さいたま地方裁判所 平成21年(わ)1706号 判決 2010年12月03日
主文
被告人を懲役30年に処する。
未決勾留日数中280日をその刑に算入する。
押収してある文化包丁2丁(平成22年押第89号の2及び4)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,
第1平成21年6月11日午後1時ころ,埼玉県春日部市a町b丁目c番地A方(以下「a町の家」ともいう)において,殺意をもって,あらかじめ準備しておいた,刃体の長さが約16.5センチメートル(平成22年押第89号の2は,その刃先が欠損して刃体の長さが約15.7センチメートルになったもの)及び約14.5センチメートル(同号の4は,同様に刃体の長さが約14.3センチメートルになったもの)の文化包丁2丁(以下「本件各包丁」ともいう)で,弟のB(当時37歳)の首及び胸等を多数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,Bを頸胸部鋭器損傷により死亡させて殺害し,
第2上記日時場所において,殺意をもって,本件各包丁で,母親のC(当時72歳)の顔面及び首等を多数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,Cを右内頸動脈損傷による失血により死亡させて殺害したものである。
(証拠の標目)
省略
(争点に対する判断)
第1本件の争点
本件では,判示第1の事実について事実関係に争いはなく,判示第2の事実についても客観的事実に争いはない。争点は以下のとおりである。
1 争点1
判示第2の事実について,被告人に殺意があったか否かである。すなわち,弁護人は,被告人が,Cの存在を明確に認識しないまま無我夢中でBを刺し,その勢いでCを刺してしまったのではないかという疑問が残るから,Cに対する殺意はなかったというべきである旨主張する。
2 争点2
判示第1及び第2の各事実について,被告人が,犯行時,心神耗弱の状態にあったか否かである。すなわち,弁護人は,被告人が,犯行時,強度のうつ状態に陥っていて行動制御能力が著しく減退していた疑いがあるから,心神耗弱の状態にあった旨主張する。
第2争点1について
1 凶器の形状,傷の位置及び程度について
関係証拠によれば,次のような事実が認められる。
(1) 凶器について
本件各包丁は,刃体の長さが約16.5センチメートルと約14.5センチメートル,いずれも先端の鋭利な文化包丁であって,殺傷能力が高いものである。被告人は,普段から本件各包丁を料理に使用していて,その形状,性能をよく承知していたし,犯行に際しても,バッグに入っていた複数の包丁の中から本件各包丁を選んで犯行に用いている。
(2) 傷の位置及び程度について
Cが判示第2の犯行により負った傷の位置及び程度は次のとおりである。
すなわち,顔面,首,頭,背,胸,腹等に多数の刺し傷や切り傷がある。そのうち,死因に関わる傷だけをみても,①首の左側に刺し傷が二つ,②頭の右側から首,顔面にかけて,(a)頭の右側の刺し傷と切り傷,(b)頭の右側から首,そして顔面右にかけての刺し傷と切り傷,(c)首の右側の刺し傷と切り傷,③首の前側の刺し傷があり,いずれも刃の刺し入れが複数回あるものである。①の首の左側の刺し傷の一つは,身体の内部にのどぼとけの骨を傷つけるなどの多数の傷を生じさせている。②の(a)から(c)までの刺し傷と切り傷は,致命傷となったものであって,右内頸動脈を完全に断裂した上,右甲状軟骨を切断したり,頸椎に切り傷の痕を残したりするものである。③の首の前の部分の刺し傷は気管損傷を生じさせているものである。
これらの死因に関わる傷以外にも,主な傷だけでも,④後頭部には,頭蓋骨内に包丁の刃先から欠けた金属片が埋没する刺し傷と切り傷,⑤背の上部左には,左胸の内部へ貫通して肺の上端部分に達する刺し傷,⑥背の上部右には,右胸の内部へ貫通して右胸膜の後面から右肺の後面に達する刺し傷がある。
2 Cに対する殺意の有無について
(1) 上記1に認定した凶器の形状,傷の位置及び程度によれば,被告人は,殺傷能力の高い本件各包丁を用いて,Cの頭,首,背という生命維持に重要な部分を,集中的に多数回にわたり,相当強く突き刺したり,切りつけたりし,いわばめった刺しにしたことが認められる。このような犯行態様からすると,そもそも被告人がCに対する殺意を有していなかったとは考えにくい。
(2) さらに,Cの存在に関する被告人の認識についてみると,上記のようにCの頭,首,背をめった刺しにした被告人が,その相手方であるCの存在を全く認識していなかったとは通常考え難いところである。のみならず,被告人は,犯行から約11分後に110番通報した際,「人を二人殺しました。母と弟です。包丁で。(「刺したのか」と問われて)そうです。(「どこを刺しました」と問われて)いっぱい,いっぱい」などと述べ(甲1),110番通報を受けて犯行から約15分後に現場に臨場した警察官に対しても,「母親と弟を洗面所で,包丁で殺した。母と弟に明日出て行けと言われて,頭にきて殺した」旨述べており(証人D),犯行直後に,Cを突き刺した事実を認識していたことを前提とする言動をしていたのである。そうすると,被告人は,Cの存在を認識した上で,その身体の生命維持に重要な部分を,集中的に多数回にわたり突き刺すなどめった刺しにしたというべきである。
被告人は,当公判廷において,概略「母が止めに入ったかどうかは分からない。Bと目が合った瞬間から記憶がなく,目を合わせた後は,(Bの)右胸に包丁が刺さっている場面等4つの場面しか記憶がない。母に対しては,殺してやろうという気持ちはなく,母を刺した記憶はない」旨述べている。しかし,この供述は,既にみた客観的な犯行態様や犯行直後の被告人の言動と整合していないばかりか,被告人の供述経過に照らしても不自然である。すなわち,被告人は,捜査段階では,「Bを刺したときに止めに入ってきた母の顔や首などを,何も考えずに無我夢中で,持っていた2本の包丁を使って何度も刺し,殺してしまったことは間違いない」旨(乙2)供述する一方で,Bを刺したらなぜかCも倒れていたなどという供述は一切していないのである。被告人の上記公判供述は信用できない。
(3) 以上によれば,被告人は,Cに対して殺意を有していたことが明らかである。弁護人の主張は失当である。
第3争点2について
1 捜査段階において被告人の精神鑑定を行ったE医師は,証人として出廷し,被告人の精神鑑定の結果に関し,概略,次のとおり証言している(なお,以下の説明において,被告人の精神鑑定の経過及び結果を内容とするE医師の証言を「E鑑定」という)。すなわち,被告人は,犯行時,気分変調症による軽度うつ状態にあった。気分変調症は,精神病ではなく,少し落ち込んでいる状態である。被告人は,うつ病とはいえないし,統合失調症や妄想性障害などの重度の精神障害も認めなかった。この状態は,動機形成に一定の影響を与えてはいるものの,その影響は了解可能であって,精神病的なものではない。被告人は,犯行時,弁識能力及び制御能力が著しく減退しているということはなかった。
2 E医師は,大学病院の精神科教授として,専門分野である司法精神医学及び精神病理精神療法学の研究に携わり,豊富な臨床経験を有するとともに,刑事精神鑑定にも約20年間にわたり関わっている。E鑑定は,そのようなE医師が,一件記録を精査し,被告人との間で合計7回にわたる面接及び心理検査を行った上,被告人の実父及び実弟との面談,頭部MRI検査等の被告人に対する精密検査の結果をも踏まえ,国際的な診断基準に基づいて判断したものであって,判断の基礎とした事実に誤りはなく,判断の過程も合理的であるから,十分に信頼できるというべきである。
3 E鑑定によれば,被告人は,犯行時,心神耗弱の前提となる精神の障害が存在せず,弁識能力及び制御能力が著しく減退していることもなかったと認められる。また,①被告人は,a町の家に引っ越した後,Cや従前から折り合いの悪かったBから連日のようにアパートを借りて出て行くように言われ続け,さらには犯行前日に「6月12日には出て行ってもらう」などと言われて,Bに対する怒りや憎しみを募らせ,追い詰められた心境も相俟って犯行に及んでいるのであって(乙2,3,被告人質問),動機が十分に了解可能である,②自分のバッグにある複数の包丁の中から本件各包丁を選び出し,それらを掛け布団で作った壁の中に隠して準備し,Bが2階から降りてくるのを確認して犯行に及ぶなど(乙4,被告人質問),犯行に向けた合理的な行動を取っている,③110番通報の際の会話や臨場した警察官との応答(上記第2の2の(2))に照らせば,犯行直後に適切な行動をしており,犯行時に意識障害や記憶障害がなく,自己の行為の違法性を認識していたことも明らかである,④犯行自体はともかく,その前後の状況やこれまでの長年にわたる経緯について詳細に供述しており(被告人質問),確かな記憶を保持しているなどの事情に照らしても,被告人は,犯行時,弁識能力及び制御能力が著しく減退していなかったことは明らかであり,さらに,上記諸事情は,E鑑定の信頼性を裏付けてもいる。
4 以上の次第で,被告人は,犯行時,完全責任能力を有していたと認められる。弁護人の主張は失当である。
(法令の適用)
罰条
判示各所為 いずれも刑法199条
刑種の選択
判示各罪 いずれも有期懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法45条前段,47条本文,10条(犯情の重い判示第1の罪の刑に法定の加重)
未決勾留日数の算入 刑法21条
没収
押収してある文化包丁2丁(平成22年押第89号の2及び4)
いずれも刑法19条1項2号,2項本文(判示第1の犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しない)
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
本件は,被告人が,殺意をもって,2丁の文化包丁を用い,実弟の首や胸などを多数回突き刺すなどして殺害し(判示第1),その際,同じく殺意をもって,止めに入った実母の顔面や首などを多数回突き刺すなどして殺害した(判示第2)という殺人2件の事案である。
本件の量刑上,当裁判所が最も重視した事情は,被害結果の重大性,犯行の残虐性や凄惨さである。
犯行によりB及びC二人の貴重な生命が奪われている。BやCは,殺害されるほどの落ち度はないにもかかわらず,入り口が一つしかなく逃げ場のない洗面所で被告人から本件各包丁で何度も突き刺されたり,切りつけられたりして,数え切れないほどの刺し傷や切り傷を負わされた挙げ句に息絶えている。突然,被告人から襲いかかられたときのBの驚愕や恐怖感,BやCの絶命するまでの肉体的苦痛の大きさは想像に難くない。Bは,37歳という若さで卒然としてその人生を終わらせられ,Cは,3人の子を育てた後の穏やかな余生を過ごすことができたはずであるのに,長男の被告人が三男のBを2丁の包丁で襲うのを目の当たりにし,それを止めに入ったところ,長男の手にかかってその生涯を閉じなければならなかったのであって,BやCの無念さは察するに余りある。被害結果は極めて重大である。
犯行の態様をみると,被告人は,殺傷能力の高い本件各包丁を両手に1丁ずつ持ち,何ら躊躇することなく,2階から降りてきたBの首や胸などを何度も強く突き刺すなどし,さらに,止めに入ったCの顔面や首なども同様に突き刺すなどしているばかりか,素手のBやCに対して,二人が倒れて動かなくなるまで,一方的かつ執拗に強度の攻撃を加え続けめった刺しにしている。その結果,BやCは,「ギャー,グワー,グギギ,グガガ」などと,言葉にならないうめくような声を上げ続けながら,その場に倒れ絶命しているのである。このように,犯行は,残虐かつ凄惨というほかない。
犯行に至る経緯についてみると,被告人は,犯行の10年以上前から定職に就かず,Cから与えられた2000万円を超える多額の貯金を食い潰しながら東京都練馬区内のアパートで一人暮らしを続けていた。しかし,その金も底を尽き,家賃や生活費などに窮したことから実家に帰ることにし,友人や父親に手伝ってもらいa町の家に引っ越したものの,BやCから連日のように家を出てアパートを借りるよう言われ続け,犯行前日にはBから「追い出すためには何でもする」などと言われたため,Bに対する怒りや憎しみを募らせ,追い詰められた心境も相俟って,犯行に及んだものである。犯行直前の状況をみれば,被告人は,BやCから追い詰められた面があるものの,そもそも長年にわたり無為徒食の生活を続けていなければ,実家に帰る必要が生じなかった可能性が高いし,実家に戻ったにしてもBやCとのトラブルを避けることが可能であったと思われるから,被告人の置かれた状況はいわば自業自得というべきものであって,犯行に至る経緯を被告人に有利に斟酌すべき余地は乏しい。また,例えば父親にすべてを打ち明けてアパートに引っ越す費用を工面してもらうなど,他の解決手段があったにもかかわらず,Bに対する怒りや憎しみの感情,追い詰められた心境に駆られて犯行に及んでいるのであって,短絡的といわざるを得ない。このように,犯行に至る経緯やその動機に酌むべき事情があるとはいえない。
これらによれば,被告人の刑事責任は誠に重大である。
他方,被告人には,次のような酌むべき事情も認められる。すなわち,被告人は,犯行後,直ちに110番通報し,駆け付けた警察官に対して犯罪事実を申告し,自首している。凶器を準備するなどしてはいるものの,判示第1の犯行も計画的とまではいえず,判示第2の犯行は,Cが被告人の予期しない止めに入るという行動に出たことが一因となっており,偶発的なものである。判示第2の犯行の殺意に関して不合理な弁解をしてはいるものの,その余の事実を認めた上,不十分なものとはいえ,被告人なりに反省や被害者らに対する謝罪の言葉を述べている。被害者らの夫や父親でもある被告人の父親が,当公判廷において,「被告人には早く帰ってきてほしい。もう一度a町の家で一緒に暮らしたい。被告人を見守っていく」旨述べている。これまで前科がなく,犯罪とは無縁の生活を送ってきた。
以上の諸事情,とりわけ被害結果の重大性,犯行の残虐性や凄惨さに照らせば,無期懲役刑を選択することも十分にあり得るところではあるものの,上記のような酌むべき事情も認められることから,被告人に対しては,罪一等を減じて有期懲役刑を選択した上,その上限である主文の刑を科すのが相当と判断した次第である。
(求刑 懲役30年 本件各包丁の没収)
(裁判長裁判官 田村眞 裁判官 安藤祥一郎 裁判官 東根正憲)