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さいたま地方裁判所 平成9年(ワ)111号 判決 2001年8月27日

原告

田谷野裕士

ほか一名

被告

須藤徹

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

(一)  被告らは連帯して、原告田谷野裕士に対し金三五五四万六七八九円、原告田谷野幸江に対し金三〇五三万九三五九円及びこれらの金員に対する平成六年一月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行宣言

二  被告ら

主文同旨

第二事案の概要

一  事案の要旨

本件は、田谷野敏(以下「亡敏」という。)の相続人(父母)である原告らが、亡敏が自動車(以下「田谷野車」という。)を運転して高速道路を走行中、後方から進行してきた被告須藤の運転する自動車(以下「須藤車」という。)に追突されたため、田谷野車はガードレールに衝突させられ、その衝撃により、車両から路上に放り出された亡敏は、須藤車に轢過されて死亡したと主張して(以下、この交通事故を「本件事故」という。)、被告須藤に対しては、民法七〇九条に基づき、また、同人の雇用主である被告有限会社オート倶楽部(以下「被告オート倶楽部」という。)に対しては、民法七一五条に基づき、それぞれ損害賠償及び事故発生日である平成六年一月二八日から支払済みまでの遅延損害金の支払を請求する事案である。

これに対し、被告らは、須藤車が田谷野車に追突した事実を否認し、田谷野車は、須藤車の前方を走行中加速した際、自らふらつきガードレールに衝突したものであり、このため、その約一〇〇メートル後方を走行していた被告須藤は、田谷野車との接触を回避するための措置を講じたが、須藤車の直前に亡敏が投げ出され、かつ、田谷野車が暴走してきたために、事故を回避することができなかったと主張する。

したがって、本件の主要な争点は、田谷野車がガードレールに衝突する以前において、須藤車が田谷野車に追突したと認められるかに関する認定問題である。

二  基本的事実関係(当事者間に争いがないか、証拠及び弁論の全趣旨によって容易に認定できる事実)

(一)  本件事故の発生日時等

ア 日時 平成六年一月二八日午前零時二五分頃

イ 場所 福島県西白河郡西郷村大字小田倉字古米坂六番三

東北縦貫自動車道 弘前線 下り線

埼玉県川口市起点一六九・二キロポスト付近路上

ウ 須藤車 普通乗用自動車・ベンツ三〇〇E(宮城三三な一八一)

同運転者 被告須藤

エ 田谷野車 普通乗用自動車・日産フェアレディZ(熊谷三三つ七一九八)

同運転者 亡敏

(二)  当事者等

ア 原告裕士は、亡敏(昭和四七年四月二二日生)の父であり、原告幸江は、亡敏の母である。

イ 被告須藤(須藤車の運転者)は、本件事故当時、被告オート倶楽部に雇用されていた。

(三)  本件事故に至る経緯等

被告オート倶楽部は、平成六年一月二七日、栃木県小山市所在の荒井東日本卸流通センター内で行われた「アライオートオークション」に出品されていた須藤車を買い受け、即日、車検証、始動鍵とともに同車両の引渡しを受けた。

被告須藤は、被告オート倶楽部に納車するため、引き渡された同車両を運転して、前記東北縦貫自動車道を郡山インターチェンジ方向(北方)に向けて走行していた。

(四)  事故当時の状況等(甲七号証)

ア 本件道路状況

本件事故の現場となった道路は、別紙図面一(甲七号証、平成六年一月二八日実施の実況見分調書添付の現場見取図)のとおり、東北縦貫自動車道弘前線下り車線であるところ、同道路は、二パーセントの勾配をもつ緩やかな下り坂であって、その車線は、幅員三・五メートルの追越し車線、同幅員の走行車線、幅員三メートルの路肩から成っており、路肩側にはガードレールなどの防護柵が設置され、上下線の境界は、高さ一・三二メートル(道路面から最上部までの高さは一・五七メートル)の防眩ネットが設置された中央分離帯によって、完全に分離されていた。

前記事故現場付近は、南方(那須インターチェンジ方面)から北方(白河インターチェンジ方面)に向かって進行すると、緩やかな右カーブであるが、見通しは前方約二〇〇メートルほどあり、また、事故発生時は前記のとおり午前零時二五分頃と深夜であるが、白河インターチェンジ付近に街路灯があり、やや明るかった。

イ 本件事故による道路への落下物の状況

進行車線道路左側の別紙図面一の記号(以下同じ。)a地点に田谷野車の前部バンパーの破片、同道路右側のb地点に同破片、c地点に亡敏のビニール製白色ズック(左足用)一個、対向車線道路路肩のd地点に田谷野車の右フードレッジパネルと右前部サスペンションの一部部品、進行車線道路の右側のe地点に田谷野車の右前輪タイヤが存在していることが、それぞれ確認された。

ウ ガードレールの状態

一六九・二キロポストの北方道路左側端に設置されたガードレールは、<×>1の地点からK地点まで、田谷野車の衝突によって顕著に破損したほか、その間に設置されている鉄製の支柱が五本薙ぎ倒され、その周囲の路肩には土砂などが散乱していた。

エ 道路に印象されたタイヤ痕等と両車両の移動経緯

(ア) 田谷野車

a 田谷野車が、ガードレールに衝突するまでに道路に印象させたタイヤ痕は、三条(お地点からか地点まで二四・八メートル、あ地点からい地点まで九・二メートル、う地点からえ地点まで八・九メートル)あり、いずれも曲率をもった(カーブした)ものであることから、同車は、何らかの原因であ地点及びお地点付近で横滑りと回転を起こしつつ<2>地点に至り、車両前部をガードレール<×>1地点に衝突させ、同部に著しい損傷を生じさせたものである。

b また、田谷野車は、ガードレールに衝突した際にも、タイヤ痕(き地点からく地点まで四・一メートル)を路面に印象させ、さらにA地点からK地点において約二〇メートルほどの間ガードレールに衝突ないし接触しながら進行し、この間ガードレールの支柱を五本薙ぎ倒し、こ地点からさ地点まで三・二メートルの間オイル等をガードレールに付着させる等した。

c そして、田谷野車は、ガードレールこ地点右側路肩上付近のし地点から、道路中央のす地点を経て、走行車線上のせ地点に至るまでの二二メートルにわたり、路面に円弧の擦過痕を印象させながら、なお移動を続け、<×>4地点に至り、須藤車に衝突した(以下「<×>4衝突」という。ただし、その態様については別紙図面一記載のとおりであるかにつき争いがある。)後、<5>地点で停止した。

加えて、田谷野車は、せ地点から<5>地点までの一九メートルの間、中央分離帯と追越し車線に向けS字を描くような状態で、オイル等を路面に飛散させていた。

d 一方、亡敏は、田谷野車がガードレールに衝突した後<×>4地点に移動する間に、車外に投げ飛ばされて、追越し車線右側防眩ネット<×>2地点に衝突して路上に転落し、<×>3地点において須藤車に轢過され、肺損傷による呼吸不全により、平成六年一月二八日午前零時二五分頃死亡するに至った(甲三号証、二五号証)。

(イ) 須藤車

a 須藤車は、追越し車線上のア、イ、ウ地点を順次進行した後、け地点からな地点まで四六・七メートルの間、路面にタイヤ痕を印象させて移動し、<×>3地点において亡敏を轢過して<×>4地点に至り、そこで須藤車との<×>4衝突を起こした。

b さらに、須藤車は、に地点からぬ地点まで七メートル及びこれとほぼ平行したね地点からの地点までの五・二メートルの間、路面にタイヤ痕を印象させながら移動し、カ地点で停止した。

(五)  田谷野車の事故後の状態等(甲一三号証)

ア 車両前部の状況(別紙図面二の一)

車両右先端〇・六メートルから〇・九メートルの範囲にかけて車両前部が損傷し、前部バンパー、フロントグリル、灯火類等はすべて破損脱落し、エンジンルーム内のラジエーター、各種配線等が破損し、エンジン部が露出するに至った。

また、ボンネットは、全般に、前から後方に押され上方に曲損し、ボンネット右先端から後方に〇・九メートル・幅〇・九六メートルの範囲にかけて擦過痕が生じた。

イ 車両右側部の状況(別紙図面二の二)

右前輪タイヤ、コイルスプリング、前部フェンダー、タイヤハウス、フェンダードアミラー及びドア取手が破損脱落し、各種配線等が破損した。

また、前部フェンダーは後部取付部から破損脱落し、エンジン部が露出し、右側フロントウィンドピラーは、地上高〇・七五メートルの下方まで折れ曲がり、全般に擦過痕が生じた。

そして、運転席窓ガラスは破損脱落し、運転席ドアは、車両先端から後方一・二メートル及び同二・三メートルの二地点が、円形状に最大限〇・四八メートル凹損損傷し、運転席ドアピラーは、シートベルトが固定された状態で、内側に折損した。

さらに、後部バンパー右側面は、取付部から破損脱落し、下方に垂れ、右側サイドガラスも破損脱落した。

加えて、運転席ドア、後部フェンダー、後部ドア内側一面にオイルが飛散し付着していた。

ウ 車両左側部の状況(別紙図面二の三)

前部フェンダー、後部フェンダー及び後部バンパー側面が凹損し、特に後部フェンダーは後方から前方に押しつぶされ凹損損壊し、塗膜がはく離していた。

また、左後部バンパー側面に取り付けられている赤色左サイドリフレックスリフレクター(マーカーレンズ)が、一部破損し脱落した(以下、同レンズの一部を「本件レンズ片」という。)。

さらに、後部バンパースカート部は、反射鏡の先端下部付近から断裂し、同部分に須藤車のグレーの塗膜片のようなもの(以下「本件塗料一」という。)が付着していた。

エ 車両後部の状況(別紙図面二の四)

車両左端部から〇・三メートル・地上高〇・三メートルの後部バンパー下部地点から、左斜め上方全般にかけて破損損傷した。

また、後部バンパー左側部及び尾灯は凹損損傷し、エアスポイラーは、中央部付近から右端にかけて凹損し、擦過痕も生じ、さらにエアスポイラー左右端取付部が後部ドアから離脱し、その左側部が最大限〇・三一メートル離脱した。

そして、後部ドアは、ガラスが破損損壊し、その左右取付部の右側取付部が車体より離脱し、左右部分が外にふくらみ、右側が車体より最大限一・一メートルふくらみ損傷した。

(六)  須藤車の事故後の状態(甲一〇号証)

ア 車両前部の状況(別紙図面三の一)

左前部の損傷が大きく、ボンネット凹損、前部バンパー破損、バンパー上部の左前照灯破損、左方向灯破損及び左右フォグランプ破損等の状況で、その損傷範囲は、左前部から右前部へ約〇・八メートル及び地上高約〇・一八メートルから約〇・八メートルにまで及んだものであって、前部バンパーは、その左前部から右前部へ約一・〇二メートルの部分で折損し、内側に押し戻されていた。

また、右前部は、右フォグランプが破損脱落し、前部バンパーには、その右前部から左前部へ約〇・六三メートルまで、地上高約〇・一八メートルから約〇・四八メートルまで擦過痕が生じていた。

そして、左前照灯と前部バンパーの間の隙間に、本件レンズ片が挟まっており、さらに、損傷したボンネットの左前部凹損部位には、田谷野車の黄色塗料ようのもの(以下「本件塗料二」という。)が付着していた。

イ 車両左側部の状況(別紙図面三の二)

左前部から左前部フェンダーまで大きく損傷し、同部位の板金が押しつぶされてめくり上がり、その損傷範囲は、左前部から左後部へ約〇・九五メートル及び地上高約〇・一八メートルから約〇・九三メートルにまで及び、ボンネットも損傷した。

また、左前輪は、衝突の衝撃で、タイヤハウスの後部にめり込み、左後部ドアから左後部フェンダー部には、擦過痕と軽微な凹損が生じ、その損傷範囲は、左後部から左前部へ、約〇・九八メートルを超えて約一・九二メートルに至る範囲まで及び地上高約〇・一九メートルから約〇・七六メートルにまで至り、同損傷部位にも、田谷野車の黄色塗料ようのもの(以下「本件塗料三」という。)が付着していた。

ウ 車両右側部の状況(別紙図面三の三)

右側フェンダーがわずかに凹損した程度であった。

三  本件事故の発生原因に関する意見書等の内容

(一)  荒居茂夫(社団法人未踏科学技術協会嘱託)作成に係る鑑定書(甲六号証)及び意見書(甲二九号証)(以下、甲三〇号証、三四号証の意見書等を併せて「荒居意見」という。)

ア 荒居意見の結論

荒居意見は、田谷野車がガードレール<×>1地点に衝突する以前であるお地点以前において、別紙図面四のとおり、須藤車が田谷野車に追突したことを本件事故の原因であると結論付けている。

イ 荒居意見の理由

(ア) 本件レンズ片について

須藤車の左前照灯と前部バンパーの間に、本件レンズ片が挟まっていたこと及び田谷野車の後部バンパー左側スカート部分に本件塗料一が付着していることから、須藤車の左前部が田谷野車の左後部に追突したと推認できる。

(イ) タイヤ痕について

田谷野車がガードレール<×>1地点に至るまでに路面に印象したあからい地点及びおからか地点の二条のタイヤ痕は、田谷野車の左右車輪の幅よりも明らかに幅の広いもの、幅の狭いものがあり、これは田谷野車が回転しなければ付き得ないタイヤ痕であるところ、その回転速度はハンドルの切りすぎでは発生し得ない程度のものであって、被追突車特有の形態である。

(ウ) 路面落下物について

上記によれば、田谷野車がガードレールに衝突する原因となった追突が発生した場所は、別紙図面一のあ地点及びお地点付近であると推認されるところ、甲七号証(実況見分調書)添付写真四によれば、同地点付近に白色様の色相の物質の存在を認めることができ、これらは路面落下物と推認される。

この路面落下物は、追突時の衝撃で、車体底部やタイヤハウスに付着していた物が落下した物と認めることができるものというべきであり、同地点付近での追突の存在を推認させるものである。

(二)  田中卓(日本鑑識科学技術学会会員)作成に係る意見書(甲三九号証、以下、同人の陳述書である甲四〇号証と併せて「田中意見」という。)

ア 田中意見の結論

同意見は、田谷野車が後部左ウィンカーを作動中に同車後部にて第一衝突が発生し、その後にボンネット部を大破する第二衝突が発生したものと結論付けている(その意味するところは、田谷野車がガードレール<×>1地点に衝突する以前において、須藤車が田谷野車後部に追突したとするものである。)。

イ 田中意見の理由

(ア) 田谷野車の後部左ウィンカーの破損電球(以下「本件電球」という。)のフィラメント表面に酸化現象が認められた。

(イ) 点灯状態にある電球が破壊されると、高温状態にあるフィラメント表面が突然空気にさらされ、酸化し変色する現象が生じるものであるところ、本件電球のフィラメント表面に酸化現象が認められたことからすると、田谷野車は、左ウィンカー点灯中に外部からの衝撃を受けて電球破壊が生じ、高温であったフィラメントの表面が急激に空気にさらされることで酸化現象が生じたものとみることができる。

そして、本件電球は二一Wであるところ、同意見添付の論文の示すとおり、二一Wの電球は消灯後約一秒間に破壊されると酸化するものであるから、本件電球も消灯後約一秒間で破壊されたものと認めることができる。

(ウ) 田谷野車は、<×>1地点におけるガードレールとの衝突により、車体前部に著しい破損を生じているから、もはやバッテリーと後部左ウィンカーを繋ぐ回路部分は損壊したものと推認できるところ、前記のように、本件電球は消灯後約一秒間で破壊されたものであるから、須藤車による田谷野車後部への追突は、田谷野車の<×>1地点におけるガードレールとの衝突より以前に存在したものということができ、田谷野車が追越し車線を走行中、後走してきた須藤車に車線を譲るため、左ウィンカーを点滅させて左側の走行車線へ車線変更に入ったところに、須藤車が追突し、その後、ガードレールに車両前部を衝突させたものと推認できる。

(三)  鑑定人吉川泰輔(社団法人自動車技術会会員、社団法人交通科学協議会会員、交通法学会会員、全国技術アジャスター協会会員、アジャスター二級資格登録)の鑑定(鑑定書及び平成一一年九月三日付け回答書並びに同鑑定人の証言を併せて、以下「吉川鑑定」という。)

ア 吉川鑑定の結論

吉川鑑定は、田谷野車と須藤車の衝突は<×>4衝突のみであり、本件事故を高速走行中の田谷野車のスピン現象を起因とする自損事故であるとし、須藤車の田谷野車に対するガードレール<×>1地点以前における追突(具体的には、あ地点及びお地点付近における追突)は存在しなかったものとしている。

イ 吉川鑑定の理由

(ア) 須藤車と田谷野車の損傷状態を精査し、殊に、田谷野車後部と須藤車前部の損傷状態を、自動車学工及び力学体系からなる事故工学の原理を応用して検討すると、須藤車と田谷野車の衝突態様は別紙図面五の一のとおり四〇度から四五度程度の角度をもった斜め偏心追突であったといえる。

(イ) 田谷野車は、主要外装部品(グリル、フェンダー、ドア等)と骨格部品とが薄鋼板のプレスにより形成され、その骨格部品が互いにスポット溶接(点溶接)で接合して組み立てられた、軽量にして剛性が高いモノコックボディ(一体構造車体)であり、このようなモノコックボディの損傷は、衝突による力の入力が大きくなるにつれて、外装部品にとどまらず骨格部品に進行するという特性を有している。そして、薄鋼板に物体が接触して外力が加わると、当該部位には損傷(変形)が発生し(直接損傷)、当該部位の周辺には、これによる波及の影響を受けて誘発的な損傷(間接損傷)が発生し、この間接損傷の特徴は、衝突対象物と直接的に接触しないため、緩やかなしわや折れがみられるほか、付着物が残存しない等の事故工学的知見がある。

(ウ) この見地から、両車両の損傷状態を解析し、特に、須藤車の三分の一ほどの左前部が損傷していること、田谷野車の左後部フェンダーの変形が大きく、更に、これにとどまらず、後部フロアー等にも損傷が波及していること、田谷野車の左後部バンパースカート部左端部に本件塗料一が付着していること等からみると、須藤車の前部車体の左側と田谷野車の後部車体の向かって左側とが、追突(斜め偏心追突)の形態で衝突したものとみるのが合理的である。そして、前記基本的事実関係のとおり、本件レンズ片が須藤車の前部バンパーと左前照灯との間に挟まっていたことからみて、両車両の追突姿勢は、少なくとも四〇度から四五度程度の角度を有していたことが推認される。

(エ) 前記の本件道路の状況、両車両の損傷状態等からみると、本件事故の態様は、別紙図面五の二のとおりとみるのが相当である。

すなわち、田谷野車は、走行中スピンを起こしてハンドルコントロール不能に陥り、回転と横滑りをしながら、前記図面の記号(以下同じ。)Aの矢印のように、本件路側用ガードレールに車体前部を突入させ、その後、Bの矢印のように、約二〇メートルほどの間同ガードレールとその前部、右側面前部及び右側面を激突させ、ガードレールのビームや支柱などに極めて顕著な損傷を生じさせながら、進行方向に後退するように衝突していき、さらに、Cの矢印のように急激な左回転が惹起され、亡敏と右フードレッジパネル、右前輪を含めたサスペンションが振り飛ばされ、やがてD地点付近に至ったと推認される。

そうすると、田谷野車がガードレール<×>1地点において衝突する以前に、前記の斜め偏心追突(別紙図面五の一)が発生することはあり得ないことになるから、田谷野車と須藤車の衝突場所は<×>4衝突の地点となると推認できる。

四  争点に関する当事者の主張

(一)  原告ら

ア 事故態様について

本件事故は、田谷野車がガードレール<×>1地点において衝突する以前(具体的には、あ地点及びお地点付近)において、須藤車が田谷野車に追突したため生じたものであり、追突の衝撃で田谷野車は回転しガードレール等に衝突するなどし、これにより、亡敏は田谷野車から放り出されて路上に転倒し、須藤車が<×>3地点において亡敏を轢過し(その衝撃により、亡敏は、その頃、肺損傷による呼吸不全により死亡した。)、<×>4地点に至り、そこで須藤車と田谷野車は再度の衝突となる<×>4衝突を起こしたものである。

イ 原告らの被った損害

(ア) 亡敏の逸失利益 四八三一万一六五〇円

(イ) 亡敏及び原告らの慰謝料 二五〇〇万円

(ウ) 田谷野車自体の損害 二七六万八三四八円

(エ) 弁護士費用 六〇〇万円

(オ) 診察料等 三万七〇二四円(原告裕士の支出)

(カ) 田谷野車のレッカー移動代等 五万九一二二円(同上)

(キ) 葬儀費用等 四九一万一二八四円(同上)

(ク) 自賠責保険による損害の填補 二一〇〇万一二八〇円

(ケ) 以上により、原告両名は、亡敏に生じた(ア)から(エ)までの損害から(ク)の金額を控除した合計六一〇七万八七一八円につき、その二分の一である三〇五三万九三五九円ずつ相続し、原告裕士はこれに(オ)から(キ)までの合計五〇〇万七四三〇円を加えた合計三五五四万六七八九円の損害を被った。

ウ 責任原因

被告須藤は、高速道路を走行するに当たり、適度な車間距離を保つなどして前方車両に追突しないよう運転すべき注意義務を負っていたのに、これを怠った過失があるから、民法七〇九条による責任がある。

被告オート倶楽部は、被告須藤の雇用主であり、被告須藤は被告オート倶楽部の業務遂行中に本件事故を発生させたのであるから、民法七一五条による責任がある。

エ 荒居意見は、合理的な理由に基づき、原告主張を裏付けるものであって、その証拠価値は高いというべきである。

オ 田中意見は、客観的な資料をもとに原告主張を裏付けるものであって、やはり、その証拠価値は高いものというべきである。

カ これに対し、吉川鑑定には、次のような誤りがあり、その証拠価値は低いものというべきである。

(ア) 田谷野車両の右前輪タイヤと右前部サスペンションの路面落下位置

田谷野車の右前輪タイヤは、<×>4地点の北方(進行方向前方)約六〇メートルの地点であるe地点にあり、田谷野車の右前サスペンションは、<×>4地点の東北方約一六メートルの地点であるd地点(反対車線の路肩上の地点)にある。このような場所にこれらが落下しているということは、<×>4地点において、田谷野車の右前輪付近に北(矢吹インターチェンジ)方向に向けて強い衝撃が加えられたことを意味する。殊に、同サスペンションが、高さ(道路面から最上部まで)一・五七メートルの防眩ネットが設置された中央分離帯を飛び越えて反対車線に落下しているということは、田谷野車の右前輪付近に強い衝撃が加えられたことを推認させるものである。

これらの事実からみると、<×>4地点における両車両の衝突態様は、須藤車の左前照灯付近と田谷野車の右前輪付近とが衝突する形態のものであったと推認すべきである。

吉川鑑定のような事故態様では、これらの落下物の位置について合理的な説明ができない。

(イ) 実況見分調書(甲七号証)の記載

事故直後に、被告須藤の立会いの下作成された実況見分調書(甲七号証)の添付図面(別紙図面一)には、<×>4地点における両車両の衝突態様は、吉川鑑定とは異なり、須藤車の左前照灯付近と田谷野車の右前輪付近とが衝突する態様のものであったと記載されているのであって、このこと自体は、被告須藤も認めているところである。

(ウ) 須藤車の左後部ドア付近の損傷状態

左後部ドアから左後部フェンダー部には、擦過痕と軽微な凹損があり、本件塗料三の付着も認められるところ、吉川鑑定がいう斜め偏心追突では、須藤車にこれらの擦過痕等が生じることを合理的に説明することはできない。これらは、二回目の衝突である<×>4衝突において形成されたものとすることで、はじめて合理的に説明できる。

(エ) 路面に印象された三条のタイヤ痕

仮に、田谷野車が追突されることなく、あ地点及びお地点付近で横滑りと回転を起こしたとすれば、田谷野車には外力が加わっていないから、各車輪にかかる力は均一であるため、四輪の全てがタイヤ痕を路面に印象させるはずである。

しかし、田谷野車がガードレール<×>1地点に至るまでに路面に印象したタイヤ痕は、三条(あからい地点、おからか地点及びうからえ地点)しかない。この事実は、あ地点及びお地点付近以前において、田谷野車に外力が加わったこと、すなわち、須藤車に追突されたことを推認させるものである。

(オ) 須藤車に挟まっていた本件レンズ片の位置

田谷野車の前記リフレックスリフレクター(マーカーレンズ)は、その車体左側面後部バンパーに設置されているが、これは軽いものであり、また、高速で走行する車両に沿って空気流が発生し、追突の衝撃で割れた本件レンズ片が一瞬舞い上がった後、須藤車の左前照灯と前部バンパーの間に落ちたものとも推測できる。

そうすると、この事実は、須藤車と田谷野車の追突姿勢が、四〇度から四五度程度の角度をもった斜め偏心追突であったと推認すべきことにはならないものというべきである。

(カ) あ地点及びお地点における路上落下物

吉川鑑定は、あ地点及びお地点において須藤車前部と田谷野車後部が衝突したものとすれば、その付近に田谷野車の後部コンビネーションランプの赤色レンズ片、須藤車の前部バンパーの欠損部品、須藤車の透明ヘッドランプレンズ片等の破片類が同地点に落下していなければならない、と指摘しているところ、事故現場の実況見分調書(甲七号証)には、そのような物の存在を示唆するような記載はない。

しかし、実況見分調書にその旨の記載がないからといって、そこに落下物が存在しなかったものということはできない。むしろ、同地点付近を撮影した前記調書添付写真四によれば、同所には、追突の事実に沿う多数の落下物が存在することが認められるというべきである。

(二)  被告ら

ア 事故態様について

原告らの主張は争う。

亡敏は、自らハンドル操作を誤り、ガードレール等に自車を衝突させたものであって、これについて、須藤車は何ら関与していない。

須藤車は、時速約一〇〇から一一〇キロメートルで追越し車線を走行していたところ、亡敏も、須藤車前方の追越し車線を走行していた。被告須藤は、前方約一五〇メートル先に田谷野車を発見し、約五〇から一〇〇メートルまで田谷野車に接近したが、田谷野車において走行車線に進路を変更する気配がなかったため、そのままの車間距離を保って、田谷野車を追尾して走行していた。

その後、田谷野車は急に加速し、須藤車を引き離していったが、その直後、亡敏は、カーブが迫ったところでハンドル操作を誤ったか何らかの理由により、同車の後部を左右に振り、同車を左側ガードレール<×>1地点に衝突させた。

このため、被告須藤は、急制動の措置を講ずるとともに右側に回避したが、結局、須藤車の進路に亡敏が投げ出されたことから、<×>3地点において同人を轢過し、また、田谷野車の左後部に、停止寸前の須藤車の左前部を衝突させて<×>4衝突を起こしたものである。

イ 原告らの被った損害については、不知。

ウ 被告須藤には、何の過失もなく、被告らに不法行為責任はない。

エ 荒居意見について

荒居意見は、須藤車の左前照灯と前部バンパーの間に、本件レンズ片が挟まっていたことを同意見の根拠として挙げているが、前記リフレックスリフレクターは、田谷野車の車体側面に設置されており、単に後方から追突しても、これが破損して須藤車の左前照灯と前部バンパーの間に挟まるものではない。

また、荒居意見は、田谷野車の後部バンパー左側スカート部分に本件塗料一が付着していることも根拠として挙げているが、同部位の位置(高さ)からして、須藤車が単に後方から追突しただけでは、追突車の塗料が付着することはあり得ないのであって、仮に付着したとすれば、田谷野車がガードレールに衝突するなどして大破した後に、須藤車が追突したからに他ならないというべきである。

荒居意見を採用するべきではない。

オ 田中意見について

仮に、田谷野車後部左ウィンカー内破損電球のフィラメント表面に酸化現象が認められたとしても、この事実からは、同電球が本件事故により破損した時点、またはその余熱が残存する程度に破損直前まで、点灯されていた事実が推認できるにすぎず、何ら破損の原因を明らかにするものではないから、須藤車が追突したことによって同電球が破損され、その結果フィラメントが酸化状態になったことまでをも推認させるものではない。

本件事故によって、田谷野車は、複雑な軌跡を描いているのであり、仮に田谷野車が左側走行車線へ車線変更をするために左ウィンカーを点灯したとしても、この事実から、田谷野車がガードレールに衝突する以前に、須藤車が田谷野車に追突したとの結論を導くことはできないものというべきであって、田中意見は採用されるべきではない。

カ 吉川鑑定について

吉川鑑定は、事故状況についての実況見分調書(甲七号証)及び須藤車、田谷野車の損壊状態についての実況見分調書(甲一〇、一三号証)等の客観的な資料に基づき、田谷野車が、し地点から、道路中央のす地点を経て、走行車線上のせ地点に至るまでの二二メートルにわたり、路面に円弧の擦過痕を印象させながら急激な左回転を起こしている最中に、右前サスペンションを振り飛ばして飛翔させたと合理的に説明しており、その証拠価値は極めて高いものというべきである。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様についての各証拠の評価

(一)  本件事故当時における田谷野車の移動経緯は、前記基本的事実関係のとおりであり、追越し車線のあ地点及びお地点付近から横滑りと回転を起こし、<×>1地点において、ガードレールに衝突し、ガードレールの支柱を五本薙ぎ倒した後、右側路肩上のし地点から、道路中央のす地点を経て、走行車線上のせ地点へと移動を続け、<×>4地点に至ったものである。

他方、須藤車は、追越し車線をほぼ直進し、け地点からな地点まで四六・七メートルの間、路面にタイヤ痕を印象させるような急制動の措置を施したものの間に合わず、<×>3地点において亡敏を轢過し、<×>4地点に至ったものであり、そこにおいて、<×>4衝突が発生したものである。

このような事故当時の状況において、原告らは、田谷野車がガードレールに衝突する以前のあ地点及びお地点付近において、須藤車が田谷野車に追突したことが本件事故の原因であると主張し、被告らはこれを争い、本件事故は亡敏の自損事故であると主張するものである。

この原告ら主張事実を認めるに足りる直接証拠は存在しないが、前記荒居意見及び田中意見が原告主張に沿うものであるから、まずこれらの証拠価値について検討する。

(二)  荒居意見について

ア 荒居意見の理由と結論は、前記のとおりである。

イ 本件レンズ片等との関係について

荒居意見は、田谷野車と須藤車の衝突は、あ地点以前における追突と<×>4衝突の二回であったとし、前者の衝突態様は別紙図面四のとおりであり、後者の衝突態様は、実況見分調書(別紙図面一)記載のとおり、須藤車の左前照灯付近と田谷野車の右前輪付近とが衝突したものであるとする。

しかしながら、そのような衝突態様では、田谷野車の後部バンパースカート部に須藤車との接触痕跡である本件塗料一が付着した事実を説明することができず、また、田谷野車の本件レンズ片が須藤車の左前照灯と前部バンパーの隙間に挟まるという現象が生じているところ、前記リフレックスリフレクターが田谷野車の車両左側部における後部バンパーに設置されているものであることを考慮すると、荒居意見のいう衝突態様は、前記の両車両の損傷状態に符合しないものというべきである。

この点につき、原告らは、本件レンズ片は軽いものであり、また、高速で走行する車両に沿って空気流が発生するから、追突の衝撃で割れた本件レンズ片が一瞬舞い上がった後、須藤車の左前照灯と前部バンパーの間に落ちたものとも推測できると主張し、荒居意見はこれに沿うものであるが、そのような現象が生じる可能性は極めて低いものと考えられる上、その主張を裏付ける的確な証拠は、他に見当たらない。

ウ タイヤ痕について

次に、荒居意見は、田谷野車が印象させたタイヤ痕は、左右車輪の幅より幅の広いものや幅の狭いものがあり、これらは車両が回転しなければ付き得ないものであり、その回転速度はハンドルの切りすぎでは発生し得ないから、被追突車特有の形態であるとしているが、回転しながらすべる車両のスリップ痕は、その幅が広がったり狭まったりするものであるとの吉川鑑定の指摘には首肯すべきものがあり、したがって、この点からは、必ずしも田谷野車が追突された後にガードレールに衝突したものであるとの荒居意見の推認を支持することはできないものというべきである。

エ 路面落下物について

更に、荒居意見は、あ地点及びお地点付近において、白色様の色相の物質が撮影されている甲七号証添付写真四をもとに、これらの物質は須藤車が田谷野車に追突した際に生じた路面落下物であるとする。

しかし、上記写真は、事故発生後二〇分程度経過した時点から五時間強を費やして実況見分がされたときに、実況見分の一環として、警察官により撮影されたものであるところ、その実況見分調書には、この白色様の色相の物質について何の説明も記載されていない。

上記の実況見分は、被告須藤が亡敏の死亡について刑事責任があるかどうかを検討する業務上過失致死被疑事件の捜査としてされたのであるから、これらの物質が本件事故と関連するものであれば、同物質についての説明が調書に記載されていないことは不自然といわなければならないから、上記写真のみで、これらの物質が田谷野車と須藤車との追突によって生じた両車両の何らかの破片と認めることは、困難というべきであり、他に同物質が両車両の破片であることを認めるに足りる証拠はない。

更に、仮に、原告ら主張のとおり、あ地点及びお地点付近において追突があったとすれば、吉川鑑定が指摘するような、追突の事実を推認させる明白な落下物、例えば、田谷野車の後部コンビネーションランプの赤色レンズ片、須藤車の前部バンパーの欠損部品、須藤車の透明ヘッドランプレンズ片、両車両の塗膜片等が同地点に落下していることが自然であると考えられるにもかかわらず、上記実況見分調書には何らの言及もない。

オ 仮に、荒居意見のように、あ地点及びお地点付近において、須藤車が田谷野車に追突し、その影響で田谷野車が横滑りと回転を起こしてガードレールに衝突したとすれば、前記のガードレールの破損状況等からみて、田谷野車がガードレール等に衝突している間に、須藤車は<×>3地点や<×>4地点を通過してしまうのではないかとも考えられる。

カ なお、荒居意見は、須藤車及び田谷野車の長さ、幅、高さ、車両重量、前軸重及び後軸重の客観的数値につき、当該各車両の登録事項等証明書記載の数値と異なる概数を使用しており、この異なる数値をその意見中で展開する諸種の計算式の前提としている点において、正確性を担保することが要請される物理的鑑定意見の趣旨に適合するか疑問があるだけでなく、須藤車及び田谷野車の損傷状態は、本件において、もっとも客観的な基礎資料ともいうべきであるところ、同意見は、前記認定の両車両の損傷状態を推論の基礎としていないのみならず、意見の展開中において簡略にふれるにとどまっている点において、その証拠価値を慎重に検討せざるを得ない。

キ 以上の諸点を総合すると、荒居意見はその証拠価値に疑問があり、直ちに採用することはできないものというべきである。

(三)  田中意見について

ア 田中意見の理由と結論は、前記のとおりである。

イ フィラメントの酸化について

田中意見は、本件電球は二一Wであり、同意見添付の論文によれば、この電球は消灯後約一秒間に破壊されると酸化すると論じられているとする。そして、同意見書に添付された論文は、「電球フィラメントの色調による衝突状況の一考察」(川上明・関森秀伸)及び「交通事故調査のための事故情報(消灯から電球破壊までの時間とフィラメント表面色の関係)」(川上明・関森秀伸・篠原昭)の二論文であるところ、これらの論文には、同意見指摘のような直接の記載はなく、後者の論文中に、電球定格消費電力とフィラメントの表面色をもとに、電球消灯から電球ガラス破壊までの時間を推定する近似式が記載されているのみであるから、同意見はこの近似式を用いて前記のとおり指摘したものと推測される。

しかしながら、この近似式は、二一Wの電球が破壊されてそのフィラメントが「黄みの灰色」となるのが、電球消灯から電球ガラス破壊までの時間が約一秒であるということを算出するものであるにとどまり、必ずしも、それ以上の時間が経過した場合にフィラメントの酸化現象が生じないことを意味するものとは解されない。

すなわち、前記論文は、高温状態にあるフィラメント表面が空気にさらされることによって酸化し変色する現象が生じること、その色は、電球消灯から電球ガラス破壊までの時間を変数として、おおよそ、灰色(暗い灰色、明るい青みの灰色)、緑(青みの緑)、青(鮮やかな青)、紫(鮮やかな青みの紫)、黄色(鮮やかな赤みの黄色)、灰色(明るい黄みの灰色)系の色の順に変わること、点灯時二〇〇〇℃を越える自動車用電球フィラメントの温度は、消灯後、一、二秒で約一〇〇〇℃に下がること、フィラメント表面の酸化により肉眼で確認可能な色の生ずる温度は最低一〇〇〇℃と推定されることなどを指摘しているにとどまる。そして、これらの論文は、点灯状態にある自動車用電球が破損された場合における、フィラメント表面の酸化による表面色変化を論じたものであって、肉眼で確認し得る色の変化が生じない場合に、電球消灯からガラス破壊までどれだけの時間が経過したら、フィラメント表面に酸化現象が発生しなくなるのか、あるいは、フィラメント表面に肉眼で確認できる色の変化が生じない場合は、当該フィラメントは酸化していないものといえるのかについて、何ら触れるものではない。

しかるに、田中意見では、本件電球のフィラメントの色について、何らの言及もされていないのであって、同意見が何を根拠として本件電球が消灯後約一秒間で破壊されたものであるとするのか、必ずしも明らかではないといわざるを得ない。

ウ 本件電球破壊の時期について

フィラメントが酸化状態になるのは、電球が点灯状態にある場合に限られるのではなく、点灯熱が残存する間に電球が破壊された場合も含まれると考えられるから、本件電球のフィラメントの酸化という事実から直接推認される事実は、本件電球が本件事故により破損した時点、またはその余熱が残存する程度に破損する直前まで、本件電球が点灯されていたという事実にとどまり、必ずしも、田谷野車が<×>1地点においてガードレールに衝突する以前に、須藤車が追突したことにより、本件電球が破損されてそのフィラメントが酸化状態になったことまでを推認させるものではない。

すなわち、本件電球の破壊後どれだけの時間まで、フィラメントの酸化現象が生じるのか、田中意見では明らかにされていないから、田谷野車が<×>1地点においてガードレールに衝突する前に本件電球の破壊が生じたのか、それとも、その後の経過中に本件電球の破壊が生じたのかを決定することはできないものというべきである。

エ そのほか、本件事故における田谷野車の動きは、前記のとおり、複雑な経過を辿っているのであるから、田中意見指摘のように、田谷野車後部左ウィンカーの本件電球が破損し、そのフィラメント表面に酸化現象が認められたとしても、そのことから、同意見のような結論を導くのは早計といわなければならない。

オ 以上の点を総合すると、田中意見の証拠価値には疑問があるといわざるを得ないから、これを採用することは困難というべきである。

(四)  以上によると、本件事故の態様につき、原告ら主張に沿う荒居意見及び田中意見は採用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠は見当たらないのであるから、原告らの請求を認めることはできないのであるが、念のため、当裁判所が実施した吉川鑑定の証拠価値について付言しておく。

ア 吉川鑑定の理由と結論は、前記のとおりである。

イ ここで、同鑑定が解析に当たって前提とした須藤車と田谷野車の損傷状態は、当裁判所が前記の基本的事実関係として認定した両車両の損傷状態と同一であり、同鑑定は、この基本的事実関係に前記のとおり事故工学の原理を適用して解析した結果として、須藤車と田谷野車の追突態様を、別紙図面五の一のとおり、四〇度から四五度程度の角度をもった斜め偏心追突であるとしたものである。

そして、このような吉川鑑定の科学的知見の適用が不合理であって、特に疑いを生じさせるものであることを認めるに足りる証拠は見当たらないから、須藤車と田谷野車の追突態様を、前記のとおりに判断した同鑑定の証拠価値を否定することはできないものと考えられる。

ウ これに対し、原告らは、前記のとおり主張して、吉川鑑定の証拠価値を争うが、いずれも採用できない。すなわち、

(ア) 原告らは、田谷野車の右前輪タイヤと右前部サスペンションの路面落下位置について、吉川鑑定の説明では不合理である旨主張する。

この点に関し、吉川鑑定は、田谷野車は、約二〇メートルほどの間ガードレールとその前部、右側面前部及び右側面を激突させたものであり、それは、ガードレールの支柱を五本薙ぎ倒すほどのものであったから、田谷野車の右前部サスペンション取付部の位置関係は破壊されたとみるのが相当であり、そのため、右前部サスペンションが剥離状態に近い状態にあったところ、田谷野車は、別紙図面五の二のとおりの軌跡を描いて横滑りと回転の状態になり、この間に、その前部骨格部位等を路面に落とす現象が生じ、その反力により上方に向かう力が発生した上で、右前輪を含めた右前部サスペンションが振り飛ばされ、右前輪タイヤと右前部サスペンションは、前記の基本的事実関係のとおりの位置に落下するに至ったものとの解析がされているのであり、この推論を不合理とすべき証拠はない。

(イ) 次に、原告らは、吉川鑑定の指摘する<×>4地点における両車両の衝突態様は、事故直後に被告須藤立会いのもとに作成された実況見分調書(甲七号証)の添付図面(別紙図面一)と符合しないと主張する。

確かに、別紙図面一には<×>4衝突における両車両の衝突態様につき、須藤車の左前照灯付近と田谷野車の右前輪付近とが衝突した旨の記載があり、被告須藤もこれを認めているのであるが、本件事故の内容、甲七号証が作成された経緯、被告須藤本人の供述を総合すると、当時、被告須藤には衝突の態様についての明確な認識はなかったのであり、同実況見分調書における上記記載は、本件事故直後の限られた時間における警察官の判断によるところが大きかったことが窺われるから、上記記載があるからといって、前記の推論に基づく吉川鑑定の合理性を左右するものとはいえない。

(ウ) また、原告らは、須藤車の左後部ドア付近の損傷状態と鑑定結果が矛盾すると主張するが、同鑑定は、前記斜め偏心追突により、須藤車は、その前部車体の左側を叩かれるから、軽い左回りの運動を起こして前進し、田谷野車は、重心回りの急激な左回転を余儀なくされる結果、田谷野車の左前部フェンダー局部が、須藤車の左後部ドアや左後部フェンダー局部と干渉して軽微な変形を生成させると説明しており、これを不合理とすべき証拠はない。

(エ) そのほか、原告らは、路面に印象された三条のタイヤ痕、須藤車に挟まっていた本件レンズ片の位置、あ地点及びお地点における路面落下物を根拠として吉川鑑定の合理性を非難するが、その理由がないことは、既に説示したとおりである。

エ 以上の次第で、吉川鑑定には、科学的合理性を有するものとしての証拠価値があることを、否定することはできないものというべきである。

二  上記の証拠評価に従った本件事故についての当裁判所の認定事実

前記基本的事実関係のほか証拠(乙一号証、吉川鑑定、被告須藤本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、むしろ、次の事実を認めることができる。

(一)  田谷野車は、前記道路の追越し車線を進行中、何らかの理由によりスピンを起こしたためハンドルコントロール不能に陥り、別紙図面五の二記載のとおり、回転と横滑りを起こしながら、同図面の記号(以下同じ。)Aの矢印のように、本件路側用ガードレールに車体前部を突入させ、Bの矢印のように、約二〇メートルほどの間同ガードレールとその前部、右側面前部及び右側面を激突させ、ガードレールのビームや支柱などに極めて顕著な損傷を生じさせながら、進行方向に後退するように衝突していき、さらに、Cの矢印のように急激な左回転が惹起され、亡敏と右フードレッジパネル、右前輪を含めたサスペンションが振り飛ばされ、やがてD地点付近に至った。

(二)  亡敏は、田谷野車から車外に投げ出され、追越し車線右側防眩ネット<×>2地点に衝突して転落し、<×>3地点で須藤車に轢過された。

(三)  被告須藤は、田谷野車がガードレール方向に突入するのを見て、直ちにブレーキを踏み、追越し車線上のけ地点からな地点までを移動し、その途中の<×>3地点で亡敏を轢過して死亡させた。

(四)  田谷野車と須藤車は、<×>4地点において別紙図面五の一のとおり、四〇度から四五度程度の角度による斜め偏心追突をした。

三  以上のとおりであって、田谷野車がガードレール<×>1地点に衝突する以前(具体的には、あ地点及びお地点付近)において、須藤車が田谷野車に追突したとの原告ら主張事実につき、これを認めるに足りる証拠がないことに帰する。

四  結論

よって、その余の点につき判断するまでもなく、本件請求は、いずれも理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中壯太 都築民枝 渡邉健司)

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