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さいたま地方裁判所川越支部 平成14年(ワ)171号 判決 2003年10月30日

原告

上記訴訟代理人弁護士

古笛恵子

被告

Y1

外2名

上記3名訴訟代理人弁護士

須田清

生田康介

千賀守人

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  請求

被告らは、原告に対し、各自金1000万円及びこれに対する平成13年9月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

1  本件は、原告の長男である亡Aが、がんに罹患し、被告Y1(以下「被告病院」という。)が開設するY1病院に入院中に自殺したところ、同病院に勤務し、亡Aの主治医であった被告Y2及び被告Y3において、速やかに亡Aに対し検査結果及び治療方針を説明しなかった適時説明義務違反及び亡Aに対するがん告知の際に告知方法配慮義務違反があり、加えて、被告Y2には亡Aに対するがん告知後における患者対応配慮義務違反があり、これらの義務違反がいずれも不法行為を構成するとして、亡Aが受けた精神的苦痛につき、同人の相続人である原告が、被告Y2及び同Y3並びにその使用者である被告病院に対し、損害賠償金1000万円及び不法行為後で亡Aの死亡日である平成13年9月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める事案である。

2  争いのない事実等(証拠を掲記しない部分は当事者間に争いがない。)

(1) 亡Aは、昭和21年8月2日生まれの男性である(甲1)。原告は、亡Aの母であるが、亡Aに子はなく、同人の父であるBは平成3年9月23日死亡しているため、亡Aの唯一の相続人である(甲1、16の1、19)。

被告病院は、Y1病院を開設、運営しており、被告Y2及び被告Y3は、同病院外科に勤務する医師である。

(2) 亡Aは、平成13年8月29日からY1病院外科で受診し、腹部エコー、腹部CTスキャンにより、肝腫瘍が発見されたため、同年9月6日、精査のため入院することになった。

(3) 入院時の診断名は、肝腫瘍、肺腫瘍、右腎結石(疑)、胃潰瘍(疑)、大腸腫瘍(疑)、腰部椎間板ヘルニア(疑)であった。亡Aは、背中の痛みを訴えていたものの意識清明で、顔色も良く独歩で入院していた。

主治医である被告Y3は、平成13年9月6日、亡Aの弟であるC(以下「C」という。)に対し、亡Aの病状につき、肺がんが肝臓及び第7胸椎へ転移していることを説明したが、Cが、がんであることを亡Aに告知しないように依頼したため、被告Y3は、亡Aに対し、がんであることを告知せず、「良性か悪性か分からないが肝臓に腫瘍がある。肺は昔の影だろう。背中の痛みは椎間板ヘルニアによるものだろう。」と説明した。

その後、被告Y3は渡米し、被告Y2が亡Aの主治医として担当することになった。

(4) 被告Y2は、同年9月18日午後2時ころ、Cに対して、亡Aの病状等につき説明し、亡Aに対し、がんの告知を行う旨告げたが、Cが亡Aに対するがんの告知を待ってほしい旨希望したため、当日亡Aに対するがん告知はなされず、同月20日午後5時に亡Aと面会することになった。

(5) 被告Y2は、同月20日午後5時ころ、原告及びC同席の上、亡Aと面会し、病状について、肺が原発のがんが肝臓や胸椎に転移している旨告知し、埼玉医科大学総合医療センター(医療センター)への転院が望ましいとの勧告を行ったところ、亡Aは、その場でこれに同意した。

(6) その後、亡Aは、Y1病院において、点滴フックに電気コードをかけて、首を吊り、同月25日午前2時50分ころ自殺した。

3  主要な争点

(1) 被告Y3及び被告Y2の亡Aに対する検査結果及び治療方針についての適時説明義務違反の有無

(2) 被告Y3及び被告Y2の亡Aに対するがん告知に際しての配慮義務違反の有無

(3) 被告Y2の亡Aに対するがん告知後の患者対応配慮義務違反の有無

4  当事者の主張

(1) 争点(1)について

(原告の主張)

医師及び医療機関には、諸検査を実施した場合、速やかに治療方針を決定して、患者あるいはその家族に検査結果及び治療方針を説明する義務がある。まして、本件においては亡Aの入院初日には既に同人が進行したがんに侵されていることが判明しており、入院後、膝が弱体化し、つかまり歩行もできなくなり、さらには体動困難で、寝たきりのような状態になるなど急激に病状が悪化していることが顕著で、適切な治療のためには転院させる必要があった。また、被告Y3によって、入院予定6日間のすべての検査内容は、入院初日に既に決定されており、平成13年9月11日までには内科、整形外科で腺がんとの診断がなされ、同月6日の病理検査の結果も同月10日には判明していることや、同月12日には腺がんとの中間報告がなされていることにかんがみれば、当初の入院予定期間を経過した同月11日(入院6日目)に、遅くとも病理検査で腺がんと中間報告がなされた同月12日には、患者側に対して検査結果及び治療方針につき説明すべき注意義務があった。

しかるに、被告Y2は、入院5日目である同月10日以降、Cから看護師を通じて再三にわたり説明を求められたにもかかわらず、話すことはないと一言の説明すら拒み、ようやく同月18日になって初めて治療方針についてCに説明したのは遅きに失するというべきである。

また、被告Y3は自らが説明できないのであれば被告Y2に対し十分な引継を行い、被告Y2による速やかな説明を行わせるべきであったのに漫然とこれを放置した。

以上のとおり、被告Y2及び被告Y3は、がんの進行により一刻の猶予もできない亡A、その病状を心配する家族に対して、すみやかな説明を実施しなかった。これは、明らかに、医師の患者及び家族に対する適時説明義務に違反しており、これが不法行為を構成することは明らかである。

(被告の主張)

亡Aの病状を把握し的確な治療方針を決定するためには複数の検査を行う必要があり、その結果が出るまでに10日間ないし2週間を必要とした。これは現在の医療水準ではやむを得ないことであり、検査結果を待つ必要があることは再三にわたり本人及び家族に説明してあった。本件において検査結果がすべて出そろったのは同年9月17日であり、そのため被告Y2は翌日にCに対して亡Aの病状の説明及び今後の治療方針につき説明したものである。

① 入院診療計画説明書について

確かに、入院診療計画説明書には、推定入院期間が「6日間」と記載されている。しかし、同説明書は、患者が入院する際に、その時点で考えられる病名等をとりあえず説明するものに過ぎず、入院後検査を進めていくに従い、変更がありうるものである。同様に、入院期間についても、その時点で予想される期間に過ぎない。本件においても、Y1病院入院の時点における外来で判明した病名を説明しており、そこには「1肝腫瘍、2腰椎椎間板ヘルニア疑、3右腎結石疑」と記載されているだけである。6日間という推定入院期間も上記病名を前提に被告Y3が一応記入したものに過ぎない。

ところで、亡Aに対し、入院当日に実施した胸部CT及び脊椎MRIによって、肺腫瘍と胸椎の腫瘍が新たに見つかった。このため、すべての病変について病理組織検査、細胞診などの精密検査を行う必要が生じ、検査のための入院予定期間も2週間以上必要であることが判明した。被告Y3は、上記病変が見つかったこと及び検査結果が判明するまでに2週間程度かかることを入院当日の夕方、Cに対し説明している。また、亡Aに対しても、がんであることについては伏せつつも同旨の説明をしている。したがって、入院診療計画説明書の記載は説明義務違反の根拠にはならない。

② 検査結果が出そろうまでの期間について

原告は、「本件において、肝臓の病理組織検査結果が平成13年9月10日に判明し、同月11日には内科、整形外科では腺がんと診断が出ていたのであるから、この時点では中間報告的な説明はできたはずである。」旨主張する。

しかしながら、内科、整形外科の診断は生化学検査を経たものではなく、この時点で確定診断できていたのは肝臓の病理組織検査の結果「悪性所見を認めない」ということだけである。肺及び気管支の病理組織検査結果が出たのは同年9月14日であり、検査結果がY1病院に報告されるまでにさらに1日から2日かかることからすると、検査結果が出そろうまでには入院後2週間程度の期間が必要であり、同月11日の段階では出そろった検査結果を基にした総合的な診断及び今後の治療方針を説明することはできなかった。また、患者に対する病状の説明のあり方として、断片的な検査結果を伝えて一喜一憂させることは厳に慎むべきである。

(2) 争点2について

(原告の主張)

医師及び医療機関は、がんに罹患している患者に対し、病態の告知及び説明をする場合、患者の病状や精神状態等の諸事情を考慮した上で、不必要な精神的苦痛を与えないように、告知ないし説明する時期、内容、程度及び方法を慎重に検討し、配慮すべき注意義務がある。

亡Aは、入院後、急激に症状が悪化し、心身とも相当ダメージを受けていた。それは表情、態度からも明らかで、亡Aの性格を熟知し、亡Aの最も良き理解者である原告やCはもとより、看護師ですら亡Aの異常に気づき、「食欲なし」「倦怠感」「活気なし」「不安な表情」さらには「要注意!!」と看護記録に記載するほどであった。ことに、被告Y2ががん告知を試みようとした平成13年9月18日には、亡Aは、夜中の零時に暗闇の中、窓を開け、ベッドを動かしているといった異常な行動をとっており、「要注意!!」と記載された当日であった。しかるに、被告Y2は、同日に、検査結果や治療方針をCに対して初めて説明した後、直ちに亡Aに対するがん告知を試みている。

そして、同月20日に、亡Aにがんを告知する際も、慎重に言葉を選んで希望をもたせるような告知とはほど遠く、機械的に冷淡にがんを告知し、励ましの言葉は全くなかった。

さらに、被告Y2は、Cが、亡Aに対して、「がん治療も昔と比べると良くなっているから大丈夫だよ。」、「遺伝子治療とかもあるから。」、「放射線を当てれば痛みも和らぐから。」などと励ましの言葉を掛けた際、「そんなことはごく一部だよ。」とか「そんなことはない。」と否定し、家族の励ましに水を差すような無神経な発言までしている。

以上のとおり、被告Y2は、肺から胸椎に転移して激痛を生じさせ、心身とも相当のダメージを受けていることが客観的に明らかとなっているがん患者の亡Aに対し、その時期、方法等を全く検討せず、自らの都合を優先し、手続の流れで告知すればいいとの態度でがんを告知しているのであって、医師として、がん告知の際に要求される配慮義務に違反していることは明らかである。

また、被告Y3も、自らがんを告知しないと表明していた主治医でありながら、被告Y2と十分な引継を怠ったため、被告Y2による無責任かつ無神経ながん告知を招来しており、医師として、がん告知の際に要求される配慮義務に違反していることは明らかである。

(被告の主張)

① がん告知に際しての一般的配慮義務

がん告知時に医療機関のとるべき基本的姿勢は以下のとおりである。

1  本人に伝えることを原則とする。

2  初診から治療開始までできるだけ同じ医師が担当し、人間関係や信頼関係が形成されていく中で告知をする。

3  説明をする場所に配慮する。

4  初対面の時から一貫して真実を述べることを心がける。

5  ただ一方的に事実だけを話し、あとは患者側でうまく対処していくように、といった姿勢は決してとるべきではない。

6  医師は患者に対して、希望も絶望も与えることがある立場にいることをよく認識しておく。

7  外来での告知も日常的に行われるが、時間をかけて説明し、その後の配慮を十分に行う必要がある。

8  医師と看護師の協力体制は、がん告知の場面でも極めて重要である。

9  必要があれば段階的に、何度も面接を行う。

10  常に患者の立場に立ってものを考え、判断を押しつけない。

② 被告Y2が特に配慮した事項

被告Y2は、上記配慮すべき事項に従って、亡Aに対するがん告知に際して、がんであることだけを告げ、進行状態については告知しない、現実を話した後は今後の治療方針を説明して患者が希望を持てるようにする、難しい言葉を使わず柔らかい表現を用いるということを配慮しており、被告Y2の過去300例から400例のがん告知の経験を踏まえた妥当なものであった。

③ 亡Aについて特別の配慮が必要な事情の有無

亡Aには神経質なところはあったにせよ、過去に自殺未遂や自殺をほのめかす言動はなく、入院中亡Aに強い自殺念慮は見られなかった。すなわち、亡Aのがん告知による自殺のおそれは、告知時及び告知後において予見可能性はなかったというべきである。

がん告知をする医師にとって重要なのは、表面的な励ましの言葉ではなく、正確な病状を伝えたうえで、具体的治療方針を示すことによりその時点における最良の治療を受けることを促し、それにより患者が希望を持てるようにすることであり、あいまいな表現やその場限りの期待を持たせるような発言は厳に慎まなければならない。

(3) 争点(3)について

(原告の主張)

医師及び医療機関にとって、がん患者に対し、がんを告知した場合、告知後の精神的ケアは不可欠であり、がん告知後は、患者の精神的状態に十二分に配慮する義務がある。

しかるに、被告Y2は、がん告知後も、亡Aの心身の状態に全く配慮していない。すなわち、被告Y2は、亡Aに対し、自らが胸椎の手術を実施するわけでもないのに、「胸椎の手術はできないだろう。」と言ったばかりか、「でも車椅子の生活になり歩けなくなっても死ぬよりはましだろう。」とまで無神経な言葉を述べており、これは、死ぬこと以上に動けなくなることを恐れている亡Aにとって、死の宣告以上の精神的苦痛を与える言葉である。

被告Y2の一連の行為は、医師として、がん告知後の患者に対して要求される配慮義務に違反していることは明らかである。

(被告の主張)

がん告知後も患者に対して精神的ケアをすべきことは当然であり、被告Y2も、回診時には治療の効果について説明することにより、亡Aに希望を持たせるよう配慮していた。例えば、病気の現状を改めて説明するとともに、いろんな治療手段もあって、かつ生活の質がもし落ちたとしても、それなりに快適に生活することはできる旨述べるなどし、日々亡Aを励ましていた。被告Y2が原告にかけた言葉は、車椅子でも十分快適な生活をしてる人はいくらでもいて、スポーツをする人もいるから気を落とすことはないという趣旨であって原告主張のような無神経な発言はしていない。

被告Y2としては、脊髄圧迫による不可逆的麻痺の生じた亡Aに対し、車椅子生活になる可能性まで示唆しておくべきことは当然であり、さらに、希望を失わないよう、車椅子生活でも十分な生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を保てることを説明している。

第3  当裁判所の判断

1  事実経過について

前記争いのない事実等に加え、証拠(甲3、4、乙1、4、5、6、8、証人C、被告Y2)(上記証拠中、後記認定に反する部分は、採用しない。)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる(括弧内の証拠番号等は、掲記事実を認めた主要証拠である。)。

(1) 亡Aは、平成13年9月6日(以下、年月日につき「平成13年」を省略する。)の入院当日、胸・腰椎MRI、胸部CT、胸部単純X線撮影等の検査及び肝生検を受けた。上記胸部単純X線撮影及び胸椎MRIの結果、同日中に亡Aに肺腫瘍及び胸椎転移の所見のあることが発見され、亡Aの主治医である被告Y3は、確定診断のため、さらに複数の診療科と連携して精密検査を行う必要があると判断した(乙1、8)。被告Y3は、亡Aの肝生検の終了後である同日午後5時10分ころ、Cに対し、亡Aの病状及び今後の治療方針等につき、肺がんが原発で肝臓及び胸椎に転移していること、精密検査が必要であること、手術は無理で、できれば放射線治療等をしていきたいこと、検査が全部終わったら、治療方針を決定して告知することなどを説明した。その際、Cは、被告Y3に対し、「亡Aにはがんであることは言わない方が良い。」と希望した。そのため、被告Y3は、その後行った亡Aに対する説明においては、肝臓に腫瘍があるが、良性・悪性の診断はついておらず、細かく検査してみなければ分からないこと、肺の影は昔の病変の残存であることなどを述べるにとどめ、がんの告知はしなかった(甲2、乙1、8、証人C)。

(2) ところで、Y1病院は、亡Aに対し、外来では被告Y3が担当し、入院してからは、被告Y2と被告Y3の両医師が主任として担当していた。そして、入院当日は、被告Y3が亡A及びその家族に対応していたものの、同月9日に同被告が夏季休暇のため渡米したため、同日からは、被告Y2が亡Aに対応することとなった(乙4、8、被告Y2)。

(3) 亡Aは、9月7日に腹部血管造影、同月8日に胃カメラ、同月11日に気管支内視鏡及び肺生検の各検査を受けるなどした(乙1)。

Y1病院は、検査委託施設である「PCL JAPAN病理細胞診センター」に対し、同月6日に採取された肝臓組織、同月11日に採取された肺組織、同月13日に採取された喀痰について、その分析を委託した。その結果、肝臓組織については、同月10日付けで病理組織診断として、「悪性所見を認めない」との内容の病理組織検査報告書が、肺組織については、同月14日付で病理組織診断として「高分化型腺癌、乳頭状型」との内容の病理組織検査報告書が、喀痰については同月25日付けで、所見として、「腺癌を考えます」との内容の細胞診検査報告書が、それぞれ作成され、これがY1病院に返送された(乙1の28頁、29頁、39頁)。

また、上記検査委託施設での検査結果が、Y1病院に送られるまでには、上記報告書が作成されてから、1日から2日くらいを要した(被告Y2)。

なお、同月11日に採取された気管支擦過及び気管支洗浄液について、細胞検査士によって、同月12日付けで、「腺癌を推定します。」との記載のある細胞診中間報告書が作成されているが、同細胞診中間報告書は、指導医の判断を経ていないものであった(乙1の62頁)。

(4) Cは、亡Aの病状等について早期に説明を受けたいと希望し、同月12日ころ、被告Y2に面会を求めたが、看護師を通じて、「今、話すことはない。」と言われ、面会することはできず、同月13日ころにも、看護師を通じて、翌日に被告Y2との面会したい旨要望したが、被告Y2と会うことはできなかった(証人C、被告Y2)。

(5) 被告Y2は、同月17日、それまで出そろった検査結果を総合し、亡Aは、肺がん(高分化型腺がん)を原発とし、肝臓及び胸椎に転移していると確定診断を下した。また、亡Aには、同月14日に椎骨に圧迫骨折があることが判明し、同月18日には両下肢に知覚と運動障害が見られるようになったため、治療方針を検討した結果、原発層に対しては化学療法、肝臓の転移層についてはTAE(塞栓療法)、脊椎の転移に関しては放射線療法のあとに脊椎固定などの手術療法をすることが最善と判断した(乙1、4、被告Y2)。もっとも、被告Y2は、亡Aの余命を約1年と考えていた。

一方、被告Y2は、亡Aに関しては、早急に集学的かつ特殊な治療が必要になると考え、医療センターへの転院を考慮し、あらかじめY1病院の整形外科の堀江医師を通じて、医療センター整形外科へ受入れを打診しており、同月11日ころには、医療センターから、がんの告知が済んでいるのであれば装具内固定による後方固定術も考慮するとの回答を受けていた(乙1の8頁、乙4、被告Y2)。

(6) 上記のような診断に基づき、被告Y2は、亡Aに対して、がんの告知をすることとしたが、Y1病院では、患者の家族にがん告知の承諾を得た上で患者本人に告知することを通例としていることもあり、まず、Cに亡Aの病状等について説明することにし、同月17日、看護師を通じて、Cに対し、同月18日午後2時に、亡Aの病状等について詳しく説明すると伝えた(甲3、被告Y2)。

被告Y2は、Cに対して、同日午後2時ころから、がんが肺から肝臓、骨に転移していること、第9胸椎は完全な圧迫骨折であり、脊髄も圧迫され神経障害・麻痺が出現していること、治療の手段としては放射線治療などがあること、治療段階としては、まず胸椎の治療を行い、その上で肺、肝臓を治療すること、胸椎については、放っておけば脊椎損傷を起こすので、これ以上悪化しないように1日も早く対応する必要があること、肝臓のTAE(塞栓療法)はY1病院でも可能だが、総合的な治療のため、医療センターへの転院を勧めること、医療センターへ転院するためには、亡Aに対するがん告知が必要であることを説明した(甲3、乙1、4、証人C、被告Y2)。

しかしながら、Cは、被告Y2に対して、がん告知を受けた人が飛び降り自殺をしたことを知っている旨述べた上、母である原告と相談したいと述べて、亡Aに対する告知は最低1日は待って欲しいと希望するなど、亡Aに対するがん告知に対して消極的な態度を示したが、亡Aに対するがん告知が不適切であることについては、具体的な理由を述べなかった。

被告Y2は、亡Aには脊椎の骨折によって、脊髄自体への圧迫による麻痺が生じており、その改善のためには早急に対応する必要があるとの判断から、亡Aにがんの告知をした上で直ちに医療センターに転院させる必要があると考え、かなり強い調子で、亡Aに対する即時のがん告知を主張したが、結局、Cの希望を入れ、翌19日は、被告Y2に長時間を要する手術が予定されており面会の約束ができなかったことから、被告Y2は、翌々日である同月20日午後5時ころにCと面会した上で、亡Aにがんの告知をすることとした(証人C、被告Y2)。

なお、当時、医療センターの整形外科では、他院からのがん患者の受入れに際して、その患者に対して脊椎転移性腫瘍に対して脊椎手術を行う場合、原則として、がんの告知が本人になされていることを条件としていた(乙5、6)。

(7) 亡Aは、同月15日午前6時ころ、活気がなく、同月17日午後7時ころやや倦怠感を有し、同月18日午前零時ころ、窓を開け、ベッドを動かすといった行動が見受けられ、看護師らも亡Aの動静に注意を払っていた。亡Aは、同日午後7時ころ、何とか歩ける様になりたいと不安な表情で話していた(乙1)。

(8) 被告Y2は、同月20日午後5時ころから、約30分間かけて、原告及びCを同席させ、亡Aに対し、病状について、肺が原発のがんで肝臓や胸椎に転移している旨告知した上、胸椎が骨折しており、そのため麻痺が出ていることなどを説明し、Y1病院では脊椎の治療ができないので症状の改善のためには医療センターでの治療が望ましいとの勧告を行い、亡Aは、その場で転院を希望した。上記告知前に、原告やCから、亡Aに対するがんの告知に対する積極的な反対の言動は特になされなかった(甲3、乙4、証人C、被告Y2)。

被告Y2の説明が終わった後、Cは、亡Aに対して、「ゆっくり治せばいい。」と話しかけたのに対し、被告Y2において、「そんなことはない。早急に対応する必要がある。」などと発言したり、放射線治療あるいは遺伝子治療に関してCが間違った認識に基づいて亡Aに声を掛けたのに対し、被告Y2において、その内容を否定する発言をしたことがあった(甲3、乙4、証人C、被告Y2)。

(9) 亡Aは、がんの告知を受けた後、看護師に対し「死ぬのは怖くないが、やりたいことはたくさんある。足がどうにかならないと何もできない。安静にしてないと。」などと訴えていた(乙1の120頁)。その後も、亡Aは、「足が動かないで非常につらい。」と述べており、被告Y2も、看護師らからの報告等によって、そのことは承知していた(被告Y2)。

(10)  被告Y2は、亡Aにつき、脊椎の骨折によっての脊髄自体への圧迫による麻痺について、その麻痺が生じてから時間が経過していたため、不可逆的な麻痺に陥っており、減圧処置をしても改善しないと考え、胸椎についての手術は難しいと判断していた。そのため、被告Y2は、がん告知後、回診の際、亡Aに対して、「埼玉医大医療センターに転院しても、手術は難しいのではないか、車椅子でも十分快適な生活をしている人はいて、スポーツなんかもやってる方もいるんで、気を落とすことはない。」という趣旨の言葉を掛けた。その後、亡Aは、Cに対して、「医者のほうから、多分手術はできないだろうと言われたよ。車椅子になっても死ぬよりかはましだろうって言われたよ。」などと述べた。

(11)  亡Aは、同月25日午前2時50分ころ、点滴フックにコードをかけて首を吊り、自殺した。

2  争点1(被告Y3及び被告Y2の亡Aに対する検査結果及び治療方針についての適時説明義務違反の有無)について

(1) 担当医師は、患者が自己の病気についての治療に対する自己決定権を有することにかんがみ、患者又はその家族に対し、検査結果や治療方針をできる限り早期に具体的に説明する義務があるところ、本件においては9月6日、被告Y3によって、亡A及びCに対し、亡Aの病状ないし治療方針について説明がなされた後、同月18日に至るまで、亡A及びその家族に対し、亡Aについての検査結果や治療方針について、具体的な説明はなされていない。

しかしながら、被告Y3は、同月6日に、Cに対して、当時の検査結果に基づいて、肺がんが原発で肝臓と胸椎に転移しているなどと、亡Aの病状に関し一応の説明をした上で、さらに精密検査が必要であること、これらの検査が全部終了したら、治療方針を決定して説明することなどを告げ、亡Aに対しても、Cの希望に従いがんの告知はせずに婉曲な形で肝臓に腫瘍があるが、良性・悪性の診断はついておらず、細かく検査してみなければ分からないとの説明をしていることや断片的な報告ではかえって患者を混乱させるおそれのあることにかんがみれば、その後の検査によって、亡Aの病状につき、確定的な診断や、治療方針が決定できるような内容の結果が出そろうまでは、その間の検査結果につき、中間的な報告をしなかったからといって、被告Y2及び被告Y3に適時説明義務違反があったということはできない。

(2) この点、原告は、「平成13年9月11日に行われた気管支内視鏡の検査によって、亡Aが腺がんであることが確認され、同日、整形外科でも転移の状態など相当な情報が入手されていた。」旨主張するが、当時、生化学検査による結果が出ていたわけではなく、確定診断や治療方針の決定ができる状態であったとは認められない。また、原告は、「同月10日には肝臓の病理組織検査結果について、同月12日には、気管支擦過及び気管支洗浄液についての細胞診に関する報告がなされている。」とも指摘するが、その肝臓の病理組織検査結果は「悪性所見を認めない」というものであり、気管支擦過及び気管支洗浄液についての細胞診に関する「腺癌を推定します。」との細胞検査士による報告も、最終的な結果は、指導医による判断が必要であるとの留保のついた中間的なものに過ぎないのであって、いずれによってもそれだけでは確定診断や治療方針の決定ができるとは認められない。なお、同月14日、肺組織についての病理組織診断として「高分化型腺癌、乳頭状型」との報告がなされているが、その結果がY1病院に届くのに1日か2日を要することに照らせば、被告Y2において、それまでの検査結果を総合して同月17日に至って確定診断を行い、その後速やかに同月18日にCに対して、亡Aの病状や治療方針を説明を行っていることからすれば、これらの対応に医師としての落ち度があるということはできない。

(3) また、原告は、「入院診療計画説明書に記載された推定入院期間である『6日間』が経過した時点で、当初予定された検査の結果が出ており、亡Aやその家族に、検査結果等を説明する義務があった。」旨主張するが、入院診療計画説明書は、同説明書に記載されているとおり、入院期間についてのその時点における大まかな予想に過ぎず、本件においても、前記認定事実のとおり、入院当日に実施した胸部CTと脊椎MRIによって、さらに肺腫瘍と胸椎の腫瘍が新たに見つかったことにより、当初予想が変更され、被告Y3において、精密検査を行う必要があると判断したものである。そして、入院当日の検査結果によって、精密検査が必要になったことについては、同月16日に、被告Y3によって、C及び亡Aに説明がされているのであって、上記のとおり、同月11日の時点では、確定診断や治療方針を決定するに足りる検査結果が出そろっていたとはいえないことにかんがみれば、当初の暫定的な入院予定期間である6日間を経過した時点で、被告Y2らが、亡Aやその家族に検査結果等を説明しなかったことをもって、適時説明義務違反があったとは認められない。

(4) もっとも、患者やその家族から、患者の病状等について、説明を受けたいとの積極的な要望があった場合には、担当医師において、特に説明すべき点はないと判断していたとしても、患者の自己の病気に対する治療に関する自己決定権にかんがみ、治療に悪影響を与えないよう配慮した上で、可能なかぎり、その要望に応じ、患者やその家族からの質問に答え、患者らの疑問や不安を解消するよう努めることが望ましい。

この点、前記認定事実のとおり、Cが、同月12日ころ及び同月13日ころ、被告Y2に対して、亡Aの病状等に関して説明を受けたいと考えて、看護師を通じて被告Y2に面会を求め、被告Y2においても、Cが亡Aの病状等につき説明を受けたいと希望していることを認識していたにもかかわらず、Cに対して、その時点で判明している検査結果等につき説明することで、亡Aの治療に悪影響が生じる事情は特に認めらないのであって、Cに対して、亡Aの病状等を説明しなかった点につき、被告Y2の対応に必ずしも十分とはいい難い面があったことは否定できない。

しかしながら、前述のように、被告Y3からCに対して、同月6日に、亡Aの病状に関し具体的な説明をした上で、さらに精密検査が必要であり、検査が全部終わったら、治療方針を決めて話すことを告げていたこと、及びCが被告Y2に面会を求めた当時、確定診断や治療方針の決定を可能とするような検査結果が出そろっていなかったことに照らせば、被告Y2において、Cの要望に応じなかったことが亡Aの治療に関する自己決定権を侵害する違法な措置とまでいうことはできず、適時説明義務違反があったということはできない。

3  争点2(被告Y3及び被告Y2の亡Aに対するがん告知に際しての配慮義務違反の有無)について

担当医師は、患者の治療に関する自己決定権にかんがみ、患者やその家族に対して、病状や治療方針に関し、患者に具体的な説明を負う義務を有するが、がんのような不治ないし難治の疾病の場合には、その説明をするに際し、いつ、誰に、いかなる内容をどのような方法、態様で説明すべきかについては、患者の性格や心身の状態、家族環境、病状を知らせることの治療に及ぼす影響等の諸事情を勘案した上での慎重な配慮が不可欠である。

この点、原告は、被告Y2の同月20日の亡Aに対する病状等の説明に関して、「心身とも相当のダメージを受けていることが客観的に明らかとなっている亡Aに対し、その時期、方法等を全く検討せず、がんであることを告知したものであり、がん告知の際に要求される配慮義務に違反している。」旨主張する。

しかしながら、同月6日、被告Y3によって、亡Aに対して、肝臓に腫瘍があるが、良性・悪性の診断はついていないなどと、婉曲な形ではあるが既にがんの可能性を示唆する説明が行われていたこと、同月20日当時、亡Aにおいて、ある程度精神的に不安定であったことがうかがわれるものの、がん告知を避けなければならないような深刻な精神状態にあったとまでは認められないこと、さらには、被告Y2は、亡Aの脊椎骨折によって、脊髄自体への圧迫による麻痺が生じており、早急に専門的治療の可能な医療センターに転院させ、減圧手術によってその障害を改善することがクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)の向上のため必要であると判断していたところ、医療センターの整形外科では、他院からのがん患者の受入れに際して、その患者に対して脊椎転移性腫瘍に対して脊椎手術を行う場合は、原則として、がんの告知が本人になされていることを条件としていたこと、Cにおいて、亡Aに対してがん告知を避けるべきであることの具体的理由を告げたことはなく、同月20日に亡Aに対してがん告知をすることについては最終的に異議を述べなかったという諸事情に照らせば、被告Y2が同月20日に亡Aに対して、がんの告知を行ったことに関して、配慮義務違反を認めることはできない。

なお、原告は、「亡Aの診療録(乙1)中の看護日誌の観察記録欄に『活気なし』、『倦怠感±』、『窓openにしBedを動かしている要注意!!』、『不安な表情あり。』との記載からすれば、精神的に相当なダメージを受けていたとの主張をするが、そのような記載内容をもって、亡Aにおいて、がん告知を避けなければならない深刻な精神状態にあったとまでは認められない。

また、被告Y2による病状等の説明後、Cにおいて、亡Aに対して、「ゆっくり治せばいい。」と話しかけたのに対し、被告Y2が、「そんなことはない。早急に対応する必要がある。」などと発言したり、放射線治療あるいは遺伝子治療に関してCが間違った認識に基づいて亡Aに声を掛けたのに対し、被告Y2において、その内容を否定する発言をしたことについて、原告は、家族の励ましに水を差すような無神経な発言であると主張するが、かかるCの発言を被告Y2において黙認すれば、亡Aにおいて、自己の病状や治療方法について誤った認識を持ち、その後の治療に悪影響が生じる可能性があったのであり、被告Y2の発言に配慮義務違反があったということはできない。

さらに、原告は、被告Y2の告知方法が、機械的に冷淡にがんを告知し、励ましの言葉すらなかった旨主張しているところ、医師が患者に共感的な態度で接することが望ましい場合もありえようが、本件全証拠によっても、本件におけるがん告知の際の被告Y2の態度につき、法的な配慮義務に違反しているとまでは認めるには足りない。

4  争点3(被告Y2の亡Aに対するがん告知後の配慮義務違反の有無)について

担当医師は、がん患者に対し、がんを告知した後、その影響にかんがみ、患者の病状や様態の推移等に一層留意し、その後の治療において患者に対し十分な配慮をすることが必要である。

この点、原告は、「被告Y2が、動けなくなることを恐れていた亡Aに対し、胸椎の手術ができず、車椅子を使った生活になる見込みを告げたことにつき、配慮義務違反があった。」旨主張する。

確かに、前記認定事実によれば、被告Y2において、「医療センターに転院しても、手術は難しいのではないか、車椅子でも十分快適な生活をしている人はいて、スポーツなんかもやってる方もいるんで、気を落とすことはない。」という趣旨の言葉を掛けているところ、その発言に対して、亡Aにおいて、Cに対して、「医者のほうから、多分手術はできないだろうと言われたよ、車椅子になっても死ぬよりかはましだろうって言われたよ。」などと述べていることに照らすと、かかる被告Y2の発言に対して、動けなくなることを恐れていた亡Aにおいて精神的ショックを受けていたことがうかがわれる。

しかしながら、被告Y2において、亡Aの病状につき、脊椎の骨折によっての脊髄自体への圧迫による麻痺について、その麻痺が生じてから時間が経過していたため、不可逆的な麻痺に陥っており、減圧処置をしても改善しないことから、胸椎についての手術は難しいと考え、医療センターに転院してから手術はできないと言われるよりも、手術の出来ない可能性を予め伝えておいた方が亡Aの精神的ショックが小さいと判断していたことから上記のような発言に至ったものであって、その判断及び発言が担当医師の裁量権を逸脱した違法なものであるとは認められないこと、被告Y2の発言の動機は、全体として、亡Aを励ます善意によるものであり、その内容も客観的にみて亡Aにとって著しく希望を失わせるものとまでは評価できないといった事情によれば、かかる被告Y2の発言をもって、患者対応配慮義務違反があり、不法行為にあたるということはできない。

5  結論

以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないことに帰するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・清水研一、裁判官・小宮山茂樹、裁判官・栗原 保)

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