大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

さいたま地方裁判所 平成23年(行ウ)43号 判決 2012年7月25日

主文

1  埼玉県公安委員会が原告に対して平成23年3月16日付けでした運転免許の効力停止処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

主文同旨

第2事案の概要

本件は、埼玉県公安委員会から平成23年3月16日付けで運転免許停止処分(本件処分)を受けた原告が、本件処分の理由とされた平成22年8月7日発生の交通事故(本件事故)は原告の安全運転義務違反行為により惹起されたものではなく、本件処分の理由は存在しないと主張して、本件処分の取消しを求めている事案である。

1  前提となる事実(争いのない事実ないし顕著な事実の外は、かっこ内に示した証拠により容易に認定できる。)

(1)  原告は、埼玉県公安委員会から、第一種中型運転免許証(番号<省略>)の交付を受けていた者である。(甲1、乙14)

(2)  原告は、平成22年8月7日午後5時24分ころ、普通軽乗用自動車(原告車両)を運転して、県道川口上尾線(本件道路)を東京都方面からさいたま市方面に向けて進行中、埼玉県川口市<以下省略>先路上において、進路前方を右から左に向けて道路を斜めに横断してきたA運転の自転車(本件自転車)に衝突した(本件事故)。本件事故により、Aは頭部外傷の傷害を負い、同日午後6時47分、同傷害により死亡した。(乙5、12、13)

(3)  原告は、平成23年1月25日付けで、本件事故に関し、前方左右を注視し、進路の安全を確認しながら進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、助手席に置いてあるタバコを取るために脇見をし、前方左右を十分注視せず、進路の安全確認不十分のまま漫然進行した過失により、本件自転車に気付かず、同自転車の左側面部に自車前部を衝突させたとして、自動車運転過失致死罪でさいたま地方裁判所に起訴された。

(4)  埼玉県公安委員会は、原告に対し、平成23年3月16日付けで、原告の運転免許の効力を同日から同年9月11日までの180日間停止する旨の処分をした(本件処分)。処分事由は、平成22年8月7日の安全運転義務違反に係る基礎点数2点及び交通事故付加点数13点(人の死亡に係る交通事故で、交通事故が専ら当該違反行為をした者の不注意によって発生したものである場合以外の場合)により累積点数が15点に達したことである。(甲1)

(5)  さいたま地方裁判所は、前記(3)に係る自動車運転過失致死被告事件について、平成23年8月11日、原告が脇見をせずに前方左右を注視していたとしても衝突を避けることができなかった可能性が否定できず、原告の過失行為と衝突との間に因果関係があると認定できないとして、原告につき無罪判決を言い渡し、同判決は同月26日に確定した。(甲2、3)

(6)  原告は、平成23年9月9日、本件訴えを提起した。

2  争点

原告の安全運転義務違反行為と本件事故との間に因果関係があるか。

3  争点に関する当事者の主張

(被告の主張)

(1) 本件事故に係る原告の運転行為は、道路交通法(道交法)70条の安全運転義務に違反し、安全運転義務違反の基礎点数が2点とされ、人の死亡に係る交通事故としての付加点数を13点として累積点数を15点とし、道路交通法施行令(施行令)38条5項1号イにより別表第3の1の表に当てはめると、前歴がない者の第6欄に該当することから、運転免許を取り消すべきものとされるが、埼玉県公安委員会は、裁量により180日間運転免許を停止することとして(道交法103条1項本文)、原告に対し本件処分を執行したものである。

(2) 本件においては、被告がコンピューターグラフィックを用いて再現した衝突前の原告車両及び本件自転車の位置関係により、本件事故時において本件自転車に対する視界を遮る車両が存在したとの疑いは、健全な社会常識に照らして、合理性がないと判断されるべきである。本件事故の目撃者であるBの供述は、原告の進路前方対向車線上の右折車線に停止車両が存在しなかったことを示すものであり、本件事故の発生時刻と同時刻ころにおける本件道路の交通量に関する調査によっても、4台以上の車両が右折車線に停止することはおよそあり得ないことであって、原告自身も、刑事裁判における公判供述で、右折車線に車両が存在したとの確実な記憶はない旨述べているのであるから、右折車線に車両が存在したと仮定することは健全な社会常識に反する。万が一、対向車線上の右折車線に停止車両が3台存在し、かつ、本件自転車の側方を通過して右折車線に進行する車両が存在したとしても、原告が前方を注視していれば、本件自転車を発見し、衝突を回避することができたものである。

(3) したがって、本件処分は適法である。

(原告の主張)

(1) 原告に対する自動車運転過失致死被告事件に係る無罪判決により、原告の安全運転義務違反行為により本件事故が惹起されたのではないこと、すなわち、原告が違反行為をし、よって交通事故を起こしたわけではないことが明らかになった。

(2) 被告は、原告の注意義務違反の地点・行為や原告車両の運転速度といった本件処分の基礎となる事実につき変遷した主張をしており、処分の基礎となる事実を特定できていない。刑事裁判でなされた事実認定は合理的であり、被告の主張立証は極めて不十分である。

(3) したがって、原告の過失行為と本件事故との間に因果関係は存在せず、本件処分は重大な事実誤認があり、道交法103条1項各号の理由に該当せずになされた違法なものであるから、取り消されるべきである。

第3当裁判所の判断

1  運転免許停止処分をするためには、前歴がない者については、違反行為に付する点数の累積点数が6点に達する必要がある(道交法103条1項5号、施行令38条5項2号イ、別表第3の1の表第7欄)。違反行為に付する点数は、一般違反行為に付する基礎点数又は特定違反行為に付する基礎点数として施行令別表第2の1又は2の表に定められた点数が付されるとともに、当該違反行為をし、よって交通事故を起こした場合には、上記基礎点数に、施行令別表第2の3の表に定められた点数が付加される(施行令別表第2の備考一の1、2)。人の死亡に係る交通事故の場合の付加点数については、別表第2の3の表により、交通事故が専ら当該違反行為をした者の不注意によって発生したものである場合における点数が20点、それ以外の場合における点数が13点とされる。

本件においては、前提となる事実(4)のとおり、原告は、本件事故について、安全運転義務違反に係る基礎点数2点及び人の死亡に係る交通事故の場合の付加点数13点の合計15点が付されたものである。安全運転義務違反に係る基礎点数2点については争いがなく、交通事故の付加点数13点を付することができるか否か、すなわち、「当該違反行為をし、よって交通事故を起こした場合」(施行令別表第2の備考一の2)に当たるか否かが争われている。そこで、以下に検討する。

2  後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  本件道路は、片側2車線であるが、衝突地点付近の対向車線(さいたま市方面から東京都方面に向かう車線)は、右折車線が設けられて3車線となっている。(乙5、16)

(2)  原告は、本件事故当日、西川口駅前にある建設現場での仕事を終え、会社に戻るため、本件道路を原告車両で走行していた。原告車両は、衝突地点の手前にある交差点において、赤信号のため、第2車線の先頭で停止した。その際、交差点の反対側に、車線ははっきりしないが、複数台の対向車両が止まっていた。(乙25)

(3)  その後、対面信号機が青色に変わったので、原告は、原告車両を発進させた。そのころ、進路前方の対向車線右端(a店店舗の向かい側付近)を東京都方面に向かって走行していた本件自転車が、原告車両から見て左手前の方向へ斜めに横断し始めた。原告は、時速30キロメートルないし40キロメートルで交差点を通過し、対向車両複数台とすれ違った後、助手席に置いてあるタバコを取るために脇見をしていたところ、道路を横断して原告車両の進路上に進入してきた本件自転車に衝突した。原告が脇見を開始したのは、発進地点からは約47メートル進行した地点で、衝突地点からは約15.1メートル手前の地点であった。また、本件自転車が斜め横断を始めた地点の対向車線は2車線であったが、衝突地点では右折車線を含めて3車線になっていた。(乙5、13、16、17、20、25)

(4)  原告は、衝突の寸前まで本件自転車に全く気付かず、衝突の直後にブレーキをかけ、衝突地点から約18.9メートル進行したところで原告車両を停止させた。(乙5)

(5)  本件事故当日の午後5時42分から午後5時51分まで、本件事故現場の実況見分が行われた。そのときの天候は晴れであり、路面は平坦で乾燥していた。(乙5)

3(1)  「当該違反行為をし、よって交通事故を起こした場合」といえるためには、当該違反行為と交通事故との間に相当因果関係が存在する必要があると解される。

本件において、原告は、交差点を通過した後、衝突地点から約15.1メートル手前の地点から衝突するまでの間、助手席に置いてあるタバコを取るため脇見をし、前方左右の注視を怠ったものであり、かかる原告の安全運転義務違反については当事者間に争いがない。そして、上記以外の安全運転義務違反行為があったことについては、具体的な主張がなく、証拠上も全くうかがわれない。

(2)  原告が脇見を開始したのは衝突地点から約15.1メートル手前の地点であること、衝突の直後にブレーキをかけてから原告車両が停止するまでに約18.9メートル要していること、経験則上、乾いたアスファルト路面を時速30キロメートルないし40キロメートルで走行中の自動車の停止距離は11メートルないし20メートル程度とされていること(弁論の全趣旨)からすれば、仮に、脇見を開始した最初の地点、すなわち衝突地点から約15.1メートル手前の地点で、本件自転車を発見して急制動の措置をとることができたとしても、衝突地点よりも手前で停止することができず、衝突していた可能性が高いといえる。加えて、原告が脇見をせずに前方左右を注視していたとしても、対向車線を走行する自動車の存在によって、本件自転車に対する視界が遮られ、衝突地点から停止距離分手前の地点に至る前に本件自転車を発見することができなかった可能性もある。本件自転車に乗車していたAも、原告車両の存在には気付かなかったからこそ横断を開始したものと考えられるところ、このことに照らしてみても、原告車両と本件自転車との間に、互いに対する視界を遮る対向車両が存在したと推認するのが合理的である。さらに、本件自転車は、片側2車線の道路の交差点でない箇所を斜め横断しようとしたのであって、かかる自転車の存在を予め想定して運転すべきとはいえず、前方注視していても直ちに対向車両の後方から進行してくる自転車との衝突の危険を察知し、制動措置をとることができたとはいいがたい。

(3)  以上のことからすれば、原告が、脇見をせずに前方左右を注視し、安全運転義務を尽くしていたとしても、本件事故を回避することができなかった可能性が高いといえるから、原告の安全運転義務違反行為と本件事故との間に相当因果関係があるとは認められない。

4  これに対し、被告は、原告車両及び本件自転車の位置関係を再現したコンピューターグラフィック(乙26)を提出し、本件事故時において本件自転車に対する視界を遮る車両が存在したと仮定することは健全な社会常識に反する、また、万が一、対向車線上の右折車線に停止車両が3台存在し、かつ、本件自転車の側方を通過して右折車線に進行する車両が存在したとしても、原告が前方を注視していれば、本件自転車を発見し、衝突を回避することができたと主張する。しかし、上記証拠(乙26)において前提とされた対向車線上の自動車の台数や動きには合理的な根拠がないものといわざるを得ないから、かかる証拠に基づく被告の上記主張は採用することができない。

また、被告は、目撃者Bの供述が、対向車線上の右折車線に停止車両が存在しなかったことを示すものといえること、本件事故の発生時刻と同時刻ころにおける本件道路の交通量に関する調査によっても、4台以上の車両が右折車線に停止することはあり得ないことから、右折車線に車両が存在したと仮定することは健全な社会常識に反するとも主張する。しかし、Bの供述(乙13、17)は、当時、対向車線上を東京都方面に向かう車両が複数台あったことを述べるところ、本件自転車に対する視界を遮る対向車両としては、右折車線に停止している車両に限られないから、上記Bの供述並びに平成24年4月21日午後5時11分から同日午後5時41分まで及び同年5月12日午後5時11分から同日午後5時41分までにおける本件道路の交通量(乙29ないし32)を前提としても、前記3の判断を覆すものとはいえない。

5  よって、本件において、「当該違反行為をし、よって交通事故を起こした場合」とは認められないから、交通事故に係る付加点数13点は付加されず、原告の違反行為に係る累積点数は、運転免許停止処分をするための点数(道交法103条1項5号、施行令38条5項2号イ、別表第3の1の表第7欄)に達しないといわざるを得ない。

なお、被告は、免許停止期間である平成23年9月11日が経過したことにより本件処分の取消しを求める利益がなくなったと主張するようであるが、道交法103条1項5号、施行令38条5項、別表第3の各表及び備考によれば、公安委員会が道交法違反に対して行う行政処分の種類ないし程度を決定する際には、処分の前歴、すなわち累積点数に係る当該違反行為をした日を起算日とする過去3年以内の処分歴の有無及び回数が判断資料とされており、前歴の回数が多いほど、重い処分がなされることになる。他方、処分の日から、免許停止期間を除き、無違反かつ無処分で1年を経過した場合には、当該処会歴は前歴として考慮されなくなる。そうすると、少なくとも、本件処分に係る免許停止期間の終了から1年を経過するまでの間は、本件処分は前歴として将来の処分の加重原因となり得るものであり、いまだこれが未経過である現時点においては、原告には本件処分の取消しを求める利益があるというべきである。

第4結論

以上によれば、本件処分は違法であり、取り消されるべきであるから、原告の請求は理由がある。よって、これを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原啓一郎 裁判官 古河謙一 髙部祐未)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例