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さいたま地方裁判所 平成21年(わ)1391号 判決 2010年2月25日

主文

被告人を懲役3年に処する。

この裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予する。

被告人をその猶予の期間中保護観察に付する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,平成21年7月22日午後6時8分ころ,埼玉県越谷市a町b丁目c番地d甲e店において,同店店長A所有のバンセンカッター1個(販売価格2980円,平成22年押第13号符号1)を着衣の中に入れて窃取し,同店駐車場内に駐車しておいた自動車(以下「被告人車両」ともいう。)を運転して同所から逃走しようとした際,同店内の防犯カメラで被告人の窃取を確認して追跡してきた前記Aにおいて,一旦バックして停車した被告人車両の直前を横切って同車両運転席右横に立ち,右手で同車両のフロントガラスなどを押さえて車両の発進を阻止し,被告人を逮捕しようとする行動に出たことから,逮捕を免れるため,同人に対し,アクセルを踏んで同車両を発進させ,加速して右方向に走行させるなどの暴行を加えたため,ピラー部分を押さえながら被告人車両と並走した同人を駐車場の出入口付近で転倒させ,その際,前記暴行により,同人に全治約1週間を要する骨盤打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〔省略〕

(事実認定の補足説明)

第1本件の争点

検察官は,被告人に「事後強盗致傷罪」が成立すると主張し,弁護人は,後記のとおり被告人の認識の内容を争い,「窃盗罪」あるいは「窃盗罪及び傷害罪」が成立するにとどまると主張している。

第2前提となる事実

本件における公判前整理手続の結果,双方に争いがなく,かつ,証拠上明らかに認められる事実は以下のとおりである。

1  被告人が判示の窃盗を行い,被害店舗駐車場に駐車していた被告人車両を運転して同所から逃走しようと運転席に乗り込んだ。

2  被害者が,被告人車両運転席直近右横に立ち,右手でフロントガラスを押さえた時に,被告人車両が発進した。

3  その後,被害者は,右手がフロントガラスからその右横のピラー部分にずれて同部分を押さえた状態で,少なくとも約8.2メートルの間,運転席直近右横を並走した。

4  被告人は,被告人車両を発進させた後,時速約18キロメートルまで車両を加速させ,その間に,右方向にハンドルを切った。

5  被害者は,加速の勢いに振り切られ,体を反転する形で転倒し,左腰部を地面に打ち付け,全治約1週間を要する骨盤打撲の傷害を負った。

6  被告人はそのまま被告人車両で走り去った。

第3被告人の認識の範囲(被告人の暴行の有無)

1  当事者の主張

上記争いのない客観的事実を踏まえ,検察官は,被告人が,上記第2の2及び第2の3の事実関係をいずれも認識していたと主張し,他方,弁護人は,上記被害者の行動のうち,(1)被告人車両発進時に右手でフロントガラスを押さえていたこと,(2)被告人車両発進後に右手でフロントガラス右横のピラー部分を押さえていたこと及び(3)約8.2メートルの間,被告人車両運転席右横を並走していたことについては,被告人は認識していなかったと主張している。

そこで,被告人が上記(1)(2)(3)の事実を認識していたのか否か及びそれを踏まえて被告人に暴行の故意が認められるかどうかが問題となる。

2  当裁判所の判断

(1) 被告人が上記(1)(2)(3)の事実を認識していたのか否か

まず,前提として,被告人が,自分を追い掛けて来た人物が甲の店員であったと認識していたかどうかという点について,被告人は,当公判廷において,はっきりとは分からず曖昧な認識であった旨供述する。

しかしながら,被告人は,本件以前にも十数回被害店舗を訪れており,店員の服装等について十分認識していたものと認められるところ,被告人において,被告人車両をバックして一旦止まった時点で,「甲」のロゴの入った黄色いエプロンを着用した状態で店の方から被告人車両に向かって被告人を追い掛けてきた被害者と目が合い,同人が眼鏡を掛けていたことまで認識していたと供述しており,他に被告人を追い掛けてくる人物や通りすがりの買い物客等もいなかったのであるから,被告人がアクセルを踏んで被告人車両を発進させた時点において,被害者を被害店舗の店員であると認識していたことは優に認められる。

そして,被告人自身,店舗の方から走って来る人物が目に入ったため,「やばい。捕まるかも。」と思った旨供述していることからすると,被告人は,被害店舗の店員である被害者が,被告人を逮捕するために追い掛けて来たと認識していたことも明らかである。

加えて,上記前提となる事実によれば,被告人は,上記のとおりバンセンカッターを万引きした被告人を捕まえようと追い掛けて来た被害者が,被告人車両運転席直近右横に立ち,右手でフロントガラスを押さえている状態で,被告人車両を前方に発進させたほか,駐車場出入口に被告人車両を走行させるためには右方向にハンドルを切る必要があるところ,実際にも若干ではあるが右方向にハンドルを切っている。この状況下では,被告人の運転席から真正面以外全く視野に入らないなどということは運転常識に照らして到底あり得ないことである。

その上,前記認定のとおり,被告人において,被害店舗の店員である被害者が被告人を逮捕するために追い掛けて来ていること及び被害者が被告人車両の前から近づいてきて同車両のすぐ前を横切っていることを認識していたことをも勘案すると,逃走を図る被告人の認識としては,気が動転して冷静さを欠いていたという可能性を考慮してもなお,少なくとも被告人がアクセルを踏んで被告人車両を発進させた時点において,(1)被害者が右手でフロントガラスを押さえていることに気付いていたということは至極当然の事柄であると認められる。

そして,このように,被告人は,上記(1)の事実を認識していたのであるから,その後被害者が加速によって右手がピラー部分へずれてもなお運転席右脇で追いすがっていたこと及び追いすがったのは一瞬ではなく最低でも約8.2メートルという比較的長い距離にも及んでいたことをも勘案すると,被告人において,さらに被害者が(2)被告人車両発進後に右手でフロントガラス右横のピラー部分を押さえていたこと及び(3)約8.2メートルの間,被告人車両運転席右横を並走していたことについても当然認識していたものと認められる。

(2) 被告人の弁解の検討

ア これに対して,被告人は,当公判廷において,店の方から男の人が走ってきて自車の前を横切り,前が空いたので「進める」と思い,ブレーキから足を外したところ,右フロントガラス辺りに手のようなものが見えたが,それも一瞬のことで,その後,さらにアクセルを踏んだときにはもうフロントガラスに手は見えていなかったと主張し,弁護人もこれを踏まえ,上記第3の1(1)の時点において,被告人は被害者が右手でフロントガラスを押さえていることに気付いていなかったと主張するが,一瞬にせよ手のようなものが見えたのであれば,それが突然視界から消えるという弁解自体が不自然不合理であって信用できず,弁護人の主張は採用できない。

イ また,被告人は,当公判廷において,目を合わせたくないという気持ちがあったので,出入口の方を見ていて,男の人の方は見なかったと供述し,弁護人もこれを踏まえ,上記第3の1(2)の時点において,被告人は右をあえて見なかったため,被害者が右手でフロントガラス右横のピラー部分を押さえていたことに気付かなかったと主張する。

確かに,車の正面で被害者から制止されておらず,気が動転して逃走することだけに夢中となった被告人においてあえて追っ手の方を見る余裕がなくこれを避ける心理が生じ得るとも一応考えられよう。しかし,反面では,万引きをして逃げる者の意識としては追って来る被害者の動向を注視する必要が高いことは当然のことであり,追っ手の被害者方向を見る必要性は逃走のためにも必須の事柄である。本件では,被害者が被告人車両のフロントガラスを手で押さえて被告人車両運転席直近の右脇にいる状況で被告人が前述の理由で右方向にハンドルを切っていることにも照らすと,終始右方向を見ないで右折する運転行為は,目をつぶって運転していたというにも等しい自殺行為的な極めて危険な運転となる帰結である。被告人車両は右方向の駐車場出入口に向かい合理的な運行をしていることは,駐車場の防犯カメラの映像からも明らかであり,これらの事情を勘案すると被告人の弁解は極めて不合理であって到底信用できず,弁護人の主張は採用できない。

ウ さらに,被告人は,当公判廷において,体勢を崩した被害者を発見するまで同人が並走していたことに全く気付かなかったと供述し,弁護人もこれを踏まえ,上記第3の1(3)の点についても,同様に被告人が「右をあえて見ない」ことがあり得ることを前提として,防犯カメラに写った被害者の姿勢からして,被告人車両走行中に被害者がピラー部分をつかんで並走していたことに被告人は気付いていなかった旨主張するが,前述のように被告人がアクセルを踏んで被告人車両を発進させた時点で,被告人を追い掛けてきた被害者が至近距離でフロントガラスを押さえていたことを認識していたこと及び緩やかにせよ被告人車両が右方向に進行していることからすれば,並走する被害者が被告人の視界に入らないことは被告人が目でもつぶらない限りおよそ考えがたいのであって,被告人の説明内容は,合理的なものとして理解不能で到底信用できないのであり,この点に関する弁護人の主張も採用できない。

(3) 被告人に暴行の故意が認められるかどうか

以上からすれば,被告人において,上記第3の1(1)(2)(3)の事実をいずれも認識していたこと,ひいては上記第2の2及び第2の3の事実の全てを認識していたことが優に認められる。そして,かかる事実の認識に加え,前述のように万引きをした被告人を被害者が捕まえるべく追って来ていたという事実にも照らすと,被告人において,被害者からの逮捕を免れようとして同人をふりほどくべくアクセルを踏んで車両を発進させるという有形力を行使したものと考えるのが常識に照らして最も合理的であり,被告人の被害者に対する有形力の行使として被告人車両を道具とした暴行の故意も優に認められる。

第4暴行の程度

1  当事者の主張

検察官は,被告人が,上記第2の2及び第2の3の事実を認識した上で被告人車両を発進走行させ,被害者を転倒させた行為は,普通の人であれば逮捕遂行の意思を制圧されるに足りる程度の暴行であると主張し,他方,弁護人は,そもそも被告人の認識を前提にすると,被告人に暴行の故意は認められないが,仮に暴行の故意が認められたとしても,被告人の行為は,これが普通の人であれば逮捕遂行の意思を制圧されるに足りる程度には至っていないと主張する。

そこで,上記で認定したところの被告人が認識していた事実関係を前提に,被告人が車両を発進走行させ,被害者を転倒させた行為は,普通の人であれば逮捕遂行の意思を制圧されるに足りる程度のものといえるかどうかが問題となる。

2  当裁判所の判断

(1) 本件においては,被害者が運転席脇という至近距離でピラー部分に手を掛けて追いすがっているにもかかわらず,アクセルを踏んで,わずか5メートルの間に平均時速約18キロメートルという決して遅くないスピードで車両を発進させている上,さらに被害者が右脇に存在するにもかかわらず,右にハンドルを切って進行している。そして,現に自動車の勢いに振り切られて被害者は転倒し,追跡を断念しているのであって,自動車対生身の人間という圧倒的な力関係をも勘案すると,普通の人であれば逮捕を遂行する意思を制圧されるに足りる程度の暴行であったものと十分評価することができる。

(2) これに対して,弁護人は,前記第3の1(1)(2)(3)の事実を被告人が認識していなかったことを前提として,被告人の行為が強盗罪の「暴行」とはいえない旨主張するが,前述のように,本件においては,被告人において,前記第3の1(1)(2)(3)の事実を認識していたと認められるのであるから,弁護人の主張はその前提を欠き,採用の限りでない。

第5結論

以上のとおり,被告人に事後強盗致傷罪が成立する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法240条前段(238条)に該当するところ,所定刑中有期懲役刑を選択し,なお犯情を考慮し,同法66条,71条,68条3号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役3年に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予し,なお同法25条の2第1項前段を適用して被告人をその猶予の期間中保護観察に付し,訴訟費用については,刑事訴訟法181条1項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

1  本件は,工具を万引きした被告人が,店舗を出て車で逃走しようとした際,店長である被害者に発見され捕まりそうになったことから,被告人車両右側からフロントガラスを押さえるなどして被告人を制止しようとした被害者からの逮捕を免れるべく,車を発進走行させて被害者を転倒させ,同人に全治約1週間を要する傷害を負わせたという事後強盗致傷の事案である。

2  まず被告人は,これまでにも度々出入りしたことのある被害店舗において,他の客がいなくなった隙を見計らい,被害品であるバンセンカッターを手に取り素早くこれを腹に隠し,被害品の代金の支払に十分な所持金を有していたにもかかわらず,比較的低額な他の商品の会計だけを済ませるや,店外に走り出て被害店舗駐車場に駐車していた車に乗り込むという大胆かつ手際の良い方法で窃盗の犯行に及んでいる。本件被害店舗は個人経営で,万引き被害による損害は直接被害者が負うことや,現に本件被害店舗の万引きによる被害金額は,多い月で数万円に上ることなどから,被害店舗において防犯カメラを何台も設置して万引き防止の努力がなされていた結果本件窃盗を発見できた経緯が認められる。

これら本件被害店舗における万引き被害の深刻さを考えれば,一般予防の観点から被告人を厳罰に処するべきであると切望する被害者の声は誠に当然の要望と理解でき,被害者に対して50万円の被害弁償がされたことを過大に評価することは相当でないとも考えられる。

3  そして,防犯カメラで被告人の動きを監視していた被害店舗の店長である被害者が,被告人を逮捕するために被告人に続いて店外に走り出て被告人が乗り込んだ車の運転席右横に立ち,右手をフロントガラスに置くなどして被告人を制止しようとしたところ,被告人は逮捕を免れたいという身勝手な動機に基づき,駐車場出入口方向に向かってハンドルを切り,出入口に向かって被告人車両を発進させた上,時速約18キロメートルまで車両を加速させ,被害者を振り切って駐車場外に出て逃走している。このように被害者が自車の運転席脇という被告人車両の間近に立ち,フロントガラスやピラー部分に手を掛けて追いすがっているにもかかわらず,被害者の立ち位置である右方向にハンドルを切ってアクセルを踏み自動車を走行させる行為は,一歩間違えば相手を転倒させ車輪に巻き込むなど人の生命・身体に対する重大な結果を生じさせかねない危険性の高い行為である。現に,何ら落ち度のない被害者は被告人車両に振り切られて腰から転倒し,全治約1週間を要する骨盤打撲の傷害を負わされている。被害者の感じた憤りや精神的・肉体的苦痛についても軽微ということはできない。

4  以上によれば,被告人の刑事責任には重いものがある。そこで,実刑に処するのが当然との検察官の意見は十分傾聴すべきとも思われた。

他方で,被告人は,逮捕当初は窃盗を否認していたが,その後これを自白するに至り,保釈が許可されるまで約2か月間身柄を拘束されるなどして本件行為の重大性について理解し,法廷で落涙して自己の過ちを後悔している。そのような中で,被告人は,当公判廷において窃盗の犯行及びその他の外形的・客観的な事実関係自体は認め,被害者がフロントガラスやピラー部分を押さえていたことなどの外形的・客観的な事実の認識の有無のみを争った経緯が認められる。そして,証拠上は,被告人が被告人車両を急発進して逃走する際にシートベルトをせず,また駐車場出入口から道路に出る際の一時停止もしていないなど慌てて逃走した状況や逃走までの時間が数秒間と極めて短時間であったこと等から十分に被害者の動向について記憶できなかったとも考えられ,結局,被告人なりに本件犯行当時に認識しているところを率直に述べているにすぎず,ことさら嘘を述べて真摯な反省態度が窺われないとまでは認め難いとの結論に至った。この点に関連して,被告人が被害者の存在を認識しながらあえてアクセルを踏んで車両を発進させた行為についても,前述のとおり危険性の高い行為ではあるものの,被害者に対してこれを狙ってことさら被告人車両を幅寄せして轢くなどの態様で衝突させようとしたものではなく,駐車場出入口に向かって発進する行為の結果として引き起こされたものであると認められた。

また,被告人は,万引きしたことや怪我を負わせたことについて被害者に対して謝罪の言葉を述べ,前記のように50万円を支払い被害者との間で示談が成立したこと,窃盗の被害金額は販売価格2980円であり高額とまではいえないこと,被害品であるバンセンカッターを窃取したのは被告人が仕事中にこれを紛失して必要であったものであるが,当初から盗む目的で被害店舗に赴いたとまでは認められず,その意味で本件万引き行為に計画性は認められないこと,父親が出廷し,今後の被告人の監督を誓っていること,被告人はこれまで少年時の傷害の前歴以外に前科・前歴はなく,とび職人として経済的苦境にありながら一応真面目に稼働してきたもので,事実上の雇い主が出廷し,これまでの被告人の勤務ぶりを評価した上で,今後も被告人に仕事を任せることを誓約していることや被告人が更生可能な若さであることなど被告人のために斟酌すべき有利な事情も存するところである。これら一切の事情を総合考慮すると,被告人の本件犯行の犯情は悪質であるが,本件犯行後の反省の態度,被告人の若さと更生の意欲及び周囲の人々の援護監督を斟酌して,今回に限り専門家の援護の下で,社会内で自力更生する最後の機会を付与することを相当と判断したものである。

よって主文のとおり判決する。

(求刑 懲役6年)

(裁判長裁判官 大谷吉史 裁判官 西野牧子 裁判官 廣瀬仁貴)

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