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さいたま地方裁判所 平成22年(わ)343号 判決 2013年7月18日

主文

被告人を無期懲役及び罰金3000万円に処する。

未決勾留日数中1000日をその懲役刑に算入する。

その罰金を完納することができないときは,金5万円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は,指定暴力団六代目A1組(以下「A1組」という。)若中兼二代目A2一家(以下「A2一家」という。)総長という立場にあったものであるが,A2一家傘下組織である二代目A3連合(以下「A3連合」という。)A4会相談役のCが指定暴力団B1会B2一家(以下「B1会B2一家」という。)B3会幹部のDに殺害されたことから,A2一家として報復し,その威信を保つため,団体であるA2一家において,組織によりB1会B2一家構成員を殺害しようと企て,A2一家若頭兼A3連合会長であるX1(以下「X1」という。),A2一家本部長兼A5会長であるX2,A2一家若頭補佐兼A6組組長であるX3(以下「X3」という。),A2一家若中兼五代目A7一家(以下「A7一家」という。)組長であるX4(以下「X4」という。),A2一家若中兼A7一家若頭補佐兼A8実業組長であるX5(以下「X5」という。),A2一家準幹部兼A9連合若頭であるX6,A3連合若頭補佐兼A10会会長であるX7(以下「X7」という。),A3連合A10会舎弟であるX8(以下「X8」という。),A3連合若中兼A4会会長であるX9(以下「X9」という。),A3連合準幹部兼A4会若頭であるX10(以下「X10」という。)及びA3連合A4会本部長であるX11(以下「X11」という。)らと共謀の上,いずれも法定の除外事由がないのに

第1  平成20年4月1日午前5時30分頃,B1会B2一家B4八代目(以下「B4八代目」という。)本部事務所の建物等が存在し不特定又は多数の者の用に供される場所である埼玉県ふじみ野市ab番地c付近の敷地内において,A2一家の活動として,X4及びX7の指揮命令の下,あらかじめ定められた役割分担に従い,X8及びX10が,B4八代目B5組幹部のE(当時35歳)に対し,殺意をもって,回転弾倉式けん銃2丁で弾丸合計7発を発射し,うち2発を同人の右前胸部等に命中させ,よって,同日午前6時45分頃,同県所沢市de丁目f番地所在のF病院において,同人を右前胸部射創による心・肺損傷により死亡させて殺害し,もっていずれも団体の活動として,組織により,けん銃を発射するとともに人を殺害し

第2  同日午前5時30分頃,前記敷地内において,A2一家の活動として,X4及びX7の指揮命令の下,あらかじめ定められた役割分担に従い,X8及びX10が,回転弾倉式けん銃2丁を,それぞれこれらに適合する実包合計7個と共に携帯して所持し,もって団体の活動として,組織により,けん銃及び適合実包を所持したものである。

(証拠の標目)

(括弧内の番号は,証拠等関係カードの検察官請求の証拠番号を示す)

(省略)

(争点に対する判断)

第1争点

弁護人は,X9,X8,X10及びX11が,共謀の上,Eに対してけん銃を発射して殺害したこと及びけん銃2丁をこれに適合する実包と共に携帯して所持したこと(以下「本件殺害等」という。)は争わないが,被告人による本件殺害等の指示,被告人とX1,X2,X3,X4,X5,X6,X7との間での本件殺害等の共謀を否定し,本件殺害等が団体であるA2一家の活動として組織により行われたものではないとして,被告人の無罪を主張する。

しかし,当裁判所は,関係各証拠によれば,公訴事実は優に認められるものと判断した。以下,その認定の理由について説明する。

なお,以下において,月日は特段の記載がない限り,平成20年のものである。

第2本件関係者等

関係各証拠によれば,A1組の組織及び本件関係者は以下のとおりと認められ,この点は特に弁護人も争わない。

1  A1組は,兵庫県神戸市に主たる事務所を置き,その傘下に2万人を超える構成員が所属する暴力団組織である。A1組は最上位に位置する一次団体であり,その傘下の二次団体が92組織,更にその下位に多数の三次団体,四次団体が所属している。被告人は,A1組の若中(平組員)であった。

2  A2一家は,静岡県静岡市内に本部事務所を置くA1組二次団体の組織であり,その傘下に,A3連合,A7一家,A5会,A6組,A9連合など約26の三次団体があり,構成員は,傘下組織も含めると約500名である。A2一家では,被告人が総長(首領),X1が若頭(首領に次ぐ地位),X2が本部長(若頭に次ぐ地位),X3らが若頭補佐(本部長に次ぐ地位),X4,X5,Y1(以下「Y1」という。),Y2(以下「Y2」という。),Y3(以下「Y3」という。)が若中,X6が準幹部(若中より下の地位)であった。

3  A3連合は,神奈川県横浜市内に本部事務所を置く組織であり,その傘下組織に,A4会,A10会など約13の四次団体があり,構成員は,周辺者も含めると約130名から150名である。A3連合では,X1が会長(首領),Y2が若頭,Y4が本部長(以下「Y4」という。)X7,Y5(以下「Y5」という。),Y6(以下「Y6」という。)らが若頭補佐,Y7(以下「Y7」という。)が舎弟頭補佐,Y8(以下「Y8」という。)が舎弟,X9,Y9(以下「Y9」という。)らが若中,X10らが準幹部であった。

4  A7一家は,静岡県静岡市内に本部事務所を置く組織であり,構成員は,四,五十名ぐらいである。A7一家では,X4が組長(首領),Y10(以下「Y10」という。)が若頭,Y3が本部長,X5及びY1が若頭補佐,Y11(以下「Y11」という。)及びY12(以下「Y12」という。)が幹部(若頭補佐に次ぐ地位)であった。なお,被告人はA7一家の先代組長であった。

5  A4会では,X9が会長,Y13(以下「Y13」という。)が会長代行,X10が若頭,X11が本部長,Cが相談役であり,A10会では,X7が会長,X8が舎弟であった。

第3証言等の信用性評価

1  検察官申請に係る証人の証言について

検察官が,被告人による本件殺害等の指示があったことの立証の柱としたのは,A2一家の構成員ら相互の携帯電話等による通話履歴と,被告人の静岡市内の「本宅」で直接被告人から「返し」(報復の意)の指示を受けたとするX4証言,伊豆の別荘での被告人の言動を見聞きしたY11証言,A2一家本部事務所でX2らの言動等を見聞きしたY12証言,更に,C殺害後,B3会襲撃から本件殺害行為等に至る一連の襲撃に関わったX10証言及び刑訴法227条に基づくX10の裁判官に対する供述調書(甲307。これとX10証言とを併せて「X10の証言」ということもある。),更に,検察官及び弁護人双方申請に係るY10証言及び同人の検察官調書(甲258。刑訴法321条1項2号後段により採用したもの。この検察官調書とY10証言とを併せて「Y10の供述」ということもある。)である。

Y10の供述はひとまず置いて,X10,X4,Y11,Y12の各証言について見ると,X10及びX4が合流した後の行動など,日時・場所で重なる部分はあるものの,それ以外は,全く異なる場面,立場で体験した事柄を内容としており,その性質上,口裏合わせができるようなものではなく,証言を子細に検討しても,そのような形跡もうかがわれない。そして,各証言ともに,A2一家がいわゆる「返し」をするため,被告人以下が一体となってその実現に向けて動いたことを示し,あるいはそれを強くうかがわせる内容となっており,また,証言の間には,直接・間接に符合する部分も含まれており,相互に信用性を補強する関係にあるということも指摘できる。そして,いずれの証人も,その証言内容が,被告人に不利益に働き,被告人を有罪に導く証拠となり得ることを強く自覚し,自らが証言することにより組織からの報復を受けることを懸念しながらも,それまで所属していた暴力団組織との関係を決然として断ち,真実を述べるという姿勢で証言していることが見て取れるものである。しかも,それぞれの証人固有の事情に着目しても,A1組直参組長である被告人を,あえて虚言を述べてまで無実の重罪に陥れなければならないような恨み等を抱いている状況もうかがわれない。当裁判所は,そのような立場にある各証人が,被告人のいる法廷で,緊張感をもって真摯な態度で語る言葉に耳を傾け,その信用性を吟味した結果,いずれも十分に信用できるとの判断に達したものである。また,Y10については,法廷での証言は信用性に乏しい部分もあるが,それと異なる前記検察官調書の内容は十分に信用できるものと判断した。

上記5名の証言等の信用性を肯定した基本的な視点,理由は,以上に述べたところに尽きるが,弁護人の主張等にかんがみ,X10,X4,Y11及びY12の各証言につき,若干付け加えて説明する。

(1) X10の証言について

X10は,A4会の相談役であった仲間のCが刺されてから,A4会の組員らと共に相手組員の所属するB3会事務所に対する襲撃に備え,同事務所の近辺で待機し,けん銃の持ち役(実行犯)を担当し,同事務所のほか,B1会B2一家の関連場所の襲撃に関わり,最終的には,本件殺害等の行為を実行したものである。X10は,この法廷で,暴力団組織から脱退したことを明言した上で,上記一連の事件の経過について具体的な証言をしている。もっとも,上位者の氏名やその者の行動を問われると,「私にも家族がありますから。」との理由により証言を拒絶してはいるが,刑訴法227条の証人尋問で証言した事柄は真実であると述べており,法廷での証言と刑訴法321条1項1号の裁判官面前調書として採用した部分とを併せて証言全体を見ると,正に体験した者でなければ述べ得ない臨場感に富む具体的な内容となっており,事件の経過につき,客観的な電話の通話履歴とも整合する自然な説明がされている。この通話履歴の点は,後にも検討するが,B3会事務所襲撃のため,付近で待機中,A4会会長のX9から電話でけん銃の持ち役となるよう指示を受け,これをいったんは断ったが,上層部から「準幹部に持たせろ。」と言われているというX9の電話での説得によりその任務を引き受けたことなど,その際に生じたためらいの気持ちを交え,当時の緊迫した状況を真に迫った形で具体的に述べており,その後のB3会事務所襲撃に至る準備の状況や,それまでに要した時間的経過の点も含めて,証言の信用性を疑うべき事情は見当たらない。X10は,その後,一連のB3会関連場所への襲撃に失敗し,その間,A3連合若頭補佐のY6からG道の駅で2丁のけん銃を渡されるなどしたこと,X4がHアパート(埼玉県八潮市内にA4会のY14が用意したアパート)に現れた後,「返し」の標的が,B3会とは何ら関わりのない埼玉県内のB1会B2一家の系列組事務所とされたことに気が乗らない部分を感じながらも,X4やX7の指揮の下に本件殺害等に赴いた経過を具体的に述べており,その内容は,基本的に,X4の後記証言内容とも合致する内容となっている。被告人との関係でいえば,X10は,被告人が上部団体であるA2一家の総長であるという以外に直接の関係はなく,また,刑訴法227条の証人尋問が行われた当時,被告人は未だ起訴されていなかったのであり,その証人尋問の時期からしても,ことさら被告人に不利益に供述する事情はなかったというべきである。X10は,四次団体に位置するとはいえ,A4会の若頭で,かつ,上位のA3連合の準幹部の地位にあり,A1組系列に属する構成員として組織の内情をある程度知る立場にあった。X10は,現在のA1組の体制では,上部の了解がなければ「返し」を行ってはいけないとの認識を有しており,それゆえ,上記のとおりB3会事務所の近辺でその指示を待っていた旨を明確に供述している。この供述部分も,Cが刺されてから報復として上記襲撃に至るまでに要した時間的経過,更には,同様の通達の存在をいうX4の証言等とも符合しており,その信用性を疑うべき事情はない。

これに対し,弁護人申請の証人であるA4会会長のX9は,そのような内部の通達の存在を否定し,上部団体から指示なくA4会独自の判断で行動した旨を証言する。しかし,その証言では,A4会の構成員がB3会に対する一連の襲撃を開始するまで数時間も待機していた理由について,合理的な説明がされているとはいえない。また,X9は,刑訴法227条に基づく証人尋問や,X9自身が被告人となった公判では,上位者の関与を認める供述をしていたのに,自身の裁判が終わり,上位者の事件に証人として出廷するようになると,一転して,検察官の脅迫や利益誘導により偽証させられた旨述べ,供述を著しく変遷させていることもうかがわれる。X9がこのようにある時期を境に供述を変遷させている理由についても納得のいく説明がされていないことなどの事情に照らせば,X9は,上部組織からの報復をおそれ,法廷では,上位者の関与を否定する方向へと供述を変遷させているものとしか考えられず,X10の証言と対比し,その供述は信用できるものではない。

以上のとおり,X10の証言の信用性を疑うべき事情はない。

(2) X4証言について

X4は,A7一家四代目の被告人の跡目を継いだ五代目組長であり,本件当時,総長付きとして被告人の側近の立場にあった。その証言内容は,後記第4の2で認定した事実のとおりであるが,3月31日は,被告人がA1組総本部に赴く日であり,「先乗り」として一足早く新幹線で神戸に出立するため,荷物や神戸の別宅の鍵を持って静岡駅近くのホテルに投宿していたものである。そのような中で,同日早朝,X3からのC刺殺の報に接した直後の被告人からの電話で「返し」のため埼玉入りを指示されたものと理解し,X2らA2一家所属の組員らと連絡を取り,被告人の神戸行きに遺漏のないよう引き継ぎ等を行い,配下のY3運転の車で埼玉に向かったことを具体的に証言している。その内容は,通話履歴の流れをごく自然に説明し,Y3の車のETCの利用履歴等からも具体的に裏付けられている(甲227)。X4は,被告人からの上記電話で,怒鳴り声で「行けえ。」と言われたものと聞き取った旨証言し,後にY1の電話で被告人が本宅に来るように言っている旨を告げられたことから,聞き違いをしたのかもしれないとは証言しているが,X4自身のその後の客観的行動から同人が当時そのように被告人の電話の趣旨を理解したことは疑いようがない。また,後記のとおり,被告人→X1→X2→X3の電話連絡の流れの中で,X3からX4を含む11名のA2一家の組員らに対して伝達がされ,その後,X3も含め,ほぼ全員が速やかに埼玉入りをしている状況に照らしても,X4が被告人の言葉を聞き違えたかどうかはともかく,少なくとも,X4が,被告人の意向とは無関係に,弁護人がいうような汚名返上,功名心等から独自の判断で埼玉入りを目指したものでないことは明らかである。東名高速に入り,電波の関係から被告人からの再度の電話(午前5時45分のもの)の内容が聞き取れず,その後,Y1との電話のやりとりから本宅に引き返したという経緯も,それ自体不自然な点はなく,通話履歴からも裏付けられている。被告人及び弁護人は,被告人からの電話が聞き取れなかったのであれば,被告人本人に直接電話をかけ直すのが社会的常識であり,Y1に被告人の意向を確認させたなどというのは虚偽であるなどと指摘する。しかし,被告人からの上記再度の電話の直後にX4がY1に被告人の意向確認を頼んだかどうかという点は,X4証言を見ると,その記憶はやや曖昧である。X4は,一方で,被告人の上記再度の電話の後も埼玉に向かって走行していたところ,本宅入りしたY1からかかってきた電話で被告人が本宅にX4が来るのを待っていることを告げられたため,「おまえ1回確認してくれ。」と被告人の意向確認をY1に求めたという趣旨のことも述べているのである。そうであれば,被告人及び弁護人のいう「社会常識」なるものを前提とするとしても,X4の行動が格別不自然,不合理なものとはいえない。いずれにせよ,結果として,X4は猛速度で高速道路を富士インターから引き返して本宅に寄り,本宅では,被告人自身認めるところでも,X4に対し,その場で何ら同人の行動について咎め立てもしなかったというのであるから,上記の点は,X4の証言の信用性を左右するようなことではない。そして,X4が証言する本宅で被告人から指示を受けたという状況も,臨場感に富むものであり,更に,本宅を出てから直ちに静岡インターを経て東名高速を走行して上京したという時間的経過についても,Y3車のETCの利用履歴等により具体的に裏付けられている。X4は,埼玉入り後,X2,X3らと連絡を取り合い,情報を得てB1会B2一家の系列組事務所の下見を行い,待機場所として用意された三郷市内の介護施設「I」でA2一家のX3ら組員らと落ち合い,埼玉県越谷市内にある居酒屋「J」,HアパートでA3連合の関係者とも合流し,最終的に本件殺害等の目的を遂げ,その旨X2に報告した一連の経過等についても詳細に証言しているが,これもX2との間の3月31日早朝から翌朝までの約1日間で48回に及ぶ電話,X3との間でも47回に及ぶ電話の各通話履歴等により裏付けられている上,前記のX10の証言のほか,後記のY12証言,更に,前記のY10の検察官調書の内容とも符合している。

さらに,X4が逮捕されてからの供述の経過を見ても,X4は,当初否認を貫徹していたが,被告人が逮捕された後,悩んだ末に暴力団に対する嫌気等も生じ,上記事実関係を捜査官に供述し,刑訴法227条の証人尋問にも応じ,本件の公判でも,真実を語ることによる組織的な報復を想定して死をも覚悟しているという趣旨のことを述べて真摯な態度で,同人によれば,刑訴法227条での証人尋問で証言したことと同旨,あるいはそれ以上のことを法廷で語っているというのであって,このような供述の経過,更に,既にX4自身は,判決が確定して受刑中であり,本件の証言の時点で,ことさらに虚偽供述をして被告人を罪に陥れなければならない理由も見出せないことからすれば,その信用性を疑うべき点は全くないのである。

なお,X4は,検察官及び警察官の取調べにおいて他の共犯者が取調べで供述した内容等を告げられるなどしたことがあった旨証言している。しかし,他方で,X4は,自らの裁判で開示を受けた証拠と検察官等から告げられた共犯者の供述状況等との間に異なる点はなく,不当な誘導はなかったことも明言している。したがって,X4が捜査官から不当な誘導を受け,その描いた構図に乗って虚偽供述をしているなどといった形跡はない。被告人は,X4は,A7一家組長という立場にありながら,本件の前年に被告人の叱責を受けて逃げ出したことがあり,A2一家内で信頼を失墜していたなどと供述し,それを受けて弁護人は,X4は汚名返上等のため,被告人に無断で埼玉入りをし,総長付きという分を弁えることなく暴走して襲撃に参加したなどと主張し,本宅で被告人から「返し」の指示を受けたとするX4証言は虚偽であり,いったん虚偽の供述をした者は,嘘つきと思われたくないために目的が実現するまで虚偽供述を貫徹するものであるから,X4は,そのようにして公判でも虚偽供述を維持しているなどと主張する。しかし,後記のとおり,被告人が弁解するところを前提としても,X4が,神戸に先乗りするという当日の重要な任務を放棄し,埼玉入りを目指していたとしか考えられない状況下において,被告人は,本宅に来たX4に対し,何らの追及もせず,暇を与えたというのであって,その弁解自体,相当に不自然,不合理な内容というべきである。X4証言の信用性については,既に検討したとおりであって,弁護人がいうような経験則がX4に妥当するとも考え難く,結局,弁護人の主張は採りえないものである。

以上のとおり,X4の証言の信用性は極めて高い。

(3) Y11証言について

Y11は,A7一家の組員で,長く被告人のそばで肩書こそ総長付きではなかったものの,いわゆるお付きの仕事をし,本宅作業等に従事してきたものである。Y11は,当公判廷で,3月31日の早朝,急遽本宅に呼び出され,それまで経験もなかった先乗りの担当を指示され,X4及びY1らから事務・荷物の引継ぎ等を受けた後,被告人らより一足早く神戸に向かい,神戸での別宅で被告人の出迎えに向けて作業を行っている途中,被告人の神戸行きが中止となった連絡を受け,Y1からの指示で伊豆にある被告人の別荘(以下「伊豆の別荘」という。)に向かったというものである。そして,Y11は,同日午後11時頃の別荘内の若衆部屋の出入り口に現れた被告人の言動,若衆部屋でのY1の様子,更には,「返し」が遂げられた翌朝の被告人らの言動をつぶさに証言している。その証言内容は,後記第4の3の認定事実のとおりであるが,被告人が若衆部屋に来て語ったことは,埼玉県内でのX4,X3の行動や,「返し」の対象とされたB1会の対応,被告人がA1組の上層部に頼んで得た「返し」の期限の延長など,いずれも三次団体の幹部に過ぎないY11の立場では特別の事情でもない限り知り得ない事柄を含んでおり,しかも,その述べた内容は当時の客観的な埼玉の情勢と合致していたことが明らかである上,当時被告人がK名義の携帯でX2らから埼玉の情報を入手し得る立場にあったことも考慮すれば,被告人の上記の言動に接したとのY11証言の信憑性は極めて高い。しかも,被告人が若衆部屋を去った後,部屋にいた総長付きのY1が居ても立ってもいられない様子でB1会B2一家の系列組事務所を探るべく所々に電話をかけ(しかし,相手はY10が大半である。),Y11もY1から促されて埼玉に関係する知人3名に電話をかけた状況が通話履歴に残されているのである。もう一人のA3連合出身の総長付きのY9は,Y1とは異なり,落ち着いた様子であり,被告人が若衆部屋に来て上記のような機密事項を総長付きに対してとはいえ軽々に述べたことを暗に批判したことも,印象的な出来事としてY11は証言している。その証言は,当時の若衆部屋の状況を生々しく臨場感をもって再現するものであって,到底虚偽を語っているとはいえない内容である。

被告人は,被告人質問において,Y11の平成22年8月20日付け警察官調書中のY11が語った供述の動機に係る供述記載を暗唱して見せた上,捜査官から不当な誘導があり,Y11は捜査官の描いた筋書きに乗って虚偽を述べさせられ,その供述を法廷でも維持している旨供述し,Y11の処遇について被告人の配慮が足りかったためY11が不満を抱いていたこと,Y11がX4の子分で親しい関係にあることなどの事情がY11の虚偽供述の動機であるかのように示唆し,弁護人も,被告人と同様の主張をし,嘘をついた者は目的を達するまで嘘を貫徹するという「仮説」を展開している。

しかし,被告人が暗唱した供述記載からは,Y11が,自らの事実認識と異なり,X4が暴走したという形で共犯者が供述していることに対する義憤から真実を語る決意をしたという心情しか読み取ることができない。被告人が最終陳述で当裁判所に要請したように「眼光紙背に徹し」てこの供述記載を慎重に検討してみても,そこには,なかったことをあることにして被告人に罪を被せようなどというY11の意図は全くうかがえず,むしろ読み取れるのは,正義心,男気から真実を語ろうというY11の供述動機,姿勢である。被告人がいうような処遇の不満やX4との人間関係といった程度のことで,Y11がA1組からの報復の不安を抱きながら,作り話をしてまでA1組直参組長で,未だに畏敬の念も有しているという被告人をあえて罪に陥れるとは到底考えられないのである。弁護人の,嘘をついた者は目的(人を罪に陥れること。)を達するまで嘘をつきとおすという「仮説」なるものは,弁護人らの「常識」,「経験則」が仮にそうであっても,社会常識に照らしそのようなことを一般化していえるか甚だ疑問であって,本件において採り得ない主張であることは既に述べたとおりである。なお,弁護人は,Y11は4月1日早朝にY11が,若衆部屋でY1から「返し」が遂げられたことを告げられる直前に既にY12からの電話を受け,先立ってその旨知っていたと考えられるのに,そのことをY11は隠していたとして,Y11の証言は信用できないともいうが,上位者であるY1の手前,先走ってそのようなことを口にしなかったということは十分にあり得ることであるし,公判でも,Y12に迷惑のかかるようなことは差し控えて言わなかったとも考えられる。いずれにせよ,弁護人指摘の点は,瑣末な事柄であり,何らY11証言の信用性を左右するような事情ではない。

以上のとおり,Y11証言は全体としてその信用性は極めて高い。

(4) Y12証言について

Y12は,当公判廷において,3月31日早朝にA2一家本部事務所に呼ばれ,X2の指示の下で埼玉県内のB1会B2一家の系列組事務所の所在地を調べて整理し,それをX2に渡すという作業を行い,その間,被告人宅における雑用をこなす本宅業務等のため外出した時間帯もあったものの,その後も引き続き事務所内で上記と同様の作業を続け,X2が携帯電話でB1会B2一家の系列組事務所の所在地を読み上げるなどの状況に接し,その電話の相手方がX4,X3であり,電話のやりとりでB3会等の襲撃の状況等も報告されていたこと,そのほか,X2が,別室で上位者と思われる人物と電話で丁寧な言葉遣いで会話している状況もあったこと,夕方頃からA2一家本部事務所のある建物の入口のシャッターを下ろし,施錠等を厳重にし,同日午後8時頃からは室内の照明を消して作業を続ける状態になったこと,同夜,日付が変わる頃には,X2の電話での口調が強くなり,相手に対し「上からストップがかかる前に結果を出せ。」などと述べていたこと,そして,翌4月1日早朝,「返し」を遂げた旨の電話連絡が入ってからは,X2は安堵した様子を見せ,指をけん銃に見立てたジェスチャーをとり,「音を出したみたいだぞ。」と述べたこと,その後,X2から指示を受け,A7一家の組員全員に対し,「返しをしたから,また返しの返しが来るかもしれないから出歩くな。」という趣旨の連絡をしたこと,Y12としては,A2一家本部事務所でとられた上記のような警戒態勢は上位者,すなわち被告人の指示がなければX2本部長とて一存ではできないと理解していたこと,などを具体的に証言している。その内容は臨場感に富み,正に体験したものでなければ述べ得ない具体性を備えている。そして,上記のように,X2の電話での会話内容はX4証言と符合するものを含んでいる。Y12も,別件で逮捕・勾留されたが,当初供述を拒んでいたものの,取調べの過程で刑訴法227条の証人尋問に応じ,当公判廷でも,X4,Y11と同様に証言を拒絶することなく,上記証人尋問で述べたのと同旨のことを一貫して供述していることがうかがわれる。Y12は,事実を語ることにしたことについて,組織の方で依頼した弁護人が否認を通すように働きかけるなどし,Y12のための弁護活動を行っていないという不信感を抱いたこと,一人責任を押し付けられるX4に同情し,組織に対する未練もなくなり,堅気になることを決意したことなどを理由として挙げており,その供述動機自体に不自然な点はなく,組織から報復を受けるというおそれを抱きながら,何の恨み等もない被告人にあえて不利益となる作り話をしてまでY12が被告人を無実の罪に陥れるなどということはおよそ考えられず,その信用性を疑うべき事情はない。

なお,弁護人は,Y12の証言中,X4逮捕後の平成21年4月頃,A2一家本部事務所内でX2とX3が,本件につきX4が暴走したことにするという趣旨の話を見聞きした旨証言している点について,この時期は,X3は本件で指名手配を受けて逃走中であって,A2一家本部事務所にX3が現れてX2と対面して上記のような会話をするはずはなく,Y12証言は虚偽である旨主張する。しかし,Y12の証言内容は,X4の逮捕と自らの逮捕の狭間の時期の印象に残る出来事として上記のX2及びX3のやりとりを記憶しており,確度の高い証言である上,指名手配中であっても,X3が捜査の網をかいくぐりA2一家本部事務所に立ち寄ってX2と面会することは十分に可能であると考えられる。付言すると,Y12は,X4の逮捕後の時期に,X2と車で二人になった際に,「今回の件はX4の暴走ということで分かっているな。これは親分(被告人)も,知らないことになっているから。」という趣旨のことを言われたとも証言しており,当時,X2らがX4暴走説で押し通そうとしていた状況は動かし難い。いずれにせよ,弁護人指摘の点は,3月31日から4月1日にかけてのA2一家本部事務所内でのX2の言動等についてのY12の証言部分の信用性を左右するものとはいえない。

(5) まとめ

以上,4名の証言等を検討したが,既に述べたとおり,いずれも不自然,不合理な点はなく,異なる場面でのそれぞれの体験したことを真摯に供述している上,通話履歴等により裏付けられており,直接・間接的に補強し合う関係にもあって,その信用性は極めて高いというべきである。

2  弁護人申請に係る証人の証言について

これに対し,弁護人申請に係る証人は,かつてX4らが所属したA2一家の構成員であるが,いわゆるX4暴走説に沿って被告人に有利な供述をしている。その供述内容はここでは一々採り上げないが,例えば,Y10は,Iに現れたX4に対し,「何やってるんですか。早く静岡戻ったほうがいいですよ。」と忠告したが,X4は,「俺には俺の考えがある。」とにやにやしながら言っていたこと,自分(Y10)が埼玉に入ったのはスタイル(組織としての体面)であることなどを供述し,また,X3も自らの判断で埼玉入りをしたことを強調し,X4が証言するB6八代目事務所等の下見等に加わったことを否定し,Iに現れたX4に対し,その立場上埼玉に来ることはまずいと諭した旨供述し,X2は,Y12が証言するようなA2一家本部事務所でのB1会B2一家の系列組事務所の情報収集・提供の作業を否定し,Y1も,3月31日早朝の本宅でのX4と被告人との会話につき被告人の弁解に沿う供述をし,伊豆の別荘では若衆部屋を被告人が深夜に訪れたこと自体を否定し,Y11を嘘つきであると述べ,X1も,3月31日の被告人らとの電話でのやりとりはC殺害の事情等について被告人に報告,あるいは確認するための電話であって,被告人から「返し」を指示されたことはないなどと供述し,X9も,上部から「返し」の指示があったことを否定する供述をしている。

しかしながら,Y10は,捜査段階では,公判での供述と異なる供述をしていたのであり,捜査段階で作成されたY10の検察官調書の内容に照らし,上記供述は信用できないというべきである。また,X3も,3月31日早朝のX2の電話を受けて埼玉入りし,Y10が手配し,A2一家の組員,X4も集合・待機していたIにも現れるなどしているが,その行動の理由について納得のいく説明はされていない。また,X3とX4との間で,3月31日早朝から翌朝までの間に47回にも及ぶ電話が交わされ,B4八代目本部事務所を襲撃する前の頃にも両者の間に通話履歴が存在する。そして,X4は,上記襲撃についてX3と事前に連絡を取った旨証言しているところ,X3からは,この一連の通話履歴についても合理的な説明がされていない。また,X2も,X4らと頻繁に電話で連絡を取り合っているにもかかわらず,その必要性等について納得のいく説明はなく,Y12証言と対比して全体として信用性に乏しい内容となっている。また,Y1も,3月31日午後11時頃,即ち被告人が若衆部屋に現れたとY11が証言する時刻頃を境に交わされたY10等に対する複数の通話履歴について説得力のある説明をしているとは言い難く,Y11証言のこの時間帯の通話履歴についての具体的な説明内容と対比して,信用性に乏しいものである。また,X1の供述も,被告人と,3月31日午前4時36分頃から同日午前5時23分頃までの間に,11回,約12分41秒も通話していながら,単にC刺殺事件の事実関係の確認・報告にとどまったというのであるが,それ自体,通話の回数,通話時間等に照らし,相当に不自然であることは否めない。また,その通話がされた時間帯には既にA3連合若頭のY2が加平パーキングエリアでX9と会っていた状況が認められる。加えて,その後,A3連合若頭補佐のY6が本件で使用された2丁のけん銃を用意して襲撃部隊に渡していること,A3連合のY4,Y8らが襲撃部隊に一時加わっていることなど,「返し」の遂行という暴力団組織にとって重大な局面において,上位者の了解がなければ行い得ない行動をX1の配下組員が取っている状況も認められる。A3連合の頂点にいるX1がこれに全く関知していなかったというのは,不自然,不合理というほかはない。X1は,そのように「返し」に関知しないと供述する一方で,ホテルにあえて滞在するなど,「返し」の返しを想定した行動を取っているのである。このような事情に照らすと,X1が,被告人からX1への「返し」の指示はなかったとし,X1から若頭のY2を介してX9に対し「返し」の指示を与えたこともないと供述している点は,信用性に乏しいというべきである。なお,被告人→X1→Y2→X9の「返し」の電話等での指示の流れについては,他の関係証拠と突き合わせて後に検討を加えることとする。X9については,捜査段階の供述,刑訴法227条の証人尋問の際の証言内容を不合理にも変遷させている上,X10証言と対比し,その信用性が乏しいことは既に指摘したとおりである。

以上のとおり,弁護側の証人の供述内容はそれ自体,不自然,不合理な点が多く,信用性に乏しいものである。また,これらの者の多くは,暴力団組織にとどまっており,殊に,X1,X3,X2については,いずれも,本件殺害等につき被告人としてこれから裁判を受ける立場にある上,無罪を主張する予定の者らである。そして,これらの者と被告人との関係をも考慮し,その各供述内容と,前記検察官申請に係る4名の証言内容等とを対比すれば,弁護人申請に係る証人の供述は到底信用できるものではない。

3  被告人の弁解について

被告人は,「A3連合系列の四次団体のA4会所属のC殺害について,被告人が『返し』について指示をすることはあり得ず,また,上部組織の了解がなければ『返し』をできないという上部団体からの通知などはない。X1からC殺害の報告を受けて電話のやりとりはあったが,それは,上部へ報告する際の事実関係の把握のためにすぎない。X4が3月31日本宅にあいさつに訪れた際には朝早く電話で起こされたこともあり,A1組総本部は日帰りとし,その後は伊豆の別荘で静養することを内心決めており,X4を連れて行くと気が休まらないため同人に上がってよい旨を告げたものである。伊豆の別荘でY11が証言したような状況はなかった。」などとして,X4,Y11らの証言内容を一切否定している。そして,被告人は,更に,4月5日になって,X1,X3からX4が埼玉入りをし,襲撃の現場にいたことを初めて聞いて激怒し,X4を総長付きから外し,執行部からも降格させる措置をとったなどとも供述している。

しかしながら,被告人自身,C殺害がいったん話が付いた後の理不尽な行為であった旨供述しており(X1の認識も被告人と同様である。),被告人の弁解内容に照らしても,上記殺害は「返し」が行われてもおかしくはない事例であり(なお,被告人は「返し」につき,A1組では上部団体の了解は必要ないとも供述している。),被告人にとっても,「返し」に至ることは当然に予想される状況にあったということになる。そうであるのに,被告人は,X4が当日の先乗りの任務を放棄して東名高速でY3と共に車で埼玉入りしようとしていたことを知りながら,呼び戻したX4に何ら追及をしなかったというのであり,それは,既に指摘したとおり,弁解内容自体に矛盾をはらむものである。また,立場上「返し」に関わったと取られないように細心の注意をしていたという被告人が,総長付きのX4が抗争の現場に行くという重大な規律違反を行い,それをX1,X3から告げられて激怒したと一方で言いながら,直接X4を問い詰めることすらしなかったというのも,同様の理由で不合理極まりないというべきである。X4は,「返し」の後,被告人から総長付きを外してやるから何か理由を言えという趣旨のことを言われ,仕事を名目として総長付きを外してもらった旨を証言している。このX4証言を特に疑うべき事情はなく,要は,被告人は,X4の本件での関与が現場での指揮にまで及んだことから,後に自らに嫌疑が及ばぬよう大事をとってX4との距離を置いたものと見るのが自然である。なお,「返し」から程ない時期に,被告人がX3にX4に焼きを入れるように指示をしたことがうかがわれるが,その理由はX4が被告人に無断で埼玉入りして襲撃に加わったことに対するものではなく,X4と反りの合わないY1が,X4が埼玉入りした際に現場で被告人の指示で来た旨述べていたなどと被告人に「讒言」したこと(X4は現場でそのようなことを述べるはずがない旨明確に証言しており,X10の証言等を見てもX4がそのような被告人に直接嫌疑が及ぶようなことを現場で話した形跡はない。)に被告人が反応したことによるものとうかがわれる。X4,X3,X2が連携して「返し」に向けて活動していたことは動かし難い事実であって,その間の事情を身をもって知るX3が,被告人が述べるような理由による制裁の指示を受けたとは到底考えられないのである。この間の事情は,やや込み入ってはいるが,X4が証言する川崎でのX3とのやり取りには真実味があり,結局,X3は,X4に「焼き」を入れることはなかったと認められる。

そのほか,X4が執行部から外れた時期について,X4は本件の前であると証言し,被告人は本件後に制裁としてX1に指示して降格処分を行ったと述べ,その間に食い違いがあるが,仮に,被告人が供述する時期を前提としても,執行部からの降格は総長付きの外しと同様,被告人と距離を置くための趣旨であったことも十分に考えられるところであり,X4が被告人の意に反し暴走して「返し」に赴いたことをうかがわせる根拠になるほどのものではない。被告人は,当公判廷においてX4の非常識さをあれこれ供述し,X4のことは内心信用していなかったと述べ,このような人物であるX4が暴走して「返し」に加わったというのが本件の真相であるという趣旨での弁解を構築しているのであるが,その弁解内容は,埼玉入りをしたX3らに対して何らの処分もなく,更にA3連合内部でA4会のX9らに現金が与えられている状況(後記第4の4(3))と全く整合していないのである。このように見ていくと,被告人が種々弁解する内容は,それ自体不自然,不合理であって,信用性の極めて高いX4,Y11,Y12,X10らの証言と対比して到底信用できるものではない。

第4本件の経過

そこで,既に信用性判断を加えた前記各証言,通話履歴,その他関係各証拠を総合すれば,本件の経過として,以下の事実が認められる。

1  Cの殺害と関係者への連絡状況

A3連合A4会相談役のCは,3月31日午前1時頃,埼玉県八潮市内で,B3会幹部のDにより刺され,同日午前4時20分頃,搬送先の病院で死亡が確認された。上記死亡は,上記病院にいたX11から,当時東京都足立区内の加平パーキングエリアにいたX9に電話で報告され,同所でX9と一緒にいたY2からX1に,X1から被告人に,被告人からA1組関東ブロック長Y15及び関東ブロック長代理Y16に順次伝えられた。なお,同日午前4時25分から午前5時25分までの間に,被告人とX1の間では11回の通話履歴があり,その合計は約12分41秒間であること,X1とY2との間では6回の通話履歴があり,その合計は11分46秒間である(甲315)。一連の情報により,被告人,X1は,話が付いていたのに相手組員が理不尽にもCを刺殺したものであると認識した。一方,X1→X2→X3と順次,電話でC殺害の情報等がもたらされた。すなわち,3月31日午前4時46分頃から午前5時6分頃までの間にX1からX2に,X2からX3に,X3からX4,X5,X6を含む多数のA2一家組員に順次伝えられた。上記連絡後,埼玉県外で活動しているX3,Y10,Y3,X5,X6ら多数のA2一家関係者が一斉に埼玉県に入り,後記のとおり同様に埼玉入りしたX4との間で情報交換等が行われた。

2  被告人の本宅におけるX4に対する指示及びその後のX4の行動

(1) X4は,上記のとおり,3月31日午前4時55分頃,X3からの電話により埼玉県内でA3連合傘下の構成員が殺害されたことを知った。その約4分後の午前4時59分頃,被告人からX4に電話があった。被告人は,「聞いたか。」と言い,X4が,「はい,聞きました。」と答えると,被告人は,怒鳴り声を上げ,電話が切れた。X4は,その怒鳴り声を「行けえ。」と聞き取った。X4は,暴力団はやられたらやり返すのが当たり前のことである上,以前からけんかだけは絶対に負けるなという被告人の徹底した教育を受けていたことから,上記のとおり聞き取った被告人の指示に従い,埼玉県に直ちに赴きB1会B2一家構成員に報復しなければならないと考えた。

(2) X4は,その日は,被告人が神戸市所在のA1組総本部に行くことが予定されており,総長付きの役目として,被告人が静岡市内にある本宅を出発するよりも早く神戸に入り,被告人を出迎える準備をするいわゆる「先乗り」を担当することになっていた。しかし,上記被告人からの電話後,これを取り止め,組関係者に神戸に持参する荷物や神戸の別宅の鍵の引き継ぎを行い,A2一家本部事務所で,X2と会い,Y3とともに埼玉県に向かう旨を伝え,X2がB1会B2一家の系列組事務所の所在地などを調べてX4に連絡するという段取りをした。

(3) X4は,Y3運転の車(以下「Y3車」という。)で,東名高速を静岡方面から東京方面に走行中,本宅にいたY1から「親分(被告人のこと)が,組長(X4のこと)がこっちに来るのを待っているみたいだよ。すぐUターンして戻ってきたほうがいいよ。」と言われた。X4は「来い」と「行け」とを聞き違えていたのかと思い,同日午前6時16分頃,富士インターで引き返して本宅に向かい,同日午前6時49分頃本宅に到着した。なお,X4は,本宅に呼ばれた理由について,何事もきっちりしている被告人の性格からして,直接被告人に報告してから報復に出発しろ,という趣旨だと理解した。

(4) 本宅で,X4はY3と共に被告人にあいさつをした。その後,被告人は,X4を近くに呼び,「聞いたか。」と述べ,X4が「聞きました。」と答えると,「まあ,そういうこっちゃ。お前は今日は神戸に行かなくていいからな。よし行っていいぞ。」と述べた。X4は,別室で控えていたY3を呼んだ上,「行ってきます。」と述べ,それを見て被告人がうなづく仕種をし,その後,二人はその場を立った。X4は,その部屋に被告人の妻なども近くにいたことから被告人ははっきりとは言わなかったものと推察し,上記のやりとりは,報復に行っていいぞという意味の指示であると理解した。

(5) X4は,Y3車で再び出発し,X2らから電話でB1会B2一家の系列組事務所の所在の情報提供を受け,その場所を探して下見するなどした。X4は,3月31日昼頃には,X4と同様に埼玉入りをしていたX3らと合流し,さいたま市内にあるB6八代目事務所を下見し,室内に明かりがついていたことから,その場で下見のメンバーで直ちに「返し」を実行することを提案した。しかし,X3が「俺もやるのかよ。」と述べ,そばにいたX5,Y3らも,A2一家幹部の組長自らの「返し」は思い止まるように述べるなどしたため,いったんはその場を離れた。X4が上記下見の状況をX2に電話で連絡した際,X2は,「とにかく頼むよ。」と述べ,X4からの「親分(被告人のこと)から連絡来てるんですか。」との問いに対し,「ああ。」と答えた。

(6) X4は,4月1日未明,X7,X8,X9,X10,X11ら襲撃部隊(この襲撃部隊については後述する。)とHアパートの一室で合流した。X4は,X2にB6八代目事務所を襲撃する旨連絡したところ,X2は,「頼むよ。何とかしてくれよ。」と述べた。また,X4はX3にも電話をし,同様の連絡をして了承を得るとともに,応援を寄越すよう要請した。X4ら襲撃部隊は,X3の指示を受けて応援に来たX5及びX6と合流した後,同日午前4時頃,B6八代目事務所を襲撃したが,事務所内に人はおらず,報復に失敗した。その後,X4は,X2,X3に失敗したことを電話で報告した。X4らの報復活動は,4月1日の朝までと期限が設定されており(なお,X4証言によれば,通常この期限はA1組総本部で定められることがうかがわれる。),X2は焦った様子で「早く何とかしてくれ。」と言った。

(7) X4は,X3と連絡を取って,次の襲撃対象をB4八代目本部事務所とすることに決め,また,X2にも電話で同様の連絡をして了承を求めたところ,X2から「頼むよ。」などと言われた。X4ら襲撃部隊は,2台の車に分乗してB4八代目本部事務所に赴き,本件殺害等を実行した。その直後,X4は,殺害に成功したことを,X2及びX3に携帯電話で連絡した。

(8) X4は,その後,X6の車に同乗して栃木方面に向かったが,途中のインターで降り,X2から「返し」の返しに備えて埼玉からすぐに離れるように指示を受けた。その後,Y10の車で都内に向かい,衣服を換えるなどした後,4月1日午前10時頃,公衆電話から被告人に定時の電話連絡を入れた。被告人から,「今どこにいるのか。」と問われ,X4が「江戸です。」と答えると,被告人は,「お前は聞いていないのか。」と「返し」の返しに備える指示が出ていることを前提にすぐに静岡に戻るように指示し,その際,被告人が,「何か関わったのか。」と尋ねたのに対し,X4は,「最後の方関わりました。」と答えた。

(9) その後,X4は,埼玉入りして「返し」に加わったこと自体で被告人から追及,折檻を受けるなどしたことはなく,「返し」から程ない時期に,被告人から,総長付きを外してやるから,何か名目を言え,という趣旨のことを言われ,仕事を理由に総長付きの肩書が外れることになった。なお,被告人が,X4が埼玉入りの際,総長からの指示で来たと現場の組員らに話していたなどというY1の言(告げ口)を受け,4月8日頃,そのことでX3に「焼き」を入れるよう指示したことがあったが,「返し」の事情を知るX3は,結局,被告人に「焼き」を入れることはなかった。

3  被告人の行動等

(1) 被告人は,前記のとおり,X4と本宅で会った後,総長付きのY1らと3月31日午前8時12分静岡駅発の新幹線に乗車して神戸に向かったが,途中,A1組総本部への出席を取り止め,名古屋駅で下車して引き返し,在来線やタクシーを乗り継いで,伊豆の別荘に入った。

長年総長付きと同様のお付きの仕事をしていたY11は,X4に代わって先乗りの役目を果たすことになり,3月31日早朝,神戸市内の別宅に行き,被告人を迎えるための準備をしていたが,Y1から神戸行きが取り止めになり,伊豆の別荘に来るよう指示され,新幹線で静岡駅まで戻り,そこから車で別荘に向かい,同日午後3時過ぎに伊豆の別荘に着いた。普段であれば被告人に挨拶に行くところ,Y1から,「(被告人は)電話したりして忙しいので,向こうに行くな。」と言われた。

(2) Y11は,Y1,Y9と共に伊豆の別荘内のいわゆる若衆部屋と呼ばれる一室で待機していたところ,同日午後11時頃被告人が,若衆部屋の上がり口の所まで来て,「おまえらよく冷静でいられるな。」,「悔しくないのか。」,「埼玉の方では,X3やX4が,はいつくばって探しているんだぞ。」,「B1の奴らが潜っちまって見つからないのでみんな探しているんだ。」,「今やくざ生命をかけても相手をとらなきゃなんねえんだ。」,「今回の抗争について,本来なら12時でストップがかかってしまうというところを偉い人に頼んで延ばしてもらっているんだ。」という内容のことを,いきり立った表情,荒げた口調で述べた。それを聞いたY1が,居ても立ってもいられない様子となり,B1会B2一家関係者につながる手がかりを探すために,電話を掛け始め,Y11に対しても「おまえもじっとしないで,電話しろよ。」と言ってきたので,Y11は友人などに電話して,B1会B2一家関係者の知人がいないか尋ねるなどした。

(3) 翌4月1日朝,Y11は,伊豆の別荘のリビングルームで,被告人から「何かいい形になったみたいだぞ。」,「お前ら聞いているか。」などと言われた。この時の被告人の表情は,3月31日夜とは一転して穏やかな表情であった。

4  A4会関係者の行動等

(1) A4会では,相談役のCがB3会のDに刺された後,3月31日午前1時半頃,X9,X10,X11ら6名が,警察などが動き出してやりづらくなる前に,できるだけ早くB3会構成員に対して報復しなければいけないと考え集合し,同日午前2時から2時半頃には,B3会事務所の近くのL公園に移動した。A1組の通達により,下部組織の構成員が殺害されてもその組織の独断で報復をすることができず,上部組織の指示を仰がなければならないこととされていたため,直ちにB3会襲撃を行わず,B3会事務所の近辺で待機する状態が続いた(X10供述)。X9は,Y2と携帯電話で連絡を取り合い,L公園から離れて東京都足立区内の加平パーキングエリアで合流した。

(2) Y13は,加平パーキングエリアにいたX9に電話をかけ,早く襲撃に取り掛かりたい旨催促していたところ,ようやくX9から携帯電話で指示を受け,X10,Y13らは,3月31日午前6時45分頃,埼玉県草加市内のB3会の事務所を襲撃した。また,引き続き,同日午前8時頃に埼玉県越谷市内のB3会の組員方を,同日午後0時30分頃に埼玉県草加市内のB3会組員方を,同日午後4時頃から午後5時頃に埼玉県春日部市内のB1会B2一家B7三代目B8二代目(以下「B8」という。)事務所を,同日午後9時30分頃に再びB8事務所をそれぞれ襲撃したが,いずれも失敗に終わった(甲319)。なお,X9が1回目のB3会組員方の襲撃から,X7が1回目のB8事務所の襲撃から,X8が2回目のB8事務所の襲撃からそれぞれ参加し,また,A3連合本部長のY4,舎弟のY8は,1回目のB8の襲撃に加わった(X10供述)。いずれの襲撃も,相手方組員殺害という点では目的を遂げることはできなかった。その後,居酒屋「J」では,A3連合若頭補佐のY5,Y6,X7,舎弟頭補佐のY7らA3連合の幹部,A4会のX9らのほか,X4も加わり,更に場所を移し,Hアパートでは,X4,X7,A4会の組員らのほか,X4からX3への応援依頼により,A2一家若頭補佐のX5,準幹部のX6も加わり,本件襲撃に至った。

なお,上記各襲撃の過程で,A4会が準備していたけん銃の発射が不発となったため,A3連合の若頭補佐のY6が本件で使用された2丁のけん銃を用意し,これをG道の駅でA4会に提供した。

(3) B4八代目本部事務所の襲撃が行われた後の4月頃,X9は,A3連合会長からもらったという100万円をX7から受け取り,これをX10,X11らに分配した。更に,6,7月頃にも,X9は,A3連合本部事務所で金員を受け取り,その中から10万円をX10に交付した(X10の証言)。

第5争点についての検討

前記第4の事実関係を踏まえて検討する。

1  被告人の「返し」に向けての強い意欲

被告人が,C殺害に関し,埼玉のB1会B2一家の系列組事務所に対し,相手方組員を殺害するいわゆる「返し」をすることに強い意欲を有していたことは,伊豆の別荘での言動等から明らかである。また,その言動の内容から,被告人が,埼玉でのX4,X3の行動等の情勢を把握しており,「返し」が遂げられないことに苛立ちを募らせていた様子もうかがわれるところである。A2一家関係者が「返し」に動き出し,被告人自身も伊豆の別荘にこもってからは,被告人は,K名義の携帯電話を使用するようになり,捜査において,同電話機の発信履歴の押収ができなかったこと(この点は,検察官が論告中で指摘し,弁護人も異議を述べていないことから争いのない事実と認める。)から,被告人から関係者への通話状況は証拠上具体的に明らかにはなっていないが,被告人が若衆部屋でY11らに語った内容は,当時,B1会B2一家の系列組事務所に対する襲撃が失敗,空振りに終わった状況と正に符合しているし,X2とX4との電話での会話の中でX2自身が「親分」即ち,被告人から連絡・指示を受け,「返し」を遂げるよう迫られている状況や,A2一家本部事務所にいたY12が,X2が上位者と思われる人物からかかってきた電話で丁寧な言葉遣いで会話しているのを見聞きしている状況とも符合している。また,若衆部屋での被告人の言動からは,「返し」を行うにはA1組総本部の了解を取る必要があり,その期限の指定も受けていたことがうかがわれる。この点は,X10,X4らが一致して,当時A1組内では,「返し」は上部の了解を得て行う必要がある旨証言していることや,後記のとおりA4会がB3会の近辺で襲撃部隊を待機させて「返し」の指示を待っていた状況とも合致している。そして,実際,被告人が,C殺害の一報を受けた直後から上層部の関東ブロック長らに連絡を取るなどし,その後,「返し」が遂げられてからは,被告人が伊豆の別荘内で丁寧な言葉で相手に電話をかけている状況があったことがY11証言により認められ,被告人が4月3日にA1組総本部に赴き,その翌日,B9会関係者が間に入り,被告人及びX1が出席してB3会との手打ちが行われたという流れも,A1組の上層部と連携しながら「返し」を行ったという状況と整合している。

このように,被告人は,本件の「返し」の実行を強く望み,埼玉入りしたX4,X3らの行動に期待を寄せ,かつ,X2らを介し埼玉での情勢を随時情報収集し,指示も与えていたことが明らかである。

2  被告人のX4に対する「返し」の指示

X4は,X3の早朝の電話からわずか4分後に被告人から電話を受け,それを「返し」のため埼玉に行けという指示と理解し,A2一家の関係者と様々な引き継ぎ等を行いつつ,東名高速を走行して埼玉入りする途中,被告人から呼び戻されている。そこでの被告人とX4との間の会話,被告人の様子等は既に認定したとおりである。「返し」を前提にX4が埼玉に向かっている状況を被告人が重々承知した上でX4との間での上記会話がされていることは自明のことであり,被告人は,X4に対し,少なくとも,埼玉で「返し」を遂げるように行動せよとの指示を与えたことは上記状況から優に認められる。X4は,以前からの被告人の抗争についての指導等もあって,自ら直接手を下してでも「返し」を実現することを被告人から命じられたものと受け止めていたことは明らかであり,実際に,X4は,A4会の襲撃部隊の動向とは無関係に,昼頃に行ったB6八代目事務所の下見の段階で既にX3らと共に手を下そうとしたことにも,X4のその強い意思が現れている。被告人が,4月1日,X4からの午前10時の定時報告の電話で「何か関わったのか。」と問いかけ,X4が「最後の方関わりました。」と返答したのに対し,特に咎め立てをすることもなく,その後も,B4八代目本部事務所の襲撃をX4が指揮したこと自体を追及し,非難するなどしていないこと,被告人が伊豆の別荘で若衆部屋を訪れ,「返し」が遂げられない苛立ちの中で,「X3やX4がはいつくばってB1の奴らを探しているんだ。」という趣旨のことをY11に述べていることを見ても,被告人自身,「返し」の実現に向けて強い意欲を有しており,また,A3連合による「返し」の実現よりは,むしろA2一家幹部による「返し」の実行に望みをかけていたこともうかがわれる。これらのことに加え,現にX2が電話で連絡を取り合っていた回数の多いのも,X4,X3であることからしても,被告人は,X4に対し,同人が率先し,指揮を行ってB1会B2一家の系列組事務所を探し出し構成員を殺害するいわゆる「返し」の実行に関与することも含めて,埼玉で「返し」を遂げるように行動せよとの包括的な指示を与えたものと認めるのが相当である。

もっとも,本宅でのX4に対する指示の時点では,被告人は,A4会による襲撃の予定もあって情勢は流動的であることも認識しており,また,総長付きのX4の殺害への関与が発覚した場合に自分に嫌疑が及ぶ危険も考えていたとは推察され,X4の巧妙な立ち回りを期待していた部分もあったとは考えられるが,状況,成り行きによっては,X4が現場で「返し」の指揮に当たることも被告人の想定内にあったものと認められる。

3  被告人のX1に対する指示

B4八代目本部事務所の襲撃に至る一連の事件全体の流れを見ると,まず,被告人にC殺害の報告がX9→Y2→X1→被告人へと上がった後,被告人からA1組上位者に連絡が取られる一方で,X1→X2→X3へと電話連絡がされ,X3から11名のA2一家組員らに電話連絡がされ,X4もX3からの電話でC殺害の一報を受けたことは既に認定したとおりである。その間,被告人は,A1組の関東ブロック長及び関東ブロック長代理と電話で連絡を取りながら,X1とも複数回にわたり相当の時間の通話を交わしている。そして,A2一家組員らは,X3からの上記連絡を受けた後,一斉に埼玉に向かい,X3自身も埼玉入りをし,A2一家事務所でB1会B2一家の系列組事務所の所在を調査するX2からの情報等を受けつつ,X3を含めた組員らがB1会B2一家の系列組事務所の下見などを行っていたものである。

一方,A4会のX10らは3月31日午前2時から2時半頃には既にB3会事務所付近のL公園に集合し,いつでも「返し」を決行できる態勢にあった。しかし,実際に襲撃が決行されたのは,それから4時間以上,Cの死亡確認時点からも2時間以上が経過した午前6時45分頃であり,それまでは,X10らは付近で待機していた。これは既に述べたように,A1組上層部からの了解を経て襲撃の指示が下りるのを待っていたことを物語るものである。そこで,X1を経由する通話履歴の状況を見ると,最終的には,被告人→X1(午前5時17分),X1→被告人(午前5時23分),X1→Y2(午前5時25分),Y2と一緒にいたX9→Y13(午前5時32分,35分,49分)に各通話がされている。X10の証言によれば,X9からけん銃の持ち役となるように指名されたことに心理的な抵抗,ためらいがあり,X9からY13にかけられた電話を代わって直接X9とやりとりしたことがあり,最終的にはX9から堀政の準幹部が持つようにとの上からの指示があるとして説得され,これを受け入れたことが認められるところ,実際,X9→Y13の午前5時32分の電話の後も,上記のとおりX9・Y13間で複数の通話があり,その通話履歴は,けん銃発射・殺害の実行犯となることに逡巡するX10の状況と矛盾のないものとなっている。そして,その後,X10らは別の場所に保管してあったけん銃を取りに行き,B3会事務所の周辺を偵察し,最終的な打合せを行い,上記最終の電話から約1時間が経過した午前6時45分頃に襲撃を行ったものと認められる。弁護人は,X10らの襲撃前のX1→Y2の最後の電話が午前5時25分頃であることからすると,その電話からB3会襲撃まで70分間も間隔があるのは,不合理であるとし,その電話で襲撃の指示がされたと見ることはできない旨主張するが,X9→Y13の複数の通話履歴,X10の証言により認められる襲撃の準備状況等からすれば,その程度の時間が経過することは十分にあり得ることであって,指示がされたと見られる通話履歴と襲撃の時刻との間に矛盾はない。

既に検討したとおり,被告人自身が強い「返し」の意欲を有しており,A1組の上位者から「返し」を行うことについて了解を取り付け,その後,側近のX4に対し「返し」の指示を行い,他方,X2がA2一家の本部に詰めてB1会B2一家の系列組事務所の情報提供をX4らに行い,X3らA2一家の組員が一斉に埼玉入りし,その後も情報交換をしつつIで合流・待機するなどしていた状況等からは,A2一家の頂点に立つ被告人が,A2一家の幹部を介し「返し」の指示をA2一家の組員らに行った状況が認められるところである。その状況をも踏まえると,系列組員が殺害された当のA3連合会長のX1に対しても,C死亡直後から頻繁に連絡を取り合う中で,最終的には被告人→X1(午前5時17分),あるいはX1→被告人(午前5時23分)の通話の流れで「返し」が指示され,Y2を介し,X9に伝達されたものと認められる。X1は,その証人尋問で「返し」の指示を行ったことを否定するが,被告人の意思,その意を受けたX4を含むA2一家の組員らの行動,そして,A3連合の若頭であるY2が早い時期から加平パーキングエリアにX9を呼び出していた状況,そのY2とX1が電話で連絡を取り合っていた状況,その後の襲撃の過程で不発のけん銃の代替としてA3連合若頭補佐のY6がけん銃2丁及び適合実包の襲撃部隊に提供している状況,更には,A2一家若中でA3連合本部長のY4,同じく若中でA3連合舎弟のY8がB8の襲撃に加わっている状況,居酒屋「J」でA3連合の幹部らが集合している状況,そして,X1自身,3月31日の早い時間帯から被告人と同様,いわゆる身をかわして自宅を出てホテルで滞在していた状況等からすれば,X1は被告人の意を受けてY2を介し襲撃の指示を出していたと認めることに合理的な疑いを入れる余地はない。なお,X1の証言中,被告人の供述と符合している多くの点,例えば4月5日X3と本宅でX4が埼玉に来ていたことを告げて被告人が激怒したこと,その処分としてX4を総長付きから外したことなどは,被告人と意を通じた口裏合わせによる虚偽供述というべきである。

4  まとめ

以上によると,被告人は,A2一家の頂点に立つ総長の立場で「返し」,即ち,B1会B2一家系構成員に対し,場所を選ばずけん銃等を発射するなどの方法により殺害することを決定し,A2一家の団体の活動としてこれを実行させ,団体の威信ないし威力を維持するため,X4,A2一家に所属する幹部組員(傘下の三次団体,四次団体も含む。)であるX1らに命じ,最終的には被告人の意を受けたX4が,襲撃部隊を率い,その指揮・命令の下に,適合実包と共にけん銃を所持するX10,X8,その他の組員らがそれぞれ定められた役割に従い,組織的に多数の組員らが参集するB4八代目本部事務所がある敷地内で相手組員にけん銃を発射して殺害したことが優に認められる。すなわち,被告人こそが本件各犯行の意思決定者であり,主犯であることが明らかである。

また,既に認定・説示したA2一家若頭の立場にあるX1,A2一家本部長の立場にあるX2,A2一家若頭補佐にあるX3のほか,X4に同行してB4八代目本部事務所の襲撃に赴いたA2一家若中の立場にあるX5,A2一家準幹部の立場にあるX6,A4会が主体となって行った一連の襲撃活動に参加し,X4が合流するまでの最上位者として襲撃部隊を指揮し,X4が合流後も襲撃部隊の指揮の一部を任されてB4八代目本部事務所襲撃にも同行したX7,そして実行役のX10,X8,運転手役のX11らは,いずれもA2一家の総力を上げて一丸となって「返し」を行うという認識の下に,それぞれの立場で本件各犯行の遂行上重要な役割を果たしたものである。襲撃部隊に属する者は本件各犯行の遂行につき相互に意思を相通じていたと認められるし,また,主犯である被告人は,X1,X2,X4らA2一家幹部組員と共謀を遂げ,これらの者を介し,順次共謀により,末端の襲撃部隊の者らとの間でも共謀を遂げたものと認められる。

そして,以上のように被告人が本件殺害等を指示し,配下のA2一家組員が役割を分担しつつ,「返し」を連携して行ったことに加え,「返し」の対象が,X9やX10らの本来の意図から離れ,Cを殺害したDの所属するB3会事務所からB1会B2一家全体に拡大していったことも併せ考慮すると,本件がA2一家の団体の威信を保つため,組織により行われたことが明らかである。

よって,弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

(省略)

(量刑の理由)

本件は,A1組の直参組員であるとともに,二次団体であるA2一家総長(首領)である被告人が,その傘下組織の構成員が殺害されたことから,報復してA2一家の威信を保つため,配下の暴力団構成員らと共謀の上,A2一家の活動として組織により,対立する暴力団組織の構成員に対しけん銃2丁を発射して殺害し,その際,同けん銃2丁をこれに適合する実包と共に所持した,という組織的犯罪処罰法の加重殺人,銃砲刀剣類所持等取締法の組織的なけん銃発射及びけん銃の加重所持の事案である。

本件は,やられたらやり返すという暴力団特有の論理に基づく反社会的な犯行であって,それ自体が強い非難を免れない。また,幹部を含む多数の暴力団関係者が埼玉県内に集結し,頻繁に連絡を取り合って情報交換をするなどした上,10人近くの人数で構成された襲撃部隊が犯行に及び,2丁のけん銃で合計7発の弾丸を発射し,そのうち2発を被害者の身体に命中させており,組織性の高い凶悪な犯行というべきである。被告人は,配下の暴力団構成員に対しその背後から絶大な影響力を行使して犯行を主導しており,正に,本件各犯行の首謀者といえる。

被害者は,本件の発端となるA2一家傘下の構成員殺害事件とは一切関係がないにもかかわらず,対立する暴力団組織に所属していたという理由だけで,35歳という若さで命を奪われたのであって,その無念さは察するにあまりある。遺族である被害者の母親は,その意見陳述において,我が子を失った悲しみを述べており,本件がもたらした結果は当然のことながら重大かつ深刻というべきである。また,本件の犯行現場が小中学校も近くにある住宅街に位置していたことに照らすと,本件が,地域社会に与えた衝撃や不安も軽視できない。

被告人は,過去に2度も暴力団組織の活動に関連して殺人の罪を犯した前科があり,これら前科となる犯行では,2名の命を自らの手で奪い,1名に殺意をもって重傷を負わせ,合計で懲役27年の刑に処せられている。被告人は,このような長期の服役をしたのに悔い改めるどころか,服役する度に暴力団組織での地位を向上させて,またしても,今回の犯行を起こしたものである。本件を含め,これまでの人生で3回の機会に3名の人命を奪ったことは,被告人の反社会的な人格,生活態度を物語るものといってよい。しかも,被告人は,本件での共謀を否認し,不自然,不合理な弁解に終始して罪責を免れようとし,暴力団との関係を断つ決意を述べて真実を語った証人らの人格までもあげつらい,何らの反省の態度も示していない。

これらの点を考えると,被告人の刑事責任は極めて重く,無期懲役を選択するほかはない。また,本件では,けん銃が凶器として使用され,その所持・発射の態様により被告人の率いる暴力団の威力が社会に顕示され,それが暴力団の不正な権益の維持,不正な経済的利益の獲得につながっていること,本件が国内最大の広域暴力団であるA1組の直参組員であるとともに,傘下組織の組員を合わせて500名以上が所属するA2一家の首領である被告人によって主導され,その配下組員の多数が関与した組織性の高い犯行であることなどからすると,A2一家に対し効果的な経済的打撃を与えるとの観点から,その資金活動による利益の最終的な帰属主体である被告人に対し,無期懲役に併科して罰金3000万円に処するのが相当であると判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役 罰金3000万円)

(裁判長裁判官 多和田隆史 裁判官 松岡幹生 湯浅雄士)

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