、家の外でたらいで手洗いしており、その石綿が含まれた洗濯水は、庭にそのまま流していた。洗濯機を購入した後は、洗濯機で洗っていた。洗濯前の作業着及びマスクは、亡Bが石綿を払い落とした後であるにもかかわらず、作業着には白い石綿が隙間なく付着し、また、マスクには通気性を確保するための小さな穴が開いていたが、その外側の穴には石綿が詰まり、内側(口に接する側)も口の付近は石綿が付着し、真っ白であった。洗濯後に、払い落とせなかった石綿を原告X1らの母が手で払っていたこともある。

亡Cが大宮工場の原料職場で就労を開始した後は、二人が毎日石綿の付着した作業着を着用したまま帰宅し、より多くの石綿が原告X1らの家庭内に持ち込まれるようになった。

イ 近隣曝露について

大宮工場の西側の砂利道は石綿で白くなっており、風が吹くと砂埃が舞うように白い埃が一日中舞っている状態であり、同工場の西側のコンクリート製のグレーの壁も石綿で白くなっていた。また、大宮工場で使用する石綿は、麻袋に詰められ、トラックで北門から工場内に運び込まれていた。事前の積み込みや運搬作業中に麻袋が破れることも少なくなく、その穴から石綿が飛散し、北門の通路は、常に白っぽい状態であった。

このように、作業工程ないし運搬作業中に、大宮工場から周辺に石綿が飛散していたところ、原告X1らは、大宮工場の南側の道路を挟んだ向かいに隣接する○○の自宅に居住しており、通学のため、工場の塀や開放されていた門の横の道を毎日のように通るなどしていたことから、大宮工場から飛散した石綿による近隣曝露を受けていた。

さらに、原告X1は、三歳ころから小学校六年生ころまでの間、一〇日に一回くらいの頻度で、大宮工場の発送前の石綿パイプが保管してある建物内に一人で入り、端部に石綿の粉が付着した石綿パイプを手で触わる等して遊んでいた。同建物は、施錠されておらず、子供が自由に入ることができた。

ウ 原告X1らの職歴

原告X1らは、石綿を扱う職場での職業歴がないことから、大宮工場の石綿以外に石綿曝露の機会はなかった。

エ 原告X1らの診断結果

原告X1は、平成二〇年一〇月一一日付けの石綿健康診断個人票及び同年七月二六日付けのじん肺健康診断結果証明書において、胸部レントゲン撮影の結果、石灰化胸膜肥厚斑が認められ、これは、家族が被告に勤務していたことによる家庭曝露に起因するものであるとされた。

原告X2についても、平成二〇年一〇月一一日付けの石綿健康診断個人票によると、胸部レントゲン撮影の結果、胸膜肥厚斑が認められた。

胸膜肥厚斑の原因物質は、「アスベスト及びエリオナイト以外にはない」とされており、このうち、エリオナイトは、鉱物学的な標本として存在するだけで曝露されるようなことはないことから、胸膜肥厚斑があれば、それは石綿に曝露したことの重要な指標となる。

オ 原告X1ら以外の被告労働者の家族

原告X1ら以外にも、原告X3やその他数名の被告の労働者の家族について、胸膜肥厚斑が認められている。

(被告の主張)

ア 原告X1らは、間接曝露により胸膜肥厚斑を生じたと主張するところ、亡Bらの作業着等に付着していた石綿粉じんの量や、大宮工場から飛散した石綿粉じんの量及びその飛散経路、これらにより原告X1らが曝露した石綿粉じんの量等について何ら具体的な主張立証をしていない。

イ 胸膜肥厚斑の原因としては、石綿のほか、エリオナイト(天然鉱物繊維でゼオライトの一種)、ウォストナイト(けい灰石)の三つの天然鉱物繊維と、人造ガラス繊維の一種である耐火セラミック繊維等が挙げられるところ、原告X1らの胸膜肥厚斑の原因が石綿の曝露によって生じたものであるかどうかは不明である。さらに、国内では、戦後、石綿の製造・利用が国策として推奨され、学校やビルなどの様々な建造物に吹き付け石綿が使用されるなど、日常生活の至る所で石綿が利用されてきたのであり、原告X1らがこれらによって、胸膜肥厚斑が生じた可能性もある。現に、石綿救済法の救済対象として認定を受けた者の四割について、職場や家庭などどこで石綿を曝露したのかにつき特定することができなかった旨の環境省の報告もある。

ウ したがって、原告X1らが、大宮工場から亡Bらの作業着等を介して家庭内に持ち込まれた石綿粉じん又は大宮工場から飛散した石綿粉じんに曝露して胸膜肥厚斑を生じたとの因果関係は認められない。また、仮に被告に義務違反が認められたとしても、この義務違反と原告X1らが主張する損害との相当因果関係も認められない。

(2)  債務不履行責任(安全配慮義務違反)

(原告X1らの主張)

一般に、使用者は、労働契約上の信義則に基づき、当該労働者の生命、身体の安全と健康を保持し、その侵害を未然に防止すべき高度の義務を負うところ、必ずしも直接の契約関係が存在する場合でなくとも、これに準じるような場所的・時間的な支配管理関係が認められる場合には、使用者は、安全配慮義務を負う。

本件では、被告は、工場施設内に洗濯機を設置せず、労働者が石綿粉じんの付着した作業着及びマスクを持ち帰らざるを得ない状況を作り出していた点で、労働者の自宅を支配していたものである。その家族も、労働者と同居している以上、石綿粉じんの付着した作業着及びマスクが持ち込まれることは不可避であり、労働者と同様に場所的に支配されていたものといえる。労働者と使用者との雇用関係が存在する限り、石綿粉じんの付着した作業着及びマスクは労働者の自宅に持ち込まれることになるから、時間的にも支配関係がある。しかも、その洗濯は、労務提供のために不可欠な準備行為であるから、労働者の自宅が場所・設備的に工場施設の代用をしていたものといえる。

したがって、使用者である被告は、労働者の家族を場所的時間的に支配管理する関係に立つことから、両者は労働者類似の特別の社会的接触関係に入ったものといえ、被告は、原告X1らとの関係においても、その生命身体の安全に配慮すべき義務がある。

(被告の主張)

いわゆる安全配慮義務とは、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体を危険から保護するよう配慮すべき義務のことをいい、使用者と雇用契約関係にある労働者に関する概念である。したがって、雇用契約に付随する労働者に対する安全配慮義務が労働者の家族に対してまで及ぶなどと解する余地はない。

(3)  不法行為責任

(原告X1らの主張)

被告は、被告の従業員が作業着やマスクを自宅に持ち帰ることにより従業員の家族が石綿粉じんに曝露することを回避すること、並びに、被告工場周囲に石綿粉じんが飛散し、また、関係者以外の者が被告工場に立ち入ることにより石綿粉じんに曝露することを回避するよう措置を講じるべき一般不法行為上の注意義務があり、これを怠ったことにより生じた損害を賠償すべき責任を負う。

(被告の主張)

否認ないし争う。

(4)  予見可能性

(原告X1らの主張)

ア 予見可能性の内容

石綿粉じんによる健康被害が、生命、健康という重大な法益に対するものであることからすれば、被告の予見可能性は、生命、健康に対する抽象的な危険で足り、障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識しうる必要はないというべきである。

イ 予見可能時期

一九四〇年代(昭和一五年から昭和二四年までの間)から、海外において、石綿鉱山や工場外の周辺住民が石綿肺や肺がんに罹患したことが報告されるようになり、一九五〇年(昭和二五年)には、環境要因による発がんの可能性を考慮すべきであるとされ、一般社会で増加している肺がんと呼吸器系のがんの原因が石綿等によるものである可能性について、報道されるようになった。

さらに、一九六〇年(昭和三五年)には、ワグナーが鉱山労働者の家族や周辺住民がわずか数ヶ月の曝露で中皮腫を発症した例を報告したことにより(以下、ワグナーによる上記報告を指して「ワグナー論文」という。)、石綿による健康被害が工場労働者ばかりでなく、広く近隣住民や労働者の家族らにも及んでいることが広く周知された。

このことから、遅くとも一九六〇年(昭和三五年)には、石綿による間接曝露について抽象的な危惧があったといえることから、これと同様に、被告にも石綿による労働者曝露、近隣曝露及び家庭内曝露に関する予見可能性があったといえる。

ウ 本件における家庭内曝露の危険の予見可能性

大宮工場において、被告が、工場労働者の作業着等を洗濯するための洗濯機を設置したのは、労働者がじん肺等に不安を抱く会話が増えた後の昭和四〇年代後半であり、設置された洗濯機も、家庭用洗濯機が一、二台程度であった。また、労働者の一人が、試験室に個人的に洗濯機一台を持ち込んだことがあったが、すべての労働者がこれを利用できたわけではなかった。したがって、洗濯機が空くのを待てない多くの労働者は、作業着等を自宅に持ち帰って洗濯をしていた。

作業着等を洗濯するための専用の洗濯機が十分に設置されていなければ、労働者は作業着等を自宅に持ち帰ることは当然に予想され、被告はそのことを十分に認識・予見していた。

したがって、被告は、亡Bらを介して、石綿が自宅内に持ち込まれ、その家族である原告X1らを石綿曝露させることを予見できた。

エ 本件における近隣曝露の危険の予見可能性

工場内で舞っていた石綿の埃は建物内にとどまらず、工場外部に飛散しており、工場の西側に位置する道路及び工場の西側壁は、常に白っぽい状態であったことから、被告は、作業工程中に発生した石綿が工場外に飛散することを予見し得た。

また、トラックで工場内に運び込まれた石綿の入った麻袋が破れていることは、簡単な調査で明らかになることから、破れた麻袋から漏れ出た石綿が、工場外部に飛散したことも、被告は予見し得たのである。

したがって、被告は、大宮工場の作業工程及び運搬過程において、その石綿が工場外部に飛散していたことを予見することが可能であった。

(被告の主張)

ア 予見可能性の内容

石綿曝露から疾病の発症までには相当長期間を要することや、戦後、国策として石綿の使用や製造が奨励され続けてきたこと、間接曝露においては、その曝露量は極めて微量であり、民間企業がその危険性を認知することなど不可能な状況が長い間続いてきたことなどに照らせば、家庭内曝露に関する予見可能性の対象は、「石綿の家庭内曝露があること、それによって、労働者の家族が重篤な疾患を発症することについて」、また、近隣曝露に関する予見可能性の対象は、「近隣曝露があること、それによって、近隣住民が重篤な疾患を発症することについて」と解すべきである。

イ 予見可能時期

一九六〇年(昭和三五年)以前には、世界的にも、石綿取扱労働者の家族に及ぶ危険性に対しては何ら報告されておらず、原告らが指摘する一九六〇年(昭和三五年)に発表されたワグナー論文においても、家庭内曝露の存在が明確に報告されているとはいえない。主に家庭内曝露を念頭に置いた調査研究が行われたのは、一九七六年(昭和五一年)のセリコフ論文が初めてである。しかも同文献は、海外の学術論文で発表されたものであって、民間企業である被告において、これらによって、家庭内曝露の危険性について予見することは不可能であった。

さらに、一九八六年(昭和六一年)には、世界保健機関(以下「WHO」という。)がいわゆる家庭内曝露や近隣曝露をした者が中皮腫及び肺がんを発症する可能性につき、職業曝露に比べ「はるかに低くなっている」、「ずっと低い」などとし、石綿肺を発症する可能性については「非常に低い」などとする分析結果を発表した。さらに、いわゆる環境曝露と言われる一般住民が中皮腫及び肺がんを発症する可能性についても、「検出不可能なほど低い」、「検出できないくらい低い」などとし、石綿肺を発症する可能性については「事実上ゼロ」と結論づけている(なお、上記WHOの見解がわが国で翻訳されたのは、平成元年に入ってからのことである。)。また、日本は、一九八六年(昭和六一年)に採択された石綿労働者が自宅に作業着を持ち帰ることを禁止することなどを内容とする国際労働機関(以下「ILO」という。)による条約についても、日本は、平成一七年に至るまで批准しておらず、国としても、石綿に関する家庭内曝露の危険性を認識をしていなかったことは明らかである。

また、わが国で初めて近隣曝露の可能性について報告されたのは、昭和五八年になってからのことであるが、その指摘内容も「環境曝露により発症したと思われる胸膜中皮腫の一症例」にすぎず(しかも、医学専門誌への掲載も三行程度の指摘に止まるものであった。)、その患者の肺内からごく短い白石綿(クリソタイル)が検出されたのは、昭和六一年のことであった。

国内において、石綿の近隣曝露に関する規制が行われたのは、平成元年六月、「大気汚染防止法の一部を改正する法律」(以下「大気汚染防止法」という。)において「石綿」が「特定粉じん」に指定され、規制を受けるようになったのが初めてである。

上記の事情に照らせば、被告が石綿の取扱を中止した昭和六〇年までの間に、被告において、間接曝露の危険性を予見することは不可能であった。なお、昭和六二年に学校における吹付石綿の問題性が報道され、その後、上記のとおり大気汚染防止法が改正されたことから、被告において間接曝露について予見可能となったのは、早くとも昭和六二年以降である。

(5)  被告の義務違反の有無

(原告X1らの主張)

被告は、労働者の通勤着と作業着を分け、石綿の付着したマスクや作業着等を持ち帰らさず、会社内にて洗浄等して、家庭内への石綿の付着・飛散による家庭内の曝露を防止すべきであったのに、これを怠った。

また、被告は、石綿の搬入・製造工程や、製造工程から出た廃棄物等により、被告工場の周辺住民が石綿に曝露しないよう適切に管理等を行う義務があったのにこれを怠った。

(被告の主張)

被告において注意義務を負うのは、間接曝露の危険性についての予見可能性及び結果回避可能性が存在した場合に限られるところ、上記(4)「被告の主張」のとおり、本件元従業員らの就業時において、被告は、間接曝露の危険性について、予見をすることも結果を回避することも不可能であったのであるから、被告に義務違反はない。

三  損害の発生

(原告らの主張)

(1) 亡Bの死亡慰謝料

亡Bは、石綿曝露を原因とする石綿肺を発症し、昭和五〇年五月八日、死亡した。

原告X1は、亡Bの死亡につき、平成一八年一二月七日、石綿健康被害救済法に基づく特別遺族一時金として一二〇〇万円を受領したが、死亡により亡Bが被った精神的損害を慰謝するに足りる金額は、上記のほか、三五〇〇万円を下らない。

そして、亡Bの相続人は、同人の長男である原告X1と原告X2のみであるから、両名は、上記金額をそれぞれ二分の一ずつ相続した。

(2) 亡Dの死亡慰謝料

亡Dは、同じく石綿曝露を原因とする肺がんにより、昭和六二年一月二八日、死亡した。亡Dは、検査の苦痛にも耐え難く、手術を行うこともできなかった。亡Dが被った精神的損害を慰謝するに足りる金額は、三五〇〇万円を下らない。

そして、同人の子である原告X3らは、相続により、上記金額をそれぞれ四分の一ずつ相続した。

(3) 原告X1の固有の慰謝料

原告X1は、上記のとおり父である亡Bを若くして短期間で亡くしたことに加え、弟である亡Cも石綿曝露を原因とするがん性腹膜炎により亡くした。

さらに、原告X1自身も胸膜肥厚斑と診断された。胸膜肥厚斑そのものでは、肺機能の低下はないが、徐々に石灰化が進行し、その進行の程度に応じて肺機能の低下(おもに拘束性障害)をもたらすのであり、原告X1はすでに石灰化の症状が認められている。加えて、胸膜肥厚斑の所見を有する者は、そうでない者に比べて肺がんや中皮腫のリスクが高いという疫学的な調査もあり、原告X1自身、胸膜肥厚斑に罹患し、中皮腫及び肺がん等に罹患する恐怖にさいなまれている。

上記によって、原告X1が被った精神的損害を慰謝するに足りる金額は、五〇〇万円を下らない。

(4) 原告X2固有の慰謝料

原告X2は、父である亡Bを石綿を原因とする疾患で亡くした上、原告X2自身も、胸膜肥厚斑と診断されており、原告X1と同様に、今後、中皮腫や肺がんに罹患する恐怖にさいなまれている。

これらの原告X2が被った精神的損害を慰謝するに足りる金額は、五〇〇万円を下らない。

(被告の主張)

否認ないし争う。

原告X1らは、胸膜肥厚斑と診断されており、今後、中皮腫や肺がんに罹患する恐怖にさいなまれていると主張するが、胸膜肥厚斑は、壁側胸膜の線維性の盛り上がり状態を指すものにすぎず、それ自体が肺機能障害を伴うものではない上、他の良性石綿胸膜疾患(胸膜炎、びまん性胸膜肥厚、円形無気肺)や悪性腫瘍、中皮腫に転化することもあり得ない。

胸膜肥厚斑は、石綿救済法及び労働者災害補償保険法においても、救済や補償の対象にはなっていない。なお、健康管理手帳の交付は、職業曝露というある程度の量の石綿粉じんを吸入していたことを前提として、在職中及び離職後においても同様に、健康を管理していくべきであると国が判断したことに基づき交付されるものであって、健康管理手帳の交付を受けた者が石綿関連疾患を発症することを前提としているものではない。

したがって、胸膜肥厚斑が内在していることそれ自体は損害には当たらず、慰謝料を求め得るものではない。

四  消滅時効(亡B及び亡Dの死亡による損害賠償請求権関係)

(1)  消滅時効の起算点

(被告の主張)

本件元従業員らの死亡に係る損害賠償請求権については、遅くとも、本件元従業員らの死亡の時から行使することが可能であるところ、本件においては、すでに亡B及び亡Dの死亡時から一〇年以上が経過しているのであるから、被告は、両者に係る損害賠償請求権については、平成二一年一月二三日の本件口頭弁論期日において陳述した平成二一年一月一六日付け答弁書(原告X1追加提訴分)及び平成二一年一月一六日付け答弁書において、消滅時効を援用するとの意思表示をした。

この点、原告らは、行政の調査の結果、本件元従業員らが被告工場での石綿曝露により死亡したことが明らかになった時点から消滅時効が進行する旨主張するが、債務不履行に基づく損害賠償請求権は、権利として成立すればこれを行使する上での法律上の障害はないから、その成立時が消滅時効の起算点になるのであって、権利を行使し得ることを権利者が知らなかった等の事実上の障害は時効の進行を妨げない。

(原告らの主張)

本件元従業員らの死亡について、被告に損害賠償請求権の行使が可能になったのは、行政の調査の結果、本件元従業員らが被告工場での石綿曝露により死亡したことが明らかになった時点である。

ア 亡Bについて

亡Bの死亡時に作成された死亡診断書では、死因は、気管支喘息を発症したことによる急性肺炎と記載され、遺族である原告X1らにおいて、亡Bが石綿曝露により死亡したと認識することはできなかった。その後、平成一八年一二月七日付けの特別遺族一時金の支給決定により、亡Bについて、石綿曝露が原因で死亡したことが判明したのであるから、消滅時効が進行するのはこのときからである。

イ 亡Dについて

亡Dの死亡時に作成された死亡診断書では、直接の死因が肺炎、その間接の原因が肺線維症から肺がんとされ、遺族において、亡Dが石綿曝露により死亡したと認識することはできなかった。その後、平成二〇年一二月四日付けの特別遺族一時金の支給決定により、亡Dについて、石綿曝露が原因で死亡したことが判明したのであるから、消滅時効が進行するのはこのときからである。

(2)  消滅時効濫用の抗弁

(原告らの主張)

本件元従業員らに係る損害賠償請求権の消滅時効が完成しているとしても、被告が上記消滅時効を援用することは、権利の濫用に当たり許されない。

原告らが消滅時効期間内に損害賠償請求権を行使することができなかった原因は、石綿の危険に関する高度の調査・予見義務、労働者への安全配慮及び安全教育義務を負う被告がこれらを怠ったためである。他方、単なる労働者にすぎない本件元従業員及び原告らが、石綿の危険性について、調査・分析等を行うことは不可能であった。したがって、原告らが、期間内に権利行使できなかったのは、被告の責めによるものである。

また、石綿救済法によれば、労働者災害補償保険法の定める消滅時効の期間内に権利を行使することができなかった被害者についても権利行使が可能とされているところ、これは、被害者救済の見地から、労災保険給付のみならず、それを超えた損害が発生した場合にも、企業が消滅時効を援用することなく、損害金を支払うことを期待したものである。したがって、被告による消滅時効の援用は同制度の趣旨にもとるものである。

以上からすると、被告が消滅時効の援用をすることは権利の濫用であって許されない。

(被告の主張)

原告らは、被告による時効援用権の行使が濫用に当たるなどと主張するが、消滅時効援用に伴う債権の消滅という法的効果は、債権の種類や性質、発生原因等を問わず、一律に生じるものであって、その援用権の行使が濫用に渡るのは、消滅時効の援用をする債務者において、債権者の権利行使を妨害したと評価される事情が存在する場合に限られる。原告らが指摘する援用権者による義務違反の態様や被害者救済の必要性などは、消滅時効の援用が権利の濫用に渡るか否かの判断に全く影響を与えないものであり、原告らの主張は失当である。

第五当裁判所の判断

一  本件元従業員らの死亡に関する被告の責任(債務不履行責任)

(1)  認定事実

前提事実、《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

ア 本件元従業員らの職歴等

(ア) 亡B

亡B(明治四三年○月○日生まれ)は、昭和二一年三月一三日から大宮工場の原料職場で就労し、昭和三九年一二月に被告を定年退職した後、昭和四〇年一月五日から臨時社員として昭和四九年三月ころまで大宮工場の仕上職場に勤務していた。なお、亡Bは、被告での就労以外に石綿を扱う業務に従事したことはない。

(イ) 亡C

亡C(昭和二一年○月○日生まれ)は、昭和四四年一月六日から昭和五七年五月までの間、大宮工場の原料職場で就労し、昭和五七年六月から昭和六一年一月一五日までの間は、鷲宮工場で主に石綿管の製造作業に従事していた。なお、亡Cは、被告での就労以外に石綿を扱う業務に従事したことはない。

(ウ) 亡D

亡D(大正九年○月○日生まれ)は、昭和二三年七月から昭和四六年四月までの間、大宮工場の旋盤加工職場において就労した。勤務時間は、通常午前八時から午後五時までの八時間であり、週六日間勤務していた。また、繁忙期には午後一〇時ころから翌日午前八時ころまで夜勤をすることもあった。

イ 本件元従業員らの被告における作業内容及び石綿への曝露状況等

(ア) 石綿管

石綿管とは、セメント、石綿、水を材料として製造されるパイプである。わが国では、被告が昭和六年にイタリアのエタニット社から特許を得て製造を始めたのが最初であり、以後鋳鉄管の代用品として急速に需要が増え、主として上水道や簡易水道、農業用水、工業用水等の管として使用された。

(イ) 被告における石綿管の製造工程

被告における石綿管の製造工程は、主として以下のようなものであった。なお、下記の工程のうち、①及び⑤の作業においては、石綿粉じんの発生が不可避であった。

① 業者が各工場に搬入した袋入りの石綿を数種類配合した上、解綿機よってこれを解きほぐして細かい繊維状にし、送風機を用いて石綿ボックスに送り、貯蔵する。

② 石綿ボックスに貯蔵された石綿とセメント、水を原液混合機に送り込み、混合した上で貯液槽に移してかく拌する。

③ 貯液槽から製管機に送り込まれた混合液は、網状のドラムシリンダーで水を漉し取り、製管機の下フェルトに吸着され、下フェルト上で真空脱水機で脱水され、上フェルトによって圧力を加えられながら芯金に巻き取られ、所定の肉厚となる。その後、前養生された上、芯金が抜き取られる。

④ 芯金を引き抜いた混合物に強度を付けるために、水中養生又は高湿度、高圧、高温の蒸気による養生をする。

⑤ 養生が終了した石綿管を製品規格の長さにするため、両端を切断した上、石綿管の継ぎ目部分を所定の直径に削る。

⑥ 石綿管の強度を最終的に確認するため、水圧試験、曲げ試験を実施した上、規格に適合する商品か否かを検査する。

⑦ 製品規格に合致した製品を出荷する。

(ウ) 原料職場における作業状況

a オートメーション化される(昭和五二年ころ)までの作業工程及び石綿曝露状況

① 石綿倉庫に積み上げられた石綿入りの麻袋を、リヤカーやフォークリフト等に積んで原料職場の作業現場まで運搬する。これらの作業の担当者は、一日八時間ないし一〇時間の勤務中、ずっとこの作業に当たっていた。

積み上げられた麻袋は一袋当たり四〇kgから五六kgあったため、これを床におろす際に、破れた箇所から大量の粉じんが飛散した。

② 運搬した麻袋の上の部分をナイフで切り、麻袋を抱えて石綿混砕機(ストンミル)の中に青石綿と白石綿を三対七の割合で投入し、二、三分かけて石綿を粉砕、解綿する。

この際、混砕機内部の石臼は常時回転していたため、常に大量の粉じんが飛散した状態であり、石綿の投入時には大量の粉じんに曝露した。

③ 解綿された石綿をスクリューコンベアで巻き上げてボックスに溜め、溜まった石綿をボックス下のスクリューデージングレーターに移動させ、石綿をさらに解綿する。

④ 解綿されてふわふわの綿状態になった石綿を送風機(ブロア)で一階から二階又は三階の石綿ボックスまで送る。

⑤ 送られてきた石綿を空気を逃しながら石綿ボックス内に溜め、一定量が溜まったら、石綿ボックス内に入り、石綿をスコップで押し込めながらドラム缶に二五kgずつ詰める。その際、石綿ボックス内の金網に張った布に石綿が目詰まりすると空気が逃げなくなるため、一日に何度か布を棒で叩いて石綿の粉を落とした。

これらの作業の担当者は、一日中、石綿ボックス内で上記の作業を行った。

⑥ 詰め込んだドラム缶を回転させながら、原液混合機の投入口の近くまで移動させ、三階から二階又は二階から二階床の下にある原液混合機の中に向けてドラム缶を倒し、綿状になった石綿を落とし込む。また、粉状のセメントや硅砂などの他の原料も落とし込み、これらを混ぜ合わせる。

上記の作業の際には、一度に数百kgの原材料をまとめて原液混合機に落とし込むため、周囲が見えなくなるほどの大量の粉じんが発生した。

b 昭和五二年のオートメーション化後の作業工程

昭和五二年のオートメーション化後は、上記aの各作業のうち、石綿ボックス内で綿状の石綿をドラム缶に詰めて計量する作業(上記⑤)及びドラム缶に詰めた石綿を原液混合機に落とし込む作業(上記⑥)が自動化された。もっとも、計量器の中で綿状の石綿が浮いてしまい、正確に計量ができなくなることがあったため、その場合には、計量器内部に入り、棒で石綿を押し込む作業を行った。また、石綿を吹き上げるパイプが度々詰まったため、パイプを外して石綿をかき出す作業を行った。さらに、計量器を停止させた後は、計量器から大量の空気が吹き出され、周囲に石綿が飛び散ったため、これを箒で集めた上、掃除機で吸い込む作業を行った。

上記作業のうち、石綿を石綿混砕機に投入する作業、石綿の計量器に入り綿状の石綿を棒で押し込む作業、詰まった石綿をかき出す作業の際には、大量の石綿に曝露した。

(エ) 旋盤加工職場における作業について

旋盤加工職場においては、石綿管と接続する継ぎ手に溝を掘る作業が行われた。具体的には、石綿でできた継ぎ手を回転させ、その内側に刃の付いた棒を入れて三本の溝を付けた。

継ぎ手の内側に入れる棒には目盛りが付いていたが、継ぎ手に溝を掘る際には石綿粉じんが発生し、削った石綿が溜まると目盛りが見えなくなるため、刷毛で石綿を落としながら、顔を近づけて目盛りを見なければならなかった。

ウ 本件元従業員らの症状及び労災認定等

(ア) 亡B

亡Bは、昭和四〇年ころから喘息の症状が出るようになり、そのころから二年間、けい肺の治療のため通院をした。亡Bは、昭和四九年三月ころに被告を退職したが、同年一〇月ころ、気管支喘息を発症し、その後、息苦しさが強くなるなどしたため、昭和五〇年三月一日から大宮赤十字病院に入院した。同年五月一日、亡Bは肺炎を発症し、同月八日、急性肺炎により死亡した。

平成一八年四月三日、原告X1は亡Bについて石綿健康被害救済法に基づく特別遺族一時金の請求を行った。さいたま労働基準監督署長は、医師等の意見を踏まえた調査の結果、亡Bについて、職業歴及び呼吸機能の著しい異常から、従前の診断名について「けい肺」とあるが、一般粉じんの吸入は考えられないので、亡Bは石綿肺であったこと、その所見がじん肺法四条一項の第一型以上のものであったこと、その程度もじん肺法四条二項のじん肺管理区分四に該当するものであったことが認められ、亡Bは生前石綿管製造作業に従事したことにより石綿に曝露し、その結果石綿肺を発症したものと認められるとして、平成一八年一二月七日、亡Bについて石綿健康被害救済法に基づき特別遺族一時金を支給する旨の決定をし、原告X1に対し一二〇〇万円を支給した。

(イ) 亡C

亡Cは、鷲宮工場就労中の昭和六〇年、埼玉労働基準局長からじん肺管理区分二の決定を受けた。平成一七年一一月一一日、亡Cは古河赤十字病院を受診し、同年一二月一三日にがん性腹膜炎により死亡した。

亡Cの死後、原告X1らに対し、労働基準法に基づく一時金として一〇二九万六〇〇〇円、遺族特別支給金として三〇〇万円、葬祭料として六二万三八八〇円が支払われた。これらの給付に係る調査において、亡Cの症状については、「石綿曝露もあり、石綿肺があったことにより石綿による腹膜中皮腫とこれを原因とする腹水と考えたい。」とされ、亡Cの職歴や症状に照らせば、被告に就労したことによる業務上災害と認められるとされた。

(ウ) 亡D

亡Dは、被告退職後の昭和六一年六月二四日に肺がんと診断され、昭和六二年一月二八日、肺がん及びこれを原因とする肺炎により死亡した。

平成二〇年九月二五日、原告X3は亡Dについて、石綿健康被害救済法に基づく特別遺族一時金の請求を行った。さいたま労働基準監督署長は、医師等の意見を踏まえた調査の結果、亡Dについて、石綿が原因で死亡したことを示す医学的所見として、CT所見の記載に肺繊維化と胸膜肥厚との記載があること、亡Dが被告において石綿を取り扱う業務に従事していることや他の職歴に照らすと、被告在籍中に石綿に曝露した可能性が高いことなどから、石綿を吸入することにより指定疾病にかかり、当該指定疾病に起因して死亡したと認められるとして、平成二〇年一二月四日、亡Dについて石綿健康被害救済法に基づき特別遺族一時金として一二〇〇万円を支給する旨の決定をした。

(2)  本件元従業員らの死亡と石綿曝露との因果関係について

上記第三(前提事実)、上記(1)(認定事実)及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件元従業員らは、いずれも被告に就労中、亡Bについては約二八年、亡Cについては約一七年、亡Dについては約二三年間という長期間に渡り、いずれも石綿粉じんが発生する職場において、その作業に当たり日常的に多量の石綿粉じんに曝露し、その結果、石綿曝露に起因する疾患(亡Bについては石綿肺、亡Cについては悪性中皮腫、亡Dについては石綿による肺がん。)に罹患して死亡したことが認められる。

上記認定を左右するに足りる証拠はない。

(3)  被告の安全配慮義務違反について

ア 予見可能性について

(ア) 一般に、使用者は、労働契約上労働者に対し労務提供の対価として報酬を支払う義務を負うものであるが、労働契約に付随する義務として、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負うと解されるが、その前提として、労働者の生命及び身体等に危険が発生する恐れがあることについて、使用者に予見可能性があることが必要である。そして、使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである。

上記認定事実によれば、本件元従業員らが被告に就労していた期間は、亡Bについては昭和二一年三月一三日から昭和四九年三月ころまで、亡Cについては昭和四四年一月六日から昭和六一年一月一五日まで、亡Dについては昭和二三年七月から昭和四六年四月までであり、これらの各期間において、被告に予見可能性があったかどうかが問題となる。

(イ) 《証拠省略》によれば、石綿関連事業従事者による石綿関連疾患に罹患(いわゆる職業性曝露)の危険性に関する知見や規制等について、以下の事実が認められる。

a 海外における主な知見等

一九〇六年(明治三九年)、イギリスのマレー医師が、最初の石綿肺を報告し、以後、一九三〇年(昭和五年)のミアウェザーとプライスによる大規模な疫学的調査の実施など、欧米各国で石綿を扱う労働者にじん肺の所見がみられるとの報告が相次いだ。同年にはILOにおいて第一回国際けい肺会議が開催されて石綿肺の危険性が報告され、一九三一年(昭和六年)には、イギリスにおいて「アスベスト産業規制法」が成立した。

また、一九三四年(昭和九年)には、アメリカのリンチとスミスにより、石綿肺に肺がんが合併しやすいことが報告され、一九四三年(昭和一八年)には、ドイツのウェドラーにより石綿肺と悪性中皮腫の関連性が報告された。

このような背景事情の中、アメリカにおいても、一九三八年(昭和一三年)、公衆衛生局が石綿関連産業の従事者が石綿粉じんに曝露することを避けるための措置について勧告し、ドイツにおいても、一九四〇年(昭和一五年)、帝国労働省によって、石綿粉じんの危険がある企業等において採るべき措置についてまとめた「ガイドライン」が発表され、一九四三年(昭和一八年)には、石綿肺を伴う肺がんが労災補償の対象とされた。

b わが国における知見等

(a) 戦前における規制

昭和四年に工場危害予防及び衛生規則が公布、施行されると共に、同年、社会局長官通牒によって工場危害予防及び衛生規則施行標準が発せられ、粉じんの発散場所等において危害を予防するためその排出密閉等の設備を設置することや、そのような場所へ作業員以外の立ち入りを禁止すべきことなどが定められた。また、同年に施行された改正鉱業警察規則においては、粉じんが飛散する坑内作業を行う場合の防じん措置の実施などが義務付けられていた。

(b) 石綿被害に関する報告

昭和一二年ころから、泉南地方の紡織工場の労働者について石綿粉じんの医学的影響についての調査が行われるようになり、昭和一五年には、保険院社会保険局支所長らによる「アスベスト工場における石綿肺の発生状況に関する調査研究」において、泉南地方の一四の紡織工場の労働者六五〇名のうち二五一名のエックス線検査を実施した結果、六五名に石綿肺が、一五名に石綿肺疑いが、二名に石綿肺結核が認められ、上記疾患と労働者らの勤続年数との間に相関関係があることなどが報告された。係る調査は昭和二八年以降も続けられ、昭和三〇年には、労働省のもと「石綿肺の診断基準に関する研究」の共同研究班が組織された。

(c) 労働基準法改正等

昭和二二年に労働基準法が制定され、第五章の「安全及び衛生」に関する規定においては、使用者に対し、粉じんによる危険防止措置や労働者に対する安全衛生教育が義務付けられ、同年に制定された旧労働安全衛生規則においても、労働者に対する健康診断、粉じん職場における粉じん除去のための作業又は施設の改善の努力、粉じん防止のための措置、保護具を備える等の義務が課された。

また、昭和三一年、労働省労働基準局長が「特殊健康診断指導指針について」と題する通達(基発第三〇八号)を出し、けい肺を除くじん肺を起こし、又はそのおそれある粉じんを発散する場所における業務である「石綿又は石綿を含む岩石を掘さくし、破さいし若しくはふるいわける場所における作業又はこれらの物を積み込み、若しくは運搬する作業」や「石綿をときほごす場所における作業」などに従事する労働者に対して、胸部エックス線検査を行うことを使用者の自発的措置として推奨した。

(d) じん肺法(旧じん肺法)

昭和三五年三月三一日、じん肺に関し、適正な予防及び健康管理その他必要な措置を講ずることにより、労働者の健康の保持その他福祉の増進に寄与することを目的とするじん肺法(以下「旧じん肺法」という。)が制定、公布され、同年四月一日、施行された。同法が適用される「粉じん作業」には、「石綿をときほぐし、合剤し、ふきつけし、りゆう綿し、紡糸し、紡織し、積み込み、若しくは積みおろし、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」が含まれるものとされ(じん肺法施行規則別表第一の二三号)、使用者に対して粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めること、常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行うこと、就業時、じん肺健康診断を実施すること、一定のじん肺管理区分決定を受けた者に対する作業転換の促進などが規定された。

(e) 特定化学物質等障害予防規則(旧特化則)

昭和四六年四月二八日、旧特化則が制定、公布された。旧特化則においては、石綿が第二類物質に分類され、一定の除じん装置を有する局所排気装置を設置し、関係者以外の立ち入りを禁止し、常時取り扱う屋内作業場について空気中の濃度測定を半年に一回実施し、休憩室の設置、洗浄設備の設置、呼吸用保護具を備え付けることなどが定められた。

(f) 労働安全衛生法、労働安全衛生法施行令、労働安全衛生規則

昭和四七年六月八日、労働安全衛生法が制定、公布され、同年、労働安全衛生法施行令及び労働安全衛生規則が制定された。

同法令では、事業場における安全委員会等の設置、局所排気装置に係る定期自主検査、職長等に対する安全衛生教育、作業環境の測定、健康管理手帳制度の創設等の義務が定められた。

(g) 特定化学物質等障害予防規則(特化則)

昭和四七年九月三〇日、上記の労働安全衛生法等の施行に伴い、特化則が制定、公布された。石綿に関しては、局所排気装置、除じん装置等の定期自主検査を行い、また石綿を取り扱う屋内作業場においては、石綿等の空気中濃度を測定すること、石綿を取り扱う作業場に関係者以外の者が立ち入ることを禁止しかつその旨を見やすい場所に表示すること、労働者を石綿を常時取り扱う作業に従事させるときは、作業場以外の場所に休憩室を設けることなどが定められた。

(h) 特化則の改正

昭和五〇年九月三〇日、特化則の一部が改正された。これにより、石綿吹き付け作業の原則禁止、記録の保存期間の延長、雇い入れ時又は配置換え時及び六か月に一回ごとの医師による業務の職歴の調査、石綿による咳、痰、息切れ、胸痛等の他覚症状又は自覚症状の既往歴の有無の検査、胸部のエックス線直接撮影による検査を内容とする健康診断の実施義務等が規定された。

(i) 「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進」について」(昭和五一年五月二二日付け基発第四〇八号)

労働省労働基準局長は、上記の特化則の改正に合わせ、関係者に石綿の有害性について周知を図り、もって関係事業場の石綿粉じんによる健康障害の予防措置の徹底を図ることを目的として、都道府県労働基準局長に対し、「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」と題する通達を発した。同通達では、石綿の代替措置の促進(とりわけ青石綿について有害性が著しく高いことから優先的に代替措置を採るよう指導することとされた。)、環気中石綿粉じん濃度について一cm3当たり二繊維(青石綿については一cm3当たり〇・二繊維)以下を目処とするよう指導すること、発散抑制装置の徹底、特殊防じんマスクの併用、石綿作業者の作業着の持ち出しの禁止等による清潔の保持の徹底などに留意するものとされた。

(j) 改正じん肺法

昭和五二年七月一日、改正じん肺法が制定、公布され、昭和五三年三月三一日、施行された。主な改正点は、①じん肺の定義について、従前の「鉱物性粉じんを吸入することによって生じたじん肺」から「粉じんを吸入することによって肺に生じた繊維増殖性変化を主体とする疾病」に拡大すると共に、じん肺に当たる合併症の範囲を「肺結核」から「じん肺と合併した肺結核その他のじん肺の進展経過に応じてじん肺と密接な関係があると認められる一定の疾病」に拡大したこと、②じん肺健康診断によるエックス線写真像と肺機能障害の組合せを基礎とする「健康管理区分」を「じん肺管理区分」とし、区分の内容を従前の四段階から五段階に変更したこと、③健康管理区分の変更に伴い、現に粉じん作業に従事するレントゲン写真有所見者(旧じん肺法の健康管理区分の管理一に相当し、改正じん肺法健康管理区分の管理二に相当する者)全員に対し、定期健康診断の回数が、三年に一回から年に一回に拡大されたこと、④新たに離職時の健康診断が義務付けられたことなどであった。

(k) 粉じん障害防止規則

昭和五四年四月二五日、粉じん障害防止規則が制定され、粉じん作業の態様又は粉じんの発散の程度等に応じて粉じん発生源を密閉する設備、湿潤化のための設備、局所排気装置の設置、全体換気装置若しくは換気装置による換気の実施、労働者に対する特別教育の実施、作業環境測定の実施、防じんマスク等有効な呼吸用保護具の使用等を事業者に義務付けた。

(ウ) 判断

上記認定事実のとおり、海外においては、一九三〇年代から一九四〇年代にかけて石綿関連事業に従事する労働者の石綿曝露と石綿肺、石綿肺と中皮腫等との関連性が指摘され、石綿に関する種々の規制が採られ始めたこと、わが国においても、昭和一二年以降、石綿粉じんの医学的影響についての調査が行われ、昭和一五年には石綿肺と石綿関連事業への就労との関連性が明らかにされたことに加え、これらの所見を背景として、昭和三一年の「特殊健康診断指導指針について」と題する通達において、特殊健康診断が推奨される「有害又は有害のおそれのある主要な作業」に「石綿又は石綿を含む岩石を掘さくし、破さいし若しくはふるいわける場所における作業又はこれらの物を積み込み、若しくは運搬する作業」や「石綿をときほごす場所における作業」などが列記され、石綿粉じんを生じる作業への規制が明確にされたこと、さらに昭和三五年三月に制定されたじん肺法においても、同法が適用される「粉じん作業」として「石綿をときほぐし、合剤し、ふきつけし、りゆう綿し、紡糸し、紡織し、積み込み、若しくは積みおろし、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」と明記され、使用者に対して粉じんの発散の抑制、保護具の使用その他について適切な措置を講ずるよう努めることや常時粉じん作業に従事する労働者に対してじん肺に関する予防及び健康管理のために必要な教育を行うことが義務付けられたことなどの法令の整備状況等にも照らせば、遅くとも旧じん肺法が制定された昭和三五年ころまでには、石綿関連事業の作業員が石綿粉じんに曝露することによりじん肺その他の健康・生命に重大な損害を被る危険性があることについて、被告を含む石綿を取り扱う業界にも知見が確立していたものということができ、被告においても、遅くとも昭和三五年ころまでには、労働者が石綿粉じんに曝露することにより健康被害を生じること、すなわち職業性曝露の危険性についての予見可能性があったというべきである。これと異なる被告の主張は採用することができない。

なお、原告らは、被告が設立された昭和六年ころ、若しくは、遅くとも安全衛生委員会の設置等について言及された労働協約が締結された昭和三三年一一月一〇日ころには、被告に職業性曝露の危険性についての予見可能性があった旨主張する。しかしながら、上記認定事実のとおり、国内において石綿粉じんの医学的影響が調査されるようになったのは昭和一二年ころからであり、原告らが指摘する工場危害予防及び衛生規則施行標準等の戦前の各種法令は、その内容やその後の関連法令の制定経緯等に照らすと、いずれも石綿粉じんを規制の対象としたものとは認め難いから、被告が設立された昭和六年ころに、石綿粉じんによる健康被害について被告に予見可能性があったとは認められない。また、被告が、安全衛生委員会の設置等について言及した労働協約を締結した事実をもって、直ちに上記予見可能性があったということもできない。したがって、昭和三五年ころ以前の時点で、被告に上記予見可能性があったと認めることはできない。

イ 被告の安全配慮義務違反の有無について

上記のとおり、被告においては、昭和三五年ころには、石綿粉じんの曝露により労働者に健康被害が生じることについて予見可能であったのであるから、被告は、同年以降、石綿粉じん曝露により労働者に健康被害が生じないよう配慮すべき義務があったことが認められる。そして、上記で認定・説示した石綿粉じんによる健康被害発生の蓋然性(第三の二「石綿及び石綿関連疾患等について」)、本件元従業員らの作業の内容、及び作業環境(上記(1)イ(ウ)、(エ))、当時の知見や法令等による規制(上記(3)ア(イ))によれば、被告の安全配慮義務の具体的な内容として、①定期的な粉じん測定を行い、それに基づいて作業環境状態を評価する、②石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置を採る、③労働者にマスクを支給し、着用を指導する、④労働者に対し、じん肺や石綿関連疾患のメカニズム、有害性等に関する教育を行う、⑤じん肺健康診断を実施し、その結果を労働者に通知する、⑥労働者に健康被害が生じる恐れがある場合には、配置転換を行ったり、上記義務を果たしても労働者に健康被害が生じることを回避することができない場合には、操業自体を中止するなどの義務があったものと認めるのが相当である。

そこで以下、被告がこれらの義務に違反していたかどうかについて、具体的に検討する。

(ア) 定期的な粉じん測定及び環境評価義務について

被告は、昭和三四年八月には、埼玉県衛生研究所に委託して大宮工場の粉じん・じん埃の測定を行っており、その後も、昭和四六年ころまでは一年に一回、その後は年に二回、粉じん測定を自主的かつ定期的に行っていた旨主張するところ、証人E(以下「E」という。)も、昭和五七年一〇月二八日に被告とa社労働組合(以下単に「労働組合」という。)との間で設置され、E自身も委員を務めていたじん肺問題労使専門委員会(以下「じん肺専門委員会」という。)において、上記事実が確認された旨陳述し、また、被告が調査の結果をまとめたものであるとする平成二一年七月作成の大宮関係時系列一覧表と題する書面(乙A一五。以下単に「時系列一覧表」という。)にも同趣旨の記載がある。他方、証人F(以下「F」という。)は、定期的な粉じん測定が行われるようになったのは、昭和四〇年代後半以降であった旨供述する。

この点、時系列一覧表は、本件訴訟提起後に被告により作成されたものであって、昭和三四年八月ころから粉じん・じん埃の測定が行われたことを裏付ける直接の証拠は存在しない上、測定の方法や内容も明らかではないこと、測定結果の記録やそれに基づく環境評価の結果等に関する資料も証拠として提出されていないことからすれば、時系列一覧表に記載された事実の存在を直ちに認めることはできないし、《証拠省略》によれば、昭和四八年一二月ころ、労働組合から被告に対し、粉じん作業場の粉じん量の測定を常時行うことなどを内容とするじん肺協定案が提出されて、昭和四九年四月には、両者の間でじん肺協定が締結されていること、昭和四八年九月には、大宮工場において粉じん量の自主測定が実施されたことが認められることに照らせば、昭和三四年から被告が適切かつ定期的な粉じん測定及びこれに基づく環境評価を行っていたとは認め難く、この点に関する被告の主張は採用することができない。

したがって、被告が、少なくとも昭和四八年ころ以前に、定期的な粉じん測定及び環境評価を行う義務を尽くしていたとは認められない。

(イ) 石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置を採る義務について

被告は、昭和四〇年ないし昭和四二年にかけて、原料職場のオートメーション化を行い、また、遅くとも昭和三七年以降、各作業場に吸じん装置や集じん機を設置するなど、作業環境整備のための措置を採っていた旨主張する。これに対し、原告らは、原料職場のオートメーション化がなされたのは、昭和五二年ころであり、そのころ、原料職場にも集じん機が設置されたのであって、それまで、被告において石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置は採られていなかった旨主張する。

この点、証人Eは、昭和四〇年ないし四二年ころオートメーション化がなされたと聞いている旨供述し、昭和五九年七月ころに被告により作成された作業環境改善実施状況と題する書面(乙A三七。以下「環境改善実施状況表」という。)や時系列一覧表(乙A一五)にも、仕上げ旋盤職場には昭和三七年から、原料職場には昭和三八年ころから吸じん設備が設置された旨や、昭和四〇年から四二年にかけて、原料職場の設備の合理化(作業環境の改善)がなされた旨の記載がある。もっとも、上記各書面は、被告においてじん肺問題が注目されるようになった後に作成されたものである上、記載の事実を直接裏付ける的確な証拠は存在しないことからすれば、これらに記載された事実を直ちに真実と認めることはできないし、上記一(1)イ(ウ)bで認定したとおり、原料職場の工程の一部がオートメーション化され、集じん機が設置された後も、計量器内部に入って石綿を押し込む作業や、石綿を吹き上げるパイプが度々詰まった場合にはパイプを外して石綿をかき出す作業を行う必要があり、これらの作業において、依然作業員は石綿粉じんに曝露していたこと、その他、上記一(1)イ(ウ)で認定した当時の作業環境に照らせば、被告が、石綿粉じんの発生・飛散の抑制措置を採る義務を尽くしていたとは認められない。

(ウ) マスクの支給及び着用の指導を行う義務について

《証拠省略》によれば、マスクの支給及び着用に関する法令等による規制として、以下の事実が認められる。

すなわち、昭和二二年に制定された旧労働安全衛生規則によれば、石綿を含む粉じんを発生し、衛生上有害な場所における業務において備えるべき労働衛生保護具の中、労働大臣が規格を定めるものについて検定が義務付けられ(一八三条の二)、その規格については、ろじん能力に応じて、第一種マスク及び第二種マスクと規定され(労働衛生保護具検定規則、昭和二五年労働省告示第一九号)、石綿を含む粉じんの吸入を防止する防じんマスクについては、作業場における空気中の粉じん数量に応じて、第一種マスクないし第二種マスクを使用すべきものとされると共に(昭和二六年一月二六日付基発第二四号)、マスクの使用に当たっては、そのろ過材等に付着している粉じんを適時除去し、あるいは、一定の場合に新品と交換させること、予備部分品を常時備付けさせ、できる限り労働者に部分品を携行せしめ、適時作業場で交換できるようにすること、労働者に、マスクの正確な使用方法を理解させ、かつ、実施すること、衛生管理者等をしてマスクを常時点検させること等が指導された(昭和二六年一月一七日付基発第二五号)。また、昭和三〇年には、防じんマスクを高濃度粉じん用と低濃度粉じん用とに分け、それぞれにつき、ろ過材を水にぬらして使用するマスクと水にぬらさないマスクとに分け、さらに、吸気抵抗及びろじん効率に応じて一ないし四種の種別が設けられ(昭和三〇年労働省告示第一号)、粉じんの種類、作業場における空気中の粉じん量、主作業の強度に応じて、選択すべきマスクの種類及び種別が示された(昭和三〇年基発第四九号)。さらに、昭和三七年には、隔離式防じんマスク(重量及び性能に応じ、特級及び一級に区分された。)と、直結式分防じんマスク(重量及び性能に応じ、特級、一級及び二級に区分された。)とに区分するものとされた(昭和三七年労働省告示二六号)。

この点、昭和五九年七月ころに被告において作成された「保護具の支給と使用状況」と題する書面(乙A三六。以下「保護具支給状況表」という。)や時系列一覧表(乙A一五)には、昭和三三年に大宮工場の全従業員へのエステルマスクの支給及び着用の厳守が決定されたこと、昭和三七年には国家検定高濃度第三、四種及び低濃度第一種合格品が採用されたこと、昭和四〇年には国家検定の防じんマスクの等級を特級又は一級とし、原料職場の作業員全員に特級の防じんマスクを、仕上げ職場の作業員に一級ないし二級の防じんマスクを支給することや、防じんマスクの部品を保管し申請者に支給することなどが決定されたこと、昭和四七年には粉じん職場全員に特級マスクが支給されたこと、昭和五八年には特級の防じんマスクを支給することが決定されたことなどが記載されている。

しかしながら、上記各書面は、被告においてじん肺問題が注目されるようになった後に作成されたものである上、記載された事実を直接裏付ける的確な証拠は存在しないことは上記(イ)で説示したのと同様であり、さらに、証人Fは、旋盤加工職場において、昭和三七年ころまでは被告からマスクが支給されたことはなかった旨供述していること、上記各書面の記載どおりの事実が認められるとしても、昭和二六年一月二六日付基発第二四号により、作業場における空気中の粉じん数量に応じて、第一種マスクないし第二種マスクを使用すべきものとされていたところ、昭和三七年までの間、被告において国家検定を受けたマスクが作業員に支給されていたとは認められない上、作業員へのマスクの正確な使用方法の周知やマスクの点検等がなされた事実も認められないこと(この点については、後に詳述する。)に照らせば、被告が、適切なマスクを支給し、着用の指導を行う義務を尽くしていたとは認められない。

(エ) じん肺や石綿関連疾患のメカニズム、有害性等に関する労働者への教育について

被告は、遅くとも昭和三〇年代には、被告工場の各作業員に対して安全及び衛生に関する心得・諸注意事項を取り纒めた手帳(心得帳)を数年に一度配布し、防じんマスク及び保護用具を着用することを義務付け、掃除に関しても打ち水を行うことを指示するなど、職場ごとに安全及び衛生の注意及び義務内容を明記していた旨主張する。しかしながら、被告が提出する心得帳(乙A一三)は、被告の高松工場で配布されたものであるところ、証人Fは、大宮工場において安全衛生に関する手帳が配布されたことがあったが、二、三頁程度のものであり、じん肺に関する記載もなかった旨供述しており、大宮工場において、いつ、どのような内容の手帳等が配布されていたかについては証拠上明らかではないといわざるを得ず、被告が心得帳を配布することにより、大宮工場の作業員に対し、じん肺の有害性や予防策について適切な教育を行っていたとは認められない。

また、《証拠省略》によれば、被告においては、遅くとも昭和三三年までには、定期的に労使による安全衛生委員会が開催され、労働安全衛生措置に関する検討等がされていたことが認められるけれども、その内容、とりわけ、じん肺の有害性やこれを前提とした各種の対策の実効性について、安全衛生委員会においてどのような検討がなされ、安全衛生委員会から作業員に対してどのように周知されていたかについては必ずしも明らかではなく、この点についても、安全衛生委員会が開催されていたことをもって、被告がじん肺の有害性や予防策について適切な教育を行っていたと認めることはできない。

以上に加え、被告は、その他安全及び衛生に関する労働者に対する啓発活動として、遅くとも昭和三五年以降、毎年の全国安全週間及び全国労働衛生週間の際に、安全・衛生関係のスライド上映、安全・衛生の職場パトロールを実施し、さらに、各職場に安全・衛生に関するポスターを配布及び掲示し、標語の募集等をするなど、安全及び衛生に関する労働者の意識の向上及び維持に努め、啓発活動を継続的に実施してきた旨、及び、昭和五五年以降は、粉じん作業特別教育を実施し、大宮工場の作業員に対して粉じんの発生防止対策の方法や粉じんの有害性等についての教育を行っていた旨主張するところ、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

したがって、被告が、じん肺や石綿関連疾患のメカニズム、有害性等について労働者に教育を行う義務を尽くしていたとは認められない。

(オ) じん肺健康診断の実施及びその結果の通知について

《証拠省略》によれば、じん肺健康診断の実施及びその結果の通知に関する法令等による規制として、以下の事実が認められる。

すなわち、昭和三一年五月基発第三〇八号により、①石綿又は石綿を含む岩石を掘さくし、破さいし若しくはふるいわける場所における作業又はこれらの物を積み込み、若しくは運搬する作業、②石綿をときほごす場所における作業、③石綿を混合する場所における作業、④石綿布を織る場所における作業、⑤石綿又は石綿製品を切断し又は研まする場所における作業に従事する者について、特殊健康診断(エックス線直接撮影による胸部の変化の検査)の実施が勧奨された。また、昭和三五年に制定された旧じん肺法において、「石綿をときほぐし、合剤し、ふきつけし、りゆう綿し、紡糸し、紡織し、積み込み、若しくは積みおろし、又は石綿製品を積層し、縫い合わせ、切断し、研まし、仕上げし、若しくは包装する場所における作業」が粉じん作業とされ、これについて、常時粉じん作業に従事する労働者等に対する定期的なじん肺健康診断の実施が義務付けられた。同法において、健康診断の実施頻度は、常時粉じん作業に従事する労働者について、就業時のほか、健康管理の区分が管理二又は三である者については一年に一回、その他の者については三年に一回とされ、また、その内容については、エックス線写真(直接撮影による胸部全域のエックス線写真。)による検査及び粉じん作業についての職歴の調査等を行うものとされた。引き続き、昭和五〇年九月の特化則の改正により、雇い入れ時又は配置換え時及び六か月に一回ごとの、医師による業務の職歴の調査、石綿による咳、痰、息切れ、胸痛等の他覚症状又は自覚症状の既往歴の有無の検査、胸部のエックス線直接撮影による検査を内容とする健康診断(特殊健康診断)の実施が義務付けられた。さらに、昭和五三年三月に施行された改正じん肺法においては、じん肺管理区分(従前の健康管理区分)の変更に伴い、現に粉じん作業に従事するレントゲン写真有所見者全員に対し、定期健康診断の回数が、三年に一回から年に一回に拡大され、また、離職時の健康診断が義務付けられた。さらに、昭和五三年からは、じん肺管理区分に関する決定を書面によって行うことが義務付けられた(昭和五三年四月二八日基発第四七号)。

そして、《証拠省略》によれば、被告においては、遅くとも昭和五〇年九月にはじん肺健康診断が行われていたことが認められるけれども、それ以前から上記法令に則ってじん肺健康診断が行われていたことや、特殊健康診断が行われていたことを裏付ける的確な証拠はなく、被告が、じん肺健康診断の実施及びその結果の通知を行う義務を尽くしていたとは認められない。

(カ) 配置転換及び操業停止義務について

被告が、じん肺健康診断等の結果等に照らし、健康被害が生じうる労働者について配置転換を行ったり、また、そのような措置を採るべき体制を整えていた事実は、証拠上認められない。

したがって、被告が、配置転換及び操業停止義務を尽くしていたとは認められない。

(キ) まとめ

以上認定・説示したところによれば、被告が石綿粉じん曝露により労働者に健康被害が生じないよう配慮すべき義務を尽くしたとは認められない。

ウ 被告の安全配慮義務違反と本件元従業員らの死亡との因果関係

上記イで述べた被告の安全配慮義務違反の内容に加え、上記(2)のとおり、上記期間の本件元従業員らの被告における業務と本件元従業員らの死亡との間に相当因果関係が認められること、被告に予見可能性及び安全配慮義務違反が認められる昭和三五年以降に限っても、亡Bについては約一四年(なお、亡Bの被告における就労期間は約二八年である。)、亡Cについては約一七年(全期間が昭和三五年以降のものである。)、亡Dについては約一二年(なお、亡Dの全就労期間は約二二年である。)という長期間に渡って被告に就労していること、本件元従業員らが罹患した石綿肺、悪性中皮腫、石綿による肺がんは、いずれも石綿の累積曝露量が多いほど発症の危険性は高くなる(あるいは、大量に曝露すると発症する。)とされていること、これらの疾患を生じ得る石綿曝露期間や、曝露から発症までの期間については、未だ不明な部分もあるものの、現段階の知見(第三の二(2))に照らしても、上記期間における本件元従業員らの就労によりそれぞれ石綿関連疾患を発症したと考えることも必ずしも矛盾しないことなどからすれば、被告の安全配慮義務違反と本件元従業員らが石綿関連疾患に罹患して死亡したこととの間に相当因果関係があると認めるのが相当である。

以上によれば、被告は、本件元従業員らの死亡について、安全配慮義務の不履行に基づく責任(債務不履行責任)を負う。

(4)  亡Bらの死亡による原告X1らの固有の慰謝料について

本件元従業員らの死亡に関連して、原告らは、亡B及び亡D自身の死亡慰謝料として各三五〇〇万円のうち原告ら相続分の賠償を求めるのに加えて、原告X1らは、亡Bらの死亡による固有の慰謝料の賠償を求めている。

しかし、亡Bらの死亡による原告X1ら固有の慰謝料については、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係の当事者でない原告X1らにおいて、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係上の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得するものとは解し難いから、原告X1らが、亡Bらの死亡について固有の慰謝料請求権を取得したとは認められない(最高裁昭和五五年一二月一八日第一小法廷判決・民集三四巻七号八八八頁参照。)。

(5)  消滅時効について

ア 消滅時効の起算点

被告が、本件元従業員らの死亡について債務不履行を負うとしても、本件では、亡B及び亡Dの死亡から本件訴訟の提起まで、それぞれ一〇年以上(正確には、亡Bの死亡から少なくとも約三三年六か月、亡Dの死亡から約二一年一〇か月。)が経過しており、被告は、上記損害賠償請求権について消滅時効を援用することから、消滅時効の成否についてまず検討する。

上記のとおり、原告らは、雇用契約上の付随義務としての安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償請求権を行使するものであるところ、同請求権の消滅時効期間は、民法一六七条一項により一〇年とされ、その起算点は、同法一六六条一項により、同損害賠償請求権を行使し得るときであると解される。そして、一般に、安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、その損害が発生したときに成立し、同時にその権利を行使することが法律上可能となるといえるから、本件においては、客観的に損害が発生した時、すなわち本件元従業員らの死亡の時から時効期間が進行するものと解するのが相当である。

この点について、原告らは、行政の調査の結果、本件元従業員らが被告における石綿曝露により死亡したことが判明したときに初めて、原告らは被告に対し損害賠償を請求しうることを知ったのであるから、原告らが行政の調査の結果を知ったとき、すなわち石綿救済法に基づく特別遺族給付金にかかる支給決定を受けたときが消滅時効の起算点となる旨主張する。しかしながら、上記説示のとおり、債務不履行に基づく損害賠償請求権は、権利として成立すればこれを行使する上での法律上の障害はないから、その成立時が消滅時効の起算点になるのであって、権利を行使し得ることを権利者が知らなかった等の事実上の障害は時効の進行を妨げることにはならないというべきである。したがって、原告らの上記主張は採用することができない。

イ 消滅時効の援用が権利の濫用に当たるかどうかについて

原告らは、亡B若しくは亡Dの死亡による上記損害賠償請求権の消滅時効が完成しているとしても、被告においてこれを援用することは権利の濫用に当たり許されない旨主張し、その理由として、原告らが消滅時効期間内に損害賠償請求権を行使することができなかった原因が、被告において、石綿による健康被害等の知見を労働者らに認識・周知・教育しなかったことにある一方、本件元従業員らや原告らにおいて石綿の危険について調査・分析することは不可能であったこと、本件元従業員らに生じた被害は甚大であること、石綿救済法によって、消滅時効の期間内に権利を行使することができなかった被害者についても権利行使が可能とされていることなどを指摘する。

しかしながら、損害賠償請求権の消滅時効の援用が権利の濫用に当たるのは、債権者が、訴え提起その他権利行使や時効中断のための措置を講じることを債務者が妨害等したなど、債務者が消滅時効を援用することが時効援用権について社会的に許容された限界を逸脱するものとみられる場合に限られ、単に、時効にかかる損害賠償請求権の発生原因が悪質であったことや権利侵害が甚大であったことは、時効援用権の行使が濫用に当たることを基礎付ける事実とはならないものといわざるを得ない。

これを本件についてみるに、原告らが主張する事実のうち、被告が石綿による健康被害等の知見を労働者らに認識・周知・教育しなかったことは、被告の安全配慮義務違反を構成する事実ではあっても、これをもって、原告らが、訴え提起その他、権利行使や時効中断のための措置を講じることを妨げたとまではいえないし、本件元従業員らや原告らにおいて石綿の危険について調査・分析することが事実上不可能であったことを考慮しても、これらにより、債務者が消滅時効を援用することが時効援用権について社会的に許容された限界を逸脱するとまではいえない。また、本件元従業員らに生じた被害は甚大であることが、被告による時効援用が濫用に当たることを基礎付ける事実とはならないことも、上記説示のとおりである。さらに、原告らの指摘する石綿救済法の制定についても、同法一条(目的)では、「この法律は、石綿による健康被害の特殊性にかんがみ、石綿による健康被害を受けた者及びその遺族に対し、医療費等を支給するための措置を講ずることにより、石綿による健康被害の迅速な救済を図ることを目的とする。」との趣旨が掲げられ、同法の内容や制定経緯にも照らせば、同法は、石綿関連疾患の潜伏期間が長期に及ぶという特殊性から、労災補償対象者以外の被害者、すなわち、労災補償の受給権の時効期間内に権利行使をしなかった遺族や、労働者の家族や周辺住民についても、国や企業への損害賠償請求権の存否とは無関係に、迅速かつ間隙無く救済する趣旨から一定の給付を認めたものと解されるから、石綿救済法が制定された趣旨・目的に照らして、被告が消滅時効を援用することが同法の趣旨にもとるものであるとは到底判断できない。

ウ まとめ

以上のとおり、亡B及び亡Dの死亡に係る損害賠償請求権については、亡Bについてはその死亡時である昭和五〇年五月八日から、亡Dについてはその死亡時である昭和六二年一月二八日から、それぞれ本件訴訟の提起までに、既に一〇年以上経過しており、被告は、本件訴訟において、消滅時効を援用するとの意思表示をしたから(当裁判所に顕著)、亡B及び亡Dの死亡に係る損害賠償請求権は、いずれも時効により消滅した。

(6)  結論

よって、本件元従業員らの死亡に係る原告らの請求は、その余の点(死亡慰謝料額等)について検討するまでもなく、いずれも理由がない。

二  本件元従業員らの家族の石綿曝露に関する被告の責任(債務不履行責任、不法行為責任)

(1)  認定事実

上記第三(前提事実)、第五の一(1)(認定事実)、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

ア 原告X1らの居住状況等

(ア) 原告X1

a 亡Bらとの同居歴

原告X1は、昭和一七年○月○日、亡Bの長男として出生し、出生時から昭和五〇年に亡Bが死亡するまでの間、亡B及び母と共に○○の自宅に居住していた。また、昭和二一年○月○日に弟(亡Bの二男)の亡Cが生まれてから、昭和五七年五月に亡Cが鷲宮工場への就労に伴い転居するまでの間は、亡Cとも同居していた。

原告X1が亡Bらと同居していた期間のうち、亡Bらが大宮工場に勤務していたのは、亡Bにつき原告X1の出生時である昭和一七年○月○日から亡Bが被告を退社した昭和四九年三月までの約三二年間、亡Cにつき亡Cが被告に就職した昭和四四年一月六日から亡Cが転居した昭和五七年五月までの約一三年間であった。

b 職歴

原告X1は、昭和三四年から四七年までの間、床とガラスの清掃を行う会社に勤務し、昭和五〇年から昭和六三年までの間は、ガソリンスタンドや自動販売機の設置等を行う会社など複数の会社に勤務していた。この間、石綿を扱う職業に就いたことはなかった。

(イ) 原告X2

a 亡Bらとの同居歴

原告X2は、昭和二五年○月○日、亡Bの三男として出生し、昭和五一年まで○○の自宅に居住していた。出生時から亡Bが死亡するまでの間は亡Bらと、その後、原告X2が転居するまでの間は亡Cと○○の自宅で同居していた。

原告X2が亡Bらと同居していた期間のうち、亡Bらが大宮工場に勤務していたは、亡Bにつき原告X2の出生時である昭和二五年○月○日から亡Bが被告を退社した昭和四九年三月までの約二四年間、亡Cにつき亡Cが被告に就職した昭和四四年一月六日から原告X2が転居した昭和五一年までの約七年間であった。

b 職歴等

原告X2は、石綿を扱う職業についたことはない。

(ウ) ○○の自宅

○○の自宅は、大宮工場の南側に面した幅員五mほどの道路(以下「南側道路」という。)を挟んだところにあった。

(エ) 医師による診断結果等

a 原告X1

原告X1は、平成二〇年一月五日、胸膜肥厚斑が認められると診断された。

また、じん肺健康診断結果証明書(甲三四)には、平成二〇年七月二六日に実施されたエックス線写真による検査、肺機能検査、胸部に関する臨床検査が行われた旨、及びその結果、医師意見として「石綿曝露に関する作業歴はありません。家族がエタニットパイプに勤務していたことによる家族曝露に起因する石灰化胸膜プラークと考えられます」との記載がある。

さらに、原告X1は、同年一〇月一一日の石綿健康診断による胸部レントゲン撮影の結果、胸膜肥厚斑、胸膜石灰化と診断された。

b 原告X2

原告X2は、平成二〇年一〇月一一日の石綿健康診断による胸部レントゲン撮影の結果、胸膜肥厚斑と診断された。

イ 胸膜肥厚斑について

胸膜肥厚斑(胸膜プラーク)とは、壁側胸膜に生じる限局的な線維性の肥厚をいい、びまん性胸膜肥厚と異なり、臓側胸膜との癒着を生じない。胸膜肥厚斑は、通常、それ自体が肺機能の低下をもたらすものではないが(石綿救済法上の救済を受けることのできる対象疾患にも指定されていない。)、徐々に胸膜の石灰化を引き起こしたり、広範囲に広がると肺機能低下(拘束性障害)をもたらす場合がある。

胸膜肥厚斑は、過去に石綿曝露があったことを示す重要な医学的所見であるとされる。胸膜肥厚斑は、通常、石綿曝露からおよそ一〇年以上、おおむね一五年ないし三〇年で出現することが知られており、また、曝露から二〇年以内に石灰化胸膜肥厚斑が生じるのはまれであるとされる。胸膜肥厚斑の原因は石綿及びエリオナイト以外にはないとされており、職業性高濃度曝露者のみならず、低濃度曝露者、石綿作業労働者の家族、石綿工場周辺の住民にも認められることがある。

胸膜肥厚斑の所見を有する者は、そうでない者に比べて肺がんや中皮腫の発症リスクが高いという疫学調査がある一方、胸膜肥厚斑の所見は、石綿曝露による肺がん発生の危険が二倍以上に増加するような量の石綿曝露を受けたことを示すものではないとする報告もある。一九九七年(平成九年)のHillerdalの調査では、画像上胸膜肥厚斑が認められる者の発がんの発症リスクは、一・三ないし三・七倍であるとのことであった。また、同人の一九九四年(平成六年)の報告によれば、胸部エックス線写真で明確な胸膜肥厚斑の所見がある集団のうち、胸部エックス線写真で1/0以上の肺の線維化がある集団の肺がんリスクは二・三倍であった。

ウ 原告X1らの石綿曝露状況

(ア) 大宮工場の石綿の取扱い状況等

a 大宮工場の構造等

大宮工場には、工場の西側にある南寄りの門(以下「正門」という。)と、北寄りの門(以下「北門」という。)との二つの門があった。石綿倉庫に原料を運び込む際には、北門からトラックが出入りした。

大宮工場の北側部分には、石綿倉庫、原料職場、製管職場、仕上げ職場等があり、南側部分には、パイプ製品置き場や、事務所、食堂、共同浴場などの建物があった。工場北側部分の建物付近には、旋盤加工職場で出た石綿粉じん(切り粉)や破損した石綿管を置いておく場所があり、風が吹くと山積みにされた石綿粉じんの入った箱から石綿粉じんが舞い上がった。

b 原料職場及び旋盤加工職場

原料職場及び旋盤加工職場における石綿粉じんの飛散状況は、上記第五の一(1)イ(ウ)、(エ)のとおりである。

c 上記以外の作業場等における石綿の粉じん等の飛散状況

(a) 石綿倉庫

石綿倉庫には、石綿の入った麻袋が二〇段ほど積まれており、輸送中に破れた箇所などから石綿粉じんが漏れ、床一面に散乱していた。また、石綿倉庫に搬入された麻袋を置く際にも、大量の粉じんが舞い上がった。

(b) 製管職場

製管作業では、原料職場で混合された石綿、粉状のセメント、水などを製管機で鉄心に巻き付け、油圧を加えながら高圧石綿パイプを作るという作業が行われた。

製管職場では、石綿が付着したフェルトを洗濯したものを天日干しにするという作業も行われ、洗濯後のフェルトを叩くと大量の石綿粉じんが舞っていた。

(c) 鋳物製の継手製品の出荷係

鋳物製の継手製品の出荷係では、石綿を入れていた麻袋を再利用して、その中に製品を入れて出荷するという作業が行われていた。

麻袋の中に石綿が残っている場合には、袋を裏返して石綿を出す必要があり、その際は、相当量の石綿粉じんが舞っていた。

(d) 石綿製の継手製品の出荷係

石綿製の継手製品の出荷係では、旋盤加工職場で掘られた溝に溜まった石綿粉じんを掻き出したり、息を吹きかけたりする作業が行われていた。

また、上記作業は、当初、石綿管と柱と製管職場で使い古したフェルトを用いた壁からなる小屋の中で行われており、フェルトが風で揺れると石綿等が剥げ落ちた。

(e) 検査室

検査室では、原料である石綿や製品の強度試験が行われていた。

石綿の分析のため石綿を綿状にする作業を行わなければならない場合があり、その際は、部屋に換気扇がないため部屋中に解綿した石綿が舞っていた。

また、製品の強度を調べるために石綿管が割れるまで曲げたり圧力を加えたりしたため、割れた際に石綿粉じんが飛散することがあった。

(イ) 大宮工場における浴場や洗濯機の設置等

大宮工場では、遅くとも昭和四一年ころまでには共同浴場が設置された。また、遅くとも昭和四五年ころには、共同浴場のある建物の横に、二台ほどの家庭用洗濯機が設置された。しかし、設置されていた洗濯機では、大宮工場で働く数百人の従業員全員の作業着等を洗濯することは不可能であった。

(ウ) 亡Bらによる作業着等の持ち帰り状況

亡Bは、被告への就労期間を通じて、毎朝、作業着を着用して大宮工場に出勤し、仕事後も、工場に設置された風呂に入浴後、石綿粉じんが付着した作業着を着用したまま○○の自宅に帰宅していた。また、作業で用いたマスクを持ち帰ることも数回あった。帰宅時の亡Bの作業着は、全体に石綿粉じんが付着し、真っ白であった。亡Bは、帰宅すると勝手口の外で作業着を脱ぎ、作業着に付着した石綿粉じんを手で払い落とし、普段着に着替えてから家に入っていた。もっとも、亡Bが払った後も、作業着には石綿粉じんが付着しており、原告X1らの母が手で払っていたこともあった。

亡Bは、洗濯機を購入するまでの間は、作業着をそのまま自宅の廊下に置き、その当日又は翌日に、原告X1らの母が、家の外でたらいで手洗いしていた。洗濯後の洗濯水は、庭にそのまま流されていた。

昭和二八年ころ、○○の自宅に風呂場が設けられ、洗濯機も設置されたことから、その後は、亡Bが持ち帰った作業着は、他の洗い物と一緒に脱衣所の一角に置かれていた。また、持ち帰ったその日に洗濯されない作業着は、洗濯機の上に置かれていた。

亡Cが大宮工場で働くようになった後は、亡Cも石綿粉じんが付着した作業着を持ち帰るようになり、二人分の作業着が自宅に持ち込まれるようになった。

(エ) 原告X1の大宮工場への立ち入り状況

原告X1は、三歳ころから小学生のころまでの間、大宮工場南側の金網が破れた部分から大宮工場内に立ち入り、大宮工場内で遊んでいた。その際、原告X1は、大宮工場内に積まれた石綿管に触るなどしたこともあった。

エ 一般的な石綿の使用状況及び曝露状況について

大気中や周辺の水域に存在している石綿の大部分が、石綿の採鉱、加工、石綿含有材料の劣化や破損の結果生じたものであるとされる。

わが国では、昭和七年ころから、被告が石綿管の生産を行うようになり、戦時中、いったん石綿の輸入が停止されたものの、昭和二四年ころから石綿の輸入が再開され、昭和三〇年ころから石綿を使った建材製品が用いられるようになった。石綿は、熱や摩擦等に強く、耐火性、断熱性、防音性に優れている上、安価であるという性質から、主として建材として用いられ、石綿、セメント、水を一定割合で加えて混合し、建造物に吹き付け施工する吹き付け石綿(混合比は、石綿六〇ないし七〇%、セメント四〇ないし三〇%の割合のものから、石綿〇ないし三〇%、セメント二五ないし四〇%、岩綿四〇ないし七五%程度であった。)、石綿保温材、石綿成形板、石綿管などに使用された。とりわけ、昭和三九年の建設省告示第一六七五号において、一定以上の耐熱性能を有するものとして一定以上の厚さの吹き付け石綿で覆われた建材やアスベスト成型板等が挙げられるなどしたことから、石綿を使用した建材が学校、ビル、その他公共施設などの多くの建造物で利用されるようになった(なお、平成一八年に総務省が公表した調査結果によれば、平成八年度以前に竣工した地方公共団体所有の建築物であって、平成一八年四月一四日までに調査結果が判明したもののうち、三・二%の建築物に石綿が使用され、除去作業等が未処理であるものも一・四%存在した。また、昭和三一年から平成元年までに施工された民間の大規模建築物であって、平成一七年一二月一五日までに調査結果が判明したもののうち、八・六%の建築物に露出してアスベストの吹き付けがされており、指導等による対応がなされていないものも六・九%存在した。)。昭和四九年には、最大の三五万二一一〇トンの石綿が日本に輸入された。

その後、昭和五〇年に、石綿の吹き付け作業が原則禁止され(もっとも、その後用いられるようになった吹き付けロックウールという手法においても、昭和五五年ころまでは石綿が用いられ、その後も、昭和六三年ころまでは、一部の手法で石綿が使用されていた。)、平成七年には発がん性の高い青石綿、茶石綿の製造等が禁止され、平成一六年には白石綿等の石綿を含有する建材等の製造が禁止された。平成一八年九月以降は、代替が困難な一定の製品を除き、石綿及び石綿を重量の〇・一%を超えて含有する製品の製造等が禁止された。これに伴い、石綿の輸入量も、平成一六年には八一六二トンとなり、平成一八年には〇トンとなった。

(2)  安全配慮義務違反について

原告X1らは、被告の従業員が石綿粉じんの付着した作業着等を自宅に持ち帰ることにより、その家族も被告の場所的・時間的な支配を受けることになるのであるから、被告は、その従業員の家族に対しても、労働者との間の雇用契約に付随する義務として、その生命身体の安全に配慮すべき義務がある旨主張する。

しかしながら、いわゆる安全配慮義務とは、労働者が労務提供のため設置する場所、設備若しくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程で労働者の生命及び身体を危険から保護するよう配慮すべき義務をいい、労務提供の過程で使用される作業着等が自宅に持ち帰られることがあるとしても、そのことから直ちに、直接の労働契約の当事者ではない労働者の家族に対する関係でも、労働契約に付随する上記義務が発生すると解することは困難である。

したがって、被告がその従業員の家族である原告X1らに対して安全配慮義務を負うことを前提とした原告X1らの主張・請求(債務不履行に基づく損害賠償請求)は理由がないといわざるをえない。

(3)  不法行為責任について

上記のとおり、被告が、本件元従業員らの家族に対して安全配慮義務を負わないとしても、被告は、その従業員が作業着やマスクを自宅に持ち帰ることにより従業員の家族が石綿粉じんに曝露することや、被告工場周囲に石綿粉じんが飛散し、また、関係者以外の者が被告工場に立ち入ることにより、近隣住民が石綿粉じんに曝露することなどを回避するよう措置を講じるべき一般不法行為上の注意義務を負うべき場合があるというべきである。もっとも、被告がこのような義務を負う前提として、労働者の家族や近隣住民に石綿による健康被害が生じる危険性があることについて、その当時、被告に予見可能性があったことが必要である。

そこで、以下、被告が上記の予見可能性を有していたかどうかについて検討する。

(4)  予見可能性について

ア 上記第五の一(3)ア(イ)(職業性曝露の危険性についての知見や規制等)、《証拠省略》によれば、いわゆる間接曝露の危険性に関する知見や規制等について、以下の事実が認められる。

(ア) 海外における主な知見等について

a ワグナー論文以前の知見

(a) 一九一一年(明治四四年)、粉じん作業場の近隣の労働者も石綿粉じんの危険にさらされているという見解が、コリンズにより発表された。

(b) 英国人医師であるウッド博士とグロイン博士が一九三四年(昭和九年)に行った一〇〇件の石綿肺調査において、約四〇年間石綿工場で事務管理職として働いていた従業員の疾患が報告された。この男性は深刻な肺の傷害(肺尖を除く肺全ての線維化)を患っていた。

(c) 一九三五年(昭和一〇年)には、米国において、三〇年間石綿曝露を受けた石綿工場会計係の「軽度」石綿肺が報告された。

(d) 一九三七年(昭和一二年)、英国石綿工場の元簿記係は、石綿肺による障害を受けたとして米国の石膏会社を告訴した。

(e) 一九四〇年(昭和一五年)、ドイツの石綿工場衛生ガイドラインは、周辺地域に空気を排出する前に、ろ過装置を通すことを工場側に要請した。

(f) 一九四〇年代(昭和一五年ないし昭和二四年)には、カナダ及び英国の記者により、石綿工場の非生産部門の従業員(機械調整者、工場長、部門マネージャー)の石綿肺と肺がんの例が報告された。

(g) 一九四四年(昭和一九年)には、ターナー・アンド・ニューウォール社に対し、男性の衣類や床などアスベストが吹き付けられた素材は、素早く乾くが、粉じんを生じさせる可能性があるという指摘がなされた。

(h) 一九四〇年代半ば、ジョン・マンヴィル社の医師たちは、石綿に職業曝露されたことがない鉱山地域住民数人の胸部エックス線写真に、石綿肺特有の変化があることを発見した。

(i) 一九五〇年(昭和二五年)、ヒューパー博士は、石綿工場やその他の粉じん源のあるヒューム地域では、環境要因による発がんの可能性を「考慮すべきである」と忠告した。また、同年にワシントンで行われた大気汚染会議の中で、ニューズウィーク誌は、一般社会で増加している肺がんと呼吸器系のがんの原因の可能性として、特に石綿や他の発がん物質による大気汚染に関するヒューパー博士の言葉を引用した。

一九五六年(昭和三一年)三月に開催された石綿繊維研究所の会議では、石綿を発がん物質とするヒューパー博士の所見について激しく議論された。そして、同年三月一三日の保険金給付査定者の覚書では、ヒューパー博士の論説が引用され、「石綿工場付近に住むものは誰でも肺がんにかかり得る」などとされた。

b ワグナー論文

一九六〇年(昭和三五年)、ワグナーらが南アフリカ連邦の石綿鉱山地域に異常に多数の悪性中皮腫患者が集積していることを指摘し(甲五四。ワグナー論文。)、同論文は、「The British Journal of Industrial Medicine」に掲載された。

ワグナー論文では、南アフリカ内で過去四年間に認められた三三例の悪性胸膜中皮腫のうち、一九例について職業性の石綿曝露歴が認められ、残りの一四例のうち、石綿曝露が不明の一例を除いては、石綿を産出する鉱山の周辺の出身者あるいは鉱山付近の居住歴のある者であったことが報告された(甲五四・一六頁「び慢性胸膜中皮腫:石綿との関連性」参照。)。

c 石綿の生物学的影響会議及びニューハウス論文

一九六四年(昭和三九年)、ニューヨーク科学アカデミーの主催により石綿の生物学的影響と題する会議が開催された。

この中で、ワグナーは、一九六一年(昭和三六年)末までに認められた八九例の中皮腫のうち、八七例に石綿曝露が認められ、さらにこのうち一六例について職業性の石綿曝露が認められ、残りの七一例は石綿鉱山地区に居住していた者である旨の報告を行った。また、環境曝露の一例として、五歳まで石綿鉱山地区に居住し、石綿鉱滓近くの幼稚園に通い、帰宅途中、石綿鉱滓を滑り降りていた女性が、五五歳で悪性中皮腫に罹患し、この女性と同じ幼稚園に通っていた友人二名も、悪性中皮腫で死亡したとの例を紹介した。

さらに、同会議では、英国のニューハウスらが、英国ロンドン病院における八三例の中皮腫の症例に関する研究を発表し、この発表は、翌年の一九六五年(昭和四〇年)、「The British Journal of Industrial Medicine」に掲載された(甲五四。以下「ニューハウス論文」という。)。ニューハウス論文では、ロンドンで過去五〇年間に検死あるいは生検により中皮腫と診断された八三の症例のうち居住歴等が判明しなかった七例を除く七六例について、三一例には職業性の石綿曝露歴が認められ、残りの四五例のうち九例は石綿労働者の家族であり(家族の石綿曝露歴のうち、最も一般的な履歴が夫の作業着を洗っていたというものであった。)、職業性曝露も家族曝露も確認されなかった三六例のうち、一一例は石綿工場から二分の一マイル以内の場所の居住歴があったことなどが報告された。また、ニューハウス論文では、上記の調査結果等を踏まえ、「職業的な石綿曝露あるいは家庭内における石綿曝露、そのどちらにも中皮腫を引き起こす危険性があることについては疑いのないところである。」とした上で、「石綿工場や、石綿が大量に使われている湾港などの近くの住民に対する危険性を喚起するためにはさらに検証が必要である。」と結論づけられている。

これらの報告及び討議を経て、同会議では、石綿曝露と悪性腫瘍との間に関連性があることなどを内容とする報告と勧告が採択された。

d セリコフ論文

一九七六年(昭和五一年)、セリコフらが、「家庭内石綿曝露による腫瘍のリスク」と題する論文(甲五四。以下「セリコフ論文」という。)において、一九六〇年(昭和三五年)から一九七五年(昭和五〇年)までの間、九か国(英国、米国、カナダ、イタリア、南アフリカ、オーストラリア、東西ドイツ、スコットランド)から、ワグナー論文及びニューハウス論文を含む一七の報告において、合計三七例の家庭内曝露による中皮腫が報告されたことを紹介した。

また、セリコフら自身が行った調査においても、茶石綿(アモサイト)関連の労働者から家庭内曝露を受けた三二六例(曝露期間ごとの内訳は、一年未満の者が一六七例(五〇・六%)、一年以上五年未満の者が一一五例(三二・二%)、五年以上の者が四四例(一三・七%))のうち、エックス線写真の所見により胸膜肥厚症が認められた例が六九例(二一%)、胸膜石灰化が認められた例が一九例(六%)、異常不透明が認められた例が六二例(一九%)あり、これらの異常が一つでも認められる者は、全体の三五%に上ること(ただし、家庭内曝露者全員について、自覚症状は認められなかった。)などが報告された。これらの例を踏まえ、セリコフ論文では、「これらのことから、我々は、産業的原因による深刻な家庭内石綿汚染は一般にすでに、それがX線写真の特徴的な変化という結果をもたらし、多数ではないにしても石綿に関係する腫瘍性の疾病を引き起こしているという結論に達した。」と結論づけられている。

e WHOによる報告

WHOは、一九八六年(昭和六一年)に出版した「アスベスト、その他の天然鉱物繊維」(乙A二)において、「要約及び今後の調査に向けての勧告」をまとめた。そのうち、本件及び間接曝露に関連する主な記載を要約すると、以下のとおりである。

(a) 環境の濃度及び曝露について

農村部における繊維濃度(繊維長五μm以上)は、概して検出限界(一リットルにつき一繊維未満)を下回っており、他方、都市部の大気中における繊維濃度は一リットルにつき一繊維未満ないし一〇繊維であり、それを上回る場合もある。石綿の工業的発生源付近の住宅地域における気中浮遊濃度は都市部の濃度の範囲内か、それよりわずかに高くなることがある。

(b) 健康リスクの評価について

現在のところ、工場若しくは一般住民における過去のアスベスト曝露量の実態は、それを基に、低くなるであろう今後の曝露レベルによる危険性を正確に評価できるほど十分に解明されていない。

職業集団における石綿曝露は、石綿肺、肺がん及び中皮腫を誘発する可能性のある健康被害を及ぼす一方、家庭での接触を持つ人々、石綿を生産あるいは使用している工場の近辺に居住する人々等、準職業性曝露集団においては、中皮腫及び肺がんの危険は、職業集団よりも一般にはるかに低くなっている。また、石綿肺の危険は非常に低い。これらの危険は、制御方法の改善の結果、さらに改善されつつある。

一般住民において、石綿に起因する中皮腫及び肺がんの危険を確実に定量化することはできず、また、危険は、検出不可能なほど低いものであると思われる。

(c) 結論

準職業的グループについては、その中に家族間接触や近隣曝露する人間も含まれるため、一般に中皮腫及び肺がんの危険性は、職業的グループよりずっと低い。この集団では、曝露量と反応の特性づけに必要な曝露データが不足しているため、危険性を評価することは不可能である。石綿肺の危険性は、非常に低い。防止作業が進歩したため、これらの危険性は、さらに減りつつある。

一般住民においては、石綿に帰せられる中皮腫及び肺がんの危険性について信頼できる定量化はできず、恐らくそれは検出できないくらい低いものであろう。一般住民の肺がんの発生においては、喫煙が重要な原因である。石綿肺の危険性は、実質上ゼロである。

上記の内容は、一九八九年(平成元年)、社団法人日本石綿協会の翻訳により、わが国においても紹介された。

f 石綿条約

ILOは、一九八六年(昭和六一年)六月二四日、「石綿の使用における安全に関する条約」(乙A七。以下「石綿条約」という。)を採択した。

石綿条約では、「労働者の個人用衣類が石綿粉じんで汚染される恐れがある場合には、使用者は、国内法令に従い、労働者代表と協議の上、適当な作業衣を提供する。作業衣は、作業場の外で着用してはならない」、「国内法令は、作業衣、特別の保護衣及び個人用保護具を自宅に持ち帰ることを禁止する。」と定められ(一八条一項、三項)、また、「使用者は、国内法及び国内慣行に従い、石綿を含有する廃棄物を関係労働者(石綿の廃棄物を取り扱う者を含む。)又はその企業の付近の住民の健康に対する危険がない方法で処分する。」、「権限のある機関及び使用者は、作業場から発散される石綿粉じんが一般の環境を汚染することを防止するために適当な措置をとる。」などと定められた(一九条一項、二項)。

しかし、わが国は、平成一七年八月一一日に至るまで、上記条約を批准しなかった。

(イ) わが国における知見

a 昭和四七年の研究報告

労働省労働衛生研究所の坂部弘之は、「昭和四七年度環境庁公害研究委託費による石綿の生体影響に関する研究報告」(甲A九九。以下「昭和四七年報告」という。)において、一九七二年(昭和四七年)にフランスで開催された石綿の生物学的影響に関する会議のレビューに沿って、これまでの石綿の生物学的影響に関する種々の研究結果を報告した(もっとも、同報告の「はしがき」部分では、「日本におけるアスベスト問題の研究は著しく立遅れているが、その総説は次の機会に譲りたい。」とされている。)。

昭和四七年報告では、ワグナー論文の内容が詳細に紹介され、「一九五九年迄に、組織学的に胸膜中皮腫と診断された三三人の患者のうち三二人はCape Asbestos産地又はアスベストの産業場使用に関連があったということを立証した。これらの患者の大多数は、実際にアスベストを取り扱う労働に従事したことはなかったが、鉱山や製粉所の近くに居住していた。そして、ある者は幼い小供として、又は一〇代にアスベスト産地を離れていた。最初のバクロから腫瘍発生迄の期間の平均は四〇年であった」などと記載されているほか、生後六週目から離乳するまで母親によって鉱石を積んだ山に連れて行かれた結果中皮腫を発症した例などが紹介された。

また、昭和四七年報告では、「アスベストによる非職業性環境癌」という章も設けられ、同章の冒頭では、ニューハウス論文についても詳しく紹介された。すなわち、「環境性中皮腫の発生が高率にみられたのは、既述のように南阿のクロシドライト鉱区地方であるが、又、Newhouse等の報告でもLondon Hospitalの中皮腫患者八三名中九名が家族がアスベストにバクロしたためにおこり、一一名はアスベスト工場の近辺に居住したことが原因で発症している。この九名について、石綿との関連を追及すると第二〇表のようになる」として、第二〇表において、①姉が石綿工場で紡糸工として働き一九四九年死亡、②姉が紡糸工として働き患者が子供のとき面倒をみた、③夫が数年間ボイラーの外被作業場所に近い船の機関室で数年間労働、④夫がボイラーの外被作業をやり、持ち帰った作業衣の洗濯をした、⑤夫が石綿工場の職長及び管理者をやった、⑥夫が波止場人夫でしばしば白石綿を取り扱った、⑦姉が石綿工場で働き、石綿肺にかかった、⑧娘が五年間石綿工場で働き患者はその作業衣を洗濯、⑨夫は石綿布で客寄の内装をする鉄道の車輛製造、衣服の洗濯、という例が紹介された。また、上記のほか、フランス、ドイツ、オランダ、英国及びアメリカで、造船所の近辺で職業性のものに加えて環境性の中皮腫が認められており、これらは造船所からの大気汚染によると考えられていること、アメリカの若干の州やデンマークでは石綿のスプレーは部分的に禁止されていることなどが報告された上、「しかし乍ら最近におけるアスベストの広範な使用を考えるならば即ちブレーキライニング、フリクション材料、アスベストセメントのようなアスベストを含む製品からのアスベストが大気中に放散することは十分にありうるので、さらに調査が必要である。」と締めくくられている。

b わが国における環境曝露による中皮腫罹患の実例が指摘された例

昭和六二年、文部省の環境科学研究班の調査により、環境曝露により中皮腫に罹患した例がわが国で初めて報告された。これは、石綿を扱う工場の近くに九年間住んでいた主婦が中皮腫に罹患したというものであり、工場から外に排出された大気中の石綿を吸ったことで中皮腫にかかったと考えられると報告された。

c 熊本県松橋地区の石綿鉱山周辺住民に関する調査結果

平成六年三月、明治一五年ころから昭和四五年ころまでの間石綿鉱山及び工場が存在していた熊本県松橋地区において、近隣住民等の健康障害の調査等を行った結果が公表された(乙A二一。以下「平成六年報告」という。)。

これによれば、平成三年ないし平成五年までの松橋町住民受診者のうち九三八人(一七・三%)に胸膜肥厚斑の所見が認められ(ただし、自覚症状を呈する者はおらず、胸膜肥厚斑と関連のある疾病を有している者はいなかった。)、年齢階層が高くなると共に、胸膜肥厚斑の所見者が増加した。胸膜肥厚斑有所見者のうち、石綿職業歴の有る人は、男性三五人、女性二九人で、有所見者の一〇%以下であった(石綿作業歴の有る人の有所見率は、男性六〇・〇%、女性八〇・六%と高率であった。)。また、平成三年ないし平成五年までの検診対象者の肺がんの死亡者は、男性一三名、女性二名であり、この三年間の死亡率・年齢調整死亡率は、県及び周辺市町村の昭和六三年ないし平成四年までの五年間のそれと比較して高率ではなく、同期間に胸膜中皮腫の症例も認められていないとのことであった。

以上のことから、平成六年報告においては、胸膜肥厚斑の主原因は、低濃度の石綿の環境曝露と考えられるが、現時点において、胸膜肥厚斑の所見を有する住民に健康障害を及ぼしている状況はないと考えられると結論付けられている。

d 環境省の事務連絡

環境省環境保健部企画課は、平成一七年七月一五日付けで、各都道府県等地域保健主管部局宛の「石綿(アスベスト)についてQ&A」等の送付及び健康相談に係る情報提供の方法について」と題する事務連絡(乙A三)を発した。

これによれば、「昔、石綿工場の近くに住んでいたことがあるが大丈夫か?」という問いに対し、「昭和三〇年代から四〇年代頃の間に、石綿工場の周辺に居住していた住民の中皮腫の発生については、その実態が明らかではありませんが、わが国で職業曝露以外の石綿曝露により、中皮腫が発症した事例の報告は極めてまれです。」とされている。

e 大阪府・尼崎市・鳥栖市・横浜市・羽島市・奈良県における石綿の健康リスク調査結果の概要

平成二〇年六月に公表された「大阪府・尼崎市・鳥栖市・横浜市・羽島市・奈良県における石綿の健康リスク調査報告の概要」と題する研究報告(甲A六。以下「平成二〇年報告」という。)では、平成一七年六月に石綿取扱い施設周辺の一般住民が石綿を原因とする健康被害を受けているとの報道(いわゆる「クボタショック」)を受けて、環境省が、一般環境を経由した石綿曝露による健康被害の可能性がある上記地域において行った実態調査の結果が報告された。

これによれば、問診や胸部エックス線検査、胸部CT検査の結果、医学的所見(胸水貯留、胸膜肥厚斑、びまん性胸膜肥厚、胸膜腫瘍の疑い、胸膜下曲線様陰影の疑い、肺野の間質影、円形無気肺、肺野の腫瘤状陰影、リンパ節の腫大、その他の所見を指す。この項における以下の記載も同様である。)が認められた例、及びそのうち胸膜肥厚斑が認められた例は以下のとおりであった(なお、平成二〇年報告の調査結果は、対象地域における自治体の広報等を通じて対象者を募集し、調査の趣旨を理解した上で協力に同意した者に対するものであり、石綿取扱い施設があった地域の者が多く受診する傾向にあることから、当該地域における石綿曝露の広がりについては把握できるものの、平成二〇年報告の調査結果をもって、対象地域全体の石綿曝露の実態を疫学的に解析できるものではない旨の注意が付されている。)。

(a) 大阪府泉南地域等

主として家族曝露を受けた三七人のうち、医学的所見が認められた例は一六件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は一一件であった。

職業性曝露及び家族曝露、石綿取扱い施設や吹き付け石綿の事務室等への立入り経験のいずれも認められない者(以下「曝露未確認者」という。)一四三人のうち、医学的所見が認められた例は一〇二件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は二〇件であった。

(b) 尼崎市

主として家族曝露を受けた一五人のうち、医学的所見が認められた例は八件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は四件であった。

曝露未確認者一二八人のうち、医学的所見が認められた例は六六件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は三二件であった。

(c) 鳥栖市

主として家族曝露を受けた二八人のうち、医学的所見が認られた例は一四件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は四件であった。

曝露未確認者四六人のうち、医学的所見が認められた例は一〇件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は三件であった。

(d) 横浜市鶴見区

主として家族曝露を受けた一一人のうち、医学的所見が認められた例は四件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は〇件であった。

曝露未確認者一五五人のうち、医学的所見が認められた例は八八件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は一二件であった。

(e) 羽島市

主として家族曝露を受けた四一人のうち、医学的所見が認められた例は二九件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は一八件であった。

曝露未確認者一六一人のうち、医学的所見が認められた例は一〇三件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は四一件であった。

(f) 奈良県

主として家族曝露を受けた五八人のうち、医学的所見が認められた例は五二件あり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は二三件であった。

曝露未確認者一七〇人のうち、医学的所見が認められた例は一三九件であり、うち胸膜肥厚斑が認められた例は三六件であった。

f 大阪府立公衆衛生研究所による調査

大阪府立公衆衛生研究所の熊谷信二生活環境部長が、石綿関連製品を製造していた建材メーカーの工場周辺の住民を対象に平成二〇年一〇月二七日までに行った疫学調査によれば、上記工場に近く石綿の濃度が最も高い地域において、平成四年以降、日常的に石綿を扱う業務に就労する者を除き、肺がんで死亡した男性が九名おり、これは全国平均の三倍近い数値であった。

(ウ) わが国における法令による規制等

a 特化則の改正

昭和五〇年、石綿吹き付けに従事する労働者の労働安全衛生の見地から、原則として吹き付け石綿作業が禁止された(もっとも、上記二(1)エのとおり、その後、吹付ロックウールに切り替わったものの、昭和五五年ころまでは石綿が混入されており、昭和六三年ころまで一部の工法(湿式)については石綿が混入されていた。)。

b 「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」(労働省労働基準局長・基発第四〇八号。)

労働省労働基準局長は、昭和五一年五月二二日付けで、各都道府県労働局長に宛て、「石綿粉じんによる健康障害予防対策の推進について」(労働省基発第四〇八号。甲A七二。以下「昭和五一年通達」という。)を発した。

これによれば、「環気中における石綿粉じんの抑制」として、「石綿については、特化則において、環気中の石綿粉じん(五μ以上の繊維)濃度を五繊維/cm3以下に抑制するための局所排気装置及び除じん装置等の設置を規定しているが、最近、関係各国において環気中の石綿粉じん濃度の規制を強化しつつある。労働省においても、今後環気中石綿粉じん濃度について検討を加えることとしているが、当面、二繊維/cm3(青石綿にあっては、〇・二繊維/cm3)以下の環気中粉じん濃度を目途とするよう指導すること」、「発散抑制措置の徹底―屋内作業場における石綿粉じんの発散を防止するため、石綿又は石綿製品の製造又は取扱いの作業の実態に応じ、密閉工程の採用、又は適切な除じん装置を付設した局所排気装置を設置させることはもとより、石綿の運搬又はその空容器もしくは石綿製品の運搬等に際しての二次的な発じんによる影響も無視できないので、石綿粉じんが堆積するおそれのある作業床は、少なくとも毎日一回以上水洗により掃除するよう指導すること。」などとされていたほか、「石綿により汚染した作業衣も二次発じんの原因ともなる。また、最近石綿業務に従事する労働者のみならず、当該労働者が着用する作業衣を家庭に持ち込むことによりその家族にまで災わいの及ぶおそれがあることが指摘されている。このため、関係労働者に対しては、専用の作業衣を着用させるとともに、石綿により汚染した作業衣はこれら以外の衣服等から隔離して保管するための設備に保管させ、かつ作業衣に付着した石綿は、粉じんが発散しないよう洗濯により除去するとともに、その持出しは避けるよう指導すること。」などとされていた。

c 石綿条約に対するわが国の態度

上記ア(ア)fのとおり、一九八六年(昭和六一年)にILOにおいて採択された石綿条約について、わが国は、その採択当時これを批准せず、平成一七年八月一一日に至りこれを批准した。

d 大気汚染防止法の改正

平成元年一二月二七日、大気汚染防止法の改正法が施行され(以下「改正大気汚染防止法」という。)、石綿が特定粉じんに指定された。

改正大気汚染防止法は、粉じんのうち、石綿その他の人の健康に係る被害を生じるおそれのある物質を特定粉じんとし、これに伴い、特定粉じんを発生する施設を特定粉じん施設とした上で、特定粉じんの規制措置として、特定粉じん施設の設置等の届出、計画変更命令等、特定粉じんの規制基準の遵守措置、改善命令等、特定粉じんの濃度の測定等を定めた。このような規制により、国は、石綿製品等製造工場等の周辺地域において、当該工場等から排出され、又は飛散する特定粉じんの濃度を一定の水準に抑えることとした。

e 石綿救済法

平成一八年二月一〇日、石綿救済法が制定され、同年三月二七日、施行された。同法は、労災補償対象者以外の被害者、すなわち、労災補償の受給権の時効期間内に権利行使をしなかった遺族や、労働者の家族や周辺住民についても、国や企業への損害賠償請求権の存否とは無関係に、迅速かつ間隙無く救済するという趣旨で制定されたものであり、広く、日本国内において石綿を吸入することにより指定疾病にかかった旨の認定を受けた者を対象とした。また、「指定疾病」とは、中皮腫、気管支又は肺の悪性新生物、著しい呼吸機能障害を伴う石綿肺及び著しい呼吸機能障害を伴うびまん性胸膜肥厚を指し、胸膜肥厚斑の所見があるだけでは、同法の各種給付を受けることはできない。

イ 判断

(ア) 上記認定事実のとおり、石綿による健康被害に関する医学的知見について、海外では、一九一一年(明治四四年)から、研究者や医師らによって石綿の近隣曝露に着目した調査が行われ、近隣曝露による石綿肺や呼吸器系のがん発症の危険性について報告されるようになったこと、特に一九六〇年(昭和三五年)には、ワグナーによって近隣曝露と悪性中皮腫との関連性について大規模な調査が行われたこと、さらに、その後の一九六四年(昭和三九年)のニューハウス論文では、石綿関連労働者である夫の作業着を家で洗濯していた妻について中皮腫が認められた例などが紹介され、家庭内曝露についても中皮腫を引き起こす危険性があると示唆されたことが認められるが、他方、これらの論文が直ちにわが国において紹介されたとは認められないから(昭和四七年報告で紹介されていることは、上記認定事実ア(イ)aのとおりである。)、原告X1らが主張するように、一九六〇年(昭和三五年)にワグナー論文が発表されたことにより、このころから石綿の間接曝露による健康被害の危険性について被告に予見可能となったと認めることはできない。

そして、上記のとおり、わが国においては、昭和四七年報告によって、ワグナー論文やニューハウス論文の内容が詳細に報告されたこと(もっとも、昭和四七年報告の内容は、海外における研究結果の概要を紹介するものにとどまる上、被告がこれらの知見を直ちに認識し、把握できたとも考え難いから、昭和四七年報告をもって、被告に石綿の間接曝露による健康被害の危険性を認識することが可能になったとはいえない。)、昭和五〇年には、特化則の改正により、原則として吹き付け石綿作業が禁止されたこと、昭和五一年五月二二日付けの昭和五一年通達により、環気中における石綿粉じんの抑制措置として濃度基準が設定されると共に、石綿業務従事者が作業衣等を家庭等に持ち込まないよう指導するものとされ、これにより、石綿取扱業を営む被告に対しても、同通達に沿った指導がなされたと推認されることなどからすれば、石綿粉じんの間接曝露による健康被害について、被告においてその予見が可能となったのは、昭和五一年ころ以降と認めるのが相当である。

(イ) なお、この点について、被告は、一九八六年(昭和六一年)のWHOの報告では、家庭での接触を持つ人々、石綿を生産あるいは使用している工場の近辺に居住する人々等においては、中皮腫及び肺がんの危険は、職業集団よりも一般にはるかに低く、また、石綿肺の危険は非常に低いと報告されていたことや、わが国は平成一七年まで石綿条約を批准していなかったこと、わが国で初めて近隣曝露による健康被害の実例について報告されたのは、昭和五八年であることなどから、被告において間接曝露による健康被害について予見可能となったのは、早くとも、学校における吹き付け石綿の問題性が報道され、大気汚染防止法が改正されるなどした昭和六二年ころ以降である旨主張する。

しかしながら、WHOの上記報告は、間接曝露の場合は、職業曝露の場合と比較して、中皮腫及び肺がんの危険がはるかに低いことを指摘しているものの、その危険性自体を否定するものではない。また、上記認定・説示した石綿粉じんの間接曝露による健康被害に関する当時の知見や法令等による規制、とりわけ、昭和五一年通達により、間接曝露により健康被害が生じうることを前提とした規制及び指導がなされていることに照らせば、昭和五八年に初めて間接曝露による中皮腫の発症例が国内で報告されたことや、わが国が平成一七年まで石綿条約を批准しなかったなど、被告が主張する事実は、被告の予見可能性に関する上記判断を左右するものではないというべきである。

(ウ) 以上のとおり、被告が石綿粉じんの間接曝露による健康被害について予見が可能となったのは、早くとも、昭和五一年以降であると認めるのが相当であるから、被告の排出した石綿粉じんに間接曝露した時期が昭和五一年ころまでである原告X2の請求については、被告の義務違反の前提となる予見可能性が認められず、その余の点を検討するまでもなく、理由がない。

(5)  被告の責任の有無

原告X1は、平成二〇年の胸部レントゲン撮影等の結果、胸膜肥厚斑、胸膜石灰化の所見が認められると診断されているところ、出生時である昭和一七年二月三日から大宮工場が閉鎖された昭和五七年までの間大宮工場の近隣に居住し、また、出生後亡Bが被告を退社した昭和四九年三月までの約三二年間は亡Bを介して、亡Cが被告に就職した昭和四四年一月六日から亡Cが転居した昭和五七年五月までの約一三年間は亡Cを介してそれぞれ家庭内曝露を受けていたことや、原告X1が他に石綿を扱う職業に就いたことはないこと、胸膜肥厚斑は、曝露後概ね一五年ないし三〇年で出現し、石綿作業労働者の家族や石綿工場周辺の住民にもみられるとされていること、上記(1)ウ(ア)ないし(ウ)のとおり、大宮工場においては、石綿粉じんの周囲への飛散や家庭内への持込みを防止するための十分な措置が講じられていたとは認め難いこと、原告X1ら以外の大宮工場の労働者の家族にも、胸膜肥厚斑の所見が認められた例が少なからず存在することなどからすれば、原告X1の胸膜肥厚斑が、大宮工場から排出された石綿粉じんに間接曝露したことによって発生したものである可能性は否定しきれない。

しかし、上記のとおり、被告について、間接曝露による健康被害についての予見可能性が認められるのは、早くとも昭和五一年ころ以降であるところ、遅くとも昭和五二年以降は原料職場のオートメーション化及び集じん機の設置等が行われるなど、石綿粉じん飛散防止のための一定の措置が講じられていたことも併せ考えれば、被告が一般不法行為上の注意義務に直ちに違反したとは必ずしもいい難いし、また、仮にこの義務違反行為が認められるとしても、原告X1の胸膜肥厚斑と当該義務違反行為との因果関係を直ちに認めることも困難である(なお、上記(4)アで認定した調査結果によれば、過去に、家庭内曝露期間がごく短期間であっても胸膜肥厚斑の所見が認められた例があることが報告されているが、石綿粉じんの発生状況等は具体的事情により、また、年代が進むにつれて粉じんの飛散防止のための対策も進んだものと解されるから、このことから、直ちに、原告X1においても、昭和五一年以降の間接曝露のみによって胸膜肥厚斑が生じたと認めることは困難である。)。

その上、胸膜肥厚斑は、通常はそれ自体が肺機能の低下をもたらすものではなく、石灰化の進展の程度によっては肺機能が低下する恐れもあるものの、原告X1自身には自覚症状等はなく、現時点で胸膜肥厚斑に起因する症状は認められないこと、胸膜肥厚斑は、過去に石綿曝露があったことを示す重要な医学的所見であり、石綿関連疾患の診断の際の指標となり得るものではあるものの、胸膜肥厚斑の所見を有する母集団の肺がんや中皮腫のリスクの程度についても、一・三倍程度とするものから三・七倍とする調査結果まで存在し、胸膜肥厚斑の存在がどの程度の石綿曝露量を示唆するものであるかは必ずしも明らかではなく、胸膜肥厚斑の所見が認められても、何ら石綿関連疾患を引き起こさないこともあり得ることなどからすれば、胸膜肥厚斑の所見が認められること自体を損害とは認め難いし、胸膜肥厚斑の所見が認められることから、原告X1が石綿関連疾患を発症する蓋然性があり、損害が発生していると現時点で認めることもできない。

(6)  まとめ

以上を総合すると、原告X1らの胸膜肥厚斑を生じたことに係る不法行為に基づく請求については、いずれも理由がないといわざるを得ない。

第六結論

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 片野悟好 裁判官 餘多分宏聡 濵辺麻由)

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