さいたま地方裁判所川越支部 平成17年(ワ)387号 判決 2008年10月23日
原告
X1
亡X2訴訟承継人
原告
X3
同
原告
X4
原告
X5
原告
X6
上記5名訴訟代理人弁護士
杉村茂
被告
初雁交通株式会社
同代表者代表取締役
G
同訴訟代理人弁護士
小代順治
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
被告は、原告X1に対し6万8375円、同X5に対し9万9849円、同X6に対し9万6731円、同X3及び同X4に対し各3945円並びにこれに対する平成17年7月29日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2事案の概要
本件は、原告らが、被告に対し、被告の就業規則の賃金規定の作成は、就業規則の不利益変更に当たり無効であると主張して、従来の賃金体系による賃金と新賃金体系による賃金の差額金の支払を求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)
(1) 被告は、一般乗用旅客自動車運送事業等を目的とする会社であり、原告X1及び原告X6は、被告の従業員である(争いがない)。
X2は、本訴提起後の平成18年9月15日に死亡し、原告X3及び同X4は、本件訴訟を承継した(当裁判所に顕著な事実)。
原告X5は、被告の従業員であったが、平成19年3月31日、被告を退職した(書証省略)。(以下においては、原告X1、原告X6、原告X5及びX2を、「原告ら」という)
(2) 被告には、初雁交通労働組合と新初雁交通労働組合があり、原告X1は、初雁交通労働組合の組合員、原告X6は、同組合の書記長、原告X5は、同組合の執行委員長である。X2は、同組合の執行委員長であったが、平成18年9月15日に死亡したため、原告X5が執行委員長に就任した(争いがない)。
(3) 被告は、平成16年1月1日、初雁交通労働組合の組合員である原告らを除く全乗務員に対し、新賃金体系を適用した(争いがない)。
(4) 従来の賃金体系(以下、「旧賃金体系」という)及び新賃金体系は、別紙「初雁交通、旧・新賃金比較表」の「規定」欄記載のとおりである(争いがない)。
2 争点
(1) 新賃金体系の有効性
(原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4の主張)
本件では、新たな就業規則の内容が従業員に正確に告知されておらず、むしろ残業を禁止されていた乗務員の苦しい状態に付け込み、新賃金体系については、残業が実施される点から了解を取り付けたものであることが問われなければならない。
ア 不利益変更の内容及び程度について
新賃金体系は、旧賃金体系と比較すると、月額営業収入40万円以上の場合、基本給を1時間830円としてしており、また、有給休暇を取得した場合にも同様の賃金カットをしており、有給休暇の権利行使を阻害し、違法である。また、月額営業収入40万円未満の場合にも、月額営業収入につき5パーセント減額しているが、これは、川越労働基準監督署の勧告(深夜割増賃金の不支給是正)に反し違法である。したがって、被告が強行した新賃金体系は、旧賃金体系を不利益に変更するものである。
イ 変更の必要性がないこと
被告の収益が赤字であるとしても、その理由は多量退職のみにあるのではない。退職理由も旧賃金体系の不備が理由ではない。乗務員数の激減は、平成13年3月12日付けの「出番の振替禁止」及び平成15年2月26日付けの「公休出勤停止」という被告のとった措置によるものである。
また、割増賃金の計算式に誤りがあったこと及び足切未満の乗務員に対する割増賃金が未払いであることをもって、賃金体系を全般的に変更する必要性には結びつかない。原告ら所属の初雁交通労働組合が36協定の締結を拒否した事実はなく、売上げの減少の原因は、残業を禁止した被告自身にある。残業を行うことで売上げは回復する余地があり、実際にも回復しているのであるから、賃金体系を変更する必要性はない。
ウ 変更後の賃金体系自体の不当性について
新賃金体系においては、足切制度を採用し、ノルマを課しているにもかかわらず、月の営業収入が40万円以上の場合に基本給部分の賃金カットを行っている。また、遅刻・早退によっても賃金はカットされる。足切制度を採用していながら、時間給であるとして実際に支払いをするのは働いた時間分にすぎず不当である。
また、有給休暇を取得した場合、乗務員の足切額を減少させるか、あるいは、仮想営収分を上乗せしなければならないと考えられるが、被告においてはそのような制度は採用されていない。そして、有給休暇を取得していながら、足切額を超過した乗務員に対し、有給手当は支給するものの、基本給を1乗務分カットするのである。これらは有給休暇権の行使を抑制し、有給休暇に関する別件判決(書証省略)を免れるためのものであることは明らかであり、賃金体系のこの部分は公序良俗に反する。
エ 交渉の経緯について
平成15年11月に、新賃金体系について被告から説明を受けたことはない。平成15年12月24日、被告から突然招集されて初めて新賃金体系に関する説明を受けたため、実施時期まで1週間しかなく突然の提案であり、労働条件を労使対等に協議して決定するという労働基準法第2条に照らし違法不当であり、内容も大幅な賃下げとなる危険性があることから、新賃金体系は容認できないとの姿勢を明確にした。新初雁交通労働組合も新賃金体系につき十分説明を受けておらず、十分理解した上で受諾したものではない。同所属組合員らから、36協定を締結することにつき了承する委任状を取り付けていたに過ぎず、新賃金体系に対する同意というべき実態ではない。
(被告の主張)
被告が就業規則を変更して新賃金体系を実施したことについては、次のとおり合理性がある。
ア 不利益変更該当性について
新賃金体系においては、同一営業収入の場合には、旧賃金体系と同一賃金率となるように定めている。ただし、遅刻、早退をした乗務員については、旧賃金体系では賃金に影響しないが、新賃金体系では影響する。これは、きちんとした働きをした者の方がより賃金額としても評価されるようになっているものであり、実際の支給額を見ても、新賃金体系そのものとしては不利益を及ぼす改定ではない。また、被告では、平成13年の労働基準監督署の指導に基づき、暫定的に深夜割増手当を支給するようになったが、これはあくまで暫定的なものであるから、この深夜割増賃金の支給分をもって新賃金体系変更の不利益の判断要素とすることは不適当である。
イ 本件変更の合理性について
(ア) 不利益の程度について
確かに、暫定的深夜割増賃金を入れた場合、被告において試算した結果によれば、平成16年4月分の営業収入額に基づけば約1パーセントの実質的な減少があることは事実である。しかし、タクシー会社においては、営業収入に基づく歩合の支給であるため営業収入そのものの額によってその支給額が変わるため、単に平成16年4月分の営業収入額に基づく比較によって減収額を判断することは不可能である。したがって、賃金総額の減少の有無は、不利益変更の枠内の中の「変更の内容の合理性」の問題として検討すべきである。
(イ) 変更の必要性について
旧賃金体系は、①割増対象から本来除外できない賃金を除外していること、②割増賃金の計算方法が誤っていたこと、③足切以下の歩合を本来の歩合給と所定の割増賃金に区別していなかったこと等の違法なものであった。これらは、労働時間に即した賃金ではなく、売上に対するオール歩合の賃金となっており、残業をしてもしなくても賃金支払項目としての深夜手当、残業手当を支払っていたことから生じたものである。また、初雁交通労働組合からの告発により、被告において残業代の支払を行っていないと労働基準監督署から指摘されるようになり、平成14年10月、被告においては、乗務員に残業を行うことを禁止するようになった。これにより乗務員は残業が事実上できなくなり、その営業収入は減少し、乗務員はその営業収入の減少を嫌い、被告を辞めていくこととなった。結果として被告では、平成12年6月1日から平成13年5月31日までの営業収入が約3億5700万円であったところ、平成13年6月1日から平成14年5月31日までの営業収入は約3億3400万円、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの営業収入は約2億5800万円、平成15年6月1日から平成16年5月31日までの営業収入は約1億8500万円と著しく減少していき、平成12年6月1日から平成13年5月31日までの営業上の赤字は約800万円、平成13年6月1日から平成14年5月31日までの営業上の赤字は約1100万円、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの営業上の赤字は約3100万円となっていた。これらの赤字は、被告の乗務員の多量退職による営業車両の稼働不足によるものであった。このように、被告は、乗務員の定着を図り、これまでの賃金体系に存する労働基準法上の問題点を是正するため、新たな勤務体系と新たな賃金体系を作成する必要性があった。
(ウ) 変更後の賃金体系自体の相当性について
新賃金体系は、旧賃金体系による支給総額を変更することなく、割増賃金の支払が可能となるように検討された。そこで、月額営業収入が40万円以上である場合の基本給16万7600円を見直し、労働時間に対応した支給にするため時間給を採用し、1日の所定労働時間を14時間、勤務日数を11.5勤務から12勤務とし、月額13万9440円になるようにし、旧賃金体系での基本給との差額である2万8160円は、割増手当の原資に充てることにした。また、従来報奨金名目で月額5000円を支給していたものを廃止し、これを割増賃金の原資に充てることにした。さらに、旧賃金体系では、足切額40万円を超えた月額営業収入に対して57.5パーセントの歩合給をしていたものを53パーセントとし、この歩合率の変更によって生じた原資を割増賃金の原資とした。他方、営業収入に見合った成果主義的な手当である精勤手当を、従来は11乗務8500円、10乗務6000円、9乗務3000円を勤務日数の変更も踏まえ、12乗務1万円、11乗務8000円、10乗務5000円とした。
月額の営業収入40万円以上の場合、新賃金体系は、労働時間に対応する時間給である基本給と一定の営業収入をあげたものに対する成果である歩合給で構成されており、乗務員が実際に労働した時間数に基づいて計算され、支給されているのである。欠勤・遅刻・早退の場合には、労働時間が少なくなるため、必然的に基本給である時間給が支払われなくなるに過ぎない。原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4が主張するように、欠勤控除、早退控除ではない。また、有給休暇手当の計算方法は、労働基準法施行規則第25条1項に従って計算しているのであるから、同人らの主張は失当である。
(エ) 労働組合との交渉の経緯について
上記のような必要性に基づき、被告は新初雁交通労働組合と交渉を重ね、また、原告らを除く他の乗務員にも説明を行い、新勤務体系を含む新賃金体系の合意に至ったものである。被告は、原告らが所属する初雁交通労働組合に対しても新賃金体系についての提案をし、協議を申し入れたが、ことごとく拒絶されたため、被告は新初雁交通労働組合と新賃金体系についての労働協約を結び、同時に同じ内容の就業規則を労働基準監督署に届け出、従業員に周知させる手続を行った。原告らは、何ら労使間における雇用確立のための真摯な協議を行おうとしなかったのである。被告においては、賃金体系の変更について多数組合との合意が成立しているのであるから、その合理性が推認されるものである。
(2) 被告が原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4に対し支払うべき差額金について
(原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4の主張)
被告が原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4に対し支払うべき、従来の賃金体系による賃金と新賃金体系による賃金の差額金の額は、別表(省略)記載のとおりである。
(被告の主張)
争う。
第3争点に対する判断
1 争点(1)について
(1) 新賃金体系実施に至る経緯について
前提事実及び証拠によれば、以下の各事実が認められる。
ア 被告の乗務員の賃金は、初雁交通労働組合及び新初雁交通労働組合と被告がそれぞれ団体交渉を行い、毎年賃金体系の協定書を締結することによって、その支給内容を決めてきたが、平成5年以降は、初雁交通労働組合が組合の内部分裂などにより事実上活動をしていなかったことから、被告と初雁交通労働組合との間で協定書を締結することが不可能となったため、平成12年までの間、被告は、新初雁交通労働組合と毎年賃金協定を締結し、これを組合員以外の乗務員にも適用してきた(証拠省略)。
イ 平成13年1月12日、被告の従前の賃金体系について、川越労働基準監督署から指導を受け、さらに、同年2月16日、川越労働基準監督署から、月額営業収入が40万円未満の場合において、午後10時から午前5時までの間に労働させたとき、その時間の労働について通常の労働時間の賃金の計算額の2割5分以上の率で計算した割増賃金を支払わなかったとして、是正勧告を受けたため、平成12年9月1日から平成13年3月1日までの期間の割増賃金について該当従業員に対し支給した。そうしたところ、初雁交通労働組合は、平成12年8月31日以前までの割増賃金について、被告からの支払がないなどとして、川越労働基準監督署に告発したが、結局平成13年10月30日、被告と初雁交通労働組合は、被告が初雁交通労働組合に対し、30万円を支払うことで和解した。(書証省略)
被告は、上記勧告以降、暫定的に深夜・残業手当として月額営業収入の5パーセントを支給していた(証拠省略)。
ウ 平成14年、原告X1、原告X6、原告X5等が、被告の旧賃金体系のうち、従業員が有給休暇を取得した際に支払われる有給休暇手当の計算方法が、公序良俗に違反して無効であるとして、被告に対し、あるべき有給休暇手当と実際に支払われた有給休暇手当の差額の支払いを求めて訴訟を提起したところ、平成16年1月26日、固定給を12で除したものの有給取得乗務分を控除する点については、従業員にとって経済的不利益が大きく、年休権行使を抑制し、ひいては労働基準法が労働者に年休権を保証した趣旨を実質的に失わせるものと評価できるとして公序良俗に反し無効である旨の判決が出た(書証省略)。
エ 平成14年12月2日、被告は、労働基準法36条の協定届けの提出することなく時間外労働を行わせたとして、川越労働基準監督署から是正勧告措置を受けたため、同監督署に対し、平成15年1月31日付けで、被告が平成14年12月7日から一切残業をさせていないこと、残業を行わせる場合には、36条協定を締結し、届け出る旨の記載をした是正報告書を提出した(書証省略)。
オ 被告の乗務員数は、平成11年当時は80名だったが、平成14年には60名に減少した(書証省略)。
カ 被告の平成12年6月1日から平成13年5月31日までの営業収入は約3億5700万円、平成13年6月1日から平成14年5月31日までの営業収入は約3億3500万円、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの営業収入は約2億5800万円、平成15年6月1日から平成16年5月31日までの営業収入は約1億8600万円であり、平成12年6月1日から平成13年5月31日までの営業上の赤字は約800万円、平成13年6月1日から平成14年5月31日までの営業上の赤字は約1100万円、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの営業上の赤字は約3100万円となった(書証省略)。
キ 被告は、従来の賃金体系を改定することに着手し、平成14年12月ころ、新しい賃金規定案が完成し、平成15年11月、新しい賃金規定を含む就業規則が完成した(証拠省略)。
ク 被告は、平成15年11月ころ、新初雁交通労働組合に対し、約2回、新しい賃金協定案を含む諸規定の説明をしたが、初雁交通労働組合に対しては説明がなされなかった(証拠省略)。
ケ 被告は、平成15年12月1日、就業規則変更のための労働者代表を求めるための掲示を行った(書証省略)。
コ 平成15年12月当時、初雁交通労働組合の組合員は4名、新初雁交通労働組合の組合員は14名、非組合員は27名だった(書証省略)。
サ 新初雁交通労働組合の執行委員長であったH(以下、「H」という)は、組合の大会を開き、新初雁交通労働組合の組合員及び非組合員に対し、被告から提案を受けた賃金協定案について説明をし、新初雁交通労働組合の組合員及び非組合員から、被告と新たな賃金協定を締結すること(36協定の締結を含む)について、委任状を得た(証拠省略)。
シ 平成15年12月15日、被告は、新初雁交通労働組合と新賃金体系を含む労働条件の改定の交渉を行い、新初雁交通労働組合からは同意の意向が示された。その際、新初雁交通労働組合側から、新賃金体系についての不明点について、全乗務員に対し被告から説明をするよう求められたため、同月24日、被告は、乗務員全体に対し、新賃金体系についての説明会を開催した。(証拠省略)
ス 上記説明会開催した翌日、被告と新初雁交通労働組合は、新賃金体系の協定書を締結させ、就業規則の従業員代表者の同意書を受け取り、被告と新初雁交通労働組合は、36協定を締結した。同日、被告は、就業規則及び36協定を川越労働基準監督署に届け出た(書証省略)。
セ 同月29日、被告は、初雁交通労働組合組合員4名及び非組合員5名を除く従業員に対し新賃金体系について再度の説明会を開催した。上記説明会に欠席した9名のうち、初雁交通労働組合の組合員4名を除く者に対しては、後日個別に説明をした。(証拠省略)。
ソ 平成15年11月ころ、被告は、初雁交通労働組合の執行委員長であるX2に対し、新賃金体系の説明をすることを提案したが、X2はこれに応じず、初雁交通労働組合の組合員は、同年12月24日の説明会にも欠席した(書証省略)。被告は、同月27日、当時の初雁交通労働組合の副委員長である原告X5に対し、新賃金体系を含む就業規則案を手渡し、交渉を申し入れたが、同月31日、初雁交通労働組合は新賃金体系については同意しないという回答をした。被告は、同月27日、初雁交通労働組合に対し、平成4年7月付けの協定書の効力が問題となった場合に備えて賃金協定破棄通告を行った。(書証省略)
タ 被告は、平成16年1月1日、初雁交通労働組合の組合員である原告らを除く従業員に対し、新賃金体系を適用した(争いがない)。
上記委任状を作成した新初雁交通労働組合の組合員及び非組合員からは、新賃金体系適用後、苦情は出されていない(人証省略)。
チ 平成16年1月30日、被告は、初雁交通労働組合と団体交渉を行い、同年2月17日、X2と被告側の代表であるIとが交渉を行い、翌18日に再度団体交渉を行ったが合意には至らなかった。その後、初雁交通労働組合は、月額営業収入40万円未満の賃金に関する協定案での締結を求めてきたが、被告はこれを拒絶した。被告は、同年3月18日付けで、初雁交通労働組合に対し、新賃金体系及び新勤務体系についての説明を文書で行った。被告は、新賃金体系について初雁交通労働組合の合意が得られなかったため、初雁交通労働組合と同年3月30日に団体交渉を行い、同日の団体交渉で同年4月1日から協定書破棄通告の90日が経過したものとして初雁交通労働組合の組合員である原告らに対しても、就業規則による新賃金体系を適用した。(証拠省略)
(2) 就業規則の変更によって、労働者に不利益な労働条件を一方的に課すことは、原則としては許されないが、労働条件の集合的処理を建前とする就業規則の性質からいって、当該規則条項が合理的なものである限り、個々の労働者において、これを同意しないことを理由として、その適用を拒むことはできない。当該規定条項が合理的であるかどうかは、本件のように賃金に関する事項である場合には、当該条項が、そのような不利益を労働者に法的に受忍させることを許容することができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであるかどうかで判断すべきである。その合理性の有無は、労働者が被る不利益の程度、変更後の就業規則の内容自体の相当性、代償措置その他関連する他の労働条件の改善状況、労働組合との交渉の経緯、他の労働組合又は他の乗務員の対応、同種事項に関する社会における一般的状況等を総合考慮して判断すべきである。
(3) 本件変更の不利益性について
まず、本件就業規則の賃金規定の変更が労働者にとって不利益なものといえるかを検討するに、前提事実及び弁論の全趣旨によれば、新賃金体系においては、①月の営業収入が40万円以上の場合、旧賃金体系においては、基本給が16万7600円であったところ、新賃金体系においては時給830円とされており、これは、賃金規定上月間12乗務とされているから、1乗務14時間として、結局乗務時間は、月間168時間となり、基本給が月間13万9440円に減額されたことになること、また、②旧賃金体系においては、月の営業収入が38万円以上40万円未満の場合には、基本給が月額営業収入の50パーセント、月の営業収入が38万円未満の場合は月額営業収入の45パーセントとなっているところ、新賃金体系においては、月の営業収入が38万円以上40万円未満の場合には、基本給が月額営業収入の44パーセント、月の営業収入が38万円未満の場合は月額営業収入の39パーセントと定められており、月の営業収入40万円未満の深夜・残業手当が新賃金体系においては6パーセントと定められていること、平成13年2月の川越労働基準監督署の是正勧告以降、深夜・残業手当として月額営業収入の5パーセントを支給していたことを考慮しても、結局全体として5パーセント減額していることが認められる。また、書証(省略)によれば、月の営業収入別に旧賃金体系と新賃金体系に基づきそれぞれ仮定賃金を算定し、比較すると、1パーセント弱から4パーセントまで賃率が減少していることが認められるから、本件就業規則の賃金規定は、それ自体、労働者にとって不利益なものといえる。
(4) そこで、次に、新賃金体系の合理性について検討する。
ア 労働者が被る不利益の程度について
上記認定のとおり、月の営業収入別に旧賃金体系と新賃金体系に基づきそれぞれ仮定賃金を算定し、比較すると、1パーセント弱から4パーセントまで賃率が減少している。
また、証拠(省略)によれば、営業収入に占める乗務員の賃金総額の比率は、新賃金体系適用前の平成13年度は59.85パーセント、平成14年度は58.63パーセントであったところ、平成15年度は57.11パーセント、新賃金体系が実施された平成16年度は56.12パーセントと減少しているが、平成17年度は58.06パーセント、平成18年度は57.94パーセントとなっていることが認められる。新賃金体系が全乗務員に対して適用されたのは、平成16年4月であるから、その影響が売上げに完全に反映されるのは、平成17年度以降であると考えられるところ、これと、旧賃金体系が適用されている平成13年度及び平成14年度の賃率と比較した場合、年度によって異なるが、約2パーセント未満の減少が認められる。
月額の営業収入の額や他の条件(早退、欠勤、有給の取得を考慮するか)によって、減少割合が異なり、一概にその不利益の程度を評価することはできないが、上記減少割合からみると、全体的に見た場合、労働者が被る不利益の程度は、大きな不利益とまでは認められない。
イ 変更の必要性の内容・程度
前記認定のとおり、平成5年から平成12年までは、被告と初雁交通労働組合との間では賃金協定を締結することはなく、被告と新初雁交通労働組合との間に締結された協定内容を初雁交通労働組合の組合員にも適用する扱いがされていたところ、平成13年以降は、旧賃金体系の内容自体の問題(残業手当の支給方法や有給休暇手当の算定方法等)や残業について36協定を締結していなかったことなどの問題が明らかとなり、新初雁交通労働組合との間でも賃金協定を締結していない状態であった。また、被告においては、平成12年6月1日から平成13年5月31日までの営業上の赤字は約800万円、平成13年6月1日から平成14年5月31日までの営業上の赤字は約1100万円、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの営業上の赤字は約3100万円であり、平成14年6月1日から平成15年5月31日までの期間の急激な収益の減少は、従業員に残業を実施させられなかったこと及び従業員の人数の減少が原因と認められる。したがって、上記事実関係にかんがみれば、被告においては、残業の実施を前提として賃金体系全体を見直す必要性が高かったと認められる。
そして、前記認定によれば、被告は、新初雁交通労働組合とは新賃金体系についての合意が成立しており、非組合員からも反対の意見が出されていなかったところ、初雁交通労働組合との約3か月間の団体交渉によっても合意に達することはできなかったことからすると、就業規則を初雁交通労働組合の組合員に対し適用することによって統一的・画一的に扱う必要性もあったと認められる。
この点、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4は、原告ら所属の初雁交通労働組合が36協定の締結を拒否した事実はなく、売上げの減少の原因は、残業を禁止した被告自身にある、残業を行うことで売上げは回復する余地があり、実際にも回復しているのであるから、賃金体系を変更する必要性はない旨主張する。しかしながら、前記認定のとおり、本件においては、旧賃金体系自体に問題があり、これを改訂する必要性があった上、書証(省略)によれば、確かに、原告らは残業についての36協定を締結すること自体を拒否しているものではないが、残業を行う前提として残業手当を含む賃金額について被告が提示した内容を上回る条件を提示していることからすると、36協定の締結と賃金体系の変更を合わせて解決しようとする被告の方針が不当とまでは認められない。
また、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4は、乗務員数の激減は、平成13年3月12日付けの「出番の振替禁止」及び平成15年2月26日付けの「公休出勤停止」という被告のとった措置によるものであると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
ウ 変更後の就業規則の内容自体の相当性
前記認定のとおり、新賃金体系においては、①月の営業収入が40万円以上の場合、旧賃金体系においては、基本給が16万7600円であったところ、新賃金体系においては時給830円とされており、これは、結局基本給が月間13万9440円に減額されたことになること、また、②旧賃金体系においては、月の営業収入が38万円以上40万円未満の場合には、基本給が月額営業収入の50パーセント、月の営業収入が38万円未満の場合は月額営業収入の45パーセントとなっているところ、新賃金体系においては、月の営業収入が38万円以上40万円未満の場合には、基本給が月額営業収入の44パーセント、月の営業収入が38万円未満の場合は月額営業収入の39パーセントと定められており、月の営業収入40万円未満の深夜・残業手当が新賃金体系においては6パーセントと定められていること、平成13年2月の川越労働基準監督署の是正勧告以降、深夜・残業手当として月額営業収入の5パーセントを支給していたことを考慮しても、結局全体として5パーセント減額されている。
しかしながら、新賃金体系においては、基本給について上記のような変更をすることに加え、深夜・残業手当の算定方法を調整することによって、結果として、月の営業収入別の仮定賃金を算定した場合、1パーセント弱から4パーセントまでの賃率減少に押さえられており、また、営業収入に占める乗務員の賃金総額の比率も約2パーセント未満の減少にとどまっていることからすると、新賃金体系自体に相当性がないとまでは言い難い。
この点、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4は、新賃金体系においては、足切制度を採用し、ノルマを課しているにもかかわらず、月の営業収入が40万円以上の場合に基本給部分の賃金カットを行っている、遅刻・早退によっても賃金はカットされている、足切制度を採用していながら、時間給であるとして実際に支払いをするのは働いた時間分にすぎず不当であると主張する。
まず、足切制度の中で、基本給の算定方法をどのように定めるかは当事者の自由であるから、その内容に相当性がある以上、時間給制度を採用すること自体が不当であるとまではいえない。そして、遅刻・早退によって賃金がカットされるとの主張については、就業規則上、勤務時間が定められている以上、遅刻・早退に対してその抑制のために賃金額の減少という不利益を課すこと自体には合理性が認められるから、このことが新賃金体系が相当でないという理由とはならない。
また、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4は、有給休暇を取得した場合、乗務員の足切額を減少させるか、あるいは、仮想営収分を上乗せしなければならないと考えられるが、被告においてはそのような制度は採用されていない、有給休暇を取得していながら、足切額を超過した乗務員に対し、有給手当は支給するものの、基本給を1乗務分カットすることは、有給休暇権の行使を抑制し、別件判決(書証省略)を免れるものであることは明らかであり、賃金規定のこの部分は公序良俗に反するとも主張する。
有給休暇を取得した場合、足切額に対応する基本給部分が有給休暇を取得した日数分の時間給が減額されることとなるが、これに対しては、有給手当によって補填されるのであるから、これ以上に乗務員の足切額を減少させるとか、仮想営収分を上乗せするという措置を講じなかったからといって有給休暇権の行使が抑制されているとは認められず、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4のこの点の主張は採用できない。なお、旧賃金体系においては、基本給部分が定額であり、有給休暇の取得によって基本給が減額されるということがなかったのであるから、この点については、旧賃金体系と比較する限りにおいては、新賃金体系の不利益な変更点と認められるが、書証(省略)によれば、有給休暇を取得した場合においての賃率の減少は、各仮定営業収入によって異なるものの、3パーセント前後であることからすれば、同事実は、新賃金体系の相当性についての判断を左右するものではない。
エ 労働組合との交渉の経緯
被告と初雁交通労働組合との交渉経緯については、前記認定のとおりであり、被告と初雁交通労働組合は、平成16年1月以降に新賃金体系及び残業についての36協定についての実質的な交渉を持ったものの、初雁交通労働組合は残業を行う前提として残業手当を含む賃金額について被告が提示した内容を上回る条件を提示し、被告は残業を行う条件として新賃金体系での合意が成立することを主張したため、結局合意には至らなかった。
オ 他の労働組合又は他の乗務員の対応
前記認定のとおり、新賃金体系については、被告と新初雁交通労働組合(平成15年12月当時の組合員数は14名)は、新賃金体系の協定書を締結させ、36協定を締結している上、非組合員(平成15年12月当時の組合員数は27名)からも何らの反対意見が出されていないことからすると、新賃金体系の内容は、労使間の利益調整がされた結果として合理的なものであると一応推認することができ、また、その内容が統一的かつ画一的に処理すべき労働条件に係るものであることを考え合わせると、被告において就業規則による一体的な変更を図ることの必要性及び相当性を肯定することができる。
この点、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4は、新初雁交通労働組合も新賃金体系につき十分説明を受けておらず、十分理解した上で受諾したものではない、同所属組合員らから、36協定を締結することにつき了承する委任状を取り付けていたに過ぎず、新賃金体系に対する同意というべき実態ではないと主張するが、被告と新初雁交通労働組合及び非組合員との交渉経緯は前記認定のとおりであり、同認定を覆すに足りる的確な証拠はない。その他、本件全証拠によっても、上記推認が成り立たない事情は認められない。
カ 以上によれば、代償措置又は一時的な経過措置がとられていないことを考慮しても、新賃金体系は合理的なものと評価することができる。したがって、新賃金体系は、原告らに対しても適用されるものである。
2 結論
以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告X1、同X6、同X5、同X3及び同X4の本訴請求は理由がないから、いずれも棄却することとする。
(裁判官 峯金容子)
<別紙・別表略>