さいたま地方裁判所川越支部 平成23年(ワ)158号 判決 2012年1月23日
原告
有限会社X
同代表者代表取締役
甲野大介
同訴訟代理人弁護士
二瓶修
赤松岳
被告
いるま野農業協同組合
同代表者代表理事
小澤稔夫
同訴訟代理人弁護士
武藤功
渡邊淳子
相良恵美
牧野盛匡
安武洋一郎
新谷紀之
水野祐
前川理佐
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,金3000万円及びこれに対する平成22年12月18日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。
第2 当事者の主張
1 請求原因
(1)養老生命共済契約の締結
乙山太郎(以下「乙山」という。)と被告は,昭和58年11月2日,共済者を被告,共済契約者・被共済者・死亡共済金受取人を乙山,死亡共済金額3000万円の約定で養老生命共済契約を締結した(以下「本件共済契約」という。)。
(2)共済金請求権の取得
ア 乙山は,平成21年2月26日,遺言公正証書を作成し(甲2号証。以下「本件公正証書」という。),妻の乙山花子を遺言執行者に指定した。
イ 乙山は,本件公正証書において,本件共済契約に基づく死亡共済金請求権(以下「本件共済金請求権」という。)全額を原告に遺贈した(以下「本件遺贈」という。)。
ウ 乙山は,本件遺贈により,本件共済金の受取人を原告に変更したものである。
エ 乙山は,平成22年10月10死亡した。
オ 乙山の死によって,原告は,本件共済金請求権を原始取得した。
(3)乙山花子は,平成22年12月17日到達の書面で,被告に対し,乙山が(2)イ記載の遺贈をした旨の通知をした(以下「本件通知」という。)。
(4)よって,原告は,被告に対し,本件共済金3000万円及びこれに対する本件通知到達の日の翌日である平成22年12月18日から支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。
2 請求原因に対する認否
(1)請求原因(1)は認める。
(2)同(2)について
ア アは知らない。
イ イは否認する。
本件公正証書第1条は「遺言者は(中略)死亡共済受取金の総額(参千万円)を」原告に対し,原告から遺言者経営の会社に対する売掛金(総額約1億5000万円)の返済に充てるため,遺贈すると規定しており,乙山が原告に遺贈したのは,本件共済金請求権ではなく,それに基づき被告から受け取るべき共済金自体,すなわち現金に過ぎない。
ウ ウは争う。
本件公正証書第1条は,「遺贈する」と規定し,受取人を変更する旨の表現はない。
エ エは認める。
オ オは争う。
本件共済金請求権は,被保険者である乙山の死亡によって初めて生じるものではなく,本件共済契約締結時に乙山の死を条件とし,乙山を固有の権利者とする条件付き債権として発生していたものである。現に乙山は,生前,本件共済金請求権に原告を権利者として質権を設定している。
(3)同(3)は認める。
3 抗弁
(1)対抗要件の欠如
ア 仮に,本件遺贈が本件共済金の受取人の変更に該当するとしても,本件共済契約に関する養老生命共済約款(乙5号証。以下「本件約款」という。)は,共済契約者の相続人(遺言執行者がいる場合はこれを含む。以下同じ)は,被告に,その旨通知しなければ,被告に対抗することができず,その通知が被告に到達する前に,被告が死亡共済金を支払っているときには,重複して死亡共済金を支払う義務は負わない旨定めている(25条2項)。
イ また,アの通知をする場合,共済契約者の相続人は,本件約款添付の別表[請求書類]記載の必要書類を被告に提出しなければならない(本件約款25条3項)。
ウ したがって,上記書類の提出がない以上,原告は,本件共済金の受取人の変更を被告に対抗することができない。
(2)相殺
ア 自働債権
被告は,乙山に対する2度にわたる貸付金(連帯保証人乙山花子)の支払を求めて提訴し(さいたま地方裁判所川越支部平成21年(ワ)第1504号事件),平成22年7月9日,次の主文の認容判決を得て(乙1号証。以下「別件判決」という。),同判決は同月29日の経過をもって確定した。「1 被告らは,原告に対し,金4385万2817円,並びに,内金17万2858円に対する平成21年4月4日から支払済みまで,及び,内金4367万7519円に対する平成21年3月26日から支払済みまで各年14パーセントの割合による金員を,連帯して支払え。
2 被告らは,原告に対し,金1億477万5505円,並びに,内金23万4145円に対する平成21年4月3日から支払済みまで,及び,内金1億416万3452円に対する平成21年3月26日から支払済みまで各年14パーセントの割合による金員を,連帯して支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 この判決は仮に執行することができる。」
イ 被告は,原告に対し,平成22年11月19日到達の書面で,別件判決で認容された貸金債権の内金3000万円と,本件共済金請求権3000万円とを対当額で相殺する旨の意思表示をした(以下「本件相殺」という。)。
ウ 原告は,本件共済金請求権の質権者であるが,同人に対して行った相殺の意思表示は有効である(東京控訴院大正4年10月20日判決・法律評論全集4巻民法692頁)。
エ したがって,本件共済金請求権は,本件通知のなされる前に消滅している。
4 抗弁に対する認否
(1)抗弁(1)の主張は争う。
ア 本件約款25条2項の規定は,通常の受取人変更の場合の確認手続であり,本件のように遺贈による変更の場合には当てはまらない。
イ 被告は,一貫して,相殺を主張しており,原告が本件共済金請求権を有することの立証は尽くされているというべきであり,被告主張の書類の提出は不要である。
ウ すなわち,本件通知により,原告は,本件共済金の受取人の変更について対抗要件を備えたものである。
(2)同(2)の主張も争う。
ア 前記のとおり,原告は,乙山の死により本件共済金請求権を原始取得しているものである。このことは,本件共済金の受取人が乙山から原告に変更されたものと同視できる。
したがって,本件相殺は原告に効力を有しない。
イ すなわち,本件共済金請求権は,乙山の死によって発生するものであり,死者に権利が発生することはないから(本件約款24条8項参照),本件共済金請求権が乙山に属したことはなく,したがって,同請求権と乙山に対する反対債権とを相殺することは不能である。
ウ また,原告は,本件共済金請求権の受遺者として,その権利を行使しているのであるから,原告による質権者に対する意思表示をした旨の主張は,この点でも失当である。
第3 判断
1 請求原因(1),(2)エ及び(3)の事実は当事者間に争いがない。同(2)アの事実は,甲2号証(本件公正証書)により認めることができる。
2 同(2)イについて
確かに,甲2号証の第1条では,「死亡共済金の受取金請求権」を遺贈する旨の表現は採られていないが,乙山が法律の専門家であったと認めるべき証拠の提出はないこと,及び,同条記載の遺贈の趣旨から,乙山は原告に本件共済金請求権を確実に譲渡させる意思であったと推認できる。したがって,本件遺贈の合理的解釈としては,乙山は,原告に,本件遺贈により,乙山が受け取るべき死亡共済金自体ではなく,その支払請求権,すなわち本件共済金請求権を遺贈したものというべきである。
したがって,請求原因(2)イの事実を認めることができる。なお,同(2)ウの成否については後に述べる。
3 抗弁について
(1)同(1)の成否について判断するまでもなく,次のとおり,同(2)の主張が採用できるので,本件共済金請求権は相殺により消滅しており,原告は被告に対し,その履行を求≠゚ることはできない。
(2)同(2)について
ア 同アの事実は乙1号証により,同イの事実は同3号証の1,2及び弁論の全趣旨により,いずれも認めることができる。
イ 本件相殺の可否(同共済金請求権の原始取得の成否)について
本件共済契約は,本件約款の規定によれば,共済契約者が被告(組合)に対し共済金を支払い,支払事由(例えば,被共済者が被告の責任開始時以後共済期間内に死亡したこと)の発生により,被告が所定の共済金(上記例では死亡共済金)の支払義務を負うことを基本的内容としていると認められる(2条及び3条)。
また,本件共済契約が解約等された場合には,被告は,原則として,共済契約者に解約返戻金を支払う義務を負い(同36条),さらに,本件共済契約の契約者は,本件共済契約の解約返戻金の80パーセントに相当する範囲で,被告より金銭の借入れをすることもできる(38条,共済証書貸付)。
このように,本件共済契約において,共済契約者は,支払事由の発生以前においても,共済者である被告より財産的利益を受けることが可能である旨定められている。そして,上記解約返戻金の発生や共済証書貸付の制度は,そのときまでに,共済契約が失効せず(本件約款14条参照),その後,支払事由が発生することにより,将来的に共済金支払請求権が具体的に発生することを前提として設けられているというべきである。
そうすると,本件共済契約上の共済金支払請求権は,支払事由の発生によって初めて生じるものではなく,共済契約の締結時に,将来,上記失効や解約等のなされないことを条件として発生する権利と解すべきである。現に,原告も,支払事由(乙山の死亡)の発生前に,本件共済金請求権について質権を設定している(乙2号証参照。原告も争わないと認められる。)。
すなわち,本件共済金請求権は,同共済契約締結のときに条件付き権利として発生し,支払事由である乙山の死亡によって具体的権利となり,同時に,本件遺贈により原告に移転する(民法985条1項)というべきである。
したがって,本件共済金請求権について,本件遺贈により原告が原始取得したとの主張(請求原因(2)オ)は採用できない。
ウ そして,仮に,本件通知が同共済金請求権の譲渡(遺贈)の対抗要件たり得るとしても,これがなされる前に,被告は,乙山に対する貸金請求権を取得し,これを認容する別件判決も確定している。したがって,被告は,原告に対し,上記乙山に対する債権を自働債権として本件共済金請求権と対当額で相殺することができる(民法468条2項)。
なお,本件相殺の意思表示は,本件通知の前になされたものであり,これは,本来的に,原告による質権の主張に対抗してなされたものと認められるが(乙2号証参照),原告による質権者としての主張も本件遺贈の主張も乙山の本件共済金請求権を取得したという点で共通するものであること,及び,民法467条1項所定の通知又は承諾は,あくまで対抗要件に過ぎず,債務者において,それがなされる前に債権の譲受人を債権者として扱うことが許されない訳ではないことからすると,本件相殺の意思表示の効力は否定されないというべきである。
エ 上記法理は,本件遺贈により本件共済金の受取人の変更がなされたと構成しても(請求原因(2)ウ),変わりはない。
4 上記のとおり,本件共済金請求権は,被告による適法な相殺の意思表示により全額消滅しているのであるから,その余の点について判断するまでもなく同請求権に基づく本訴請求権は理由がないので棄却する。
(裁判官 松田浩養)