さいたま地方裁判所 平成23年(わ)1721号 判決 2012年7月17日
主文
被告人を懲役2年に処する。
未決勾留日数中120日をその刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,平成23年7月16日午後10時30分頃,埼玉県新座市ab丁目c番d号被告人方において,重度の身体障害を持つ長男であるA(当時9歳)にリハビリをしていたところ,同人に対し,些細ないらだちから,その背後から両脇を両手で抱えて同人を持ち上げる立位保持の体勢から,その両手を放せば同人が崩れ落ちるかもしれないことを認識しながら,あえてその両手を放して同人を尻から畳の上に崩れ落ちさせ,さらに,その右脇及びでん部を抱えて持ち上げた同人をクッションの上に放り投げる暴行を加え,よって,同人に急性硬膜下血腫の傷害を負わせ,同月17日午前3時18分頃,同県所沢市所在のB病院において,同人を前記傷害により死亡させた。
(証拠の標目)省略
(争点に対する判断)
1 本件の争点
弁護人は,本件公訴事実のうち,Aに対して,背後から両脇を両手で抱えてAを持ち上げ,その両手を放して同人を畳の上に落としたとされる行為(以下「第1行為」という。)については,リハビリを行っていただけであり,右脇及びでん部を抱えて持ち上げたAをクッションの上に放り投げたとされる行為(以下「第2行為」という。)については,ごろんと横にしただけであり,いずれも暴行ではなく,また暴行の故意もないため,無罪である旨主張し,被告人もこれに沿う供述をする。
2 証拠によって認定できる事実
(1) 前提となる事実
関係証拠によれば,以下の事実が認められる。
ア 被告人とその妻であるCの長男であるAは,生後間もなく2度にわたって慢性硬膜下血腫を発症して手術を受けたが,脳が萎縮する状態となり,脳と硬膜を結ぶ架橋静脈が萎縮した脳に引っ張られて切れやすい状態にあり,頭部への衝撃や揺れによって生命を脅かされる危険性が高かった。このため,Aの各退院時(平成14年10月及び平成15年3月)に,医師から被告人及びCに,Aが脳萎縮を来していること,頭部に強い衝撃を与えないよう注意することなどの説明がされた。
イ Aは,前記脳萎縮の影響により最重度の知的障害と四肢体幹の重い機能障害となり,理学療法士によるリハビリを受けていたが,脳萎縮に対する配慮から頭部への衝撃や揺れには注意が払われていた。本件当時,Aは,介助なしで立位を保持することは難しく,気分次第で急に膝の力を抜くなどして,いつ体勢が崩れるか分からない状態であった。
ウ 被告人は,かねてから時折自宅でAにリハビリを行っていたところ,平成23年7月16日午後10時過ぎにも,被告人方の1階和室内でAに対するリハビリを開始した。Aは,このリハビリ直後急に容態が悪化し,病院に救急搬送された後の翌17日午前3時18分頃,急性硬膜下血腫により死亡した。
(2) 被告人の行為
ア 被告人の捜査段階の供述の概要
被告人は,本件暴行に関し,捜査段階において,前記(1)ウのとおりAのリハビリを始め,同日午後10時30分頃,Aの両脇を抱えて同人の足の裏が畳に付くくらいの高さまで持ち上げて両手を放し,その結果,Aはそのまま畳に尻餅をついて前のめりになったこと,その後,泣きやまないAをクッションに戻すことにし,立ち上がりながらAの右脇とでん部を持ち上げた両腕を右に振り,被告人が中腰になった状態で少し離れた場所にあるクッション目掛けて手を放してAを落としたこと,このようなことを行ったのは妻やAへの些細ないらだちがあったからであることなどを供述している。
イ 前記アの供述の信用性の検討
被告人は,本件直後の同月17日未明に,本件暴行を認める趣旨の上申書(乙10)を作成しているところ,本件暴行を目撃した者はおらず,警察官がこの点を誘導する手掛かりがなく,被告人自身も誘導を否定しているから,全体として,被告人が自発的に記憶に沿って記載したものと認められる。
その後の捜査段階においても,被告人は,第1行為におけるAの足の状態や,Aが体重を足で支える状況にあったか否かの認識に関する点については変遷が見られるが,主要部分である自らが両手を放したことによりAが畳に尻餅をついて前のめりになったこと自体は一貫して認め,また,Aを中腰の状態からクッションの上に放って落としたことや妻及びAに対する些細ないらだちも一貫して認める供述をしている(乙10,12の添付図面,15,甲30添付写真5から14まで,乙6)。
しかも,被告人がAをクッションに放って落とした点や被告人のいらだちの点については,隣室にいて「どさっ」という物音を聞いて慌てて和室に入り,「八つ当たりしないで。」と言った旨の証人Cの公判供述や,「うちのパパがポーンと投げた」旨の119番通報時のCの発言内容(甲27)によって裏付けられている(この点の証人Cの公判供述は,夫である被告人に不利な内容をあえて供述するものである上,Aの状態をある程度冷静に観察して状況を報告している前記119番通報時のCの発言内容とも整合しており,十分に信用できる。)。
このように,被告人の捜査段階における前記供述は,上申書作成の経緯やその後の一貫した供述経過,証人Cの公判供述等によって裏付けられており,十分に信用できる。
ウ 被告人の当公判廷における供述
これに対し,被告人は,当公判廷において,第2行為については,膝立ちの姿勢でAをクッションの上に静かに置いたものであり,上申書(乙10)については,Aを死亡させてしまった罪悪感から事実ではないことを記載してしまったものである旨供述する。
しかし,第2行為については,物音に関する証人Cの前記公判供述と矛盾しており,また,被告人は,虐待も疑われている状況下においてあえて自己に不利な内容の上申書を作成し,その内容も罪悪感によるものというだけでは十分に説明できないことから,被告人の前記供述は信用できない。
エ したがって,前記アのとおりの事実が認められる。
3 被告人の行為が暴行に当たるか
(1) 第1行為について
Aは,前記2(1)アイのとおり,介助がない状態で立位にされると転倒して頭部に衝撃や揺れが加わる可能性が極めて高く,その場合,その生命を脅かされる危険性すらあった。かかる客観的危険性からすれば,Aに対して,転倒に備えていつでも支えられる準備をすることなく,足が畳につく高さに持ち上げて両脇から手を放した行為は,もはやリハビリとして許容される範囲を超えており,不法な有形力の行使である暴行に当たると認められる。
(2) 第2行為について
立ち上がりながらAの右脇とでん部を持ち上げた両腕を右に振り,被告人が中腰になった状態で少し離れた場所にあるクッション目掛けて手を放して落とすという行為は,Aの身体を放り投げる行為と評価すべきであって,Aの身体障害の程度や頭部への衝撃や揺れの危険性を論ずるまでもなく,不法な有形力の行使である暴行に当たることは明らかである。
4 被告人には暴行の故意があったか
(1) 暴行の故意について
ア 被告人は,第1行為に関し,前記2(1)イのAの身体障害の程度について当然把握しており,当公判廷においても,リハビリ中に何度もAが崩れ落ちることがあった旨供述している。したがって,被告人は,本件当時,Aが立つと思っていたなどと供述するが,そのように思ったことに説得的な根拠はなく,Aから手を放した場合,Aがそのままバランスを崩して尻餅をつくなどの可能性を十分認識していたことは明らかである(この点,被告人は,崩れるAを支えようとしたが間に合わなかったとも弁解するが,公判段階までかかる供述をしなかったことに対する合理的説明がなく,信用できない。)。
また,第2行為については,被告人の認識を疑わせる事情はない。
イ そうすると,被告人は,Aの背後から両脇を両手で抱えて同人を持ち上げる立位保持の体勢から,その両手を放せば同人が崩れ落ちるかもしれないことを認識しながら,あえてその両手を放して同人を尻から畳の上に崩れ落ちさせたと認められ(第1行為),さらに,その右脇及びでん部を抱えて持ち上げた同人をクッションの上に放り投げたこと(第2行為)についても故意があったことは明らかである。
(2) 被告人の弁解等について
これに対し,被告人は,当公判廷において,Aを長年養育していく中で頭部の危険性への意識が薄れてきており,本件当時は漠然と頭が大事であるという認識を有していたにとどまる旨供述し,弁護人は,被告人には本件行為の危険性の認識がなかったため,暴行の故意は認められない旨主張する。
しかし,結果的加重犯である傷害致死罪の故意としては,暴行の故意,すなわち人の身体に対し不法な有形力を行使することの認識があれば足り,傷害結果が生ずる可能性まで認識している必要はないのであるから,弁護人の主張は採用できない。
5 結論
以上のとおり,Aは,被告人による第1行為及び第2行為の一連の暴行によって,急性硬膜下血腫を発症してこれにより死亡したことは明らかであり,被告人には傷害致死罪が成立する。
(法令の適用)
罰条 刑法205条
酌量減軽 刑法66条,71条,68条3号
未決勾留日数算入 刑法21条
訴訟費用の負担 刑事訴訟法181条1項本文
(量刑の理由)
被告人は,被害者を長年養育していく中で頭部の危険性に対する意識が薄れていたところ,妻との些細な意見の対立や,思うように被害者がリハビリをしないことのいらだちから,被害者が転倒・落下に対する防御能力がなく,頭部への衝撃が生命に関わるものであることに十分思いを致すことなく,リハビリ中に被害者を支える両手を放した。かかる行為の客観的危険性に加え,被告人が更に被害者をクッションに放り投げたことは,もはやリハビリ中の行為と評価する余地はないことをも併せ考えれば,被告人の行為は強い非難を免れない。そして,被害者は,被告人のいずれか又は両方の行為により将来の無限の可能性を奪われ,その結果は取り返しのつかない重大なものである。
そうすると,被告人が父親としての愛情をもって障害児である被害者を養育してきており,本件暴行の際のリハビリもその一環である点を十分考慮しても,被告人の刑事責任は相応に重く,本件は実刑をもって臨むほかない。
したがって,被告人に対しては,酌量減軽をした上,主文の刑に処するのが相当である。
(求刑 懲役5年)
(裁判長裁判官 大熊一之 裁判官 小坂茂之 裁判官 津島享子)