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さいたま地方裁判所 平成21年(わ)1975号 判決 2009年6月11日

主文

被告人を懲役12年に処する。

未決勾留日数中130日をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,さいたま市a区bc番地d所在の自宅(木造スレート葺2階建居宅,床面積合計約89.43m2。以下「本件居宅」ともいう。)において,妻のA(当時38歳),長女のB(当時16歳)及び長男のC(当時12歳)と同居していた者であるが,日ごろからAとの間で家庭内の問題等につき,けんかになることが多く,Bからも時折,悪態をつかれるなどしてストレスを感じていた。

被告人は,平成20年11月27日午後10時過ぎころ,1階の自室で就寝しようとしたところ,隣室にいたA及びBの笑い声をうるさいと感じてその旨注意したが,Bからは「うるせぇ。」と言い返され,その後,口論となったAからも「死ね。」などと言われたことから,怒りを爆発させた。

そこで,被告人は,本件居宅に火を付けてAを脅かそうと考え,同日午後11時15分ころ,本件居宅が焼損するに至るかもしれないことを認識しながら,あえて,その2階廊下に灯油をまいた上,同廊下の床面に置いたティッシュペーパーに,所携のライターで火を付けたところ,これを見たAが,必死になってその火を消しにかかったので,さらに,本件居宅を焼損させる意思をもって,その1階階段下付近廊下に灯油をまいた上,同ライターで点火した新聞紙を同所に落とすなどして火を放ち,その火を同居宅階段等に燃え移らせ,よって,Aほか2名が現に住居として使用する本件居宅を全焼させて焼損し,その際,逃げ遅れたB及びCを,そのころ,同所において,それぞれ急性一酸化炭素中毒を主体とした広義の火傷死により死亡させるとともに,煙や熱気にまかれるなどして逃げ遅れたAをして,本件居宅2階ベランダから飛び降りさせ,よって,同女に全治約1か月以上を要する右膝背側Ⅱ度熱傷,擦過傷,第2腰椎圧迫骨折,左大腿裂創の傷害を負わせた。

(証拠の標目)

省略

(事実認定の補足説明)

1  争点及び当事者の主張

本件の争点は,本件居宅に放火する故意の有無,すなわち,被告人には本件居宅を焼損させることの認識,認容があったか否かである。

検察官は,本件の犯行態様等から,被告人には上記故意が認められる旨主張する。

これに対し,弁護人は,被告人は,飽くまで自己が立腹していることをAに見せ付けようとして火を付けたにすぎず,本件居宅の壁に少し焦げ目を付けたら,すぐに火を消そうと思っていたものである旨主張し,被告人も,公判廷でこれに沿う供述をしている。

2  客観的な事実関係等からの推認

(1)  2階における放火時の故意

関係各証拠によれば,①被告人は,Aから「死ね。」などと言われて激高し,同女を脅かしてやろうと考えて放火を思い立ったこと,②被告人は,1階から灯油入りのポリタンクを持って2階へ上がり,木造である本件居宅の2階廊下木製床面に1ℓ以上の灯油をまいた上,そこに媒介物としてティッシュペーパーの束を置き,ライターで点火したこと,③その際,被告人は,消火の準備を全くしていなかったこと,④被告人は,灯油に火を付ければガソリンのようにすぐに引火して大きな炎となり,自然鎮火することはないと考えていたこと,⑤被告人は,放火をやめさせようとしたAの制止を振り切ったほか,消火しようとした同女の肩をつかむなどして同女の消火行為を妨害したことが認められ,これらによれば,被告人には,本件居宅を焼損させることの認識,認容があったものと認められる。

もっとも,次に見る1階における放火時とは異なり,被告人は,灯油をまく量を加減していたことなどがうかがわれるから,この段階での放火の故意は,飽くまで未必的なものにとどまっていたと認められる。

(2)  1階における放火時の故意

関係各証拠によれば,①被告人は,2階における放火が,Aの消火行為により不首尾に終わったとみるや,直ちに階下に降りて1階で火を付けることにしたこと,②被告人は,本件居宅1階階段下木製床面に前記ポリタンクを横倒しにして,5ℓ以上の灯油をまいた上,その場から手の届く場所にあった1日分の新聞紙にライターで点火し,速やかにその灯油上に落としたこと,③被告人は,この時にも何ら消火の準備をせず,腰付近の高さまで燃え上がった火を確認しても,その火を消そうとすることなく,その場を立ち去ったことが認められ,これらによれば,被告人に,本件居宅を焼損させる認識,認容があったことが優に認められる。

そして,被告人は,2階で付けた火をAに消されてしまった(ただし,被告人は,Aが完全に消火したことまでは確認していなかった。)ことから,同女に消されないことを考えて急いで1階における放火に及んだというのである。しかも,被告人が壁伝いに炎が腰付近の高さまで上っても,すぐに消火しようとしなかったことも考え合わせれば,この段階では,被告人には,本件居宅を焼損させる確実な状況にあるとの認識,認容,すなわち,放火についての確定的な故意があったものと認められる。

もっとも,被告人は,1階における放火直後,前記ポリタンク内に火種のようなものが浮いているのに気付いて,床面の火が同ポリタンクに燃え移らないよう,その場から同ポリタンクを持って離れているところ,そのわずかの時間に,被告人の予想を超えて火の勢いが急速に強まり,階段部分のいわゆる「煙突効果」もあって,本件居宅が全焼するに至ったものと推認できる。さらに,被告人自身,速やかに119番通報した上,救急隊員の説得にもかかわらず,家族の安否を確かめるまでは現場にとどまって,病院へ行こうとしなかったことなどに照らせば,被告人において,本件居宅を全焼させたり,当時2階にいた家族らの生命身体に直接危害を及ぼす程度にまで焼損させる意図を有していたとは考え難い。とはいえ,これらの事情を考慮しても,前述のように,その犯行態様等から,少なくとも,本件居宅の壁や床が独立燃焼をする程度にまで焼損させるとの認識,認容があったことは明らかである。

3  弁護人の主張について

(1)  弁護人は,被告人は,灯油に火を付けた場合,灯油のみがしばらく燃えた後,床や壁に燃え移ると考えており,その間に消火すればよいと考えていた旨主張するが,被告人は,そもそも消火の準備を一切していない上,引火性の高い燃料である灯油に火を付ければ短時間のうちに周囲に燃え広がることは,専門的知識がなくても容易に想像できる事柄であるから,上記主張は採用できない。

(2)  また,弁護人は,1階における放火時,被告人は,2階で付けた火をAにすぐ消されてしまっていたことから,フローリングに火を付けても容易に消火できるものと考えていたものであり,焼損の認識,認容まではなかった旨主張する。

しかしながら,被告人は,1階における放火に際し,5ℓ以上の灯油が入ったポリタンクを床面に横倒しにし,それをいつ起こしたかも記憶にないほど灯油を多量にまいた上,1日分の新聞紙という相当多量の媒介物に火を付けているのであり,これは2階における放火行為より危険性が高いものであるから,容易に消火できると考えていた旨の被告人供述は到底信用できない。ちなみに,被告人自身,Aにすぐに消されないようにと考えて火を付けたとも述べているのである。弁護人のこの主張も採用できない。

(3)  さらに,弁護人は,被告人が火を付けた動機は,飽くまでAを怖がらせて,自分の怒りを知らせようとしたことであるから,被告人は,壁に少し焦げ目を付ければ十分であると思っていた旨主張する。

しかしながら,被告人及びAの各供述調書(乙6,弁11~13,甲2)によれば,被告人は,日ごろから,家計や子供の教育問題等につき,Aとけんかになって,ののしられたり,Bからも時折,悪態をつかれるなどしてストレスを感じていたこと,本件当日も,翌日の仕事(タクシー乗務)に備えて自室で早く就寝しようとしていた矢先,隣室にいたAとBの笑い声が気に触り,うるさいと注意すると,Bからは「うるせぇ。」と言い返され,その後,Aに対し,2階にあるBの部屋と1階の自室との交換を申し入れても,相手にされず口論となって,Aから「死ね。」と数回言われて激高し,激情に駆られて本件犯行に及んだことが認められる。このような経緯に照らすと,Aを怖がらせることが放火の動機にあったとしても,そのことが,被告人に放火の故意があったと認定することの妨げとなるものではない。

なお,被告人は,当公判廷において,犯行直前のAとの口論は,いつもと変わらない夫婦げんかであり,憤りは感じたものの,殊更激情に駆られたという記憶はなく,たまたま灯油入りのポリタンクが目に入ったので灯油をまいて脅してやろうと思ったなどと供述している。しかしながら,被告人の供述によっても,それまでのAとの口論に際し,刃物等を持ち出してまで脅すようなことはなかったというのであるから,本件に際していつもと変わらない程度の憤りであったとはいえないし,同ポリタンクが目に入っただけで,すぐに火を付けて脅してやろうと発想することなど,通常あり得ないところである。したがって,そのような行動を取っていること自体から,被告人が当時激高していたことを容易に推認できる。被告人の上記公判供述は信用できない。

4  結論

以上によれば,被告人には,本件居宅を焼損させる認識,認容があったことは明らかであり,被告人には本件居宅に対する放火の故意が認められる。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法108条に該当するところ(放火によりB及びCを死亡させた点並びにAに傷害を負わせた点は,現住建造物等放火罪の情状として考慮するにとどめる。),所定刑中有期懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役12年に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中130日をその刑に算入し,訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,妻子らのいる自宅に放火して全焼させ,逃げ遅れた子2名を火傷死させるとともに,妻にも傷害を負わせたという,現住建造物等放火の事案である。

1  被告人の刑事責任を基礎付けるべき事情

(1)  犯行態様は,執ようで,危険かつ悪質なものである。

被告人は,深夜,妻子らが現在する木造住宅で,2階廊下に引火性の高い灯油をまいた上,妻の制止を振り切って火を放ち,これを見た妻が必死の消火行為に出るや,階下に降りて,1階階段下付近廊下に更に大量の灯油をまいて再び火を放っており,犯行態様は執ようである。

しかも,被告人が,本件居宅の1階で放火した際,妻子らは2階にいたものであり,その唯一の避難経路をふさぐような場所への放火は,妻子らの生命や身体の安全への配慮を全く欠いた極めて危険かつ悪質な犯行である。そして,本件では,被告人の意図した範囲を超えて燃え広がったとはいえ,放火による人の生命や身体に対する危険がまさに現実化しているものである。

(2)  結果は極めて重大である。

ア 本件犯行により,被告人の長女及び長男が死亡するという誠に痛ましい結果が生じているところ,当時,自室で就寝していた長男には,何らの落ち度も認められないし,長女も,本件直前,被告人に対して口答えするなどしたものの,このような被害に遭う筋合いは全くなかった。ところが,実父である被告人の犯行により,突如として,共にいまだ十代にして前途ある将来を閉ざされてしまったものである。煙に巻かれた両名が感じたであろう,恐怖心,絶望感,肉体的苦痛は,筆舌に尽くし難いものであったと思料される。

死亡した2人の子の祖父母(被告人の妻の両親)は,将来を楽しみにしていた自慢の孫を突然失って悲嘆に暮れており,被告人に対する厳重処罰を求めているが,その被害感情がしゅん烈であることは十分に理解することができる。

イ また,間一髪で命拾いをした被告人の妻も,直前に被告人と口論になったとはいえ,普段から被告人の糖尿病を気遣うような思いやりも示していたのに,本件犯行により煙に巻かれ,避難のために2階から飛び降りた際の衝撃で重傷を負っている。しかも,妻は,本件犯行後,着の身着のままで逃げることを余儀なくされて,生活の本拠を奪われただけでなく,愛する2人の子を亡くし,家族の思い出深い品々もすべて失っていて,その肉体的苦痛や財産的損害が多大であることはもとより,その悲痛さは察するに余りあり,精神的苦痛も深刻であるが,本件が被告人による放火であるため,火災保険金の支給すら受けられないのである。

ウ さらに,本件犯行により,近隣住宅にも少なからぬ物的損害が生じており,住宅街における放火であったから延焼の可能性も否定できず,発生した公共の危険も大きかったといえる。加えて,本件犯行が,深夜に敢行され,多数の消防隊員等や消防車両が出動しても鎮火までに約2時間40分を要したというのであるから,近隣住民らに与えた恐怖心や不安感も計り知れない。

(3)  身勝手で短絡的な犯行動機に酌量の余地は乏しい。

被告人は,日ごろから,妻や長女から馬鹿にされているように感じていたところ,本件当日,翌日の仕事に備えて自室で早めに就寝しようとした際,隣室にいた妻と長女の笑い声が気に触り,注意したものの,逆に長女から「うるせぇ。」と言い返され,その後,口論となった妻からも「死ね。」などと言われて,怒りを爆発させ,その怒りを妻に見せ付けるために放火を決意したものである。このように,被告人は,一時の感情に任せて見境なく,行為の危険性も深く考えずに,放火という重大な犯罪に及んだものであり,その身勝手かつ短絡的な動機に酌量の余地は乏しい。

2  被告人のために酌むべき事情

(1)  被告人の意図を超えて重大な結果が生じてしまった。

被告人は,本件居宅に放火したものの,家族の生命や身体に直接危害が及ぶほど焼損させるまでの意図は有していなかったところ,本件居宅の構造等の諸条件(いわゆる「煙突効果」等)が重なったこともあって,瞬く間に燃え広がってしまったものである。そのため,被告人は,自分の予想を超える大火となり,自身での消火が不可能と悟るや,すぐに119番通報し,駆け付けた消防隊員を案内するなど,被告人なりに消火活動に協力している。

(2)  犯行に至る経緯や被告人の心情には酌量の余地がないではない。

被告人は,結婚当初から,妻との間でけんかが絶えず,最愛の長女からも悪態をつかれていたものであり,屈辱感と疎外感を感じざるを得ない状況にあったところ,本件当日は,翌日の仕事に備えて早めに就寝しようとしたものの,妻や長女からは気遣ってもらえず,いら立ちを覚えて,妻らのささいではあるが被告人を罵倒するような言動をきっかけに,たまっていたストレスを爆発させて本件犯行に至ったものである。このような犯行に至る経緯や,家族のために懸命に働いていたにもかかわらず,敬意を払われることがないばかりか,馬鹿にされるなどしてストレスをためていた被告人の心情には,酌量の余地がないとはいえない。

(3)  反省し慰謝の努力をしている。

被告人は,本件犯行後,119番通報により駆け付けた消防隊員を介して警察官に対し,自分が灯油をまいて放火したことを申告しており,これは自首したものと評価できる。

そして,被告人は,公判廷では放火の故意等につき一部不合理な弁解をするものの,放火したこと自体については捜査公判を通じて一貫して認めて,子らを死なせてしまったことにつき,真しな反省の態度を示している。また,妻には,慰謝料として退職金の全額(約84万円)を支払うなど,できる限りの慰謝の措置を講じている。

(4)  被告人の身を案じ,支える親族がいる。

被告人の実妹が,法廷で,被告人の社会復帰後には同居してその更生に協力する旨申し出ているほか,焼け残った本件居宅の撤去費用を負担したり,近隣住民への謝罪を行ったりするなど,被告人に代わって事後処理に奔走している。

(5)  その他

被告人は,自分で犯した犯行の結果とはいえ,本件により大切な我が子を失い,一時は自殺も企図するほどの精神的苦痛を負っている。また,被告人は,家族のために真面目に働いてきたものであり,本件当時勤務していたタクシー会社の同僚らが,被告人の寛大な処分を望む旨の嘆願書を提出している。その他,被告人には前科前歴がないこと,糖尿病を患っていることなど,酌むべき事情も認められる。

3  結論

以上みてきたとおり,本件犯行の危険性の大きさ,2名の生命が失われているなどの結果の重大性等に照らすと,被告人の刑事責任は重いといわざるを得ないが,犯行に至る経緯等には酌量の余地がないとはいえないこと,反省し自首もしていること,慰謝の努力をしていることなど酌むべき事情も認められるので,これら諸事情を総合考慮すれば,被告人に対しては,懲役12年に処するのが相当である。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役17年)

(裁判長裁判官 中谷雄二郎 裁判官 松田俊哉 裁判官 岩田瑶子)

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