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さいたま地方裁判所 平成7年(ワ)2256号 判決 2003年10月10日

原告

甲野花子

同法定代理人後見人

甲山春子

同訴訟代理人弁護士

佐藤善博

被告

乙川太郎

同訴訟代理人弁護士

関本隆史

同訴訟復代理人弁護士

中尾隆宏

三井海上火災保険株式会社訴訟承継人

被告

三井住友海上火災保険株式会社

同代表者代表取締役

井口武雄

同訴訟代理人弁護士

原田策司

井野直幸

古笛恵子

同訴訟復代理人弁護士

小林ゆか

主文

1  被告乙川太郎は,原告に対し,4441万0429円及びこれに対する平成4年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告三井住友海上火災保険株式会社は,原告に対し,2590万円及びこれに対する平成8年2月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は,原告に生じた費用の2分の1と被告乙川太郎に生じた費用の5分の3と被告三井住友海上火災保険株式会社に生じた費用の10分の1を原告の負担とし,原告に生じた費用の3分の1と被告乙川太郎に生じた費用の5分の2を被告乙川太郎の負担とし,原告に生じた費用の6分の1と被告三井住友海上火災保険株式会社に生じた費用の10分の9を被告三井住友海上火災保険株式会社の負担とする。

5  この判決は,1,2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

1  被告乙川太郎は,原告に対し,1億4550万5540円及びこれに対する平成4年1月10日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告三井住友海上火災保険株式会社は,原告に対し,3000万円及びこれに対する平成6年1月2日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,原告が,軽貨物自動車を運転中,後方から右側追い越しをしようとした被告乙川太郎の運転する小型貨物自動車に衝突され,頸椎捻挫,腹部打撲,頭部打撲などの傷害を負うとともに混合性解離性(転換性)障害ないしPTSDの後遺障害が発生したとして,被告乙川に対し,不法行為ないし自賠法3条に基づき,被告三井住友海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という。)に対し,自賠法16条に基づき,損害賠償額の請求をした事案である。

第3  前提となる事実等(争いのない事実ないし証拠上明らかな事実)

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

(1)  発生日時 平成4年1月10日午前7時45分ころ

(2)  事故現場 埼玉県北葛飾郡杉戸町木野川<番地略>先県道(以下「本件事故現場」という。)

(3)  加害車両 被告乙川太郎の所有・運転する小型貨物自動車(以下「被告車」という。)

(4)  被害車両 原告運転の貨物軽自動車(以下「原告車」という。)

(5)  事故の態様 被告車は,県道西宝珠花屏風線を幸手市方面から庄和町方面へ進行中,前方を走っていた原告車が右折しようとしたので,後方から原告車の右側を追い越そうとして,原告車の右側面部に被告車の左前部を衝突させた。

(6)  事故の結果 原告(昭和19年5月2日生)は,頸椎捻挫,腹部打撲,頭部打撲等の傷害を負った。

2  被告らの責任原因

(1)  被告乙川の責任

ア 被告乙川は,追い越しのための右側部分はみ出しが禁止されていたから,道路右側部分にはみ出して追い越しをしないようにする注意義務があったにもかかわらず,これを怠り,原告車を追い越そうとし,道路右側部分にはみ出して,被告車の左前部を原告車の右側面部に後方から衝突させた過失により,本件事故を発生させた。

イ 被告乙川は,被告車の保有者であり,これを自己のために運行の用に供していた。

ウ したがって,被告乙川は,原告に対し,民法709条ないし自賠法3条に基づき,原告が本件事故により被った損害を賠償すべき責任がある。

(2)  被告会社の責任

被告会社は,本件事故当時,被告乙川との間で,被告車に関して,自動車損害賠償責任保険契約を締結していた。

したがって,被告会社は,原告に対し,自賠法16条に基づき,原告が本件事故により被った損害のうち,政令で定める保険金額の限度において,賠償すべき責任がある。

3  損害の一部てん補

原告は,本件事故に関して,医療費,入院雑費,休業損害等の名目で1458万9571円の支払を受けた。

第4  争点

1  原告の後遺障害の程度

(原告の主張)

原告は,混合性解離性(転換性)障害,外傷後ストレス障害(PTSD)となった。

日常生活のあらゆる面で,付きっ切りでの介助を要する状態が続いている。原告は,自賠法施行令別表(平成4年1月10日当時施行のもの,以下同じ。)2級3号「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,随時介護を要するもの」に該当する。

(被告乙川の主張)

(1) 原告の後遺障害は,PTSDではない。

原告の後遺障害が発症した時期は,本件事故から1年数か月後である。

PTSDの診断について,WHOの「国際疾病分類第10版」(以下「ICD―10」という。)では,強い外傷的出来事から6か月以内に起きたという証拠がなければ,一般にはこの診断を下すべきではないとしている。

アメリカ精神医学会による「精神障害の診断と分類の手引き第4版」(以下「DSM―Ⅳ」という。)では,PTSDの症状は,通常外傷を受けてから3か月以内に始まるという。

確かに,上記両基準には,1年を経過してから症状が発現する可能性を認めているが,相当期間経過後の発症について慎重な姿勢が示されいる。

しかし,PTSDの診断において,一般的基準を安易に弛緩させるべきではない。

(2) 自賠責保険の等級認定では,9級以上の等級を認定するためには,脳・脊髄などの中枢神経の異常の存在が原則として必要とされている。

原告の後遺障害は,中枢神経系の器質的病変を直接示す他覚的所見が乏しい。自賠法施行令別表2級3号とすべきではない。

(被告会社の主張)

(1) PTSDの診断について,ICD―10では,強い外傷的出来事から6か月以内に起きたという証拠がなければ,一般にはこの診断を下すべきではないとしている。

(2) 自賠責保険の等級認定では,9級以上の等級を認定するためには,脳・脊髄などの中枢神経の異常の存在が原則として必要とされている。

(3) 本件では,各入院先病院でのCT検査,MRI検査及び脳波検査で何ら異常を認められていない。神経学的異常も認められていない。原告には,中枢神経の異常はない。自賠法施行令別表9級以上を認定すべきではない。

(4) 自賠責保険の実務上,器質的損傷によるとの証明ができない心因的反応及び外傷性神経症は自賠法施行令別表14級10号とされている。目に見えない後遺障害の判断を客観的に行うために,上記基準に依拠すべきである。

2  本件事故と原告の後遺障害との因果関係

(原告の主張)

原告の解離症状や転換症状は,退院してから自宅で自らの心的・身体的機能の減退に直面化したことから発生した。本件事故によって,原告の心的・身体的機能が減退したから,本件事故と原告の混合性解離性(転換性)障害との間には因果関係がある。

(被告乙川の主張)

原告の後遺障害が発症した時期は,本件事故から1年数か月後である。借金の取立てが原告の後遺障害の原因と考えられる。

本件事故と原告の後遺障害の発症との間には,相当因果関係は認められない。

(被告会社の主張)

(1) 本件事故直後の入院後の入院時の診療録に「LOC(−)」(意識消失なし)と記載されている。入院時の意識は,清明であった。本件事故による外傷の程度は,意識障害を来すほどの頭部外傷はなかった。本件鑑定の結果は,前提である外傷の程度について誤認がある。

(2) 原告の後遺障害が発症した時期は,本件事故から1年数か月後である。借金の取立てが原告の後遺障害の原因と考えられる。

(3) 本件事故と原告の後遺障害の発症との間には,相当因果関係は認められない。

3  素因による影響の有無

(被告乙川の主張)

(1) 原告は,本件事故後の入院時に意識消失はなかった。本件事故当日の午後2時には,吐き気,気分不快も治まっていた。同日午後8時には,独歩で排尿した。その後も杖歩行が可能であり,作詞をするなど,心身共に相応の回復をしていたものが,失立・失歩の状態になった。

(2) 本件事故後及び退院時に,原告の後遺障害の症状は現れていない。本件事故によって原告が身体に受けた衝撃のみによって,原告の後遺障害が発症したとは考えられない。家庭での問題が相当程度寄与している。

(3) 本件事故の内容,傷害の部位・程度からして,原告の後遺障害は通常人であれば誰もが生じるものではない。相当程度,原告の個人的素因が影響している。

(4) したがって,素因による相応の割合の減額がなされるべきである。

(被告会社の主張)

外傷の程度に比して原告が重篤な後遺障害に至った原因には,原告に固有の生活環境や原告自身の性質による影響が大きい。その事情を損害賠償額の算定に斟酌すべきである。

(原告の主張)

(1) 本件事故の前後で原告の性格が変化している。原告の事故前の性格は,原告の後遺障害の要因になっていない。原告の性格(感受の仕方)は,原告の後遺障害の要因になっていない。心因的要素は,個性の多様さとして通常想定される範囲に含まれる。

(2) 借金は,原告の子供らが対応していた。借金問題が解決した後も原告の症状に変化がない。経済的問題は,原告の後遺障害の要因になっていない。

(3) 素因による減額をすべきでない。

4  過失相殺

(被告乙川の主張)

原告は,後方に被告車を認識しながら,右折の際,被告車を十分注意しなかった過失がある。原告にも,2割の過失がある。

(原告の主張)

原告が後方に被告車がいると認識していたのみでは,過失にならない。原告に,過失相殺されるべき過失はない。

5  損害額

(原告の主張)

合計1億3108万3236円

(1) 医療費 407万4521円

(2) 入院雑費 30万9400円

ア 1日当たり 1400円

イ 入院日数 合計221日間分

(3) 休業損害 828万8472円

ア 基礎収入 418万4595円(平成3年度の原告の収支内訳による。)内訳

(ア) 売上金額 1753万5210円

(イ) 売上原価合計 887万9580円

(ウ) 総経費 783万4864円

(エ) 固定経費 336万3829円

(オ) 原告の基礎収入 418万4595円 計算式・原告の基礎収入=売上金額−売上原価合計−(総経費−固定軽費)

イ 休業期間 723日

ウ 計算式 418万4595円÷365日×723日=828万8472円

(4) 逸失利益 4535万1385円

ア 基礎収入 年額418万4595円(平成3年度の原告の収支による。仮に,賃金センサスを採用するとすれば,平成13年度賃金センサス女性労働者学歴計50〜54歳平均賃金ないし平成6年度賃金センサス女性労働者学歴計50〜54歳平均賃金によるべきである。)

イ 労働能力喪失率 100%パーセント(自賠法施行令別表2級3号)

ウ 労働能力喪失期間 16年間(67歳まで)

エ 中間利息控除 10.8377(16年間のライプニッツ係数)

オ 計算式 418万4595円×1.0×10.8377=4535万1385円

(5) 後遺障害慰謝料 2370万円

(6) 入通院慰謝料 322万円(入院7か月間,通院16か月間)

(7) 将来の介護料 4781万2372円

ア 1日あたりの介護料 8000円(近親者付添人の標準額)

原告は,食事,トイレ,入浴,外出,歩行などの日常生活に必要な行為の全てに介護が必要である。原告一人を家において外出することはできない。終日の介護が必要である。原告の介護は,長男夏男が専任し,その妻夏江が朝,夜の食事を作り,次女秋子,長女春子も介護を手伝っている。

原告が自賠法施行令別表2級の「随時介護を要するもの」であっても,介護の程度において,同1級の「常に介護を要するもの」と変わりない。

イ 介護期間 35年間(51歳女性の平均余命期間による。)

ウ 中間利息控除 16.3741(35年間のライプニッツ係数)

エ 計算式 8000円/日×365日間×16.3741=4781万2372円

(8) 損害のてん補 1458万9571円

(9) 上記(1)ないし(7)の合計から(8)を控除した額1億1916万6579円

(10) 弁護士費用 1191万6657円(上記(9)の金額の10パーセント相当額)

(11) (9)及び(10)の合計 1億3108万3236円

(12) 訴訟が長期化したのは,原告側の責任ではない。後遺障害を認めてもらえなかったことに長期化した根本がある。遅延損害金の期間を短縮する理由はない。

(被告乙川の主張)

(1) 損害額は争う。

治療費は,平成6年2月16日までの社会保険求償分を除き,185万0775円である。

(2) 禁治産宣告のための鑑定未了という原告側の事情によって,約2年間審理が行われなかった。PTSDの主張も,原告後見人の尋問が終了してからなされた。

上記事情から,相応の期間,遅延損害金の発生は認められるべきではない。

(被告会社の主張)

損害額は争う。

第5  当裁判所の認定した事実

当事者間に争いのない事実に本件証拠(甲1ないし9,12,19,21ないし25,乙1(枝番を含む。以下同じ。)ないし22,丙1,証人甲山春子の証言,証人小田垣雄二の証言,鑑定の結果)及び弁論の全趣旨を総合すれば,次のとおりの事実が認められる。

1  原告の経歴等

(1)  原告(昭和19年5月2日生)は,21歳のとき,職場結婚した。23歳のとき,長女春子(昭和42年3月21日生)が生まれた。24歳のとき,長男夏男が生まれた。28歳のとき,二女秋子が生まれた。昭和53年,夫と離婚した。

(2)  原告は,離婚後,証券会社や保険会社の営業の仕事をしながら,子供ら3名を育てた。

(3)  原告は,昭和63年11月ころ,肩書住所地に自宅を取得した。平成元年,勤めをやめて,喫茶店の経営を始めた。平成3年ころ,釜飯の宅配業も始めた。

そのため,株式会社商工ファンドに100万円程度の借金をしたほか,2,3社の金融業者等から200万円余りの借金をした。

(4)  原告は,音楽や読書好きで,明るく積極的な性格であった。営業職や喫茶店の経営に向いていた。

(5)  原告は,昭和50年ころから,本能性低血圧症があるほかは,特記すべき既往症はなかった。精神神経疾患の既往もなかった。

2  本件事故の発生

(1)  原告は,平成4年1月10日午前7時45分前ころ,駅に送るため娘2人を乗せて原告車を運転し,自宅の駐車場から右折して県道西宝珠花屏風線に入り,時速約20キロメートルで進行した。

(2)  被告乙川は,総重量が約1.5トンのプロパンガスボンベ30本を掲載した被告車を運転し,会社に向かうため,幸手市方面から庄和町方面へ向かって県道西宝珠花屏風線を時速約50キロメートルで進行していた。その前方約27メートルに原告車が入ってきた。

(3)  原告車は,自宅駐車場から約30メートル先の交差点を右折するため,右折の合図をしながら減速して進行した。

(4)  被告乙川は,急いでいたため,原告車が右折する前に右側から原告車を追い越そうとし,対向車線に進出して,右折を始めた原告車の運転手席側面(原告側)に衝突した。

(5)  衝突後,原告車と被告車は,前方に約7.6メートル進行して停止した。

(6)  原告は,運転手席のドアが壊れて開かないため,助手席から運び出され,救急車で幸手市の秋谷病院に搬送された。

3  原告の治療・入院・通院状況等

(1)  原告は,平成4年1月10日(以下,年度の記載がない場合は平成4年を示す。),秋谷病院に入院した。

ア 原告は,救急車で搬送中,唾液状のものを2回嘔吐した。

イ 原告は,吐き気を訴えた。しかし,入院時の意識レベルは清明であった。意識喪失はなかった。片麻痺はなかった。胸部に雑音はなく正常であった。腹部は平坦で軟らかかった。入院時の血圧は,100/60であった。

頭部のCT検査を行ったが,頭蓋内に病変はなかった。腹部のエコー検査及び胸部のレントゲン検査とも異常なかった。

原告は,一人で歩いて排尿した。

ウ 1月11日,背部痛があった。

エ 1月14日,めまいがまだあった。嘔吐を1回した。

オ 秋谷病院は,1月14日,原告を,頸椎捻挫,腹部打撲傷,頭部打撲傷と診断した。

(2)  原告は,1月16日,原告自身及び家族の希望によって,秋谷病院から春日部市立病院に転院した。救急車で春日部市立病院に入院した。

(3)  春日部市立病院での治療状況等は,次のとおりである。

ア 1月16日,意識レベルは清明であった。原告は,両手のしびれ,めまい,頭重感を訴えた。四肢筋力低下,知覚低下,食欲不振が認められた。頸椎損傷によるものと考えられた。

CT検査で明らかな所見はなかった。MRI検査では脳に異常はなかった。

頭部外傷Ⅱ型及び頸随損傷と診断された。

イ 1月28日,四肢の企図振戦が左右に著明にみられた。味覚障害もみられた。

ウ 1月31日,CT検査によれば,味覚障害の原因と考えられる脳の低密度域が見られた。これに近接する部位が原因で企図振戦が現われていることが考えられた。

エ 2月に入って,リハビリ治療が開始された。当初は,車椅子や歩行器による訓練であった。

オ 2月10日,リハビリ中にめまい,吐き気があった。食欲はあまりなかった。

カ 2月21日,リハビリ室で嘔吐した。めまいもあった。

キ 2月28日,右耳介部周辺に疼痛があった。胸部に圧迫感があった。食欲不振であった。

ク 3月2日,朝方,嘔吐した。吐き気や頚部痛があった。胸部圧迫感があった。脳波のチェックが指示された。

ケ 3月7日,血圧は96/64で常に低血圧傾向であった。カルニゲンの投与を開始した。

コ 3月9日,カルニゲンの投与は効果的で,血圧は110/70であった。吐き気,嘔吐もなかった。全身状態が良好であった。

サ 3月中旬から,杖をついての歩行訓練が始まった。4月15日ころから,杖なしで歩行訓練を始めた。

シ 4月28日,リハビリ担当者は,あとは本人の自信の問題であり,退院は可能である,しかし,原告が心と体がばらばらと表現して退院を遅らしてほしい旨訴えると報告している。

ス 5月6日,食欲不振であった。頭痛があり,全身のしびれ,倦怠感があった。

セ 5月12日,リハビリ担当者は,家族に対し,入院中の訓練はひととおり終わり,これからは自宅で日常生活の拡大を図るほうがよい,道路等の歩行時は原告の不安感が強いので家族の付き添いがあったほうがよい旨話した。ただ,リハビリ担当者は,原告が食欲不振等により急激にやせているので,脳外科的あるいは内科的問題があるのか,何か退院について不安があるのか疑問を抱いている。

ソ 5月18日,頚髄をMRIで検査した。脊髄軟化症等明らかな異常は認められなかったが,脊髄症性変化があるようにも見えた。

タ 5月20日,食欲不振に対する漢方薬を開始した。

チ 6月8日,食欲不振であった。頭痛があった。血圧は100/90と投薬の効果が十分でなかった。

ツ 6月21日,原告は,弟の葬儀があると言って外泊した。しかし,実際には,弟は,死亡しておらず,原告の思い込みであった。

テ 7月6日,入院時より精神的落ち込みが強く,食欲不振が続いていた。脳神経外科的には退院の時期であるが,体重が60キログラムから47キログラムと減少しているので,器質的な疾病の有無の判定を脳神経外科から外科に依頼した。

ト 7月20日,外科的には問題ないとの報告があった。

ナ 7月29日,子宮頚部にのう胞を見付けたので,婦人科の診断を依頼した。婦人科も問題なかった。

ニ 8月17日,原告は,春日部市立病院を退院した。

退院時の診断は,頭部外傷(Ⅱ型),頚髄損傷,本態性低血圧症などとされた。退院時は,少なくとも杖歩行が可能であった。外来による経過観察とされた。

(4)  原告が入院したため,自宅での喫茶店の経営はやめていた。商工ローンなど金融業者等への借金の返済が滞り,取立てがくるようになった。原告が対処できないため,子供らが債権者との対応に当たった。

原告は,自宅に帰っても,手のしびれでフライパンを持つこともできなかった。精神的な落ち込みがひどく,人に会いたがらず,家に閉じこもってばかりいた。

平成4年9月,原告は,遺書を残して家出をしようとした。自殺のおそれがあることから,子供らが交代で原告の付き添いをするようになった。食事や風呂も一人でできなくなった。以後,食事,入浴,排泄などの介護が必要な状況になり,その他は,テレビを見たり,座位をとってぼんやりしているか,横たわったりしていることが多い状況が現在まで継続している。

(5)  原告は,春日部市立病院を退院後,次のとおり,同病院に通院している。

ア 平成4年8月29日,脳神経外科での通院治療を開始した。以後,月2回程度の割合で通院した。投薬治療が続けられた。

イ 平成5年3月27日,抗うつ剤が投与された。

ウ 平成5年4月24日,うつ状態にあり,見当識障害もあった。

エ 平成5年6月8日,情動失禁があった。

オ 平成5年6月12日,無表情で,医師の名前を覚えていなかった。外界からの刺激に対してほとんど無反応な状態であった。

カ 平成5年6月16日,脳神経外科から神経科に診察依頼がされた。神経科医による診断結果は,妄想状態であった。以後,脳神経外科と精神科とに,月2,3回程度に通院した。子供らが通院に付き添った。

キ 平成5年6月30日,脳波検査の結果は正常であった。

ク 平成5年7月24日,男の人が私を殺そうとしているなどと言って泣いた。

ケ 原告の症状や治療に特段の変化がないまま,通院が続いた。

コ 平成6年3月4日,頸随損傷,外傷に起因するうつ状態との傷病名で平成6年1月1日ころに症状が固定したとの診断書が作成された。

サ 原告は,平成6年5月25日まで脳神経外科へ通院した。しかし,医師から,治療による病状の改善が見込めない旨の説明があり,与えられた薬によって原告に発疹が出たが,投薬を中止しても症状が変わらなかったこともあって,原告の子供らは,通院を中止し,家族で原告の面倒を見ていくことにした。

4  原告の禁治産宣告

(1)  春子は,平成7年,さいたま家庭裁判所(当時の浦和家庭裁判所)越谷支部に対し,原告の禁治産宣告及び後見人選任の審判を申し立てた(同庁平成7年(家)第2084号及び第2085号事件)。

(2)  原告の精神状況等の鑑定を依頼された南埼玉病院の精神科医師である望月清隆は,平成11年3月20日,次のような内容の鑑定書を提出している。

ア 平成10年10月2日から同月7日までの原告の入院診断の状況

(ア) 問い掛けに対し,表情の変化はほとんどない。発語もない。自発的な動きもほとんどなく,混迷状態である。

(イ) 血液生化学・尿検査,頭部CT検査,脳波検査でも異常はない。

(ウ) 移動は,車椅子による。食事,洗面,排泄等で全面介助が必要であった。

イ 鑑別診断

(ア) 急性期から亜急性期の症状

一過性の意識障害,事故体験についての健忘,頭痛,眩暈,吐き気・嘔吐,左手のしびれ,腰・頚部痛などが見られる一方,CT・MRI・脳波等の検査所見に特別の異常がないことからして,頭部外傷型Ⅱ型(脳震盪型)及び頚椎捻挫の急性期症状であった。

(イ) 亜急性期から慢性期の症状

その後,引き続いていた頭痛・眩暈・吐き気・嘔吐等の脳震盪症状が継続し,一方,食欲不振・不眠・抑うつ気分・不安・自発性の低下・心身の不調和感などが出現し,これらが相乗的に働き,悪循環となって,症状を遷延化させた。

(ウ) 慢性期の症状

退院後は,自営業の閉鎖やローンの返済といった事故後の経済的現実への直面化によると思われる抑うつ症状の再燃悪化が先ずあり,その後失見当識や記名力低下,情動失禁,さらに幻覚・妄想状態と思われる症状等多彩な症状を呈した後,長期にわたって,ある程度外界の状況は理解できるが,ほとんど発語もなく,外界の刺激に反応しない状態(混迷状態)が現在まで続いている。

ウ 鑑定主文

(ア) 本件事故の結果,脳震盪型の頭部外傷及び頚椎捻挫を来し,その後,脳震盪後症候群による心理的,脳器質的な諸症状に悩まされ,並行して性格変化を来した。これらが基盤となって,本件事故による経済的損失という問題に対して強い精神機能上の反応を示し,平成5年6月ころから解離性混迷に陥り現在に至っている。

(イ) 5年以上にも及ぶ長期にわたって,外界の刺激に対する反応や自発性が極度に障害された混迷状態にあり,民法にいう心身喪失の常況にある。

5  本件鑑定の内容

本件訴訟において,原告の症状について鑑定を命じられた埼玉医科大学精神医学講座の医師小田垣雄二の鑑定結果の内容は,おおよそ次のとおりである。

(1)  4回の診断結果からすれば,原告は,発語や行動のうえで,著しい意思発動性の抑制があり,日常の基本的な活動においても全面的介護を要し,通常の会話もままならない状態にある。ただし,睡眠・覚醒のリズムは保たれており,開眼し,周囲からの刺激に対して言葉で対応したり,情緒的反応が見られたりすることがあって,少なくとも意識水準は清明に保たれていると考えられる。特に反応を誘発しやすい外界からの刺激は,車や事故を連想させる言語的刺激や視覚的又は聴覚的刺激である。その際には,流涙や叫び声などの情動反応をともないやすい。原告の状態は,亜混迷状態である。

(2)  神経学的所見や諸検査所見からは,格別の異常は認められない。

(3)  中枢神経系の器質的病変を直接示す他覚的所見は乏しいが,臨床的には本件事故による心身機能の減損が存続していると考えるべきである。

(4)  原告の症状は,ヒステリー状態,頭部外傷後後遺症,混合性解離性(転換性)障害と認められる。

(5)  自賠法施行令の別表の後遺障害等級2級3号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,随時介護を要するもの」に該当する。

第6  争点に対する判断

1  原告の後遺障害の程度

上記認定のとおり,原告は,食事,入浴,排泄等を自発的に行うことができず,介護が必要であり,通常の精神的身体的な活動はできないから,自賠法施行令別表2級3号「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し,随時介護を要するもの」に該当する後遺障害があると認められる。

中枢神経の異常など器質的損傷が他覚所見として認められないことは,上記後遺障害認定を妨げない。

2 本件事故と原告の後遺障害との因果関係

上記認定の事実関係によれば,(1) 原告は,本件事故後の診察では意識喪失がなく,CT検査やMRI検査などの検査による格別の異常は認められていないが,本件事故直後に嘔吐があり,その後も嘔吐や吐き気,しびれ感,頭痛などを訴え,春日部市立病院で頭部外傷Ⅱ型及び頚髄損傷との診断を受けていることから,本件事故によって頭部に何らかの損傷を受けた可能性が高いと推認できる,(2) その後,原告は,引き続いて頭痛,眩暈,吐き気,嘔吐等の症状が継続する一方,食欲不振,不眠などの抑うつ状態が生じている,(3) 退院後,原告は,喫茶店の閉鎖や債務の返済といった本件事故後の経済的問題等に直面し,さらに抑うつ症状が悪化して,見当識の喪失,情動失禁,幻覚・妄想等の諸症状が現われ,頭部外傷の後遺症とみなされるヒステリー症状,混合性解離性(転換性)障害が残った,と認められるから,本件事故と原告の後遺障害との間の法的因果関係を肯定するのが相当である。

原告の後遺障害が生じた原因に原告の経済的問題があることは明らかであるが,本件事故によって原告に生じたと推認される頭部外傷とは無関係に経済的問題のみを原因に原告の後遺障害が生じたとは認め難いし,被告らが指摘する経済的問題は本件事故によって生じたものであるという意味でも因果関係が肯定できる(被告らが休業損害の賠償金を仮払いしていたことをもって,本件事故と経済的問題の発生との間の因果関係を否定することはできない。)から,いずれにしても原告の後遺障害の原因の一つに経済的問題があることは,本件事故と原告の後遺障害との因果関係を否定する理由にはならない。また,本件事故直後の診断で意識喪失が認められていないことや原告の精神障害が明確に認識されるようになったのが事故から1年数か月経過後であることは,上記因果関係の判断を妨げるものではない。

3  素因による影響の有無

身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合においても,その損害が加害行為のみによって通常発生する程度,範囲を超えるものであって,かつ,その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは,損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし,損害賠償の額を定めるに当たり,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して,その損害の拡大に寄与した被害者の上記事情を斟酌することができるものと解するのが相当である。

これを本件についてみれば,(1) 本件事故は,同一方向に進行していた車両の側面接触事故であり,原告の傷害は,頸椎捻挫,腹部打撲傷,頭部打撲傷であったから,原告に発生した混合性解離性(転換性)障害と診断された重篤な後遺障害は本件事故によって通常発生することが予想される被害の程度,範囲を超えるものである,(2) 精密検査を行っても,脳神経系,中枢神経系に器質的病変を示す他覚所見が認められず,混合性解離性(転換性)障害の症状が明確に認知され始めたのは,本件事故から約1年4か月が経過した後である,(3) したがって,原告の重篤な後遺障害は,本件事故によって通常予想される損害の範囲を超えて,本件事故あるいは本件事故によって生じた経済的な問題を含めた諸障害に対する原告の対処・感受の仕方という原告の心因的要因が寄与して発生したと推認できる(本件事故の態様や外傷の程度からすれば,原告の感受の仕方及び精神的障害の状況は,個人の個体差として通常想定された範囲を超えていたものと認められる。)から,原告の重篤な後遺障害にまで損害が拡大したことに寄与した原告の心因的要因を斟酌して,損害の公平な分担の見地から,原告に生じた損害のおよそ4割弱を減額するのが相当である。

4  過失相殺

被告乙川は,上記認定のとおり,右折の合図をしている原告車を追い越すために右側部分にはみだして進行しており,原告が後方から右側を追い越す被告車の動静を予見していたあるいは予見すべきであったとは認められないから,過失相殺するに足りる原告の注意義務違反は認められない。

5  損害

本件事故による損害は,次のとおり,認定する。

(1)  治療費 185万0775円

上記認定の事実に,本件証拠(甲22,乙21)及び弁論の全趣旨によれば,本件事故による医療費として,合計185万0775円を要したと認める。

(2)  入院雑費 28万7300円

原告は,入院雑費として,28万7300円の損害を被ったと認められる。

入院雑費 1日当たり1300円

入院日数 221日間(平成4年1月10日から平成4年8月17日まで)

(3)  休業損害 828万8472円

ア 基礎収入 418万4595円(平成3年度の原告の税務申告の収支内訳による(甲19,22)。)

(ア) 売上金額 1753万5210円

(イ) 売上原価合計 887万9580円

(ウ) 総経費 783万4864円

(エ) 固定経費 336万3829円

(オ) 計算式 1753万5210円−887万9580円−(783万4863円−336万3829円)=418万4595円

イ 休業期間 723日間(平成4年1月10日から平成6年1月1日まで)

ウ 計算式 (418万4595円÷365日=1万1464円)×723日間=828万8472円

(4)  逸失利益 3572万2142円

ア 基礎収入 329万6100円(平成4年度賃金センサス女子労働者学歴計50〜54歳による。)

原告の喫茶店経営は,本件事故までに3年足らずしか経過していないから,将来の16年間に及ぶ原告の収入としては,事故時である平成4年度の賃金センサス女子労働者学歴計50〜54歳平均に基づくのが相当である。

イ 労働能力喪失率 100パーセント

ウ 労働能力喪失期間 16年間(67歳まで)

エ 中間利息控除 10.8377(16年間のライプニッツ係数)

オ 計算式 329万6100円×1×10.8377=3572万2142円

(5)  後遺障害慰謝料 2200万円

原告は,本件事故によって,自賠法施行令別表2級3号に該当する後遺障害が生じているから,後遺障害慰謝料としては2200万円を相当と認める。

(6)  入通院慰謝料 260万円

上記認定のとおりの原告の治療経過,入通院期間及び通院実日数,傷害の部位及び程度等の諸事情を総合考慮すると,原告に対する入通院慰謝料は,260万円が相当である。

(7)  将来の付添費 1792万9639円

ア 年間 109万5000円(1日当たり3000円)

原告は,食事,入浴,排泄等を自発的に行うことを見込めず,これらの行為をするのに介護が必要であると認められるが,原告は,テレビを見たり,座位をとってぼんやりしていたり,横たわったりしている状況が多いのであって,原告を常時監視する必要があるとまでは認められないから,その付添費としては,1日当たり3000円を相当と認める。

イ 付添看護期間 35年間(51歳の女性の平均余命期間による。)

ウ 35年間のライプニッツ係数 16.3741

エ 計算式 109万5000円×16.3741=1792万9639円

(8)  上記(1)ないし(7)の合計 8867万8328円

(9)  素因減額後の残損害額 5500万円

被害者である原告の心因的要因を斟酌して,損害賠償の額は,上記(8)の8867万8328円からおよそ4割弱を減じた5500万円と定める。

(10)  損害のてん補後の損害額 4041万0429円

原告が損害のてん補として1458万9571円の支払を受けた事実は,当事者間に争いがない。

上記(9)の損害賠償額5500万円から上記てん補額1458万9571円を控除すると,残損害賠償額は4041万0429円となる。

(11)  弁護士費用 400万円

本件事案の内容,訴訟の審理経過,前記損害額,その他一切の事情を考慮すると,原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は,400万円が相当である。

(12)  損害賠償額の合計 4441万0429円

6  なお,本件事案の内容,訴訟の審理経過,その他の事情を考慮しても,不法行為による損害賠償債務の遅延損害金が不法行為時から発生することを妨げる特段の事情は,認められない。

第7  結論

よって,原告の本訴請求は,被告乙川に対し,損害賠償金4441万0429円及びこれに対する不法行為の日である平成4年1月10日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,被告会社に対し,自賠責保険の後遺障害等級2級の保険金額を限度とする2590万円及びこれに対する催告の日である訴状送達の日の翌日である平成8年2月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,被告らに対するその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条,65条を,仮執行宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・小林正明,裁判官・合田智子,裁判官・小池将和)

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