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さいたま地方裁判所 平成21年(わ)1296号 判決 2010年2月01日

主文

被告人両名をそれぞれ懲役4年に処する。

被告人両名に対し,未決勾留日数中各150日をそれぞれその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人両名は,共謀の上,平成21年7月8日午後5時ころ,埼玉県熊谷市ab番地c被告人両名方において,被告人両名の長男である甲に対し,殺意をもって,その頸部にビニール紐(平成22年押第6号符号1)を巻いて絞め付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同人を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目)〔省略〕

(法令の適用)

被告人両名の判示所為は刑法60条,199条に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,被告人両名について,なお犯情を考慮し,同法66条,71条,68条3号を適用して酌量減軽した刑期の範囲内で,被告人両名をそれぞれ懲役4年に処し,同法21条を適用して被告人両名に対し未決勾留日数中各150日をそれぞれその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人両名に負担させないこととする。

(量刑の理由)

第1本件の経緯

1  被害者は,昭和d年e月f日被告人両名(以下「被告人ら」ともいう。)の長男として誕生したが,2歳のころてんかん発作を起こし,その後精神薄弱(知的障害)兼てんかん等と診断されて,養護学校を経て昭和g年h月から,被告人らの自宅近くにあった知的障害者福祉法に基づいて設置され,社会福祉法人が経営する知的障害者の更生施設である「乙」(以下「施設」という。)に入所して,バリ取りなどの軽作業に従事しながら同所で生活していた。

なお,被害者31歳当時の総合所見は中度精神発達遅滞,知能指数は40,精神年齢は7歳2か月であった。

2  施設では,年間3回,各1週間の一時帰宅制度を設けて家族とのふれあいの機会を設けていたが,被害者は毎回3週間程度の一時帰宅を主張して譲らず,その一時帰宅中の旅行,買い物,外泊等をすべて自分の要求通りにすることにこだわり,その要求を拒否すると,被告人らに暴力を振るい暴れるのが常態であった。

3  被告人らは,一時帰宅制度がない他の機関の有無について施設に相談したが,そのような機関は無く,これ以上被害者が暴力を振るえば施設での対応は難しいと回答された。

第2本件犯行の動機,態様

1  平成21年5月に被告人Bは転倒して入院し,医者から自動車の運転を控えるように指示された。被告人B以外に自動車を運転して一時帰宅中の被害者の面倒を見れる者はいなかったので,被告人らは施設で被害者に一時帰宅の中止ないし短縮の説得を試みたが,激高した被害者に暴力を振るわれ,拒否された。

2  施設は,同年7月4日,5日に,被告人らと被害者を交えた一時帰宅についての話合いを提案していたが,被告人らは被害者が翻意する可能性は乏しいと考えた上,被告人Aの体調が不良でもあったことからこれを断り,前途を悲観して被害者を殺して後追い心中をしようと話し合った。なお,施設では被害者を説得して,とりあえず9日間程度の帰宅とすること,暴力を起こしたら短縮されること,被告人らの体調が良ければ延長を検討することを一応承諾させていた。

3  被告人らは,同月8日,被害者と一時帰宅について話し合うとの口実で施設から被害者を自宅に連れ帰り,被害者に睡眠薬を飲ませた後,その首にビニール紐を巻いて被告人らで引っ張り絞め付けるなどして被害者を殺害した。しかし,被告人らは当初の計画どおりに心中することが出来ず,その場で被告人らの長女と施設職員に携帯電話で犯行を告白し,そこから通報を受けた警察官に逮捕された。

第3量刑上特に考慮した事情

1  被害結果の重大性

まず,尊い被害者(当時42歳)の命を奪った点は重大である。

知的障害や病気があることで,人間の尊厳やその人生の可能性が奪われて良いという道理はない。知的障害や病気は何人にも生じ得るものであって,それは本人自身の責任ではないことはもとより,被告人らが負うべき責任でもないことは自明の理である。

2  犯行の動機について

検察官が指摘したように,確かに,施設は一時帰宅について話合いの機会を設けているし,被告人らが一時帰宅を拒否することも可能であったことは証拠上明らかではある。ただ,被告人らが被害者の今回の一時帰宅の負担のみを免れるために短絡的に殺害に及んだのではなく,これまでの約40年間にわたる被告人らの被害者に対する養育の苦労やこれからの被害者の将来に対する漠然とした不安,被告人らの疲労感などが被告人らの行動を決定したと認められる。

けれども,現代の医療水準や施設のより一層の深い配慮によって,被害者が天寿を全うすることが十分期待できたのであるから,被告人らが希望を捨てずに,行政や医療施設などの専門機関,親族及び地域住民等に相談するなどして解決策を探り,被告人らだけで孤立して問題を抱え込まず,被害者に対するこれまでの育児方針や接し方を見つめ直すことが必要かつ可能であったと指摘せざるを得ない。

3  執行猶予の可否について

両弁護人は,被告人らはこれまで被害者に対して目一杯の愛情を注いできたし,被害者に対する愛情があったからこそ自らの手で被害者の命を絶つことを選択したのであって,今後,被告人らが生涯,このような辛く悲しい出来事を忘れることはないし,自らの行った行為を責めつつ被害者の冥福を祈りながら生きていくことこそが二人にとっての償いであることや,被告人らが高齢で健康に優れないことなどの事情を挙げ,被告人らには執行猶予を付すことが妥当であると主張する。確かに,被告人らが,これまでの長年にわたる苦労の末,被害者の一時帰宅の負担に耐えられず,このままでは被害者が施設から追い出されるのではないかとの思いにかられて本件犯行に及んだという被告人らの事情や境遇,被告人らがいずれも高齢の老夫婦で改悛の情が顕著であることや,親族が被告人らの更生に助力を申し出ていることなどの諸事情によれば,被告人らを矯正施設に入れる必要はないとの意見はそれなりに一定の説得力を有すると感じられた。

しかしながら,人を殺してはいけないとの命題を厳しく維持することは同種の事案の再発を防止するために弱者保護の観点から必要不可欠の視点である。特に本件では,被告人らにおいて,施設に対して被告人らの窮状を説明し,今後の対応について強く,明確に相談し続ければ,打開策を見いだすことも十分可能であったであろうにもかかわらず,体調不良を理由に施設との話合いを拒絶するなどして十分な話合いの機会をもたず,心中の選択肢を選択したのは余りに安易かつ身勝手な自己中心的行動であると評価せざるを得ない。本件犯行は,被告人らが,知的障害者である被害者に対する誤った悲観主義や将来に対する不安に囚われて被害者を計画的に殺害したものである。そこで,本件の背景事情をつぶさに検討しても,被告人らを社会内で自力更生させるのが相当と同情できる事案とまでは認められないとの結論に至った。

4  刑期について

ところで,前述のように殺害を正当化することは到底できないものの,長年施設からの一時帰宅の際に受ける被害者の暴力に悩まされ続けてきた被告人らにとっては,仮に今般の一時帰宅をやめさせる,あるいは短縮させるといったことに成功したとしても,一時帰宅は毎年3回ずつ継続的に実施される以上,何ら根本的な解決にはならないのであり,被害者が施設から追い出されてしまうという根拠に乏しい強迫的な観念にも苛まれていたこと,被告人Aが不安神経症等と診断されていたことや,被告人Bがてんかんと診断されて自動車の運転を控えるように医師から指示されていたことなど本件に至る経緯・動機において被告人らに対してそれぞれ酌むべき一端の事情が認められることは動かし難い事実である。また,被告人らの長女や被告人Bの実弟が出廷し,被告人らに対して厳罰を望まず,今後の助力を確約している事実も存する。さらに,被告人らには前科・前歴がなく,長年にわたり善良な一般市民として生活し,本件犯行に至るまでの間,長年懸命に知的障害者である被害者の面倒を見てきたこと,被告人らは当公判廷において被害者に対して申し訳ないことをしたと述べ,落涙するなどしており,心から悔悟・反省していることも明らかである。加えて,被告人らが高齢であり,病気を患っていることなど被告人らにとって有利に斟酌すべき事情も認められる。

第4結論

当裁判所は,以上の一切の事情を総合考慮して,被告人両名に対し,それぞれが本件犯行に関与した犯行の内容について主従をつけることはできず,犯行後の改悛の情についてもほぼ同様であって,その刑の重さに違いを設けることはできず,検察官主張の各犯情を十分考慮した上で,被告人両名に対しそれぞれ主文の刑を科することを相当と判断した次第である。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大谷吉史 裁判官 西野牧子 裁判官 廣瀬仁貴)

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